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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2014年11月29日 06時16分56秒

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    老婦人の孤独について

    さて、父だった。
    夕食のお手伝いに病院に行った。
    すると、父はまた車いすにシートベルトで縛られ、
    ロビーで妹とテレビを観ていた。
    落ち着いた表情だった。
    というよりか、何だか意志を感じられない、虚ろな表情でもあった。

    鼻には、また酸素の管がいれられてあった。
    父は、それを黙って受け入れているようだった。
    父の姉である小戸の90歳のおばさんが肺炎で入院したそうだ。
    父にとってたった独りの肉親だ。
    父にそのことを話すと、やっぱり黙って肯いた。

    昼は、食事を全部食べたそうだが、今は食欲がないようだった。
    スプーンを口に運んでも、口を開けずに、拒否をした。
    無理して食べると喉に詰まり、むせてしまう。
    父の痩せ細った右手は、点滴のために黒い紫色になっていた。
    それでも、父は、ここに生きている。

    食事のテーブルで、隣同士の車いすのおばあさんが居る。
    とても品がよく、社会の中でしっかりと生きてきた感じの人だった。
    突然、彼女が話しかけてきた。
    「お父さん、おいくつですか。」と。
    「84歳です。」と言うと、
    「私は、90歳ですよ。テレビが友達。もうたくさんだわね。」とほほ笑んだ。

    それから、彼女の波乱万丈な生涯の話になった。
    私は、父の食事もそっちのけにして、ただただ聴き手となって話を聴いた。

    90歳とは、大正8年の生まれだった。
    支な事変と彼女は、戦争をそう呼んだ。
    その頃、下山の農家に生活していた思春期の彼女は、
    この新潟を飛び出したくて、埼玉の川口に出来た病院に住み込みで働いた。
    そこで、助産婦と看護士の資格を取り、実家に戻って来たそうだ。
    戦争のために新潟空港は作られ、そこに10代の訓練生が400名もいたそうだ。

    医師は新大から来ているので、毎日居なかった。
    そこで、看護婦が必要だったから採用されたと話してくれた。
    その後、今入院しているR病院に勤務して、34年間働いて引退したそうだ。

    娘が二人居るけれど、一人は婿さんを取って実家で暮らし居てるし、
    一人は佐渡に嫁に行ったきりだそうだ。
    「家に他人が入るとねぇ」と言うだけだったが、
    何だか彼女の家の様々な事情が分かるような気がした。
    旦那さんは35年前に他界したそうだった。

    彼女は、物静かにそんな身の上話をずっと続けた。
    「テレビだけですよ。テレビがあるからねぇ。お父さんもそうですよね。」
    私は、ふと凛として時代を生き抜き、家族を守って生きてきた女性の、
    老いてからの孤独を感じてしまった。

    「もう、たくさんよ。でも、神様はお迎えにきてくれないんですね。」
    その言葉に対して、私は何も言えなかった。
    父は、ぼっとして、テーブルを見つめながら、そこに居た。
    聴こえているのかどうかすら分からなかった。
    今日はやけに反応が実に乏しい父だった。
    彼女は、そうやって15分くらいも話していただろうか。

    彼女は、話しかける私の言葉には反応はしなかった。
    耳が遠くて聴こえないからだった。
    そこへ看護士さんが来て、彼女に病室に帰りますかと聞いて来た。
    笑顔の彼女は、その看護士さんにこう言った。
    「私がここでいつまでも居ると困るわよね。私も仕事していたから分かるのよ。」
    「長いお話を聴かせてしまって、ごめんなさいね。」
    彼女は、私にお辞儀をして、車いすを押されて病室に戻って行った。

    さて、人には人の物語ありだ。
    それを誰かが書き留めて、記録に残してやることはできないだろうか。
    もう一つは、長生きすることの孤独だった。
    認知症に近い父と彼女は違う。
    頭がしっかりしていながら、独りで生きることとは、
    一体何のために神様が彼女に与えた試練なのだろうか。

    生きることには、適切な時期になったら、休息が必要なのだと私は想う。
    一休みしてから、また新たな人生を始められればそれでいいのだ。

    父も、彼女も、この雨の暗い朝を、病室のベットの上で迎えている。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2014年11月28日 06時52分11秒

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    介護難民

    寝坊してしまった。
    目覚ましをかける前に爆睡だった。
    布団に入ってから、本を開いて数秒のことだ。
    とにかく寝つきがよくなっている。
    それだけいい加減に生きているから大丈夫なのかも知れない。

    「大事な話があります。」
    病院に居る妹からのメールだった。
    父のことだとは分かっている。
    どれだけ深刻な問題かは、予想がつかなかった。

    父と妹は、ロビーでテレビを観ていた。
    父は車いすに縛り付けられている。
    酸素が外され、今日のお昼から食事が出された。
    父は、私の顔を見ると突然に怒り出して、車いすをゆすった。
    ここから降りたくて仕方ないのだ。

    「もう前の施設には戻れないって。」
    「夜いろいろと暴れて、看護士さんを困らせている。」
    「土日や夜間に家族についてもらいたいって。」
    「この次に入院できる場所を探さないと難しいって。」

    本当に想像を絶するような大事な話だった。
    しかし、妹からの又聞きでは何も具体的に進まないので、
    病院のケアマネージャーの人との相談をお願いした。
    看護士さんたちは、いつも親切で笑顔で応対してくれる。
    父のそんな我がままや傍若無人のひどい行為も、
    お年寄りなのだからと、さらりと受け止めてくれている。

    だから、なおさら申し訳なく感じた。
    「行く場所がない。」
    まさに、父と私とが介護難民となり、漂流しているのだった。

    私は、父の食事を介助しながら、何だか途方に暮れていた。
    「長生きは、しないことにするは。」
    「途中の、いい加減なところで死にたいね。」

    暗闇の窓の外の夜景がぼんやりとしていた。
    父にスプーンで食事を食べさせながら、
    父のしわだらけの老いた顔をまじまじと見つめてしまった。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2014年11月27日 05時50分13秒

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    「まぁ、いいか。」

    いやはや、うまくいかないことだらけ。
    そんなもんだと思えるような年にもなった。
    うまくいかない。思い通りにはならない。
    そんなことは分かっているのに、そのことでどれだけ腹を立てたことか。

    今は、違う。
    感情をぶらしたら、私の負けだ。
    修行が足りない身として、潔く引き下がる。
    そんな状況に立たされながら、汗をかきかき焦りながらも、
    その状況を少し落ち着いて受け止める私が居る。
    その私に、ほっとする。

    「アチコタネーゼ」だ。
    こうなったら少しでも修正する方向に行こう。
    感情を激しやすかった私も、
    それなりに冷静に対応するようになった。
    それもこれも理不尽で、不条理で、思うようにいかない修羅場を、
    てくてくと独り歩かせられたおかげさんだ。

    「言っても無駄だ」と、最近想う。
    「仕方ないよ」と、すぐに諦める。
    「こんなもんだよ」と、多くを望まない。
    それは、欲を無くすということであるらしい。
    自分自身に対してもあまり期待はしていなかった。

    かっては、あれもこれもと追いかけていたものだった。
    それなのに、今はその意欲が薄れ、枯れてきている。
    だから、人からどう思われようとも、「いたしかたない」と思えるようになった。
    「人は、人。私は、私」なのだ。

    こんな想いを、消極的で、否定的な想いだと感ずる人もいると思う。
    しかし、その想いに徹することができれば、
    実はその生き方が、心の平安を得られるための近道となるようだ。

    「しょせんちっぽけな私がやることだ。」
    「失敗したことのない人はいない。」
    「問題ない。問題ない。」
    「終わってしまったことは、全部忘れよう。」
    「明日は、明日の風が考えてくれる。」

    そう自分に言い聞かせていると、何とも愚かな自分が愛おしくもなる。
    ただ片隅に生きて、その一隅を照らす小さな灯りでありさえすればそれでいい。

    「考えるな。ただ動け。」
    今はそう自分に言い聞かせて、わざわざ煩悩の炎に飛び込むようなことはやめた。
    「妄想するな。」である。

    ここにいろいろな言葉を書いたが、
    これは全部どこかで仏教に繋がる言葉ばかりだった。
    こうした、「諦め」を教えているのが、仏教だからだ。
    「諦念」と書いた方が適切な表現となるだろうか。
    「この世の無常を明らかにする」・・・「明らめる」・・・「諦める」

    「苦」という言葉には、「古(いにしえ)」が書かれてある。
    そんなものは、この世に生を受け、死んでいった全てのいのちには、
    とっても当たり前で、至極当然で、みんないにしえから在るものなんだ。
    「苦」に出会ったら、いにしえの人たちと出会えると思え。
    その時こそ、みなが残して行ってくれた言葉の数々が力となって、
    弱った私を蘇らせてくれるありがたい時なのだ。

    やっぱり言葉に、力ありだなぁ。

    「まぁ、いいか。」

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    waka

  • from: wakaさん

    2014年11月27日 00時16分15秒

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    3位、素晴らしい結果。
    試合後のサイン会でのファン対応もいいですね。
    皇后杯での活躍を期待したいですね。
    ファンとの交流会もあるので、参加したらどうですか?

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  • from: wakaさん

    2014年11月27日 00時11分19秒

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    アチコタネーゼ

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  • from: クマドンさん

    2014年11月26日 05時59分24秒

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    父の回復

    「色即是空」
    色はそれぞれの形であり、それはみな空という1つから産まれている。
    だから、個別な存在としての一つ一つも、産まれたところは同じなんだ。
    とは、ある坊さんの話だ。

    みな空から産まれてきた。
    そう想うと、自分ではないものは一つもなくなる。
    同じ空と言う母親から産まれたのだから、
    彼は我でもあった。
    それが、「空即是色」なんだろう。

    そこには対立は存在しない。
    みな同じ。
    みな兄弟姉妹。
    別々ではなく、同じ空のそれぞれの現れなんだ。
    「万物斎同」だったかな。
    そんな言葉にも、出会い、肯いたこともあった。

    言葉とは、ずっとずっと親しんだ言葉のはずなのに、
    突然、その意味を合点し、腑に落ちる瞬間があるものだ。
    まさに、気が熟し、実った果実がポトリと落ちる瞬間のように。

    「別々ではない」「みな一つから産まれたものだ」
    そのことを分かれば、心が穏やかに、落ち着くのではないだろうか。
    それならば、恨みや、怒りや、蔑みや、侮蔑や、否定等の負の感情は必要なくなる。
    何故ならば、彼は、我と同じだからだ。
    できない彼も、失敗する彼も、罪を犯す彼も、嘘をつく彼も、弱すぎる彼も、
    それは、私なんだとそう想えばいい。

    本当は、違うものは一つもないのに、
    違うことばかりを探して、優劣をつけたり、価値をつけたり、馬鹿にしたり、だ。
    自分をちょっと振り返ってみたらどうだろうか。
    自分は石をもって罪深い女を石打の刑に処せられる人なのだろうか。
    それは、イエスが人に問うたことだった。
    「この中で、罪を犯したことのない人は、石を取りなさい」と。

    今朝、色即是空に再び出会えた。
    その坊さんが言っていた。「再誕」だと。

    昨日、ベッドの父は、別人のように回復していた。
    おばたちが見舞いに来てくれたと喜んでいた。
    Hさんが来てくれたら、笑顔で昔鯉のぼりを毎日揚げていた話になった。
    「13年間・・・・」
    そうか、父は、我が長男と次男のために、
    13年間もあのどでかい鯉のぼりを揚げてくれたのか。
    改めて、父のそのかけがえのない優しさに感謝した。

    「テレビを観たい・・・」と、父が言った。
    体が楽になったせいだろう。さっそくテレビカードとイヤホンを購入した。
    リモコンも不自由な手では使いづらい感じだった。
    リモコンの操作をするための人が必要な父でもあった。

    私は、ベッドの傍らで、「タオ」を読んでいた。
    「タオから全てのものが産まれた」とのこと。
    「色即是空」と同じではないだろうか。

    父も父のおかげで私たち家族も、波乱万丈な生活だった。
    しかし、晩年の父は大人しくなり、何よりも酒と孫とを愛して暮らした。
    「無名」の人だ。
    でも、それでいいのだと、私は想う。
    きっと私も「無名」な人として、生涯を全うしたいからだ。

    産まれたところに、人は還るものだ。
    そこから産まれて、そこに還るだけの小さな存在としての我なんだ。

    父が、そんなことを私に教えてくれている。
    「色即是空 花盛り」誰の句だったけかなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2014年11月25日 05時49分47秒

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    いつか別れる人たち。いつかまた逢える人たち。

    さて、今度はこの景色かと、
    病室の窓から山ノ下や遠く朱鷺メッセ、NEXT21の景色を見ていた。
    ベッドの脇に座って、本を読んでいた。
    お日様が差し込んで、ぽかぽかと暖かかった。
    昼夜逆転の父は、ぐっすりと眠っていた。
    初めての日は、トイレに行こうとして5分とじっとしていられなかった。
    今は、おとなしくしていてくれる。
    それが何だかありがたい。

    母の時もそうだったが、こうして父と一緒にいる時間は、
    入院中の方が長かった。
    父や母が健康な時は、当たり前のように忘れているからだ。
    今、そうして寝顔を見ながら、傍らに座っているのは、
    父が、病の中に苦しんでいるからだ。

    人は、順番だなぁと想う。
    父もそれを悟っているはずだ。
    何も言わずに、ただ半眼に目を開けて、じっと天を見ることもある。
    夢の中で語り合っているのかもしれない。
    そんな父と母との会話が聴こえるような気がした。

    傍らには、きっと誰かが居てくださる。

    そうなんだと、私は想うようになった。
    独りで行動することが多くなった私。
    しかし、やっぱりその私の傍らにも、誰かがそっと寄り添っていてくれる。
    独りだからこそ、その微かな存在を、その微かな音を、
    感ずることができるのではないだろうか。

    ここは、そんな魂に満ち満ちている世界だった。
    「メメント・モリ」「死を想う」
    独りとは、その死と隣り合った世界に生きる独りだった。
    その境目にきっと居るのではないだろうか。

    チーンは、毎日毎夕だった。
    母には、いつも語り掛けている。
    線香に火を灯し、微かな煙が立ち上っている。
    昔、本家のばぁちゃんは、毎朝チーンを鳴らして、お参りしていたものだ。
    仏壇のご先祖を通して、向こうの世界と交流していたのだろう。
    世界は、ここだけではないのだ。
    死は、終わりではなく、やっぱり新たなる旅立ちだ。

    今、父には触れられる。
    父の痩せ細り、紫色の太い血管が浮き出した手の甲を撫で、
    父の細くなった白髪を撫でてから、
    「帰るね」と言って、私は帰って来た。

    いつか別れる人なんだ。
    そう思って生きていたら、もっと家族のことを大事に想うのだろうなぁ。

    そしたら、今朝の新聞に高倉健さんが、ロケ先まで母親の位牌を持ってきて、
    いつも手を合わせていたと書いてあった。
    だから、健さんなんだなぁと、私はいっそう尊敬の念を深くした。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2014年11月24日 10時11分16秒

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    黄色さん

    今朝、走ったら、すごいものと出会った。

    それは、海一面から水蒸気が昇っている光景だった。
    おぼろにかすんだ海に、おかしいなぁと思いながらよくよく見ると、
    海面から水蒸気がふわりと浮かんでいるのだった。
    それだけ大気が冷たく、その冷たい大気が海面で温められ、水蒸気となったのだ。
    そこで考えた。
    この寒冷なる季節の海にも、体温があるということを。
    海も人肌に暖かいのだ。

    いつものタコ公園で、やっぱり奇跡に出会えた。
    こんなことはどうやってもできないよなぁと思えることは、
    やっぱりそれなりに存在する。
    私にとってはそれは奇跡でも、天にとってはそれはあるがままの自然なんだ。
    私が「黄色さん」と呼んでいる花がある。
    初秋にこの公園を一面真っ黄色に鮮やかに彩る花の私がつけたあだ名だ。
    10月にはすっかりと姿を消してしまう。
    その引き時も見事な花だった。

    ところが、11月に入ってから、2回、私はその花を発見している。
    それも、いつもたった一本だけそこに咲いているのだった。
    確かに凍えて枯れかけて元気ではないが、健気にじっと耐えて待っていてくれた。
    そして、今朝も野草の茂みの中にポツンと一輪、小さな花を咲かせていた。
    過去2回の時も、分からなかったその花が、
    こんなに海から水蒸気が出る寒さの朝に、私のことを待って咲いていてくれたのだ。

    すごいとは、それは私にとってのことだが、こういうことではないだろうか。

    本当は、日々の生活の中には、小さな奇跡が満ちているのだと思う。
    しかし、私がその奇跡の傍を通りながら、その奇跡に気付かないだけなのだ。
    それから、やっぱり行動することや、何かと出会うことで、
    そこにある奇跡と出会うチャンスは生まれるような気がする。

    だから、信ずることだ。
    信ずる人になることで、きっと当たり前の日々が、奇跡の日々となることだろう。
    それは、信ずるという人のものの見方や感じ方を、自分のそれとできるからだ。

    見方を変えれば、きっと違ったものに見えてくるんだ。

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  • from: クマドンさん

    2014年11月24日 05時51分03秒

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    終わりについて考えている

    さて、いろいろなことを考えている。
    というよりか、考えさせられていると言った方が正しい表現だ。
    人は、その状況に立たされて初めて考えるものだからだ。
    父が、まだ施設で自立して生活していた時、
    私は申し訳ないが父のことを忘れていることの多い日々だった。
    父のお世話は、施設の介助の人たちに任せておいて安心だったからだ。
    しかし、緊急入院から、父のことばかりが心にある。

    たった今、母の過去帳をのせた棚の扉が「パタン」とひとりで開いた。
    父に何かあったのだろうかと、心配になってしまう。

    父は、自分でおしっこをしたいために、ベッドに起き上がり、
    ベッドに腰掛けて、簡易トイレに行こうとする。
    管をつけているので、おしっこは自然に出ているはずなのだが、
    気になって、気になって仕方ないようだ。
    そのたびに、看護士さんは呼ばれ、なだめても言うことをきかないために、
    仕事にはならなかった。

    とうとう父は、車いすに乗せられ、シートベルトをつけられて、
    看護士さんと一緒に、各病室を移動することとなった。
    そうでもしないと危なくて、目を離せないからだ。
    父は、意識はあるが、話をしなくなってしまった。
    ただ駄々っ子のように、「うんうん」と唸って、文句を言うだけだ。

    ベッドの傍に居て、本でも読んでいようかと思っていたが、
    3分とじっとしていなかった。
    すぐに上体を起こし、動こうとする。
    そのたびに声をかけ、背中をさすり、言い聞かせて、横にする。
    しかし、また暫くすると動き出す。
    「分かった。分かったよ」と、言いながらも、
    だんだん私も堪え性がなくなって来る。
    ここで感情を高ぶらせてしまっては負けである。

    やっぱりそんな時は、看護士さんにお願いして父からそっと離れることにした。
    点滴の針のせいか、父の痩せ細った左手の甲には紫の内出血が痛々しい。
    肺炎を併発しているために、肺へ常に酸素を送らなければならない。
    その管が、父が動くたびに、鼻から外れる。
    いつの間にか父は、何本も透明なチューブに繋がれていた。
    車いすに移動するとき、そのチューブがからむのだ。

    父は、今、父の残されて時間を過ごしている。
    それは、後僅かであるかも知れない。
    父は、顔つきまで少し変わったような気がする。
    おっかない顔になっている。

    父には、心の中で言葉を伝えている。
    背中を摩りながら、気持ちを伝えているつもりだ。
    よく、よく、ここまで生きていてくれたなぁと、想った。
    私は、父親のいない寂しさをおかげさまで味わってはいない。
    放蕩親父で、母との夫婦喧嘩は絶えることはなかったが、
    父は、母より長く、ここまで生きてくれた。

    父は、何を想っているだろうかと、父の顔を見ながらふと想った。
    母は、父のところに来ているのかなぁと、そんなことも想ったりもする。
    父の細くなった腕は、皮膚が何だか干からびているようだった。
    枯れていくなぁ。枯れたんだなぁ。
    それは、初冬を迎え、葉をすっかり落とした樹木のようだった。
    自然のまま、父は、枯れていく。

    父は、その立場にたって、やっと枯れる自分のことを考えているのかもしれない。
    私は、枯れていく親の姿を見ながら、
    人が当たり前に行くべき道を、目の当たりにしながら、
    終わりについて考えている。

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  • from: クマドンさん

    2014年11月23日 08時25分48秒

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    緊急入院

    1つの仕事が終わってほっとしている。
    ああ終わったなぁと思ったら、どっと疲れが出てきてしまった。
    祝賀会では、何だか体の異常な疲れも感じた。
    そういうものなのかと、57歳の体を労った。

    そしたら、突然の連絡だった。
    父が酸素不足の状態に陥り、緊急入院だった。
    何だか来るべき時が来たような予感を感じた。
    退院してから二週間しかたったいない。
    今週の火曜日にR病院に入院する予定だった。

    私が居ないので、医師は妹に選択を問うたそうだ。
    「人口透析にするか。薬で治療するか。」
    ただし、この年齢だから苦しませることもなく、
    薬の効果が期待できないようならば、状態が急変することもあるとのこと。
    この選択を医師は、妹に迫った。
    「今夜、どうなるか分からない」からだ。

    午前0時に携帯が鳴った。
    妹からだった。
    「これでいいよね。兄ちゃんがいないから、それでいいよね。」
    つまり、母の時のように延命治療はしない。
    自然にいのちのあるがままに任せてもらう。
    その覚悟は、家族はもっている。
    父は、母に会いたくなったのだろうとも感じた。

    母も、父のことを待っている。
    父も、施設での孤なる生活に疲れを感じているだろう。
    いくら親切にしてもらっても、父は家族と離れてそこで寝起きしている。
    父は、何を考え、何を感じてそこに居るだろう。

    きっと私が死ぬ時もそうなのだろう。
    人は、生きてきたように死ぬそうだ。
    私も父もある意味、家族を犠牲にしてわがままに生きてきた。
    それをよくよく感ずれば、ありのままに最期を迎えられたらそれでいい。

    まだ、病院から何も連絡は来ていない。
    大丈夫、大丈夫と、父にここから語り掛けている。

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