新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2012年08月28日 20時45分44秒

    icon

    母が祝ってくれた

    この時刻に、この掲示板を書くことは、稀なことだ。
    本日から、生き方を変えた。
    そんな記念すべき日であるから、菊水一番搾りを呑みながら、
    この想いを記すことにする。

    今朝、不思議なことが起こった。
    ジョグに行く前に、母に朝の挨拶をしようと、座敷の母の壇の前に座った。
    いつものように、チーンである。
    「お母ちゃん、俺、おかげさまで今日で55歳になりました。」
    そんな報告をした瞬間だった。

    座敷は締め切っていて、何の風も入らずに蒸し暑かったのに、
    壇の右横に置いてあった灯篭の房が、一つだけ嬉しそうに揺れていたのだった。
    それは、朝6時過ぎのことだった。
    その一つの房だけが、誰かが揺らしているように、小刻みに震えているのだった。

    「ああ、お母ちゃんが居るんだなぁ。」
    「俺の誕生日を喜んでいてくれるんだなぁ。」
    私は、その房の震えをじっと見ながら、母をそこに感じていた。
    私の誕生日なのに、母が居ないことは、初めてなのだ。
    母は、生前に言っていた。
    「兄ちゃんが、定年の年まで生きるからね。」と。
    その想いは叶わなかったが、母は、今でもこうして傍に居てくれるのだと分かった。

    目に見えないことは、信ずべきことなのだ。
    それは、別に言葉によって説明して、証明しようとは思ってもいない。
    私が語っても、それは分かってくれる人だけが分かってくれたらそれでいいのだ。
    「そんなことはあり得ない。」と、言う人には、その先は語れない。

    私は、目の前で房がさも嬉しそうに揺れたから、
    そこに、母の喜びをただ感じただけである。
    死者は、死者として、生者と同じくここに存在しているのである。
    そのことを信ずる人に対してのみ、死者は語りかけて来るのだ。

    しかし、物理学的に直接にかかわって来ることは難しい現実がある。
    ならば、仮の姿や形を通じて、語りかけてくるはずである。
    その兆しをどのようにとして捉え、理解し、感じいるかは、
    その人の感性なのだと私は思う。

    今朝は、確かに母が私に語りかけてくれていた。
    ありがたいことだった。
    房が喜びを表現していた。

    私は、その後、ジョグをしてお地蔵様にお礼のお参りをした。
    「そうだろう。」と、お地蔵様は、笑っていた。
    55歳の誕生日を、亡くなった死者の母は、やっぱりいつもの年のように笑顔で祝ってくれたのだった。

    私は、信ずる。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 6

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年08月28日 05時55分06秒

    icon

    55歳の誕生日 平成24年8月28日

    本日、私は55歳になった。
    55歳である。
    昔、若かった頃、55歳の先輩はそれはそれは大人なものだった。
    いや、たいそう親父臭く、年寄りだと感じた。
    そんな年に私がなったのだ。

    何も心は変わらず、いつまでも真っ直ぐな私である。
    体はそれなりに老いて行き、気力もそれなりに萎えて来た。
    最近は、疲れが抜けない体となっている。

    それにしても、人生とは面白いものだ。
    この年になって劇団をやり、脚本を書き、役者になろうとは、
    いったい誰が予想できただろうか。
    それも、今年は10月と11月に公演を控えている。
    そんな役者を私がやっているのだ。
    つくづく人の人生とは、分からぬものだと感じている。

    55歳からは・・・。と、思うことがある。
    それは、「もういいよ。」とでも言うのだろうか、
    これからは、自分の事を一番最後にして、
    きっと誰かの為になるだろことに、
    自分と言うものを使うことだった。

    ここからは、ある意味余生だと考えよう。
    余生とは、ご褒美に余分に与えられた人生である。
    今日からは、「一日だけ生きよう」と思っている。
    今日一日だけの命なのだから、何とかなるかもしれないではないか。
    力を抜いて、自然体で生きて行こう。

    「思ったことはやる。咎めることはやらない。」
    「本心で生きる。」
    「見過ごしにはしない。」
    「我執を捨てて、ただなんとなく生きる。」

    そんな境地で欲を言わず、嘘を言わず、
    真っ直ぐに与えられた何かに向かって生きて行きたい。
    後のことは、お地蔵様が決めて下さる。
    無責任なようだが、お地蔵様に任せた。

    昨夜は、54歳最後の夜だった。
    とても美しい月夜だった。
    星を見上げたら、夏の大三角形が、やっぱり少しずつ動いていることを感じた。

    「愛だけなのじゃ。愛しかないのだ。」
    私は、これからの人生も「本心」に誠実に生きたいと願っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 5

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年08月27日 06時54分31秒

    icon

    私にとっての奇跡とは

    とても美しい夕日を観た。
    あの雲に隠れる瞬間の燃え上がる朱というかえんじというか茜色というか、
    あの色は何だろうと、感動に言葉を失う。
    それでも、ずっと見続けていると、
    ゆっくりと夜が迫って来る。
    帳を降ろすとはよく表現したものだった。
    青く澄んだ水色に、紺色が混ぜられ、少しずつ空の色が濃くなってくる。
    そんな自然の変化を見ながら、時を過ごすことは、贅沢なことだと思った。

    天空に北斗七星が現われる。
    その天は、大きな力で規則正しく運行されていた。
    その運行は何千年も変わらずに、刻々と続けられて来た。
    この北斗七星を縄文の人たちも見上げたはずだ。
    どんな想いでこの星を見上げていたのだろうか。
    刻々と動くその星たちに、
    永遠を感じた。

    永遠には始まりもなく、終わりもなかった。
    今もそうして続いている。
    その永遠の運行の中に、小さな打ち上げ花火が上がっては、消えた。
    ほんの瞬間の光であるが、
    それは、まるで人の命のように感じられた。
    人の命には、始まりがあり、終わりがある。

    しかし、その魂には、やっぱり始まりがなく、終わりがないのではないだろうか。
    その北斗七星を運行する、大いなる力と繋がり、
    その想いが形となった魂には、きっと終わりと言うものはないのだと思っている。

    その魂は、きっと北斗七星のように、
    大いなる力によって、守られ、支えられ、動かされているのだと私は思う。

    そのことを、少しずつ信じられるようになってきたことは、
    やっぱり私にとっての奇跡なのだった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年08月27日 06時41分59秒

    icon

    指揮者となった

    しばらくのご無沙汰だった。
    ここに登場しない時には。訳が必ずあるのだった。
    それは、飲み過ぎで、寝坊した日がそうなのだ。
    それだけ、連日飲んでいるということなだろうか。

    奇跡の話だ。

    佐渡裕さんがシェイナと共にりゅうとぴあだった。
    私は、チケット発売日にりゅとで直接チケットを手に入れた。
    私には、大きな夢があった。
    それは、あの指揮台上にあがって、ブラスを指揮することだった。
    コンサートの最後の曲は、演奏したい人は誰でも上がってよいのだった。
    いよいよコンサートがラストの曲となり、
    佐渡さんが会場に呼びかけた。

    私は、リュックから一本の指揮棒を取り出し、
    三階から階段を駆け下りて、ステージに向かった。
    ステージの指揮台の前には、笑顔の佐渡さんが立っていた。
    しかし、指揮台には一人の高校生の男子が指揮棒をもってすでに立っていた。
    オープニングは、彼だった。
    「星条旗よ永遠に」が鳴り響いた。
    200名以上の熱烈なるブラスバンドだ。

    私は、彼と交代して指揮棒を振った。音しか頭にはなかった。
    夢中で指揮棒を振りながら、夢は叶うものだと感動の嵐だった。
    その瞬間が、私にとっては永遠だった。
    その瞬間が、私にとっての奇跡だった。

    私は、順番に小学生や叔父さんやおじいさんに指揮棒を渡し、
    指揮の順番を決めていた。
    さて、ラストだ。
    ラストは、私に振らせてもらうことにした。
    私の目の前に佐渡さんが大きなアクションで指揮をしている。
    私は、その後ろで指揮をしている。
    これは現実なのだ。

    終わった。万雷の拍手だった。りゅうとの聴衆が歓喜していた。
    振り向いたら、スタンドオブオペーションだった。
    新潟のお客さんたちが、立ち上がって拍手していた。
    「さぁ、お辞儀をしましょう。」
    佐渡さんに促されて、私たちは深々と聴衆にお辞儀をした。
    私の夢が叶ったのだ。

    いつか必ずと、心には決めていた。
    しかし、指揮棒を手にしてあの指揮台に向かうには、
    本当に本当に勇気が必要なのだった。
    しかし、夢が叶う時、何か大きな力がその後押しをしてくれるようなのだ。
    私一人では、奇跡は難しい。
    しかし、その力が存在し、その力に守られ、促されている時、
    ちっぽけな私も、こうした奇跡と出会うことができるのだ。

    私は、奇跡を信じられる。
    だから、今日一日は生きられるのだと思っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年08月22日 10時23分11秒

    icon

    役者としての輝きを

    大きな仕事を終えると、途端に虚しさが私を襲う。
    達成感と言うよりか、終わってしまったことへの寂しさか。
    私は、ある発表会のためのミニ演劇の演出をした。

    その劇は、6名の子供役と1名の教師役で構成されている。
    3つの話題のショートコントだった。
    その役に決まった人たちは、全く劇が初めての人たちばかりだった。
    第1回目の顔合わせでは、とてもとても緊張していた。
    初対面の人たちで、このコントを演ずる。
    それは、お互いの心が開かれる段階までいかないと、無理だと感じた。

    まず、初めの稽古では、台詞を言うだけだった。
    自分の番が来たら言う。その台詞を言ったら、それで終わり。
    そこで、まずこの学級における自分という子について想像してもらった。
    そのコントの主人公に対する自分とはどんなかかわりをもった子なのかだ。
    すると、言葉をかけたり、リアクションをしたりと、かかわりが生まれる。


    次の稽古では、聴くということをお願いした。
    まず相手の台詞を聴こう。聴いてから反応しようということだった。
    すると不思議なのだが、聴こうという気持ちから、かかわりが深まって行くのだった。
    困り感をもっている子を友達として支え、励ますように努力しようと呼びかけた。
    つまり、その子の存在を迷惑に感ぜず、とにかく全面的に受け入れようということだった。
    みんながそんな気持ちに切り替えて稽古をすると、
    これまた不思議なことに、場の雰囲気が明るく、温かくなっていった。

    一番それを感じたのは、困り感を演じた人だった。
    何だか、全部許され、支えられ、何をやっても安心できると感じたそうだ。
    不思議だが、この段階から、自主的な稽古が始まり、
    各自の演技に工夫が見られ、お互いの演技についてのデスカッションが生まれるのだった。
    劇は、どんどん進化して、発展して行った。

    やはり、人間関係の土台には、信頼関係が必要なのだと感じた。
    かかわりを作るとは、お互いに信頼できる関係を作ることなのだ。
    そういう関係づくりや場の雰囲気作りが出来た時、
    初めて人は心を開き、解放されるのだった。
    その許されている、認められている、愛されていると感じることで、
    人は、やっと自分らしい自分を表現する自由を感じられるのだと思った。

    私は、観る人であり、良いところを指摘する人であり、問う人であり、
    次のステップに進むための課題を言う人であった。
    私は、何も教えてはいない。
    みんなは、私の言葉を聴いて、考え、気づき、発見して、工夫を繰り返すだけである。
    言われたことをやるのではない。
    自分でそうだと気づき、考えたことを表現するのだ。
    私は、その変化を楽しみ、どんどん褒めて行けばそれていいのだった。

    演ずることを苦手と感じていた人たちが、演ずることを楽いと感ずるようになった。
    やらされていた人たちが、どんどん自分から工夫する人たちになった。
    ある日、中間発表会の後で、大勢の人の意見によって、劇の大幅な修正を迫られた。
    「どうしますか?」と私は問いかけた。
    「監督、私たちで考えてみます」と言った。
    「そうして下さい。演じている皆さんの方が気持ちをよくわかっていると思います。」
    稽古を重ねることで、こうした絆が生まれ、いつしかチームとしての一体感ができてきていたのだった。

    昨日、午前中は発表までの待ち時間にリハーサル室で稽古した。
    とにかく面白かった。
    どんどん変わって行く面白さとでも言うのだろうか。
    目の前で何か素晴らしものが創造されて行くわくわく感とでもいうのだろうか。
    一人一人の輝きが、回を重ねるごとにどんどん増して行くのだった。
    その面白さは、演じている人の方がもっともっと感じていたと思った。

    午前の発表は、とても素敵な劇に仕上がっていた。
    何よりも観ている人たちの心をほっとさせる愛がそこには在った。
    つまり、愛する者同士の姿を、私たちは観て、感じていたのだった。
    私は、もう言うことはなかった。
    心の奥でジーンと熱いものを感じながら。

    さて、午後は。
    長い待ち時間をどうするか、私はぽつんと楽屋に残っていた。
    「監督、来てください。」一人の役者さんが呼びに来た。
    リハーサル室には、役者さんたちだけでなく、その演技を見守っている10名余りのスタッフも居た。
    このメンバーでね意見交換をしながら、劇を創り上げていたのだそうだ。
    私は、驚き、嬉しくなった。

    この役者さんたちは、その観客の賞賛によって進化しているのだった。
    「みなさんは台詞を言っていると思っているかもしれませんが、
    私たちに伝わってくるのは、みなさんの想いです。」
    「それも、とても優しい気持ちにしてもらえる温かな想いが伝わってきます。」
    「ここには、本当にお互いを信頼し合い、支え合っている愛を感じます。」
    「素晴らしい学級ができましたね。」

    何だかこの劇のメーキングこそ、とても素敵なドラマではないだろうか?
    役者のみなさん、お疲れさまでした。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年08月21日 05時37分14秒

    icon

    三畏こそ

    父に信仰があったら、もっと楽に生きられるのに。
    そんなことを考えることがある。
    父は、まだまだ我欲の中のようだ。
    「俺が、俺が」が、年と共にもっともっと強くなっている。
    俺を捨てるところに、楽しさがあるのに、
    その反対の道をその年まで歩いて来た。

    どうして何だろうと、いつも想っている。
    内心の声。良心の声。そんな呼び掛けはきっとどこかであったはずなのに。
    その声を聴いたら、ただその声に赤子のように聴き従えばよいのに、
    父は、そうしなかった。
    「何が神だ。何が仏だ。そんなもの信じられるか。」だった。

    それは、目に見えるものだけがあてにできるものであり、
    目に見えないものを大事にする信仰何ぞ、
    きっと誰かに騙されているのだとの考えからだった。
    だから、神仏を拝む時は、現生の利益をお願いする時だけなのだ。

    しかし、しかし、そんな父の魂にも、その声は確かに響いているはずである。
    特に、母が亡くなり、父が孤独と寂しさの中で生きざるを得ない現状では、
    やっぱり父すらも、仏に手を合わせることだろうと思っている。

    「お任せします。」
    それでいいではないかと、私は想う。
    ちっぽけな私は、威張ることも無く、誇ることも無く、ただ小さな人として日々を生きるだけである。
    迷いがあり、切ない現実があり、時には途方に暮れるから、
    「お願いします。」
    「助けて下さい。」と、祈るだけだ。

    何宗なんて関係ないと想う。
    天も仏も神も一つなのだから。
    そして、その一つから私が生まれ、その一つから全てが生まれたのだから。
    つまり、一つの想いや魂が、この自然な世界には満ち満ちているし、
    その魂の言葉を私たちに伝えてくれた偉大な先人がいたし、
    本来はその心しかなかった私がここに存在しているのである。

    今朝、4時に目を覚まし、吉田清太郎の本を読んでいた。
    神を見るには三つの形式を取る。
    1 万有を通して見ること
    2 偉人、ことにキリストを透して見ること
    3 自己を透して見ること

    自然から受ける天地からの恩に感謝する。
    自然の恵みに生かされているその大いなる恩愛を心に感ずる。

    人類を透して顕現する知恵・能力及び慈愛は神の知恵・能力及び慈愛の顕現と観るべきなり。
    要するに、偉人は万有を透して神が顕現すると知ると同時に、
    自己を透して神が顕現していることを自覚したる者なり。
    ソクラテス然り、孔子然り、天命を知る者然りなのだ。

    目に見えぬ神の心に通ふこそ人の心の誠なりけれ 明治天皇
    つまり、我を捨てて、「誠」、「本心」に立ち返る時に、
    自ずから神の心に触れるのである。
    「三の畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る」

    さてさて、そうしたごくごく自然な日々の生活の中で、
    生かされていることを感謝して、祈る。
    すると「本心」である「良心」に立ち返り、その道をリセットできる。
    ただねこれだけなのだ。

    そのことを、父は誰からも教えてもらっていなかったのであろうか。

    今からでも遅くはないのだ。
    そのことを伝える人が、この現世には求められていることを、
    この吉田清太郎氏の生涯を読みながら、ひしひしと感じた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年08月20日 19時14分27秒

    icon

    温かな人たち

    父が入っている介護施設の職員の人から電話があった。
    それは、以前父が内科で受けた検査結果から、
    心臓の具合が悪く、カリュウムの値が異常に高いと診断されたが、
    再検査の結果、それほどでもなかったことを知らせる電話だった。

    私は、いつもこの施設の職員の人たちには、とてもとても感謝している。
    それは、いつも笑顔で親切、丁寧に応対してくれるからだった。
    私は、この施設を訪ねるたびに、笑顔と気配りの大切さを職員の人から学んでいる。
    私の父のような気難しく、頑固で、我儘な年寄りを世話している人たちである。
    時には、腹の立つこともあろうに、
    いつも笑顔で、心を込めて対応してくれる姿には、家族としては感謝しかなかった。

    介護の仕事を選んだ、若い職員の皆さんには、
    やっぱりこの仕事を選んだ理由があり、この仕事に向けての情熱をもっているはずである。
    現場は、やはり思い通りにはいかず、悩むことも多いだろうか、
    この施設の職員の人たちは、みな明るく全てを受け入れて対応してくれるのだった。

    父に対しては、そうした姿勢が大切なことはよく分かるが、
    やっぱり家族である私は、父の横暴ぶりに感情的になってしまうことも多いのだ。
    父は父で、甘えられるのは家族しか居ないので、
    私が行くと、やっぱり怒鳴り声になったり、イライラしたりすることが多かった。

    ところが、ここ最近、父の様子がすっかりと一変しているのである。
    柔らかい表情になった。
    起きてテレビを観ていることが多くなった。
    自分から私に話すようになった。
    何よりも、歩き方がはっかりとしてきたのには驚いた。
    父があのまま我が家に居て、ただ一日中座ったきりの生活だったら、
    どんなにか衰弱しただろうかと思われる。

    病院での荒れた日々は、このまま寝たきりになるのではないかと心配だった。
    しかし、現在は、こうしてかっての父の姿に戻りつつあるのだった。
    今日の電話で嬉しいことを職員の人が語ってくれた。
    「Sさん、歩き方がとてもしっかりしているねって、職位のみんなで喜んでいるんですよ。」
    温かく愛されている父が、何とも私も嬉しくなった。

    「いつもいつも来て下さってありがとうございます。」
    ほんのちょっとした時間を見つけて、訪ねるようにしている。
    その度に、職員の人から「ありがとうございましたる」と、お礼を言われる。

    そうすると、また来たくなるものなのだ。

    父は、そうした愛に包まれて生活している。
    しかし、その愛を感知する感性が父にあれば、
    もっともっと父も幸いな気持ちで生きられるのだと思っている。

    感謝しかなかった。
    そんな気持ちで父にも日々生きていて欲しいと願っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

    めい さけ 秋桜

  • from: クマさんさん

    2012年08月19日 10時11分11秒

    icon

    信が必要

    やはり、何を信じて生きるかなのだ。
    お地蔵様には、一日二回のお参りだ。
    早朝、ジョギングに行く途中に祠が建っている。
    その中にお地蔵様は鎮座ましましている。
    お盆を迎え、赤いおべべもリニュウアルされている。
    そのお顔を観るだけでほっとする。
    瞳はいつも閉ざされ、平安に満ちた慈愛のようなものをその閉じた眼から感じられる。
    「それでいい」と、言って下さるようにも感ずる。

    私がお願いすることは、全て了解済みだった。
    そして、その計らいを通して、私には想像も出来ないプロセスで、
    私の人生の物語は描かれて行く。
    「何で私が・・・・。」ではなくて、「私なのですね・・・・。」と、
    その振りかかる艱難辛苦のただ中で、その意味を問い続けて来た。
    「その答えは、あなたが出しなさい」と、
    私には分からない確かな道を示しながら、
    その道の往く末に何が在るのかは教えてくれない。

    しかし、その道を歩き続けられるようにと、
    弱く愚かな私の為に、御同行の伴走者は必ず与えて下さった。
    人は、独りになって、独りでは生きられないことを悟り、
    人は、独りになって、友の有難味をしみじみと味わうものだ。
    お地蔵様には、私を救いたいという願はあっても、
    現生の手はお持ちではないのだ。

    溺れかかった私の手をしっかりとつかみ、
    引き上げてくれるそんな手が、現生では必要だ。
    その「見捨てない」手こそ、
    私にとっては愛と慈悲の手のことだった。
    そして、私がもう駄目ですという時に、
    必ず、絶対、どうしても、その手は現われ、
    沈む私の手をつかみ、すごい力で引き上げてくれるのだった。

    私は、その手の存在と、その手を私に与えて下さる愛と慈悲を信じているのだ。

    人は、信ずることで、安心して生きられる。
    人生一寸先が闇である。
    何が起こっても不思議ではないと悟るようになった。
    だから、そんな状況に直面しても、「お任せします」と言える信が必要なのだ。

    おかげさまでのお地蔵様である。
    お地蔵様を名前で呼びたいのだが、
    何と呼んだらいいだろうか。
    私がもし勝手に名前をつけたとしても、
    きっと「それでいい。」と、言ってくれる気がするお地蔵様なのだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

  • from: クマさんさん

    2012年08月18日 17時14分35秒

    icon

    物語りを語り継ぐ

    昨日、「ダークナイトライジング」を観て来た。
    知る人ぞ知る、バットマンの映画だ。
    全てを失った男が、それでも命を賭してゴッサムシティーの危機を救うために立ち上がる。
    地底の牢獄から脱出するために、命綱をはずして跳び移るシーンには感動だった。
    艱難辛苦。まさに、彼はそのどん底に叩き落とされた。
    それでも、彼が核爆弾を運び海上で爆発させるのは、
    彼で全てが終わらないことを知っているからではないだろうか。

    私たちは、語り継ぐべきものを語り継ぐべき使命を帯びてこの世に生きている。
    その語り継ぐべき物語とは、その人それぞれであるが、
    人は、次の時代に生きる人たちに真実を伝えて行く義務をもっているのではないかと、
    私は、思うようになっている。

    それは、ある意味では、グスコーブドリの生き方なのだ。
    バットマンの監督のノーマン・ライアンの哲学では、
    現代の腐敗した世こそ、バットマンを求められる世はないということだった。
    まさに、恐るべき闇夜が支配する時代が到来しているなら、
    その闇夜に光を与えられるのも、やっぱり人であるのだ。

    その光としての真実を、誰かが時代と離れ、時代から蔑まれ、時代から追い払われた億万長者の御曹司が受け取り、
    見過ごすことができるのに、
    見過ごすことをせずに、弱き自分を克服して、
    果敢に挑む姿が、バットマンなのだった。

    私は、物語の存在を信じている。
    実は、私たちが語り継ぐべきものは、物語として語り継がれて来ているのだ。
    それは、時には伝説となり、言い伝えとなり、啓示となり、聖書となっている。
    物語りは、その物語の世界を通して、
    私たちがいかに生きるべきかを伝えているはずだった。

    私は、そんな物語の力を信じている。
    私ができることは、実はとてもとても単純で当たり前で純粋な魂が輝く物語を、
    これからも、紡ぎ続けることこそ、私の使命ではないかと考えている。

    本当の事は、とてもシンプルなのだ。
    実は、本当にそれでけでいいのだ。
    なのにこの世の中は、それを複雑にし、
    あたかもそれではないものをそれなのだとまやかしばかりを教えて来た。

    そこから外れると、生きられないよ。
    そっちに行ったら、戻って来れないよ。

    でも、そう警告し、大人びた顔で教えを垂れていた世の中こそ、
    明日をも知れない大混乱なのだ。
    この無常の世の中を渡り切るための確かなパスポートは絶対存在しないのに、
    あたかも、そんなものが存在するかのように人々を騙し、
    今日だけ、上手いこと生きればいいのだと、うそぶいている。

    百年後の人類の幸福に繋がる選択だけが、幸せの選択なのだ。
    私たちに今世の中が与えている幻想に、
    本当に百年後の真実はあるのだろうか。

    世の中を観るな。
    己の魂に問いかけ、その魂の言葉だけに聴き従え。
    実は、バットマンとは、そういう男なのだった。

    世の中に聴くな。
    魂に聴け。

    実は、この魂の声は、同じことをきっと私たち一人一人に語りかけているはずなのだ。
    なぜならば、魂が繋がる根源が一緒だからだ。
    その深い、深い、グランブルーから聴こえる言葉は、
    私たちに何を語りかけてくれているだろうか。

    私は、その言葉こそ、「愛」なのではないかと考えている。
    愛を解き明かす。
    愛を全うする。
    または、愛に殉ずる。

    それが、そうしたブドリのようなバットマンのような生涯が、
    人だけが持てる物語であり、
    百年後の人類に幸福をもたらせるための唯一の道なのだった。

    私は、ある人に出会い、そのことに気づいた。
    私は、ある人のために物語りを書いた。
    私は、その物語が語り継ぐべきものだと悟った。

    そして、私が物語りを生きることこそ、その人への真実の愛であると悟った。

    バットマンは、そこに気づいたのだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年08月18日 10時11分07秒

    icon

    愛をもって、愛を貫き

    さて、本日妻が退院して来る。
    5月15日から三週間の入院のはずだったのに、
    術後の経過が悪いために、ここまで入院が延びていた。
    その間、我が家では、母の葬儀と父の介護施設入所があった。
    私が介護休暇で主夫となり、家事一切を賄い、次男と二人暮らしだった。

    人生とは、まさに予測不可能なものだ。
    不思議なものである。
    こうした生活が三カ月間も与えられていたとは、夢にも思わなかった。
    ということは、これから先も、夢にも思わないことばかりなのだということだ。

    この体験から、学んだ事ばかりだった。
    その苦難の中でしか、人は本当のことは学べないようだし、
    学んだことが自分の力とはならないようなのだ。
    その為に、お地蔵様は、私に艱難辛苦を与えたのだと、今では思っている。
    振り返れば、あっという間の三カ月間だった。
    ということは、人生そのものも、最期になって振り返ればあっという間なのだと思う。

    実は、母のことがあってから、私には欲がなくなった。
    あれも欲しい、これもやりたい。
    確かにそんな気持ちはあるが、
    今は、あるがままのこの場所で、愛する人と共に生きられることだけで、
    何だかとても満足な気がする。

    何だ、ここにあったんだ。
    探し求めて、見つからなかったものが、
    本当はこんなに身近に、
    それもいつもいつも生まれてから一緒に居た場所に、
    それはあったのだ。

    艱難辛苦とは、その己の心の目を眩ませている我欲を取り去るために、
    お地蔵様が与えて下されたものなのかもしれない。
    我欲とは、己の欲望のことである。
    その時、欲する物を手に入れるまでの我武者羅な気持ちと行動とがあり、
    その欲する物を手に入れた喜びも感じられるかもしれないが、
    全てのものは己の思い通りにはいかず、
    全てのものは時と共に消えてしまう。

    その無常なることを悟ると、
    我欲こそ、己の生き方を誤ってしまう根源なのだと、私は感じた。
    だから、「任せておけばいいのだ」と、想い、我欲を捨てることにした。

    と言いながらも、悟りを開いたわけではない。
    私は、まだまだ我欲の塊でもある。
    しかし、それをどうこうとしようとは思わなくなった。
    「何でこんなことが」「どうして私だけが」とも思わなくなった。
    次々と向こうからいろいろな波が押し寄せて来る。
    それをそれでこだわらずに受け入れて、受け流して、過ぎて行くのを待つだけだ。
    今更、自分が人からどう評価されようが関係ないと想えるからだ。

    ただし、「自由」は手放すつもりはなく、今は最も大事にしている生き方の基本だ。
    人は、自由に生きねばならない。
    人は、我欲の虜になってはならない。
    人は、愛の人にならなくてはならない。
    人は、きっと誰かの為に生きるのだ。
    人は、その誰かを探しに人生の旅を続けている。
    そして、必ずその人には出会えるのだ。

    私は、この艱難辛苦の体験によって、
    その人生の旅の第一歩を歩きだした気がする。
    「愛をもって、愛を貫く」
    これは、今度の「キビタシの森」の劇で歌われる歌の一節だ。
    縄文の血を受け継ぐ森の民の人たちが、祭りで歌う歌だ。

    私は、「愛しかないのじゃ」ということが、
    この三カ月の艱難辛苦の答えのような気がする。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 4

    icon拍手者リスト

もっと見る icon