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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2012年04月30日 06時08分29秒

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    下手な師匠

    怒涛の二日間は終わった。
    まさに祭りの後の静けさだ。
    あの疲労困憊・筋肉痛・二日酔いは今朝はない。
    一番太鼓を押さなかったおかげで、祭り始まって以来の朝を迎えた。
    何よりも画期的なことは、直来に参加できたことだった。
    いつもは爆睡で、目が覚めると7時過ぎなのに、
    昨日は、参加できたのだ。

    春と秋の二回山ノ下には祭りがある。
    太鼓で参加できることは、それはそれはありがたいことだった。
    町内を越えた大先輩たちと酒を飲み、語ることができる。
    この太鼓があるから、知り合えた人たちばかりだ。
    わざわざこの祭りのために帰省してくる人もいる。
    祭りとは、人と人とをつなぐ地域にとっては大切な行事なのだ。

    それにしても、みんな年を取った。
    昨日は、太鼓の師匠に「ちゃんと叩け」とお小言を言われた。
    わざわざ私の所まで来て、叩き方の御指導だった。
    それがまた嬉しいことだった。
    Oさんが私に太鼓を教えてくれた。
    というよりか、「ほれ、小さいのを面倒みてくれや」と、
    いつの間にか太鼓も叩けない男を、太鼓の指導者にしてしまったのだ。

    しかし、私は音楽が好きなので、耳がいい。
    音の良しあしが少しは分かるようなのだった。
    「そこんとこ、トントンと叩いてみた。」
    「右手にもうちっと力入れてみた。」
    そうやって太鼓につかまり、何十人と子どもたちを教えている内に、
    門前の小僧よろしく、いつの間にか太鼓を叩きたくなってきた。

    小学生にタイヤを叩きながら教えていると、
    これがまた面白いのだ。
    子どもってのは、メキメキと上達するものだからだ。
    大人は、頭で考えるが、子どもは感性で撥を動かす。
    教えたリズムが教えられたように叩けた時の喜んだ顔。
    「おっ、できたねっか。」
    それは一つの感動の瞬間だった。

    そうやってたくさんの子どもたちに太鼓を教えて来た。
    一番太鼓のHもIも私の弟子でもある。(本人たちはそんなことこれっぽっちも思ってもいない)笑
    みんな上手い。味がある。いいリズムだ。
    ところがである。
    その師匠を自認している私が、何とも言えずへたくそなのである。
    「クマさん、何とかしなせ。」
    情けなくも、ありがたい言葉だった。

    太鼓と笛と木遣りを覚えれば、歩く伝統芸能人だ。
    しかし、その修行の道は、長く、険しいものに感じている。

    昨日で2000回の発言だった。
    よく続いたものだと自分を褒めたい。

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  • from: クマさんさん

    2012年04月29日 16時15分43秒

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    長男は太鼓の師匠

    太鼓叩いて来たぜよ。
    昨日の宵宮から、テーピングとサポーターをはめて、
    とにかく血が騒いで仕方なかったので、
    無理をしない約束で、ゴーサインを自分で出した。

    撥を握るとテーピングのために違和感があったが、
    とにかく叩けることだけで満足だった。
    痛みは残っていても、Cさんが言うように酔っ払えば麻痺してしまう。
    ドンドンと叩き始めたら、やめられなくなってしまった。
    右手のサポーターに、祭りの仲間は、
    「パチンコやりすぎじゃないの?」と言った。
    「タイヤを交換する時に・・・」と事実を言ったら笑われた。
    年だっけ仕方ないんてば。

    長男が一番太鼓に入った。
    私にこの超重たい滑車付きの太鼓を押させないために、
    彼が太鼓を押してくれた。
    私が太鼓を教えて可愛がったHやIも交代で太鼓を押した。
    「こんげに重てかったんけ。」
    十何年の私の苦労をやっと分かってもらえたようで嬉しかった。

    「ほれ、代わるて。」
    私が長男に代わって、クレージーな太鼓を叩き始めた。
    トランス状態。とにかくルールもへったくれもない燃え上がる太鼓だ。
    笛に合わせる。そのリズムと心とがしっくり行くと至福の時なのだ。
    これは、叩いた者にしか分からない。
    しかし、あまりにも型破りな親父の太鼓は、やっぱり長男には?だった。
    「親父、何してん?」
    彼が叩くと、正統派の昔ながらの名人の響きだった。
    「うまいなぁ」と、親父の私が惚れぼれする。
    彼は、小1からこの太鼓に加わり、万代太鼓のチームにも参加していた。

    「おいクマさん、息子いいね。リズム感あるて」と、太鼓の師匠がべた褒めだ。
    この師匠。絶対に私の太鼓の音色を褒めてはくれない。
    息子に対する誇りと共に、少なからぬ闘争心がメラメラと燃えて来た。
    しかし、私の太鼓は芸術的?で、これは山ノ下の祭りの太鼓ではないと理解されない。
    自分なりに魂込めて叩いていても、やっぱり太鼓は難しい。

    実は、宵宮でこの親父は自信を喪失して、太鼓を思い切り叩けなくなってしまったのだ。
    迷っていた。これでいいのか。私はこう叩きたい。でも、長男が上なのだ。
    親父は、謙虚になって、長男の太鼓の響きにだけ耳を傾けた。
    私のスタイル。長男のトラディショナル。
    しかし、迷いは今日、ふっ切った。

    やっぱり私が叩きたいように叩くことが一番なのだ。
    借りものでもなく、よそものでもなく、自分らしく叩くしか道はないのだ。
    ということで、長男には呆れられながら、本日、私を通させててもらった。
    超気持ちいかったです。

    町内への帰りの太鼓は、長男と二人で叩いて帰って来た。
    一番太鼓を親子で叩ける。
    こんな幸せってあるだろうか。
    小学生の長男を連れて太鼓修行をした頃が懐かしい。
    その長男が大学生になって、戻って来てくれた。
    しがない親父は、未だに太鼓を押して、へたくそな太鼓を叩いている。
    でもね、それを優しく見守ってくれる長男がいてくれるんさ。

    私は、涙が出るほど嬉しいてば。
    「父さんの太鼓、どうらった?」と、恐る恐る聞いた。
    「最後のは、いかったんじゃないの」と、優しい先生なのだ。
    ありがとう。ありがとう。ありがとう。Nちゃん。
    父さんもこれからも太鼓修行を続けるから、
    ぜひ秋祭りにも参加してくれ。

    親父は、ありがとうと書いた封筒に1万円を入れ、
    私の心からの手紙を添えて彼に渡した。
    その分、親父は今月飲み会を減らすぜよ。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年04月28日 06時30分39秒

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    コウモリの話

    これ、本当の話。
    木曜日の夜、十時頃のことだった。
    私が水を飲みたかったので下に降り、
    父と母とが炬燵で寝ているリビングに入ると。
    暗闇の中を何か小さな物体が飛行しているのだった。

    黒くて、羽を広げたその小さな物体を見て、
    私は、「何だこれは」と思わず叫びそうになってしまった。
    その時には素早く、時にはひらひらと舞い飛ぶその姿こそ、
    今はこの辺りで観られなくなったコウモリそのものだった。
    「何で、コウモリが飛んでいるんだ」
    私が子どもの頃は、夕方になるとあちらこちらにコウモリは飛来していたものだった。
    まったく姿を消したその本物が、
    どうして我が家のリビングで飛んでいるのか。
    まさにアンビリーバボーだった。

    それよりも何よりも母に気づかれてはならなかった。
    何よりもこんな物が飛んでいることに気づいたら気絶すること間違いないからだ。
    まず、妻と次男とを呼んだ。
    「おい、来てみた。ひっで珍しいもの見せてやるぞ。」
    二人は台所の柱に止まっているコウモリを見て、目が点になった。
    「どこから入って来たん。」
    実は、全ての窓や扉は閉ざされ、ここは密室になっていたのだ。

    「おい、捕まえるぞ。」と言ったものの、
    やっぱり立場上、捕獲担当は私しかいないことを自覚した。
    エノチカのワインが6本入る縦長の段ボールのことを思い出した。
    私はさっそくその段ボールを両手で持ち、そーっと近づき、素早く捕獲し、口を閉めた。
    「やったぞ。」「戸を開けろ。」「ほれ、逃がすぞ。」
    私は、箱の中のコウモリを庭に出した。
    すると突然妻の悲鳴が・・・。
    何と箱から飛び出したコウモリが、空けていた戸からまたするりと入りこんだのだ。
    「何で戻って来るんだ。」私の驚きと絶望の叫びも空しく、
    コウモリは、また台所を飛び始めた。
    アンビリーバーポー。

    しかし、このままにしておくわけにも行かず、
    とにかく再度捕獲に挑戦することにした。
    同じ柱に止まったコウモリを、またエノチカの段ボールで捕獲に成功した。
    何だかコウモリを捕まえることが上手くなった自分が嬉しくもあった。
    「捕まえたぞ。戸を開けれ。今度はすぐに閉めるんぞ。」と、私は誇らしく妻に指示を出した。
    箱の口を開き、強烈に何度かゆすぶってから、
    「閉めれ」と、戸を閉めた。
    私のミッションは、成功した・・・・かに見えた。

    私は、一つの大きな仕事を終えた安堵感と充実感に浸りながら、
    この段ボールを階段の踊り場に戻して、部屋に入った。
    パソコンに向かいながら、どうしてコウモリが我が家に入って来たのか推理していた。
    すると、妻がそっと戸を開けて、呆れるように私の顔をまじまじと見ていた。
    あの見事な仕事ぶりのどこに不服があるのかと、彼女を見返すと、
    衝撃的なことを妻から伝えられた。
    「お父さん、あの箱の中にまだコウモリいたよ。」

    「なんだーーーーーーーっ、そりゃーーーーーっ。」
    信じられるだろうか。
    妻が階段を上がると、箱の中からごそごそと何か動く音が聴こえたそうだ。
    まさかと思いながら、そーっと覗くと、何と先ほどのコウモリだった。
    「お父さん、私が逃がしたよ。」妻は、そう言って、扉を閉めた。
    「アンビリバボーーーーーーー」

    私はコウモリを捕獲した頼もしい親父ではなく、
    コウモリに化かされた愚かなる親父だったのだ。
    今でも底をついている親父の権威は、地中深く埋没してしまった。

    うーーーーん。コウモリめぇーーーっ。

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  • from: クマさんさん

    2012年04月28日 05時45分04秒

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    太鼓が叩けるぞ?

    今週は、この右手首の話ばかりだった。
    一週間、とにかく痛みは続いた。
    本日、山ノ下祭りの宵宮だ。
    強烈なビートで、クレージーに太鼓を叩ける日なのだ。
    酒びたりの二日間だが、
    私にとっては太鼓を叩き続け、へとへとになれる至福の二日間だった。

    諦めきれない私は、昨日K整形に行った。
    この先生、私が来ると笑うのだ。
    いつもお世話になっているのは、走りすぎでの足の故障だった。
    大会前にハードにトレーニングをすると、
    この年だから、やっぱりどこかに不具合が起きるのだ。
    「今度は、どこですか?」
    「まぁ、いつものように走りすぎですね。」
    湿布は山ほど処方される。その湿布には助かっている。

    私が診察室に入ると、「おっ、また来たなぁ。」という顔で私を見る。
    「実は、右手首をねん挫しまして・・・。」と言うと、
    へーっ、足ではないんだと、意外に思ったようだった。
    私の故障は、いつもいつも自己責任と使い過ぎだった。
    すぐにレントゲンを撮り、また二人でしげしげと手の骨の写真を観た。
    「ここに隙間がありますね。ここには軟骨があります。」
    「骨には異常がありませんね。まぁ、使い過ぎでしょう。」

    私は、ほっとして、恥を忍んで先生に聞いた。
    「先生、私山ノ下祭りで太鼓を叩いているんですが、明日、叩いても大丈夫でしょうか?」
    先生と看護士のお姉さん、その話に「えっ」と言うしばらくの間があった。
    そして、声を出して笑いながら、
    「仕方ないでしょう。ただし、痛みますよ。」と言ってくれた。
    「ありがとうございました。」と、頭を下げた。
    診察室を出る時は、天にも昇る気持だった。

    どうしてこんなに馬鹿なのかと、自分のことを想うことがある。
    帰りにコダマに寄って、サポーターを購入した。
    右手首は、まだ捻ると痛いのだ。
    でも、K先生がいいと言ってくれたので、太鼓は叩かせてもらうことにする。
    宵宮で会おう。

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  • from: クマさんさん

    2012年04月27日 05時40分25秒

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    人は、人によって

    左手には湿布を貼り、包帯を捲いてガードしている。
    少し捻るだけでも痛みがある。
    やっぱり明日からの祭りでの太鼓は無理なのだろうか。
    この時のために燃えているのに。
    その太鼓を叩けなくなった自分が何とも情けない。
    手首をねん挫した記憶は、私の人生には載っていない。
    なのに、祭りの一週間前にこの始末だ。

    〆切が迫っている仕事があった。
    それはそれで分かっていたのだが、
    どうしても〆切ぎりぎりまで動こうとしない。
    この年になると、どうも若い頃と違って仕事が回らないような気もする。
    木曜日、とにかく書類作りに爆走した。
    初めからやり直しがその時分かり、
    目の前が真っ暗になった。
    疲れ、疲れ、疲れても、どうにかしなければならない仕事だ。
    この時ばかりは、自分のいい加減さを恨んだものだ。

    昨日も8時まで忙殺されていた。
    だから、自宅に帰ると、疲労困憊の毎日だった。
    車庫のシャッターを開ける時、右手に痛みが走った。
    これもやっぱり情けなくとも、私なのだ。

    菊水一番搾りは、そんな私の必須のアイテムだった。
    夕食を食べる。何気なくテレビを観る。ちょっとだけ会話する。
    それから、自室に籠り、「アテルイ」を聴き、脚本を書き直している。
    10月の東区文化ホールで上演する物語の脚本だ。
    その合間に、山ノ下の「水土芸術祭」のポスターの原案を見つめて考えたりする。
    いつの間にか赤ワインが効き、物語の世界に没頭する。
    時代は大化の改新の頃。
    私は、太古の森の守り神になる。
    これも、私だった。

    私とは、いろいろな私が居るものだ。
    そのいろいろな私に対して、やっぱり卑下したり、諦めたり、絶望したりすることもない。
    駄目な私も、情けない私も、やっぱり私なのだから。

    そして、そんな私でもちゃんと向き合い、愛してくれる人たちが居る。
    「大丈夫、大丈夫」「とんとん」と言ってもらえる。
    心配をして、「疲れたろう」と言ってくれる人もいる。
    私は、だから今週は生きられたのだと、感謝している。
    やっぱり人は、愛の中で支えられて生きているのだ。
    怪我をして、仕事に忙殺される日々に、そのことがつくづくよく分かった。

    昨日でこの掲示板190万人を達成することができた。
    後4回で私のこの発言は2000回に達する。
    私のような三日坊主の男にとっては、奇跡のようなことである。
    それもこれも、毎日チェックしてただく皆さんのおかげさまと、感謝している。

    人は、やっぱり人によって生かされているのだ。

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  • from: クマさんさん

    2012年04月26日 05時57分10秒

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    父と母の花見

    右手首の捻挫が治らない。
    これでは太鼓を叩くどころか、押すことすら難しい。
    やっちまいました。いつもタイミングの悪い男だ。

    昨日、夕方仕事をしていたら、妹からメールが届いた。
    何だろうと開いてみたら、
    父と母とが、大山台の桜の前に立って、笑顔での記念写真だった。
    「行ってくれたんだなぁ」と、嬉しかった。
    今年の桜は見事に頑張って咲いてくれていた。
    それは、父と母とのこの日のためだったのだと思った。

    来年の桜は、誰にも分からないのだ。
    今年は、花見ができた。
    それも愛する人と花見ができた。
    それはまた格別な思い出ではないだろうか。
    何故ならば、その花は散り、
    二度と再び愛する人とは、今年の桜を見ることができないからだ。

    花見とは、愛する人との一期一会ではないだろうか。
    残念ながら私は参加できなかったが、
    共に桜の花を愛で、語り合い、笑いあい、
    しんみりと想い合うことが、何だか花見の意味のように感ずる。
    あの年に、あの場所で、あの見事な桜を一緒に観たね。
    それは、流れゆく月日の中で決して消えない大切な思い出なのだ。

    願わくば、来年も満開な桜の下で、二人の笑顔の写真を撮りたいものだ。
    今度は、私がシャッターを押したい。


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  • from: クマさんさん

    2012年04月25日 05時49分52秒

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    従兄弟の帰省

    朝、起きられない日々が続いている。

    今週の土日に山ノ下祭りがある。
    太鼓をまた押して、叩くその責任者となった。
    しかし、この右手には湿布が貼られている。
    私のやることはそんなものだ。
    先週の土曜日にタイヤ交換をしたら、
    重いタイヤを持つ時に捻ってしまったのだ。
    右手は動かすだけで痛みが走る。
    情けないが、太鼓どころの話ではないようだ。

    月曜日に小新の親戚の家に行った。
    十何年ぶりに従兄弟が静岡から帰省したからだった。
    彼は、87歳の母を独りこの家に残しての単身で静岡だった。
    53歳。市場では夜中の2時〜働いているという。
    いつまでもその無理が効かないことは分かっている。
    帰って来いよ。そのことを彼に伝えるために彼の家に行った。

    エビスの缶ビールが次々と出て来た。
    刺身と魚介類、それにサラダと健康的な食事は、
    私が叔母にお願いしたものだった。
    もはや脂っこい物が体に毒となる年代なのだ。
    叔母と従兄弟と私とで、しみじみと昔の桃山町にあった叔母の家を語った。
    貧しかったなぁ。どこの家も同じだったなぁ。
    のんびりと生きていたなぁ。ゆったりと時間が流れていたなぁ。
    そして、亡くなった叔父や叔母の話になり、
    親戚が集まって餅つきをしたり、味噌煮をしたりした話になった。

    親戚が集まり、わいわいと酒を飲んで語り合った。
    子どもである私たちは、それを見て大人を学んだ。
    だから、こうして十何年会って居なくても、
    昔のままに語り合えるのだ。

    今、世の中からそんな親戚づきあいがなくなってしまったようである。
    それにしても、酒には弱くなっている。
    この右手の捻挫もそうだが、
    無理が効かない体になっているようなのだ。

    彼は、叔母を独り残して、今日静岡に帰るそうだ。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年04月21日 07時03分32秒

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    がーん ワイングラスが

    やってしまった。
    昨日パソコンをしながらワインを飲んでいたら、
    ひょんな拍子から、ワイングラスを落として割ってしまった。
    このグラスは、次男が小学5年生の時、
    学校のバザーで買って来てくれた宝物だったのだ。
    私はこのグラスで一生ワインを飲み続けようと思っていたのに・・・・。
    本当に酔うと失敗だらけだ。

    子どもたちとの思い出の品は、
    親父は密かに宝物のように大事にしているのだ。
    それは、こんな親父でも心の片隅に置いてもらえた証でもあるからだ。
    修学旅行のお土産なんか、特に楽しみに待っている親父だった。
    ところが、ガーン。
    一つももらえないこともあったのだ。
    「父さんのお土産はないの?」とも聞くのも情けないが、
    「やっぱりこういう時には、家族にお土産ってものを買って来るものだよ」と、その時教えた。

    私が毎朝飲むコーヒーカップは、長男が修学旅行で買って来てくれた、
    ユニバーサルスタジオのマグマップだ。
    これは絶対に大切にしなければならない。
    長男と言えば、佐渡の修学旅行で百円ライターを買ってきてくれたことがある。
    その金色の佐渡の景色が描かれたカバーは、
    私の家宝として眠っている。

    次男が東京にコンサートに行った時、
    ほいと渡された携帯ストラップも、
    親父は大切に大切に保存してある。
    しかし、そのストラップを実際に使っていたために破損し、半分は存在しない。

    人には何でもないその一つ一つが、親父にとってはレアものなのだ。
    しかし、次のお宝を待っているが、一向に誰も私に買ってくれる気配はない。
    今は、この割れたワイングラスを見て、
    次男が「父さん、これ」と言って、
    新たなワイングラスをプレゼントしてくれないかと夢をみている。

    あるわけないか。
    あるわけないよね。
    でも、あったらいいよね。
    お願いだ。あってください。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年04月20日 05時26分26秒

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    長男の突然の帰郷

    さてさて、昨夜突然、長男が現われた。
    10時頃、玄関のチャイムが鳴って驚いた。
    出て見たら、長男がそこに立っていた。
    母がとても喜び、笑顔で迎えに出ていた。
    駅前のファミレスでのバイトの帰りに寄ったのだ。
    遅い夕食を作ってもらい、彼は泊まっている。

    彼もまた、母に育てられた孫である。
    私たちが16年前に村上からこの実家に越して来た。
    彼は大山保育園に入り、送り迎えは母の役目だった。
    私たちよりも長男と次男とは、
    父と母と一緒に過ごした時間が多いのだ。
    私も婆ちゃん子だったが、
    住まいが違っていたので、
    母が仕事から帰って来る間の婆ちゃん子だった。

    私たちが安心して子育てができたのは、
    母と父のおかげなのだと感謝している。
    愛情たっぷりに育てられた二人にとっては、
    心と体に沁み込んだ母の想いと優しさとを、
    きっと自分の心と体の元素となり、形作られていると感ずる。
    母はよく言ったものだった。
    「優しさを人には教えられない」と。
    それは、優しさとは、優しく育てられた人にしか持ちえないものなのだということらしい。

    長男も次男も、優しい子に育っている。
    反抗期真っただ中の次男は、私には口もきかず、時には睨むが、
    私が親父としての権威を捨てて、居ても居なくてもいい人になっているので、
    私がスルーすると、それまでだった。
    そう言えば、次男とは親子喧嘩がなかったなぁ。

    もちろん長男は、母のことが心配だからふらりと帰郷したのである。
    登校時に、母に「行って来ます」と声をかける次男。
    母の顔を見に、予告もなく現われる長男。
    優しさのスイッチは、入っていると、父は信じている。

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  • from: クマさんさん

    2012年04月19日 05時43分26秒

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    それしかできない

    昨日、母が病院に行って来た。
    薬が変わったと言っていた。
    もう抗がん剤は必要なくなったのだろうか。
    会話もお互いに少なくなった。
    父はうなだれたままだった。

    体がやっぱり原動力だ。
    体の健康を失うと、人は体が弱るだけでなく、心も共に弱るものだ。
    弱ると余計なことを考えて、もっと暗い気持ちになるものだ。
    そんな時は、やっぱり親身になって心配してくれる人がいることがありがたい。
    1ケ月の入院生活を経験しているCさんがしみじみと語っていた。

    彼が腰の痛みのために全く動けなくなった時、
    奥さんの献身的な看護と優しい言葉に救われたそうだ。
    弱る心の励ましは、やっぱり家族の言葉がけなのだろう。
    彼は、父を喪っている。
    「クマさん、心に来るよ」と、語っていた。
    とにかくそのショックと、喪失感で心がひどく傷んだそうだ。

    癌と言う病気は、家族にはそんな心の準備もさせてくれる。
    「私の父は1年と言われても、10年生きたよ」と、ある人が教えてくれた。
    そういうこともある。そういうことでありたい。
    昨日は、走ってお地蔵様だった。
    今回のことで、このお地蔵様と親しくなった。
    ある意味、心弱き私を支えて下っているのがこのお地蔵様だ。
    祈るしかできないが、安心するのだ。

    考えても駄目なことだらけだ。
    そんな中で人生を生きている。
    自分の思い通りには何もできない。
    そのことが年をとるとよく分かる。
    生老病死と四苦八苦

    その苦しみが当たり前だから、
    小さな喜びと出会い、
    感動と出会える。

    とにかく1日だけは生きてみよう。
    とにかく1日だけでも生きてみよう。
    失敗したっていいではないか。
    人に何と思われ、
    何と言われてもいいではないか。
    居ても居なくてもいい人として、
    その人の傍にいてやれば。

    ただ傍に居て、
    その人を想い、
    その人を愛すれば、
    それでいいのだ。

    今の私には、
    それしかできないからだ。

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