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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2022年07月24日 14時18分16秒

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    これからもガチでついて行くぜ

    長岡駅前、クックテール久保田への旅だった。新潟駅から快速直江津行きに妻と乗った。本当は私は、行けない旅だった。しかし、不思議な巡り合わせで、行けることになった。久しぶりの電車旅。ホームを後にしたら、すぐに菊水一番搾りの缶を開けた。これから、また呑み鉄の旅が始まる。
    お目当ては、日向率いるこのバンドだった。これを私は、奇跡のバンドと呼んでいる。まぁ、大した才能の塊だった。何をらやらかしてくれるのか、ただひたすら期待しかない。いつも思う。あるものをあるものの形で提供するだけでどうするのかと。それをソフトに綺麗に、気持ちよく提供することは、何かの真似でしか過ぎないかもだ。
    やりたい事がある。しかし、それはまだここにはない。何だか感じてはいるが、それは何かを自分でも探したい。そして、それは独りでは出来ないことで、その音やパワーや驚きの発想から触発されて、初めて自分から生まれる音だ。その音を発見したしたい。その音と出会いたい。そのためにセッションはある。
    降りて来るためには、形に留まろうとする臆病な自分をまず粉砕することだ。この先の分からない音の旅に、もう旅だってしまった。旅は、冒険だ。もう後にはひけない。行くしかない。それも、無様かもしれないが、まず、自分を捨てて、どこまでその自分が走り切れるか、ただ只管、叩く、叩く。まさに、クラッシュ&ビルドだな。彼の炸裂するドラムがそれだ。未知であり、未開の宇宙をぐんぐん進む。
    この書く旅もそうである。この白い先には、まだ文字は書かれていない。私が、こうして文字を書くから、そこに言葉が現れる。これが、創造だ。未だ、どこにも存在しない音は、神からの音である。それは、真似からも、踏襲からも、スタイルからも、生まれないものだ。では、その激烈なまだ誰も聴いたことの無い音の響きと輝きは、どこにあるのか。それは、このLive会場に音にならないまんまに存在している。音は、音に成るのを待っている。
    奏でる。それは、その音を魂で感じた天才だけが出来ることだ。これは紛れもなく、そのピュアな音楽だった。産まれ出るその音は、奏でる彼女すら初めて聴いた音である。瀬戸際はある。そのギリまでは行ける。その先に何があるかは、そこを跳んだ者にだけ感じられる音である。彼女は、それを見事にやった。この音は、その音に成りたい音に触れている。その音は、まだこの世には無かった音だ。ならば、私はきっと奇跡に立ち会っているのだろう。
    降りて来るものに憑依する。憑依したまんま、それを暴れさせ、踊らせる。これが出来るのは、やはり選ばれし天の才だ。この人は、飄々と優しく笑顔の人だ。しかし、サックスを吹き始めると豹変する。彼はただの着ぐるみになり、彼は大いなるみなぎる偉大な力そのものに取り憑かれ、化ける。これも奇跡なんだな。舞台での名優がまさにこれだった。成りきるが、独りそれを見つめる自分がここに居る。音と一つになり、次々に止めどなく溢れて来る音にその指が追いつかない。しかし、それを「おい、おい」と楽しみ、感動する彼自身がそこに居る。今、ここの、この音は、二度とこの世には現れることの無い音である。だから、その音を楽しみたい。味わいたい。まさに、舞台と同じで、その音は消え、もうどこにも存在していない。
    面白いと感じて、やれると信じて、やれや‼️とリードする。コンダクターであり、名プレーヤーでもある。彼のベースには、心臓そのものの激しく力強い鼓動や血の騒めきが感じられる。「俺は、俺だ」「俺だけの俺を創るぜ」その挑戦する者の気概を激しく感じる。確かにそれは音であり、ビートであり、リズムではあるが、あの世界陸上の選手たちのようなアスリートとしての爽快感をいつも感ずる。「やるなぁ‼️」そうしてやりきる稀有な男を、私はいつも観ている。この男が、奇跡なんだな。圧倒するそのカリスマとパワーは、そんじょそこらのものでは無い。彼と誰を比較出来るか⁉️まぁ、どこにも居ないな。だから、その存在感のまんまに、この独自なグルーブでダイナミックな音は存在している。
    やはり、独自であることだ。それは、絶対に楽なことではない。いや、どんだけ険しい道であることか。同じでは無い。今、ここで、感じたまんまに、それを音にしたい。このピアニストは、音を詩にして語ることの出来る魔法の指の持ち主だった。その音は深い深い音楽性と豊かな感性に支えてられた音である。ビル・エバンスを感じた。その音には間があり、音と音との間には、彼だけにきっと聴こえる音がある。彼はとってもいいやつだ。優しく、いつも笑顔で周りの人への配慮を忘れない。その人間性が音になる。人間は、あるものしか現せないものだ。彼の奏でる音を聴いていると、心がホッと、優しくなれる。それでいて、これでもか、これでもかと、自分に対するチャレンジは、やめない。お客様に演奏を聴かせるとは、それはピアノの音と対話しながら、新たな自分自身の発見でもあった。その音が、今、ここの彼なんだな。どこまで偉大なピアニストになれるのか、私は死ぬまで彼を見ていたい。
    さて、仕事で遅れてきたパットメセニーだ。昨日の50名近くのお客様は、まさに音楽を聴き込んだベテランの大人たち。一流ホテルのバーのようなその場所に、奇跡の舞台に舞い降りて来たばかりで、よくあのギターをやり切った。彼がだんだん超えていく彼となることを、目の前で父は感じた。よく私が言った言葉がある。「歌を歌え」。それは、心の中にその歌・その愛・その想いが無ければ、出せない音である。音は、その人だ。どう生きているかが、何を感じて生きているかが、その音になり、フレーズになる。私は、その長いソロに追い込まれ、立たせられた彼が、少しずつ逞しくそれを受け入れ、その自分を超えた音を追究する旅をしたことを、嬉しく感じた。彼は、確実に自分を超えた。
    奇跡とは、天から降るもの。まだ誰も見たことも聴いたこともないもの。そして、それはある目撃をする人たちの前で事実として展開するものだ。奇跡は、ここにある。彼が彼女が醸し出す音は、まさに豊穣な奇跡の音だ。だから、深く深く感じて雄叫びを上げる。感動で体が震える。それをこの体が味わいたいから、長岡まで夕方出かける。
    ストラビンスキーの「春の祭典」だ。初演は全く新しい世界に理解できないお客からの大ブーイングだった。しかし、この音楽は新しい世界の幕を開けた。全てを変えて、全てに新たな息吹を吹き込んだ。私は、彼等の演奏に、ストラビンスキーを感じた。日向が言っている。「ついて、来いや‼️」だな。
    帰りは初めて長岡から新幹線だった。そう言えば、新幹線に乗ったのは、何年ぶりのことだろうか。
    奇跡に立ち会った後には、胸がいっぱいになる。今、目撃したことは何だったのか?その答えを見つけるために、これからも追っかけを続けるつもりだ。10月には隅田川JAZZフェスに出場するそうだ。その次は、ニューヨークだな。😃

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  • from: クマドンさん

    2022年07月24日 14時17分13秒

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    私が変われば、子どもも変わる

    今日から夏休みだ。と言うことは、私は仕事から離れることになる。子どもたちが居る間の支援員の仕事だ。だから、今日からまた元の仙人、フリーターだな。朝、時刻を気にして生活しなくてもいい。こうやってこれをゆっくりと書ける。子どもたちに話たが、1日の生活時間とやることを自分で決めて、それをやれる。時間には縛られないが、なかなか難しい生活でもある。またまた、あの5月までの生活が始まった。
    私は、47歳の講師の彼と、しばらく会えないので、話す時間を作って話した。それは、子どもは、変わると言う話だった。たった2ヶ月間で、子どもたちは見違える程に成長していた。それは、子どもが本来持っている力だった。しかし、それを見つけ、それを信じ、根気強く育てる力のある先生と出会っていない。だから、子どもたちは、伸びない、育たない。先生とは、子どもが持っているが、まだ表には現れていないその力を、引き出せる人のことだ。だから、その技量を磨く。その感性や感覚を豊かにする。それが、日々の教室なんだな。
    「この子は、きっとこれが出来るはずだ。」ます、それを見つける。それを信じる。するとこの子の行く道が明らかになる。その目当てに向かって、今、ここで、何を学ばせたらいいのか。具体的にスモールステップで課題を用意し、それを継続的に学ばせる。すると、今はまだ出来ないことが、ある日、ひょいと出来るようになる。
    名前をひらがなで書けなかった、2年生みよちゃんが、その名前を黒板に書いた。それが、昨日だった。その字に、私は体が震えた。ここまで2ヶ月だった。でも、私は言いたい。どうして彼女は、2年生になるまで、ひらがなを読めず、書けないまんまに置かれていたのか?それは、彼女に本気になってひらがなを読ませよう、書かせようとする先生に残念ながら出会っていなかったからだ。
    出来るは、出て来るだ。無いものは、出ては来ない。今、ここにちゃんとあるのに、それに気付いてやる大人がいなければ、それは、いつまでも現れては来ない。ひらがなを読み書き出来る力は彼女にはあるのに、周りの大人がそれに気付かず、諦めていたら、そるは彼女の出来るには、ならないことだ。だから、その力を引き出し、出来るようにするのが、先生の仕事。職人技だな。
    教室に入れなかった5年生の愛ちゃんも同じだ。彼女に大人たちは振り回され、困っていた。だから、彼女が逃げ出さないように彼女のご機嫌をとっていた。彼女がそうなったのは、彼女をそうさせた大人の責任だな。誤学習なんだ。わがままをすると、大人は気を使う。泣いて暴れると、大人は言うことを訊いてくれる。大人はいつもはらはらしながら彼女を見ている。しかし、だから、彼女はその大人が困っている行為を続ける。コントロールして来たのは、彼女だった。
    だから、私は約束を作った。直ぐに教室に入れたら、褒めてご褒美のシールを生活カードに貼った。それから、交流の教室に「行きたくない」に聴く耳を持たず、「行きましょう」「行きます」と、笑顔で繰り返した。そして、支援員の先生や私が、手を繋いで一緒に行った。そこで、不安にならないように、励ましと笑顔で共にいた。無理なことはさせず、まず、そこで出来ることを少しずつ増やした。その内に、出来ることに自信が出て、楽しくなって来る。ここまで、ちゃんと導いてやることだ。後は、出来る楽しさを味わった彼女は、交流の体育も、音楽も、家庭科にも行く。それは、私が「行かなくても、いいよ」を言わなかったからだ。
    子どもは変わる。大人は変わらない。これは、仕方ないことなんだな。固い頭の先生が、多過ぎる。いや、それを固いと気付かない先生が、多いんだ。それは、周りの先生方が、一生懸命に、真面目に、本気に、真っ向勝負で「教える」ことに真剣だからだ。実は、本当は、そこには無いんだが、なかなかそれが分かることは難しい。私は、楽しんでいる。遊んでいる。ダジャレを言っている。「おもっしぇ、おもっしぇ」と喜んでいる。こんないい加減な先生が、居ない、居ない。まぁ、きっと「あんな先生もいたんだ⁉️」と、好奇な目で見られていることもよく分かる。でも、本当に子どもたちに好かれ、信頼される先生って、こんな先生なんだとは、なかなか真面目に生きた先生には、分からないことでめあるな。先生としては、成ってはならない見本が私だ。しかし、子どもには人気がある。それは、どうしてだと思う?
    子どもから嫌われている先生の言うことは、子どもは聴かない。だから、何ヶ月経っても、子どもは伸びない、育たない、成長しない。それは、子どもにその気にさせていないからだ。子どもには自ら育つ力が豊かに、ふんだんに、無尽蔵に与えられている。しかし、教える先生は、その力を働かされない。それは、教えないと分からないと、勘違いしているからだ。知りたい。学びたい。出来るようになりたい。そのやる気を喚起して、ボウボウと燃やせばいい。それが、いい授業なんだ。そんな授業が出来るのが、職人であるプロの先生だ。本物の先生の授業は、大人が受けてもワキワクする歩道楽しいもねだ。だから、いい授業が出来る先生に成れ。
    2ヶ月間で、こんなに子どもたちは、生き生きと変わるものだ。その事実を、彼は目の当たりにしている。それは、わたしがしたことではない。本来子どもたちが自然に持っている力が、発揮されただけである。出来ないのではなく、出来なくさせられて来ただけだ。自分が自分として、出来るように育ててくれる先生に、出会っていなかっただけなんだ。だから、先生には真摯に自己を見つめてもらいたい。書くないのではなくて、書く力を育ててもらえなかっただけなんだ。
    「いいかね」と、私は退勤時刻を40分過ぎても、さらに話した。子どもたちが、こんなにいきいきとした笑顔になり、やる気を出して、勉強をするようになったのは、きっとそこには、私が苦心し工夫した手立てや方法が必ずある。この子には、これを。あの子には、あれを。そして、試してみてはその反応や結果を評価する。特別支援教育は、この子だけのオンリーワンの教育なんだ。通常学級のように「ここまで来たら百点」の一斉で、決まった基準で、競争させる教育ではないよ。この子は、そのまんまで百点なんだ。では、百十点にするにはどうするか、それをその子のためだけに考えて、学ばせ、それを出来るようにさせる教育が、これなんだ。
    変わるのは、私だ。私が変われば、その子は変わる。臨機応変。その子がいたら、その子に応じる。それまでの経験や体得した技量はある。しかし、この子には新たな、真っ新な気持ちで向かう。その時、私が変わる。私の中から何かが生まれる。「ああ、そうか‼️」が出来る。すると私もあの向日葵のようにズンと育つ。だから、子どもといると楽しいんだな。
    彼は、ずっとメモを取りながら、真剣に話を聴いてくれた。実は、彼は私が25歳で臨時の先生をしていた時、水泳部の顧問をした時の教え子だった。それを彼から言われた時は、驚いたものだ。いいやつなんだ。でも、生きるのが少し下手くそかな。だから、ほっておけない。彼にはズバズバと教える。やらせる。五十六の言葉そのものだ。
    彼には先生としての泳ぎ方を教えている。人間の出会いとは、不思議なものだ。まさか、30年後に水泳ではなく、先生の道を教える立場になろうとは。これだから、人生は面白い。😃
    昨日、シンコンサートだった。ボサコルの素晴らしいLiveだった。😃

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  • from: クマドンさん

    2022年07月24日 14時16分00秒

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    理想は、寺子屋だ

    さてさて、梅雨が明けたら長雨だ。なかなか思うようには進まない。今朝も涼しい朝である。35℃の猛暑の連日を覚悟していた。しかし、天気は平年並みに戻った。これが、自然の成り行き。この先、どうなるか分からないを生きている。
    たがら、臨機応変なんだな。その場、その場。その機、その機。それが向こうからやって来て・私の前に立っている。そしたら、「こうだ」がやっと言える。それに応じたやり方は、経験知や体験の中にストックはある。だから、それが来ない内に悩むことはない。それは、この天気のように、全く予想していない顔でやって来るからだ。
    来たら、「それでは」とそれに応える。しかし、この時に、決まったもので対応しようとすると、間違い、場違いになることが多い。ただ、「あっ、そうか。」とその時に気付いたことを、気付いたまんま、さっさと行う。間髪を入れない。直ぐにそうする。それが、応変だな。
    変わるのは、私だ。どうやっても変わりようがないのがあなただ。しかし、この私が柔軟に変わると、ガチガチに固く構えていたあなたも変わる。そんな経験を何度もしている。笑顔なんだ。相手への思いやりなんだ。優しさなんだ。「愛語には、回天の力あり」by道元だな。良寛さんは、その愛語の実践者。「敬天愛人」と西郷が言ったその人だ。変な意味ではない。「愛する人」になればいい。これが、本来の人間の生き方なんだな。
    さて、明日から夏休みになる。振り返ると、またまた私は不思議を生かされていることを感ずる。また、学校現場に戻り、支援員と言う立場で、子どもたちを日々育てている。そうなろうと思っていたからこうなったのではない。4月に元同僚のN先生からのSOSが届いた。話だけでもと校長室を訪れ、事情を聴いたら、ほっておけない状況になっていた。それが、必然なんだと、私は感じた。だから、この仕事をやることに決めた。4月にはそろそろディサービスに戻ろうかと考えていた。しかし、小学校の特別支援学級に戻った。人生、そんなもんなんだな。
    とにかく、子どもたちのために、大改革を実行した。詳しくは書かない。しかし、まず、私が前に向かって進めることを、委ねられていた。歳を重ねることは、いいことだ。大局のためには、遠慮は要らない。バスバスと断行する。もし、担任が頑固で俺がの融通の効かない先生だったら、こんなやり方はしない。それなりに、相手を立てなかながら、緩く、ゆっくり、ズバッとやる。しかし、私は2ヶ月、つまり、夏休みまでに結果を出して、辞めさせてもらうつもりでいた。その日が、今日だった。しかし、グループホームの面接が無くなり、路頭に迷った私は、校長に、「12月までやらせて下さい」とお願いをした。これもまた、予想外の展開だった。
    それでは、子どもたちは、この2ヶ月で変わることが出来たのであろうか?それが、見事な程に、見違える程に、成長したのだ。子どもは、変わる。ちゃんと愛情を持って、育てる技量と経験を持つ先生が、育てるならば、子どもは必ず、変わる。成長する。だから、もし、子どもが善くならず、成長しないならば、それは育てている先生、あなたの問題なんだと、気付くことだ。
    臨機応変が出来る先生は、柔軟に生きている先生だ。だから、目の前の子どもが、よく見える。よく感じられる。実は、この時、その子の目には見えない何かをちゃんと見つけて、それに対して適時な言葉かけや、指導が出来るようになるために、先生は、人間の修行をする人だ。しかし、大部分の先生は、それに気付かない。残念なことに、その子や親のせいにする。この子が苦しんでいるのは、あなたが担任だからだよ。それが、分からない。
    人間同士。そこにしか、本来の信頼感は生まれない。まず、この子から好きになってもらうことだ。先生と子どもたちに深い信頼感が感じられる時、その学級には奇跡が起きる。子どもの秘めた実力は、そこいらの先生は足元に及ばないすごいものだ。それを、信じられる先生に育てられた子どもたちは、信じた以上に育ってくれる。4月には学級には無かったものが、9月には体現され、当たり前になっている。それが、愛語の力だ。私は、ずっとそれを見て来た。それに感動して来た。それは、事実だ。そして、それが出来る人だけを、先生と呼ぶ。
    では、子どもはどんな先生や親や大人を信頼するのか。それは、その子の善さを本気で認め、その子の力を信じて、時には優しく、時には厳しく、ちゃんと向き合ってくれる人だけに、子どもは全幅の信頼を寄せる。まず、これがお互いに無い間は、教育なんか成り立つ訳はない。「言ったから、教えた」ではない。「変わったから、教えた」なんだ。2ヶ月で、学級の子どもたちは、確かに変わった。成長した。愛語、回天の力ありだ。64歳、この歳で先生をやると、この先生の面白さが、尚更、よく分かる気がした。
    朝、教室に入れなかったりんさんは、今は、「おはようございます」と笑顔で教室に入れるようになった。宿題を提出しないなおさんは、今では毎朝三枚のプリントを提出する。名前を書けなかったみおさんは、やっと名前に見えるひらがなを書けるようになった。(名前は仮の名前)やり残した漢字スキルを最後までやりとげて、りんさんはずいぶん自信を深めた。継続は、偉大な力だ。根気強く、その子を信じて、呼びかけ、やらせ、褒めて、またチャレンジさせる。うまくいかないこともあり、遅々と進まぬこともある。そんな時は、「まぁ、いいか」と、明日に期待する。子どもを信じるとは、そんな細やかな事の繰り返しだ。
    しかし、されど、なんだな。本当に私がその子が大好きで、その子の今は見えないが持っている力を信じて、「あなたなら、やれる」と根気強く向き合うならば、その子は、私の願い、思うように変わってくれる。その「出来た‼️」の瞬間にどれだけ私は、立ち会ったことか。その感動が、私をずっと生涯一先生にさせてくれた。私を私として育ててくれた先生は、私が出会った何百人の子どもたちだ。
    本当に子どもって、素敵なんだ。先生や親や大人は、子どもから学ぶ気持ちを忘れてはならない。子どもは、子どもとしての人間を精一杯生きている。その尊さに、深く深く頭を下げる。そして、その輝きをもっともっと光らせたいと思う。その子は、まだ自分の本来の輝きを知らない。だから、ほらと、その子に見せてあげたい。「すごいね。がんばったね。よくやったね」と褒められ、頭を撫でる。すると、本当にその子は変わる。
    その現場が、学校・学級。教室は、本当は先生の道場なんだ。私は、これまでの人生で、64歳の男性先生に会ったことがない。少なくても小学校では稀有なことだと思っている。しかし、この歳になり、またクマ先生と呼ばれていると、やっと道元や良寛の言いたいことが、分かったような気がする。歳を重ねないと、この機微は分からないものだ。「身心脱落 脱落心身」これで私があると、子どもも私も自由で嬉しい。「教えないことだ」と、いつもそう思う。「気付いて欲しい。」それが、願いだな。
    私は、一筋の道しか知らない。しかし、この道に果てはなく、味わえば味わうほど、深く、面白い気持ちになった。学校に車で行くのは面倒だ。もし、起きて顔を洗っていたら、子どもたちがやっ来る。それは、理想だ。寺子屋だな。だから、人生は、面白い。私は、知らず知らずに、やっぱりその一筋の道を歩いている。
    日々是道場。だな。😃

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  • from: クマドンさん

    2022年07月24日 14時15分00秒

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    笑顔で輝く人生を

    「人間は、面倒だ、面倒だ。」そう思うことが、ここのところ多くなる。それは、私のことを、ああだ、こうだと勝手に決めている人に出会うからだ。まぁ、そんなにかかわる気がなかったら、それはそれで、「まぁ、いいか」と思えるのだが、そうで無い人から、そう言われたり、思われたりすると、変に辛く、傷付くこともある。
    私は、人間は、基本的に分かり合えないものだと思っている。何故なら、自分自身のことすら、分かっていないのに、どうして他者のことが分かると言えるのかと、不思議に思うからだ。人間は、しかし、どうしても他者のことが気になるらしく、「あの人は、」と、その人のことを自分勝手に決めつけて、腹を立てる人を見ることがある。
    私は、その人は、きっと私と違う人だから、かかわり合いにならなくていいし、離れて生きていたらいいと、諦める。しかし、私がそう思っていることを感ずると、もっと執拗に私のことをとやかくと言って、批判したりする。また、誰かに私のことを、色々と困った人だと話をする。そんな目に、何度か私はあっている。
    そんな時に、私は、「面倒だ。面倒だ。」と感じる。人間は、みんな違う。本当にみんな全く違う人を生きている。だから、分かり合えたら、奇跡の人なんだな。だから、その違いをお互いに認めて合えるだけでいいのに、自分の思うように動かない私を、「あいつは、ダメだ」と切り捨てる。だから、人間は、面倒だ。
    しかし、私がお付き合いさせてもらっている、大好きな仲間たちは、そんな人では決して無い人たちだ。それは、それぞれの違いを、それぞれの個性や生き方と考え、認めているからだった。人それぞれと言われる。そのそれぞれだから、面白い。そして、私が大好きな人たちは、そのそれぞれに自分なり信念があり、筋があり、独自がある人たちだ。だから、リスペクトする。すごいなぁと感ずる。だから、話をしたくなる。この仲間たちは、愉快な人たちだ。この人たちと呑んで語ると、時間を忘れる。あの心からの楽しさって、いったい何なんだの大らかさだ。
    面倒な人たちとは、それが無い。息苦しさすら感じられる。それは、その人が、固い石で、私の話を聴こうとしない人たちだからだ。既に答えがある。言うことは決まっている。だから、私の話は、その人の耳には入るが、心には響かない。直ぐに私の話を遮り、自分が用意して来た話をし出す。そのことを私に分からせるためである。
    臨機応変は、私の仲間たちだ。とにかく、人生を長く生きていると、その引き出しが増え、懐が深くなる。すると、相手の話に共感し、共鳴することが多くなる。その時、その語りには調和が生まれる。話が和やかに進む。それは、「それは、間違いだ」「それは、正しくない」が、その話には存在しないからだ。「へぇ、そうなんだ」「それは、面白い」と、批判や裁定、決めつけでなく、それはそれとして、そのまんまを楽しく受け入れられる人たちだからだと、私は思う。臨機応変は、柔らかな心の人たちなんだな。
    それから、お互いにお互いの生き方に、興味・関心がある人同士だ。私は、ある日、「ああ、またこの人から説教されるな」と感じる人と向かい会った。「この人に、何を言っても無駄だな」と感じた。それは、彼女はその場で私に自分の非を正して欲しいと思っているからだ。しかし、私からはその逆の気持ちだった。彼女には、心優しい、柔らかな人に変わって欲しいと思っていた。しかし、彼女は絶対に変わる気はない。だから、疲れる。嫌になる。面倒に思う。しかし、私の仲間の人は、その反対を生きている。感じて動く。変わることが、自然に出来る。その会話を、楽しみ、愉快に感ずる。息苦しいどころか、お互いの心と気持ちが解放される。
    それから、よく思うことは、優しさだった。それはそれは、人には言えない苦労があった。絶望のどん底を彷徨い歩いた。それでも何とか耐え忍び、凌ぎつつ、今に至っている。やはり、苦労した人は、違う、違う。それは、体験を通して体得した生きた叡智に満ちているからだ。60代、70代まで生きて来た人には、言葉がある。それは、その人の人柄や個性、生き方から滲み出る言葉である。自分の人生を語ることは、自分自身を語ることである。そして、それをある意味で、俯瞰して振り返ることでもある。そんな自分の弱さも、失敗も、愚かさも、みっともなさも曝け出せる。その自由を感ずると、私も同じ自由になって、我を語れる。
    語れる人は、信頼出来る人である。私は、語れない人を知っている。その人は、私が何か語ると、理屈で答える。「それは、こうすべきです。」と判定を下す。確かに、自分を正しい人として、相手の人をジャッジする人とは、面倒だから話さない。その人には、当たり障りの無いことだけ話をする。それだけのお付き合いで、いい。
    もうすぐ65歳になる。さっきピンクレディーの恵ちゃんの話を聴いていた。私と同じ歳、9月で65歳になると聴いて驚いた。彼女は、「そして、これから‥‥」と言うタイトルのCDを発売する。残りの人生、どう自分なりに仕舞にするか、そんな気持ちをここで歌う歌に託した。そして、「歳を重ねると、確かに体力や気力が衰えて来るけれど、豊かになるような気がしている」と語っていた。いいこともある。そうでないこともある。しかし、それでも、いや、それだから、この今を生きている人生を楽しみたい。これは、64歳にならないと、そして、自分の人生の悲しみ・辛さ・孤独を受け入れていないと、なかなか言えない言葉だと、私は感じた。
    だから、私は、面倒な人たちは、もう懲り懲りだった。これまでの人生で、どれだけ面倒で、頭が固く、頑固な石の人に出会ったことか。その人たちからは、私は嫌われる人だった。いじめたくなる人だからだ。この1週間、どれだけ面倒な人たちとかかわらざるを得なかったことか。私は、ずっと辛く、重い気持ちのまんま日々を暮らした。しかし、これでいいはずはない。これでは、何の私の人生か、分からないからだ。
    そんな私に、仲間から、励ましのコメントが届いた。励ましと言うか、「私も、そらよ」のご同情のようなものかもしれない。そして、それを笑いにする。面白く語る。すると、私の見える方向が変わった。頑固な人たちに苦しんでいた私は、その人たちの達観して、飄々とした言葉に、何だか救われた気がした。気楽になれた。柔らかい人も、居てくれる。それは、改めての大きな気付きだった。嵐はいつか過ぎるものだ。
    昨夜、東京交響楽団の合唱団の練習日だった。私は、気力が余りなかった。りゅうとぴあまで行くのに気が重かった。しかし、会場でTさんに会って慰められ、松ちゃんと話が出来たら、何だか気持ちが、スーッと軽くなった自分を感じた。有り難い人たちだ。大人だから、面倒なことは言わない。察してくれる。共鳴と同感、同情だな。それは、鬱になり、弱っていた私への労りと、心配、優しさ。これは、人間、効くものだ。
    恵ちゃんは、ベランダで薔薇を育てている。「生きているものは、息をしているものです。だから、愛情をかけるとその分は必ず応えてくれます。」これは、花や野菜を育てた人ならきっと実感していることだ。「毎日、毎朝、ベランダに出て見ていれば、ほんの少しの変化に気付きます。」「病気もすぐに見つけられます。」「手をかける。愛情を持って育てる。本当に愛は、大事なんだなぁと思います。」
    「薔薇の茎は、しなやかでとっても柔らかいから、嵐にも耐え凌いで生きています。」「真っ直ぐに、凛と咲く。抗わないで素直に生きる。」「薔薇から学んだことです。」
    「私は、これからも笑顔で輝く人生を送りたい。」これも、薔薇が教えてくれたことだそうだ。
    私は、どこかで勘違いに落ち込んだらしい。本当は、この面倒な人たちとの出会いで、私は、学ぶことがたくさんあった。この仲間たちの笑顔と、優しさを改めて、私は感じた。そして、怒る人だけでなく、助けてくれようと、心配してくれる人がいることを少し忘れていたようだ。
    それに、この面倒を感謝に置き換えてみる。すると、その一つ一つには、そうなる意味があることも感じられた。その事に感謝出来たら、今の私の置かれている景色は変わる。「そして、これからは‥‥」今、ここに落ち込んで、悩むだけより、この先の予想外の変化を期待して、それを手放すことも大事なことだと思うことにした。
    人間、万事塞翁が馬だ。これから、何が起きるか、それを期待して生きたいものだ。松ちゃん、Tさん、また安兵衛で語り合おうよ。😃

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  • from: クマドンさん

    2022年07月24日 14時13分28秒

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    自分の中の光に気付く

    さてさて、今朝は少し暗い話になる。何だか、思うように行かないことが、このところ続いている。そのことを思うと気が重い。気持ちにも軽重があるようで、今は、重くなっている。ふと思うと、ため息が出ることもある。これも私なんだとは思ってはいる。「雨の日は 雨の中を 風の日は 風の中を」みつを だな。お天気は様々である。あの猛暑が続いたと思ったら、この雨の日々になった。臨機応変だな。気持ちは、軽い日もあれば、重い日もある。そんな軽重を、私は生かされているのだなぁ。
    ラジオ深夜便「明日への言葉」を、私はA4の紙にメモをしながら聴いている。こんな日には、その言葉一つ一つが、心に染みる。書き留めた言葉は、今の私には、萎えた気持ちを活かし、奮い立たせる言葉だった。人間は、不思議だな。言葉が、その人に生きる力や希望を与えることがある。今は、私は独り落ち込んでいるから、その言葉一つ一つが、まるで私のためのよいに心に響く。暗い話だが、それを書くことにする。
    「神様に導かれて」これは、ハンディーのある子どもや大人に書道を教えている書家の言葉だ。高校の数学教師を目指しながら、ずっと特別支援学校の道を歩き52歳になった。どうして障がいのある子どもたちに書道を教え、展覧会をひらけるまでに成ったのか、分からない。ただ、それは、私ではなくて、神様がそうさせてくれたのだと思う。私も、それを信じて生きて来た。そして、振り返れば、そうなっていた今、ここ、私だった。
    しかし、そんな神様の計らいに対して、「どうしてですか⁉️」も今は、確かに出会っている。この私が望んでもいない、よくはないことも、実は、神様の導きなんだ。感謝なんだと、信じられる私になれるかどうかだな。
    一昨日、離れていた小千谷の師に5ヶ月ぶりの電話をした。確かに喜んでもらえたが、一方的に話をされた後、「では、また」と直ぐに話を終わらせられた。以前は1時間余りがざらだった。しかし、今は、久しぶりの電話も迷惑な感じがした。どうしてこう成ったのか、思い当たることは無い。2月のある日、「寝仏になりましょう」と言われ、向こうからお付き合いを絶たれてしまった。一生の師とは思っていたのに、残念を通り越して、悲しみでもあった。「人に裏切られたことはない。自分が誤解していただけだ。」だから、その誤解を解きたいと願う私だ。
    教会の先生ともそうだった。私から離れる形になってしまったが、この1ヶ月半に、そう私にさせることが、不思議と次々と起こって来た。その度に、私が彼等の対応に腹を立てて抗議した。それはお互いがお互いで我をはった結果なのかも知れないし、それは私の大いなる誤解であるかも知れないが、私は、今、その教会を離れた。またまた放蕩息子に逆戻りだ。しかし、こんなことに成るとは、全く予想すらしなかった出来事だ。今は、それこそ、神様の導きを待っている。
    昨日、交通事故の調査のための、保険屋さんからの調査員が訪ねて来た。70歳過ぎているかな。ベテランで、落ち着いた人が、私に事故当時のことを聴きに来た。この話は、長引くことになるそうだ。相手の気持ち一つ。私は、ただ誠意あるのみだ。どれだけの賠償金になるかは、分からない。それでも、それを受けて、支払わねばならないとは思っている。私が全くコントロール出来ないことだ。それを思うとストレスで、鬱になりそうな予感がする。どうにもならない状況は、自力では解決出来ないから、尚更、色々と考えて、気持ちが暗く、落ち込むものだ。
    さて、昨日、調査員が帰ってから、一本の電話があった。グループホームの採用担当からだった。実は、短時間のパート希望が多過ぎるので、今回は短時間のパート希望の面接を断わることにしたと言う電話だった。「そうなるだろうなぁ」と思っていたので、「分かりました」とただ答えるだけだった。「人が心に想うことは、誰も止めることが出来ない」本当にそうだった。
    私が想うから、私が生きるのではなく、そうであることも確かにあるが、私の想いとは関係なく、人生は、さっさと先に進んでしまう。私がどう想おうとも、私の想いとは裏腹に、人生が進むことも多い。そして、そんな理不尽と不条理が、これでもか、これでもかと、重なることがある。すると、弱い私は、途方に暮れる。
    確かに「人生は、人と人との出会い」である。よき出会いはある。しかし、そうではない出会いも多くある。その気持ちの重い出会いからは、私は自ら離れることにしているが、その人が好きであったり、どうしてこんなことになってしまったのか分からなかったり、私ではなくて、相手の思惑により結果が左右されることがある。この時なんだな。落ち込んでしまうのは。気持ちが暗く、鬱になるのは。今は、それだ。
    「自分がコントロール出来ることをやる」プロ野球解説者の宮本さんの話だった。「自分はこのスタイルだと、自分を変えないバッターがいる。」「しかし、変化する勇気が必要だ。」「ダメだったら、違う方法を考える。」「それがダメだったら辞める覚悟で変化する。」
    「変えることは、容易ではない。」本当にそうだった。特に、それまでの自分の生き方や考え方があるベテランになればなるほど、その変化が難しく、その変化に抗い、その変化を受け入れまいとする。彼も、オリンピックのチームでキャプテンとして立たされた時、頑固な自分を変えることを自ら強いたそうだ。
    「臨機応変ですね。」本当にそうだった。向こうが変わる。いや、向こうは向こうのまんまで変わらなければ、その向こうとうまく、整えながら、調和しながら、やるためには、変化すべきは、私何だと言うことだった。「その時のベストは、何か⁉️」私には「その時のベターは、何か⁉️」がちょうどいいようだが、とにかく、向こうから来た球に、臨機応変にバットを振ることなんだな。
    「落ち込むことはない。失敗を反省して、またバッターボックスに立つ。」それが、「人としての成長になる。」やはり、プロ野球の世界でゴールデングラブ賞10回のキャリアだな。野村監督に厳しいく育てられた人の言葉だ。「次の一球に何が来るか」ちゃんとそれを考え、予想して、臨機応変に対応するバッターが、3割を打てるバッターだった。
    プロ野球では、3割バッターが、一流バッターだ。3割打てたら優秀なバッターなんだ。人生も同じだな。後の7割は三振・アウト、失敗だらけ。そうは考えると、私は生涯1割にも満たない位のしょぼくれ三流バッターだな。9割が失敗だ。しかし、きっと大部分のみんなも似たりよたりだとは想う。それでも、いや、それだからこそ、いかに臨機応変にその時に対応出来るかであると思う。向こうは変わらない。ならば、私が変わるだけなんだな。
    それが、自分自身を無にして、柔軟に生きる生き方である。「一隅を照らす人になる。」これが、私の死ぬその日までの目標である。「自分は、要らない。」「自分自身を意識しない。」「人にはどう思われても構わない。」「そうやって生きるそれ自身が、私自身なんだ。」だから、「今の自分を受け入れる。」「ベストを尽くす。」「自灯明」「自分の中の光に気付く。」これは12年籠山行の達成者、宮本祖豊さんの言葉だ。
    不思議とこの言葉が、私の心に響き、書き留めておきたい衝動に駆られたのは、私の心が落ち込み、鬱になり、何かに飢え乾いていたからだと、今、気付いた。弱った心や気持ちには、言葉なんだな。言葉は、そんな私に語りかける。そして、私にその言葉の本当の意味を教えてくれる。
    師のこと。事故のこと。教会の先生のこと。面接が無くなったこと。これを通してでなければ、この愚かで頑固な私が、変わらないから、これがある。そう思えば、全てのことは、「神様のお導き」と、感謝すべきことに変わる。
    きっと私が成長するためには、この苦難や試練に期待しつつ、耐え忍ぶ長い長い時間が必要なのだと思った。凌ぐとは、蔓を伸ばして、暑さに耐えながら生きるあの朝顔やインゲンの蔓の生きる様子を表しているそうだ。蔓を伸ばす。手を差し伸ばす。それでも、耐え凌いで、諦めずに生きる
    。その底力は、長い月日を耐え凌いだ者だけに、身につくものだ。
    凌ぐ。凌ぐ。凌ぐ。するといつかきっと灯りが見える日が来るはずだな。😃
    コメント5件
    川崎 洋子
    そういう状況のときは、足掻いても仕方ないので、嵐が通りすぎるのを、待つしかないですよね。嵐が過ぎたあとには、自分の悩みのちっぽけさに、気付きますよね😊 先輩に、生意気な一言でした〜😅

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  • from: クマドンさん

    2022年07月18日 13時49分10秒

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    jazzスト2日目

    jazz streetの二日間。何とまぁ、音楽に浸り切った二日間でもあったな。Liveを感じる。それは、とっても幸せなことだ。それも千円で、梯子が出来る。大好きな歌手や演奏者を追っかける。これがあるから新潟市は、楽しい街である。
    長男がjazz streetに出演するようになったのは、もう2年前になるだろうか?あのスケジュールの冊子に名前が載っていた。嬉しかったな。誇らしかったな。いつの間にか、あのjazzの皆さんの仲間入りをしていたとは。親は、息子の活躍が嬉しいものだ。彼に言ったことがある。ダイアナ・クラールのギターリストに成れって。それは、歌を活かすギターであり、気持ちよく歌えるギターでもある。彼は、昨日のグループで、そんなギターリストになっていた。
    これからどんなに進化するのか分からない。ある意味で終わりが近い父からすれば、その頂点を見届けられない寂しさもある。そのグループのドラムスは、北葉町の焼き鳥屋「すずどり」の息子だった。そちらもあの親父さんがビデオカメラをセットして、その横に奥さんが座っていた。親にとってのこれは、何よりもの親孝行だった。
    音楽を私は日常生活でもずっと流して生活している。クラシックをFMで聴き、CDで聴く。千枚プロジェクトは、まだまだ道半ばだった。私にとって音楽とはいったい何だろう。きっと私は死に向かう病床でも音楽を聴いていると思う。葬儀で流してもらいたい曲も何曲かセレクトしている。心地よく、感謝しながら、お別れをしたい。その時には、やはり音楽があるはずだ。
    さて、素敵なボーカルだった。やはり、その声の表情や質感が、その歌を決める。ボサノバもいい。アニソンもいい。自分なりの世界観を感じられた。歌を歌う。それは、自分が自分を生きることかもしれないな。自分が自分であることは、幸せなことである。そして、その想いをこうして歌にしてお客様に伝えられることは、幸せなことだ。そして、それはまた、聴く私の想いでもある。心地よいのは、その音楽に自分を託すことが出来るからかな。これからも期待される歌い手だ。人生の年輪が深くなると、きっとこの声の響きも変わるはずだ。
    jukeboxは、4年前のシンコンサートで演奏してもらったメンバーが参加しているグループだ。大好きな濱田さんがキーボードを演奏している。音楽を楽しみたい人には、まさにこれだ‼️のグループだった。ソプラノサックスがいい、フルートが美しい、そしてトランペットがまるでサッチモのように柔らかで温かな音色で会場いっぱいに響き渡った。「道」のテーマが哀愁だった。wonderful Worldは歌心満載だった。時代劇のテーマ集では、大活躍の主役を演じた。67歳、まだまだ現役のドクターだそうだ。
    もしも私がピアノを弾けたら。サックスやギターを演奏出来る人であったら、もっと日常生活は、豊かになるかもだなぁ。楽器を鳴らす。それは、きっと自分との対話ではないだろうか。息子は、暇があると部屋に篭ってギターを弾いている。夢中に成れものがある。それも、自分の気持ちや想いを表現出来るものであり、美しさを感じるものである。私も教室の私の机の上にキーボードを置いている。バイエルを弾いたり、簡単なアレンジのクラシックを弾いたりする。下手だから、何度も何度も同じところで間違う。それでも、その部分をマスターすると、歓びを感ずる。
    人間とは、自分自身を表現したい人なのではないだろうか。それも美しく。音楽は、調和だ。調和しないものには、違和感や不快すら感ずる。しかし、その調和の法則はない。ただ、美しくと感じられるものが、調和するものである。調和が、美しさではないだろうか。人間は、それを体では知っている。だから、その調和の美しさを探して求める旅に出る。それは、既にここにあるものだ。それを、見つけ、それに感動し、それを味わう歓びを知る人たちが、この演奏する人た父何だな。
    市民プラザのあの若者たちのビックバンドに、本当に心の底からのときめきを感じた。それは、全く新しいWAVEの胎動だった。何なんだこの音のうねりは、大きな波は‼️今、ここに、あの若者たちが心一つに、何か未だこの世界には存在していない怪物を、目覚めさせ、蘇らせようとしていた。その怪物が生まれ、動き出し、暴れ出す。これは、誰もまだ感じたことのない、新ただ。ここから始まり、どこまで行くかは、誰にも分からないいのちの雄叫び。やるなぁ。ひなた。すげかったな。
    そして、私は、マーラーの5番だった。三列目、バイオリンはすぐ目の前。ソプラノ歌手が、私を見つめて子守唄を歌う。何度も落ちたな。そして、ノットの激烈な指揮によるマーラー5番だ。何と言う1日だろうか。12時にワインを2杯。ホットサンドを食べただけで、上大川前通・音文・市民プラザ・りゅうとぴあと音楽をもとめて行脚した。私は、あのアダージョが響かない枯れ果てた心を感じた。聴く私のコンデションも大事なことだ。楽団員も疲れてるいたな。皆、楽譜だけを見つめ、ノットの指揮を誰も見ていない。指揮が踊る。不思議なコンサートだった。
    疾風怒濤の1日を、またやっちまった。本当に懲りない人である。1週間に、呑み会3回。交通事故1回。教会の先生に役員を返上することと、しばらく離れることを告げた。jazz streetで、6つのLiveを周り、呑んだ酒は、スコッチ3杯、ワイン5杯、それでもセーブした量だ。そして、マーラー5番を聴き、帰りには、松ちゃん、丸ちゃんと、本町の焼き鳥屋「横綱」でこの1週間を総括した。私にとっては、「じゃがいも畑」のマスターとの出会いは、大収穫であったな。
    よく生きている。よく肝臓がもっている。まぁ、太く短く。今、ここ、自分を生きていれば、それでいい。松ちゃんと話した。「自分に正直に生きることらね」。これが、この疾風怒濤のLiveな1週間の結論かも知れないな。やりたいことは、やる。やるなら、とことんやる。自分に嘘はつけない。だから、自分らしく、真っ直ぐに生きる。すると周りで嵐が起こる。耐えるものには、耐え、誠実に対処すべきは対処する。時には、真っ向勝負もあり、訣別・決裂もある。そして、仲間たちと呑んでは語る。自分自身を曝け出す。そして、深く深くの共感で、何だか独りではないと安堵する。
    これを、jazz Liveと言わなくて、何と呼ぶの生き方そのものだ。よくぞここまで辿り着いたものだ。人生は、Liveだ。俺の歌を聴いてくれ‼️きっと死ぬまで、周りの人から呆れられながら、その Liveを全うして死ねたら本望だな。
    本日は、仮死状態のまま、息をしてじっとしているは。😃

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  • from: クマドンさん

    2022年07月18日 10時35分43秒

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    ジャズスト1日目

    前夜の楽しい呑み会のおかげか、日頃のお疲れ様のおかげか、朝、草取りをしてから、朝飯を食べて、布団の中で新聞を読んで眠ってしまった。本当に色々あった1週間だった。劇団のSさんとの呑み会。Kさん、Yさんとのご宴会。それにしても、肝臓の強さには驚いている。翌日は、スッキリだ。しかし、64歳、無理が効かない体になっているはず。休む時には、素直に休もう。
    新しい息吹だ。この若気が実に斬新に、新鮮に響く。何かを生み出そうとする活力は、若気のものだな。自分たちの力が、どんだけのものなのか。楽しいだろうなぁ。こうして演奏することは。彼等のデビュー時代から、知っている。長男が仲間の1人に入れてもらった。若いとは、これからと言うこと。若気とは、至らねばならないと言うことだ。サックスとトランペットのハーモニーに体か震えた。ピアノには、いつも深いリリシズムを感じた。彼は、ピアノで歌を歌う詩人でもある。ドラムのパワフルなリズムと、独特の世界感。ドラムには物語だ。ベースの迫力が、全ての音を支えて生かす。違うことの調和かな。jazzは、やっぱり面白い。
    ブルースは、それだけで居心地の良さを感じさせる。これは、あの貧乏学生で東京の片隅で燻っていたあの頃の私だ。やさぐれていた。何をしたいのか分からなかった。それでも、ATGだった。池袋地下や高田馬場で映画を観ていた。寺山修司、藤田敏八、黒木和雄。映画館の暗闇に青春ありだな。その切ない歌の物語は、まるでスクリーンに描き出されたやさぐれた恋だった。いい響きだ。ジーンと心にしみる。あの時代を味わった人は、このほろ苦く懐かしい味わいを知る人だ。隣りのカンカン帽の親父が、酔っ払って、ブルースに酔っ払っていた。この男の青春を聴きたい。相手は浅川マキのような女だったりして。シャンソンは、人生だ。悲しみがあるから、歌がある。ピアノが本当に素敵だったな。語る。囁く。踊る。見つめる。そんな仕草が、心のスクリーンに投影された。これを歌える人は、直子さんだけだ。「裏窓」は、女がボーっと独り、夕焼け色で黄昏れている。まさに、癖になるなぁの歌だった。
    3杯のスコッチウイスキーは、注文する度に少コッチではなく、量が倍増されていた。これぞA 7のマスターと猫ちゃんの心意気だな。歌に酔いしれ、酒に酔いしれ、酩酊酩酊、心地よい。いつかこの肝臓が、爆発する日が来るかも知れない。仲良くはしてらいたいが、「長い間、お世話になりました」と頭を下げられる日が来るな。出来れば、事故のまだ起きていない先週の土曜日に戻りたい。そしたら、ちゃんと右を確認してから左折する。ああ、人生にはもしもはないな。しかし、そんなもしもが、どれだけあることだろう。だから、今だけにする。過去はもう無い。未来もまだだ。今、ここ、酩酊する自分だけ。ただ「成るように、成れ‼️」だな。
    本格的な大人味で濃厚なjazzだ。大人とは、遊びを知り、ゆとりを生き、自分の世界をしっかりと持って生きている人だ。あるものしか、現れては来ないものだ。あるものが、顕に歌となり、音楽になって現れる。すると、やっぱりその音楽を聴きに来たお客様も、やっぱり相当な大人たちだった。この味わいは、人生の翠と甘さを知る人だけが、味わえるもの。あんなこともあった。こんなこともあった。それにしては、よくここまで生きて来られた。生き延びた。夫と死別して独りを生きたり、妻と離婚してやもめであったり、癌を宣告されて余命数ヶ月だったり。人生とは、そんな寂しさや悲しみの物語の連続だ。だから、歌を聴く。心に深く深く沁みる清水さんの歌に慰められる。私は、三胡さんに恋している。この胸にプチッと空いた穴がある。懐かしい虚しさだな。彼女に酩酊してそれを話した。それだけ、心を酔わせる音色だった。
    丸ちゃんと、巡ったjazzの旅だった。エイゲツドウの前菜五百円。チーズパスタ、シェアして五百円。ワインを3杯いただいた。素敵なお店だ。お嬢さんが、ポルトガルのバレー団で、プリマである。その写真が壁一面に飾られている。また来ようと、丸ちゃんも言っていた。彼も、昨日のjazz旅には、大満足な様子だった。
    確かに思うように行かないことだらけかもしれない。しかし、人生はそう言うものだ。私は、昨日大決心のメールを送った。まさかのお別れだった。固い頭の頑固な人とは、私は合わない。本当にその人と話すことがストレスであり、苦痛にも感じるよになってしまった。今回の事故で、そのことが、決定的になった。また、私は放蕩息子に戻る。それが、彼や彼女が砕かれ、謙虚になり、成長するためであった。「私は、出来ている」「私は、正しい人だ」これは、人間を固く小さな石にするだけ。謙虚であることだ。まだまだと思うことだ。自分も失敗する人だと思うことだ。
    さてさて、そう考えたらすごい1週間だった。連絡が途絶えていた三重の友から電話があった。また、都合の良い日には、向こうから電話が来ることになった。断たれた糸がまた繋がった。私には、もう一本大事な断たれた糸がある。小千谷のSさんだ。あれから5ヶ月が経った。もうそろそろこちらから電話してみるかな。
    生きていると、良いことも、そうではないこともある。しかし、生きているからこそ、そのことを味わえる。本日も午後からは、過密スケジュールだ。jazzストと、東京交響楽団だ。タクシー移動になるのは必須だ。酒は、控えることにした。最後はきっと焼き鳥「横綱」だな。
    人間、生きていれば、それでいい。良いことも、そうでないこともあるけれど、息をしてさえいれば、さまざまな人生の味わいを味わえるからな。😃

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