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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019年04月28日 09時43分43秒

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    悩むな。考えろ。

    連休が始まった。気分が晴れない。
    人は、やっぱり自分ではどうしょうもない出来事を抱えると、
    その悩みは晴れないものだ。

    自分自身のことなら具体的に動けばそれでいい。
    あれをやってみて、駄目なら、これをやってみる。
    しかし、他人のことはそうはいかない。
    何でそんなことから抜け出せないんだと思って、腹も立ててみても、
    本人がそれでいいと思えば、それだけである。

    私の言い方がきつい。
    上から目線だ。
    相手を攻めるような口調になる。
    しかし、始めっからそんな口調では話さない。
    何度言っても分かってもらえないから、
    次第に感情を激するだけだ。

    その後は、他人は引く。
    もう話を聴かなくなる。
    嫌になる。離れて行く。
    それなのに、そうなると分かっているのに、やってしまう。
    今朝もまたやっちまった。

    昨夜、ある人に愚痴を聴いてもらった。
    自分でもどうしたらよいのか分からないからアドバイスをもらうためだ。
    大人とは、経験が豊かな人のことを言う。
    自分の経験から学んだ知恵を確かにもっている人たちのことだ。
    だから、相談できる。信頼できる。
    ただし、悩みとは、他人には云えないこともある。
    でも、やっぱり聴いてもらえることは、ありがたい。

    迷う人には、そんな大人の存在が必要なようだ。
    迷っている人とは、まさに迷っているから抜け道を知らない。
    怒りや、腹立ちや、後悔や、懺悔はあっても、
    その次の具体的な一歩が分からないものだった。
    だから、迷いからはいつまで立っても抜け出せない。

    でも、傍目から見たら、方法はちゃんと見えるものだ。
    ぐるぐる回っているその人には見えなくても、
    その道は、ちゃんとそこにあり、傍目からはよく見える。
    何で、その道を進まないのかと、不思議に思うが、
    そうした迷いの思考を刷り込まれてしまった人には、
    そのここにある抜け道。選択肢が発見できない。
    だから、ずっとずっと深く深くどつぼに沈む。

    「悩むな。考えろ」と言った池田晶子さんは、正解だった。
    ただ悩むってことが、いかに無意味であるかを、
    その悩んでいる本人は、気付きつつ、気付かないふりをする。
    「苦しい。苦しい」と言っている方が、歩くより楽だからだ。
    確かに、本当の苦しさにあったなら、「休む」という選択肢がある。
    「病院へ行く」という、道もある。
    とにかく、苦しいと蹲り、ただただ誰かの助けを独り待つよりましである。

    考えるとは、具体的な次の一手。行動だ。
    選択肢を幾つか発見し、そのどれを選ぶか考える。
    考えが決まったら、それを選び、次の行動に出る。
    どんな結果になるかは、やってみなくては分からない。
    そしたら、また、考える。選択肢を発見する。決断する。行動する。
    生きるとは、この繰り返しではないだろうか。

    悩んでいる人は、考えてもいない人だ。
    なんだかね。もどかしいぐらい、
    自分の人生なのに、その人生に無責任な態度で生きる。
    「どうせ自分なんか」「どうせ失敗するんだから」と。
    やりもしないことを勝手に決めつけ、諦めていたりする。
    それって、自分の人生に対する裏切りでもあるのではないかと思う。

    私は。そうやって半年以上深く深く沈んでいたことがある。
    だから、よく分かる。
    でも、やっぱりその時も、自然の中を歩くことで、
    庭に出て小さな仕事を積み重ねることで。
    お日さまに当たり、風に吹かれて、やっと少しずつの回復・蘇生だった。

    悩むとは、何も自ら解決をしないということだ。
    悩むなら、考えろということだ。
    自分では抜け道が見えないならば、傍に生きる大人に相談することだ。
    そして、この道だねと、分かったら、
    知恵の無い者が勝手に「それは違う」などと拒否をせず、
    その道に目をつぶって踏み入れることだ。
    その道を旅する。

    きっとその内に何かと出会う。
    それが、その道を旅した人への人生からの答えである。
    しかし、その旅をしない人には、この答えは永遠に与えられない。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月26日 05時44分14秒

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    なつが教えてくれた

    あと、一日。
    本当は、今日から私は連休にしたいぐらいだ。
    二日間休酒をした。
    それは、それだけ身体も心も疲れ切っていることを感じているからだ。

    歳をとったと感ずるのは、気持ちからではなかった。
    気持ちは益々盛んなりであったとしても、
    実際の生活では身体がついてはいかないのが現状だった。

    自らの身体に起こっている様々な出来事が、
    「こんなはずではなかった・・・」という、驚き。
    夕方になると、ほとほと疲れ果てて、休みたくなるこの私。
    走ることはずっと辞めているこの現実。
    何だかそんな現実と直面することで、やっと自覚する。

    人は、自分自身のこうした身体の変化すら感じられないまま生きている。

    さてさて、「なつぞら」が面白くなってきた。
    それは、農業高校の演劇部の話になったからだ。
    先生が魂を込めて書いた台本を、なつたちが演ずる。
    高校演劇だ。
    まだまだ人生の経験も少なく、
    そうした役柄の立場に立たされたことのない高校生たちが、
    闘う二つの村の人たちを演ずる。

    それは、想像力によって、そうだろうと思うように演ずるしかない。
    つまり、自分は村の長の役であっても、
    その長ではないのだから、その長の気持ちにならなくてはいけない。
    それを、「役になる」と云っている。

    しかし、その役になろうとすると、
    それは、その役者が造り出した、ただ単の作り物・模造品でしかない。
    なろうとしてなっているものには、
    やっぱり藁人形ではないが、魂は存在しないだろうと私も思う。

    戦を止めて、平和に共に共存する道を得るために、
    なつは、犠牲となり、相手の村の若い長の嫁とならねばならなかった。
    その「想い」の台詞が、軽く、そっけなく、浮いて、響かない。
    演出家の先生が云う。
    「なつ、お前の魂しかないんだ。お前が、言うんだ」と。
    なつの親友のてんゆう君も言う。
    「俺も、なつの演技に、肚が立ったから、ああ言ったんだ」って。

    言葉とは、そういうものだ。
    言葉は、深く深くの自分を語るものだ。
    その自分自身から顕わになった言葉だけは、真実として他人の魂に伝わる。
    これは、不思議だが、そういうものだった。
    私も、舞台に立った時、それを感じた。
    自分が居るうちは、言葉は軽いものだった。
    自分を捨てるのではなく、勝手にその役になるのでもなく、
    何と言うか、本気でその言葉を語る時。

    時には、魂が震え。涙が溢れ。叫び。訴え。語り掛ける。
    その言葉は、何だか自分が語っている言葉でありながら、
    言葉を語るべく語っている言葉。
    何かから託された言葉として、使命をもって語る時。
    いや、やっぱり・・・。これを、表現することは難しいな。
    あの先生も、在るこれを、なつたちには、伝えきれず、
    自らも語り切れず、稽古場を離れた。

    しかし、ラストシーンだ。
    なつは、自らの境遇を想い、自分を育ててくれた家族に感謝して、
    その人たちを守るためには、自分の命なんかいらないと、その想いだけで、
    その言葉を語った時、なつも涙が溢れ、止まらなくなり、
    私も涙が溢れ、今も涙で手元が曇っている。

    真実とは、自分のことであっても、気付かずに生きているのではないだろうか。
    しかし、その真実に身の丈が合って来た時、
    やっとその真実を言葉として、魂の言葉として、語れるようになるのかも知れない。

    身体の衰えは、私の気付きの先を行く。
    真実の言葉も、私が気付く前に、既に、ここにある。
    後は、様々な辛苦を経て、様々な挫折を経て、
    その言葉を、「ああ、そうだったんだ」と、分かればいい。
    その言葉を、言葉のまま生きればいい。

    なつは、あの舞台の上で、そのことを改めて、私に教えた。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月25日 05時34分53秒

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    孤を動く。孤を働かす。

    「神を敬え。人を救え。人生は短い。
     地上の生の唯一の収穫は、敬虔な態度と、
     共同体のための行為である。」   マルクス・アウレルシス

    さてさて、やっと大型連休直前だ。
    年度末・年度初めの疲れが溜まり、
    何だか昨日は身体がだるおもで仕方なかった。
    駄目な時は、諦める。
    じっとして、回復を待ち望む。
    そんな処世訓も、実践できるようになった。

    子どもたちから離れ、大人たちの中での仕事。
    これがやっぱり私には合わないことがよくよく分かった。
    事務的な仕事。パソコンに向かうだけの仕事。頭脳労働。
    そんな日々に、何だか空しさすら感じていたな。

    というよりか、大人たちの思惑、煩悩、我欲の中で、
    知らず知らずのうちに影響され、
    自分を見失い、彷徨っていたのかもしれなかった。
    そんな日々は、ある意味では、「不安」の日々である。
    それは、自分自身ではなく、生きることが他人事の影響下にあるからだ。

    他人は、本当にいろいろだった。
    そして、みんなそれぞれが自らの正しいと思える考えで行動している。
    そうした多種雑多な我執と思惑の中で、
    平和な内に生活するためには、
    日々、やはり、何らかの妥協と忖度と自己否定とが必要になって来る。

    ここで、我を通すことはしない。
    他人は、自分の不利益を少なくするために、
    はっきりと我を通すことがある。
    しかし、私は、しない。
    そこで、引く。諦める。譲る。黙る。言われたままにする。
    これも集団の中で身に着けた処世訓だった。

    しかし、現場は、自由だ。
    私には、その自分自身を自由に発揮できる現場が与えられている。
    そのことが、私にとっては救いだった。
    他人から善く想われようとする気持ちは、私にもある。
    しかし、そっちばかりを見ていると、
    いつの間にか、本当の道を見失い、
    本来自分自身が果たさねばならない役目すらも見失ってしまうことがある。

    そんな時、その迷いと間違いとを、「虚しさ」と「疲れ」で感じさせる。
    つまり、心の虚しさと身体の疲れとは、
    本来の自分自身。それは、神と一続きの、一体の、一つの自分自身。
    それを、見失ってしまった時に感ずる警告的なサインなんだと、
    この春、私は感じた。

    他人を見ると、虚しい自分自身に気付く。
    他人に合わせようとすると、疲れている自分自身を発見する。
    それは、道を見失い、迷子になっている私だった。
    だから、はっと気付き、目を覚まし、この道に立ち戻る。
    現場が、全てだ。概念でも、常識でも、理屈でも、世間でもない。
    この現場で直面し、その時に気付き、感じたままに反応して動く。
    「ある」+「決断」+「即 動く・働く」
    これを間髪入れずに、即決即断で生きる。行う。やり切る。

    孤を動く。孤を働かす。

    こうすることで、虚しさと疲れとの反対の味わいが私に起こった。
    虚しではなく、「よし、次は、これだ」という、意欲・活力。
    疲れではあっても、何かやりとげた充足感のある心地よい疲れそのもの。

    まさに、「敬天愛人」なんだなと、改めて感じながら日々を生きている。
    アウレルシスの言葉にも、その真摯な真実な生き方が顕れている。
    だから、「この道を往く」だな。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月24日 05時28分16秒

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    人は変わらないからだ

    さてさて、昨日は、疲れ果てての帰宅だった。
    定時に退勤もままならず、1時間半の残業だった。
    あれも、これもと、言われる。
    出来上がれば、これ、こうしておいて、と言われる。
    何も考えない。
    何も感じない。
    感情が少しでも揺れ始めたら、その感情の微動を押さえる。

    「まぁねいいか」だな。
    相手の人は、とてもとても神経質で細かな人だ。
    その人が安心できる仕事をするためには、
    〆切一週間前を守らなくてはならない。
    その仕事が出来ているかどうかを、
    その人は、一週間前から気にする。心配する。
    だから、進捗状況を日々チェックされる。

    ならば、何でも早目に提出することに越したことはない。
    ただし、その仕事をやれる時間がなかった。
    いつもは、隙間をぬって仕事する。
    5分・10分と仕事の合間の時間を見つけては、パソコンに向かう。
    昨日は、それが不可能だった。
    目いっぱい退勤までの仕事が詰まっていた。

    そして、諦めた。
    ただ、黙々と仕事した。
    一気に三つの仕事だった。
    さくさくと、それをこなした。
    何故なら、結構適当にやっているからだ。
    その人は、失敗を恐れる人だ。
    細かなところまで注意深く仕上げたい人だ。
    でも、私は、いい加減にさくさくと、しかし、しっかりと決める。

    こうした提出文書には、何もこだわりをもっていない。
    ただ、決められた規定通りに作成すればいい。
    しかし、本当に頑固にこだわる人は、
    こんなどうでもいい文書の細部まで、こだわる。こだわる。
    必ず、訂正や修正を加えて差し戻す。
    まぁ、ある意味どうでもいいことだが、
    その人には、絶対に許されざることのようだ。

    その人の性格を分かっているから、
    私は、無心になる。
    無心なマシンに変身する。
    感情は入れない。
    ここに、「何で、私が・・・」は、必要もないからだ。
    その人が、安心できる仕事をする。
    私の感情は、ここではどうでもいいことだからだ。

    もはや頭の中が飽和状態だった。
    身体が疲れ切って、へなへなとなっていた。
    それでもゴールを目指す。
    ここまで来たら途中にせずに、最後まで仕上げる。
    腹が減り、酒がとてもとても恋しくなった。
    本日の「休酒」はお休みと決めた。
    自分自身へのご褒美、ご褒美だ。

    さてさて、仕上げた。
    また何か付け加えられる前に、退散することだと、
    「お先に失礼します」と、退勤した。

    私は、感情を入れない。
    感情をぶらさない修業を、毎日職場でやっている。
    人は、変わらない。
    だから、私が変わらねばならぬからだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月23日 05時33分09秒

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    ファシリテーターのように生きる教師であれ

    「共感」
    「絶対の信頼」
    「自己一致」

    これがファシリテーターの大事な資質だと書かれてあった。
    それは、人と人との関係性の中で、
    大切にされるべきことであり、
    今の人たちが関係作りの中で見失っていることでもあった。

    「共感」
    その時は、相手への尊重・尊敬だ。
    自分を捨てる。自分は居ない。
    傾聴という言葉で表すように、ただ聴く。聴き続ける。
    理解しようと言う努力ではない。
    自分がその人になり。その人が自分になる。
    居なくなるとは、空っぽになることだ。
    そうすると、その空っぽにその人が入って来る。

    その人のことを、我が事のように感ずる。
    その人を、私の身体とする。
    そして、その人のその人すら気付かない深い深い何かを味わう。
    判断しない。ジャッジしない。
    ただ、そのあるがままに、息を合わせる。
    呼吸を同じ速さにする。
    その辛さ、哀しさは説明されるものではないから、
    だから、そのまま、「そうだね」と、共感する。共振する。

    これは無垢で、確かに傷つきやすい生き方ではあるが、
    悲しみの人・孤独の人・病の人・絶望する人に、
    そうした人が傍に居る必要はある。
    だから、傍に居ても邪魔にも、腹も立たない人となる。
    それが、「共感」

    「絶対の信頼」
    それは、「大丈夫」と、言ってやれること。
    本気でそう想い。そう信じて「励まし続ける」こと。
    そして、その人が気付いていない隠された力を見つけ、
    「ほら、ここにあるよ」と、両手の上に乗せて見せてあげること。
    または、その人の行動を通して、気付かせること。

    人は、絶対に大丈夫な存在なんだ。
    そんな自覚と自信と確信とをもっていると、
    同じく生きるその人にも、そう言ってやれる。
    いや、言ったとしてもその最中にある人には、
    その事に対する信頼は生まれない。
    それは残念なことだが、私がそうだったからよく分かる。

    しかし、その傍らに佇み、その人のことを心から心配し、
    愛する人なら、きっとその人のことを、
    諦めずにずっと見守る眼差しをもっているはず。
    「諦めない」「捨てない」「ジャッジしない」「あるがままを認める」
    その私の「絶対肯定」が、その人を再び生かす力となることは、確かだった。
    つまり、そうした数多の経験を通して、
    初めてこの「絶対の信頼」は、ここに実現する。

    「自己一致」
    これは、とてもとても深いことだった。
    それは、「本来の自分」「根源的な自分」「全部であり一つの自分」だからだ。
    そこに、「落ち着く」「そこに生きる」「そこでぶれない」だな。
    そこは、孤独な場所である。
    ある意味、他者との関係を遮断する場でもある。
    ただし、いつでも他者や世界とは開かれ、あけ放たれているのだが・・・。
    その孤としての自分で生きる。
    そこには、きっと神が居る。
    孤の中に、絶対に信頼できる、永遠に変わらず、消えない力・働きがある。

    人は、その力と働きとを託されてこの世に生を受けている。
    しかし、その力と働きとを知らぬまま、この世の生を終える人が多い。
    それは、いつまでも死ぬ寸前までも自分を捨てられず、
    自分のままに生きているからだ。
    自己一致すると、歓びが湧いて来る。感謝する気持ちになる。
    美しいものを、美しいと感ずる。花と語り、雀たちに声をかけられる。
    「万物斉同・天地一体」
    一つのものから全ては生まれているから、みな兄弟・姉妹だな。
    「ブラザーサン・シスタームーン」そう呼びかける心そのもの。

    「絶対矛盾的自己同一」という、生き方がある。
    即、今、ここで、飛跳して、ぽんとそこに降り立つ。
    「ここで、いい」と思う。
    そうやって生きている人は、その周りの人をほのぼのと温かくさせる。
    「自己一致の人」
    私は、そういう人に会いたいし、私もそういう人になりたいと思う。

    この三つ。
    教育現場に立つ、教師の基本の生き方なんだな。
    ファシリテートを、日々の授業にする。
    そのためには、教室に居る教師は、
    この三つを備えたファシリテーターであれだな。

    それが難しい。しかし、それが、答えだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月22日 05時20分15秒

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    心の元気が・・・

    何だかねぇ。
    いろいろなことが重なり、少々へこんでいる。
    町内での班長の役割をこの3月で終えることができた。
    ただ回覧板を回し、町内会費を集める仕事だ。
    ところが、ある申し込みを私が見落としていたことが分かった。
    「ああ、たいへんだ」だった。
    とにかく、関係機関に相談して対処しなければならなくなった。

    町内会の総会があった。
    私は、東京へのアルビの応援が決まっていたので、出席できなかった。
    その席で、ある人が「あいつは口ばっかしで、何も仕事をしない」との発言だった。
    そのことを、出席した人が教えてくれた。
    いつものことだ。
    私が居ないところで、私のことを悪く言う人が居る。
    何も反論はないけれど、哀しいことだと私は思った。

    ある人と、電話で話した。
    いつもは共感的な理解で深く気持ちよく終わる会話が、
    どうもかみ合わなかった。
    「その言葉は、クマさんが思いだけふくらませて語った言葉ですね」
    「私には、その言葉が理解できませんね」だったな。
    ああ、何だかね。こうやって、否定される。突っ放される。
    これはこれで哀しいものだった。

    人は、私がその人たちを想うように、私のことを想っている。
    その想いとは、私の想いとは決して一致しないその人の想いだった。
    「農園クラブ」の事務局を降ろさせてもらった。
    とにかく、この現職のままでは、にっちもさっちも行かないからだ。
    しかし、やっぱり、この降板をよくは思わない人がいる。
    そういうものだ。仕方ないと、諦めている。

    みんなとても真面目なんだ。
    きっとみんなはちっともミスをしない人なんだ。

    私は、こうしてミスをしてしまった。
    それを取り返せるかどうかは、これからだ。
    町内会のお仕事や、農園クラブのお仕事は、この現職のままでは難しい。
    平日に、自由に動ける時間が私に与えられていないからだ。
    8月8日までに、年休はたった3日だ。実にブラックな職場だった。

    この現場に戻るつもりは、無かった。
    しかし、戻って見たら、やっぱり本気になって取り組んでしまう。
    責任も在り、喜びも在り、充実した気持ちで働ける。
    しかし、こうして、地域でのお仕事ができなくなり、
    いろいろな面で迷惑をかけてしまった。

    まぁ、何を言っても言い訳になる。
    やっぱり独りで生きるしかないんだな・・・・。
    地域活動をできるようになったら、本当にリタイアしたら、
    その分は取り戻そうと思っている。
    それまでは、「口ばっかりで、何もしない男」として、
    この地域で生きることとする。

    少し心が折れそうなので、ここに、ついつい書いてしまった。
    失敗と批判によって、心の元気が乏しい月曜日の朝だった。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月21日 09時28分01秒

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    前を向こう

    味の素スタジアムに行って驚いた。
    アルビのサポーターが長蛇の列だった。
    階段下の広場にも延々とサポーターの列だった。
    こんなにも大勢のサポーターが集結した。
    その訳は、やはり新生アルビに対する期待感だろうか。

    確かに前半のアグレッシブルなプレーは凄かった。
    球回しも早く、ワイドに展開し、ボールを保持して敵陣に攻め入った。
    前からのデフェンスの意識が高く、インターセプトで翻弄した。
    ベルディ―はなすすべもなく、押されたままだった。
    その隙を突き、前半早々にアルビの得点だった。
    「これは、いけるかも・・・」

    しかし、そんな期待は、後半にすぐに裏切られた。
    ベルディ―にボールを支配されると、ボールを追いかけるだけの展開となった。
    これは、前半のベルディ―の姿だった。
    アルビには、シュートらしいシュートも無く、
    相手にインターセプトされたボールをゴールにたたき込まれて同点だった。

    「何で勝てないんだ」という、隣の青年の悲痛な叫びだった。

    これが、サッカーだな。
    しかし、アルビは3戦負けなしだ。
    そのことは、充分評価に値することだ。
    監督の突然の交代はあった。
    しかし、そのことをとやかく言っている暇はない。
    まず、前に進むことだ。
    現状をよくよく分析して、何を、どのようにすればベストなのか、
    そのことを具体的に形にして、強いチームを構築することだ。

    ここは、セオリーを破るところだ。

    相手が変わったら、臨機応変に対応する。
    状況判断は、ピッチに立っている選手に任されている。
    相手の戦略が変わったことを察知して、
    それに即座に対応できる体制をとっていく。
    ライブは、オンタイムだ。
    それができるか、どうかではないだろうか。

    20%-80%の法則というものがあるそうだ。
    初めの20%の時間で、クリエイトして80%の段階まで高めていく。
    すると、残りの80%の時間で、緩やかに完成を目指すと言う考え方だ。
    これって、何だか、分かる気がする。

    まず、この最初の20%が勝負どころだということだ。
    何でも立ち上げが肝心要だということだ。
    そこで、大事にされることは、クリエイトである。
    今までにはなかったものを、セオリーを破るものを創り出す。
    そして、それを創り出すのは、選手たちなのだから、
    ここでね原点に返って、コミュニケーションをしっかりととる。
    分かり合う。ぶれない。信頼し合う。支え合う。
    そうした関係作りが、その組織の創造力を生み出す原動力となる。

    まず、前を向こう。
    20%で80%を達成しよう。
    そのための本気の努力がこの時期なんだと、
    昨日の試合を観て、そう感じた。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月20日 05時35分36秒

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    アルビと共に

    本日、東京に行く。
    アルビ観戦のために、味の素スタジアムだ。
    応援のための弾丸ツアーは、3時出発だったそうだ。
    そんなことしたら、死んでしまうーーーーという歳の私は、
    新幹線で向かう。

    妻と二人。向こうでは次男と一緒に観戦する予定だった。
    しかし、この次男、仕事のためにこれなくなったそうだった。
    「何・・・・・」だった。
    彼の大学の後輩であり、彼がトレーナーとして指導した、
    新井選手が出場するので、応援のための今回のツアー企画だったのに・・・。

    ところが、今日の対戦が、今後のアルビにとっての歴史的な闘いなってしまった。
    それは、新監督の初戦だということだ。
    先週は、片淵監督の最後の試合をビッグスワンで観戦した。
    そして、今日は、東京で新監督の初めての闘いを、
    味の素スタジアムで目の当たりにする。
    不思議な縁だと、我ながら感心している。

    J1へ昇格する時期からの熱狂的なファンでもある。
    サッカーは、家族四人が一緒に楽しめるスポーツだった。
    妻は、初代のサポーターだ。あのビレッジに、名前を刻まれている。
    今は、家事や仕事で行かなくはなったが、
    J1時代には、よくアルビの観戦の為に家族4人でビッグスワンに出かけた。

    アウェーでは、山形・鹿島・今は亡き東京の国立競技場だった。
    クラブワールドカップには、3回の参戦だった。
    サッカーによって、アルビによって、我が家族には貴重な思い出満載だった。

    アルビとは、そういうものなんだ。
    サッカーを知らない。サッカーを観戦したこともない人には、
    きっとこの味わいは理解できないだろうと思う。
    アルビがあったから、サッカーがあったから、
    不思議なことに、ある意味深い深い絆で家族は結ばれている。

    もし、アルビが無かったらどうだっただろうか。
    もし、二人の息子がサッカーをやっていなかったらどうだっただろうか。
    人生にとっての大事な出会いとは、
    その時は、夢中になって、興奮して分からないけれど、
    こうして振り返ってみたら、ただただ感謝しかないんだと、気付く、気付く。

    私は、J1の試合を一切観ていない。
    J1の順位すらも全く興味も無くなっている。
    つまり、私が好きなのは、サッカーでもあるが、やっぱりアルビなんだ。
    あのJ1昇格の当時の4万人のスタジアムを、
    私は、今でも夢に見ることがある。

    今は、閑散としたスタジアムである。
    しかし、いつか、必ず、また、ここが、人で埋まる。
    あの4万人の怒濤のような地響きのような圧倒的な歓声を、
    また聴ける日がきっと来るはずだ。
    その日が来ることを信じで、私は、東京に応援に向かう。
    また、土曜日にはビッグスワンに通う。
    それは、ファンとしての細やかな闘いでもあったな。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月18日 05時36分00秒

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    ファシリテーターのような先生に

    何もできないという人としてそこに居る。
    まぁ、居るだけでいいと言われたので、
    その言われたままの気持ちでそこに居る。
    それって、とても周りの人たちには救いのようだ。

    朝は、変なおじさんのようにして笑顔で挨拶をしまくる。
    「おはようございます」の百連発。
    今は、そのことが快感になっている。
    名前を知らない子どもたちだらけだ。
    初めて顔も多い。
    その一人一人の目を見て、挨拶する。
    反応は・・・。それでも、続ける。期待しない。

    居ても居なくてもいい人は、期待はしていない。
    「まぁ、いいか」と、かかわっている。声をかている。
    相手が黙っていても、それを無視とは感じない。
    だから、腹も立たない。

    きっとやりたくなったら、やってくれる。
    そんな気持ちで、黙って待っていることも多い。
    やるのは、私ではないからだ。
    向こうにも向こうの理由は、確かにあった。
    それを、大人目線と大人のプライドとでやらせても無駄も無駄。
    本人がやる気を出して、取り組んだことだけが、
    その子の為になることだ。

    さてさて、毎朝、ファシリテーターの本を読んでいる。
    15年くらい前だったかな、
    このファシリテーターという人が居るんだと、教えてもらった。
    私自身も会議やワークショップで、この役割を経験したこともあった。
    そこで、気付いたことは、居ても居なくてもいい人は、居なくてはならない。
    そんな不思議な気付きでもあった。

    場は、設定する。
    それぞれアイスブレークを通して、心を開かせ、出逢いの場も創る。
    みんなで考えるための、「問い」や「課題」を設定する。
    それでは、後は、ご勝手に・・・と、任せる。委ねる。黙っている。
    その時から、深く深く聴く人となる。

    一人が語り。二人目の人が語り。三人目の人が語る。
    その語りには先の語りを受けての語りだから、
    関係性や関連性、時には、反対意見も含まれていることがある。
    それを、模造紙にライテングする。
    すると今、みんなは何を考えているか。
    その考えがどうかかわっているのか。
    みんなが共通に「課題」だと認識していることは何か。
    そのことが、明確になって行く。

    すると、一人一人が深く深くでその「意味」を味わい。
    さっきまでは、外側に居た人も、話題の内側の人となり、
    考える人となり、その考えを表出する人となる。

    そして、自らの発言に自らが触発され、
    はっとして、何かに気付くことがある。
    その瞬間を、「腑に落ちる」瞬間と私は呼んでいる。
    「ああ、そうだったのか」「やっぱり、そうだったんだな」。

    ファシリテーターは、線路を引かない。
    方向性を持たない。自分を空っぽにする。ただ、言葉を感ずる。
    感じたままに、短く的確に言葉で顕す。
    その顕された言葉によって、さっと場の空気が変わることがある。
    語りたいと思う人が、一気に増えたりもする。
    そして、クライマックスを迎える。

    ここに、ファシリテーターの自尊感情があってはならない。
    「私も言いたい」では、場はしらける。
    「やっぱりこっちが正しいのでは・・・」では、みんな黙ってしまうだろう。
    そのみんなが醸し出す空気感とその流れ、変化を敏感に感ずる人。
    その人こそ、居ても居なくてもいいファシリテーターなんだな。

    私は、「教えないことこそ、本物の教育なんだ」と、信念をもっている。
    教えるということの前に、いかに自分自身に気付かせるかということだ。
    そのためには、聴く人となる。
    空気感を感ずる人となる。
    その人の心や気持ち、感情や、想いや願いに寄り添う人となる。
    それは、私がコントロールできることではない。
    だから、時間をかける。3倍の時間を何もせずに待つ。
    強制はしない。呼びかけはするが、期待して待ち続ける。
    すると、変化する。変化は、変化しようとする本人の気付きによるものだ。

    「人は、気付くことで、行動を変える」
    それが、「深く学ぶ」ということだった。

    この立ち位置から、子どもたちを俯瞰していると、
    本当にみんなみんな可愛い子どもばかりだった。
    だから、自然と笑顔になる。声をかけたくなる。がんばれと励ましたくもなる。

    大人は、自分が先に居るから、子どもたちから受け入れられないんだな。
    子どもたちの3歩後ろを、とぼとぼと歩いてついて行く。
    危ないことがあったら、注意する。
    そして、一緒に楽しむ、一緒に感ずる。一緒に考える。そを、言葉に顕す。

    そうだ、ファシリテーターのような人こそ、
    子どもの心に本当の意味で寄り添える大人になれるのではないか。
    そんな「気付き」の朝だった。

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  • from: クマドンさん

    2019年04月17日 05時41分14秒

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    マルクス・アウレリウス

    早朝、4時50分。
    気が付いたら、東の空が明るくなっていた。
    日々、刻々と、地球は自転し、公転し、
    こうして毎日少しずつ少しずつ、日の長さが変わっている。
    これは、誰の仕事なのか。
    こうして、こんなに、誰も気付かなくとも、
    この地球の宇宙での運航は、JRのダイヤよりも正確・緻密に行われている。
    不思議だなぁと、いつも思う。

    「20分間で世界の名著」だったけ。
    私は、録画して観ている。
    改めて、生きていた先人たちの言葉を味わい、
    日々の自分自身の生き方の指針としている。

    マルクス・アウレシス?
    ローマの皇帝であった哲学者の遺した言葉。「自省録」だ。
    私は、本の名前を知ってはいたが、読んだことはなかった。
    皇帝の哲学者。まぁ、私としては、手に取る本ではなかったことは事実だった。

    ところが、とてもとても深く、人間的だった。
    そして、何よりも、向こうからやって来る「運命」を肯定して生きようとしていた。
    その何というか、「これでいいんだ」の逞しさとでも言うのだろうか、
    悲しみ・辛さ・絶望・混沌と、まさにこれでもか、これでもかだった。
    それでも、「今、ここ」を生きて行かねばならない。

    ならば、どんな状況にあろうとも、
    幸せに生きて行くための道は、必ずあるはずだと、
    彼は皇帝の厳しい責務の中でも、
    「いかに生きるか」の問いは、ずっとずっと「問い」続けていた。
    その時、はっとして気付いたことを、言葉に書き残した。
    それが、現代の私たちにも届けられている。
    言葉とは、やはりすごいものだと、感動している。

    彼は14人の子どもの8人を亡くしていた。
    そして、最愛の妻にも先立たれている。
    その悲しみの現実に「運命」は、彼を立たせる。
    「何で、私なんだ」「何で、私ばかりにこんなことが・・・」だった。
    ローマでは、天候の不順から作物が育たず、飢饉となり、多くの餓死者だった。
    疫病が蔓延し、洪水によっても多くの死者を出した。
    隣国からはそんな現状を見透かされて、攻め込まれ、
    いつ終わるかも知れぬ戦いの日々だった。
    彼は、そんな現状を、皇帝として、やり抜かねばならなかった。

    恨み事を言っても、無駄だ。
    後悔しても、何も現状は変わりはしない。
    不平不満ばかり述べ立てても、それはもっと現状を悪化させるだけ。
    だから、考えた。だから、問うた。
    「どう生きたら、幸せになれるのか」を。

    それは、ものの見方、考えた方、気付き方の違いだった。
    同じ悲惨な状況に置かれてただ嘆き悲しんでいるだけの人も居る。
    しかし、その現象の真っただ中でも立ち上がり、歩き始める人も居る。
    その違いは、その人の人生の幸福感を大きく変える。
    前者は、ある意味では「運命」に翻弄されているだけ。
    後者は、「運命」には、「意味」があり、「必然」だっと「肯定」している。

    この人生の見方、考え方、気付き方の違いは、
    とてもとても大きいと、私も感じている。
    「ああ、また、今日も始まってしまったな・・・」
    「また、今日も始まったぞ」
    この朝日を見て、どちらの感じで、この朝を迎えるかということだ。

    だから、「運命」等、実は存在しているのではなく、
    その現状を、いかに考え、いかに見つめ、いかに意味を見出しているかの、
    その考え方の違いでしか過ぎないと言うことなんだ。

    親を喪う。その悲しみの深さ、辛さ、寂しさに、立ち直れないこともある。
    しかし、その亡くなった親は、そんな私のことを見守り、
    きっと悲しく、辛く、寂しく感ずるはずだ。
    喪った。しかし、傍らに生きている人となった。
    いつも語り合える。いつも心を交感できる。
    そう思えば、喪ったことは、孤独な私の生きる力となっている。

    病もそうだった。
    予想外の病の為に、今までできていた現状からリタイアさせられる。
    失ってしまったことを想うと、慙愧に耐えぬ痛ましさだ。
    しかし、ふと気付くと、自分だけでないことが見えて来た。
    いや、まだまだ私なんぞはよい方だ。
    もっともっと苦しみや悲惨な痛みの中で生かされている人たちが居る。
    ここで、私が絶望したら、その人たちに申し訳ないではないか。

    彼は、言っていた。
    「人間には、越えられない試練は存在しない」と。
    何故なら、「先人たちは、その試練に耐えて、生きて来たではないか」だった。
    つまり、他者ができたことは、私もできるのだ。
    この悲しみに打ちひしがれているばかりでは、
    絶対に人は、幸せにはなれないだろう。

    まず、どう生きたら幸せになれるのかを、問い続けることだ。
    そして、先人の生き方に学ぶことだ。
    そして、どんな哀しみにも耐え、それょ受け入れ、毅然と生きることだ。
    それが、人を生きることの尊厳でもあるからだ。

    この苦しみは、私を尊い人と成長させてくれる。
    この運命は、私が人として成長するための道である。
    それは、神が私に対して、愛をもって与えた試練なんだ。
    ならば、喜んで引き受けよう。

    これは、私の、勝手な解釈であるので、ご容赦いただきたい。

    でも、きっと、そうなんだ。
    「悲しみの中に喜びはある」
    「絶望の中に希望ははある」
    その本当の喜びや希望を自分自身の内に発見するためには、
    やっぱり、悲しみと絶望を経ねばならない。そういうことなんだ。

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