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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年06月30日 06時11分17秒

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    バーベキュー復活考

    どういうわけか、今週は忙しい日々を送っている。
    夜、家に居ないことが多くなった。
    昨日、そのことを妻に言ったら、
    「あなたは、自分で自分のことを忙しくしているだけだ」とのこと。
    彼女は、自分の仕事のために職場に八時近くまで残っていた。
    私は、合唱のために、はなみずきのコミュニティーセンターだ。
    そう言われても仕方ないなぁと、そう感じた。

    二町内のバーベキュー大会が復活した。
    5年ぶりぐらいだろうか。
    まだ三町内でやっていた時、私はWさんのお手伝いで、
    早朝から準備したものだった。
    その頃、参加していた若者や子どもたちが、
    今ではすっかり中堅となり、大学生や社会人になっている。
    それも一つの思い出だ。

    ところが、ある年のこと、
    我が町内のお年寄り数名が、タッパを持ち込み、
    焼けた肉や野菜を自分の食事のために確保して、持ち去って行った。
    「子どものためにしているのに、何だあれは」と、相手の町内の人が怒った、怒った。
    当たり前の話だ。
    それから、ぷっつりと我が町内会の参加は、ご法度。ご遠慮くださいだった。
    そして、ずっとずっと我が町内会では、
    何一つ行事が無く、寂しく寂しく月日は過ぎて行ったものだった。

    しかし、いつまでもそんな過去にこだわっていてもお互いのためならず。
    そうした大人の意見を、あちらの町内会長から出していただき、
    そろそろほとぼりが冷め、禊が終わった時節だからと、
    再びお互いに協力して開催しましようと、ありがたお誘いだった。

    その準備のための会が、水曜日の夜にあった。
    そこで分かったことがあった。
    それは、何をやっても文句を言い、
    怒鳴り込んで来る1人の女性が居ることだった。
    みんなのためによかれと思ってやっていることを、
    「自分たちだけの楽しみのために、町内のお金を使っている」
    「何でこんなことにお金を使うんだ」
    とにかく、がんがんと所かまわず文句を言って来るのだそうだ。

    何かをやる度に、彼女が怒鳴り込んでくるために、
    みんな辟易として、やってもまた文句を言われるんだなぁと、
    役員たちは諦めて、何もしなくなってしまったのだと言う。
    「ああ、そうだったんだなぁ」と、妙に納得してしまった。

    60代・70代の大先輩たちは、
    町内のみんなのために働くことは、何とも思わずに進んでやってきてくれた。
    ゴミステーションがいつもきれで、
    大山台の公園が整美されているのは、
    町内会のシルバー世代のおかげさまだ。
    しかし、行事をぱったりとしなくなった。
    それは、1人の我がままで子どものような女性のためだった。

    「そんげなこと言われるんらったら、難儀しても無駄らて」
    「あっちこっちでいいかげんなこと言いふらされるんだったら、やめよてば」
    そうやって、腹を立てて、諦めて、やる気をなくして、何もしない人となった。
    でも、これってどこの町内会にもある話だなぁと、ふと感じた。

    いや、この社会では、日ごろ、
    いつでも見たり、聴いたりしていることではないだろうか。
    1人煩く騒ぐ人がいるだけで、みんなが動かなくなってしまう。
    やっても無駄だ。かえってやっつけられるたけ。損するだけだ。
    だから、何もしないことが平穏無事なんだと。
    そんな忖度が、日本人なんだなぁと、私は感じた。

    それでも、私はやってきたから、
    そんな逆風を当たり前として突き進んだから、
    今でも酷く評判の悪い札付きの男としてここで私は生かされている。
    でも、それでいいと、想っている。
    そんなどうにもならない男が居たから、
    できたこともあるのだから。

    たった一つのバーベキューの事例である。
    お年寄りのおばあさま方の傍若無人な我がままの振る舞いによって、
    一度は無くなったバーベキューだった。
    数年後の今年、やっとのことで復活しようてしているバーベキューだった。
    でも、戦々恐々としているのは、たった独りのアマゾネスのことだった。
    またまた、衆人の中でどんな暴挙に出ることか、
    それは、予測された行動となると私は想っている。

    でも、それがみんなで共に地域社会で生きているということではないだろうか。
    今回は、タッパの持ち込みはご遠慮願う。
    それから、そうした暴挙が在っても、無視をすればいい。
    いや、大人ならば、しっかりとそれはおかしいと、その人を諭せばいい。
    トラブルが在ったからやめる、やらないのではなく、
    そのトラブルを次に起こさないためにどうするかを考えて、
    そのみんなのための行事をこれからも存続させる知恵を出し合うことなんだと、
    この町内会の会合に参加して考えさせられた。

    アクテブラーニングは、やっぱり地域社会にあった。
    そんな具体的な実践事例になることを願っている。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月28日 06時19分41秒

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    闘うということとは。

    「標的の島 風かたか」を観た。
    映画の半ばから、ずっとずっと涙が流れて止まらなかった。
    時には、嗚咽になりそうで、困った、困った。
    沖縄の宮古島に自衛隊の防衛ミサイル基地が作られる。
    高江にオスプレーのためのヘリポートが作られる。
    辺野古には新たなアメリカ軍の基地が移転されようとしている。

    そんな沖縄の人たちの、闘いのドキュメンタリーだった。
    闘う声。
    その真摯な声に、心か震えた。
    彼の叫び・彼女の訴え。
    それは、もう戦争はしない。
    沖縄を二度と戦場にはしない。
    子どもたちに平和で安全・安心な沖縄を受け継ぎたい。
    その一心だった。

    でも、利権が在り、いろいろと想う人たちも中には存在している。
    工事車両が入らないように身体をはってバリケードを築き、
    キャンプを張り、路上に車を駐車して、
    その車両の進路を阻もうと全国から集まって来た人たちも居る。
    でも、この基地の工事に賛成をして、
    反対する者たちを少数派の迷惑な人たちと、
    会議の最中で、ヤジを飛ばし、批難する人たちもいることは事実だ。

    「私は、基地の建設に大賛成です」と、威張ったように言う。
    それは、国が決めたことには反対してはならない。
    そのおかげで、自衛隊の家族がここに住み、島が潤うのだからと言う。
    「何でお前たちは、反対しているのか」と、村八分にもされることもある。
    それもあるだろう。

    それでも、そう言われ、叩かれることを分かっていても、
    声を挙げなければと決意した若い母たちは、
    やっぱりミサイル基地建設反対の署名を集め、
    島民に呼びかける運動を続ける。止めない。やめられない。
    それは、人としての尊厳を守る闘いでもあるようだ。

    動き出す人。
    何かを変えようとする人。
    公の決定に反旗を翻す人。
    実は、その人たちだけがこの社会を変え、
    人が人らしく生きられる社会に進めてくれた人たちだ。

    もし、ここで反対の声を挙げ、
    リーダーの佐藤さんのように自らの癌の身体を押して、
    その抵抗運動の先頭に立って闘っている人がいなかったとしたら、
    公は、そのままなってしまうことだろう。

    彼等の闘う相手は、公の手先である全国から集められた機動隊の若者だった。
    これって、実に実に不思議でおかしな図式だと私は想った。
    機動隊の隊員の制服からは、所属の県名が分かるタグは胸から消えていた。
    「あんたたちは、沖縄を戦争に巻き込むつもりなのか」と、問い詰める婆。
    黙って、ぐっと堪えている機動隊の若者。
    何で、ここで、こんな闘いを雨の中で続けねばならないのだろうか。
    それを決めた大臣・官僚たちは、
    そんな雨の冷たさも知らずに、ぬくぬくと生きているのに。

    世の中とは、いつもこうしたものだった。
    そして、必ずこうして反対の声を挙げたり、
    反旗を翻した人たちを、冷たい目で見たり、迷惑だと言ったり、
    時には、陰口をたたき、あることないこと言いふらして非難する輩も存在する。
    そして、排除する直接的な力は、警察・機動隊だった。

    しかし、何が哀しかったと言って、
    こうした沖縄で日々闘いが行われている理不尽な現状を、
    マスコミが全く無視して、世の中に伝えていないことだった。
    伝わっていない闘いには、誰も憤ることが出来ず、
    誰も反対の声を挙げられず、その闘いには参加することができないんだ。

    日本のジャーナリズムは、どうなってしまったのか。
    あの大新聞の忖度のように、闘いを恐れ、卑屈に委縮してしまったようだ。
    言うべきことは言う。
    闘うべき時は、闘う。
    変革すべき時は、果敢に変革に突き進む。
    それが、ジャーナリズムの真骨頂ではなかったのだろうか。
    ゴシップばかりでは、週刊誌も読まなくなってしまうだろうに。

    何故、涙が止まらなくなってしまったか。
    それは、ただ只管、信念をもって一致団結して闘う姿を見たからだ。
    そして、それこそ、人の真実の姿ではないかと想ったからだ。
    ただし、それは、私が忘れていた、置き去りにした姿だったからだ。

    「見て、見ぬふりはしない」
    これは、私が書いた明和義人の劇「慈眼」のテーマだった。
    涌井藤四郎は、あの沖縄で闘っていた人と同じ人なんだ。

    劇中の若者の言葉だ。
    「私は、こんな座り込みが何の役に立つのか、無駄なことではないかと想ったことがあります。そして、座り込んでいるあるお婆さんに聴きました。すると彼女は、確かに無駄かも知れない。でもね、子どもたちのためにじっとこうして座り込んで闘っていた婆ちゃんが一人でも居たことを、私は、歴史の中に遺して死にたいんだと。」

    生き様を、歴史に刻む。

    意味は、在る。

    少なくとも、私の魂に、そのお婆さんの想いは刻まれた。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月27日 06時13分38秒

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    「人生は、フルーツ」

    「人生フルーツ」
    津端さんご夫妻のお話し。
    修一さん90歳・英子さん87歳かな?
    二人は団地で囲まれた宅地の中で300坪の土地を持ち、
    そこに里山と畑と庭を復元させた。
    自宅は30畳一間の木造の家。
    中は間仕切りが無く、がらんどうのまま。

    土を育て、種を植え、世話をして収穫をする。
    収穫したものを食材として、英子さんが調理する。
    畑でとれたての野菜が食卓に並ぶ。
    それを美味しそうにいただく二人。

    何もないけど、とても落ち着いた暮らしぶり。
    無理をせずに、静かに静かに時間が流れる。
    それでいいんだし、その中でどう幸せを味わうかかな。

    彼は、建築家だった。
    かっての高度成長の時代に都会に移住する人たちの住宅難の解消のため、
    広大な宅地造成が行われた。
    自然の地形を活かして、元の里山をいつでもイメージできるようなコンセプトで、
    彼は、設計したが、却下された。
    無駄な空間はいらない。
    何階もある高層のアパートを乱立させる。
    自分の家がどこにあるか分からないような暮らし。

    彼は、その信念によって、この土地を購入した。
    ヨットマンの彼は、ヨットに全部をつぎ込んで金はなかった。
    質屋通いは妻がした。
    それでも、この土地を買い、自分の想い描く理想の暮らしを実践した。

    「住宅は、生活の玉手箱でなくてはならない」
    「私たちの偉大な先生は、自然である」
    「人は年を取ると、人生が美しく感じられる」

    言葉はきっと違っているが、そんな意味を、彼等夫妻は生きていた。

    自然のあるがままで、人も生きられる。
    手放せばいいし、のほほんとしていればいい。
    自然に生きているものは、お任せのまま生かされている。
    そんな自然をお手本にする。

    そうすると、素直な、穏やかな生き方が感じられる。
    そしたら、お金なんかのことを考えなくていい。
    「私たちが子や孫に遺されるのは、豊かな土ですからね」と、
    秋の枯れ葉を袋いっぱいにためて、土にまく。
    水盤を置き、そこに鳥さんの水場を作る。
    柿やサクランボ等の実のなる樹を育て、
    その季節になると収穫をする。

    そして、その実を丹精込めて加工する。
    ジャムを作る。干して梅干しにする。フキノトウやゼンマイすら自生させている。
    自然の恵みと一緒に暮らし、それをありがたくいただく、喜びと感謝。

    修一さんに、90歳にして仕事が舞い込んできた。
    ある精神病院の病棟を建てる仕事だった。
    心を疲れ、病んでいる人たちを自然の中で癒したい。
    彼は、自分の出番を喜び、心をこめて設計図を描いた。

    そんなある日。
    庭の草取りをして、少し疲れたからと眠ったまま、
    彼は、再び目を開けなかった。
    眠ったような彼の顔。それを見つめる英子さん。
    本当に、すーっと逝ってしまった。
    その最期を私たちも立ち会うことができた。

    私は、それを知らなかった。
    だから、驚いた。
    でも、かくありなんと、その安らかな顔に、亡くなった父や母を想った。
    自然なんだなぁ。本当に、自然なんだ。
    それをこうして生きて死んで逝ってくれた人が居るから、
    何だか、私も、高齢者ばかりの満員の観客も、ほっとする。

    Sさんとよく話すことがある。
    80歳のSさんと、60歳の私とは、その年の差は何年たっても変わらない。
    でも、話す度に何かず少しずつ変わっていることにお互いは気付いている。
    「生きてみないと、分からなかったね」と、そういうことだった。

    「人生は、フルーツ」

    修一さんのように生きたいものだ。
    英子さんと修一さんのご夫婦のように生きたいものだ。
    しかし、現実は、なかなか厳しい。

    だから、せめてもと想い、私は、庭に遊んでいる。
    ああ、畑が欲しいなぁ。雑木林が欲しいなぁ。柿の木が欲しいなぁと想いながら。

    二人は、真実を生きていた。
    これは、生きるの本物の物語だ。合掌。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月26日 06時39分58秒

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    カオスが真実

    動けば、出会いがある。
    動かなければ、自分と向き合える。
    どうあろうとも、本当は、いつも私は無意識に動いている。
    その無意識からの私と言うはたきかけは、
    決して無くなることはない。

    ああ、これって、私が生まれる前から、
    ずっとここにあるはたらきだよなぁと、想う。
    たまたま、私がここにクマさんと言う身体をもって誕生した。
    でも、そこから私が始まったのではなく、
    もしこのDNAに刻々と瞬時に刻まれて来たことを信ずるなら、
    その総体を
    そのあるがままを、
    ただ、今、ここで、生かされているということではないかなぁと想う。

    カオスだな。と、ふと想った。
    それは、何とも分別できない、判断できない、これだと言えない、
    ものそのもののこと。
    そこに、光が生まれ、言葉が生まれた。
    やっとそのことで私のようなちっぽけな者にも、
    何かが分かるようになった。

    分かると言う言葉を、使わないようにしたい。
    それまでは、分かりたいとばかり思っていたようだが、
    今は、分かるとは、分けることであり、分別すること、
    分類することのように感じて、そうかなぁと想えるようになった。

    これを「分かち合う」というのなら、まだ近い気がする。
    でも、分けないそのまま、分かれるその前、そのもの。
    私は、きっとそれになりたいとずっとずっと憧れているのだとも気付いた。

    Noism2を観た。
    すぐこのパソコンのデスプレーの位置で、彼女は動いていた。
    眼の力。筋肉がしなり、瞬時に変化し、ある意識が現れては、消える。
    私の目の前で、呼吸と風を感じながら、私はその世界に吸い込まれて行く。
    すると、やっぱり、私は消える。
    その空気感の中で、その闇の中で、私は、魅せられて、ただ感ずる人となる。

    彼女がその中に居た。
    輝いているその瞳と、緊張し、時には弛緩し、自由自在な彼女がそこに居た。
    私は、彼女を彼女たちの群れの中から、彼女だけをただ只管見つめた、見つめた。
    どうしてなのか、ずっとずっと探していた人のようだった。
    ここにいたのかという、何だか不思議な驚きと戸惑いだった。
    彼女なんだな。
    そんな確信が生まれた。
    全く予期せぬ無意識のままの出会いだった。

    それを信じて生きられるかどうかではないかと、
    私は、最近は、そう想えるようになった。

    それは、こうして生かされている、確かにどうにもならない男であるが、
    それなのに、それだから、やっぱりそのままを信ずる。
    だって、もう救われているのだから、何もいらない、何も考えない、
    ただ、感ずるまま。自由自在に。
    そうすると、不思議な出会いにこのちっぽけな人生は満ちていることにきっと気付く。
    いや、気付く日が向こうからやって来る。
    ただ、その訪れの兆しを、「うん」と言って、信ずるかどうかだ。

    それは、カオスからの来訪者かも知れない。
    でも、それは、ずっとここに居て、
    私が、生まれる前からずっとここに居て、
    私のことを待っていてくれていた人だった。
    その人に気付いたら、ただ、その人に任せ、その人のようになればいい。
    いや、その人ことがオーセッンティク・ボイスその人なんだ。

    カオスの中にこそ、真実は存在している。
    ただしそれは、阿頼耶識に在り、無意識の底に潜在している。
    だから、深く深くならない限り、その存在とは出会えない。
    太威の担々麺は、ここに在るから、深い深い味となる。
    ここに在るのに、ここに無い。

    さて、出会えた。
    わくわく劇団の役者さんに、人々には見られなくなった純粋な魂を感じられた。
    北区フィルの音に、アマチュアだけが鳴らせるピュアな輝きを感じられた。
    そして、彼女たちのパフォーマンスから、言葉を超えた、言葉を支えた、
    絶対的な存在のすごさを感じられた。

    見えるものは、見えないものとつながっていた。
    聴こえるみのは、聴こえないものとつながっていた。
    感じられるものは、感じられないものと確かにつながっている。

    では、その狭間は、その境は、その横超する瞬時は、どこにあるのか。
    今、ここで言えることは、劇場に在り、舞台にあり、ステージには確かに在った。
    そして、暗闇に輝く光である映画にも。

    何を言いたいのか、自分でも語れなくなっのでここまでとする。

    彼女のはにかんだ笑顔は、今、私のパソコンの壁紙となっている。
    彼女の眼差しを観るだけで、私は奇跡を信じられる気がする。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月25日 16時56分28秒

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    わくわく劇団は、笑いの玉手箱や

    疲れている時ほど、どんどんと予定を入れる。
    それが私の長年の流儀だった。
    疲れていたら休めばいい。
    腰に無理は禁物だから。
    それも分かる。でも、やっぱり動く。仕方ない。性分だから。

    土曜日は、午前中は「わくわく劇団」の劇だった。
    この劇の面白さは、そのひとりひとりの個性にあった。
    絶妙な間と、軽妙な語り口。
    そして、見事にはまり役をそれぞれの役者さんたちが演じている。
    何よりも、楽しんでいるそのことに、私は感動する。

    上手く見せようともしていない。
    途中で何度も立往生だ。
    それでも、それを素のまま乗り切って行く。
    どんだけ笑いを取ることだろう。
    観客は、みんなサポーターでありファンだった。
    だから、1つ演じて袖に帰る時、必ず「がんばった」の拍手が客席から贈られる。
    ご贔屓のスターが登場するだけで、観客の心が躍り、気持ちが高鳴る。
    何だかそんな反応を繰り返して、1時間半はあっという間の夢のような時間なのだ。

    Gちゃんの「雨ニモマケズ」の暗唱には、涙が出たなぁ。
    「ミンナニ デクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレナイ」
    「ソウイウモノニ ワタシモ ナリタイ」
    こんなピュアでそのまんまの語り手に出会ったことは一度もなかった。
    私も暗唱できるこの詩だ。
    その詩に、見事にいのちを吹き込んだ。
    賢治さん、喜んでいるだろうなぁ。

    劇とは、異界の話だ。
    この世界とは、決して地続きではない。
    その非日常の世界を、どれだけ観客に感じさせてくれるか。
    幕が上がり、いつもの役者さんたちが出て来るだけで、
    観客の魂はすっかりと魅了される。
    わくわくワールドに包まれて、ただ忘れ、ただ笑い、ただ喝采を送る。
    本当にすごい劇団だ。

    会場の中央には何十席かファンクラブの席が確保されていた。
    いつもこの東区ホールは満員御礼だった。
    この劇団には、今、私たちが求めているものが確かに存在している。
    だから、その輝きがきらきらと美しく、心温まるのだ。
    観客は、それをいただきにこの劇場に足を運ぶ。

    脇を固めたお母さんたちの演技も秀逸なものがある。
    越後屋の女将さん。長屋の三人の女将たち。まさに当たり役だ。
    演ずると言うよりか、その役で遊んでいる。
    そのゆとりがなかなか洒脱で、おかしくておかしくて、だった。
    「そうくるよなぁ」という、予想される演技に、
    やっぱり観客は喜び、拍手する。

    わくわく劇団は、こうして観客を一気に巻き込むことのできる希な劇団なんだ。
    まさに、それは「吉本新喜劇」のような定番であり、
    ペーソスによって、ほろりとさせられる、人情劇団となっている。

    ああ、心から笑いたくなったら、この劇団の劇を観よう。
    こころがほっかほかになったから、私は劇場を後にした。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月24日 07時14分04秒

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    痛みのひとこそ隣人に

    さてさて、腰の違和感が続いている。
    昨日は、職場の畳の部屋で横になった。
    じっとしていると何とか切り抜けられる状態だ。
    あの激烈な痛みは、もうこりごりだからだ。

    身体を労わる。
    それは、身体を壊した人だからすることだ。
    もし、坐骨神経痛を患わなかったら、
    きっと私は、こんなにも腰の声を聴かず、
    腰を労わることもなかったと思う。

    人は、痛みからしか学ばない。
    そう考えたら、私にとっては痛みはまさに人生の学校だった。

    地域において、私がすべきことはやっぱりある気がする。
    それは、痛みで平日、ここに生活していたからよく分かった。
    みんな、やっぱり年をとり、身体が衰え、心も弱くなっている。
    今朝、目を覚ましても、やることが何もない。
    行くところがどこにもない。
    来てくれる人も居ないし、一日誰とも話さない。

    そんな毎日だったら、どうだろうか。
    きっと寂しいことだろうなぁと、私は感ずる。
    それは、私がそうだったからだ。そうだからだ。

    70代・80代の地域の先輩たちを見る。
    あんなに若々しく活動していた彼なのに、
    今はすっかりと老人になってしまった。
    あんなに美しかった彼女が、
    やっぱりそれなりに衰えを感ずる。
    その先は、どうなっていくかは、全く自然の成り行きだった。
    そのまま、身体が動かなくなり、生活もままならなくなり、
    日々の食事にも辛い想いをしなくてはならなくなるだろう。

    それは、いつかやって来る私の姿だった。
    彼も、彼女も、吾なんだ。
    そこのところに、若い時には気付くことができないものだ。
    いつまでもそうやって元気に、ばりばりとやれると思う。
    それが、全く錯覚であり、幻影であるとはしらないだ。

    突然の病もある。
    脳梗塞での半身不随等の、身体的な障害を負うこともあるだろう。
    もし、寝たきりの状態になったらどうだろうか。
    まず、経済的な心配は当たり前のように起きて来る。
    仕事ができない。お金がない。食べる者がない。頼れる人が居ない。

    でも、これって特別な例ではなく、
    今のこの地域社会では、当たり前のことになってきている。
    なのに、みんなは、自分とはかかわりのないことと、
    見て見ぬふりをする。
    私も、そうだった。

    痛みとは、自分ととことん向き合うことだと、ラジオの人が話していた。
    孤独である。引きこもりである。
    その人ほど、自分と深く深く語り合っている人は居ない。
    痛みや孤独や引きこもりは、
    きっとその人を人として深くしてくれる大事なものだ。

    病気をしたことのない人。
    孤独で辛い想いをしたことのない人。
    引きこもりをして生きることへの希望すら失ったことのない人。
    その人は、何だかとても薄っぺらで、
    確かに、人生の襞がないように感ずる。

    痛みや孤独は、人が人となるための味噌樽である。
    きっとその中に理不尽にほうりこまれ、醸されることで、
    何かが発酵し、何かが生まれ、何かが変わる。
    味が深くなり、まろやかになるのは、その長い年月の醸造による。

    そして、その人をこくのある人にするためには、
    たくさんの触媒である、発酵菌が働いてくれる。
    その目には見えない微生物にこの世は満ちているし、
    その働きを今でも、私は感じて生きている。

    するとなんだなぁ。
    見過ごしにできない人が、出来上がるのは。
    その深くこくのある人は、傍に居る人たちの苦しみや哀しみが、
    どうしても我が事のように感じて、見過ごせなくなってしまうのだ。
    その感覚は、きっとそうである人たちだけには分かる感覚だ。
    「われわれ」とでも言うのだろうか。
    「同胞」「はらから」とでも言うのだろうか。
    それは、私と人とのボーダーが存在しなくなる感覚だった。

    今、地域社会に求めらている人は、その人なんだ。
    だから、本当は、逆に、その助けの必要な人ほど、
    困っている人の傍に立ち、その人の真の隣人となれる人だと、私は想う。

    その人こそ、地域社会における大事な人なんだ。
    福祉を必要とする人は、最も福祉を為せる人である。
    そんな発想の転換をその人たちひとりひとりができたなら、
    この小さな町内の地域社会は、
    もっとみんなが住みやすく、安心・安全を感じられるまちとまる。

    そんなまちにするために、
    この痛みの人、病の人、孤独な人、引きこもりの私は、
    動きだそうと考えている。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月23日 06時18分07秒

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    HNKラジオ 人生を変える「声」の力

    NHKラジオ「こころを読む」で、
    人生を変える「声」の力を聴いている。
    偶然に出会ったこのお話しに、本当にくぎ付けになっている。
    「声」について語っている言葉が、
    何だかいつもいつもここに私が書こうとしている「生きる」になっている。
    「声」の話なのに、その話そのものが「生きる」となる。

    不思議だなぁと思いつつも、かくありなんとも合点する。
    光の当て方、焦点の違いはあっても、
    ものそのものは同じものなんだな。
    例えば、これが美味くて深いラーメンの味を作る話も、
    きっと同じなんだなぁと感じられる。
    「深いもの」には、ボーダーは存在しない。
    みんな一続きなんだと、改めてこの話を聴いて感じさせられた。

    どうして私たちが、正しく「声」を発音して、話せるのかの話だった。
    まず、音が存在する。
    今も、遠くで工場の音がずっと静かに響いている。
    ムクドリだろうか、大山台で鳴いている声が聴こえる。
    まず、その音の存在がなければ、無音なんだ。

    音があった。
    音が風を震わせた。
    その風を感じた。
    まだ、音に成っていない。
    その音を、だから、脳に伝える作用がある。「伝音」だそうだ。

    次に、脳に伝わって来たその信号を分析する。
    その音の種類によっては、たどり着く器官が違う。
    言語を理解するには、脳の言語野?にその信号が伝わり、
    その場所で「これは何だ」「何と言う意味だ」と、判定される。
    この作用を「感音」と言う。

    でも、ここまでなら、私たちは話すことはできない。
    つまり、話すためには、その自分が感じた音を、
    正しく私が発する必要があるからだ。
    それを、「聴覚フィードバック」と呼ぶそうだ。
    その時、私の肉体的な機能の力が発揮される。

    口の開け方・息の出し方・声帯の使い方・舌の動かし方・唇の閉じ方等、
    一つの正しい発音に対して、
    そうした無数の機能が同時に、瞬時に働いているから、
    その音が正しく「発音」される。

    もし、この三つの作用のどこかに、ジャーマー(疎外・障害)があれば、
    私は、正しくこの「あ」という音を発語できないのだ。

    まず、耳が聴こえることである。
    私は、生まれながらの右耳の難聴だ。
    そのことは、小学生になり聴音検査をするまでは分からなかった。
    だから、左耳を大切にしている。

    次に、生きて来たその経験の中で、その音の高低や響きによって、
    その音は何と言う音であり、どういう意味が在るのかを、
    感ずるだけでなく、考える力が求められる。
    もし、ここにジャマーがあったとしたら、知的に感覚的に障害があったら、
    その音は、その音として正しく認定されることはないからだ。

    そして、フィードバックだ。
    聴くことができることと、話すことができることとは、違う次元だ。
    その音の存在と意味とが分かったとしても、
    自分がその音を出して、話せるかどうかは、別の問題だからだ。
    これも意識的に一つ一つの機能を縦横無尽に働かせて、
    やっと達成できる至難の業である。
    もし、この機能のどこかにジャマーがあったら、
    正確にその音を発することは不可能だった。

    それから、最も大切なことは、
    そのフィードバックを何度も何度も繰り返すことだった。
    赤ちゃんが言葉を覚えるあれである。
    その時は、やはり発する自分の声を聴いているはすである。
    そして、自分の声と、正しい音とが一致しているかどうか、
    正しく判定する力が必要となる。

    そして、修正したやり方で、
    自分なりにちゃんと話せる能力も必要になる。

    つまり、ただ話す。「声」を出すということには、
    これだけの作用と機能と所作と意識と訓練とが必要だったんだ。

    「音」が在る。
    その「音」の通りに正確にその「音」を「声」として発する。
    そこに、人知れない宇宙の無限の働きがあるように感じた。
    自分では無意識であるが、
    そうやって、私は、「声」を獲得して、今がある。

    そうやって考えると、このお話し一つ一つが深すぎる。
    何だか、いつしか私は、「声」の話でもありつつも、
    私がいかに「生かされているか」の話となり、
    そのイデアである「生きる」と自分の「生きる」とを一致させ、
    自由自在になるためには、
    この「伝音」「感音」「聴覚フィードバック」の訓練が、
    必要だったのだと気付かせられていた。

    「音」は在る。
    果たして、私は、その「音」を正しく発しているのだろうか。

    この講座を、ぜひぜひ「声」と「いかに生きる」に興味がある方に、
    私から、勧めたい。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月22日 06時08分52秒

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    トランスだね

    昨日、小千谷のSさん80歳と2時間余りの電話だった。
    腰に違和感が在り、痛みがあるので大事をとって寝たままでだ。
    どうしてこんなに語り合うことは、楽しいのだろうか。
    語り合いながら、私とSさんの区別が無くなる。
    不思議なんだが、そんな感じだ。

    「トランス」だねと、何だかそこに落ち着いた。
    Sさんは大阪のホリスティックの学会に土日に参加していた。
    その学会は、今回を最後に解散するそうだ。
    20年の長きに渡って、彼はこの会に貢献し続けた。
    「それは、何か」の「それ」を感ずるためだった。
    不思議なことだが、「問い」が生まれる時、
    その「応え」は既にそこには存在している。
    「問い」そのものが「応え」であるのに、
    そのことに気付くまで、「問い」は続く。「問い」はやまない。

    彼は、その「問い」の「応え」を求めて、東京に京都に大阪に行った。
    そして、学者さんや、大学の教授や、学校の教師に会う。
    話を聴くためだった。
    彼が心底知りたい「応え」を実感している人と出会いたかったからだ。
    その人と出会えば、きっとその出会いが言葉となり、
    それが彼がずっとずっと長年憧れ求めて来た「応え」になるはずと信じたからだ。

    しかし、頭で考えられたもの。
    学問として、語られる言葉。
    それは、彼の心を打つことはなかった。
    確かに、理論はそうだろうし、その意味をそうともとらえられるだろう。
    でも、それだけでなく。それとは何だか違うのではないのか。
    いつも、そこで語られる〇〇理論や、「俺が」の話に、
    違和感をも感じていた。

    「これではないんだよなぁ」と、
    ではいったい彼が求めているものは「何なのだ」
    不思議なことだが、その「何なんだ」は、
    彼を既に活かしている「何なんだ」なんだ。
    彼の彼は、だから、語られる言葉に違和感を覚える。
    「そうかなぁ」と、腑に落ちない。
    彼は、そこに居る。
    どこかかゆいところに手が届かず、その心の違和感の出所が見えてこない。

    そんな、彼が、あるインド舞踏家の踊りにただただ感じて涙を流したそうだ。
    きっとその没我の踊りには、無心であるという姿が見えたのだと感ずる。
    触りは細やかだ。その内に踊りが大きく育ち、揺れ動き、響きだす。
    踊っているのは65歳のインドの女性なのに、
    踊り手がいつの間にか消えて行く。
    では、ここで踊っているものとは何か。
    それが、彼の中の彼なのだった。

    彼は、涙が溢れて止まらなくなったと言っていた。
    私もそうだった。
    のべつまくなし。至る所どこでも。突然、涙にやられる。
    どっと溢れる。堪えられない。止まらない。
    だから、もうやめた。涙はそのままにすることにした。
    すると、本当にすーっとする。
    それは、鼓動のように、私はその温かさに、生きるを実感する。
    ああ、これって奇跡だなぁと。

    佐渡の鼓動の太鼓がそうだった。
    半径1.2mの大太鼓を、太い丸太の撥で叩く。
    腹の底を揺さぶられるような響きだった。
    全知全霊。
    まさに、その太鼓に二本の撥で身体いっぱいに立ち向かっていく男の背中。
    これって、祈りに他ならないな。
    そのうちに、彼が消える。
    そして、私も消える。
    音だけになる。
    音で一つに融けて行く。
    涙が、流れる。どうにもならない。みんな居るのに、止まらない。

    「没我」「無我」これが「無心」
    ただ、その「無心」に「心無心」だ。
    「無い」から「在る」
    だって、「在る」から感じて動き、その存在が露わなのだから。
    インドの舞踏家が露わにした何か。
    鼓動の太鼓で露わになった何かは、同じ何かなんだ。
    そして、その何かは、Sさんにも、私にも、全ての人にも存在する。
    その「はたらき」としての、「何か」なんだと、私は感じている。

    「没我」だから露わに現れる。
    それが、やっと、信じられるようになった。

    「トランスですね」
    「クマさん、トランスだったね」
    と、60歳と80歳は新潟市と小千谷市で同時に、今、ここで、笑った。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月21日 06時07分32秒

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    ストラスバリウスの奇跡とは

    バイオリンの名器、ストラスバリウスは、世界に600丁もあるという。
    私は、そのことを知って驚いた。
    もっともっと少ないのかと想っていたからだ。
    そうすると、この職人のただならぬ天才ぶりがうかがえる。
    600丁も傑作を作り続け、
    今もなお世界中の名演奏家によって演奏され、
    その響きや音色は、世界中の音楽愛好家の心を感動させている。
    たったあの小さな楽器がだ。

    ストラスバリウスの音は、ストラスバリウスがこの世に誕生するまで存在しなかった。
    このバイオリンの響きは、この名器だけが奏でられる倍音をもつという。
    つまり、どうしても他のバイオリンでは出せない音があるとのこと。
    すごいものだと、感服させられる。

    彼が、この世に誕生し、彼がバイオリン職人となった。
    きっと彼には、名工と呼ばれる師匠との出会いがあったことだろう。
    ただし、彼が彼の独自なことは、
    その音ではない、もっと豊かで妙なる音を求めたことだった。
    そこに、自然の機微が関与している。
    彼がきっとバイオリンの材料とした樹木は、
    その素材そのものが天与の逸材だったのに違いない。
    それを彼には見抜く目を持っていた。

    その自然の恵みをバイオリンの形にする。
    そのプロセスで、きっと奇跡が幾度も幾度も起きたのに違いない。
    超えるということは、未だ現れずということである。
    そして、それは、ここには存在するが、見えず、聴こえず、感じられずと、
    在ることが分からない、でも、存在するものそのものの音だった。

    きっと制作する途上で、彼は、その音に魅せられ、その音だけを求めたことだろう。
    まだ誰も聴いたり、感じたりしたことのないその神の音を。
    天は、彼を選び、彼はその使命に従い、渾身の想いで制作に打ち込んだ。
    そして、とうとうこの名器がこの世に誕生したのだった。

    在るのに、それは彼が登場するまで、この世には存在できなかった。
    彼のストラスバリウスという名のバイオリンが息づくことで、
    私たちは、聴くことの出来なかった妙なる神秘な音色を聴くことができる。
    それが、奇跡。
    奇跡とは、見えない、聴こえない、感じない神そのものの現れだ。
    それを芸術家と呼ばれる人たちは、この世に成し遂げてくれる。

    ただし、この奇跡には、このバイオリンの命を活かす、
    名演奏家の存在が欠かせない。
    私が持っていたところで、ただの騒音を出す木箱にしかすぎないからだ。
    ハイフェツが弾く。
    そこで、その奇跡はこの世のものとして露わとなる。

    しかし、ここにも欠かせないものがある。
    それは、その音を奇跡の音と感じ、魂を震わせ、涙を流せる、
    そんな聴き手が居なければならないんだ。

    ここに在るものは、たった一つだ。
    ストラスバリウスの素材である樹木も、それを育てた大地も水も空気も。
    ストラスバリウスの師匠も、彼自身の生涯も。
    その名器を奏でることのできる天才をもった演奏家たちも。
    そして、そのものを聴きとり、感じ取れる聴衆もだ。

    全ては、一つの奇跡があるのみだ。
    600丁のストラスバリウスは、そのたった一つの音の奇跡を、
    この世に露わにするために存在している。

    この世には、奇跡しかない。
    まさに奇跡に充ちている。

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  • from: クマドンさん

    2017年06月20日 05時54分00秒

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    無心なのに無心ではないこの自分とは

    自分がいらなくなったら、きっと楽に生きられるんだろうなぁ。
    「無心ということ」を毎朝、読んでいる。
    分からないことだられだ。
    でも、何だか近くにあるような気もしている。

    もう既にそうやって働きの中でずっとずっと生かされてきているのに、
    どういうわけか道に迷って、右往左往して生きて来た。
    「自分が」「自分が」は、とっくにやめた。
    いや、やめさせられた。
    あの生き死にの境の大手術からの生還かな。
    ああ、自分が生きているんじゃないんだなぁ。
    自分の命すら、自分でままならない、そんな自分なんだなぁ。

    受動性と言っていた。
    お任せしますとも。
    無心だというものがここにある。
    どうして「無」がここにあるのか。
    分かろうとできない自分。

    「分かる」って大事なことだとずっと思ってきた。
    でも、その「分かる」とは、「分ける」ということだった。
    つまり、あれとこれ。
    私とあなた。
    明と暗。
    善と悪。
    美と醜。
    あれと、これ。
    「分かったら」だめなんだな。

    その「分かれる」その前。そのもの。
    父母未生以前の本来の真面目。
    大拙さんの晩年を共に過ごした彼女が言っていた。
    「本来」なんですよ。

    本当は、全てがその本来で生かされている。
    本来の働きしかここには存在していない。
    私は、私だと想うから、腹も立てるし、いらいらもする。
    どうしてそんなちっぽけな私のことを捨てられないのか。
    「死人となりてなり果てて、思うがままに生きるぞが・・・」だ。

    唯識とも言う。
    心によって創りだされたものばかり。
    心が定まり、静かに澄めば。
    鏡のようなその心の水面に映るものこそ、信じられるものなんだ。

    まあ、毎晩、「心の時代」を見直して、語りを聴いている。
    いくら聴いても「分からない」
    でも、「分かる」ではないことだけは、「分かった」つもりだ。
    では、いったいなんだ。

    それが腑に落ちた時は、きっと本来の言葉と一つになれる時に違いない。
    生きている間に、その瞬間に立ち会いたい、遭遇したいものである。

    南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。

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