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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2017年03月31日 11時02分15秒

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    うつろうもの のこるもの

    「うつろうもの のこるもの」
    この本を前から読みたかった。
    昨日、偶然絵屋でこの本と出会った。
    「あっ、この本だ」と、思い、直ぐに買った。

    今朝、一気に一冊読み切った。
    何とも言えぬ至福の時だった。
    私が、ずっとずっと生きて来たことは、
    このことを物語として語り継ぐためだったのではないかと、
    そう感じた。

    この左足の痛みと痺れとは、なくならないのかも知れない。
    今朝も痛むので座薬を入れた。
    それはそうなんだが、私が私として語らねばならないことは、
    やっぱりどこかにきっとあるのだと、そう感じた。

    角海浜の集落は消えてしまった。
    しかし、そこで欲をもたず、日々を生きて来た人たちのその姿と想い。
    それは、「阿賀に生きる」の人たちの生きると想いにそっくりだった。
    それは、何か私たちの原風景であり、心の原点であったかもしれない。

    きっとそれさえあったなら、何となく幸せに生きていける何か何だろう。
    私は、私の祖母の時代や、叔母たちがまだ若かった時代に、
    その空気を感じて育ってきた。
    そんなにも大切なものとは感ぜず、ただありきたりの凡庸なる日々だった。
    私は、その貧しさの中でわいわいと賑やかに育てられた。
    今、想えばそれはとてもとても貴重な体験だった。

    それを、そのことを体感している私は、
    そのことを、受け継いで、語り継いでいくことが大事なのではないのかと、
    この本を読んで、感じた。

    あのじっちゃんや、ばっちゃんの物語。
    そこて語られる言葉は、深く深く聴く者に気付きを与える。
    そんな言葉を、私は発見して、ここに記す使命があるのではないだろうか。

    過去と未来との間(あわい)とを私たちは生きている。と書かれてあった。

    いつでも私は、間を生きているのではないだろうか。
    それは、過去でも未来でもない、今、ここ、うつりゆくもの。
    でも、そんなうつりゆくものだらけのこの人生の中でも、
    ずっとずっと昔の昔から、のこるものは、確かにあるはずだ。

    その「のこるもの」こそ、語り継ぐべき物語だった。

    やっと書くことの意味を知らされた気がする。

    のこるものたは何か。

    それをのこせる人ににりたいものだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月31日 07時09分59秒

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    幸せを味わうということは

    今日で、3月が終わる。
    今年度の最後の日である。
    ということは、明日からいよいよ新年度のスタートだ。

    3月の1カ月間、全くの寝たきり状態だった。
    それも激烈な神経痛で、呻き、叫び、座薬を入れて耐えた日々だ。
    誰がこんなになろうと考えただろうか。
    あらゆることは、いつも想定外の出来事だ。
    思い通りにいかないことが、人生なんだ。
    改めて、その非情さ、無情さを実感することができた。

    だからと言って、ただ天井を見上げて嘆いていては、
    きっと辛く、どうにもならない暗い日々の連続となってしまったと思う。
    大事なことは、そうした状況に置かれてしまった時、
    どう気持ちを切り替えて生きて行くかということだった。

    幸せは、味わうもの。
    幸せは、発見するもの。

    この言葉は、真実の言葉だった。
    動けない。
    トイレすら四つん這いに行き、便器に座るだけで激痛で呻く。
    さてさて、そんな状況の中で、
    何をどう考えたらいいのかだった。
    「悩むな。考えろ」と、池田さんには教えられている。
    だから、嘆く時間は無駄な時間として、
    今、ここ、で出来ることだけを考え、それを実行する日々だった。

    寝たきりでもできること。

    本を読むこと。
    言葉を紙に書き写すこと。
    聖書を読むこと。
    祈ること。
    思索すること。
    独りで呟き、語ること。
    音楽を聴くこと。
    FMのラジオ深夜便を聴くこと。
    テレビを観ること。
    電話すること。
    メールすること。
    食べること。
    感謝すること。
    座薬を入れること。薬を飲むこと。
    治ったら何をしようかと、想像すること。

    たった布団の周りだけの世界なのだが、
    こうしてじっとしていることの充実感と幸せ感でもあったようだ。

    独りで居られることは、大事な幸せへの道だった。
    身体が不自由で、想うように動かせなくても、
    その置かれている場所で、どう幸せを発見し、幸せを味わうか。
    仕事はもちろん大事なことである。
    しかし、病からどうしてもその仕事を休まねばならなくなった時、
    置かれた場所で、じっとしながら、自分で味わうものがあるかどうか。

    つまり、どんな状況になったとしても、
    平常心でいられるかどうかのテストでもあったようだ。
    それってとても大事なことだったんだと、
    この自宅療養で私は改めて想うことができた。

    今年の8月28日で60歳になる。
    そして、来年の3月31日で定年退職だ。
    明日からは、退職に向けた最後の1年間が始まる。
    この1年間を全うし、無事に生き延びることを祈っている。
    日々の過ぎ去る時間を味わいながら、
    幸せを感じながら、小さな歩みを一歩一歩していきたいものだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月30日 15時45分27秒

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    実感だなぁ

    身体で感じたことは、真実だ。
    それは、実感として獲得されたことだからだ。

    こうして坐骨神経痛の痛みで苦しんでいる間に、
    私なりに学んだことがあった。
    それは、彼も、彼女も私なんだと言える人が増えたということだった。

    以前、ジョギングをしていた時、
    60代前半の男性が、リハビリの為に歩いていた姿とよく出会った。
    脳梗塞の後遺症だろうか、左半身が麻痺しているようだった。
    左足をずるっと引きずり、ゆっくり歩いていた。
    私は、その人の横を走ってすれ違うことが何だか申し訳なさを感じた。
    「がんばってください」と、声には出さないが応援をしていた。
    その時、私は、きっとその人にはなれなかったはずだ。

    しかし、今は、きっとその人は、私なんだと想われる気がする。
    今も杖をついて痛い足を庇いながら歩いて来た。
    左足を着くたびに痛みが走る。
    それでも、やっぱり前に進むためには、両足を一歩一歩進める。
    なかなか目的地にはたどり着かない。
    そのもどかしさと、不自由さとが、私だった。
    今度、きっと彼に出会ったら、私の想いは以前とは異なっていると思う。

    大病をした人たちに対してもそうだった。
    その話を聴いても、きっと「お大事にしてください」とだけ言ったと思う。
    いくら想像力を働かせても、
    寝たきりで何カ月も闘病した人の気持ちはきっとわからなかったと思う。
    しかし、今なら、「ああ、あの時の私と同じだ」と、
    「大変でしたね。私もそうでしたよ」と、共感し、実感することができる。
    人は、やっぱり経験したことしか実感として分からないものだ。

    Sさんと電話で話した。
    「何だか60代や70代の人たちと話していると、感ずることがあるんですよね」と。
    それは、「私も大病しましてね」だとか、「私も最愛の人を亡くしましてね」だとか、
    「足が不自由で難儀してますて」だとか、「手術して大変でしたて」だとか。
    何だか、そうした艱難辛苦・哀しみ・辛さを経験した人は、
    奥が深くて、人間としても大きな人に感じられるということだった。

    そして、そういう人は、いかにもという感じて謙虚に生きている。
    「俺が、俺が」と威張っている人ではなく、何だか奥ゆかしく、
    いつも何かに感謝しながら生きているような気がする。
    5回の手術から生還した上越の85歳のKさんのように、
    何だかとても達観しているような安心感を感じさせる人が多いのだ。
    それは、自分も命拾いしたからだけでなく、
    同じ想いにある人たちへの深い深い共感と同情に満ちているからだった。

    「私は、後は、癌だけですて」と、Sさんには笑って言ったが、
    本当にこの世の難儀のいろいろなケースを経験して、
    「ああ、私もそうでしたよ」と、言ってやれる私になったような気がしている。

    「クマさん、これからが楽しみらね」と、Sさんは笑っていた。
    私も、そう考えれば、この坐骨神経痛にも意味が在ると想った。
    腰を痛めた人や、坐骨神経痛になった人とは、話ができるからだった。
    「分かる、分かる、その痛み。」
    「腰には、枕を低くしたほうがいいですよ。」
    自分の経験から、実感で相手に伝える言葉がある。
    それは、みんな身体で感じた言葉ばかりだった。
    そして、その言葉は、リアルであり、しっかりと相手に伝わる言葉だった。

    艱難辛苦しか、この世にはないのだろう。
    まず、その最中に陥ってしまったら仕方ない。
    激しい痛みと孤独とに絶対に向き合わねばならないだろう。
    しかし、何時までもマックスの痛みや孤独ではなく、
    長い時間によって、いつしか波が引くように、静かな時を迎えることになる。
    「殺してくれ」と言って転げまわっていた私も、
    こうして椅子に座ってキーを打っている。

    そして、その時だ。
    「私もそうでしたよ」と、やっと人に言ってやれるのは。
    彼も、彼女も、私だった。
    そうやって、私である人たちがまたこの娑婆で増えたような気がする。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月30日 07時33分18秒

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    痛みは、感謝なんだ

    足の痺れと痛みとが続く。
    身体は、身体の想いで動く。
    私の想いとは関係なく、そのことは非情なことだった。
    一週間~10日ぐらいで何とかなるだろうと想っていた。
    症状は人それぞれで、治る期間も人それぞれと聴いていた。
    大事故でこんなになったわけでもない。
    ただ、疲労骨折のようなものだからと、少し甘く見ていたようだった。

    治らない。痛みが続く。歩けない。不自由である。
    さすがに、昨日は気持ちが沈んだ。怒りも湧いた。
    苛々として心が穏やかでいられなかった。
    こんな時は、何だか哀しく、何も考えられなくなってしまう。

    悩んだところで、嘆いたところで、何も好転はしなかった。
    分かっているのだが、余りの理不尽に怒りも生まれる。
    「もう、いいでしょう」
    「いつまでこんな状況で苦しませるのですか」とは、
    一体誰に言っている言葉なのか。

    自分の力ではどうにもならないことがある。
    どんなに想ったところで、思い通りにはならないことがある。
    そんな当たり前のことを、はっきりと病は私に分からせてくれる。
    とにかく、自然の治癒力にこの身体を委ねるしかないんだ。

    それから、嘆くよりか、考えろということだろう。
    悩むよりか、身体を動かせということでもあるかもだ。
    嘆く時間。悩む時間は、全く無駄で、精神にはかえって害になる時間だ。
    嘆いたところで、悩んだところで、
    この痛みと痺れとは、消えることはない。
    どんなに悪態をつき、怒鳴ったところで、
    この痛みは何も変わらず、この足首に居座り、痛めつける。

    だから、そのことを否定するのではなく、共存することだ。
    拒否するから腹が立つのだから、それを当たり前とすることだ。
    「痛い」は、当たり前。
    「痺れる」は、当たり前。
    「歩けない」は、当たり前。
    そこに居座り、それを見つめ、それを「しゃないなぁ」と諦める。

    「ああ、痛いんだなぁ」と、痛みに話しかける。
    「ここが痛むんだね」と、痺れる部分を自分でマッサージする。
    「足の着き方を工夫しよう」と、杖を着くタイミングを工夫する。
    「分かった、分かった」と、痛むときは布団の中で身体を休める。
    それは、身体との対話でもあった。

    身体を叱ってはいけない。
    身体に向かって怒鳴ってもいけない。
    身体は、私の身体としての使命を全うしようと懸命だからだ。
    治ろうとしているのは、身体だった。
    痛みとは、その治るための予兆でもあるのかも知れない。
    確かに、その痛みの頻度・重さ・大きさ・質量そのものが変化している。
    あの激烈なる足首がちぎれるような痛みは、今はない。

    ただ、そう言っても。
    歩けない。座ると痺れる。突然激しい痛みに襲われる。
    日常生活ができなくなった。出かけられない。引きこもりから脱出できない。
    そんな現実は、現実として、私の心を重く・暗く・孤独にする。
    でも、建築家の安藤忠雄氏が語っていた。
    彼は、2度の癌の手術で5つの臓器を摘出している。
    「膵臓をとっても生きている人はいるのですか」と医師に聴いたら、
    「あなたがそうやっても元気で生きる人になってください」と医師に言われたと言う。

    「しゃないなぁ」と、毎日5回の血糖値の検査をして、3回のインシュリン注射。
    それでも、嘆きもせず。怒りもせず。恨みもせずに、生きている。
    世界的な建築家として、今日も新たな挑戦を74歳で行っている。
    そうやって生きている人こそが、私たちにとっては励みとなる人だった。
    その試練の中でも人間らしく、平常心で生きているその姿が、
    私たちにとっては、とてもとても大事な姿なんだと、私には感じられた。

    彼が言っていた。
    「休むということを、私は人生の中でしていなかったことに気付きました」と。
    「働く、働く、また、働く。仕事、仕事、また、仕事」
    そんな我武者羅な仕事一筋の生活には、
    休むということは何か怠けであり、してはいけないような気持ちになってしまう。

    そんな生活の内に、身体の方か悲鳴を上げて、無理な生活をストップさせる。
    それは、その人を生かすためであった。
    私の腹膜炎・椎間板ヘルニア、彼の癌も然りだった。
    自浄作用とでも言うのだろうか、
    身体にはそんなセンサーが付いていて、
    それ以上すると自滅する段階で、ストップがかかり、病に到る。
    身体は、身体として、延命のためのプログラムは既に組み込まれているのだ。

    そして、手術の後の長期の療養生活に入った。
    そこで、彼は、休むことの大切さに初めて気付いた。私もそうだった。
    「本を読んだり、独りで考えたり、何かに気付いたり」と、
    自分と向き合うことで、そんな時間は自分にはこれまで全くなかったことに気付いた。
    そして、そんな孤独な時間がどれだけ生きるのには大事な時間だとも悟った。
    私もそうだった。

    少なくとも、この痛みのおかげで、私は安藤氏とつながった気がした。
    「そうですよね。私もそうでした」と。
    これは、わざわざ言わなくても、分かり合えることでもあった。

    不思議なことだが、もし、私が嘆き、苦しみ、怒り、憎んでいたら、
    この時間をそうした魂の休息と気付きの時間とすることはできなかったと思う。
    そう考えたら、この痛みには感謝なんだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月28日 17時48分14秒

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    二人が話していたことは

    足の痛みが少なくなったので、庭に出てみた。
    そうだよな。
    みんな冬の雪の中でも、こうやって生きて来たんだなぁと、
    何とも雑然とした庭の草たちだが、
    それは、それなりに、いいもんだと思えていた。

    白菜は巻かずにそのままで、茎を伸ばして花芽をつけている。
    今年の春は、白菜の花を見れそうだ。
    キャベツもそうだ。
    モンシロチョウが卵を産むころは、花を咲かしていることだろう。
    どこから来たのかヒメオドリコソウだった。
    あの紫色の姿で、にょきにょきと踊っている。
    芝生は枯れたような色のままで、その隙間から野草が伸びる、伸びる。
    生きているなぁと、ただ感ずる。

    やっぱり聴くことが先だよね。
    聴かないことには、分からないからね。
    でも、聴けない人が多すぎるんだ。
    人の言う言葉が聴けない、受け付けない、感じられない。
    感じられないから、分からないんだ。
    相手の気持ちを想像する力もないね。

    きっと自分のことだけでいっぱいなんだね。
    自分が考えていることや、自分が思っていることだけで、
    その自分ができているから、がちがちなんだね。
    何を話しても、その人は最初からシャットアウトだね。
    シャッター、ガラガラ。
    可哀想なぐらいに、人の気持ちが分からない、感じられない。
    聴く前と聴いた後は、何も変わらないんだよ。
    「そうだね」って、言ったこと一度もないよ。

    どういんだろうね。
    人の言うことを聴くことが、自分を否定されたようで嫌なんだろうね。
    最初から怒っているんじゃないよ。
    静かに話すんだけど、伝わっていない、聴いてもらえない、
    その内に、だんだん腹が立つから、声が大きくなってしまう。
    すると、その声が大きくなったことだけは感じるんだね。
    攻撃的だ。威張っている。上から目線だ。なんでそんなことが言えるのか。
    どうしてそうなったのかは、感じられないんだな。

    でもね。話がしたいだけだったんだよ。
    ただ、つまらない話でも「そうだね、大変だったね」と、
    そんなことを言ってもらって、受け止めて欲しかっただけなんだよ。
    でも、そんなことが無理なことは、哀しいけれどよくよく分かっている。

    だって、聴いてくれないもの。
    相手の気持ちを感じてくれないもの。
    相手がどんな気持ちなのか想像できないんだもん。
    自分だけ。
    0か1のどちらだけ。
    いいか、悪いか、それだけ。
    絶対に自分は正しい。相手は、絶対に正しくはない。

    さてさて、そんな会話がどこからか聴こえて来た。
    そうだね。
    聴くこと。
    感じること。
    想像すること。
    とてもとても大事なことだね。

    こちらが空っぽでなければ、この庭に出て、それでいいんだと肯けないよ。
    あるものは、あるがままにここに在る。
    いいも、悪いも、そんなことどうでもいいことで、
    みんなそれぞれがそれぞれのままに、ここに生きて在る。

    白菜の声がする。
    キャベツの想いを感ずる。
    庭のみんなの物語を想像する。
    これが、実に気持ちよく、すっきりとする。

    なのに、現実の人と人との生活の中では、
    それが無いから、それが乏しいから、
    聴けない、感じられない、想像できない。
    個と個は、孤と孤で、ずっとずっと分かり合えないままでいる。
    どうして、あなたは私だと、一つになれないのだろうか。

    不思議なことだ。
    自分があればあると思い込むだけ、人はどんどん不幸になるもの。
    愛とは、全く正反対のベクトルに向かっている。

    哀しいけれど、自分を捨てない限り、
    自分なんてたいしたことないんだと想わない限り、
    きっとこの庭に満ちている物語を感じられないで死んでいくのだろうなぁ。

    でも、その人は、そんな言葉がこの庭に存在していることなんか知らないし、
    相手がどんな気持ちで哀しみを抱えて生きているのかを知らないし、
    知らないものは、その人の中には絶対に存在しないし、
    そのまんま、今、そこにあるその人のまま、
    きっと人生を終わっても、ああ、よかったと満足して死んでいくのかな。

    聴くこと。
    感じること。
    想像すること。

    そして、自分なんかを空っぽにできること。

    それでないと、絶対に一つにはなれないな。
    それって、とても可哀想なことではないだろうか。

    そんな話をしている二人の人の話を私は聴いていた。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月28日 14時26分10秒

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    私もそうでしたよ

    杖をついて歩けるようになった。
    痛みはまだ足に残っているが、座れるようになった。
    たったさっき、友がぎっくり腰になったとのメールが届いた。

    昨夜、送別会があったので、車で送ってもらって参加した。
    1カ月ぶりの外出だった。
    杖をついて歩く。
    階段はとてもとても難儀なものだと感じた。
    座敷で正座はできなので、椅子を用意してもらいそこに座った。
    御膳は、小さなテーブルの上に乗せてもらった。

    不自由な日常生活を毎日強いられている。
    「不住であっても不幸にはならない」とのヘレンケラーの言葉。
    ただ、この痛みと歩けぬことへのストレスは、
    どうにかしてくれと言いたかった。

    これからどうなるのかは、身体に聴いてくれだった。

    私の生活が一変した。
    怪我や病は、その日から、前日までの生活をすっかり変えるものだ。
    こうして寝たきりの生活から、
    私は、寝たきりの不自由な生活をしているだろう人たちへの、
    同情と共感とをやっと持つことが出来たような気がした。

    脳梗塞等で、突然身体が不自由になり、
    リハビリをしているオールドの人たちに出会うことがあった。
    可哀想になぁ。よくなるといいがなぁと、他人事の感想だった。
    でも、今は、本当にその辛さが私には身に沁みて分かる。

    身体が不自由な人で、もし、家族の居ない独り暮らしだったら、
    どんなにか心細く、寂しく、辛いことだろうとも想像できる。
    買い物へも行けず、料理をすることもできず、インスタントの食品だけ。
    私もカップラーメンのお世話になるが、
    その人たちは、どんな気持ちで日々を暮らしているのだろうか。

    事故の後遺症で半身不随となり、車椅子での生活の人が居る。
    私は二階のこの部屋で暮らし居るが、
    もし、私がそうだったら、どうやって下に下りるのだろう。
    また、外に出るためにも、段差ばかりで、
    自力での移動は全く不可能だ。
    そんなことを想定するだけでも、
    どれだけ生活すること自体が難しいことか、よく分かる。

    痛みは、孤独だ。
    身体の障害は、孤独だ。
    病は、孤独だ。

    しかし、やっとそうした同じ痛みと不自由さの中で生きている、
    その人たちのことが、我がことのようにして感じられるようになる。
    それは、まだ想像上のことでしかないが、
    友からのメールがそうだったように、
    私は、「ぎっくり腰、大変でしたね」とは、前のようには返信できなかった。
    私も布団の中で寝たままで、その痛みと切なさがよくよく感じられるからだった。
    「その痛み、よく分かります。大事、大事にしてください」は、
    何か祈りのような言葉になっていた。
    彼は、私だ。

    そう考えると、こうした痛みと病とは、私を孤独のどん底に落としながらも、
    実は、会ったことのない、でも、同じ痛みと不自由さを感じている人たちと、
    深い深いところでつなげてくれているようにも感じている。

    もし、治って、また歩けるようになったら、
    きっとオールドな皆さんのお宅を訪問し、声をかけるその声が、
    きっと違っていると私は想っている。
    想いしか相手に伝わらないものだ。
    「こんにちは、いかがですか。私もそうでしたよ」と、
    そんな同情と共感とが伝わってくれたら、
    きっとこの痛みと不自由な生活の意味が在るのだと、私は想っている。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月27日 06時43分48秒

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    考えてみよう。

    さてさて、闘病日記も一カ月となっている。
    本当に治りの遅い病だった。
    椎間板が飛び出して、その先が坐骨神経を刺激している。
    痛みは、その刺激によって脳で感じるものでしかない。
    どこも実際には壊れていないし、折れても、外れてもいない。
    その原理の不思議さが、未だに腑に落ちない私だった。

    こうして、自分の足で起き上がり、歩いて、パソコンの所に来れる。
    こうして座っていてもまだまだ左の太ももと足首とに痛みかあるが、
    以前は、まずこの姿勢になれなかったのだから、よくなってきていることを感ずる。
    座った途端に飛び上るような痛みだった。
    それが、こうしてパソコンに向かって座り、キーを打っている。

    二日間、車の運転のトレーニングをした。
    座席に座ると、やはり痛みが電気のように走る。
    ただ、座席の背もたれを倒し、座席を前に出すと少しはよかった。
    15分位が限度なのかもしれないが、車に乗れたことの不思議さだった。

    何年か前に、私と同じ椎間板ヘルニアになった人に話を聴けた。
    その50代の女性は、それはそれは大変だっと話してくれた。
    まず、トイレに行ってから、立ち上がることが出来なかったことや、
    布団の中で寝たきりの生活だっので、
    布団の周りに生活に必要な物を全部置いていたと話してくれた。
    「分かる。分かる」だった。
    彼女は今はすっかり完治して、バーベルを挙げて筋力を鍛えているそうだ。

    あの激烈なる痛みの中では、治ると言うことが信じられなかった。
    一生このまま寝たきりで、この痛みが無くならなかったら、
    私は、どうやって生きていたらよいのかと、闇の中だった。
    娑婆の世界は日に日に暖かく、春に近づく気配なのに、
    私は、この部屋から出られず、ただ1日を天井を見ながら過ごすのみだった。
    話す人もなく。仰向けになったまま本を読み、音楽を聴いた。
    それでも1日は過ぎて行き、1週間はあっと言う間だった。
    仕事もできず、誰の役にも立たず、ただここで苦しみ、呻いている。

    ご飯を四つん這いになって食べ、お風呂にも入れず、髭は伸び放題だった。
    このまま身体が腐敗してしまうのかと、そんな悲惨な生活だった。
    今は、杖をついて歩ける。車に乗って外出もできる。
    ここまで来るのにちょうど1カ月かかっている。
    どれだけの人に迷惑をかけたことだろう。
    どれだけの人たちにお世話になったことだろう。
    そのおかげさまの今の私だ。

    何を言いたいかと言うと、今回のこの激烈な痛みと不自由な生活から、
    私は、いったい何を感じて、何を学んだかということだった。
    すべてのことには意味が在ると、私は想っている。
    そして、こうした大きな患難や試練には、
    必ずそこには大いなる意味が存在していることを、私は信じている。
    だから、その意味を「分かる」ことが大事なんだ。

    その意味を深く想うことで、私は深い存在とつながることができる。
    意味は、その深さから選ばれて、届けられるものだからだ。
    それは、椎間板ヘルニアと言う病であるが、
    その病によって、激烈な痛みと不自由な生活を味わい、
    こうして長い時間を通して、緩やかに身体が回復して行くプロセスを味わい、
    今、ここで、これを書いていること、そのものに、
    きっと何か私の想いを遙かに超えた意味があると、
    私は、想っている。だから、それをこれから考えたい。

    確かに想定外の出来事ばかりだ。
    「私ですか」と、驚きと畏れをもって受け入れざるを得ないことばかりだった。
    でも、私に与えられた宿命には、きっと深い深い意味が在るはずだった。
    その痛みと不自由な生活の中で、感じ続けたことが在る。
    そして、その感じたことを「分かる」ためには、
    それをこうして言葉で確認する作業が、私には必要だった。
    そうでなければ、このことは深い経験に昇華はできない。
    だから、考えことのトレーニングを兼ねて、ここに文章を書いている。

    考える葦であるとは、そういうことではないだろうか。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月26日 10時13分04秒

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    ちょっとの知り合い・グレーゾーンの仲間たち

    語り合える人がいない。
    こうして独りで自宅療養をしていて思ったことだ。
    人と話をする。
    人の居るその場所に居る。
    そんなに深いお付き合いが無くても、何気ない会話ができる。
    それってとても大事なことだったんだと、ふと感じた。

    職場に居れば、それは黙っている方が少ないだろう。
    何だか余計なことや、冗談まで、語っている私だった。
    話をすることが好きだった。
    人付き合いは苦手で、自分からは進んでお付き合いをする方ではない。
    でも、何だか気心が知れたり、話を聴いてくれそうな人のことは感ずる。
    その人に対しては、自由自在に話していることもある。

    松浜の「宮沢賢治を語る会」に入れてもらった。
    何とも大先輩の女性に交じっての、読書会だった。
    そのつど読む童話を決めて、その物語を分担してリーディングする。
    これがとても私には心地よかった。
    人の声には、その人の人生や生き様、性格が現れる。
    声ってとても不思議な存在だった。

    また、ここで独り独りが感想を話されるとき、
    その人の意外な一面に触れることもある。
    70年近くも生きていると、それはそれなりに深いものがある。
    それぞれがそれぞれの家族や職場、地域での激動を乗り越えて来た人だった。
    そうしたいかに生き抜くかの実践的な智慧を身に着けた人たちの集まり。
    その深い人たちが、深い声で、賢治の童話を読んでいる。
    そこには、全くこれまで気付かなかった発見に満ちていた。

    だから、この会の時間は、あっと言う間に過ぎて行く。
    私が全く知らない人たちばかりだった。
    みなさんも、私のことなんぞ全く知らない。
    その知らない者同士が、こうして賢治を語りながら、
    いつの間にか自分自身を語っている。そのことが嬉しいのだった。

    今年で、60歳になるという。
    友達の少ない私。
    年をとればとるほど、何だか話せる人が何人かだけに、限られた。
    妻ともっともっと語ればいいのだが、何せ信頼を失っている私。
    根気強く、愛をもって、こちらには生涯取り組もうとは想っている。

    私が言いたいのは、そうではなくて、
    この一過性のグレーゾーンの人たちのことだ。
    そんな大親友とは言わない。それでいて、赤の他人とも言わない。
    「ああ、あの人ね」と言う、ちょっとの知り合い。
    このちょっとの知り合いが、これからの余生には大切なのだとふとふと想った。
    特に、この長期の監禁状況の自宅療養だ。
    語る人が誰も居ない。
    小千谷のSさんは、時々平日の日中に電話で話してもらえた。
    後は、誰も居ない。

    このことを何とかしないとと、辺に焦りのようなものを感じた。
    ただ、戦略がないわけではない。
    私のような寂しさと孤独とを感じているお年寄りは、たくさんいるからだ。
    だから、前にも書いた「お茶の間」をこの町で創ろうと想った。
    私自身が、その必要感をひしひしと感じたからだ。
    そこで、ちょっとの知り合いを少しずつ増やしていく。
    そして、何かむあったらその知り合いにお知らせしたり、連絡をとったりすればいい。
    そんなグレーな関係が、お互いに重荷にならずにいいではないだろうか。

    「親父たちよ」で始まったこのメッセージだが、
    今では、「シルバーたちよ」に変わりつつある。
    現役を引退してから、いかにして豊かな地域暮らしをしたらよいのか。
    そんな視点に立って、考え始めている私がここに居る。
    そこで、「ちょっとの知り合い・グレーゾーンの仲間たち」だった。

    中地区のまちづくりセンターに、とても素敵な混成合唱団があると知った。
    また、昔のように書道を習いたいとも想っている。
    楽器では、バイオリンが無理なら、サックスを吹いてみたい。
    山には初心に還って、低山から山旅を始めたいと願っている。
    そのためのトレーニングが大事なので、またジョグとジムに通おうと思う。
    やりたいことは、たくさんある。
    その場、その場で、きっとたくさんのちょっとの知り合いができることだろう。

    それでいいのだ。
    足の痛みがまだまだなのに、勝手にそんなことを考えているクマだった。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月26日 07時17分37秒

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    人は、葦だよ。

    身体のことをよく考える。
    というよりか、身体の方から、いろいと声がかかって来るからだった。
    今も、この椅子に座っていると、坐骨神経が痛んでいる。
    リハビリのつもりで、少しずつ筋肉を使い、
    縮まったままの筋を少しずつ伸ばそうとここに座っている。
    それも、身体からの声掛けのおかげだ。

    痛みと言うのは、身体が身体に向き合ってほしいと言う素直な声と感じている。
    痛いと感ずるとき、その部分は、それ以上動かしたら、
    壊れるか、修正の効かない重症な状況になるということへのサインだと思う。
    その崖っぷちが、あの激しい痛みだった。
    その前には、ちゃんと小さな声で警告を発しているのだが、
    その声を聴かない。
    時には、過信して、その声を聴きながらも無視をする。
    その挙句が、この私だ。

    人間は、葦である。
    やっとその意味が分かる年となった。
    この身体は、庭に生えている、野草や花のようなもの。
    あの百日紅や梅の樹木と同じなんだ。
    つまり、自然に生かされ、自然のままを生きているということだ。

    野草や花や樹木には、水と空気と土と風と雨と雲とが必要だ。
    自然の恵みによって、日々を生かされている。
    だから、考える必要はなく、あるがままにあるがままを生きている。
    春を前にして寂しい庭だが、ヒメオドリコソウが逞しく咲いていた。
    植えられたわけでもなく、育てられているわけでもなく、
    ここぞとばかりに育っている。

    人の身体も同じだった。
    身体も、自然の恵みで生かされているものだった。
    骨があり、肉が在り、神経が在り、筋肉がある。
    胃が在り、腸が在り、心臓が在り、脳がある。
    それは、この野草と花と樹木と同じだ。

    人もまたその身体を維持し、生きて行くためには自然の恵みが必要だ。
    水と空気と土と風と雨と雲。
    山の恵みに、海の恵み、田んぼの恵みに、畑の恵み。
    それを食べて、人は人の身体を生きている。
    そう考えたら、やっぱり人は、葦なんだ。
    それも弱い弱い葦である。

    考えるようになったのは、
    身体が身体としての存在感を表して来たからだった。
    そうでなかったら、私は、身体のことを忘れて生きている。
    突然の胆石の激痛だった。
    突然の坐骨神経の激痛だった。
    その時、やっと私は身体でもあったのだと気付くことができる。

    そんな身体を忘れていても、健気な身体は生きるために、
    私が眠っている間も、こうして起きている間も、
    本当に年中無休で働いている。
    瞬間瞬間に細胞が死に新しく生まれ、
    血液はずっとずっと流れ続け、心臓は止まったら私は終わりということとなる。
    この身体の部分で、休んでいるところは何もなく、
    全てのものがフル回転で稼働している。

    それは、このお日様を浴びて、春を待っているあのオランダミミナグサと同じだ。
    自然のものは、何一つ休むことなく活動し、変化し、成長し、世代交代もする。
    その働きと規則性のまま、私の身体も自然として存在している。
    そのことを決してこれからは忘れてはならないということだった。

    痛みは、その命を持続させ、活かしていくための働きを阻害する、
    何かとても緊急な事態が身体の中で起きたことを知らせるアラームだった。
    身体は、あの椿のようにして生きようとしている。
    生きることが、ここに在ることの使命だからだ。
    また、不具合が出たら、自分で蘇生する自己治癒力は与えられている。
    その治癒力の限界を超えた時のみ、命は自ら敗北宣言をして終息する。
    その緩やかな終い方も、そのシステムにはちゃんと組み込まれている。

    だから、何だ。
    せっかく身体自体が生きようとしてくれているのに、
    その使命を全うさせないような妨害行為は絶対にしてはいけないということだ。
    痛んだら、休め。
    痛んだら、止めろ。
    そして、痛んだら、その声に耳を傾け、休養する。
    生きたいならば、病院に行く。
    診てもらい、原因を発見してもらい、その治療を助ける薬をもらう。
    何よりも絶対安静が一番の薬。

    私は、天井を見つめて身動きできない日々は、
    ただただ祈り、身体に回復することをお願いするしかなかった。
    薬は、ただの痛み止め。
    つまり、身体そのものの治癒力だけが頼みの綱だった。
    でも、病気とは、みんなそんなものではないだろうかと、私は悟った。
    その身体そのものがもつ生きる力をどう育てていくか、
    それは、私たちの日頃の生活が、そのまま影響し、変化させている。

    身体を大事にする。
    身体の微かな声を聴く。
    こんな当たり前のことに気付くまで、59年間と半年がかかった。
    本当に「分からない」人である。

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  • from: クマドンさん

    2017年03月25日 10時53分14秒

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    回復の一歩、一歩へ

    昨日から左足をつけるようなった。
    夜中にはまだ座薬のお世話にならなくてはいけないが、
    こうしてここに座ってキーボードを打てるようになった。
    まだ、こうしていても左足首がじんじんと痛む。
    座る姿勢によっては、坐骨神経がピリッと電気が走る。
    しかし、ちょうど一か月前、2月26日(日)に発病した時の、
    あの耐えられない激痛が、今は、嘘のような気がする。
    またまた、自然治癒力によって、ここまで回復したというこだろう。

    服に着替えられた。
    ズボンもはけたし、靴下も独りではけた。
    痛みは続いていても、耐えられない痛みではない。
    寝たきりだった身体は、すっかりと弱り切っているが、
    こうして椅子に座れることは大進歩だった。

    腹筋・背筋・足の筋肉がすっかりと落ちた。
    その衰弱の仕方は、以前の入院よりも激しいと思う。
    使わないということは、機能が一気に落ちるということだ。
    こうして座っていても、不安定を感じる。
    まだ頭がぼーっとして、気分は元には戻っていない。
    これから、娑婆での生活のために、徐々に身体を慣らす必要があるようだ。

    こうして起きているおかげが、青空が青空として素直に感じられる。
    実は、寝たきりの時は、この青空が恨めしく、空を観ないようにしていたからだ。
    まだまだ8割の回復のようだ。
    しかし、無理をしないように注意しながらも、
    日常の生活を取り戻すためのトレーニングをしようと思う。
    車を運転して、内科に行かねばならなかった。
    すっかり薬が無くなってしまったのだ。

    私の年間の医療費の高いことは、どうにもならないことだった。
    本当に医療費が高いのだ。
    整形は一度行くと薬を入れて3000円。
    内科は一か月分の薬で診察と合わせて5000円だ。
    私が健康だったら、必要のないお金でもある。

    今回は、大死一番。本当に死んだつもりでここにいる。
    つまり、今は、生き返った私がここに居る。
    本当に何かを変えなければならないし、生まれ変わりたいと願っている。
    ここからは、違う。
    そうでなければ、この一カ月の寝たきりは無駄な時間となってしまう。
    ここで、学んだ。それを、活かす。
    まず、これから医者に行ってくる。

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