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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2019年02月28日 05時20分39秒

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    95歳・85歳

    95歳の叔母が、月曜日に倒れて、緊急入院だ。
    肺炎を起こし、心臓も腎臓も不全になっている。
    予断を許さない状態での入院だった。

    長男と次男とは、他県で生活している。
    叔母は、独りであの大きな家で生活していた。
    人には頼らない。
    自分でできることは、自分でやる。
    本当に気丈に生きて来た叔母だった。

    頑固で一徹。
    だから、私なんかのアドバイスは、いらない。聴かない。
    それでも、ある年からケアマネージャーと繋がり、
    ヘルパーさんの助けを受けるようになった。
    しかし、ヘルパーさんが来る日に、
    頼むべき仕事をみんな独りでやってしまう。

    そんな叔母も、最近は弱っていた。
    私たちが訪れると、以前は、玄関の外まで見送りに出てくれた。
    今は、日常生活を四つん這いになっての異動のため、
    玄関での挨拶となった。
    生活は、台所と寝室だけ。
    買い物はどうしていたのかと、何だか可哀想になってしまった。

    叔母が倒れていたのを発見したのは、
    心配して偶然近くに用事に来たケアマネさんだった。
    玄関の鍵が開いていて不審に思い、声をかけても返事はなかった。
    家に入って台所に行って驚いた。
    そこに叔母はうつ伏せに倒れ、声をかけても反応が微弱だ。

    金曜日には、具合が悪いから医者に行くと、ケアマネさんに電話した。
    そして、土日に倒れて、そのままだったのかも知れない。
    どんな想いで、そこにうずくまっていたことか。
    助けを求めても家には家族は誰も居ない。
    連絡しようにも、電話は遠く、連絡の手段は無い。
    身体は全く動けず、灯油も切れて、寒さの中だ。

    それでも、施設には入らないと、拒否をする。
    いや、元気で丈夫なために、
    介護認定が、要支援だった。
    つまり、叔母は介護保険で経済的な支援を得られない立場でもあった。
    しかし、トイレまでたどり着けず、何度も下着を濡らした。
    もうかなぁ・・・と少し観念した。
    そして、再び介護認定を受けようと言う手筈を整えていてこれだった。

    人は、本当に明日をも分からない。
    叔母は、昨日はベッドでぐっすりと眠っていた。
    さて、これからどうするか。
    私が言えることは、決して家族では介護をしないことだった。
    今、ここでの恩情や優しさ、世間体を考えて、
    施設に入れずに、自分が世話すると決断すれば、
    一緒に暮らしたその日から、修羅場が待っているからだった。

    介護には、土日祝日は無い。
    介護には、一日中気や身体が休まる時は無い。
    介護には、大切な家族に対して感情的になり、それが憎しみに変わることもある。

    長男と次男と私とで、今後のことを相談した。
    叔母のことを可哀想だと想う次男は、決断をしなかった。
    何とか叔母を前のような暮らしに戻したいと思っていた。
    そのことは無理なのだと知っていても、そうしてやりたい。
    その気持ちも、私がそうだったから、十二分に察せられる。
    しかし、ここでの恩情と優しさが、続かないことも、私はよく分かっている。

    さて、どうするか。

    本日は、85歳の義母がペースメーカーを入れるための心臓の手術をする。
    生きるとは、こういうことなのか。
    義母も体力が弱っているので心配している。
    ただ只管、手術の成功と術後の回復とを祈るのみだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月27日 05時37分56秒

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    不思議だなぁを感じていますか?

    不思議だなぁと、いろいろなことで想うようになってから、
    何だか生きると言う仕事も軽くなった気がする。

    私がやらねばならないのではなく、
    私がやらねばならないと向こうからやってきたことは、
    既にその時には、その道が造られ、その方向に導かれている。
    ただ、それに従って、こつこつとその仕事を積み重ねるだけ。

    その結果については、何も問わない。
    人は、確かにその人の立場や考え方から、
    いろいろと勝手気ままに辛辣にものを申してくる。
    しかし、みんな言うことが違っていたらどうしようだな。
    だから、聴きおく。
    それだけのこと。

    やっぱり、自分自身が腑に落ちたことだけを、ただやる。
    何も考えない。
    褒められることも、称賛されることも、
    けなされることも、酷評されることも、
    同じことをやった右と左。ただそれだけ。

    そんなことを気にしていたら、
    つまらん。つまらん。
    だから、人からどう想われようと構わない。
    気にしない。どうぞ、好きに言ってください。
    それは、ただその人の個人的な見解・意見に過ぎない。
    私は、そうは思わない。

    ならば、私は、私が善しと心から信ずることを行う。
    その不思議だなぁは、そう生きる私のことを、
    「それで、いいがな」と、認めてくれる。
    時には、「犀の角」だと、後押しをする。
    「独りで、生きろ」と、励ましてくれる。

    本当に気持ちが楽になった。
    どん底に居ることの「幸い」だ。
    人から、善く想われる必要も無く、
    そんな欲も全く持たなくなった。

    不思議だなあだけが、善しと言ってくれたら、それでいい。

    魂が「いい」と言うなら、それをやろう。
    そうするともぶれない自分として生きられるものだ。
    だから、人を見ない。人を聴かない。人を忘れる。人を無視する。
    では、独善なのか。
    まぁ、そう言われたらそうだろうと、想うこともある。

    「天上天下唯我独尊」

    これって、究極の独善であり、
    尊厳ある人間としての至高の生き方なのではないだろうか。

    それでは、その独りは、誰に聴くのか。
    それは、この神様からいただいた魂の言葉なんだな。
    その言葉を信ずることができた人は、
    不思議だなぁを、日々、生きられる人である。

    私は、そういう人に、なりたいと願っている。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月26日 05時04分53秒

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    魚沼バスの旅

    日曜日は、魚沼のバスの旅だった。
    快晴無風。
    八海山・巻機山がこんなにも美しく輝いているとは。

    富岡ホワイトだった。
    解説を聴きながら、一枚一枚絵を見つめた。
    富岡ホワイトをキャンバスに塗る。
    そして、刀鍛冶への特注のヘラで削る。
    そこに黒を入れる。
    あの独特の景色がそこで生まれる。

    難病を克服し、倒れ、腕も十分に使えなくなった晩年。
    その絵に、朱色の小さな線が入った。
    無数の細かな線の中に、
    朱色の線・点の集まりが、右から左へ、連なっている。
    それが、私には仏様の集団に見えた。
    無数の線や点は、仏の視点でのこの娑婆の姿。
    私たちはそこで生かされている。
    その私たちの中に、朱色の仏様・菩薩様が居る。

    私は、涙が流れた。
    絵を観て、感極まったことは、生まれて初めての経験だ。
    作者の想いが、迫って来た。

    湯沢の高半旅館の川端康成の部屋だった。
    そこに座って、谷川連峰の雪景色を堪能した。
    ここに三年間も逗留した。
    ここで、雪国が書かれた。
    今は、彼は、魂としての顕れ。
    文学という作品の中で、彼は、生きる。
    作品は、生きる。
    彼が、死んでも、作品は、彼の魂を宿したままだ。

    鈴木記念館で、棟方志功だった。
    まさかこの塩沢で志功さんの作品に出会えるとは夢のような話だった。
    昨年の九月に青森に行った。
    そして、棟方志功記念館で、あの曼荼羅を観た。
    その気魄に、その迫力に、まさに圧倒された。
    動けなくなってしまった。
    そして、ここにあの福世かな乳房を顕わな菩薩たちだった。
    みなモデルさんが居たという。
    しかし、私には、何だかみんな同じ女性に観えた。

    永遠の母。
    私の亡くなった母にも似ている。
    幼くして死に別れた母への憧れ。
    一途に板に彫り込んだ。
    彼は自分の版画を「板画」と呼んでいる。
    あの有名な十仏弟子の本物だ。

    ついでに、パプアニューギニアの民族文化にも触れる。
    ここにも、魂が生きている。
    魂が、語っていた。

    そして、鈴木牧之の「北越雪譜」だった。
    雪国のことを描き、江戸時代にベストセラーになった書物だ。
    何と自費出版だった。
    牧之は、どうしてもこの雪国のことを江戸の人たちに知らせたかった。
    その一途な情熱が、この書物になった。

    そうだなぁ。
    やっぱり、人は、一途な魂に成り切った時、
    何かの作品を残すんだな。

    その作品とは、その魂の姿・形。
    その魂の想いや願い。
    私は、作品と出会い。その作者と出会い。
    その作者が内から突き動かしている湧き上がる力を観ている。
    その魂としか呼べない力や働きが、
    こうして作品を産み出し、この世に遺った。

    あれは、作者の作品であるが、作者だけの作品ではない。
    そうせざるを得ない衝動に突き動かされて、
    顕れとしてこの世に現われた、魂の姿・形なんだな。
    そこに、作者が居なかったら、その作品は世には遺されない。
    そして、その作品が遺されたことで、
    魂のコトバは刻まれ、記録され、
    観る者の魂にその想いが継承されて行く。
    まさに、作品とは、魂の語り部なんだと、そう感じた。

    牧之通りから、でっかい真っ白な巻機山だ。
    ああ、あれもやっぱり魂が生み出した大自然の作品なんだ。
    山を観ると、胸がすーっと癒される。
    「これでいい」と、励まされる。
    「私のように生きなさい」との激励だ。

    あらゆるものは、やはり、魂からの作品なんだな。
    そうやって見直すと、きっと何かを語りかけてくれるはず。
    その声に感動した人たちが、作者となり、その声を姿・形にした。
    実に、尊いことだと、私は、想う。

    昼からは、やっぱり飲み続けのバス旅行だった。
    ずっと同じ姿勢のおかげで、昨日は背中の腰辺りの筋肉の痛み、痛みだった。

    その痛みを感ずるたびに、
    また、あの作品に、あの魂に会いに行きたくなってしまった。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月23日 07時17分28秒

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    足るを知る生き方を

    昨日、ちこちゃんを観た。
    何故、鶏が歩くときに頭を動かすのか。
    その答えに納得だった。
    それから、二つは問題があったはず。
    「おおそうか」と、やけに感動していたはずなのに、
    その問題が何であったのかが思い出せない。
    これでは、何だか観た意味がないような気がする。

    今朝も4時には目が覚めた。
    またまた、そこで本を読んだ。
    やっぱり眠いから、少しだけ眠ろうとして、こんな時刻だ。
    早起きをして、寝坊する。
    この私は、どうなっているのだろうか。

    しかし、歳をとって分かったことがある。
    長い時間をかけた分かったことだから、
    そのことは、私にとってだけは真理である。

    それは、「それでいい」と、想うことだ。
    そのことを、「どうして」とは、決して思わないことだ。
    私に起きることは、全て、ごくごく自然なことであり、
    みんなにもそれなりに起きることなんだな。

    観たばかりのテレビの内容を忘れる。
    早起きして寝坊する。
    そうあったとしても、「そんなこともある」と、嘆かない。
    何も問題にしない。
    「ああ、そうか」と、そのまま生きる。やり過ごす。
    その自然な流れが、少しずつ我が身になって来つつある。

    「無理」は、しない。
    これも、そうだ。
    身体の声を聴くことで、私は、無理から自分自身を守っている。
    「やればできる」は、とうの昔だ。
    「やりたくないことは、しない」
    「やれそうにないことは、やらない」
    「そこそこでいい」だな。

    数年前まで、いろいろなことに燃えた時期があった。
    あれもやり、これもやり、
    挙句の果てには、にっちもさっちもいかなくなり自爆する。
    自縛するから、自爆するんだ。
    それでも、やってきたのは、何かの使命感だったと少しは感ずる。

    ただ、もう、それも、やめた。
    組織的に動くことの何と不自由で、ストレスが多く、達成感の無いことか。
    言われて、命じられて、やれと義務化され、責任だと宣言される。
    そんな不自由なために、退職して自由人になったわけでない。

    そこからは、足を洗った。
    そして、「あいつは、駄目だ」と、言われても仕方ないと思った。
    そんなことを言われても、腹も立たない。
    歳をとるって、いいことなんだな。

    人の目が気にならなくなっている。
    それは、いいことなのか、そうではないのかは定かではないが、
    淡々と楽しくおかしく我が道を逝く。
    独りで居ることが多くなった。
    それは、人と合わせて行動することが面倒になったからだ。
    蕎麦も焼酎も、ワインもパスタも、酒と刺身も、独りだった。
    そして、シンさんや、吉原と気楽に話す。
    それが、何よりの酒となった。

    仕事に自分を追い込まない。
    あれもこれもとは、考えない。
    やるべきことは、渡されたその日に終了し、提出する。
    40分間早く出勤。
    その朝の時間に、がんがんと仕事する。
    午後3時を過ぎると、身体の方が閉店だった。
    その衰え方に、私自身が驚いている。
    へとへとになって、定時には職場を出発する。
    仕事は、全て勤務時間に終える。

    これは、昔から続けている習慣でもある。
    ただし、変わったことは、帰宅後の運動が無くなったこと。
    数年前までは、4キロ走った。
    ジムに行って、筋トレもした。
    今は、その元気も気力も意欲もなかった。

    「足るを知ることは、幸せなことだ」と、老子が言っている。
    まさに、身の丈、足るを知る。

    その原点に復帰する生き方こそ、
    歳をとってからも幸せに生きる生き方なのかもしれない。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月22日 21時21分12秒

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    眠ることにする。

    いやはや、夜、でかけたり、飲んだりすると、
    翌日は、覿面だった。
    まず。いつもの時刻に目が覚めても起きられない。
    あっと思ったら、もういつもの時刻から30分はたっている。
    そこで、腹這いになって本を読む。
    しかし、これが頭には入らない。
    ただ活字を追うだけの読書だ。

    その内に、眠ってしまう。
    顔を枕に埋もれてままで、気が付くと30分以上たっていた。
    「ああ、眠い」「ああ、ずっと眠っていたい」と、それだけだ。
    それでも起きていようとまた、本を読む。
    そのまま、不覚にも落ちてしまう。
    気が付いたら、5時55分だった。

    起きなければならない。
    「親父たちよ」を書かず、メールの返事もせず、
    ヨガを5分間もやらないままに、階下に降りる。
    風呂を追い炊きする。
    寒さの中で裸になって、体重を測る。
    四年前、退院した頃より、8キロ以上肥えている。
    その確認と、自らへの警告の為に、毎朝、体重を測る。

    そうやって生きている。
    何も大きなことはしていない。
    それどころか、日々はほんとの慎ましい、細やかな生活の繰り返しだ。
    昨日、「お先に」と言って帰ったはずなのに、
    今朝は、「おはようございます」と言って、パソコンの扉を開いている。
    その間、私は、いったい何をしていたと言うのだろうか。
    それが、私の、日々の生活だ。

    東区ボーイズの合唱練習に参加できなかった。
    とへとで仕切り直しが難しいと感じたからだ。
    退職したら地域活動に・・・・と思っていた。
    しかし、こうして現実に仕事をフルタイムですることで、
    帰ってからは、その他の一切の稼業やボランティアは無理だと悟った。

    歳を素直に受け入れる。
    アンチは、無い。
    もう眠い。だから、寝ることにする。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月21日 05時21分41秒

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    日々是好日なんだな・・・しみじみと生きる

    人生は突然に何かが起こる。

    そうだなぁと、納得だった。
    「日々是好日」をまた観に行った。
    観る度に発見や気付きがある映画だった。
    父親の突然の死だったる
    そのことには、何の前触れも、予兆もなかった。
    ある夜、倒れて、桜の咲くころ、父親はいなくなった。

    「雨聴」という書がかかっていた。
    そして、梅雨の雨が降っていた。
    その音は、秋の雨とは違う音だ。
    その音の中で、父が波打ち際に立っていた。
    その父へ、「ありがとうございました」だ。

    悲しみも時間をかけて慣れて行くもの。
    私は、母を亡くし、父を亡くした。
    そうやっても、こうして生きている。
    そして、次になくなってしまうのは、私自身なのだろう。
    その日も、きっと、突然にやって来る。

    季節があるからいいなぁと、感じた。
    寒さが一番厳しい時に、立春がある。
    寒さに耐えつつ、春を待つ。
    その今、ここの季節を感ずる。味わう。楽しむ。
    それがある意味、茶道だった。
    そして、そこには、いつも生活する人たちの想いが込められる。

    順風満帆ではない。
    そう生きていると思われている人の、心の底の孤独や辛さや哀しさだ。
    美智子は、故郷に帰り、開業医と結婚し、子どもたちと幸せに暮らしている。
    典子は、結婚間近に彼の裏切りを知り、結婚を取りやめた。
    その深い深い哀しみに、ずっとずっと沈んでいた。
    ある日、立ち上がり、着物を着て、お茶の武田先生のところに出かけた。
    ずっとずっと典子のことを心配して待っていた先生だった。

    しみじみと、かな。
    しみじみと、季節を味わう。
    しみじみと、人を想って生活する。
    しみじみと、日々の人生を生きる。

    24年間という歳月があり、
    典子は44歳となっている。
    どんな家庭生活なのかは、この物語では語らない。
    清楚で、凛とした着物姿が美しい。
    「世の中にはすぐ分かるものと、時間をかけて分かるものとがある」
    だから、その時間をかけて分かるものは、
    時間をかけて味わわねばならない。

    ある日、すると、頭で分かっていたことが、はっと分かる。
    そうだったのかと、腑に落ちる。
    気付くことで、その瞬間から、生き方が少し変わる。
    その機微を感じて、味わうことができたら、
    どんなにかその時間を深く充実した気持ちで生きることができることか。

    明日も今日と同じ日を生きられることって、幸せなことですね。

    そうみんなに語った樹木希林さんは、いまはこの世にはいない人だ。

    日々是好日 なんだ。

    「なんだか、ここから、始まるみたい」と、微笑む典子。

    日々新たに、ここから、今から始める。
    そして、何が起こるか分からない今日を楽しむ。
    どんなことがあろうとも、そのことを深く味わう。
    そして、自然のあるがままに目を向ける。音を聴く。

    そうか、お茶の味わいとは、
    そのお茶を味わうようにして、自分の今、ここを、味わうことなんだな。
    お茶をしみじみと味わうことと、今、ここを、しみじみと味わうことは、
    同事なんだ。

    「日々是好日」そうして、私も生きたいものだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月19日 05時10分15秒

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    身体が・・・・

    身体の疲れが抜けない。
    それが、老いるというものか。
    少しずつ歳をとっている。
    その現実が、この私の身体だ。

    仕事をしていても、午後からどっと疲れがやって来る。
    身体を意識せざるを得ない。
    身体からの訴えだからだ。
    まず、慢性的な寝不足のために、眠気がやって来る。
    疲れと言うよりか、衰えとでも言おうか、
    力が出ない。
    すぐに座る。長続きがしない。

    その現実と日々、向き合って生きている。
    それは、きっとどこかでこの身体の現実に対して無理をしているからだろう。

    土曜日に、本気で好きなことに取り組んだ。
    9時には、ヨガだった。
    13時には、あき乃だった。
    ここで、蕎麦と蕎麦焼酎を堪能した。本を読んだ。1時間半だった。
    それから、書店に行った。文庫本を3冊と手帳を買った。
    酔っぱらって買い物は、しないほうがよいようだ。

    テッドに行った。赤ワインだ。
    ノイズムに行くときには、この店に寄る。
    そして、りゅうとぴあでのノイズムだった。
    前列から3列目の椅子の席にした。
    西澤さん、素晴らしい。浅海さん、感動だった。
    見事だった。やっぱり私も身体が動いた。これもヨガのおかげだった。

    帰りに、鳥の歌の新しいお店だった。
    カウンターで独り麒麟山と鶴齢を飲んだ。山もりの焼うどん。
    2500円也だった。
    店を出たらアンビエンテだった。
    20時からのライブに間に合う。
    大きな犬に歓迎されながら店に入った。
    しばしその犬と戯れて椅子に座った。
    そして、驚いた。
    財布の中には、たった600円しか入っていなかった。

    「マスター、ごめん。また、来るね」と言って、すぐに店を出た。
    土曜日なのでATMも閉まっていたな。

    私は、りゅうとを持っている。だから、バスには乗れるのだ。

    こんな怒濤のような一日だった。
    疲れるわけだよな。
    こんな無謀な酔っぱらい生活をしていたら、
    身体が持たないことは当たり前だな。

    しかし、数年前なら、こんな生活にへこたれることはなかった。
    でも、今は、もろに応える。
    これが老いの現実だ。

    「遊び過ぎだ」との、冷めた声も聴こえて来るが・・・・。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月17日 07時27分37秒

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    あき乃のお母さん

    あき乃のお母さんは、まだお休みだった。
    レジの前にいつも座っていたお母さんの姿が見えない。
    それだけで、寂しい感じがする。

    常連のお客さんたちは、
    ご主人にレジで支払いをするとき、必ずお母さんのことを聞いている。
    「具合はどうですか」
    「早くよくなるといいですね」と、
    心から心配し、気遣っていることがよく感じる。
    それだけお客さんから想われている人だった。
    その人柄が、その会話からも忍ばれる。

    私がお店に入ると、いつも笑顔で迎えてくれた。
    「いらっしゃい。いつも、ありがとうございます」
    この「いつも」という言葉が、とてもとても温かい。
    本当に心からの感謝の想いが伝わって来るからだ。

    私が、N大の病院のベッドで、痛みに耐え、身体の不自由に耐えていた時、
    私の希望は、あき乃で野菜天ざるを食べることだった。
    もし、退院できる日が来たら、
    真っ先にあき乃のお母さんに会いに行こうと、心で決めていた。
    そうやって、闘病し、日々を生き抜き、とうとう退院の日を迎えた。

    そして、私は、念願のあき乃に行った。
    変わり果てた私の姿に、お母さんは驚いたようだった。
    10キロ近くも減量だった。
    まさに病人のような弱弱しさで、私はお店に入った。
    そして、緊急入院と、10時間の手術、蘇生したこととを話した。
    本当に辛く、苦しい日々でもあったが、
    その中で、いかに楽しく生きるかを、考えるようになったとも話した。

    真剣にそんな話を聴いてくれ、そして、深く深くの同情だった。
    優しい人なんだ。
    それは、後で分かったけれど、彼女もまた病の人であったからだ。
    「大変でしたね」
    「元気になって、よかった。よかった」と、その言葉一つ一つがとても温かい。

    何だか本当の母のような気がした。
    ありがたい人だなぁと、いつもいつも感心している。
    人に尽くすことが当たり前。
    その尽くすことが身体に沁みている。
    言葉と心はそのまんま。
    深く深くいい人なんだな。

    若かりし頃、さぞやお美しい人だっただろう。
    今でも、その美しいまま、清楚に、品よく生きている。
    凛として、しゃんとして、温かく、人の痛みを我が痛みと感じている。
    そんなお母さんの人柄に惹かれてやってくるお客さんも多いことだろう。

    元気になってもらいたい。
    養生して、腰を直し、お店のレジに座っているだけでいい。
    今は、レジの前は厨房からの通路となり、
    前より広く、がらんとしている。
    その広さが、かえって不在感を深く感じさせる。
    座っていてくれるたげで、いい。

    花が好きだと聞いていた。
    花がお母さんの心を少しでも癒してくれればと、願っている。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月16日 07時51分05秒

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    地域社会の岐路の時代・・・20年問題とは

    地域の自治会長・民生委員の懇親会だった。
    我が地域は、お祭りがあるおかげで、
    ここに参加している60代・70代の人たちとは、
    20年近く前から知り合いでもある。
    それは、とてもとてもありがたいことだ。

    この新潟市に帰って来てから、20年はたっている。
    その間に、お祭りに参加し、「親父の会」を創り、コンサートを開催した。
    そうした繋がりのおかげさまが、今である。

    その頃は、みんな若かった。
    今の年齢から10歳を引いた若さで活躍していた。
    とにかく、要所要所にはあるべき人が立っていた。
    ここは、あの人。これは、あの人。もちろんこれは、あの人だ。
    そうした偉大なるやり手がそこそこで存在していた。
    だから、組織を決める時は、すーっと決まる。
    はまるべき人が、そこにはまるからだ。

    実は、そけはすごいことだったんだと、改めて感じた。
    みんなそうした地域のための働きを、当たり前にしていた。
    「俺は、やらない」ではなく、
    「俺は、何をせぇばいいんだ」だった。
    こうして、地域の為に何かをすることを当たり前にしている人たち。
    その人たちの集まりが、昨夜の懇親会だ。

    ところがだ。
    みんな確かに歳をとった。
    平均年齢は80歳に近いのではないだろうか。
    みの61歳の私が、一番の若造だ。
    大先輩たちに注ぎながら飲む酒だった。
    そして、やっぱりなぁと、思ってしまった。

    ここには、後継者がいないことを。
    地域社会のために働くことを当たり前と感じて実行している人たち。
    しかし、そのあとを継ぐ若い人が、今、どこにも居なくなっている。
    我が町内は、会長以下、各セクションの長を、
    今年度と来年度の班長の中から、
    自主的に手を挙げて、「私、やります」を募集している。

    驚いた。
    まさか、こんなことで手を挙げる人がいると、
    今の三役は考えているのだろうか・・・・。
    まさに、この文書を読んだとき、絶句した。

    自分たちが在任中に、次の担い手、後継者を育てておくこともせず。
    10年間、空白な月日を送りながら、
    いざ、自分たちが歳をとったので、引退しますと言って、
    次の役員は、手を挙げた皆様でお決めください。
    「はーー」と、何も言葉が出なかった。

    しかし、これは、今、どこの地域社会でも抱えている課題だった。
    後継者が居ない。
    なり手が無い。
    それは、この自治会長・自治会役員・民生委員。
    みんな同じことが言えるのだった。
    私のような者にまで声がかかるほど、成り手が居ない。
    それが、実は、哀しい現実なんだ。

    それは、やはり、一人や少数の人たちが、
    ずっとずっと自分たちだけでこの仕事を担って来た、結果でもあると考えている。
    地域コミュニティーの活性化のためには、
    やはりこれからの時代を担う若い人たちの参加は、不可欠なことである。
    しかし、その働きかけを、この人たちはして来なかった。
    在任中に、目星をつけて、後継者を巻き込み、仕事を伝える。
    または、自動的に班長さんが、2年間だけでも役員をするシステムを造る。
    または、本気で頭を下げて、根気強くお願いをする。

    それを、やっていない。
    それなのに、「俺が、俺が」だ。
    そして、若い者をこきおろす。出る釘は撃ち続ける。既得権を譲らない。
    その結果、この地域社会のために働く後継者が居なくなる。
    なぜなら、先輩たちは、育てていないからだ。
    自分たちだけでやってきたからだ。

    そんなこれからの日本の地域社会・地域コミュニティーの現実を見た。
    私は勝手に「20年間問題」と名前を付けているが、
    やはり、そうした組織は、一度根本からの見直し、問い直しが必要なんだ。
    そして、後継者・成り手が無いものは、一度解散し、解消したらどうだろうか。
    そして、その後、やっぱりどうしても地域の人たちの幸せのために、
    その仕事が必要ならば、やる気のある人たちが、NPOのようにして立ち上げる。
    そうした選択の岐路に、今は、どこの地域社会でも立っていると、私は考える。

    さてさて、一体どなたが役員に立候補してくださるのか、楽しみに待っている。

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  • from: クマドンさん

    2019年02月15日 05時40分40秒

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    無為自然だなぁ

    「無為自然」
    そんな老子の言葉が、何だか少しずつ我が事となりつつある。
    何年か前に購入し、ほんの少し読んだだけでギブアップした「老子」。
    それは、金谷 治氏の著書であった。
    「だめだ、難しすぎる。わけが分からない」
    赤いボールペンの線は、初めの数ページで途切れていた。

    2月になって、毎朝、起きるとこの文庫本をめくって、読んでいる。
    面白い。そうだそうだとよく分かる。
    ただし、読み進んでも、なかなか言葉は覚えられない。
    でも、こういう読書もいいのではないかと、
    何か美味しいものを味わっているように、
    どんどん読み進めて行く。

    言葉を覚えることが、読書ではないなと思う。
    言葉は、どんどん忘れてもいい。
    そう思って読むことの楽しみに徹すると、
    時間のたつことも忘れてしまうくらい、没頭だ。

    「無知無欲」
    そうだなぁと、想う。
    いかにして、その無知となるか。
    いかにして、その無欲となるか。
    しかし、これは、自分からそうなろうと思ってもかなわぬものだ。
    私にとっては、それが大きな試練を通してしか、
    与えられないものだったと体験した。

    そこに、試練の意味がある。
    その試練の意味を信ずることが出来た時、
    この試練を私に与えたサムシング・神様の存在を信じられた。
    あらゆる自然であることには、意味が在り、意志が在る。
    確かに、自然は、非情で無常なものかも知れない。
    しかし、とても公平で、平等なものでもあると思っている。

    その自然の一つにしか過ぎないこのちっぽけな私。
    その私が、「俺が、俺が」「何で俺の言うことを聞かない」では、
    余りにも情けなく、哀しい人間だ。
    この世の中は、しかし、そういう威張ったり、金持ちであったり、権力者であったり、
    する人たちを偉いと感ずる。
    または、「俺もああして、金を持てる人になりたい」と、想う。

    世の中の基準や尺度に合わせて、自分自身も幸福になろうと努力する。
    競争の中で戦う。
    人を蹴落とす。自分だけよければいい。
    あれだけ巨万の富を持ちながら、貧しい人のために使うどころか、
    会社の公的な資金まで私のことで流用する。
    この人は、人間として、偉い人なのか。
    月旅行をします。一億円のお年玉を上げます。この人は、人間としてどうなのか。

    そろそろ、みんなは気付く頃ではないだろうかな。
    競争社会の中には、個人の幸福は在り得ないことを。
    どうやってお互いに助け合い、支え合えるか。
    そうした社会だけが、みんなの幸福を実現できる社会であるのに、
    現実は、その全く反対のことが崇め奉られていたりする。
    その誤り、間違い、その誤魔化し、その亡霊。
    そこに、この人生の旅路で早く気付くことが、
    幸福な生活への近道なんだな。

    まず、降りることだ。
    それから、人を見ないで、自分を見ることだ。
    「人を知るを知と言い、自分を知るを明と言う」だな。
    本当に深く深く自分自身を洞察すると、
    その奥に微かに瞬き、輝く、ものに気付くはずだ。
    それは、全く自分が否定され、潰され、叩き壊され、粉微塵にならないと、
    見えないものでもあるんだがな。

    それが、本来の自然なる自分という人なんだ。

    そこに行きつく。それに気付く。そこに落ち着く。そこで生きる。

    すると全く世界が違ったように見えて来る。
    たった今まで、後生大事に思っていた価値観が消える。
    そして、こっちから向こうを観ると、正に欲望の塊が人間と見える、見える。
    「俺が、俺が」の人たちの花盛り。
    ああ、いかに人とは、欲望によって翻弄されて生かされているものか。
    あのニュースで話題になる人たち全てが、この人たちだ。
    本当の幸福は、その生き方には存在しないる

    それが、「無為自然」な生き方だ。

    私の身の丈が、少しずつそう変化して来たから、
    「柔弱謙下」で生きているから、毎日が、愉快で、楽しい。
    やっぱり幸福は、そっちにはなかったな。
    こっちの生き方は、緩やかで、気持ちよく、平和な生き方だなぁとの実感だ。

    その実感が、この「無為自然」に一致してきている。
    そんな気がする。
    だから、きっと、この難しい本を、読み進めることができた。

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