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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2010年05月31日 21時24分46秒

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    ベン・ハーを観た日


    「ペン・ハー」は、やはり偉大な映画だった。
    何年ぶりにこの映画を観て、
    本当に心洗われるものを感じた。
    ただひたすら親友の裏切り対する復讐に燃え、
    憎しみをエネルギーにガーリー船で生き延びて来た彼。
    数奇な運命に翻弄されながらも、
    その復讐を果たす機会を手に入れる。

    この競馬シーンは、ニューヨーク美術館に収蔵されている。
    そのカメラワークと、迫力ある演技と、スピード感とは、
    何度見ても新たな発見があり、手に汗握る場面である。
    その復讐を果たし、ユダヤ人に勝利をもたらしたが、
    心には空虚な風が吹いていた。
    「生きるとは、いったい何だったのだろうか」
    母と妹を業病の谷に探し、
    キリストの最後の時に、その十字架の下で、その姿を見届けた。
    「奇跡」は起こり、その血で全ての罪は贖われた。

    キリストの生涯と教えとが、しっかりとこの物語のペースにはあった。
    この原作者のルー・ウォレスは、確か南軍の将軍だったと記憶する。
    「憎しみからは、戦いしか生まれない」
    「暴力に対しては暴力で応え、その戦いは永遠に続く」
    「寛容こそ、平和の道なのだ」
    こうした原点をメッセージとした、骨太な大作が少なくなってしまった。

    懐かしいハリウッド映画に、人間が伝えるべき物語の原点があった。
    この物語、語り継ぐべきお話だと改めて思った。
    4時間近くの時間は、あっという間に流れ去った。
    ラストは、ミクロス・ローザのハレルヤで終わった。
    そして、劇場のロビーでは、素晴らしいゴスペルグループが、
    信濃川をバックに魂の歌を炸裂していた。
    これもまた、お導きの一つなのだと、感じた。

    夕方、大山台で、CさんとOさんと三人で缶ビールで飲んだ。
    「夕方飲もう」とメールすると、「5時に、Oさんも行くよ」とのこと。
    この乗りがありがたい。
    3人は真面目に福祉の話に熱が入った。
    「山の下を福祉特区にする」それがCさんの信念だった。
    私は、「山小応援隊」を創りたいと語り、
    北区の社協のOさんは、今豊栄駅前で福祉の交流の場づくりをしていることを語った。

    すると、やけに消防車が賑やかにサイレンを鳴らして走っていることに気付いた。
    トイレに行って驚いた。
    神明神社の裏あたりから真っ黒な煙が出て、
    そこには赤い炎がめらめらと燃えていることが確認できた。
    「撤収」酔っ払いたちは、慌てて店じまいをした。

    凄い火事だった。

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  • from: クマさんさん

    2010年05月29日 10時15分35秒

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    山小応援隊をぜひぜひ


    昨夜、山小の話が出た。
    百周年の運動会のことは、新潟日報の記事に載っていた。
    市場通りを封鎖して、そこで小学校の運動会をやる。
    その発想が素晴らしいと感じた。
    運動会を地域の人たちが集まる場所で開く。
    これは、やはり歴史に残る運動会になった。

    それが出来たのは、商店街と学校と地域とが一つの想いでつなかっているからだ。
    子どものために。
    全ては子どものためになのである。

    今年の秋に百周年の記念行事を行う。
    この時、同窓会の方々も中心になり企画を担当し、運営するらしい。
    我が家の母を始め、その姉妹たちは全て山の下小学校の卒業生だ。
    70代から80代の人たちにとって、
    この地域の学校であり、自分たちの母校である山小には、
    並々ならぬ愛着を感じている。
    百周年の記念行事が、こうした卒業生たちが再会し、旧交を温め、
    また新たな絆をつなげられる機会になれば嬉しいものだ。

    「山小のためならば何でも力になる」という気持ちをもっている卒業生も多いはずだ。
    その想いとパワーとを結集することも、
    この百周年行事で行ったらどうだろうか。
    山小の統廃合問題がいろいろな場で語られる時代となった。
    三年生以上がみんな1学級しかないという事実には驚いた。
    あの山小がである。

    さて、そうした時代にあって、
    地域のお年寄りや卒業生、または元PTAの人たちを集めて、
    「山小応援隊」を創ってはどうだろうかという提案なのだ。
    「全てはこどものため」の活動を自分たちから参画することは、
    結果的には「地域のため」「自分自身のため」になる。
    そんな活動をこの「応援隊」ができたら素敵ではないだろうか。

    山の下にはその「応援隊」が誕生する環境は十分整っていると感じている。
    後は、誰が、どのように仕掛けるかなのだ。
    応援隊結成のコーディネートをぜひぜひお願いしたい。
    私もお手伝いならば、いくらでもするつもりだ。
    いかがでしょうか。

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  • from: クマさんさん

    2010年05月29日 09時20分23秒

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    通夜

    親子ともども失意の生活である。
    どうにもならないことを悔やんでいても仕方ないが、
    本当に何とかしてあげられるのなら、してあげたい。
    それだけの思いだ。
    痛みはひかず、足をつくこともできない。
    焦りと、失望と、悔しさが、彼の心境だろう。

    昨夜、通夜に参列した。
    不慮の事故のために車椅子の生活となり、
    脳梗塞で寝たり起きたりの生活を18年間も続けた方だ。
    一途に、頑固に腕を鍛え、料理人として素晴らしい仕事をした人だそうだ。
    その人のお話を聞くだけで、
    優しく、そして一徹な生き方を貫いてきた人かよく分かった。

    その人の通夜に参列した人は、200名以上だったと思う。
    驚いた。やはり人は棺桶の蓋なのだ。
    その時、その人の人生が明らかになる。
    喪主の奥様のお話に、参列者から多くのすすり泣きが聞こえた。
    故人を偲ぶ。感謝する。もう一度会いたい。
    そんな想いに満ちた通夜だった。

    人にはよくするものだなあ。
    仕事で世の中に恩返しをするものだなぁ。
    家族を愛するものだなぁ。
    自分に厳しく、自分を鍛えるものだなぁ。

    何だか、今の日本人が忘れてしまった、
    日本人らしい男の生き方を貫いた人だと私は感じた。
    お会いすることのできなかったことをとても残念に思われた。
    息子が、今その父の道を継いで料理人となり腕を磨いている。
    そして、その生き方も学び、彼は彼なりにそれを貫いている。

    お店が再開されたら、またカウンターで飲みたいと思った。
    御冥福を心からお祈りいたします。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年05月27日 05時34分35秒

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    疲労骨折


    職場に中学校からの電話があった。
    何事かと心配になり、こちらからかけると、
    次男が足の痛みを訴えて歩けないそうだ。
    とにかく迎えに来て、医者に行った方がよいとのこと。
    すぐに駆けつけた。

    先週から右足のすねの横を痛めていた。
    それでも彼は我慢して、サッカーをしていた。
    やっと取れたレギュラーの定位置だった。
    そして、今は絶好調のプレーだった。
    彼にとってのサッカーは、今の彼のアイデンティティーだ。
    菅平の遠征でも無理していたのだろう。

    医者の診断は、疲労骨折の疑いだった。
    松葉杖を渡された。
    まさに青天の霹靂。ガーーーーンである。
    私も肉離れして足が使えなくなったことがあるのでよく分かる。
    県大会や目指していた大会がこれから毎週のように続く。
    そんな時期に出場できない辛さ、悲しさ。
    その憤りはどこへもぶっつけられぬのだ。

    私がいけなかった。
    もっと早く気付いてやれば・・・。
    全治一カ月と言われた。
    親としては、こんな時どうしてやればいいのだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2010年05月26日 05時46分33秒

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    悩むな。走れ。


    雨、だから走れない。

    昨日から早朝のジョギングの距離を伸ばした。
    不思議なもので、走ると心と体との調子がよく分かる。
    ゆっくりとスタートする。すると、体が重く感じられる時がある。
    また、膝にちょっとした痛みが走ることもある。
    「走りたくないなぁ」と思う時もある。
    その時は、ぐっとペースを落として走る。

    その反対に、何だか軽く走れることもある。
    赤道の歩道橋が一つのバロメーターにしている。
    8分前半のときは、そこからスピードを上げる。
    次の飛行場道路の交差点を13分を切るか切らないかの時は、
    そこから記録に挑戦するためにピッチを上げる。

    自分の体なのに、自分の思いのままには行かない。
    当たり前のこと、でもその事実を忘れてしまうのが人間である私。
    実は、思いのままにいかないことに、大きなストレスを感じていたりする。

    昨日の朝、そうして無理をして走ったら、
    気分が癒されていた。
    あれだけ重い心でいたのに、走っていて忘れていたら、
    そのまま「どうでもよくなって」しまった。
    思い悩んでも体調が変わらないように、
    思い悩んでも現実は変わらないのだ。
    「ああすればよかった」「どうしてできなかったのだろう」とここで思い悩むことは、無駄だ。
    過ぎてしまったことは、一切がっさい捨ててしまえ。

    意味がない。
    なぜならば、直接働きかけ、試してみる時は、思い悩む効果はあるが、
    ここで勝手に私一人が思い悩んだとしても、
    全く絶対何にも現実に変化は起こらないからだ。
    「今は、今のことだけ」本当はそれで十分なのだ。
    私が心の病になった時は、これだった。
    妄想が、私を弱らせ、苦しめ、追い詰めた。

    その時は、冬。
    私は、走っていなかった。それが悪かったんだ。
    「走りながら、考える」
    心と体の調子を聞きながら、少しずつその時のベストな状況に導いていく。
    そんなトレーニングは、やっぱり心と体のためには休んではいけなかったのだ。

    頭をからっぽにする。何も考えない。木偶の坊になる。
    そんな状況は、ジョギングによって得ることが出来る。
    「悩むな。走れ」やっぱりこれだと、昨日は思った。

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  • from: クマさんさん

    2010年05月25日 20時21分28秒

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    よき隣人


    私の師匠は、良寛さんだ。
    蒲水先生も、森田さんも、私の師匠だ。
    でも、この二人、良寛さんに通じるものがある。
    「無欲」「無私」「こだわりがない」ただ「あるがまま」
    その境地になかなかなかなか行きつけない。
    それがまさに人生の修行なのだと思う。

    どれだけの人が、この師匠に感化を受けたことか。
    しかし、その道を歩む者はごくごくわずかなのである。
    ただの人と生きながら、
    人間としての徳で燻銀に光輝いている。
    確かに、この人の他に道はなかった。
    追いつこうとしても、けっして追いつけないその生き方。

    偶然、本日の新潟日報の良寛さんの歌がこれだった。
    「珊瑚は 南海に生じ 紫芝は 北山に秀ず 良寛」
    この歌を帰ってから、夕食の時に読んで「へーっ」と思った。
    「日蔭ものと日向もの」それと同じ真理なのだ。

    大元には、道元さんがいる。
    その教えを体得したのが良寛さんで、
    わけもわからずその道を生きて来たのが、
    私の二人の師匠だった気がする。
    それは、達磨大師から続いている大事な仏教の系譜なのである。

    それを、この現代に誰が体得し、後世に伝えるのか。
    私は、幸運にも「山小屋」のカウンターで、
    道を体現した人に出会い、その薫陶を得ることができた。
    蒲水先生は、未だ病院の病床の中である。

    良寛さん。懐かしいです。
    私が隣人として欲する人は、
    良寛さんなのですね。
    そして、私も、よき隣人として生きねばならないのですね。
    イエスの言葉にあります。
    「よき隣人となれ」と。

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  • from: クマさんさん

    2010年05月25日 05時24分20秒

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    日蔭ものと日向もの


    うまくいかないことがあると、やっぱり心が重くなる。
    いつもそのことを考えてしまう。
    すると心が重く、気が晴れない。
    自分ではそれでいいと思いつつも、人の評価はまちまちだ。
    ついつい気になり、心が重い。
    どうしたらよいのか分からない。
    やっぱりやりながら考え、トライする。それしかないのだ。

    植物には、日向ものと日蔭ものとあることをOさんから聞いた。
    昨年枯れかけたシソの木からこぼれおちた種が、
    この春芽を出したというのだ。
    何も手をかけず、忘れていたのに、自然の力はすごいものだと言っていた。
    その個性に合った環境が整えば自然に育つ力は存在している。
    日蔭もののシソにとって、適度な湿気と日蔭が、
    その種の生命力のスイッチを入れて、芽を出させたのである。

    しかし、シソの茎は細く、か弱いのだそうだ。
    発芽してからの成長は、人の手で助けてやる必要があると感じたOさんは、
    なんと百円ショップのビニール傘を広げ、さして守っているそうだ。
    アイデアである。
    風や雨から守られながら、温室的な効果も期待できる。
    どんな支援が必要であるかは、目の前の具体的な事実が教えてくれるのだ。

    「ヘルプ」と「サポート」は違う。
    「ヘルプ」とは、その人の代わりに誰かがその仕事をやってしまうことである。
    「サポート」とは、例えばその人がもつ成長する力を助け、
    その力を発揮しやすいように支援することである。
    まず私たちが大切にしなければならないことは、
    その成長を支援し、促進するための環境作りと働きかけをすることなのだ。

    しかし、頭で考え、勝手に思いこんで行っても、
    効果がないばかりか、かえってその成長を妨げることもある。
    だから、現状をよくよく観察し、声無き声を聞き、感ずる感性が求められるのだ。

    もう一つOさんから教えられたことは、
    「日向もの」も「日蔭もの」も、等しく生きている存在であるということだ。
    「日蔭もの」を「日向もの」にするために、日向に出しては枯れてしまうのだ。
    それは、それぞれがもっている個性であり、特性なのだ。
    私は、あの人にはなれないし、あの人は、私にはなれないのだ。
    どちらが偉くて、どちらが劣っているなどと考えることが間違っている。
    それぞれがそれぞれの個性のまま生きられる環境と機会とを作ることこそ、
    大切なことなのだとOさんから教えられた。

    頭でっかちの人間になると、こうして心重く、くよくよと悩んでしまう。
    悩んだって今は何もしてあげられないのだから、
    現場で具体的に支援しながら悩めばよいのである。

    しかし、生きるとは、難しいことだとつくづく思う。

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  • from: クマさんさん

    2010年05月23日 16時46分15秒

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    酔っ払い、人と出会う


    土曜日は、夢のような日であった。
    yuccaさんのファンクラブで知り合ったサッチーに、
    割烹で行われる料理と古町芸者の会に招待された。
    何と1000円の会費で、御馳走と芸者さんの踊りを堪能できるのだ。

    私と長者様と花束親父の3名がおかげさまで集まることになった。
    今月になってから、いろいろな場面で顔を合わす3名である。
    yuccaさんと出会わなかったら、
    こんなにも親密になることはかなわなかった3名でもある。
    人の縁とはどうなるものやら予想がつかないものである。
    美しく、若々しい芸者さんの一人を、長者様はよくよく知っていた。
    同じ舞台に立った仲なのだそうだ。
    羨ましい話である。

    紅子さんという名の彼女が私の隣に座ってくれた。
    まさに絵にかいたような美形なのだ。
    ほんの目の前にその御顔があり、
    白粉の匂いと艶やかなお化粧の色とに、
    私はしばしうっとりと見惚れていたのだった。
    「見惚れる」という言葉がぴったしだった。
    「俺、長者様と紅子さんのファンクラブ作ることにしたは」と言ったら、笑われた。
    そりゃそうだろう。
    しがない勤め人が、芸者さんと御座敷で出会うこと等夢のまた夢なのだ。

    近松門左衛門が描く世界を思い出した。
    紅子さんのお名刺は、名前の書いたステッカーだった。
    私は3枚もがめつくもらい、それを携帯の裏に貼った。
    「クマさん、気つけたほうがいいよ。私もそれをやったら、母ちゃんに見つかって、問い詰められたって・・・」
    長者様の忠告だった。

    さて、3名は酔っ払い、紅子さんとサッチーと別れてから何処へいったであろうか。
    何とこともあろうに古町のマキで行われていた「歌声喫茶」に乱入したのである。
    最前列の席でバリトンをガンガン響かせ、懐かしいロシア民謡を歌った。
    日本語の美しさは、この昔の歌には残されていた。
    この歌は、日本の文化財であると思った。
    次々と歌い、とうとう私たちはマイクの前で歌うことになってしまった。
    30曲以上の歌を、マックスの歌声で歌い切り、
    「少年時代」では、熱唱のあまり、みなさんに御迷惑をかけてしまった。

    しかし、この歌声喫茶は、古町再生にはもってこいの企画であった。
    たった一回参加で、長者様とクマは、覚えてもらえる存在となった。
    yuccaさんのことを宣伝したのはもちろんのことである。

    「古町芸者」と「歌声喫茶」
    ここに古町再生のカギがあると、私は思った。
    ただの酔っ払いではないのだ、
    どういうわけか、いつでも古町のことを想っているのだ。
    帰りに市民センターに寄ったら、10年ぶりの再会が待っていた。
    福島潟での活動で出会った彼女であった。
    今は、ペルーの地震からの復興を支援する会をやっていた。

    クマは、酔っ払って歩くと、とにかく人と出会うのである。

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  • from: クマさんさん

    2010年05月22日 10時03分21秒

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    まちづくりの原則


    休みの方が忙しいのか、時間がなくて今頃の更新となっている。
    昨夜のぷれジョブの会は、なかなか有意義だった。
    それは、各地区のぷれジョブの現状について聞くことができたからである。

    その中で私が発見したことは、まちづくり原則であった。
    それは、「一つを押すとすべてがふったつ一つが必ずある」ということだ。
    保護者が集まって熱意で引っ張って行くことはできる。
    しかし、いつか疲れてしまうのだ。
    その時、求められるのは外部からの組織的な支援である。
    自分だけでやるのでは、限界は見えるのだ。
    しかし、活動の趣旨に賛同し、参加してくれるサポーターさんたちがいたら、
    本当に助かることなのだ。

    では、いったいその人は、何処にありや・・・。
    やはりここでは、いろいろと手を尽くし、いろいろな場に顔を出し、
    その人と出会うまで根気強く探すしかないのである。
    ただし、その人に出会ったら、そこから活動は飛躍的に予想外の展開を迎えるはずだ。
    人は、その人のネットワークをもって生きている。
    そのネットワークと、ぷれジョブのニーズが合致した時、
    触媒となり、融合は発生する。

    実は、この原則を私はさまざまな場面で経験している。
    「あの人との出会いがあったから」今の私や、
    私たちが行っている活動が持続しているのだ。
    「その人」は、きっと存在しているのである。
    その人と出会えた地区は、サポーターさんの数が増え、
    その人と出会えていない地区は、
    活動を中止しんければならない状況になっている。

    それから、発見したもう一つの原則は、
    「リーダーは、先頭には立たない」という原則だ。
    いつまでも一人のリーダーだけが、語り、計画し、決定していては、
    誰もこの組織からは育っては行かないからである。
    ついには、そのリーダー自身が疲れてしまい、
    意欲を失ってしまうこともある。
    「リーダーは、複数のリーダーを育てる人」になればいいのだと私は思っている。
    だから、うまく行っている組織は、リーダーが目立ってはいないのだ。
    みんなフラットに、自分の想いや願い、本音を語れるからだ。
    しかし、強いリーダーの下では、リーダーの意向が見え隠れするので、
    本音はなかなか言えないものだ。

    さて、本日北区のぷれジョブが発足すると聞く。
    私は、その会の発展と持続とを願う一人である。
    そこでもこの「まちづくりの原則」が活かされたらと願っている。

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    2010年05月21日 05時16分35秒

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    サマータイム


    目が覚めたのが、3時半だ。
    朝の予告のように、白々とした光が窓に写っていた。
    ここで起きたら大変だと、また眠ることにしたが、
    扉がコトコトと音を立て、気になって眠れなかった。
    4時に起き出し、お湯を湧かして、コーヒーを飲む。
    この時間帯のニュースキャスター、中田さんのファンでもある。
    映画紹介をやっていた。
    「告白」という映画、凄すぎる映画だ。予告で名画は分かるものだ。

    さて、洗濯物が物干しに籠からはみ出して積まれてある。
    それは、私の仕事なのだ。
    晴天が約束される日には、出勤前に洗濯機を回して、干すこともある。
    天気がもったいないは、主婦の感覚か。
    4時半に中田さんとお別れをして、洗濯物を干していた。
    朝の町は、やけに静かなのだ。
    先回見つからなかった次男の靴下の相方が見つかった。
    ペアでもう一度干すことにした。
    何だか離れ離れだった靴下が喜んでいるような気がした。

    次は、この掲示板である。
    昨日は1060名の来訪者であった。感謝・感謝。
    Cさんがブログを更新していた。
    風邪がぐずぐすと治らないとのこと。
    連休の私と同じ症状だ。年なんだ。でも、分かんないんだよね、自分のこと。
    お大事に。
    本日のぷれジョブ定例会には、BSNが取材に来るとのこと。

    そして、yuccaさんのブログのチェック。
    中型のバイクの免許を見事に取得していた。
    ファンからのお祝いのメッセージが多数届いていた。
    私のメッセージも載っていた。これもまた嬉しいことである。
    明日は、長者様と古町芸者さんの踊りをみながら豪華絢爛ランチを食べ、
    歌声喫茶に乱入して、懐メロを歌いまくる予定である。
    気分はいつもyuccaなのだ。

    そして、「雑食系男子の・・・」このブログの多種多彩な情報には、
    いつもいつも驚かされてしまうのだ。
    村上の料亭・佐渡の原生林・映画のロケーション・レルヒさん。
    新潟の旬で最前線の情報のてんこ盛りである。
    いつも感動と驚愕とため息をつきながらこのブログを拝見している。

    それから、着替えて、ジョギングに出発するのである。
    本日から距離を伸ばし6キロに挑戦である。
    まだ腰の痛みは残っているが、シップでごまかしている。

    4時からこんなに忙しくしている私。
    夜ふかし系の妻や子どもたちとは、
    最近同じ家に住みながら、まともな会話をしていないのだ。
    テレビもろくに観ないで10時には寝てしまう。
    我が家のサマータイム。不思議な生活である。

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