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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2010年08月31日 05時56分06秒

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    予想外の出来事だらけ

    この猛暑から、いろいろな不具合が起こっている。

    何と私たちが寝ている部屋のエアコンが壊れてしまったのだ。
    温風しかでなくなってしまったエアコン。
    この時期に何と言うことかと嘆いても仕方ない。
    昨日の夜、電気店へ出かけた。
    何と、すべて売り切れ。在庫もない有様だった。
    電気店とメーカーにとっても予想外の展開で、
    機種によっては納入が9月末になるそうだ。
    工事についても連日満員で、2週間待たねばならないと言われた。
    そんな中で、たった一台残っていた機種を、高く買うはめになってしまった。
    何事も早めの対応なのだと教えられた。

    不具合その2は、父と母である。
    この夏でめっきりと年をとってしまったようなのだ。
    外は熱帯の暑さ故に、一歩も外には出なくなった。
    何よりも、母は手術のことが心配でたまらないのだ。
    癌だと宣告されて、その手術は9月末なのである。
    その間、自分の病気は進行していると気が気ではない様子だ。
    辛い、切ない、どうにもならない。
    その中で、母は気丈に振舞っている。
    何だか前よりも小さくなってしまった気がする。

    不具合その3は、私のトレーニングである。
    盆以降のこの猛暑から、全く走る気力を失っているのだ。
    朝、25度を過ぎる気温に、走る意欲を失ってしまった。
    目標が大きすぎたのだ。
    その目標と実力との差の開きが大きいことが、
    逆に私のモチベーションを下げている原因となっている。
    これは、次男の勉強に対するモチベーションと同じようだ。
    彼は、取り組みつつ、本気になれない。
    それは、私と同じ心理状況だからかもしれない。

    猛暑は、続く。
    そのおかげで予想外のことが起こっている。
    しかし、嘆いても何も変わらない。
    今、この現実。
    ここから何も考えずに始めることだ。

    何と今、後ろの壁で壊れたはずのエアコンが復活している。
    あの高い買い物は何だったのか。
    これも予想外の出来事だ。

    人生、予想外の出来事でできている。

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  • from: クマさんさん

    2010年08月30日 06時35分39秒

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    祭りのあと・・・

    やっぱり日本は、亜熱帯の国になってしまったのだ。
    高温多湿。とにかく湿度があるために、蒸し暑い感じがする。
    もう9月になろうというのに、猛暑日が続いている。
    どうにもならない状況の中で、右往左往するのが人間なのだ。
    何も変わらない。何も変えられない。
    その中で、忍の一字で生きている。

    この暑さの中で、市内のいろいろな所へバスで出かけた。
    新潟のお宝をこの目で観て、体験する旅だった。
    カーブドッチは、角田山を背景にしたブドウ畑に驚いた。
    砂丘の中に出来た一つの理想郷である。
    百円のワインの試飲もグッドであった。
    福井の佐藤家では、まきで炊いたご飯をメインに、
    地元の食材を使った漬物をいただくことができた。
    この地にあつた峰山藩は、米百表で有名な藩なのだ。

    中条の少年の自然の家では、町内会のイベントに参加して、カヌーをやった。
    何年ぶりかの体験である。
    川の上では、真夏の日差しも気にはならなかった。
    乙法寺がちょうどお祭りであった。
    身代わり菩薩のお守りを買った。
    ついでに、名物の酒饅頭も買って来た。
    いつも母のことが頭から離れない。

    そして、昨日は亀田の六斎市を見て、農家レストランでの食事だった。
    築百年の大広間での食事は、実に素朴な味のメニューだった。
    汗をかきかき70名くらいの団体と一緒に食事する。
    現役を引退した60〜70代の女性ばかりだった。
    ある意味、友達とこうしたプチ旅行に参加することは、
    人生の頑張りに対するご褒美なのだろう。
    楽しき第二の人生は、ここでふんばっり責任を果たした人だけに与えられる。

    夕方は、栗の木川の夕べのJAZZコンサートだった。
    初回のコンサートから、私はかかわってきた。
    顔だけ出そうと、自転車で向かった。
    茜色の雲と、日暮らしの鳴き声と、風に揺れる桜の葉とが、
    見事にギタートリオの演奏を引きたてていた。

    亜熱帯になった新潟の夏。
    この夏の終わりに、いっぱいいっぱい遊ばせてもらった。
    しかし、どこへ行っても、たくさんの人の中に入っていも、
    何だか独りだと感じてしまう私だった。
    どうしてこう私は独りなのかと、考えてしまった。

    寂しいけれど、独りだなぁ。
    それは、私が我がままのせいなのだろうか・・・。
    この孤独、なかなか癒す術はないのだ。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年08月27日 06時20分54秒

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    下山する道

    あの異常な蒸し暑さがなくなったような気がする。
    朝、やっと涼しいと感じられた。
    夜中にクーラーを消し、少々汗ばみながらもぐっすりと寝られた。
    季節は、それなりに移っているのだろう。

    明日で私は53歳になる。
    この私がである。
    私の人生の季節も日々移ろっていたのは、ごくごく自然な事実なのだ。
    「人生は、一回しかないんだなぁ」と、最近つくづく感じでいる。
    「終わり」を想うことで、「いかに生きたらよいのか」を考える。
    「これからは自分のことだはなく、人のために生きられたら」
    そう想いながらも、我執の中に生きる自分を想う。

    「明日は、誰にも分からない」
    こうしてある日を境にして、家族の状況が一変した我が家を想うと、
    その不確実な、不条理が、やっぱり人生なのだと想っている。
    あの宣告がなかったら。あの癌が発生していなかったら。
    でも、今は発見され、宣告され、その後の今を家族はそれぞれの立場で生きている。

    山仲間のNさんから電話があった。
    心配してくれていた。人生の先輩のアドバイスはありがたかった。
    まず、長男としての私がしっかりとすることなのだ。
    そして、希望を失わず、回復を祈り続けることなのだ。
    実際に手術してみなければ、その状況は分からないからだ。

    「今日、今、ここ」を大切にしよう。
    思い煩いで、私は心の病になってしまった経験を持っている。
    「未だ至らない現実を」勝手に「ああーだ。こうだ。」と予測して、
    最悪のことだけを考え、自分を追い詰めていた。
    これからは、Nさんにもっと心の想いを聴いてもらえばいいのだと思った。

    さて、同じ季節の移ろいが、成長の場合も、停滞の場合も、衰退の場合もあるのだ。
    しかし、停滞の中でも成長の芽と可能性をはらみ、
    衰退の季節であろうとも、日々の新鮮な気付きや発見は忘れずにいたい。
    私自身、峠を下ってから久しい旅である。
    欲は少なくなり、里が近くなった気がする。
    その分、少しは人の役に立ち、人には親切にして生きたいものだと想っている。
    その私が降りる山道のずっとずっと先を、母は歩いていたのだ。

    親は、尊いものだ。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年08月26日 18時00分32秒

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    サンマの刺身

    母のことが気になってしかたない。
    どんな気持ちで日中生活しているのだろうか。
    昨日、医師から渡された手術の承認書にペンで名前を書く時、
    母は、手が震えてなかなか書けなかった。
    私も妹も、その横で固まっていた。

    昨年、救急車で運ばれた時に、胃カメラで検査すればよかった。
    悔やんでもそれは後の祭りである。
    何でもそうだと思う。
    予兆はあっても、とかく人間は見過ごしてしまうのだ。

    子どもたちには、ちらっと話した。
    話すと私が泣いてしまう。
    だから、長男は事の重大さを察してくれた。
    さて、一番切なく、悲しいのは本人なのだ。
    一縷の望みをもち、手術に期待する。
    もし、私が母の立場だったらどうだろうか。
    きっといろいろなことを悩み、思い煩い、何も手がつかぬことだろう。
    私は、弱い人間だ。

    しかし、母は、気丈にも父の面倒を見て、
    私たちのために夕飯を用意してくれる。
    その台所に立つ母の後ろ姿が尊く感じられる。

    私のドックの診断書が一カ月かかって本日届いた。
    私の大学時代の成績のように、Aは少なく、CやDやGまであった。
    基準値を超えた数値は赤く染まり、
    一目でメタボであることがよく分かった。
    尿酸値 要治療。コレステロール 要精査。 
    肝機能障害と140代の血圧と血糖値の上昇は、
    私こそ、心筋梗塞・脳卒中の予備軍だった。

    「血圧は、こんなに高くなかったんですよ」と愚痴を言うと、
    「動脈硬化の進行は、年と共に進みますよ」とのこと。
    この私の体の予兆を、今どのように解決するか。
    私のような弱い人間は、健康であるべきなのだ。
    私には、母のように腹を切る勇気と覚悟はないのだから・・・。

    今日も母が台所に居た。
    私のために、サンマの刺身を作ってくれた。
    小骨があって大変だったろうに、私に食べさせたい一心からサンマをおろした。
    こういう親に私もなりたい。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年08月25日 11時27分15秒

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    辛いなぁ

    医師から伝えられた事実は、過酷なものだった。
    まず心臓の担当医師から、「悪性」であることを告げられた。
    次に、外科担当に医師から、手術についての説明があった。
    一縷の望みが私にはあった。「良性」ならば、「早期」ならば。
    しかし、胃の写真を見せられた時、その大きさに驚いた。
    この大きさでも自覚症状はないのだそうだ。
    「この二つが悪性で・・・。つながっていないといいのです・・・。」
    「胃の周りのリンパにも変化がありますね。」
    「手術することを勧めます。とこの病院で手術するかは、ご家族でご相談ください。」
    「大腸も念のため調べる必要があります。」
    「手術は、一ヶ月後です。胃の三分の二を摘出します。」
    それだけである。医師は、その他には何も患者と家族には言えないのだ。

    あの妻からの一本の電話で、人生が一変した。
    まさか、母がそうなるとは予想すらしていなかったのだ。
    昨年は、胃のレントゲンすら撮っていなかったそうだ。
    急に胃の具合が悪く、救急車で病院へ行ったこともあった。
    その時は、神経性のものだと言われた。
    その時に胃カメラでも飲んでいたら・・・。
    さて、私は医師からの説明を受けながら、真っ白になってしまった。
    「何か聴きたいことはありますか」と言われても、
    話すことすらできないのだ。

    痩せて、小さくなった母がいた。
    「先生にお願いしますて。」と覚悟を決めた母の言葉だ。
    迷わず、ぶれずに、治療に専念する道を選んだ。
    時間は、どれくらいあるのだろうか。
    それは誰にも分からないのだ。

    叔母たちの家へ報告に行った。
    叔母の一人も胃に影があるから、内視鏡での手術を勧められている。
    みな独り暮らしのため、近所に暮らす私が頼りだと言う。
    順番なのだ。
    叔母が泣いたら、私も泣けて来て仕方なかった。
    さてさて、これからだ。
    これからは、母のためにできるだけのことはするつもりだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年08月25日 08時03分43秒

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    終わりは、始まりだ

    この連日の猛暑のせいで走る気力を失っている。
    私にとってはハードルがあまりにも高すぎた。
    この体重に、このトレーニングでは、無謀だと思われる。
    走り込まねばならない時に、こうしてトレーニングをさぼっている。
    さてさて、どうしたものかと考えている。

    これから病院へ母と行く。
    医師からの手術の説明を聴くためだ。
    病状らついてと、術後についての話である。
    どんなことが語られるのか、それは切ないことである。
    母は、覚悟を決めていた。
    父は、おろおろと心配するばかりである。
    「俺も行こうか」とは言うが、父には無理だと思った。

    何とかするのは自分なのだ。
    私の山仲間のKさんのお宅に行った。
    股関節に人工骨を入れる大手術をして退院したばかりだった。
    左足は、多少引きずっていたが、元気そうだった。
    コーヒーを炒れてもらい、しばらく話した。
    山は、すっかり引退したそうだ。
    百名山を登り切った人だった。
    今年の7月の登山が最後の登山だったと言っていた。
    人は、こういう日がいつか来るのである。

    昨日、15年前に植えた樹木に会いに行った。
    本当に久しぶりの再会だった。
    グラウンドの遠くから見ても、立派な森になっていた。
    クヌギ・コナラと、ドングリの木だ。
    細長い葉を青々と茂らせ、元気に育っていた。
    幹の太さに逞しさを感じた。
    しっかりと根を張って生きていてくれた。

    私は、その森と池を見ながら、しばしの間佇んだ。
    40代の若さだった。
    地域の人たちと連携して5年間かけて作ったビオトープだった。
    「若かったなぁ」「楽しかったなぁ」
    そんな想いが残る場所を持てたことの幸せをかみしめた。
    この森と同じように、子どもたちはすっかりと大人になっていることだろう。
    クヌギは、己の中にある古い命を捨て、新しい命を生み、命をつないで生き続けている。
    あれから十何回も古い葉を枯らし、ドングリの実をつけ、冬の厳しい風雪に耐えたことだろう。
    そして、春を感ずると新芽をふいたことだろう。

    自然とは、変遷しながら成長するものである。
    人も、老いはあるが、変遷しながら成長するものでありたいと心から願っている。
    私も、母も、Kさんも、ある意味古き自分を捨てるのである。
    変遷は誰にも止められない。
    それは、自然の摂理なのだから。
    ならば、このコナラやクヌギたちのように、新たな芽を出すことを信じたい。

    次の命をどう紡ぎだすか。その知恵と努力こそが、命をつなげる力なのだ。
    自然に学ぶと、大切な知恵を得ることができる。
    「終わりは、始まりだ」

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  • from: クマさんさん

    2010年08月24日 18時02分30秒

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    説明しようのないことは、説明できないのだ

    命のつながりを考える旅をした。
    バスセンターから十日町行きの高速バスに乗った。
    小千谷が目的地だ。バスの旅は快適なことを改めて知った。
    バス停では、我が師Sさんが軽自動車と共にお迎えだった。
    ここから山本山の近くの峠を越えて十日町までの旅となる。

    語ることは、森のことだった。
    Sさんが「気付き」「発見」したことは、伝えるべき大切なことだった。
    しかし、それをどう言葉で表現したらよいのか迷っていた。
    言葉に置き換えてみると、そうではないように思えてしまう。
    言葉は感性を表現するには、稚拙でゃっかいな道具なのかもしれない。
    命のつながりを想い、そのことを追究すると、
    人間と自然の話に行きついてしまうのだ。

    由屋でへぎ蕎麦を食べた。
    ここで初めてKさんと出会えた。
    私と同じ年。自宅の庭に自分で森を作っている人だ。
    中学校の教員を退職してから、
    フリースクールで不登校や引きこもりの子どもたちを教えている。
    由屋から見える所に自宅がある。
    彼は、Sさんが校長で森作りに取り組んだ時、中心となって活躍した人だと聞いた。
    私はこの由屋のへぎ蕎麦は日本一だと思っている。
    その蕎麦を食べながら、命のつながりの話になった。
    それは、人が生きていくために足場とすべき哲学なのである。

    Sさんが、ある若い女性のインタープリターの話をしてくれた。
    山の気を感じ、そのエネルギーを自分の中に入れ、霊気としている人なのだそうだ。
    自然からパワーをもらう。
    山に登っていた私には、彼女が言うことがよく分かる気がする。
    大自然と向き合うことで、初めて分かることがあるのだ。
    「その時、人は黙ればいいのです。」と彼女は語ったそうだ。
    「感ずること」それは、「語ること」より大事なことだ。
    「黙って、感ずる」そんな時間が、私たちの日常から消えている。

    Kさんから教えてもらったことがある。
    「この自然にとって人間は存在してはいけない生き物ですよね。
    そんな人間が生きている意味とは、自然にとっては何なのでしょう」と私が問うと、
    「自然を賛美するために人は生きていると、ある絵本作家が言っていましたよ」と言う。
    うーーーん。私は、その言葉に唸ってしまった。
    「自然を賛美し、祈り、崇拝するために人間は存在しているのだ。」
    それは、命のつながりの中での人間が果たすべき使命なのだ。
    賛美するために、音楽が生まれ、踊りが生まれ、歌が生まれ、言葉が生まれた。
    そう考えると、言葉に神が宿る「言霊」という言い方がよく分かる気がした。

    この大自然が沈黙を通して語る言葉を理解し、
    言霊をもって翻訳し、伝えることが表現者としての人の役割だったのか。
    縄文時代の人たちは、火焔式土器の中にその言霊を込めたのかもしれない。
    太鼓や笛の音、唸り声やささやき声に、その言霊を込めたのかもしれない。
    「感じて」「魂が動かされたから」「表現したくなった」のである。
    自然の巫女であればよい。

    さて、さて、命のつながりの旅は、次に私たちをブナ林に誘ってくれた。
    38度の気温であったそうだ。
    しかし、林の中に入ると、清清とした息吹に包まれた。
    音はなく、ただ黙ってブナたちはそこに立ち、訪れた私たちを見つめてくれた。
    ここにも感ずるものがあるが、それは言葉では表現できない何かであった。
    私が生まれる前からここに立ち、私が死んだ後もここに居る。
    私は、そんな沈黙する樹木たちを見ると、何だか禅の坊さんのように思えて、
    その幹に触り、語りかけたくなってしまう。

    「私の命は、太古から一度も途切れていません。」
    「食べることで、他の命を己が命として取りこみ、つながって行くのです。」
    「命と言う存在は、宇宙とのつながりの中で生かされているのですね。」
    「基を辿れば、みな同じなんです。」
    結局、禅問答のような言葉だけが残された。

    言葉では表せないものが、大切なものなのだ。
    語ることより、感ずることが大切なのだ。
    その存在を信じ、伝えることが、私たちの使命なのだ。
    それを教育の現場で実現し、子どもたちに伝えたい。

    そんな新たな情熱を受け継いで、私の命のつながりの旅は終えた。

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  • from: クマさんさん

    2010年08月23日 08時37分11秒

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    知らないということは・・・

    知らないと言うことは、幸せなことなのかもしれない。
    母の病状についての医師の宣告は、水曜日だ。
    妹にも一緒に病院に行ってもらう。
    今日は月曜日だから、私たちは本当の事実を知らない。
    母は、いつものように孫たちに朝食を食べさせてくれている。

    土曜日の夜、禅宗の和尚様とお話しする機会があった。
    午後から、四苦八苦についての法話を聴き、プチ座禅会があった後だ。
    和尚様と隣り合わせになったので、良寛さんの話をした。
    「もし、この世の中に良寛さんが生きていたら、
    みんなは良寛さんをどう思うでしょうね。」という話である。
    寺を持たず、説法もせず、毎日町の角かどに立って乞食をしている。
    破れ衣を来て、ぼろぼろの笠を被り、托鉢をしている。
    ちょうど私の年齢が、良寛さんの五合庵の時代である。
    いい大人が、仕事もなく、神社の境内で子どもたちを集めて遊んでいる。
    そんな良寛さんの姿を見て、人はありがたいと敬うだろうか。

    「そんな生き方をしただけの良寛さんが、何故この現代にこんなに懐かしく感じられるのだろうか。」
    それが、次の問いだった。
    玉島の円通寺の国選和尚は、良寛さんに悟りの証明書を与えた。
    その中に書かれた言葉「大愚」のまま、良寛さんは行雲流水で生きた人だ。
    「愚かさ」「弱さ」「貧しさ」それが彼であった。
    しかし、人が人としてつながれるのは、ここなのだとも私はいつも想っている。
    「愚か」だから、自分のことを忘れてでも人を助けようとする。
    「弱さ」を感じているから、弱い人の気持ちが分かり、見過ごすことができない。
    「貧しい」から、貧しさから来る孤独や悲しみを人一倍よく分かる。
    つまり、「愚かさ」「弱さ」「貧しさ」を知っている人は、
    どんな人の苦労や悲しみ、孤独、辛さを「分かり」、
    我事のようにして共感し、同情できる優しい人なのだ。

    病気になった人でなくては、病気になった人の本当の悲しみ、辛さは「分からぬ」のである。
    良寛さんは、その人の話を黙って聴いてくれた。
    何も言わなくとも、その人の「生きている」悲しさ、辛さを直感し、涙を流した。
    「もの」を与えることができないが、「こころ」を伝えようと努力した。
    自分はいらない。辛いその人との御同行である。

    地位も名誉も財産も業績も何もない。(文人としての良寛は偉大であるが)
    競争の中で勝ち残ると言うことは、多くの人を犠牲にするということで、
    勝ったとはいえ、いつ自分が捨てられる身になるか分からない世の中だ。
    こんな世の中を作るために、学校は子どもたちを教育しているのであろうか。
    学力向上の名のもとに、自分だけよければいいという子どもを育てる。
    平均点と言う数字で、教師たちも一喜一憂している。
    そして、そんな教育を受けた子どもたちが作る十年後の社会は、
    もっと今よりも、人間らしくどんな人でも笑って暮らせる幸福な社会になっているのだろうか。

    こんな格差社会であり、こんな学校教育であるから、
    私は、今こそ「良寛さん」ではないかと思っている。
    時代から「でくのぼう」と呼ばれる生き方。
    本当は、その生き方の真実を子どもたちにこそ伝えなければならないのではないだろうか。

    そんな話を和尚さんと飲みながら語り合っていた。
    仏教が伝える真実の教えも、その教えを守り生涯「無欲」で生きた良寛さんのことも、
    人は、知らないのだ。知らないから、我儘に生きられるのである。
    「全人的な人間教育」=「人権・同和教育」こそ、今の教育には求められているのだ。

    知らないと言うことは、不幸なことであるかもしれない。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年08月22日 23時06分27秒

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    ああ、悲し

    何だか、生活リズムがでたらめになっている。
    朝、この掲示板を書けなくなったのは、そんな訳からだった。
    前日、下町で飲んでいた。
    楽しい企画を実現し、その人たちとの飲み会だった。
    この仕事、あちらこちらに知り合いが出来て、ネットワークが開かれる。
    それが嬉しいクマである。
    お化け屋敷を企画して、子どもたちを泣かしたり、怖がらせたりしたのはいいが、
    閉じられた部屋で、お化け役は熱中症ぎりぎりだった。
    お化け同士が安否を確認しながらの、お化け屋敷だった。
    「面白かったなぁ」とお化けの親父と、母ちゃんは思っていた。
    「また、やろて」「次はもっと怖がらせよて」こんな会話は、
    かっての「やろう会」でよくしたものだった。

    さて、次男の勉強に付き合っている内に、私は大変なことをしてしまった。
    本日古町で我がディーバyuccaさんのコンサートだったのだ。
    メモや、カレンダーにいつもは書き込むのに、
    今回は・・・。あーーーーーっなのだ。
    夕方はたと気づいてしまった。
    私は、一体何をしていたのだろうか。
    長者様に電話をしたら、yuccaさんとスタッフとファンが、マキでお茶したそうだ。
    それを聴いて、もっともっとあーーーーーっであった。

    私は、その頃40キロの自転車の旅に出ていたのである。
    我が歌姫が古町で歌っていた頃、炎天下の中で自転車をこぎ、
    新潟大学まで向かっていたのだ。
    フルマラソンのコースをたどる。
    あほな男だとつくづく思った。
    新大からの折り返し、小針浜を過ぎたあたりから、辛いものがあった。
    その頃、みんなは、マキで歌姫と楽しく語らっていたのだ。

    どうしてこんなに馬鹿なのか・・・。
    つくづくそんな愚かな自分が情けなく感じた。
    会いたかったよ。yuccaさん。
    歌、聴きたかったよ。yuccaさん。
    しかし、これも生活の乱れのせいなのだと自分を慰めている。

    実は、全く違う話で申し訳ないが、
    脳死での生体移植が今日行われたというニュースがあった。
    本人の同意ではなく、家族の同意で行われたとコーディネーターの女性が話していた。
    その臓器により、5人の人の命が救われるのだそうだ。
    私はその意志を伝えるカードを持っている。
    昔のカードだから、色は黄色だが、
    私の財布のカード入れの一番上に見えるように入れてある。
    せめて、死んでから人の役に立ちたいものだと、ある日自分で勝手に書いた。

    そのことを妻には内緒にしていたのだが、
    三週続けたこのニュースのおかげで、カミングアウトができた。
    「俺も、カードもっているから」「脳死で、お願いします」
    妻は、とてもとても躊躇していた。
    でも、これは私の意志なのだ。
    脳死で、あっちの世界に行かせてください。
    日本で3例の脳死判定により、15名近くのドナーのための手術が行われた。
    それは、命にとっては画期的な出来事なのだ。
    「死んでも、誰かの命として生きる」
    何も役に立たない人間として、せめて死ぬ時にそんなことができたなら、
    子どもたちも何かを感じてくれるだろう・・・。

    お父さんのぼろぼろの臓器は、役に立たないかもよ。
    そのためにも、節制すべきなのかと、へんな納得をしている私であった。
    それにしても、yuccaさんのコンサート、悔しいのだ。
    今日の替わりはどこにもないのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年08月20日 08時37分36秒

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    居酒屋公民館1

    朝、起きられなくなった。
    体調もよくない。
    気分も何だか辛いものを感じている。
    昨日走ったら、満足に完走できなかった。
    タイムは絶不調である。
    何から何まで・・・。こんな時は誰にでもあるだろう。

    居酒屋公民館の夢について考えている。
    日本で唯一ここだけのオンリーワンの公民館。
    それは新しい発想だけでなく、
    これからのまちづくりにはぜひものの発想だと思っている。

    ある劇団関係者が言っていた。
    ステージを貸すことを行政は商売にしているが、
    ステージをいかに市民に活用してもらい、
    表現の喜びや、交流の場とすることを考えることこそ、
    ステージを運営することではないかということだった。
    つまり、貸すことが目的ではなく、活性化させ交流することが目的なのだ。
    そのためには、借りる側のニーズを把握し、
    活用しやすいシステムや料金設定が求められるのだ。

    やはり箱ものに命を吹き込むのは、人間なのである。
    運営する側は、いかにたくさんの人たちから利用され、
    活用されることで、新たな動きやネットワークが生まれるか、
    絶えず考え、コーディネートすることが大切なのだと私は思う。

    カウンターは、言ってみれば酔っ払いたちのステージである。
    そこにはいろいろな年齢・職業・役職・立場の人たちがいる。
    それぞれが自分なりの物語を持ち、人生で学んだ台詞を持っている。
    それを心に仕舞っておくだけでなく、
    時にはこうしたステージで披露したくもなるものだ。
    その観客は、カウンターの向こうの親父であったり、
    隣同士で座っている酔客であったりする。

    つながれるのは。「成功話」や「自慢話」ではけっしてなかった。
    「辛さ」「弱さ」「悲しさ」「孤独さ」である。
    「仕事の悩み」「人間関係の悩み」「子どもの悩み」等等でもある。
    あとは、「冗談」と「笑い」。そして、「夢」かな。
    そんな人間らしい物語が自由に語られ、
    聴く人たちは親身になって傾聴し、けっしてその物語を否定しない。
    語った人は、自分の話を聴いてもらえた感動を味わい。
    聴いた人たちは、その物語から何かを感じ、何かを学ぶ。

    居酒屋公民館とは、そんなステージが繰り広げられる場でもあるのだ。
    かって「山小屋」という劇場があったが、今は駐車場となっている。
    今は、山の下市場に「なじら屋」という劇場ができ、
    地域のいろいろな役者たちが集まり始めている。

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