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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年09月28日 07時44分56秒

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    みんなそうなんだよ。あなただけでないんだよ

    またまた、一週間の始まり、始まり。
    それでも、午後からの出勤だから、少しは精神的に楽でもある。
    時々、考える。とにかく、時刻になったら、昼飯をつくる。
    それを食べる。コーヒーを淹れる。水をポットに入れる。
    そしたら、12時40分には車に乗って、家を出る。
    それだけで、勤務先には到着する。
    後は、無になる。何も考えない。あるがままで5時間働く。

    つまり、身体をその流れに乗せる。
    ぐちゃぐちゃと「嫌だ。嫌だ」は考えない。
    よく考えたら、「嫌だ」と思った数だけ、無駄な心の浪費かな。
    そんなつまらないことは、「そっちにおいて」、
    ただ、目の前のやるべきことを、熟すだけ。

    カンポスのマスターだな。
    身体が先に動く、思いを入れない、繋げて、流れる。
    すると気持ちよく、するすると前に進む。
    そこで、己の欲は入れないことだ。
    「嫌だ」「やりたくない」「休みたい」と、その気持ちは受け入れる。
    しかし、現実はその責任と義務をしっかりと果たさねばならない。
    そんなら、何も考えることはない。
    ルーテーンの流れに乗っかる。
    頭を空っぽにして、ただ従う。
    さっちの方が、楽ちんな生き方だった。

    今、朝日が昇った。日が輝いている。空を見た、爽やかな青空だ。
    そうなんだ。
    自然のあるがままの美しさを見つめていると、
    そんなもやもやはいつの間にかどこかに消える。
    つまり、二つ・三つのことを同時進行で想えないからだ。
    嫌だなぁと思ったら、青空を見る。
    辛いなぁと思ったら、海を見に行く。
    寂しいなぁと思ったら、花を見る。
    すると、その感情がすっかりと消えてしまっている自分だった。
    「きれいだなぁ」「気持ちいいなぁ」「ほっとするなぁ」と、
    そうした自然のあるがままの中に居て、
    心をふっと解放させる。それが何よりもの気分転換だ。

    どうせ今日、今、ここ、自分を生きなければならない。
    ならば、楽しく生きたいものだ。おおらかに生きたいものだ。
    この1日の時間の流れは、全ての人に平等である。
    その時、その人が何を優先順位にしているのか、
    そのことは、その人の日々の喜びや感動の実感となるはずだ。

    まず、「独り」でいいと思うことだ。
    私は、独りで居ることが多い。
    妻と長男とは、仕事だから、日中の我が家では私、独りだ。
    しかし、よくよく考えたら、みんな独りなんだ。
    独りでない人とは、1人も居ないはず。
    人数の1人は、2人にも、3人にもなれる。
    でも、3人になっても、独りは変わらない。
    「独りで、いい」「独りを、楽しむ」「人は人、私は私」だな。
    すると、少し楽になる。
    独りは寂しいことでなく、自分がそれを寂しいことだと誤認識だな。

    そんな時は、家事をする。
    私は、夕食の食器の片付けから、朝の家事を始める。
    それから、冷蔵庫を開けて、食材を確かめる。
    その中のいくつかをチョイスして、朝食のメニューとする。
    そして、玉ねぎを包丁で切り、用途別に刻む。
    そうしているうちに、私は、今、ここ、やっていることそのものになる。
    「無心」とは、「無心」になることではなく、
    きっと何かに「集中」して取り組むだった。
    だから、朝食造りで、私は、「無心」になる。
    すると、今思っている「嫌だなぁ」の感情は、消えてしまう。
    身体を動かし、身体だけに成りきると、「無心」になる。

    人は、同時に2つにはなれないからだ。
    やっぱり、1つなんだ。
    その1つに没頭する時、あの妄想は、いつの間にかどこかに行っていた。
    それでも、心と感情が切り替わって居なかったら、
    次の仕事にとりかかればいい。
    こんな時、じっとして、くよくよと思い悩むことが、
    一番の精神にとってはよくないことだ。
    考えたことは、ここには全く存在しない、架空・仮定のことばかり。
    思ったことだけに支配されたら、そのまま潰されてしまうのは目に見える。

    歩けばいい。走ればいい。筋トレでもヨガでもいい。
    そのもやもやが顕れたら、そこに絶対に留まらない。
    じっとしていない。身体を動かす。掃除する。整理する。草取りをする。
    そうすると、身体が気持ちよく変わる。
    実は、人は、身体で思考しているものなのだ。
    頭は、思い悩むときには意識されるが、
    身体を使い切っている時は、身体だけの存在であると感ずるはずだ。
    その時の思考は、胸や肚でしているものだ。
    即時、即場の瞬時の決定は、身体の役割だ。

    悩むと言うことは、無駄なことだと、私は気付いた。
    私が、ここで悩んだからとしても、あの人の性格は絶対に変わらない。
    私がどんなに思い悩んでも、その場にじっとしている間は、
    私を悩ませている事態は全く変わらない。
    つまり、私は、悩み・苦しんだとしても、全く何も変化しないものに対して、
    独りで勝手にじたばたと呻吟しながら悩み苦しんでいる。
    その悩みのどつぼにある私を、見る私を、いつもどこかに置いておく。

    悩む私とその私を見つめる私だ。
    そしたら、その見つめる私が、悩む私にアドバイスすればいい。
    ただ慰めることも大切なことだが、よりよい具体的な方法を提案すればいい。
    つまり、「悩むな。考えろ」だ。
    絶対に相手は変わらない。どんなモンスターであろうとも、そのままを生きる。
    絶対にその状況は変わらない。どうあがいたとしてもその現実はそのまま続く。
    変われるのは、私なんだ。
    私なら、善い方に自分を少しずつ変えることができる。
    固まってしまった、物の見方や感じ方を、少し修正して見ることだ。
    そして、「まぁ、いいか」「大丈夫」「何とかなる」の魔法の言葉。
    私は、そうやって何度も何度も今は、切り抜けられるようになった。
    しかし、私は、2度の鬱の経験者だ。

    最近は、忘れることはいいことだと、実行している。
    日曜日の朝、また妻に風呂の栓を目の前で抜かれた。
    先週は土曜日だった。
    その時は、栓を抜くときは私に確認することを、約束した。
    しかし、7日後に同じ行動だった。
    私は、イラッとして、怒りのモードに入りかけた。
    しかし、その私を見ている私が、「まて、まて」と止めてくれた。
    次は、30秒ルールだ。言いたいことはまずはっきりと言う。
    その後は、30秒間沈黙を守る。気持ちの鎮まるのを待つ。待つ。
    さして、後には引きずらないルールだ。
    再びダイニングで怒らない。ただ、冷静に約束を確認するだけ。
    つまり、わき起こる感情に支配され、翻弄されない、後に引かない、その場で終わる。

    しかし、そう言ったって、力が出ない、やる気が起きない、疲れ果てている。
    そんな日は、当たり前に誰にでもあることだ。
    まず、考えてもらいたい。
    「みんな、そうだ」と言うことを。
    「自分だけでないんだ」ということを。

    ・独りであること・孤独を感ずること・不安定であること・生きることが辛いこと
    ・寂しいこと・泣きたくなること・怒鳴りたくなること・いらいらと落ち着かないこと

    ・夫婦喧嘩したこと・お互いに理解できないこと・子どもの将来の心配
    ・経済的な不安・病気になること・老いて行くこと・衰えること・死ぬこと

    ・生きる目標がないこと・死んでしまいたいと想うこと・憎しみが消えないこと
    ・裏切られること・捨てられること・生きる意欲が起きないこと

    これって、みんな感じていることではないだろうかの「問い」だった。

    「悩むな、考えろ」とは、こうしたネガテブナ感情や妄想を勝手に造らずに、
    もし、そういう状況になったら、まず、
    「みんな、同じなんだなぁ」「自分だけでないんだなぁ」と想うことだ。
    そして、「相手は絶対に変わらない。この状況も絶対だ」と諦めること。
    次に、では、どうやったら「気持ちよく」「楽しく」生きられる考えることだ。

    しかし、私も鬱のどん底をやったから、分かるが、
    人にはどうしてもそんな切り替える力も、
    苦大的な方法をあることは考えることもできない時があることもよく分かる。
    その時は、仕事を休もう。一時的にリタイアしよう。しがらみを捨てよう。
    とにかく、布団の中にもぐりこみ、ただ眠る。ただ眠る。
    どこにも行かなくてもいい。
    何もしなくてもいい。
    いつまでにやらねばならない仕事は一切なくする。
    そのまま、起きて・食べて・眠って・起きて・食べて・眠るだけ。
    「いいよ。いいよ。大変だったな。辛かったな」
    「休もうよ。あれだけ頑張ったんだから、もう、いいよ」
    「大丈夫。大丈夫。今は、休もう。お疲れ様」と、
    もう1人の私が、疲れ果てて死にたいと思っている私に声をかける。

    何だかね。
    あの鬱での長い長いトンネルの中で蹲っていた頃の私を思い出ししてしまったな。
    でも、今は、2度の鬱の後で、こうして退職してから3年間、まだ働いている私。
    万事塞翁が馬。
    これを信じて、生きるだけ。
    答えはずっとずっと後なのに、その答を見ずに、途中で自死はやめることだ。

    あなただけでない。
    みんなそうなんだ。
    そして、私は2度も鬱になり、どんだけ死にたいと思ったことか。
    しかし、今、ここ、自分が生きていることに、感謝している。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月27日 08時06分05秒

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    一(いち)を生きる。一になる。

    リーデングの稽古が楽しい。
    本当に豹変する自分自身を楽しんでいる。
    全く素にリセットする。
    素とは、自分がいなくなることであり、眠っていた自分になること。
    「へぇ、こんな俺も、いるんだねぇ」の驚きと観劇。

    演出の笹部先生の口移しだ。
    これって伝承芸能の基本中の基本の稽古だ。
    ただ、真似をする。
    その言葉のニュアンス、間合い、強弱、呼吸。
    それを真似しながら、感情を増幅させる。
    言葉を言うのではなく、言葉になる。
    すると、不思議なことが起きて来る。
    私は、その言葉の人となるからだ。

    「お前が、憎い」と、言いながら「憎しみ」が滾る。
    「お前なんか、大嫌いだ」と言い捨てながら、大嫌いになる。
    「ああ、抱きしめるこの喜び」と言いながら、深い喜びを感ずる。
    言葉になるとは、その言葉の感情になるということだ。

    感情しか伝わらないものだ。
    言葉と一体となり、言葉を言うことの快感を味わっていると、
    いつのなまにか、没入する。
    笹部先生の意のままに操られて行く。
    それを楽しむ。そして、先生も化けて行く私を楽しむ。
    不思議だなぁのその瞬間だ。

    異次元な自分も自分なんだ。
    自分から離れた自分なんか存在できるわけはない。
    みんなは、「その人になろう」「そのひとらしくしよう」とする。
    その時、その人と自分とは乖離している。
    しかし、「その人なんだ」「そのひとが私」となると話が違う。
    つまり、その人において一元の自分。
    その人と自分が並列ではなく、同化している。
    でも、その人は、どうやってもやっぱり自分なんだ。

    ある人が言ってくれたことがある。
    「クマさんは、どんな役をやってもクマさんなんだね」と。
    「それって、すごいと私は思うよ」と。
    その人でありながら、自分である。
    そして、その言葉の言い回しによって、瞬時・瞬時に変化する。
    その変化することを、演ずる私は、楽しんでいる。
    「ああ、おもっしぇなぁ」と、一番受けている客となる。
    それがそれが、演ずることの魔法の力だ。

    「馬鹿になれ。自分を超えろ。飛んだらどこまでも飛んでいけ」だな。
    先生の一言一言が心に響く。「そうなんだ」と腑に落ちることばかり。
    それは、ここに「在る」自分の言葉で語ってくれているからだ。
    ずばっと、本質。ずばっと根源。それでいい。
    その本質や根源や、本性や本分や、本来の自分が顕れる時は、
    その言葉は、全て説明ではなく、根源的で、哲学的で、誌的なものだ。
    その言葉を味わい、体現する人は、
    その言葉を生きているひとだけの話。
    その言葉は、体感した人にだけ通じる言葉となる。

    その言葉に、化ける。
    その言葉のままの人となる。
    そして、演ずることは増幅すること、リアルになること、
    ここに在るものになること、そのもの。
    その無心からの顕現が、何よりもの喜びであり、感動だった。
    思いっきり、やりきる、行き続ける、その果ては、無い。どこにも無い。
    その瞬間に、言葉が力となり、大いなる働きとなる。

    今、ここ、自分になっているのは、この言葉。
    「お前を、殺す」その言葉で、私は、人殺しとなる。
    言葉なんだな。
    その言葉を発する。その言葉を爆発させる。
    その時、私は、その言葉の人となる。
    それでは、本当にその言葉の人としてのモデルはいるのか。
    いや、その人も実は、私なんだ。
    言葉と絶対に向き合う覚悟があると、
    その言葉で、自分の知らなかった自分と出会う。

    創造したこと。思ったこと。考えたこと。工夫したこと。
    それは、ただの造り物でしかないものだ。
    それには、人の魂を感動させる力は全く無いと言い切れる。
    魂は、魂にしか感動しない。
    つまり、魂としての自分に驚き、慄き、驚愕しながら、
    その魂としての自分を楽しむ、味わう。
    その瞬間だけが、覚醒の瞬間だった。

    終わって「ありがとうございました」と礼をする。
    現実だ。
    今、ここ、自分に戻る。
    平常心・あるがままの私。
    その人が、廊下に出て、個人写真を撮られる。
    さっきまで行われていた世界は、もうどこにも無かった。
    私は、いつもの独りのクマさんだ。
    その異次元から現実に戻った感覚が、
    いつもいつも楽しいなぁの味わいだった。

    それがやりきれた自分を信じる。
    私は、私の考えている私ではない私でもある。
    ここが大事なんだ。
    私は、そうだと思い、騙されて来たのではないのかの「問い」だ。
    自分はこんな人なんだと、思い込んでいる自分は、
    本来の真面目の自分自身なのだろうかの気付きだった。

    これが、私。
    そう想うことをやめてしまったら、
    どんなに生きることが楽になるか分からない。
    「もっと自由に生きられる」
    「こんな自分もいたのかの発見」
    「それが役者さんの喜びと感動」
    「やったひとにしか分からない。それが舞台の力」
    先生の言葉には深い深い意味がある。

    さて、私は、私がそう思っている私なのか。
    また、妻が理解している私とそう想っている私は同一の私なのか。
    また、子どもたちがそれぞれ思っている私は私がそう思っている私なのか。
    また、Sさんが理解している私とは、私が私だと自覚している私なのか。
    また、Aさんの私。Bさんの私。Cさんの私・・・。私は無数の私でいるのではないか。
    では、私とは、何だ。どんな私が、私なんだ。
    それを「分かる」と言って、「決めつける」ことをするは、固い石だ。
    柔らかい石の私は、きっと、今も「私とは誰?」と探究していることだろう。
    舞台で演ずると、そこに行きつく。
    「私は、いったいだれなのか」だな。

    今朝、そんなことを考えていたら、はっと気づいた。
    「自分自身」という言葉についてだ。
    問題は、この「自」なんだ。
    この「自」がつく言葉の意味が、本来は根源的な生き方の道だと分かった。
    簡単だった。
    この「自」を「神」と替えてみる。

    「神分神身」どうだろうか。
    神から霊的な存在して分かたれた私。それは、「魂」としての私。
    スピリチュアルを私の根本・根源とする。
    私は、神の息吹を受けて、この世に生まれた人なんだ。
    つまり、「魂の人」である。

    しかし、魂は、魂のままでは、この世に存在することができない。
    だから生身の肉体・いのちが求められる。
    その魂の器が、この身体だ。
    この身体も神から授けられた身体で在る。
    だから、神身なんだ。

    ということで、もう一度「自分自身」に戻ろう。
    これを二つの意味と考える。
    「自分」=魂・スピリチュアル
    「自身」=神から授かった身体・いのち・身体への尊重・畏敬・身体は自然。

    つまり、自分も自身も単独で存在し、この世を生きているのではなく、
    その神という創造主と繋がって生かされているのだという気付きと発見と驚き。
    それが、「ホリスティック」なのだと、私は学んだ。

    だから、今、ここ、自分を、いつもこの関係性と相互依存性でとらえて生きると、
    何だかほっとする。安心する。大丈夫だと思う。まぁいいかで生きられる。

    Sさんと、よく語り合っていることがこれだった。
    「こっち側で生きましょう」
    「向こう側には、もう行きたくありませんね」
    「柔らかな石ですね」
    「理解することは、愛することですね」と。

    演ずることと、本来の自分を生きることとは、同一だった。
    その「同一」「いち」をただ生きるだけ。
    それ以外の生き方は無い。
    それを生きる喜び以上の喜びは、無しだな。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月26日 07時54分08秒

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    魂の人との出会い

    昨日が記念すべきスマホデビューだった。
    本当は最期までこのガラ携でよかったのだが、
    再三再四修理不能のダイレクトメールだった。
    昼間、外では液晶画面が全く見えない。
    時々、シャットダウンしている。
    バッテリー容量化が激減して、通話したらすぐに切れる。
    そろそろ踏ん切りの時と判断して、家電のお店のカウンターだった。

    さて、昨日は午前10時から契約と説明だった。
    そして、終了して店を出たのが12時過ぎだ。
    さすがに2時間は、ハードだった。
    そして、職場に向かって急用の電話をかけようとして驚いた。
    ダイヤルの画面が出ない。
    どうやって電話をかけたらよいのかすら、理解していない自分に気付いた。
    その場で、一緒に勤めているおばさんに教えてもらった。
    情けない話だ。

    データを移すにはドコモのお店に行かねばならない。
    次々と来るメールには返信ができない。
    そのメールの保存や登録の仕方が分からない。
    何なんだこれは。ただ、途方に暮れているばかりだった。
    携帯については、ということで、暫くは音信不通となる。
    当面は不要不急の連絡はとらない、とれない。
    そう考えると、何だか気が楽になった。
    当面は、小千谷のSさんと電話ができ、
    数人の友とメールができればそれでいい。
    こんな時は、開き直って、諦めることだ。

    昨夜は、第9回シン・コンサートだった。
    田中トシユキさんのアコーデオンとバイオリンのソロだった。
    音楽での世界旅行だ。
    私は、こうしてコンサートを11カ月ぶりに再会できたことが嬉しかった。
    音楽のもつ力を感じた。
    すぐ目の前での田中さんの演奏には、味わい深いものがあった。
    パリになる。サンパウロになる。モスクワになる。かな。
    その音楽を聴きながら、私は、その国の人たちの感動を味わっていた。
    何よりも、この音楽にわっての共感・感動とは、
    言語を超えた、ダイレクトの繋がり感だった。
    音楽を聴いて、その国の人たちの魂の歌を聴いて、
    私は、その国の人たちと繋がれる気がしていた。

    ここに集まったお客さんもそうだった。
    みんな待っていたくれたコンサートの再開だった。
    だから、本気で耳を傾ける。心してこのライブ感を味わう。
    音楽が。生の演奏が、こんなに在り難く、生身に沁みる。
    それは、こちらの魂が、音に飢えていたからだった。
    このウイルス禍によって、演奏する人も、聴衆も、音に飢えていた。
    「音楽を聴きたい」「音楽を演奏したい」
    その熱い熱い想いが、このコンサートの会場には確かにあった。

    私たちは、本来、そうした魂・スピリチュアルで生きていることを忘れていた。
    しかし、この魂の飢えとは、一体何を顕しているのかの「問い」だった。
    音楽は、不要不急のものなのか。
    こんな時こそ、私は、「音楽」であり、「演劇」であり、「歌」なのだと思う。
    私は、そのことを失ったこの期間に、そのことへの飢えを感じた。
    苦しいからこそ、辛いからこそ、音楽なのではないだろうか。
    それは、その音楽がきっと、
    人間が生きる辛さ、哀しさ、苦悩からも生まれたものであるからだ。
    また、挫折と試練とを乗り越え、逞しく生きた心でもあるからだ。
    また、愛する人へその愛を伝える想いでもあるからだ。
    人はきっと、深くで同志になれる。

    音楽を聴く。今は、音楽そのものになるだった。
    音楽である。
    そうやって音になることで、私の歌から歌が生まれる。
    思わず田中さんの演奏に合わせて歌が生まれる。
    それは、田中さんの音に歌がきっとあるからだった。
    歌の無い音は、深く感動する音楽にはならない。
    私が、歌を感じ、一緒に歌を歌える音楽には、歌が生きていた。

    それでは、歌とは何か。
    それがきっと魂・スピリチュアルなみのの声だと私は思う。
    あき乃の入口に飾られている。「聴無声」だった。
    実は、この声無き声が、歌なのではないだろうか。
    私の魂のその声無き声は、他者の魂の声無き声だ。
    その声なき声は、共に響き合い、共振するものである。
    それが、声を持つと「歌」になる。

    書くことは生きることだと、いとうせいこうさんだ。
    書くことは考えることだとも言う。
    私は、ここにこうして書いているのは、
    きっとその声なき声を「言葉」にしているのだと考える。

    しかし、さっき、書けなくなって、ふと立ち止まった。
    こんなことは、なかなかないことだった。
    でも、自分の魂が、「それでいいのか」「造り物ではないのか」と問うてきた。
    すると、打つ手が止まった。
    それは、その「言葉」がこの声無き声と一体になっていなかったからだ。

    気持ちよく生きられるのは、きっとこの声無き声に聴き従って生きているからだ。
    身体は、その声のまま、あるがままに生きている。
    ところが、私は、時々、声ではなく自分の思いに従って生きる。
    そんな時は、不具合が起きる。嬉しくない。何だかいらいらとする。
    そんな不全感は、私の声に聴き従うから起きるものだった。
    だから、この声無き声にリセットが必要だ。

    そんな自分と向き合う静かな時が、実は音楽を聴くことでもあるのだった。
    私は、そのパリの音でその人たちの喜びや悲しみを味わっている。
    その感情は、私のそれと同じだった。
    その音は、彼や彼女の音ではなく、私の今、ここで、生きる音そのものだ。
    そして、それは、演奏する田中さんの魂の音でもあった。
    ここにある音は、一つの音。
    しかし、その音には死者たちの歌があり、田中さんの歌があり、私の歌である。

    何だか上手くは言えないが、
    その音になることとは、個別に存在する私たちが一つに融け合うということ。
    歌で一元の私となる。
    そこには、死者もなく、他者もなく、彼もなく、私もない。
    ただ、そこには一つの歌が在る。

    そして、忘れていたその声無き声の私の魂。
    その魂の存在の原点に帰還できる。
    それが、音楽を聴くことだった。

    とにかく、このstayhomeの長い長い期間の中で、
    人はきっと自分と向き合っていたのではないだろうか。
    その時、きっと向き合っていたのは思っている自分では無く、
    歌としての自分・・・。
    その歌を歌える魂としての自分・・・。

    何だか言い切れない。
    今日は、ここでやめにする。
    ただ、言いたかったことは、
    「音楽」「演劇」「歌」「踊り」
    そこで感動するのは、自分をそこで深く味わうからだと言うこと。
    だから、こんな時こそ、このことが必要なのだと言うこと。
    そして、そこで気付き、発見した、本当の自分のまま、
    これからは生きること。
    その声無き声にこそ、自分を生かす真実があるということ。

    古きガラ携を捨て、新たなスマホで生きる。ということ。
    きっとその声なき声に聴き従って、今、ここ、自分で生きるなら、
    自分と言う機種がすっかりとリフレッシュ・リニューアルされるということ。
    その機会に、afterコロナをすること。

    実は、今は、生まれ変わる。生き改めるチャンス到来なんだ。
    その時、私の想いではなく、声無き声に聴き従うことだ。
    そして、その声を聴きたければ、音楽に感動することなんだ。
    その感動する私が、本来の私。
    その私で生きると、そう生きている人たちと深く深くで共感し、連帯できる。

    だんだん、分かって来た。
    四百人・五百人ではないんだな。
    今、こそ、魂で深く深くで繋がれる人と、たとえそれが1人であろうとも、
    その人と同じ声無き声を聴く人として、繋がれることこそ、
    何よりもの勇気であり、希望であると、今、分かった。
    「魂の人」その人と、対話することで、
    きっと私がはっきりと了解できる気がする。

    きっと新しいスマホの電話帳は、数人になるのかも知れないな。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月25日 07時07分44秒

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    「明るい覚悟」を持つ

    本日午前で、私は10年間愛用したガラ携からスマホに変わる。
    私はガラ携で充分なのだが、もう壊れても修理不能なのだそうだ。
    バッテリーの消耗が激しく、よく鞄の中でこと切れている。
    再起動ばかりの人生となった。
    液晶画面は、昼間外では全く真っ暗で解読不能だ。
    だから、昼間メールを打つ時は、暗がりを探す。

    しかし、道具は、使えば使うほどの愛着を感ずるものだ。
    黒い色はあちらこちらが剥げて下地が見えている。
    小さな陥没部分には、何重にもセロテープをはって補強した。
    それから、待ち受け画面は、長男が中1。次男が小4の頃のまま。
    この二人の笑顔を見ると、懐かしさと喪失感だったな。
    このガラ携と分かれる勇気だった。

    家電店での契約だ。
    すると、データをコピーできないそうだった。
    「えっ」との驚き。
    実は、そのコピーする機械はドコモショップにだけ備えられているそうだった。
    機種変更での最重要課題は、この電話帳と写真のコピーだった。
    だから、今、ここでも、不安でいっぱいだった。
    さて、開通したところで、私のスマホには既存のデータが一切消えている。
    こんな恐ろしい話も、ないのではないかの「問い」だった。

    今、電話帳には543の個人記録が残されている。
    これまでの人生の間で、かかわり、関係づけられた人たちばかりだ。
    その人の名前を見ると、その頃の私の行動や活動がよく分かる。
    本当に、いろいろなことをやってきたものだと、我ながら呆れる。呆れる。
    そして、よく63歳まで行きのびて来たと、我ながらの安堵。安堵だった。

    とにかく、変わる時節が来たということだ。
    人生は、実は、これからが楽しい。
    健康で身体が自由に動く今なら、
    私が今、ここで、夢に描いていたことが、
    一つ一つ細やかながら実現できそうだった。
    歳をとったから、何かを始めようだな。
    そう考えると、この543人の人たちの中の誰とこれからもかかわって行くか、
    その見極めの時でもあるのかなぁと、改めて想うことにした。

    真っ新な電話帳だ。
    記録は1人も居ない。
    そこから、私の63歳の人生が始められる。
    これから、どんな人たちと出会い、またその電話帳に記録されるのか。
    そのことも、私にとっての喜びであった。
    お願いがある。
    24日午後以降に、私の携帯の番号にSNSかメールを送ってもらいたい。
    番号とアドレスは、ガラ携のままである。
    私も、せっせとその人たちには、個人的にメールを送ることにする。
    しかし、本当に私がそれを使いこなせるのかが心配だ。

    しかし、変わり目には、変わることだ。
    その決断をするかどうかで、その後の人生は全く違うものになる。
    自分が人として成長したいと願うなら、
    幸せに最期まで生きたいと願うなら、
    変わり目に立ったら、決断することだ。
    そして、余計なことを考えず、全てを委ねて、その新たな道に踏み出すことだ。

    今朝のラジオは、落合恵子さんだった。
    あの美しく憧れの女性は、75歳の女性になっていた。
    ところが、彼女は、今、ここも、自分の決めた道を仲間と一緒に歩き続けている。
    人は、20代・30代。独りを貫くどんな生き方をしてきたのかだなぁと、ふと思った。
    民放ラジオ局に拾ってもらった彼女は、
    原稿を書き、取材のできるアナウンサーになった。
    その出会いから多くのことを学び「スプーン一杯の幸せ」がベストセラーとなった。
    彼女は、その印税で、原宿に子どもの絵本の書店を創った。
    S45年のことだった。「クレヨンハウス」だ。

    そこから、絵の栄養は本であり、身体の栄養は、食べるものだと、
    仲間たちと有機栽培農業を行い、そこで撮れた作物でレストランを開いた。
    オーガニックな食品を売るための店までも経営を始めた。
    「女だから」とまたまだ言われた時代だった。
    そのアゲンストの中でも、独り踏ん張り、自分のやりたいことをやり続けた。
    彼女は、本の印税をマンションや土地に変えなかった。
    「3年ももたないよ」と言われながらも、絵本の書店を創った。
    その生き方は、その歳になっても変わらない。
    いや、もっともっと静かに旺盛になってきているようだった。

    彼女を育てたシングルマザーの母親を、彼女は7年間自宅で介護した。
    その経験から、人の生き死にを多く学んだ。
    その母を介護しながら、彼女は人権を守る闘いのために社会の中に出て行った。
    「明るい覚悟」と言っていた。
    「私は、私になります」
    彼女は、その闘いの中でもっともっとしなやかで強い人となった。
    そして、明日に向かって、自分の最期に向かっても、
    「明るい覚悟の人」であろうと心に決めた。母に誓った。

    さて、どうして子どもの絵本なんですかの問いに対して、
    彼女は、答えてくれた。
    「絵本を通して、人と人とが出会うことができますね」
    「差別に対して、子どもの周りにどんな大人が生きているかが大切です」
    「絵本は何十回・何百回と読み返してもいい本ですね」
    「読むたびに大人でも新しい意味の発見があります」
    「死について考えます。そうすることで、今を生きるを考えられます」
    「本物の文化って、こうやって手渡して行くのではないでしょうか」

    そこで、彼女は1人のインデアンの言葉を語ってくれた。
    「7世代先の子どもたちのことを考える」
    そしたら、今、目の前の便利さや効率のよさを、考え直せるとのことだ。
    「このことで苦しむのは、将来の子どもたちです」

    あるおばあちゃんの言葉。
    「行列ができていたら、そこに並ぶと何かが手に入る。
     しかし、1番前に行こうとすることは、恥ずかしいことだ」と。

    「何かがないから、何かができない」とは、差別的な言葉だ。
    未婚で子どものいない彼女が、子育てについて語っていことに対しての世の中の声。
    それに対する、彼女の言葉だった。
    だから、大人からの子どもたちへの心のメッセージは、
    「あなたのことをいつも見ているよ」
    「あなたのことを大事にしていますよ」との叔母的な気持ちだと言っていた。
    子どもを産んで育てて居なくても、子どもの母親・叔母にはなれる。
    本当にしなやかで、逞しく、美しい女性だと感じた。

    「私の人生に、リタイアはありません」
    「もういいかは、最期までですね」
    「私の想像していた老いとは、全く違いました」
    「確かに歳をとることは何かを失うことでもありますが、
     何かを獲得することでもありますね」
    「その両方を、老いはもっていますね」と、嬉しい励ましの言葉だった。

    私は、こんな気持ちで生きて来ましたと、
    「私の後ろをついて来ないでください。私は、あなたをリードすることはできません」
    「私の前を歩かないでください。私は、あなたに従って行くことはできません」
    「私にできることは、ただあなたの横で、一緒にあなたと歩くことだけです」
    75歳の現在も、新たな夢の実現に向かって歩き続けている彼女だった。

    ガラ携からスマホに替える。
    確かにリスクは多いかも知れない。
    きっと使いこなせずにイライラともするだろう。
    しかし、「風たちぬ」ならば、やっぱり帆を上げよう。離陸しよう。跳び込もう。
    そんな今、ここ、自分は、必ずあると私は確信している。
    彼女はその時、「明るい覚悟」で、未知なる一歩を踏み出した。
    それをやれるか。それを諦めるか。
    歳をとった今、しがらみが少なくなった。
    「やろうと思えば、何でもできる」歳になったはず。

    彼女の言葉から、老いを最期まで「明るい覚悟」で生き続ける勇気をもらった。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月24日 07時33分02秒

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    人は、向かい合っているものになるものだ

    6日間の長いお休みをもらった。
    私はその休日の間に、会いたかった人に会いに行った。
    そして、その人と、語り合った。
    その語りがしたくて、その人へ会いに行った。

    人は。きっと自分が向かい合ったものになる。
    私は、何だかそのことが確かに感じられるようになってきた。
    私は、涼しくなったので、庭に出ている。
    そして、樹を見て、選定をする。
    すると、私は、その樹と対話していることを感ずる。
    私は、樹に語りかけている。
    すると、私は、その樹になる。

    秋が来たら、葉っぱの端が枯れて来る。
    葉っぱがちぢくり、少なくなって行く。
    みんなその変化にただ従うだけだった。
    それに対して、抗うこともなく、ただ、そのまま枯れて行く。
    百日紅はあの紅色の花を散らす。
    ナスも最後の頑張りを見せるが、盛夏の時の力は無かった。

    衰えること。
    それは、当たり前の自然だった。
    だから、私も衰えて行く。
    すると、日々、ここに生かされていることの在り難さだ。
    春が来て、夏が来て、いつの間にかあの猛暑は去って行った。
    庭に出ると、すでに、秋に変化していた。
    つまり、変わらないことは一つもないということだ。

    そして、樹を見る。
    あの猛暑の中でもすくっと元気に立ち続けて来たのは、
    この樹が根を深く深くの水脈まで伸ばしていたからだ。
    では、その根はいつ伸びるのか。
    それは、試練であり、苦難であり、苦しみの中だった。
    そこに追い込まれた時、
    生き抜くために、根は伸びる。網の目のように土の中で縦横無尽だ。
    土の下では、その葉を茂らせる円の面積と同じくらいの面積で、
    その樹の根が伸びているそうだ。
    つまり、逞しく、しんなら強く生きるためには、「根を生やす」ことだ。
    その「根」を、今、ここで忍耐をもって生え茂らす。

    庭の命は、みんな別々個別に生きている。
    それも、独り静かに、淡々と自らを生きている。
    こうやって見渡すとまさに多種多様な世界が顕わだ。
    1つとして同じものはなく、全ては全く異なるものだ。
    同じ種であっても、見た目もその性質も全く異なるものだった。
    つまり、みんな多様の中の1つである。
    自然の命は、みんな独りで生きている。
    だから、私も独りを楽しむ。その生き方が、大事、大事だ。

    しかし、そうやって安心して生かされたままでいられるのは、
    大いなる働きによって、養われ、育てられているからだ。
    その大いなる働きの力は、この樹を見ると明らかだった。
    つまり、そこに全てを委ねているから、何も考えず、安心して生きられる。
    その信頼・信念を、自然はその習性・本能の中に、
    「創造主」から、吹き込まれて生きている。
    だから、そのまま、日々を任せて、委ねて生きる。
    実は、この任せる、委ねる生き方に、人の幸せも託されているのだ。

    自分で何とかできるとは、傲慢な人の考え方だ。
    全てのことは、人を超えて変化している。
    人が思い通りにならないものが、自然の命。
    そして、自然の命である、自分自身の身体もそうだ。
    この身体は、人における自然そのもの。
    つまり、目の前の樹とこの身体とは同じものだ。
    それは、命として有機的に連携をして絶えず働き続ける総体だからだ。
    一つの身体に宇宙はある。
    だから、身体に聴くということは、身体から学ぶということだ。
    この身体は、自然そのもの、創造主の働きそのもの。

    スピリチュアルを想起する。
    本当に一つ一つが個別だったら、そこには何のつながりも関係もないはず。
    しかし、一つ一つ別々に生きられると言うことは、
    お互いが助け合い、支え合い、繋がり合って生きているという証だ。
    この樹か生きているのは、水・光・空気・温度・土だった。
    つまり、そうした生きている環境が整わなければ生きては行けない命だった。
    それでは、酸素はどうか、みんな同じ酸素を吸って生きる。
    生物と植物とは、お互いの呼吸したもので繋がり合って生きている。
    水はどうか、その同じ水を飲むことで、自然の命は全て繋がる。
    お日様の光ほど平等なものはない。みんなに同じ光を与える。
    つまり、この光によって育てられるのが、命だった。
    こうして考えると、私も、その繋がりによって生かされている命の1つだ。

    今朝も朝食を食べるはず。
    それでは、その食事がどれだけの命と繋がってもたらされたものかと考える。
    きっとその広がりは辿れば辿るほど無限な広がりだ。
    全て「宇宙」によって生み出され、養われ、育てられた。
    感謝しているだろうか。
    今、ここ、自分を生きているのは、
    そうした命の繋がりに寄るものだと言う驚きと不思議と自覚があるか。
    その気持ちが、きっと「自然に対する畏敬」なんだ。

    確かに、人は、向き合ったものになる。
    その向き合ったものに、自分自身を同化させることができるからだ。
    その時、私は樹と対話する。
    それは、その樹に対する畏敬の念があるとともに、
    お互い在るスピリチュアルを感ずるからだ。
    スピリチュアルの存在を顕わにするためには、
    創造主である、聖なる創造者がいなければ、
    そのことは実現できないものだった。
    全て創られた命は、その創造主の息吹を吹き込まれたものだからだ。
    魂は、その創造主そのものだ。
    そして、私もこの樹も同じ創造主を父とする。
    つまり、兄弟姉妹でもあるのだった。

    と言うと、人は、この辺りから怪しい話と感ずるようになる。
    目には見えない。
    いると言われても触ることも、手に取ることもできない。
    それを信じろと言われても、その創造主をここに連れて来てくれたら・・・。
    つまり、ここで2つに分かれる。
    私は、それを信じ、命の繋がりの中で生かされている幸せを感ずる。
    しかし、人は、それを全く信じられず、人を見て、人だけを尊重して生きる。

    人は、きっと自分と向き合ったものになる。
    それでは、私は、日々、何と向き合っているかだった。
    だから、庭に出る。
    だから、神に祈る。
    だから、魂と対話する。
    だから、友に会いに行き、その友の魂と対話する。

    それを信じられるかどうかで、
    人生が全く違う。
    今は、ここに居る。そのことの幸せを日々、感ずる。
    「ああ、生きるって、こんなに楽しかったんだな」の実感だ。
    私は、きっと死ぬまでここに生きる。
    しかし、きっと死んでも、ここに生きていることだと信ずる。
    死ぬのは、朽ちるのは、この肉体である身体なのだから。
    そのスピリチュアルな魂は、不死であり、永遠である。
    それを信じられるか、否か。

    ガーデン・キュレーターの小島さんの話。
    「家庭菜園をすることで、自然のリズムに呼吸を合わせられるようになります」

    「思い通りにはならないということを実感します」

    「今、植えた樹は、私が死んだ後の時代まで生きる樹です」

    「いつも目をかけてあげることが大事」

    「結果はすぐに出ないのだから、気長に待つことです」

    彼女は、ガーデニングの植物たちと向かい合って、
    こういう人に、なっている。

    人は、きっと向かい合っているものに、なるものなんだな。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月23日 07時02分36秒

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    向き合ったものになる

    自分が向かい合っているものに、自分がなる。
    そんな感覚を最近は、よく味わっている。
    なるという気持ちもそうだし、そのものと対話しているということもある。
    その対話する前に、きっとそれになっている。同化している。
    それだから、きっと語りかける。対話が生まれる。
    その順番だと、今、分かった。

    理解することは、愛することだ。
    そんな感じもやっと分かるようになった。
    理解すると言うことは、そのままでいいということ。
    いや、この世の中には「いい」も「悪い」もないものだ。
    それは、人が、社会が、自分に都合によってただ勝手に決められたもの。
    だから、庭に出て花や樹々を見ていると、
    どれが「よく」て、どれが「悪い」とは、何も言えない。
    みんな黙って、そのままで、競い合うことも無く、争うことも無く、
    ただ、その生きるを、その日一日、生きているだけ。


    「これで、いいんだなぁ」と感じた。
    するとほっとする。肩の荷が下りる。ぼーっとできる。
    何もしていないかもしれないが、そのことがこんなにも嬉しいと感ずる。
    私が、その仲間のひとつになれた瞬間だ。
    身体は、この人たちの仲間だ。
    自然は、黙って自然を生きている。
    自然は、何も思わずに自然のままだ。
    自然とは、何も思わず、考えず、ただぼーーっと生きる。楽しく生きる。
    それができる人が、自然なのではないかの気付き。

    昨日、やっと日中庭に居ても汗をかかなくなった。
    嬉しいことだった。
    今まではあの猛暑の中、エアコンを一日中つけっぱなしだ。
    ということは、エアコンのある部屋に居座っているということ。
    庭には、そのエアコンはなかった。
    だから、私は、庭に立たなくなった。
    早朝に水をさっさとやって、エアコンに戻った。
    ちよいちょいと野草を抜いて、エアコンにまた戻った。
    だから、しばらくは、この仲間たちとは疎遠だった。離れて暮らした。

    しかし、やっと私は、故郷に戻った。
    「浙江は潮 慮山は煙雨」
    同じ庭なのに、何か見違えるような喜びを感じた。
    この仲間たちが居てくれたら、私は生きられる。
    そんな自覚と喜びだった。

    私は、庭を観渡す。
    すると、「ここだよ」「こっちだよ」と、私のことを呼んで来る。
    そうなんだ、私の仕事は、この人たちが造ってくれる。
    「ありがたいことだ」といつも感ずる。
    もし、この仲間たちがここに居てくれなかったら、
    私は、こうした日中身体を使って、せっせと外では働かない。
    そうなんだなぁ。
    この人たちのおかげで、私は身体を使う、身体で味わう。
    そうした原点に回帰できる気がする。

    どれだけ一日の生活の中で自然と向き合えるかだ。
    先に書いたように、人は、向き合ったものになれる。
    私は、澄んだ青空にも、その雲にも、そして、雀にもなれる気がする。
    それは、そこに在る「意味」を感ずることができるからだ。
    その「意味」を深く味わう。
    そのためには、立ち止まり、ゆっくりと、空を見上げる必要がある。
    しかし、現代の生活の中で、忙しい、忙しいと言い続ける生活の中で、
    空を見上げたり、夕日を見たり、月を見たり、星を見たり、
    街中のど真ん中でもできるそのふとした時間を、
    人は、意識して作ることを忘れ去っている気がする。

    路傍に咲いた小さな花の色に足を止める。
    暫し佇み、その花を愛でる。
    すると、片隅に咲くそま小さな花に「意味」と「言葉」があることを感ずる。
    最近、本当によく泣く私だ。
    突然、感極まる。どこでもそうだった。涙が溢れる。涙がこぼれる。涙が流れる。
    その時、「感動」している自分を感ずる。
    その意味を理解するのが先ではない。
    感ずることが、まずある。
    そして、感応しての涙が溢れる。
    それから、感動している自分を感ずる。
    この順番だな。

    ということは、この感動する自分が居るということ。
    私が感動するのではなく、感動する自分が私なんだと言う気付きだ。
    そして、その自分で生きられることが、とてもとても楽であることも悟った。
    その自分を信ずる。
    全てのことを委ねて、任せて生きる。
    すると、この庭の仲間たちのように、ただ生きられる自然な自分だ。
    「ただ生きれば、それでいい」

    私たちは、きっと何かに騙されていた。
    私たちは、きっときっと幸せとは反対の道を歩かせられて来た。
    私たちはもきっとそうしないと幸せになれないと信じ込まされて来た。
    しかし、そこに「幸せ」がなかったことに、
    そこには、何も確かに信じられるものがなかったことに、
    このウイルス禍の中でやっと気付いた。

    「では、一体、何を頼りに、何を信じて生きればいいのか」
    その「問い」をもった人たちは、人と向き合うことをまずやめることだ。
    人は、向き合ったものになるからだ。
    そんな時は、「独り」になることだ。
    実は、自然と向き合っている独りは、とても豊かで充実した気持ちにさせられる。
    物や金や目に見える者の量で、この豊かさを換算できない。
    実は、本当の豊かさとは、目に見えない魂・スピリチュアルなものだからだ。
    その存在。
    つまり、本来の自然と向き合い、自然と同化できる霊的なものを、
    人は、見ないように教えられて来た。
    そんなものはあるはずがないと、言われて来た。
    何を言っているんだ、この科学の世の中でと、馬鹿にもされた。

    そもそも、その考え自体が間違いだった。
    二元論には、そのままの分裂と分類と個別と対立と分離しか存在しないからだ。
    あらゆることは、一元である。
    その一元で生きているから、庭の仲間たちはたんたんと生きられる。
    まぁ、「定」という一元のままで生きているからだ。
    「悩むな、考えろ」だな。
    人は、生まれて、生きて、死ぬだけだ。
    その間に、どれだけ逞しく図太くしぶとく根を生やすかだな。

    その根を生やせる人は、人真似をしたり、人に従い、人の評価で生きた人ではない。
    ここで、人は、生き方を誤ってしまう。
    そうではないんだ。
    どんな状況、立場、場所におかれても、
    人は、自分独りをどう生きるか、考えて行動し続けることなんだ。
    その時しか、その根は太くならない。数を増やして手を伸ばさない。
    そうやって現役の時代を生きる。
    その図太く茂った根ですくっと立っている樹は確かに逞しいものだ。

    庭に出て2時間は、あっという間だった。
    とにかくいろいろな生きる「意味」や「知恵」を学ばされる。
    それを、自分のももとする。
    その繰り返しだ。

    昨日、百日紅の選定をした。
    どんどん伸びた枝を切って行った。
    密に重なる枝を切り、風通しをよくした。
    その枝葉の間から、きらきらとお日様の光だった。
    「気持ちいい」「これでいい」だな。

    Sさんとよく話す。
    「身体の気持ちいいことわする」と。
    身体はこの百日紅の仲間だ。
    一元をあるがままに生きている。
    身体は、私を越えている。
    私は、ただ足りない頭で考えるだけ。だから、悩む。
    悩むことは、全くの無駄なこと。悩んでよくなったことは何も無い。
    そんな時こそ、身体に聴けだな。

    Sさんは詰まったら散策に出かける。
    私は庭に出る。
    そして、自然と向き合う。
    すると、さっきまで悩んでいたことは何だったか、忘れる。
    それは、向かい合っているものに、Sさんも私もなっているからだ。
    身体に戻るということは、自然に生きると言うことだ。
    自然はただ一元のままだから、明確ですっきりとそのままだ。

    本当は、身体で考えれば、幸せになれるんだ。
    そこの機微が、こんな私にもだんだん分かり始めて来た。
    Sさんは、今頃また、信濃川に添って彷徨していることだろうなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月22日 07時50分40秒

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    意味を味わって日々を生きる。楽しからずや。

    小千谷に電車で行った。
    ワンデーフリーパスでは、往復1,570円。
    新潟駅から自宅までの片道のタクシー料金だ。
    いつも思う。
    電車での独り旅はいいものだと。
    自分と黙って向き合う。
    田んぼや山や川や街や、そんな風景と向き合う。
    そして、駅に停まる度に乗車して来る人と向き合う。
    この部屋とは違ったライブ感だ。

    私は、その人の様子から、その人の生活や人生、生き方を創造する。
    ほんの僅かな時間の出会いの中で、
    小さな物語は生まれる。そして、その人が電車を降りる。

    さてさて、ちぢみの里まで「歩きましょう」と、83歳のSさんだった。
    とてもとても涼しかったが、20分間の道程だ。
    私たちは、話しながら、山に向かってゆっくりと歩いた。
    「授業はライブだ。笑いと涙と感動だ。エンターメントが授業なんだ」
    私が、ある大学の講師として講義をすることになったHさんへ、
    教員生活40年間の先輩として送ったアドバイスだった。
    Sさんは、いつもそうだった。
    「そうですね。そうですね。分かります」と、受け入れ、共感してくれる。
    そのことが私には何よりの嬉しさだった。

    温泉に入って驚いた。
    毎日夜中に4~6キロのウォーキングを1年間続けている。
    少しの雨でも、身体が「歩きたい」と言っているからと、歩きだす。
    ストックを握っての4足歩行だ。
    とにかく、続けていることが凄いことだった。
    その努力が身体に出ていた。
    筋肉がびしっと締まった。
    体幹が鍛えられ、しなやかに、逞しくなっている。
    立っているとがっちりとして背中が真っ直ぐだった。

    続けると言うことは、こうして心と身体が変化することだと、改めて思った。
    続けて来たその意志に、身体は正直に応えていた。

    さて、へぎ蕎麦を3人前、きんきんに冷えた生ビールで乾杯する。
    「自分」という生き方の話になった。
    二本の割りばしだ。
    右手の割りばしは、現役・現職の時代。
    左手の割りばしは、退職してから死ぬまでの時代だ。
    その二本をどう接続し、連続した人生とするか。
    本当はSさんも私もそうなんだが、
    この退職後の人生こそ、
    本当に生きている喜びとその機微を味わえる宝の時期であると了解している。

    本当に「人生は、これから」
    「これからの人生が、楽しすぎる」と、いつも笑顔だった。
    Sさんは、まさにそうした生き方の実践者だ。
    今朝もきっと散策の中で、何か新たな気付きと発見だったと思う。
    sさんのすごいところは、それわ「意味」ととらえて、
    自分の生き方そのものをその意味に同化させていることだった。

    今までこう生きて来た。
    だから、これからもその生き方で行くでは、固い石なんだ。
    今まではこうだった。
    でも、今、ここからは、やっぱりこう生きようと転換する。
    つまり、「回心」する。
    そのことを日々行う。これが生きることの機微であり、喜びと感動。

    つまり、自分を生きるとは、そうした自分を、
    今、ここで向き合っている星々や、月や、雲や、川の音に同化させ、
    気持ちよくなり、いつしかそんな自分がいなくなり、
    川の音そのものとなっている。
    つまり、自分を失くしたその瞬間に味わえるものが「本来の自分」なんだな。

    Sは宇宙と大自然と向き合いながら、そこに自分を感じる。
    「ああ、あれは、吾だ」
    つまり、「吾は、あれだった」の気付きと、発見だな。
    「oneness」と一本の人差し指を立てる。
    「これですね」と、また笑う。

    さてさて、現役・現職の時には、そのことをすっかりと忘れて生きる。
    つまり、周りの価値観と評価の中に曝されて、
    それどころではないことが現実だ。
    特に管理職になるとその責任とストレスで、気を休める間もないだろう。
    そうした激務の中でも、独りぽつんと一軒家の精神で、
    時には、こうして宇宙や大自然と向き合い、
    人生の師に会いに行き、その言葉から生き方の「意味」を学ぶ。
    そうした努力を怠らなかったら、
    その右手のはしの時代も独り「自分」らしく生きられたはすだ。

    しかし、私が知る限り、そうではない人が多いような気がする。
    それは、ひの人たちには、自分の言葉が感じられないからだった。
    「おっ、彼は本気で生きて来たな」
    「そうか、やっぱり彼は自分を捨てて、人の為に生きた人だな」
    「苦労人だな。挫折を乗り越えと来た人は、確かに違う」
    そう感じられる人と、私は何人と会えたのかの「問い」だった。

    つまり、現職で働きながらも、その自分になる「根っこ」だけは、
    ほそぼそとでもしっかりと培うような生き方をするべきなんだということだ。
    確かに、「長」になり、「名誉」をもらい、「表彰状」をいただいた。
    しかし、左手のはしの時代には、「それが、何?」の時代なんだ。
    誰もそんな過去のことには関心を持たないし、
    「へぇ、そんなに偉い人だったんだ」なんか、感じないものだった。
    役職・職名・地位・名誉。
    そんなもの、ただの張りぼて、造り物。
    その中に、その芯に、ちゃんとした「自分」の「根っこ」を育て来たか。
    そのことだけが、本来の生きるの「意味」だった。

    Sさんは、そのことを私に教えてくれる。
    それまでの生き方、考え方を83歳で転換した。「回心」した。
    これまでを捨てた。きっぱりと、生まれ変わった。
    しかし、彼は、現役時代、あの重い責務を全うしながら、
    深く深くで「自分」であることを忘れず、自分でありつづけ、学び続けて来た。
    そのことで自ら知らず知らずの内に自分の根が深まり、太く、細く、伸び続けた。
    現職の時代にしっかりと根を張ったことで、
    退職後の人生もまた、自分を貫き生きて来た。

    そして、今は、onenessの自分となって、飄々と生きている。
    もう騙されないし、もう安心だ。
    全てを委ねて、自分を捨てて、自分を生きる。
    「これが、生きると言うことの喜びだったな」と、日々、自分を楽しんで生きている。
    本当に、ここまで至りたいものだと、いつもいつも学ぶことばかりだった。

    大事なことは、日々、独りを楽しんで生きられること。
    そして、宇宙や大自然と向き合い、その中の1つとして生きられること。
    妻や子どものことを理解し、深く深く愛すること。
    自分がこうして生きていることを、心から感謝すること。
    そうした本来の自分に従うこと。

    「生きてるって、楽しいなぁ」と、
    Sさんは、生きていることの楽しさを味わっている。
    同じ生きることに悩み、苦しみ、辛く、哀しく、鬱になり、自死までする人もいる。
    しかし、生きることとは、本来、こんなに豊かで、明らかで、楽しいことなんだ。

    そのことを60代・70代・80代で味わうためには、
    やっぱりそれまでの現職・現役時代をどのように生きるかにかかっている。
    それは、Sさんと私との共通理解だった。
    上ばかり見ている人には、足元の自分が見えないものだ。
    周りの人ばかり見ている人には、やっぱりここにずっといる自分が見えない。
    まやかしや嘘やでっちあげや、そうだと思い込まされてきた価値観に縛られ、
    自分独りの価値観を試練や挫折の中からつかみ取ろうと努力しない人には、
    きっと年老いても、その生きている自分が自分でも見えなくなってしまうのだ。

    きっとSさんは、「本来の自分」を生きている実感があるから楽しい。
    しかし、その実感を味わって生きていない人たちに、
    時には、やはり迷子となり、彷徨ってばかりの生きることに、
    疲れてしまうこととなるだろう。
    同じ、生きるなのに、Sさんは「楽しく」
    ある人は「辛く、切なく」感じるのだろうか。

    そうやって考えると、人が「幸せに」生涯を生きるためには、
    私たちが社会や学校や教師たちから教えらてて来た価値観・生き方の転換期が、
    今、この時代に来たのではないのかの「問い」だった。

    つまり、Sさんのように生きる生き方を、
    子どもたちが青年たちが学でことなんだ。
    だから、私は、Sさんには、「今、ここを、書いてください」とお願いしている。

    ここに、Sさんから昨日いただいた本の中の言葉を幾つかそのままに記す。
    「持続可能な教育と文化」のなかでのボブ・ティーズディル氏の講演会の抜粋だ。

    「経験や洞察を分かち合うためには、昔の小さなコミュニティーでは、物語や歌
     アート、神話的なもの、精神的なもので表現をした」

    「そこでは、習得したものには全て意味がある。だから、子どもたちにはその意味が
     伝えられた」

    「学ぶことは、観察や模倣だった。参加し、実践し、分ち合い、交換しあう、
     生きることを通しての学びだった」

    「古きものと新しきものを同時に生かす。シンクレリズム」

    「正しい答えを見つけるよりも、正しい問いを見出すこと」

    「宇宙の基本的なつらなり(oneness) 万物の1つながり(conectedness)」

    「地球と人間相互の関係における相互関連性」

    「精神的なものをカリキュラムに織り込む」

    「スピリチュアリティーとは、人間が地球と宇宙とつながれているその「意味」に
     対する人間の探究である」

    「教師として私たちは、自身の受けた教育の古い思考様式や知識に
     からめとられている」

    「自然環境と調和をもった暮らし。相互に調和のある暮らし」

    「教師としての私たち自身が、みずからの思考と行動において、
     持続可能な生き方を十分に体現する」

    「学校には、持続可能な地峡をケアする最良の実践モデルになってもらいたい」

    「学校が、地球からもらっているものと同じものを地球にお返しする」

    「菜園・木を植える・肥料をつくる・リサイクルする・省エネ・自然発電」

    「地球を慈しむ行為を分かち合う暮らしを通した学びをする」

    樹を20年前に親子で植え、森を造ったSさんは、
    こうした生き方に共感して、実践をし続けた人だった。
    あのSさんの強靭でしなやかな身体は、日々のウォーキングのたまものだった。
    そして、Sさんのスピリチュアリティーは、
    こうした相互関連性の中で、自分を探究し続けたたまものでもあった。

    自分は、自分である今、ここで、探究しないで、
    いつその自分と出会おうというのであるのかの「問い」だった。

    昨日も美味しいお酒と楽しいお話をありがとうございました。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月21日 07時07分29秒

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    ぽつんと一軒家の精神で生きる

    定年退職してから3年目となる。
    人生、いつもその年は、何でも初めての経験だ。
    63歳と1カ月。
    これ状況は、いつもいつも生まれて初めてだ。
    だから、先輩に学ぶ、先人の言葉に学ぶ。
    そして、日々の生活から何かに気付き、何かを感ずる。
    そのことを、言葉にする。人に語る。

    その時なんだな。
    同じ気持ちで生きている友がいるか、どうかは。

    40年間の付き合いのJさんと5時間飲んだ。
    いつものことだ。
    4時から飲み放題を初め、その店の後にもう一軒に寄る。
    確かに新潟名酒を次々に飲み、
    酩酊状態だったが、話はしっかりとお互いにした。

    彼は、再任用で2年目となっている。
    彼も現役選手で退職した。
    私もそうだった。
    しかし、それがよかったと、2人で納得だった。

    管理職にはならなかった。
    いつもずっと現場で生きていた。
    子どもたちと一緒に学び、遊び、語った日々だった。
    現役の40代で私は鬱になって休職をした。
    半年間の長期の休職だった。
    復帰できるのか心配すると、もっともっと鬱が悪化した。
    「私は、退職まで勤められるのか」「家族を守れるのか」と、途方に暮れた。

    私たちは、そんな現場で、結構独りで生きて来た。
    つまり、管理の指示・命令もあったが、
    ある頃から、放牧された。
    まぁ、好きにゃってくれと、ほったらかされたのかもだ。
    しかし、よくよく頼られた。
    大事な仕事は、回されて。
    「私ですか」の驚きの時もあった。
    しかし、そういうものだと、私は諦め、仕事を遂げた。

    それは、私が組織の流れ・空気感と違ったものとして生きていたからだ。
    馴染まないというわけではないが、組織には距離を置いて生きて来た。
    自分なりにやりたいことをやり、やるべきことをやり遂げたかった。
    そのためには、あの膨大なる事務仕事・報告書・アンケートは邪魔だった。
    優先順位をどうするか。
    その優先順位を見ることで、確かにその人のことがよく分かった。
    私は「子ども」が第一だった。
    彼もそうだ。
    その次は「家族」だ。
    そして、「健康」だな。

    仕事は・・・。まぅ、いい加減にやればいい。
    ところが、上の管理職を目指す人たちは、
    優先順位のトップに、「上司」「組織」「論文」「評価」「実績」だった。
    つまり、この人たちは、他からの評価を優先にして生きて来た人だった。
    そして、みんながそうだから、そうしないと「やる気」のない者のようにみられる。
    「彼奴は管理職試験を受けない」=「やる気のない職員」だ。
    だから、ある年代になると、その試験勉強のためにやっきになる。
    試験対策のために集められ、法規などの勉強をさせられる。
    上に上がるためには、今、ここの直属の上司の評価が必要だ。
    また、上がれば上がっただけで、次のポストへの欲望が生まれる。
    そこに、この人たちは退職までの10年・20年間を費やすことになる。

    人生の優先順位が、その人を育てている。
    こうして組織の中にトップをたために自己を埋没させて生きて来た人には、
    残念ながら「自分」は居ない。
    せっかく人生において大事な自分づくりの季節に、
    組織の為に、上司のために、昇進のために、奔走していたからだった。
    そして、退職の日を迎える。
    それは平の私よりずっと多い退職金だ。
    年金の額も違うはず。
    しかし、昨日78歳の大先輩と語ったが、
    ここでね倒れて亡くなる人も多いのだった。

    実は、本当の人生の楽しみは、60歳からなんだ。
    仕事の役職・責任から解放され、
    子どもが自立し、夫婦での生活が始まり、家計もそんなに大変でなくなる。
    つまり、現職の頃のような生活資金は、必要がないということだ。
    だから、小さなアルバイトでも午後だけとか、週に三日だけとか続ければいい。
    63歳からは全額ではなくても年金が支給される。
    私は、こうして生活してみて、案外生活費はかからぬものと思っている。
    それは、妻が現役で、この宿六亭主を食わしてもらっているからだが、
    贅沢をしなければ、ローンがなかったら、持ち家だったら、
    そこそこのお金で、何とか賄えるものだ。

    しかし、何よりも、ここで大事なことは、
    「自分」が居るか、どうかの話だ。
    頭はきっと組織の長として岩石のように固くなっているはずだ。
    ものの見方・考え方が、その狭い狭い道から抜けられないからだった。
    責任が大きく、絶えず緊張した生活を続け、いつもリスク管理に追われる日々。
    そんな生活の中で、自分の好きなことに打ち込むこともできず、
    退職してから、何かやればいいと思っている。
    「半澤直樹」を見ていると、あの巨悪たちは、そういう人たちだ。

    Jと5時間も飲んで語り合えるのは、彼には図太い「自分」があるからだ。
    そして、陸上・水泳と公認の審判員の資格を持ち、全国大会もジャッジできる男だ。
    スイマーとしては、マスターで日本新を狙っている。
    まぁ、見たこともない男が、この目の前の男だった。
    坐禅の修業が40年間。毎日2時間坐禅している。
    そして、何よりも柔軟でも新鮮で、いつも新たな何かに挑戦している。
    しかし、彼がこうして生きているのは、退職してからではない。
    20代の頃から培って来たものが、ここで開花しただけだった。

    つまり、そうした「根っこ」こそが、「自分」だった。
    組織の中で上だけを仰ぎ見て生きて来た人たちは、
    今は、ほっとしてこの退職の日々を迎えている。
    これから種を撒こうと言うのだ。
    しかし、それがしっかりと根を生やし、
    成長するのにどれだけ時間のかかることか。
    その成長を待つうちに、70歳・80歳となってしまう。

    何よりも、この人たちには、語る「言葉」が稀薄だった。
    組織社会・その世の中の泳ぎ方には長けてはいるが、
    人としての生き方は、どうだったのだろうか。
    時には、追い落とし、裏切り、傷つけ、自分だけがよければそれでいい、
    そんな立場にたたされたことも多かったのではないだろうか。
    「言葉」も「根っこ」から生まれるものだ。
    しっかりと逞しい「根っこ」を持っている人の言葉は深くて、重い。
    そうでなく、自分の居ない人の言葉は、うわっつら、上澄みの言葉だ。

    Jと話して分かった。
    私と彼とは、素っ裸だった。
    つまり、何も嘘をつくこともなく、格好をつけることもなく、自慢することもない。
    だから、本音だけで、気持ちよく語り合える。
    もし、ここに腹に一物を持つ者がいたら、本音では話せない。
    これも「半澤直樹」でよくある場面だ。
    つまり、「根っこ」のある人は、誇りをもって素っ裸で生きられるということだ。

    「半澤直樹」が痛快すぎるのは、
    彼は、そんな腐った組織の中で、愚かな上司の中で、
    たった独り、その信念をもち、お客様を最優先にして、不正と闘っている、
    その真摯で真っ直ぐな姿に感動させられるからだった。

    だから、私は言いたい。
    どんな組織の中であっても、「ぽつんと一軒家」の精神で生きろと。
    独りで生きろ。自分で生きろ。
    私もJも確かにいじめられた。
    本当にこんなことをするのかの驚きの仕打ちを何度も受けた。
    「だから、私の言う通りにすればよかったんだは」
    「私に逆らうからこんなことになるんだは」
    「クマさんって、こんなひどい人なんですよ」と、
    まぁ、どこかのドラマのようなことは、何度も味わったな。

    それでもだ、それだからだ、
    60歳定年退職してから、自分ままで、自由に気ままに人生を楽しむためには、
    どんな組織の中でも「ぽつんと一軒家」で生きることだ。
    そうすると、その人は批判・批難されることはあるが、大事な仕事は回される。
    それは、その人は、きっと仕事が独自にできる人だからだ。

    さてさて、組織にとって、忖度し、迎合し、イエスマンがためになるのか。
    その組織の中で「ぽつんと一軒家」の精神で飄々と生きている人がためになるのか。
    それが、組織の長の裁量・懐の大きさだな。

    自分の人は、生き方を語れる人だ。
    何故なら、その人は、どな試練に在りながらも、
    自分を貫き、その使命を全うして来た人だからだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月19日 13時41分01秒

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    定をもつ。問いを続ける。

    夜中の三時に目が覚めた。
    私はダイニングの椅子に座っていた。
    目の前のテーブルに食べ終わった味噌味のカップヌードル。
    菊水一番搾りの空缶。
    ああ、私は、酔って帰って来て、ここでまた飲み、
    そのまま眠ってしまったのか。
    その現実に気付くまで、しばらく時間が必要だった。
    いつも3時40分には起きている。
    何だかそれから寝るのもなんだが・・・布団に入ることにした。

    最近、飲み過ぎたわけではないが、これが多くなった。
    帰って来ると腹がすいている。
    だから、何かあるかと冷蔵庫や鍋の中を検索する。
    すると、ちょうどよいものに出会う。
    そして、日本酒を用意して、またそこで飲みだす。
    とひろが、いつもその途中で前後不覚に陥っている。
    気がつけば、缶の日本酒は半分も残っている。

    歳だなぁと、そんな時は考える。

    会議に二つだった。
    午前中は緊急の招集だった。
    私は、そのために役員としての意見をA4 2枚にまとめた。
    詳しくはここには書かない。
    しかし、とにかく訳が分からないことに対して、
    私はとことん腹を立てていた。

    教師と役員との会議だった。
    私は、真っ先に意見を述べさせてもらった。
    辛辣に、明確に、それはおかしいとの態度の表明だ。
    実は、私は、どんな会議であっても、
    そこで感じ、考えた自分の意見は言おうと思っている。
    それは、歳だから、次の機会にはきっとないと思うからだ。

    だから、その擬態に対しては、はっきりと物を申す。
    ずばっと、言いたいことを語る。
    「感情的にならないでください」と、教師からはたしなめられる。
    それでも、激情そのものの私だった。
    私は、それでいいと、思っている。
    言いたくても言えない人たちの意見や考えだ。
    大きな声で言える私が言うこととしている。

    しかし、その気持ちは、私の誤解から生まれたことを察した。
    来県する本人に、教師が電話でその真意を確かめたからだ。
    私が想像していたことと違っていた。
    逆に、私たちが心から願っていたことの裁定のために、
    わざわざ超多忙の中から、静岡県から3名の理事の来訪だった。
    その声を聴き、何だかありがとくて感謝した。
    心がジーンとして、涙が出そうだった。
    こうして、真意を理解すると、私はころりと前言を訂正する。
    これも、歳をとり、柔軟になったおかげさまだ。

    午後のもう一つの会議は、まるで黴の生えたような会だった。
    何十年間、このお年寄りたちは、これを続けて来た。
    研修であるが、何の学びも、意欲も起らなかった。
    「このまま」を「そのまま」に「ずっと続ける」
    変えようともしないし、変えたいと言う声も出さない。
    歳をとくことは、変化を恐れることでもあった。
    「慣れた」もの。「伝統」そのもの。「いつもの」もの。
    そんな沈滞した空気感に、私は驚いた。

    しかし、ここでは絶対に発言はしない。
    70歳代のベテランばかりの集まりだった。
    そのことを自分の名誉として、誉として、
    表彰されることを待っている人たちだ。
    だから、これでいいし。このままがいい。
    そこでもしか私が何か意見を言ったとしたら、
    「何がこの新参者が。何も分からない者は黙ってろ」だな。

    つまり、午前の会では、私は「役員」としての意見を求められた。
    午後の会では、私は参加人数の1人であればいい。黙っていることだ。

    帰りに家電のお店に寄った。
    平日の午後、こうやって買い物ができることは嬉しいことだった。
    カメラを紛失した。
    それをどこに置いたのかの記憶さえ紛失した。
    だんら、捜しようも、訪ねようもない。
    それで、3万円代の安いデジカメを物色することにした。
    ところが、カメラが全く品薄状態だった。
    デジカメが少なくなったのは、みんなスマホで写真を撮るからだった。

    私のガラ携は、昼に明るいところで画面が見えなくなっている。
    時々、いつの間にかシャットダウンしていることがある。
    「あなたの携帯は、もう修理できません」の警告が何度も届いた。
    私は、これで充分なのだが、現実はなかなか厳しいようだった。
    そしたら、スマホ売り場に、ドコモの手ごろな機種があった。
    それを手にとってい内に、若い男性の店員さんに声をかけられた。
    「今なら、お得なサービスがつきますよ」
    私は、いつのまにか椅子に座り、若い女性が私のことを応対していた。
    「これも何かの縁だな」゜替え頃なのだ」と思い、見積もりをしてもらった。

    すると、割引とクーポンを使うと、何と4万円近くの携帯が無料となってしまった。
    そして、月々の料金も最低の設定で大丈夫とのことだった。
    私は、そこでは即答をできなかったので、「帰ってから聞いてみます」と、
    彼女の名刺と見積もりを持って、帰宅した。
    何と、ひょんなことから、ガラ携からスマホに機種変更となるかもだ。
    歳をとってからの新たなチャレンジもいいかもと、
    私は、この連休で挑戦することにした。

    夕方から、飲みだった。
    相手は元同僚の女性だ。
    実は、私はその人の心の悩みの相談を受けている。
    彼女は新たな職場で、絶望的な心境に陥り、鬱のようになってしまった。
    眠れなくなり、職場へ行くことが不安で、
    いつも同僚が悪口を言っていると感じている。
    ところが、こうした話は、信頼できる人にしか話せないものだ。
    私は、経験者であるから、彼女の話には親身に相談にはのれる。
    そのために、2~3カ月の1回、こうして話を聴くことにしている。

    その時なんだな。
    話を聴きながら、生ビール・赤白ワイン・焼酎のロック・酎ハイと、
    値段が飛び切り安いことをいいことに、飲んだ、飲んだ、飲んだ。
    つまり、弱くなったのではなく、本当に異酒を次々と飲みほしたのだ。
    彼女の話は、なかなか深刻な話であった。
    それは、私としては深く深く共感できる話だった。

    人は、ここまで生きていると、誰にも言えない話の1つや2つはあるものだ。
    その話をお互いにした。
    そして、話はいちしか母親と娘との話になった。
    母親と娘との確執・対立・不和、そして、愛情不足。
    人は、やっぱり深く深くで愛されることを求めているものだ。
    しかし、親子でそのことが成り立っていない時、
    子どもは何も言えずに、深く深くで心に傷を負う。
    親子関係は、無意識のままでも、大人になって大きな影響を人生に与えるものだ。

    しかし、人を愛せない人。愛し方を知らない人もいる。
    その人が母親だったら、どんな子ども時代を送ることとなるか、
    それは、想像できることだ。
    しかし、私が知っている人には、
    そうした母親からの愛を乞うていた人がけっこういる。
    特に、母親と娘との関係だった。

    そして、大人になってからも、その虚しさが解消されていないために、
    何か生きづらさを感じ、不全感、孤独感、自己否定感を感ずるもののようだった。
    自ら乞うても与えられなかったとしたら、
    娘は、その母に対してどんな感情を抱くだろうか。

    確かに、もう取り返しのつかないことである。
    人生のことは、全て不可逆なことだ。
    時間を撒き戻すことはできない。やり直すこともできない。
    そして、その相手の人の心や性格を変えることもできない。
    その人が、母親である。
    その人の子として生きる。
    そのことも定として変わらない事実だ。

    人は、そうした不条理の中を生かされている。
    しかし、そのことを自ら「問う」た彼女は、心理学を学び、
    カウンセラーの資格を取得した。
    その母親のえかげで、彼女は人の心の悩みを聴く人となった。
    そして、いつか、その人は菩薩のように、
    他者の幸せを先に考え、実行する人となった。

    何だか実に不思議な話だった。
    しかし、人生とは、全説明の出来ない不条理であり、定なんだ。
    そのことが、彼女の話を聴きながら、改めてよく分かった。

    大きな課題を与えられ、その解決のために役員とならされた。
    1人の先輩が引退したおかけで、私は平日休みをとってかび臭い会議に呼ばれた。
    そして、壊れる寸前のガラ携のおかげで、スマホに変わらねばならなくなった。
    みんな、私が決めたことではない。
    振り返ってみたら、私の人生の大本・大筋は、決められて、与えられたことなんだな。
    だから、その与えられた役をどう生きるか。

    昨日、彼女に言ったことは、
    「その不条理を不条理として受け取り、
     どういきたら自分が幸せな人生を生きられるのか、
     その「問い」だけは忘れずに続けて行こう」
    という、ことだった。

    そして、その問いを問い続けている人にだけ、
    人生は深まり、本当の幸せと出会う機会が与えられる。
    そのことを信じて、お開きにした。

    午前中のヨガで、最後のシャバサナ(仰向けで寝る)で大いびきだったそうだ。
    さてさて、どんな定めであろうが、それを受け入れ、
    そのことを自分の幸せとするためにはどう生きたらよいのかの「問い」
    これだけは、ずっとずっと持ち続けようと思っている。

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  • from: クマドンさん

    2020年09月18日 07時22分49秒

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    太極拳を始めた

    太極拳を始めた。
    前から習いたいと思っていたが、
    その機会がなかなか私には訪れなかった。
    しかし、願うものだ。いつかやろうと心に思うものだ。
    その機会が向こうからやって来る。
    というか、求めいている私の心が、一枚のポストインのチラシにヒットした。
    師の秦さんが、ご自分で配布したチラシだった。
    「行こう。やってみよう」すぐに申し込みの電話を入れた。

    昨夜はその2回目の稽古だった。
    私は全く太極拳について知らない人だった。
    やっこともないし、どんなものか実際にやっている人を見たことがない。
    映像ではちらっと知っているが、自分からは・・・とは思っていた。
    しかし、やり始めた驚いた。
    余りにも深すぎで、ついて行けないということが現実だった。

    秦さんと、一緒に同じ師にならっていた40代の女性Iさん。
    この二人の動きが、私の動きのお手本だった。
    「習うより、慣れろ」その言葉が身に沁みている。
    一つ一つの動作には中国語で名前がついている。
    その漢字が読めない。中国語の指示が分からない。
    しかし、言葉ではなく、身体なんだと、実感して動いている。
    ここでは、頭はいらないものだった。

    目の前の彼女の手や足の動きだった。
    とてもゆるやかに、まろやかに、ゆったりと流れる。
    その所作を一つ一つ流れの中で身に着けるためには、
    頭で考えていたのでは、全く空いてけぼりとなってしまう。
    「なすがまま、なされるまま」ただ、そっくりそのまま、「真似」をする。
    伝統芸能は、口写し。師匠と向き合い口伝で伝える。
    それは、その師匠の動き、息遣い、所作の空気感、
    それをそっくりそのまま自分のものにするための伝承だった。

    私は、鏡に映る彼女の手の動きに合わせて上下させた。
    ゆっくりと左手を先に、右手を後ろにやった。
    一歩左足を出す時の呼吸とゆるやかさ。
    その重心を支える右足の緊張感と腰の落ち着き。
    ゆるやかに変化するその連動する動きを、
    考えて真似していては、追いつかない、ぎくしゃくしたものとなる。
    だから「ただ、そうする」「ただ、そのまま」にする。
    「真似」とは、「自分では無い」ということだった。

    気持ちも同じだな。
    その動きには心・気持ちが一体となっている。
    心地好く動かすためには、そこに心地よい意志が求められた。
    「げつばた」してはいけない。
    とにかく、「すーー」と、心と身体との一体感で身体を動かす。
    それは、風の流れ、水の流れ。
    その自然のあるがままの流れと、同一の流れとなる。
    つまり、その流れそのものを心地好く感ずる。
    身体と心・気持ちとは、一体である。
    それを繋げてくれるのが、このゆっくりと、ゆったりとした動きであり。
    深く落ち着いた呼吸であった。

    その内に、「無心」になることもある。
    それは、鏡や目の前で動いている師匠や彼女の姿に同化する時だった。
    この両手をゆっくり挙げているのは、私ではない。
    彼女の手や足の動きを、私のそれとする。
    私の動いている手や足は、彼女のそれと同化している。
    すると、彼女の呼吸や心が感じられる。
    不思議なんだが、身体を一致させることで、呼吸と心も一致される。
    その時の心地よさが、太極拳には確かにあった。

    とにかく、「集団」の中で、真似をすること。
    そうやって24式を流れることで、
    いつの間にかその連動する動きが自分の動きとなって来る。
    本当にそうなんだろうなぁと、秦さんに言われた言葉に合点した。
    「道遙か彼方だ」と、本当に真似すらできない私は、
    途方に暮れるどころか、遙かなる旅を始めたばかりの自分のことが心地よかった。
    私のこからの人生に「太極拳」の楽しみ、喜びが加わってくれた。
    そして、これは全く身体と心の研究のためには、もってこいのものだった。
    100歳になっても、やれる技がこれとヨガだった。

    その翌朝、今朝の4時「明日への言葉」に、
    日本に24式の太極拳を伝え、普及した楊名時さんの話を、
    その娘であり健康会太極拳副会長の楊慧さんが語ってくれた。
    不思議だなぁだな。
    前夜の稽古。次の日の早朝の太極拳の極意の話。
    まさに、私は導かれていることを心から感じた。

    太極拳は、大自然・大宇宙そのもののであるそうだ。
    「陰と陽」「明と暗」それが合わさり
    、調和してあることが自然であり宇宙だった。
    そうした考え方を「太極思想」と言うそうだ。
    そして、その大宇宙の調和は、
    1人ひとりの中で小宇宙として存在している。
    だから、身体の中にもよい流れをつくる。
    よい気を巡らせる。
    そのことが身体と心にとって大事なこととなる。

    だから、力を抜いて楽に動く。
    大きな世界に、自己を委ねる。

    だから、1943年動乱の中国から日本に留学した名時師は、
    京大で学び、外交官となる夢に向かって努力していた。
    その中で日本の伝統文化と禅を学び、
    身体と心を整え、平和に生きる人たちを育てたら、
    自分が目指していた「平和」をこの国で達成できるのではないかと考え、
    和の心を組み入れた「太極拳」を確立し、普及に勤めた。
    それが、この24式の太極拳の始まりだ。
    つまり、身体と心の「和」をどのようにして整えるかだな。

    娘にその師である父が伝えた言葉だ。
    「毎朝、黙って、真似をしなさい。」
    「黙りなさい。ただ言葉を覚えなくていい。一緒にやっていればいい」
    だから、頭でっかちに覚える必要はない。
    あせらない。真似をする。ありがたいと感謝する。
    「いつも心も身体もやわらかく。まぁるく。まろやかに」
    「ゆっくり、動きなさい」
    そう教えられて慧さんは、師範となって40年間だった。

    その師から、無言で教えられた基本の身体の使い方があるそうだ。
    1 「上虚下軸」(じょうきょかじくょ
     天地に向かってのびやかに姿勢を整えることの大事だった。
     上体は虚の如く軽く、力を入れず。下半身は、重心を定めて、しっかりと立つ。
    2 「内外相合」(ないがいそうあい)
    内は心と精神のこと。外は身体やその動き。
     「相互するものは互いに助け合うもの」それが調和すること。
     そのために、リラックスして、柔らかい動きと深い呼吸を意識して行う。
     すると対立する陰陽や、左右前後のバランスが整う。
    3「心息動一致」
     心と身体とを息が繋ぐ。一致させる。深い呼吸の大切さ。

    そして、続けるための極意も伝えられた。
    「難しいと続かない」
    「楽しく、シンプルなら、続けられる」
    「仲間とやっていると何となく身体を動かしながら続けられる」
    そして、「長く続けるための極意を5つの言葉で表現すると」
    「あ・い・お・お・く」だそうだった。
    あ・・・あせらず、ゆっくりと
    い・・・いばらない、謙虚に生きる
    お・・・おこたらず、毎日少しでも続ける、継続する。
    お・・・おこらす、感情を乱さず、激しない。いつも心穏やかに。
    く・・・くさらず、出来なくても受け入れる。ゆっくりと進める。

    「人を愛し、自分を愛し、人生を大事にする」
    「いつも力を抜いて、いい呼吸をする」

    簡単なことでも続けることが健康長寿の秘訣だそうだ。

    太極拳と出会えたことを心から感謝している。
    私にとっては、これからの10年・20年だった。
    その時間を心と身体との自然な調和を整え、
    穏やかに、健康で平和に生きたい。
    そんな願いから名時先生がまとめた動きが、この24式だった。
    10年間かけて、何とか動けるようになる。
    20年間かけて、何とかものになる。

    私にとっての新たな人生の目標ができた喜びだった。
    きっとここの記したことを、小千谷のSさんは、納得納得だと思っている。

    体感した人にしか、この言葉の味わいは味わえないものだからだ。

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