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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2011年12月31日 07時38分37秒

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    一冊の絵本

    二日間、働きづめに働いた。
    とうとう懸案だった屋根裏の物置きまで整理してしまった。
    段ボールの山を解体し、捨てるべきものと残すべきものとを区別をつけた。
    ある意味では充実感を感じた。しかし、ほとほと疲れていた。
    「もう、やめた」自分を追い込んだ後は、いつもこうだった。

    くまが、愛する友であることりを喪った。
    くまは、悲しみに暮れ、ことりを木の箱に入れて、喪に復した。
    亡くしてしまったものの大きさ。
    どれだけ自分にとっては大切なものであったか。
    それは、亡くさねば分からないものなのかもしれない。
    どんな慰めも、そんな悲しみには役に立たなかった。
    くまは。孤独だった。

    しかし、そのことりの棺を土の中に葬ってから、
    くまが感じたものは、ことりとの思い出は決して心の中から消えないことだった。
    そして、いつまでも大切な友として死なないことりとして心の中に生きていることだった。
    くまの心には、ことりとの楽しい思い出がいっぱいつまっていた。

    くまは、森で出会ったやまねこと旅をすることにした。
    新しい生き方を心に決めた。
    やまねこは、バイオリンを弾き、くまはタンバリンを叩く。
    二人で音楽団を作り、世界中を旅している。
    くまには、やまねこという心の友ができ。
    くまは、音楽と言う新たな生きる希望を見つけ出した。
    その二人の出会いは、「運命」だったのだと、私は想い、感謝した。

    実は、このやまねこにも、クマと同じ悲しい別れがあったのではないだろうか。
    「悲しいのは、くまさんだけではないんだよ。」
    くまの悲しさを知る友は、くまよりも悲しさを先に経験した友なのだ。
    悲しみから、どう方向を変えて歩き出すか。
    「くまとやまねこ」湯本香樹実 ぶん 酒井駒子 え
    心に沁みる絵本です。

    この絵本を今必要としている人たちが多いのではないだろうか。
    震災で家族を喪った人たちに贈りたい。

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  • from: クマさんさん

    2011年12月30日 19時00分01秒

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    かけがえのない人たちに

    突然、成り行きから屋根裏の物置の大掃除となってしまった。
    独りで屋根裏に籠り、手つかずだった荷物を整理し、
    段ボールを開けて、中の物を出して、整頓していた。
    そしたら、家族の懐かしい物に出会い、しばし感慨深くそれを見つめていた。
    私たちの家族の歴史がここにあり、20年以上の年月がここに過ぎ去ったのだ。
    元には戻らぬ、大切な時代であった。

    長男が来ていた小さなトレーナーが出て来た。
    次男の書いた自由帳が出て来た。
    それを見ていると、あの頃の二人の顔が思い出された。
    この二人は、今も私の宝物である。
    「宝物。宝物。」と言って育てて来た。
    「いい男になれ。」と、お風呂ではいつも二人をピカピカに磨いた。
    馬鹿な親父たったが、徹底的に可愛がった。
    とにかく、好きで好きでたまらなかった。
    なのに・・・。今は親父は寂しく屋根裏で、思い出の品々を見つめるばかりだ。

    もし、愛する人と死別したら、どんなに悲しいことだろう。
    この大晦日とお正月には、
    そんな自分にとっての命より大切にしていたかけがえのない人との辛い辛い別れをした人たちが、
    東北の被災地にはたくさんいるのだ。
    私には、長男も次男も思い出の品と共にここに居てくれる。
    ありがたいなぁと、涙が流れるが。
    この年の暮に、もう一度逢いたいと切に願う人たちがたくさんいるのだ。

    去年の大晦日やお正月には、その家族は一緒に団欒をしていたはずである。
    しかし、一年後の今日は、その人は居ないのだ。
    その喪失感とやるせなさとに、私は胸が痛くなる。
    泣いても、叫んでも、祈っても、その人は帰ってきてくれない。
    写真をや思い出の品々をじっと見つめて、語りかけるばかりなのだろう。
    何も言えない。何も慰めにはならない。
    でも、愛する想いは絶やしてはいけないのだろう。

    その人のことを忘れたら、人は人としての心を亡くすのだ。
    心は愛なのだから、いつまでも生きてる限りは忘れられないのだ。
    屋根裏で出会ったノートに私は心が熱くなった。
    しかし、震災にあい、家族を亡くした人たちにとって、
    この大晦日とお正月とは、自分の心の鎮魂の日々ではないだろうか。

    何も言えない。
    みんなそれぞれかけがえのない宝物の家族だったのだから。

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  • from: クマさんさん

    2011年12月30日 13時43分14秒

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    大山台の古代ロマン

    みんな今日は何をしているのだろうか。
    家の仕事で忙しいのだろうと思う。
    さっき気分転換に大山台に登った。
    そこから改めてこの周囲を見渡すと、なかなかの眺めなのだ。
    沼垂の柵があり、そこには官庁の建物があったはずだ。
    そこで朝廷から使わされた役人たちは、
    同じ視点から、この風景を眺めていたのかもしれない。

    王瀬の向こうには大河である阿賀野川が滔々と流れていたはずである。
    その対岸には、水田が広がり、多くの潟が満々と水を湛えてあったはすだ。
    古くからの集落に、古志や信濃から移住してきた人たちが新たな集落を築き、
    潟を埋め、用水路を作り、新田開発をしていたのかもしれない。

    河渡には、王瀬続きの大きな集落があり、民の代表が治めていたかもしれない。
    渡し船で対岸に渡ると、そこには上・中・下の木戸の集落があり、
    それぞれが開墾し、田畑を広げていたかもしれない。
    中地区のそれからの長い長い歴史の原点は、
    この山ノ下に大和朝廷の支配が及んだ頃から、営々と続いているのである。

    沼垂の柵は、阿賀野川と西川との合流点に位置し、
    河川における交通の要の地域である。
    この地を押さえた者は、交易の権益を手に入れ、特権的な力を誇示することができるのだ。
    日本海側の北方に向けての蝦夷との交渉に向けて、
    大切な前線基地としての役割も果たさねばならなかった。

    また、中国・朝鮮半島と大陸との交流・交易の拠点ともなれる地理的な位置にあり、
    環日本海の交易のためのはハブ湊としての価値もこの地にはあった。
    つまり、当時の朝廷にとっては、なくてはならない場所が、この大山台だったのだ。
    ここに立ち、周りの風景を見渡していると、古代のロマンに誘われる。

    新たなる日本の夜明けと共に、朝廷が北の蝦夷たちと契約を結ぶための大切な一歩は、
    この山ノ下から始まったのだ。
    私は、勝手にそう想っている。

    ぜひ一度大山台を訪ねて、あの展望台に登って欲しい。
    すると私が言っていることがまんざら嘘ではないことを分かってもらえると思っている。

    これから、大掃除パート2である。

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  • from: クマさんさん

    2011年12月30日 07時37分41秒

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    それを軽蔑することなし

    昨日は、とにかく働いた。
    午前中は私の部屋の清掃と整理だった。
    とにかく紙のゴミの多いことに辟易している。
    いつか使うだろうと思って取っておいた資料やパンフが山積みなのだ。
    環境・町づくり・ガイドブック関係はを集める趣味をもっている。
    そのために、1年たつと収拾がつかない有様となる。
    まず、必要でないものは持ちこまないことから始めねばならないと思った。
    日頃が肝心なのだ。

    午後からは、台所とリビングのワックスがけだった。
    この台所の床が難敵だった。
    とにかく床が古い上に、汚れもの程度も上なのだ。
    クリーナーを使って、入念に汚れ落としから始めた。
    ターゲットを発見すると重点的にそのポイントを責める。
    これがえらく時間がかかり、体力を使う仕事なのだ。
    その後にワックスを二度かける。
    1時間の間、かがんだままの作業だった。
    リビングを終えた後は、声も出ないほどくたくたに疲れていた。
    これも日頃が肝心なのだ。

    ついでに風呂の掃除もした。
    カビキラーをタイルに噴射し、せっせとブラシでタイルのめじを磨いた。
    やる時はやる。やらない時は全くやらない。
    その内にガス欠となり、ふらふらしている自分がよく分かった。
    これでビールがうまくなるぞ。
    しかし、ここにある汚れも日頃からほんのちょっとずつついて来たものなのだ。

    いざという時ににしかやらない。
    この無精をなんとかしなければと反省した。
    月に一回から二回の大掃除の日を設定したら、こんな難儀は感じなくてもよいのであるが。
    それが出来ないから、私なのだと諦めた。
    今年は、本当に私のことを呆れたり、諦めることが多かった。
    完璧主義で、真面目な人から見たら、
    本当にいい加減な人だと腹を立てられることが多かったからだ。

    しかし、そうは思っていても、できない自分が年と共に多くなっている。
    いくら年を取っても、人の倍は仕事をやれ。出来ないから、駄目なのだ。
    そう言われても、おっつけなくなっている悲しい現実は分かってもらえない。
    「それを軽蔑することなし」 茂吉

    日々の肝心を、来年の目標の一つとしよう。
    来年も苦難の年になりそうだ。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2011年12月29日 09時33分02秒

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    年末の大掃除を

    大掃除のことを考えると途方に暮れてしまう。
    やらねばならないことが山積みだ。
    ゴールが見えない。あれも、これもやらねばならない。
    いいではないかと諦めればよいのだが、
    やっぱりさっぱりとしないと気がすまない。
    これから段取りを考えて取りかかる。

    ところがやりたくないことは後回しにする男故、
    こうして本日2回目の登場とあいなった。
    台所の床拭きとワックスがけがまだだった。
    2年前から業者にお願いするようになったのに、
    今年はまだだったとさっき気づいた。
    リビングでは父がでんと構えて動こうとしない。
    この大きな置物に座敷に移動してもらわねばならなかった。
    先ほどから雪が降り出した。
    これでは窓を開けての窓ふきは無理なようだと諦めた。

    溜まりに溜まった2階の部屋の掃除はどうする。
    この荷物をどこに押しこんだらすっきりとするのであろうか。
    そんなことを考えていると体が動かない。
    「おっくうになる」という新潟弁がぴったりだ。
    「やりとね」ということだ。

    しかし、これも私が年を取ったせいなのだ。
    数年前には体を休めることなく、獅子奮迅の活躍だった。
    その気力と意欲とがなくなったのだ。
    それは確かなことだった。
    こんなはずではなかった。
    もっと私はやれたはずなのに。
    今年は、そんな場面に遭遇することが多くなった。

    さて、そろそろやらねばならない。
    常在清掃。臨戦態勢でこれから始動する。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2011年12月29日 07時58分30秒

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    昔々山ノ下には

    最近、沼垂の柵について研究をしている。
    この沼垂の柵とは、大化2年(647年)朝廷によって造られた城のようなものである。
    その地名を見て分かるように、その名から現在の沼垂が関係していることがよく分かる。
    実は、元々の表記は渟足(ヌタリ)と書いてある。
    1990年11月に和島村八幡林遺跡から出た木簡に「沼垂城」と記されてあった。
    この木簡は、養老年間(717年〜724年)のものであるから、
    この時代には沼垂の柵は現存していた歴史的な証拠となっている。

    つまり、沼垂の柵は、この地に存在していたのである。
    しかし、その場所を未だに特定できないでいる。
    それは、洪水によって流されたのか、地中深く眠っているのか、それも分からない。
    文献と木簡には、文字としての証拠はあっても、
    現実に私たちが見ることのできる証拠は何一つ存在しない。

    しかし、王瀬と呼ばれる土地であること。
    その王瀬には、元々の沼垂があったこと。
    沼垂は江戸時代に約50年間に川欠け等のために4回も移転したこと。
    沼垂のお寺は、元々この山ノ下にあったこと。
    沼垂白山神社の先祖の墓は、日東紡績の敷地近くの一画にあること。
    そして、そこには「王瀬の長者」と呼ばれた長者が住んでいたと言う伝説があること。
    それは、確かに分かっている。

    実は、こうして考えると、山ノ下とは昭和の初期から工場地帯となり、
    その工場城下町として栄えた新しい町だと思っている人が多いだろうが、
    そうではない事実はたくさん発見されているのだ。
    ボーリング調査の結果、約5000年前にこの大山の近くは阿賀野川の流域で、砂丘が存在していたようなのだ。
    沼沢火山灰が-180m位の地下から発見されているからだ。
    縄文時代の内水面の遺跡には、人が住んでいた集落跡が多数発見されている。
    とすれば、この山ノ下にも縄文時代に集落があった可能性があるのだ。

    さてさて、そんなロマンがこの地域には未だ発見されずに眠っているのだ。
    つまり、宝の眠る町、宝町がこの山ノ下・王瀬・物見山・河渡地域なのである。
    私は、その地名に謎を解く多くのヒントが隠されているとは思うが、
    それは、またここに書くことにする。

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  • from: クマさんさん

    2011年12月28日 06時07分35秒

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    支えてくれた人へ

    さてさて、激動の12月だった。
    今年も後4日間とは何とも信じがたいことだった。
    あっと言う間でもあり、いろいろありすぎた年でもあり、名残惜しい年でもあった。
    特に今年は、人とのかかわりを通して、自分とはどんな人だったのかがよく分かった年だった。
    やっぱり「弱くて」「愚かな」自分が生きていた。

    しかし、そのことを「明らめる」ことが少しずつできるようになった。
    「仕方ないさ」「まぁ、いいか」「大丈夫」と、そんな言葉を自分にかけてやれるようになった。
    それは、私のそんな話を聴き、そう言って慰めてくれたり、励ましてくれたりする、
    妻や友がいてくれるおかげだった。
    独りではやっぱり人は生きられないのだ。
    「持ちつ持たれつ」という言葉があるが、
    その支え合いが「人」という漢字だった。

    大きな人が倒れかかり、それを小さな人が支えている。
    それは、懸命に支えているというよりか、
    ゆったりとのんびりとおおらかに支え合っている姿でもある。
    笑顔で肩を組み、共に歩んでいる姿とも想像できる。
    けっしていがみ合い、罵りあい、喧嘩しあっている姿ではない。
    人という文字を筆で書くと、あの曲がりが何とも言えずに優しいものだ。

    谷川俊太郎さんは、「生きる」という詩で、
    「人は 愛する」と、人としての特性を言いきっている。
    人は、愛するために生まれているのだ。
    それでは、その愛とは何だろうか。
    それは、アガペーの愛であり、与える愛であり、自分のことよりその人のことを大切に想う愛なのだ。

    人は、そう想ってもらえる人と居ることで、生きられる。
    人は、そう想ってやれる人が心の中で存在することで、生きる力が湧きあがる。
    「弱さ」と「愚かさ」とを感ずることは、その愛の必要を切に感じ、
    その支えてくれようとする人の想いに気づくことなのだ。
    何が大切なことかと言われたら、
    やっぱり「これだ」と私は思う。

    しかし、いつまでも助けてもらう人であるだけでなく、
    たまには小さな人になり、支える人にもなりたいものである。
    これは、来年の目標かな。

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  • from: クマさんさん

    2011年12月27日 06時35分50秒

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    ポンコツ親父の愚痴

    またまたポンコツ親父の愚痴で申し訳ない。
    そう言えば、頭の回りが遅くなった気がしている。
    緩慢と言うわけではないが、
    あれもこれもと仕事が重なった場合、
    あれもこれも中途半端に終わっているような気がする。

    確かに仕事をバリバリとやっつけていた時代は私にもあった。
    今でも自分はそうであると思いこんでもいた。
    しかし、現実はどうも処理能力が劣り、遅れをとっているようなのだ。
    そのことを自分で受け入れ、認めながら、一つ一つをやるしかないようだと、今は想うことにした。

    年末の大掃除にしろ、年賀状書きにしろ、
    我が家でもやるべきことが溜まっていた。
    その一つ一つをどこからか手を出さなければ先には進まない。
    しかし、おっくうというのか、意欲が少ないというのか、
    こだわりが無くなったとでも言うのか、
    それはそれでいいではないかと、焦りを感じなくなっている。

    そうしたパリパリ感とでも言うスピード感が、
    どうも今年は自分自身で感じられなくなってきている。
    それは寂しいことなのだろうが、
    ある意味年相応に仕方ないことなのかもしれない。
    私の冒険は、54歳と言う年齢を生まれて初めて体験することである。
    私が40代の頃、この年齢の先輩たちをどう見ていたか。
    今、私はそのように見られているのだ。

    しかし、この年になり、その年代の先輩たちの気持ちがよく分かるようになった。
    やっぱりその人の立場に立たなくては分からないものなのだ。
    道元禅師が中国で出会った一人の老僧がいた。
    仙桂和尚だった。
    彼は60歳を越えた人で、典ぞうを担当する坊さんだった。
    道元は修行もせずに、暑い庭でせっせと汗を流して椎茸を干しているこの老僧を馬鹿にした目で見ていた。
    しかし、道元は後に「この人こそ、真の道者だった」と気づいたそうだ。

    私は、椎茸くらいならば干せるはずだ。
    その仕事にせっせと真面目に汗を流そう。
    世の中に分かって欲しいことは、
    54歳には54歳なりの山の登り方があるということだ。
    それは時には緩慢に見え、愚かにも見えるかもしれないが、
    それでもやっぱり山頂を目指して休まずにゆっくりと歩んでいるのだ。

    私は、ポンコツ親父にはポンコツ親父らしい生き方はあるのだと想うことにした。

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  • from: クマさんさん

    2011年12月26日 06時52分42秒

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    大寒波

    寒波が凄い。
    クリスマスの時期に大雪になっている。
    誰も予想できないことが、自然なんだなぁ。

    次男が東京から今朝のバスで帰って来るはずだ。
    彼は、コンサートのために土曜日の夜行バスで東京だった。
    日本武道館でのコンサートが昨夜あった。
    終わったら新宿からバスに乗った。
    大人になったものだと思う。

    長男は、新潟市に居ながら、全く我が家に姿を見せない。
    音信不通。クリスマスは、友達と過ごした。
    それは当たり前のことだが、寂しさも感じている。
    家族での恒例行事が、妻と二人だけとなってしまった。
    子どもはこうして離れて行く。

    今年もあと一週間だ。
    年賀状もまだ書いていない。
    大掃除もこの寒さゆえに挫けている。
    意欲とは大切なことだと、自分のことを見て感じている。
    父は炬燵で丸くなり、母はゆっくりと正月の準備をしていた。
    父と母と一緒に今年の大晦日と正月を迎えられる。
    それが何よりのことと思っている。

    突然の大寒波が襲うことはある。
    しかし、これもいつまでも続くわけではない。
    きっと晴れ間も見えるはずだ。
    それぞれがそれぞれで平穏無事でありさえすれば、
    家族と言うものは幸せなのではないだろうか。

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    さけ 秋桜

  • from: クマさんさん

    2011年12月24日 08時53分05秒

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    心の不安

    最近、出来ないことが多くなった。
    仕事が遅くなり、後手後手に回ることも多くなった。
    どうしょうかと考えている内に、時間だけが過ぎて行くこともある。
    困ったものだと悩みつつ、解決の方法を選択する決断がつかなかったりする。
    これは、加齢のせいなのだろうか。

    心の不安がいつも存在している。
    そんな時は、何をしていても楽しくないものだ。
    人と会って話をしている間は心穏やかでいられるし、ちょっとの勇気も感じられる。
    「よしっ」と思う気持ちがあっても、どこかで萎えてしまったりする。
    これは加齢のせいなのだろうか。

    そしたら、偶然に次の文章と出会った。
    「解決すべき事柄の幾つかを決断せず、
    先延ばししているツケが、精神的なストレスになっていた。
    私自身をよく理解できた。過去と現在と未来を歩く者のみが今を見ている。
    気を抜き背筋を伸ばして、決めた仕事をやり続けよう。」鈴木良一
    それは、私のことのようだった。

    私らしく、私にできることはあるはずだ。
    なかなか理解してもらえず、常に批判に曝され、どうするのかと問いを突き付けられている。
    私にとって53歳から始めた新たな分野の仕事である。
    まだまだ迷いの中にあるのかも知れない。
    しかし、未来を志向する者ならば、過去に学び、
    日々決断しつつ、進むしか生きる道は私にはないのだ。

    四年前の冬に、突然憂鬱に襲われた。
    「駄目だ」と思い、「どうにもならない」と不安に駆られた。
    心ばかりが焦り、もはや手遅れだと自分を責めた。
    夜中に何度も目覚め、それから朝までが長い長い時間だった。
    夜が明けると、もっと苦しくなっていた。
    しかし、時間は決して止まらないのだ。
    人はこんな時、どうすればよいのだろうか。
    私にとっては、それは絶望的な人生の実験だった。
    これも加齢のせいだったのか。

    先週から、その入り口に立っている。
    物の見方や感じ方を変えねばならないと、ちょっと焦っている。

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