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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2021年02月27日 08時46分10秒

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    出来る

    昨日のリモートでのこんな話。

    出来るとか出来ないとか、人が言っているけど、
    その人本人は、出来ているのかの問い。

    つまり、出来るとは、その言葉の通りに、
    「出て来る」だった。
    自分がやっている。自分は優秀だ。自分は出来る。
    それは、嘘だろうの気付きだ。
    出来るのは、自分ではない。
    あるものが出て来るから、その時、出来ると言える。

    そして、そのあるものが出て来るためには、
    こんなちっぽけで、我が侭で、自惚れ、自己満足、自画自賛では、
    絶対にその人は、出来ていない人だからだ。
    それか、大きな勘違いで、恥ずかしいことなんだ。

    自分は、出来ない。だから、出来るようになりたい。
    その時は、自分を捨てることだ。
    自分がいらなくなったら、空っぽの空間、がらんどうになったら、
    そこに、そのものが現われる。宿る。生きる。
    その時、現われるのは、出て来たものだ。
    そのものが、その人となる。
    そうなった瞬間だけを、出来たと言える。

    私は、今日、2回のゲネプロ。明日は、2回の本番の舞台だ。
    出来たい。本当に、そう願っている。
    これが、私にとっては最後の舞台となるだろう。
    だから、出来たい。出来たことを、実感したい。それを体現させたい。
    ただ、それでけで、舞台に立つ。
    それは、「祈り」だと感じた。
    降りて来るイアソンがいなかったら、私はそこに立つ意味は無い。
    役者とは、「やくもの」何だ。
    その役に成るとは、イアソンが私に成るとの事だ。
    私がいなくなればいなくなるだけ、イアソンが現われる。

    やっぱり、祈りだな。
    あの廊下を静かに渡りながら、ただ。祈ろう。
    それを、出来るか。
    全てを委ねられるか。
    そこに、全ての出来るは、かかっているな。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月24日 09時19分53秒

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    イアソンの復活だ

    今週は、毎日、夜にはリーデングの稽古だ。
    ワークショップのつもりで、気軽に参加した会だった。
    しかし、ギリシャ神話のイアソンにはまった。
    海賊船の船長の台詞を覚えながら、役者が役をやるとはどういうことかを考えた。
    この台詞、11月の学童保育のあの頃から、覚え始めた。
    職場に歩きで向かう途中に、声に出して、感情を入れて覚えた台詞だ。
    その日の台詞を決めて、それを徹底的に繰り返して頭に入れた。
    しかし、それは言葉を覚えただけ。
    覚えたから、思い出すことが、演技になった。
    全部、「駄目」と言われた。

    「思考した下さい」
    「言葉が出て来ます」
    これは何だの新たな世界だった。
    「自分を超えましよう」
    ちょっと待ってくれ。自分を超えても、自分だろう。
    「クマさんは、自分が語ろうとしています。イアソンが語るのです」
    何だそれは。いつもいつも驚きと新発見の連続だった。
    そこで、私は「ドッボン」に気付いた。
    「ここがロドスだ。ここで跳べ」とばかりに、えいっと跳んだ。
    これは、私にとっての大きな学びだった。

    確かに、いつもどこかで人の目や評価を気にしていたようだ。
    また、こうしてやろう。こんな気持ちなんだと、
    自分で勝手に解釈をして、その役になろうと努力していた。
    その時、私とイアソンとは、全く別物として存在する。
    何故なら、そこに現われているのは、私が考えて造り出した造り物。
    本当のイアソンは、ここには存在していないからだ。

    では、そのイアソンは、どこに居るのか。
    それは、自分の中に、いや、イアソンは復活することを待ち望んでいるんだな。
    その現われ出でようとするイアソンに、この身体を明け渡す。
    この身体と私を空っぽにする。
    そこに、いつの間にか、イアソンが宿り、イアソンが吠え、イアソンが暴れる。
    そのことを、私も楽しめばいい。
    与えられた役は、私が成りたかったその人なんだ。

    昨日、ふと、感じた。
    多くの人たちが、シェークスピアやギリシャ悲劇を演ずる。
    しかし、心に響かない。言葉が届かない。感動が全く無かった。
    それは、演じているからだ。
    自分が覚えた長台詞を間違えなく、言えことにだけ真剣だからだ。
    単に、台詞を見て、読んでいる人もいる。
    その言葉から、何の感動も生まれて来なかった。
    それは、一生懸命演じながらも、それは、他人事。造り物。
    自分の生き方・信念・真実、そのものではないからだろう。
    演ずることは出来る。それは、絶対に、そこまでなんだな。
    まだ向こう側に居る。こっち側に来たことが一度も無い。

    イアソンをやりながら感じたことは、「狂気」と「怒り」と「憎しみ」だった。
    その極限の現われとして、彼がここに立つ。
    舞台とは、彼が時空を超えて現われるための装置だった。
    だから、一歩でも踏み出したら、もう私ではない。
    イアソンの狂気となる。吠える。怒る。憎む。嘆く。怒鳴る。
    その塊。それでけでいい。
    イアソンが語る。ならば、少しの台詞の間違いは、何も問題ではない。
    問題は、イアソンではなく、このクマがそこ立っていることだ。
    イアソンに明け渡せ。イアソンに登場させろ。

    出来たか、出来ないかは、簡単だ。
    観ている人たちが、イアソンの恐ろしさと荒々しさとを感んじ、
    言葉を呑んで、その空気感に魅入ることだ。
    私は、イアソンでありながら、イアソンを見てはいない。
    私が無我夢中で没入すればするほど、イアソンは激しくそこに生きる。
    きっとみんなは、イアソンを観ているはずだ。
    だから、空気感が一変する。異界とその瞬間繋がる。それが、快感なんだ。

    どうして、そうならないのか。
    それは、役者として役になろうとするからだった。
    お芝居をしているつもりで台詞を読むと、本当に白けるものだ。
    その台詞は、私には響かない。そうすると、その台詞は辛い時間を私に嫁する。
    2時間半だった。私の出番まで、そんな辛さに耐えていた。
    お客さんは、きっと飽き飽きするだろう。帰りたくなるだろう。
    独りよがりの、独りがって。台詞は、本当は、お客さんのものでもあるのだ。
    それを、ちゃんと受け渡していない。
    そこで、独り台詞を読んでいる女性が居る。
    これで、いいのか、私は、腹立たしくもなって来た。

    えい、ままよ。
    これが、イアソンに成るための私の第一歩の気持ちだった。
    どうなるかは、イアソンにきいてくれ。
    「あの、怖ろしいことをしでかしたメディアは・・・」
    この台詞で、全ては決まる。
    イアソンと一枚になる。混じりっ気の無いイアソンである。
    「ああ、イアソンが出て来たな」と、遠くで感ずる。
    後は、イアソンに全て委ねる。好きにやってもらう。そのままの感情をぶっつける。
    実は、これが快感だった。
    こんな言葉を、私が言えるのは、イアソンとして舞台に立った時だけだ。

    つまり、イアソンに成れる快感と感動を、この舞台は与えてくれる。
    ギリシャ時代に生きた野蛮で粗野で単純な海賊船の船長だ。
    彼は、死者である。
    その彼が、この世に蘇る機会を与えられた。
    その身体は、この私のこれである。
    ここに、あの第一歩から、イアソンが乗り移る。イアソンのものになる。
    久しぶりの人間だ。暴れることが嬉しくてたまらない。
    あの憎きメディアへの復讐だ。
    ぶっ殺してやる。引き裂いてやる。
    そんなことを、私は、イアソンである時以外には、決して言えない。

    そこが、まだまだみんなには、分かっていない。
    その舞台で演ずるのは、Aさんであり、Bさんである。
    2000年前に生きていたその人ではない。
    英雄であり、王女であり、貴族であり、妖精である。
    その死んでしまった死者たちを、ここに復活させる。
    それだけで、いいのに、それを演じようとする。
    それは、その役に対する越権行為・傲慢な態度・非礼でもある。
    だから、メカベもハーモィも現われて来ない。
    居るのは、その人。
    その人を見るために、お客さんは舞台を見つめない。
    その人たちは、どう生きていたのか。感じたいのは、死者たちの言葉だ。

    ドッボンする。それは、自分が身投げして、死ぬと言うことだ。
    そうだから、イアソンが目覚める。息を吹き返す。一瞬、生き帰る。
    後は、好きなようにさせれば、いい。
    イアソンは、思う存分、爆発するはず、それを楽しめ。それだけだ。

    これは、自分を捨てる訓練だ。
    この線を跨いだら、もうイアソンなんだ。面白いね。快感だね。
    そんなことが出来るのも、あと何回となってしまった。
    今回、初めは気軽に参加したこのリーデングだったが、
    私に、役に乗り移られ、乗っ取られるその感動を、味わわせてくれている。

    これは、この世界に行った者にしか、絶対に分からない世界なんだ。
    本番は、日曜日の午後から2公演である。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月23日 07時23分33秒

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    映画「あたらしい世界」

    映画「あたらしい世界」を観た。
    10犯6入。28年間刑務所で暮らした川上正夫。
    確かに生きずらさで生き、犯罪を重ねて来たが、
    彼が元受刑者としてこの世界に戻って来たら、
    確かに、この世界は偏見と差別に満ち、生きずらい社会となっていた。

    私がこうして就活で苦戦するのも、それだった。
    「63歳・男性・未経験」そんなもの、使えるわけがない。
    役に立たないから、採用はしません。
    それが、現実のこの社会だ。
    ある意味、マイノリティーや弱者に対しては、
    とても冷たい社会となっているような気がする。

    「私だって辛く、苦しいのに」
    「あんたのことなんか、かまっているゆとりもないよ」
    「とにかく、自分で何とか生きとくれ。帰った。帰った」だな。
    これが「普通」のこに社会だった。

    前科のある人たちの就職は、とてもとても難しいことだった。
    まず、身元保証人があっても、部屋を借りることも大変だ。
    運転免許証は刑務所にいる間に失効してしまう。
    貯蓄も無く、かといって、即お金になる仕事は、やばい仕事ばかりだ。
    元のヤクザの仲間に戻っても、先が全く見えない状況。
    どうやって生きて行ったらいいのか。途方に暮れる。

    しかし、そんな中で、彼は、生きることを諦めず、絶望はしない。
    とにかく、真っ直ぐに生きていたら、分かったくれる人も現われる。
    困っている彼に同情し、励まし、支援する友達も出来て来る。
    どうやったら、希望を持って生きられるのか。
    それは、やっぱり彼のことを好きになり、
    彼のことを親身になって救けたいと思ってくれる人が、
    きっと1人でも居てくれるだけで、それでいいのだと、私は思った。

    みんな、こうした人へのかかわりを恐れる。
    今では、隣近所のお年寄りの困り感を、他人事として無視できる社会だ。
    孤立無援。買い物すらままならず、公的な支援を受けていない独居老人。
    その人たちの心の孤独。経済的な貧困。食べて行くための不安感。
    つまり、毎日毎日、生活することへの不安感を抱えて生きている人たちも多い。
    しかし、彼は、その不安な生活に入る前に、前科者として、社会から排除されている。

    この映画にも、そうした立場で苦しさの中を生きている人たちが居た。
    外国から来た不法労働者の若者たちだ。
    彼等は、パスポートを取り上げられ、タコ部屋のような所に入れられ、
    強制的に仕事させられ、搾取されている。
    生活保護受給者たちもそうだった。
    安アパートを当てがわれ、その支給されたお金を搾取されている。
    また、精神的に障害を持っている人たちもそうだった。
    就職へのハードルが高く、なかなか採用する企業は現われない。
    そうした、マイノリティーや弱者が、安心・安全に暮らせる社会を造るべきなのに、
    今の時代は、そのことに対して逆行している。

    強い者が独り勝ちだ。
    経済の再分配は起らず、お金持ちはその資産をただ自分だけのために抱え込む。
    「自分たちの税金を、こんなやつらのために使っているのか」と、
    そんなことを平気で言う人間も中にはいるらしい。
    孤立したり、弱者になったり、精神的な障害をもったり、不法労働者であったり。
    実は、この国は、そういう人たちが暮らしずらい社会を今、造っているのではないか。

    まず、自分が生き残ることが優先だ。
    だから、その人たちの困窮や苦難が見えない社会になっている。
    しかし、その人たちの生活は、今、ここの、死活問題だった。
    若年のホームレスが増えた。本当に路頭に迷っている若者がいる。
    特に、このコロナ禍から、これ以降の社会は、人間に優しい社会になれるのか。
    実は、大きな「問い」を持ちながら、その問いと向き合っていないのが今の現実だ。

    「あたらしい世界」とは、どんな世界になるのだろうか。
    「みんなが幸せに生きられる世界」を造らなくて、何が進歩と言えるのだろうか。
    そんな矛盾をかかえたまま、この社会はその問題を修正・改善する努力を怠る。
    今、自殺者が、前年よりも毎月の統計では増えている。
    そこで、語られている言葉とは、何であるのか。誰か、聴いているのかな。

    そんな彼が、介護の仕事に就いたことは驚いた。
    彼ならば、きっと弱者を生きる人たちの気持ちに共感できる人になる。
    それは、私が、介護職を目指している理由だった。
    今、お金ではなく、心で誰かが誰かに寄り添って行かねばならない。
    これならば、私にも出来る。彼にも出来る。
    だから、介護職には、こうした60歳代や、訳ありの人、障害のある人を、
    その人たちの枠として確保して、採用してもらいたいと願っている。
    私は、彼と同じ気持ちで、不採用の通知を、9回もらった。

    しかし、この映画を観た、昨日の午後。
    着信の番号に電話したら、あるディサービスからの採用の知らせだった。
    担当のNさんは、こんな私のために親身になって、各事業所にかけあってくれた。
    ある派遣会社への紹介料の手続きを済ませ、上司からの承諾を得たので
    一度、施設に必要な書類をとりに来て欲しいとのことだった。
    さっそく、午後3時に伺った。
    こんなこともあるんだなぁ。

    私の「あたらしい世界」は、3月第二週から始まるようだ。
    自宅に戻ったら、9通目の不採用の通知が届いていた。
    とにかく、このチャンスを生かすことだと、川上のことを、私は思った。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月22日 07時47分44秒

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    トライしてもらいたい

    「時間は、大切だよ」と、80歳の大先輩Kさんから言われた。
    何だかその言葉が、ずしんと沁みた。
    「気付いたら80歳になっていたよ」とのこと。
    私は、気付いたら63歳になっていた。
    そして、今年の夏には、64歳になる。
    確かに、時間はこうしていても流れて行く。
    その流れを、誰も止めることはできないものだ。

    だから、日々を、今、ここを、どう生きるかだった。
    仕事を引退した時、「やっと終わった」「休める」と思った。
    しかし、11月20日に学童保育を退職した。
    それから、三カ月がたった。
    就活を始めてから一カ月半くらいだろうか。
    未だに、どこからも採用通知は届かない。
    「何とかなるだろう」と、少し安心していたようである。
    現実は、これ。
    なかなか厳しい現実の年齢の壁だと感ずる。

    しかし、この残りの63歳を、どうやって生きて行こうかの話だった。
    実は、「もう仕事は、しなくてもいいよ」の声も聴こえる。
    充分それまで働いて来たのだから、暫くは、ゆっくりしたらとの在り難い声だ。
    私も、それには、確かに賛成している。
    「もう、いいかな」と、想うこともある。

    しかし、自分のどこかでは、まだまだやれる。まだまだやりたい。
    そんな声も聴こえて来るものだ。
    子どもたちのために働いた。次は、お年寄りのために働きたい。
    介護の仕事は未経験でも、私には63年間の人生経験がある。
    この経験は介護のベテラン30代には、絶対に負けない経験だった。
    お年寄りたちは、心や体のの寂しさ、辛さを感じて日々を生きている。
    「気がついたら、80歳・90歳」だ。
    これまで生きて来た人生を振り返ることは出来る。
    そして、生きて来た意味を肯定することも出来る。
    しかし、これから先、老いて、衰え、身体が不自由になったら、
    どうやって日々を生きていたら良いのか、その不安は誰もがあると思う。

    一番の課題は、最期に訪れる「死」である。
    自分はどんな死に方をするのか。
    死を素直に受け入れることが出来るのだろうか。
    その痛みや恐怖に、自分は耐えられるのだろうか。
    それは、誰もが通った道である。
    私は、その人たちの役には立たないとは思うが、
    その人たちに寄り添い、傍らで、話を聴くことはできると思っている。

    今、そうした心のケアを、お年寄りたちは、求めているのではないだろうか。
    介護の業界では、63歳の男性、未経験は、邪魔者であると思う。
    年下の職員の指示を素直に聴いて、動けないと決めつけているのだと思う。
    面倒だから、この人を、採用しない。
    でも、利用者であるお年寄りたちのニーズはどうなんだろう。
    私が、その立場だったら、ゆっくりと話を聴いてくれる人を求める。

    私は、これからの余生では、そんな誰かの傍らで、誰かの役に立つ生き方を、
    続けて行きたいと願っている。
    まぁ、こうして社会からは、邪魔だ、要らないとは、言われ続けているが、
    私には、この役目に対する自負があった。
    70代・80代を60代の私たちがしっかりとサポートする時代が来ているのだ。
    そのことを、感じ、理解していない、経営者の蒙昧・頑固さだな。
    リスクよりも、メリットを積極的に考え、トライすることだ。
    しかし、やはり日本の企業社会には、そのトライする精神が枯渇している。
    現状維持でいい。今までのままでいい。新たなことはしない。
    そうした既成概念・意識の壁が、こんな閉塞的な社会を生み出している。
    「やっていない」だから、「やってみる」
    それが、afterコロナの社会が目指すものであって欲しい。

    これまでは無かった。しかし、これからは、それをやってみる。
    やらない前から駄目だと決めない。トライしながら考える。良いものにする。
    そうやって、新たなアイデアでトライする企業は、生き残るはずだ。
    この国は、みんな「同じ」が好き過ぎる社会だ。
    みんなと違う。そうした「差別化」と「独自性」を測り、挑戦する。
    そこに、創造としての社会の進歩が在る。

    前例が無いから、入れてみるか。
    そう思って私の事を採用して欲しい。
    そのことが、これからの社会では、きっとスタンダードになると思う。
    人材のニーズはある。ならば、この年代の男たちを、介護の現場に導いて行く。
    フルタイムは難しいから、一つの仕事を2人でシェアする。
    そうしたワク組みを、シフトの中に位置づける。
    そうやって、60代の活躍の場を用意する。
    すると、その人は、その施設のいつしか必ず利用者となるはずだ。

    そこまで考えて、まずこの63歳わ試しに採用して欲しい。
    そこには、新たな介護の働き方改革と、将来の顧客獲得の方法が隠されているかもだ。
    勇気をもってトライする事情者を、私は待っている。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月21日 07時25分34秒

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    無欲で生きる

    さて、仕事が無い。
    それが現実だった。
    まぁ、やってみて分かったことは、この歳では条件が悪すぎることだ。
    一度、経験をしていたらまだ仕事はあるのだろうが、
    介護の資格を持っていても、未経験では、雇う側に不安はある、あるだな。
    だから、焦らないことにした。
    それでも、私のような老体を雇ってくれる寛大な事業所があることを祈りつつ、
    これからも、ゆっくりと求職を続けようと思う。

    まぁ、何とかここまで生き抜いて来た。
    そうやって考えると、これからも、何とか生き抜けるのではないかとも思う。
    まずは、我執を捨てることだ。
    そんなに執着して、どうしてもということは、今は、無い。
    本当に不思議なくらい、それが無い。
    職場での人間関係の悩みもこの現状だから無くなっている。
    見事に収入は、年金だけ。
    後は、細々と貯蓄を減らしながら、生活は続けられている。
    贅沢はしない。あるもので満足する。ギャンブルはしない。時々呑むだけだ。
    だから、そんなにはお金のかからない生活をしている。

    コロナのおかげで、好きなJRの旅も出来ない。
    それは、かえって経済的に豊かでない私には、丁度よかったのタイミングだった。
    本当は、西日本を全部電車で回る予定だったが、キャンセルだった。
    ワクチンの接種が始まったので、収束もついか必ずするとは想う。
    ただし、どうにもならないことには、腹を立てない。
    仕方ないなぁと、ただ、想うだけだ。

    ただ生きる。
    それで、充分ではないのかとも、思っている。
    日々、平凡な些事の繰り返し、連続だ。
    しかし、今朝、目が覚めて想ったことは、
    身体のどこも痛んでいない。病になっていない。不自由ではない。
    確かに、全ての機能の衰えは、感じている。
    弱っているなぁ。そろそろ酒をやめる潮時だなぁとも想う。
    体重もまだ80キロだった。
    この体重も、今のこの歳では確かに負担になっているようだった。
    身体に対するそうした負荷は、出来るだけ少なくしたい。
    私の今の願いとは、そんな程度のことだった。

    かっては執着しているものがあり、どうしてもそれをやりたいものもあった。
    今は、こうして晴天でも、山やスキーに行きたいとは思わない。
    その行動そのものが、難儀なものに感じられる。
    映画でもそうだった。以前なら、即、出かけた。
    今は、ぐずぐずしている内に、上映が終わっていることも多い。
    しかし、そのことすら忘れているから、大過なしだな。

    こうやって、無欲と言えば無欲のままで、生活できることは、
    ある意味では、幸せなことだった。
    まだ身体がそれなりに自由に動く。目が見え。音を聴けて。味を味わえる。
    そうした一つ一つのことを感謝しなければならない歳である。
    しかし、まだ不自由なくできることには、在り難さを感じている。
    だから、ぼーっと巣ごもりしていても心はどこかで充たされる。

    平日の日中は、私、独りでここに居る。
    行くべき職場も、出勤すべき時刻も、今は、無い。
    きっと仕事は、向こうからやって来てくれるとは、思っている。
    何も介護の仕事にこだわらなくてもいいとは、想う。
    でも、今は、待っている。少しの期待を持ちつつもだ。

    さて、今年の春からは、何をしようかと考える。
    昨年度は、学童保育があった。カンポスがあった。穏やかに日々を暮らせた。
    そう考えると、それで充分満足だったと、今も、想う。

    諦めることは、諦めることにした。
    自分の力の及ばないことや、制御不能なことには、かかわらないことにした。
    冷たいようだが、余計なことは言わず、ただ自分で自分を生きて来た。
    家族からは、いろいろと言われ、思われている。
    しかし、それも、仕方ないことだと諦めている。
    私は、その人たちが思う様には生きられない人だからだ。
    それは、お互い様だと、思うからだ。
    だから、ソーシャルディスタンス。お互いで大人の距離を保ちつつ生活している。
    これが出来るようになったことで、心の均衡は保たれている。

    お金は、大事に使うことだ。
    そのことも学んでいる。
    以前から、贅沢はしかった。
    買いたいものも高額なものは諦めていた。
    安いもので、満足をした。
    それで、よかったし、それで何も後悔はしていない。
    だから、収入が無い現在、その無欲な生き方で助かっている。
    こうやって、生きていても、いいかなぁと、最近は思っている。

    無常を感じつつ、無欲に生きる。
    これは、ラジオの仏教講座で学んだことだ。
    死ぬまで、その無欲に徹して、生きることだ。
    そのことは、こうやって生活してみて分かったことだが、
    幸せに通ずる生き方なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月20日 07時13分31秒

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    長生きしないと、分かりませんね

    さてさて、昨日の検査結果の診断で、石は発見できなかった。
    あの血尿の原因が、そのために尚更分からなくなってしまった。
    本当に診察室に入る前は、どきどきしている。
    もし、癌が見つかったら、どうしようかと思うからだ。
    だから、医師に「異常はありませんよ」と言われると、ほっとする。
    そうなんだな、健康に対する不安感は、この歳になるといつも付きまとうことだった。

    よく、Sさんと、「長生きいないと、分かりませんね」と語る。
    本当にそうなんだ。
    今、ここ、自分のようにして、生きることを見つめられたことは、
    やはり、50代までには、無かったような気がする。
    余裕が無く、ゆとりが無く、日々の仕事と生活に追われて生きていたかな。

    例えば、今は、仕事もしていない。
    だから、一日、自由な時間を過ごすことが出来る。
    数年前だったら、そんな時間がもったいないから、
    あちらこちらと行って見聞を広め、行動したのだと思う。
    今は、その欲が無くなった。
    それは、それで、コロナが収束したら、
    もっともっと他県への旅行をしたいとは思っているが、
    そうではない、この日々の平凡な生活にも、まんざらではない気持ちだ。

    時間に流れの中で生活する。
    この時間が大河の流れだとすると、その流れに逆らって泳がなくなった。
    この時間はがゆったりと流れるのなら、
    その流れに浮いたままで、移動する空や周りの景色を見ている。
    それもいいと、思われるようになった。
    何かをしないと満足できないのではなく、
    何もしなくても、それもいいと思われるようになった。

    それから、あまり「これが欲しい」というものも無くなった。
    先日、プリンターが故障したので、新しいものに買い替えた。
    最近した買い物は、それぐらいだ。
    後は、演技に使う革ジャンをセカンドハウスで購入しただけか。
    衣類は、今あるもので間に合っている。
    身に着けているものには、お金を使うことはあまりなかった。
    それは、それで、いいと、何も想わない。

    ヒヨドリの寒太郎のように生きよう。
    枝にポツンと一羽でとまり、空を見上げている彼は、孤高の鳥だ。
    恰好がいい。とにかく、あの独りでどうどうとしている姿に惚れる。
    私も、ああならなくては、いけない。
    いつも寒太郎には、そうやって励まされている。
    「独りでいい」と、尚更、そう思えるようになったから、楽なんだな。
    独りで生きる。独りで充たされる。独りがいい。かな。
    その「独り」を受け入れられるようになったのも、
    歳をとったおかげさまだ。
    誰もがみんな「独り」だった。
    私だけでない。みんな「独り」なんだ。
    その気付きは、大きかったと思っている。

    そして、身体のことだ。
    頭で考えることは、後にしている。
    まず、身体で感ずることだ。身体を気持ちよく動かすことだ。
    その活動の中で、思考が生まれる。言葉と出会う。気付きが生まれる。
    ある意味、50代とは、思考回路の逆転現象が起こっている。
    「頭ではない」「身体なんだ」そう思って生きていると、
    何だか自然のあるがままだ。
    だから、「悩まない」ことにしている。
    今、お日様が出て来た。光を空に輝かせだした。
    いつのまにか、こうやって、全ての事は移り行く。
    だから、今、ここで、悩まない。
    どうせ、もうしばらくすれば、違った今、ここになるからだ。
    勝手に妄想をして、勝手に悩むことをしなくなった。
    「何とかなる」「大丈夫」

    他者に対する諦めが出て来た。
    人は、人。私は、私。
    その違いをちゃんと認識して、余計なことはやらない、言わない。
    彼女は、彼女を生きている。
    彼は、彼を生きている。
    それは、私が、私を生きているのと同じことだ。
    だから、干渉はしない。変われとは言わない。今、ここを、認める。それだけ。
    他者の事で、イライラとすることは止めにした。
    とにかく、何を申しても変わらぬものに、申すだけ無駄だからだ。
    ただし、私の生き方で、語ることはできると思う。
    後は、その私をどう理解するかだな。

    確かに、私を嫌いな人がいる。批判的に見る人もいる。
    時には、私を仲間はずれにする人もいる。それは、それで、それなんだ。
    そのことに対して、私が怒ったり、抗議したり、ブチ切れたりすることは無い。
    そうやっても、その人たちの私の認識は、変わらないからだ。
    人の心は、変えられないものだ。
    だから、どんなに陰口・悪口を言われても、仕方ないと、諦める。
    そのことも、いつの間にか、忘れられることの1つだ。
    そう考えると、そのままほうっておくことにする。
    それは、どんな人とのかかわりでもそうだった。
    まず、相手のことをリスペクトする。認める。違ってもいいと思う。
    その違いに対して、とやかくは、言わない。
    それは、その人に対して決して冷たいのではない。
    その人の個性や生き方を尊重するから、私がかかわらないだけだ。

    後は、ゆっくりと食事をするようになったことか。
    朝食のメニューを考え、簡単だが、名何種類の食べ物を用意する。
    それを、ゆっくりと時間をかけて食べている。
    朝食に時間をかける。ゆっくりと味わって食べる。
    それは、仕事の無い私にとっての贅沢な一つである。
    何時までに食べ終わって、出勤しなければならない、それが無い。
    そのことは、幸せなことだと、ふと感じた。

    今、介護の仕事を求めている。
    しかし、ことごとく不採用だった。
    それは、仕方ないことと、半ば諦めてもいる。
    しかし、そのおかげで、この日々の自由な時間が私には与えられている。
    そのことには、感謝しよう。

    「食べるために、生きるのか」
    「生きるために、食べるのか」
    そのどちらを生きているかで、その人の幸福感は変わるのだと思う。

    しかし、「食べられない、生きられない」については、
    もっともっと社会全体での支援は必要だと、私も思う。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月18日 14時50分42秒

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    門は、ずっと開かれていた

    人は、心が不安でどうにもならない時に、神を求める。
    その不安であることから、心からの救いを求めるからだ。
    自分の力ではどうにもならない状況に落ちてしまい、
    にっちもさっちもいかない時に、
    人は、「助けてください」と、天を仰ぐ。祈る。助けを求める。
    それは、その人が大きな嵐の中で舟を漕ぎ出し、
    転覆する寸前、その海に投げ出され、沈みかかっている瞬間。
    自分では、どうにもならないから。
    全く自分や他の人たちが当てにはならないから、
    その時に、人は神を求める。

    それまでは、神の存在すら認めず、神はいないと言っていた人が、
    神を求める。救いを求める。
    神のことを理解はしている。聖書は読んでいる。
    みんなこの事が分かったら、信仰に入ろうとは思っている。
    しかし、ためらっている・躊躇している。決断を先延ばしにしている。

    こんな話があった。
    天国に来たある男は、自分の前に開かれている門を見た。
    しかし、呼ばれたら中に入ろう。誰かが来たら、一緒に入ろうと、
    その門の前に佇み、何年間もそこで待っていた。
    その門には1人の守衛が立っていた。
    ある日、その守衛がその門を閉じようとしていた。
    男は、慌ててその守衛に訊いた。
    「この門に入る人が1人も居なかったのは、どうしてなんだ」と。
    守衛は、答えた。
    「この門は、あなただけの門だから、他の人が来るはずはありません」
    男は驚き、中に入ろうとしたら、守衛に追い出され、
    「もう、門を閉じる時刻です。間に合いませんでしたね」と、
    守衛は、がちゃんと、その門を男の前で閉じてしまった。
    男は、自分のためにずっと開いていた門に、入れなかった。

    私は、幸いにも、その門の中には入られた。
    それは、S先生に。どんと背中を押されたからだ。
    きっと、私自身は、進んでこの信仰と言う門には、入らなかったと思う。
    きっと、この男のように、開かれた門の前に佇み、時間を過ぎ去らせたと思う。
    私には、S先生がいてくれた。
    本当に、先生には心からの感謝だった。

    さて、主は嵐が来ることを知りながら、弟子たちだけを舟に乗せて、
    湖にその舟を進ませた。
    イエスは、独り山の中で祈っていた。
    ところがいつのまにやら嵐は激しくなり、大きな波が次々に襲い掛かって来る。
    弟子たちは、恐れた。
    この時だ、主に助けを求めて、必死に祈ったのは。
    すると、主は波の上を歩いて、こちらにやって来てくれた。
    「わたしがここにいる。恐れるな」だった。
    本当にそんなんだな。信仰があれば、恐れることは無くなってしまう。
    ただし、その信仰を持つ者が、私のように弱い者なら、ペテロのようなことになる。
    彼は、現実の困難や試練に心を奪われ、一瞬、神の助けを忘れてしまった。

    信ずる事は、自分から出来ることではない。
    それは、信じられる時に、向こうからやって来るものだ。
    この弟子たちは、イエスが舟に乗った途端に、嵐がやみ、波が静まったことを見て、
    「まことに、あなたは神のみ子です」との、信仰告白をした。
    人は、自分の力で信仰を持てるほど、謙虚で無心で、愚かではない。
    人は、まだまだ自分で何とか出来る。自分が分かったら信ずる。
    そうした、自力への自信。傲慢な態度。まだ大丈夫だという間違った自己理解。
    だから、開いた門の中には、自分から入ろうとはしないのだった。

    つまり、自分ではどうにもならない嵐にあい、もう駄目だと思い、
    とにかく助けを求める時、イエスは向こうからやって来てくれる。
    つまり、神は、その助けを求める恐れを待っているのだ。
    患難・試練・絶望・苦悩。
    そこに、イエスは、いてくれる。
    信仰への門は、その時、誰にでも開かれている。
    後は、その呼びかけに応えて、中に入るだけなんだ。
    しかし、その門が閉ざされても気付かない人が大部分の人だった。

    そんなことを、聖書でこの箇所を読みながら、考えることが出来た。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月17日 07時01分36秒

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    孤独感と不安感

    みんな不安を抱え、孤独に生きている。
    問題の無い人は、一人もいない。
    その問題とは、その人の周りの人がかかわり、解決する問題である。
    本人は、ただ困っている。不安感を抱えて生きている。
    だから、その問題を理解して、手を差し伸べる人が求められている。

    そんなことを、カウンセラーの彼と話し合った。
    つまり、誰もがそうした孤独感と不安感に生きているという事実だ。
    そんなもの、感じたことは一度もないと、言える人はいないと思う。
    それは、こうして生きていることの、特性のようなものだからだ。

    「子宮外胎児」という考え方があると教えてもらった。
    人間は、胎児として子宮内で生きている時が、一番安心して幸せを感ずる。
    それは、すやすやと眠りながらも生きることを母親から守られ続けるからだ。
    その安心感は、深く深く母に対する信頼感となる。
    しかし、人間は脳の発達により、子宮で大きく育つと、
    生まれてくるときに、狭い産道を通ることができなくなる。
    だから、10カ月で外の世界へと産まれさせられる。
    しかし、他の動物たちは、その時、既に自立して、生活できる能力を与えられている。
    人間は、違う。
    まだ成熟の途中。まだまだ本当は保護され、守られねばならない状態で、
    この世界に産まれさせられる。

    つまり、赤ん坊は、まだまだ生物的には胎児のままなんだ。
    しかし、その時、しっかりと抱きしめられ、愛され、守られる感覚。
    それを味わうことで、その不安感は薄らぎ、それが信頼感と変化する。
    つまり、泣けば、助けに来てくれる。
    ここで赤ちゃんが出会う「愛」がとてもとても大切なことになる。
    その時、本質的な人に対する信頼感を、赤ちゃんは培っていくこと出来る。
    母の愛情は、赤ちゃんの母や人間に対する「信頼感」に転化する。

    これが、「ベーシック・トラスト」と呼ばれるものだそうだ。
    つまり、根本的に人に対しての信頼感を持っていたら、
    自分自身が困っていたり、辛く感じたり、悩んでいたりしていても、
    そのことを人に打ち明け、話し、相談する、
    そうした相手の人に対する「信頼感」が育って行くというのだった。

    しかし、反対に虐待やネグレクト等、冷たくほうっておかれたあかちゃんは、
    ずっとずっと孤独の中で、不安感を抱え続けて、生きて行かねばならないのだ。
    生まれてから、幼児の頃、どうやってその子は、育てられていたのか。
    それは、その後のその子の人生を大きく左右する要因となる。

    また、この信頼感を持っている子は、探究心をもち、冒険が出来る子となる。
    それは、自分が困ったり、痛い目に合ったりはしても、
    泣いて戻れる母がそこにちゃんと居ることを知っているからだ。
    もし、そうなっても、母がしっかり守ってくれる。抱きしめてくれる。
    その繰り返しの中で、子どもには生きる意欲と自信とが育つそうだ。

    それから、大事なことは、受容的な態度だった。
    「よし、悪し」「出来る、出来ない」「優れる、劣る」「賢い、愚か」
    そうした価値観では、子どものことを絶対に評価をしない。
    そう感じられるような言葉も、子どもの耳には聴かせない。
    いつも笑顔で、ぎゆっと抱きしめる。
    「大好きだよ」と、その愛情を言葉に表す。
    そして、その子のことを宝物のもように大事に育てる。
    そうされた子は、どういう人に育つだろうか。
    きっと、いろいろな壁にぶち当たり、挫けたとしても、
    やっぱり自分自身を鼓舞して、勇気を奮い起こして、立ち上がるだろう。
    その力は、母親から、父親から、肯定的に与えられているからだ。

    さてさて、そのカウンセリングにやって来る、クライアントは、
    やはりその根源的な人に対する信頼感を持てない人が多いそうだ。
    というか、自分自身の存在に対する信頼感も持てないまま、
    大人になっている人たちが、多い。
    「アダルト・チルドレン」と昔、呼ばれた人たちだ。
    人は、孤独感と不安感を持って生きるものだ。
    それは、生きている人には、全ての人に当てはまるものだった。
    ます、そういうものであることを、自覚する。認めることだ。

    しかし、その時なんだな、その困難な状況を確かに認め、
    その原因である自分自身の無意識な心に気付き、
    その傷ついた自分を「許し」「受け入れ」「好きになる」そのプロセスが、
    カウンセラーとクライアントのかかわりの中で展開される。
    そうすると、その問題は、自ずから解決するらしいのだ。

    彼も、「Doctor倫太郎」に、はまっていたそうだった。
    今、私が一番観たいドラマが、これだった。

    孤独で無い人は、一人もいない。
    不安感を持っていない人は、一人もいない。
    そこから、スタートしないと、この根源的な問題は、決して解決しないようだ。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月16日 09時08分15秒

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    自閉的な人と認知症の人と

    何だか、土日に私は疲れていた。
    それは、どうしてだったのかを考えた。
    そして、気付いたことは、人と接することが多かったことにその原因はあった事だ。
    独りで平日、庭を見て、寒太郎と雀たちに話しかけている時は、いい。
    ヨガをした、レクイエムの稽古をしたり、読書をしたり、料理を造ったり、
    その時も、それなりに心は穏やかで、平穏だった。

    ところが、「こうしてもらいたい」と願っていたことを、やってもらえず。
    「どうしてこうなるんだ」と、腹の立つことをやられ続ける。
    何だか、俯瞰した立場から、冷静にかかわろうとしていたのに、
    いつの間にか相手の思いや、我がままに巻き込まれて、感情を乱している。
    「ああ、そうか。そうですね。やってみます」ではなく、
    私が提案したことは、ことごとく否定される。批判される。
    自分の思いややり方が優先するために、その提案を拒否し続ける。
    ここには、妥協や折衷案は無い。
    「私がやりたくないのだから、やらせないで」だった。

    確かに、その気持ちも分からなくはない。
    しかし、余りにも一方的で、自閉的なこの態度には、
    やっぱり、どうしたって。腹が立つものだった。
    自閉的に生きている人には、その自覚は皆無だった。
    ただ、相手から言われたこと、強い口調で要求されたこと、批難されたこと。
    そのことだけが心に残る。
    どうして相手が感情的になって語りかけて来るのか、
    そもそも相手を怒らせたのは自分だということの認識すら、この人たちは持てない。

    自閉的な人は、相手の感情や想いを創造する力が、本当に欠けているのだ。
    本当に相手のことを理解できない。というか、理解しようと言う気持ちは無いのだった。
    まず、興味・関心は、自分のことだけ。
    つまり、相手についての興味・関心が無ければ、まずその人の話はきかない。
    だから、私が提案をしたとしても、その提案そのものが存在しないものと同じだった。
    そして、言ったからと、私が強引に行動に出ると、驚き、騒ぎ、拒否をする。
    「何で、そんなことを勝手にするのか」だ。
    しかし、このことは、既にお互いの話し合いで了承し、契約しているはずの事だ。
    自閉の人には、そうした交渉事は、通用しない。
    自分のことだけを、最優先に考えているからだ。
    自分にとって得なことはやる。自分にとって損なことは、やらない。
    本当に、閉ざされた自己の中の世界だけで完結している人だから、
    そんなことは、この人たちにとっては当たり前のことだった。
    腹を立てる、私の認識が間違っているだけなんだ。

    頭の中の情報も整理整頓、分類して保管することが出来ない。
    この人たちは、目に見えないと不安になる。失くしてしまったのだと思う。
    だから、床や畳の上に衣類や持ち物、道具をばらまいて置く。
    箪笥の中に片づけると、どこへしまったか忘れる恐れをもっているから、
    そうやって脱いだ衣類もたたまずに、床の上に山積みにする。
    私から見たら、どうなっているのかの状況でも、
    そのままであることを見ると、安心するらしい。
    この人たちの部屋が、時にはごみ部屋となっていることが多いのは、
    この自閉の人たちの特性にもよるようだ。

    それから、決断が出来ない。決断をしない。のらりくらりと決定を先にする。
    それは、一度決定すると、それをやらなくてはならなくなるからだった。
    つまり、決断・決定をしなければ、そのままでいい。
    この人たちは、変化をとても恐れる人たちだ。
    特に、急な変化・変更には、耐えられない。
    今日は夕食がいらないと言っていながら、やっぱり夕食をお願いします。
    そうした、突然の変更は、この人をパニックに陥れる。
    どう対応していいのか分からずに、立ち往生する。思考停止する。
    そして、こうなってしまった原因の相手に対して、怒りを感ずる。
    そして、攻撃する。

    実は、自閉の人は、突然、怒りだすことがある。
    急に感情を激し、相手のことを執拗に攻撃するのだ。
    「自分の気持ちを分かってくれない」
    そこから発する怒りのエネルギーは大きなものだった。
    一度、スイッチが入ると、興奮に興奮を呼び、だんだんエスカレートする。
    その内に、どんどん過去への遡りが始まる。
    「いつもこうだ」「絶対にこうだ」「あんたはこうだ」と、一方的な決めつけだ。
    こうなると、手がつけられない。だから、その場を離れることだ。

    相手の気持ちを尊重して、考えることを苦手としている。
    いや、そもそもそうした考え方のセオリーを持たずに生きて来た人たちだ。
    自分が言ったことや、やったことを相手がどう感ずるかは、どうでもいいことだ。
    不思議なんだが、そうした人とのコミュニケーションの基本である、
    相手の気持ちを想像して、推し量るという機能が乏しい場合が多いようだ。
    だから、こんなことが頻繁に起きてしまう。
    「自分が考えたように、相手が考えていることが、当然なんだ。」
    「どうして、私が考えたように、この人は、考えて、行動しないのか。」
    つまり、他者は、自分なんだ。
    他者は、違った存在・人格・考えを持って生きていることを、実感できない人たちだ。
    だから、相手が怒ることを、平気で言える。やれる。
    それに対して、相手が怒ると、怒られた、怒鳴られた事実だけが頭に残る。
    怒らせたのが自分だと言うことは、すっかりと忘れているからだ。

    この人たちは、自閉でありながら、とてもとても他人の目や評価を気にする場合もある。
    「みんな」「普通」「社会」「常識」「世の中」の基準を自分で勝手に決めて、
    それを相手に対する反論のエビデンスとして使う。
    自分の意見や考えは、持たないでいる。
    みんなが考えるように、自分は考えているとの大きな錯覚だ。
    自分は普通の人で、相手は異常だと言う勝手な決めつけだ。
    世の中はこうなっているのだから、どうしてあなたはそれに従わないのかだな。
    確かに、この人には、自分のオリジナルの意見や考え方は、無い。
    自分の行動や失敗から学習して、自分を変える、変更することが出来ないからだ。
    つまり、自分自身も、その環境の1つであり。
    急な変化・変更には耐えられないから、疑問は持たず、与えられた価値観だけで生きられる。
    閉ざされているのは、外部とのかかわりでもあるが、
    そうやって守っているのは、自己の変化・変更をしなくてもいいためなんだと、
    何だかこうやって分析しながら、今、そのことに、気付いた。

    絶えず、変化や変更を迫られ、臨機応変に即断即答を求められる職場では、
    なかなか大変なストレスを、味わっているのだろうなぁと、推察できる。
    周りに居て、共に生活し、仕事をしている家族や同僚のこの特性理解がないと、
    その人は、異質な人として批判・非難・攻撃・差別の対象となる人だ。
    そう言えば、一緒に勤めたあの人、この人と、思い当たる人が居る。
    実は、昨日、ケアマネさんに叔母のことで私が腹を立てていると話したら、
    「クマさん、叔母さんの認知症は、相当進んでいますよ」と、言われた。
    みんな、認知症がしていることなんだな。

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  • from: クマドンさん

    2021年02月15日 08時04分19秒

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    叔母の気持ちを優先したか?

    変わらないものはない。
    いつのまにか全てのものは変化する。
    我が教会で、あってはいけないことが、あるセクトによって起こされた。
    驚いた。信仰のある人たちがやることか。
    こんなにも人間臭いどろどろの闘いを挑んで来るとはの驚きだった。
    「神は、愛である」と学んでいた人たちが、
    そうやって事実を捏造して、自分たちに都合のよいように解釈を変えて、訴えた。
    その行動には、驚きだけだった。

    そんなことが、2年間も続き、今も、水面下で行われている。
    そして、いつも総会はその人たちが立ち上がり、叫び、暴れ、大混乱だった。
    その人たちは、自分たちを正義だと信じている。
    それは、それでもいい。
    しかし、こうした公の総会を混乱させるその事実には、正義は無い。
    自分が、自分だけが正しいと思い込んでいる人のこれが行動だ。
    それに対して、何かものを申すだけで、批判だ、間違っていると否定される。
    正しいのは、自分たちの意見・考えだけだ。

    ところが、昨日の総会は、嘘のように穏やかだった。
    そのセクトの人たちの乱入・闖入が無かったからだ。
    来たら来たで対処しようと、想定はしていた。
    しかし、その影すら見せなかった。まさに、肩透かしだった。
    平穏に、粛々と議事が進められている。
    当たり前のことなんだが、これが出来なかったこの総会だ。
    いつか、こういう日が来るんだなぁ。
    だから、今だけにごたわって、悩まないことだ。
    こんな荒らす人たちも、いつしか時を経たら、消え去っている。

    しかし、私は、こうした人間的な想いに対すると、
    だんだん疲れてしまい、耐えられなくなってきている自分を感ずる。
    イライラとしてしまい。強い口調で怒りをぶつけることもある。
    ああ、歳をとったな。忍耐が緩んだな。我慢できなくなっているな。
    そんなことを、最近感ずることが多くなった。

    叔母は、やっと土日にショートステイに泊まりに行った。
    それは、それで大進歩でよかったのだが、
    それまでの間が、やはり大変だったようだ。
    次女に、やいのやいのと電話をかける。彼女が仕事中にでもだ。
    あれがない。これはどこにある。ああ、面倒だ。だな。
    そんな愚痴をわざわざ仕事をしている彼女に電話する。
    それは、仕方ないことなんだ。
    認知症の人たちは、不安感をいつも抱えて生活している。
    何か新しいことに対しての適応能力が低く、
    どうしたらよいのか分からず、おろおろとしてまう。

    だから、直ぐに誰かに頼る。
    思い立ったら、直ぐにその不安を解消しようと、電話をかける。
    困っているこの状況を直ぐに解決してもらいたい。
    だから、「お願い」「助けて」と、電話をかける。
    私にも、そんな電話が続くことがある。
    それは、それで、仕方ないことだ。

    でも、今回一回目に行ったからどんなにかよかったことかと考えいたら、
    そうではなかったことがよく分かった。
    楽しくなかったそうだ。気を使ったようだ。慣れない生活に落ち着かなかったそうだ。
    それは、そうだろう。一回目何だから。
    しかし、本人はそうは思わない。「もう、行かない」「行きたくない」
    「3月を断りたいから、連絡してください」との電話だった。
    ここまで、やっとこぎつけたのに、また、元の状態に戻るのか。
    今回は、次女に少し身体と心の静養が必要だから、行ってもらったのに、
    やっぱり、次女のことよりも、自分のことが優先にされる。
    そんな我が侭のために、どうして私が尽くさねばならないのか。

    何だか腹が立ち、「断るなら、自分でケアマネに言って」と、電話を切った。
    こんなはずではなかったが、やっぱり私は、堪忍袋の尾を切った。
    ここまでやっているのに、やっぱり自分が優先なのかと、腹が立った。
    しばらくは、叔母とは、距離を置こうと、そう思った。
    次女からも言われた、私が急ぎ過ぎるから、叔母がパニックになっていると。
    だから、「急がないでもらいたい」だった。
    そうなんだよなぁ。みんな、そうなんだよなぁ。

    叔母と彼女のためにしたことが、迷惑なことになっていた。
    これを人は、余計なおせっかいと言うらしい。
    今回は、確かにケアマネと連携して、急ピッチで自立した生活が出来るための、
    システムや、人員、器具・用具、そして、ショートスティを準備した。
    これで、自立した生活は可能だった。
    しかし、一番大事なことを私は、理解していなかったようだ。
    それは、叔母は、自立したくはないと言うこと。
    いつも困ったら、次女や私に助けてもらいたいと言うこと。
    人に頼めば何となしてもらえる依存症であるということ。
    何よりも、人の気持ちよりも自分の気持ちを優先する人であること。

    それが叔母であるという認識を、私は持たなかったことの失敗だった。
    「大変だ。急がなければ」と、思ったのは、私だけだった。
    みんなは、そのままでも、いいと、思っていたのかも知れない。
    そこへ、途中からかかわった私が、独り突っ走ったから、
    こんな混乱を、叔母と次女の生活に招いてしまった。
    これでは、あの教会を荒した、あのセクトの人と同じではないか。

    私が、正義だ。私の言うことに、従え。
    これこそ、叔母にとっては理不尽で、絶対無理な要求だったんだな。
    そのことを、私は理解できずに、がんがんと進めてしまった。
    確かに、生活は改善された。清潔で安心できる環境も整った。
    いつも誰かが叔母のことを見守ってくれている。
    でも、本当に大事なことは、そうされている叔母の気持ちそのものなんだな。
    そのことをもっと私が優先したら、
    こんなにも急いではやらなかったと、今は、反省している。

    家族での介護は、やはり難しいものだと、
    昨日の電話で腹を立てている自分に気付き、改めてそう思った。

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