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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018年10月31日 05時11分34秒

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    独り抗う勇気とは

    毎日、毎日、夕方になるぐったりだった。
    パソコンに向かって、うとうとしていることもある。
    とにかく、4時を過ぎると使い物にはならない。
    仕事をさっさと切り上げて、
    帰宅モードに入る。

    帰って来たら、ビールを呑む。
    昨日はシンさんのお店に行った。
    まず一杯だ。
    それから、「まんぷく」を観る。
    これがなかなかよくなった。
    万平さんの生き方が、好きになった。
    無実の罪で入れられた監獄で、拷問を受ける。
    それでも、「自分は無実だ」と、抵抗を続ける。

    何だかね。
    こうした信念の人が少なくなったなと、
    自分のことを含めて、何だか寂しい時代となったと感ずる。

    このドラマによって、改めて太平洋戦争のことを想い出す。
    いや、私には戦争体験はないので、
    そうだったなと、歴史を見直す。
    そして、「二度とこんな戦争を起こしてはいけないな」とも、考える。
    しかし、世の中は、世界情勢は、
    何だか行ってはいけない方向に向かっているような気配がする。

    自分だけがよければそれでいい。
    これって、ナショナリズムなのだろうか。
    貧しく苦しい生活の難民を拒否する。排斥する。攻撃する。
    それって人道的に赦される行為なのか。
    強い者だけが勝つ。
    弱者は社会の片隅に追いやられ、
    自由と平等を叫ぶ声を暴力で押し殺す。
    そうしたヘイト的な考えをもった政党が国を支配する。

    もし、日本が、あの太平洋戦争前夜に戻ったら、
    そこで「戦争だ」という国や民衆の声に、
    抗って、日本人は他国との武力による戦いを回避できるのか。
    それは、何とも言えない時代となっているようだ。

    今、半藤さんの「幕末史」を読んでいる。
    「尊王攘夷」の掛け声の元、
    幕末の京都では、長州薩摩、そして、土佐藩たちの浪士に寄り、
    テロが行われた。
    そのテロには、思想的・論理的な背景はあまりなく、
    ただ、「開国派は、殺すべし」だけで、行われた殺戮だ。
    「熱狂こそ、恐ろしいことだ」と、半藤さんは書いている。

    何だろうかね。
    もし、日本がそんな熱に浮かされ、
    国民が熱狂に向かったとしたら、
    私は、独りでも、万平さんになれるだろうか。
    その「熱狂」から身を引き、その渦に巻き込まれず、
    きちんと人間の尊厳を守り通すことができるるかどうか。

    その日は、きっと私と言う人間が問われる日となるだろう。

    独り抗って立つ勇気。
    それを、今のうちに少しずつ培って行く必要があるようだ。

    しかし、毎晩やっていることは、
    他愛ないごくごく平凡な初老の男だ。
    ああ、休肝日は、いつになることなのか。
    酒に対しては、いつもいつも白旗なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月30日 05時45分41秒

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    この世の用とは何だろう

    早朝から雨が激しくなってきた。
    本当に一雨ごとに、寒くなる。
    仕事をしていない頃ならば、
    こんな日は布団の中で本を読んでいる。
    それから、ゆっくりと家事をする。
    そんな時間の使い方をした。

    しかし、今は、そうはいかない。
    6時には階下に降りて、朝食の準備をしなければならない。
    出勤の時刻は7時と決めている。
    そのために、全てのことを逆算して決定する。
    「働けるうちは、働いたらいいよ」とは、床屋さんのYさんの言葉。
    そうだなぁとも、想えるようになっている。

    70歳までは、後、8年間だ。
    何だかそう考えると、日々、何かに向かってのカウントダウンだな。
    81歳の小千谷のSさんは、
    「人生どんどんおもっしぇなったな」だった。
    私も、そう生きたいものだと感じている。

    身体は衰えることが自然だ。
    この庭にある草花樹木、みな、自然の摂理に従っている。
    従容として、そのままを受け入れる。
    そのままを受け入れることが、
    生きることでの「脱力」ではないかと考える。

    自分の力ではどうにもならぬことである。
    たった74票で変わる世の中で在る。
    そんなものなんだと、何だか諦めの境地だった。
    では、その結果は、こうして嘆いたところで変わらない。
    全ては決定事項である。
    だから、諦める。
    それを受け入れる。

    戦わなくなった。
    言わなくなった。
    相手を見たら、言っても無駄だと感じたら、黙っている。
    自らが身を引く。
    以前はまさに猪突猛進。
    「やらねばならないことは、やり遂げる」そんな気持ちで切り拓いた。

    しかし、今は、「撃ち方、やめ」だ。
    戦わない。
    そんなことにこの人生を無駄に使いたくはなかった。
    そして、どうにもならない人たちとのかかわりをやめた。
    「言っても無駄」
    そうした人たちとは、かから煩って、腹を立てるだけなのだから、
    遠くに距離を置いて、かかわらないことにした。

    だから、人を相手にしなくなった分、心の中は平安だ。
    「ここまでは、言おう」「ここから先は、様子を見よう」
    家庭でもそれは同じだった。
    「言うが、言わない」だな。
    昨日も妻との激論があったが、すーっと私が引いた。

    何だろうなぁ。
    こうして生きることを考えている時間が、より楽しく感じられる。
    考えることの楽しさとは、池田晶子さんが教えてくれたことだった。
    「生きるとは、考えること」なんだ。
    「生きるとは、より善く生きること」なんだ。
    「生きるとは、その生きる意味を確認すること」なんだ。
    では、ないだろうか。

    身体の衰えは、老いではあるが、精神的な衰えではない。
    歳をとることは自然なことだ。
    しかし、身体は歳相応に衰えても、
    人として衰えることは、その生きる意味に反するように想える。

    「生きることは、この世に用があって生きている」
    さてさて、その用とは何か、
    それをこれから死ぬまでに見つけて、
    最期までそれを行うことができたら本望なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月29日 05時52分04秒

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    「脱力」の「意味」とは何か

    本当に、平泳ぎができなくなった。
    手と足とがばらばらで、どうやって泳いでいたのか分からなくなった。
    身体が確かに覚えている。
    ならば、そうやって泳げばいい。
    しかし、本当の美しい泳ぎとは、それは真逆な泳ぎだった。
    その事実を自覚したとたん、全く泳げなくなった。

    しかし、いくら頭で理屈を考えても無駄だった。
    考えたからできるのではない。
    師がいつも言うように、「私の身体じゃない」「あんたの身体だ」だな。
    だから、私がその泳ぎを私自身の身体で体感し、習得しなければならなかった。

    私は、「できている」と、勘違いしていた。
    その思い上がりを、瞬時に師は見抜き、
    まずその勘違い・ドグサを徹底的に壊すことから始めた。
    本気で怒鳴り、向かって来る彼女だった。
    時には、私は怯えたな。
    怖気づいたな。
    でも、ある瞬間、「はっ」と気付いた。
    それからは、素直に聴き随った。
    私が、潰された。そこに、美しい泳ぎへのヒントだった。

    平泳ぎの、膝をそっと床に向けて下ろす動きが在る。
    これが、全くできていない私。
    すると、私をつかまえ、膝を持って師が教える。
    「力を抜け」「力を抜け」
    どうやっても情けなくも力が入り、どうにもならない。
    「力を抜けない」そこに、私の泳ぎの間違いが在り、迷いがあった。

    全ては、ゆっくり、力を抜くことなんだ。
    しかし、脱力とは、へなへなになることではなかった。
    もっと違う、何かがこの求められる脱力にはある。
    「水泳は、深いですよ」と、70代の女性のアドバイス。
    頭と身体が繋がらない。
    心と体が一如になれない。
    「身体のことをしっかりコントロールしなさい」だった。

    「脱力」にこそ、美しい泳ぎへの道が在る。
    しかし、力で泳ぎ続けて来た私には、
    その「脱力」そのものの感じが分からない。
    平泳ぎで足を開く前までは、
    ただ脱力なんだ。
    「脱力」は、言葉である。
    しかし、脱力は、動き方であり、生き方でもある。

    確かに、「脱力」という「言葉」が、私の泳ぎを変えようとしている。
    いや、泳ぎだけでなく、
    私の日々の生き方そのものも、変えようとしている。
    何だか、はっとした。
    力を抜けない私がずっと生きていたのではないのかと。
    そして、もし、私が力を抜いて、脱力したら、
    きっと本来の私としての生き方ができるのではないかと。

    ここに、池田晶子さんの言葉のメモが在る。
    やっと、その言葉の意味に近づけて気がする。

    「知りたい。どうなっているのか知りたい。ただひたすらその欲求のままに
     考え、人は、さらなる神秘を知ることとなった」

    「苦難や危機に際して、人が本当に必要とするものは、必ず言葉であって、
     金や物ではありません」

    「だから、人を救うことができるのは言葉であって、その意味で、
     言葉が命なんだと私は言うわけです」

    「この言葉の力とは、何の力なのか、今更ながら私には、
     不思議で仕方ないのです」

    「言葉には、人の心という現実を動かすだけの力がある」

    「言葉を理解するということは、意味を理解することに他ならない」

    「よって、言葉とは、すなわち「意味」であって、「言葉の力」は、
     「意味の力」に他ならないのです。では、「意味」とは何か?」

    「世界は意味に満ちており、世界とはすなわち意味なのだということが、
     すぐにわかりますよね」

    「驚くべきことは、人が意味をわかることができるのは、
     意味があるからだということです。」

    「意味がその理解より先に存在することという驚くべき事実を告げている」

    「世界とは言葉であり、言葉こそが世界を創っているというこの事実は、
     私みたいな言葉の裏側へ出ちゃっている者にははっきり見えます。
     混沌に秩序を与えるものが言葉だ」

    さてさて、この言葉のメモは、新大病院の病室のベットだった。

    今、やっと、師のおかげで、この言葉の「意味」の近くに来れたようだ。

    「脱力」という言葉は、私にとっての生きる「意味」である。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月28日 20時00分57秒

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    どうたしらいいんだろうな。

    今、次男を妻の運転で新潟駅まで送って来た。
    彼は、7時半の新幹線で東京に帰る。
    私がそうだったな。
    いざ、帰る時になるととたんに寂しく、哀しくなるものだ。
    彼は、本当によくよく生きていると、我が子ながら褒めたいと想う。
    大学卒業まで、一回も家を出て暮らしたことのない彼が、
    こうして半年間、アパートで独りで暮らし、仕事をやり遂げている。
    そのことに、私は彼に深く深く敬意を抱いている。

    私は、彼が大好きだ。
    彼は、私を疎ましく想い、うっとうしくも想っているとは想像できる。
    でも、やっぱり、可愛いから、ちょっかいを出す。
    それでいい。
    できることは、心配することと、可愛いと想うことと、お金を渡すことだ。
    「帰って来るなら、片道の新幹線代は父さんがもつぜ」と、
    恰好をつけている。
    でも、本心は、父さんも、母さんも、兄ちゃんも、寂しいんだな。

    さてさて、「脱力」の話をする。
    スイムでの鬼コーチのレッスンだ。
    私は、彼女の師匠としての愛を感じた。
    そして、本気でこの短期間で何とかしようという情熱も感じた。
    だから、心からリスペクトだ。
    どんなに怒鳴られ、叱られても、それを今は、笑顔で受ける。
    これだけ61歳の親父を本気でとことん叱ってくれる人は居ない。
    まさに、彼女は、稀有な師である。

    「ゆっくり、はやく」これだと言う。
    「ゆっくり」では、本当に3倍速の速さだった。
    力を抜いて、ゆっくりと動作する。

    しかし、速くとなったら、素早く次の動作をして、ゆっくりにつなげる。
    この「ゆっくり」とは、「脱力」だった。
    しかし、これができない。
    本当に、私は、水に浮きながら、力を抜けない。
    脱力ができない。

    これって、スイムでは、致命的な話だった。
    私は、クロールを泳げる。
    私は、平泳ぎが得意だ。
    私は、背泳ぎで何とか50m泳げるようになった。
    だから、この初心者のコースでは、教えられることはないはずだ。

    ところが、全部、こなごなにぶっ潰された。
    我流で泳いで来た何十年だったる
    子どもたちにも泳げる人としてコーチもしてきた。
    アドバイスもいっぱしにやってきたつもりだ。
    なのに、なのに、鬼コーチの眼から見たら、
    私は、ただ我流で泳ぐ初心者の卵に過ぎなんだな。

    背泳ぎの入水の腕の角度だ。
    右手と左手の出る、かくのタイミングだ。
    ももからのキックの仕方だ。
    最後のプルだけの力の入れ方だ。
    こんなことを、私は初めて知った。
    だから、これまでの背泳ぎの私の癖を徹底的に潰される。

    平泳ぎの、キックの仕方だ。
    最初の泳ぎから、捕まってしまった。
    「違う。なにやってんだ」だな。
    膝は、ゆっくりと下に向ける。
    力を入れない。
    そして、足首を返すと、膝が開く。
    それから、ゆっくりとキックに入る。
    「力を入れない」「速くするだけ」「蹴るな」だった。

    その指摘の一つ一つが「問い」となる。
    分からない。どうしたらよいのかと、先に泳ぐ高齢スイマーの泳ぎを見つめる。
    私の番が来た。諦めて泳ぎ出す。
    すぐに止められる。
    足を持たれる。激が飛ばされる。しかし、私は出来ない。哀しいほど出来ない。
    出来ない。出来ない。出来ない。

    とうとう鬼コーチは、私の膝を力いっぱい打ち始めた。
    「力を抜け。力を抜け」と。
    しかし、私の平泳ぎのキックからは、力が抜けないんだな。
    蹴ることを意識するために、強く蹴ろうと膝に力が入る。
    そうすると、またコーチにやっつけられる。
    それを、他の高齢なる女性の前でやらされる。
    しかし、私は、笑顔なんだ。
    不思議なことに、本気を感ずるから、
    私は私を何とかと、叱られながらも、平気だった。

    出来ないんだ。
    身体がその言う通りに出来ていないんだ。
    どうしたらいいんだ。
    今まで、泳げていたという自負は全部ぶち壊された。
    「ちゃんと、美しく、ゆっくり速くで泳いでみせろ」だ。
    身体は、その要求に全く応えていない。
    「何をやってんだ」だな。

    平泳ぎの手の角度を教わった。
    そして、手と足との対応だった。
    すると、得意だと勘違いしていた私が、
    平泳ぎを全く泳げなくなってしまった。
    「どうなっちまったんだ。クマさん」だな。
    ブロークンだ。
    全壊だ。
    本当にそこからはか、本物の形への第一歩は踏み出せない。

    70代の諸先輩たちの元ギャルたちは、
    私のことをとてもとても可哀想に想ってくれる。
    とにかく、個別指導だ、怒鳴られる。叱られる。
    それでも、できない。どうしても、できない。やれない。

    「少しいい形になりましたね」とは、諸先輩たちの慰めの言葉。

    落ちこぼれの私は、
    落ちこぼれの子の気持ちがよくよく分かる。
    それでも、これこそ貴重なアドバイスと、
    私は、休まずに、怒鳴られに行く、行く。
    こんな私のことを本気で教えようとする師に、
    私は、生まれて初めて出会った気がした。

    尊敬とは、そういうものだ。
    しかし、全く泳げなくなった、私をこれからどうしたらよいのか。
    思案に苦しむ。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月28日 07時20分02秒

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    私の宿命とは何か

    「清水西谷」だった。
    東京交響楽団の若きバイオリニストとチェロリストだ。
    二人の創作曲である「鼓動」が鳴った瞬間から、
    涙が溢れてとめどなくなってしまった。
    それはそれは不思議な瞬間だった。

    その美しく、懐かしく、哀愁のある響きは、
    何だか深く深くの私を動かした。
    それは「創ったものではない。あるがままで創られたもの」だと感じた。
    何かが生まれるといこうとは、
    先に生まれるべきものがここにあるということだ。
    全くの無は、存在することはできない。

    あるものがここにある。
    その音に響きを託された人がここに居る。
    彼等の才能は、そのために天から与えられたもの。
    彼等は多くの師から学び、研鑽を積み、音楽家となった。
    そして、きっとその音と響きが彼等を見つけた。

    その音と響きとにいのちを与える。
    その魂からの要請に自ら知らずして応え始める。
    「こうしたら、こう。ああしたら、そうなる」ではない。
    それはきっと一本の線。
    迷うことなく、道を見失うことなく、
    そうなる道を、疾走する。
    追っかけるのももどかしいぐらいに、
    それは、きっとずっとずっとここにあったのだと、私は感じた。

    私のそれも同じだった。
    それはきっと発見されることを待っている。
    もうそれであるのに、それだけになれるのに、
    まだそれに気付かない私がここに居る。

    しかし、それは、一つだ。
    その一つが分かれて、この自分となる。
    その分れる前の、その一つは、みな同じ一つ。
    だから、きっと、人は分かり合える。
    私は、その一つを信じている。
    いや、信じられるような不思議をいろいろと経験した。

    涙とは、その一つの顕れだ。
    我を忘れて「清水西谷」の音と響きに聴き入っている時、
    涙は、とめどなく溢れた。溢れた。
    温かな涙が頬をつたう。
    どうしてよいのか分からない私が居る。
    その涙を流す私を、どうしたらよいのかと戸惑う私だ。

    没我の中に真の我が居た。
    それはこの音と響きを美しいと感じ、懐かしいと感じ、深く感動する私だ。
    その私は、奇跡の時に姿を顕す。
    それは、無心で踊りになり切っる舞踏家たちにも言えることだ。
    私は、この音と響きにインスパイアされ、
    音と響きに魂がたぎり、騒ぎ、静まり、佇む、真下さんの姿が観えた。

    そして、亡くなった父と母との、私の幼かった日々の楽しい思い出。
    今でも湧き上がり、涙と嗚咽が出てしまうが、
    父と母と妻と幼い子どもたちと暮らした若き日々。
    何だろうね。深く深く静かに深く、人生を振り返っている私だった。

    私は、涙を信ずる。
    涙を流す私は、生きていていいと自覚する。
    それは、一つの私であることの自覚だからだ。
    「そうなろう」「そう想おう」と、わざわざいらない。
    涙が溢れるように、既に、それは、ここにある。これだ。

    これは、私から始まったこれではない。
    ずっとずっと在り続け、受け渡されたこれである。
    これは、ここにいっぱいだ。
    これでないものは、探しても無駄。
    山川草木悉有仏性。
    それでないものは、一つも無い。どこにも無い。みんなこれだ。

    でも、人は、日々の生活でこれを忘れる。
    自分であることを忘れ、気付かず、見失い、私で生きる。
    それはとてもとても哀しいことだが、気付かない。
    私が先、先、だから、自分は沈黙の中に居る。
    しかし、その一つにその自分が出会った瞬間だ。
    自分が歓喜する。自分が目覚める。自分が顕れる。
    その証が、涙なんだ。

    私は、涙でその一つである「自分」を知る。

    音楽家は、音と響きとでその自分を顕す宿命を天からいただいた人。
    舞踏家は、踊りによってその自分に成り切る宿命を天から授かった人。
    では、私は、何によってその一つを顕わにしたらよいのか・・・・。

    これが、奇跡に出会い、インスパイアされた私へのいつもの問いだ。

    私には、言葉だけだ。
    この言葉で、私はどうやってこの一つを顕わにするか。
    「清水西谷」の音と響きによって、
    私に託され、授けられた「宿命」を何だか理解したような気がした。

    これまで、別々の点であった出来事が、
    その各々であった想いや考えが、
    舞台の上で一つになった。

    不思議なことだが、
    「清水西谷」「真下恵」の顕わによって、
    私の深く深くで眠っていた何かが目覚め、
    あるインスピレーションに到ることができたようだ。

    「やれる」しかし、まだ何もそれは、「言葉」になっていない。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月26日 05時18分24秒

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    独りであることの喜び

    歳をとらないと分からなかったな。
    そんなことが多くなった。
    それは、何だか不思議だなぁと想うことが多くなったからだろうか。

    自分で何とかできることは、限られていた。
    いつも向こうから何かがやって来た。
    その事に対していくら抗っても、
    断っても駄目だった。
    「これが、あなただ。引き受けなさい」
    いつもそうだったなぁと、自らを振り返ってよくよく感ずる。

    確かに自分が決めて、自分が考えて、自分がそうする道を選んだのだが、
    どうも、本当はそうではなかったのではないかと、
    そういうことが不思議な気付きだ。

    歳をとるということは、振り返る時間と空間とが長く、広くなるということ。
    だから、40代・50代よりも、
    そうした自らの経験や体験を多く持ち、
    その分、失敗体験も多くある。
    そして、その失敗体験こそ、大事な次への生きる指針だったと、
    やっと歳をとって分かって来た。

    向こうから来たものは、
    私にとっては、真実であり、真理への真っ直ぐな道。
    私が妄想して、自分勝手に考えて決めたことは、
    私だけの我儘な道。
    その違いが、だんだん分かって来た、私。

    つまり、来たものは拒まずだった。
    来たものは、きっと来るべきものだった。
    そして、それは、来るべき時に、来るものだった。
    何と言ったらよいのか。
    それだけ、私は大いなるものに愛されているという自覚。
    そして、その目には見えないおおいなるはたらきは、
    こうして私の経験や体験を通して明らかであることの驚き。

    私が、私をやっているうちは、いつまでも私は救われない。
    私が、私を捨て、身心脱落した時、初めて、私となることの事実。
    だから、今、ここでは、日々、少しずつ、
    この私を消しゴムでこすってちょびちょびと消している私。
    私が、私をいらなくなったら、
    やっと本当の意味で楽に生きられるだろうと言う期待。

    だから、私の日々の修業は、
    このつまらない、我儘で、短気で、自分勝手な、とうへんぼくな私を、
    忘れるということ。
    私が、私を忘れた瞬間、私は、そのはたらきそのものになる。
    でも、私はね私として、ここに生きる。
    そのままの自然さで、あるがままで、
    その自由さを、その喜びを、日々、刻々と味わいつつ生きる。

    それが、いいと、やっと想えるようになった。

    だから、独りになった。
    人のことは、意に介さず、気にもしない、人は人、私は私。
    人からどう見られても気にしなくなっている。
    人のことばかり気にしていては、どうにもならないからだ。
    だから、私は、私のやりたいように生き、言いたいように言っている。
    でも、和は大切なものだから、その和の中には生息している。

    これが、実は、若い頃にはできなかった。
    だから、さんざんやっつけられたり、心を病んだりした。
    人とは、自分と違う異質なものを認めず、攻撃しやすいものだ。
    また、目立ったり、出る杭であったり、
    自分にはできないことをしていたりする人をやっかんで、陰口をたたくものだった。
    あの陰口。あの悪口。あの意地悪。
    それって、やっぱりあったな。あったな。

    今は、そんなこと、どうでもいいと、我が道を歩いている。
    嫌な人は、どこにも居る。可哀想な人。人として哀しい人だ。
    その人とは、我関せず。
    そのまんま。言われるまんま。やっつけられるまんまだな。

    もし、私が、その不思議を感じて、独りで生きているなら、
    どこでも生きられるのだと、今は、想える。
    だから、どんどん独りになったな。

    独りは、自由だ。独りは、楽だ。
    そんな独りを、むこうからやってきたことを一つ一つ歩きながら、
    やっと身に付けられてきたようだ。
    確かに、独りは、寂しい。独りは、哀しい。
    でも、独りであることの喜びは、ここにあるなとも、今は、感じている。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月25日 05時05分30秒

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    夢で会いましょう

    夕方、猛烈な睡魔に襲われる。
    座ったまま、すとんと眠りに落ちてしまうこともある。
    身体の疲れも慢性的に残っている。
    さてさて、50代前半の頃はどんなだったのか、
    この身体の状態からは、想像できない身体となっている。

    夕食を食べる。酒を飲む。テレビを観る。
    気付いたらそのまま、座ったまま眠っている。
    メガネを足元に落としたまま、
    ふらふらと自室に戻り布団に入っての爆睡だ。

    ところが、12時過ぎには、目が覚める。
    浅い眠りなのだろうか。
    目覚まし時計で時刻を確かめて、また眠る。
    次に1時半に目が覚める。
    1時間余りだけ休んだようだ。
    トイレに立つ。そして、眠れなくともと、また布団に入る。
    そして、2時過ぎにまた目が覚める。
    焦らないことにした。
    そのまま目を閉じる。

    不思議なことだが、夢の物語がまたそこから始まる。
    はっきりとは想い出すことはできないが、
    その間、私はある一連の物語の世界に生きている。
    色や匂いや味があったかどうかは定かではないが、
    確かに彼と出会い、あの子と出会い、会話を交わした。

    「ここですか・・・」という奇想天外な世界ではあるが、
    私にとっても彼にとってもそのことは、
    日々の日常・当たり前のことのようで、
    何も不可思議には感じられない。

    私は、眼を閉じて、またうつらうつらとしている内に、
    その物語の続きの世界に居るようだ。
    身体はここに、この布団の中で温んでいる。
    身体は確かにここにあるが、
    私の精神か魂かは分からないが、
    この身体を遊離して、気付いたらその物語を体験している。
    そんな感じだ。

    しかし、「ああ、こっちに来たなあ」とは、想わないようだ。
    ごくごく自然に、そこで会話を交わしている。
    そこで起きる出来事にも違和感を感じない。
    確かに、予想を超えた不思議な物語の展開だが、
    「これも、ありだな」と、私は納得しながら、話の筋を進めている。

    夢を自分で創作している時があると、感ずる人もいると想う。
    「こうなると面白いな」
    「次は、こうなるかもだな」と、創造しつつ、
    その物語がそのようにして展開をする。
    最近は、職場の関係者が多く、物語に登場する。
    やはり、これは、私が創作した物語なのだろうか。

    しかし、目覚めた瞬間、物語の体験を実感する。
    ほんの瞬時のことだが、
    確かにほんのついさっきまで、私はそこに居たとの実感だ。
    それは、空想であり、想像であるものではない。
    その物語は、身体がこうして起きている間も、
    私と接する。私の傍らの。どこかで存在し、今も物語られている物語だ。

    きっと、私の身体がこの世から消えた時、
    私がずっとずっとそこで生きる世界なのだと、そんな感じだ。

    「ああ、私は、消えないんだな」
    「きっと、私は、こうして夢で生きるようにして、この物語を生きるんだな」
    「眠るとは、想起であり、身体から魂が遊離する訓練なんだな」

    こうして、毎晩、うつらうつらと年寄りの眠りを続け、
    寝不足のままに、こうして「親父たちよ」を書いていることで、
    私は、現と夢と、生者と死者の世界とを、
    何だか毎夜毎夜、行き来していることを感じている。

    だから、亡くなった父や母とも、そこでは当たり前に会えるし、語り合える。
    夢を見るとは、あちらの世界を旅をする楽しみであったのだなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月24日 05時27分52秒

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    心体一如の健康だね

    心の鬱は、身体の不調。
    心と体とは、一体であるな。
    日頃の飲み過ぎが、心を暗く鬱にしていた。
    胃腸の不調・不具合は、端的に心に顕れる。
    そうした心体一如にもっと気を配るべきなんだな。

    それから、妄想をするなだ。
    今、ここのことなら、判断も決断もできる。
    しかし、「こうなるだろうなぁ」の不安に対しては、
    何も言えない。何もできない。何も解決しないだった。
    しかし、私は、こんな時は、
    尚更、失敗したらどうしようかと、
    ありもしないかもしれない失敗を勝手に想像して、
    自分のことを不安にすることも多かった。

    最近では、そうしたことが少なくはなったが、
    不安定な精神状態に陥ることがある。
    そんな時だ。
    どうしたらよいのか、自らその対処方法を考える。

    まず、身体を動かすことだ。
    ヨガをやる。
    朝、5時からヨガを始める。
    1時間、無心になってヨガをやる。
    身体との対話を行う。
    身体と向き合う。
    その内に、何を心配していたのかを忘れてしまう。

    家事をやる。
    まず階下に降りて、鍋に水と本ダシを入れて味噌汁を作る。
    具は、冷蔵庫にある適当な野菜をチョイスする。
    サラダを作る。魚を焼く。
    そして、ゴミ出しに行き、帰って来たら庭の草花に水をやる。
    そして、朝風呂。洗顔・髭剃り・整髪だ。
    そしたらすぐに6時半。

    朝食を食べる。
    ゆっくりと味わう暇はない。
    7時には出勤だ。
    それでも、あわただしくはしたくない。
    心を静かに落ち着ける。

    さてさて、そんなこんなの内に、我を忘れる。
    本当に、今、ここ、これだけを見つめる。
    頭で勝手な妄想はしない。
    なるようになる。
    なったらその時に考える。
    今、ここで、やることは一つ。
    安全に運転すること。

    そして、7時20分に職場に到着。
    その日の仕事の段取りを40分間でさっさと片づける。
    まぁ、いろいろと言って来る人も居る。
    仕方ない。仕方ない。腹を立てず。感情をぶらさず。
    言っても無駄だと諦めて、謝る。お願いする。
    嫌味を言われても、「はい」と返答。

    その内に、胃腸の不具合も調整される。
    頭も少しずつすっきりとする。
    二日酔いは絶対にいけない、いけない。
    酒は、辞めねばと少しだけ想う。
    あとは、リセットだ。
    そのまま、突っ走る。
    出たとこ勝負で、何とか乗り切る。だな。

    やっぱり心体一如の健康こそ、大事なことと改めて想った。想った。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月23日 05時11分25秒

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    こんな日

    とは言うものの、独りも寂しいものだとも感じている。
    公的な立場が無くなった。
    そうした仲間の飲み会も無くなった。
    考えてみたら、私は、どこかに所属しているわけでもなく、
    何かのクラブに加入しているわけでもなかった。

    それは、地域活動はあるし、自分の趣味の世界はあるが、
    そこはそこで、それだけのこと。
    私は、やっぱり独りで生きているだけ。

    何故、こんなことを想うようになったのかと言うと、
    人に期待することがあったからだ。
    しかし、その期待していた反応が無かった時、
    「ああ、そうだったんだ」と、合点だった。
    独りで居ることの楽しさとは、
    人のことを当てにしない楽しさである。

    それが、こうして人の私に対する気持ちを期待する時、
    その真逆の反応に出会った時、
    私は、ふと、こうして寂しさを感ずることとなる。
    独りがいいなぁと言いながら、
    そうでもない私がここに居る。

    人生とは、思い通りにはならないものだ。
    そのことは、よくよく分かっている。
    過ぎ去った過去を振り返って見たら、
    ある意味では、「そうなるようになっていた」とは想わざるを得ない。
    でも、そのことの渦中にある時、
    思い通りにならないことに、どこかで悩む私が居る。

    自由はその時失われ、
    何だか空しさが心の中を支配する。
    このままではいけないと、自分に言い聞かせはするが、
    この黒雲は心にいつも漂っていたりする。
    「落ち込む」とは、こんな気分なんだな。

    昨日は、何もしない日だった。
    本当に何もしたくなかった。
    ただ身体だけを休めたかった。
    だから、自宅に居た。
    庭に出た。
    花を買って来て、プランタに植えた。
    ビオラとパンジーとナデシコだった。

    この花たちは、今年の冬を越す花たちだ。
    それなのに、花を植えたのに気分が晴れない。
    何だか不安定な気持ちのまま、この朝を迎えた。

    酒なのかなぁと、少し想った。

    こんな日が、時々ある。

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  • from: クマドンさん

    2018年10月22日 11時03分39秒

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    独りがいいなぁ。

    さてさて、疲れ果てている。
    それでもやっと本日、何も予定のない休日だ。
    ぽかぽかのお日様の中、庭でぼーっとしていた。
    ぼーっとしていられる。
    いつまでもいつまでも。そってとてもありがたいことだ。

    昨日もヨガマスターの踊りだった。
    踊るって言うことの快感かな。
    何だか身体を私も動かし、自分が踊っているような感じを味わった。
    踊ることは、私にはできない。
    でも、この内面にあるものを顕したいとの欲求はある。
    それを、言葉ではなく、表情や身体の表現で顕せたら、
    それってやっぱり心地よいのではないかと想う。

    帰りに「せきとり」に寄った。
    4時はまだ開店前だった。
    何カ月ぶりだろう。
    だから、私は海の見える公園でハイボールを飲みながら待っていた。
    何でもいい。
    そうやってまだぎらぎらの夕日の前のお日様を浴びて、
    階段に腰掛けて、ハイボールを飲む。
    そのまま、そこに佇んでいられることの快感かな。

    カウンターに座る。
    いつもの夏木マリの彼女が焼き鳥を焼いている。
    彼女は、私だと気付いた。
    私は、彼女に会いに来たようなものだった。
    日本酒は、角ばった重いグラスになみなみとつがれる。
    そして、受け皿にそっとこぼす。
    これがいい。
    皮は適度に油が落ち、赤はレバーが絶品の味だ。
    玉ねぎを差しているところが、せきとりの焼き鳥だ。

    ここにもずっと私は居られる場所だ。
    5年前かな、職場の帰りによくよく通った。
    まだ、バスが夕方走っていた頃のことだった。
    今は、そのバスが無くなった。
    それでも、自転車でトンネルを超えて通った。通った。

    おみやげの半身の唐揚げを頼んだ。
    時価900円だった。
    これは新潟名物の逸品B級グルメだ。
    またまた引退したら、夕方飲みに来たいといつも想う。
    ずっと黙って独りで居られる場所。
    それが多いので、私はいつも独りぼっちでも生きられる。

    高いお金を払って、義務的に集められる懇親会と呼ばれる飲み会が無くなった。
    5000円も出して、あっと言う間に終わる飲み会も無くなった。
    私は、誰とも今は飲んでいない。
    いつもいつも独りで行動だ。
    人を嫌いになったのではないが、独りがもっと好きになった。
    わざわざ約束をして、駅前で飲むこと自体おっくうになっている。

    飲むのなら、1000円~2000円でのちょい飲みに限る、限る。
    ゆっくりと長居はしない。
    ちよっと飲んで、すぐに帰る。
    家でつまみを食べ、酒を飲む。
    テレビを観ている内にいつの間にか眠ってしまう。

    本当にこれと言った特記事項はなく、友達とも会わなくなった。
    何だろうね。独りでいいなぁと、想えるようになっている。
    別に、誰かと会いたいとは、積極的には想わなくなった。
    それは、寂しいことだとは、私は感じない。
    しょせん、私は、我儘の、自己中の、天邪鬼なのかもしれない。

    二日続けて、独りで踊りを観に行った。
    海岸の公園でハイボールを飲んでジャズを聴いた。
    「せきとり」のカウンターで、日本酒三杯を飲んだ。
    帰りに「シンさん」のお店で、サムライロックを一杯飲んだ。
    帰ってから、マグロの刺身を食べた。
    そして、またまた、テレビを見ながら深い眠りに落ちていた。

    おかげさまで、「西郷どん」を連続三週見損なっている。

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