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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

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  • from: クマドンさん

    2016年04月30日 09時24分06秒

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    師匠の指導はいつもいつも厳しいものだ

    いやはや、参った、参った。
    祭りの直会のことだった。
    飲んでいる私の前に、私の太鼓の師匠が座った。
    「クマさん、駄目らね。なってねぇね。リズムばらばら。」
    にべもないとはこのことだろう。
    有無を言わさず、みんなの前でこう言われた。
    「その通りだなぁ・・・・」と、しゅんとしていたら、
    次の師匠Aさんが来て横に座った。
    「駄目、駄目。基本がなってねぇんがな。」と、
    これもまたガンと言われて、しゅんとなってしまった。

    本当に下手な私だ。
    長男の一番太鼓を聴いているとほれぼれとする音だった。
    なのに私は分かっちゃいるのに、我流・自己流を押し通している。
    これはこれでなかなかのものと悦に入っているのは私独り。
    しょせん笛の音と会わない太鼓とは、どうにもならない太鼓なんだ。

    本当に昨夜は、へこんでしまった。
    帰ってからそのことを話すと、妻は大笑いだった。
    長男は帰って来てから言っていたそうだ。
    「父さん下手だけど、前より上手くなったよ」って。

    Aさんは、笛とびったし合わない太鼓は駄目だと言い、
    右手に二つも豆を作って潰した私の撥の持ち方が間違っていると教えてくれた。
    「練習すれば、何とかなるて」は、へこんだ私には慰めにもならない。
    でも、ありがたいありがたい二人の師匠の言葉だった。

    相手にとって嫌なことでもあるかもしれない。
    でも、あえて私の所にやって来て、その苦言を呈してくれる。
    それは、師匠としての優しさだと、今は静かに受け止めている。
    それにしても・・・・・だ。
    今朝も妻にそのことを話して笑われたが、
    これはどうも私の生き方そのもののような気がして仕方ない。

    人に合わすことができない。
    自分勝手に行動する。
    挙句の果てには大いなる失敗に至る。
    それにもめげずに、またもや同じ轍を踏み、同じような失敗を繰り返す。

    人は、進歩のない男と笑う。
    しかし、こう見えても本人はそれなりにまんざらでもなかったりする。
    やはり、馬鹿は死ななきゃ治らない。
    改めて、初心に還って太鼓の修行に邁進することにする。
    しかし、その気持ちが長続きを・・・・・。だなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月29日 06時45分28秒

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    山ノ下祭り・宵宮

    昨夜は、山ノ下祭りの宵宮だった。
    何年振りだろうか、太鼓を叩きに雨の中出かけた。
    お祭りの法被に着替えて、地下足袋を探して驚いた。
    田んぼの中でも入ったのだろうか、泥だらけのまま放置されていた。
    もっと悪いことに、いつどうしてこうなったのか思い出せない。
    朝ごはんを食べたことを忘れてしまう認知症のような恐怖に襲われた。

    一番太鼓には、長男と彼の仲間たちがいた。
    ここはもう私の出番ではないなぁと、
    二番と三番辺りでうろうろとして太鼓を叩いた。
    実はこの太鼓、24歳の長男が小学1年生から始めたから、
    もう16年間もたっている。
    彼がどうしても太鼓を叩きたいと言うので無理して入れてもらったのだ。

    秋祭りでは、夜太鼓を習う子どもたちのお世話係だった。
    Sさんからテキストを書いてもらい、
    叩けない私が自分なりに子どもたちに教えていた。
    前の小僧で、不思議なものでいつの間にか私も太鼓を叩けるようになった。
    祭りでは、初めは一番太鼓を押す係だった。
    酒を飲み、酔っぱらいながら、太鼓を叩く子どもや若いものに声をかけた。
    それだけだったのに、いつの間にか一番太鼓を叩く人になっていた。

    何年振りの復帰だった。
    そしたら、景色が変わっていた。
    あれだけやいのやいのと威張っていた先輩方の姿が見えないのだ。
    昔は、よくよく怒号が飛び交ったものだった。
    本当に困ったものだと想いながらも、これが祭りの楽しさでもあった。
    その偉大なる先輩方は、昨夜はどこへ行ってしまったのだろう。
    世代の交代をここでも感じた。

    私の太鼓の響きは、長男に言わせるとでたらめの響きであった。
    正統派の音からすれば、それはどこの太鼓だと言われる音だ。
    しかし、私はそんな太鼓を叩きだすと止まらなくなってしまう。
    笛の音が後ろから聴こえてくる。
    私の太鼓に調子を合わせる。
    私は私で太鼓と笛の掛け合いに没頭して、まさに忘我の境になる。
    ぴったしと息が合うと不思議なのだが、実に快感なのだ。

    自己流・我流・我が道流の太鼓の響きだが、
    叩き手の少ない太鼓を独り占めして、ただ只管叩き続けた。
    右手の人差し指の付け根を一皮むいてしまった。
    まだまだ修行が足りないようだ。

    一番の営業は、若いもんに任せて、
    私は、初めて二番・三番と一緒に帰った。
    世代交代。その中の一人が私のようだ。
    しかし、面白かったなぁ。楽しかったなぁ。今でも響きが聴こえるようだ。

    次は、笛だと密かに思っている。
    やっぱりこの祭りは、一生ものなのだと改めて感じた。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月28日 05時30分29秒

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    手術が決まった

    手術が決まった。
    何だか辛い話だが、仕方ない。
    このヘルニアを開いたままにするわけにはいかないからだ。
    私は、受け入れる。
    私は、諦める。
    私は、ただ任すことにした。

    この年になり、欲が少なくなるにつれて、
    自分の中で変わってきたことは、この諦念だった。
    短気で、少々のことでストレスを感じ、怒っていたのはついこの間までのこと。
    確かに、まだまだ修行は足りないが、
    そうした怒りや苛立ちを抑えるように自戒するようになった。

    加島さんの「求めない」ではないが、
    どうにもならないことや、仕方ないことは、諦めることにした。
    この手術もそうだった。
    二度の手術の失敗で、三度目となる。
    何ともやりきれないものを感じないではないが、
    それもまた意味あるものと考え直すことにしている。

    我がままで、傲慢で、好き勝手に生きていると言われた私は、
    この手術と入院のおかげで、ずいぶんと小さくなった。
    どうにもならないことが人生には多いが、
    どうにもならないときにはじたばたしない。
    ただその現実を受け入れ、心静かにいられるように工夫する。

    できないことを嘆かないで、できることから少しずつ始める。
    点滴の棒につかまって足を引きずって歩いていた私。
    今は、こうしてジョグができる身体となった。
    ベッドでの生活で、私はラジオ深夜便と出会い、
    池田晶子さんの本をたくさん読むことができた。

    昨日、施設に居る叔母を訪ねた。
    叔母は珍しくみんなの中で車椅子に座ってテレビを観ていた。
    私の姿に驚き、涙を流した。
    「家に帰りてぇて。家に帰れるようにしてくれて。」と。
    それは無理なことだった。
    叔母は、その無理を承知で私に訴え、泣いていた。
    叔母に「求めない」とは、酷なことなのかもしれないと哀しくなった。

    「求めない」生き方。
    私は、どんどん降りて行く自分を感じる。
    諦めるということは、希望をもたないということなのだろうか。
    私には、諦めねばならないことが多すぎるようだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月26日 06時00分55秒

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    さて、走りに行ったぞ

    今朝、三時半に夢を見て目覚めた。
    宵宮ののぼりが立っていた。
    私たちは山の帰りに、その祭りに寄った。

    何でこんな時刻に起きねばならないのかと、
    二度寝ももったいないので起きて、寝床で本を読んでいた。
    そしたら、夜が明けて来たので、
    ついつい走りたくなってしまった。

    あれだけ無理だと言って聞かせていた身体だが、
    何だか身体の方から走りたいと言ってきたような気がした。
    何でもやっぱり潮時だ。
    そうした欲求があるということは、自然にそのことはのっとっているということ。
    ならば、走ろう。

    気持ちよかったなぁ。
    タイムは、あの手術前の頃にはとうてい及ばないが、それでいい。
    走りながら、この身体が居なくなったら、私も居なくなるのかと考えた。
    何だか最近、そんなこともどうでもよくなってきた。
    生きるならば、生きるだし、
    死ぬならば、死ぬなのだろうなぁ。

    「今、ここ、時間、自分。」
    そんな訳の分からない言葉を呪文のようにして念じて走った。
    本当にここしかなかった。
    昨日も、さっきも、この後も、明日も、それはどこにもないのだから。

    ヘルニアの身体でも走ることができる。
    ヘルニアの身体でも山に登れる。
    だから、とせんな身体だってどうでもいいことなのかもしれない。
    「今、ここ、時間、自分」で、できることだけをやればいい。

    帰って来たてから、庭の花たちへ水をやった。
    この朝の感覚は、本当に久しぶりの喜びであった。
    そうやって毎日生活していた頃も、あったことを思い出せた。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月25日 05時46分44秒

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    それはきっとあるよ

    さて、説明することは、もういいような気がする。
    今、ここで感じることや、ここでの流れを感じることで、
    私は、心静かな喜びを感じる。そだけでいい。

    花を植えた後、いつまでも飽くことなく庭に居る。
    このただ居ることの幸福感と充実感。
    何もしていないと、人には見えるだろうが、
    その何もしていないということに、至福を感ずる私。
    それは、山に登ろうとする人と、山に居るだけでいいという人との違いだろう。

    それでは、その想いをどうやって表現し、人に伝えていくのか。
    まず、こうして感ずることが先だろう。
    「ああ、そうか」「そうだったなぁ」「それ、それ、」
    そうした何とも言えぬ実感があると、きっとそこから言葉は生まれる。
    きっと俳句って、その「あっ、そうか」で生まれる言葉なんだろう。
    私は、それを信じたくなっている。

    どうでもいいではなくて、それでいい、かな。
    生きている私には、死は存在しない。
    死んだ私には、生きているは存在しない。
    誰もまだ死を見たことがない。
    今、ここ、は、生きている時間だ。

    また、夜が明けようとしている。
    ここから大山台の展望台とそれよりも高くそびえるポプラが4本見える。
    雀が朝の訪れを喜んでいる。
    繰り返すって素晴らしいことですね。
    昨日のSさんとの一時間半の電話は、またまた私を私の原点に戻してくれた。

    耕すことの喜びを、Sさんは語ってくれた。
    森ではなく、こうして汗を流して耕すことに、生きる喜びがあるんだなぁだ。
    それは、自然と一体となる人の生業。
    生きることと耕すことや育てることが一つとなっている生き方。
    何だかとても懐かしさを感じ、憧れる。
    鍬で土を耕し、掘り起こすと、ぷーんと土の匂いがするものだ。
    それは、いのちの始まりの匂いでもあった。

    震災の話になった。
    小千谷の在る山の集落では、中越地震で大きな被害を受けて、
    全村で避難した経験がある。
    そこで、その人たちは生き死にについて考えた。
    そして、改めてその山の棚田や畑で毎年繰り返してきた生業が尊く、ありがたく、
    今日、今を、そうして家族と一緒に生きていたあの生活が、懐かしく、愛おしく、
    当たり前の毎日が、そんなに大切な時間であったことを、悟った。

    当たり前は、実は希なことだったんだ。
    それから力を合わせ、全村での帰村を果たした。
    そして、毎年各家々がお金を出し合って積み立てを始めた。
    それは、中越地震で被災したこの村の人たちは、
    全国からの義援金や食料や物資によって救われたからだ。
    その恩を返すために、基金をつくり、
    実際に災害に遭った地域へ義援金として何度もその浄財を送っていた。

    でも、そのことは村の人たちだけが知っているだけ。
    当たり前のことは、わざわざ人には言う必要がないそうだ。

    災害を受けた人たちは、生き死にと出会うことになる。
    そして、いかに生きるかの問いを、どうしても持たざるを得なくなる。
    そして、はっと気づく。
    日々、淡々と、平凡に、何事もなく繰り返されていたその日常こそ、
    幸いな場所だったと。
    そのことに流れに流されたままで生きている間には気づかない。
    あれも、これもと思っていて、不満を持って生きている間は気付かない。

    足るを知るか・・・・・。

    私は、自分の突然の身体の災害によって、そのことに気付かせられた。
    はっと、想った。
    何だか本当に生き直せるならば、生き直したいとも想った。
    でも、こういう形でしか、天は私に気付かせられないと決めたのだろう。
    その意のままに、どん底に叩き落された。
    それでも、それなのに、今、ここで夜明けを迎えようとしている私。

    花と向き合っている時間の幸福感。
    毎朝、こうして夜明けを迎えられる私。
    土を耕し、始めることの喜びを感じているSさん。
    震災に遭いながら復興を通して、生き直しをしてきた村の人たち。
    そして、身体の震災によってヘルニアを抱えながらも、今日を生きられる私。

    そのことは、きっとみんな同じなんだと、私が言っても、
    分かってはもらえないだろうなぁとも想っている。
    でも、Sさんとは、そんな話が「そうだね。そうなんだ」で感じ合えるし、
    私の話は、Sさんの話でもあるような、
    別々ではなくて同一であるような、そんな共生感・一体感の話。

    やっぱり説明は無理なので、ここら辺で話をやめよう。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月24日 06時37分36秒

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    花たちが来た

    このつぶやきだけが、自分との対話だったりする。
    「ベルリン天使の詩」の人々は、そうした自分との孤独な対話を続けていた。
    その心の切なく、苦しい呟きを、天使はその人の傍らに立って聴いている。
    対話することで、分かることがある。
    だから、私はここで唯一の対話を続けている。

    昨日、思い立って庭をきれいにした。
    周りの野草を抜き、花壇の野草も一掃した。
    とにかくハードに野草を抜きまくった。
    あの茂っていた時の野放図な爽快感がなくなり、
    花壇はずっと見えなかった土を見せ、私も何だかほっとした。

    あるがままにぼうぼうとしている花壇も好きだった。
    ここに居ると、そして、その野草たちに囲まれていると、
    変に落ち着いた。
    山に登ったあの時のような穏やかな気持ちになる。
    人と交わらないのではないが、
    人と交わることが下手で、気を使って苦手なので、私にはここがいいようだ。

    そこでは、やっぱり対話が始まる。
    「どうしたらいいのか」と、そのすっきりとして風邪をひきそうな花壇を見つめる。
    「やっぱり、花でしょう」と、天気が良かったので花を植えることにした。
    私は、こうした植物に関しても全くの素人だ。
    だから、どうしたらよく育ち、どうしたら次の世代につなげられるか、
    そんなことは分からない。

    コメリに行って、培養土と腐葉土を買った。
    それから、これぞという花を選び、我が家に連れて帰って来た。
    それからは楽しい作業だ。
    ポットのままに花たちを土の上に配置する。
    バランスや色の映え方を考えて、それぞれの位置を決める。
    一つ一つの花をそこに土を掘って植えた時、
    「ああ、この花は、ここで生きて行く宿命となったなぁ」と、
    何だかその小さな花に、大きな責任を私は感じた。

    そして、全部を植え終えた後で、飽かずにいつまでもその花たちを眺めていた。
    そして、そうかと、今、思った。
    この花たちに囲まれてする私の対話は、
    きっとこの花たちがあの天使たちのようにして聴いてくれているのだと。

    それだから、独りなんだけど、独りでないと感じるのだろうと。
    私は、休日になるとそうして朝は庭に出て、椅子に座り、
    ただただ花たちを眺める時間を大事にしている。
    その時は、独りではない。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月23日 07時07分07秒

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    そう言えば走ったなぁ

    土曜日の朝には、こんな天気のよい朝には、ロングディスタンス。
    そう言えば、走っていたよなぁと、思い出した。
    ここから東港線の倉庫の建ち並ぶ裏道を走り、
    柳大橋に至る。
    この橋を渡ると、次は右に折れて下町の本町市場を目指す。
    まだ朝早くてシャッターが降りている店の前を駆け抜ける。
    するといつもホクセイマートの前の露店に、おばちゃんとおじちゃんが、
    梨の籠盛を売っていたり、山のような枝豆をしゃべりながらもいでいた。

    門の湯は今でもやっているのだろうか。
    その信号を渡ると、かっての遊郭街があったと言う場所を通る。
    すぐの入舟地蔵尊の横を抜けて左に曲がり、日和山に登山する。
    ここから見渡すまだ明けやらぬ朝の景色が最高だった。
    屋並みの向こうには、私の家の近くにある北越製紙の煙突が煙を吐いていた。
    海の方を見ると、新日和山の展望台だ。

    ここまで7~8キロあるだろうか。
    それからゆっくりと日和山への坂道を登り、この展望台に到着する。

    たった今、長男がジョグから帰って来たようだ。
    彼は、いつも私のシューズを履いて走りに出る。
    さっき、さて久しぶりに走ろうかと玄関に行ったら、
    その私の走るためのシューズが無いことに気付いた。
    そうか、走りに行ったのか・・・・。

    長男は、私が走れなくなった代わりに、
    私の走りを走ってくれているようだった。
    彼は、時々本気で走る人となっている。
    2年前だろうか、ロードレースで10キロを彼と共に走ったことがある。
    そして、私は驚いた。
    彼のスピードに。私は彼のペースに着いて行くのがやっとだった。
    万代橋辺で彼は、スーと前を走るランナーたちの中に消えた。
    私は、無理なスピードのせいで、右のふくらはぎを痛めた。

    何の為でもなく、なんということもなく、
    私は走り続けて、40年以上になっていた。
    どうして走っているのだろうとも、考えない。
    走れなくなってしまった病院のベッドの中で、
    治ったらまた走ろうよと、私に言っては慰めていた。

    長男が階段を上がって来た。
    彼はとごまでのロングディスタンスだったのだろうか。
    彼は、私のシューズを履いて走って来た。
    そして、きっとこうして休日の朝に走っている彼も、
    これからしばらくはずっと走る人となるのだろうと、予感している。

    私は、走りたくなる私を知っている。
    きっと彼もまた、そんな私に促されるようにして走っているのかもしれない。
    何だか、そんな気持ちが、親としては嬉しかった。
    さて、シューズが戻って来た。次は、私の番だなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月21日 05時46分38秒

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    分相応な生き方を

    58歳にして想うことは、自分とは本当にたいしたことないものだということ。
    何かを悟ったわけでなく、何かが分かったわけでなく、
    こんなものなのかと、ただ毎日を楽しく生きているだけの自分。

    あれもやろう。これもやろう。はなくなったなぁ。
    休日の予定はとにかく入れないと気が済まない私だが、
    よしっ、絶対にこれをやるぞと、情熱を傾けるものがなくなってしまったようだ。

    脱力したとでも言うのだろうか。
    それはそれで「まぁいいか」と、思って諦める。
    いつか何かがきっと向こうからやって来てくれるはずだと、
    「その日が来る」のをあんまり期待しないで待っていたりする。

    ヘルニアになってからは、そんな脱力感が加速した。
    この腸の飛び出たお腹では、無理ではないかと想うからだ。
    しかし、身体を少しずつ元のように作っていくと、
    ジョギングも自転車もできることが分かった。

    山に誘われている。
    連休中に大蔵岳から菅名岳への縦走をする。
    復帰してからの初めての山登りだ。
    いつものように重い荷をしよって登り、
    山頂でのクッキングは無理かもしれない。
    でも、やってみようと、お誘いを喜んで受けた。

    ふと想った。
    おとなしくなったなぁと、
    ちっちゃくなったなぁと、
    それはやっぱりこの年相応な生き方なのかと。

    あるがままにあるがままを学ぶ。

    自宅療養中は、起きることや歩くことすら大変な努力を要した。
    ならば、そこでそのままにできることをやればいい。
    ヘルニアで重い物を持ったり腹筋をきつくしたりすることができない。
    ならば、この身体でできることをやればいい。
    そこで、また池田晶子さんと出会い、散歩と出会い、庭の自然と出会った。

    そう想うと、年相応、身体相応に、やることは向こうからやって来ていた。
    そして、それ以上のことは欲なんだと、
    自制して、そこには行かず、そこには手をつけず、おとなしくしている。
    これって、よく考えたら、手術以前には考えられない生き方だった。

    こうして痛い痛い体験を通して学んだことは、「分相応な生き方」だった。
    それは、やりたくてもできないことは諦めるという生き方でもあった。
    「無理」はしないし、無理はできない。
    今、ここ、これだけを楽しんで生きる。

    そう考えたら、58歳になった意味があった気もする。
    「生きてみないと分からないものですね。」
    確かにそうだった。

    しかし、この「分」という言葉の意味はいったい何だろう。
    「分相応」の「分」を知りたいと、今、何となく気付いてしまった。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月20日 06時03分23秒

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    どんな親父なのかなぁ

    「親父たちよ」は、この題名だった。
    私は、親父の独りとして自分が感じたことをここに書いている。
    長男と次男がいる私は、彼等から見たらやっぱり親父だった。
    どんな親父に見えているのか、感じているのかは、分からない。
    私は、どれだけ親父らしいことをしてあげただろうか。
    それも、正直言って、分からない。

    「あおげば尊し」重松清さんの小説だ。
    私は、この映画をシネウインドで数年前に観た。
    題名だけで内容も分からないままで、この物語と出会った。
    その頃、まだ私の父は生きていた。母もまだ生きていた。
    私は、元高校教師だった加藤武さんの葬儀の出棺の時の、
    「せんせい」「せんせい」という呼び声と、
    後ろ姿で手を振って応えている彼の生前の姿に、嗚咽で身体が震えた。
    「あおげば 尊し」だった。

    最期の時を在宅で過ごす父。
    その父を見とろうとする小学校教師である40歳の主人公。
    今朝、今度は小説でその父に出会い、涙が流れた。
    冷たく、厳しく、決して生徒からは慕われるはずのない父だった。
    頑固で近寄り難く、そんなにお互いに話をしたこともない親子だった。
    父の病床を見舞いに来る教え子は居なかった。
    そうだろうなぁと、息子は想い、寂しい気持ちになる。

    ただ、意識が昏々と眠るだけの父に、彼はやっぱり優しく語りかけている。
    父との別れの時が近づけば近づくほど、息子は父に優しい。
    そして、その頑固で厳しかった父を愛おしみ、受け入れて行く。
    私は、どんな最期を迎えることかなぁと、
    かってこの映画に感動した頃には想わなかった想いを、
    この小説を読んだ後に想い、つい寂しくなってしまった。

    私は、子どもたちにはどんな親父として、
    子どもたちの心の中に生きているんだろうと・・・・。

    昨日、ふと人のしたことには、いい、悪いはないのではないかと、
    何だか突然考えていた。
    できる、できないはあるだろう。
    成功と失敗もあるだろう。
    正しさと過ちもあり、確かに、正義と悪もあるとは想う。

    でも、できなくても、いつかできるようにはなるとは思うし、
    そのことをたとえできないままでも、その人はその人なんだし、
    失敗と感じたら、そう想ったら心を入れ替えてやり直したらいのだし、
    過ちは誰にでもあるとやっぱり認めたら、
    人に傷つくことも、人を傷つけることも少なくなるだろうし、
    正義が世界中で戦争を起こしたり、無実の罪を裁くこともあったりするし・・・・。
    悪はやっぱり避けねばならないが・・・・。

    いいと悪い。
    私は、やっぱりどんな親父だったのだろうかと、
    今は、苦い後悔と共に、そんなことを思っている。
    何を言っているのか自分でもよく分からなくなってしまったけれど、
    この高校教師だった父親は、独りの男としてその人生をきっと全うしただろう。
    私にできることは、私がいいも悪くも私なりにここに生きて、
    死んでいく様を子どもたちには見せることなんではないかと、
    昨日のIさんの葬儀に参列した時にも、それを想った。

    出棺をこの父親は、「あおげば尊し」で送られた。
    Iさんは、「雪山讃歌」で送られた。
    私は、・・・・・。きっとそんな歌は、ないだろうなぁと寂しくも想う。

    ただ、これまでは子どもたちに心配をかけ、過ちの多き人生だったが、
    これからは、「親父たちよ」と、自分に語りながら、
    この人生の最期までただ只管生きることだと、今は思っている。
    やって来てしまったことはしょうがないよ。
    これから先は、誰にも分からないよ。
    だから、クマさん、今、ここを、クマさんらしく生きるだけだよ。
    Iさんは、そう笑顔で語ってくれる。

    「あおげば尊し」と「雪山讃歌」
    そんな人生を、私も送りたい。

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  • from: クマドンさん

    2016年04月19日 05時46分34秒

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    Iさん、また山に戻りますね

    昨夜、私が20代からずっと所属した山のクラブの元会長の通夜があった。
    Iさん、享年89歳だった。
    私は32歳で村上に住むようになってからは、このクラブとは離れてしまったが、
    私にとっては、登山の全てを教えてくれた大切なクラブだった。
    その時の会長がIさんだ。
    とても温厚な人で、若い者たちを可愛がってくれていた。
    何も知らない私のような新人に、
    山に登る心得をしっかりとたたきこんでくれた人だった。

    懐かしいクラブの先輩たちとも再会できた。
    私が臨時職員でずっと居た頃、
    親身になって心配してくれたHさんとは30年ぶりの対面だ。
    当時から穏やかで笑顔のAさんは、今は何代目かの会長になっていた。
    Kさんは、私の憧れのクライマーだった。
    朴訥な彼が笑顔で語る山の話が私は大好きだった。
    そう言えば、このクラブに入ってから歌うことの楽しさを教えてもらった。
    山は、やっぱり人生だったと、振り返ってそう思った。

    飯豊のカモシカ山行を追っかけて来てくれたKさんは、
    今は退職してからの再任用二年目だそうだ。
    「クマさん、髪の毛白なったね」と、いつもの笑顔だ。
    謹厳実直。ただ只管真っ直ぐに歩いた保健所職員のNさんは、
    すっかり貫禄をつけた初老の男性になっていた。
    「また、山に来てよ」は、嬉しいお誘いだった。

    30年前にそれこそ飯豊を縦走し、二王子岳の厳冬期を登った仲間たちに、
    こうして囲まれて談笑していると、何だか不思議な気持ちになってしまった。
    まさに、タイムスリップだった。
    浦島太郎とでも言うのだろうか。
    山のテントで眠って、目覚めたらみんなこんなになっていました。
    ただ、この山仲間とは、これも不思議な懐かしさがある仲間たちだとよく分かった。
    あの時、猛吹雪の中でテントで酒を飲んで歌った、
    その時間のままの心の繋がりがここあるだけ。
    時間の隔たりはどこかにすっかりすっ飛んでいた。

    何十年とご無沙汰だったが、ここに居ると20代の馬鹿な私に蘇る。
    鏡に己の姿を映さなければ、あの時、そのまま、そんな私たちだった。
    「クマさん、久しぶりらね。今、どこら?」
    そうやって握手するその手の温もりが懐かしくて懐かしくて・・・・・。

    これがきっとIさんの私に残してくれた最後の山の心得だと、私は思った。
    本当にある時代・ある時間、山に没頭してよかったと改めて思った。
    この人たちとのご縁は、一緒に山に登ったおかげさまなんだ。
    私がそう想うように、先輩たちも私のことをそう想って、受け入れてくれている。

    「おい、クマさん、またEハイクに戻って来いや」って、
    笑顔のIさんの遺影が私に語り掛けてくれた。
    「また、山に戻ろう。」
    今は、本気でそう考えている。

    通夜が終わったら、山の仲間たちが祭壇を前にして集まった。
    Kさんのもの悲しくも温かいハーモニカの音が響き、
    私たちは「雪山讃歌」を心を一つにして歌った。
    あの日の、あの山の、あの頂に立った時のように。
    私は人生を学ぶことができた、山とIさんに敬意をもって心から感謝した。
    そして、十数名の先輩たちの後ろ姿を見ながら、
    ああ、よき人たちと出会えていたんだなぁと、その出会いにも深く深く感謝した。

    「Iさん、山に登れてよかったです。ご冥福をお祈りします。
     ゆっくり休んでください。そして、また山にご一緒しましょう。」

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