新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2015年12月31日 11時33分17秒

    icon

    歩けない私

    大晦日だ。今年も本当に波乱万丈だった。
    人の幸せとは、平穏無事の他にはないのではないだろうか。
    こうしてここにあることの幸せ。
    それ以上は、欲なのかもしれないと思っている。

    朝は、いつものことをいつものようにと、5時に起きてストレッチからだ。
    ところが、体が思うようには動かない。
    そんなもどかしさを感じながら、ストレッチを終わる。

    それから、朝食前の散歩に出かける。
    風に吹かれ、時折ぽつりぽつりと雨が当たる。
    大山台の公園には、寒さのせいか誰も散歩している人は居なかった。
    歩くのが難儀になると、立ち止まって桜の枝の冬芽を見ていた。
    ああ、おんなじだなぁと、冬芽に何だか自分を感じた。

    足の筋肉ががっさりと衰えたようだった。
    特に太ももの後ろの筋肉が消えてなくなっていた。
    あの時の父の衰えた足のように、か弱く細くなっていた。
    すると、しゃんしゃんとは歩けない。
    力が入らず、早足にはどうしてもなれない。

    お腹の管が入っている部分が痛む。
    みぞおちの下が以上に膨らみ、こぶのようなものができている。
    そこも疼く。痛む。
    たった大山台の公園を一周するだけなのに、
    なんとも情けない自分を感じた。

    ああ、これが老いなのかと、ふっと感じた。
    まだ私はこれから根気強くリハビリを続ければ、
    きっといつかはまた山に登ったり、走ったりするまでに回復をすると思う。
    しかし、父や母は、こうやって自分の衰えを感じた時には、
    ただこれから日々弱っていく自分を感ずるばかりだったろうと、今は想える。

    衰えることへの哀しみ。
    それは、生きている人なら全ての人にあるものだと、瀬戸内さんが話していた。
    いずれみんな老いますよ。
    いずれみんな死にますよ。
    どうして自分だけ老いたり、死んだりしないとようと願うのですか。

    みんな同じ。みんな同じ哀しみを生きている。

    私も歩けない自分を見つめて、その哀しみの深さが少し分かる気がした。
    「もう歩くのがやっとらて」と、90近くの叔母が電話でよく話す。
    そのリアルを見つめて、諦めつつも受け入れることが、
    老いて生きるということなのかもしれない。

    老いない人は一人もいません。
    その通りだと思った。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    waka

  • from: クマドンさん

    2015年12月30日 08時11分19秒

    icon

    自宅の朝  南雲パン屋最後の日

    さて、自宅の朝だ。
    昨日は午後から退院をした。
    部屋の荷物をまとめてから、12階のレストランに行った。
    退院したらここで食事をしたい。そんなささやかな夢だった。
    ここからの展望は素晴らしく、古町から東区方面、それに海が美しい。
    毎日のようにここに来てコーヒーを飲んていた。
    北越製紙の煙突の煙を見ていて、帰りたいなぁと想っていた。

    ここでコーヒーを飲みながら、劇の脚本を書いていた。
    盛岡を舞台にした保護司の話だ。
    この入院の間に、少しずつ書き進めていた。
    そして、何とこの退院の日に、第一稿が九割方完成をした。
    ここに来ると、お店の人が親切で、コーヒーのおかわりを無料でくれた。
    私が来ると、「いつものですね」と、ホットコーヒーを持って来てくれる。
    こんな小さな出会いも病院であった。

    だから、帰りにここでミニヒレカツドンを食べた。
    病院の食事ではなく、自分でチョイスして食べる食事は格別だ。
    そして、妻の運転で自宅へ戻った。
    懐かしい山ノ下と大山の道路や小路や家並みや、
    やっぱりここで生きて来たんだと改めて思った。
    町の風景には、自分なりの時間と物語とが染みついている。

    帰ったら、叔母たちに退院の報告の電話をした。
    80歳代の叔母たちだ。
    そんな叔母たちに退院のお祝いをされていた。
    本家の叔母の家に挨拶に行った。
    あまりにも痩せて姿が変わっているので驚かれた。
    知らない人が見たら、癌ではないかと間違うことだろう。
    帰って来れてよかった。本当に、ほっと一息をついた。

    夕食には、向かいのHさんから頂いた新鮮なマグロの刺身だった。
    刺身を食べるのは、40日ぶりだった。
    スパークリングの日本酒と、350のクラフトビール。
    その一口のうまいこと、うまいこと。
    禁酒が解かれなかったら、私は家には帰らなかったかもしれない。
    この年末年始に飲まずに過ごすほどの拷問はないからだ。

    そして、やっぱり疲れたので夜は早めに布団に入った。
    寒くて寒くていくら部屋を暖かくしても体が温まらなかった。
    病衣1枚だけで過ごした病院のいかに温かだったことかよく分かった。
    夜中の1時に目が覚めてから、眠られなくなった。
    天井を見つめながら、ここは家なんだとしみじみと実感した。

    朝は、5時起き。
    長男は南雲パン屋さんにパンを買いに出かけてくれた。
    本日でこの名店が閉店となる。
    いつものようにいつもの生活をしようと、起きてストレッチをした。
    私の体が元には戻らないかも知れなかった。
    それでも、一歩でも近づくためにと、コートを着て散歩にでかけた。
    南雲パン屋さんの前には駐車する車がずっと並び、
    この寒空の中、何百人との行列が続いていた。
    長男は、何とその5番目の整理券だった。

    自分はいらない。
    そんな気持ちで生きていたら腹も立てないでいいだろうなぁと、ふと思った。
    もういいんだよ。
    大山台から景色を眺めながら、もういいよと、独りで思っていた。

    PS.昨日までせみさんに私のメッセージをアップしてもらった。
       そのおかげで、この拙い語りを続けることが出来た。
       本当に忙しい中アップしていただき感謝、感謝、感謝です。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月29日 09時04分36秒

    icon

    退院おめでとうございます。
    クマドンさんのメッセージです。

    「入院生活にただ感謝」

    さて、退院の朝を迎えた。年末なのに新潟の空が晴れている。この病室から見えている、角田山と弥彦山に白く雪がかかっている。40日余り、予期せぬ手術と入院生活で人生観も変わったようだ。

    昨夜、私の担当看護師のKさんにお礼を言った。今日は彼が夜勤だから私とは会えずにお別れだからだ。「明日来たらクマさんいないんですね。何だか寂しいですね。」私も寂しさを感じた。

    退院するためにここで療養をしていながら、いざ退院となると何か心寂しさを感じている。昨日のお昼からあらゆることはこの病院での最後のことだった。

    私は病院で食べられるようになってから、毎食の前に祈ることにしてきた。この糧を感謝すると共に、まっとうに人の道を生きられるようにお守り下さいと祈るのだ。食べることと、生きることがここで繋がった。だから、噛み締める時は、米粒一粒一粒だ。

    朝はいつものことをいつものようにする。決めたことは、何も考えずにそれを行う。その何気ない日常の所作に、心を充たす大切な意味があった。急がないことだ。ゆっくり、ゆったりとすることだ。こだわらないことだ。それで、心が落ち着いた。

    自分を見つめる時間も大切なことだ。家に居た頃は、早朝に親父たちよを書いた。ただ言葉に想いを表すだけだが、そこで初めて気付くことが多かった。自分でありながら、やっと言葉で表現することで自分の今が分かるとでもいうのだろうか。やっぱり私は、書く人としての道を行かねばならないのだと改めて知った。

    今回、腹膜炎になり緊急手術だった。医師の内視鏡手術の失敗による医療事故だ。しかし、私はこの病院の医師により命を救われた。なくしたかもしれない命を、もう一度生きていいよと、拾ってもらった命でもある。私のような人は、馬鹿だから、傲慢だから、わがままだから、一度死ななければ直らないとよく言われた。その通りになったことを、ある意味天恵だと思っている。

    しかし、死ぬはずの人が猶予をもらって生きているのだから、全ての人の命とは、拾った命であり、天からの恵みなのではないだろうか。そのことに気付かず、感謝しないで生きているのが、私だった。

    病院の廊下を歩くと、さまざまな病人と出会う。みなこの病院に入院している人だ。病気が癒えることを願い、一日も早い回復を待っている。その気持ちは、健康な人には決して分からないものだった。

    その時、人の優しさが、温かな言葉が、思いやりが、本当に身に染みるものだった。弱っている時、何が人には必要なのかよく分かる。私は、看護師さんたちの笑顔や手当て、言葉かけにどれだけ慰められ、救われたか分からない。孤独なる存在である人には、その慰めと癒しが必要なんだ。

    それから、私は病室で窓際に移動してもらった。ここから白山裏や関屋方面の市街地や松林から海と佐渡が見える。雲や青空、夕日と雨と風。自然の姿がその変化がいつも目の前だった。それは、魂の救いだった。ここが故郷であり、母でもあるのだ。この風景が癒しだった。

    そして、今日のお昼にこれらの病院生活で出会えた1つ1つとお別れだった。

    入院は私にとっては恵みだった。生まれ変わったことを信じている。

    この入院生活の時間と食事に感謝だ。医師と看護師さんに感謝だ。この風景に感謝だ。その出会いと体験が、これからの余生の私の生き方を変えてくれたと信じている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月28日 13時03分56秒

    icon

    クマドンさんのメッセージです。

    「退屈な生活」

    病院での生活は、何もしない時間を許されている。向かいの人は、痛みもあり、まだ歩くこともままならないので、ずっとベッドの上でテレビを観たり、本を読んだりして過ごしている。私もそうだった。1日の時間の流れが緩やかすぎて、耐えられないこともある。しかし、考えてみたら贅沢な生活かもしれない。


    午前中は、医師の来るのを待ち、それから、1階の売店に降りて、飲み物や新聞を買う。このベッドでの生活のわずかな変化、気晴らしが買い物だった。ベッドの上に新聞を広げ、丹念に記事を読む。昨日の皇后杯は惜しかったと、改めて悔しさが込み上げる。


    午前中はテレビを観ないことにしている。それは、作り手がテレビから離れないように巧みに番組を作っているから、一度観てしまうと、途中から離れられないからだった。いつの間にか時間がどんどんぼーっとしながら過ぎて行く。だから、スイッチを切り、場所を変える。

    12階の展望室でラジオで音楽を聴いたり、本を読んだりする。ここからは、関屋方面の市街地を見下ろし、海と佐渡、角田山、弥彦山もよく見える。いつもなら、海や山に行き、空を見て風に吹かれているだけで満たされるのだが、私は久しく外の風には吹かれていない。それでもこうして生きている。

    退屈は、贅沢かもしれません。でも、私からすると、仕事をしたり、家事をしたり、映画にいったり、自転車に乗ったり、買い物にでかけたり、そんな入院前の当たり前の生活こそ、自由な生活だったのだと、ここから街を見下ろしてそう思う。

    みんなは、しようと思ったら、することができる。私は、しようと思ってもできないことばかりだ。

    でも、同じ1日の時間は平等に与えられている。だからと言って、次々に予定を入れてあくせくすることはない。

    何もしない。退屈な時間。ぼんやりと、ただぼーっとする時間も、私たちには必要なのではなかったかと、ベッドでの1日を過ごしているとそう思うことがある。

    まだお腹には管が3本入っている。塗った部分の腹の筋肉がおかしな具合に固まってかちかちになっている。体は元には戻らないだろう。でも、こうして午前を終えようとしている生き方も、ひとつの生き方で、別に焦ることも、悔やむこともなく、そんなひもあると、ささやかな何かを見つけて、よかったねと言ってやれたら、それでいいのではないだろうか。

    私には、人にとってはどうでもよく、意味のないこうした言葉を紡いでいることは、やっぱり喜びなのだと、改めて、この何もない生活で知ることもできた。

    さて、お昼の時刻だ、病室に戻ろう。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月28日 09時36分26秒

    icon

    10キロ痩せたクマドンさん・・・楽しみです。
    クマドンさんのメッセージです。

    「退院前日の朝」

    さて、明日29日に退院となった。「まさか」ばかりの人生だが、本当にこの入院だけは予想すらしなかった。これもある病院での手術の失敗のおかげさまだった。その結果、この病院で一命をとりとめ、今がある。

    だからというわけではないが、この病院での今日までの再生生活のプロセスで、私はとても大事なことを学んだ気がする。

    今朝も髭を剃りながら、人はしょせん独りであり、孤独なものなのだと、鏡を見ながら何の気なしにそう思った。

    人とは、独りで生きられるようになるための修行を自分の人生でしているのではないだろうか。確かに、独りは寂しいが、だからと言って逃げ出したり、誰かをすぐに頼ろうとしなくなった。独りで立つ。それが、私の課題だったのだ。


    次に受け入れるということだ。私は病院の売店と12階のラウンジとレストランだけが行ける場所だった。見舞いの人たちが羨ましくもあった。私には、その自由はなかった。しかし、不自由であるからこそ、分かることがあった。何事も体験しないと分からないものだ。それは、当たり前のありがたさだ。

    お世話になるばかりだ。看護師さんたちの親身になっての献身には感謝するばかりだ。仕事とはかくあるものだ。自分を無にして夜中でも笑顔での対応だ。そこには、働く人の生き甲斐が感じられた。誰かのためになり、ありがとうをいつも言われる仕事。事に対して専心して仕える。マインドフルネスな仕事ぶり。学んだ。学んだ。

    受け入れるとは、意味を感ずることだった。人生たとえどんな事が起ころうとも、その事は少なくとも、今、ここの、私にとって意味あることだった。それでは、意味とは何だろうか。それは、神や天からの、あなたはそれでいいんだよという慈悲なのかもしれないと思った。見捨てられていない。あなたを私は見守っていてくれる。意味を悟るとは、その眼差しを信じることだ。


    同室の3人の方は、70~80代の人たちだった。手術してから三日目の人はまだ食事はできない。明日、私と同じ日に退院する人は五回も入院しているらしい。隣のおじいさんは緊急入院だ。けれど、みんなはこの年代まである役割を成し遂げ、大きな責任を果たして来た人たちだろう。後は、夫婦で向き合って、余生を生きる。

    しかし、私は58才。これから果たすべき仕事と責任とがまだまだたくさん残されている。その時だ。きっと私は、入院前の私と違う私で、それと向かい、そのプロセスを楽しみながら、今、ここを、独自なやり方で生きていくのだと思っている。

    我が身に降りかかった運命を受け入れるということは、自分で自分のことをそのまんまでいいと好きになることのようだった。


    ずいぶんちっぽけになったなぁ、と思う。実際に10キロ痩せて、体が小さくなった。

    小さくなると、あるがままの自分に還れる。退院前日の朝、そんなことを考えていた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月27日 13時04分18秒

    icon

    「混沌の時代を生きる」

    さて、後2日ここで朝を迎えると帰宅になる。ここから見下ろす街の景色や空と海ともお別れだ。

    その人の立場に立たないとその人の痛みや苦しみは分からない。

    体験しなければ、気付かないのが人なんだ。

    そして、人は生きる意味を求め、意味をいつも探し求めている存在である。

    私は、入院してから、何の役にもたたない、人のお世話になってしか生きていけない立場に立たされて、その事を実感した。

    しかし、そのおかげで、私が普段の生活の中で個人的な営みを繰り返しながら、決して目を向けたり、気付くことのなかった、ある意味では、弱者であり、差別を受けている人であり、格差の底辺の人であり、障害のある人であり、病人であり、マイノリティの人たちのことについて想うことができたことは幸いだった。

    私は、その立場に立たされたことで、その人の痛みと辛さとをやっと少しは分かるようになった。

    いかに自己中心に、傲慢に生きてきたことか。いろいろなものを失ってみて、そのことに気付くこともできた。

    こうして自分のことを振り返って、見つめ直す機会がなかったか。たとえあったとしてもそれに気付かずに見過ごして来たのだろうと思った。

    どう生きたらよいのだろうか。それは、生きているみんなが思うことだろう。しかし、その答えはこうなのだと断定できる答えはないのだ。いや、その答えを「今、ここ、私は」で問われ、行動で応えて行くことが、生きることの意味なのだとも私は知った。

    私が可能なことは今日、このメッセージを書き終わったら何をするか決めることだし、それを確実に実行することだ。

    実に単純で明解だった。ただし、その選択において、私が道を踏み外すことがなく、人としての道を歩むための選択であることを祈りながら生きる。

    選択と決断と実行と考察。その瞬時の積み重ねの中に生きる意味は存在している。人がそれぞれの立場で人らしく在ることで、その人は生きている意味を初めて深く実感できる。

    入院は、フランクルではないが、ある意味強制的に収容されたようなものだった。私は、活動の自由は奪われ、そこから先の未来も予測できない状況だった。そして、そうなってやっと分かったのは、私と同じ病人の気持ちだった。

    健康な時、全く考えないことだった。いつ回復するのか分からない状況では、障害について考えた。その障害は、生きている間、生涯に渡って続くものだと。障害には、回復も退院もなかった。

    そこで思ったことは、看護師さんたちの日々の姿だった。声をかけ、励まし、支え、いつも見守り、待機している「献身」だった。

    人は、献身という生き方で生きていくことができる。私は、私のことばかり考えていた。私は、私さえよければいいと思っていた。しかし、その生き方こそ、人としての道から外れた生き方なのだとは、健康で、思い通りに生きている限り、気付かないで終わる生き方だった。

    苦悩こそ意味がある。挫折や時には絶望こそ生きる意味がある。なぜなら、そこに至って初めて人は、社会の中で沈んでいるからこそ見えないマイノリティの存在に気づき、その人たちは自分だったのだと分かるからだ。

    弱さと悲しみは、人を繋げる。そこに至って初めて「共感」と「同情」が生まれる。彼は、私だ。彼女は、私だ。ではどうする。どう生きる。深く深く沈まない限り、人と人との共感的な理解は生まれない。分かち合うことができないからだ。

    分かち合うためには、私にはこの手術と入院生活が必要だった。つまり、体験した痛みや苦しみからしか、私は本当に学べなかった。それが、よく分かった。

    人の痛みを分かるために、その人の履いている靴を履きなさい。

    今、大人も子どももみんな必要な生き方とは、これではないだろうか。その人になる。すると、奪うのではなく、与えるの意味が理解され、実践されるのだろう。求めるのではなく、捧げるという生き方。持たないという生き方。恩を送るていう生き方。自分はいらないという生き方。自分を無にする生き方。

    そんな生き方の幸いに、きっと目覚めるのだと私は思った。

    これが「サンデーモーニング」のテーマであった「混沌」への私が今、考えている答えだった。


    入院は、私にそのことを気づかせるための学校であったようだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月26日 09時05分06秒

    icon

    メールのコピペもカウントダウン?
    クマドンさんのメッセージです。

    「内面的な充実を味わう」

    この病院生活も後4日となった。退院までの時間をカウントダウンできる日が来ようとは、ICUの時には想像もできなかった。

    しかし、こうして自立的な生活になり、ここにメッセージを書けるようになってから、やっと3週間くらいだろうか。点滴から解放されてやっと数日だった。


    朝、4時に起きて「明日への言葉」5時からはストレッチに座禅。6時からは食堂でメールとバロック。7時からは、散歩してから髭を剃る。7時半から朝食を食べ、片付けたら、歯を磨いて、薬を飲む。一休みしたら、こうしてその日のメッセージを書いている。

    その生活を続けた。そのリズムを繰り返した。いつも同じ。今日はやめようはなしにした。

    午前中は図書室から借りた本を読んだ。五木寛之、池田晶子、フランクル等、久しぶりの出会いだった。気分転換にはラジオでクラッシックを聴く。やはり、病院生活にはモーッアルとが慰めだった。

    そして、自分を見詰めて考える。この手術と入院生活の意味は何かと。こうした運命は、私にとって必然だった。おかげでずいぶんちっぽけになり、その分、いかに傲慢に生きていたかがよく分かった。


    「求めない」と言う生き方。それがこれからの私の生き方なのだと知った。


    何も出来ず、何もないかもしれない入院生活だが、私にはありがたいほど豊かな生活に感じられる。


    これは確かに与えられた苦悩かもしれないが、受け入れた試練だと思うことにしている。その時、その時の今が、私に問うている。だから、その1つ1つに具体的な行動で応えて来た。


    頭で何で自分ばかりとか、どうしてこんなことにとか、これからどうなるのだろうとか、勝手に悩まないことにした。


    だから、どうすると問われたら、こうしますと応えて行動するだけだ。


    午後1時からは映画を観ている。感動でみっともなくも涙が止まらないこともある。そこでまた心と魂とか深められる。昨夜は、「奇跡の人」を観た。真実の物語だった。


    フランクルは書いていた。「人生の意味を実現する三つの道とは」と。

    1 何かを行うこと。
    活動、創造、仕事
    2 何かを体験すること。
    自然、芸術、愛
    3 どんな運命も自分に課せられた「十字架」として引き受けること。

    ただの退屈な入院生活だと、人は思い、同情するだろう。しかし、随所に主となることで、何だかとても内面的に充実化した時間を過ごせたことは、幸せだった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月25日 12時57分07秒

    icon

    入院中のクマドンさんのメッセージです。
    大分元気になって来たようですね。

    「フランクルの言葉1」

    今日は、ただフランクルの言葉だけを、ここに記そうと思う。それは、私がこれからの人生を生きるために立ち返る原点であるからだ。

    「それでも人生にイエスと言う」この本が病院の図書室にあったことを感謝する。この出会いも、私が生きる意味だった。生きるとは、日々の気付きであり、学びなんだ。

    生きることに意味があるから、苦悩することにも意味があります。

    苦悩もそれが必然であるならば、意味をもつ可能性があります。

    まったく具体的な問いが人生から私たちに出されます。
    人生はたえず意味を実現するなんらかの可能性を提供しています。

    人生はいつも意味をもつことが可能です。


    人生のルールは、けっして戦いを放棄しないことを求めているはずです。

    私たちの存在が、まさに責任存在だという裏には死があるのです。

    苦難と死こそが、人生を意味あるものにする。


    ひとりひとりの人生が一回切りだ。

    私たちの人生は燃え尽き、残されるものは実現されたものがもっている効力だけです。

    私たちのさまざまなあり方は不完全であるからこそ、唯一のものになる。


    もし私がそれをしなければ、誰がするだろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、私は何であろうか。そして、もし私がしなければ、いつするのだろう。 ヒレル


    生きるとは、問われていること、答えること、自分自身の人生に責任をもつことである。

    生きることは、いつでも課せられた仕事なのです。

    生きることは困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があることは明らかです。

    宗教的な人は、人生は神が課した使命だと知って生きているのです。


    人生はそれ自体が何かであるのではなく、人生は何かをする機会である。

    私はやっと自分の人生が何か分かりました。私の人生は、もっといい人間になるために、特別に猶予してもらっているものだったのです。80才のおばあさん。

    あらゆる事物は価値をもっているが、人間は尊厳を有している。人間は決して目的のための手段とされてはならない。 カント


    何かを行うこと、何かに耐えることのどちらかで高められないような事象はない。 ゲーテ


    それが可能なら運命を変える。それが不可能なら進んで運命を引き受ける。

    変えることのできるものを変えるだけの勇気を与えたまえ。
    変えることのできないものを受け入れられるだけの冷静さを与えたまえ。
    変えることができるもの、変えることができないものを識別するだけの知恵を与えたまえ、
    ニーバーの祈り
    私は人生にまだ何を期待できるかを問うことはありません。今はもう人生は私に何を期待しているか問うだけです。


    入院して、この苦難には必ず意味があるのだと思っていた私。人は意識存在であり責任存在であると、フランクルは教えてくれた。
    人生が私に問うている。この言葉の意味が長年分からずフランクルからの宿題だったが、私はこの病院のベッドの上で、人生には意味があるということをやっぱり体験を通して学ぶことができた。

    アウシュビッツから生還したフランクルの言葉は、やはり真実だった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月24日 11時22分23秒

    icon

    クマドンさんのメッセージです。

    「体験だね」

    分かるとはどういうことなのか。分からない人と言われている私にとっては、分かるとはこの人生を生きるための大事な課題だ。

    人の気持ちが分からない。それは、自分中心に生き、感じているからなのかもしれない。分かるとは、分かち合えるということだから、相手の立場に立って相手の気持ちにならなければ、その辛さや哀しさは、分かち合うことはできないだろう。

    私は、入院の経験がなかった。手術も初めてだった。術後がこんなに辛いものかということが、実は、やっと今回の体験で分かった。

    入院生活もそうだった。私と同じように入院している人がたくさんこの病院にはいる。今日、向かいのベッドの60代の男性はこれから手術なので今、手術室に向かった。隣の70代の男性は腸の痛みを訴えての緊急入院の人。斜め向かいの人は、術後の経過が思わしくなく、熱が下がらず苦しんでいる。みんな、私が体験したことだった。


    話しはしないが、分かち合える。だから、分かると言える。今、ふと思ったけど、「経験」と「体験」とはどう違うのだろうか。経験で分かると、体験で分かるとは、分かるの質や度合いは違うものなのだろうか。誰か知っていたら、教えてほしい。

    確かに、私は自分で体験するまでは、手術も痛みも入院生活も分からなかった。もし、この体験がなかったら、今でもきっと分からない人だったと思う。

    そして、分かるということは、天からの恵みであり、あるべきようにある時、正に青天の霹靂の如く、がーんと雷が鳴り、もの凄い体験をさせらせて、分からせられるのだ。

    それが、よく分かった。

    個人的な体験が深まれば深まるほどそれは普遍的な体験となる。

    しかし、その普遍性に至るためには、その青天の霹靂を嘆き、怒り、恨むのではなく、ありがたく受け入れ、その雷の意味を考える態度が大事だと思った。

    それは、手術、入院だけでなく、毎日の生活の中での些細な出来事や体験も同じだった。

    体験には、必ずある意味が託されている。その意味や物語をどう読み解いて、分かち合うのか。生きるとは、その連続なのではないだろうか。

    今、ここにある意味を考える。ああ、そうだったんだと腑に落ちる。その小さな体験の繰り返ししか、分からない人である私を、分かる人にはできないようだ。

    分かる人になりたい。分かる人になろう。そのための修行が今なんだ。

    こんなどうにもならない男が、そう思えるようになれただけでも、やっぱりこの貴重な体験は天の恵みであったと感謝する。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: せみさん

    2015年12月23日 09時25分53秒

    icon

    クマドンさんのメッセージです。

    「病院の1日」

    病院生活は、忍耐と諦めの連続なのかもです。点滴から解放された私を見て、「いつの間にそんなに身軽になったんですか」と、久しぶりの看護師さんに驚かされた。男子刮目して見よではないが、知らず知らず、私は回復を遂げてるらしい。だから、絶対に治っているんだという想いも大事なことと感じた。


    退屈な単調なベッドの上での1日の生活だ。朝は、5時に起きて暗い中でのストレッチと瞑想。6時には、食堂に行きバロックを聴きながら、家族にメール。返事はない。それから、病棟を一周。今朝は、五頭山に昇る朝日を拝めた。

    病室に返ると、洗面台で顔を洗い、カミソリで髭を剃る。さっぱりすると、7時30分から朝食が配られる。長い祈りをしてから頂く。その後は、歯みがきをして薬を飲む。


    単調であるから、尚更、この生活リズムを守ろうと努力する。そうするとさせられてる入院生活から、自分で意識をもって生きている入院生活になる。


    それでも、どうにもならない時がある。気がおかしくなりそうな時もある。そんな時は、12階の展望ラウンジで雲や空を見る。箱庭のような街を俯瞰する。するとそのゆったりとした流れにたそがれていると、自然と気持ちが落ち着くところに落ち着いてくれる。


    13時からBSで映画を観る。「雨月物語」「近松物語」観たい映画がない時は、DVDで映画を観る。「点の記」「ライムライト」それが終わると、コーヒーを飲みに行く。退屈な時間の中にも楽しみな時間は確保する。映画で生かされて来た私だ。再び、生き方の原点に戻ることができる。


    寝た切りの時は天井や窓の外の景色を見て、ため息をつくばかりだったが、回復するにつれて、自由がきくようになる。それに対応した生活に改善していく。毎日のシャワーがそれだった。どこかで気分転換を意識して図る。


    するともう6時の夕食だ。病院生活の一番の楽しみは食事だった。禁食の後の最初の食事には涙が止まらなかった。感謝を忘れないことだ。テレビは消す。黙って、噛み締めて食べる。食材1つ1つが身に染みる。体になる。

    夜は読書だ。映画がある日は映画三昧。9時に消灯だ。イアホンを着けて映画の世界に浸る。土曜日は寅さんだった。昨夜は「プレステージ」眠られない辛さより、11時頃まで起きて、自然な眠気を誘うようにしている。眠剤からは手をひいた。

    夜中に3度は起きる。時刻を見てがっかりすることもある。

    たったこれだけの生活だった。しかし、こんなにも自分自身を見つめることもこれまでの忙しい生活にはなかったことだ。ならば、逃げずに、正面から自分を見つめよう。すると、何だか謝罪と後悔ばかりのような気がして悲しくもなった。

    人は、なるようにしかならない。そのことを受け入れ、そこでじたばたしないで静かに生活する。すると、不思議に自分が見えて来る。それも、愚かしい自分が。ああ、そうだな。なるようにして、今の自分がここに居るんだなぁ。ずいぶんちっぽけな私だった。退院したら、山に登るぞ。そう想うと、痛みの今も感謝に変わる。人は、分からないものある。でも、その立場、状況に置かれると、やっと何かに気付き、分かる人になる。それだけ愚かに生きていても忙しさの中では、これでいいと気付かない。入院とは、市井の山居。修行の場だった。


    7時10分、五頭山からオレンジの朝日が昇った。私は手を合わせて祈った。


    そんな病院の今日が始まった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon