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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2010年02月25日 06時03分53秒

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    受験の朝

    本日、センター試験の後期日程である。
    長男が新大へ向かうために、
    朝バス停まで送ることが私の使命である。

    いつの間にか・・・とはよく想う。
    パソコンの画面には彼が小4の時にスキー場で撮った写真が貼ってある。
    その横には小1の次男がピースサインで写っている。
    よくここまで育ってくれたものだと感謝している。

    彼は彼なりに考え、悩みながら高校3年間を歩いて来た。
    本当に親には心配をかけなかった。
    いろいろとあったが、それはすでに思い出の箱に入れられた。
    大学を突然方向転換して、文系に変えた。
    それから彼は必死になって勉強していた。
    その姿を私は見ている。
    ある意味、彼を私は尊敬している。
    「たいしたものだ」

    いつもいい加減に生きてきた親父は、
    彼に対して語ることはないのだ。
    私は、彼の年にどれだけ親に心配をかけたことだろう。
    学校の卒業すら危ういところ、
    担任と母によって救出されたのである。
    世の中を甘く見て、ろくに勉強もしなかった。
    ただ反抗心だけは旺盛な男だった。
    だから、何者にもなれず、何者にも成り得なかった。
    こんな男を神様はよく生かしてくださったと感謝である。

    私が出来なかったことを彼は3年間全うしていた。
    それはすごいことなのだ。
    私からすればまさに尊敬に値する快挙なのである。

    たった今、彼が起きて来た。
    いよいよ決戦に臨む。
    頑張れ長男。合格を祈っている。
    蒲水先生の「山の下納豆」のお守りは、
    私が言わなくともカバンの中に入っているそうだ。
    階段の本棚の中には、「合格」と書かれた先生の色紙も飾ってある。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月24日 20時39分56秒

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    出来の悪い炬燵は返せ

    壊れた炬燵を、私が仕事帰りに買ってくることを忘れたしまった。
    そこで、妹が仕事を終えてから買って来てくれた。
    さすがにこの時期、在庫も少なかったそうだ。
    聞いたこともないメーカーの炬燵だった。

    ところがである。
    その注意書きに「この炬燵は外国では使用できません」と書かれてあった。
    それは当たり前のことなのだが、
    それが父の逆鱗に触れてしまった。
    「何で外国で使われない炬燵を買って来たんだ」
    母も、妹も目がテンになってしまったそうだ。
    「それはね、お父ちゃん、外国の電圧が・・・」と、説明しても父には分からないのだ。
    「そんげに出来の悪い炬燵を何で買って来たんだ」
    「すぐに帰してこい」の一点張りだったらしい。

    電気屋さんも、せめて注意書きには配慮をお願いしたいものである。
    その炬燵、わざわざ外国で使う人がいるのだろうか。
    これが、少々ボケに入ったということなのだろう。

    本日、私が帰って来て、母に炬燵のことを聞いたら、
    母がにこにこしながら応えてくれた。
    「お父ちゃん、炬燵に入るとチクチクしねぇかと、大変だったんだよ」と。
    「この炬燵に入っていると、死んでしまう」とまで言ったのだそうだ。
    「はーーー」の世界である。

    そんな父も、二日たって慣れたのか、
    その出来の悪い炬燵と友達となり、
    今ではまた以前のように炬燵の中で丸くなっているのだった。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月23日 05時56分24秒

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    壊れた炬燵

    一昨日の夜、父と母が使っている炬燵が突然壊れた。
    つかなくなってしまったのだ。
    昼は、ずっと父はその中である。
    語ることも少なく、じっと炬燵に入ってテレビを観ている。
    その向かいに母も入り、お茶を飲んだり、眠ったりしている。
    夜は、寒いからとそこで寝ている。
    何だかだんだん年を取っていくような感じだ。

    その大切な居場所である炬燵が壊れた。
    急にリビングが広くなり、父も母も居場所を失った。
    仕事の帰りに家電店から買って来てと言われていた。
    そのつもりだったが、
    仕事が遅くなりねすっかりと忘れてしまった。

    一晩我慢するよ、と父も母も言っていた。
    幸い春のように暖かな日であったので、
    寒さについては心配なかったが、
    やっぱり自分の居場所がないので寂しそうであった。

    炬燵が壊れたことは、我が家にとっては大事件なのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月22日 08時19分09秒

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    Noizumと鼓動

    新潟県初の文化は、土着の香りがする。
    やはり「土と水との文化」なのだろうか。
    それが、とても新潟らしいと私は感じた。

    なぜ、私がNoizumを観に行くのか。
    それは単純に井関さんのファンであるからだけではない。
    あの舞踏という肉体が醸し出すものに確かに魅了されているからである。
    体を使って、想いを伝える。
    ここには、伝えたいものを伝えたいとする人が、
    伝える手段として選ぶ原点があるのではないだろうか。
    踊りとは、神々に捧げるものだったのだ。

    太鼓の音は、まさに音の原点であると思う。
    感情と想いと願いとを撥に込めて、大きな太鼓を叩く時、
    何だか音は、神々の応えのように感じられる。
    腹にしみわたる音と、血沸き肉躍る軽快な音とに、
    いつの間にか忘我の境地になっていく。
    まさに神がかり的な空気に満たされていくのである。

    太古のころ、太鼓と踊りとで神々の祭りは賑わったのではないだろうか。
    太古の音と乱舞する踊り手たちは、
    私たちが魂で感じられる音の原点なのではないだろうか。

    表現することの喜びと感動と恍惚感。
    それは観る者のそれとなり一体化される。
    私たちの血の中にはその音と踊りによって共鳴し、
    たぎる何かが存在しているのだ。

    「トィヤー」と何度か声をかけた。
    それは、かけざるを得ない音であったからだ。

    新潟には、Noizumと鼓動が在る。
    それは、やはり新潟らしい風土が生んだ芸術なのかもしれない。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月21日 10時45分04秒

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    ロレンスとマンデラとグレゴリー

    「アラビアのロレンス」が市民プラザで上映された。
    上映間近に行ったら驚いた。
    超満員で空いている椅子を探すのに一苦労だった。
    それも年代は60代から70代の人たちだった。
    映画にはその当時の青春も写るものだ。
    昔、グランド劇場で観た人たちが、
    きっと懐かしんでやってきたのだろうと思った。

    ロレンスは砂漠と出会い、アラブの民族と出会った。
    その砂漠で、彼は運命を自分で切り開く力を得た。
    アカバ攻略のために不可能だと思われた砂漠の横断を貫徹し、
    ラクダから落ちたアラブ人の命を救った。
    お互いに対立している部族の手を結ばせ、
    陥落不能の要塞アカバを奇襲作戦で落とした。

    彼は、そんな自分が信じられないと想いながら、
    運命を切り開くために、果敢に挑むことをやめなかった。
    慢心だった。いつのまにか理想は消え、殺戮の集団と化して行った。
    多くの血を流し、英国よりも先に勝ち取った都市で、
    アラブ民族連合の夢は消えてしまう。

    それも彼の運命だったのだ。
    アラブにも英国にも両刃の刃となった彼は、
    いつしか歴史の闇の中に消えてしまうのだった。
    一人のイギリス人がアラブの民族独立の気運を高めた。
    しかし、彼は深く深く心の傷を負って、退役し、故郷に帰る道を選んだ。

    南アフリカで、初代の黒人の大統領になった、ネルソン・マンディラは、
    アパルトヘイトに反対した運動の罪で27年間も投獄されていた。
    彼は、「自由憲章」を発表し、それは南アフリカ政府から閲覧禁止にされた文章となった。
    自由と平等を目指し、黒人の人権を白人に認めさせめる為に、
    最後には、武力闘争に発展して行った。
    世界はこのマンデラの運動に注目し、
    南アフリカのアパルトヘイト政策を非難し、圧力を加えていた。
    彼は、真実が必ず勝利することを信じていた。
    だから、獄中にありながらも、心を平安にしてその時を待っていた。

    それは、彼の運命だった。
    彼が解放される時、世界中のメディアが注目し、
    その解放を心から祝福した。
    その後ろ姿を見送る看守がいた。
    27年間黒人の言葉を話せるからと選ばれた男だった。
    彼もまた、歴史の流れに立ち会った一人の男となった。

    人は、たった一回の人生である。
    この前この言葉と出会った。
    「宇宙無双日 乾坤只一人」
    本当だなぁと、この2本の映画を観てそう想った。
    それでは私は何のために生まれて来たのか・・・。
    きっと一人一人には、
    その人にふさわしい形でその役割が与えられているのだと信じている。

    ロレンスの信念・マンディラの忍耐・看守の誠意
    それは、きっと神がその場になったら授けてくれるものなのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月20日 08時27分53秒

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    弱くていいって

    「へこむことがいっぺらて。」
    「何だかうまくいかねて、辛いんて。」
    そんな話を若い人と酔って語った。
    そしたら、驚いていた。
    「みんなしっかりやっているとばかり思っていました」と。
    「自分だけがうまくできなくて悩んでいると思っていました。」
    「そんな話を誰もしてくれません。」
    それが現場かねと私は思った。

    みんな弱さを抱えて生きているのだ。
    「こんなことを言ったら叱られるかも」
    「まだまだ駄目だと想われるだろうなぁ」
    「どうしてこんな簡単なことが出来ないのだろう」
    そんな意味では、子供と同じなのだ。
    評価するであろう周りに気ばかり使っている。

    しかし、お互いに本音(弱さ)を出さないから、
    それぞれの難儀さやへこみ加減が見えては来ないのだ。
    だから、どうもうまくできないのは自分だけらしいぞと思い、
    もっと黙って、独りで抱えてしまうのである。

    私は、競争の中では人は疲弊すると思っている。
    若い時は我武者羅にやればいいのだ。
    しかし、そのエネルギーはいつまでも続かない。
    また、いつまでも自分の思い通りに物事が進むなど夢の夢なのである。
    げつばたげつばたと壁にぶち当たり、
    悩むことが仕事なのではないだろうか。
    「もうこれでいい」と思ったら、
    そこから先へは絶対進歩しないのだ。
    情けないが52歳になっても日々悩んでいる。
    それは、まだこれからも伸びる可能性があるということだろう。

    「同僚性」という言葉がある。
    職場は、これだと私は常々想っている。
    そんな「愚痴」や「弱音」を吐ける職場は、
    実は、やる気や意欲に満ちた職場となるはずだからだ。
    人は、分かりあう時、底力を発揮する。
    小さく縮こまるのではなく、自分らしくのびのびと生きられるからである。
    へこんでも、失敗しても、助けてくれる同僚がいる。

    一緒に飲んでいた若い女性が言っていた。
    「弱さだとつながれるんですよね」

    「強くなければだめだ」
    「成績が良くなければだめだ」
    「勝たなければだめだ」
    これは、教育の責任ではないかと、私は想った。

    「競争」から「共生」へ、どのようにしてこの社会をシフトしていくか。
    それもきっと教育の責任と使命になると思う。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月19日 06時17分22秒

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    一隅を照らす場所に パート2

    昨日、山小屋の森田さんの追悼集を読み返していた。
    特に、私が司会した座談会が面白かった。
    本当によくこのメンバーが出会ったものだと、
    その運命に改めて驚いている。

    もし、山小屋のカウンターがなかったら、
    人生においては決して出会わなかった人たちである。
    一人一人は森田さんに会いに行ったのであるが、
    その内に常連となり、
    山小屋会なる仲間をつくり、
    わいわいと何でも言い合える人たちとなった。
    それは、山小屋のカウンターという舞台があったからの役者たちだった。

    筋書きのないドラマは、森田さんによって演出されていた。
    思い出すと、本当に愉快な話ばかりが飛び出してくるのだ。
    大笑い。しかし、そんな中で学ぶことが多かった仲間であった。
    みな60代から50代の大先輩ばかりである。
    私にとっては人生の師匠のような人たちばかりだった。

    どれだけこの人たちに救ってもらったことだろうか。
    弱き者である私。
    あっちこっちで壁にぶつかり、へこんでしまう。
    やつけられては、カウンターに向かう。
    どうしたらいいかなぁと悩みながら、アドバイスを求めることもあった。
    みな親身になって話を聴いてくれた。
    そこで肩の荷を少しおろして自宅に帰った。

    まさにここは「一隅を照らす場所」であった。
    疲れていない人など一人もいないのだ。
    心の居場所はそんな人には必要なのだと私は思う。
    山小屋難民となってからは、
    いっそうその心の祖国に対する憧れが強くなった。

    ということは、今求められている場所とは、こういう場所であることなのだ。
    人と人とが出会える場所。
    お互いに話を聴いてもらえる場所。
    何もしなくてもいいからゆっくりと休める場所。
    そこに行くと、何だか心の元気をもらえる場所。

    山の下にもぜひそんな場所を作って欲しい。
    そこで出会った人たちと山小屋会のようにつながって生きたい。
    この山の下で生きることを決めたのだから、
    この地域での本当の仲間作りが大切なのだ。

    そんな期待をCさんのお店にこめている。

    Gさんの高校合格おめでとうございます。
    みんな子供のおかげさんですね。

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    めい

  • from: クマさんさん

    2010年02月18日 06時28分07秒

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    動けば、変わる


    動くと、何かが変わる。
    動かなければ、何も変わらない。
    人は、何のために動くのか。
    それが一人一人の問題だと思う。

    男の料理教室。
    「アジのたたき」と「いか味噌炒め」
    大名おろしでアジをさばき、いかの皮をむいて目玉をとった。
    慣れない包丁に戸惑いながら、60代の男性たちが奮闘していた。
    「10年近くの単身赴任でした」
    「人生で三度目の料理でした」
    なんだか企業戦士たちの生き方が見えた気がした。
    第二の人生で「料理」もと選んで参加した人たちだった。
    今日から男たちは厨房に立つかもしれない。
    立った人は、きっと明日に続く何かを得ることだろう。

    「ぷれジョブ」のチラシが完成した。
    さすがにプロの技で、見せてもらって感動だった。
    1年間でここまで来たのだ。
    改めてCさんの行動力と実践力に驚いている。
    これと決めたらまっしぐらである。
    しかし、それは彼独りではけっしてできないことで、
    この活動を本当に多くの素晴らしい人たちが支えてくれていた。

    「いろいろな人とつながったよ」
    福祉の道をまっしぐらに走ると、
    多様な立場や活動をしている人と出会えたそうだ。
    何よりもの財産は、人である。
    このチラシもCさんの友人の作品であると聞く。

    山の下市場に福祉のための居場所づくりの店を出す。
    そんな話を昨年聞いた。
    実現したらすげぇなぁと思いながら2月となった。
    すると、すでに助成金を得て、設計も業者も決まり、
    4月から工事に入り、5月にはオープンするのだそうだ。
    いやはや本当にまっしぐらの男なのだ。

    障害のある子供やその保護者の集まる場所にしたい。
    そこを、子供たちや親たちの交流の場とする。
    そのために、つなげる活動を行い、講座を開いて学びの場ともしたい。
    夜は親父たちの情報交換と親睦の場となる。
    子供が集まり、親が集まり、親父が集まることで、活気が生まれる。
    きっとその場所は「一隅を照らす」灯りとなるだろう。

    何かを始めた男たちは、何かを変える男たちなのである。
    包丁を手にした男は、母ちゃんに感謝される男に変わる。
    福祉の道にまっしぐらの男は、市場に灯りをともす男に変わるのである。

    動くと、何かが変わる。
    動かなければ、何も変わらない。
    本当だなぁと、男たちを見て改めて実感している。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月17日 06時48分01秒

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    ブログの更新

    私が毎朝チェックしているブログが、
    ここ一週間更新されなかった。
    彼も毎日の更新で、
    新潟県の情報満載のブログを私はいつも楽しみにしていた。

    バスセンターのカレーの特集から、ページが新しくならなかった。
    一週間もたつと何かあったのかと心配になった。
    そしたら、今朝更新されていた。
    2月10日にご尊父が亡くなられたと書いてあった。
    「あっけなく、すーっと眠るように」
    「父と話したのはいつごろだったか」
    何だか私も切ない気持になってしまった。

    父とのお別れ。
    それは、いつか来る私のことでもあるのだ。
    それでは、日々心がけて父のために何かをし、
    話をしているかというとそうではなかった。
    「いまさらのように」と彼も書いている。
    男同士、そんな話は照れ臭いのだ。

    彼には、父との最後のドライブの記憶がある。
    私には、最近父と出かけた記憶がないのである。
    父はすでに化石のように動かなくなってしまった。
    誘っても首を横に振り、俯くだけである。
    何も自分から話そうとせず、黙ったまま一日を炬燵の中で過ごしている。

    何をしてあげたらよいのかとは思う。
    しかし、日々の生活の中でどんどん時間だけは過ぎていくのである。

    「看取る」
    父と私のためにできることは何かと考えている。
    ご冥福をお祈りします。

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  • from: クマさんさん

    2010年02月16日 05時52分36秒

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    明らめる


    こだわらずに、たんたんと生きたいものだ。
    ところが、あやこれやと心にひっかかる。
    そのことを思い煩うと、心が重くなる。
    思い煩っても仕方ないことは、相手の気持ちだ。
    こちらは一生懸命であっても、相手がそうでない場合は、
    やっぱり仕方ないのだ。

    ただし、それには何かの原因がある。
    相手の私への想いとは、
    それは、それまでの私とのかかわりの中から生まれたものなのだ。
    そこには、信頼関係という大切なつながりが求められるが、
    その関係づくりがうまく行っていない場合は、
    お互いにぎくしゃくと辛いものがあるのだった。

    寂しいなぁと想うことがある。
    どうして私の気持ちを分かってくれないのかと辛いこともある。
    それでもかかわりはこちらから求めていかねばならないのだ。
    「思うようにはいかない」それが娑婆の世界だ。
    四苦八苦とはよく言ったもので、
    「生きるとは、苦である」と仏陀も言っている。

    しかし、よく考えたら、
    その苦とは、思い煩いや、自己中心的な欲望から生まれるものなのだ。
    「あるがまま」の事実・自然を見つめれば、
    当たり前のことに「勝手に苦しんでいる」自分が見える。

    「彼は、彼であり、私ではない」
    「人の気持ちは、変えられない」
    だから、諦めることが大切なのだ。
    諦めるとは、明らめることでもある。

    こんな日は、忘れるために体を動かすことなのだ。
    そういえば、トレーニングを2カ月以上やっていない。
    新潟の冬は、やっぱり「忍」なのであった。

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