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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年10月31日 14時58分39秒

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    ぼーーっとして生きる。

    朝、やっぱり少し寝坊だった。
    身体の疲れと、酒の影響に、睡眠不足。
    その身体の反応に素直に従うことにしている。
    妻は実家の母と姉とで、山古志へ向かった。
    今夜は蓬平温泉に一泊するそうだ。
    この晴天の中で、紅葉がさぞや見ごろだと思っている。

    9時から、ヨガだった。
    休日の朝のヨガは、身体と心のリフレッシュにはもってこいだった。
    身体を使う。気持ちよくする。
    そのことと、爽やかな気分で一日過ごすことが一つになっている。
    身体と向き合う。身体の声を聴く。
    そのことは、まさに身体との対話なんだといつも思う。

    帰りに四つの町内を回り自治会長さんに文書を届けた。
    そうした仕事も、仕方ないけど引き受ける。
    そのことで、気分を重くしない。そうした仕事もさらっと流す。
    いつもそうやって自然体のままでいられることは、
    幸せなことなんだと、いつも感ずる。

    昨日のことはすっかり忘れた。
    明日のことは、どうにかなるさと、心配しない。
    今、ここ、自分では、感情をぶらさない。
    イライラしない。腹を立てない。くよくよしない。後悔しない。心配しない。
    それができれば、毎日笑って暮らせるはずだ。

    そんな日々の生活を通して、私は、修行を続けているような気がする。
    固い石の人たちが、多ければ、
    その人たちとは、かかわりを持たない。
    その人たちの集まりには、参加しない。
    それから、いろいろと言いたいことや、頑固な想いをもっている人もそうだ。
    その人は、とても強烈な圧力とパワーとを相手の人に発する人だ。
    相手がどんな意見をもっていようが、言うことは決定事項だ。
    まず、そうした人とは、かかわらないことにしている。

    それから、まぁ、ソーシャルの中では、いろいろなことを言われる。
    以前だったら、カチンと来たり、腹を立てたり、イライラしたりだ。
    しかし、今は、そうした言葉や態度をやり過ごすようにしている。
    ここで、反応したら、私の負けなんだ。
    その刺激に対して、即感情的に反応していることの何と言う虚しさかだな。
    だから、それを、さっと聞き流す。スルーする。
    それが、平和に生きるための秘訣だと感じている。
    だから、何を言われても、そのままにしている。
    反論はしない。ただし、言うべき時は、びしっと言う。
    それだけだ。

    「一日一捨」「一日一新」こんな言葉を小千谷のSさんが教えてくれた。
    本当にそうだなぁと、腑に落ちる。
    まず、捨てることだ。死人と同じになることだ。
    自分が死んだものとして、この世に現われていたら、
    どんなにか人に対して優しく生きられるものか、分からないからだ。
    一番初めに捨てなければならないものは、自分自身なんだと、私は、思う。
    そうすれば、何を言われても、例え、嫌味を言われても、平気なもんだ。
    だって、私は、死者としての私だからだ。

    日々新たには、私も大切にしている生き方だった。
    いつもいつも新たな気持ちで、興味・関心のあることに挑戦して行く。
    気持ちを切り替え、ものの見方や考え方を変えて行く。
    とにかく、いつもいつも自分でいられることを喜びと感ずる。
    Sさんは、愉快で愉快でしかたないから、歌を歌う。笑って暮らす。
    疲れたら休めばいいし、眠たかったら眠ればいい。
    それが、日々新たな生き方なんだと、私も感ずる。

    午後からは、疲れたせいか、何もする気が起きなかった。
    お昼に親子丼を作り、それを食べてから、
    洗濯をして、それを干し、干してある洗濯物をたたんで仕舞う。
    そして、今は、ぼーっとパソコンに向かってこれを書いている。
    天気は最高だ。
    山の紅葉は燃えるように輝いていることだろう。
    でも、私は、ここに居る。

    今夜は、6時から駅南で、懐かしい人たちとの集まりがある。
    そのために、こうして英気を養っている。
    何も無い。それで、いい。別に無理して出かけることも無い。
    そうやってのほほんと受け入れられることは、
    ありがたいことだと、私もやっと思える歳となったようだ。

    明日は、小千谷で角突きを観戦する。
    「途中の会」の企画だった。

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  • from: クマドンさん

    2020年10月30日 07時15分13秒

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    人生は、楽しいんだな

    不思議だなぁと、よく考える。
    他の人たちは、きっと「そんなことは偶然、偶然」と思うと思う。
    私は、何でも振り返ってみると、それを「不思議なことだ」と考えている。
    そう考えると、人生に無駄なことは一つもなかった。
    そのことにかえって驚きを感じている。

    この感覚は、歳をとらないと分からない感覚かもしれない。
    特に、定年退職。現役引退。ある程度の歳をとり、
    それなりに身体の衰え、老いを感じつつも、
    僅かな不自由を感じつつ、自分の好きなことをやって生きているそんな歳の人。
    まぁ、おかげさまで、私は、復活・蘇生して今があるが、
    とにかくあれやこれやのアクシデント・事故・試練・どん底・絶望の日々。
    今は、それがあったからの「今、ここ、自分」なんだと思えるような人とになった。

    こんなにものほほんと自分の人生を受け入れられるんだの驚きだな。
    確かに、世間からはいろいろ今も言われているには違いないが、
    その世間とのしがらみ・義理・責任をとっぱらったら、
    こんなにも清々して日々を生きられるのかと、驚いている。

    それから、欲が本当に少なくなっているなぁの感慨だ。
    今、買いたいモノ・欲しいモノが、これと言って無いこの現実。
    ぜひものが、存在しない。
    あれば助かるかなぁの、冬の長袖のTシャツくらいなものだった。
    つまり、あれも、これもと自分の欲望を増幅させることは、
    今、ここ、自分を欲求不満にして、不幸せにすることの元凶なんだ。
    まず、「あるだけで満足する」「足るを知る」「求めない」
    これって、やっぱり歳をとったおかげさまな気がする。

    ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」だった。
    あの映画を三度観た。
    観れば観るだけ意味が深く深く感じられた。
    一度だけでは、その感動の意味を理解できないものなんだ。
    おぼろげであったその意味は、二度目、三度目で、より確かなメッセージとなる。
    そして、63歳にして、やっとその「フルーツ」の意味が実感できた。

    また、50代では、そのフルーツを実感することは難しいんだ。
    つまり、その位置に立ってこそ、初めてそこにある言葉の意味を理解できる。
    フルーツとは、成熟ということだった。
    例え、身体が衰え、老いて行っても、
    精神や感性や好奇心をもっともっと豊かにして、
    人間として成熟したまま、この世を旅立って行きたい。
    私も、あの老夫婦のように生きて、死にたいと、今は思っている。

    つまり、歳をとることを、私は楽しみにしている自分だ。
    何故なら、歳をとらないと、分からないことがこの人生には多いからだ。
    身の丈に合った生活。足るを知る生活。穏やかで平穏無事な生活。
    そこに、本来、人は生きる味わいを感ずるものなんだ。

    しかし、ソーシャルだ。世間だ。世の中だ。普通だ。常識だ。
    そんな周りの価値観に縛られ、騙され、追われている内に、
    人は、その人生の貴重な時間を無駄にする。
    いや、意識しないで、上っ面、外面だけを気にして生きる。
    その生きるを決定するのは、自分では無く、他者からの評価・査定。
    その内に、アッ問に、定年退職。還暦を迎える。
    そして、気付くんだなぁ。
    「自分は、本当は何をしたかったのか」
    「自分とは、いったい何者なのか」と。

    まぁ、でもそんな立ち止まり、振り返りができる人は、まだ救われる人だ。
    それすらなく、80歳になっても「俺が、俺が」の人たちが多い。
    きっとその人は、この穏やかな平穏無事の日々の味わいを知らない。
    まだまだやれる。まだまだ名誉な仕事をやりたい。表彰状は目の前だ。
    でも、私は、もう、そこには居ない。
    全く生きることには、そこに居る意味を見出さない。
    これも、歳をとらないと分からないことだ。

    実は、FBの私のページに、毎朝、長文を書いている。
    それは、「定年退職をしたみなさんたちへ」なんだな。
    「還暦を過ぎたみなさんたちへ、日々をどう生きていますか」でもあるな。
    「みなさんは、幸せですか。幸せをどんなことと感じていますか」でもあったな。
    またまたクマが余計なことをと、思っている人も多いとは思う。
    でも、ある日、考えた。
    こうして還暦を過ぎて日々をどう生きて行くのか、
    いろいろと迷ったり、悩んだり、考えたりしている人たちも多いはずだ。
    そしたら、クマはこうしてあっちこっちぶつかりつつも、日々を生きています。
    そんな細やかな情報発信も、ありかなぁと、思ったからだ。

    これは、自分の還暦からの記録の為に書く。
    これは、「今、ここ、自分」をぶれずに生きるために書く。
    これは、「ああ、生きて来ていかったなぁ」と思える日が来るために書く。
    書くとは、それだけのためのこと。

    そうやって、64歳の私。65歳の私・・・・80歳の私だな。
    その内に、もっといろいろなことが分かると思う。
    そして、その度に「歳をとらないと、分からないだった」と、
    そのことを実感・体感した喜びを重ねて行きたいと思っている。

    死ななくてよかった。
    生きて来られてよかった。
    昨夜もカンポスで、役者さんのHさんと愉快な役者談義で盛り上がった。
    これも、生きていればこその話。
    私がシェークスピアの台詞を歩きながら稽古しているおかげの話。
    みんな生きていなければ、味わえない、人生を生きることの楽しみなんだな。

    さてさて、本日も始まり、始まりだ。
    呑んだ割には、身体の調子もいいようだ。
    さっきから雀たちが煩いように餌の催促をし続けている。
    雀たちにも一日が始まり、始まりだな。
    御同行。
    まぁ、こうした仲間たちがいてくれるから、生きられるような気がする。

    明日は、休みだ。
    懐かしい人たちに会える会がある。
    人生、楽しいことに充ちているなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2020年10月29日 07時11分20秒

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    大人は、子ども。子どもは、大人。

    「理解することは、愛することでないか」

    私は、今、相手のことを理解することの大切さを感じている。
    「どうして、そうなんだ」
    「なんでできないんだ」
    「言われたようにしろよ」
    これは、まさに言葉の暴力だ。
    しかし、人はそうやって相手が自分の思う様に動かないからイライラとする。
    自分のことだけを考え、自分の考えや想いだけを優先させる。
    「俺の言うことをきけ」だな。

    かって学校現場で、そんな場面に出くわすことがあった。

    「ちょっとまってくれ。それっておかしいよ」だった。
    それは、相手がやってはいけないことをやっていた時、
    確かに、注意するし、時には厳しく叱ることもある。
    だが、そのことが全く反対の結果をもたらすことを知らずに、
    そうした一方的な指導をやり続けている人を見ると、
    「ああ、分かっていないんだなぁ」と、辛くなる。

    その子は、走る。動く。テーブルをまたぐ。ロッカーに乗る。
    その動きがルーテーンで、その動きをしながら大人の気をひいている。
    そのことを大人が黙って見過ごしてくれると、
    自分の気持ちを理解してくれたと感じて、おとなしくなる。
    心が穏やかに、鎮まり、集中して学習や遊びに向かう。

    ところが、その途中で過干渉や、暴力的な叱責が入る。
    すると、むらっと来る。イラッとなる。カッとする。
    それから、その行動は異常に強化され、激しくなっていく。
    それを見て、また、叱る。それも、つけ放したようにガンとやる。
    もう、彼は、元には戻らないだろうなぁと、私は思った。
    彼のその暴力的な行動を強化しているのは、彼とかかわっているその大人なんだ。

    彼が相手の嫌なことを知っている。
    だから、わざと相手を怒らすようなことを言う。
    「ばか」「いゃだよ」「やらないよ」だな。
    または、パンチやキックの真似をして威嚇する。
    それに、一つ一つ丁寧にその大人は過敏に反応をしてくれる。
    「何言ってんだ」「そんな言葉使っていいのか」「やめなさい」と怒鳴る。
    それは、その大人のプライドが彼に傷つけられたからだった。
    そんな言葉をみんなの前で言われた自分。
    その時の怒りは、彼のための怒りではない。
    自分のプライドを守るための怒りである。

    彼はそうやって何年も大人たちから扱われて来た。
    「困った子だ」「どうにもならない」「疲れてしまう」と、
    彼に対して否定的な心情をその大人たちは持つこととなる。
    それは、彼が、いっこうに言うことをきかず、好き勝手をしているからだ。

    しかし、よく考えてもらいたい、そうした厳しい対応で、
    彼の行動が少しでもよい方向に変容しているのかという「問い」だ。
    自分のいうことをちゃんときく子は、善い子で、
    自分がいくら注意してもいうことをきかない子は、悪い子だ。
    だから、教育的な配慮で彼に対しては厳しく指導する。
    しかし、その中に、大人の感情が入っていませんかだった。
    大人は、子どもから馬鹿にされたと感ずると、突然怒り出す。
    感情が入ることで、本当にその子に伝えたいことが伝わらなくなる。
    何故なら、怒鳴られた子どもには、恐怖か、反発、怒り、憎しみだ。
    きく耳をもたせなくしているのは、その大人の態度なんだ。

    日報に不登校の中学生女子生徒から投書があった。
    担任の先生が、いつもいつも怒鳴って、不安で、怖ろしいとの話だった。
    それは、確かにクラスをよくしようというその先生の本気さの現われ、
    そう彼女は先生のことを理解しているが、
    その怒鳴り声が響く教室には、居たたまれないものを日々感じていた。
    そこで彼女は、不登校になった。
    次の担任は、怒鳴らない先生だ。
    だから、少しずつ彼女も気持ちを切り替えて保健室登校をした。
    確かにその先生は彼女には笑顔で優しそうに声をかける。
    しかし、彼女が不登校であり、自分が余計な仕事でふりまわされることを、
    先生はとても嫌だと感じていると、彼女は理解している。

    「大人は、子ども。子どもは、大人」何だな。

    私は、やっぱり「理解することは、愛すること」だと思う。
    その理解には、必ず、相手の考えや思い、行動や人格に対する、
    リスペクトがあるからだ。
    だから、理解するためには、じっとじっと観察する。探究する。研究する。
    すぐには判断しない。
    その本人すら気付いていない深味まで、探る。考える。想い続ける。

    そうすることで、分かることは、とても簡単なことだ。
    「この人と、私は違う人だ」ということ。
    そして、
    「この人はこの人の生き方をするし、私は私の生き方をしている」ということ。
    だから、
    「俺の言うことをきけ」「お前は駄目だ」「お前のことを何とかしろ」ではなく。

    「そうか、そう思っているんだな」「ああ、このことをやりたかったんだな」
    「すごいなぁ。こんなこともできるのか」「へぇ、優しい子なんだ」と、

    その子すら、大人たちに荒らされてぐちゃぐちゃになってい自分だから、
    気付けなくなっていことを、ちゃんと気付き、発見して、
    「ほら、こんなにすごいんだよ、君は」と、言ってあげられることが、
    「理解」するということではないだろうか。

    子どもは、親の持ちものではない。
    子どもは、大人の言いなりにならなくてはならないものでない。
    子どもは、1人ひとりちゃんと考え、思いをもって行動している。
    その子どもを、認めてやりたい。
    まず、子ども自身に判断させ、決断させ、自由に生きられる喜びを味わわせたい。
    大人は、子どもの味方になればいい。
    子どももの思いや気持ち感情の代弁者であり、理解者であればいい。

    その子どもの存在そのものを、あるがままに尊重する。
    それが、「理解することは、愛することだ」。
    そうやって尊重された子どもは、どう生きようとするか。
    それは、尊重された時の自分自身を考えればよく分かる。

    怒鳴る。叱責する。攻撃する。否定する。「いらない」と言う。
    無視する。相手にしない。馬鹿にする。暴力を振るう。

    「大人は、子ども。子どもは、大人」

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  • from: クマドンさん

    2020年10月28日 07時14分20秒

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    ここが舞台なんだ

    昨日から、ウォーキングを再開した。
    気持ちよい移設になり、汗もかかずに、
    爽やかな気分で歩けることが何よりも嬉しいことだ。

    歩きながら、リーデングの台詞のコピーを読んでいる。
    その台詞を覚えるためだった。
    今回は抜粋であるから、その量は大したことはなかった。
    しかし、なかなか濃すぎる台詞だ。

    「あの恐ろしいことをしでかしてしまったメディアめは・・・」
    「この手で、お前を八つ裂きにしてくれる」
    そんな台詞を、黄色いタオルを被り、サングラスの私が、
    本気に役になって声を出して演じながら歩いている。
    変なやつだと、車で通る人たちは、思っていることと思われる。

    しかし、歳なのか、覚えが悪くなったような気がしている。
    「しでかす」とか、「免れる」とか、
    使い慣れていない台詞が、どうしても頭に入らない。
    覚えることは、脳で記憶するという簡単なことではないらしい。
    何十回と言いながらも、その次にもやっぱりその言葉が出てこない。
    しかし、焦らず、くさらず、忘れたのなら、紙を見てやり直すだけ。
    そう考えると、楽になる。

    「メディア」の中のアルゴ船の英雄イアソンは、
    なかなか恐ろしい男だった。
    その残忍さ。復讐に燃える怒り。殺そうと言う憎しみ。
    それを全部この台詞にぶち込む。
    そう考えると、この「しでかす」一つでも、
    どう言ったらよいのかの「問い」となる。

    つまり、譜面に書かれたオタマジャクシを、
    どうやって歌とするか、楽器で演奏するかだな。
    つまり、一つの音をどう表現するか。
    それは、弱くか、強くか、優しくか、きつくか。
    ここに様々な形容詞が浮かんでは、消える。

    私が居るのではなく、イアソンがメディアを殺しに来たのである。
    そのメディアがここに居なければ、何をやっても嘘になる。
    そうやって考えると、語るその言葉の表現とは、
    とてもとても無神経でいられないものとなるのではないだろうか。

    「おはよう」をどんな表現で言っているか。
    実は、そうした日頃の会話・対話の言葉の表現を、
    私は、あまりにも無意識で行い過ぎているのではないのかの「問い」だった。
    その言葉に、気持ちがあるのか。
    「その言葉に、愛はあるのか」というCMがあったが、
    よくよく考えたら、深い言葉なんだとの自覚だった。

    言葉の先に、気持ちはあるのか。
    または、その言葉を通して伝えたい気持ちや想いとは、何なんだ。
    そして、それを伝えるための効果的な表現を選んでいるのかと。
    そう問われると、「うーーーーん」と唸らざるを得ない私だった。
    そうだよな、その言葉でどんな気持ちや想いが伝わっているのだろうか。
    この言葉の言い方は、それを伝えるためにベターなのか。
    ちゃんとこの言葉で、相手の心には届いているのか。

    そうやって考えたら、確かに、日常会話は舞台の台詞ではないが、
    やはり、気持ちや想いを伝えるためには、
    もっともっとこうしたものの言い方の吟味や探究が必要なのではないだろうか。
    言葉をおざなりにしない。
    言葉の言い方、表現の仕方を大事にする。
    そして、その言葉を、台詞のようにして言ってみる。稽古する。
    ああ、このことを、私は、すっかりと忘れていたなあ。
    いや、気付いてもいなかったなぁだった。

    「ありがとう」その一言が、深くなるのも、浅くなるのも、
    やっぱりその瞬間の気持ちであり、思い何だな。
    そのことを、この歩きながらの台詞の稽古は教えてくれた。
    日常会話で使う言葉の吟味と探究。
    その稽古も大事なこととして意識することだった。

    それから、私は、歩きながら、豹変している。
    というか、イアソンも、私なんだな。
    つまり、私は、これが私だと限定できないのが私なんだとの気付きだった。
    私は、「こういう人なんだ」と、言うのは、
    私だけの勝手な思い込み、自己理解に過ぎないかもしれない。
    私は、あの残忍で傲慢で単純沸騰男のイアソンではないと思っているのは、
    それは、私だけの間違いで、
    本当は、私は、イアソンであることもできる私なのではないのかの気付きだ。

    彼は、メディアにこてんぱんに踏みにじられ、どん底に落とされる。
    その惨めで、哀れで、どうにもならぬ無力なぼろきれの男ともなる。
    そのイアソンも、私なんだな。
    その時の絶望の闇からの叫び。雄叫び。悲痛なる嘆き。
    それを言うことは、ある意味、私にとっては快感であり、喜びでもあった。

    本当は、人は、自分が思いこんでいるその自分だけではないのではないのか。
    自分の中には、このイディアも居て、イアソンも居る。
    ただ、その二人が登場する環境で、舞台でなかっただけの話ではなかったのか。
    私は、イアソンを演じながら、この男が大好きになっていた。
    というか、一体なんだな。
    イアソンが語るのではなく、私が語るんだ。
    それは、私の中のイアソンと言うよりか、私自身なんだと感じている。

    台詞が練れるとは、そうやって自分の心と身体に稽古によって練り込まれ、
    言っているのか、言わされているのか、言いたいのか、言うのか、
    その言葉そのものに、成ることの快感、そんな感じかな。
    不思議だなぁと、そんな時、いつも思う。
    この台詞が、楽しい。味わい深い。ある感慨をもって一つになる。
    そのことを、S先生は、私に教えようとする。

    それは、豹変ではない。
    新たなる自己理解の領域に入ったということだ。
    だから、イアソンは、私になった。
    でも、この私は、やっぱり、この私のままでいる。
    不思議なことだが、妻から見る私。長男が見る私。次男が見る私。
    みんな違っている私だ。
    私もそうだ。
    日によって私のことを対する見方・感じ方は、変わっている。

    それでは、この私を、私てして見ている私とは、どんな私なんだ。
    私が、私のことを対象として、ある意味客観として判断しているこの私。
    その私は、どこのどういう私のことなんだ。
    不思議だが、そうやって考えると、
    私は、私が考える私や、妻や子どもたちが見ている私や、
    友人たちにそう思われている私や、職場でかかわっている人たちにとっての私。
    本当は、いろいろな違った役の私が居て、
    私は、私を演じながら、日常を生きているのではないのか、私?

    その多様なる役としての私と、このリーデングでの経験は出会わせてくれた。
    「ギリシャ悲劇は、神の視点で書かれている」と笹部さんが言っていた。
    つまり、この私を私としているのは、私として私を見つめる神の視点。
    つまり、私は、私としての多様な役を、日々、役者として演ずることなんだ。
    そう考えると、生きることが、少し楽になるような気がする。
    それは、私が私から与えられた役なんだ。
    それは、私であって、私ではないかもしれない私なんだ。
    その私を、私は、無意識に演ずることが生活することだと信じていたんだ。

    しかし、イアソンのように与えられた役であるのなら、
    その役を日々気持ちよく演じよう。
    そして、その気持ちよさとは、神の視点の私が心地よいから、
    私自身が無意識に感じられる快感であるのかもしれない。
    「どうしてこの私であるのか」
    「どうしてこの私でなくてはいけないのか」
    本当は、そうではなかったはずの私を、私が演じ続けているとしたら、
    それは、私を私として生きていることになるのかの「問い」だった。

    たった、その数行の台詞を歩きながら覚えようとすることで、
    こんなこともで深く深く探究できた。
    それが、役者の面白さ。
    「あなたの中にメディアはいるはよね」と、S先生。
    「いません。私は、こんな女では絶対ありません」
    そう言ってしまったら、それまでの人。
    きっとその人は、自分だと信じ込まされてきたその人を60年以上演じて来た人。
    しかし、本当は、その人の中にもメディアは生きている。
    ただ、そのことが無意識に蓋をされているに過ぎないと、私は感ずる。

    「心は望む 希望を愛を、勇気をおくれ 素敵に言葉を おいらにおくれ」

    「言葉があればどこへも行ける 世界の葉て 冒険の旅 絶望の頂き 悲嘆の淵
     悲しみはみんなのもの 苦しみはみんなのもの」

                       シェークスピア 
    ここに舞台がある。
    ここは私の人生そのもの。
    そんな不思議を台詞を言いながら味わっている。
     

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  • from: クマドンさん

    2020年10月27日 07時16分59秒

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    「人生フルーツ」なんだな

    何だかね。受け入れることが多くなって来た。
    違いを、違いのまま、感情を入れずに受け入れる。
    「私は、私」「あなたは、あなた」だ。

    今朝のラジオで上越市出身の落語家 白鳥さんの話だった。
    まぁ、面白い話のオンパレードだった。
    日大芸術学部文芸科卒業だ。
    学生時代は、空手部に入れられ、しごかれ、フェイドアウトした。
    とにかく貧乏で、家業を継がないと宣言したら、実家からの送金が断たれた。
    食うことがやっとの中で、一冊の落語家の本と出会った。
    そして、師匠の元に入門した。
    いつの間にか、自分は落語家になっていたという話だ。

    振り返ってみたら、人生に無駄なことは何もなかったということがよく分かった。
    もし、自分が空手部の落ちこぼれでなく、
    貧乏でパンをかじって生きていた時代が無く、
    彼女もいない、惨めな青春を味わっていなかったら、
    今の、創作落語のネタの足しにするものが無いとの話だ。

    失敗談。苦労話。人情話だな。
    ただうけて笑わせるだけでは、よい噺家とは言えない。
    何だか観終わった後に、しんみりと、じんわりとだな。
    そんなことを感じさせられる噺家になりたい。
    そこで、彼は、創作落語を専門に学び始めた。

    本家本元か言わせれば、「あれが、落語かい」「馬鹿にするんじゃないよ」だった。
    真打のベテランの師匠からは、こてんこてんとやっつけられる。
    「古典でしょ。何が、創作だい。恥さらしだよ」と、相手にもされない。
    まぁ、とことんやっつけてくれる師匠もいる。いる。
    それでも。めげない。やってやろうと、意欲を燃やす。
    それは、この創作にもお客様の心をつかむ真価があると信ずるからだ。

    私が一番感動したことは、
    「お山は、一つじゃないということですね」だった。
    「みんなそれそれがそれぞれのお山を登っています」
    「それなのに、他の山を登っている人を、とやかく言うのは、間違っているのでは」
    「それぞれが、それぞれの山を登る」
    「他の山のことは、言わない、ほっておく」
    これができないのが、日本人の爺たちだということだった。
    そのことには、私は、深く深く共感だった。

    違ったものを、違ったままに、しておく。
    せめてもは、そこだった。
    それなのに、違ったものを許せないからと、陰口・悪口の批判の対象。
    自分が気に入らないからと、ただそれだけで相手のことを悪く言う。
    生き方は千差万別、みんなそれぞれ生まれも育ちも違っている。
    ならば、考え方も、生き方も、みんな違うことが当たり前。
    なのに、野暮な都市よりは、こう言うものだ。
    「あいつは、なんだ。勝手なことをしやがって。許せねぇ」だな。

    何で、あんたの思ったように生きなければならないんだい。
    何で、あんたは、俺の言うことをきかないと、威張っているのかい。
    あんたも、その違った千の一人にしかすぎないのだよ。
    どうして、いい歳をして、そんな簡単なことが分からないのか。
    それは、どんな道に入っても同じことだと、今でも実感だ。

    私が、大嫌いな言葉に「普通」「と「みんな」と「常識」とがある。
    ある人たちは、この言葉を使って私のことを批判する。
    私がやっていることが、普通ではなく、みんなと違って、常識が無いとのこと。
    私には、そのことが私に対する褒め言葉に聴こえるが、
    とにかく、その人は、私が「分からんちん」だと、決めつける。

    そんな時、いつも思う。
    「その普通という生き方をしている人を、ここに三人連れて来い」
    「みんなという人を、ここに三人連れて来い」
    「私は常識で生きているというその常識人を連れて来い」
    つまり、この「普通」にも「みんな」にも「常識」にも、
    確たる実態や実質が存在せず。
    数量化どころか、言葉ですら証明できない幻なのだと本人は気付いていない。

    それはそうだろう。
    その本人は、この「普通」「みんな」「常識」から外れることを恐れ、
    とにかくその枠の中を生活範囲としてとらえて、
    真面目に、こつこつと他者の評価を受けながらそれなりに生きて来た人だからだ。
    つまり、その人は、自分が勝手に架空に想定した、
    「普通」「みんな」「常識」から。抜け出せず、その他の生き方を考えられず、
    実体も実質も無いこの幻だけをずっと信じて生きて来たということだ。

    さてさて、そこで問題になるのは、「自分」という存在だ。
    その人は、他者の評価ばかり気にして、
    「普通」であり、「みんなと同じ」であり、「常識」人であることだけに腐心した。
    そうやって10代を生き、20代を生き、30代となってしまった。
    さてさて、その人には、独自の「自分」は存在するのかの「問い」だった。

    落語家の白鳥さんは、学生時代から、この三つの道を踏み外した。
    そして、自分なりに「こうなるか」と思いつつも、独自の道を歩き続けた。
    そして、落語家になり、新作落語に自分の境地を見出した。
    それは、学生時代に児童文学とかかわり小説を書いていた経験があったからだ。
    つまり、独自の道を歩み続けた彼には、
    誰でもない、自分だけの道が、歳をとるにつれて確かになって来た。

    時代もそうだった。創作落語・新作落語がアンダーグラウンドで日の目を見ない、
    そんな氷河期の時代も確かにあった。
    年季の入った師匠たちから、馬鹿にされ、片隅に追いやられ、相手にもされなかった。
    しかし、今では、お客さんはその白鳥さんの落語を聴くために寄席に集まって来る。
    もし、彼が、「普通」「みんな」「常識」の道を歩んでいたら、
    56歳で、このような自分の人生の物語を語ることはできなかったと、私は思う。

    「空手部の先輩にぼこぼこにされ、貧乏で、女もいない」
    「そんな青春をおくったおかげで、今が、あります」
    そうこなくては、自分の人生の物語なんか、生きることはできないということだ。

    親から言われたまま、言われたレールをとほとぼと生きて来た。
    親が怖くて、親に逆らえず、やりたいことを諦めてここまで生きた。
    親から「いい子だ」とほめられたくて、親の顔色ばかり窺って生きて来た。
    親が褒める人のように自分も成らねばと、よい大学に進学はした。
    親からの呪縛に苦しみつつも、反抗することも、家を出ることもできなかった。

    そして、30歳となった。
    それでもやっぱり「普通」「みんな」「常識」の道を選びたいのか。
    実は、このことにいつも反発を感じ、
    そうならない道があるはずだと、はずれっぱなしで生きて来た私は、
    おもっしぇ人生らったなぁと、よく感ずる。
    道を外れてよかったなぁと、寺山修二や坂口安吾。坂本龍馬のおげさんだ。
    しかし、同時代を生きた若者たちは、必死にそのレールの上を只管走っていた。
    私は、いつもその線路の脇の草原で、そうした爆走機関車を哀れに見つめた。

    「おいおい、本当の幸福の道は、この道の外にあるよ」
    「ただし、レールの上を何も考えずに走り続けることは確かに楽だ」
    「しかし、70歳になっても、いつもずっと普通でみんなで常識の私だよ」
    「それって、あなたがこの人生で臨んだ生き方なのかなぁ」
    「このレールを外れると、広大な原野と荒野だ」
    「でも、今度は、苦労はするけど、自分だけの道をつけられる」
    「その道は、あなたが生きた証。あなたの生き方そのものとなる」
    「その道を見つけられなかった年寄りが、あなたをいじめるのは仕方ないよ」
    「きっとあなたのことが羨ましいんだよ。だから、妬ましく、疎ましいんだ」
    「その年寄りには、その独自の道はないよ」
    「だから、あなたは、あなただけの道を切り開いてはどうですか」だな。

    つまり、お互いの違いを認められる人は、
    そうやって独自の道を自ら切り開いて生きて来た人である。
    「普通」「みんな」「常識」に呪縛され、騙され、信じ込まされ、
    そのレールを外れて生きることに恐怖すら感じて70歳になった人には、
    他者の違いを認めるだけの度量と了見は見に就いていないということだな。

    せめて、自分だけのお山に登ってくれ。
    せめて、他のお山の登山者をこきおろすことだけは、哀れだからやめてくれ。

    精神的に成熟するということは、
    きっとこの違いを違いとして理解して、認められる大人のことだと、
    私は、考える。

    「人生フルーツ」

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  • from: クマドンさん

    2020年10月26日 07時40分12秒

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    イアソンの本望

    腰の痛みが、まだ続く。
    それまでのようにすぐに前かがみにはなれない。
    かがむ時は、まっすぐに背中を伸ばして垂直に腰を下げる。
    どうしてそれまでは、こんなことをしなくてもしゃがめたのか。
    一体、腰の部分の何が劣化したのかと、考えた。
    こうして、身体は、日々、刻々とした変化だった。
    ということは、何不自由なく生活できる身体の時間とは、
    なかなか希有な、希なことではないだろうか。
    治ったら、刻々と感謝しつつ、歩きたい。家事をしたい。働きたい。

    土曜日の午後、リーデングだった。
    りゅうとの小さな会議室に、椅子が5脚並んでいた。
    「今日は、クマさん、しごかれますよ。覚悟ですよ」と、
    担当の男性に言われた。
    その覚悟は、ここにある。
    「台詞を言う」そんなことを稽古しに来た訳でない。
    「台詞に成る」それができるかどうかの「問い」だった。

    監督のSさんは、実に真摯で、厳しい人だった。
    それぞれに役を振り、その台詞を言わせる。
    それも、自らの口移し、口伝だった。
    Sさんが言う。私が言う。
    また、Sさんが言う。私が言う。
    こんなに親身になって教えを受けたことが私にはあったことか。
    とにかく、その繰り返しの中で、ある変化が起こる。

    台詞に乗るとでもいうのか、台詞だけになるとでも言うのか、
    今、私は、その所をSさんに試されている。
    3年前にギリシャ悲劇のリーデングのワークショップで、
    私はが体験したことだった。
    1日目、私は、台詞に成った。そこに、没入した。快感だった。
    2に目、私は、どこかで私が残った。すると、台詞に成らない。その違和感。
    私は、焦りつつ、不全感を感じつつ、長台詞を最期まで語った。
    しかし、Sさんは、ふっと溜息をついた。
    「残念だね。自分がいましたね。迷いましたね。昨日が、よかった」だな。

    台詞に成りきる快感。それは、あの1日目の私だ。
    その私が自分を遺したまま、台詞を語る嘘っぱち。不全感、いらだち、焦り。
    監督は、瞬時にその私の変化を逃さず、
    空気感が替わってしまったことを、残念に思い、ずばっと私を切った。

    こんなこと、一体、何を言っているのか、分からないと思う。
    私も、そうだったからだ。
    台詞は、私が語るものと思っていた。
    それを、私なりにどう語るかが課題なんだと思い込んでいた。
    しかし、本当は、そうではないのだ。
    台詞が先、私は、いらない。台詞に問われ、私がそれになる。
    「即」「間髪を入れず」「没入」
    その瞬間には、台詞があって、それを受れて語る私があるのではない。
    台詞・私。いや、台詞私のこの一体感なんだな。
    「それを、やってください」との、厳しい指摘だった。

    女性陣はメディアの役を与えられる。
    二人の子どもを殺してイァソンへの復讐に燃える女だ。
    しかし、そのメディアは、なかなかここに顕れて来なかった。
    そこには、Aさんがいた。Bさんがいた。Cさんがいた。
    それは、Aさんであって、残忍な復讐鬼のメディアではなかった。
    それが、理性なのか、性格なのか、思慮分別なのかは、分からない。
    そのままでは、メディアとは一体になれない。共身体にはなれないはずだ。

    では、どうするのか。
    つまり、ここで同じ台詞を何度も何度も言い切る内に、
    忘れて行くのは、そうしたここに生きている自分であり、自分の個性だ。
    「そういう人では全くない人」
    「そういう人に何か絶対になれない人」
    そう思い込んでいるあなたは、本当にその人だけなのかの「問い」だな。

    「あなたの中に、メディアは、いますね」とSさんは、誘いかける。
    すると、台詞に憎しみや怒りの力が乗り移る。
    いや、この台詞にはその憎しみと怒りが既に存在しているのだ。
    そして、その力が、この世に顕れようと滾っていた。唸っていた。
    その時、役者がそこに居る。
    そしたら、その役者にのりうつればいい。
    そして、役者は、そのままのりうつられればそれでいい。
    その、台詞と役者との転換と、即の一体感。
    主客同一のその快感。
    間髪はない。もし、少しでも自分があったら、それが「隙」になる。
    そのほんの小さな「隙」が、すっと弛緩するものを感ずる。
    「残念」と、Sさんは、思う。

    どこまで、いなくなれるか。
    どこまで、イアソンだけになれるか。
    これは、私にとっての大いなる試練だと感じた。

    内田樹著「日本辺境論」にこんなことが書いてあった。

    石火之機とは、間髪をいれずということ。

    自分がいるうちは、それを住地と言う。
    住地は煩悩である。

    不動智は、天下無敵だ。

    私の敵は、私である。

    共身体となる。
    多細胞の個々の細胞となる。

    呼びかけられたら、即答する。

    呼びかけの入力があったら、
    まさにその瞬間に生成したものとしての主体を定義しなおす。

    石火乃機を生成するものが、石火乃機の時間を生きることができる。

    最後のピースなんだ。

    そうすると、跳び込むことが可能となる。

    何を言っているのか、まだまだよくは理解できないが、
    今、私がSさんに問われていることは、ここなのだとは分かっている。

    「「石火乃機」とはそういうことです。「間髪を容れず」に反応できるというのは、
     実は、反応していないからです。自分の前にいる人と一つに融け合い、一つの
     共身体を形成している。その共身体の分属している個々の身体の動きについては、
     もはや入力と出力、刺激と反応という継起的な分節は成り立たない。理屈では
     そういうことになります。」

    「そのときに「敵を作らない」ということと「隙を作らない」ということは同義に
     なります。「万有は共生している」というのは道徳的な訓言ではなく、心と身体
     の使い方についての技術的な指示、とくに時間意識の持ち方についての指示なのです

    「右手と左手を打ち合わせて拍手すとき、共身体から枝分かれしている限り、右手の
     意識と左手の意識が「ずれる」ということはあれえない。そこにまったく同じ律動
     で時間が流れているからです。これが、「石火乃機」、「間髪を容れず」ということ
     です。」

    「主体の概念規定を変えるしかない」

    「呼びかけの入力があったまさにその瞬間に生成したものとして主体を定義し直す。」

    「あたかも、「右衛門」という呼びかけが最後のピースであり、それが「かちり」と
     嵌まった瞬間に、それまで存在しなかった新たな生命体がそこに生気を吹き込まれ
     て出現したかのように。」

    つまり、それがイアソンなんだ。
    さてさて、この課題は、私の人生そのものを変える課題となる気がする。
    あらたな生命体としての私に生気が吹き込まれ、
    そこに出現で来たら、それはイアソンの本望なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2020年10月25日 07時19分06秒

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    私は、私の物語を生きよう

    激動の10月だったな。
    昨日は、朝から「びっくり腰」になってしまった。
    腰に電気がびりっと、走った。
    そしたら、曲げられなくなってしまった。
    身体が不自由であると、なかなか日々の暮らしも大変なものだ。

    あれがあるから、これがある。
    そういう意味では、全てのことは単独で存在するものではなく、
    きっとどこかで何かと繋がっての顕れだと感ずる。
    この腰の痛みもそうだった。
    寝たきり、うつ伏せ、同じ姿勢。同じ負荷。
    結果的にこの腰痛となった。

    今、ここ、自分とは、そうした連続した深い深い関係性の中での今、なんだ。
    そう考えると、やっぱり、この今、ここを、
    なおざりにして生きることはできない気がする。
    そんなに考えなくてもいいのだろうが、
    それなりに意識的に、考えつつ、生きることも大切なことだと感ずる。

    私の場合は、朝は3時40分に起床する。
    というか、そこから布団の中でラジオを聴く。
    「人がいかに生きて来たか」
    「生きて行くことでは、何が大切なのか」
    そうしたその人の物語を毎朝聴けることの喜びだった。
    どうして、人はその人の人生の物語を聴きたいと思うのか。
    時々、私は、考える。

    今朝は、オペラの歌手の稽古を支える、コレピティートゥマという仕事だった。
    彼女は、ピアノを幼い時から習っていた。
    そして、いつかこのピアノで役に立つ仕事がしたいと願っていた。
    ある先生から言われた。
    「イタリアへ留学してみたらどうですか」
    そこで、オペラの舞台監督と知り合い、この仕事を勧めたられた。
    それは、オペラのための歌手たちの歌のレッスンをする役割だった。
    ピアノを弾くだけではこの仕事はできない。
    歌も全て歌えることが前提条件だった。

    そこに、語学力も試される。
    イタリア語をなかなか理解できず、数カ月は暗闇の中だったそうだ。
    しかし、ある先生からアドバイスがあった。
    「赤ちゃんは、どうして言葉をしゃべれるようになりますか」
    「それは、じっと黙って、お母さんの話す声を聴いているからですよ」
    「だから、まず、聴きなさい。そして、耳を慣らし、耳を鍛えなさい」
    彼女は、その言葉にはっとして、只管、イタリア語の音を耳に入れた。
    その内に、少しずつ相手の話を理解して、自分でも言えるようになった。

    次に、彼女はその実力を認められて、
    ドレスデンの歌劇場に招かれた。
    しかし、そこで仕事をするためには、やはり試験はあるのだった。
    これがまた、実に実に厳しい課題だった。
    幾つかの候補のオペラの楽曲を、弾き語りするということだった。
    それから、全くの初見で演奏させる。
    そうした高い高い欲求を、プロの耳にかなう高さで、合格する必要がある。
    彼女は、見事に認められ、そこで3年間のお仕事だった。

    ところが、今度はドイツ語だ。
    彼女自身が曖昧な発音しかできないのに、
    楽曲では歌手に歌詞の発音の指導をしなければならなかった。
    「ヨーロッパで、私たちは生きています。日本人のあなたに・・・」
    それは、そうだった。
    若者たちは、そうして彼女の指導を受け入れないことも多かったそうだ。
    彼女は、そんなこともあろうと、綿密に研究した成果をノートにしていた。
    つまり、言葉ではその真意を伝えられなくても、
    そこに書かれている内容によって、彼女は彼らの信頼を得ることができたそうだ。

    オペラの中でチェンバロで、本番で演奏することもある。
    レスタチーボでは、その場に合った自由な演奏を創作できる。
    その歌手の個性や、その場の動きに合わせて、即興で演奏する。
    マエストロ―からの絶対の信頼を得なければ、それはできないことだった。

    さてさて、この彼女の物語から学べるものは何かと考えた。

    まず、「師」の言葉に従うということだ。
    「イタリアへ」と言われたら、イタリアに留学することだ。
    本人よりも、師は、その人の真価を見ぬき、課題を客観的に理解している。
    だから、「私は・・・」とは、言わずに、「はい」と跳び込む。
    「古池や かわず跳び込む 水の音」だな。

    それから、諦めないということだ。
    それは、続けるということであり、期待するということでもあるかもしれない。
    何事も自分のものとなるまでは、数年の修業の日々だからだ。
    「やれるかどうかは、天のみぞ知ること」だ。
    しかし、諦めずに自らを励ましながら修練することは、
    例え、その仕事につけなくても、その日々の修練は無駄にはならない。

    さて、課題が大きく立ちはだかることもある。
    この壁を、どうやって超えたらよいのかと、途方に暮れる。
    だからと言って、回れ右では何のためにイタリアまで来たのか分からない。
    とにかく、これをやりたいのなら、学びつつ、耐えることだ。
    「耳を鍛えなさい」との師の言葉。
    その言葉が腑に落ちたのは、彼女が真剣に悩んでいたからだ。
    真摯に自らの課題と向き合っていると、
    ふとした拍子に、答えが向こうからやって来ることがある。
    その稀有な瞬間のために、膨大なる修練の時間はあるようだ。

    新天地を求める。
    いつまでもそこに居ない。そこに落ち着かない。
    新たな場所で仕事をすることで、また、新たなる課題が生まれる。
    人は、生きていると言うことは、次々と課題を与えられる日々と言うことだ。
    何もしないで、引きこもっている人にも、それなりに大きな課題が与えられる。
    何か大きな夢に挑戦しようとする人たちに与えられる課題と、その価値は同じだ。
    「自らを超える」「新たな自分に成長する」
    課題解決とは、このことだと私は思う。
    課題には大きいか小さいか問題ではない。
    自分の課題を持っているか、持っていないかが、問題だった。

    彼女のように挑戦を続ける人には、
    神様はそれでけ彼女を愛して、大いなる課題を与える。
    課題の大きさは、神様からの愛と比例する。
    そして、神様は、その人が乗り越えられない試練は与えない。
    そのことを信じられるかどうかで、課題への向き方が変わる。

    それから、学んだことを記録することだ。
    体験や体幹わ言葉に直す。
    そのことで、他者とその体感・体験は共有される。共感される。
    そのことが無い限り、言葉を理解し合えない人同志は、分かり合えないからだ。
    「親父たちよ」で、言葉にする。
    それは、この彼女のノートと同じ役割をもつものだと私は考えている。

    つまり、彼女の物語を聴くことは、
    以上のような「生き方」を、私は改めて確認し、学ぶことでもあると考えた。
    「そうか、彼女はそうやって乗り越えたのか」
    「そうだなぁ、やはり、続けるということだな」
    「独りでやる。自分の好きなことに向かって行く」
    そんな共感を心で感じながら、私は彼女の物語を聴いていた。

    つまり、私は、彼女の物語に自分を映し込み、
    いつしか自分ならどうするかと、
    自分の物語へとシンクロさせて行った。
    彼女は彼女の物語をその人生で紡ぎ、
    私は私の人生を今、ここ、自分で紡いでいる。
    「生きることは、独りだ」
    しかし、この彼女の物語に深く深く共感する時、
    私、「独りで生きた」彼女の物語に力づけられ、勇気をもらう。
    「彼女はやった」ならば、「私も、やろう」だな。

    物語には、その人が忘れていた自分と出会うことができる「場」となれる。
    「彼女は、私だ」「私が、彼女だ」その共感と共鳴とで理解するのは、
    そうした自分も、ここに居る。生きているということの自覚だ。

    そして、目覚めたその自分が、立ち上がる。
    「私も、生きる。あなたのように」と。
    つまり、自分自身の再生であり、復活であった。
    それが感動ではないだろうか。
    本当に真実を生きている人に、私は心からのリスペクトだ。

    「エール」が今、とてもとても深く、いつもいつも魂に響く。涙が溢れる。
    「長崎の鐘」
    あの作者の眼差しと、その言葉。
    「期待」です。「希望」です。
    その言葉に何度も何度も感謝して頭を下げた古山の姿。
    あれが、師に学ぶ弟子の姿だ。
    そして、あの瞬間に、古山は新たな古山として復活した。
    古山自身が、その喜びに歓喜した。
    その時、あれだけ書けなかった曲が浮かんだ。
    東京に向かう列車の中で、窓に五線紙を磔つけて、この曲は書かれた。

    人は、そうやって生きることができる。
    では、私は、そう生きているのかの「問い」だな。
    あの作者と古山の姿に感動し、涙した全ての人には、
    その自分の中の自分が感じて、動いたことがね理解できるだろうか。
    「涙」は、その人が流すんだ。
    だから、私は、涙を信ずる。
    涙をあふれさし、時には、嗚咽して、声にもならない自分に感謝する。

    物語とは、その私に私が出会う「場」なんだ。
    きっと、その物語と出会わなかったら、
    私の中で、目覚めない私がいたままであったと思う。
    私は、私が思い、考えている私であるが、
    そうではない私も、ちゃんとここに生きているんだ。
    その私を、信じよう。
    独りで夢に向かって生きるということは、
    その私で生きるということなんだ。

    物語は、私だ。
    彼女は、私だ。
    だから、今度は、私がその私としての物語を生きる番だ。

    全てのことは、1つなのかもしれない。
    その1つを、個である独り独りの私が生きた時、
    それが物語となる。

    今朝、起きたら、いつの間にか腰の痛みが和らいでいた。
    かがんで畳の上の文庫本をとることができた。
    いつもらなにもないこの動作をね
    今朝は、ありがたいなぁと、感謝した。

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  • from: クマドンさん

    2020年10月24日 11時47分40秒

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    やっと思えた

    今朝、突然、腰にピリッと電流が走った。
    びっくり腰だった。
    普通の何気ないしゃがむと言う動作ができない。
    前かがみに何かを取ろうとすると、
    その前にいくつかの予防の動作が必要だった。
    どいしていつもは、すっと床に在るものをとれていたのか、
    そんなことが逆に不思議になった。
    こうして、今度は、自分の腰と向き合っている。

    痛みがあることで、そこは私にその存在を主張する。
    つまり、おろそかにするな。当たり前だと思うな。
    もっともっと大事にしろという、ご命令だ。
    だから、私は、その突然の変化を受け入れた。
    とにかく、事実は、事実として受け入れる。
    すると、余計な腹立ちや、悩みや、後悔をもたなくてすむからだ。

    ある人が、突然、固い石になった。
    そのことは、本人には全く自覚はないと思う。
    それが、突然だったので、私の方が驚いた。
    「本で読んだこと」「頭で考えたこと」
    それは、その人の心からの拒否反応だった。
    しかし、拒否する、否定すると言うことは、
    「柔らかくない」ということの1つの表れだった。

    私にもそれはある。
    「ああ、固い石の人だなぁ」と感ずる。
    しかし、そのままにする。スルーする。ほっておく。
    なのにそれをわざわざ拒否したりしたら、
    それは、固い石になってしまっている証拠ではないだろうか。

    とにかく、気持ちよく、楽しく、日々を生きるだけだ。
    小千谷のSさんの言葉ではないが「楽しくて、楽しくて、しかたねぇて」だ。
    生きていること。そこで、そうやって息をしていること。歩くこと。感ずること。
    その「今、ここ、自分」に立ち止まっていると、
    確かに、「楽しさ」しか感じられないものだった。

    昨日のことなど、どこにもないはず。
    あるというなら、持って来てみなさいだな。
    なくなったもの。消えたもの。もうここにはないもの。
    そのことをわざわざ思い出して、取り出して、悩むこともない、ない。
    そんなしてもしなくてもいいことで、心を重く虚しくすることは、
    今、ここ、自分で感じられる楽しさを考えたら、もったいない話だった。

    明日のことは、どうかだな。
    突然、人間には何が起るか分からない。
    今夜、私の心臓がピタリと止まることもあるだろう。
    また、自動車事故で、この世の人でなくなっていることもあるだろう。
    明日は、来るのか。
    来たら、それは、明日ではなく、今日なのではないだろうか。
    明日もまた、どこにも存在しない仮想世界だった。
    それなのに、溜息と虚しさだ。

    今日だけ、生きていればそれでいい。
    今日、楽しく生きられれば、それだけで十分のありがたさだ。
    そう思うためには、今日、自分の身に起きた出来事は、
    全て「意味」のあることとして、「受用」することだった。

    「あっ、腰が痛い」
    私は、今朝9時からのヨガのレッスンを休むことにした。
    数年前の私なら、
    「これぐらいなんでもない。動けばかえって治りが早い」と、
    きっと車でヨガに向かったことと思う。
    でも、今は、辞めた。
    引き返す勇気とでも言うのか、やらないという選択肢を選ぶ決断とでも言うのか、
    つまり、「やる」決断から、「やらない」決断へのシフト替え。
    これって、63歳の私には、大きな生き方の養生訓となっている。

    「無理」をしない。
    「やらない」ことを選ぶ。

    そうした心のブレーキが、少しずつ組み立てられて来ている感じがする。

    相手のことで、思い悩むことも捨てた。
    「どうして、返事をくれないのだろう」
    「私のことを嫌っているのだろうか」
    「また余計なことをして、迷惑をかけているのではないのか」
    「ああ、固い石は、いつまでも固い石のままなのか」と、悩むこともある。

    しかし、この相手の気持ちも、まさに仮想世界だ。
    私が、ここで悩み考えたことは、
    コントローラーとして相手の気持ちや考えとは、ダイレクトには伝わらない。
    ここで、私がもんもんとしていても、
    そのこと自体、相手にとっては、ないことと同然なんだ。

    だから、「受容」する。
    ただ、私がそうしたいから、そうやりたいから、それをしただけ。
    そのことでのリスポンスは、期待することはできない。
    また、もし、期待していたのなら、愚かなことでもある。
    この地球の裏側で誰かが失恋したとしても、
    私の生活には、さざ波すらも届かない。
    人と人とは、そういうものなんだ。
    人と人とには、「間」があるものだ。
    「一体」ではない。「違った存在」同志としての「間合い」が確かに存在している。

    だから、「独り」なんだと、思い。何も期待せずに、自分を楽しむ。
    その「間」を自分の「独り」を守るための利点として考えて、
    独りで生きる。
    そして、同じ独りである人と、出会って、語り合えればそでいい。
    独りが寂しい。独りが辛い。のではなく。
    みんな誰でも独りなんだから、その独りをいかに生きて行くか、
    その問いと試行錯誤と、何よりも「独りを楽しむ」味わいとを、
    もっていれば、この63歳は、平穏に、平安に生きていけるとの気付きだった。

    だから、まず、「健康第一」身体の声なんだ。
    そして、心の病にならぬためには、無駄なことはちゃんと無駄だと自覚し、
    独りで生きることの楽しさを見出すことだ。
    そうやって、深くなればなるだけ、きっといつか、
    その深い独りを生きている友と出会う。

    そういうものなにんだなぁと、63歳。やっと思えた。

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  • from: クマドンさん

    2020年10月23日 07時31分40秒

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    期待しつつ、忍耐をもって、日々を生きよう

    今朝、目覚めたら、身体が違うことが感じられた。
    あの異常な疲労感から、少しだけでも抜け出していたからだ。
    どこの地点を着地地点としたらよいのかは、まだ不明だが、
    先週の月曜日くらいの段階の身体とすることが、目標のようだった。
    つまり、違和感の無い身体。
    それだけが、大事なことなんだと、改めて感じた。

    身体が異変になっていると、何か気持ちもすっきりとしない。
    しっかりと考えられない。やる気が出ない。集中できない。
    何よりも身体を動かすことが難儀であるから、
    いつものようないつもの日常活動への移行がスムーズにはいかない。
    「今日は、やめよう」「まぁ、そのことはこれだけにしよう」と。

    朝、ゴミ捨て後には、庭にて小さなお仕事をささっとやったものだが、
    何だか、今日は、水をやるだけにしようと思う。
    朝食をつくることも、カンポスのマスターのようにはいかない。
    身体がぎくしゃくと重いから、踊るようにはいかない、いかない。
    ぎくしゃくとして、げつばたとして、少しだけイライラとする。

    歩くことも、立ち仕事も少なくなったので、ヨガだけはやっていた。
    無理ない程度にだ。
    身体とは、使わないと、本当に数日での退化だった。
    鍛えると言うのではなく、満遍なく使うということだ。
    日常の家事は、そういう意味では身体にとっては合理的な作業だ。
    こうして身体が動かせず、ずぼらになると、よく分かる。
    ただ、布団の中で腹這いになり、仰向けになり本を読むだけだからだ。

    腰が強烈に痛くなった。
    「今度は、腰ですか・・・」の溜息だ。
    立ち上がる時。曲げる時。しゃがむとき。筋肉がギクッと痛む。
    寝たまま。座ったまま。同じ姿勢を長時間保ったせいだった。
    つまり、休養にも時々の適度な運動なのだった。

    内科を受診した。
    「この数日間続いた腹痛と、絶対の疲労感」これは、病的ではないかの心配だ。
    しかし、彼は、その心配を聴いて、笑うだけだった。
    「急に寒くなりましたからね。今、腹痛をうったえる人多いですよ」
    「何か無理なことをしませんでしたか」それだけで。
    つまり、寒さへの変化の身体の対応と、
    身体の持てる力を過信して、オーバーワークしたこと。
    ただ、それが、原因だった。

    歳をいつの間にか、とっていたんだなぁ。
    本当に50代なら、一晩寝たら何とかなった。
    しかし、一週間、こうして身体への無理のつけが、まだまだ残されている。
    身体と共に生きるということは、
    身体の身の丈で生きるということだ。
    身体の能力・個性・現状。それを、しっかりと理解すること。
    衰えたのではなく、そうであるということだ。
    そしたら、その現状から、注意すべきことと、出来ることを考える。
    ここで大事なことは、「無理」だった。
    身体の自然のあるがまま、その「理」に適った生活をする。
    それが、健康に生きるための「知恵」である。

    こうやって一度は、どん底を味わわす。
    すると、そこから「とうしてこうなったのか」と、原因と理由を考える。
    そして、今、ここ、自分の身体の現状・現実を理解する。
    そうしたら、その身の丈に合った生活に変えて行けばそれでいい。
    それを、まだまだやれると、50代と同じと考えない。
    それは、愚かなことだ。
    健康に日々を生きるためには、失敗から学ぶ知恵が必要だ。

    昨夕、長男から、こんこんと諭された。
    「あんなに毎晩酒を呑んでいたら、身体に悪いに決まっている」と。
    ああ、情けないが、本当だなぁと合点した。
    50代までの内臓ではナイゾウだ。
    筋肉や骨格の衰えは、内臓も同じことだ。
    耐性については、やはり、衰えて来ていると感ずる。
    「私が、腹痛?」
    それは、それで、仕方ない事実なんだな。

    ああ、63歳には、63歳としての賢い生き方があるはすだ。
    今は、過労からの疲労回復を待っている。
    これも、自然なる治癒力のおかげさまだ。
    しかし、疲労が回復されるとは、どういう身体のメカニズムなのだろうか。
    そもそも、疲労とは、どうして私は感ずるのだろうかの「問い」だった。

    しかし、痛みが無ければ、その見えない傷や病が分からないように、
    もし、この疲労感がなかったら、
    きっと私は心臓が止まる瞬間まで身体を動かしていることだろう。
    「まった。これ以上やると、心臓が止まるよ。能が停止するよ」だな。
    つまり、身体にとっての疲労感は、
    この身体の生命維持のための大切な安全弁であると言うことだ。
    それを、無視してはいけない。

    痛みもそうだ。そして、疲労感もそうなんだな。
    「疲れたから、休むね」
    「疲れているから、横になるね」
    「今日は、疲れているから、何もしないね」
    この言葉が、歳をとったら大事な言葉なんだと、改めて思った。
    「家族に迷惑をかけられない」
    「寝ていることは、怠けていることだ」
    「しっゃきっとしなくては。家族に弱いところは見せられない」

    今朝のラジオで、新潟いのちの電話の創設者である真柄五郎さんの話だった。
    「どうして新潟県は、70歳以上の高齢者の自殺が多いのか」
    彼の゜いのちの電話」創設までの働きの原動力はこれだった。
    ある年に、ドイツの知り合いが一冊の絵本の翻訳を頼んで来た。
    「私は、よろこんで歳をとりたい」という絵本だった。
    大人の絵本。作者はチィンクさん?だった。
    彼が、その絵本を訳して驚いたことは、老いを受容して、許していることだった。
    「歳をとれば、もうがんばらなくて、いいんだよ」と、
    その言葉が、彼にはとてもとても身につまされる言葉となった。

    「正直に言いましょう。もう私は弱りました。助けてください」
    「ちょうどあの川の流れのほとりに立つ樹のように」
    「もう、若い頃のように勇者であることはできません」
    「だから、絶望することはありません」
    「誰かがきっとあなたを愛しています」と。
    聴き採りだから間違いが多いと思う。内容はこんな内容だった。

    嬉しいよね。
    私だけでないんだよ。
    みんなあの樹のように老いて行く、朽ちて行く。
    だから、「助けてください」と言えばいい。
    しかし、若い頃から懸命に真面目に働き続けた人たちは、
    働けなくなり、身体が不自由になると、生き甲斐を見失う。
    それが、老人の自殺につながる。

    だから、誰かが、見捨てられたと感じている人の傍らに寄り添って生きる。
    何も言わなくてもいい。ただ、話を聴くだけ、それでいい。
    真柄さんは、そのことを昔小学校で教師をして亡くなった父から教えてもらった。
    父は、リュウマチにになり、7年間寝たきりだった。
    この年月が無に過ぎることを哀しく感じたので、
    一週間に一度、父の病床を訪れ、父の思いで話をテープで録音することにした。
    父は、そのことを楽しみにして、幼い日々ことや、教師としての生活の日々等、
    いつの間にか、その話をテープに録音することを楽しみにしてくれたいた。

    その内に、最期が近づいた頃の話だ。
    「自分は、何もしてこられなかった人生だったと思ってたむ
    「しかし、こんなにみんなから助けられて生きて来たことが分かった」
    そう言って、父は、はらはらと涙を流した。
    真柄さんも、この時、老いて最期を迎える人たちにとって何か大事か、
    分かったような気がして、涙がとまらなかったそうだった。

    臨終に母は、父の手を握り、
    「また、会いましょうね」と言った。
    「また、一緒になりましよう」と語ったる
    父は、大きな目を開けて、母を見つめていた。
    彼は、その父と母の最期の別れに衝撃を受けた。

    つまり、深いインサイト、内省、洞察だった。
    自分の申請のストーリーをなぞる旅のお手伝いを、自分はやりたい。
    その気付きから、彼は、カゥンセリング講座を始めた。
    ここから、1971年10月「東京いのちの電話」を始めた、
    ドイツ人の宣教師ベッカムさんの、感動的な話が続いた。
    彼は、そのベッカムさんと出会い、「いのちの電話」なんだと考え、
    「新潟いのちの電話」を創設したと語っていた。

    真壁さんは、自宅で「野の花文庫」を始めた。
    1961年だった。
    自宅の一室を土曜日の午後から解放した。
    地域の子どもたちが集まった。
    そこで、真壁さんと奥さんが一冊ずつの絵本の読み聞かせをした。
    「昔話はとても骨太です。人生の骨組みをきちんと語ってくれます」
    これも、物語深さだった。

    「not memy but mach」
    「多くではなく、もっと深くである」彼のモットーだった。

    「人は、自分なりの物語を生きている」
    「人は、その自分なりの物語を大事に生きている」
    「百人いれば、百通りの世界であり、見え方である」
    だから、人に対しては「寛容」であり、「忍耐」である。
    「老年になったら、忍耐して待つことだ」
    「そうすれば、自然にいろいろなことが見えて来る。
    「だから、答えを性急には求めない」

    「思い出の中に、本来の姿がある」
    「現実の世界は、老年をはじき出している」
    「意識がぼやけていくのは、当たり前のこと」
    「だから、老年になったら自分に愛を注いでくれた人を思い出そう」

    さてさて、そういうお話だった。
    「私は、よろこんで歳をとりたい」を読んでみたい。
    そして、今、ここ、自分は、そういう気持ちで生きようと思っている。

    老いること、衰えることは当たり前だ。
    しかし、自分にはこれまで生きて来た物語がある。
    そこでは、私のような人を心から愛してくれた人たちがたくさかいてくれる。
    ありがたいことだ。だから、そのことが、私の生きる力となっている。

    とにかく、自分の人生を受容しよう。
    「よく生きた」「これでよかった」「幸せだった」と。
    そして、「これからもっとどんな楽しいことと出会えるのかと」期待していよう。

    この身体が、忍耐して待てば、こうして回復したように、
    この私という人生の物語も、
    これからも楽しみつつ、期待しつつ日々生きていたら、
    「生きてきて、よかった」と感動できることに出会えるのだと信じている。

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  • from: クマドンさん

    2020年10月22日 07時26分29秒

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    「受容」であり、「受用」なんだ。

    「病院に行って、証明をもらって」

    まぁ、いいか。
    身体は80%の回復だった。
    歳をとってよく分かったことは、
    無理をすると、とたんに身体に響いて来るということだった。
    一日6キロを毎日歩いた。24キロの時点で、腹痛がやって来た。
    その時、体力がよほど消耗していたのだろう。
    それなのに、仲間たちと酒を呑んだ。
    翌日、ダウンだった。それも、人間ドックの最中のことだ。

    そんな中での教会の樹木の剪定だった。
    「やるときは、やる」が私のモットーだった。
    とにかく2~30年間何も手が付けられていない樹木たちだ。
    「よしゃ、やってやろう」と、本気になった。
    あの絵本の「洗たく母さん」だな。
    やり出したら止まらなくなる。
    あれも、これも、とにかく次々と伐採した、剪定した。
    最後にはくたくたで立っていられなくなり、
    後始末は、みんなに任せて、早目に帰った。
    それからが、悲惨だった。

    身体を使い切る。
    その加減が未だに理解できないようだ。
    こうなれば、こうなるはすだ。
    それなのに、そうした予想がついていても、それをする。
    そして、挙句の果てにダウンする。

    これかせ私の人生だったな。

    しかし、その身体の回復が遅い、遅い。
    どうなってしまったのだと、心配になるくらいだった。
    昨日まで、みぞおち辺りがまだしくしくということもあり、
    「ああ、胃癌かな。スキルス性ってやつかなぁ」と、
    ぼーっと天井を見ながらため息をついていた。
    胃腸は、それなりに丈夫にできていると自負はあった。
    二日酔いで吐くことはあっても、胃腸薬のお世話にはならないからだ。

    こうして考えると、
    私は、身体との折り合いの付け方が、
    まだまだなのだと、改めて悟った。

    「やりたいから、やる」
    「今日は、無理だからやめた方がいい」
    「それは、分かっていても、やりたいから、やってしまう」
    10年前なら、あんまりダメージを受けなかったことでも、
    今の私の身体は、それなりに正直にダメージを受けてくれる。
    そして、回復に時間がかかる。

    それから、気付いたことがある。
    「元とは、どんな状態であったか、分からなくなる」ということだ。
    元気になると言うが、その痛める前の元の身体とは、
    いったいどんな身体であったのかの「問い」だった。
    今、ここ、一昨日より随分楽になった。
    居の辺りの不具合や、もやもや感がすっかりと消えている。
    しかし、このどんよりと疲れが遺るこの身体は、
    本当に「元」の身体になっているのだろうか。

    その「元」の記憶は私にはない。
    というか、この身体自体も「元」の記憶は失われているのではないだろうか。
    「今、ここ」これが、この身体のベターなんだ。
    そう思わなくては、何とも寂しい身体となったような気がする。

    「今、ここ、これ」を受け入れる。
    それしか、ここを気持ちよくやりきれる道はないなぁと、考える。
    「受容」なんだ。
    とにかく、「受け入れる」ことなんだ。
    この歳になると、そう言い聞かせて生きることが多くなった気がする。

    これは、諦めなのだろうか。
    私は、そうではないなぁと、思えるようになった。
    「元気な身体」とは、既に、私にとっては妄想だけの世界のことだ。
    想像をすれば、その架空の元気な身体を重い描くことができる。
    「ああ、丈夫になりたいなぁ」
    「健康な身体に戻りたいなぁ」と。
    しかし、現実は、こうして1週間たっても、7~80%のリカバリーだ。

    では、まだまだなのかと言えば、
    確かにそうではあるが、
    「まずまずなんではないのか」と、思えば、そうでもあるのだ。
    「身の丈」「歩留まり」
    そんな見切り、了解が、今の私には大事なものの見方考え方である気がする。

    ちょいベターなら、満足しよう。
    自転車事故の後、仰向けで寝たきりで、少しも身体を動かせなかった。
    あの激痛、あの切なさ、それを考えたら、今の私は、回復した私だ。
    腹痛がずっと続いた。歩くことも辛く、身体をかがめて、腹を押さえて痛みに耐えた。
    そのことを考えたら、こうして胃のことを忘れられる今は、回復と考えるべきだな。

    その怪我とその痛みとが無い前は、
    私は、何気なく、当たり前に、気持ちよく日々を暮らした。
    しかし、その試練と苦難によって、
    私は、生きるための身体の自由を奪われ、痛みに耐える時間の連続だった。
    「治ってくれ」「回復してくれ」と、私は祈った。
    身体のことをとことん考え、向き合った。
    「こうなってしまったのは、なぜなのか」と、その原因を追究した。
    そして、身体のこまごまとした変化に敏感に対応した。

    普段、何気なく生活していた時、私は、きっと身体のことを忘れていた。
    そして、当たり前に何不自由なく生活できるこの身体と健康に、
    感謝することを忘れていたと思う。
    「当たり前」にしてしまうと、「ありがとう」が消えてしまう。
    本当は、日々ありがとうであったのに、
    その気持ちを失う。忘れる。

    そんな時だな、試練と苦難がやって来るのは。
    私にとっての10月は、そんな気付きの時であったようだ。

    元の身体に戻りたい。
    ということは、元の身体がありがたいということだった。
    当たり前の日々の生活。
    しかし、それができるのは、こうした突然の試練と苦難が無いからだ。
    肋骨の痛みは薄らいだ。しかし、腹這いになると痛みが走る。
    右膝は、まだつけない。つくと、びりっと痛みが走る。
    胃腸はどうかと言うと、いつも気になっていたみぞおちあたりが、
    こうしていると気にならなくなっている。
    痛みは無くなったが、微かな違和感が残っている。
    疲れは、まだまだ、身体からは抜けない。
    だから、庭に出て仕事をしようとも何も思わない。

    私は、10月22日㈭の朝、この身体の全てを受け入れることにした。
    焦っても仕方ない。後悔しても仕方ない。元の身体と比べても仕方ない。
    とにかく、そうやって考えたり、悩んだり、後悔することは、
    すべて「無意味」なことで、仕方ないことなんだ。
    そう思って、この朝日を浴びている。

    歳をとるということは、この「受け入れる」「受容する」を学ぶことだ。
    じたばたしない。仕方ない、仕方ない。少しは善くなったではないか。だな。

    「受容」と言う。
    しかし、「受用」も必要なんだ。
    そのことを受け入れたら、その受け入れたままに、用いることだ。
    そこに、「活用」という生活が入ってくるはずだ。
    例え、どんな身体の状態であろうとも、
    そのことを「受け入れる」ことだ。
    そして、その身体でもできることのために身体を「活用」することだ。
    くずぐず不平不満を言っている無駄な時間は、この「いのち」にはないからだ。

    この身体を活用できない場所ならば、
    こっちから辞めてしまおうかと思っている。
    「受容」であり、「受用」なんだ。

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