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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2008年12月31日 10時39分17秒

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    イライラ

    2008年最後の日。
    私は朝から絶不調である。
    単なる飲みすぎなのだ。
    肝臓の機能がぐっと低下しているために、
    何をやろうとも思わず、意欲が全くないのだった。
    これまでは、せっせと大掃除をした年末だったが、
    父の気持ちがよくわかる。

    立ち上がると軽い眩暈が起こる。
    難儀でソファーに座ってテレビを観るだけである。
    具合が悪いと機嫌も極端に悪くなる。
    辛いから語りたくもなく、
    動かないからイライラが募ってくる。
    今年はどこも掃除をしないまま年を越してしまいそうだ。

    朝から妻と一言も喋っていない。
    昨日のことをまだ尾を引いている。
    走って一汗かけば何ともないのに、
    何だか全て投げやりな自分だった。

    こんなになるまで酒を飲まねばよいのに・・・。
    「分かっちゃいるけど、やめられぬ」
    この調子では、不機嫌なまま、スースーダラダラと年を越してしまいそうである。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月31日 07時33分23秒

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    山小屋ありがとう

    山小屋最後の夜。
    こんな夜が来るとは、考えもしなかった。
    山小屋は私たちの舞台であり、
    私たちの大学であった。
    生涯学習の拠点であり、
    人と人とがつながるためのネットワークの要でもあった。

    そんな場が失われることで、
    昨夜飲んでいた人たちは、
    今日から山小屋難民となってしまうのだった。
    祖国を失った悲しさは、
    一時的に昨年知った。
    しかし、その時はMさんが退院してくるという希望があった。

    私たちはヨルダンを追われたユダヤ人となってしまった。
    彷徨えるユダヤ人。
    月に一度は駅前に集おうと仲間の連絡先を聞いている。
    不思議な縁で結ばれた山小屋仲間である。

    最後だからとお土産の焼き鳥を買った。
    とにかく大盛況で売る焼き鳥が品切れとなってしまった。
    堀川さんが来た。
    「水と土の芸術祭」のことでまたガンガンと議論になった。
    私はこれには絶対にかかわらないと言い張り、
    あなたは観てはいないものを勝手に決め付けていると彼女は怒る。
    そこへHさんが登場し、
    「王瀬の長者」と「鮭の食」をからめての新たな提案をしていこうと決まった。
    テーマは「回帰」である。

    全員を集めての記念撮影。
    会長が最後の挨拶。

    沼垂から名所が消えた。

    帰ってから妻と一戦を交えてしまった。
    難民はとてもナーバスな酔っ払いになっていたのだ。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月30日 16時18分44秒

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    プレジョブと「はたらく」の間に

    プレジョブについて、いよいよ本格的に始動した。
    Cさんの情熱と行動力とは、
    必ず夢を具体的な形にしてくれると信じている。

    さて、新潟地区手をつなぐ育成会が発刊している「あらうみ」の巻頭言に、
    会長の熊倉範雄さんが、次のような興味深い文章を掲載していた。

    「知的障害者の「はたらく」世の中を開くのはどのような取り組みか」が題名である。

    1.ジョブ(仕事)-開拓・開発(就労支援事業所・授産施設)
    2.パーソン(就業者)-意欲・努力、個別の特性を踏まえた能力開発、訓練の連携
    3.ハード(仕事場)-バリアフリー、疎外防止(企業)
    4.ソフト(就業管理)(企業)
    5.ベース(生活基盤)-衣食住・健康・通勤・総合障害保険
    6.サポート(支援)-コミュニケーション支援(重要)相談調整

    これらの専門的な取り組みのかかわりを記した後で、
    実は、総合的なコンサルティングが不足しているのではないか。
    と、まとめている。
    そして、矢印の後で次の四つが書かれてある。
    「特例子会社作り」
    「入職離職の判断と補充」
    「離職者の受け入れ先確保と再挑戦保障」
    「各種雇用支援施設の連携活用」

    さて、この文章が意味する所は、
    プレジョブにも大きく関わっているのではないかと思い、
    ここにまとめさせてもらった。

    では具体的にはどのような意味なのか。
    それは、私にはよく分からないが、
    Cさんにはきっと理解されると思っている。

    Cさんの意見を聴きたいものだ。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月30日 12時07分26秒

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    新年の信念は走りながら・・・

    昨日、長男が古町のコンサートホールで発表した。
    友達と組んだバンドでのロックコンサートだったようだ。
    そのコンサートにこっそり紛れ込もうと、
    夕方我が家を歩いてスタートした。

    沼垂四つ角では、山小屋に寄った。
    ここで2本飲んでからと思ったのが間違いだった。
    高校の先輩のHさんがすでに出来上がっていた。
    そこへ長野で別荘暮らしのNさんが来た。
    すると、環境教育のHさんの笑顔が暖簾をくぐってきた。
    これが山小屋なのだ。
    話に花が咲いているうちに、
    いつの間にかコンサートの時刻を過ぎていた。

    極めつけは、堀川さんの登場である。
    焼き鳥のお土産を買いに来たそうだ。
    車とのこと。
    帰りに乗せてもらうことにして、
    安心して腰を据えて飲み始めた。

    7時からは、「よしはら」で「やろう会」の大望年会であった。
    予定が思わぬことで狂ってしまったが、
    堀川さんの車で山の下に向かった。
    実は、山小屋は今夜30日を最後に閉店なのだ。

    酔っ払って参戦すると、
    Oさん、Kさんが風邪でダウンとのこと。
    年度末の忙しさの中で体を大切にすべき年代となってしまった親父たちである。
    マグロの兜焼きと鴨鍋を堪能した。
    本当に旨いものを食べて酒を飲んでいるときが幸せなのだ。

    そのうちに、元旦マラソンの計画が決定された。
    元旦の午後からトンネルを走り、
    夕方ある事務所に集結して新年会をやろうとの魂胆だった。
    とにかくこういう話は早く決まる。
    それが親父たちの柔軟でいい加減なよさだと思っている。

    新年度の役員人事も決まりそうである。
    「やろう会」の5年目は、
    元旦マラソンと新年会からスタートしそうだ。

    追伸:やろう会の皆さん、この掲示板を訪れた足跡として、
       拍手を一つ残してもらえると有難いです。
       お願いします。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月29日 06時27分58秒

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    妻の戦法

    休日はこの天気のせいで家にこもることが多くなる。
    そうすると家族とのニアミスも増えてくる。
    それがそれなりにストレスでもあったりする。

    洗戦は今も続いている。
    私はゲリラ的な戦いを放棄して、
    篭城戦術に戦法を変えた。
    今はいっさい洗濯物に触ってはいない。
    「やめてください」と言われたので、
    私は洗濯を選択することを放棄した。
    これはお互いの意地であり、持久戦でもあった。

    妻は昨夜狭いリビングにつっぱり棒を買ってきて、
    設置していた。
    洗濯物が乾かないから、
    部屋で干すと言う。
    ただでさえも散らかっている部屋なのだから、
    そんなもの干さないでくれと哀願しても駄目である。
    これは彼女にとっての心理作戦であった。

    さっそく今朝は洗濯物がぶら下がっていた。
    篭城戦術に対しては、まず外堀を埋めることである。
    次に心理的に敵を追い込み、
    敵が焦って城から打って出るまで、忍耐強く待つことだった。
    「俺がやるよ」
    それは、城を明け渡して白旗を挙げるに等しい行為だ。

    しかし、妻がこうして兵法を知り、
    それを実践する恐るべき軍師であろうとは、
    今の今まで知らなかった。

    次の彼女の秘策はいかなるものか。
    それが恐ろしくもあり、待ち遠しくもある夫であった。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月28日 12時04分48秒

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    平凡な生涯にドラマあり

    シネウィンドで上映されている映画
    「石内尋常高等小学校 花は散れども」
    「接吻」
    この二本と2008年の今に出会えたことを感謝する。

    花は散れどもでは、涙が流れっぱなしであった。
    かって「仰げば 尊し」で感激したように、
    私は今でも市川先生の姿が心に浮かぶ。
    ひょうひょうとして、温かく、人間臭くて、子どもが大好きで、
    「うそはつくな」「正直に生きろ」「がんばれ」
    信念をもって子どもたちに語り、
    子どもたちの心に生きていくための大切な何かを伝えていた。
    大正時代の尋常小学校にはそんな先生が存在していた。

    95歳になった新藤兼人監督は、
    どうしても自分の担任であった市川先生のことを映画にとどめておきたかった。
    車椅子で自分では立てなくなった今、
    役者と遠くはなれて演出する自分のことを監督は語っていた。
    「遠く離れてみて見えるものがある」
    市川先生は、一生一教師として生きた人だった。
    退職後は勤務した石内小学校の校庭の前の家を借り、
    晴耕雨読の生活を送った。
    「子どもたちの声が聴こえる場所」から先生は離れたくなかったからだ。

    教え子であり、級長をつとめた優秀な子でありながら、
    赤貧の中で高等科を終えると広島へ出て行った新藤さん。
    売れない脚本家として東京で悶々とした日々を送っている。
    昔好きだったが言い出せずに分かれたままの副級長の女の子は、
    地元の料亭の女将になっている。

    先生の退職をお祝いしての同窓会の席で、
    二人は再会する。
    彼女には子どもが無く、
    旦那は修行と称して大阪で女と共に生きている。
    そんなことを知り、そして今でもお互いに好きである気持ちを知る。

    新藤さんは、そんな自分の淡い恋についても映画の大切な柱として描いていた。
    私はこの若き日の新藤さんを演じた豊川悦司が好きなのだ。
    そして、女将は大竹しのぶ。
    それは、私自身の恋でもあった。

    さて、市川先生は最後は脳梗塞で体の不自由がきかず、
    言葉を話すこともままならない状態になった。
    教え子である二人は、
    二人の間に生まれた5歳の女の子を連れて見舞いにやってくる。
    先生は「海が見たい」とわがままを言う。
    教え子は、その願いをかなえたいと想う。
    この時の砂浜でのシーンが美しすぎる。
    教え子は師を背負い、砂浜を歩く。
    私も父のことを背負いたくなった。
    そして、いつか私も長男や次男の背中にばんばされて歩く日が来るのだろうなぁと思った。

    突然先生は歩くと言い出す。
    彼は師の両手をとり覚束ない足取りの師を助ける。
    一歩一歩歩きながら、
    そうやって師によって人生の歩き方教えてもらった恩返しをする。
    ふと足元を小さな蟹が横切っていく。
    「おい、どうして蟹は横にしか歩かないのか?」
    「先生、それは生きているものはそれぞれの歩き方でいいということだと思います。」
    「そうだな。」
    それぞれがそれぞれの歩き方で人生を歩く。
    それは、先生の生涯の応えであり、
    教え子への励ましでもあったはずだ。

    先生は亡くなった。

    私は映画が終わって外に出た。
    映画についての新聞記事が貼ってあった。
    新藤さんのインタビュー記事だった。
    私はその記事を読みながら、
    嗚咽をこらえるのに必死だった。
    「偉大なる平凡な生涯」を描きたかった。
    監督は死ぬまでに恩師のことを絶対に映画に描きたかったのだ。
    それは、監督が後世に残す偉大なる平凡なる生涯のメッセージだった。

    教科書以上のものが先生にはあった。
    それはのちになって考えると、
    先生の「人格」であったが、
    少年の胸には先生の体から発する「光」のようなものであった。
    道徳や正義や友愛が光の中でピカピカ光っていた。(略)
    その思いを、思い出しながらシナリオを書いた。
                新藤兼人 創作ノートより

    「接吻」
    あのラストシーンの衝撃は、
    (体が本当にガタガタと震えて止まらなくなったのだ)
    「ダンシングインザダーク」と「カッコウの巣の上」のラストシーンに匹敵するものだった。
    「何だ、これは・・・」
    小池栄子の存在感はすごかった。
    私たち観客が度肝を抜かれてふらふらとしている瞬間、
    場面は暗転し、「接吻」という赤い文字がスクリーンに焼き付けられる。

    確かに、これは・・・。今もその衝撃の余韻の中である。

    年末年始、この二本は映画と出会いたい人には是非薦めたい

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  • from: クマさんさん

    2008年12月28日 11時17分33秒

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    酒粕

    アル中でもなってしまったのか。
    とにかく毎晩酒によっている。
    酔うとろくなことを考えず、失態ばかりの男でもあった。

    それでも、やっぱり酒を飲む。
    明けても暮れても酒を飲む。
    性懲りも無く酒を飲む。
    肝臓からのSOS。
    分かっちゃいるが酒を飲む。

    昨夜はフィギアーの壮絶な戦いに感動しながら、
    私は赤ワインをボトル半分空けていた。
    長男は夜ライブであった。
    なのに午後から吐いてひどかったと妻に聴いた。
    彼は出演するために回復を待って妻に会場まで送ってもらった。
    それでも私は酒を飲む。

    次男は塾から遅くのご帰還であった。
    一緒にすべらない話を観ていた。
    私も次男もこれが好きなのだ。
    その頃、すでに酒には手が出なくなっていた。
    酩酊状態。
    悲しいかな、本当に弱くなってしまったのだ。

    氷上を滑るフィギアースケートと、
    笑いのツボを心得た職人たちによる滑らない話。
    そんな私には秘密があった。
    夕方山小屋で日本酒を3本飲んだことだ。
    これだけは口を滑らせてはいけない話なのだ。

    今年もあとわずかとなった。
    酒付け状態の我が肝臓様。
    すまなかった。
    ありがとう。
    あなたが酒粕になってしまわぬことを祈っている。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月27日 21時39分29秒

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    無声呼人

    昨夜は、山小屋での雉鍋の会。
    実に30名以上が集まった。
    1階の客席は超満員。
    みんなMさんに惚れきった面々である。
    この店は30日を最後に閉店となる。
    25年間以上通い詰めたこの店である。
    人生には舞台となる場所が必要だ。
    ここに集った親父たちには、
    この店が人生の舞台だったのだ。

    壁には「無声呼人」の書が飾られてある。
    声なくして人を呼ぶ。
    Sさんがバイオリンコンサートを開いてくれた。
    「イェスタディー・ワンスモア」カーペンターズの名曲だ。
    その次には「イェスタデー」ビートルズの鎮魂歌。
    私は一人カウンターからこの書を見ながら、
    この曲を聴いていた。
    すると涙が次々と湧き上がってくるのだ。
    50を過ぎてから、とにかくよく泣く男となった。

    涙ってとっても温かいってみんな知っているはず。
    熱いものが次々とこみ上げてくる。
    あーーー、Mさんは死んでからも、
    私たちを「無声呼人」だったんだね。
    はっとして、そのことに気づいた私。

    私は、泣きながらMさんの笑顔が見えた気がする。
    「クマさん、おもっしゃかったて。」
    「いかったねぇ、コンサートができて。」
    「ありがて話なんさ。」

    そんな山小屋は、やっぱり30日で閉店だそうだ。
    それを想うと、こうしていても泣けてくる。
    Mさん、ありがとうございました。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月26日 09時44分52秒

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    体調不良

    横浜でクラブワールドカップを観戦したのは、
    一週間前の出来事だった。
    思えば先週の金曜日から飲み続けている。
    よく体がもっていると驚いている。

    昨日は一日妻がダウンしていた。
    私の体調も絶不調で、立つと軽い眩暈を起こす。
    今夜も山小屋でファイナル雉鍋大会である。

    もっているのではなく、
    倒れる寸前なのかもしれない。
    昨夜の雨がいつの間にか雪に変わったように、
    目が覚めたら人生が一変してしまう瞬間は確かにあるようだ。

    さて、日産スタジアムのことを話そう。
    68000人が集まり、サッカーを観戦する。
    それだけでもワールドカップなのである。

    町のあちらこちらで記念グッズを売るテントが張られ、
    外国人による路上での販売が行われていた。
    マンチェスター一色。
    私も次男とおそろいの記念Tシャツを購入した。
    「ハウマッチ?」
    「ツーサウザン」
    日本語は通じなかった。

    正式なユニホームは17000円もした。
    しかし、この日のために駆けつけたサッカーファンにとって、
    それは高い買い物ではないようだ。
    飛ぶように売れていた。
    我が家では「スリーサウザン」のタオルがやっとだった。

    マンUのユニホーム姿の外国人があちらこちらを歩いてる。
    新横浜駅から会場まではサッカー一色の世界となった。
    会場近くにはダフ屋がいた。
    自分からは声をかけてこないが、その筋の人たちだった。
    その横で若いギャルがチケット求むのボードをあげていた。

    会場前はイベント会場となっている。
    行列があっちこっちに出来ている。
    みんな記念撮影用のブースに入るための列だった。
    妻も30分以上並んで、
    最優秀選手に贈られるプリウスの前で、
    金のでかいキーをもって家族で写真を撮った。
    極端に写真を嫌う長男と家族全員が写った久しぶりの写真だった。

    入場して驚いたことがある。
    どこにも日産のロゴがないのだ。
    トイレには○○スタジアムの文字の○○に紙が貼ってあった。
    これはトヨタカップだからなのか、
    それとも自動車不況のせいなのか分からなかった。

    2時頃にスタジアムに入った私たちは、
    7時間半もここにいたことになる。
    その間、私は熱燗や生ビール(売り子のギャルがとても可愛い)を飲み続けた。
    未だにその時の酒が残っている・・・。

    夢だったなぁと、今でも思う。

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  • from: クマさんさん

    2008年12月25日 22時52分19秒

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    温もり

    ただ今、長岡から帰還した。
    強風のために特急が40分間の遅れだった。
    仕方なく、新幹線に乗ってきた。
    さっきまで長岡で飲んでいたのだ。
    なんというスピードであろうか。

    尊敬する師と仲間との三人の飲み会だった。
    私が休職したために開かれなかった会であった。
    2年ぶりの再会。
    それぞれがそれぞれの人生の中で見つけたものは、
    共通するものと感じた。

    ここにあるもの。
    それをどう人に伝えていくか。
    師は「降りていく生き方」と表現し、
    私は「居ても居なくてもよい存在」と語った。
    突っ走っている中では、
    分かち合えなかったものを、
    復帰した今、71歳の師と分かち合えることが嬉しかった。

    肩の力は抜けた。
    トップランナーはリタイヤした。
    その覚悟と脱力感の中で、
    子どもたちの心と出会った。
    駄目でよかった。
    本当に駄目でなかったらこの境地は分からなかったと思う。

    3時間はあっと言う間であった。
    もっともっと語り合いたかった。
    しかし、新潟へ帰らなければならないのだ。

    外は強風と冷たい雨だったが、
    私の心は温かかった。
    改札で師と握手した。
    この温もりだけが人を育てるのだ。

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