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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2010年12月31日 09時55分07秒

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    バーレスク

    人は、それぞれがそれぞれの夢に向かって生きている。
    しかし、その夢は、夢と言うだけあって、なかなか叶えられないものだ。
    いつか必ず、その夢が現実になる日が来るはずだ。
    弱気になり、挫けそうになる自分を励まし、
    自分の才能や運を信じて生きている。
    そんなサクセス・ストーリーがドラマには多く描かれている。

    彼女は、ド田舎の小さな酒場のウェートレスだった。
    歌手になりたい。幼い時に母が死に、誰一人身寄りが無かった。
    わずかな金を握り締め、単身大都会に旅立った。

    夢に一歩でも近づきたくて、オーディションを受けるがことごとく不合格。
    食べるためにはとにかく何でも仕事につかねばならなかった。
    ダンサーが一人、非常階段でショーの合間に休憩していた。
    「ここだ。」そう直感した彼女は、この店に強引にウェートレスとして雇ってもらった。

    店の女性オーナーは、元はスターだった。
    その店は、既に借金で競売に賭けられる運命だった。
    しかし、彼女は、この店が好きで、ショーが好きで、
    いつか必ず自分のようなスターを育てるという夢があった。
    そのオーナーを助け、ショーを構成している男は、中年のゲィである。
    そんな二人は、同志として愛し合っていた。

    バーテンの若者は、いつか必ず素晴らしい曲を作曲することを夢みていた。
    婚約者のアパートに居候をしていた。
    ある日、そのアパートにダンサー志望の彼女が訪ねて来た。
    泥棒にやられ、有り金全部持っていかれてしまったのだ。
    不思議な共同生活が始まった。

    彼女は、自分から強引にオーディションを受けた。
    ウェートレスをしながら、この店の舞台に立つダンサーの踊りを覚えた。
    驚くオーナー。合格だった。
    そして、ダンサーの一人として踊ることができた。
    その夜のことだ、舞台を降ろされた我儘なスターダンサーによって、
    突然音楽が切られてしまった。
    幕をすぐに降ろそうとするオーナー。
    彼女はそのチャンスに、マイクに向かって、歌い始める。
    圧巻の歌の上手さだった。その歌声に、魂が震えるほどの感動があった。

    オーナーは、彼女に歌わせた。
    喝采の中に彼女の笑顔があった。
    「さっそく今夜みんなで稽古するわよ。明日からのショーの主役は貴女よ。」

    夢を叶えるための「映画」での法則がある。
    1 身寄りが無く貧しいが才能と実力のある主人公。
    2 大都会に出てチャンスを探すが、不遇をかこつ日々。
    3 潰れかけた店のオーナー。元スター。起死回生のチャンスを探している。
    4 同じく売れない作曲家。しかし、センスは抜群である。ただし自信がない。
    5 この三人が運命的な出会いをする。
    6 この店を狙う悪徳不動産屋。これがとてつもない金持ちである。
    7 偶然のチャンス。そのチャンスを見事にものにし、喝さいを浴びる主人公。
    8 その才能を見抜くオーナー。そして、温かく迎える仲間たち。

    思わず立ち上がって、「ブラバー」と叫びたい衝動に駆られた。
    とにかく定番のサクセスドラマは面白い。
    何よりもこの歌の完成度は、並大抵のものではなかった。
    久しぶりにタレントに感服した。絶賛した。これは必見の価値がある。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月30日 09時31分19秒

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    相棒

    上に上がる人がいる。
    上に上がれない人がいる。
    上には上がらない人がいる。
    さて、私はどの人だろうか。
    やっぱり自分自身に正直に生きられる道が、私の選ぶ道なのだろう。

    上司からの命令に絶対服従することを仕事と考えている人がいる。
    上司からの命令を疑問を持ち、悩みながらも従う人がいる。
    上司からの命令が間違っていたり、不正であったら、NOと言える人がいる。
    やっぱり自分が言いたいことを言えなくなってしまう立場には、
    立たない方が人間らしいのではと考える。

    不正であることが分かっていても、
    自分の出世と組織のために、それをやり切る人がいる。
    不正であることを知っていても、
    断ることが出来ず、自己保身のために知らぬふりして、履行する人がいる。
    不正であるからと、調査して、内部告発して不正を暴き、
    免職や失職する人もいる。

    権力には罠があり、その権力を握った者は、その罠にはまり、
    当たり前のようにして無理難題を部下に押しつけ、
    その責任も部下に取らせて、知らぬふりをする人がいる。
    そんな権力者の横暴と傲慢を分かっていても、
    その権力の傘の下で生きたいために、自分の信念と真実とを殺して、
    その命令を全うすることを本分とする人がいる。
    そんなことを全く潔く思わず、
    自分の信念と正義にに従い組織の犯罪を暴き、
    権力者と真っ向勝負を挑む人がいる。

    A権力者・エリート・キャリア組 Bノンキャリア組・迎合者・私主義者・傍観者 C仕事人・告発者・脱藩浪人
    この三つのパターンが、ある種の警察ドラマのパターンなのだ。
    しかし、そのドラマの人気が衰えず、
    そのドラマの映画化を多くのファンが待ち望んでいるということは、
    その構図に社会の縮図を見ている人が多いからではないだろうか。

    それでは、このAとBとCのどの立場の人が悪いのか。
    それでは、組織社会の中に置いて自分はどの立場の人なのか。
    「青島くん」がヒーローになるのは、
    Cに近いBの人が社会の大部分だからではないだろうか。
    本当は権力者こそ、孤立し、愚かで、弱い立場の人はいないと私は思う。
    本人は何も分からずふんぞり返っているだけだが、
    Bを含めた多くの人の良心と真実の眼差しは、ちゃんとそのことを見抜いているのだ。

    このAが引退し、職を離れたらどうするか。
    誰一人、このAには付いて行かないのである。
    部下を可愛がらなかったAの末路は哀れなものなのだ。
    そのAの人生を救ってやれるはずだったのが、Cなのだが、
    AはとかくCを目の敵にして虐めているものなのだ。

    「相棒」には、まさにそのAの哀れな末路で締めくくられていた。
    「官房長官。官房長官。」必死の叫びに、Cの熱い想いは込められていた。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月29日 07時36分45秒

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    ノルウェーの森

    人は、幸せになるために生まれて来た。
    そんな言葉が、わけもなく心に浮かんだ。
    そして、ある意味、いろいろな状況に置かれながらも、
    人は、あるがままを受け入れれば、それなりに幸せなのではないだろうか。

    もう一つ分かったことは。
    人は、一人では生きていはいけないということだ。
    人がこの世に生を受ける時には、父と母が必要なように、
    人が、この世で生きて行くためには、
    多くの人たちの助けと、かかわりとによって生かされているということだ。

    人は、群れを作る社会的な存在である。
    考えてみたら、家族を持たない人は、一人もいないのだ。
    その家族とどのような絆をもっているかは、それぞれ別であるが、
    その家族とのかかわりのあり方は、意志によって創られるのではないだろうか。
    「恋愛は、感情であり、愛情は、意志である。」と教えられたことがある。
    意志としての選択と決定により、人と人との関係は形作っていけるのではないだろうか。

    冷静に相手の立場や、考え方を理解し、
    その存在を認め、共感する。
    困っていたら、黙って支援の手を差し伸べ、
    指示や、命令や、暴力で一方的に抑え込むのではなく、
    絶えず対話を求め、降りて行く姿勢を保つ。
    自分の弱さや愚かさに気づくことで、
    人に対する優しさが生まれる。

    案外、家族とはそうした人としての弱さの集合体ではないだろうか。
    それぞれが悩み、それぞれが迷い、それぞれが助けを求めていたりする。
    そんな人としての弱さを出し合い、語り合えるシェルターが、
    家族なのだろう。
    家族は、人が生きるためのセーフティーネットだった。

    ところが、人が幸せに生きるための最小単位である家族が、
    現在は崩壊している場合が多い。
    孤独は人にとって大切なスタンスであるが、
    今は孤立する人があまりにも多すぎる。
    人は、もう一度意志をもって、
    家族を再構築し直さねばならないのではないだろうか。

    それは挨拶であり、言葉かけであり、触れ合いであり、歩み寄りであり、理解であったりする。
    その交流の機能と、感性と、アンテナが壊れていたら、
    ある意味、居心地のよい家族とはならないはずだ。

    毎日喧嘩が絶えなかったり、怒鳴り声が飛び交ったり、
    トラブルが続いたり、憎み合ったり、暴力が日常であったりしたら、
    それは、決して居心地のよい家族にはならないだろう。
    しかし、よく考えれば、そうしないという選択肢は、
    一人一人には許されているのだ。
    「もちろん」と自分を勘定に入れずに、
    相手を尊重して、意志をもって愛し続けることもできるのだ。

    「人は、幸せになるために生まれて来たのだ。」
    「本当は、既に人は幸せになっているのではないだろうか。」
    「ただ人は、それを知らなかったり、感じられなかったりしているだけなのではないだろうか。」

    私は、「ノルウェーの森」を観て、幸せについて考えていた。
    それにしても、ブックバンドとヘルメットが懐かしい映画だった。

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    A子

  • from: クマさんさん

    2010年12月28日 07時50分02秒

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    武士の家計簿

    「武士の家計簿」
    この映画を観ていて、現代に通ずるテーマ満載で驚いた。

    まず、「勤める」ということだ。
    加賀藩の経理を担当する部署に見習いとして働く主人公は、
    実に真面目に、実直に、仕事一筋に勤めを果たしていた。
    「算盤馬鹿」と周りから揶揄されながらも、
    真剣に仕事に向かう姿が心に残った。
    自分の力を公に謹呈することが、「仕事」なのだと教えられる。
    そして、侍はその仕事で失敗をすればその罰として「命」すら奪われる厳しさも感じた。

    財政方は、飢饉の時、
    各村々に与える「お助け米」を途中で搾取することが慣例になっていた。
    帳尻は帳簿上は合わせているが、よくよく調べると矛盾は露見する。
    彼は、ある日それを発見した。そして、上司に進言するが、握りつぶされる。
    それでも不正を明らかにしたいと、独自の調査を始め、
    調査書を作成して、上司に手渡す。
    後に、このことで能登に左遷されそうになる憂き目にも会う。

    家計が火の車であることを知ると、途端に緊縮財政を組む。
    借金を一文でも減らすために、
    ありとあらゆる趣向品や家具・調度品・着物に至るまで売り払う。
    武士としての対面よりか、実を取るこの男の潔さ。
    それは、持続可能な家を作る為の避けては通れぬ道なのだ。
    膨大な借金の半分を返済し、残りは無利子の10年の分割とする。
    そんなことを言ったお武家さまは初めてだ。と金貸したちも舌をまく。
    この果断な処置を本来は、日本と言う国家がやらねばにらないのだ。

    子どもに対する厳しい躾と教育にも教えられた。
    子どもを一人前に育てるのは親の仕事である。
    一人前に育てるからこそ、子は厳しい世の中で生きていく力を得るのだ。
    家計のやり繰りを任された子は、ある日一文を失くしてしまう。
    拾った一文で帳尻を合わせたが、
    すかさず父は見破り、その一文を拾った場所に返して来いと言う。
    もうすっかり夜更けである。6歳の子にそれを命ずる。
    反発する子を投げ飛ばし、額に怪我を負わせる。
    それでも鬼になる。
    この子は、後に運命的な出会いにより、海軍の主計局の長となる。

    主人公の言葉の中に、こんな言葉があった。
    「親として、子に恥ずかしい生き方を私はしたくない。」
    だから、「算盤侍」としての生き方を誇りをもって貫き、
    藩の不正に対しては下級侍ながら命懸けで訴え、
    武士の対面何ぞ捨て去って、家を守るために奔走した。
    何よりも、人としての生き方を真摯に愛情を込めて、
    その子に伝える努力を親として怠らなかった。

    実は、この主人公。歴史に埋もれていた平平凡凡たる侍である。
    それを彼が残した「家計簿」からヒントを得、
    作者は物語として蘇らせたのである。
    その代々続いた家計簿は、今でもこの家では付けられているそうだ。

    日本人が、日本人として持っているはずの素朴な「らしさ」を、
    この映画は丁寧に、ごくごく自然に描いてくれている。
    何よりも、監督の森田芳光が、丸くなったことを感じた。
    人は、年をとると、やっぱりここに戻るなぁと、私はこの映画に頭を下げた。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月27日 06時35分14秒

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    音楽と言う生き方

    連日の飲み会と、ごっつぉうのために、またまた年末肥りが始まった。
    食べれば肥る。当たり前のことなのだが、
    余りにも素直に、カロリーを肉体に変えてしまうこの体が恨めしくもある。
    昨日は、夕方トンネルを1時間ゆっくりとしたスピードで走って来た。
    ストイックにどこかで自分を追い込んで行かないと、
    駄目になってしまう不安をもつ私だ。

    土曜日に、1月の「なじら家コンサート」の演奏者であるIさんとお会いした。
    ほんの打ち合わせのつもりだったのが、11時近くまでお付き合いさせてもらった。
    とにかくお話が面白く、興味深いものばかりだった。
    「音楽は、人である。」改めて彼女のお話を聴いてそう思った。

    フランス人の先生との出会い。
    先生には若くして両親を失った心の喪失感があったそうだ。
    その先生の演奏に触れ、心を奪われ、今しかないと単身渡仏した。
    音楽はテクニックだけではない。
    山は一つだけでない。
    フランスではパリの郊外に住み、音楽漬けの生活だったようだ。
    エッフェル塔に昇ったのも、三年目?だったと聞く。
    選ばれし者だったのか、サックスが自分となってしまった。

    日本に帰ってからは、サックスの指導だけでなく、ある塾の先生をやっている。
    そこで発達障害かなぁと思う子どもたちに出会う。
    小学校の頃、そうした障がいのある子と運動会でペアになった経験があるそうだ。
    その時のことが、今でも心に残っていると話してくれた。
    彼女は、いろいろな想いを込めて、
    新潟市では様々な施設を訪問して演奏をしていた。
    「知ることではなく、感じることです。」
    「音楽は、体験です。」
    「音楽は、瞬間にして人の心を和らげる力があります。」
    私は、音楽と演劇は同じだなぁと改めて思った。

    新潟に帰って来てから、8年間?こうしたボランティアを続けている。
    サックスで食べられるわけではないので、「そろそろ」と友人から言われるそうだ。
    そして、「これを最後に・・・」と思いつつも、音楽から離れられない自分。
    それは、あの「のだめ」の主人公も一緒だったなぁと思う。
    彼女は、老人ホームの高齢者や障がいのある人の作業所で音楽を伝えて来た。
    そこに聴きたい人がいて、彼女が聴かせたい音楽をもっている
    だから、彼女は音楽を通した心の癒しを手渡し続けて来たのだろうと、私は感じた。
    その力とは、フランス人の先生の演奏がもっていた力なのではないだろうか。

    彼女は、CDを聴かないと言っていた。
    「音楽は、生演奏です。」私も同感だ。
    フランスでは、音楽会が多数開かれ、素晴らしい音楽を聴く機会には恵まれている。
    チケットが無い時は、若者たちでチームを組んでキャンセルしたチケットを手に入れるそうだ。
    会場に入り、空いている席があると、すかさずその席に座るそうだ。

    そんなにお金がなく、生きて行くだけのお金でだけで、
    人生を楽しんでいる人たちが多いと聞いた。
    お金に縛られず、名誉や権力からも自由に生きているフランスの人たち。
    その環境と時間の中で生きている時の心地よさがあり、
    日本に帰ってからのお金と競争と自己中心的な人々の多い環境と時間の中に生きる心地悪さがある?

    さてさて、酔っ払ってのインタビューだったので、
    いろいろと間違った解釈や、覚え違いがあることをIさんにお詫びする。
    しかし、素晴らしい人と出会えたものだと、Cさんと喜び合った。
    ある意味、私にとっては、感動の一夜だった。
    心から音楽を愛し、その愛する者について語られる時、
    それを聴く私も、共感しながら、どんどん心地よくなって行った。
    それは、ハイボールのせいでは決してないはずである。

    ストイックに自分を追い込むものを、私も演劇で持ちたいと、
    Iさんの生き方を知って、そう思った。

    第3回なじら家コンサートは、1月15日土 18:30〜である。
    全ての人に生の演奏を聴いて欲しいとの願いから、
    料金は500円だ。
    あっという間に売り切れてしまう、プレミアチケットになっている。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月26日 13時01分57秒

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    豊かさは、心の豊かさなのか。

    本日は、掟破りの掲示板となる。
    昨夜のなじら屋での楽しかった交流については後で記す。
    ここから記す全ての言葉は、今日のサンデーモーニングで語られた言葉だ。

    ・児童虐待による家族崩壊
    ・アメリカでは虐待による若者の家出は160万人に及ぶ。
    ・ホームレスとなり、施設で生活をしている。
    ・しかし、虐待を受けた若者も、いつか虐待をする親となる。
    ・虐待の悪循環の連鎖反応がある。

    ・人は、社会と言う大きな家族の一員だったのではなかったか。
    ・それは、社会であり、近所であり、家族である。
    ・アメリカとは、天才とホームレスの国なのだ。
    ・チャンスがあれば巨万の富を稼げるが、1500万人以上が保健を持たず、医者にもかかれない現状がある。
    ・弱者と敗者を同一に見ている国なのだ。
    ・ヤップ島がアメリカからの独立を選択したのは、ヤップには乞食はいないし、全員が家族だからだ。
    ・人間とは群れ社会が必要なのだ。
    ・そこではお互いが助け合って生きることが当たり前だ。
    ・現代の人間は、「孤立した猿」になっている。

    ・老人の被虐待者は600万人。その虐待者の9割が家族。
    ・自己責任とは、社会的な弱者に優しくない社会だ。
    ・経済効率だけを優先にし、住民によるホームレス排除や食事を供給することを罰する法律ができている。
    ・誰もがホームレスになるという可能性を忘れている。

    ・デンマークの国民は、幸せなのか。
    ・収入の半分以上の重税のおかげで、教育・医療・介護は無料。
    ・1万人以上のホームレスが存在する。アル中・薬中・心の病
    ・人とのつながりが切れていることへの寂しさ。
    ・生きる意味や、自分には価値がないと思う虚しさ。
    ・自宅や施設で生活する高齢者にたいしては、ヘルパーたちが支援する。
    ・家族が訪ねて来ない独居老人。家族に会えないことの寂しさを訴える高齢者。
    ・ケアは国が全部保障するが、心のケアはどうなのか。
    ・人間的な触れ合いを心から求めている老人たち。
    ・充実した社会保障でも、550人に1人がホームレスになり、10万に11.9人の自殺者がいる。

    ・かっての日本では、企業が家族の役割を果たし、守ってくれた。
    ・デンマークは、食べ物の自給率が100%だ。農業に従事し、作る作業に参加している。
    ・食べ物を作ることの大切さを社会が知っている。

    ・人は、孤独では生きてはいけない。
    ・人は、人とのつながりを求めている。
    ・年寄りが子守することだって家族の中で役に立っているという喜びなのだ。
    ・自己犠牲を払う力。自分は誰か他の人の役に立っているんだ。
    ・愛知万博のボランティアの23%以上が高齢者だった。
    ・人のために役だっていることが、人の尊厳と名誉と生き甲斐を与える。

    ・18世紀の産業革命以来、人は自由と便利さとを履き違えて来た。
    ・過去とのつながりが失われた社会ならば、過去を受け継ぐ社会とならねばならない。
    ・人は、過去を捨てたから、つながりが分からなくなってしまったのだ。
    ・人は、本来働くことで社会とつながっていた。
    ・労働が時間になり、働く者なら誰でもよくなった。
    ・働くとは、関係を結ぶことでもあったのだ。

    ・戦後の日本は7倍の経済成長をとげたのに、満足度はまったく変わらなかった。
    ・便利とは、人間がさぼるということ。
    ・自分で汗をかき、体を使うことを嫌うこと。
    ・人間は、ホモサピエンス(賢い人)ではなくホモサスペンス(不可解な人)になってしまった。
    ・土を育て、自己を育て、社会を育てる・・・クマール(インド)
    ・江戸時代は、勤めと稼ぎは違っていた。
    ・自分も食べるために、社会への役割を果たす。
    ・社会全体が本来家族なのではないか。

    ・「サルと人と森」石川啄木・・・森林荒廃に対する警告の物語
    ・我々は、正月や年中行事、祭りを通して自然とのつながりをもってきた。
    ・自分が1日怠れば、日本が1日遅れる・・・坂の上の雲
    ・共有の価値を持つことで、国家と個人が一直線につながった時代。
    ・個人主義なんかではなく、ただの私生活主義(ミーイズム)なんだ。
    ・良い意味での目標を真剣に創りなおしていかねばならない。
    ・このバラバラ感から脱却し、一人でも幸福に生きられる社会にする。
    ・「支え合い」を取り戻す。
    ・昔は、自分を人や社会のために捨てる人がいた。

    ・「うつし世のしじまに」現代も行われている無尽講のドキュメンタリー映画。
    ・迷惑をかけることや、お世話になることは大事なことだったんだ。
    ・古いしきたりの良さには、若い時には気づかないものだった。

    ・人と人。人と自然とのつながりを再構成する触媒が求められる。
    ・みんなでどう分かち合うか。
    ・貧乏と貧しさとを整理してかんがえなければならない。
    ・風景の風が大切です。それはゲマイシャフトで、みなで共有できるものだからです。
    ・2050年には、地球環境そのもののリミットが来る。リミットからのアプローチを今からすべきだ。
    ・巨大な空白感と喪失感とに襲われている。
    ・成長は止まり既に衰退が始まっている。
    ・核家族すら存在しなくなり、家族がバラバラになっている。
    ・アメリカはもはや無く、私たちは私たちが目指す社会の目標を持たねばならない。

    ・個別にニーズに会った支え合いができる社会。
    ・人が社会の役に立てる場を与えられている社会。
    ・自然環境を大事にすることこそ、経済的な成長なのだと信じられる社会。
    ・地域分散型の経済へシフトする。
    ・循環の中で生きられる社会へ。

    ・心持こそ、文化だ。
    ・自然との絆を結び直す。
    ・環境汚染が全ての絆を切って来た。
    ・自然への畏敬・尊敬が、人は一人では生きていけないことを気づかせる。
    ・幸福を最小限に感ずるための、制度や社会システムの設計をする。

    ・助け合える心があれば、少しのお金でも豊かに生きられるのではないだろうか。
    ・弱き者が生きていける社会にに。
    ・地域社会が、地域の子どもなのだと育てられる社会に。
    ・情がある社会に。

    ○「私」よりも「私たち」を考える社会に。

    長く長く記したのには、訳がある。
    私が書きたい演劇のテーマがここに凝縮されているからだ。
    私が書きたかったことは、これだったんだ。
    今を書き、未来への希望を書きたかった。
    それでは一体、「今」とは何で。「希望」とは何なのか。
    次のような言葉を想い浮かべた。

    ○家族の時代
    ○第二の家族の再生
    ○地域の時代・エリアの再生
    ○心の絆こそ、心のセーフティーネットになる

    このたくさんの言葉の中に、これからの社会が目指すべきヒントが隠されている。
    しかし、その社会を実現するのは、私たち一人一人の夢と努力なのだ。

    最後にもう一つ。
    ○自己犠牲・・・人のために役に立つ
    これが「王瀬の長者」特別編のテーマである。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月25日 07時30分42秒

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    永遠のクリスティーヌへ・・・ファントムより

    23日の午後から、私たちはNEX21を目指して古町を歩いた。
    途中、コンビニに寄って、例の物を調達した。
    とにかく早く行って、良い席を確保しはなければと、気が焦る。

    会場では、既に長者様がいた。
    久しぶりに会う気がした。
    お互いにいろいろとあったこの年末だった。
    長者様が今回のりゅうとの劇に出演できないことを知った。
    彼のために書いた脚本でもあったが、いたしかたないと諦めた。

    まず座ったら、リュックの中から紙コップと魔法の酒「菊水一番搾り」を取り出す。
    これが二人の恒例行事である。
    お神酒で、喉の禊を行う。
    飲めば飲むだけ、二人のテンションとボルテージの数値が上昇する。
    菊水の後は、ハイボールだ。
    その内に、椅子席は全て埋まり、立ち見も一杯になっている。
    みんなの心は一つだった。
    それはYuccaさんに会いたい一心だけなのだ。

    彼女が華やかなチャイニーズドレスで登場する。
    オーラが輝き、一瞬にしてステージに華が咲いた。
    コンサートの盛り上がりは、私たちブラボーブラザーズの使命である。
    Yuccaさんへの愛の証は、全力疾走の「ブラボー」の声援なのだ。
    長者様と二人、その使命を全うするためにここに来ている。
    「新潟って本当にいいねぇ。どうして新潟に生まれなかったんだろう。」
    そんなYuccaさんの新潟への賛辞を聞くだけで、歓喜に包まれるクマであった。

    トークショーでは、彼女の素のままで、ビュアな人柄が現れていた。
    何とも微笑ましいエピソードにつつまれた人なのだ。
    天衣無縫とでもいうのだろうか。純粋無垢とでもいうのだろうか。
    よき人。素敵な女性なのである。
    突然、私はYuccaさんから指名された。
    彼女の一年を象徴する言葉を当てるということだった。
    私は、「想」と答えた。
    嬉しかったなぁ。あのYuccaさんからのご指名なのだ。えっへん。
    彼女は、「変化した一年」ということで、「変」と答えた。
    彼女と出会ってから、まだ一年しかたっていない。
    私と長者様にとっても、「変」な一年だったかもしれない。
    定番の花束王子も質問していた。

    さて、いよいよラストステージ。本番である。
    会場の前列2列はファンクラブの常連方で埋められた。
    「ブラザーズ、酒臭いよ。」と笑われた。これでいいのだ。
    「想望」から始まった。Yuccaさんそれはないよ。
    私は涙でぐちゃぐちゃだった。感涙。歓喜。感極まる。
    何と表現したらよいのか分からないくらいの感動が内から湧き上がる。
    「Yuccaさん、俺たちも燃え尽きるぜよ。」
    菊水とハイボールの燃料を全開のエンジンで燃やし、
    スタンドオブオペーションと熱烈なアンコールで幕が降りた。

    それは、奇跡と出会った瞬間でもあり、
    その奇跡と名残惜しくも別れねばならない惜別の瞬間でもあった。
    感動の中に奇跡がある。そんな演劇を私は創ろう。
    「これなのだ。」という確かな想いを胸に、私たちは会場を後にした。

    それから、ブラボーブラザーズと花束王子の反省会が始まった。
    さすがに路上は寒いので、居酒屋での会となった。
    Yuccaさんを通して出会った三人である。
    私たちの出会いもYuccaさんが導いてくれた「運命」だった。
    「運命」とは、予定された道・決められた道なのである。
    私たちは、その道を歩くことを喜んで選択し、
    潔くこの道を歩き続ける決意をしている。
    三十代・四十代・五十代の三世代交流の会でもあった。

    昨夜のクリスマスコンサートは、家庭の諸事情で涙を飲んだが、
    私たちが彼女に捧げる「想い」は永遠に不滅なのだ。
    私が答えた「想」と言う言葉は、私たちが彼女に捧げる言葉でもある。
    Yuccaさん、ありがとう。
    貴女は、私たちにとって永遠のクリスティーヌです。
    我が命は、貴女に「ブラボー」と叫ぶためにあります。

    しかし、やっぱり「ブラピー」ではなく、「ブラボー」と叫んでいたブラザーズでした。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月23日 09時24分13秒

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    パスタのドラマ

    昨夜は職場の忘年会だった。
    「いかの墨」で絶品料理を堪能した。
    旨いものを食べていることの幸せをいつも噛みしめている。
    食材と出会う。そうかこう来るか。この味は一体何だ。
    料理には、そんな驚きと感動がある。

    私にとっては、特にパスタがお勧めだ。
    ある日、コンサートへ行く途中に、「ナント」というお店に寄った。
    以前から気になっていたお店だったが、
    それまでは「フーデリック」のパスタが食べたくて、その店は素通りしていた。
    ところがである。「フーデリック」がパスタランチを止めたと言う。
    ガーーン。このトマトソース系のパスタの大ファンだったのに。
    という訳で、「ナント」に決定した。

    急な階段を昇ると、入口がある。
    入るとなかなかおしゃれな店だった。
    カウンターの隅に座り、メニューを見せてもらった。
    イタリア語で書かれているパスタの名前は、どんなパスタかさっぱり分からなかった。
    そこでマスターとの会話となる。
    「このチーズをからめた○○がお勧めです。」
    「それでは、それで。」

    サラダを食べてしばらく待つと、現れた一枚のプレート。
    そこには幾種類かのチーズをからめた、ちょっと平麺のパスタがのっていた。
    まずは香りを楽しみ、挨拶の一口である。
    「何だ。この旨さは。」私の味覚は戸惑いと驚きと感動で震えた。
    一瞬にして魂を奪われる味。
    旨いパスタに出会った時は、口の中で噛みしめながら対話する。

    両手をカウンターにつき、やや俯き加減でパスタと見つめ合う。
    その口に広がる豊潤で奥深い味がパスタからの語りだ。
    私は、心の中でそのパスタに「ヴラボー」と語りかけ、
    また厳かな気持ちで一口食べる。
    半分くらい来たところで、やっぱり言葉に出して賛辞を呈する。
    「素晴らしい味ですね。ヴラボーです。」
    「ありがとうございます。」マスターはにこやかに応えてくれる。

    その味は一つの芸術品である。
    それも、今ここにあるだけの、そして、しばらくすれば消えてしまう、
    そんな不思議な芸術品が五つ星のパスタなのだ。
    「演劇に似ているなぁ。」と、私はいつも想う。
    パスタには、起承転結が存在するからだ。
    「出会い」「触れ合い」「愛し合い」「歓喜のフィナーレ」
    私にとってのパスタは、ある意味傑作な演劇作品なのである。

    さて、プレートには、残り少なくなったパスタがある。
    「そうか、もう行くか・・・・・。」
    「いつまでも君とこうしていたかった・・・。」
    「しかし、人生とはこうしたものだね。」
    「花に嵐の例えがあるさ。サヨナラだけが人生だ。」
    「君と過ごしたこのひと時を神に感謝だ。」
    「ありがとう。本当に心からありがとうを言わせてもらうよ。」
    あーーーっ、最期の一口のパスタが。

    プレートに残ったソースをスプーンでさらって、口に入れる。
    名残惜しい。しかし、彼女はすでに去ってしまった。
    カウンターには、非情にも空になった一枚のこじゃれたプレートだけが残された。
    私は墓に手向けるバラのように、フォークをそっと斜めにプレート横たえる。
    「アディュー。愛しのパスタよ。
    もし私たちの運命を悪戯な神が微笑んでくれる瞬間があるのなら、
    きっとまた、お前と出会うチャンスが来るはずさ。」
    私は、ナプキンでとマスターに悟られぬように、そっと涙を拭いた。

    帰る時は、「ブラボー」の連発である。
    支払いの時に「ブラボー」
    厨房へも「ブラボー」
    ちょうど表に出ていたチーフにも「ブラボー」
    そして、店を出る時は、扉を閉めて振り向いて、一礼する。
    そっと心の中で「ブラボー」なのだ。

    いかに五つ星のパスタとの出会いが、
    感動的なドラマであるかよく分かってもらえたと思う。

    本日午後1時30分より、NEX21の一階のラウンジで、
    わが愛するディーバYuccaさんのコンサートがある。
    無料。参観自由。声援一杯。一声入魂。前途洋洋。幸福至福。
    とにかく新潟市民は全員集合ぜよ。

    きっとここにも感動のドラマがあるはずだ。
    Yuccaさん、待っててくれよ。
    「ブラボー・ブラザーズ」と「花束王子」が駆けつけるからね。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月22日 06時01分46秒

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    愚かな親父がいいかも

    親の言うことを聞く子は、いい子なのか。
    それは、ただ親にとってのいい子なだけではないのか。
    本人は、親の重圧と命令と期待とに、苦しんでいるのではないだろうか。

    私は、親に対しては反抗と言うよりか、
    親の心配をよそに、誠に自分勝手な生き方をして来た。
    「いい加減」そのものだった。
    高校受験では、教師に反発を感じて、教師の言うことを聞かず、
    我のことは我のみぞ知るとばかりに受験して、不合格となった。
    教師と言う権威が嫌いで、教師の言うことの反対をしていたような気がする。
    しかし、そんな私を競馬に夢中な父は、放っておてくれた。
    本人が時々給料をもって行方不明になったからだ。

    高校時代は、どうだったか。
    とにかく勉強をしなかったし、勉強が分からなかった。
    真面目に勉強している同級生を馬鹿にして、
    授業中に逃げ出したり、屋上でたばこを吸って見つかったりした。
    授業をさぼって海に行き、そこで警察に補導されたこともある。
    日本海汽船のあのカーフェリーでバイトして、
    北海道の網走と京都でも、ヒッチハイクで仲間と旅行した。
    「ここではない、山の彼方」を心から求めていたが、
    本人、何も分からず、何も出来ない、人生の落ちこぼれでもあった。

    もし、あの当時の私が、今の私の息子だったら、
    同じことをして、何だかんだといい加減に突っ走っている息子を、
    私は親父として許しただろうか。
    当時、私の親父は同じように毎晩飲んだくれて、
    暮れになるとサラ金の借金を抱えて、苦悶の表情だった。
    しかし、父がそんな「不良」の道を歩いてくれていたおかげで、
    私は、父からの重圧と命令と期待とを感ずることなく、
    本当に堕落した生活の日々を、過ごすことができたようだ。
    夢中で読んだ本が、太宰であり、安吾だった。
    特に安吾の「石のおもい」が、私の孤独な魂の癒しの書だった。

    ただ只管、東京へ行きたい。
    そこで、映画漬けの日々を送って、映画の脚本家になりたい。
    「東京に行けば、何かが叶う。」そんな田舎小僧が私だった。
    そんな夢のような夢の話を、何も言わずに許してくれた。
    とにかく貧乏だったかもしれないが、
    私の東京行きや、受験については、何も言わずにお金を出してくれた。

    学校時代は、そんな生き方のために、いい思い出はない。
    人間関係づくりもあまりうまくなかったので、
    暗くて、大人しい男が私だったかもしれない。
    水曜の夜中は、野澤那智のパックインミュージックを聴き、
    デビューしたての桃井かおりや、原田芳雄に憧れていた。
    秋吉久美子もこの頃の私のアイドルであった。

    何でこんなに馬鹿だった青春残酷物語を書いているかというと、
    こう思うと、何だか長男も次男も「偉く思える」気がするからだ。
    彼らから見たら、今の私は、かっての父が私にそうであったように、
    「反面教師」として存在しているらしいのだ。
    「親父は、どうにもならないなぁ。」という諦めを彼らはもっていてくれる。
    また、私も口煩い親父かもしれないが、
    こうして自分のことを振り返ると、何も言えないはずの親父なのである。

    「お前たち、偉いなぁ。」駄目だった親父は、息子たちを見てそう思う。
    これ以上、何を重圧にし、命令し、期待すればいいのであろうか。
    己を知ることで、息子とのつきあいのスタンスが分かる気がした。
    「愚かな親父は、実は愚かだった私の一番の理解者だったのかもしれない。」
    ある意味、あの飲んだくれ親父の偉さが、
    53歳になった息子がやっと分かった気がする。

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  • from: クマさんさん

    2010年12月21日 06時08分15秒

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    物語は、どこにでも存在するものだ

    日曜日、久しぶりの快晴だった。
    やっぱりこんな朝は走りに出かけた。
    土曜日の10キロで少し疲れが残っている体だったが、
    ゆっくりゆっくり走っている内に、体も心も温まり、
    フレッシュ本町を通り、いつもの日和山に登る頃には、
    絶好調となっていた。

    走りながら、考えていることは、劇のラストだった。
    お秀と荘太のラブソングのメロディーを想像し、
    ラストの百人の群衆が集う舞台を創造した。
    最後に全員が力強く歌う歌は、ゴスペルがいいなぁ。
    「人は、生きているそのことが尊いのだ。」
    「弱き者たちこそ、強き者たちなのだ。」
    劇のテーマソングをいろいろと歌いながら走っていたら、
    自分で感動して、涙が出そうになった。

    いつの間にか水族館を過ぎ、あっという間に、護国神社の境内だった。
    私は、ここに来ると必ず寄る場所がある。
    戊辰戦争で、官軍と東軍との切り合いが、関屋辺りで行われた。
    信濃川を沼垂側から渡った官軍が、一気に東軍を攻め、追い打ちをかけた。
    その時、この地で倒れた武士たちの墓が、ここで合祀されている。
    十津川藩・芸州藩・新発田藩・高知藩・山口藩等、
    官軍と東軍とが、敵同士でありながら、肩を並べて墓石が建っている。

    故郷を遠く離れて、この地で戦死した若き兵士たち。
    その望郷と無念の想いとに感じ、哀悼の意を尽くし、こうして合祀した新潟人。
    確かにこの森閑とした墓地に来る度に、
    私は戦争の虚しさと、人の命の儚さとを想う。
    一人一人の名前を読みながら歩く。
    90以上の小さな墓である。
    御親兵とか、北辰隊士等の文字が見える。

    ところが驚いたことに、
    8つぐらいだったか、上が屋根の形をした特別に創られたであろう墓の、
    表面の墓標が全て削り取られているのであった。
    何だこれはと、驚いてよく見ると、
    確かにノミのようなもので手荒く削られているのである。
    越前藩と読める墓がある。
    手掛かりはそれだけだった。
    一体誰が、何の目的でこの墓を削ったのであろうか。

    この削られた墓と合祀された敵味方の墓と、関屋での戊辰戦争の歴史とは、
    これだけで興味深い演劇ができそうではないか。
    私は、それからドッペり坂を下り、
    古町の真っただ中を突っ走りながら、
    そんな歴史を舞台にした兵士たちの青春物語に想像を馳せていた。

    あれっ、「王瀬の長者」のラストシーンが・・・・。
    まぁいいかと、気持ち良い朝日を真っ向から浴びて、
    私は柳都大橋を渡った。
    この日は、15キロの走りだった。

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