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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2018年11月28日 05時34分00秒

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    東京・川崎の三日間3

    出会いとは、不思議なものだ。
    アパートの近くのイタリアンのお店「sondog」だ。
    7月に言った時、ここの店主の女性と知り合いになった。
    ばかでかい白いぬいぐるみのような犬が居た。
    その時も、故郷の話や、生き方についての話で盛り上がった。
    私は、ワインを飲みながら、3時間近くもその店に居た。

    今回の訪問の目的の1つが、
    この店で彼女とまたお話しすることだった。
    ところが、彼女は9月で辞めていた。
    今は、30歳、優しそうなトトロのようなSさんが店長だった。
    そこで、やっぱりワインを飲みながらいつものように話したら、
    何と何とすっかりと意気投合だった。

    岩手の彼は、演劇修業と若い役者さんたちを支援したいために、
    はるばるここにやって来た。
    それも、バイクをぶっ飛ばしてだった。
    何と弟さんが新潟大学の学生だ。
    途中、新潟の彼のアパートに寄って来た。
    私たちが間違った同じ遠回りをしてこの川崎に到着したという。

    私が劇団の脚本を書いていたことを話すと、
    彼ももっと興味をもって語りかけてくれた。
    しばしの演劇論だった。
    こうしてただ演劇の話に没頭できることは、
    久しくはなかった。
    それを彼も言っていた。

    こんなにピュアに「いかに生きる」の話だけできることは、
    彼には久しぶりだったようだ。
    不思議だなぁと、いつも思う。
    彼女に会いに来たら、彼が居た。
    その彼は、役者修業のための上京だった。
    彼の作るエビクリームのパスタの味は絶品だった。
    佐賀の名酒も美味かったな。

    何よりも嬉しかったのは、
    こうした予想もしなかった素敵な出会いがここであったことだ。
    人は、やっぱり生きてみるものだ。
    生きていなかったら、Sさんとは出会えなかったな。

    新潟に帰る日曜日の昼に、彼に電話した。
    「また来たらお店に行きますよ」
    彼は、「お待ちしています」と、笑顔だった。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月27日 05時29分58秒

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    川崎・東京の三日間2

    次男のアパートは、すっかりと片付いていた。
    東京での7月からの独り暮らしだ。
    ずっと我が家で暮らした彼。
    大学へも我が家から車で通った。
    実に孝行息子である。

    しかし、日々の仕事と生活とに浸かれているとも感じた。
    私たちが到着した時、彼はぐっすりと眠っていたようだ。
    部屋に入り、片づけを始めても、ずっと眠っていた。
    眠りに沈むとでもいうのだろうか、
    何だか可哀想にもなってしまった。

    そういう面では、私は次男のことをリスペクトしている。
    「すごいなぁ」と、よく想う。
    彼は、自分が「こうだ」と決めたことは、実行して来たからだ。
    高校では体育祭の応援団長となり、
    見事に自分がリレーのアンカーとなって、
    ぶっちぎりでの優勝だった。
    確かに「言った通り」になっていた。

    私も4年間の東京生活の経験がある。
    あの時ほど孤独と寂しさとを感じたことはなかったな。
    満員の電車に乗る。
    夜の電車に乗る。
    みんな知らない人たちばかりだった。
    他人だけの人たち。
    孤独とは、人の中で感ずるものだ。
    彼は、この中で仕事をして、給料をもらい、独りで生活している。
    それって、それだけでも、大したことだと感心している。

    妻はせっせと洗濯をしていた。
    私は・・・。
    やっぱり疲れて、腹這いになったまま、本を読んでいた。
    あれもこれもと考えていたが、
    一向に動かない、動きたくない身体だった。
    蓄積されているその疲労感をいかんともしがたかったな。

    「ほとほと疲れた」
    何をしにこの川崎まで6時間をかけて来たのか分からない状況だった。
    でも、次男の寝顔を見ていて、ほっとした。
    実は、最近すっかり元気がなくて心配していたからだ。
    親がしてやれることは、「心配」することだけかもしれないな。
    それと、お金か。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月26日 05時42分02秒

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    三日間の川崎・東京1

    三日間、川崎の次男のアパートに居候をしていた。
    車で東京に、金曜日の朝、向かった。
    水曜日にスタッドレスに替えた。
    そしたら、越後川口から大雪だった。
    道路にも雪が積もり、全くの冬の道だ。
    堀之内の下りは、ノーマルタイヤの車は冷や冷やだったと思う。
    おかげで、車が全くいなくなっていた。
    こんなに空いた関越は始めたでなぁと、谷川まで走った。

    本当にトンネルを抜けるとピー感だったな。
    青い空が眩しく輝き、日に当たるとぽかぽかだった。
    ついさっきまでの曇天と厳しい寒さが嘘のようだ。
    たった数分でのこの気候の違いだ。
    それにしても、スタッドレスにしておいてよかった、よかった。

    とにかく、とにかく、疲れていた。
    途中ナビで大混乱だった。
    全く違った、知らない道に惹きこまれてしまった。
    ここは、どこ。
    私は、誰。
    私は、自分がどこに居るのかも分からず、
    これからどう行ったらよいのかも分からず、パニックになった。
    こんな時、妻は、冷静だ。
    「仕方ないよ。ナビの言う通りに行くだけだよ」
    ごもっとも、ごもっとも。

    本当に人生、何が起こるか分からない。分からない。
    予定より1時間遅く、次男のアパートには到着できた。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月22日 05時17分59秒

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    やってみてよかったが

    急に寒くなってきた。
    昨日、スタッドレスタイヤに替えた。
    何年前からスタンドにお願いしている。
    あのタイヤの重さに腰が耐えかねている。
    腰を痛めては何だからと、お金を出して替えている。

    あれもこれも滞っている。
    それは、きっと私がのんびりとしているせいだろう。
    「できることをやる」「無理はしない」
    でも、そうは行かぬと想っている人は多い。
    組織とはそういうものだ。
    その仕事は、当然クマさんの仕事だだな。

    私自身いろいとかかわったおかけで、不具合を起こし、迷惑をかけている。
    そんなつもりはなくとも、人は、そう想う。
    それは、仕方ないと想う。
    私がやらねばならないことを、やっていなかったら、
    それは、きっとそうなんだ。
    だから、やれる能力が乏しく、時間も少なく、体力も衰えた。

    まず、やはり私には無理だから、
    こういう仕事から一切手を引く。リタイアすることにした。
    「無理はしない」
    無理をしても決して長続きしないからだ。

    タイヤ交換は、あの手術まではずっと私の仕事だった。
    私と妻の車2台のタイヤを交換した。
    それができる体力があったから、それをやった。
    しかし、今は、それをする力も気力も無くなっている。
    だから、委託した。

    「無理をしない」
    それは、地域での仕事も同じことだった。
    私のキャパをとうに超えている。
    それは、きっと長続きしない。
    みんなでやるならそれでいい。
    でも、独りでやる力は、私には無いと想う。

    今朝、手帳を読んでいたら、大拙さんの言葉だった。

    「仮我の世界・思義の世界・組織で固めた世界・機械や技術や経済や
     権力で締め上げた世界の中で、どうにもならぬ「無の極限」の世界がある」

    そうだったなと、感じた。
    組織からやっとリタイアした。
    退職してからの自由とは、そうした制約・役割・義務・責任からの自由だった。
    確かにいつも独りだが、
    リタイアするということは、そうした自由と創造の原点に再び立てることだ。

    私は、こうして復職したが、心の自由と創造性とは失っていない。
    組織の中で当然果たさねばならないとされている義務と責任、役割を、
    最小限にしてもらっているからだ。
    だから、仕事だけに専念できる。
    朝は40分間早く出勤するが、定時には帰っている。
    それも私の自由である。

    そうした自由と創造がなくなり、
    役割と義務とやるべき仕事が向こうからやってくる立場は、
    もういいのではないかと、想っている。
    組織での上下関係・上司と部下との関係では息が詰まる。
    我儘な私には、そうした強制的な関係には耐えられない。
    組織からリタイアして、またがんじがらめの組織には戻る気は全くなかった。

    とは言え、引き受けたのだから、始めたのだから、
    できる限りのことは全うしようと考えている。
    しかし、クマさんは駄目だ。やる気がない。使えないと言われている。
    それも仕方ないなぁと、諦めた。

    タイヤ交換は自分では出来なくても、
    交換するタイヤは、自分で車に積まなければならない。
    それぐらいなら、私にもできるから、それをただやるだけだ。

    でも、人に迷惑をかけ、批難されても、
    やってみてよかったとは想っている。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月21日 05時13分45秒

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    老いの覚悟とは

    メメント・モリ・・・死を想う

    歳をとって感ずることは、いつか必ず死が来るということだ。
    またまだ61歳、これからこれからとは想っている。
    しかし、死とは予告なしに、不意に現れるものだ。
    ある日、突然、死の宣告を受ける場合もある。
    突然死の可能性も皆無ではない。
    いつも車を走らせながら、事故にあったらと想うこともある。
    死は、本当はとてもとても身近に存在している。

    それでは、いつ死んでもいいように準備しているか。
    いつ死が訪れても、大丈夫な心構えであるか。
    死がやって来た時に、生きて来たことを感謝して死へ迎えるか。
    誰かが言っていた。
    「まだ死ぬという大仕事が残されている」と。

    後期高齢者と呼ばれるお年寄りに会う機会が多い私。
    その度に、その独り独りのその人生を想うことが多い。
    独り暮らしの80代の男性は、いったいどんな人生を歩んで来たのだろうか。
    同じく旦那さんが施設に入った70代後半の女性は、
    独りぼっちでどんな気持ちで毎日を生活しているのか。
    語らないが、独り独りの何だか孤独な気持ちが感じられる。

    いずれ私も行く道だ。
    みんなが老いる。
    みんなが自然に衰える。
    そして、みんなが死をいつかは迎える。
    その自然な姿にただ従って、生きられたら、
    それでいいのではないだろうか。

    自然に在ることは、私にも在ることだ。
    私における自然とは、この身体のことである。
    この身体から語られる言葉一つ一つを確かに読み解いていく。
    小さな変化に対しても敏感に反応して行く。
    身体は無言の言葉を通して、サインを私に送っている。
    私の身体でありながらも、
    その身体とは私から独立して、
    身体は、身体として日々を生きている。

    不思議だなぁと、想って身体と共に生活している。
    そんな感覚をもって生活している人は、少ないだろう。
    でも、身体を想うと、人も自然なんだと自然に想える。
    私は、自然から学んできた。
    ならば、私である自然そのものに、
    私は、もっと学ばねばならないような気がしている。

    それは、まさに、自然との対話。身体との対話だ。
    死とは、身体としてのいのちの終わりだ。
    この身体とのお別れにしか過ぎない。
    私は、魂という自然そのものの存在を信じている。
    死を迎えるということは、
    親からいただいたこの身体と、心を返すこと。

    きっとただこうして考えながら、
    それがそうなんだと、了解する正しさ・善さ・美しさ。
    そのものである魂としての私に還ること。

    何だろうかね。
    余計なことを考えて、迷い、悩み、苦しむことはない。
    孤独であることで、やっと了解できることがある。
    その老いて、衰え、死に向かう身体を慈しむ。
    そして、ただ魂の声・言葉だけを聴いて生きる。

    そんな生き方が、老いの本来の生き方ではないだろうか。
    私は、そんな生き方に達観した人に、会いたいと願っている。
    きっと誰かは、こんな覚悟で生きているはずだ。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月20日 05時09分41秒

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    魂で生きること

    老いることは、孤独なのか。
    人は、必ず歳をとり、身体の衰えを感ずるものだ。
    去年できたことが、出来なくなったり、
    何だか意欲が薄れたり、
    身体が不自由になり、家事に時間がかかったりだな。

    みんなそこを経て行かねばならなかった。
    その内に家に閉じこもって、誰とも会わない生活になったりもする。
    まだ家族と一緒に暮らせるのならいい。
    お互いに声をかけ、助け合って生きれるからだ。
    しかし、独居の場合はどうだろう。

    何だかそんな境遇になっている人たちを想うと、
    身につまされる気がする。
    人は、歳をとることは確かである。
    そして、身体がどんどん衰えることも確かだ。
    免疫力や体力が落ちることで、病になることも当たり前。
    一病息災とはよく言ったもので、
    そんな身体を養生しながら生きることだ。

    さてさて、私が気にしいることは、身体のこともあるが、
    もっともっと気になっていることは、
    魂のことだった。
    つまり、人は、どう生きるべきかの問いだった。

    「人は、この世に用事を与えられて、生まれた来た」と誰かの言葉だ。
    私は、その言葉を聴いてから、
    私の「用事」とはいったい何だろうと想い続けている。
    その用事を果たすことが、この世に生まれた私の使命だ。
    そして、その用事とは、きっと私自身のことではなく、
    他の人たち、隣人の人たちのことではないかとも感じている。
    つまり、「自分のことは勘定にいれず」だった。

    自分はまだこちらに居る。
    他の人たちがみんな渡り終わったら、自分の番だ。
    自未得渡 先渡他 だな。
    そこにしか「善き道」は存在しない。
    「生きるとは、魂の世話をすること」と、ソクラテスが言っている。
    そうだなぁと、歳をとってからはよく想う。
    「もはや自分が生きていると想うな」でもある。
    その覚悟ができたら、
    きっと与えられた「用事」を果たせるのではないだろうか。

    つまり、何を言いたいかと言うと、
    自分のことばかりで生きている人とは、
    老いてからきっと孤独な人生を歩まねばならないだろうということだ。
    自分のことよりか、人の幸せを考え、行動できる人や、
    人の痛みや苦しみを感じて、そっと手助けできる人は、
    何だか心に灯がともり、孤独を味わうこともないと想われる。

    私は、人の中に居ると、孤独を感ずる。
    けれど、こうして「魂」のことを想い、
    その魂との対話。
    その問いに素直に従おうとするとき、
    不思議と独りぼっちでも心穏やかに、落ち着いている。

    あの病室のベッドの上でもそうだった。
    私は、身体が全く動かせない状態でも、
    孤独を感ずることは、少なかった。
    それは、いつもこうして私に対して問いかけてくれる存在があるからだ。

    「絶対なものと我らの一生の生活とぶっつづけになることが、
     人間に一番大事なことではないか」

    用事とは、大事なことなんだ。

    「人事じゃねぇ。俺の事だ」

    身体が老いて、衰えても、魂で生きることだな。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月19日 05時37分44秒

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    信仰をもつということとは

    不思議だなぁと、昨日も想った。
    教会に行き、いつもの一番後ろの席に座ったら、
    牧師さんの夫人が来て、
    「隣の人は、今日、初めての教会だから、クマさんお願いします」だった。
    そう言われて隣を見ると、
    純粋に真面目に生きて来たという、そのものの青年が座っていた。
    私は、聖歌のページや、聖書のページを教え、
    これから行われることの流れを説明した。

    いつものようにでかい声で聖歌を歌った。
    これは、下川先生から与えられた賜物でもあった。
    私が歌を歌うようになったのは、
    こうして教会に通うようになったからだ。
    そして、讃美は喜びをもってしなさいは、下川先生の教えだった。
    歌を歌う人ではなかった私が、
    合唱団に入って歌う人となったのも、クリスチャンになったおかげだった。

    聖餐式があった。
    パンと葡萄酒をいただく。
    それは、キリストの身体と血であると教えられてきた。
    その意味が、やっと昨日分かった気がした。
    同じものを食べ、同じものを飲む。
    そのことでみなは一つになるではないかだった。
    そして、その元はイエス様である。
    そうなんだな。
    この聖餐によって、私たちは一つになれる。
    それが、私たちをお互いに兄弟・姉妹と呼ぶゆえんだった。

    信仰は恵みである。
    まさか、こんなどうにもならない私が洗礼を受けるとは。
    それは、25歳だったか、下川先生に出会ったからだった。
    もし、あの時、新潟福音教会に下川先生が居なかったら、
    このどうにもならない私は、洗礼を受けなかったと想う。
    先生は、この私を丸ごと認めてくれた。
    そして、傍に居てくれた。
    何よりも私のことを見捨てず、信じてくれた。
    これが、キリストの愛だったんだな。

    私が洗礼を受ける朝。
    母は、寂しそうに、辛そうに、私のことを玄関で見送った。
    そして、私は、26歳で洗礼を受けた。
    それは、師である下川先生が東京の聖書学園の校長として赴任するからだった。
    下川先生によって洗礼を受けたい。
    人生には、ここぞという時が何度か来るものだ。
    しかし、それは、私が選んだことではなく、
    やっぱり神様が選んでくれた時と場所であったことを、信じている。

    私は、当時はまで煙草を吸っていた。
    酒を飲んでも居た。
    クリスチャンの中に居ると恥ずかしい私であったが、
    下川先生は、私に夕礼拝の司会をさせた。
    何だかね。その時その場所で、私は用いられる。
    結婚した。村上に転居した。そして、教会をいつしか離れた。
    それから、30年間以上、音信不通だった。
    教会員の駒澤さんは、祈ってくれた。年賀状をいつもくれた。

    そして、私は・・・・。
    こうして30年ぶりに教会に戻った。
    そして、歌を歌った。礼拝の司会をした。
    信仰はここにある。
    深く深く信じている。
    それは、私のこれまでの人生が証している。
    そうではないとは、決して考えられない。
    そうであるから、今は、何だかとても平安だ。

    イエス様になる。
    そう牧師さんが教えてくれた。
    その生き方を、日々生きることだ。
    そんなことを振り返っていた。
    そして、隣には、あの当時の私が居た。

    「どうして、この山の下福音教会を知ったのですか」と訊いた。
    「大学の先生が教えてくれました」とは彼。
    彼もきっとあの頃の私のように生きるの悩みを抱えているのだと感じた。
    ああ、彼は、私だなぁと感じた。
    その彼が、私のようにして信仰をもち、洗礼を受けれるかどうかは、
    神様のみが知ることだった。
    しかし、彼は、あの当時の私のように求めていた。

    彼は、洗礼を受ける人となれるか。
    それは、神様のただ御心によるものだった。

    私は、彼によっていかに信仰を持てることは奇跡であるか、
    そのことを教えられた気がした。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月18日 07時50分58秒

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    人の中に居ると

    人の中で暮らすことは、難儀なことだとつくづく思う。
    「あいつは、ああいあうやつだ」と、決めつけられる。
    「あんなやつは、ろくなものでない」と、言われる。
    そんな話は嘘八百。
    全く事実と違う話なのに、その話だけ独り歩きする。
    それがこの社会というもののようだ。

    何もしなければ、そんな悪評も立たないものだ。
    黙って、おとなしくしていれば、何も言われない。
    しかし、ちょっと何かをして、目立ってしまうと、こきおろす。
    どうしてこう若い者を育てようとしない人たちのなのだろうと、情けない。

    威張る。潰す。こきおろす。
    その繰り返しなんだろうなぁと、哀しくもある。
    歳をとって分かったことは、
    そういう人は絶対に変わらないということだ。
    歳をとったら、もっと若い者を可愛がればいいの。
    逆に庇ってやればいいのに。
    そういう人は、自分が嫌いな生意気な人をこてんぱんにやっつける。

    宮沢賢治さんの「ポランの広場」に登場する山猫博士だ。
    賢治さんは、よく物語にこうした種類の人物を登場させる。
    警察署長や質屋やサーカスの団地や、いろいろだった。
    しかし、共通することは、こうやって威張って、いじめて、やっつけて、
    そして、自分独りだけがお山の大将となっているということだった。

    そういう救われない人が、多いような気がする。
    みんなもそうは思っているけれど、
    後が怖いから、何も言わない。黙っている。我慢している。
    あのボクシング協会の会長が典型だった。
    漫画に描いたようなボスを演ずる。

    賢治さんは、そういう人物を舞台に登場させた。
    そして、少年や街の人たちにやっつけられて逃げ出す姿を描いている。
    観客は、あれは誰だと分かっている。
    だから、余計にそんな顛末が面白く感ずる。
    賢治さんの物語を読むと、
    「ああ、いつの時代も、こういう人は居たんだなぁ」という諦めだ。

    しかし、だからそんな人とかかわらねばならない夜は辛かった。
    私は、できていないことも多くある。
    仕事をフリータイムになってしまったことで、
    いろいろな人に迷惑もかけている。心配もされている。
    確かに、もっともっとやらねばとも想っている。
    ボランティアだからと言っても、責任はあるはずだ。
    言われても仕方ないこともある。

    つくづく、やっぱり私には無理なのではないかと、考えた。
    身体がついてこない。時間がない。それは言い訳にもならないだろう。

    今年度で辞退すべきだなぁと、考えている。
    何だか「やらない人」になりたくもなった。

    人の中に居ると哀しくなってしまう。
    だから、庭に出て、花たちを見つめる。
    いや、花たちが私を見上げ、見守ってくれる。
    自然の中に居る時、心は落ち着く。
    人の中に居る時、孤独で、心寂しくなるのは、私だけなのだろうか。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月15日 05時29分01秒

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    子どもの風土として

    「人は、変われる」
    それは、人の自然な姿だ。
    ただし、人は、環境によって生かされている。
    だから、変わるためには、変われる環境が必要だ。

    そうした、環境を私は「心の風土」と読んでいる。
    どんな「風土」を創造するか。
    どんな「風土」でその人を生かしていくか。
    その適切な心地よい風土を創ることが大人の仕事でもあると想っている。

    子どもにとっての一番の風土は、
    その子どもが日々出会っている大人だった。
    そして、その子どもが生活する家庭であり、学校だった。
    家庭とは、家族である。
    確かに経済的な試練もあるが、父親・母親の生き方がしっかりしていたら、
    きっと子どもは、何かを感じてまっすぐに育つだろう。

    学校は、決して校舎や教室のことではなく、
    教師のことなんだ。
    子どもたちが毎日通う学校・教室にどんな教師がいるのかということ。
    その教師一人一人が子どもたちを育てる「風土」となる。

    子どもは、大人の鏡だと、私は、想う。
    この子どもの心の荒れや、大人たちへの反発は、
    そうせざるを得ないように追いやった大人の責任だった。
    おぎゃーと生まれた赤ん坊は、
    その瞬間からさまざな親や大人や教師たちに育てられる。
    そこで出会った大人こそが、
    その子をその子にしている「風土」である。

    善き土。善き雨。善き風。善き温度。
    そんな風土で育てられた子どもは、
    あの草花や野菜たちのようにして、すくすくと育つだろう。
    その時は、きっと善き農夫に恵まれていることも重要だ。
    善き農夫は、我が毎以上に、この幼い命のことを大切に想える人だ。

    雨が降らなかったら、水をたっぷりとあげる。
    葉っぱに元気がなくなったら、根元に肥やしを与える。
    野菜たちが倒れるまで成長していたら、添え木をする。
    葉っぱに虫がついていたら、丹念にその虫をとってやる。
    病気になったら、おろおろとしながら、看病をする。
    また、病気にならないように予防する。

    そして、いつも見守る。
    いつも、声をかける。
    どんな小さな細やかな変化も見逃さず、
    手遅れになる前に手を加える。言葉をかける。心配する。
    そして、いつもいつもその花や野菜の成長について考える。

    善き土も必要だ。
    でも、もっと子どもたちに必要なものは、
    善き農夫である、父親であり、母親であり、教師であり、大人たちである。
    その大人たちが、どんな人間として生きているか。
    そのことをそのみみ影響を受けて生きているのが、
    子どもたちなんだといつも想う。

    「あの子は大変だ」
    「どうしてあんな子に育ってしまったのだろう」は、ないなぁと想う。
    花や野菜がすくすくと成長せずに、
    成長途中に枯れたり、倒れたり、病気になったり、実をつけなかったりしたのを、
    「この花が悪いんだ」「この野菜が弱すぎるんだ」と、農夫が言ったとしたら。
    それって、どこかおかしいのではないかと、私は想う。
    子どもは、したように育つもの。
    子どもは、想ったように育つもの。

    その性格や、今の生き方を子どものせいだけにしてしまったら、
    それは、まさに責任転嫁。本末転倒。なのではないかと、私は想う。

    目の前に居る子どもを見たら、それは自分なんだと思えばいい。
    子どもをそうさせてしまっているのは、
    自分がそうであるからだと気付けばいい。
    子どもは、自然だ。
    子どもは、花であり、野菜である。
    それは、「風土」と「農夫」によって育てられる魂でもある。

    子どもは、育てている大人の「鏡」なんだ。
    その子どもの姿は、自分の魂の姿だと思えばいい。
    ならば、変わらねばならないのは、子どもではない。
    まず、変わらねばならないのは、
    子どもを育てている大人自身なんだな。
    自分の至らなさ、自分の足りなさ、自分の不誠実な対応の結果を、
    その子どもに観たのなら、
    まず、心で謝り、子どもの心まで自らが降りて行くことだ。

    それができる大人のことを、
    きっと寂しい心で暗い気持ちで生きている子どもは期待しているはずだ。

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  • from: クマドンさん

    2018年11月14日 05時20分57秒

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    山に登り続けてきてよかったな。

    BSで録画していた「トレッキング100」を観た。
    私が登った谷川岳と苗場山の特集だった。
    その映像を観ながら、
    つくづく山に登り続けて来られたよかったなあと、感じた。
    山には登ったなぁと、我が人生を振り返って、そう呟ける。
    それって、とてもとても幸せなことだと想っている。

    谷川岳には厳ごう新道?を大荷物を担いで登ったことがあった。
    険しい急峻な登山道を登り、
    山頂から越後山脈の縦走をして、茂倉岳に到った。
    まだ30代の若さであったか。
    よく登ったと、よく歩いたと、今も感心する。
    そのことを、やれる時期にやれたことが、
    ある意味、私の生涯の思い出となっている。

    行けるなら行ってみよう。
    お金と暇とがなかったために、
    主に新潟県内の山々だったが、
    どの山にも私なりの足跡があり、思い出があった。
    苗場山もそうだった。

    山賊会の初期の初期。
    まだまだ全く山初心者の40代の女性たちを連れて、
    私は中の芝のこのコースから山頂に至った。
    雷清水で本当に雷の音を聞いた時は、驚いた。
    私だけが頼りの山行きだった。
    私は、この人たちを無事に下まで届けなければならなかった。

    赤湯までの長い長い下り道。
    私はあまりの距離に途方に暮れたことだった。
    「クマさん、まだらんだ」と、言われても、
    この登山道が短縮されるはずもなく。
    「もう少し、もう少し」と嘘八百を口にして、
    騙し騙し赤湯に到ったのも、
    やっぱり今から20年以上前のこと。

    ふと、「ああ、何でもやっておくことだなぁ」と、
    その映像を観ながら想った。想った。

    温泉もそうだった。
    谷川の麓の宝川温泉は、この夏に家族四人で行ったばかりだった。
    あのモデルの女性が入っていた大露天風呂に、
    私は早朝の5時から浸かって癒されていた。
    ここには、家族四人の或る日の思い出がリンクされている。

    赤湯もそうだった。
    ここにも懐かしい思い出が満載だ。

    61歳の私。
    そのことをこれから初めて始めたとしても、
    こんな想いでその地を振り返られるかどうかは分からない。
    始めることは確かにいつでもできる。
    でも、30年間をかけてやってきたことは、
    もう二度と再びその歳になってやり直すことはできないことなんだ。

    つまり、何だかね。
    その歳には、その歳に何かを為すこと、やっておくこと、体験すること。
    これって、とてもとても大事なことだったんだと、
    このトレッキングを観て、そう想った。

    61歳の私。
    山だけは、それなりに登って来た。
    振り返ったらたくさんの山に、たくさんの仲間たちとの思い出がある。
    それでけで、生きて来た意味があるのではないかと、
    昨日は、その映像を観ながら、
    山に登り続けてよかったと、つくづく感じた。

    今度は、その山を長男と次男に伝えたい。
    さてさて、その夢を来年には実現したいものだと密かに願っている。
    二人の息子と苗場山に登ること。
    それは、私にとっての夢でもあった。

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