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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2014年07月11日 06時23分29秒

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    15本の木々の魂が語る言霊とは

    森に呼ばれて、森の話をすることになった。
    学校の森づくりが、私の人生のターニングポイントだった。
    その小学校に再び呼ばれ、私は森を造った当時の話をすることになった。
    昨日の新潟日報にその募集記事が掲載されている。
    7月26日(土)のことだ。

    本当にここで森造りをしなかったら、今の私は存在しないと思っている。
    生き方を全く予想もできなかった方向に、修正された。
    それは、全て出会いと気づきとチャンスの賜物だった。

    5年間をかけて「太田の森」は地域の人たちと子ども達と共に造成された。
    これほど多くの人たちの想いをもって造られた森もないとは想っている。
    植樹はほんの1日でできる。
    しかし、私たちはそのことのために5年間をかけたのだ。

    蛍のための小川と小さな池を造った。
    そこでは、一時は姿をまったく見せなくなったホタルが自生している。
    初めは幼虫から育てた。
    しかし、現在は自然の中で蛍が育ち、時期が来ると舞っている。
    造った当時に思い描いた夢が、今では現実となっている。

    不思議なものだ。
    昨年の初夏に、この森でかっての仲間たちが集った。
    「学校の森のキャンペーン」のためだった。
    森がまた私に使命を与えてくれた。
    私はそう想って、この森を訪ねた。

    驚いた。私たちが植えた、そして力いっぱい逞しく育っていたクヌギやコナラの樹木が、
    なんと15本も伐採されて姿が見えなくなっていたのだ。
    ショックだった。哀しかった。辛かった。
    私がこの世から消えても、この木々たちは生き残って、
    この地の子どもたちを見守ってくれると信じていたのに・・・。
    「けんじゅう公園林」だと、私は誇りに思っていたのに・・・。

    そのクヌギは、私の親友だった。
    その親友を伐採され、殺されてしまった哀しみは、切った者には分かるまい。
    しかし、その時ふと想ったことがあった。
    「いや、あの15本の木々の魂は、消えずにここに根付き、宿っているはずだと。」
    魂で見直すと、全てのいのちはけっして死なない、いやなくならない。
    存在は見える形を変えても、ゼロにはけっしてならないんだ。
    それは、私の母も、きっと私もそうなのだと想っている。

    だから、今回のチャンスは、きっとこの15本の木々が私に与えた使命なのだと、
    今はそう想い、準備を進めている。
    ぜひ、興味があったら来てもらいたい。
    そして、実際にその「太田の森」を散策してもらい、
    私たち3名の話を聴いてもらいたい。

    それが、15本の木々たちの魂からの願いなのだから。


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  • from: クマさんさん

    2014年07月11日 06時04分36秒

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    何も考えず、ただ生きる

    またまた久しぶりの登場となってしまった。
    誰も読んではもらえないこの掲示板でも、やっぱり書く事に意義がある。
    今週の前半は過労のためにダウンしていた。
    気力どころか、立っていることがやっとだった。
    本当に体力の衰えを感じた。
    それでも日々の生業は全うしなくてはならない。
    この厳しき現実が、とにかく職場に向かわせている。

    考えなくなった。
    本当に「いかに生きるか」を、考えていない私だった。
    以前はそのことを想うために、この掲示板で言葉を紡いだ。
    何かヒントや気づきがあると、ここでそのことを考えていた。
    だから、読み返してみても面白い記事もあった。

    しかし、今は、「ただ生きる」そのことばかりだ。
    1日をやっぱりどうしても生き抜かなければならないので、
    具体的なすぐ目の前のことに対する選択と決断ばかりで1日が終わっていた。
    しかし、「いかに生きるか」から、「ただ生きる」の方が、
    何だか私が畑で育てている野菜たちと同じような生き方のような気がする。
    「ただ生きたい」がために、
    私はこれまで苦難と試練の中で「いかに生きるか」を模索し、追究したきたのかもである。

    本当は、何も考えず、何も思い煩わず、「ただ生きる」それだけでよいのではないだろうか。
    今朝4時半に起床した。
    ワールドカップのおかげで早起きの習慣?が身に付いた。
    それから、炊飯器をセットして、突然冷蔵庫の大掃除を始めたのだ。
    朝の5時だよ。
    しかし、「ただ生きる」とは、そういうことではないかと、何だか腑に落ちた。
    いいんだ。それをやろうと思ったのだから。時間があったのだから。

    居ても居なくてもいい人は、この社会には存在すべきなんだ。
    「ただひょうひょうと生きる人」が傍に居ることで、
    人は、人として安堵して生きられるのではないだろうか。

    菩薩様とは、きっとそういう生き方をした人のことなのだと、
    やっとこの年になって分かるようになってきた。




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  • from: クマさんさん

    2014年07月06日 16時54分23秒

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    自然を食べることの自然な生活

    やっぱりお金なんだろうか。
    さっき原信に買い物に行った。
    ビールや野菜や魚、刺身、焼肉を買ったら、4600円だった。
    そうだよな、行くたびに4~5千円の出費だった。
    だから、買い物には極力行かないようにしているが、
    食べるからにはそうはいかないのだ。

    佐渡の旅館の親父さんが、
    早朝の漁港で漁船の親父から直接魚を買っていた。
    野菜については、近くの農家から安く仕入れているそうである。
    素材そのものが新鮮でうますぎるので、
    余計な調理も必要ないくらいだ。
    贅沢なことを言わなければ、食っていくことはできるのだ。
    しかし、町の暮らしでは、やっぱり貨幣経済が優先なのだ。

    我が家のプランタ菜園では、時々きゅうりとなすの収穫がある。
    キャベツはやっと芯が丸く固くなり、枝豆に小さな豆ができたてきた。
    これでは食っていくわけにはいかないが、
    この野菜たちを育てながら、やっぱり日々の贅沢な暮らしぶりを考えてしまった。
    食べるなら、あるものであるものの良さを生かして調理すればそれでいいんだと。

    強清水の清水荘で食べた梅干がとても旨かった。
    なんと言うか甘い梅干なんだ。
    すっぱいものが苦手な私が、梅干を生まれて初めて旨いと思って食べていた。
    帰りがけに親父さんに聞くと、女将さんの手作りなのだそうだ。
    そう言えば玄関にざるに山のように梅が入っていたなぁ。
    「お客さんから好評で、よく送ってくれと言われるよ」とのこと。
    手作りで食べたいものは加工しているのだ。

    そうだったなぁ。
    我が家の亡くなった祖母は、貧乏の子沢山(男1名女9名)だったから、
    とにかく自分で食べたいものは大量に作っていたものだった。
    葡萄酒はカメに大量に入れたぶどうをもんで、それを漉しながら一升瓶に何本も造った。
    笹団子は時期になるといっぱいのきに吊るされた。
    柿もそうだった。必ずさわしてダンボール箱に入れていた。
    吊るして甘柿にもしたものだった。
    味噌は親戚一同が集まり、これまた大量の大豆を煮て、作ったものだった。
    年末行事は、やっぱり親戚全部が集まっての餅つきだった。

    そうなんだ。
    あるものを食べる。
    旬なものを旬に食べる。
    保存したり、後で食べるための加工は自分でやった。
    梅の時期には、やっぱりざるいっぱいの梅を天日干ししていたものだ。

    そのそれぞれの家独自の食文化を通して、
    私たちは年寄りや親たちの愛情を食べることで感じてきたのだと、改めて想った。

    佐渡には、そんな金では決して買えないものがふんだんに残されている。
    金で買えるものは、その価値でしかないが、
    金では買えないものこそ、本当に値打ちのあるものではないだろうか。
    佐渡の食文化は、海と川と里山と田んぼと畑が育てた伝統的な文化なんだ。

    スーパーで買い物をすると、ふと佐渡の食べ物が懐かしくなってしまった。
    そんなことを考えているのは、私だけなのだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2014年07月06日 16時29分34秒

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    自然の中で生きる人たち

    疲労困憊の日々が続いている。
    とにかく疲労感が抜けず、何も運動をする気が起きないのだ。
    スイミングに毎週土曜日に通っているときはまだ運動ができていた。
    しかし、暑さと共に疲労が蓄積されると、やっぱり易きに流れてしまう私だった。

    佐渡で気づいたことがあった。
    実は、佐渡の自然度は手付かずのまま残されている部分が多いということだった。
    観光地や観光施設だけに目が行ってしまいがちだが、
    佐渡は自転車で走ると、その良さがとことん満喫できる土地なんだ。

    今回は小木のまた先の強清水集落にお世話になった。
    小さな小さな漁港だった。
    年寄りの漁師たちがそこには暮らしていた。
    早朝漁港に行くと、小さな漁船から網を出し、かかった魚をとっていた。
    三人の老漁師たちが、塩とお日様とで赤銅色に焼けた顔と手で、
    黙って魚を網からはずしていた。

    飛魚だった。
    銀色に輝く腹に、大きな天を見上げる目玉が印象的だ。
    佐渡ではこれを干してアゴという出汁の元にする。
    私は、飛魚の刺身が大好きだ。
    恵は海からやってくる。
    その日食べられる量だけ採ればそれでいいんだ。

    漁港に降りる坂の所に、30坪ほどの畑があった。
    トマトにきゅうりに、ピーマンにナスに、枝豆。
    かぼちゃの葉っぱがやけにでかく茂っていた。
    夏野菜の畑だった。
    その大地とお日様からの恵があれば、何とかなるというものだった。

    夜は満点の星空だった。
    天の川がうっすらとしろくぼーっと滲んだように夜空に広がる。
    そこに夏の大三角形が輝き、北斗七星はくっきりと見えていた。
    無数の星たちが瞬きするように輝いていた。
    息を飲むスペクタクルだ。
    これもまた天からの恵というみのだと私は想った。

    つまり、まちで灯りの中で人間ばかりに囲まれて暮らしていると、
    私たちは何か大事なものと触れ合わず、
    出会わずに生きてしまうのではないだろうか。
    本当は海や川がそこに在り、
    空と雲と風とがそこに在り、
    満天の宇宙がいつも私たちを覆っているのに、
    そこに在るものと出会わずに日々過ごし、
    肉体的にも精神的にも疲労困憊しているのではないのかいうことなんだ。

    佐渡で出会った自然の中で生きている人たちは、
    何か大事なものを自然から受け継いできている人たちなのだと、
    私は思うようになってきた。

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  • from: クマさんさん

    2014年07月05日 14時39分55秒

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    男2人でよくやるは

    大学1年生の次男は、実に実に自由に青春を謳歌している。
    父としては、羨ましくなる生活だ。
    時々、家には帰って来なかった。
    自動車で学校へ行っているため、そのまま行方不明となってしまう。
    そんなものだとは思っているので、あまりやかましくは言わない。
    今更、門限や外泊禁止も必要ない気がするからだ。

    部活のために、帰ってくるのが9時を過ぎることもある。
    夕食を作って待つ主夫としては、なかなか決まりがつかないで困りものだ。
    夕食を用意しても、帰ってこないことがあったり、
    外で食べてくることもあったりする。
    作って待っている人の気持ちはいつ分かるのだろうか。

    何かと金が必要なようで、時々はゆとりがあると小遣いをやる。
    それもすぐに使ってしまうから、いつも彼は貧しい生活を余儀なくしている。
    貧しいのは私も同じだ。
    生活費というものがこんなにもかかるものなのかと、
    日々の買い物をすると驚いてしまう。
    スーパーで食材と酒を買うと五千円なんかすぐだった。
    その度に、銀行のキャッシュカードのお世話になっている。

    こうして男二人の生活が7週間となってしまった。
    過ぎてみたらあっという間のことだったが、
    昨日も洗濯を2回して、今朝それをベランダに干した。
    彼は、ただ脱いだ服を散らかすだけで、手伝いを何もしなかった。
    それでも、こんな親父と黙って一緒に暮らしてくれるだけでもいい子なのだと思っている。

    そうした日常の生活の中で、私は人としての生き方を見失い、
    何だか日常の流れの中に沈没し、流されて生きるばかりだった。
    親父は、淡々と平凡な主夫の生活を続け、
    次男はとんだ大学生として青春を謳歌している。

    しかし、何事も疑問を持たずに、淡々として日々を過ごせることも、
    また幸せなことではないかとも思っている。

    本当に欲がなくなったものだ。
    この先、そんなに長くないのではないかと、想うこともある。

    今帰ってきたばかりの次男は、またシャワーを浴びて出かけて行った。

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  • from: クマさんさん

    2014年07月05日 14時26分44秒

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    進歩のない生活

    三日間佐渡ヶ島に居た。

    この掲示板も諸般の事情で更新できないことが多くなった。
    というよりか、考える時間が少なくなり、
    ここに記すような人生の発見も少なくなってしまったせいなのかもしれない。
    日々の生活に流されるばかりで、
    私自身の人生が更新されないまま、日々を終えていることが原因らしい。

    いかに生きるかを語り合いたいと思う時がある。
    今日は、まだそんな話を誰ともしていないままここに至っている。
    そんな話が好きだった私だ。
    そのために本も読んだ。
    しかし、進歩がなく、いつもこの場所で停滞するばかりだった。

    進歩がない。

    それに尽きるな。

    どうしたら進歩できるのだろうか。
    やっぱり何かに打ち込むことなんだろうとも思っている。
    午前中は音楽文化会館で、「童謡を歌う会」でのコンサートだった。
    東区ボーイズがその会に呼ばれて、合唱を披露してきた。
    私は三日間の佐渡ヶ島のおかげで、疲労困憊だった。
    血圧も上がっているのか、頭が痛く、足元がフラフラで歌うなんてものではなかった。
    しかし、歌い出せばいつもの調子だ。
    気持ちよく80名近い聴衆(シルバーの女性ばかり)前でバリトンで歌った。

    歌はいいなぁ。
    ハーモニーを聴きながら、やっぱり歌えることの歓びを味わった。
    帰りには、やっぱり三宝亭の五目旨煮麺と餃子3個と半ライスだった。
    これも病みつきの味で、週に一回は食べに行った。
    もう一つ個人的な趣味といえば、スイミングになった。

    歌と旨煮麺とスイミング。
    これはささやかながらも、私の人生の更新であるかもしれない。


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