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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2016年10月31日 06時12分17秒

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    非思慮こそ、ルーテーンなり

    ルーテーンは、非思慮だな。
    考えない。
    ただやる。
    一つを終えたら、次のやるをやるだけ。
    疲れたら酒を飲んで寝たらいい。

    朝食を食べてから、すぐに大形のコミュニティーに向かった。
    歌を歌うためだった。
    混声合唱の発表だった。
    思い切り歌う。
    それをただやるだけのこと。
    歌うことで無心になっていく。
    指揮者のKさんの想いをそのまま感じ、
    自分は無になって歌う。

    歌で、初めて出会った人たちと同じ感動を共有できた。
    一つがここに生まれ、ここに現れ、互いに感じ、振れている。
    ここには、音楽のミューズが現れていた。

    歌った後は、すぐに教会に向かった。
    ここでも賛美するという大事な役割が与えられているからだ。
    歌うことで、私は私としての使命を全うしているようなものだった。
    いや、歌うことしか私にはないのでもある。
    だから、歌う。歌わせてもらう。歌声は、祈りによって生まれるものだ。

    それから、大威に向かった。
    今週はこのカレー担々麺は3杯目になる。
    「日曜日にいらっしゃるのは珍しいですね」と、店主に言われた。
    「明日で終わるから、応援に来ました。」
    店主は、笑顔で頭を下げた。
    コンテストの期日が今日までだった。
    つまり、今日までの投票でこのカレー担々麺がファイナルに残るかどうか、
    決まるのだった。
    一票でも多くの得票をと、私はやっぱり食べに来た。
    ここには、確かに存在する美味さの手応えがあった。
    「在るものを味わう」それは、全くリアルなことだった。
    そして、それが味わう私の喜びとなり、感動となる。

    その帰りに、S叔母の施設に寄った。
    施設の方針で寒さの季節は、外泊ができなくなったそうだ。
    つまり、S叔母と逢うためには、そこへ行かねばならないのだ。
    そしたら驚いた。
    K叔母とT叔母とが、やっぱり彼女に逢いにそこに来ていたのだ。
    車椅子で外の景色を観ながら、三人は語り合っていた。
    突然の私の登場を驚き、とにかく喜んでくれた。
    「死にたいよ」と、S叔母は泣くのだそうだ。

    「叔母ちゃん、みんな孤独だよ。みんな辛いんだよ」と、私が語った。
    どれだけ独り暮らして孤独で侘しい日々を送っている老人がいることか。
    これが老いるということの現実だった。
    だから、慰めが必要なんだ。
    そうやって、そこに居るだけで、何だか救われたような安ど感がある。
    入院していたから、このS叔母の哀しさは痛くよく分かる。

    午後から庭仕事をした。
    あんまし天気がよかったから、芝生に寝転がり青く澄んだ空と白い雲を観ていた。
    その青に、枯れていく百日紅の葉と小さな実が映っていた。
    雲は絶えず静かに流れて姿を変える。
    百日紅の細い枝は、何もかかわりなく、風に小さくゆれていた。
    ああ、そうだよなぁ。そういうことだよなぁと、何だか胸がじーんとした。

    歌が在る。
    祈りがある。
    美味いがある。
    孤独と哀しみが在る。

    青い空が在る。
    風と雲が在る。
    去って行く百日紅がある。

    それを何も考えずに、ただ感ずる。
    すると、私の中で何かが感じて、応えている。

    何も考えずにさっさとやると、出会えるものばかりなようだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月30日 08時11分02秒

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    3回目のまち歩き・八一との出会い

    昨日、まち歩きの3回目だった。
    西大畑のお屋敷界隈のまち歩き。
    いつもあることを知りながら、いつか行ってみようと想い、行かない場所。
    そんな場所は、みんな多いのだと昨日は改めて感じた。

    カトリック教会の中に入った。
    厳粛な空気感だった。
    静寂は、ステンドグラスから温かな色の豊かさでもあった。
    新潟市で最も古いパイプオルガンがあった。音色を聴きたかった。
    ここで、友は結婚式を挙げた。
    庭に出で驚いた。ルルドの泉が模して造られていた。
    行ってみないと分からないものだ。

    異人池は、この教会を建てた神父さんたちが、
    井戸を掘ったら湧水が溢れ、
    それが砂丘に大きな池を造ったことを初めて知った。
    それで名前が「異人池」の意味がよく分かった。
    聴いてみないと分からないものだった。

    ドッペり坂の階段はちょうど59段だった。
    60点で試験は合格点だ。
    古町ばかり遊びに行くと、
    落第するぞとのこの洒落が面白い。
    「ドッペル」とは、ドイツ語で「二重」という意味だそうだ。
    案内板を読まないと分からないものだ。

    「砂丘館」は、私の好きな建物の1つだ。
    あの座敷に座って、ぼんやりと、のほほんと庭を観ている。
    それだけで、何だか心がすーっと落ち着いて来る。
    時間を忘れてここに居たい。
    やっぱり日本人なんだなぁと、
    日本庭園を観ながら、ここだと感ずる自分と出逢う。
    そこに行って、自分で観ないと分からないものだ。

    坂口安吾の生誕の碑を初めて見た。
    撰文は「石の想い」からだった。
    海や松や、風や砂丘に故郷を感じ、彷徨った青春時代だった。
    安吾はここに生まれた。私は、高校時代に安吾に救われた。
    彼が居たなら、私だって生きていたっていいではないかかな。
    「偉大な落伍者」に、まだまだなるまでにはやっぱり途中のようだが。
    尋ねてみないと分からないものがある。

    「行業亭」は、昔鶴を飼っていた。
    ふの土蔵にある鶴は、職人がこてでその場でこさえたものだそうだ。
    職人が亡くなっても、その人の技は残される。
    主人がいつも゛「粋ななり」をしていたので、この名になったそうだ。
    調べてみると、面白い話があるものだ。

    斎藤家の庭は見事な庭だった。
    回船業・化学工業・銀行業で財を成した、財閥だったそうだ。
    門から玄関までの距離が短いのは、
    母屋を道路に近づけて、広大な庭の敷地を確保するためだったそうだ。
    真ん中に大きな大きな池がある。
    そこに奥の斜面からごうごうと水が落ちている。
    針葉樹と広葉樹が7対3で植えられているそうだ。
    砂丘の自然な地形を生かした雄大なる庭でもあった。
    その景色と向き合うことは、自分と向き合うことだと感じた。

    さて、私はみなさんと別れてから、隣の「北方博物館分館」に行った。
    アルビの試合の時刻が気になりながらも、
    これを逃しては再び訪れることがないように感じたからだ。
    450円は、少々お高く感じられたが、
    入ってみて、分かった。
    ここには、「八一」が生きていた。

    最晩年の十年間。失意と孤独と哀しみの中で、ここで八一は書を書いた。
    飄々とした着物姿の八一の写真が微笑ましい。
    「あき乃」の親父さんは、八一の大ファンだ。
    昭和31年まで、ここで彼は生きていた。
    小学生は、その蓬髪と風貌から、「ライオン」とあだ名したそうだ。
    子どもが好きで、笑顔で子どもたちの様子を見ている写真がある。
    さてさて、私は畳に座って掛け軸をじっとじっと見て、読んでいた。
    八一の字は、ひらがなだった。
    それも、上手いのかなぁと思えるひらがなだ。
    「俺の字に似ているなぁ・・・」とは、罰当たりな話。
    でも、そんなひらがなの八一の書が懐かしかった。

    そして、庭がやっぱりそこにあった。
    私は、彼が座って庭を観ただろう所に座り、眺めるともなく眺めていた。
    すると、何だかふと哀しくなってしまった。
    孤独な八一をこの庭はきっと慰めてくれていたんだろうなぁ。
    庭は、友だなぁ。

    帰りに「あき乃」に行って、アルビの勝利を願って大盛の蕎麦を食べた。
    「親父さん、八一のところに行って来たよ。」
    「そうですか。」
    その声で、どれだけ親父さんが八一のことを好きなのかよく分かった。

    八一の十年間。
    もっと研究すべきだなぁと、勘定を払いながら、ふっと想った。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月30日 06時43分12秒

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    ついつい書いてしまった。

    本当に人生とは、予想外の展開に満ちているものだ。
    大阪でのこの一戦とは、まさに天王山の一戦だった。
    ここでの負けは絶対に許されない。
    そのために周到に身体と心との準備をして臨んだはずだ。

    あれだけのサポーターが集結していた。
    やっぱりオレンジの力には、何か私までが力をもらった気になる。
    私は自宅のテレビの前だが、ユニホームを着て、山吹色の鉢巻をまいて、
    常在戦場。まさに決死の覚悟の応援だった。

    しかし、開始5分。
    あっという間にDF・Rがボールを自陣深くで奪われ、痛恨のゴールだった。
    目の前にFWの名手が居ながら、彼はボールを見てはいなかった。
    すーっと相手にすくわれて運ばれては後の祭り。
    まさに悪夢とは、このことだった。

    しかし、その後FCからの得点の時だった。
    見事にMがヘッドでスルーをしてキーパーをかわし、
    そのこぼれた球をDFをアタックで抑えながら、
    芸術的なシュートのSだった。
    歓喜・歓喜・歓喜。
    しかし、Mの手が相手GK・Hを抑えていたのでファールだと、
    Hは審判に執拗に抗議していた。
    彼には、考えられない真剣な抗議だった。
    つまり、事実はきっと彼の抗議の通りだったのだろう。

    ここで、この試合は決せられた。
    審判のOは、相手のホームで2万人の相手サポーターの中で、
    このミスジャッジをしていまったことを、きっときっとずと想っていたに違いない。
    どうやったらこのミスを帳消しにして、イーブンにするか。
    その絶好のチャンスが、Sのドリブルでの突進だった。
    相手DFの強烈なアタックに耐え、前のめりになりながらゴールに向かった。
    ゴールエリアですぐさま二人目のアタックを受けた。
    倒れるのは当たり前だ。
    ただ彼は果敢にゴールを目指しただけなのだ。

    すると、このプレーに対して、シュミレーションとしてイエローカードだった。
    「何だ、それは。」
    スカパーの解説者もこのジャッジには驚いたようで。
    「あれを取られたら、フォワードはあそこで攻められないな」とのこと。
    正に信じられないカードだった。
    そして、即そのイエローは、レッドに変わるカードだと審判は知っていたはず。
    とうとう彼は、このレッドで、イーブンにしてしまったのだ。

    それは、人間のやることだろう。
    しかし、ピッチに立って本気で全知全霊で戦っている選手たちにとっては、
    これは絶対に許されないジャッジだった。
    その鬱積した怒りが爆発した。

    味方へのイエローカードへの抗議をしたRが、あの温厚でいつも冷静な彼が、
    審判の持つカードを叩き落としてしまったのだ。
    いや、怒りに任せて手を振り落としたら、カードに当たったと言うのが事実だろう。
    一発退場。

    何と後半半ばに、我がチームは主力の2選手を失ってしまったのだ。
    ピッチは10対8の闘いとなった。
    得失点差を考えたらもうこれ以上大阪に得点を入れさせてはならなかった。
    正にゴール前は総力戦での必死の防衛だった。
    しかし、ここが今の我がチームだ。
    やはり勝ち点をもらいに、これでもやっぱりチャンスを捕えて攻撃に転ずる。
    私は、前半の見事な試合ぶりに、Jでもこれだけの試合ができるのだと、
    独り武者震いをしていた。
    そんな試合なのに、Oという審判は、それを全部誤審によって台無しにした。

    話は、これだけで終わらなかった。
    アデッショナルタイムは6分のはずだった。
    しかし、7分になっても笛が鳴らない。
    8分になっても笛はならない。
    時間が延びれば延びるだけ不利になるのはどちなのチームなのかははっきりしている。
    なのに、笛は鳴らなかった。
    そして、大阪に1点入れられて、直ぐに笛が鳴った。
    この1点を待っていたかのような笛だった。

    選手やサポーターにとって、これほど屈辱的で悔しい試合はないと想った。
    大阪に負けたのではなく、たった独りの若い審判の感情に負けさせられたのだ。
    そうした意味で、審判はもっと謙虚になるべきで、
    もっともっと試合の意味を考えて、責任のある、冷静なる、
    選手から信頼されるジャッジをしてもらいたい。
    結構この審判の誤審で、チームは大事な試合を落としてしまった。

    しかし、甲府も名古屋も共に負けてくれたことは、天からの恵みであった。
    残留を賭けた熾烈なる闘いは、ホーム最終戦に持ち越した。
    それも、相手は前年度の覇者広島だった。
    そして、この審判の酷いところは、
    この試合に二人のエースを出場停止にしたことだった。

    情けないが、本当にプロの審判なら、その一枚のカードの意味を考えて欲しい。
    瞬時に判断して、ここは出すべきでないところは、出さないで欲しかった。
    そうかなぁと想っても、流して欲しい時もある。
    その局面でのミスジャッジが、我がチームををここまで窮地に追い込んだ。

    あのSへのカードは、大阪のGK・Hへのミスジャッジへの謝罪だった。
    あれは、そうではなかったら何事もなく、流せた場面だった。

    審判のメンタルが、残留か降格かを決することもあるのだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月28日 06時09分32秒

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    浅き夢見し酔いもせず

    さてさて、昨日も忙しく一日が過ぎて行った。
    時の立つことを感じつつ、時の流れるままに流されて、
    その時、その時、やるべきことをただする。すぐやる。さっさとやる。

    余計なことは何も考えないで、
    あれができたら、次はこれ。
    これをやったら、次はあれ。
    そうやってそこにある小さな仕事をこつこつとこなしていく。

    自分のことを勘定に入れずと賢治さんが言っていた。
    勘定だけでなく、感情にも入れない。
    そうやって、時を使い、仕事に励む。
    それでいいし、生きるとはそういうことなのかもしれないと、
    ふとふと想ったりする。

    大事なことは、全てここに与えられている。
    それは、私が好むと好まざるとだ。
    あれはいいが、これは嫌だではない。
    あるもの全てが、恵みの全てなのだと想うこと。
    そしたら、自分を勘定にも、感情にも入れることはないはずだ。

    「行先に 我が家ありけり かたつむり」 鉄舟

    そんな境地で生きられたら、きっと「今 ここ」が楽しいことだろう。

    「月は万水に映る」

    そうだよなぁ。本当にそうだなぁ。
    ただし、「明鏡止水」ならばのことだった。

    時を静かに迎え、静かに味わい、静かに忘れる。
    その連続と変化の中に在りながら、変わらないものがここにある。
    「八風吹けども天辺の月は全く動かず」だ。
    月は、動いて、動かない。
    そんな存在に、私もなりたいものだと、ふと感ずる。

    「色はにおえど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならん 
     有為の奥山きょうこえて 浅き夢見し酔いもせじ」

    やっとこの「いろは歌」を覚えることができた。
    これも澤木さんのおかげさまだ。
    本当にそうだったなぁ。
    全てのものは移り行き、変わりゆくけれど、
    ここにある不動なものには、全くもって何も変わりはないのだった。

    お日様もそう。
    お月様もそう。
    ちゃんと見れば、ちゃんと感ずれば、何一つ変わったものは存在しない。

    「無垢清浄の光」が、私の理想で、私の道だと、澤木さん。
    その清浄な光に自分がなることが、修業なんだと教えられた。

    大威のカレー担々麺は、いつ食べてもその味である。
    あき乃の小千谷蕎麦は、いつ食べてもその味である。
    変わるようでありながら、不動のものがそこに在る。
    それを信じて、今日を生きる。

    自分が入ると、せっかくのこの味が台無しになる。
    だから、自分はいらない。
    ただ、この不動の味を感謝しつつ味わうのみ。

    日々の時も、同じこと。
    感ずるままに、あるがままを味わい、そして、疲れたら眠るだけ。
    その内に、私がカレー担々麺になり、小千谷蕎麦そのものになる。
    それこそが、無垢清浄の光そのもの。

    そのためにも、その時、その時、ただやるべきことを、無心にやるだけ。
    そんな感じて日々を生きてみたいものだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月27日 06時03分43秒

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    さて、どう生きる。

    先週届いた、左腎臓腫瘍疑いの通知。
    これが何だかずっとずっと心に重く響いていた。
    昨年の11月の内視鏡手術失敗から、本当に一年間は、
    3度の手術と、3度の入院、長期の自宅療養だった。
    その間、私は日常生活すら満足にできず、ただただ静かにここで暮らした。

    しかし、確かに腹膜炎では3日間のICUで生死の中を彷徨ったが、
    「クマさんのは、治る病気だよ」と、主治医に言われて退院した。
    そんな病気で私は救われたことも確かだった。
    だから、こうしてヘルニアの手術の後、腹筋はこりこりに固まってしまっているが、
    一日一日回復へと向かっている。

    何よりもこの身体から学んだことは、蘇生する力だった。
    それを自然の治癒力と言っている。
    その治癒力は本当に存在していることを、そして、その力が確かに働いていることを、
    私は、自らの身体をもって実感した。

    しかし、もしこの腫瘍が悪性の癌であったらどうだろうか。
    昨日の「ガッテン」で大腸癌で亡くなる人が年間15万人だと知った。
    こうしていても癌で亡くなっていく人は、存在している。
    それは、まさに他人ごとではないのに、私はすっかりと忘れて生きている。
    忘れていたなぁ。
    自分がいつか必ず死ぬということを。
    実感していなかったなぁ。
    自分も癌になるかもしれないということを。

    人は、我であり。我は、人なんだ。
    みんな生きているものは根底で繋がっている。
    これは、ある禅僧の言葉だが、何だか最近は実感させられている。
    体験しなくては、人はきっと悟らないのだろう。
    本当は、この一大事を分かって、仏とひとつながりで生きること。
    そのことが、その三昧こそが人生の意味なのに、
    私は、日々の我執の迷い、煩悩、欲望で、いつもその事実を見失っている。
    そんな時だ、知らせが届くのは。

    「さて、腫瘍があるかもしれませんよ。」
    「精密検査して調べてもらったほうがいいですよ。」
    「手遅れにならないことを祈ります。」
    随分と脅かされた。
    しかし、そうでもしなければ、この無常迅速の命のことをすっかりと忘れ、
    生死事大であることすらすっかりと忘れ、
    ちっちゃなことに腹を立て、ちっちゃなことにくよくよとして、
    何とも何とも情けなく生きている凡夫のままなのだろう。

    この腫瘍疑いの知らせは、天からの知らせでもあった。
    「どう生きるんだ。」
    忘れて、ぼんやり生きていた私に、「今、ここ」を向こうから迫って来た。

    もし、私に蘇生する自然なる治癒力があるのなら、
    きっとここで生まれたであろう腫瘍と和しながら、
    その脅威を抑えつつ、余命を告げられながら、
    それでも弱りながらも今日を生きるだろう。

    その時、私が悟ることは何だろうか。

    昨日、N大でCTを撮った。
    結果はまだ来ない。
    どんな知らせが私に届くのだろうか。
    それは、天のみが知ることだ。
    きっとまたそこから新たな修業が始まるのかもしれないなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月26日 06時24分26秒

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    種の殻を破る時は

    「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 元の姿は 変わらざりけり」 鉄舟

    悩んでいることが多くなったようだ。
    何だか自分ではどうにもならないことでくよくよしていたりする。
    ああ、弱いなぁ。まだまだだなぁと、そう想う。

    しかし、そうなのに、そうでもない自分がここに居る。
    「悩んだって、仕方ないさ」
    「人は、人。自分は、自分。」
    「私がどんなに悩んだところで、生き方を決めるのは私ではないんだから。」
    そう想うと、心が少し落ち着く。
    それは、小さな芽が芽生え、その芽が雨風や強い日差しに耐えながら、
    自然の恵みをいただきながら、すくすくと生きて行く姿に似ている。
    生きるのは、この一つの芽だ。
    そして、きっと私がそうだったように、
    生きるための力はちゃんと生まれる前から自然は供えられいるはずだ。
    それを信じる。
    それが、信仰なのかもしれない。

    どうしてこうなんだと、私が想うことではない。
    その中からしか、見つからないものがきっとあるはずだ。
    人は、人でありながら、本当の自分に気付かないまま生きている。
    本当の自分は、ずっとずっと変わらずにここにある。
    なのに、その本当の自分と出逢えずに、その自分を求めて、苦しみ悩む。

    しかし、その時がきっと来る。
    地に落ちた種が、芽を出さねばならない時が。
    それは、どうにもならない自分に気付き、
    その大事だと考えていた自分の偽物の殻を砕いて、ばらばらにする時でもあった。
    そこを経ないと、本当の自分には出会えない。

    イニシエーションと言われる。
    その通過儀礼は、誰にでも存在している。
    種は、あの固い殻を破ってこそ、根をはり、芽を出す。
    その固い固い殻の中で生きては来たが、
    きっと呼び出しが来たのだと私は感ずる。
    その時節は、人それぞれに違っているが、
    「今、ここだよ」と、天は必ずその時を私たちに与えてくれる。

    それは、一度死ぬということだ。
    その自分に死ぬということがない限り、
    種は、種のまま、年をとり、老いて、死んでいくことだろう。
    本来、種は花を咲かせるためにそこに存在していても、
    種が、種のままでいいんだと居直ってしまっては、
    どんなにしても助けてやれぬと言うことだ。

    「元の姿は 変わらざりけり」なんだ。
    しかし、これが分からない。
    そのために、突然の腹膜炎があり、死ぬ生きるがあり、この腹の傷がある。

    「地に落ちて死なずば」と、聖書にも書かれてある。

    今、私は、私を通して、私の家族を通して、そのリアルを目の当たりにしている。
    「さて、どうするか」だ。

    「八風吹不動天辺月」
    この月でありたいものだ。

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    2016年10月25日 06時13分37秒

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    生き残った私は

    「死んだ人々は帰って来ない以上、生き残った人々は何をすればいいのか?」

    そんな言葉が、本に書いてあった。
    夜中の1時に目が覚めて眠れなくなった。
    ああ、いつものやつだなぁと、ふと感じた。
    あの病院の夜中の目覚めとは、ちょっと違った。
    不安と言うのだろうか、突然、あのいつものやつに襲われた。

    そのままにしないことにした。
    あまりくよくよと考えないことにした。
    「悩むな。考えろ」と、池田さんも言っている。
    さてどうしたものだろうかは、とても具体的な行動なんだと想う。

    まず、私の見方・感じ方・考え方を修正することだ。
    今、ここにある不安とは何か。
    それは、私が不安になれば解消される課題なのかと考える。
    それは、そうすればすぐに解決する課題でもあるかと考える。
    「否」だった。
    まず、その問題の本質を理解しよう。

    私が、変わることだった。
    それならばできるはずだ。
    私が、こんなどうしようもならない人だから、そうなった。
    でも、きっと私でなくても、そうなったかもしれない。
    ならば、まず、その気持ちに添って、その辛さを感じ、
    共に在ることが大事なことだ。
    懺悔は、その後でいい。

    「今、ここ」を、私がどう生きるかを、きっと試されているはずだ。
    人は、こうして試練に遭わなければ、その人本人とは出会えない宿命のようである。
    自分が、自分で、自分になるためには、
    どうにもならない自分と向き合い、その自分を捨てねばならないからだ。
    自分であることのこだわりを捨てる。
    自分なんてもう死んでしまったんだと感じる。
    もう、自分なんてどうでもいいと想う。
    しっかりと握っていた自分を放す。

    そこにしか、救いはなかった。

    問題は、彼の生き方なのだが、
    その問題の解決のためには、私が自分に死ぬことが大事だと感じた。
    もう、私のことはどうでもいい。
    そこからしか、その先には進めない。
    そんな極みに来ているのではないだろうか。

    私は、亡くなった父や母に守られて生きている。
    いや、臨港の叔母ちゃん、たっちゃん、桜井さん、Oさん、Iさん、おたた。
    私を大事にしてくれた亡くなった人たちは、
    今も、ここで、私のことを見守ってくれている。

    その見守りこそ、救いだった。
    どうにもならないこんな私にとって、
    その眼差しと想いがあるから、今日だけはこうして朝日を拝んで生きられる。

    生き残った私も、やっぱり亡くなった人たちがしてくれるようにして、
    見守り、想い、心配し、傍に居てやるだけでもいいんだと、
    それしか人にはできないんだと、
    今は、思っている。

    4時半になった頃、いつの間にか眠っていた。
    5時過ぎに、いつものように目が覚めた。

    生き残った人々がするべきことを、今日もして生きようと、朝日に想った。
    でも、なかなかできない。それも人間だなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月24日 21時12分50秒

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    疲れたなぁ。

    今日は、代休で平日でのお休みだった。
    天気もよかったので、ほっど一息と想いながらも、
    家の掃除と片付けとに奔走していた。
    やれどもやれどもこれでもか、これでもかだった。
    私が手術・入院。
    そして、退院してからはお腹がまた裂けてしまわぬように、
    許された範囲の日常生活しかできない身体だった。

    重い物は持てない。
    腹筋を使えない。
    無理な動きはしない。
    走らない。自転車に乗らない。山には登らない。
    本当に制限された日常をただ生きていた。

    いつもならばユナイテッドのメンズディーだからと、
    映画の梯子をしたはずの月曜日だったが、
    1時近くまでせっせせっせと部屋の片づけと衣替えだった。
    本当にほとほと疲れた。

    それで、自分へのご褒美に大威でカレー担々麺を食べた。
    それも、初の大盛だった。
    どんぶりの大きさが違っていたので嬉しくなった。
    今週でこの担々麺は終了となる。
    コンテストには、今月までの投票でエントリーする。
    少しでも力になればと、今日はここと決めていた。

    身体をくたくたに使う。
    そして、身体が喜ぶ美味い担々麺をいただく。
    そして、帰ったら・・・・。
    ぐったりと疲れた身体で横になって本を読みながら眠ってしまった。

    そして、感じた。
    本当に体力がなくなってしまったんだなぁと。
    何だか疲れが抜けない身体になってしまったんだなぁと。
    すっきりするはずが、久しぶりにどんよりと暗く、重たい気持ちになった。
    すっかりと片付いたのに、叱られてしまった。
    いつものことだから仕方ない。

    何だか、ただ、ただ、溜息が出た。
    うまくいかない。
    なんともならない。
    そんなことを想うだけで、何とも心が辛くなる。
    せっかくここまでやれたのに、がっくりとして今に至る。

    報われない。そんなもんだ。
    それを受け入れて、静かに休む。
    しょせん、報われないことが、私の宿命なのかもしれないなぁ。
    鶴瓶の「家族に乾杯」を観た。
    南魚沼市だった。
    その家族の明るさ、温かさ、何とも言えないほのぼの感が眩しかった。

    どこでどう道が変わってしまったのだろうなぁと、ふと感じた。
    今夜は、溜息の中で眠ることにする。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月24日 06時07分53秒

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    茄子を仕舞にした

    もうすでにどうなることになるかは決まっているのに、
    ただ本人が自分のことすら知らないだけだ。
    それはここに在るのに、在ることすら気付かないで生きている。
    なるように事はなる。
    きっとそうなんだろうなぁと、想うことが多い。

    土曜日の朝、茄子を仕舞にした。
    まだ枝も元気で、茄子の実を幾つもつけていたが、
    その茄子が元気がなくなったからだ。
    まず茄子の色が、掠れて薄くて茄子の紫ではなくなった。
    触るとぽにょぽにょと弾力があり、張りがなくなった。
    枝にぶら下がってそれなりに大きくなったが、
    元気がなかった。力がなかった。美味そうではなくなった。

    そうか。茄子も老いるのか。
    そう感じた私は、秋茄子に感謝しつつも、この木を仕舞にすることにした。
    隣に茂っているピーマンもそうだった。
    5つも実を付けていたが、あの夏の頃のつやとしまりがないような気がした。
    終いの時が来たら、やっぱり仕舞にしてやればいいんだなぁ。
    その最期のピーマンは、まだ食べられずに皿の上に乗っている。

    「聖人に己なし 己でないものはなし 天地同根 万物一体」

    澤木さんから、こんな言葉を教わった。
    数年前は、もう少しこの言葉からは遠かったかも知れない。
    大事な言葉だからと、そのページの脇に自筆で写し書いている。
    今朝もやっぱりこの言葉に出逢った。
    そして、また今は今の私としてこの言葉を書いた。
    何度書いても同じじゃないかとは想えない。
    不思議と、沁み方、分かり方が違っているように感ずる。

    茄子を仕舞にし、ピーマンを仕舞にした。
    それは毎年のことだったが、何だかその終い方の丁寧さが違う気がする。
    終いになったら仕舞わねばならない。
    それは当たり前のことだが、
    その当たり前のことが、私のことのように感じられるのだ。

    この弱り、老いた茄子は、私だよ。
    知らず知らず、自分のことでありながら、
    身体に起こっている日々刻々の変化については、
    感じずに済ましていることが多すぎるのだ。

    腫瘍の疑いがあります。
    ああ、やっぱり我も彼だったなぁ。
    彼も、我だっんだなぁと、ただその瞬間に一つになって感じられた。
    自らが体験するとは、こういうことなんだ。
    その時、その言葉は、言葉として語りだし、私に何かを諭してくれる。

    茄子も我。
    ピーマンも我だ。
    天地同根・万物一体。

    なるようになる。
    きっとそうなっているのだから。

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  • from: クマドンさん

    2016年10月23日 06時38分38秒

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    さてさて、どうしたもんじゃろう。

    ドックの結果かが届いて驚いた。
    左腎臓に腫瘍の疑いだそうだ。
    現実となるとやっぱり応える。
    昨年の11月から三度の手術だ。
    そして、やっと腹筋の固さも和らいできて、
    来年山に登ろうと思っていたのに・・・・、
    現実とはこうして残酷なものだとつくづく感じる。

    精密検査を水曜日に行う。
    そこで、次の運命は決せられる。
    これでもかこれでもかだ。
    しかし、よくよく考えたら、
    私の想ったことは、起きず、
    いつもいつも想定外のことばかりだ。

    こうやってでも今日を生きていられることは、
    考えたら実に実にありがたいことだった。
    田部井淳子さんが癌で亡くなった。
    彼女ですら、癌には勝てない。
    富士登山を応援している田部井さんのテレビ番組を観たことがある。
    歩くことがやっとなのに、
    初めて富士登山する東北の高校生たちを励ましていた。
    生きるとは、きっとそういうことなんだろうなぁと、
    今になって、その姿が思い出された。

    若松さんの言葉が日報に出ていた。
    「書き手になるなら、
     言葉を用いる技術より先に、
     言葉に信頼される存在にならなくてはならない」と。
    そうたなぁ。
    神様は、こんなちっぽけな私を選んだ。
    そして、次々と想定外の試練を与えた。
    それは、神様からの私への愛であると信じている。

    痛みと苦しみと絶望とからしか、
    人が出会えない言葉がきっとあるからだ。
    「言葉から、選ばれる人」に、私はなりたいなぁと思っている。

    田部井さんのご冥福をお祈りします。
    山に本当に愛された人でしたね。

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