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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2010年07月31日 10時17分17秒

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    無理な挑戦

    朝起きたら、曇っていて涼しかった。
    次男は昨夜は友達の家に泊まっていない。
    走ろうと決めて、コースを考えた。
    自宅からスタートして、県庁を通り過ぎ、分水の橋でリターン。
    県庁脇の橋を渡り対岸に行く。
    次に、やすらぎ堤を走り、関屋海岸を目指す。
    後は、いつものコースである。

    自転車で行くだけでも難儀なコースだが、
    走ろうと思うと走れるものなのだ。
    10キロは序盤のプロセスにすぎなかった。
    千歳大橋を渡り、第一高校を過ぎる頃が1時間5分だった。
    ゆっくりとした走りだが、まずまずのペースだった。
    そのまま一気にタコ公園まで走った。
    しかし、1時間30分が一つの走りのピークだった。
    5分間歩き、それからマリンピアまで走った。
    ここからががくんと辛くなってしまった。

    歩いた。歩いた。ふくらはぎと、太ももに痛みと疲労物質が蓄積されている。
    気力も極端に萎えている。
    とにかく体を前に運ぶことが辛かった。
    20キロすら、まだ走りとおせないのである。
    「情けない」私はゆっくりと、とぼとぼと歩いてトンネルに向かった。

    「20キロも走ったことがないのに、フルマラソンとは」
    とにかく「無謀だ」と言われている。
    「無理だ」「潰れるよ」とも警告される。
    私にとっての42.195キロは、達成不可能な目標らしい。
    走るたびに、めげている。
    自分でも「無理だ」とも感じている。
    ただし、少しずつだが体が慣れて、記録も伸びて来ている。
    今は、登山の後のように疲労困憊である。
    「どうしょう」「やっぱり・・・」「でも、少しでも前に進もう」

    とにかく、この目標の前に、クマは大きな葛藤の日々なのである。
    やっとのことで歩いて我が家に帰って来た。
    3時間近くの運動だった。
    途中スポーツドリンクをがぶ飲みした。
    今は、激しく体力が消耗していることがよく分かる。

    あの万代島を走っているランナーには、私はなれないのだろうか。
    しょせん、私には無理な目標だったのだろうか。
    弱気になる自分と、叱咤激励する自分とがいる。
    何だかいつも走りながら次男のことを考える。
    今の私の心理状況は、高校受験を前にした彼の心と同じなのだ。
    ハードルは、高い。
    でも、やらなくては、もっともっとハードルは高くなる。
    一歩でも進むことなのだ。そして、日々積み重ねることなのだ。
    私は、自分を痛めながら、次男に何かを教えられたらと思っているかもしれない。

    「馬鹿な親父は、走り続ける」
    だから、次男も自分の決めた目標に向かって、走り続けて欲しいのだ。
    周りから「無理だ」「無謀だ」「無茶だ」と言われれば言われるほど、
    心に火を灯して、走り続けてほしいのだ。
    私のフルマラソンと次男の高校受験は状況的には同じなのだ。

    その次男は、親父の心配をよそに、未だ友達の家から帰っては来ない。

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  • from: クマさんさん

    2010年07月30日 05時43分02秒

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    決勝戦観戦記

    水曜日のお昼、炎天下の中、自転車でエコスタジアムに向かった。
    新潟明訓対新潟文理の決勝戦だ。
    我が母校である明訓には勝利し、甲子園に行って欲しかった。
    試合開始直前に球場に到着した。
    汗まみれでスタンドに入ると、満員の状態だった。
    鳥屋野球場だったら、席はなかったと思う。
    バックネット裏に陣取った。
    すさまじい暑さだった。日差しが容赦ない。
    40度以上もあるだろうか、熱波の中での野球観戦だった。

    文理の応援の凄さには驚いた。
    これが全国大会レベルの応援なのだ。
    特に、太鼓の名手には感動させられた。

    序盤から点の取り合いとなった。
    それだけエースが疲れ、球筋を読まれ、球威が落ちていることなのだろう。
    しかし、チャンスをものにしたのは明訓だった。
    ヒットの数は同じでも、6回には5点差がついていた。

    特に、エラーが大きな失点に結びついていた。
    明訓はノーヒットで2点献上し、
    文理もツーアウトからのエラーで、大量得点されていた。

    ピッチャーをどこで替えるか。
    文理は点差が開いてからの交代であり、
    明訓は勝負どころの交代だったと思う。

    さて、最終回に文理の攻撃には、昨年のチームのような粘りはなかった。
    ファールフライ2つだった。
    ゲームセット。文理の二年連続の甲子園への夢は断たれた。

    バックネット裏で大きな声で明訓を応援していたら、
    何か一人目だってしまい、浮いている自分を感じた。
    よく聞くと、文理のヒットやチャンスには、
    周りのみんなが声援を送っているようなのだ。
    後ろに陣取る少年野球の子どもたちも、
    先輩の名前を呼んで文理を応援していた。

    昨年の甲子園での準優勝チームのファンはやはり多いのだ。
    そして、考えてみたら新潟市同士の対戦なのだ。
    これだけ多くの人が集まるわけも肯けた。

    とにかく、熱中症寸前の野球観戦だった。
    ・少ないチャンスを活かす。
    ・失策は最小限に抑える。
    ・勝負所には英断を下す。
    ・最後まで諦めない。
    かって少年野球の監督をしていた時代のことを思い出した。

    そして、想った。
    あの文理ですら負けることがあるのだ。
    勝負はどちらかが勝ち、どちらかが負けるから勝負なのだと。
    我が山中の県大会出場の夢が破れ、放心状態であった私にとって、
    この試合が、ある意味での慰めになった。

    常に勝つチームは、存在しないのであると。

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  • from: クマさんさん

    2010年07月28日 05時50分22秒

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    奥の細道

    職場の大掃除を一人でやった。
    とにかく大物から小物まで、古いものが捨てられずにとってある。
    捨てないと言うことは、エコであるようだが、
    その場所が使われず、必要なものが収納されず、
    かえって無駄なのだ。
    昭和の時代を感じられる物もだいぶ残されていた。
    すぐに処分はできないが、
    他の空いている部屋に移動してもらった。

    すっきりとした室内を見て、時々こうした作業の必要性を感じた。
    頭の中の大掃除とでもいうのだろうか。
    ゆとりのある時、部屋の衣替えや、棚卸は大切なことなのだ。

    それは、日常でありながら、同じ場所が昨日とは違う場所に変化することだった。
    ある日私の机を大移動したことがある。
    すると見える景色が180度変わった。
    本棚の棚卸をしたら、次々と読みたのに読んでいなかった文庫本が発見された。
    机の引き出しを整理すると、思い出の品に出会い、しばし時を忘れることがある。
    そんな意味では、人生の棚卸と大掃除は必要なのだと思う。

    最近子供向けの「おくの細道」を読んでいる。
    奥とは東北地方の総称の「陸奥の国」の奥のことだそうだ。
    みちのくとは、「道の奥」からきているらしい。
    つまり、未だ見たことのない陸の奥地をぜひぜひ旅をしてみたいと想い、
    思い立っての切なる旅が、この芭蕉の「奥の細道」なのである。

    旅に出たのは芭蕉が46歳の年だ。
    平均寿命が50年と言われている当時にとっては、老いてからの大旅行だった。
    彼は、旅の後51歳で亡くなっている。
    2400キロメートルを、わずか5カ月で旅をした。
    この大旅行の偉業は、そんなところにも隠されているのだ。

    「行きたい」「生きたい」「居てもたってもいられない」
    そんな切なる想いから、芭蕉庵を捨てて、深川の小さな家に移転したのだ。
    「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
    「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」
    「野ざらしを心に風のしむ身かな」

    芭蕉のように持たないことが、自由に旅に出られる秘訣なのだ。
    「持たないこと」「執着しないこと」・・・「捨てること」
    人生の旅は、芭蕉のように身軽であるべきなんだろうなぁ。
    憂いなく、後ろ髪を引かれることなく、目的地に向かって歩き続けるためには、
    そんな人生の棚卸や大掃除が必要なのだ。

    捨てると本当にすっきりとする。
    心と人生の棚卸と大掃除である。
    いつか芭蕉のように旅にでたいものだと52歳の私は想っている。

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  • from: クマさんさん

    2010年07月27日 05時59分28秒

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    これがサッカーなんだよな

    これがサッカーなんだ。
    昨日は県大会の一回戦と二回戦が、豊浦の運動公園であった。
    山中は、激戦区の新潟市の一位でこの大会に出場している。
    目指すは、優勝であり、北信越大会だった。
    標準をそこに置き、集中してこの大会に臨んだ。

    一回戦は、危なげない試合で、こちらのリズムで試合を展開できた。
    次々と得点し、戦意もモチベーションもこの試合で高まった。
    二回戦の相手チームを見るために、私は次の試合も観戦した。
    中学生と言えども、このレベルになるとサッカーとしての面白さ満載である。
    強烈なアタックと、中心選手を擁するS中のパワーとで、N中を破ると予想した。
    ところが、試合巧者のM中の作戦がずばりと当たり、
    中越の強豪を倒してしまったのだ。

    そして、ここに山中の油断があったのかもしれない。
    このN中は新潟市5位である。予選では4対1で破っているのだ。
    力の差は歴然だったはず・・・。
    私を含めた親たちも、選手たちも今日の準決勝・決勝戦のことを考えた。
    ところが、本当によく研究されていたのだ。
    前半、8人がセンターラインより出なかった。
    とにかく引いて守り、中央を鉄壁でブロックした。
    攻撃しても攻撃しても得点にならず、
    前半は、中央突破で入れた1点だけだった。

    それは、M中のゲームプラン通りの展開だった。
    引き分け延長。PKまで持ち込んで戦う。
    後半怒涛のような攻撃が始まる時、山中の疲れがピークになり、足が止まった。
    しかし、試合の流れからの得点は、必死になって防いでいた。
    CKで1点を入れられた。そして、終了間近またCKで1点を入れられた。
    キーパーの真正面に、太陽がぎらぎらと光っていた。
    「太陽がいっぱい」なのだ。
    高く上がったボールは、キーパーの死角となる。
    一瞬ボールは、視界から消える。
    そこまでM中が考えていたのなら、恐るべしである。

    ホイッスルと共に、全国への夢が消えた。
    全員ピッチ脇に腰を下ろし、泣いていた。うなだれ、俯き、動けなくなった。
    「夢であって欲しい」しかし、その願いは現実の前に厳しいのだ。
    まさかの勝利のN中の歓喜の声を聴きながら、
    みんなは、何を想い、何を感じたであろうか。
    勝者と敗者との明暗である。

    こうして目が覚めた朝、悔しさの中に居る自分を発見した。
    本当に先のことは分からないのだ。
    「これがサッカーだ」とWカップでどれだけ学んだことか。
    まさか、その不条理な命題が、この試合に適用されるとは、
    だから、「これがサッカーなのだ」と言えるのだろう。

    生徒たちの姿を見ると、涙が止まらなくなってしまった。
    語る言葉も、慰めの言葉も、こんな時は、力がないのだ。
    応援した私たちの心の整理もついていない状況だ。
    帰りの車で、妻と二人、小学校時代からの子どもたちのことを語り合った。
    ピッチの上に子どもたちの思い出は満載だった。
    そして、このピッチも一生忘れられないものとなった。
    何も言えない。思い出すと涙があふれる。
    そんな瞬間を、素晴らしい監督・コーチと生徒たち、そして親たちが経験した。

    試合を見つめたあの太陽は、いつの間にか西の空に傾きかけていた。
    その太陽は、明日も昇ってくれるのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年07月26日 09時30分40秒

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    トレーニング宣言

    体調が絶不調だ。
    肝臓から来る疲れだとは思う。
    酷使することは、何事にもよいことはないのである。
    金曜日「あごわかれ」土曜日「yuccaコンサート飲み放題」
    日曜日は少々自粛の家飲みだった。
    この肝臓は、休むことを知らないのだ。
    父譲りのタフな肝臓であるが、少々へたって来たようだ。

    昨日一日使い物にならなかった。
    ならばと夕方、トンネルを45分間走り通した。
    そしたら、町内でウルトラマラソンまで挑戦していたTさんに出会った。
    トレーニングのために、いつも歩いているのだそうだ。
    右足の膝の骨に異常が見つかり、2年間は満足に走っていないそうだ。
    60歳から走り始め、65歳でフルマラソン3時間30分の記録を持っている。
    凄い人なのだ。私は彼のトレーニング姿に何度も励まされた。

    「私もフルに挑戦しようと思います。」と言うと、
    にこにこと実に嬉しそうだった。
    「10キロを50分切らないと難しいよ」その言葉には参ってしまった。
    とうてい無理な設定なのだ。
    「まず、20キロを2時間で走ってみることだね」
    これも今の私には遥かかなたの目標であった。
    それほどのトレヘニングがフルマラソンには求められるのだ。

    焦ってはいけないが、挑戦するならば、ある程度の結果を出さねばならないとは思っている。
    「完走」それは、究極の目標である。
    「30キロを過ぎるとがくっと来るよ。」
    5時間と言う設定では、歩いている余裕は全くないのである。
    「減量5キロ」「10キロ55分」「20キロ2時間15分」
    「月間150キロ」まさに無謀な計画だった。

    その前に、「禁酒」であろうか・・・。
    「クマさんは、幾つになったね」と聞かれた。
    「私も52歳になりましたて」と言うと、
    「若いねぇ。まだまだこれからだよ。俺より10年早く始めたねっけ」と励まされた。
    今Tさんは、75歳である。
    Tシャツ・短パン姿は、60代前半としか思えなかった。
    「家に居て、ただ座っていたら、ただの年よりだがね」と笑う。
    彼は、数年前に最愛の妻を亡くし、独り暮らしをしている。

    何だかこんなことで絶不調だ何だと言っていられない。
    私のずっと遥か先をTさんが走っている。
    私はその後ろ姿を目標にして、
    この夏から本格的なトレーニングに入ることにする。
    それにしても、この目標は私には過酷すぎる目標なのだ。はーっ。

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    2010年07月25日 14時01分19秒

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    夢の一夜


    それは夢のように一夜だった。
    会場前のロビーには、yuccaさんの熱烈なファンが座っていた。
    会場からは、彼女のリハーサルの歌声が聴こえて来た。
    始まるのだ。今回は、菊水は飲んでいない。なにせ飲み放題なのだ。

    開場するとお客様がぞくぞくと入場していく。
    ハイソで、私なんぞが決して出会えない人たちがそこに居た。
    料理を食べ、ワインを次々と注文した。
    しかし、みんなの心配は、花束兄さんのSさんがまだ到着していないことだった。
    彼の席、私の隣に用意されている。
    すると、入り口に彼の姿が。
    何と美しいイェローのヒマワリの花束を抱えていた。
    彼が席に付くと、いろいろな人が挨拶にやって来る。
    彼は、yuccaさんコンサートにはなくてはならないスターなのだ。

    とにかく飲んだ、飲んだ。最後には、白のボトル一本をテーブルに置いてくれた。
    最初からそうしてくれれば・・・。
    そして、yuccaさんの登場。ゴージャスでセクシーな黒のドレス。
    痩せたなぁ。美しいなぁ。輝いているなぁ。
    歌は「夜の女王のアリア」だった。
    この曲で始めるのかと、驚愕とともにプロとしての自信を感じた。
    あの高音を、最初曲から挑戦したのだ。
    そして、その歌から既に私の心のボルテージも最高潮に達してしまった。
    後は、涙、涙、涙であった。

    彼女の歌う名曲の数々。
    ブラボーの声も、感動のあまり、時には出せないこともあった。
    音楽は、奇跡である。
    最後の歌で、定番の花束兄さんの贈呈式がある。
    そして、アンコール。
    彼女の語りが、何よりもの心の癒しとなった。

    コンサート終了後、最後まで残り、声をかけ、写真を一緒に撮ってもらた。
    それから、夢見心地に長者様と花束兄さんと私とで古町へ歩いて行った。
    いつもの場所で、路上宴会とあいなった。これがいいのだ。いつか補導されるだろう・・・。
    お互いにコンサートの感動を分かち合い、
    yuccaさんの活躍を祈念し、お互いの健闘を讃えあいながら、
    親父たちの酒宴は続いた。

    するとどこからか「本物の歌」の響きが聴こえて来た。
    女性の歌声だ。その本物さにぐっと心が惹きつけられた。
    さすが長者様も歌手と役者を目指しているだけあり、
    この歌声の本物であることに気付いた。
    路上ライブは、二十歳ぐらいの女性がギターの弾き語りをやっていた。
    音楽は、奇跡である。
    こんな凄い歌い手が、11時近くの古町で歌を歌っていた。

    「オリジナル歌ってよ」と声をかけると、
    オリジナルは創っていないとのこと。
    また絶対に会いたい歌い手だった。
    前回の路上宴会の時は、ネギッコに声をかけた。
    今回は、いずれスターになるであろう若手の歌い手だった。
    しかし、どうしてこんなに感動するのだろう。
    どうしてこんなに飲めるのだろう。

    大満足で自宅に帰り、焼きそばを食べたらしい。
    目が覚めたら酒をこぼし、板の間で私は眠っていた。
    馬鹿も休み休みしなさい。
    そんな天の声が聴こえてきそうだ。
    しかし、やっぱり、音楽は、奇跡なのだ。
    「分かっちゃいるけど、やめられない」

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    2010年07月24日 07時06分47秒

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    yuccaさんのディナーショー


    今夜yuccaさんのディナーショーがイタリア軒で開催される。
    彼女の歌を初めて聴いたのは、昨年の10月の古町どんどんとだった。
    何も予備知識がなく、偶然通りかかりの酔っ払いの目に、
    yuccaさんの素敵な立ち姿が写り、
    コロラトゥーラソプラノの魂の籠った歌声が聴こえて来た。
    釘づけになったという言葉そのもの。
    私は、その場から動けなくなってしまった。
    「奇跡」を「この世のものではない」と言うならば、
    まさに私にってyuccaさんの歌声は、「奇跡」だった。

    人は、予期せぬ瞬間に出会うことがある。
    その出会いを大切にし、そこに意味を見出す時、
    その出会いは、一過性のかかわりでは終わらず、
    永遠の出会いとなるのだ。
    「この人だ」その時感じた予感は、そのまま今も私の心に存在している。
    「この人なのだ」私が探し求めて来たディーバは。

    私は、ホームページへメールを送った。
    yuccaさんからの返事はなかったが、期待もしなかった。
    一方的なファンとしての想いを綴った。それで私は満足だった。
    ところが、その出会いが偶然ではなく、必然である時、
    神様は不思議な裁量で新たな物語を創り始める。
    「ファンクラブを立ち上げます。ぜひクマさんにも参加してほしいのです。」
    ある日、そんなメールが送られて来た。
    新潟でのyuccaさんのエージェントからだった。
    大雪の日、私は古町に向かった。
    バスがいつ来るか分からないほどの大雪の日だった。

    クリスマスコンサートの後、打ち上げに呼んでもらった。
    yuccaさんが、隣りで飲んでいる。
    彼女が笑顔で、語っている。
    まさに私は天に昇るような気持ちだった。
    スターとこんなに近く、接することができるとは・・・。
    これはやはり「運命」なのだと感じた。

    それから私はyuccaさんの追っかけと変身した。
    長者様と花束親父と私とで「ブラボー・ブラザーズ」を結成した。
    三人の想いは一つ「yuccaさん命・愛」である。
    中年親父が、馬鹿になった。
    それはそれで「運命」なのだと感じている。
    今は、何も迷わずその道を只管行っている。

    今夜、またyuccaさんに出会える。
    昨夜、飲んでからりゅーとピアを出たら、
    本当にきゃらきゃらしたギャルたちが満載だった。
    オイオイと声をかけたら、名古屋から来たギャルだった。
    「この人、近くの駅まで連れてって」と言われ、その横に立っているギャルを見て驚いた。
    「外人だ」それも、ポーランドから来たと言う。
    その舶来のギャルが、ゆかたを着ているのだ。

    昔なら、変わっているなぁ、この子たちで終わるところだが、
    yuccaさんのファンクラブの私は、
    妙にこうしてアーチストを追っかけるギャルたちに親近感が湧いてしまうのだ。

    「ブルータス、お前もか」
    私も、この子たちのようになる日は近いと、
    この舶来ポーリッシュギャルを見て、そう思った。

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    2010年07月23日 06時02分38秒

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    稼働中

    体のだるさが続いている。
    昨日の朝、ジョギングをして疲れている自分を発見した。
    筋肉から老廃物が排出されていない。
    暑さのせいもあるが、熱中症のように汗をかいても体温がさがらない。
    慢性的な疲労状態で、あのさっぱりとした爽やか感がなくなっている。
    暑さのために、寝不足気味であることも影響しているだろうが、
    本当は、飲み過ぎで、相当肝臓が酷使されているせいでもあった。

    いつもいつも妻には言われることがある。
    「無理するから、そうなるのだ」と。
    私は、自分にストップをかけず、突っ走ってしまうことが多い。
    「分かっちゃいるのに、やめられない」というやつである。
    没頭しやすく、冷めやすいとでも言うのだろうか、
    一時それは熱中するのだが、無理が祟ってリタイアすることが多いのだ。

    「衝突防止装置は、稼働していたが、作動しなかった。」
    昨日衝突事故を起こしたJRの会見である。
    私の体のその装置も、稼働はしているのだが、作動はしていないようである。

    夕食を食べた後、使い物にならない生活を送っている。
    「眠い」「辛い」「横になりたい」
    そのまま眠ってしまうことも多い。
    疲れが溜まってピークに達していることもよく分かる。
    しかし、こんな日が続くとである。
    「いいや、明日にしよう」と翌日回しにしてしまう。
    そのままずるずると明日は来ないのだ。

    その原因は、やっぱり酒である。
    缶ビールに、日本酒、ハイボール。
    汗をかいているせいで、家飲みであろうとも入るのだ。
    気がつけば、もはや使い物にならない自分がそこにいる。
    眠くなるのは当たり前だ。
    その上、毎朝4時・5時に起きている。

    私の「○○防止装置」を早く修理すべきなのだ。
    そして、生活の中でいったい何を防止すべきか、
    もう一度見直しをかけるべき年になったのだ。
    この疲れ、尋常ではない。
    それでも、今夜は職場の飲み会に参戦するのだ。
    私にもしものことがあった時、妻はきっとこうコメントするはずである。
    「防止装置は稼働していました。でも、作動していなかったんです」と。

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  • from: クマさんさん

    2010年07月22日 05時14分00秒

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    なじら屋物語

    不思議な店がある。
    カウンターで飲んでいると、ひょこりと一人の男が現れる。
    久しぶりのTさんだった。
    会社の帰りに通りがかったら、クマが居たので寄ってみたとのこと。
    毎週の野球の試合で、真っ黒に焦げていた。
    長男との親子鷹は相変わらずである。
    この時代しかない。
    親父はしっかりと子どもに野球と人生とを伝授していた。

    そこへひっょこりとOさんが入って来た。
    「何だ、今クマさんにメールしたところらて」
    相変わらず元気で、大きな声なのだ。
    まず、メニューを見て驚いていた。
    200円のオンパレード。生ビール280円である。
    「いやはや、いい店ができたもんだ」とご満悦である。
    母の介護のために、現在はなかなか自由のきかない身である。
    近くで一杯やれる場所は、Oさんにとって貴重な場所なのだ。

    そこへ、ひょっこりとGさんが入って来た。
    「何してん。ほれ母ちゃんが待ってるれ。早よ帰えんなせ」
    彼はこれからサッカー部の親父三人での飲み会だった。
    コーチの二人がその後にやってきた。
    「やぁ」「どうしたん」それぞれに挨拶をした。

    すると、そこへ元ギャルの叔母さんたちがやって来た。
    「七人くらいになるんだけど」とやけに元気だ。
    これからPTAの役員たちの飲み会となるらしい。
    この方たちは、山中か山小か。と思っていたら、重鎮が現る。
    Eさんが、また娘のTシャツや何やらを着て、
    やけに派手に、ゴージャスに登場したのである。
    ちょうどクマが勘定をして帰るところだった。
    「どうしたん。もう帰えるんだ」

    たった40分間のカウンターである。
    そこに出会いと物語が生まれ、
    久しぶりに会った者同士の楽しい会話が生まれる。
    かってあった沼垂四つ角の「山小屋」がそういう店だった。
    この店で逢うことは、偶然であり、必然なのだ。
    そんな付き合いから、「王瀬の長者」の劇が生まれ、
    「栗の木川さくら祭」の実行委員会が立ち上がった。

    「なじら屋」が「山小屋」と違うところは、
    世代がうんと若いということである。
    この登場人物の平均は、40代の前半であろう。
    山小屋は、60代の中盤であった。
    金曜日の夜には、東京からSさんが来るという。
    またまたこのカウンターで久しぶりの会話が賑やかに盛り上がる。

    カウンターの上には、私が墨字で書いたメニューが貼られてある。
    昨日は、「名物 串カツ」の新たな名前に知恵をしぼった。
    豚レバーのタレは、絶品の味だった。

    不思議な店が、山の下市場に赤提灯を出している。
    そこに集まる人たちは、一つの舞台の登場人物なのだ。
    その行き交う人たちの姿に、人生の旅を深く感じたクマが居た。
    「なじら屋物語」は、これからも面白くなりそうである。

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  • from: クマさんさん

    2010年07月21日 05時48分55秒

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    猛暑の中で「いかに生きるか」

    猛暑が続いている。
    全く寝苦しくて何度も暑さで目が覚めた。
    梅雨が開けたとたんに、夏本番である。
    何とかしてよと思いつつも、この異常気象に地球の温暖化を感じる。

    父と母は、こんな猛暑の中でもエアコンをつけなかった。
    涼しすぎて嫌いなのだそうだ。
    年をとると体温調整がうまくできなくなってしまう。
    知らず知らずのうちに体から水分を失われて、熱中症になることが多いとのこと。
    母は、体調が悪く医者に行ったら、内視鏡の検査を勧められて来た。
    父は、全く動かず、座ったまま、俯いたままの一日だ。

    父と母とは、私に老いるとはどういうことかを、
    身をもって教えてくれている。
    何ともならぬことなのだ。
    そして、一日一日と弱って行くことなのだ。
    待っているわけでもないが、淡々とその日その日が過ぎて行くことなのだ。
    希望だとか夢だとかというものではなく、
    諦念とでもいうのだろうか。
    黙って老いと向かい合い、見つめているのである。

    健康でここまで生きられたことに感謝しつつも、
    自分の人生にも人としての終わりが来ることを感じて生きている。
    信仰があれば、祈りがあり、心の対話が生まれようが、
    父と母とは支え合い、励まし合って生きていながら、
    自分の老いと向かい合う時は、孤独なのである。
    この絶対の孤独は、癒されないのだ。

    「オラ、オラ、ヒトリデユクモ」
    「アメユズ、トテキテ、ケンジャ」
    そんな悲しい別れの朝は、どこの家でもいつか来るのだ。
    死を思え。いのちの終わりを思え。
    そのことで絶対的な客観である大自然と一つになれる。
    やっぱり、この無常を感ずることで、
    人は人と自分自身に初めて優しくなることができるのではないだろうか。

    変わるものに執着し、おろおろと生きるよりも、
    この無常であり、流転の世の中にあって、
    変わらぬものに身を委ね、その道を自分の道として迷いつつも生きる。
    そんな生き方を、これらの残りの人生では生きてみたい。
    父と母とを見るにつけて、53歳になろうとする木偶の坊の私は、
    そんなことを考える。

    地球の温暖化は、このまま進むことだろう。
    海水の温度は、この百年間で気温に換算すると40度余り上昇しているそうだ。
    猛暑は、容赦なく今日も日本列島を襲うはずだ。
    人は、老いる。そして、生物として弱る。
    最期は必ず存在するのだ。
    これもまた、人知の及ぶところではない。
    「自然」と「あるがまま」に全てのことは進んでいる。

    さて、その最中に人は何を想い、何を為すか。
    自然は、人にそのことを問うている。
    いかに生きるかという「哲学」は、
    ご飯を食べ、呼吸を行い、心臓が勝手に動いているように、
    当たり前のように人は、それぞれで考えねばならないことなのだと私は思う。

    父と母との後を追い、老いのプロセスをたどりながら、
    猛暑の中でそのことを改めて考えた。

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    秋桜

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