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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年04月29日 06時38分17秒

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    試練によって回心が生まれる

    三日前から、どういう訳か、左臀部から太腿にかけて痺れが在る。
    たち上がって、足の着き方によっては、激痛が走る。
    これは、かってやった椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛か・・・。
    またまたあの激痛の日々の苦しみ・辛さだけは勘弁願いたい。

    原因を探ってみたら、このパソコンだった。
    「親父たちよ」にかかる時間が多くなった。
    この回転椅子の座り心地の悪さと、
    同じ姿勢を長時間続けているので、
    こうした神経の歪みがでたのではないかと、素人は診断をした。

    それから、毎朝、1時間近く、腹這いになりながら、読書をしている。
    「エックハルト説教集」だ。
    10年以上前に数ページ読んでギブアップした文庫本だった。
    13世紀のドイツの神学者の教会での説教集だ。
    その本がどういう訳か、今の沁みる。
    書かれてある真理に驚き、本気ではまった。
    すると、やっぱり同じ姿勢でいるために、腰には大きな負担となっていた。

    四日前は、何でもない身体だった。
    それが、いろいろなことが原因として重なり、
    こうした異常をきたすようになった。

    昨日の夕方、シンさんのお店に行った。
    「レバ刺し」を食べるためだった。
    本当は昨日か山の下祭りの宵宮で、今日が祭りの本番だった。
    しかし、太鼓や笛の音は何も響かず、
    中地区の駐車場には、各町内の木遣り太鼓の一団の姿はなかった。

    カウンターでは、久しぶりのIさんがご機嫌に飲んでいた。
    私も「サムライロック」を頼んで、一口飲んだ途端だった。
    「うっ」と鳩尾に痛みが走った。
    「何だ、こけは・・・」身体の中で悪さが始まった。
    あの例の胆石の痛みだった。
    「おいおい、ここでですか・・・」これからレバ刺しで一杯と思っていたのに・・・。
    それでも我慢して、痛みを堪えて、一杯飲んで、レバ刺しを平らげた。
    それで一巻の終わり。

    自宅に帰ってから、布団の上で四つん這いになったまま、呻いていた。
    「殺してくれーーー」だったな。
    救急車で病院に運ばれては、みなさんのご迷惑になるだろう。
    だから、このまま、ここで、お陀仏になることにした。
    私は、身体を九の字にしたまま、布団の中で唸った。唸った。
    その内に、眠ってしまったらしい。
    いつの間にかその痛みが和らぎ、消えていた。
    あれは、一体何だったのかだ。

    西部劇「エルドラド」を観た。
    腰に弾を受けたままの中年ガンマンのジョウ・ウェインだ。
    その弾のおかげで右手が痺れ、銃を持てなくなってしまう。
    その上、右足を撃たれ、松葉杖をついて、悪者の退治に向かう。
    相手は、彼と勝負をしたいと願っている凄腕ガンマンだった。
    相手はウエインが身体が不自由なことを知って、相手にもしなかった。
    そこに油断があった。
    ウエインは銃ではなくライフルで、右手ではなく左手で、相手を撃った。
    男は、どんなに傷ついて、不利であっても、正義のためには闘うものだ。

    私の身体も同じだった。
    腰は、無理の出来ない軟な腰となっている。
    だから、ヨガで腹筋と背筋とを鍛えている。
    胆嚢は既に私の身体にはない。
    そのおかげで、胆管へ小腸から細菌が逆流することもある。
    十時間の大手術のおかげで命拾いした私だ。
    内臓にはそうした障害を抱えて生きている。

    高血圧に高脂血症だ。
    尿酸の薬を入れて3錠を毎朝欠かさず飲んでいる。
    つまり、私は、それなりに身体が弱り、それなりに痛みを抱え、
    時々、古傷による激痛に見舞われながら、それでもやっぱり生かされている。

    今朝のラジオでは、旧王宮植物園でボタニカルアートとして植物画を描いている、
    山中ますみさんのお話しだった。
    彼女が英国の伝統的な植物園で植物画を描くようになったきっかけは、癌だった。
    食器デザイナーとしてステイタスな活躍をしていた彼女は、
    44歳で乳がんが発見された。直ぐに手術をして、放射線療法を続けた。
    その時、リハビリをかねて書きだしたのは、お見舞いで届けられた花たちだった。

    植物にはそんなにも興味が無かった生活をしていた彼女が、
    「どうして人は、病の人に花を贈るのか」疑問に思った。
    「そう言えば、アロエは火傷に効いた。今でも薬として使われている」
    「私たちが吸っている空気も、植物のおかげで地球には存在している」
    そんな時、独り身の彼女は、「植物」と共に、自分の命に付いても考えた。
    そして、2年後癌が転移して、子宮と卵巣を全摘した。
    そして、彼女は、決意した。
    「この残された人生を地球のためになることに使いたい」と。
    そこで、この植物園の図書館にボランティアとして働きながら、
    植物画を描く勉強を始めたそうだ。

    「植物を描くことは、地球との対話」と、語っていた。

    さてさて、傷を負っても生きる。癌で臓器を失っても生きる。
    その時ではないかなぁ。
    人は、自分と初めて向き合って生きるのは。
    この命を、何の為に使うべきかの「問い」が生まれるのは。

    ウェインは、一度、この街を去って、放浪の旅に出る。
    しかし、親友の保安官と義理のある牧場主がピンチであることを知り、
    彼は、満足に銃を持てない身体でも、この街に帰って来るのだ。
    「この命、何に使うか」だな。

    山中さんは、自分には家族が無く、独り身であることをひしひしと感じた。
    それでは、子どもの居ない私が、この世に遺せるものは何なのか。
    そこで、ボタニカルアートと出会い、個展を開くまでに成熟した。
    食器デザイナーの成功を捨て、大きな家を売り払い、不退転な決意で臨んだ。

    何だかねぇ。
    人は、どうして病気や怪我で、生き方を変えることがあるのだろうか。
    それは、生き死にの境を超えることで、
    大きな病で身体に障害をもつことで、
    それまで出会えなかった生きるためにはとてもとても大切なものと、
    その時、人生で初めて向き合うからではないだろうか。

    それは、「自分」と「命」と、「何のために生きているか」の「問い」だと思う。
    試練とは、そういう「意味」でとらえると、
    それは、私の人生に与えられた神からの奇跡であると感謝している。
    確かに、それを境に、人はその人の生き方を変える。
    試練によって、確かに「回心」は生まれるようだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月28日 07時29分27秒

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    訂正2

    「風音花伝」
    「風色花伝」
    「風舞花伝」

    かもしれないなぁの気付き。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月28日 06時53分48秒

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    訂正です

    「風姿音伝」→「音姿花伝」
    「風姿色伝」→「色姿花伝」

    さて、どっちだろうと、またまた考える。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月28日 06時40分58秒

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    自然からの言葉を求める

    私たちは、今回のことで何を失ったのか。
    そして、いつまで続くか分からないこの現状の最中に、
    私たちは、どう生きたらよいのかの「問い」だった。

    4時からの「明日への言葉」で能楽の観世流の家元の話だった。
    銀座に4月から新たに観世流の能楽堂をオープンする。
    この放送は、それを予告するための放送であった。

    2020年は、「東京オリンピック・パラリンピック」の年である。
    多くの外国からのお客さんが日本にやって来る。
    オリンピックでは、スポーツ競技と同様に、
    その国の文化・伝統を伝えることも大きなイベントとして位置付けられている。
    だから、日本の伝統芸能の能を世界中に伝える絶好のチャンスである。

    そのために、オープンにふさわしいプログラムを用意して、
    日々稽古に精進し、自らの技に磨きをかけている。
    若い能楽師たちにも発表の場を設けるために、
    古典的な演目を現代的な感覚でとらえ、創り直した演目を考え、稽古している。

    また、銀座には、歌舞伎座が在る。新橋演芸場がある。
    そして、帝国劇場がある。
    つまり、この機会に歌舞伎と落語と演劇でタイアップして、
    日本の芸能・芸術の素晴らしさをしってもらいたい。
    今、それがどのような形で出来るか、話し合いを進めている。

    さて、やはり芸は古典であっても、現代的な感覚を取り入れる必要がある。
    だから、次の世代に芸を受け継ぎ、発展させるために、
    この新たな能楽堂のオープンを機会に、
    伝統芸能である能を体験・体感できる機会としたい。

    そのことは、世阿弥が「風姿花伝」でちゃんと書いているそうだ。
    次の世代にこの芸を受け継いで行く心構えと方法だ。
    芸は、次の世代に受け継がれてこその、芸だからだ。
    その時、本筋・魂が正しく受け継がれねば、芸そのものが死んでしまう。
    だから、稽古はいつも命懸けでやるものだ。

    室町700年の伝統としての「お茶」「お花」「お能」を、
    これからも若い人たちに受け継ぎ、いつまでも伝統として生き続けて欲しい。

    それから、能を観て、鑑賞することも大事であるが、
    昔の武将たちは、自ら能を舞ったものだった。
    舞うことの喜びと感動。
    自らが舞うことで、能が伝えて来た本当の魂を自らの魂とする。
    ぜひ、みなさんに実際に白足袋を履いて、舞台に立ってもらいたい。

    さてさて、ここで家元から語られたことが、全て失われてしまったことだった。
    2020年の東京オリンピック・パラリンピック。
    4月からの観世流能楽堂のオープン記念イベント。
    そして、歌舞伎座での歌舞伎。
    新橋演芸場での落語・漫才・コント・色物
    帝国劇場での、演劇・ミュージカル・宝塚。
    全てその日の為に長い長い月日をかけて準備して来たものだった。

    つい、数カ月前では、このことは、当たり前となっていた。
    私は、東京に新幹線で出かけ、能や演劇やミュージカルを鑑賞できる。
    移動はJRや地下鉄だった。
    東京では安いホテルに宿泊したはず。
    そして、レストランも居酒屋も、選ぶのに困るぐらいの営業だった。
    街にはいつものように人の波。
    どこへ行っても列に並ぶ。
    東京駅のあのごったがえした喧騒はどうだろう。
    しかし、今は、これも無くなった。

    こんな日が来るとは、誰もきっと予想すらしていなかったと思う。
    しかし、現実に、この日が来た。
    さて、どう生き延びるかの「問い」は、
    きっと全ての人たちへの「問い」となっている。
    しかし、当たり前に、当たり前のように生活していた時、
    この「問い」をもって生きていた人たちはどれぐらい居たのだろうか。

    不連続・断絶される可能性がある。
    生活の糧である収入を失うことが在る。
    仕事が全てキャンセルとなり、全く仕事の予定が立たない日が在る。
    自粛要請があり、休業・時短を余儀なくされることがある。
    希望と期待を胸に新入学・新社会人となったのに、学校が、会社に行けない。
    アスリートたちは、活躍する目標の大会を失い、
    プロの選手たちは、試合が全く無くなった。
    芸能人は仕事を失い。音楽家たちはステージを失い。役者たちは舞台を失った。

    コロナウイルスは、人の命を奪うこともある恐ろしい感染症だ。
    しかし、こうして感染していない人たちの生活の収入を奪い、
    こうして予定していた仕事を奪い、
    その人たちの夢や希望をも奪っているウイルスでもあるということだ。

    だからと言って、自粛は感染拡大を防ぎ、収束を早くするために、
    守らねばならないこととは思っている。
    しかし、だからこそ、今は、哲学者や、文学者や、芸術家たちの「言葉」が、
    求められているのではないのかの「問い」だった。

    ウイルスにはワクチンや新薬の開発が待たれている。
    それでは、心の感染に対しては、やはり「言葉」が必要なのではないだろうか。
    今こそ、その人たちに語って欲しい。
    今は、みんな「今日をいかに生きたらよいのか」迷っている時ではないかと思う。
    この孤独をどうやって慰めたらよいのかと苦しんでいる時ではないかと思う。
    人と人とが会うことすら批難される時を、どうやって人と人とは繋がればよいのか。
    人はみんな独りなんだが、孤立することはとてもとても耐えられないことだと感ずる。

    さてさて、この状況とは、何だと今朝、考えていた。
    「ああ、そうだ。あの長期入院の日々と同じだなぁ」と、私は気付いた。
    状況的には、半強制的な入院状態ではないだろうか。
    「家を出ないでください」
    「人が集まるところには行かないでください」
    「劇場にもコンサート会場にも行かないでください」
    本当にあの時は、身体も不自由であったから、
    全く病室・病院の外には出れなかった。
    それまで当たり前のように日々やり、楽しんでいたことを、
    一切できなくなった。奪われた。
    そこで、日々を生きることを余儀なくされた。

    私は、あの時に、独り生きることの楽しみを学んだ。
    一日を一日として何か1つだけでも喜びを感じて生きられるルーテーンを学んだ。
    そして、「忍耐」である。そして、「希望」である。
    それは、「いつか必ず退院したら、あき乃で蕎麦と天ぷらを食べる」と、
    私のベッドでの痛み・苦しみの「目標」となった。
    その「いつか必ず」は、私の日々を「生きる力」となった。
    けっして「このままでは終わらない」という「覚悟」になった。
    今も、その時と、同じ気持ちで日々を生きている。

    どういうわけか、4月から無色透明な存在となった。
    平日の日中は、独りぼっちでここで生きている。
    だから、考えることが多くなった。
    本当に自分と向き合う時間も多くなり、本も読んでいる。
    こんな時は、確かに「言葉」が生きる力であり、希望であった。
    その「言葉」は、今の私たちと同じ極限状態・非常事態の中で紡がれ、
    この世に生まれて来た「言葉」であるからだ。
    今こそ、自分を救う「言葉」との出会いなんだなぁと、感じている。

    世阿弥の「風姿花伝」の話があった。
    私は、この書物の題名を考えてみた。

    「能とは、風に舞う花の姿なんだ」と、気付いた。
    「音楽とは、風の奏でる音そのものなんだ」・・・「風姿音伝」
    「色とは、風に揺れながら輝く花の色そのものなんだ」・・・「風姿色伝」
    つまり、本当の芸の師匠は、自然のあるとの気付きだった。

    その気付きを顕わにしたのが、舞踏であり、能であり、音楽であり、絵画である。
    それは、何だか「あるがまま」の「自然の言葉」ではないだろうかの「問い」だった。

    このことを、昨日、小千谷のSさんと対話した。

    この非常事態宣言下で、人が求めているのは、
    この「自然からの言葉」なのではないだろうか。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月27日 07時01分18秒

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    「街の灯」であれ。「街の灯」になれ。

    チャプリンの「街の灯」を観た。
    BSのNHKでは、よくチャプリンの映画を放映してくれる。
    このご時世だからこそ、チャプリンなのではないかと私は思った。

    彼は、放浪者・失業者・貧しいその日暮らしの人だ。
    ある意味「社会の弱者」として登場する。
    その彼が盲目の美しい女性に恋をする。
    花を街角で打っている貧しい人だ。
    彼は、彼女から自分が持っているたった一つの硬貨で、一つの花を買う。
    彼女は、その時、彼をお金持ちだと想像してしまう。

    彼は、そのお金持ちの自殺を助け、ひょんなことからその人の友となった。
    金持ちは、酔っぱらうと人格が変わり、彼を友と思い込む。
    とにかく、あっちこっちに連れまわし、贅沢な生活を彼と共にする。
    しかし、酔いが覚めると、彼のことをすっかり忘れて、追い出してしまう。
    そんなことが、何回も繰り返される。

    彼は、この祖母と二人、貧しい暮らしをしている女性を助けたいと仕事を始める。
    放浪生活を行っていた自由気ままな彼は、愛する人を助けるために仕事をする。
    そんな時、彼女が家賃を払えずにこの部屋を追い出されることを知る。
    その22ドルを稼ぐために、彼は、ボクシングで八百長試合を引き受ける。
    ところが、あることから対戦相手が変わり、本気で闘わねばならなくなった。
    命懸けで、彼は、その賞金を稼ごうとする。

    しかし、負けた。
    彼は失意のまたあの金持ちの酔っぱらいと出会う。
    彼は、金持ちに彼女への支援をお願いする。
    彼は、千ドルもの大金を紙幣で彼に気前よく渡す。
    ところが、ある顛末で彼が強盗犯に間違われてしまう。
    彼は必死に警察官から逃れて、彼女の部屋に行き、そのお金を彼女に渡す。
    家賃の他に残ったお金で、目の手術をすることを約束する。
    そして、彼は、強盗犯人として街の中で刑事たちに逮捕される。

    数カ月の後、彼は釈放される。
    街でまた新聞売りの少年たちに虐められる。
    そんな彼が、あの彼女と再会をした。
    それはとても素敵な花屋のウインド越しだった。
    彼女をはにかみながら見つめるぼろぼろの放浪者だ。
    彼女は、彼を見て、ゲラゲラと笑う。
    それでも、彼は、じっと彼女のことを見つめ続ける。

    なかなか立ち去らない彼を見て、彼女は立ち上がって外に出る。
    一輪の花と硬貨を一枚、彼に手渡す。
    そして、彼の手に触れる。彼女は、気付く。この手が、彼だと。

    弱者はどうして排除されるかという話を「絶望名言」で聴いた。
    安倍公房さんの言葉を通しての語りだった。
    弱者は個である弱者もある。
    ところが、兎が集団となったら、
    ライオンが弱者となるのではないかということだ。
    「弱者への愛には、いつだって殺意が込められている」そうだ。
    放浪者である彼をいじめたのは、新聞売りの貧しい少年だ。
    貧しさの中でも、もっと貧しさにある人や、障害のある人は、差別される。
    不思議なことだが、兎の集団の「正義」が、弱者を死にまで追い込んでしまう。

    多数派に自らなることで、マイノリティーを排除しようとする。
    多数派にはならず、なりたくない個は、生きずらさをそうした社会では感ずる。
    そして、社会は適応しようとしないその個に対して苛立ちを感ずる。
    しかし、本当は、この生きずらさを感じているマイノリティーが、
    社会を変革・改革する力をもっているのに、
    大衆は、変革・改革を望まず、そのままの見かけで安定した生活を望む。
    だから、政府の言うことに従う。生活するためのお金が欲しいからだ。
    従順であることの多数派だ。

    「ふと未来が今までのように単なる青写真でなくなる」
    ある日、目覚めたら、世界がすっかり変わっていた。
    世界が、決して望んでいるものでもなく、受け入れ難いものと変わる。
    どうしてこんなことになったのか、誰も分からない。
    日常が突然断絶され、全く違った世界に自分が置かれてしまったとしたら。
    それは、「変身」のザムザでもあるな。
    世界は、連続ではなく、不条理な断絶だったの気付きだ。

    チャプリンの彼は、自分から望んで失業者になったのでないかも知れない。
    または、彼は、自分の幸福論によって放浪の道を歩んでいるのかも知れない。
    しかし、突然、世界は一変させられてしまうのだ。
    彼は、そんな大衆の独りでしかない。
    しかし、大衆はそんな彼を自分たちの世界から排除する。
    蟻たちに排除されたコオロギのようだ。

    「失明宣言を受けた人の目で街を描写する」
    正岡子規が日常のその自分が寝ている座敷の様子を感動して歌にしていた。
    そのことが不思議だったと萩原朔太郎が想っていた。
    ところが、自分も病で何カ月も病床にあったとき、
    自分も部屋に在るものや庭に咲く花や、虫や鳥に対して、
    何とも言えぬ味わいを感じ、どこを向いても素晴らしい風景に感じ、
    世の中に在る全てのものが美しく、愛おしく感じられたと言っていたそうだった。

    ずっとここに籠って、違う目で自分の身近なものを見つめる。
    今までとは、違った目で見つめる。
    改めて、そのものをそのものとして見つめる。
    そして、そのものを自分だとして、我々なんだと想って見つめる。
    病気で床に長い月日を伏せる。
    チャプリンの彼は、仕事を無くし、住むところも、金も無く、
    放浪の生活をしてやっと分かったことがあったはずだ。

    人生の幸せは、お金ではない。
    彼には、ただ、無私なる愛そのものしか存在しいなかった。
    彼は、ただ自分を捨てる。それが、それのみが彼の喜び。
    彼女は、目が見えなかったから、彼の姿に惑わされなかった。
    彼の本質は、優しさだ。
    その優しさを、盲目だからこそ、感じられた。確信をした。

    もし、彼女が貧しくも無く、盲目でもなかったら、
    この愛の人である彼と出会えただろうかの「問い」だった。
    「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」とイエスは教えた。
    彼は、そうしなければならないから、そうしているのではなく、
    ただそうしたいから、どんな犠牲を払っても、そうしているだけだ。

    試験の中で、人は、きっと生まれ変わることができるのだろう。
    しかし、その試練を自らの受け入れ、そこで学ぼうとするならば。
    試練を、魂の学校・道場として、そこで自分自身と向き合うのならば。
    きっと人を、見かけだけの幸せから、
    本当の確信をもった幸せに変えて行ってくれるのだと、私は信じている。
    今、日本中・世界中の人たちが、正岡子規と同じ病床の生活だ。
    そこで何を見て、何を感ずるか。

    さてさて、最後は「読書」についての言葉だったる
    「読まなかったら、こういう世界を決してもてなかったからね。」
    「決まった尺度だけで物が見えるって、怖いことではないか。」

    つまり、今は、この時なのではないだろうか。
    この不条理な状況に突然置かれてしまった私は、
    断絶を感じ、これからどうなって行くのかの予測も立てられない。
    その時、私は、視点を変えて、もう一度この世界を見直すべきではないのか。
    本当はここに全てが在り、全てを与えられていたのに、
    私は、それを外に求め、人に求め、金に求め、物に求めた。
    しかし、それらを断たれた今、私は、どうやって生きるべきなのか。
    それは、子規に与えられた「問い」でもあるはず。

    それは、放浪者である彼にも与えられた「問い」であるはずだ。
    そして、それは、アウシュビッツに置かれたフランクルの「問い」でもあった。
    本来、全ての人たちは非常事態宣言の中で生かされていただけなんだ。
    ただ、そのことに気付かず、いや、気付かないように目を背けて来ただけなんだ。
    これが、人間の置かれていた本来の、あるがままの現実だとしたら、
    私たち独り独りはどうやって生き延びればよいのかの「問い」だ。

    あの金持ちのようにほんの僅かの人たちが、社会の富を有すべきなのか。
    それとも、彼のように貧しくとも「隣人愛」で生きるべきなのか。

    「絶望名言」の語り手である柏木さんは、20歳から13年間難病で寝たきりだった。
    その病から奇跡的に回復を遂げても、今でも免疫が低下し、
    このコロナに感染したら、命すらどうなるか分からない身体の状態だそうだ。
    そして、彼が入院している6人部屋の患者さん全てが、
    ドストエフスキーを夢中で読むようになったそうだ。
    こんな試練に合う時は、重い文学が心に響くものなんだそうだ。

    本を読むということは、眼鏡を変えるということだと言う。
    裸眼で一つの見方だけで生きていた私は、
    その眼鏡を変えて、クリアに観ることで、現実がくっきりと見え、
    常識や価値観が変わるということだと柏木さんは語った。

    何かに縛られていた私が、その縛られていたものから解放される。
    ものの見方を変えると言うことは、そういうことなのではないだろうか。

    街に灯り(愛)があるから、人は生きられる。
    「街の灯」とは、きっとそういう映画だったのだと、改めて感じた。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月26日 06時28分39秒

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    独り独りの「連帯」を

    できることをやる
    できないことは続かない
    でも、私独りではなく
    十人が 百人が 千人が
    一万人が 十万人が 百万人が
    独り独りできることをやったら
    世の中は変わる
    必ず変わる

    今は、みんなが本当の幸せって何かを考える時なのではないか。
    自分にとってそれまで何も考えず、
    当たり前にあたりまえのまま過ごしていた日々は、
    それはそれで幸せだった。

    しかし、突然、こうして世の中が変わってしまったら、
    やっぱり、この状況下における生き方も、
    少しは変えて行かねばならないのではないだろうか。

    自粛である。
    妻は、私が外出することを嫌っている。
    私がまた何も考えずに行動して、感染者になることを恐れてだった。
    しかし、自分は美容院に車で出かける。
    それはそれでいいのだと、私も思う。

    昨日夕方、散歩をしたみなとトンネルの入口だった。
    張り紙がしてあった。
    「ウォーキング・ジョギングを自粛お願いします」という主旨だ。
    このトンネルは、走ったり、歩いたり、
    みんなそれぞれで思い思い自由に使うトンネルだった。
    さすがにスケートボード・犬の糞は禁止だったが、
    雨の日にはトレーニングの場所として重宝していた。

    しかし、こうした「自粛」と称するお達しが下る。
    だから、走っている人もまばらであった。

    飲食店への自粛要請が新潟市でも出た。
    つまり、お酒の提供は7時までで、8時には閉店するという。
    そうした掟を守ったお店には、協力金10万円が支給される。
    そうしたお達しが出ることで、お店はそのようにやらざるを得なくなる。
    開店していたり、ルールを破ったりすると、
    そのお店の名前を公表される。

    映画館が全て閉館状況だ。
    私は現在無色透明。
    仕事をしていないから、収入はあるわけはない。
    年金は今年の8月からの支給予定だ。
    つまり、私の懐からはお金が出るだけ、出るだけだ。

    実は、こんな立場に意識的に自分自身を置いたのは、
    心と身体との休養と同時に、
    仕事をしている時にできなかった好きなことに没頭しようと思ったからだ。
    ところが、その機会を今回のことで全て奪われてしまった。
    県境を越えることができない。つまり、JRの旅はもっての他だ。
    平日の映画館で、何本もはしごをしようと想ったら、その映画館の門が閉ざされた。
    それでは、市のトレーニング施設で身体を鍛えようとしたら、そこも閉鎖だ。
    久しぶりにスイムでもと思ったいたら、プールも閉鎖。

    コンサートは、3月のチケットは全てキャンセルに延期だった。
    折角獲得した「雪月花」も、コロナの為に走らないとの返金だった。
    それでは、居酒屋でお酒を飲んで・・・と思っていたが、
    友と会って、馬鹿話もできないご時世となった。
    独りで昼酒、夕酒の旅は続けているが、
    何だかそんな私も心のどこかで後ろ暗さを感じての飲みだった。

    さてさて、昨日、トンネルの張り紙を見て、
    今は、「戦時中」なのかと、ふと感じた。思った。
    何だかどんどん自由は失われ、不自由を余儀なくされている。
    コロナウイルスを収束させるために行われる必要な手段だ。
    ここで不要不急の外出をしたり、県境を越えて帰省したりすることは、
    コロナの感染リスクを高めるものだから、自粛して慎んでもらいたい。

    そのおかけで、川崎の次男は連休には帰省できない。
    近所の子どもたちが平日、道路で遊んでいるのは、
    学校が休校になり、学校へ行けなくなってしまったからだ。
    これもまた、戦時下の話のようだ。

    音楽家たちは、どうやって生活しているのだろう。
    演劇の人たちは、舞台公演のキャンセルによって、収入の道を断たれている。
    何カ月もかけて準備して来たそのコンサートや公演が消えてしまった。
    映画もそうだ。映画館が閉ざされると言うことは、上映されない映画となった。
    芸術は、戦時下では、真っ先に批判の対象となり、切り捨てられる。

    このコロナウイルスによってもたらされた現実のこの世の中は、
    「戦時中」「戦時下」と認識すると、「ああ、そうなんだ」と分かる気がする。
    または、危険な「戦争前夜」でもあるのかも知れない。
    経済的な破たん・失業・不況から、世界的な恐慌が起きる。
    チャプリンの映画は、こんな状況下での恐ろしい兆候に付いて予言している。
    「殺人狂時代」は、ヒトラーやムソリーニが力を得る前夜の物語だ。
    「独裁者」は、平和な内に何がうごめき、形作られて来たかを語った。

    マスクで利権を得る政治家や企業が現われる。
    国民の困窮した生活をよそに、自分の私服をちゃかりと肥やそうする。
    平温で、それなりに繁栄している時代は、誰がリーダーでもなんとかやれる。
    しかし、いったん、こうした危機的な状況に置かれると、
    そのリーダーの愚かさが露見する。
    ああ、無能な人だったんだ。裸の王様だったんだ。

    周りの家来たちは、ここぞとばかりに火事場泥棒のようなことを平気で行う。
    「身を捨ててこそ」と、自分を捨てて、
    国民の為に働く政治家を1人でも見たいものだ。
    こんなに政治とは、何の役にも立たず、あてにできないものだったのかの嘆き。

    でも、今、私が体験していることは、歴史のある時期にあった事実と同じこと。
    こんな生活・状況がこれから1年・2年続いたら、この国はどうなるのか。
    この国民の生活はどのように変化するのか。
    その変化の中に強制的に置かれた国民独り独りの精神はどのようになるのか。
    そのシュミレーションは、既に何度も何度も歴史が行って証明済みだ。

    だから、今、カミュの「ペスト」で描かれた、「連帯」こそ、
    独り独りが自分ができることを、
    困っている隣人のためにする時ではないかの「問い」だった。
    独りがどんなに無理をしてもその「連帯」は決して続かない。
    国家ではなく、企業ではなく、個人として、個人の自由として生きるためには、
    そろそろ私たちは、国ではなく、企業ではなく、お金ではなく、貯蓄ではなく、
    何だか独り立ちしてお互いを支え合って生きることが、
    求められているような気がする。

    これからどんな動きが国民の中で生まれるか分からない。
    みんなが粛々とこの定めにしたがっているわけではないからだ。
    今、不満やストレスを蓄積し、増殖している人たちも中には居るはずだ。
    実際に、弱い人たちへの暴力・差別も起きている。
    さてさて、実は、やっぱりこれは、「心」「精神」「魂」の問題なんだ。
    「心のペスト」に敏感であらねばならない。

    私たちは、独り独り、どのようにしたら「連帯」していけるのか。
    そのことを、考え続けている、今、だった。

    庭の花たちは、こんな世の中の状況にかかわらず、無心に咲いている。
    きっとこの花たちは、生き残る花たちなんだろうなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月25日 07時47分20秒

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    縄文人からの手紙を読む

    今朝のラジオ深夜便「明日への言葉」
    ほんの最後の5分だけしか聴けなかったが、
    大事な言葉を女優の渡辺美佐子さんから頂いた。
    「普通の生活ができなくなることが、戦争なんです」だった。
    彼女は今、原爆の独り語りを続けている。
    「戦争中は、毎朝手の上に大豆をのせてもらい、それが一日の食糧でした」
    何だかその言葉一つ一つが実感として感じられるような気がした。
    いつのまにかこの国も、あの太平洋戦争のような戦時下に置かれていたからだ。

    何だろうねぇ。
    バスに乗って出かけることすら、何だか悪い事をしているような気がした。
    バスの中や街を歩くときは、マスクをしていないと、じろりと見られる気がした。
    お店に入る時や出る時は、必ずアルコールで手を消毒する。
    お店では親しい人でも、椅子を1つ空けて座る。
    お店にお客さんの姿がめっきり少なくなった。
    いつもなら空いている席が少ないお店も、
    今ではどこでも座れるお店になっている。
    戒厳令下か、空襲警報発令なのか、人が街に出なくなった。
    歩いている人が、確かに減った。
    いや、みんなどこかに消えてしまったのだろうか。

    誰がこんな世の中が来ようとは予想してただろうか。
    きっとあの太平洋戦争の時もそうだったのだろう。
    朝鮮・満州。中国と戦線を広げて行った日本軍だ。
    それをしっかりと支え、誇りに思った日本国民だ。
    「万歳」「万歳」の声が街のあちらこちらで響き渡った。
    出征する若者を歓喜と誉で見送った。
    それが、全てのことの予兆だったとは気付かずに・・・。

    この先は、どんな世の中になって行くのかなぁと、ふと想った。
    1年2年のスパンになるのかも知れないと、専門家の中では言う人がいる。
    ついこの前、2019年の大みそかに、この日が来ることを誰が予想できただろうか。
    その翌日のお正月には、今年も家内安全・商売繁盛・健康第一をお参りした。
    「ああ、今年もよい年になってくれよ」と、
    「ああ、今年こそよい年になりたいなぁ」と、
    その日は、もう夢の日となった。
    そんな安全・安心が続くものだと、私も信じた。みんなも信じた。

    しかし、中国の武漢で新型ウイルスが発生し、感染者が増えている。
    「ああ、武漢がウイルスで大変なようだね」
    「それは可哀想ですね。早くそんなウイルスが退治されればいいのにね」
    いつも対岸の火事だった。
    そのウイルスが世界中に拡散し、感染者が何百万人となり、死者が何万人となる。
    そのことには、想い至らない。
    専門かであっても、その兆候に・兆しに危機感を持たなかった。

    国会は、「サクラを見る会」の出席者のリストを出せと野党は追究し、
    そんなものはあっという間にシュレッダーだと与党が応戦する。
    嘘と誤魔化しとの化かし合いで、
    誰も同時に行なわれているこのウイルスへの危機管理を問題としていなかった。
    しかし、台湾は違っていた。
    副首相?は、前回のサーズの時の感染予防大臣を勤めた優秀な科学者だった。
    最悪の事態を想定して、水際対策を行い、マスクや防護服の増産に勤めた。

    予兆は、どんなことにも必ず存在している。
    しかし、予兆があったとしても、その予兆を予兆として感じられない感性だったら、
    その予兆は、全く予兆としての意味を持たない。
    残念ながら、今の人間は、そうした自然が与える予兆に対して、
    益々鈍感になったきたようだ。

    ここに縄文人からの手紙がある。
    長岡の歴史博物館の写真に、火炎式土器を5器写したものがあった。
    私は、深夜便のさだまさしさんの話を聴きながら、
    何気なく紙にその火炎式土器をスケッチしていた。
    下の器の部分と火炎と呼ばれ上部の部分を分けてスケッチした。
    すると、ざわざわと何かが感じらた。

    渦のように、流星のような、河の流れのような、流線上の文様を描きながら、
    「これって、自然そのもののことではないか」の「問い」が生まれた。
    「流れる」「動く」「渦巻く」「続く」「生まれては消える」「今、ここ」
    こうした言葉の表現が、言えば言うほどそのもののでなくなるような、
    やっぱり、この流れる力強い文様でしか顕せないものこそ、「自然」なんだ。
    そんな驚きと感動だった。
    言葉は、そのものにはなり得ない。
    言葉は、単なる説明に過ぎない。
    言葉を持たない縄文人の、この文様こそ、そのものの顕れなんだ。

    次に、上部の火炎の部分をスケッチした。
    そして、またあの「何だこれは・・・」の驚きだった。
    それは、ある種の四足の動物だった。
    それは、羽を広げた大きな鳥だった。
    そして、それは二つ向かい合わせに描かれ、対になっていた。
    そして、みんな同じ方向。つまり、右回り・左回りに造られていた。
    そして、その足元にはぎざぎざの小さな波が描かれていた。
    「これって、この自然を生きる命そのもの・・・」ではないかの「問い」だった。

    つまり、文字を持たない縄文人は、神に感謝するために造られたこの土器に、
    神への感謝・賛美と共に、神の姿そのものを描いたのではないかの「問い」だった。
    命は自然の中だけで生かされるものだ。
    命と自然とは一体であり、繋がりであり、連続なんだ。
    そのことを縄文人は、神から知らされていた。
    だから、あれだけ長い間、平安に平和に暮らせたのだ。
    自然と共に生き、自然を畏敬し、自然に感謝する生き方こそ、
    自然の中で生かされている人としての本分・生き方そのものなんだ。

    この火炎式土器は、後世の子孫たちがそのことを忘れないように、
    記録として、戒めとして、教訓として遺してくれたものではないのか。

    いつから、人間は、こんなにも傲慢になってしまったのだろう。
    この「縄文人からの手紙」を、どう感ずるのだろうか。
    しかし、この縄文人からのメッセージを読み取れなくなっただけ、
    残念ながら愚かになったのが人間だった。

    「やれるけど、やらない」それが知恵なんだな。
    戦争は悲惨だ。だから絶対に戦争はしてはいけない。
    原爆は悲惨だ。だから絶対に原爆何か創ってはいけない。
    原発は悲惨だ。だから絶対に放射能を創ってはいけない。
    ウイルスは悲惨だ。だからある種のコウモリを食べてはいけない。
    「やれるから、やってしまう」
    これが人間が創っては壊し、創っては破壊した文明の正体だ。
    自然(神」に対する畏れは無い。
    「俺が一番」「俺の言うことをきけ」「俺の正義に従え」だな。

    どこに立っているか。
    何を基軸・根本・根底とするか。

    今は、こうした憐れな人間の運命から少し離脱して、
    この「縄文人からの手紙」を真摯に、謙虚に読み解く時ではないのだろうか。
    「普通の生活ができなくなった今」
    私たちは、何が普通の幸せな生活だったのか、考える時が来たのだと思う。
    ここで、間違った道を進んではならない。
    この予兆を謙虚に、素直に、受け入れることだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月24日 06時47分35秒

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    ピアノの調律・魂の調律

    昨日は、ピアノの調律の日だった。
    KAIZERという名のピアノだ。
    このピアノは、母が小学2年生の妹の為に買ったピアノだ。
    つまり、今から50年以上前のしろものだ。
    あの頃は、日本中が貧しい家庭だった。
    我が家は、1つ屋根の下に二家族が同居だった。
    玄関とトイレは共同。風呂は無し。

    部屋は玄関から入った4畳半と隣の6畳だけの部屋。
    そこで家族4人が布団を二組敷いてみんなで眠った。
    そうだよなぁ。あの父と母と一緒に布団に入っていた時代は、
    今と違って、親の体温が感じられる時だったなぁと、今は懐かしい。
    その部屋に、ある日、このピアノが届いたのだ。
    母は、子どもの為にはこんな高価な買い物もしてくれる人だった。

    しかし、このピアノのおかげで、6畳は手狭になった。
    今、想うと不思議なことだが、
    あの天井をネズミたちが走り回っているあばら家に、
    このピアノの黒がピカピカと光っていたな。

    この母の贈り物を、この二階の私の部屋に置いた。
    この家を新築する時、窓からクレーンで運び入れたピアノだ。
    想えばこのピアノにまつわる物語もいろいろとあった。
    そのことは、いつかまた書きたいと思う。

    どうして、調律を思い立ったのか。
    それは、この母の遺したピアノにまた命を吹き込みたかったからだ。
    私は、昔知り合いになった楽器店に電話して、お願いをした。
    そして、昨日、とうとう調律するために、Jさんが来てくれたのだ。

    「羊と鋼の森」という映画を観てから、調律師の仕事に興味をもった。
    実は、この題名がピアノそのものだっんだの驚きだった。
    そして、その音はどのようにして決められるのか、興味津々だった。
    私はお願いして、その仕事ぶりを間近で見つめた。

    中心の「ラ」の音から、音を決める。
    それは、オーケストラの時と同じだった。
    「ラ」とは、音としての小数点以下が存在しない。
    ぴしっと割り切れる。明確に聴きとれる音だそうだ。

    次に平均律で音とりをしていく。
    一音一音で決めるのかと想ったら、五度・三度と、半音の響きだった。
    そして、ピアノはポンと瞬間に出した音と響いて行く音とが微妙に違う。
    その音と音との響き・重なり。それを気持ちよく調整するのだと教えてくれた。

    低音は、太い一本の弦だ。それがだんだん細くなっていくと音が高くなる。
    それではもっと高い音はというと減の色が変わり、針金の色となる。
    何と一つの音に細い弦が三本並べて設定されていた。
    その三本は、同じ音の高さを出すための三本だった。
    一本でもと思ったが、「ああ」と合点が行った。
    細い一本では音が響かず、切れやすいのだ。

    三本の真ん中の弦の音を決める。
    それから数ミリ離れた隣同士の弦の音を決める。
    そのためにピアノの上段には弦を止めるピンが在る。
    何とこのピンは絶対に緩まないように六条の溝が刻まれているそうだ。
    それを特殊なナットで微妙に調整して音を合わす。

    問題は、音を正確に決めることではなく、
    そのピアノを弾く人に納得し、満足してもらえる音にすることだった。
    特に、ピアノは単音で慣らすことより、和音の響きが大切だった。
    その響き具合を調整し、オーダーにどれだけ応えられるかが職人の腕だった。
    メーカーによってその響きが違う。
    また、同じメーカーによっても一台一台ピアノには個性が在る。
    だから、初めて出会うピアノには、とても緊張すると言っていた。
    ます、そのピアノを知ることが始めねばならないからだ。

    次に、ここから大事な技術なのだが、
    思い通りにピアノがリスポンスしてくれないことが多い。
    その時、やはり「迷い」が出るそうだ。
    全体のバランスとハーモニーを求めるために、
    一音を調整し直すと、また全部の音をやり直さねばならない。
    また、30年間も調律していないピアノは、また暫くすると緩むので、
    一度の調律に2度巻き直す必要があるそうだ。
    そして、ゆるみを想定して、微妙な調整を施す必要がある。
    だから、いつでも真剣にピアノとの対話だった。

    「絶対音感」と「相対音感」の違いも教えてもらった。
    絶対音感は、一つの音を聴くだけで、その音を決められる人のこと。
    相対音感は、二つの音の高さの幅で、基準ではないもう一つの音を決められる人。
    調律師の人たちは、その相対音感を徹底的に鍛え上げるそうだ。
    だから、いつも二音・三音と音を響かせて調律していた。

    さてさて、面白すぎる話ばかりで、実は、
    たくさんのことを学ばせてもらった。
    ヤマハは、山葉さんが100年前に静岡で、
    最初の国産ピアノを創ったからヤマハなのだそうだ。
    その工場の職人の1人であった河井さんが独立したからカワイなんだそうだ。
    もう1つ日本にはレアなピアノメーカーがあるそうだが、名前を忘れた。

    そして、実にピアノは精密機械・幾何学の世界であることもよく分かった。
    全ての角度・厚さ・幅・材質・長さ・重さと、
    経験から最も優れた値を発見され、精巧に作られている作品であることだった。
    「このピアノは、いい状態ですね」
    「当時では、このピアノはとても高価だったと思います」
    何だか母を褒められているようで嬉しかったな。
    「お母ちゃん、いかったね」

    さてさて、お仕事が終了してから、コーヒーを飲みながら職人の話になった。
    どうやって音を決めて、仕上げとするかだ。
    音の響き・固さ・強さ・弱さは、はかり知れない深さだと思う。
    そこにお互いの和音や響きの味わいを加えれば、
    その組み合わせはまさに無限にそれは存在するだと私は思った。
    では、どうして「ここ」に決めたのかの「問い」だった。

    「それは、説明できませんね」
    「昨年は私はとても迷って、スランプになっていました」
    「だから、ピアノに向き合うことが怖くも感じました」
    「自分でこのピアノを仕上げられるのか」
    「実際に一つのピアノの調律に混乱し、翌日また来ますということもありました」
    「でも、今年は、何だか自然と、すっと決まります」
    「迷わなくなったと言うよりか、考えなくなったのかも知れません」
    「あっ、これだは、これまでの経験と身体が決めてくれるようです」
    「その気持ちよい瞬間を、これだと決めます」
    「だから、迷い苦しむことが多い仕事ですが、楽しいですね」

    何とも哲学的で、とてもとても深い話だった。
    どんな仕事においても職人と呼ばれる人には、これがある。
    つまり、身体で覚える。説明できない。気持ちよい瞬間で決める。だな。
    その時は、こっちで「ああしてやろう」「こうしてやろう」とは考えていない。
    素材や個性はそれぞれだからだ。
    だから、まず聴く。素直に従う。やりながら反応を確かめる。
    「よし、これでいい」は、身体がちゃんと言ってくれる。
    そんな身体になるまでは、徹底的に修業・修業だ。
    その時、失敗が一番の技の糧となる。失敗は、職人の宝だ。
    だから、この仕事に「これでいい」の終わりはない。
    いつでも「途上」だ。だから一流の職人の技は、神の技なんだな。

    「あの小澤征爾さんが、まだまだ勉強だと言っていました」と、彼が言った。
    実は、彼はまだ30代半ばの好青年だ。
    「これから、これから、この道、始まったばかりだな」と、私。
    いつかまた、彼にこのピアノの調律を頼もうと思った。
    彼も言っていた。
    「調律は、その調律師を見て、信頼できる人にしてもらうことです」と。
    最後は、どんな一流の職人でも、人間が駄目なら、駄目な職人なんだ。

    さてさて、調律の代金の他に、講義の代金を支払わねばならないようだ。

    ピアノの音が蘇った。
    命が蘇ると言うことは、こういうことなんだ。
    ポンと鍵盤を押すと、音の響きが温かたった。
    この温もりは、母の温もりであり、彼の魂の温もりだと、
    何だかとてもとても嬉しくなってしまった私だった。

    今日から巣ごもりの生活の中に、ピアノの稽古が加わったる
    まぁ、全てのことを益にすることだなぁ。

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  • from: クマドンさん

    2020年04月23日 06時38分04秒

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    身体に気持ちよい話をしよう

    昨日、小千谷のSさんと電話で話した。
    日中家に独りで居るので、誰とも話さない生活をしている。
    それはそれでまた楽しなのだが、
    やっぱり何だか電話をしたくなる私だった。

    「身体に気持ちよいことをしましょう」が二人の確認事項だった。
    私は、毎朝のルーテーンについて話した。
    朝食をゆっくりと食べていることと、
    新聞を隅々まで丁寧に読んでいることだった。
    その時は、テレビを消して、FMのクラシックを聴いていることも話した。

    どうしてこのことが気持ちよくなるか。
    それは、こんな時間の使い方をそれまでの生活には無かったからだった。
    朝食は、7時に出勤するために、5分くらいでいつも食べていた。
    食べることが目的ではなく、早めに出勤することが目的だった。
    慌てて食べていた朝食は、何かの途中の出来事にしか過ぎなかった。

    新聞は、一面とテレビ欄をポストから取り出し、
    ダイニングのテーブルに置くまでにちらっと目を通すだけだった。
    「帰った来たら読もう」と言いつつも、
    読まなかった新聞が何日分もテーブルの上に、
    配達されたままの格好で積み重ねられてあった。

    そんな生活だから、朝、クラッシックを聴いてくつろぐ優雅な時間は全くなかった。
    あの入院中の病室を思い出した。
    あの時、出家状態だったから、
    このような気持ちの良い時間の使い方に慣れることができたようだ。
    「Sさん、あれもこれもとあくせくしないことにしました」
    「時間の流れがあるのなら、その流れにぷかぷかと浮かんで流されます」
    「気が付くと、もうこんな時刻なのかと、驚くことがあります」
    「そうやっていると、独りだから寂しいのではなく、充実しています」

    本当にそうだった。
    独りであることは当たり前だ。
    その独りで居られるかどうか。
    気持ちよく独りで生活して居られるかどうかが、
    この巣ごもり生活の秘訣のような気がした。

    そうであっても、少なくとも一つだけは仕事をする。家事をする。
    昨日は、大袋1つ刈った草木をまとめて捨てに行った。
    それだけで、一日の仕事は十分だった。

    昼食は、自分で作っている。
    何を作ろうか決めるのは、冷蔵庫の中に入っている食材だ。
    天ぷらがあったので、うどんにしようと想ったら、
    確かにここにあったはずのうどんが消えていた。
    「誰が、食べた・・・」と、仕方なく「喜多方ラーメン」にした。
    必ず炒めた肉と野菜を上に盛り付ける。
    おろしにんにくをたっぷりいれることが隠し味となっている。
    実は、ラーメンにも天ぷらが合うことを発見した。
    嬉しかったなぁだった。

    Sさんと話に戻る。

    「共感」についてだった。
    実は、本当に不思議なんだが、
    心から喜びと感謝をもって「共感」できる人と出会うことがある。
    私にとってはSさんが、その人だった。
    それは、カミュの「ペスト」の一場面だ。
    満天の星の下でリウーとタルーは海に行き、泳いで沖に出て行った。
    その時、タルーが語った物語にリウーは深く深くで共感するのだ。

    それは、自分だった。
    まさに、私が彼だった。
    その驚きと感動を味わい、二人は深い深い「友情」を感ずる。
    その時の二人には「共同感覚」つまり、「共感」が生まれた。
    共に同じことを感じ、それをお互いに確認し合う。
    それって、とてもとても不思議な二人だけの感覚だった。

    私とSさんは、その共感を「そうだねぇ」と言える。
    その同じと言うことは、そもそも「1つ」だと言うことだ。
    その一つが、Sさんにも、私にも感じられる。顕れる。確信できる。
    だから、この共感はゆるぎなく、いつまでも続く友情となる。

    それから、こんな話もした。
    火曜日の夕方、散歩の途中で花屋さんに寄った。
    するとマーガレットがとても可憐に咲いていた。
    何だか私のことを待っていてくれたみたいだったので、
    一鉢200円の花を3つ買った。600円也だった。
    店の中に入ると、見事なバラの花たちが私のことを迎えてくれた。
    今、花の値段も落ちているとのことで、
    大量に仕入れたとお店の人は笑顔だった。
    ピンク・イェロー・薄いレッド。
    そのバラたちが一抱えもあるほどそこにあった。
    私は、その中の一本と紫の花一本で花束を作ってもらった。
    450円だった。合計1050円だ。

    その時、ふと感じた。
    百円玉が、バラに変わった。
    お金とは、私が握ったままではお金のままだが、
    そのお金を使うことで、我が家にはバラの花がやってきた。
    今、ここに咲いてくれている二本の花は、
    私が1050円と言う代金を払ったからここに居るのではないか。
    私は、その事実に改めて驚いた。

    何だ銀行にどんなにお金があったとしても、
    そのお金は誰かの何かの役に立っているお金ではないのではないかの「問い」だ。
    この1050円は、花屋さんにとって在り難い収入である。
    そして、それは間接的にこのバラを育てた花農家のとっても大事な収入となっている。
    そのことで、その人たちの生活が成り立つと言うことは、
    そのお金がまたどこかで使われ、誰かの生活を助けるということだ。
    すると、一度使われたお金は、誰かが使い続けることで、
    人から人へとそのひとの生活の糧となり、力となっていく。
    そして、我が家の花壇にはマーガレットが咲き、ここにはバラが咲いている。

    これこそ、私ができる「連帯」ではないかとの話だった。
    Sさんは、私のこんな細やかな気付きの話に、いたく感動してくれた。
    このお金についての私の発見は、このコロナウイルスのおかげでもあった。
    「そうか。そうだったんだね」と、
    私たちは、これまでの82年間・62年間の人生の中で当たり前にしてきたことが、
    こんなにも深い「意味」があったのかと、改めて気付いた次第で会った。

    それは、とても身体に気持ちよい話になった。(笑)

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  • from: クマドンさん

    2020年04月22日 11時08分11秒

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    今こそ「連帯」する時だ

    さてさて、私には何ができるのかの「問い」だな。
    この非常事態宣言の中にあって、
    私は、日々、我が家に籠って生きている。
    仕事に行っている妻には、その仕事を頑張ればいい。
    社会における彼女の義務と責任だからだ。

    しかし、私には、それが無い。
    というか、こんな状況になるとは想定していなかったので、
    4月から仕事をリタイアすることに前から決めていた。
    私には一つの壮大な計画があった。
    もし、コロナウイルスによるこの不条理な状況でなかったら、
    私は、今頃、旅の途中だ。

    そのことが不可能であるとと、
    絶対に県境を越えるようなリスクを犯してはいけないことも悟った。
    何よりも引きこもることがベタァであると自覚した。
    それで、全ての予定は修正され、訂正された。
    それが、2週間前からの、この巣ごもり生活だった。

    そこで考えた。
    この非常事態で家に居なければならなくなったのだから、
    少しでもこの時間の流れを味わいながら、
    「ああ、今日もよい日だった」と、
    満足してビールを飲むためには、どうしたらよいのかの「問い」だった。

    その時、やっぱり想ったのは、あの長期に渡る入院生活のことだった。
    健康である時の、自由である時の常識を変える。
    いや、その病室のベッドの上での心の満足をどうするか。
    限定され、制約された中での、楽しみ・喜びを見出して行く。
    これは、「夜と霧」で書かれている、収容所での生き方だった。
    つまり、絶望をしない。状況を恨まない。怒らない。悲しまない。
    そして、何か1つ小さな楽しみや感動を大事にする。
    そして、収容所を出たら、あれをしよう、これをしようと、希望を持っている。

    フランクルの言うように、そうした生死の分かれ目である極限状況に置かれた時、
    本当のその人の人間性・人格が現われるということだった。
    それは、カミュの「ペスト」にも描かれていた。
    ペストの恐怖を忘れるために、酒を飲み、仲間と騒ぎ、オペラに出かける。
    現実から逃避するために、快楽を求める。陶酔を求める。
    しかし、酔いから覚めても、この現実には何も変わりが無い。
    それどころか、死者の数が増し、病院は医療崩壊状況となる。

    その時だ、旅人であるタルーは、
    ペストで死んだ人の遺体を処理する保健隊に入った。
    自らペストに感染する危険を犯してまでも彼は志願した。
    それは、見過ごしにできず、そうせざるを得ないと考えたからだった。
    「私は、ここに残ることにした」と、新聞記者のランベールも言った。
    自分はパリに居る恋人に会うために、この街を脱出する算段がついていた。
    なのに、このいつ果てるか分からないペストとの闘いの日々に、
    自分の使命を感じた。

    私は、反抗する。
    それは、私がそうではない、それは違っていると考える、
    世の中の大多数の人たちの意見や考え方に対して異を唱えることだった。
    こうした極限状況になると、人々は疑心暗鬼にかられ、
    正義と言う名の下に、集団となりある種の人たちへの攻撃を始める。
    そうしたイデオロギーや世相によるファシスト的な考えや直接行動を、
    「それは、私ではない」
    「私は、そんなことをするつもりで、ここに居るわけではない」
    そうした世の中の体制・大衆の動きの中で、
    じっとして立ち止まり、蹲り、動かないことは、「反抗的」と呼ばれる態度だ。

    次に、そう想ってこの世の中の動き・大衆の叫びの中で、
    同じように立ち止まり、沈黙を守り、じっと耐え続けてる人がいる。
    その二人がここで出会うことで、「われわれの連帯」が生まれる。
    そして、その深い気付きで連帯した者同士が、
    深く深くで「友情」で結ばれる。
    この「友情」は、決して「裏切らない」確かな絆となる。

    しかし、この大衆に迎合せず、時の権力者に阿らない個は、
    いつしかその大衆や権力者たちから批判される対象となってしまう。
    「お前は生意気だ」「お前は自分勝手だ」「お前は敵だ」
    そして、世の中からのバッシングは、その人の社会的な生命を奪っていく。
    孤立させられ、誹謗中傷の嵐を浴びて、ずたずたに傷つけられる。

    感染した人に対する非人道的・非人権的な行動を、聴くようになっている。
    とてもとても残念な話だ。
    善意でマスクを配布した人を罵倒し、攻撃している映像を観た。
    けっして、こんなことが行われないことを祈っている。
    地域社会において、職場において、施設や病院内において、学校において、
    そうした言動が行われることも現実には予想される。

    その時なんだ。
    黙ってそれを見ているか。
    自分にはかかわりのないことだと見過ごしにするか。
    まさか、自分がそのいじめや暴力の当事者にはならないとは思うが、
    ここでの集団の力は、怖ろしいものとなり、
    そんな大きな流れに巻き込まれて、間違った行動を「正義」してしないことだ。
    これは、現にアメリカのある州で実際に起こっている出来事だ。

    これが実は「心のペスト」だった。
    人道的に、理性的な行動が求められているこの危機的な状況の中だからこそ、
    「正義」の名の下に人々が集まり、差別や偏見による間違った行動を起こしやすい。
    それは、ここ100年間の世界の歴史を振り返ればよく分かる。

    妻は、職場で仕事をしている。
    それは、妻の義務であり、責任であるからだ。
    それでは、この緊急事態の状況下にあって、
    私たち独り独りが果たすべき義務と責任とは何だろうか。
    その「問い」を突きつけられているのが、現在の世界中の人々だ。

    その時こそ、独りで立てる人になってもらいたい。
    デマや偽情報に踊らされず、理性的に状況を判断することだ。
    そして、揺動する言葉には乗らず、
    深く深く「問い」をもって行動を判断することだ。
    今こそ、「まず立ち止まって、考えよう」だな。

    そして、そう想ってタルーたちのように「反抗的」に生きようと想う人たちが、
    お互いに出会いつつ、深く深く「友情」で結ばれ、「連帯」できる社会こそ、
    今は求められているような気がする。

    もし内なる自分自身が「ざわめく」なら、
    その声に素直に、黙って、聴き従うことが、私の生きる道なのだと、そう想った。

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