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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年05月30日 06時05分59秒

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    アーメン。

    ああ、そうだったんだ。
    そんな気付きを感ずることが、よくあるようになった。
    それは、その最中には全く何でこんなことが・・・・と嘆くばかりで、
    その最中では全くその「意味」を理解することができないからだ。

    何でもそこに到るまでの道程はあるものだ。
    その目的地までの距離が遠ければ遠いほど、
    旅の苦労は多いもの。
    山登りもそうだった。
    飯豊を目指せば、その奥深さと険しさとで、
    何で俺は、ここに居るのかと、何度想ったことだろう。
    それでも、難儀しながらでも、一歩一歩で、いつしか山頂なんだ。

    人生はよく山登りに例えられるが。、
    まさにそうだなぁと、想うことが多い。
    ただし、この難儀な登山道の目的地は、神様のみ知るという登山だった。
    途中へこたれることもある。
    余りの辛さにザックを投げたしたいこともある。
    どこまで登っても明るくならない、尾根に出ない。
    まだどれだけ登ったら休めるのか、到達するのかも分からない。
    でも、荷を担いで、黙って次の一歩を前に踏み出す。歩きだす。

    ここで降りることはできなかった。
    生きているとは、登り続けるということらしい。
    本当にばてて、どうにもならなくなり、荷物を背中に天を仰ぐ。
    「もういいや。もう駄目だ」と、弱音を吐いて、歩かないこともある。
    でも、全てのことは、山頂への到る途上だった。
    そうなってしまうことも、想定内。
    きっとそれでも私がまた再び登りだすことは、
    きっと神様は知っていたのだろう。

    そのための体力と気力とは、
    多くの登山の経験の中で培われ、私の身体の中に沁みこんでいる。
    そのために、私は、試練を与えられ、その試練の中で練られ、鍛えられた。
    もし、その苦しみや辛さがなかったとしたら、
    私にはきっとこの登山道を登り続けることはできなかったと想った。

    28歳で、新潟福音教会でクリスチャンとしての洗礼を受けた。
    下川友也牧師との出会いがなかったら、
    きっと私はクリスチャンになれなかったと想っている。

    32歳で結婚し、村上に住み、教会を離れた。
    それからはこの登山のたとえ話のように、ただ只管生きていた。
    神様を離れたわけではなかった。
    私は、どんな状況で生きていたとしても、
    今、思い返せば、ちゃんと頂に到る、登山道を歩いていたんだ。
    いや、道に迷い、途方に暮れることがたびたびあっても、
    やっぱり神様は、正しい道へと迷う私のことを導いてくださっていた。
    そのことは、私は知らなかっただけだった。

    私は、2年前にあることから、山ノ下福音教会の礼拝に出るようになった。
    これも不思議な導きだった。
    昨年の5月には、柏崎で30年ぶりに下川先生との再会だった。
    嬉しかったなぁ。
    先生は、先生のままだった。
    私は、一枚の色紙を書いてもらった。

    そして、5月28日に、私は、山ノ下福音教会に転会した。
    その転会式が先日の日曜日に教会であった。
    私は、私の来し方の不思議さをまざまざと感じた。
    ここに居る。
    それは、下川先生の祈りが叶ったことでもあった。
    30年間の祈りは、祈り続ければ、叶うのだ。

    私が、ここに居て、涙が自然にあふれて来るのは、
    そのことの証でしかなかった。

    「意味」のないことは、一つも存在していなかった。
    ただ、その最中では、その「意味」を理解できないだけなんだ。
    だから、歩くことを、登ることを止めてはいけない。
    こうして30年間と言う時を経て、叶う祈りが人生にはあるのだから。

    私は、そのことをリアルに、本当にリアルに感じた。
    愛とは、諦めないことである。
    愛とは、祈り続けることである。
    愛とは、信ずることであると、
    私は、下川先生からこの人生を通して教えていただいた。

    さて、これからどうするか。
    そのこれからを、今は私は考えている。

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  • from: クマドンさん

    2017年05月29日 05時52分56秒

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    誰かが動きだせば何かがきっと変わるはずだ

    向こうからその時になると何かがやって来るものだ。
    そう想って、待つようになった。
    すると、やっぱり、やって来る。
    そしたら、まずできることは何かを考え、
    出来ることから始めることだった。

    動きだしたら、不思議なことが起こり始めている。
    地域のお年寄りのためのお茶の間が欲しいねぇと想い、
    隣の町内会の会長さんにお話ししたら、
    「内の町内会のお茶の間にどうぞ、どうぞ」とのことだった。
    嬉しかったなぁ。
    新たに立ち上げるのは難しいが、
    こうしてお仲間に入れてもらえることは、ありがたかった。

    次に90歳のKさん(男性)が動き出した。
    「クマさん、話を聴いたよ」と、早朝我が家に訪ねて来た。
    そして、自ら回覧板を作って、
    町内のお年寄りたちに呼びかけると言う。
    そして、彼は町内会長に話に行き、
    その足で小さな自作のチラシをもって、家々を訪ね歩いた。

    その行動力の原点は、みんなのために仕事がしたい。それだった。
    こうやって誰かのために動ける人が居てくれたら、
    そこから少しずつ何かが変わって行くものだった。

    隣との境界の草取りをした時だった。
    隣のSさんの奥さんが、一緒に草取りを始めてくれた。
    引っ越してきてから数年がたっていても、
    世代の違いもありなかなか話す機会がなかった。
    そして、話してみて分かったことは、
    とても気さくで、町内のこともそれなりに考えていてくれる人だということだ。
    人は、やっぱり話してみるものだ。

    今、中堅の若手と、若者の会を創ろうとしていることを彼女に話した。
    この4日の日曜日には、連合の町内会の運動会がある。
    ぜひ、そこにスタッフとして参加してほしいと言うと、
    「いいですよ」との快諾だった。
    実は、我が町内は老人の街、空き家の街となっていたが、
    ここ数年、若者家族が家を建て、5家族が引っ越して来た。
    しかし、その人たちとの繋がりをつける場がなく、
    何とか動かねばと、中堅親父たちと話し合っていた。

    そろそろだなぁと、
    私は、その中堅親父たちに召集をかけた。
    近くの公園の東屋で、缶ビールを飲みながらの町内談義だった。
    何もお年寄りや子どもたちのためにしなくなってしまった町内会の再生だ。
    「それなら、夏のバーベキューで、その若者家族を集めよう」
    「そこで、これからの町内会への想いを語り合おう」
    「スタッフとして、役員として、町内会へ参画してもらおう」と、
    次々と、若者たちを交えての夢が語られた。

    これは、いいことだ。
    誰かが、みんなのために動き出しさえすれば、
    何かが少しずつ動き出し、繋がって行く。
    その誰かを、誰かがやれはいいんだ。

    昨夕は、その報告を向かいのHさんの家に行ってした。
    次々と酒が出され、つまみも出された。
    ついつい美味い酒に、酒量が進んだ。
    「何とかせねば」と、Hさんとこれからのことを確認できた。

    町内会は、面白い。

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  • from: クマドンさん

    2017年05月27日 13時27分24秒

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    ぼーっとしていられ。

    何だかね。ずっとここに居られる人になったようだ。
    それだけ疲れているということか。
    今朝は涼しかったので、やっぱり庭の草取りだった。
    これはやりだすと止まらなくなってしまう。

    その内に、裏の小さな庭の草と、茂った樹木の剪定をすることにした。
    ずっと気になっていてできなかったからだ。
    行ってみて驚いた。
    雑草が生い茂りすごいことになっていた。
    手をいれないということは、こういうことになるということだった。
    とにかく伸びきった雑草を抜きまくった。
    だんだんと地面が見えてきた。
    草取りのよいところは、自分の仕事が見えることだ。

    それをせっせと大きなビニルの袋に詰めた。
    次は、脚立を立ててその上に昇り、
    柄の長い剪定ばさみで、ばさばさと切りまくった。
    何も考えない。
    想うがままに、ばっさばっさと枝を切り落とす。
    すると、明るくなっていくのがよく分かった。

    大袋四つだった。
    それを塀越しに息子に受け取ってもらって作業が終了した。
    この庭があることで、私は生かされているようだ。
    それから、バッハを聴きながら、読書をした。
    風が強くて、雲の流れがとても速かった。
    のんびりと何もしない。どこへも行かない。

    アゲハチョウの幼虫がカラタチの葉の上で、じっとしている。
    モンシロチョウの幼虫は、大きくなって、キャベツをむしゃむしゃ食べている。
    何だか、何もなくても、ここに居るだけでも、焦らなくなった。
    何かをしなくては。
    どこかへ出かけなくては。
    では、なく。
    ぼーっとしていることが、やけにおっとりと落ち着いて、
    豊かな時間に感じられた。

    庭の草花や昆虫たちの時間の流れで自分も何も考えずに生きると、
    それだけで過ぎていくことの味わいがあるように感じられた。
    あれもやらなくては。これもあった。
    そんな生き方からは、少しずつ遠ざかりつつある。

    人から悪く言われたって、いいや。
    人から嫌われたって、今に始まったことじゃないし。
    分かり合えないということは、本当のことなんだ。
    人のことをとやかく言う人ほど、自分のことを知らない人だ。哀しい人だ。
    そんなことばかりが、続いていた。

    人の中。他者の中。その中における「孤独と不安」
    しかし、自然の中に居ても、その孤独と不安は感じられなかった。
    それは、どうしてなんだろう。
    それは、自然にあるもの全ては、孤独であることが当たり前だからだ。
    不安なんか、人が自分の頭で勝手に創りだして、
    あれこれと妄想することで、自分で自分のことを苦しめているだけなんだ。
    あの花たちのようにしてのほほんと風に吹かれていれば、
    そんな不安なんか生まれることは決してないからだ。

    ぼーっと何もしないで一日を過ごせる。
    それも、年をとったからできることだと、そのことの気付きが、
    何だか幸せに感じられた。

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  • from: クマドンさん

    2017年05月26日 06時05分46秒

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    分かり合える。

    そもそも人と人とは分かり合えるものなのだろうか。
    分かり合えるとは、幻想にすぎないのではないだろうか。
    人と人とは、違った存在として生きている。
    自分のことすらよくは分かっていないのに、
    人のことを分かるなんて、本当は言えないのではないだろうか。

    こんな私のどうにもならない性格・人間性の故に、
    私は、何だか家族の中で孤立している。
    「父さんは、分からない」
    「何でいつもそうなんだ」だった。

    彼の怒りや腹立ちも分かる気がする。
    でも、分かる気がすると言うだけで、
    「父さんには、絶対に分からない」と、決めつけられる。
    妻にもだ。
    「あんたは、いつもそうなんだ」と、呆れられる。
    時には、黙って話もしない。返事もしない。

    そうなんだなぁ。
    しかし、分かるって、そもそもできることなのだろうか。
    感じてはいるつもりだし、その想いには共感しているつもりだ。
    しかし、相手からはっきりと「分かっていない」と言われると、
    何だかどうして・・・・何とも返す言葉も失ってしまう。

    そうした我がままで、どうにもならない自己中で、
    人の気持ちなんかこれっぽっちも分からない男としての私とは、
    この家族の中で、どんな存在としてここの居るのだろうか。
    きっと他の父親は、家族を愛し、家族から愛されているのだろうなぁ。

    分かり合うことは、難しい。
    いや、人と人にはそのことは、不可能なことではないだろうか。
    でも、分かろうと、感じようと、努力することはできる。
    少しでも何とかできないかと心配することはできる。
    余計なお世話かもしれないが、
    やっぱりほっておけないので、ついつい相手が腹の立つことを言ってしまう。
    その後は、いつもいつも後悔だった。

    期待するからなんだろうか。
    不本意であることこそ、人生の実相だとも言われている。
    思い通りにはならない。
    決して人のことをコントロールはできないし、
    自分のことすらままならないのが私ではないか。

    では、どうするか。
    それでも、やっぱり、煩がられても、こっちからかかわりを持って行く。
    声をかける。
    いつもいつも心配する。
    本当はすっかりと忘れてほっておけばいいのだと思うが、
    それができないから、ついつい余計な言葉をかけてしまう。
    そんな矛盾した父親であることは、よくよく分かっている。

    分かることはできない。
    人はそれぞれその人の人生を生きている。
    独りからしか、きっと何も始まらない。
    だから、期待しない。
    よく想われようとも考えない。
    まず、自分が自分で自分を生きる。

    立場ではなく、心配する人として。
    想いは、ちゃんと語らなければ相手には伝わらない。
    感情を入れない。
    ただ、言葉を語る。それが、実は、難しい。

    そんなどうにもならない自分を、今朝も辛く感じている。
    すまないなぁと、ごめんなさいと、想う。想う。

    今朝、目覚めに恐ろしい夢だった。
    沢山の生物の死体が浜に流れ着いていた。
    それを、亡くなった父と私と息子とでじっと見つめていた。
    「洪水があったんだ。それでここに流れて来たんだ」
    実にリアルに感じた。

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  • from: クマドンさん

    2017年05月25日 06時14分13秒

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    もうず60歳だぞ

    昨日、予約をしたいた歯医者さんに行った。
    そしたら、お母さんが亡くなったとのことで休診だった。
    親を亡くす哀しみは、ここにもか。
    それは、誰もが通らねばならない道だし、
    私自身が、本人として迎えねばならない宿命だ。

    60歳を目前にすると、
    やっぱり考え方が少し変わったような気がしている。
    この年まで生きてみなくては、やっぱり分からなかったものだった。
    まず、「死」だ。
    今、こうして思い返してみると、よく生かされて来たなぁと感謝する。
    ここまでどうにかこうにか生きて来た。
    それって、それだけですごいことだったのかも知れない。

    途中行方不明になったこともある。
    途中急病で倒れたこともある。
    途中難儀で難儀て歩けなくなったこともある。
    しかし、それなりにちっぽけながらこの人生を楽しんで生きて来た。
    やりたいことも、やってきたような気もしている。

    独りだなぁと、よく想う。
    だからと言って、2人にはなろうとは想わない。
    2人になって、もっと孤独を感ずることが空しいからだ。
    独りでいいなぁとも、素直に想えるようになった。
    心底共感し、あうんで語れる友は欲しいとは思うが、
    なかなかそうした人との出会いの難しさも感ずる。
    だから、せっせと庭仕事をし、夕方には花を見ながら酒を飲む。

    還暦とよく言ったものだ。
    私は、私にとっての人生のある一点に戻るようだ。
    生まれてから60年間、
    私は曲がりくねって美しくもない円でもあるが、
    この時間の中での大きな円環運動を生きて来た。
    そして、60歳の朝に、その出発点である一点に還る。
    さて、それから先は、どう生きるかだった。

    この先は、この生を宿った意味をわかりながら、
    その道を、自分のことを勘定に入れずに、ただ淡々と歩きたい。
    何だか、それまでの試練や苦労や難儀の中で、
    かすかに分かって来た自分そのものに、
    これからはなり切って、何かを淡々とやり切ることが、
    私にとってのこれからの宿命となっているような気がしている。

    私がそうするのではなく、
    そう促され、働かされる私で、生きる。
    その次の円環運動の終点が、「死」である。
    そしたら、それを笑顔で迎え、
    また、次の円環運動の旅にでればいい。

    歯医者さんのお母さんは、
    きっと今頃悲しみに暮れる息子の背中を、
    じっと慈愛の眼差しで見つめていることだろう。
    死の後は、そうした眼差しとしてここに生きられるんだなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2017年05月24日 06時00分30秒

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    物語が宿る

    高森の大欅のことに興味があって調べている。
    阿賀野川沿いの右岸である岡方という地区にある大欅だ。
    この樹は樹齢1200年とも言われている。
    幹の周りが10メートルもある。
    老木のために今は樹医さんによる養生中だ。
    この樹と初めて出会った時、
    やっぱり神様だなぁと感じた。

    深いものはその存在そのものから語りかけて来る。
    黙ったまま天に朽ちかけた大枝を伸ばし、
    堂々とそこに佇む風情は、
    何とも言い難い尊さを感じさせられた。

    新潟県で二番目に大きな欅だそうだ。
    どうして人が1200年間も生きていられようか。
    この欅は数多の運命に翻弄され、
    栄枯盛衰を経て来た人々のどれだけの物語を見つめて来たことだろう。
    どれだけ滂沱の涙を流し、
    この高森の丘から、幾多の人々の生死を見守り続けたことだろう。

    森閑としたその根元に立ちこの大木を見上げると、
    何だか昔ここに暮らしていたという三千人余りの僧侶の読経の声や、
    戦乱の音や、疫病に苦しんだ人々のうめきが聴こえるような気がする。

    ここの薬師如来は、持統天皇の頃、唐から貿易のために渡って来た船が、
    日本海上で大嵐に逢い、その時、船人が必死に祈った仏様だった。
    その祈りは聞き届けられ、嵐が止み、その船が漂着した場所がここだった。

    丘の上には大欅が茂り、丘全体が瑠璃色に輝いていたそうだ。
    すると、船人の夢に三夜続けて薬師如来か現れた。
    「この土地との宿縁を感ずるから、この土地の人々を済度するために、
     この丘のお堂を建てて、私を安置しなさい」とのことだった。
    すぐさま船人は丘の上にお堂を建て、この薬師如来を安置した。
    それが690年頃のことなのだそうだ。

    それから、この大欅と薬師如来とがどんな物語を見てきたか、
    その語りを聴きたいと今は想っている。
    この薬師堂は昭和42年?2月に全焼してしまった。
    その時、この物語を記した貴重な資料や記録も全て消失したしまったそうだ。
    そのことを悔やみ、とにかくこの貴重な歴史と物語とを後世に伝えるために、
    1人の老人が奮起して、散逸した資料を探し求め、
    少しでも知っている人が居たらその人を訪ねて聴き集めた情報を、
    一冊の本として編纂した。
    それが「高森の丘」という冊子だった。
    彼はこの冊子を自費出版してから、数年前にこの世を去った。

    その貴重な本が、私が手に入れることができたことは、
    きっと何かの必然なのだと私は信じている。
    そて、今、その資料を現代訳にし、物語のようにして書き直している。
    「高森の丘新聞」その第一号が昨日完成した。

    この物語を受け継ぎ、語り部として語り継いで行くことの意味を、
    私はいつしか感ずるようになっていた。
    この短くも儚い私の人生において、
    語るべき物語を宿されたのなら、
    やっぱりそれは語らねばならないのではないかと、
    そんな気持ちで、また大欅に逢いに行こうと想っている。

    人は、きっとその人の人生で、
    その人だけが語れる物語を託され、宿され、生きているのではないだろうか。

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    2017年05月23日 06時06分11秒

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    ポラーノの広場を読んだ

    昨日は、代休だった。
    とにかく病的な疲れだった。
    身体がだるくて、動かうことが難儀だった。
    熱中症にでもなってしまったのかと、自分の身体を心配した。

    身体に聴いて動けるようになった。
    だから、午前中は縁側で本を読んで昼寝だった。
    この季節、吹く風が実に爽やかだった。
    ぼんやりとする。
    庭を観ている。
    何もしない。
    それでもよくなったのは、やっぱり年のせいだろう。

    日曜日に「賢治の童話を読む会」だった。
    今回の物語は「ポラーノの広場」だ。
    演劇の脚本として書かれている物語だ。
    60代の女性たちと私たち男性たちで配役を決めて、リーデングする。
    私は、ト書きを読ませてもらった。

    山猫博士は、我が町のAさんだった。
    そんな人がいつの時代にも生きていて、
    きっと威張りくさり、まわりのみんなに迷惑をかけていたんだろうなぁ。
    我が町のこの物語は、現在進行形だった。
    賢治特有のユーモアで、
    この劇を観た人たちは、「あーー、あいつのことだ」と、みんな分かる。
    その当の本人も、この劇を観て、「ひどいやつもいるものだ」と、
    みんなと一緒に笑ったことだろう。
    そんな姿をきっと周りの人たちは笑っていたはずだ。

    これは、ユーモアでありながら、
    そんなどうにもならない威張りんぼうを子どもが懲らしめる、
    痛快な物語でもあった。

    不思議なことに、弟二幕から始まる。
    (弟一幕はない)と書かれている。
    さてさて、その真相やいかにいかに。
    この脚本は花巻の農学校の生徒のノートから発見されたとのこと。
    そして、よくよく読み深めると、
    この物語がトシへのオマージュであることが感じられる。
    本当に賢治にとってトシはかけがえのない人だった。

    疲れ果てていながらも、昨日はやりたかった外仕事に手をつけた。
    午後からは、何本かの木の枝を切り、それを束ねた。
    そこに日向ができたので、大きめのプランタを買い、
    そこに腐葉土と土とを入れた。
    5つのそのプランタを並べてら、簡易の畑の出来上がりだった。
    「下の畑に居ります 賢治」だなぁ。

    午後はそんなことをしながらずっと夕方まで庭に居た。
    ああ、この庭が在って本当によかったと、
    何だか父と母とに感謝した。

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    2017年05月20日 05時44分20秒

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    花を買う。花を植える。

    第四銀行の前に出来た花屋さん。
    こんな所で商売ができるんたろうかと想っていた。
    私は、いつもその店の前を通るたびに、
    ポットに入った花たちを観る。

    マリーゴールド・インパチェンス・なでしこ等、
    昨日は大きめのカーネーションの鉢が500円で売られていた。
    私は、高い花は買わない。
    いつも100円か150円の花だった。
    そして、買う時は色を選ぶ。
    個性的なこんな色もあるんだねという色の花を選んでいる。
    それを小さな籠に入れる。

    400円の買い物だった。
    でも、花の400円には、この値段以上の価値がある。
    この花はプランタに植えられると、
    その時から、その土に立って生き始める。
    まさに、この花の人生がそこから始まるからだ。

    私は、毎朝夕に水をやる。
    その度に、少しずつ少しずつ変化が見える。
    生きる力とでも言うのだろうか、
    こんな細やかな花であっても、
    茎を伸ばし、葉を茂らせ、花の数を増やしていく。
    生きるとは、変わるということだ。

    そんな当たり前の摂理を、この花たちは教えてくれる。
    知りたいことは、全てこの花に在る。
    後は、その花からの言葉を聴く心があるかどうかだ。

    少し暑くなって来たら、さっそく庭の草花の風情が変わった。
    その季節の到来を喜んでいるかのように茂り始めた。
    「生きるぞ」「伸びるぞ」「茂るぞ」だった。
    そんなわいわいという声がにぎやかに庭では聴こえる。

    縁側でワインを飲んだ。
    夜、グールドのバッハを聴きながら、黙って庭に向かった。
    胡坐をかいてそこに座っているだけで、
    何だか深い落ち着きだった。
    私も、自然の1つにしかすぎないんだ。
    ここに働いている見えない働きに、
    私もまた生かされている。

    小さな花を植えるということは、
    庭を観るということだった。
    そして、その花を愛でるということは、
    その花の声を聴くことだった。
    そして、庭に出て黙って酒を飲むことは、
    その花たちのいのちの働きを、
    無心になって感ずることだった。

    あの花屋さんは、美しい女性ばかりだ。
    レジに花を持って行くとき、
    あのときめきも嬉しい感じだ。
    花屋さんには、花たちを愛する美しい人が居る。

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  • from: クマドンさん

    2017年05月19日 05時54分45秒

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    風邪を引いた。それでも、歌う。

    風邪をひいたらしい。
    季節の変わり目には、必ずのようにして風邪をひく。
    今年もそうだった。
    鼻水が出る。身体がだるい。何よりも疲れが抜けない。
    どうなったのか、夕方になるとぐったりと疲れが出て来る。
    ばたんとその場で倒れてしまいたい。
    そんな疲れだった。

    それでも、自分で自分自身を励まして何とか終業時刻を迎える。
    いつもなら、さっと帰れたのに、
    ここ二週間は、いろいろと仕事が重なっての残業だった。
    提出する書類の期限が重なっていたり、
    突発的な問題が起こり、それに対処したり、
    担当の仕事がその時期に集中したりだった。

    ただ淡々とそれを熟した。
    目の前にあるものは、少しの時間を見つけて、少しずつ進めた。
    一気にやってしまおうとは想わない。
    この15分間には、ここだけを書こう。
    この30分間には、この書類の半分だけでも仕上げよう。
    明日とは言わずに、締め切り一日前の今日、提出して帰ろう。

    すると、ぐったりと浸かれたままの帰宅となってしまう。
    帰ったら風呂に入る。
    350mlの缶ビールを一本。菊水一番搾りを一本。
    それに柿の種にかっぱえびせん、いもけんぴだ。
    そんな日々の連続の中、昨日は東区ブラザーズだった。
    疲れても、歌は歌う。
    その前に、太威の担々麺を食べに行く。

    店長はお休みだった。
    美人の彼女がせっせと働いていた。
    「お休み?」と聞くと、「はい、交代で休みます」とのこと。
    「そう言えば、このお店定休日はいつですか?」と聞くと、
    「お休みはないんです」とのこと。
    驚いた。「だから、交代で休んでいます」
    「稼ぐねーー」と言ったら、「そんなことありませんよ」と笑っていた。
    すごい人たちだ。
    本当に拉麺を作ってお客さんに食べてもらうこの仕事が好きなんだ。

    だから、休みなく毎日厨房に立って汗を流し、
    注文を受けて、声をかけ、極上の拉麺を魂込めて一杯一杯作っている。
    見習うべきは、この人たちだった。
    仕事が好きだということが何よりだろう。
    私も、私の仕事は大好きだ。
    だから、風邪でも、疲労困憊しても、あの場所に立てるのだった。

    やっぱり、こうして本物の生きている人たちの姿を目の当たりにすることと、
    その人たちの真摯な仕事ぶりを体感することが、
    なによりものカンフル剤なのだともやっぱり想った。

    こうして仕事に打ち込んでいる人が居てくれる。
    それは、同じく仕事をする私とっては、とてもとても在り難く、
    尊いことだと感謝している。

    担々麺の深い深い味わいには、仕事をする人の哲学が滲みだしていた。

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  • from: クマドンさん

    2017年05月18日 05時58分54秒

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    300歳越え

    私は、今年度が最後の年になった。
    昨日、退職後の健康保険について聴いた。
    そのまま任用なら、継続もできるそうだ。
    そんなことの決定を、そろそろしくてはならない年になった。

    毎日が、私の仕事にとっての最後の一日となっている。
    何か年間の行事が行られるたびに、
    これが私とっての最後の行事となる。
    何だか今は、そのことを楽しんでいる私が居る。

    何とかしなくては・・・ではない。
    ああ、楽しいなぁ。ああ、愉快だなぁ。
    そんな気持ちで生きている。
    それはそれは、耐えられない辛さやバッシングはある。
    それは、それで仕方ないとも想えるようになった。

    何だかそんな気楽な人になれたのも、
    多くのやらなくてもいい苦難を経たからだろうと想っている。

    88歳のS叔母が、5か月ぶりに施設からの一時帰宅だった。
    そこへ手伝いに来た86歳のK叔母。
    本家を守るT叔母80歳。
    そこに私が参加すると、年齢は合計303歳だった。
    すごいことだ、4人合わさると300歳を超えてしまう。

    お互いの年の差はずっとずっといつまでも変わらない。
    ただ分かったことは、
    人は、生きてみないと大切なことは分からないということだった。
    何だか施設に居るS叔母は、車椅子に座り笑顔でいると、
    仏様のような穏やかな気を感じられた。
    嫁姑で大変苦労したK叔母は、元気はつらつ、
    今では叔母たちの中心として頼られる存在だ。
    T叔母は、腰を痛めて元気がなかった。

    でも、何だかやっと私も、この苦労を乗り越えて来た叔母たちの、
    仲間の一人に入れてもらえた気が今はしている。
    「苦労していない人は、駄目、だめ」と、T叔母の言葉。
    「病気した人じゃないと、分からないよ」とは、T叔母。
    「そうなんだよなぁ」とは、ここ数年大手術と入院とリハビリの私。
    「そうらねぇ」は、こっくりこっくり眠りそうなS叔母。

    その何とも言えない、「そうらねぇ」が、通じる300歳の人たち。
    私は、生きることそのことだけで、尊いことだと感じさせられた。
    「死にたいなぁ」と想うこともある。
    でも、やっぱり生きていることなんだ。
    K叔母は若い頃帰宅途中、萬代橋から飛び込もうと何度も想ったそうだった。
    みんなみんな苦難の中に在り、数多の苦難を経て今に至っている。
    だから、叔母たちの言葉はその身体に沁みついている言葉だった。
    その言葉を語れる人となれることが、
    人として生きていることの尊さではないだろうか。

    その言葉は、ここに在る。
    しかし、その言葉を生きた人が居ない限り、
    その言葉は、ここには現れることはない。
    だから、その言葉を体現するまで、生きていればいい。
    そして、きっとある時節になると、生みの苦しみのための試練が訪れる。
    そこが肝心のようだ。
    忍耐は、きっとその人を練って、逞しくする。
    そうすることで、絶望の闇は、いつしか微かな光によって希望に変わる。

    そのことを、この叔母たちは、生き様を通して教えてくれる。
    「真面目なだけの人は、駄目、ため」
    「わがままで、自分だけいいって人は、駄目だね」
    「出世ばっかで、ごまばっかすっている男は、どうにもならないね」
    「俺が、俺がの人も、どうにもならない」
    ぱっさばっさと切り倒す叔母たちの言葉が、
    実に痛快だった。

    さて、本日も最後の5月18日が始まった。
    「よき出会いを。」それしかないな。

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