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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2015年11月10日 06時19分11秒

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    人生は予兆に満ちている

    どうにもならない私がここに居る。

    本当にどうしてこんなになってしまうのか、
    自分のことで呆れたり、途方に暮れることが多くなった。
    何でそうなるの。
    そんな呟きをしてしまうことの多い私。
    これが、年を取るということなんだろうなぁ。

    だから、何でとは思わないことにする。
    そういうこともあるさ。
    そんなことばかりなのさと、諦める。
    年を取るということは、この諦めるが多くなることなのか。

    昨日は、携帯と財布とを忘れて仕事に行った。
    そのことに気付いたのは、泰平橋の渋滞の最中だ。
    無一文だ。
    まったくそのことに気付かないでそこまで車で走っていた。

    今朝、燃えるゴミなんだと、黄色いごみ袋に台所のごみをまとめた。
    まだ出るかもと思い、口を縛らなかった。
    すると起きて来た妻が、
    「何でごみ袋に入れたん」と、怪訝な声で聞いて来た。
    だって、今日は・・・・、「あっ」火曜日か・・・・。
    我が地域は、燃えるごみの収集日が水曜日だった。

    そんなことにも気づかないでここに生きている。
    またまた、こうして書いていたら、すごい数のあれはムクドリなのだろうか。
    何万羽という大集団で、押し寄せて来た。
    電線にそれが一斉に止まった様は、何だかぞっとするぐらい恐ろしいものだった。

    あの鳥たちの集団移動は、きっと何かを伝える予兆なのだと思っている。
    そう言えばあの時の、あのことは・・・・である。
    この数万羽の群れの声を聴きながら、それは何かと考える。

    そして、私の老いへの予兆もそうした意味で、
    きっと何かを私に知らせようとしているに違いない。
    私は、ただそれを受け入れるのみである。

    今、目がしょぼしょぼとして開けにくい。
    それは、昨夜映画を観ながら号泣していたからだ。
    「八日目の蝉」
    愛する親の気持ちの深さと哀しさとを、これだけ描いた映画はあっただろうか。
    とにかく、誘拐犯の母親とその女の子の小豆島での生活がいいんだなぁ。
    そして、現実に生きる成人した彼女が、その自分を探す旅がまたまたいいんだ。
    人は、やっぱり愛されて生きて来た。

    そして、子どもがそこに居てくれたことで、
    親は生きるの喜びも感動も希望も幸せも味わうことができたんだ。
    まず、幼い子どもを育てている母親たちには必見の映画だ。
    それは母親の無償で無垢な愛を描いた傑作だった。

    声を出して泣いていた私。
    本当に涙もろくなってしまったものだ。
    これもまた老いの予兆なのだと自覚している。
    ああ、この涙目で瞼がはれたまま、どうやって一日を過ごそうか・・・・。

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    waka せみ

  • from: クマドンさん

    2015年11月09日 20時39分19秒

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    世代は交代すべきなんだ。静かに退くことが肝心だ。

    そうか、そうだっんだよなぁ。
    分かる、分かる、その気持ち。
    昨夜、日曜日の夜ながら、地域の祭りの若手の会が行われた。
    この地域に連合町内会で続いている春と秋の大祭がある。
    そこに、太鼓と神輿と山車とを出しているのがこの連合だ。
    私は、長男が小1の時から、この太鼓に関わってきている。
    かれこれ16年間になるだろうか。
    秋の祭りになると、子どもたちの太鼓の稽古のために、
    夜はその稽古場で、子どもたちに太鼓を教えた。

    ところが、現場に出るとなかなか大変な現状が待っていた。
    「俺の言うことをきけねぇんか」と、大先輩たちはなかなかの横暴振りだった。
    私は、祭りとはこんなものだろうと、初めから諦めていた。
    「何で太鼓、こんげとこに置くんだ」
    「ここじゃねぇだろ。そっちらことてや」
    「邪魔ら、邪魔ら、はよ出せや」
    めいめいてんでに、勝手なことをののたもうた。

    何も言い訳はしない。
    こう言われたからこうしているのに、
    次は、違う先輩がなにやってんだって、文句を言いに来る。
    この祭り、どうにもなんねぇなぁと、
    16年間から想っていた。いや、諦めていた。

    ところが、そんな現状に対して、若手が動き出した。
    もう祭りを変える時期が来たんだと、
    歴代の実行委員長たちが、旗を挙げた。
    いいことだった。やるべしだ。
    俺が、俺がと言う、その人のために祭りをしているんじゃない。
    祭りとは、みんなのための祭りなんだ。

    そんな当たり前のことが、分からない人たちが祭りの指導者たちだった。
    でも、その人たちが居てくれたおかげで、
    この祭りは受け継がれ、こうして活気をもったまま続けられてきた。
    しかし、そろそろ時代の波が変わりかけている。
    このままでは、閉塞的な雰囲気のまま、衰退することが目に見える。
    それは、この祭りを意に感じて、
    任してくれと言う、次世代の若者たちが育たないからだ。

    俺が、俺がと威張っていた人たちも、既に年には勝てないのだ。
    棺桶に片足を突っ込んでいる。
    本当は、だからもっと若い人たちを大事にして、
    この祭りを持続可能にするための、捨て石に己がなればいいのに、
    そんな賢さと謙虚さとは、この先輩たちにはないようだ。

    長男の世代の若者たちが参加してくれた。
    私が、太鼓を教えた彼らたちだ。
    いよいよ時代は、ここまで来ている。
    変わるべきことは、すぱっと変え、
    その組織を持続可能とするための、システムとマニュアルを作るのだ。

    大先輩たちの勝手気ままな経験則では、若い人たちは絶対についていかない。
    そのためには、ある程度の決定権と参画する機会とを、
    この子たちに委ねることが必要だった。
    変わり目に立つと、その人の器量がよく分かる。
    静かに、後継者に委ねて、その活躍を祝福する人となるか、
    まだまだどうして俺の言うことがきけねぇんだと、だだをこねる愚か者となるか。

    静かに、消えるべき時は、消えていく。
    舞台は一つ。
    その出番をこれから昇る若手に譲り、そっと退くという美意識を、
    この人たちには持ってもらいたいものだった。

    さてさて、これからどうするか。
    そのストラテージを画策する時節となったみたいだ。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年11月08日 06時50分40秒

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    全ての道は飯豊に続く

    金曜日の夜のことだ。
    仕事終わりで急いで自宅まで直行した。
    それから、自転車にまたがりユナイテッドまで突っ走った。
    生まれて初めての3D体験をするためだった。
    映画「エベレスト」
    ここで眼鏡をかてくださいという画面が出た。
    わっすごい、すぐそこに人が立っていた。
    5千mの実際の山岳で撮影された映像は、何とも迫力のある、リアルなものだった。
    エベレストに登った登山者たちの遭難事件を題材にしていた。
    映画は、ドラマとしては・・・・・。
    ただ、高所での大自然の驚異を体験するには、お勧めの映画だった。

    帰りは8時半を過ぎていた。
    自宅までは30分以上かかる道程だ。
    やけに向かい風が強く、ガンガンにこがないと、止まってしまうようだった。
    「何でこんなに風が強いんだ」
    車道を追い越される車に冷や冷やとしながら走っていた。
    そして、ふと想った。
    「58歳の私が、これをやるか」と。

    往復14キロはあるだろうか。
    好きな映画のためには何のその。
    千円で映画を観られるユナイテッドは、私にとってのメッカだった。
    金曜日の朝刊で、この映画の上映を発見した。
    そうしたら、やっぱり居てもたってもいられなくなり、
    突っ走ってしまう。

    いつまでこんな無茶な行動を続けられるのだろうか。
    60歳になる日のことを、自転車で向かい風に押されながら想っていた。
    左膝は痛みのせいで、まっすぐに伸ばせなくなっている。
    それでも豊栄の職場まで往復22キロの自転車の旅だ。

    昨日の朝、5キロのジョギングをしていたら、
    ひょうな場所で同級生のAと出会った。
    引っ越しの最中の彼を見て驚いた。
    「おおーっ、立派な初老の男になったもんだなぁ」と。
    髪の毛といい、肌の荒れ方といい、目じりのたれ方といい、
    ああ、そうなんだ。そういう年なんだと、
    彼を見て我が身を見る思いがした。

    「エベレスト」の登場人物たちもそうだった。
    独りは40代だろうか、
    過去に何度か挑戦して失敗したために、諦められずに、
    アルバイトを重ね、やっと参加できた男だった。
    山頂直下で体調を崩したが、
    ここで戻ったら再びここへ来ることはできないと想い、
    下山時刻をとっくに過ぎたのに、リーダーに支えられて登頂した。
    しかし、この判断の誤りで、二人は遭難し、命を失う。

    もう一人の50代の会社経営者は、家族に内緒での参加だった。
    彼も、過去に登頂を断念した経験をもっていた。
    参加費用は800万円。一か月間の頂上を目指しての旅だった。
    彼は登頂の日、ベースキャンプを過ぎた辺りから、酸素不足のせいか、
    視力が低下して、ぼやけて見えない状況となった。
    独り残されたまま大嵐に巻き込まれた。
    消息不明のまま死んだと思われていた彼が、
    嵐が去った晴天の中、よろよろとアタックキャンプまでたどり着いた。
    彼は凍傷のために、鼻と手足の指を失ったが、命には取り留めた。

    さて、この年になって日々生きて、生活するということは、
    ある意味、エベレストへの登頂と同じではないかと思っている。
    リミットはある。
    そのリミットを感じている。
    でも、そこから先、その一歩を無理して踏み込むかどうかだ。
    そのリミットを感じたなら、素直に受け入れ、引き返すか止まることだ。

    酸素が薄くなる高所では、体の細胞がどんどん死に至っていくと言う。
    老いるということも、それと同じことではないだろうか。
    リミットを知る。リミットに聴く。リミットに学ぶ。
    それが出来た者だけは、エベレストから生還できる者だった。

    登山は、そうした自分自身と向き合い、そのリミットを学ぶよき機会だった。
    だから、リミットを感じた者は、トレーニングをするのだった。
    朝は、晴れたら5キロを走ろう。
    週に2回は自転車で22キロを走ろう。
    ユナイテッドには自転車で行こう。

    それは、私の場合はエベレストではなく、飯豊連峰に登るためだった。
    さて、この自分の老いと衰えとを感じつつも、
    好き残るためのトレーニングは、これからも続けようと思っている。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年11月08日 05時17分28秒

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    こんなこともあるんだぁ

    南雲パン屋さんは、12月31日で閉店のようです。
    平日の昼前が空いているかもです。

    さて、昨日はアルビだった。
    ここで勝つか引き分けかで残留が決まる。
    その喜びの瞬間に立ち会おうと、サポーターが集結した。
    一時間前に入って、やっと片隅に席を発見。
    以前はガラガラだった両脇も、今では争奪戦となったようだ。

    試合は・・・・。
    スピードと個人技に勝る湘南に振り回され、
    まさにやられっぱなしのアルビだった。
    この試合がどれだけ重要な試合であるかは、
    選手たちが一番分かっているはずなのに、
    その熱い捨て身の想いは、その動きからは伝わってこなかった。
    後半は、シュートもなく、何をやってんだと、腹もたった。

    それは観ていたサポーターも同じ気持ちだったらしく、
    残り時間がわずかになると、何とも重い空気に会場が包まれた。
    そして、何と0対2で試合終了。
    歓喜の湘南とは対照的なアルビだった。

    ところが、ところがだ。
    サポーターのあちらこちらから、「やったー」「ほんと」と、
    喜びの声が聴こえて来た。
    何だ、何だと不思議に思っていると、
    隣の若者がスマホを見せてくれた。
    「松本、負けましたよ」
    前半1対0で神戸をリードしていた松本が、
    何と1対2で神戸に敗れたのだった。

    こんなこともあるんだ。
    この瞬間、アルビのJ1残留が決まった。
    ほっとした。心の重荷がすーっと消えた。
    何だか心と体とがホカホカと温かくなってきた。
    さっきまでの怒りはどこかに吹っ飛んだ。
    「いかったねーーー」ただ、それだけの笑顔だった。

    何が起こるか分からないのが人生だ。
    だから、勝手に決めてしまわないことだ。
    どう流れ、どんな結果となるのかは、天の配剤。
    私にできることは、目の前のボールを必死に追いかけることだけだった。

    情けなくとも、大逆転だ。
    おめでとうアルビ。
    ありがとうアルビ。
    来年もスタジアムに応援に行くからね。

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    waka

  • from: たまごさん

    2015年11月07日 14時54分42秒

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    南雲パンや何時までですか?
    納豆パン、ピリ辛ソーセージパン、少し甘めのコッペは大好きで、

    なんだか寂しいですね。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年11月07日 10時54分18秒

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    南雲パン屋さんが閉店するぞ

    さて、ご近所のパン屋さんが大変なことになっている。
    それは、「南雲パン屋」さんだ。
    私は幼い頃から通ったパン屋さん。
    ここのサンドイッチが土曜のお昼の定番だったこともあった。
    なっとうコロッケが特に有名で、
    一度食べたら忘れられない味となる。

    名物叔父さんと叔母さんと、たくさんの叔母さんたちの授業員と、
    とにかくいつもお店にはお客さんが居て、
    そして、幾つもパンを買い求めていた。
    サラダ・コロッケ・ナポリタン等の惣菜の入ったパンも絶品の味だった。
    何よりもここのパンの食感と甘さとがほのよく惣菜とマッチする。
    私にとっては隠れた名店だったのに・・・・。

    今朝、次男が買いに行ったら、朝の8時で既に完売だった。
    さっき、走ったついでに寄ってみたら、
    何とその後に売りに出したパンもあっという間に売り切れるだろうと思われた。
    車が次々と止まっていたからだ。
    どうしてこんな末広町の小さなパン屋さんがホットスポットとなったかというと、
    50ねんだったっけな、何年だったか忘れたけれど、
    店主の体調と老年化によるリタイヤを発表したからだった。

    ガーーーン。納豆コロッケパンをもう食べられなくなってしまうのか。
    それは、私のような隠れファンにとっては、
    大変な打撃で在り、衝撃だった。
    どれだけたべたであろうかあのパンを。
    それはそれは、味と共に私の魂にしみ込んでいる大切な思い出でもあるのだった。
    近所のパン屋さんとは、
    そこで暮らしてきた人たちにとっては、
    ノスタルジックな場所ではないだろうか。

    あった時は、当たり前のようにあってくれる。
    しかし、無くなると聴くと、途端にみんな駆けつけて来る。
    そんな貴重な世界遺産が、もうすぐ幕を閉じると言う。

    まだ、食べていない人たちに勧める。
    今しか食べられない、今だから食べられるものがある。
    ぜひ食べたことのある人も、まだ食べていない人も、
    魂の味である納豆コロッケパンを、ご賞味あれ。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年11月06日 05時03分42秒

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    あつらの世界とこちらの私と

    ふと想うことがある。
    今日もまた生きているなぁと。
    そして、いつまでこうして生きられるのかなぁと。
    いつかはあちらに逝かねばならない。
    あちらではたくさんの人たちが待っていてくれる。
    今も、こうしていても、あちらからの眼差しを感じる。
    ここに生きていても、あちらとのボーダーラインはここにある。
    今は、こっち側に存在しているが、
    明日はどうなのかは、誰にも分からない。

    チーンと、仏壇に手を合わせる。
    ああー、そうなんだなぁ。
    こうしてなまなますることを、父と母は教えてくれた。
    「今日一日、みんなが無事でありますように」と、
    私たちのことを守ってくださいと、心で語りかける。

    運転しながら、飯豊の連山が美しく見える日がある。
    私は、そんな山からの励ましを感謝しながら、
    山々に語り掛けたりしている。
    その語り掛けは、リアルに伝わっていくような気がする。
    それは、山との呼応のような感じだ。

    昨日は、夕焼がそれはそれは美しかった。
    私は窓からその夕焼雲を見ながら、
    時を忘れて魅入っていた。
    夕焼雲の深い深い朱色が、私の心に何かを語り掛けて来た。

    ああ、独りなんだなぁと、そう想う。
    でも、そうだからこそ、不思議とあちらの世界と語り合える。
    今もそうだ。
    こんな真っ暗な早朝に、薄くナイフのような三日月が光る朝に、
    意味もなくこうして言葉を自分で想いつつしたためている時、
    私は、この言葉を誰に向かって語っているのだろうか。
    宛先のない手紙のようだ。

    しかし、宛先は、既に決まっているようであるし、
    この言葉一つ一つは、語られた瞬間に受け止められ、
    何かの手応えや、返信があるような気もしている。

    残された命だ。
    そう考えられる日々となった。
    そのせっかく生きられているこの一日一日を、
    私は、どう受け止め、どう想い、何を為しながら、生きたらよいのか。
    その答えを探す旅が、この毎日の日々なのだとも想えるようになった。

    その問いに対するメッセージは、きっといつもここにあるのだと想う。
    ただ、その声なき声を聴いていないだけだった。
    あちらの世界の人たちは、
    きっと愚かに日々を生きている私を見守り、微笑んでいるだろう。
    いつも心配し、励まして、傍に居てくれるだろう。

    山々は、やっぱり私を見つめ、「おおっ」と応えてくれるだろう。
    夕日は、やっぱり「お疲れさん」と、慰めてくれるだろう。
    何だか、その見えない人たちと聴こえない声で呼応することが、
    私が日々を生きる意味ではないかと、
    そう想うことにした。

    独りでいいんだ。
    独りだから、その姿を感じられ、その声を聴けるんだ。

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    waka たまご

  • from: クマドンさん

    2015年11月03日 22時38分22秒

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    残された人生を、歌い続ける

    東区ボーイズ。トークボーイズは、男声合唱団だ。
    平均年齢は、70歳に近いのだろか。
    17名のロマンスグレーの男たちが、
    真剣に、そして本気で歌に向かっている。

    合唱を始めてやっているという人たちばかりだ。
    それはそうだろう。
    このメンバーを見たら、昔ながらの職人気質。
    仕事を命と家庭を顧みず、バリバリと生きて来た大先輩たちばかりだ。

    男という者は、なかなか自分を語らない者だった。
    私は、新参者として参加させてもらっているが、
    誰がどんな職業を経て、どんな家族構成で、今はどんな第二の人生なのか、
    それは知らずもがななのである。

    月二回、木曜日の7時から、はなみずきの公民館に集結する。
    声出しのボイストレーニングの後、
    発表会に向けた楽曲をみんなで歌う。
    これでも男性三部の合唱かなんだ。
    これがまた男性の声の艶やかさと逞しさに、
    聴く人は痺れてしまうようである。

    昔ミッチーミラー合唱団がいた。
    知っている人は60代以上だと想う。
    「史上最大の作戦マーチ」だ。
    そんな歌の響きの合唱団を私たちは目指して歌っている。

    今日、木戸芸能祭が東区プラザで開催された。
    そこで、私たちの東区ボーイズが合唱を披露した。
    歌うことの気持ちよさだ。
    混成でも歌うことができたことは何よりもの収穫だった。

    歌を歌う。
    これも私にとっては生涯の趣味となりそうだ。
    生涯続けられるものを、この年代に発見して続けて行こうと思っている。

    例えば、合唱であり、ランニングであり、登山であり、スキーであり。
    演劇の脚本であり、読書であり、音楽であり、書であり、映画てある。
    まだまだやりたいことはあるが、
    ここで留め、ここに夢中になることとする。

    東区ブラザースの大先輩たちも同じだった。
    それぞれが第二の仕事や、趣味や、社会貢献に大忙しで、
    実に、実に、充実した余生を送っている人たちばかりだった。
    そんな心のゆとりを持てなかったら、
    70歳になって合唱を始めようなどとは思わないことだと想う。

    それはある意味遊びなんだ。
    しかし、真剣に、そして本気で取り組む遊びをもっているか、そうでないかは、
    その年代の人生をどう彩るか、全く違ってくるものだ。

    願わくば、70歳を過ぎても心も体も健康であり、
    自由な気持ちで、ゆとりを持って残された人生を、
    自分の好きなことに打ち込めて死ねたら、
    それはそれで本望だと、私は想う。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年11月02日 21時36分42秒

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    東山の牛の角突き

    今年になって私がはまってしまったものがある。
    それは、牛の角突きだ。
    山古志と小千谷では、
    それが伝統的な行事として行われていることは知っていた。
    闘牛と言いながら、牛と牛とが角をぶつけあって優劣を競う。
    そんな競技だとなんだとしか想っていなかった。

    しかし、しかし、しかし、現実はまったく私の予想を覆してくれが。
    牛と牛とのがちんこの勝負。
    それを「よしたー、よしたー」と励ます勢子たちの心意気。
    まさに、それは闘牛場と言う舞台で行われる魂の相撲興業だった。

    昨日は、小千谷での千秋楽だった。
    この闘牛場に行くだけで、私の興奮はいやがうえにも高なってしまう。
    駐車場の傍には、出待ちの牛たちだ。
    それも巨体の黒牛たちが、気合を入れて綱に繋がれていた。

    会場はさながらギリシャのコロセウムである。
    生き死にはないが、ここでは牛たちの本気のがちんこ勝負が行われる。
    それぞれが四股名をつけ、番付に上がっている。
    飼い主にとっても、勢子たちにとっても、
    その場所は晴れ舞台なのだ。

    引きだされた牛たちが実にいいんだ。
    それぞれ、個性と存在感をぷんぷんとさせて、
    とにかくこれから始まる対戦の物語には、
    何とも言えぬ魅力があった。

    角を突き合わせる前に、しっかりとお互いの力量を値踏みする。
    牛たちにはそれぞれの得意技があり、
    それをどうやって相手の裏をかいて繰り出すかは、
    その牛の想いにかかっていた。

    鼻にかかっていた綱を解かれ、勢子によってその綱が投げ上げられると、
    いよいよ角突きの始まりだ。
    突っかけ、退き、いなして、睨み合い、また押して押して押しまくる。
    小千谷の角突きは、本気で牛を戦わせる。
    そして、牛の気性を見て、牛の習性を覚え、牛の気持ちに沿って、
    その戦いを、勢子たちは思う存分に戦わせる。

    その一番一番が尊く、美しく、健気で、おかしくもある。
    声なき牛の呟きは、解説のじっちゃんが語ってくれる。
    ああ、牛は物語を演じているんだ。
    この瞬間、この刹那、それは牛と勢子との命懸けのその時なんだ。
    私は、錦鯉の描かれたワンカップを片手に、
    その長閑なる戦いを楽しみ、一喜一憂、「よしたー」と掛け声をかけていた。

    ああ、牛は、俺だなぁ。

    あの牛の戦いに我を忘れて魅入っている人たちは、
    そんな気持ちで、心からの声援を送り、拳骨を握りながら応援している。
    千年も続くこの角突きの文化とはいったい何なんだ。
    いつもいつもそんな牛たちのがちんこに、涙が流れて止まらない。
    徹底的に私も酔っぱらい、
    とうとう大事にしていた30年来のサングラスを落としてしまった。
    闘いに酔い、酒に酔い、小千谷の勢子の心意気に酔っぱらった。

    五月に山古志だった。
    九月に小千谷だった。
    そして、十一月にまた小千谷だった。

    まだ一度も観たことのない人たちに私は言いたい。
    この闘い、死ぬまでは一度ぜひぜひご覧下さいと。
    そこには、牛たちの物語がある。
    そして、その牛たちを家族と同じ気持ちで育てている人たちの熱い想いも。

    そんなこの角突きへの想いの深さと熱さとに、
    私はやっぱり涙が止まらなくなってしまうのだった。

    明日は、山古志の千秋楽だ。
    この場所が今年最後の角突きとなる。

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    waka

  • from: クマドンさん

    2015年11月01日 06時15分10秒

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    焚火の会

    Cさんから、嬉しいお誘いだった。
    阿賀野川の河川敷、高速道路の下で焚火の会やりましょうとのとこだった。
    キャンプするよ。酒飲むよ。泊りの用意をお願いします。
    私は職場帰りの背広とネクタイ姿で、現地に到着した。

    車のライトの灯りで、焚火場と宴会場を設営した。
    一斗缶を縦に斬った入れ物に廃材をどんどんくべた。
    火が勢いよく燃え盛る。
    私は、炎を見ていると妙に心落ち着く修正を持っている。
    まさに縄文人のDNAなのかもしれない。
    アーバンで、キャンプなのだ。

    そこへもう一人の仲間のOさんが登場した。
    Iさんも自転車で参戦し、Hさん家族も火を囲んで座っていた。
    火を囲む。まさに、そこには心落ち着く空間があった。
    和むんだなぁ。ほっとするんだなぁ。
    それは昔の古民家にあった囲炉裏の世界観だと私は想った。

    そこてわいわいと語られることは、何気ない他愛無いことだった。
    でも、そうして語り、笑い合いながら、
    しっくりと人と人とが繋がっていくことが感じられた。
    照らされるのは、私たちの前面と顔だけだ。
    背中は寒く、闇がある。
    火を囲んだ運命共同体とでも言うのだろうか。
    焚火は、私たちの語りを温かく育ててくれた。

    さて、いつしか山登りの話になった。
    「飯豊に行きたいですね。」
    やはり、この新潟で山登りを始めてしまった人たちにとって、
    飯豊は、巡礼のメッカなのだ。
    しかし、飯豊への道は遠く、遙かな道でもあった。
    この山は、鍛えられていない登山者には、厳しい山となっている。
    その気高く荘厳なる孤高な姿が、メッカのメッカたるゆえんだった。

    やりましょう。
    そのためには、来年から計画的にステップアップしていきましょう。
    焚火を囲むと、こんな未来の夢までどんどん語られるものだった。

    ふと、その時みんなから出た言葉が、
    「焚火の会、やろてば」だった。
    自宅近くの通船川沿いの畑の近くで、
    この一斗缶を持ち出して、
    ゲリラ的に焚火をやって仲間を集めようという算段だった。

    この仲間、なかなか面白すぎる仲間で、
    こんな無謀で無茶な計画もすっと全員の合意を得て、
    シャンシャンと決まってしまうのだ。
    「まちづくりは、焚火からだ。」
    まさに焚火談義は、そこまで行ってしまうのだ。

    アアーバンでキャンプを。
    これはぜひ皆様にお勧めしたい。
    しかし、くれぐれも人さまにはご迷惑をかけず、
    社会的なルールを守って行うこともお願いしたい。

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