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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年10月31日 06時32分02秒

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    生きるとは何かの問いを

    いかに生きるかを考える。

    生きるとは何か。

    幸せとはなにか。

    老いるとは何か。

    病むとは何か。

    そして、死ぬとは何か。

    そのことを考え、諦めるために、人はここにこうしてい生きている。
    だから、考える。考える。
    魂には、本当は答えが分かっているのだが、
    神様は、人にそれを探す、学ぶ、自由を与えられている。
    だから、分かろうとする人は、この問いを忘れない。

    ALSの恩田さんのことを「ハートネットTV」で知った。
    岐阜のJ2のサッカーチームの社長となって奔走している最中、
    病を発症した。
    全身の筋肉が硬直し、弱り、最後は呼吸困難となり、心臓が停止する。
    難病であるために、治療の方法はない。
    そんな病の進行の中で、彼は、新たな会社を立ち上げた。

    ALSの患者さんを励まし、サポートするための会社でもあった。
    働くということは、人であるということだ。
    例え、どんな細やかな働きであろうとも、
    何だか、誰かの為に本気になっている瞬間は、
    生きているという実感を人は味わえるもののようだ。

    彼は、言った。
    「自分を好きになりたい。もっと、自分のことを好きになりたい」と。
    確かに、「どうして、俺が」と、叫ぶこともある。
    順風満帆に幸せな仕事・家庭・生活だった。
    なのに、今は、明日をも知れない心身の状況を抱え、
    時には、そのことを悲嘆し、しょげ返り、暗く沈み、怒りともなる。
    それでも、こうして朝が来る。
    一日が始まる。
    俯いてばかりではいられない。
    何かをしなければ・・・・。かな。

    そうした状況に立たされて、初めて人はこの根源的な問いに立たされる。
    その答えをまだ自分がはっきりとつかんでいなかったことに気付く。
    どんなにか人とは、無力な存在であるかに気付く。
    明日をも分からない無常観を初めて味わう。
    絶望のどん底に真っ逆さまに落とされる。
    そして、どんと底をついたら。底に辿り着いたら、はっと気づく。
    「これでいいのか」「このままでいいのか」と。

    そこから、立ち上がった人は、確かに強く、逞しい。
    ただし、決して独りではないことをその時、
    微かな希望の光の中で、悟る。
    「私は、あなたの犠牲にはならない。あなたも、家族の犠牲にはならないで」
    「私は、あなたを信じて生きる。だから、あなたも、私たち家族を信じて生きて」
    そんな言葉に、本当に、はっとして、生かされる。
    これより、強く、熱く、温かく、背中を押してくれる言葉はないだろう。

    みんな、そのどん底で出会うのが、人生のパートナーと呼べる人だった。
    そこに気付く。その在り難さに気付く。涙しかない。

    人は、独りになった時、初めて決して独りにはならないことに気付くものだ。

    人生には、ちゃんと答えは在る。
    しかし、その答えは、私自身がこの襟の中にしまい込んでいても、
    私は、その宝・答えには気づかずに生きている。
    だが、その「まさか」の究極な状況に追い込まれた時、
    人は、はっとして、吾に還る。
    そこからなんだな。
    本当に、生きるを生きる、自分なりの人生というものは。

    だから、そこに気付いた人にとっては、この問いこそ、生きるの意味となっていく。
    これだけでいい。
    これが分かれば、死んでも悔いはない。

    「人は、食べるために生きている。私は、生きるために食べている」とは、
    ソクラテスの言葉だった。

    「善く生きる」それが哲学の道だった。

    「魂のお世話をする」
    ソクラテスは、とてもとても簡単な言葉で、
    私たちに生きるとは何かを教えてくれる。

    そして、恩田さんの生き方も、私たちに大事なものは何かを伝えてくれる。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月30日 06時10分06秒

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    介護職員初任者研修12回目

    介護職員初任者研修が12回目だった。
    全部で毎週土曜日の15回。
    よくよく通ったものだと、感心している。
    あの胆石の高熱によって、一日お休みをしてしまった。
    その日の講義は必ず受けていないと、修了試験を受験できない。
    まあ、なかなか厳しい条件だった。
    だから、やっぱり頑張っていると、自分でも想っている。

    まず、学ぶ立場に立って、本当に実感したことがある。
    それは、先生の質ということだった。
    教科書をタダ読み、書いてあることをそのまま説明する人がいた。
    教科書すら予習もしてこなくて、面白くもない無駄話の人もいた。
    なのに、とにかく情熱を持ち、経験豊富で、
    自分が介護職として伝えたいことをしっかりと理解して、
    親切丁寧に語って聞かせてくれる先生もいた。

    学ぶ側の意欲も、興味関心も、やっぱり教える先生次第だった。
    何も教科書を読みにここに来たのではない。
    先回の「看取り」を話してくれたT先生は、
    実際彼が出会った人たちのことを語りながら、
    看取りについての深い示唆に富むお話をしてくれた。

    先生ってのは、生徒の前に立つ時、
    いかに人生を生きているかが、
    まっさらに晒されていることを理解しているのだろうか。
    特に、こうした大人たちに教える立場の人は、
    深いところでの気付きを実体験をもった人でなければ、
    ここに立って教えてほしくはないと、私は想っている。

    学ぶとは、何かが自分の中で変わるということだ。
    学ぶとは、新たな視点や気付きを与えられるということだ。
    そうすると、「来てよかった」「学んでよかった」と、深々と頭が下がる。
    その学びは、その先生の実感と実体験から語られた時生まれた。

    確かに、たくさんの知識をその場で教えられても、すっかりと忘れる。
    実地体験を通してのノウハウを学んでも、
    実生活で活用するのではないので、そのこともやっぱり忘れる。
    でも、何だろうね。
    先生のその人柄や、生き方、その佇まい、その笑顔、語り口。
    そうしたその人らしさは、心に残っているものだ。

    もう二度と教えてもらいたくない先生もいた。
    この人は、施設では偉い人だったようだが、教えるのが下手だった。
    「看取り」のT先生は、教科書を使った。
    総括的に実体験を話しながら、ポイントで教科書の資料を使った。
    教科書を教える教師は、まだまだの教師だ。
    教科書を巧みに使いこなし、それを資料として活用できる先生が、
    やっぱり優れていると、私は感じた。

    何よりも、介護職に対する深い愛情と使命感。
    そして、自分はこの現場でどのような人として生きて来たのかという、
    その人の仕事に対する哲学のようなものが、
    しっかりと伝えられる先生は、やっぱりすごい先生だった。

    そうやって、学ぶ私は、先生をちゃんと評価している。
    それは、小学校の子どもたちも同じなんだ。
    「この先生、すごいなぁ」
    「この先生の話、もっと聴きたいなぁ」
    「この先生、好きだなぁ」
    と、子どもたちが感じられる先生の話は、
    子どもたちは静かに、集中して聴くものだ。

    「嫌だなぁ、この先生」
    「退屈だなぁ。つまらないなぁ。訳が分からないなぁ」
    「そんな無駄話ばかりじゃなくて、しっかりと勉強教えろよ」
    「この先生、教える気があるのかな」
    「ああ、こんな人にはなりたくないな」
    では、やっぱり信頼感ゼロであり、その先生から学ぶ気は起きないものだ。

    教える人たちは、学ぶ人になることも大事なんだ。
    立場を替える。見方を替える。立っていたら、座ってみる。
    すると、はっとする何かにきっと気付くはずだ。
    しかし、そうやっても気付かない人がいたら、
    その人は、致命傷だと想ってもらいたい。

    「教育とは、自分自身を育む力を教えることだ」
    これは、ある禅の坊さんの言葉だ。
    私は、初任者研修を受けて、
    私自身の育む力を育ててくれる先生と、そうでない先生の違いが、
    実感としてよくよく分かった。

    願わくば、育む先生に私はなりたいと、今も、そう想っている。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月29日 07時54分18秒

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    在る国の、おそろしいお話。空想・仮想な寓話でしかすぎなければ。

    ああ、こうやって情報って、巧みに操作されるんだ。
    そんな恐ろしさを、感じた。
    ある時代のある政党の対応は、全くの間違いだった。
    という、話題だ。
    それが、きっとネットで流されているのだろう。
    そして、それに対する若者たちの声が、響く、集まる、反響する。
    すると、その声が膨大な数となる。

    そしたら、何も知らずにその情報に触れた若者が、
    ああそうだったんだ。と、感染する。
    何もその情報には根拠が無く、ただ一方的な解釈・見方にすぎない情報なのに、
    その情報が、いつの間にか真実となる。
    すると、その情報の立ち位置から、
    この現実の社会を観て、批判するようにもなる。

    そして、最も怖いなぁと想ったことは、
    その情報を発信した流し手の正義や正しさを信じてしまうということだった。
    世の中は、きっとそうやって簡単にひっくり返されるだろう。
    かって、我が国が軍国主義とやらで戦争に突き進んだ時、
    国民は抑止力とはならず、推進する力となって、その道を爆走した。
    それは、こうした情報操作によるものでもあった。

    初めは、小さな声である。
    初めは、少数の声でもある。
    しかし、意図的にそれを大多数の声とすることは、歴史を観れば可能なんだ。
    精神が高揚するような情報を流す。
    こうあるべきが国の生き残る道だとのプロパガンダを流布する。
    みんながそう想っている感を醸し出す。
    そうすると、そう想わない人は、仲間はずれにされちゃうぞという、
    そんな怖れと不信感とを抱かせる。感じさせる。

    黙る。
    きっと、自分に損になる意見や考えは、言わなくなる。
    その内に、そう言って声高に連呼している人たちの勢力が広がって行く。
    あれも、これも、それも、かれも、みんな、
    そんな情報ばかりに溢れかえる。
    その内に、そう考えていない人や、
    それに反対する人たちは、その家から、その職場から、その地域社会から、
    いつの間にか姿を消してしまう。
    連れ去られ、いなくなってしまうんだな。

    そして、教育が変わる。教科書が変わる。教師が変節する。
    戦争の正しさ、その戦争の妥当性と必然性、それを子どもたちに教え始める。
    また、また、非国民の登場だ。
    そう考えない自由は、この国から無くなってしまうことだろう。
    そうなってしまっては遅いのに、
    そんなことは、歴史の大いなる過ちから学んでいるはずなのに、
    経済不安、貧困生活、対外的な脅威、専守防衛。
    どこかで聴いた流れが、またまた、始まろうとしている。

    若者は、ネットで社会不安をあおられる。
    自分自身の将来の生活はどうなってしまうのかとの不安が募らせられる。
    その中だ。この国が生きる道は、これしかないと大人たちが言いだす。
    そうすれば、君たちは幸せになる。この国の平和は守られる。
    何て言われて、長い長い戦争への道を只管歩いた過去をもつこの国だ。

    その予兆が、今、ここにある。
    ネットでそんな考えが広がりつつある。
    閉塞感と先の見えない不安感が、若者をそちらの道に誘っていく。
    今がいい。安定がいい。経済的な豊かさがいい。貧困は嫌だ。失業はいやだ。
    そこには、お金と仕事と明日の幸せがあるかもしれないが、
    その先が無いことを知らされていない危うさを感ずる。

    一方的な見方だけで、人が生きてしまう時、
    多様なものの見方や感じ方は否定される。
    これしかないと言ってしまったら、
    そうではないと言えなくなってしまう。
    しかし、歴史を振り返って見れば答えは明確なはずだ。
    「これが正義だ」と言い張って国を支配したイデオロギーで、
    今、ここで、生き残っているものは一つもないことを。

    それは、ワイダが「残像」で描いた真実だった。
    老教授の生き様は、普遍的にここに遺ったが、
    スターリンに支配されたポーランドは国にとっては忌まわしい負の歴史。
    しかし、その歴史を造り出し、新たな国家を建設したのも人なんだ。
    権力をもつ人が居る。
    その人の意向だけが、正義となり、果たすべき義務となる。
    外れてはならない。反対を唱えてもならない。それは、反逆と呼ばれる。

    でも、そんな恐怖国家は一夜にしては成り立たない。
    あのナチもそうだった。
    経済不況と、失業と、貧困、飢えと、寒さと、絶望感。
    そこに新たなる希望と夢とを与えてくれる救世主が現れる。
    そこに同調し、付和雷同し、就き随うのは、若者たちの常だった。
    それを横目に見て何も言わなかった大人たちは、
    いつの間にかその潮に飲まれて、身動きがとれなくなっている自分を発見する。
    多数に対しては、もう既に、遅しなんだ。

    そんな国に、この国をならせたくはない。
    しかし、この仮想の寓話は、何だか本当の物語になにそうなんだな。
    よくよく、目を覚ましている必要があるようだ。
    時代は、時代の嗅覚で、若者たちの心と魂とを眩ませようともくろんでいる。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月28日 06時12分31秒

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    休酒、九日目

    昨日も、ダウンだった。
    突然の体調不良。
    身体の節々が痛み、胃の具合が悪く、立っているのがやっとだった。
    何とも身体というものは理不尽なもので、
    そのまま、遠慮なく、何の前触れもなく、弱って行く。
    それが、自然のあるがまま。

    確かに、原因は、私が作っていた。
    生活のいろいろな影響をこの身体は受けている。
    それに即、感応だ。
    しかし、そうやってどうにもならない状況に陥ると、
    全く、私は、自分の身体に対しては無力であることを悟る。

    若い頃なら、えい、ままよと、無理もしただろうし、
    もう少し、もう少しと、我慢もできただろう。
    しかし、60歳にもなると、その耐性が脆く、弱くなっている。
    降参する。
    とにかく、身体の出している警句に素直に従うことにした。
    それが、私にとってのなによりもの養生だと、やっと悟ったからだ。

    そうやって考えると、自分の意志でコントロールできるものって、
    とても少ないことがよく分かる。
    そうなってしまったから、さて、どうしたもんだろぅに、日々の生活は満ちている。
    そうだよね。
    自分の思い通りになっていることって、いったい幾つあるのだろうか。
    この自分の身体すら、あなた任せの現実だ。

    こんな時は、とにかく眠ることに徹する。
    眠ることの効用はとても大きく、豊かだった。
    身体とは、休むことで活動できるように本来できているようである。
    老いたら、まず、休養を身体に与えることだ。
    疲れたら、難儀だったら、何もせずに、ただ眠る。
    すると、眠っている間に、集中して身体は、
    その自身の不具合・不調を感知して、その修正に全てを働かせる。
    私は、眠っていても、身体は全力疾走で治療している。

    これも、身体が自然であることの在り難さだ。
    私が、意識しなくても、私が命じなくても、
    そうやって、回復・蘇生への働きを自動的に行い、その仕事を遂行する。
    それは、まだいのちを保って、生きられると言う証明でもあった。
    もし、そうした修復・蘇生への働きが途絶えたり、身体自身が諦めたりしたら、
    きっと私は、そのまま坂を転げるように弱るだけのはず。

    七日連続の休酒。
    その後、具合の悪かった昨日を含めて、二日間の休酒。
    この私がだよ。
    九日間も自宅に暮らして、酒を飲まなかった。
    どんだけ身体に悪いことをしているかと思いきや、
    そうやって労わることで、身体は身体がもっている本来の蘇生力をフルパワーだ。

    火曜日の血液検査の結果を聴いた。
    肝機能、正常。
    血液反応、正常。
    ただし、ガンマだけは345と高値安定だった。
    CRPは、1.2あったものが、0.8と正常値となった。
    不思議だなぁ。
    私の身体に医師はいる。

    身体は、身体そのものとして生きたいと願っている。
    また、よく生きるようにと休むことなく、日々、刻々と働いている。
    その願いと働きとを阻害し、徒労に終わられてしまうのは、
    私の生活習慣病でもあった。

    酒を毎晩欠かさない。
    慢性的な睡眠不足。
    時には大食いをして、腹を壊す。
    運動不足。

    さてさて、これからは、身体の声を素直に聴いて、
    その身体と共に一体となり、生きる道を選択すべしだ。

    ある意味、身体とは、自然そものであり、
    私の意志とは関係なく、独立した存在である。
    その身体と、うまく折り合いをつけて生きることが、
    この還暦以降の人生には求められていることをまた、改めて悟った。

    本日も介護職員初任者研修に行けるのは、
    この身体が健康であってくれるおかげだった。
    私が、休酒をやっている。
    これは、私の人生とっての最大なるイノベーションでもあった。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月26日 06時33分00秒

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    次男の誕生日

    今日は、次男の22歳の誕生日だ。
    彼は、2歳の時に突然インフルエンザにかかり、
    高熱を出して、意識を失った。
    救急車を呼んだ。
    しかし、直ぐには動かなかった。
    受け入れ先の病院が決まらないからだと言う。
    どんなにかその時間が長く感じられたことか。
    呼んでもも答えない。ぐったりとしている。どうすればいいんだ。

    「助かってくれ」
    本当にその一心で祈っていた。祈っていた。

    病院に着いた。すぐに処置が女医さんによって始まった。
    処置室には入れなかった。彼は、小さな身体で裸のままで、ベッドの上だった。
    「検査します」
    「先生、どんななんですか」
    「分かりません」
    「助かりますよね」
    「何とも言えません・・・」

    ICUの扉が固く固く閉ざされた。
    その向こうで彼は、今、生死を彷徨っている。
    ただ祈るしかない私。
    こうしていても涙が溢れる。
    泣いたなあ。泣いた。泣いた。
    椅子に座り、俯いて、頭を抱えて、ただ、ただ、泣いた。

    2月だったか、夜中に雪になった。
    私は、まだ煙草を吸っていたので、外に出た。
    そしたら、真夜中の天から、真っ白な雪が、
    どんどんと私を包み込むようにして、降って来た。
    そとつの天からの雪だった。
    何だか、その雪を観ていると、天に吸い込まれていくような感じだった。
    私は、天に祈った。

    教会の牧師さんに電話した。
    まだ公衆電話の時だった。
    「今、私の子が死にそうです。祈ってください」
    私は、教会を離れて久しかったのに、やっぱりすがった。
    「お祈りしますね。」は、もう亡くなった本間先生の優しい声だった。

    朝になった。
    ひと晩で真っ白な世界になっていた。
    まだ扉は固く閉ざされていた。
    インターホーンで何度か聴いた。
    「お待ちください」それだけだった。
    もし、この扉の向こうで彼の息が止まっていたら・・・・。
    何だか走馬灯のようにして、彼との笑って遊んだ日々が想い出された。

    これは、想いだしたくない記憶だ。
    でも、彼は、ここに、こうして、生きてくれている。

    「子どもは、天からの預かりものだ」と、
    私は信じて子どもを育てて来た。
    「預かっている責任」が私にはあった。
    とにかくとにかく可愛がったな。
    その事に対しては、微塵もこっぽっちも悔いが無い。
    そのことは、よかったと今でも想う。
    子育てって、やり直すことができないからだ。

    彼は、今、トレーニングにより、見事な肉となっている。
    地域の消防団にも所属している。
    大学4年生だ。毎日自動車で100キロの往復をしている。
    私が、話しかけても、返事をしない。
    いろいろと問いかけても、面倒だと言葉少なに応えるだけ。
    卒論のために毎晩遅く帰って来る。

    来年の六月には、就職のために東京に行くと言う。

    よく育ってくれた。
    私の自慢の二人の子ども。
    まだまだ死ぬまで当分は、私は預かっている責任がある。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月25日 06時19分41秒

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    「パターソン」的な生き方

    「パターソン」 ジム・ジャームッシュ監督 アメリカ映画

    いつもと同じ。
    それって、それなりに幸せなことなのかも。
    ルーテーンだな。
    朝、目覚める。腕時計は6時14分辺り。
    隣には裸のままの愛する妻が。
    カップにオートミル。妻は、まだベッドの中だ。

    バスに乗る。
    運転席で、詩を書く。
    一冊のノートに、詩を書く。言葉をライテングする。
    バスの中に居て、想いはここにはなく、別の世界へ。
    主任がやって来て、家族の壮大な愚痴を聴く。
    「大丈夫か?」だな。

    バスは、田舎の小都市ニュージャージー州パターソンの街を走る。
    街の景色は、いつものように、いつものまま。
    定時にバス停に停まり、様々な乗客が乗降する。
    それをバックミラーで観ている。客の話を聴いている。
    ある日、バスが電気系統のトラブルで故障して、停止。
    彼は、携帯電話を持っていない。
    乗客の女の子から借りて、事なきを得た。
    それが、彼にとっての重大事項。
    ただ、それもなんとなくやり過ごす。

    帰りの途中に、詩人の少女に出会う。
    少女の詩を味わう。いいね。「あなたも詩人?」
    一冊の詩のノートには、大切な言葉が綴られてある。
    彼は、家に帰ると、必ず傾いているポストを真っ直ぐに直す。

    妻は、毎日が新しい。
    壁を振り替えた日。カーテンの装飾を変えた日。
    自分でデザインした奇抜な衣装を着た日。
    実験のようにして創作料理を出す日。
    突然、ギターを通販で注文し、カントリーミュージシャンを目指す日。

    そして、素敵なマフィンを大量に焼いて、市場に売りに行く日。
    彼の妻は、彼にとっては新たなる刺激でもあった。
    ただ、ただ何も言わず。そのままにする。それが嬉しい。それが幸せ。

    夜は、お決まりのブルドックの散歩。
    ドクのバーに行き、いつものカウンターでビールを飲む。
    毎晩、ドクのドラマを聴いた。ドラマを観た。
    熱烈な片思いの失恋男がここに居た。
    ある夜、自分の頭におもちゃの銃を向け、死ぬと言った。
    咄嗟に跳びかかり、組み伏せて、その銃を彼は奪った。
    家のベッドの脇に、海兵隊の当時の写真。

    ああ、そんな彼なのに、何も言わず、ただ日々を受け入れ、
    それを味わい。それがいいなぁと、少し想っている。
    そんな一週間がたった。
    何も無いだろう彼の今日に、何だかいつのまにか私ははまった。
    「好きかも知れない」そんな言葉が、心に浮かんだ。

    街のど真ん中にどでかい岩の滝が在る。
    そこで、彼はよく独りで黄昏、佇んでいる。
    私もそうだ。独りがいい。独りが深い。独りが落ち着く。
    そこへ、四十代・黒いスーツ・黒いメガネ、男性。
    1人の日本人の旅行者が彼のベンチの隣に座る。
    彼も、詩を書いていた。
    日本語の詩は、けっして翻訳しないそうだ。
    そして、彼は、パターソンの大好きな詩人の名前を言った。
    パターソンは、本の少し笑みを浮かべた。

    実は、パターソンは、大事にしていた一冊の詩を綴ったノートを、
    あのブルドックにかみちぎられてしまったのだった。
    書き続けていた、その言葉が、もうない。
    そんな彼に、日本人は、一冊のまっさらなノートを手渡して行った。
    「ハハーン」だな。

    何だろうかなぁ。
    そうして、彼の一週間は、終わるんだ。
    いや、終わりとは、次の一週間の始まり、始まり。
    何だかねぇ。
    パターソンに会いたくなったな。
    あの永瀬が演じた日本人のように。

    彼は、流れて行くものの中で、確かに流れてはいるようだが、
    その流れの中でも、どんなに平凡で、凡庸で、平坦な日々であっても、
    彼は、彼で、そのまま、日々、在る。
    そうやって、中年になり、退職を迎え、老人となるだろう。
    それは、それで、そのままで、いい。

    パターソンとしての生き方は、実にナチュラルな生き方なんだ。
    何事もなく、何事もなし。
    パターソンに、会いたくなったな。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月24日 06時27分53秒

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    「残像」は語る

    「残像」アンジェ・ワイダ監督 ポーランド映画

    生きる道の選択を迫られる場面に立たされる。
    さて、どちらの道を選ぶか。
    全体主義という「われわれ」の時代。
    そこに反する、道も、考え方も、表現も許されない。

    「われわれ」は、こう考える。
    だから、「われわれ」のようにしろ。
    しかし、その「われわれ」に反抗し、従わず、
    魂の奥深くに確かに輝き、語りかけている「われわれ」であったら、
    きっとその「われわれ」を貫くことには、勇気が必要だ。

    時代は、「われわれ」を揺動し、洗脳し、イデオロギーだと言い、
    その一つの道しか、国民に許さなくなってしまう。
    そんなことが歴史では当たり前のようにして繰り返されて来た。
    国のために個人があるのではなく、
    個人の自由と幸福とのために国が在る。
    そんなことすら忘れ去られ、
    「われわれ」の不真実を捻じ曲げ、覆い隠し、押し通すために、
    国は、自由な個人を暴力に寄り抹殺を図る。

    「われわれ」が全体に鳴った時、
    この老教授は居てはいけない存在となってしまった。
    それでも、彼は、「云う」。
    それは、彼の信念であり、彼の信ずる道であり、彼の生き方そのものだ。

    すると、国は、困った存在として、彼の自由と幸福と生活とを奪うようになる。
    公職追放。彼は、信念を貫くことによって、生きる糧を失う。
    芸術協会の会員証のはく奪。これによって彼の芸術家としての活動はできなくなった。
    権利をまずはく奪して追い込んでいく。
    生活の糧を失わせ、貧困と飢えの中に落とし込んでいく。
    彼は、まったくの孤立だ。

    弱ったところに、甘い手を差し伸べる。
    「われわれ」の言うように、「われわれ」の想うように、表現できますか。
    そうすれば、あなたが失った職も、芸術家としての表現する権利も、
    再びあなたの手に戻ります。
    親友の詩人は、その「われわれ」に加担し、自分を捨てた。
    彼は、その詩集を発刊することすらできなくなってしまった。
    それでも、彼には、大使としての職業が在り、
    国から手厚く保護を受けて、言いなりになって書きたくもない詩を書いている。

    その親友の誘いすら、彼は拒んだ。
    孤立無援。
    彼がやっと手に入れたポスター描きの職人の仕事も、
    密告によって、彼が芸術家としての権利を持たぬ人だとの理由で、
    解雇つれた。
    「働かざる者、食うべからず」
    食料の配給切符をもらえなくなってしまった彼は、
    肉屋に行っても、ソーセージの一本すら売ってもらえない人となった。

    彼は、彼に呼びかける魂の「われわれ」に素直に、信念をもって従った。
    しかし、その国では、魂の「われわれ」を捨て、
    自分の国を占領し、支配する、立った独りの「われわれ」の考えに、
    ただ聴き、従い、そして、違った者たちを探し出してでも排除した。
    歴史は、いつもこんな非情な選択を迫るものだ。

    魂の「われわれ」に生きるか、国としての「われわれ」に生きるか。
    この国も近い将来、そんな非情なる選択を迫られる国になるだろう。

    さて、人は、その時だ。「どう生きるか」だ。

    スターリンの垂れ幕で真っ赤に染まったぼろアパートの一室。
    文化大臣に、毅然と芸術とは何かを問い、語る彼。
    病で亡くなった母の棺桶に、赤いコートでたった独りでついて行く娘。
    妻の墓参のために、真っ白な花を妻の好きなブルーに染める彼。
    金がなく、食べるものも変えず、スープの皿を嘗める彼。
    「われわれ」のど真ん中に立たせられ、
    選択を迫られても、やはり自分自身を裏切ることなく、
    そのあるがままの自分を貫く生き方。

    勇気とは、スチゥミンスキ教授のために在る言葉だ。

    彼は、死んだ。
    しかし、彼の魂の「われわれ」は、ここにこうして生きている。
    その「われわれ」は、監督ワイダの魂の声でもある。
    ワイダは、この作品を「遺作」として、この世に残した。
    老教授の描いた絵画は、やはり私たちの世にしっかりと受け継がれた。
    それでは、国として「われわれ」の正義や思想や権力は、どこにあるか。
    そんなものは、歴史の中で真っ向から否定され、
    どこにも存在してはいないんだ。

    時には、こうして嵐のような時代がやって来る。
    それが、人が創る歴史の真実だ。
    だが、その時は、海の上には出てはいけない。
    じっとじっと静かに、深く、その海底で、忍んで、絶えることだ。
    けっして、世の中に迎合したり、阿ったり、忖度してはいけない。
    魂としての「われわれ」で、生き抜く「勇気」こそ、大事大事だ。

    これが、老教授とワイダ監督からの「われわれ」に対する遺言だった。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月23日 07時17分27秒

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    台風が来た

    超大型の台風が、今、静岡に上陸した。
    その風がここ新潟市東区を吹き荒れている。
    ただ、私たちは耐えるしかない。
    凌ぐしかない。
    過ぎ去って行くことを待つだけ。
    それって、自然と私とのある日、ある時の当たり前。

    こんな嵐の日もある。
    そんな時に、どうやって耐えて、忍ぶかだ。
    この轟々と荒れ狂う風を、どうすることもできないのだから、
    ここに居て、じっと過ぎ去って行くことだけを願っている。
    祈りとは、こんな時に人の内から生まれるものだ。
    自然の驚異の前に、為すすべもないちっぽけな人。
    今は、こうしてしかっりと守られた家の中でやり過ごしているが、
    昔は、もっともっと自然と一体の脆弱な生活の中に人は生きていた。

    だから、きっと、自然のあらゆるものに神を見て、
    その神に対する、畏れと無力感とによって、祈りは生まれた。
    この嵐の音に、神の言葉を聴き、
    この嵐の猛威に、神の激しい怒りや断罪の想いを感じた。
    この風の音を、どんな意味として感じているか。
    こんなにも吠え叫んでいる風から、
    人は何を感ずるか。

    だんだん人は、文明社会に慣れ親しみ、
    この人工的で便利で快適な生活だけを生活として想うようになった。
    この風の中に、出ようとはしないし、
    この風の荒々しさを体感しようとはしない。
    でも、庭の花たちも樹たちも、この嵐の吹き荒む真っただ中で耐えている。
    花は、そこに咲く。
    そのことって、やっぱすごいことなんだと、改めて想う。

    私は、そこら人や社会をみようとしている。
    花の視点。鳥の視点。一本の百日紅の視点。かな。
    そこに立ったまま、言葉が内から生まれて来ることを待っている。
    感ずることが深くなれば、きっとその言葉は生まれて来ると信じている。
    そんな言葉だけが、人には伝わる。
    そんな言葉は、きっとみんなの魂にもあるその言葉だ。

    何だか、こん台風の風のおかげで、
    大いなる自然の力と働きと、真っ向から向き合うことになった。
    その向き合ったまま、黙って、この荒ぶる風の音を聴き、
    そして、その音に呼応して内から目覚めるものを静かに感ずる。

    いのちとしての私たちが、それは忘れている生き方だった。
    黙って、この恐ろしい風の音を聴く。
    すると、縄文人たちが同じようにこの音を聴いていたことを想い出す。
    どんなに怖ろしかったことだろう。
    どんなに寒くて、辛くて、怯えたことだろう。

    時々、こうして自然のど真ん中に身を置いてみる。
    すると、私たちはすっかり忘れていても、
    やっぱりどうやっても大自然のど真ん中で生きていることを想い出すはず。
    この自然と向き合い、ど真ん中で生かされているちっぽけな私を想うと、
    もう少し、なんだか、人には、親切にして、優しくしてあげたくなる。
    ああ、あのお婆ちゃんは、たった独りでどうやってこの風の音を聴いているかな。
    あの古くなった小さなお婆ちゃんの家は大丈夫だろうか。
    この大風に吹き晒されるこの小さな町は、
    この台風によって運命共同体となっていく。

    呼び覚まされるのは、そうした「われわれ」としての意識でもあった。
    この嵐の中、ちっぽけないのちたちも、私も、おばあちゃんたちも、
    みんな一つの「われわれ」として、耐えて、忍んで、生きている。

    不思議だなぁ。
    この大嵐が、無意識の中で眠っていた「われわれ」を、
    目覚めさせてくれたようだ。

    「私」だけでは、生きてはいけない。
    「われわれ」だったら、人は、何とか生き延びられるのではないだろうか。

    これは、灰谷健次郎さんの本にあったアマゾンの原住民の言葉。

    「一本の木に実がなれば、その三分の一は、私自身が生きて行くために、
     神に感謝してもいで食べる。他の三分の一は、私の子孫のために、
     もがないで残しておく。残りの三分の一は、われわれの生命以外の
     生命のために木に残す。」

    私は、そんな畑をやりたくて、Mさんと語り合っている。

    私なりに、この言葉から教えられたことを、次の言葉に現してみた。

    「一本の木の実
     その三分の一は、感謝して私のために
     その三分の一は、子どもたちのために
     その三分の一は、あなたたたちのために」

    Mさん、どうでしようか。

    自然の真っただ中に立たされると、「われわれ」が分かる。
    みんな一緒で、みんな一つだ。
    その「われわれ」を生きるために、「われわれ」は、
    お互いに助け合い、支え合い、与えあい、分ち合う。
    その「われわれ」こそ、地域コミュニティーの地域社会だ。

    さてさて、どんな嵐が来ようとへこたれない「われわれ」となるために、
    私たちは何をどのようにしたらよいのか、
    そろそろ本気で考える時代になったようだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月22日 06時36分08秒

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    当たり前はない。

    嬉しかったな。
    昨日、介護職員初任者研修に行けた。
    自転車で行った。
    自転車置き場で、一緒に研修をしている若いTさんに声をかけられた。
    「大丈夫ですか?」と。
    これもやっぱり嬉しかった。
    先週の講義の途中で、突然私は居なくなった。
    そのことを覚えていてくれて、私の身体のことを心配してくれたからだ。

    人は、そうなってみないとわからないことばかりなのかもしれないな。
    失くしてみないと、日々与えられている大事なことすら気付かない。
    そんな愚かな存在が、私と言う人なのかもしれない。

    確かに、9回までこの研修を毎週土曜日受講できていた。
    しかし、それは、その出席を妨げる障害になるものが何もなかったからだ。
    突発的な用事や近親者の不幸。私自身の事故や怪我。
    そして、病気等、本当はは「まさか」の予定外・予想外のことに人生は満ちている。

    そんなまさかの真っただ中なのに、私はそれまでの研修に毎回出席できた。
    これって、これだけで十分に感謝に値することではないかな。

    朝、目が覚める。
    「ああ、今日も生きていていいんだ」と、ある高齢な女性の詩人は感謝する。
    私は、起きてからストレッチを日課としている。
    「ああ、こうして今日も手も足も、ちゃんと動いてくれるなぁ」とふと感ずる。
    こうして、「親父たちよ」をここで書ていることにも感謝だった。
    入院中は、ここではなく、あの食堂から原稿をTさんに送ってアップしてもらった。
    これから、庭に出る。
    もうすっかり秋も深まり、早朝の庭は初冬の空気だ。
    それでも、その冷たさを全身で感ずると、きゅっと身の引き締まるものを感ずる。
    「ああ、気持ちいいなぁ」と、その気持ちよさを感じられることのありがたさ。

    先週の金曜日の夜、9時近くで、突然、全てががらんと変わった。
    昨日の研修の途中で、胆石の痛みについて深く語った30代のSさんだった。
    彼は、その痛みによって、人生の生き方を変えていた。
    そんじょそこらの痛みでは、ないのだ。胆石とは。
    その激烈なる痛みによって、この私が七日間の禁酒をしていた。
    ただ、人って、たったその一瞬で、
    何かが全く激変してしまうこともあるということだった。

    発症した翌日、私は39度の熱で、寒気と極度の体力の消耗感で、
    起きることすら難しかった。
    それでも、妻に車で送ってもらって、研修に行った。
    エレベーターら乗ったらフラフラで、
    教室椅子に座ったら、難儀なので、すぐに帰りたくなった。
    それほど辛かった。酷かった。

    何でもなかったら、きっと何でもなく、私は10回目の研修だった。
    不思議なことだが、身体が優先なんだな。
    上手く説明はできないけれど、やっぱり身体なんだ。
    先週は我が家に帰ってからは水の底に沈んだように、
    ぐっすりと、ずーんと、何とも重く、私は、眠り、目覚め、また眠った。
    それでも39度の熱は下がらす、布団の中で身体を震わせた。

    同じ土曜日に、私は、介護職員の研修に出かけた。
    「整容」にといてだった。
    衣服の着脱の実習だった。
    楽しかった。みんなと同じようにして、同じことができることの嬉しさだった。
    しかし、そんなことを、8回までは感じて研修を受けていなかった。
    「まだ、10回もあるのか」
    「まで、こんな時刻か」
    「早く終わりたいなぁ」だったな。正直そんなことも考えていることも多かったな。

    しかし、昨日は、学ぶ喜びを、感じつつ、何だか一つ一つが嬉しくもあった。
    同じことをやっていながら、この違いとは一体何だろうとふと想った。

    「失くしてしまうかもしれない」
    「できなくなってしまうかもしれない」
    「通えなくなってしまうかもしれない」
    そんな、「まさか」に私自身が思いがけずに遭遇させられてしまったから、
    この気付きに到ることができたようだ。

    「家族とお別れするかもしれない」
    「身体が動かなくなるかもしれない」
    「寝たきりになるかもしれない」

    「死ぬかもしれない」

    実際に、そうした状況を体験する前に、
    その日々のありがたさに気付いて、感謝しつつ生きればいいのに、
    それがなかなかできない私でもあった。

    もし、回復が遅く、症状がどんどん悪化したとしたら、
    私は今頃病衣を着て、ベッドの上で、手術の時刻をまっているかもしれない。
    「もしや」とは、「まさか」ではなく、「当たり前」なんだ。
    ここら辺の機微を納得できる人は、救われた経験を持つ人たちだ。

    私が、痛みに感謝するのは、こういう境地で生きられるようになったからだ。
    またまた、神様は、私にそんな実感を伴った学びの場を与えてくだされた。

    まず、「当たり前」と想わずに、そのこと全てに「感謝」することなんだな。

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  • from: クマドンさん

    2017年10月21日 06時57分14秒

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    ありがとう。あなたのおかげです。

    土曜日の朝だ。
    先週の今日は、痛みが治まったが、まったく疲労困憊の状況だった。
    身体を起こすどころか、動かすことも難儀だった。
    でも、やっぱり、何とか、介護の研修には行きたい。
    そんなジレンマの中だった。
    学校が好きではなかった。
    なのに、この介護の勉強を始めてから、
    本当に学ぶ楽しさを味わっている。
    休むと、その穴埋めが大変だったからでもあった。

    無理しても今日は学校へ行きます。
    そう私が妻に告げると、妻は何も言わずに諦めてくれた。
    言っても言うことを聴くような人ではないことは、よくわかっているからだ。
    私は、お粥をいただき、紡績角のバス停まで歩いた。
    自分の身体のことなのに、その身体にお願いをしていた。
    「お願いします。どうか一日発症しないてもってください」と。
    それは叶わぬ願いと知りながら。

    講義が始まった。
    「排泄」についての講義だった。
    ずっと講師の女性が大便・小便について熱く語っていた。
    私は一番前の席。手を伸ばせば触れられる位置に居る。
    おかしい。寒気がする。
    おかしい。どんどん意識が薄れて来るぞ。
    おかしい。座っていることだけでも辛くなる。
    しかし、途中で手を挙げて「具合が悪いので帰ります」の勇気がなかった。
    とにかく私が我慢すればそれでいいんだ・・・・。脂汗。

    一時間半の後、休憩に入った。
    「具合が悪いので帰ります」
    身体は私の意志に反して、39度以上に発熱をしていた。
    実は身体の中では前夜の激痛以来、激しい闘いが続いていたのだ。
    胆管に起きた炎症を食い止めて治癒するために、白血球の闘いだった。
    そんなことも知らずに、私は無理して新潟駅前まで来てしまったのだ。
    本当に身体に対しては、深く深く謝罪すべきなのは、私だ。

    その時の肝機能の状態が血液検査で現れた。
    AST 正常値10~40 結果 1538 木曜日 34 ◎
    ALP     5~45     960    126 △
    LD     120~245  1321    167 ◎
    γ GT     5~76    1213    562 △
    CRP     0.30以下  2.79    1.2 △

    木曜日は禁酒五日目。本日できれば、七日目になる。

    この土曜日に採血した血液検査の異常な数値に言葉を失う。
    しかし、2年前のちょうど今頃、
    私はやはり突然の胆石の激痛に襲われ、
    その時の検査ではガンマが3500だった。生きてることが不思議だった。
    呼び出されて辛い身体を起こして医院に行くと、
    看護師たちが私のまっ黄色い顔や手の色に驚いていた。
    黄疸が出ていたるまさに、瀕死の状態だった。
    それから比べれば・・・・。

    ここ数年、私はこうした身体の突発的な変化に見舞われることが多くなった。
    そして、その時には手術があった。
    昔、私の身体にメスを入れる時は、私の死に時なんだと確信していた。
    それでも、内視鏡を含めて三回の手術からは、
    こうして私の身体は、生命体として復活を遂げている。
    腹膜炎の時には、妻には開けてみないとわかりませんと医師の宣告。
    生存の可能性は半々だろうと言われて、同意書にハンコを押させられたらしい。

    今日、完遂できれば、七日間の禁酒だ。
    これは、私にとっては9.98秒の新記録に匹敵するすごい記録だ。
    酒を飲まなくても、家で生活して居られる。
    夜、酔って居なくても、それでも、それなりに生きていられる。
    これって、変な話だ、私にとっては大発見だった。
    缶ビールも、八海山も菊水一番搾りも、ワインもあるのに、
    私は、ブッシュとそのプルを開けていない。
    一口も酒を飲んでいない。
    飲んでいないということは、アルコールを身体に入れていないということだ。
    こんなに身体に悪いことをしてどうなるのかと、不安はあるが、
    血液の数値には、その耐え忍んでいる努力に見合った評価が出ている。

    身体は、やはり自然の生き物なんだ。
    身体に聴けば、樹や花や草や小鳥や蝶の言葉もわかる。
    身体は、そのみんなと同じ見えない力と働きで日々、刻々と生かされているからだ。
    そのことを、人は忘れる。
    身体は、その庭のプランタで咲いている菫やコスモスと同じ人なんだ。
    生きている人であり、生きようとしている人でもある。
    ただし、その力と働きとがはたらいている間ではということだった。

    萎れた茎のように弱っている私。
    水をやることを忘れて枯れてしまったあのコーヒーの木のようなもの。
    私は、魂の世話ばかりではなく、
    やっぱり、しっかり、気をつけて、
    花たちに毎日しているように、身体のことを観察し、どうですかと尋ねるべきだ。

    その事を怠った結果が、あの驚異的な数値である。
    慎重に庇いつつ、訪ねつつ、身体ファーストで六日間生活してみて、
    萎れていた茎に力が蘇り、葉っぱの色も鮮やかになってきたことでそれがわかる。

    身体は、自然だ。
    身体は、コスモスなんだ。
    そのことを忘れずに、これからの余生は生きたいと自覚した。

    本日、介護職員初任者研修11回目だ。
    研修に行けることについて、身体に対して深く深く感謝している。
    ありがとう。あなたのおかけでです。

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