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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018年08月30日 10時37分56秒

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    ソウイウヒトニ ワタシモナリタイ

    またまた、腰を痛めてしまった。
    これは、きっと、一昨日のお仕事のおかげさまでと感じている。
    左足の付け上の臀部の痛み。
    その上の腰の筋肉の痛み。
    そして、腰の周り全体の痛みだ。
    あの坐骨神経痛のラインだから、少々恐れすら感じている。

    あの二週間以上前の左足への無理な姿勢による激痛からだった。
    あんな馬鹿なことを・・・といくら後悔しても、
    全く意味の無いことはよくよく分かっている。
    完治するまで、ゆっくり休めばいいのだが、
    日々の生活では、そうはいかない。

    また、私の性格として、じっとしていられないために、
    ちょっと良くなると、再び元の生活・活動を始める。
    痛みのために横になっていたのは、二~三日だろうか。
    その他は、痛みが和らぎ、薄くなると自転車にまたがった。
    しかし、先週一週間は、精神的にもナーバスになっていたようで、
    その日の予定をすっぽかすことが、幾つもあった。

    公民館のヨガ・バレーの公演・書道の稽古。
    何と全部頭の中から飛んでしまっていたらしい。
    東区の合唱もそうだった。
    心ここに在らず状態とはこのことだ。
    カレンダーに書き込んでおきながら、すっかりと忘れていた。
    それは、きっと身体が思うように効かないからのせいもある。

    身体と心とは、一体だ。
    心身一如は、まさにあるがままの真実だ。
    もし、身体に何の異常も無かったら、
    きっと私の心や想いは、活動の方に向かったことと思う。
    「あれがある。これがある」だな。

    ところが、そのことが出来ない身体となってしまったら、
    そのやりたいという意欲すら、乏しくなったようだ。
    やりたくないのではないが、やることを諦めてしまっているのだろう。
    私は、あんなに夢中だった登山をこうして数年間ぱたりと止めた。
    あれだけ走っていた日々のジョグもここ数年全くやっていない。
    以前は、トレーニングのためにスポーツセンターに行ったが、
    今は、それもやめている。
    本当に、運動からは遠ざかっている。
    暑さの中でウォーキングも無理だと戒め、全く歩いてもいなかった。

    本当に、私は、どうなってしまったのだろうか。
    あの大手術からこの4年間。私は、休眠状態が続いている。
    そして、こうした度重なる腰痛だった。
    昔、トレーニングに勤しんでいた頃は、腰痛なんぞ一度もなかったと記憶する。
    腰を痛めたというのは、他人ごとだった。
    そう考えてみると、全てのことがこの身体に起きている事実に繋がる気がする。

    生活の仕方が変わったから、身体が変わったんだな。
    鍛えていたからそれまではもっていたものが、
    そのトレーニングを怠った途端に、こうして不具合が起きている。
    そして、身体の不具合は、精神の不具合と密接に関連する。
    どこか痛むと、活動を休止する。活動を諦める。
    その結果、また身体に弱る部分が顕れる。
    その繰り返しだな。

    とにかく、今は、この痛みと向き合っている。
    この痛みが云っている「意味」を知りたいと願っている。
    だから、この痛みとは、対話する。
    しっかりと向き合い、どうしたらよいのかの答えを求める。
    痛みがあることで、身体を想う。
    そして、痛みがあることで、身体と真摯に向き合う。
    痛みが在ることで、身体の云いたいことを理解する。
    痛みは、身体からの言葉だからだ。

    昨日、大友真人?さんの話を聴いた。
    Tーポランというロックバンドのボーカルであり、リーダーだった人。
    80年代に絶頂期を迎えたその時、
    突然声が出なくなった。歌を歌えなくなった。
    いろいろな医者にかかった。病名がなかなかつかなかった。
    そして、ついに心因性の発声傷害との病名がついた。
    その頃は、声帯もストレスのために精神的も死ぬ寸前だったと言う。
    これは、まさに、身体からの天の声だった。

    彼は、東京に居ると孤独で、復帰を焦ることになるので、
    富士山の森の中のスタジオに転居した。
    そして、自然の中でどっぷりと浸かる生活が始まった。
    鹿や栗鼠もやって来る。森の匂い、森の風。空を見上げてぼーっとする。
    ここで、彼の中で身体と精神との蘇りが始まった。
    「自然は、いいですね。本当に、心が癒され、落ち着きました」
    蘇りは、彼にとってはまさに、黄泉がえりだった。
    どん底に堕ちる。
    そこから、真摯に身体と精神とに向き合う時、
    癒してくれるのは、人ではなかった。
    やっぱり、自然だった。森の力。生きとし生きる衆生の力だった。

    主治医からは、10年以上かかるかもしれませんとの宣告だった。
    「何を、馬鹿な、そんなことがあるはずはない・・・」
    しかし、実際に歌えるまで14年間かかってしまった。
    14年間の彼の苦悩とは・・・。私には、言葉なく、ただ涙だった。

    彼は、あるボイストレーナーのベテランの女性に出会った。
    彼女は、絶対に彼に歌を歌わせなかった。
    それほど、彼が瀕死な状態であることを察知したからだ。
    まず、その身体と精神と心との回復を待つ。
    とにかく、蘇るまで地道にじっくりと治療を続ける。
    「遊ぶことを仕事にしなさい」それが彼女の唯一の指示だった。

    彼は、釣りに夢中だった子ども時代を思い出した。
    それから数年、釣りに没頭した。
    とにかく釣り、釣り、釣り、の生活を続けた。
    歌を歌わない。自然の中で生きる。好きなことに夢中になる。無心で遊ぶ。

    ああ、これが答えだなと、私は想った。
    身体に聴くとは、この答えを生きると同事なんだと、またまた涙が溢れた。
    彼の14年間の辛さと哀しさと絶望とを想うと、
    泣けた。泣けた。泣けた。
    どうしてこんなに涙が溢れるのか、今、その答えが分かった。
    私も、同じだったからだ。
    私も辛く、哀しく、絶望したからだ。
    そして、涙とは、汝弥陀ではないのかと、さっき気付いた。

    彼は、苦しみによって、何かを悟った。
    彼の言葉は、とてもとても深くて、心に沁みる言葉ばかりだった。
    そのことを、素直に、静かに語る。
    彼は、深くて偉大な人となっていた。
    それは、この14年間の苦難の人生だからこそ、為しとげられたことだった。
    苦難は、人を育てる。いや、きっと本来の人に、ならせてくれる。
    そんな力を苦しみはもっている。

    若かった絶頂だった頃、彼は、自分が絶対の自信だった。
    その彼が、絶望のどん底に叩き落される。
    そして、蘇った彼は、今、ここにこうして静かに佇んでいる。
    彼は、どんな人とも分かち合える人となっている。
    私は、彼を見ていて気付いたことがある。
    「分かる」ではないんだな。「分かち合う」ことなんだなと。
    彼は、どんな苦しみや痛みや孤独や絶望の人とも、
    きっと分かち合える人となった。

    「苦労」という言葉は、どうしてあるのかと、ふと考えた。
    そしたらだ。答えはこの二つの漢字の中に在った。
    苦しみを、労わると書いて、くろうと読ませる。
    労わるとは、大切にする、大事にする、守り、慈しむということではないか。
    きっと人は、苦しみからしか教われないことがある。
    本当の人の深さや偉さとは、その苦しみを労わって生きて来た人にだけ、
    分ち合えるものなんだな。

    苦しみに感謝している人は、本当に深い深い人なんだ。
    苦しみは、苦しみを知る人と出会う。
    そして、苦しみを互いに労り、分かつ合うことで、
    その苦しみは、生きる喜びとなって自分自身を生かす源動力となる。
    私は、彼の語りを聴きながら、涙が止まらなくなったのは、
    きっと、私は、彼の苦しみを分かつ人とであるからだろう。

    私にも、やっぱり仏さんが居てくんなさる。
    それは、この涙でよくよく分かる。
    私は、人の苦しみや哀しみ、怒り、孤独、絶望に涙する。
    滂沱の涙だ。
    それは、私が間違いなく、汝弥陀であるからだ。

    身体の痛みと向き合うとは、こういうことなんだ。
    そして、長い月日をかけて、真摯に向き合っていると、
    きっとその苦しには、光明が見えるはず。
    諦めないとは、そこまでとりあえずは歩き続けてみるということ。
    そういう人に、私もなりたい。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月29日 09時17分42秒

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    ぼーっとした時間を味わう

    昨日、午後からダイニングの床のワックスがけをした。
    母がまだこの世に居た頃は、
    毎年、盆と年末にワックスをかけた。
    ピカピカになった床をいつもいつも喜んでくれた母だった。
    今は、床を美しくしても、褒めてくれる人がいない。
    だからかな。
    ここ数年、私はこの仕事をやっていなかった。

    それから、ずっとずっとぼーっとして庭を観ていた。
    雨がしとしと時折降った。
    その雨に濡れてしっとりとしている野菜や花をぼーっと観ていた。
    こんな時間の使い方ができるようになったことは、嬉しい発見だった。

    それまでは、何だか何もしないということに、焦りがあった。
    ぼーっとしている時間があったら、何かをしよう。
    空いている時間があったら、何か予定を入れよう。
    家でじっとしていることはもったいないから、
    外に出て、何かをしよう。遊びに行こう。自転車に乗ろう。映画に行こう。
    でも、こうして4月から、無職無収の生活を始めてから早5カ月がたった。
    すると、こうしてぼーっとしている時間が増えた、楽しめた。

    朝食は味噌汁づくりから始める。
    それから、キャベツ・レタス・トマトでサラダを作る。
    同時に魚を焼いて、大根をおろしたりもする。
    ご飯は前夜にタイマーでセットしておく。
    そして、ゴミ捨てに行き、庭の野菜や花たちに水をやる。
    それから、シャワーを浴びて、髭を剃り、整髪する。
    そして、朝食をクラシックを聴きながら食べる。
    それも、ゆっくりと時間をかけて、味わって食べる。

    それが終わると、食器を洗う。
    そして、台拭きでテーブルを拭き、箒で床を掃く。
    それからコーヒーを淹れる。新聞を開く、丹念に記事を読む。
    そうするとあっという間に8時を過ぎる。
    それから、こうして自室に戻り、パソコンに向かう。
    これが終わったら、ヨガを1時間。

    みんなゆったりとした時間の流れの中でのことだった。
    急がないといいことがある。
    それは、その時々をしっかりと味わうことが出来るからだ。
    仕事をしていた頃はどうだったか。
    次の約束、出かける時刻、遅れてはならない仕事、仕事。
    ここに私が記したルーテーンは、
    ただすーっと通り過ぎるだけの出来事にしか過ぎなかった。

    今朝、またアゲハの幼虫を3匹発見した。
    葉っぱをむしゃむしゃと食べ、ぼりぼりに葉っぱは減って行った。
    またこのままにしておくと、鳥に食べられるので、
    私は、今、タッパの中に避難させている。
    そんなことも、この朝の時間でできるようになった。

    本当に特記事項の無い、平平凡凡たる日々でしか過ぎなかった。
    今日も、予定を創らなかったら、何も無い一日になる。
    午後から公民館でヨガの教室。
    それを一つやったら、それで終わり。
    時間があったら映画にも行きたいが、
    それは、身体との相談だった。

    確かに、お金は無くなっている。
    一万円をATMでおろしては、千円札に換金して封筒に入れる。
    それを、一枚一枚使う生活。
    二千円以上は、飲み食いには使わない。
    本当に慎ましく生きている。
    しかし、それがそれでまた楽しいんだな。

    この自由で何も無い、のんべんだらりとした生活を味わう。
    この何も起こらない、何もやらない、そんな日々を楽しむ。
    ぼーっとしている。時には、昼寝をする。
    疲れていたら、布団の中でごろんとなって本を読む。
    ただ、それだけ。
    昼になると、自分のことは自分でちゃっちゃっとやってしまう。
    昨日のランチは中華丼をチーンして食べた。
    それでいい。それがいい。

    何だかね。
    この当たり前の平凡な生活をのんべんだらりと過ごす内に、
    私は、時間を味わうことを習ったような気がする。
    あの超多忙なあくせくあくせくの日々では、
    この味わうと言うことは無理難題だったろう。
    みんな通過した。それも、あっという間に、目にもとまらぬ速さで。
    味わうなんて、そんな余裕はどこにもなかった。
    だから、朝食は、ただ食べるだけ。

    私は、この生活をして善かったことばかりだった。
    確かに、経済的には苦しくもある。
    しかし、僅かなお金のために、このぼーっとする時間を売ることは、
    何だか限られた時間の人生の中では、
    もったいないなぁと、気がする。

    せっかく味わい深い時間を過ごせるのに、
    再任用の皆様は、今日も明日もせっせと超多忙な激務の中を生きている。
    リタイアとは、降りることだ。
    まず、一度、降りてみる。
    そして、少し腰を落ち着け、のんべんだらりと生きてみる。
    そして、それまでの自分の人生を振り返る。
    それから、野菜を育てる。花を植える。
    あるがままの自然と向き合う。それを味わう。

    私は、この庭を観ながら、こうした庭を確保してくれた父と母に、
    何だかいつも感謝している。

    9月12日から、実はまた私は職場復帰することになっている。
    望んでいるわけではないが、やむにやまれぬ事情があったので受けただけ。
    そうすると、このゆったりとした時間を味わうことが、
    また当分できなくなってしまう。
    そのことを想うと、何だか寂しくなってしまう私だった。

    今日から、61歳のクマさんである。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月28日 11時01分01秒

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    61歳の誕生日の朝

    雨だった。静かに、爽やかに、気持ちよく、しっとりと降っていた。
    塀の外の雑草が気にかかっていたので、
    晴れ間をみて、涼しいうちにと、せっせと刈ることにした。
    草刈は、私の好きな仕事の1つだ。
    一気にやる。
    鎌でがんがんと刈る。
    その後、手でむんずりと掴んでビニル袋に入れる。

    FMで「展覧会の絵」を聴きながら、
    どんどん左へ進む。進む。
    刈り取った跡は、すっかり濡れた砂がむき出しになり、
    でこぼことしているが、雑草はきれいになっていた。
    仕事の頑張りが、この作業では一目瞭然だった。
    残った時間を考えて、道路まで一気に刈り取った。
    「気持ちいい」だな。

    そして、へとへとになり、
    汗をかき、心地よい疲労感に包まれた。
    本当に小さな、ささやかなことだが、
    仕事をすると気分がすっきりとするのはどうしてだろうか。
    ここまでは、ない。
    ここからあそこまで全部、すっかりと刈り取ることだ。
    途中はないし、中途半端に「、」を打って残すことはしない。
    ここからむこうまで、全部を一気にだ。

    昨日、Sさんと「、」の話だった。
    私たちは、きっと自分で「、」を打って来たようだと、
    二人で気付いた。
    「、」を打つと、こっちとそっちになってしまう。
    こっちは、私。
    そっちは、あなた。
    「、」は、そうした関係においての境界となる。

    次に、こっちの私の正しさを、説明し始める。
    正しいのは私、間違っているのはあなただ。
    その主張は、どちからも言える正義だ。
    「俺が、正しい」「お前は、間違っている。」
    その「、」をはさんだ主張は、きっといつまでも平行線をたどるはず。

    「、」を打つことで、お互いの立ち位置を明確にすることもある。
    夫と妻。
    親と子。
    上司と部下。
    先輩と後輩。
    そこで、その立場には立場に見合った考え方や、やり方があるだろうと、
    そうした一方的な決めつけも始まる。
    お互いに理解し合えないまま、
    「こうすべきだ」論だけは、どんどん主張される。
    だから、対立が生まれ、反発が生まれる。

    同じものも、その見方を変えると、違って見える。
    「、」のこちら側と、向こう側とでは、
    やっぱりものの見え方が違うものだ。
    一つの出来事を裏・表から見ているのだから、
    違っていることは当たり前。
    しかし、自分の見方だけが確かであると主張する。
    視点を変えて、立場を変えて、「、」の向こうからこっちを見ようとはしない。

    「、」とは、主客の分裂・分断だ。
    全体は一つで、その心身一如で生きているのに、
    何だか人は、その一つの命を分析し、細分化し、細やかな部分だけに過ぎないのに、
    その部分だけをもって、「これは、これです」と、全体を言い切ったりする。
    しかし、細分化され、分解されたものは、既に全部ではないのだから、
    それは、一つのものとしてそこにあるだけで、
    再び、取り出されてしまったそれは、全部の1つにはならないのだと、私は想う。
    だから、「これだ」と言うためには、
    全部をもって納得する。
    あるものをもって、「これでいい」と、腑に落ちる。

    絶対矛盾の自己同一だ。

    半分から、全部に到る。
    全部であることで、生きるを信じられるようになる。
    半分は、決して全部ではない。
    だから、問いをもって、全部を求め続ける。
    その探究することが、人としてこの世で生かされていることの喜びになる。

    Sさんは、毎日、生きていることが楽しくて、楽しくて仕方ないと言っている。
    何だかその問いに対する、自分なりの気付きを発見するとが、
    日々の生活の喜びになっている。
    「いゃー、歳をとらないと分からないね」と、80歳の明るい声だ。
    「この気持ちで、もっともっと生きてみたいて」と、張り切っている。
    それが、きっと「全部」なんだなと、
    私は、いつもいつも教えられる。

    そして、はっと気付いた。
    そうか、私ができることは、「、」を無くすことであるが、
    まだまだ修行が足りないから、心身脱落・脱落心身とはいかない、いかない。
    でも、出来ることはある。
    それは、きっとこの「、」を薄くすることだった。
    どうしても「、」を打ってしまう私。
    でも、今は、歳をとったおかげさまで、
    その「、」をごしごしと消しゴムでこすって、薄くしている。
    確かに、その「、」が薄く、微かになってきていることを、
    私は、Sさんとの電話の話から気付いた。

    草を一気に刈るようにして、この「、」を消すことはできないが、
    その「、」をせっせと消しゴムで消しながら、
    薄くすることはできるのではないかと、考えている。
    だから、長男と朝食をとりながら、余計なことは言わなくなった。
    これは、言うのを止めようと、考え直せるようになった。
    Sさんが、言った。
    「loveとリスペクトは、同事だね」と。
    ここのどこにも、確かに「、」は存在していない。

    ああ、そう生きることが、全部なんだな。
    そう生きることが、私の自由であり創造にもつながるんだな。
    とてもシンプルなことだが、とても難しいことでもあった。
    自分の中で「、」を付けない。「、」を消し去る。
    その生き方こそ、賢治さんが「手紙」を通して私に語ってくれたことだった。

    「まことの道」
    「まことの力の働き」
    「見えないものを信ずる心」
    「その道を歩き、問い続ける勇気」
    そう何だと、やっと想うことができるようになった。

    本日、私は、61歳となった。
    誰も居ない。
    祝ってくれる人は居ない。
    妻は入院中だ。長男は遅番だ。次男は東京で勤務中。
    雨にしっとりとした庭の草花を見ながら、
    でも、こうして「、」についての気付きができ、
    賢治さんからの「手紙」をいただき、読ませてもらい。
    何だか、Sさんの気持ちに少し近づきつつ、61歳となれたことを感謝する。

    生まれてこれて、本当によかった。よかった。
    父と母とに、感謝。感謝だ。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月27日 09時07分51秒

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    賢治さんからの「手紙」

    「賢治の会」だった。
    毎月一回、松浜の「こらぼや」で開催される朗読の会。
    昨日は、「手紙」をみんなで読んだ。
    その後に、お互いで感じたことを語り合う。
    ここで、物語はいっそう深いものに変化する。
    語ることで、気付くことがとても多い。
    まさに、その面白さがこの賢治の会の醍醐味だった。

    手紙1は、竜の話だった。
    さんざん悪いことを行ってきた竜が、心を入れ替えた。
    これからは悪いことはやめて、よいことをしよう。
    竜は、夜になると美しい蛇に返信する。
    狩人がやって来て、王様に差し上げるためにと、その皮をはいだ。
    竜は、狩人たちがかわいそうだから、そのままはがれたままだった。

    次に、虫たちがやって来た。
    竜の肉をみんなしてむしゃむしゃと食べ始めた。
    竜は、食べられるままにして、あの世に行って生まれ変わった。
    そしたら、お釈迦様になっていた。
    そして、竜の肉を食べた虫たちも、その弟子となり、
    「まことの道」をずっと歩いた。

    手紙2は、ヒンズーマティーという娼婦の物語だった。
    尊いアショカ大王が言った。
    ガンジス河に向かって、
    「誰かこの大河の水をさかさまにながれさせることのできるものはあるか」と。
    そこで、彼女は言った。
    「私のようないよしいものでさえできる、まことの力の大いなることを、
     王様にお目にかけましよう」と。
    そして、まごごろこめて祈ると、なんと大河のながれはたけりくるって、
    さかさまにながれ始めた。
    「どんな人でも私は、等しくあつかいます。そのまことの心が、これをなしました」

    手紙3は、目には見えない小さなものの物語だった。
    この目には見えない小さな小さなものでも、
    それは、ちゃんとここにあるのであり、ないのではない。
    「ないものは、ない」だな。
    「このような、あるいは更に小さなものも明らかに見て、
     少しも誤らない人は、むかしから決して少なくありません。」
    「この人たちは自分の心を修めたのです」

    手紙4 賢治がある人から云いつけられて、印刷して私にくれた手紙だった。
    そのことは、またいつか書きたい。

    しかし、この4つの手紙に書かれた物語には、
    賢治が伝えたい全てのキーワードが隠されている気がした。
    「まことの道」を私たちは、歩くことだ。
    そして、そうやって生きている人の祈りには、「まことの力」が働いてくれる。
    また、そのまこととは、目には見えないものであるが、
    絶対にここにあるものであり、確かなものだ。
    そのまことを信じて歩む人こそが、心を修める人なんだ。

    そうした「まことの言葉」を賢治は、ある人から云い伝えられた。
    賢治は、その物語を、手紙に書いた。
    手紙とは、宛名のあるものだ。
    差出人は、賢治であり、ある人である。
    賢治は、その物語を聴き伝えることを自らの使命とした。

    チュンセとボーセの幼い兄と妹の物語では、最後にこう書かれてある。
    「みんなみんなむかしからのおたがいのきょうだいなのだから。
     チュンセがもしボーセをほんとうにかわいそうにおもうなら、
     大きな勇気を出してすべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければならない。
     それがナムサダルマフンダリカサスートラというものである。
     チュンダがもし勇気のあるほんとうの男の子なら
     なぜまっしぐらにそれに向かって進まないか。」
    これは、賢治にこの手紙を云いつけた人の言葉だった。

    「ボーセをたずねる手紙をだすがいい。」

    それで私はいまこれをあなたに送るのです。

    と、賢治から送られた手紙を、5人の大人である私たちは、読んだ。感じた。

    最後の手紙には、私たちに、ぜひボーセを訪ねる旅に出なさいと、
    その旅に出発する勇気をその人は、求めていた。

    私は、この四つの手紙に書かれた物語の深さと真実に、
    何だか言葉を失い、何度も何度も物語を振り返り、読み返した。
    その時、同時に参会者たちが、それぞれの感想や意見を述べていた。
    「科学と宗教」について。
    「神はいるのか、いないのか」
    「見えないものは存在するのか、しないのか」
    「善く生きる。でも、きれいごとに生きることは私はできない」
    等等、何だか60代・70代の大人たちが、
    そんな哲学的な話にこうじて議論のようなこととなっていた。

    でも、私は、ここに居た。
    どうしても、その議論には加われなかった。
    私は、議論が何とも空しくなった。
    知識であり、常識であり、思い込みであり、ドクサだった。
    明らかでなく、そう思い込んでいるもので、
    自分自身を言いくるめよう、説得しようとしているようだった。

    でも、賢治のこの手紙からは、ほど遠かったと感じた。
    あの狩人や王様や科学者は、きっと心救われずに生涯を終えるだろう。
    分かったつもり。理屈で理解。こうなるはずだとの独断と偏見。
    「俺が、俺が」は、どこでも存在するものだ。

    私は、黙って、ここに居られた。
    ああ、私は、竜であり、ヒンズーマティーであり、心を修めた人の仲間。
    何だかそっち側に静かに居られることの幸いを感じた。
    何時から、私は、ここに居られるようになったのだろう。

    出来事は、必然か偶然か。
    出来事は、主観的な意味が在るのか、ただの客観的な事実なのか。
    一つのものは、味方によっては、違ったものに見えるもの。
    こっちからでは、やっぱり半分。
    あったからでも、やっぱり半分。
    「半分、青い」なのに、
    みんなは、その一つである全体を忘れて、観ずに、議論する。
    そうでもあり、ああでもある。

    心身一如。
    「半分、青い」その話だけを、最後にみんなにさせてもらった。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月26日 09時17分02秒

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    役者さんは、いいなぁ。

    役者さんは、いいなぁと、感ずる。
    役を演ずる。
    でも、本当は演ずるというのではないのかもしれない。
    役にやり切る、とも違うようだ。
    その人である。
    その人としてここに生きる。
    その瞬間が、輝きの瞬間なのかも。

    自分とは、どこまでが自分なのか。
    自分とは、存在するのか。
    環境の中で、創られているこの自分なのではないだろうか。
    身体1つ想うようにはできない自分。
    まだ左足の痺れが在り、腰の痛みが続いている。
    どうも身体のあちらこちらに、加齢によるしみも増えたようだ。
    体力は、年相応にがたっと落ちた。
    私は、この身体をいただいているが、
    この身体の自然なままに生かされているだけ。

    目が覚めたら、私だった。
    この身体としての私は、目が覚めてもここに居てくれた。
    これは、自分の身体なのだから、
    自由にできる身体なのかとと言うと、
    本当に不自由なままの身体だ。
    交感神経と副交感神経によって司られ、
    自然に心臓は鼓動し、肺は呼吸し、胃は朝食のご飯を消化する。
    腸では、健康な細菌たちがせっせと働き、栄養を吸収する。
    何と、私が気付かない内に日々、刻々と行われている働きよ。
    身体は、一つの宇宙と言ってもいいものだった。

    意志はどうか。意識はどうか。
    それもやっぱり環境によっての変化・変幻・不自由なものだ。
    朝、長男と少しの意見の相違だった。
    それだけで、心と言うか、感情というか、揺れ始めている。
    この感情の揺れが起こると、
    しばらくは、その揺れを感じたまま、手を出せない。
    昨日は、午後から、ずっとずっと布団の中で休んでいた。

    それは、身体と心とが、
    私に対して休息を求めていたからだった。
    自然なるままに、私は、生きている。
    生かされるままにして、ここに私として存在しているはず。
    私とは、たったそれだけのことではないだろうか。

    これが私だと言い切れるものがどれだけあるのか。
    今、こうしていても心の波が、さざ波が湧いては消える。また、湧いてくる。
    どうにもならないではないか。
    私は、私自身すらコントロールできない。制御できない。
    つまり、私は、私自身に対して、不自由な私なんだな。

    そして、おかげさまで。
    私は、きっとこのおかげさまの人たちと共に生きている。
    いや、おかげさまの人たちに絶えず守られ、励まされて生きている。
    おかげさまを、そのまま信ずれば、
    私も、いつかはそのおかげさまとなる。
    実は、私の周り、私の傍には、そのおかげ様の実態で充ちているのだ。

    そして、私のこの想いや、心や、意志や、決断は、
    そのおかげさまの働きに拠るところが大である。
    私が、本当に私だけで創ったものは、この私の中にどれだけ存在するのだろうか。
    私は、おかげさまに生かされ、いずれ、おかげさまの1人になる私だ。

    役者はいいなぁと、いつも想う。
    それも、上手い役者さんには、ほれぼれとしてしまう。
    その役は、彼なのか、その役のおかげさまの人なのか。
    そこの違いが、よく分からなくなる。
    役者さんが居なくなり、すけすけになると、
    そこでおかげさまが姿を顕す。
    その顕われが、やっぱり感動だった。

    おかげさまが、自由自在に遊んでいる。
    おかげさまが、言葉を語っている。
    おかげさまが、ちゃんとここに生きている。
    そんな実感を、舞台は観客としての私に感じさせる。

    では、どうだろうか。
    この私の日々の日常も、これは一つの舞台ではないのだろうかと。
    私は、だんだんその境目が分からなくなってきているようだ。
    「不思議だなぁ」で、生きられている。
    おかげさまが、とても親しい友である。
    父も母も、祖母も叔母ちゃんも、山の仲間も、おかげさまだ。

    役を演ずるとは、おかげさまでおかげさまを生きること。
    もはや生きているのは私ではない。
    私は、もうどこにもいない。存在しない。
    そんな空気のような私だから、
    おかげさまが降りてくんなさる。

    自分が自分でなくなる時に、自分が自分になる時だ。
    では、その本来の真面目の自分とは、
    一体どんな自分のことなんだろうかと、想ったら、負けだ。
    いいんだ。まず、ただ、そのまま、想いのままに全てを委ねる。
    「大丈夫」なんだな。
    その自分でなくなることの、自分らしさを信ずることかな。

    私は、日々、ここを舞台として、役者であればいい。
    その役は、向こうからやって来る。降りてくる。はっと気付く。そこに居る。
    その人になるのではない。
    その人であるだけでいい。
    何も考えないと、庭のミニトマトにも私はなれる。
    役者とは、そうしたそのものに成り切れること。

    そのものは、おかげさまにある。
    そのものは、自然に充ちている。
    だから、自他の区別を想わず、そのものに成り切る。同化する。同一になる。
    成り切るとは、そういう意味だ。

    人は、おかげさまと自然のままに成り切れば、幸せなんだ。
    そこにしか、本当の意味での自由と創造はないのだと、分かった。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月25日 08時19分50秒

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    深い意味とは何か。

    「半分、青い」に泣けたな。
    律が、和子さんと話をするシーンだ。
    和子さんに買って来た苺を食べている律。
    このドラマは、無言との時に深いものを感じさせる。
    岐阜犬がワンと話す。
    律は、和子さんがそこに居ることに気付き、
    母親に、自分の感謝の心を打ち明ける。

    この犬のぬいぐるみを通してだから言えること。
    私は、臨終の母にやっと言えた言葉。
    「ありがとう。お母ちゃんの子どもで幸せでした」
    律は、そう語ってやれた。
    和子さんは、生きている間に、その言葉を聴けた。
    嬉しかっただろうなぁと、想った。
    親としての最高の幸せだなぁと、想った。

    私は、もうどうしようもなくなっていた。
    「お母ちゃん、ありがとう。本当に、本当に、ありがとう」
    その時、ふと感じたことがある。
    思い出を残すのは、私ではないのではないかということ。
    上手くは言えないけれど、
    人とは、愛する人の心の中に、思い出として遺ることではないのかということ。
    つまり、遺された人が思い出すのではあるが、
    その遺された人の心の中に、思い出として生き続けること。
    それって、人として生まれて来た使命でもあるのではないかと思った。

    つまり、私の心の中には、母も父も生きている。
    思い出せば、亡くなった祖母も、叔母ちゃんも、ここには生きている。
    また、山の仲間たちもそうだ。
    姿は見えず、この世のものではなくなっていても、
    ここには、少なくとも私の想いの中には、ちゃんと生きている。
    だから、時々、話しかける。
    その存在をすぐ傍に感ずる。
    その声を、想い出せる。

    ああ、人とは、死なないものなんだな。
    いや、死者と言う人になって、こうして在り続けるものなんだなぁと、
    何だか律と和子さんとの会話を聴きながら、
    しみじみとそのことを感じた。

    では、私は、死んでから、誰かの心の中で生き続けられるのかだ。
    それは、きっと、感謝され、「ありがとう」を言われたらそうなるものだと、
    和子さんを見ながら、涙の中で、そう感じた。
    和子さんは、その六日後に天に召された。
    しかし、和子さんは、死んだのだろうか。

    半分、青いは、この色身の青だろう。
    私は、身体としての私と向き合い、対話しつつ生きている。
    しかし、本当は、目に見えるものたせけが全てではないのではないだろうか。
    半分と言っているが、もう半分は、心霊としての存在のことなのだと、
    私は、このドラマを深く深く味わうと共に、
    そんな感じになりつつある自分を発見した。

    総体としての私。全部としての私は、色身と心霊としての私なんだ。
    心身一如と、禅の言葉にある。
    その二つは、一如、つまり、一つなんだな。
    その大事なことを忘れたまま生きているのが、人でもあった。
    苦難・苦闘は、この身体があればこそのこと。
    しかし、この身体が消えたら、きっと私の心霊は、ここを離れる。
    身体があっての私自身なんだな。

    すずめちゃんは、その半分を感じている。
    仙吉さんの五平餅を継いで、仙吉さんの夢を叶えたように。
    和子さんの想いを感じ、岐阜犬になってもらって語ってもらったように。
    彼女は、ここからは、その半分である目には見えない何かを信じて、
    生きて行こうとしているはずだ。
    「人生は、苦である」
    しかし、苦であるからこそ、心を訪ねて、その心霊である自分を発見する。

    昨日、Sさんと、その話をずっとしていた。
    「私たちは、死んでもきっと誰かの心の中に生き続けますね」
    「本当は大丈夫だったのに、その事実に気付いていないだけでしたね」
    「身体は7年間ですっかり生まれ変わると聞きました」
    「でも、私は変わらずに私でいられます」
    「その私である私こそ、とてもとても大事な私でした」
    「人は、死ぬまでずっとこの「、」に気付かずに終わるかもしれません」
    「せっかく人として生まれて来たのに、「俺が、俺が」で死んでいきます」
    「でも、仙吉さんや、和子さんのような生き方がありますね」
    「私たちも、そう生きてみたいものですね」だった。

    さてさて、撮り溜めて一気に観ていた「半分、青い」だった。
    でも、一昨日からは、毎日、オンタイムで観ている。
    何だか、どうなっていくのか、気になって、気になってだ。
    こんなに想って、このドラマを観ている人は、まだ居るだろうか。
    この物語は、深い深い意味を教える物語でもある。

    これからも「問い」を持ちつつ、味わいたいと思っている。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月24日 10時30分59秒

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    映画「海を駆ける」

    映画「海を賭ける」を観た。
    ラウは居るかもしれないなぁと、私は想った。
    奇跡は、起きる。ただ、その顕れを信ずるかどうかかな。
    今、ここで、こうして生かされていることも奇跡の1つだ。
    私は、だから、日々を感謝する。
    でも、みんなはそうではなかったりする。
    当たり前の毎日の生活に、何の感動も感謝も無く、
    ただ素通りする。
    もっと何かないかと探し回る。
    欲を出す。不平不満を言う。文句を言ったりする。

    でも、同じ生活を奇跡だと感じで生きている人も居る。
    そこのところが、大きく違う。
    この生活を当たり前としない。在り難いとする。
    そう思えば、今朝、目が覚めたのも、朝ごはんを食べたのも、
    ここで、こうして腰の痛みをかかえながらも、
    「親父たちよ」を書けるのも、生きていればの奇跡だな。

    海からやって来たラウは、全く謎の人だった。
    ラウは、何も語らないし、何も明かさない。
    ラウは、そこにいたかと思ったら、次の瞬間あそこに顕れる。
    私たちの想像を遙かに超えた存在は、あってもいいのではないだろうか。

    魂は、目には見えない。
    その魂に触ることも、手の上に乗せることもできない。
    でも、魂は、あるものだ。
    そう信じられるか、どうかで人生は違った道をたどるはず。
    「海の上を駆ける」ことは、できるかどうかではなく、
    「駆ければそれでいい」ではないだろうか。

    人が決めることではない。
    人がそうだと断定することでもない。
    私の人生を振り返って見ただけでも、
    私の想い通りになったことは、
    これっぽっちもないのではないだろうか。
    人は、自分のことすら決めることができない。
    何が私に起きるのかは、起きてみなくては分からないこと。

    しかし、それを偶然とするか、必然とするか。
    突発的な出来事とするか、宿命と受け入れるか。
    何も意図がないものととらえるか、そこに意味を見出すか。
    不連続の出来事とするか、一連の意味ある繋がりと感ずるか。
    この「、」の左と右とは、大いに生きる意味が違うのだ。

    半分は、青いでいい。
    きっとみんなは、その半分を生きねばならないからだ。
    でも、その「、」の最中に、
    ふと、気付くことがあったら、
    「ああ、そうか、不思議だなぁ」と、想えたら、
    この同じ場所、同じ家族、同じ時間、同じ自分すら、
    違ったものに見えるはず。
    それが、「、」の右側の人たちなんだな。

    死は、生と一続きである。
    生は、死であり、死は、生である。
    そのまま、何も変わらずに、ここに、あるがままに存在している。
    だから、人は、決して死なない、いや、消えて無にはにることはない。
    そのことを信ずる時、人は、海の上を駆けられる。
    海の上は駆けられるのだが、
    駆けられると信じていない人たちには、それは夢のような話だった。

    観察映画「BIGHOUSE」
    12万人のスタジアム。
    あれはやっぱり神様の視点だな。
    12万人に一人一人の違いを見ることはないだろう。
    群衆。そして、それぞれがそれぞれの個別の人生を生きている。
    12万人には、12万の物語あり。
    でも、あの俯瞰からは、ただ群衆が在るばかり。
    どうってことないんだよ。
    あの視点から群衆を観ると、その中の点でしか過ぎない自分自身を探している。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月23日 10時29分10秒

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    「半分、青い」後半の物語

    あれから一週間、左足の痛みは和らいだが、
    腰から臀部にかけての痛みが増し、
    腰をかがめて動こうとすると、痛みが走る。
    本当に怪我のできない身体となった。
    それは、やっぱり回復と蘇生に時間がかかるからだと思う。
    まず、受け入れる。じっと我慢する。諦める。
    これって歳をとったら大事な処世訓だと、実感している。

    「半分、青い」を昨夜まとめて観た。
    何だかとてもとても深くて、心に沁みた。
    それは、仙吉さんの「五平餅」だった。
    彼は、お店のかつ丼がヒットすることで、
    五平餅をこさえる意欲を失っていた。
    「張り合い」のない日々を送っていた。

    そこへ、スズメ登場だ。
    彼女は、やっと37歳で独り立ちの道を見つけた。
    それも、こんなすぐ傍にそれはあった。
    「廬山は煙雨 浙江は潮」だった。
    すぐに仙吉さんに弟子入りを志願して、
    その味を引き継ぐことに全力を賭ける。
    37歳にして、やっと納得できる目標を持てた喜び。

    仙吉さんは、そんなスズメのことが可愛くて、可愛くてだった。
    しかし、修業では妥協を許さず、容赦もしない。
    味を追い求めて、その味が出るまでは、厳しく当たる。
    そして、だんだんその味をスズメが自分のものにした頃に、
    突然、眠るようにして仙吉さんは、亡くなる。

    しかし、人は死んでも、決して消えてしまうわけではない。
    私も、今は、こうして母や父に時々話しかけたり、頼みごとをしたりだ。
    ああ、私がこうして生きている間は、
    母も父も、ここに生きている。
    今朝も、父のことを夢に見た。
    どうしてあんなに全てのことが観たことのように鮮明なのだろうか。
    夢を見た後、その夢にいつも感動する私だった。

    だから、かんちゃんに、スズメも言っていた。
    「心の中に、ちゃんとおじいちゃんは生きとるよ」と。
    それは、死期が近い、原田知世さんも同じことだ。
    みんなでその日が来ることを感じつつ、
    何事も無く生きようと努力する。
    周りの友達が、夫が、律が、
    そのいつか必ずやって来るお別れを、忘れず、労り、生きている。

    彼女自身がそうだった。
    仙吉さんのように、不意に、大往生ということではない。
    刻々と身体の中での病魔は、忍び寄って来る。
    みんなと一緒に居ても身体が難儀なために、
    ベッドで休む。
    律も、先生も、ステンドガラス越しに彼女の哀しみを感ずる。

    彼女は、死については触れない。語らない。じっと待っている。
    何だかね。
    その刻々と過ぎていく日々、時間、一分一分が、愛おしく、切ない。
    ここに、死を迎えようとしている妻が居る。母が居る。
    彼女は、どこかでそのことを受け入れ、
    今、ここで、生かされていることを感謝して生きている。

    死を、誰も止めることはできない。
    本当は、みんなも死に向かって、日々を生きている。
    ただし、死では、人は終わらない。
    死んでも、遺るものが必ずあるからだ。
    それが、愛する家族や友達の心に遺る思い出ではないだろうか。

    春さんも、いつかスズメの思い出の中の春さんとなる。
    スズメも、かんちゃんの思い出の中のスズメとなる。
    でも、消えない。生きている。
    きっとそうなんだと、私は、母と父のことで実感している。
    スズメの言葉は、私の言葉だった。
    人は、死んでも、消えない。ここに居る。

    この物語のナレーションは、亡くなった祖母だった。
    本当に楽しそうに、時には、心配しながら、
    物語を語り続ける。
    彼女は、確かに死者である。
    死者は、居るんだな。
    生者が居るってことは、死者も居るってことなんだ。

    「私には、死ぬと言う最後の仕事が残されている」と、誰だっけ。
    そしたら、ひょっと横超だ。
    一瞬で、死者として生きる。
    そのことを実感する。
    それだけだ。

    きっと、そうなんだと、私は、こうして信じている。
    だから、怖くはなくなった。
    痛みだけはご勘弁だが、死は、みんなにやって来る。
    それを、どんな気持ちで受け入れられるかだ。

    「半分、青い」は、そんな深い物語を語り始めている。
    私は、この物語を、リスペクトしている。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月22日 10時11分03秒

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    大山台盆踊り大会

    昨夜は、大山台で盆踊り大会だった。
    老人福祉施設と近隣の町内会の共催で行われている。
    今、こうして地域で盆踊り大会をやれているところは、
    いったいどれだけあるのだろうか。
    この山の下でも、市場や古湊町、紡績の盆踊り大会は無くなった。
    踊る場所も、踊る人も少なくなったのが、現状だ。

    無くすことは、簡単だ。
    実は、開催する主催者の負担はとても大きいからだ。
    櫓を立てる。テントを立てる。椅子を並べる。
    その会場準備だけでも並大抵の労力ではない。
    そのために、動けるスタッフの数が必要になる。

    大山台ホームの理解と尽力があってのこの盆踊り大会だ。
    そして、この盆踊りをコーディネートするHさんの存在の大きさだ。
    彼女は舞踏家である。
    今週の末から、マドリッドでワークショップ3週間だ。
    新潟市内の盆踊りの研究家でもある。
    とにかくあちらこちらに出没して、
    昔から伝わっている伝統芸能である踊りを研究している人だ。

    内野・高森・亀田と、
    新潟市には味のある神楽や踊り、お囃子が残されている。
    その人たちとのネットワークを活かして、
    こうして大山台での盆踊りを企画担当してくれる。
    ここで聴ける樽囃子は、なかなか見事なものだった。
    そして、石山地域の踊りの会のベテラン踊り子さんたちが、
    たくさん参加して、踊りの輪を盛り上げてくれる。

    私は、昨夜、そのおばちゃん?に、
    亀田甚句と、佐渡おけさの踊りを習った。
    見よう見まねとはこのことで、
    これがまた楽しいものだ。
    汗びっしょりになり、
    ほとほと疲れて、自宅に帰った。

    施設の利用者さんであるお年寄りたちが、
    法被を着て、車椅子で楽しそうに踊りを観ている。
    車椅子で踊りの輪の中に入って手振りで踊るお婆ちゃんもいた。
    そこに、地域の若い夫婦や子どもたちが参加している。
    これが、本当のお祭りだなぁと、いつも感ずる。
    こうした行事を失くしてしまうことは、簡単だ。
    人が居ない。高齢者ばかりだ。予算がない。難しい・・・。
    だから、辞めにする。

    どれだけの地域行事が、そういう理由で消えてしまったことだろう。
    一度消えた行事は、復活することは難しい話だった。
    消えるには消えるだけの理由があるからだ。
    その理由を存じたうえで、でも、やっぱり、と始めることの勇気とパワー。
    それを持っている若手たちがどれだけいることかだった。
    また、その若手の想いをサポートする偉いお年寄りがどれだけいるかだ。

    こうして今年も開催できた盆踊り大会だ。
    そのことを実行し、こうした機会を提供してくれている、
    大山台ホームの皆様には、心からの感謝である。

    相互扶助がこれからの包括支援の基本的な在り方だ。
    だから、私たち地域の人たちも、
    そのホームの人たちのために何ができるのか、
    それを考え、実行することの大切さも感じている。
    そんな意味での「大山台農園クラブ」だ。

    これから、5年10年と長いスパンに立って、
    そうした相互的な支援のシステムができることを願っている。

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  • from: クマドンさん

    2018年08月21日 08時56分00秒

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    北越戊辰戦争150年の旅

    北越戊辰戦争の旅だった。
    現場に立つ。そこで、考える。そこで、感じる。
    そうしなければ、リアルな感覚で物語をとらえられない。
    物語は、向こうからやって来る。
    わくわくと、何だかその人物の魅力に、いてもたってもいられなくなる。
    それだから、私自身も感動しながらの脚本となれる。

    西郷さん松ヶ崎1カ月滞留の事実。
    ここから、私の北越戊辰戦争の旅が始まった。
    高田藩の榊原家が官軍に恭順を誓った。
    そしたら、高田藩の武士たちは、北越戊辰の先鋒に使われた。
    越後人を越後人と戦わせる、その卑劣さが戦争だな。

    越後の諸藩は、どこも戦をしたくなかった。
    官軍の目的は、越後に点在する会津・庄内・桑名・米沢の支配制し、
    会津をコテンパンに叩き潰すことが目的だった。
    ところがだ。
    小千谷の慈眼寺で、岩村と河井との会談が行われたが、
    官軍は長岡藩を倒すことを既に決定しており、
    河村が書いた「嘆願書」に見向きもしなかったというのが現状だった。

    陸路を、黒田・山縣が行ったら、この会談の結果は違ったものになったはず。
    西郷さんが、もう2カ月早く越後に来たら、
    きっと長岡城は落城しなかったと思う。
    弱冠21歳の若造では、ただ上の命令を忠実に実行するのみだ。
    ここで、長岡を焼けば手柄を立てられる。
    その功名心が長岡攻めを絶対のものとした。

    藩政改革を行い、武士たちの給金を平等に近いまで調整し、
    領民たちが平和に暮らせるための策を実行し、
    知行合一の「陽明学」を学んだ継之助は、
    家老として着々と新しい時代に向けた改革を断行していた。
    その矢先に、この会談だ。

    彼は、少数の従者だけを連れて、単身、慈眼寺の会見の間に乗り込んだ。
    命懸けだった。すごい男だ。
    しかし、対する岩村が、若すぎた、思慮に乏しく、血気が盛ん過ぎた。
    戦場では多くの血をみて、精神的にもおかしくならないと、
    この戦を戦い続けることは難しいと、館長も言っていたな。

    会談は決裂した。
    そして、長岡藩は奥羽列藩同盟に加わり、官軍と相対する藩となった。
    朝日山での戦で、戦いは始められた。
    継之助の想いは、いかに、いかに・・・だな。

    戊辰戦争記念館へ行って驚いた。
    その田んぼの真ん中に建つ記念館から見える田んぼと山とが、
    長岡城奪取のための2カ月に渡る攻防戦の舞台だった。
    沼地である八丁沖を夜明け前に青竹を持って渡った長岡藩士たち。
    決死隊は、そのまま長岡城を官軍から取り戻した。
    一度落とされた城を、再び取り戻したとは、
    まさに勇猛果敢な闘いだった。

    継之助たちが会津へ落ちのびた八十里越えの稜線もそこから見えた。
    彼等は、傷を負いつつも、あの山を越えて、会津藩と合流し、
    雌雄を決する最後の闘いに挑んで行ったのだ。
    会津の闘いでは、たくさんの長岡藩士が亡くなっているとのことだった。

    ところが、その記念館作成の、北越戊辰戦争の克明なる年表の、
    西郷来越の欄だけ、何も書かれていなかった。
    史実としては、この西郷さんの松ヶ崎1カ月の滞留は、
    認められてはいないのだった。
    だから、みなとぴあの館長の講演でも、そのことは触れられず、
    戊辰150年展でも、年表にはその事実は記されていなかった。
    そして、この記念館の年表にもそうなのだ。

    さてさて、西郷さんの本を書いた、Kさんの闘争心がむくむくと湧いた。湧いた。
    私も、物語の作家としての使命感と創作意欲とが、むくむくと湧いた。湧いた。
    「書かねばならない」
    やっぱり、物語は向こうからやって来るものだった。

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