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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018年07月27日 09時32分27秒

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    魂の私だったな

    朝から体調がよくない。
    胃がむかむかとして、身体がだるい。
    飲み過ぎと夏バテのせいだろうか。
    こうなると何もやる気が起きてこないものだ。

    歳をとったなぁと、こんな時は感ずる。
    以前はそれでも何とか自分を鼓舞して動いたものだ。
    昨日はリビングの大掃除に3時間もかかってしまった。
    しばらく手をつけない。
    するとどんどんと積もり積もる。
    そうすると、尚更やる気が起きてこない。
    その結果のこれだった。

    妻が長期の入院だ。
    次男も川崎に行っている。
    散らかす二人が居ない、今こそ片付けのチャンスだった。
    妻が居ると、私に片付けと大掃除はさせてくれなかった。
    すっかりきれいになり、何がどこに行ってしまったか分からなくなるからだ。
    こうして大ばらでも、見えていれば彼女は安心だった。
    次男も、脱いだ服は、あっちこっちに置き去りにされている。
    毎日、私はせっせとその服やズボンを拾って歩く。

    リビングの本棚の中も一掃できた。
    積む。積む。また、積むだった。
    それを全部出して、要るものと要らないものとに分類する。
    そして、要るものは後から分かるように整理して入れ直し、
    要らないものは、分別して捨てる。捨てる。
    各自の物は、各自の部屋にお帰りいただく。
    次男は、座敷を占拠し、リビングを占拠した。
    今、彼が居ないおかけで、整理整頓がどんどん進む。
    逆戻りしない。

    長男と二人の洗濯物はいつもの3分の1だった。
    妻と次男とは、衣装もちだった。
    私と長男とは、Tシャツに短パンとパンツがあればそれでよかった。
    だから、洗濯物を干すのも5分間で完了する。
    洗濯物をたたんで分別しても、私と長男だけなので素早く終わる。
    しかし、妻と次男の洗濯物がないことは、寂しいなあと想うこともある。
    それでも、仕事の量が違うので助かってもいる。

    長男が、どんどん自立した。
    何たって頼りない父親と二人暮らしだから、
    自分でやることはやらねば先に進めないからだ。
    朝食の目玉焼きは自分で焼く。
    もずくスープを作って飲む。
    弁当は冷蔵庫を見て、簡単なおかずを作る。
    身体を鍛えているので栄養を考えて食事を作る。
    何だかね。確かに大人になりました。

    何だか身体がすっきりとしない。

    今朝も朝食の下ごしらえをしてから、ラジオ体操に行った。
    子どもたちが地域のお年寄りと一緒に体操をしているからだ。
    先日から、これを始めた。
    お年寄りと子供たちとが別々にラジオ体操をしていた。
    長男・次男が子どもの頃からそうだった。
    しかし、子どもたちの場所は炎天下、日陰無し。
    お年寄りたちは、木陰の涼しさの中だった。
    だから、私が頼んで、一緒にラジオ体操を始めた。
    これが、とてもよかったな。
    お年寄りたちも大喜びで、張り切って体操をしている。

    環境を変えると、気持ちも変わる。
    だから、まず、環境を変えてみることなのかも知れない。
    いつも同じではなく、何かを変える。
    そこから、きっと新たな気付きが生まれるのだと思っている。

    私と長男との二人暮らし。
    妻と次男のことを想うことが多くなった。
    長男は、自覚して進んで家事を手伝ってくれている。
    リビングはすっかりと別の部屋になった。
    そして、今朝もお年寄りたちと子どもたちとは元気にラジオ体操だった。

    映画の題名が違っていた。
    「心と体と」だった。
    すると、「魂の私」が分かった気がした。
    心と体とは、親からいただいたものだと聞いたことがある。
    しかし、人は、それだけでは生かされてはいなかった。
    心と体との後に来るものは、きっと「魂」なのではないかと私は考えている。
    そして、この魂は神様からいただいたものだ。
    身体の不自由な彼も、心の不自由な彼女も、
    魂では牡鹿であり女鹿として、自然のままに生きている。

    「魂としての私」
    その私の存在を実感できたのが、あの二人が同時に見た夢なんだな。
    魂で生きる。
    魂の声を聴く。
    魂の世話をする。
    そのことを、人はすっかりと忘れて生きている。
    しかし、魂からの呼びかけは、途切れることなく、続いている。
    それを信ずるか、どうかで、人生が決まるのではないだろうか。

    体調がよくなく、辛くもあっても、
    魂としての私は、何も変わらず、そのままである。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月26日 12時13分09秒

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    ハンガリー映画「心と体」

    さっき書いていたものが、一瞬で飛んでってしまった。
    本当にショックだった。
    それでもこうして思い直して、書き始めている。
    やっぱりこのことは書き留めておきたいことだからだ。

    自閉症スペクトラムと言う。
    今ではアスペルガー症候群という言葉は使わなくなったのか。
    でも、そうした自分自身に生きずらさを感じている人が居る。
    そうした人を、おかしい人だ、変わった人だと見ている周りの人も居る。
    そんな人のことが、描かれている映画が「心と体」だ。
    本当にピュアな物語だった。

    さてさて、食肉工場の臨時の検査官が彼女だった。
    無口、人とは話さない、かかわらない、
    仕事場では真っ暗な中で、黙って、独り淡々とパソコンの画面に向かう。
    独りであることを、誰とも話さないことを、苦にはしていない。
    ランチの時も、同席の人が居ると緊張するから、独りで食べる。
    同僚の人も気を使って話しかけようとするが、
    何だかかかわりを拒否するサインが彼女からは出されている。
    だから、声をかけられないし、話しかけられない。

    彼女は、人とかかわることを極端に苦手としている。
    相手の気持ちや感情を察することができないからだ。
    例え、その気持ちを言ってもらっても、その意味を感ずることはできなかった。
    そうした気持ちや、感情、感覚に自分自身がなったことが無いからだ。
    だから、共感できない。分かち合えない。
    そうすると、彼女とかかわる相手の人は、違和感と異質な何かを感じてしまう。
    彼女と心で語り合うことは、難しいこととなる。

    発言はどうかと言うと、場の空気を読めないために、とんちんかんなことを言う。
    時には、相手を傷つけることでも平然と言う。
    言われた相手が驚き、悲しみ、腹を立てようが、気付かない。
    彼女にはそうしようとする意図もないし、
    悪気はこれっぽっちもないからだ。
    相手の反応に驚いてしまうのは、その発言をした彼女の方だった。

    異常な記憶力をもつこともある。
    彼女は、自分の初潮の日をちゃんと覚えて言える。
    部長である彼との初めての会話から全てを記憶している。
    その言葉は、十四文であなたは確かこう言ったは、と、一言一句も間違わない。
    大学院を卒業して優秀な検査官としてここに来た。
    彼女は全て規定通りに処理をする。
    食肉を全てBランクとして評価する。
    この肉は確かにAランクの肉なのに・・・。
    部長がわけて訊いて驚いた。
    「2~3mm規則より脂肪が厚くついてました」
    その数ミリ単位を見ただけで見分けられる。
    そして、融通は全くきかない、会社に大きな損失を与えても我関せず。

    興味・関心をもつことが少ない。
    友達は、いなくてもいい。
    いや、どうして友達が必要なのか分からない。
    ずっとずっと独りで居られる。
    そのことが、辛くて、哀しくて、哀れに想うことは全くない。
    そもそも、そうした人とのかかわりを求めていないからだ。

    ところが、そんな彼女が、突然恋に落ちた。
    いや、突然胸騒ぎがして、心がざわざわと動き出した。
    これはいったい何ですか?
    自分自身の心の突然の変化に驚いているのは彼女自身だった。

    左腕が不自由な初老の部長と、彼女とは、
    全く同じ夢を毎晩見ていることが分かったからだ。
    牡鹿と女鹿になった二人は、冬の北欧の森で暮らしていた。
    森を走り、水辺で憩い、葉っぱを食べ、二匹で寄り添う。
    毎晩その物語は変わるが、同時的に二人は、その物語の主人公だった。
    男は牡鹿となり、雄々しく森を駆け抜ける。
    女は女鹿となり、牡鹿に導かれるようにして、牡鹿の後を追う。

    二人は、前夜見た夢を紙に書き、互いに見せ合う。
    全く同じ物語がそこには書かれている。
    離れて眠る二人は、夢の中で牡鹿と女鹿とで寄り添って暮らしている。
    そして、その実感は、とてもリアルで、温かい。
    ある夜、二人は二匹の鹿が交尾した夢を見た。
    いや、それは男と女とが交尾した快感と喜びだった。
    「幸せだった」と、その瞬間を想い出して呟く男。

    夢の世界では五体満足の多しい牡鹿であり、
    その牡鹿を心から愛し、慕っている彼女だった。
    ところが、現実世界では、「心と体」とに不自由を感じている二人だった。

    女は、セックスの快感を感じるためにポルノ映画を観続ける。
    その表情は、硬く、何も感じていない無垢な表情のまま。
    男と話したくなり、携帯を購入する。
    音楽を好きになろうとCDショップで20枚以上のCDを視聴する。
    全く微動だにもせず、無表情で、ヘッドホーンからのロックを聴いている。
    何も感じなかった。

    女鹿の時に感ずるものを、
    女は女である時に全く湧き上がって来ないし、感じなかった。
    しかし、CDショップの女の店員から勧められた一枚のCD。
    その恋への哀しみの歌は、彼女の歌だった。
    彼女は、その歌を聴きながら、自分の心がやっと分かるようになってきた。
    感情が微動し、揺れはじめ、揺れることで始めてそれがあることを知った。
    感覚も感情も無味な中で生きて来た彼女に、
    心の芽生えが起き始めた。
    しかし、そんな時、ほんのささいなすれ違いが起こり、
    彼女は、バスタブで自分の左手の手首をガラスで切って自死しようとする。
    血がどっと溢れ、バスタブを真っ赤に染めた。

    さて、彼女はこのままここで死んでしまうのか・・・・。

    続きは、ぜひぜひこの映画を観て、感じて欲しい。

    彼女のような人を私は知っている。
    さてさて、大事なことは、私がその人たちとどのようにかかわるかなんだな。

    男と女とは、一緒に暮らし始める。
    しかし、物語は、ここから本当に始まるのだ。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月25日 09時07分31秒

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    さてさて、そろそろ運動だね

    体重が減らない。
    減らないどころか、毎日微妙に増えている。
    これはどうしてなのかと、考えた。

    走らなくなった。
    歩くことも少なくなった。
    それはそうだろう、この暑さだもの。
    トレーニングに行かなくなった。
    泳がなくなった。
    それはとうだな。来るまでの移動が面倒になった。

    何だかね。
    家で全部済ませるようになった仕舞ったようだな。
    これがお年寄りの引きこもりなのかも知れない。
    月間100キロを目指して走っていた頃がある。
    新潟マラソンに初めて参加した時は、72kgぐらいだったと思う。
    それだけ追い込んで走っていたな。

    毎朝、6時から走り出した。
    4~5キロの幾つかのコースを選んで走っていた。
    何だかね。走らなくなってから3年以上か・・・・。
    あの手術で全く身体が言うことをきかなくなった。
    そして、2年前の夏には、腹腔ヘルニアの手術だった。
    腹筋が完全に繋がるまで、運動は全くできなくなってしまった。
    重い物すら持ってはいけないと医師には固く禁じられた。
    せっかく縫い合わせた筋肉がまた裂けてしまうからだ。
    今でも、固く、がちがちになっている。

    走らなくなったのではなく、
    走ってはいけなくなってしまったのだ。
    そうしたことが私に起こった。
    「まさか」だった。
    そして、ここ3年間、私は、走らないままここで引きこもっている。

    ふと、昨日、出かける時に考えた。
    そう言えば、私は、時間があると早朝、10キロのLSDをやっていた。
    ここから日和山まで走り、古町を通り、柳都大橋を通って帰って来た。
    フレッシュ本町では、朝市が開かれ、山のような枝豆をもいでいる人がいた。
    マリンピアの近くに車を止めて、関屋分水まで丘を越えて走った。走った。
    そうやって、いつもいつも生活のどこからランはあったな。
    すっかりランが、消えてしまった。
    さてさて、そろそろ復活は・・・とは、この酷暑の中では考えてはいない。

    どうして年寄は、家に居たがるのか。
    父がそうだった。
    テレビの前に横になって、うつらうつらと眠っていたな。
    「やることは、ないのかぃ」と、呆れていた私だったが、
    今の私は、「家がいい」と、想っている。
    昨日は、こ゜ろこ゜ろしながら読書だった。
    そして、やっと涼しくなったのでシネウインドで「心と体」を観た。
    名作だ。彼女がバスタブで腕を切って自死しようとするシーンは、泣けた。泣けた。
    こんなにピュアな物語は、久しぶりな気がする。

    さてさて、今朝、体重を計ったら、昨日より500g減っていた。
    昨夜はカプリで渡り蟹と飲み放題だった。
    それでも、減った。
    ということで、走らなくても体重は減ることを、改めて感じた。
    ようするに、食べ方なんだな。
    だから、炭水化物を減らし、ご飯の量を少なめに設定している。

    ヨガは毎日1時間だ。
    しかし、そろそろ運動への復活も必要な気がする。
    少しずつ、少しずつ、目標をもって何かに取り組もう。
    そうすると、また新たな何かが見えるかも知れない。

    これから、「海洋丸」に乗りに行って来る。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月24日 09時34分04秒

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    籠城と引きこもりの夏・夏

    昨日、埼玉の熊谷で40度越えの記録が誕生した。
    ここは、日本なのか。
    何だか日本列島の位置が南にずれ込んでしまったのではないだろうか。
    外に出ることは命取りだ。
    こんな暑さの中でも外に出てのお仕事の人の大変さ、辛さを想う。
    今までの夏の常識を改めて、
    この猛暑に対応した新たな生活・仕事スタイルが求められるようだ。

    人は、この気温すらままならない無力な存在。
    思い通りにはできないことばかりなんだと、そう想う。
    ただ、そうした厳しい現状には、
    その現状に見合った対処をすることだ。

    テレビのお天気お兄さんが言っていた。
    「エアコンは、ずっとつけっぱなしにしていた方が電気代はかからない」と。
    「エアコンの消費電力は、普段一定温度なら1時間に3~5円」
    「一度切って暑くしてしまった部屋でつけても1時間10円」なんだそうだ。
    そんなに電気代がお安いのだと、みんな知っているのだろうか。
    私もその料金を聞いて驚いた。
    つけっぱなしで1時間5円だとしても、
    24時間で何と何と120円しかかからないのだ。
    どうして、こんなお得な情報を日本全国の国民に衆知させないのだろうか。

    お年寄りたちや私もそうだが、
    エアコンはとてもとても電気代が高いとばかり思い込んでいた。
    それから、こんな暑さに(それは昔の夏のこと)エアコンをつけるのは贅沢だ。
    または、こんな暑さを我慢できなくてどうするか。
    何だか知らないが、暑さに対する根性論で生きて来た人たちばかりだ。
    贅沢は敵だ。
    そんな根性でどうするんだ。
    エアコンは電気代が高いから、よほどのことがなかったらつけずに済ませた。

    でもね。
    そのために、ばたばたとお年寄りが熱中症で倒れ、亡くなっている。
    日本の夏はもうあのキンチョウの夏ではなくなっているんだな。
    浴衣を着て、床几に座り、夕涼みをしていたら、
    倒れてしまうのは蚊ではなく、団扇で扇いでいるお年寄りその人なんだ。
    暑い暑い家の全部の部屋のエアコンをつけて冷やせというのではなく、
    いつも居る部屋と食事をする台所くらいは、
    ずっとずっとエアコンをつけっぱなしにしておくことが賢い選択だと私は想う。

    昨日は、階段や座敷は、まさに熱帯の暑さだった。
    家の中に居ても、何だか酸素不足のような感じで、むっとして息苦しい。
    外に出て5分もすると、汗だくになってしまう。
    しかし、汗をかいても気温が体温より高いために、
    涼しさは感じない。
    もっともっと暑さでバテバテになってしまう。

    だから、自己防衛のために、家を出ない。籠城する。
    おかげで運動不足で2キロ太っても、死ぬよりはましだ。
    映画にも行きたいが、バス停まで歩く勇気と気力が私に萎えていた。
    自転車で行ったとて、汗びっしょりで館内で風邪をひくのがおちだった。
    だから、食事のための買い物だけは出かける。
    後は、ここに居る。籠城する。引きこもる。

    何だか勝手に議員定数を増やす愚かな政府だ。
    参議院なんか、何一つ機能しないんだから、10名でもやっていける国なのに、
    6人も就活のために議席を増やした。
    この国は、ギャンブルと議員の就活が、
    大雨による大災害と、猛暑による自然災害よりも優先する。
    本当に自分だけ良ければいい、国民のことを見ない、聴かない、考えない、
    愚かな人たちのいる場所が国会なんだと、自分で暴露した。

    議員一人に1億円かかるとしたら、6億円も無駄な金を税金から使うと言う。
    ふざけるな。と、怒っているのは私1人なんだろうか。
    圧倒的多数の議員を国会に送ったのは、他ならない国民なんだな。
    情けなく、腹立たしく、どうしてこんな人たちがと、呆れかえる。
    そう想わない人たちがいるから、あの人たちは安泰なんだな。

    そんなことより、その6億円で、お年寄りの家庭の電気代を補助してはどうかな。
    65歳以上のお年寄りの居る家庭に一律電気代として月2千円の補助はどうだろう。
    そうすれば、30万件の家庭が救われる。
    税金は、議員の生活のために使うのではなく、
    困っている国民一人一人のために使いたいものだ。

    簡単なことだ。
    今、ここで、目の前で災害のために命を失い、住む家も無く、
    財産も仕事をも失って途方に暮れている多くの国民が居る。
    この猛暑によって熱中症で倒れ、命を失っているお年寄りが居る。
    まず、この人たちの命と生活と財産とを守ることが、
    政治の本来の使命なのではないだろうか。
    そんなことをやろうともせず、ギャンブルと就活での強行採決。
    これって、どこの愚かな国の話なんだろうか。

    内内ばかり気にして忖度しかなく、自分の意見すら勇気をもって発言できない議員が、
    6名無駄に増えたとて、この国の国民の幸せには全くかかわりないことは、
    この対応でよくよく分かる。情けないが、これがこの国のリアルな事実だ。

    つまり、自然環境もこのように現状が変わり、
    かってのような生活態度での対応は難しくなっている。
    変えるべきことは、素早く変えるべきなんだ。
    人を頼みとするのではなく、自分の命と生活とは、自分で守る知恵も必要だ。
    この夏のことは、決して忘れてはいけない。
    次の選挙でどのような結果を出せるか。
    それが、国民の1人1人の人としての真価を問われることととなる。
    命と生活と財産とを守ってくれる人に・・・だな。

    本日も籠城中だ。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月23日 12時13分12秒

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    自分勝手な物語を作らない。

    人は、物語を作る動物だとのこと。
    今、いろいろなことにぶつかりながら、そのことを考えている。

    「この人に、こうしてあげたら、こう反応してくれるだろう」
    それは、相手に対する私が勝手に作った物語だ。
    長男のために朝食を用意する。
    おかずは、牛肉の野菜炒めとオムレツを作った。
    それから、お弁当の惣菜として、鳥の唐揚げとウインナーを炒めた。
    それを小皿にもって用意しておく。
    その横にはサラダ用のハムとオホーツクを置いておく。
    人から言われることが嫌いな彼は、
    自分で好きなものをチョイスするなら自分で弁当をこさえられると思ったからだ。

    そうして、準備して一緒に朝食を食べる。
    でも、彼は、牛肉の炒め物もオムレツにも、箸もつけなかった。
    弁当の惣菜は、では、少しは使ってもらえるかと思うと、
    全くこれにも手を付けずにそのままだった。
    私が、彼のために早朝した努力は全て無駄に終わった。
    私が、それを昼食で食べればいいのだ。

    彼は、「ありがとう」も「これ残してごめん」も何も言わない。
    今、流しを見たら、空っぽの弁当箱が洗って置いてあった。
    今日、彼は、弁当を持って行かないことを自分で決めていたのかも知れない。
    なのに、私が先回りして、せっせと作っているから、
    煩く、余計なことと、腹を立てて、イライラとしていたのかもしれない。

    しかし、この悲惨な結果は、私の独り合点、思い込みの結果だけに過ぎなかった。
    こうやって作っておいたら、「感謝してもらえるだろう」
    「食べてもらえるだろう」「お弁当に入れて行ってもらえるだろう」と、
    私が、自分勝手に物語を作って、期待して待っていた。
    ただ、それだけのこと。
    彼は、そんな気が始めっから無かったわけだから、
    「また余計なことを勝手にやっている」と「迷惑」だったのかも知れない。
    だから、黙って温泉卵だけでご飯を食べ、
    黙って、私の作ったおかずには、箸を絶対につけなかった。
    それは、彼の決めたことであり、彼の想いだった。

    ここで、私が腹を立てたら、本当に台無しになってしまうのだ。
    「感情を入れない」
    それが、私の日々の修業のテーマだった。

    行為と感情とが直結している。
    それが、私でもあった。
    何かが起こる。
    そのことが、自分の想っていたことや想像していたことと違う。
    または、どうしても分かってもらえず、怒りと繋がる。
    「どうして、そんな酷いことを言ったり、したりするのか」と、
    自分勝手に、独りで爆発したりする。

    彼は、そのことをよくよく見ている。分かっている。
    だから、そうなるだろうと想いながらも、
    彼は、何も言わずに、惣菜を残す。説明も弁解もしない。
    彼は、彼で、親父としての私のことを諦めているからだった。

    家族って、なかなか心の道場だと、いつも感ずる。
    他人には決して期待しないことを、家族には押し付けたりする。
    「ありがとう」「おいしかったよ」かな・・・・・。
    しかし、それは、私が自分で勝手に書いた脚本に過ぎない。
    そう言われたら嬉しいなぁと、想っているの私だけだ。
    そこのところの塩梅が、よく分からない。
    だから、時々腹を立てて、言わなくてもいいことをついつい言ってしまう。

    これも、家族だからのようである。
    そんなことは、他人には言わない。
    何よりも、他人には期待しないことにしている。
    他人に対して、気持ちの良いリアクションを期待していても、
    ことごとく裏切られることが多いからだ。
    「おいおい、誤解だよ」「おいおい、どうしてそうなるの」だな。

    人は、みんな違う。
    そんな当たり前のことをしっかりとわきまえていないから、
    こうして、息子や他人のことをコントロールしたくなる。
    そのつもりはなくても、無意識でも、
    「何で俺の言う通りにしないんだ」「何で勝手なことをするんだ」だな。
    実は、そうやって息子や他人をコントロールしようとしているのは自分なんだと、
    本当に、この退職して、家庭に入り、地域社会とかかわりながら、
    そのことに私はやっと気付くことができたようだ。

    感情的になる。
    イライラする。腹を立てる。こんちくしょうと思う。
    しかし、そうなってしまうとその感情に支配され、
    その感情に操られている間は、
    何だかとっても生活を楽しめない哀しい時間となってしまう。
    だから、息子や他人をコントロールするのではなく、
    この愚かなる私を自分がどのようにコントロールするかを考え、実行する。

    つまり、息子や他人の気持ちや行動は変えられないが、
    私の気持ちや行動は、自分で決定して、行うことができるということだ。
    そのためには、「こうなるだろう」などと勝手な妄想・物語ょ描かないこと。
    息子と他人は、私ではない。
    彼等彼女等は、自分で決めた物語を生きているだけ。
    だから、その物語の展開については、私が関与することではない。
    私は、私で決めた物語を生きればいい。

    そして、明日もまた、何一つ期待しないで、
    朝早く起きて、息子のための朝食を用意する。
    明日、彼はお休みだと言うので、弁当の惣菜は必要なかった。
    「うなぎが食べたい」と言うので、
    スーパーで半額になるのを待って、昨日購入して来た。
    「おい、うなぎあるぞ」と言っても、
    「今日、外で食べるから、夕飯いらないよ」だった。
    では、いったい、いつ、あのうなぎを食べればいいのか・・・・。

    期待しない。期待しない。
    勝手なストーリーを思い描かない。
    自分勝手、自分本位の妄想は抱かない。
    「諦める」「諦める」「諦める」
    すると、ちょっと高まった血圧が、少しずつ落ち着いて来た。
    家族とは、ありがたいものだ。
    他人のことならば、嫌ならば会わなければいいし、かかわらなければいい。
    でも、家族は家族だ。

    これから一カ月間、父と息子との二人暮らしだ。
    本日のことをよき教訓にして、生活していこう。
    心の平安のためには、自分勝手な物語を妄想しないことなんだと、
    今朝は、体験を通して学ぶことができた。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月22日 10時11分51秒

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    山に行った。

    昨日、村上の山賊の仲間に誘われて、山形の月山へ行って来た。
    6時に朝日のまほろばの里に集合だった。
    3時半に起きた。
    それから、山の支度を整えて、弁当を作った。
    ご飯はタイマーセットで焚きあがっていた。
    弁当のおかずは、冷蔵庫のありものですます。
    ちよっことずつ惣菜を入れる。
    ご飯の上には、佃煮と辛子明太子だ。
    ふりかけも忘れない。

    山に行く日は、
    母が生きていた時には、母が夜中に起きて、天ぷらをあげてくれた。
    トンカツもあげ、時には、ホタルイカの沖漬けを持たせてくれた。
    山の仲間のみんなの分も作ってくれた。
    だから、仲間たちも母の手料理を心待ちにして山に登ったものだった。
    そのごっつぉうは、今は無くなってしまった。

    そんなことを思い出しながら、
    せっせと武骨で、ごった煮のような弁当をこさえてザックに入れた。
    4時半には自宅を出た。
    高速で朝日のまほろばに6時に到着しなければならなかったからだ。
    それでも、高速がそこまで開通したから助かっている。
    もし、この道路がなかったら、3時に家を出なければならなかったからだ。

    さてさて、下界は猛暑の中だったが、
    リフトを降りて1500mは、別天地でもあった。
    風が強く、上空では雲の足がとても速い日だった。
    月山の山頂は雲の中で、
    北東から強くて冷たい風に私たちも晒されながら歩いていた。
    雪を心配していたが、この暑さのおかげで登山道が顔を出していた。
    雪がとけたばかりなので、ここは、早春そのものだった。
    春の山野草真っ盛りだ。

    ニッコウキスゲ・コバイケイソウ・オヤマノリンドウ・ハンサンイチゲ
    イワイチョウ・コイワカガミ・ショウジョウバカマ・ウサギギク
    アキノキリンソウ・ハクサンコザクラ・ノアザミ・シラネウスユキソウ等々
    花の名前を全く知らないこんなクマでも、
    今、思い出してもこれだけの花の名前を挙げることができる。
    とにかく、春の花たちが可憐な姿を見せてくれた山だった。

    私たちは牛首までの尾根を、
    そんな花たちと出会うと立ち止まり、シャッターを切りながら、
    一つ一つの花たちを愛でつつ歩いた。
    だから、ゆっくりゆっりと味わい深い山行きとなった。

    何よりも嬉しかったのは、このクマが汗をかいていないということだった。
    いつもの夏のこの時期の山登りでは、
    顔を汗でびっしょりと濡らし、ぽたぽたと汗を木道に垂らしながら登ったものだ。
    なのに、なのに、山賊のTシャツがまだ乾いたまんまだった。
    短パンからも汗がしたたるどころか、
    着たばったりのように乾いたままだった。
    それほど、気温が低く、過ごしやすかったということだろう。
    これも夏山の恵みの1つだ。

    山頂まで登り40分を前にして休憩したいた。
    50名以上の関川村からの登山団体が通り過ぎ、
    30名位の地元の小学校6年生と親たちの団体が共に休んでいた。
    手軽に登れる百名山であり、花の山である月山は、
    それはそれは人気の山だった。
    こんなにたくさんの人に、下界でも会ったことが無いほどだった。

    そこへ、山頂から降りて来た爺さんが立ち、
    「山頂はすげぇー風で、目も開けられなかったて」とのことだった。
    強風で身体ごと飛ばされそうで、ここへ来てやっと人心ついた顔だった。
    よっぽど荒れているんだろうなぁと、感じた。
    「降りようかね」が、山賊たちだ。
    もう、この山には何度も来ている。
    それに、山頂ではゆっくり座って弁当も食べられないだろう。
    小屋に入るだけでもお金を払わねばならない。
    ならば、花を堪能したし、山の気も十分に味わったから、
    「帰ろかね」だった。

    これができるのが、大人の山登りなんだな。
    せっかく来たから、どうしても山頂に立ちたい。では、ないんだ。
    本当の山登りとは、撤退する勇気だといつも感じている。
    山頂まではもうひと登りだ。
    行こうと思ったら、私たちならひょいと登れる。
    でも、行かない。登らない。
    それが、大人の山登りだなぁ。

    団体さんたちは、それでも登らねばならなかった。
    登ることが、目的だからだ。
    私たちは、違う。
    登ることも目的であるだった。
    だから、状況を判断して、登らないという選択肢を選ぶ。
    そこに、山登りの自由が存在している気がしている。

    登らねばならない山は、どこにもない。
    安全第一。命が一番。
    こんな天気で登ったとても、ガスの中、風の中、寒さの中、
    下手をすれば突然雷が鳴るかもしれない。
    でも、登ることが目的の人たちには、撤退の選択肢はない。

    私たちは、またまた、話しながら、楽しみながら下山することにした。
    雪渓の下りでは、しっかりとロープにつかまって降りた。
    そこで、スキーヤーたちを見ながらの昼食会だ。
    それでも、月山はガスの中で全く姿を現さなかった。
    薄暗くなると、途端に風が冷たく感じられた。
    あの人たちは、あの子どもたちは、
    あの山頂で凍えていることだろうなぁと、感じながら、
    私が作った弁当を食べていた。

    山は、山に居るだけで楽しいんだな。
    山は、登らなくてもいいんだな。
    山は、やっぱりいいもんだなぁと、
    改めて教えてもらった山行だった。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月20日 08時53分30秒

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    大門道子だ

    突然、再就職が決まった。
    予定外のことだった。
    妻がこうして入院し、自宅での療養をしている間は、
    私は仕事に就かずに、家事に専念と思っていた。

    また、地域での活動が増え、自治会やM委員の仕事もあった。
    ヨガを始め、道場に通い、書道を習い、大学の講座を受講した。
    一日何もなくても、平日に何かができることのゆとりと充実感。
    働かないということは、無収入であり、苦しくもある。
    しかし、積極的に就労を選ばない選択肢もある。

    私は、4月から大きな買い物は一つもしていない。
    服は、あるものを着回しにしている。
    ああ、Tシャツを2枚買ったな。
    それから、眼鏡も退職記念にと新調した。
    飲みにも行かないし、行くとなったら、千円・二千円のお店だけ。
    缶ビールと菊水一番搾り日頃の友としている。

    読書する時間はたっぷりとあり、平日映画も観られる。
    例え、平日の昼にどこかで昼飲みしていても後ろめたくもなかった。
    公明正大の無職なんだから、
    人から何か余計なことも言われることも無く、
    ただただ飲みたい時に、飲みたい場所で飲むだけだ。

    朝は、4時に起きて読書する。
    5時からは、1時間のヨガに没頭。
    6時からは、家事にスイッチを切り替える。
    洗った食器を食器棚に入れ、味噌汁を作り、魚を焼く、サラダを作る。
    ゴミを黄色いごみ袋に入れ、捨てに行く。
    ご近所の人に挨拶をして、帰ったら庭の草花に水をやる。

    それから、ゆったりと朝風呂につかり、髭をそり、整髪する。
    そして、朝食をFMのクラッシックを聴きながら食べる。
    その後は、コーヒーを飲んで新聞を丹念に読む、読む。

    しかし、8月下旬から、またまた、あの忙しさ、あわただしさだ。
    先方はとてもとても困っていた。
    一度お断りしたが、それでもと元同僚からのたっての願いだった。
    「主がご入用です」という言葉が聴こえた。
    困っている人を見過ごしにはできない。
    そんな葛藤とジレンマだった。
    しかし、ここで見過ごしにしたら、何の為のこれまでの私の生き方だったか。
    せっかく声をかけてもらったのだから、
    やっぱりやるべき、受けるべきではないかと考えを変えた。

    3月までと同じ仕事に戻る。
    しかし、私は、4月から再任用でその仕事を続けなくてよかったと思っている。
    その仕事がいかに激務で責任が重く、
    ストレスの多い仕事であったことがよく分かったからだ。
    そこは、まさに鉄砲玉の飛び交う最前線でもあった。
    だから、今、ここで、そこで仕事をしている人たちには敬意と労いの言葉だけだ。
    「みなさんは、凄すぎる。でも、もう私にはそこに戻る力も無くなった」だな。
    だから、離れた立場で、ずっと続けて来たその仕事を観直すことができた。
    そしたら、発見や気付きが満載だった。

    さてさて、しかし復帰してもそのことでストレスになったら何の意味も無い。
    こうしてここに記したものを私は、失うことになる。
    そのマイナスに対するストレスは大きかった。
    自ら望んでそうしたのではないから、尚更、それを感じた。
    だから、こう決めた。
    「嫌われる勇気」なんだな。

    12月31日までの仕事だった。
    短期間でできることは、本当に限られている。
    まず、「期待しないでください」だった。
    「できることはしっかりとやります。できないことはやりません」だった。
    「私が任された職務は遂行します。組織的な余計な仕事はやりません」だった。
    「臨時のボランティアとして私のことを見てください」だった。
    「地域での活動や会議があります。そのことを優先する時もあります」だった。
    「いたしません」「やりません」「できません」と言っていたら、
    ふと、大門道子のことが思い浮んだ。

    「そうか、ドクターXだな」だった。
    「フリーランスの医師」である彼女の生き方そのものに共感だった。
    そんな私が、何だか彼女のようなフリーランスの職人となり、
    再就職している。
    それも61歳のオールドボーイだ。

    「まぁ、いいか」だった。

    しかし、私は、子どもたちと出会うことを心から楽しみにしているし、
    このお仕事は大好きだから、また、その現場に立てることを嬉しくも感じている。
    こうして再びそこへ戻れることは想像していなかったので、
    何だか不思議で、幸せな気分だ。
    でも、大門道子だ。
    本当に嫌なやつだと思われていることだろうなぁ。
    それでも、やっぱり仕事が始まる前に、
    この気持ちしっかりと先方に伝え、
    仕事の割り切りを明確にしておきたかったので、
    「嫌われる勇気」で、みんな語った。

    それも、私にとっては大いなる発見であった。
    のほほんとした幸せな生活とは、またまたしばしのお別れだ。
    今度は、次の仕事にいい加減に、全力を尽くしたいと思っている。
    こう見えてもけっこう意欲的で、やる気をもって仕事にいくつもりなんだ。
    それも、大門道子が私の先生となっている。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月18日 10時42分30秒

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    妻の手術

    昨日、妻の手と足の指の手術だった。
    新発田のリュウマチセンター。
    リュウマチによる関節の変形が常に起きていく。
    難病であるリューマチには、治す薬は存在しない。
    その症状を緩和して、現状を少しでも維持できるための薬はある。
    今は、高額な薬を、定期的に自分で腹部に注射している。
    彼女は、そうした身体で在り、難儀であっても、仕事を続ける。
    その仕事が好きだからだ。
    その仕事に生き甲斐と遣り甲斐とを感じているからだ。
    そして、使命感すら感じながら、仕事ができるからだった。

    例え、難病と呼ばれ、治療できない病気であろうとも、
    子どものため、家族のため、仕事のためと、
    そこに自らの意味を見出して、
    動きにくい手の指を使いながらも、
    家事や仕事を続けている彼女は、やっぱり凄いと私は想う。

    今は、こうして私が退職して家に居る。
    そして、毎日、長男と2人、ここで暮らすための家事をしている。
    彼女が先週入院するまでは、朝食は彼女が作ってくれた。
    私は、その朝食を時刻になったら下に降りて、食べるだけ。
    彼女や長男が仕事に出かけると、
    私が流しの洗い物をして、洗濯機を回し、掃除をする。
    しかし、今週からは、その朝食も作らねばならなかった。

    ここに彼女がたたんでくれた洗濯物がある。
    私の部屋に置かれたこのTシャツやランニング等、
    もうしばらくは、私がそれをしなくてはならなくなってしまった。
    9月初めまでの長期の入院とリハビリだった。
    自宅に帰ってからも、自宅での療養は続く。
    人口関節を入れた指を動かせるまでに、
    やっぱり辛いリハビリと、不自由な痛みを感じ続けることだろう。

    昨日、私が病院から帰る時には、全身麻酔からまだ覚めない中だった。
    微かな声で、反応はできた。
    今朝は、その麻酔からも覚めてくれたと思っている。
    それからが、いつもいつも痛みとの闘いとなる。
    私がそうだったから、その辛さはよくよく分かる。
    ただ、私は何もしてあげられるわけでもなかった。
    痛みとは、本当に孤独を感じさせるものだった。

    日々新ただ。
    本当にこんなちっぽけな私の生活も、
    こうして日々、いろいろとありながら変化している。
    そんな変化を、ただ黙って、そのまま受け入れる。
    何も考えない。
    歳をとって分かったことは、このことでもあったな。
    同じものは、一つもない。
    全てのものは変化する。

    よいとか、悪いとか言うこともない。
    それは、あるものであり、起こるもの。
    そしたら、どうしたらよいかのベターを探す。
    そして、身体を動かし、即、対処する。
    その途中に悩まない、余計なことは考えない、想わない。
    すーとやる。すーと生きる。こだわらない。迷わないだな。

    そう生きたいと、想って、日々を生きている。
    彼女が居ないと、寂しい我が家だ。
    長男の帰りが遅いと、ここに居るのは私だけ。
    それは、病院で独り痛みと闘う彼女も同じ。
    このいつもと全く違った生活を、ただ受け入れるしかないし、
    そうやって、対処していくしか、平安なる道はないとも想っている。

    どうやって男二人でこの夏を乗り切れるか、
    何とかなるさと、ただそう想うだけだ。

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  • from: クマドンさん

    2018年07月16日 10時58分01秒

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    涙する

    今日は、休日なんだ。

    毎日が日曜日の生活で、月曜日は月曜日なんだと勘違いしていた。

    ワールドカップ決勝戦だった。

    ああ、お休みしててよかったと今回はつくづく感じた。

    夜中の決戦だ。

    こちらも覚悟してワールドクラスの熱戦を観る。騒ぐ。滾る。叫ぶ。

    どれだけ歓喜の雄たけびを挙げたことか。

    それは、やっぱり「サッカー」だからだろう。

    熱狂と興奮。

    しばらくは、サッカーロスになりそうだ。

    そして、この寝不足を徐々に解消していかねばならないだろう。

    みんな、仕事、どうしているのかな。

    最近、涙脆くなっている。

    というよりか、すぐに涙を流す。

    「きた。」と感じると、どうしてよいのか分からなくなる。

    これも私の意志ではなく、交感神経の為せる業なのか。

    どうしたらいいのか分からないくらい、

    いつ何時でも、処かまわず、誰といてでも涙を流す。

    今朝も、朝食を食べて庭のキュウリの葉っぱを観ながら、

    「カバティーニ」を聴いて、涙を流した。

    「おいおい、ここですか」だった。

    涙を流す、私が居る。

    私は、涙と共にその私を感ずる。

    「ああ、涙の私がまた深く感じて動いているなぁ」と。

    昨日は、礼拝の途中にぐっと来てしまった。

    「全てを失ったところから、イエス様への信仰が始まる」

    そんな牧師さんのお話しだった。

    深く深く頭を垂れて聴き入っている60代後半の求道者の男性だった。

    「ああ、あの人がそうであるように、私もそうだったなぁ」との実感だった。

    しかし、彼は、洗礼へのその一歩を踏み出していなかった。

    私は全てを失い、救われた。

    彼は、きっとかっての私のようにして全てを失ったまま生きていた。

    「今、何だな。彼を、きっと神様は呼んでいるな」だった。

    そして、讃美歌「驚くばかりの」を歌った。

    そして、私の一つ隣の席の老いたる女性信者のHさんが、涙を流した。

    私は、彼女がハンカチで涙を拭いている姿が眼に入った。

    途端に、私もどっと涙が溢れ、歌えなくなってしまった。

    でかい声で歌っていた私の歌声が、急に消えた。弱くなった。震えた。

    何だかねぇ。本当は嗚咽して泣きたかったが、我慢した。

    JAZZストリートだった。

    SLIMさんの一時帰国だった。

    私は、ピアノを弾いている彼を見て驚いた。

    彼は、昨年の夏にニューヨークに行ったはずだからだ。

    彼のゴスペルは魂を揺さぶった。

    そのソールフルネスな、うねるような、音楽の魂の響きは、

    とてつもなくピュアで、情熱に溢れ、愛があった。

    私は、たった一度の出会いで魅了され、好きになった。

    まさか、ここで、また出会えることとは・・・。

    そして、heartwarmで、lyricismで、音楽への愛が溢れる、

    まさにmessageのあるピアノが奏でる歌声に、痺れた。ただ、浸った。

    そして、涙が、また、涙が溢れてとめどなく流れた。

    私は、恥ずかしかったので、そっと窓の明かりを見ながら、聴いた。

    musicと涙は、同じだった。

    「愛、なんだなぁ・・・」深い、深い、感動だった。

    それから、北区キリスト教会のコンサートだった。

    私はこのコンサートを行っている日比野夫妻を心から尊敬している。

    音楽は、確かに天井からの愛のメッセージだった。

    言葉で語ることも大事だが、

    音楽は、ダイレクトに、独り独りの魂に迫り、感じさせ、涙させる。

    私は、どれだけ音楽を聴きながら、涙したことだろう。

    本当に、実に、恥ずかしいくらいに、よく涙する私なんだ。

    WAT A WONDAFUL WORD

    この歌詞の訳を聴きながら、その愛のメッセージに涙が溢れた。

    ここで、涙を流すわけには行かない。

    私は焦り、恥ずかしいと感じながらも、

    日比野さんのサックスを聴きながら、とめどなくとめどなくだった。

    どうなってしまったのだろう・・・・。

    私は、いつもどこでも涙を流す。

    涙する私が居る。

    でも、それは私なのか。それが私なのか。それこそ私なのか。

    そして、今朝、NHKの番組でアニメ監督の細井守さんの話だった。

    「家族って、愛ですよね」と笑顔で語る。

    「愛」その言葉が、その途端に、とてもとても新鮮に、

    改めて「そうだっんだ」と、腑に落ちた。

    私は、何を言いたいのか自分でも分かっていない。

    だから、きっと、こうして書きながら、その「何」かを探し求めている。

    私が、涙するのは、それは私の「愛」が涙するのではないだろうか。

    涙は、愛なんだな。

    愛であるから、きっと愛に出会うと、深く感ずる。

    愛でありながら、愛で在り得なかった自分自身が、

    その深い深い愛、それは、真であり、善であり、美なのだと思う。

    その本当の愛に出会った時だけ、

    私は、涙の私が感応して、姿を顕す。

    まさに、愛の顕れこそが、涙なのではないかと、

    あのキュウリの葉っぱを見て、はたと気付いたのだった。

    この世界は、愛なのではないか。

    そして、涙は、そんなあなたでも「愛」なのですよと、

    そっと私に教えてくれているのではないかと。

    涙を流せる私は、このキュウリと雀の友達なんだ。

    本当はみんな家族なのではないだろうか。と、考えてしまった。

    私は、よく涙を流す。

    それは、自然と感じて、どうにもならなくなり、涙が溢れて来るからだ。

    それは、どうしてなんだろうかと、

    涙を流す度に、そうやって私の人を観察している。

    やっとほんの少しだけ、涙の意味が分かったような気がしている。

    もし、私が「涙の人」であったなら、

    どれだけ深い生き方をできる人になることだろう。

    私の愛する先人や同時代の人たちは、

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  • from: クマドンさん

    2018年07月15日 07時03分02秒

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    マインドフルネスで乗り切ろう

    何と何と、ずっとこの「親父たちよ」を書いていない。
    それもこれも連日の飲み過ぎのせいなんだな。
    飲み会というよりか、自主的な飲み会を慣行している。
    おたっしゃトリオの演奏を聴く前に、
    万代シティーのベンチで菊水の一番搾りを飲んでから出かけた。
    安く酔うためには、缶のハイボールや酒を買って、
    外で飲むことが一番だ。

    そこにワールドカップの試合も入る。
    仮眠をとってからの参戦だ。
    夜中に起きて、後半戦だけでも観るように努力している。
    今、無職であり、家に居られることの幸せだ。
    それでも、6時には起きる。
    しかし、具合が悪い。
    胃が何だかもたれてむかむかとする。
    少しずつ身体の機能は弱っている。
    そのことを忘れては、この60代は生き抜けない。

    妻が、水曜日から新発田病院に入院した。
    リュウマチのために右手の指の動きが悪くなり、
    その動きを良くするための、腱や筋肉を繋げる手術だ。
    右足の指も同時に手術する。
    全身麻酔だそうだ。
    指の手術であるために、退院は9月上旬。
    それから自宅療養で11月までかかる。

    大変な手術だ。
    痛みも酷い痛みがじんじんと続く。
    痛み止めがそうは効かない術後だった。
    その手術が火曜日にある。

    だから、今は私が本格的な主夫であり、シェフでもあった。
    朝食は必ず出勤する長男のために準備しなければならない。
    お弁当は勘弁してもらっているが、不自由をかけることとなった。
    今朝もベルギーの3位決定を観て寝不足の中、
    ご飯を炊いて、味噌汁を作り、サラダをあえた。
    ホッケを焼き、ゆで卵を3つ作った。

    朝の庭の草花への水やりは大切なルーテーンだ。
    今年はキュウリとゴーヤが不作で心配している。
    雀たちにも餌をやる。
    そんなこんなで、こんな時刻となってしまう。

    つまり、いつものこれまでの朝のルーテーンを、
    私は木曜日から一変させられた。
    朝は、起きたらすぐにダイニングへ降り、
    そこで朝食の準備だった。
    実は、いつもはこの時刻にヨガをやり、
    シャワーを浴びて、「親父たちよ」を書いていた。
    こんな駄文でも、書くことでおかげさまで認知症の予防になっている。

    しかし、それができなくなった。
    その上に、酒の飲み過ぎで胃の具合がかんばしくはない。
    しかし、しかし、こんな時なんだな。
    深呼吸をしてマインドフルネスにならねばならないときは。

    4秒鼻から息を吸い、8秒で口から息を吐く。
    そのことを何度も繰り返す。
    車を新発田まで運転する時もそうだった。
    呼吸を整えると、副交感神経が働き、心と身体が落ち着いて行くことを感ずる。

    そうすると腹を立てなくなる。
    イライラといなくなる。
    まぁ、いいかと思えるようになる。
    いいこと尽くしのマインとフルネスだ。

    この日常生活の激変に耐え、それをストレスとしないために、
    この呼吸法を心掛け、いつでもしていこうと考えている。
    そろそろご飯が炊けた頃だ。
    川崎から次男が帰っている。
    その友達2名も、座敷でクーラーをつけて雑魚寝をしている。
    長男は今日も仕事だ。

    マインドフルネス。マインドフルネス。
    ストレスにしない。イライラとしない。ただ淡々と朝食を作る。
    その訓練なんだと、自分自身に言い聞かせて生活している。
    一カ月半。男二人の生活となる。

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