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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012年07月31日 21時54分03秒

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    祭りの後

    さてさて、「山ノ下なじらね音楽市場」が終了した。
    猛暑だった。めちゃくちゃ、暑い暑い日だった。
    そして、出演した下さった人たちの熱演に、大感動だった。
    こんなにすごい人たちが、この山ノ下市場で演奏をしている。
    私は、そのことがまさに夢のように嬉しかった。

    なじら家さんのコンサートから始まったコンサートだった。
    「Cさん、この上でコンサートやりたいんだけど、いいかね?」
    ワンコイン500円で限定20名のコンサートが、それから間もなく始められた。
    そこで出会った人がTさんだった。
    ジャズアコーディオン。しかし、私がオファーした時は、新春シャンショウだった。
    コンサート終了後に、すぐにTさんに駈け寄り、自己紹介をして、なじら家のことを話した。
    それから、開店前のなじら家に行き、懐かしいカウンターでお話をした。

    昭和30年代の話。Tさんは、私より1つ?先輩らしい。
    音楽談義に花が咲き、何だかとても心がほんわかと幸せになった。
    ああ、今私は憧れのTさんとお話しているのだ。
    何だかそのシュチエーションが映画チックで楽しかった。
    Tさんの奥様のプジョーは、あの1月の雪の中、ノーマルタイヤだったのだ。
    その名車に乗っている奥様に出会いたかった。

    Tさんのコンサートで、憧れのIさんと出会えた。
    私はIさんが参加している尾崎トリオの追っかけを5年間やっていた。
    ジャズストリートでは、必ずチェックして、尾崎トリオだけは毎回聴かせてもらった。
    そのトリオのベーシストクマさんことIさんのペースには、
    とてもとても魅了されていた私だった。
    新潟のポール・チェンバースと、私は勝手に言っていた。
    その憧れの人が、なじら屋でペースを奏で、
    その横にはれぞドラムスというUさんが、こんなに楽しいことはないとという顔で演奏していた。


    向こうから、私の憧れの凄いジャズメンはやって来た。
    惚れに惚れ、どうにもならないくらい夢中なjazzメンなのだ。
    その人たちがなじら家でセッションをしている。
    夢なら覚めないで欲しかった。
    そして、その今はなき懐かしいなじら家コンサートの延長に、
    この「山ノ下なじらね音楽市場」が誕生したのだ。
    「俺、ジャズフェスティバルを市場でやりてぇ。」
    その一言からこのフェスは実現したのだった。

    その実現に向けた打ち合わせで、新潟市のビックな音楽プロデューサーであり、
    フィクサーでもあるTさんと、出会うことができた。
    人は、縁と縁とでつながるものなのである。
    しかし、その縁は天の意に叶っていたら自然とつながるという話しでもあった。
    第一会の音楽市場の企画で、私はTさんと出会った。
    その時、アコTさんの奥様であり、プジョーのSさんとも出逢うことができだのだ。
    彼女のボサノバは、私の魂の宝物だ。

    かくもいろいろな人との繋がりの中で、第一回の音楽市場は開催されたのだ。
    私が出会った、新潟のトップオブミュージシャンたちばかりだった。
    その人たちに山ノ下市場の露天の場所で、素敵で魂に触れる音楽を演奏してもらっている。
    それは、まさに私にとっては夢の世界だった。
    コンサートが市場にやって来る。
    それがこのコンサートのコンセプトだった。

    あの真っ暗のステージで、私がトリスティーザの替え歌を歌ってひとり騒いでしたことを、
    母は、笑って観ていてくれたのだ。
    「兄ちゃん、いかったよ。素晴らしいコンサートだったよ。」
    いつもいつも母は、私がやることを絶賛し、褒めてくれた人だった。だから、私はここまで続けてこれたのだと、母には感謝している。

    その母が、今年はいない。
    「兄ちゃん、いかったよ。」とは、もう言ってもらえないのだ。

    今年は、猛暑の為にお客さんが極端に少なく、実に実に申し訳なかったと猛省している。
    しかし、私がジャズストリートで追っかけ続けた尾崎トリオが、
    この市場で演奏をしてくれた。
    美し過ぎる矢川さんのボーカル付きで、ペスのIさん、ドラムのWさんと、
    あの若き日に衝撃で出会った、オリジナルのメンバーだった。

    最後には、大好きなTさんのアコーディオン、Sさんのギターも交えてね大ジャムセッションだった。
    そのセッションをバックに、このむクマが「山ノ下のテーマソング」を泥酔親父で歌ったのである。

    死んでもいい。

    そんな瞬間だった。

    全てのことは出会いから始まる。
    その出会いは、天恵であるのだった。
    「なるべきようになる」そんな出会いを出来たことを心から感謝している。

    私は、これからもアコーディオンのTさん、ボサノバのSさん、ベースのIさん、ドラムのIさんとWさん。
    そして、私が最も敬愛し、至上の愛を捧げる尾崎さんのピアノと矢川さんのボーカル。

    そして、私が愛してやまないサックスのIさん。
    三味線もハワイアンもどんとこいの沼垂のOさん。

    ああっ、ちょっとだけ言わせてくれ。
    「俺って、幸せな男だね。」

    しかし、泥酔男は、いつものようにいつものごとく、覚えていることが少ないのであった。
    「何のためのコンサートであったか。」

    プレーヤーの皆様、心より感謝しております。

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  • from: クマさんさん

    2012年07月28日 11時15分50秒

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    スキンシップ

    母の死を通して、多くのことを学ばせてもらった。
    やばり、体験しないと、その人のことは分からないものなのだる
    分かるとはよく行ったもので、その辛さや悲しさを分かち合えない限り、
    分かるとは言えないものなのだ。
    親を喪った人の辛さと悲しさとを、私も少しは分かち合える人になった。
    それも母が私に教えてくれたことだった。

    母が病床に在り、意識が薄れたまま、息をしている時、
    私はよく母の手を取って、さすっていた。
    また、足を摩り、髪をなでた。
    そういえば、ずっとずっと母には触っていなかったのではないかと、その時気づいた。
    ああ、もっと触ってあげたらよかったなぁ。
    恥ずかしかったからなぁ。
    手を繋ぐと言っても、54歳の息子としては、なかなか言い出せなかったんだよなぁ。

    私は、生きているということは、手を繋げることなのだと思った。
    そして、触れ合うことでしか伝わらない想いがあることも分かった気がする。
    「ありがとう」「大好きだったよ」「いっぱい助けてもらったね」
    そんな気持ちを、手の甲を撫でながら心の中で伝えていた。
    それは、きっときっと母の心には伝わったはずである。
    ただ、手を撫でているのではなく、そこに愛しさがあり、癒しがあった。

    それは、撫でられた母だけが感じるものではなく、
    撫でている私の方が救われるような気持ちになって癒されるのだ。
    家族に触れることを、忘れてはいれないのだと、この体験からそう思った。
    次男には、出かけに必ず握手をしている。
    その温もりを感じながら、伝える想いは溢れて来るのだ。
    ほんの短い時間でしかないが、その握り方で彼の心がよく分かった。
    「気をつけてな」「頑張って来いよ」と言いながら、肩を叩く。
    彼に触れない日は、何故かどこかで不安になることもある。
    だから、彼を朝、追っかけてでも握手する。

    父は、落ち着きを取り戻し始めていた。
    私は、父にステッキで殴られそうになったこともあった。
    「こんな所に入れやがって」「勝手にするな」「金はどうなってるんだ」と、
    とにかく酷い状態だった。
    5分とも部屋にいられないこともあり、私が腹を立ててしまうこともあった。
    逃げるように部屋を出る時、泣きたいほどに悲しかった。

    その父の手を、私はマッサージすることにした。
    タクティールケアである。
    その説明は長くなるのでここではしないが、私はこのタクティールの効果の凄さを体験したのだ。
    つまり、本当の心の奥底から湧きあがる想いは、言葉では表現できない想いなのだ。
    その想いを、愛する人に伝えたい時、手のひらや指一本一本を心を込めてゆっくりと撫でながら、
    心の奥深くで念ずるのだ。
    「ありがとう」「だいすきだよ」「いつもいつも助けもらっているね」
    「あなたが居るから生きられるよ」「いつも傍にいて下さいね」
    「元気でいてね」「深く、深く愛しています」
    その想いをもって手と足と背中とをゆっくりと時間をかけてマッサージするのだ。

    母にしてあげたかったなあ。
    それが私の後悔になっている。
    だから、父には後悔しないようにやってあげようと想っている。
    次男にも嫌がられても続けるつもりだ。

    とてもとても大切なことを私は日々の生活で忘れていたのだと、母に教えられた。
    「スキンシップ」は、言葉に表せない深い深い愛の表現なのだ。
    そして、その人と触れ合うことで、
    初めてその人と深さにおいて辛さや悲しさを分かち合うことができるのである。

    私はここにいるよ。
    私はいつもあなたを見守っているよ。
    私はあなたの傍を離れないよ。

    そう伝えられた安心感こそ、愛される安心感なのではないだろうか。

    いよいよ「山ノ下なじらね音楽市場」の当日である。
    どうかどうかたくさんの人たちにご来場していただきたいものである。
    小さな町の小さな人たちでも、こんなことができるのだという、例にもなるはずだ。
    天気はピーカン。暑さも最高。さてさて、静かに闘志を燃やすクマでもあった。
    「やるぜ。燃え尽きるぜ。」

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    秋桜 さけ

  • from: クマさんさん

    2012年07月27日 16時57分26秒

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    明日が音楽市場当日だ

    ありがたいなぁと、思うことが多くなったる
    それは、自分が弱い立場になればなるほどそう思う。
    そんな時は、友からの電話が入る。
    突然懐かしい友からメールが来たりする。
    ちょい飲みのお誘いは、それはそれは嬉しいものだった。

    「クマさん、倒れるなえ。俺は、それが心配なんて。」
    飲んで、語って、歩いて帰る別れ際に、そう言われると涙が出るてば。
    「そういう人に私もなりたい。」
    やっぱり、優しい人は、大きな人だと、今回の経験を通して思った、思った。

    相手の気持ちになり、どれだけ辛いことだろうと想像し、
    その人の為に何をしてあげたらよいのだろうかと考え、
    遠慮がちに声をかける人。
    余計なことかもしれないが、やっぱりほっとけないから来てみたて。
    大丈夫か?生きてるか?疲れてないか?ちゃんと寝てるか?
    ありがたいとは、この事だった。
    どれだけそうした言葉に励まされ、感謝し、涙を流したことだろう。
    「そういう人に私もなりたい。」

    私は、その最中にあった時、どうしようかと迷ったことがある。
    それは、まずこの「山ノ下なじらね音楽市場」だった。
    とにかく進めて行かねばならなかった。
    昨年度は、ポスター・段取り・音楽家との渉外・連絡調整・当日の全体運営と、
    なかなか大変なお仕事なのだった。
    しかし、今年度は、「クマさん、みんな分担してやろてば。」
    「クマさんは、音楽関係だけやって。」とのありがたいお言葉だった。
    「あれはまだか。」「あれはどうする。」とK親父には追ったてられながらも、
    明日を迎えることができるのは、この山ノ下のスタッフの皆様の力のおかげさまなのである。

    何故、コンサートが、町づくりになるのか。
    それは、この山ノ下市場という世界遺産的なエリアを東区の皆さんに知ってもらうことも目的であるが、
    本当の目的は、この大イベントを動かすためのスタッフと協力と協働により、
    山ノ下に新たなる「やる気」のある若者や中高年のネットワークができることにあるのだった。

    このコンサートをしなかったら、決して出会わなかったであろう侍たちがここで出会った。
    木遣りのMさんや環境の博士号を持ってるKさん。
    昔山小PTAでブイブイ鳴らした懐かしいお父さんやお母さんたち。
    桃小と連携して「やろう会」が活動した時に知り合った、エネルギッシュなお母さんたち。
    「なじら家コンサート」で出会った人たち。
    「やろう会」の流浪人たち。
    そして、現役PTAの役員の皆様。

    つまり、私たちが立ち上げた「山ノ下なじらね音楽市場」を通して、
    また「山ノ下を考える会」は、覚醒し、がんがんと活動を推進する力を持ち、
    地域と一体となり、多くの人たちに音楽の喜びと感動とを届けられるイベントを、
    自分たちの手で企画し、運営し、実行できる、この町の人たちが素晴らしいのだと私は思っている。

    私は、そうした仕掛けを作り、いろいろな人たちのコラボを作ることを無上の楽しみとしているのだ。
    その人的なネットワークと、自己の推進力で持続していくイベントとなるための「段取り」ができれば、
    この音楽市場はこれから5年、10年と続けられるコンサートとなるはずである。

    栗の木川のさくら祭りは、こうした市民によって創り上げられたお祭りだった。
    あの時、祭りを立ち上げようと集まった十数名のスタッフが、
    千円ずつ出し合って始められたのが、あの祭りだった。
    「ノウハウ」はある。

    願わくば、この「山ノ下なじらね音楽市場」がこれからも地域の恒例イベントとして愛され、
    毎年毎年開催されるイベントとなることを願っている。

    「歩きながら、走りながら、考えようてば。」
    Cさんとは、よくそんな話をしている。
    だから、私たちは次々と新たなるステージに挑戦して、実現して来た。
    「結論を出してからでは、何も動かない。」ということが、よく分かっている私たちなのだ。

    「ここがロドスだ。ここで跳べ。」

    堕ちたら、また這いあがって、跳べばいいのだ。

    皆様、明日のご来場を心よりお待ちしております。
    小さな町のリボリューションを、ぜひその目でご覧あれ。

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  • from: shiraさん

    2012年07月27日 15時16分34秒

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    「Re:7月28日(土)」
    御母上がお亡くなりになってからというもの、本当に日々を過ごしていることが大変そうで、何で次から次へと・・・と思っていましたが、7月28日の山の下のイベント案内をみて少しホッとしました。やはり、クマさんは、音楽や芸術や人の中で活き活きと生活してほしいです。そして、そのことに夢中になっている姿が私は好きです。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年07月26日 21時50分10秒

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    7月28日(土)

    7月28日(土)に東区山ノ下の山ノ下市場で、
    昨年から始めた「山ノ下なじらね音楽市場」を開催する。
    これは、なじらねコンサートから始まったジャズコンサートを、
    地域活性化を目指した市民発のお祭りとして位置づけ、
    「山ノ下を考える会」を中心に、地域コミュニティーを巻き込んでの大イベントとなった。

    音楽による町づくりを提唱し、ここまでこれた。
    やはり、音楽の力は素晴らしく、昨年度は500名以上の人たちが集まり、音楽を楽しんでいた。
    コンセプトは、音楽で心を一つにし、新たなネットワークを築くことにあった。
    「やろう会」としう、山小での親父の会を発足してから8年がたっただろうか。
    基本の理念は、同じだった。
    「やりたい者が集まって、自分たちが楽しむ企画をやる」ということだった。

    その理念とパワーと人と人とのネットワークが、こんな小さな町の山ノ下で、
    市民レベルでのジャズフェスティバルを開催できるまでなって来たのだった。
    これって、やっぱり凄いことだと感動している。

    内容をここ記す。

    期日 平成24年7月28日(土) 15:00〜19:00

    会場 山ノ下市場 全体を会場とする。無料

       出店 カレーショップ・焼きとり、生ビール、ゲームコーナー

    内容 A.B.C.Dと4つのブースにて、ジャズ・フュージョン・クラッシック・アロハ、フォーク・ご当地ソング等
    前半と後半の2ステージで、8つのグループの演奏を聴ける。
    メインステージでは、新潟市で活躍する二つのジャズバンドの演奏をおこなう。

    タイム 15:00 オープニングセレモニー
        15:10 山小マリンキッズによる演奏
        15:30 ファーストステージ
           A 古島バンド  B カポエィラ C B.O.P D 五十嵐文 サックス
        16:30 A 内山フレンズ B フラケパニ C デビッド D さとうえみ

        17:20 尾崎利彦トリオ+矢川倫子 
        18:00 田中トシユキアコーディオントリオ
        19:00 フィナーレ

    実は、このメンバーは、私が夢にまで見たメンバーなのだった。
    詳しく語れば、夜が明けてしまうほど、それぞれのグループへの思い入れはひとしおなのだ。

    さとうえみさんのボサノバには、私は惚れこんで入り浸り、魂が鷲掴みなのだ。
    五十嵐文さんのサックスの泣けること泣けること、音楽はパッシヨネイトなのだと魂が震えるのだ。
    内山さんのドラムは、ドラム本来の本能がほとばしり出て、そこまでやるかのジャズドラムだった。
    尾崎利彦さんのピアノを追っかけて、5年間のジャズストリートだった。
    このピアノ失くして、新潟のジャズピアノは語れない。
    このピアノとであった人は、きっと奇跡を体験する人なのだ。
    五十嵐誠さんのペースは、新潟のポール・チェンバースである。
    田中トシユキさんは、私の憧れて止まないジャズアコーディオンの弾く人だ。
    それも日本で数人しか居ないという、ボタンアコーディオンだった。
    とにかく美しすぎるメロディーなのだ。感涙間違いなしである。

    そんな一流なバンドを招いてのコンサートだった。
    全部無料。好きなだけ聴いていられる。

    それを、こんな小さな市場でやろうと言うのだ。
    昨年、第一回目の時は、母は最初から最後まで居てくれた。
    私のイベントやコンサートの原動力は、母を喜ばすことなのだった。

    いよいよ本格的な私の夢が実現しそうである。
    ジャズによる町づくり。
    ぜひぜひ皆さんもご参加だき、私たちが創り出そうとているものの手応えを感じて欲しいと願っている。

    本日は、ただのインフォメーションでした。
    クマは、音楽のプロデューサーとして、オープンには語り、
    フィナーレでは、音楽市場のテーマを歌う予定になっている。

    さてさて、とても暑い一日なりそうだ。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2012年07月25日 06時27分33秒

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    家事の大変さを学ぶ

    さて、月曜日から職場復帰した。
    まさに浦島太郎状態だった。
    仕事が山のように溜まっていたので、まず机上整理からだった。
    とにかく紙による文章が多すぎだ。
    その大半は、そのまま古紙回収用の籠の中だ。
    年をとったせいか、やはり環境の激減には対応できず、
    そんな自分を許しつつ、ゆっくりと回復することを待っている。

    主夫業の大変さを改めて感じた。
    今度は、次男を送りだしてから、私が出勤となるので。
    それまで日中に出来た仕事は、それまでの時刻に終了しなければならない。

    ・5時起床 朝食の準備をする。・・・ 味噌汁・焼き魚・サラダ等
    ・6時ジョギング ・・・ これが余計なのだが、減量のためには仕方なし
    ・6時半 ・・・ ゴミ捨て・朝食用意
    ・7時朝食 ・・・ 次男が自転車通学に変わったので少し早目になった。
    ・7時15分 ・・・ 食器洗い・台所の片付け
    ・7時33分 ・・・ 次男登校「行ってらっしゃい。」
    ・7時45分 ・・・ 出勤・鍵と火の元を点検

    さてさて、その間はタイムスケジュール通りに動かないとどこかが止まってしまうのだ。

    私は、改めて仕事をしながら家事をしている世のお母さんたちの偉大さを感じている。
    人は、体験をしない限り分からないものだった。
    その人の立場は、その人の立場を体験して初めて分かるのだ。
    私は、世のお母さんたちに敬意を表す。
    やっぱり凄いのだ。
    この仕事を本当に毎日、この登校・出勤前にやり遂げているのだ。
    それも、お弁当を作ってというお母さんもいる。
    こうした仕事に支えられて生きて来たのだと、やってみて想った。

    しかし、今回いろいろとやらねばならなかったが、
    私のこれからの人生にとっては、プラスになることばかりだった。
    ある意味、主夫業をやった私は、主婦や働くお母さんのご苦労と大変さがよく分かるようになった。
    「大変ですね。」「凄いねぇ。」「俺にはなかなか続かないて。」
    感心することばかりなのだ。
    もし、この体験をしていなかったら、
    私は、この家事についての大変さを共感的にどれだけ理解できたか分からないだろう。

    人は、やってみて初めて分かる。
    人は、やっぱり体験から学ぶものなのである。
    そんな学びをもっともっと子供たちにもさせたいものだと、
    「生きた学び」の大切さを、今は実感している。

    さて、今夜の献立は何にしょうか。

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    さけ 秋桜

  • from: クマさんさん

    2012年07月22日 08時05分43秒

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    実感と重さ

    今日が介護休暇の最終日となった。
    何と二か月の介護休暇だつたが、あっという間の出来事だった。
    四つの課題が私には与えられた。
    ・母の入院と母の死
    ・父の入院と父の介護施設入所
    ・妻の入院と心のケア
    ・次男の世話と日々の生活

    人生こんなこともありますね・・・。と、人に言うことがあった。
    こんなにもいろいろなことが重なって、一気に起きるものだろうか。
    せめて、母や父や妻の誰か一人でも我が家に居てくれて、
    共に私と一緒に家族の為に働くことはできなかったのだろうか。
    母が居てくれたら・・・。
    それは全て、私の未練であり、私の愚痴でしかすきないことだった。

    人生は、在ることしか在りえないのだ。
    その在りえ方とは、私が決めるものではなく、決まっているものなのかも知れない。
    そこには意志があるのか。それを決める誰かがいるのかどうかは分からない。
    しかし、こんなに苛酷な試練の最中に、私が腑に落ちたことは、
    「何でこんなに酷いことが我が家に起こるのですか?」と、嘆くことはまったく無駄だということだった。

    起こったことは悲惨な事実であろうとも、
    それを嘆き、悲しみ、恨み、悪態をつき、責めたとしても、
    その結果、何も変わらぬばかりが、時間が刻々と過ぎて行き、
    ただ課題を解決するためのタイミングとチャンスとを見失うだけなのだ。
    「嘆かない。」「誰のせいにもしない。」「自分を哀れに想わない。」
    それは、どうしたって「仕方のないこと」なのだ。
    そのことが、やっと腑に落ちた。
    与えられた試練は、喜んで?受ければよいのだ。

    弱音は、どんどん吐くことにした。
    涙はたくさん流すことにした。
    「できません。」「分かりません。」「どうしたらいいですか。」
    とにかく頼りつつ生き抜いて来た。
    しかし、焦らないことにした。
    心の中では「ベストではないが、ベターでよい。」と、開き直ったからだった。
    だから、そんなに弱虫な私であっても、決めることは全部私が決めた。
    いろいろと周りからも言われ、言われずとも陰で言われることも多かったと思う。
    しかし、私は、私以下でも私以上でもなく、ただのこの未熟な私なのだ。

    私は、その私の未熟さを受け入れ、背伸びせず、格好を付けず、見栄をはらず、
    できることをできるように。あるべきことをあるべきように。
    ある意味、あるようになるように任せながら、一つ一つを処理してきていたようだった。

    私には、こうしなければならないというこだわりが一切なかった。
    社会的な常識を知らな過ぎることが良かったのかも知れない。
    「無知の知」である。
    私は、「知らない」「出来ない」「分からない」から入って行った。
    だから、とてもとても楽なのだった。
    人は、一人では生きてはいけない。
    特に、私のような弱虫は、やっぱり多くの人の愛と支援の中で生かされていた。
    私は、それを信じていた。
    些細な目先の現象の良し悪しに囚われることなく、
    どうせそんなものは二三日立てば忘れられるものなのだと、私から先に忘れることにした。

    何だかここまで書いて来て、
    「ああ、私は池田晶子氏が言っていたように、生きることが哲学であると気付き始めているなぁ」と、
    今回の体験を通して、客観的に己のことを想えるようになった。
    不思議なことだ。
    今までは、それができなくてくよくよと悩み、めそめそと泣いてばかりいた弱虫だったのに。

    今、私の体験を通して学んだことを言葉に記している。
    しかし、その個なるものは、一なる全てなるものにつながる個であり、
    個なる弱虫の体験は、実は大いなる普遍の体験となりうるものなのだと、
    こうして言葉が次々と湧き出るに任せて、この文を書いている。
    個の体験を実感と重みをもった言葉に表現する。
    体験とは既に在るあるが、言葉に置き直さない限り、在るものとはならないものだ。
    その体験が、人生にとっての「試練の学校」となるためには、
    その体験が私にとって何であり、そりがどんな啓示であったのか、
    「腑に落ちる」ことが必要なのだ。

    人は、分かる時、やっぱり言葉によって分かるのである。
    確かに、それは音であり、光であることもある。
    しかし、私は言葉によって分かることが多い。
    しかし、その言葉とは、ここで記すことで改めて新たなる実感と重みとをもった言葉である。
    つまり、言葉が私にとっての意味と価値とを変えてしまうのだ。
    そんな体験こそ、人には学びとして必要なのだと私は思う。

    さて、四つの課題の内、下の二つの課題は今日からも見通しのない将来まで継続される課題である。

    しかし、人とは、誰でもどんな時でも「試練の学校」の真っただ中に生きているのではないだろうか。

    そこで絶望せずに、光に向かって少しでも歩んで行くためには、
    人には、言葉が必要なのではないだろうか。
    私は、最近この言葉こそ、「愛」なのではないだろうかと想い始めた。
    それは、私の中に最初から与えられているもので、
    それは、私が私になる前からいつでもあったもので、
    それは、私が私でなくなった後も、ずっとずっとあるものだ。

    その在るものが、在ると言って、腑に落ちるためには、
    その在るものの存在を体験する必要があり、
    体験したにその体験を実感と重みとをもった言葉に表現する。
    すると、その時私が使わんとする言葉とは、
    私がこれまでに何気なく使っていた言葉ではなく、
    魂をもった言葉そのものとしての言葉として、私は出会うのだった。

    そんな言葉だけで、これからは生きたいと、実はこの体験から腑に落ちたのだ。

    生きるとは、体験を通して、真の言葉と出会う旅ではないだろうか。
    これからも、私は私の物語りを生きるのだと、何だかとても安心したものだった。

    池田さん、哲学って、こういうことでしたか?

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    さけ 秋桜

  • from: クマさんさん

    2012年07月21日 11時14分22秒

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    可哀想は、三日もたない

    昨日、妹から辛い電話があった。
    父が、妹が行くと泣いているというのだ。
    「自分が何も知らない内に、物のように扱っている」と、妹に訴えているそうだ。
    その訴えを聞き、妹も父が可哀想に想い、私に電話してきたのだった。

    今日は改めて父の介護の話をする。

    母が倒れた夜、父は台所にあった箱酒を空にして、泥酔だった。
    母が入院した夜は、私の部屋の日本酒をもって来て、やっぱり酔っていた。
    酒を飲んで忘れたいやるせなさはよく分かった。
    しかし、そんな父を昼間、独りで家に置くわけにはいかなかった。
    その父が酒を飲んだり、具合が悪くなったりしないように、
    私が一日番をするわけにも行かなかった。

    父は、とにかく私に向かって悪態をついて来た。
    何をしても面白くないので、文句ばかり怒鳴っていた。
    私は妻と母との入院と、父と次男の世話とにほとほと疲れ果てていた。
    そんな時、人は神経が研ぎ澄まされ、堪え症が無くなり、ちょっとしたことで切れるのだった。
    こんなにもへとへとになりながら家族の為に動いているのに、
    父は、母を病院に入れたことを、私が勝手にしたのだととにかく酷い言葉で訴えていた。

    これではと、介護保険が切れていた父と母の保険を再申請し、
    とにかく統括支援センターに相談に行き、
    地域のコーディネーターのKさんに自宅に来てもらった。
    私たちが父の行き先の相談をしていると、突然父が怒鳴り出し、
    「俺は、どこーも行かね。帰れ、帰れ」と言い出すのだった。
    私が父を説得するのだが、全く聴く耳をもたなかった。
    その内に、私の目からは涙が溢れて、止まらなくなってしまったのだ。
    情けなくて、切なくて、悔しくて、可哀想で、何とも言えぬ涙だった。
    初対面のKさんは、その涙を見て、切迫した状況だと察してくれた。

    私は、父を殴り倒し、首を絞めてしまいそうな衝動を抑えてもいた。

    やっとディサービスが決まり、9時には若い職員がお迎えに来てくれるのに、
    朝食を食べさせた後、「俺、行かねろ。」と言って、全く動かなくなる父だった。
    「頼むから行ってください。お願いします。」私は土下座しても父に懇願した。
    それでも、「何であんげな所に行かんばなんねんだ」と、頑固に拒むのだ。
    それが毎日1時間以上かかった。

    やっぱりこの時も、暴力を振るってしまいそうな衝動をやっと抑えた。

    父が行くと、ほっとした。
    その後は、食器を洗い、洗濯機を回し、洗濯物をたたむ仕事だった。
    しかし、父のことを考えるとこの単純な作業が無心になれて、楽しくも感じた。
    夕方6時に父が帰って来る。
    その前に買い物を済ませ、夕食を作っておかねばならなかった。
    父が疲れて帰ってくると、すぐに横になって寝てくれた。
    それだけが、救いだった。

    母が亡くなってからしばらくたったら、父に退院して欲しいと医師から言われた。
    これ以上リハビリしても改善することが期待できないからだ。
    私は、病院のコーディネーターのsさんに相談をした。
    もし、行き先が無かったら、父は自宅に帰って来るのだ。
    そしたら、私が父に暴力を振るうか、私が先に脳梗塞や心筋梗塞で倒れるかしかなかった。
    私が倒れたら、とたんに我が家は崩壊するのだ。

    ディサービスの施設では、自立住宅型の介護も行っていた。
    とにかく藁をもつかむような気持ちで、相談に行った。
    ここのコーディネーターのKさんが素晴らしい人で、我が家の状況をよく知り、
    いかに私が窮地に追い込まれたぎりぎりの日々を送っているかよく分かっている人だった。
    「こちらで引き受けましょう。」
    私は、その返事に涙が出そうだった。救われたのだ。父も私も。

    その施設への入所が決まると、妹が「お爺ちゃんが可哀想だ」と、言い出した。
    私は、その言葉にぶっちぎれてしまった。
    「そんなら、お前の家で面倒をみたらどうなんだ。一緒に住んでいないからそんなことが言えるんだ。」
    「可哀想ではすまない問題なんだて」と、声を荒げてしまった。
    「お前はいいよ。自分の家に帰れば、父の悪態をきかないですむからな。」
    介護に対しては、これが現状なのだ。
    「可哀想だ」という人がいる。
    ならば、自分が引き取って面倒を最期までみればいいのだ。
    「可哀想だ」と言う人は、そう言うだけで帰って行くのだ。

    私は、決めた。まず家族と私を守らねばならないからだ。
    父が入所する前に、必要な家財用具と大型テレビを設置した。
    電気会社には個人的な契約だった。
    施設と契約を交わし、最初の入金は30万円近くだった。
    通夜と葬儀と施設入所、その上に私が無収入だ。
    口座からどんどんと何十万単位でお金が消えて行く。

    やっと、段取りを付けて、父を入所させた。
    父の寂しさはよく分かる。
    昼間は、みんなと交わらず、部屋で横になってテレビを観ていることが多かった。
    職員の人にも乱暴な言葉遣いは変わらない。
    私を見ると、すぐに睨んで怒鳴り出す。
    一度はベッドに立てかけてあったステッキで殴られそうになった。
    「俺は、物ではない。」「何でこんげなところに勝手に入れたんだ。」
    「金はどうなってるんだ。いいようにお前がしてるんだろ。」
    私は、父の部屋に行くと、すぐに帰ることが多かった。

    これが、介護の現状なのだ。
    それなのに、また妹が「可哀想だ」と言いだした。
    私は、彼女にもしあなたの家に父が来たならどんな状況になるかシュミレーションをした。
    まず、父が昼間独りにならないためには、あなたが仕事を辞めましょう。
    次に、父は「酒を寄こせ」と言い続けるだろう。酒を飲んだらそこから暴れ出すでしょう。
    また、とてもこ煩い人だから、どんどん家族や周りの環境に文句を付けるでしょう。
    そして、義弟とは上手くいっていないので、酷い言葉で罵るでしょう。
    そうしたら、みんなで暗くなり、この家はまっ暗闇の家庭となるでしょう。
    そんな我儘で横暴な父と家族の間に、あなたは立ち、毎日毎時間休みなく働き気を使っているでしょう。

    「可哀想なのは、一体誰でしょうか。」
    「可哀想は、三日もちません。」
    「介護には、土日なく、休みなく、終わりなしですよ。」
    「ディサービスを使うことができますが、全て有料ですよ。」

    父は、今日も施設で生活している。
    まだ介護の当事者になっていない人たちに、私の体験を語ってみた。
    やっぱり父を可哀想だと思うだろうか?

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  • from: クマさんさん

    2012年07月19日 08時56分24秒

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    想うことで大事と出会う

    私はいつも想うことがある。
    思うことを通して、その人と出会う。
    想うとは不思議なことで、想っているとそれだけの私になってしまう。

    「魂にふれる」を読み返している。
    本当にゆっくりと、ゆっとりと、一つ一つの言葉の意味を体験しながら、
    だから、全然先には進まなかった。
    言葉を読むことで、私は確認できたことが多かった。
    私たちは見える世界だけで生きていると勘違いしているのだ。
    私は、改めてこの言葉に出会い、そのことに気づいた。
    見えない世界こそ実在する世界であり、
    存在する世界は、いつかは儚く消えていき世界なのではないだろうか。

    私たちは、自分の中に魂があると思っているが、
    本当は私たちは、魂の中に居て、魂により包まれていたのだということ。

    言葉は、この宇宙が誕生した時からそこにあり、想い出され、発見されることを待っていたのだ。

    つまり、目には見えないが実存する空気のようにして、
    私たちは、謎と呼ばれる魂を呼吸し、その世界とは生きながら繋がっているのだ。
    私には、見えなかったし、聴こえなかったが、実は、何かを感じていたのだ。
    それは、海を見た時や、空を見た時、森の中でブナの巨木を見た時、風の中に居た時、
    私は、確かに胸の中で、何かの呼びかけを聴いていたはずだった。

    そこに在る何かの呼びかけは、実は全ての人に同じように、平等に与えられているのだった。
    今、こうして、ここに、居るだけでも、
    遠くで雀の鳴き声が聴こえる。
    私がここで語りかけている者は、そこに居て、私の言葉を聴いている。

    しかし、この言葉こそ、そこに在る言葉で、私はただその言葉を言葉にしたに過ぎないのだ。

    言葉は、在った。
    言葉は、在る。
    言葉は、在り続ける。

    その言葉が、大事なのだ。
    現代の人たちは、心の虚しさから、その真実なる言葉を心から求めているのではないだろうか。

    言葉は、愛である。
    言葉は、原点である。
    言葉は、出逢いである。

    「大事」という言葉の深さを感じている。
    私は、いったい何を大事にしているだろうか。
    「あなたのことが、とても大事です。」
    「大事と想われていることが、とても大事です。」
    そんな会話をしたことがある。

    大事なことがある。
    そのことだけを想って生きればいいのかもしれない。
    すると、たくさんの大事ではないことが消えて行く。
    すっきりとして、余計なことは想わなくなる。
    大事だけで、生きればいいんだ。

    訳の分からない文になってしまったが、
    見えない世界からの呼びかけは、私にとってはコトバによる呼びかけだった。
    そのコトバを、私はここに言葉として書き記している。
    言葉は在るのだが、私が書き記すことでコトバがこの世に現われる。
    ただし、このコトバが私の日記のように誰の目にも触れなければ、
    それはこの世に現われた言葉ではないのだ。

    コトバは、他者に受け取られることで、初めてことばとしての役割や使命を果たす。
    私は、在る意味、口述筆記者となればよいのだ。
    そのコトバと出会い、そのコトバに感動して、
    そのコトバが私の中にも存在していたことを想起したなら、
    そのコトバを、ここで、こうして、書き記し、伝えて行けばよいのだと思った。

    私は、ある人をとてもとても大事に、いつもいつも想っている。
    その人を大事に想う想いの中から、私は多くのことを学ばせてもらった。
    ある人をひたすら想い続ける。
    私は、想うことこそ人間なのではないかと、思うようになってきた。
    想いが深ければ深いほど、私の魂は深くなる。
    そして、この見えない世界でその人と繋がる位置は、
    あの海の底の底のように計り知れないほど深遠になって来るのである。

    想いを深めて行けば、いずれその地に到達する。
    そしたら、実はみんな一つだったことが分かり、
    自分もその中の一つなのだと腑に落ちるかもしれない。

    願わくば、その人も想いを深める途上で道に迷わないことを祈っている。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2012年07月18日 09時35分50秒

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    弱い私

    まんまの日記。それはそれでありがたいと言う言葉に救われる。
    私は、この経験から学んだことをここに記そうと願っていた。
    だから、日々刻々と変わる状況の中で、私が体験し想った事を素直に記した。
    するとある友から励ましのメッセージが届いた。
    大変な状況を共感的に理解してくれながら、その位置から応援してくれている。
    抱えているのは、私一人ではないのだった。

    人は、弱さで繋がれる。
    弱い私は、その弱さを語ることにしている。
    駄目な私は、その駄目さ加減を話すことにしている。
    するとすっと心が楽になる。
    それは、その話を親身になって聴いてくれ、共感してくれる友がいるからだ。

    私は、自分のことを知れば知るほど、人に物を言えなくなっている。
    というか、繋がれる人たちが、ある意味限定されて来ている気がする。
    傲慢な人や、人を見下す人や、頑固な人や、偏見をもっている人とは、
    話が繋がらないものと、はなっから諦めているからだ。
    しかし、そんな人たちは、私がその種の人なのだと批判はするが・・・・。

    私は、弱さとは生きやすい生き方ではないかとも想うようになっている。
    無理をすることはないのだし、格好を付けたり、強がったりすることもないからだ。
    「子供みたいな人だ」と、言われることもある。
    「素直な心の人だ」と、褒められる?こともあった。
    しかし、このような生き方をしている人は、確かにこの世の中では生きずらいのである。
    それは、立場や主義やセクトを優先的に守ろうとすることなく、
    あるがままにあるがままを語れるからだと思っている。

    「この立場では、こんなことを言っては後がまずい」とか、
    「本当はそうなのだが、自分を守るためにはそれは言わないでおこう」とか言うことがないからだ。
    在る意味守るべき地位も権威も全くないのだから、
    個人的に自由に発言できるのだ。
    だから、人から叩かれ、批判され、やっつけられることがたびたびでもあった。
    私は、その人たちとはかかわらない自由もあった。

    弱さとは、実は個としての自由に繋がる道なのだと私は思っている。
    弱さで孤立した時、必ずその弱さを支えてくれる友が現われる。
    弱さで居る時、孤独の中で語り会うのは、神や仏や永遠なる存在に対してである。
    祈ることをするのは、弱さ故である。
    助けを必死に求めるのも、弱さからである。
    しかし、その時、必ずや助けは来るのだし、
    その力強い手で溺れかかり、沈みかかっている私の手は握られ、
    そして、水の中より引き上げられるのだった。

    弱さこそ、実は目には見えなくとも実在している愛に最も近い生き方なのだ。
    私たちは、いつも見守られ、心配され、手助けしようと待ち構えているある者に守護されて生きている。
    それは、今では母なのかもしれない。
    「自分が、自分が」と言っている間は、その存在には全く気付かずに人生を通り過ぎて行く。
    ところが、そんな自信もへし折られ、挫折を味わい、絶望のどん底に叩き落とされた時、
    そう、「死んでしまいたい」とすら思った時に、
    その人は、私のすぐ傍に居て、
    私と一緒に悲しみと苦しみとを分ちあっていてくれたのだった。

    それは、慈悲であった。
    「辛かったのゥ。悲しかったのゥ。分かる。分かる。」と言いながら、
    私の為に涙を流し、私の為に祈ってくれる。それがその人だった。
    まさにその人こそ、子供のように愚直で、素直な魂で、私の弱さに向かってくれる。
    弱さとは、私が慈悲に出会うための通り道だった。

    何故、弱さが自由に生きられる道となるか。
    それは、私が流れゆく世の中の声に惑わされず、
    私を救ってくれたその声のみに聴き従って生きるからなのだ。
    その声がこう生きよと言っていたら、その声のまま生きればよいのだ。
    人は、弱さからしかその声を聴くことができないのだった。

    その声に聴き従う自由とは、人の為に自分を捨てる自由でもあるのだった。
    「仏道を習うとは、自己を習うことなり、自己を習うことは、自己を忘れることなり、自己を忘れるとは、万法に証せられるなり。」
    その言葉が向こうからやって来て、私を包むためには、
    私なんていらないんだ。私なんてどうにもならない者なんだと、
    そこまで落ち切らないと、人は私を空っぽにすることができないのだった。

    だから、その人に愛されている人は、その人の言葉がその人の中に入るために、。
    いったん邪魔な自分と言うちっぽけな人を捨て去る必要がある。
    そのために、試練を天が与えるそうだ。
    そのどん底の闇の中から、私は弱さの涙を流しながら、手を合わせたし、
    助けを求め、最後にはお任せすることにしてさっぱりとした。

    実は、弱さと強さとは、一体なのである。
    しかし、単に強さだけの人を私は知っているが、
    それは脆さなのであり、愚かさであり、孤立する道なのだとは本人すら知らぬのだ。
    強さは、哀れだった。

    弱さこそ、強さである。
    強さこそ、弱さである。

    連日「いじめ」についての報道が続いている。

    私は、弱さで人と人とが繋がれる世の中こそ、豊かな世の中なのだと信じている。

    弱さは大切なんだ。
    弱さこそ人を人にしてくれる力をもっているんだ。
    弱さからしか人は優しさを学べないのだ。
    私は、弱い人だ。
    いいじゃないか。弱い人で。
    私はこれからも弱い人で生きて行く。

    だから、お願いします。
    傍に居てください。
    そして、一緒に歩いて下さい。

    あなたが居たら、
    こんな弱い私でも生きていけます。

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