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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2020年11月30日 09時54分23秒

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    とにかく学ぶだけなんだ

    本日、本当は今頃は伊丹空港までの機内だった。
    まぁ、行かなくて正解だとは思っているが、
    やっぱりキャンセル料6万円は、痛かったなぁ。

    政府によるオレオレ詐欺だ。
    安くなるからどんどんGO TOだ。
    ところが、感染が広がれば、緊急事態宣言一歩手前。
    飲食店も営業時短を求められる。
    きっとキャンセル料を払ったのは、私だけではないはずだ。
    こんな状況の中で、県をまたぐ旅行は、不謹慎だとお叱りを受ける。
    妻の実家の母からは、キャンセル料を出すから行くな。
    こんな状況でもし行ったなら、当分は敷居が高いこと必須だった。
    辞めて正解。
    身体も疲れ果てている。
    6万円払って、家で休養することとした。

    何だか、欲がなくなって来ている。
    あれもこれもとは、思わなくなっている。
    本当は、「もう、いいよ」なのかも知れない。
    いろいろとある。
    現役を退き、今は、次の仕事のための充電期間としている。
    それでも、リーデングに、モツレクに、クラシック・バレーだった。
    新たなものに挑戦はしている。
    それも、高い高いエベレストのような頂だ。
    それを、私は目指しつつ、とぼとぼと麓の登山道を歩き続けている。

    そこには、プロフェショナルな指導者がいた。
    その人たちの前に立つだけで、緊張感が高まる。
    慢心や自己満足は許されない世界だ。
    求められるものを、私が表現できない限り、
    よしとは行かない。
    いつも、その次の高みを指差される。

    しかし、そこを登るのは、私だった。
    だから、ヒントはもらえる。示唆はもらえる。イメージは与えられる。
    「じゃ、やってみましよう」と、やらされる。
    でも、出来ない。
    しかし、どこができていないのかは、私には分からない。
    そこで、立ち止まる。どうしたらいいのか、悩む。苦しむ。
    しかし、「はい」と、繰り返しその台詞を言わせられる。
    どうやっらよいのか、分からないまま、歩かられる。
    しかし、できない。また、やり直す。

    指導者は、こうして私のことを鍛え直す。
    まず、私が勝手に判断している自意識を潰す。
    私が、こうやってやろうと思っている、そのことを否定する。
    ここに、「自分」が出てらアウトだった。
    そこで、止められる。
    そこを、やり直させる。
    それをじっと聴き、それをじっと見つめる。
    指導者の心や魂に響くものになっていない。
    「もう一回」その繰り返しだ。

    習うと言う字の中に、「白」がある意味をやっと分かった。
    習うのは、羽を羽ばたかせる雛たちだ。
    雛たちは巣の上で、親鳥の真似をして羽ばたいてみる。
    どうやって羽ばたいたらよいのか分からない雛たちは、
    この巣を旅立つためには、この羽ばたきを覚えないと生きてはいけない。
    だから、何百回も、何千回も練習する。
    練習の練とは、「練る」ことだ。捏ねることだ。繰り返すことだ。
    本当に自分自身の身になるまでは、繰り返しの連続だった。

    では、白とは何か。
    もし、ここに「自分」が居て、指導者の言葉を素直に聴けなかったとしたら、
    その人は、その人止まりで終わる人だ。
    その人は、その人を超えられない。
    指導者の言葉を批判する。受け入れない。自分なりに解釈する。
    それは、決して白ではない。
    初めっから、その人の色がある。
    そして、この色が芸事を身に着けることの大きな妨げとなる。
    そして、指導者が一番嫌うものが、その色だった。

    そこで、その人をまっさらにするために、
    厳しい指導を続ける。
    これを、「鍛える」と言う。
    これもまた、凄い字だ。
    段々、徐々に、少しずつ進歩させる。
    そして、最期に鋼も「金」になる。
    しかし、倦まず、弛まず、粘り強く、根気強く。
    私は、その指導者の指し示す指を信じて、精進することだった。

    直接の指導場面では、徹底的に真似をする。
    この真似と言う字も、なかなか深い意味のある文字である。
    「真」は、師匠。真打。先生の姿、形、動きと声だ。
    「似」は、習う私。初心の私。だから、ただ真似をする。そっくりになる。
    真似の中には、真がある。
    真がなければ、似ることはできないからだ。
    では、似ているものが、真になるまでにはどうすればよいのか。
    それは、ただ、自分でそのイメージを描きつつ、訓練するばかり。これだけだ。

    芸事は、口伝だ。
    口写しに芸を伝える。
    三味線や小唄の稽古では、師匠が歌い、弟子が歌う。
    その歌の調子を師匠が指摘し、整える。
    師匠の無い芸事は嘘であると、昔から言われているのはこれである。
    そこそこなら、我流・自己流でも行けるところまでは、行ける。
    ところが、高見を目指すならば、そうはいかない。
    その私の表現をちゃんと見て、評価し、修正する目と耳が必要なんだな。

    そして。本物の師匠は、一目でその弟子の本質を見抜くものだ。
    ぐずぐず我がままばかりしている弟子には、百叩きが当たり前。
    そこで、その弟子から我が侭が抜けるまで、鍛える、苛める、痛めつける。
    これって、本当の愛なんだな。
    どれほど自分が師匠から認められ、可愛がられ、愛されているか。
    それを悟れば、百回同じことを繰り返させられても、涙を流せばそれでいい。
    信ずることだ。自分が師匠から、信じられていることを。
    だから、耐えられる。
    怖くもあり、ビビることもあり、迷うことも多い。
    でも、やることだ。やり続けることだ。

    すると、本当にある瞬間に、「出来た」と、悟る。
    そうなんだ、やっと自分の中から「出て来たん」だ。
    そうなんだな。
    出来たのは、出来たのではなくて、出て来たんだ。
    つまり、元々自分の中に蓄えられ、隠れていた力だったのかも知れない。
    出来ない人には、出て来るわけはない。
    つまり、師匠はそれを見破り、見抜き。
    「お前なら・・・・」と、弟子にして、きゅうきゅうと鍛え上げる。

    やっと出て来た。その瞬間の歓びだ。
    その時、私は、私を超えている。
    出て来た私は、古い私を脱皮して、新たな私としてここに立つ。
    その歓びがあるから、舞台に立つ。歌を歌う。舞いを舞う。

    そんなことを、今は、体感しつつ、精進する日々だ。
    キャンセルになった分。
    精進する時間が出来た。
    ここで、やっぱり本気にならなくては、きっと後悔することとなる。
    たかが台詞だ。そんなものに現を抜かしていては・・・とのお叱りもあろう。
    でも、私にとってはこのリーデングとモツレクは、
    機が熟した現れなのだと、そう思っている。

    このことを、本番で達成したら、
    その時、私が味わう大いなる感動は、
    あのエベレストの頂くに立った時の感動に匹敵するものだと思っている。
    エベレストの頂には立てないが、
    その時ときっと同じ感動を、ここで味わえたら、
    いつでも死ねる。そう想う。

    学ぶとは、真似ぶがその語源だ。
    とにかく、自分を無にして、学ぶだけだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月28日 07時34分09秒

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    長くなりすぎ

    昨日、ある人から「FB超長すぎ。最後まで読めない」と、言われた。
    確かにそうだった。
    朝、ラジオ深夜便を聴いた後、1時間近く使って、書いている。
    実は、誰に伝えたいと言うことでなく、
    本当に、私が私に送っている手紙のつもりで書いているだけ。
    だから、読んでくれる人も少ない。
    そのことは、それでいいと、思うから、書けると思う。

    書く人でありたい。
    それは、いつかまた脚本を書いてみたいと思うからだ。
    だから、書くことには、書くためのトレーニングが求められる。
    毎日、ヨガを続けて2年と半年。
    やっぱりそれなりに身体が変わり、内臓系統も変化した。
    身体は、自分がしたようになるものだ。
    それは、書くと言うことも同じだと私は思う。

    何も考えないで書いている。
    それは、それなりに考えたことがここに書き記されるのだが、
    やっぱりどう書こうかとか、書き方を変えようとかは思わない。
    いつの間にかライターマシンとなり、
    ただ、思いつくまま徒然に書いている。
    でも、そのことが私の書く喜びを刺激する。

    例えば、独りでぽつねんと縁側で暮らす。
    話し相手は、ヒヨドリとツアブキの花。
    それでも、ぼーっとそこには、居られる。
    それは、きっと十分にここで語ったおかげなのかも知れない。

    FBで1時間、考えながらのライターだった。
    そこで、絞り出したために、最近は、ここでの内容がどうもなんだな。
    それと、やっぱり本をしっかりと読んでいない。
    深く深くで感動していない。
    すると、どうも言葉がやっぱり活き活きとしない。

    言葉とは、あるものではなく、見つけるものだ。
    感じなければ、それを顕す言葉とは出会えない。
    それが書くと言うことの気付きと発見の喜びとなる。
    書くとは、自分を分かるとということだ。
    とはいいながら、仕事をしない今週は、日々のほほんと生きている。

    昨日、Sさんが、病院に行く前に、電話をくれた。
    いつもの11時に、電話をできないから、朝、電話をくれた。
    私たちは、いつも感じたことを語り合った。
    そんな「言葉」が何よりものケアになると、彼が話していた。
    医者からもらった薬が身体に合わずにひどいことになった。
    薬は、この身体の不調をケアできなかった。
    尚更、彼に苦痛を与えた。
    そのことを味わい、彼は、薬を減らしてもらいたいと医者に言った。

    医療ができるケアは、限られていると私は思う。
    長期入院の経験から、そのことを感じている。
    痛み止めの点滴をしても、断続的に痛みは続いた。
    いつこの身体は治ってくれるのか、
    そんなことは、天のみぞ知ることだ。
    その身体の状況を見ながら、確かに医者は適切な処理をしてくれる。
    看護師さんは、私の身体を心配し、優しく声をかけてくれた。

    そのケアも、大切なのだが、
    それでけでは、身体が蘇る力を発揮できないような気がした。
    それは、私自身の心のケアができていないからだ。
    私が、回復する希望を失っていたら。
    私が、回復までの長い時間に焦りを感じていたら。
    きっと、この身体の自然な治癒力が落ちたのだと思う。

    そんな時だ、私は、フランクルの言葉に救われた。
    まさに、病室のベットの上は、収容所そのものだった。
    私は、身体を動かすことが不自由なために、
    一日、そのベッドの上だけで過ごさなければならなかった。
    その時だ、フランクルの言葉に出会った。

    命からの私自身に対する「問い」だった。
    「あなたは、より善く生きようと努力していますか」だった。
    そして、その意味を考えて、その生きる意味を生きることです。
    だから、どん底にあった私にとっては、
    その言葉は、確かに光であった。

    私は、生きよう。再び、あの生活に戻ろう。生還しようと思った。
    すると、何かの力が働き、
    不思議なことに、焦る気持ちではなく、身体に任せようと、
    ゆっくりと休養することを自分の生活の最優先とした。
    本当にその狭いカーテンで仕切られた場所だけが世界だった。
    でも、そうであるからこそ、私は、何か希望を感じて生きていた。

    その力は、やっぱり、考えることと、書くこととから生まれた力だった。
    私は、本を読み、言葉を探った。
    そして、赤ボールペンで、ずっとずっと言葉の横にラインを付けた。
    時には、立ち止まって、その言葉の意味を味わった。
    そして、その言葉によって気付いたことを、余白にメモをした。
    それから、食堂まで点滴を引きつつ歩けるようになったら、
    そこで、コーヒーを飲みながら、この「親父たちよ」を書き続けた。
    ガラ携から、Tさんに転送し、彼がこのネットにアップしてくれた。

    とにかく、書いた。書いた。今も、書いている。
    どうして書き続けているのか、自分でも分からない。
    こんな誰も読まない長文を書き続ける意味はあるのかと、
    ある人たちは、笑っていることだろう。
    でも、書きたいから、書いている。

    歌う人は、歌い続ける。
    演奏する人は、演奏し続ける。
    踊る人は、踊り続ける。
    書く人は、書き続ける。

    それが、その人の特性であり、この世における使命なんだ。

    では、一体何を書き現そうとしているのだろうか。
    そのことを探究するために、きっと書き続けているのではないだろうか。

    Sさんが言った。
    「ここで、いい。よそに行かなくても、ここがいい」
    「そして、ここで深く深く掘り続けることだ」と。
    そうなんだな。
    書くこととは、深く深く掘り続けることだ。
    どこまでもどこまでも、深く深く。
    すると、きっといつか鉱脈にぶち当たる。

    だから、いつも私の文は、長くなりすぎるんだな。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月27日 07時24分28秒

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    その日暮らしを続けている

    仕事の予定の無い生活をして四日目となった。
    ところが、火曜日から夜は全部予定が入っている。
    今日からもそうだった。
    日曜日まで、夕食は家では食べない生活は、
    少し修正無ければと、反省している。

    決まった時刻に、決まったことをしなくていい生活。
    これを、自由だと、私は思う。
    問題は、その自由として手に入れた一日の時間を、
    どのように使うかの問題だった。
    決まってることは無くても、
    決めることは、必要だからだ。

    本日、夜にはシン・コンサートが決まっていることだ。
    濱田さん、田村さん、二人の美女をお迎えしてのコンサート。
    その企画と司会は、私である。
    これは、全く趣味の仕事だ。
    しかし、その他は、まだ何も決まっていない。

    それではあるが、今は、幾つかのルーテーンをこなした。
    4時15分に起床した。
    昨夜はリモートで就寝が11時だったので、
    寝不足と少々の二日酔いだ。
    それでも、目覚める。ラジオ深夜便を聴くためだ。

    人には必ず、その人だけが語れる物語がある。
    本日は、ユニセフに勤務し、ニューヨークで子育て中の坂谷さんだ。
    どうにも辛く、苦しいこともある。
    そんな時は、
    「辛いのは、自分だけでない」
    「私より、もっと辛く、過酷な人生を生きねばならない母や子どもたちがいる」
    そう考えると、力が湧くと言う話だった。

    人には、希望の言葉が、大切だとも語る。
    「きっと、明日は、今日よりよくなるよ」と、自らに語りかける。
    そして、「人権」のための活動を、
    これからももっともっとやることを心に誓う。
    つまり、自分のために生きるではなく、
    人のために生きることが、自分の人生のためになるとのことだ。

    ここで、私は、1つ学んだ。
    「そうなんだ。希望の言葉なんだな」と。
    そして、
    「辛いのは私だけでない。独りなのは、私だけでない」ということ。
    だから、
    「その人たちの辛さや孤独に寄り添って生きることが大事なんだ」と。
    人は、弱さや、哀しさや、辛さで、繋がれる。
    ここなら、お互いに共感して生きられる。

    そして、誰かが、自分のそんな気持ちを理解して、寄り添ってくれたら。
    優しい言葉をかけてくれたら、
    「大丈夫?」と心配してくれたら。
    「大丈夫。大丈夫」と笑顔で言ってくれたら、生きられる。
    彼女は、言っていた。
    「今日より明日は、きっともっと楽しい日になるはず」と。
    それが、彼女にとっての希望の言葉だ。

    午前中は、縁側でぼーっと庭を観て過ごすことが多い私。
    時々、「独りぼっちだなぁ」と感ずる。
    そんな時に、不意に久しぶりの友からの電話だ。
    「ああ、覚えていてくれたんだ」と、ほっとする。
    それができるのが、友なんだと嬉しかった。
    一本の電話が、私にとっての希望の言葉だった。

    さてさて、それからFBに返信を送り、
    私のクマさんFBに書き込みをする。
    「みんな孤独だ。それでいい」
    「みんな老いる。それでいい」
    「みんな寂しい。それていい」
    私のFBには、そんな日々の気付きや発見を書いている。

    スマホの凄いところは、
    あの布団の中で、パソコンに向かった以上の仕事ができることだ。
    9月までは、ここに来て、パソコンに向かわなければできなかったことが、
    今では、どこに居ても、その場所で発信できるということだった。
    そして、そのおかげで、繋がる人が増え、
    そして、いつでもオンタイムで繋がれる不思議を感じている。
    独り暮らしの老人には、スマホのLINEは大事な支援だ。
    寂しいなぁ。誰かと話したいなぁ。の時、
    サクサクと言葉を贈ると、すぐに返信が我が手に届く。

    ここに何だかビジネスチャンスありだなぁと、今、邪念が起こった。
    私が、まるで独り暮らしの老人のような暮らしを再開した。
    すると、以前までは手の中に無かったスマホが、今はある。
    パソコンと同じなんだと、そんな気軽さで活用している。
    そしてら、久しぶりの友たちからの、返信、ヒット、いいね、だった。
    「へぇ、面白いもんだなぁ」と、感じた。
    すると、「いいね」が気になる。
    「ああ、これか」と、若者たちの気持ちが分かった。

    何を書こうとして書きだしたのか、忘れてしまった。
    しかし、1つ言いたかったことは、
    この何も予定なし、仕事なしの生活を再開して、
    何が大事なのかと言う改めての気付きだった。

    つまり、誰とも何も話さず、独りぽつねんと居ることばかりだ。
    そんな時、自分に対してどのように対処したらいいのかだった。

    私は、やっぱり「好奇心」なんだなぁと思った。
    そして、「思考する」ことなんだなぁとも思ったし、
    「予定を自分でさっさと立てる」その決定力でもあるなぁとも思った。
    予定が無いのだから、予定をつくる。
    ただし、タイトな縛りではなく、いい加減に、アバウトに、
    その場、その状況に流されつつ、何かを楽しみつつ日暮らしをする。
    そのことができる人は、独り遊びを吾も楽しめる人だった。

    午後から、ある用事をサクサクとすませ、やることが無くなった。
    何カ月ぶりに、チラシやプリントや配布された小冊子の整理に入った。
    しばらくしたら、部屋の中がおおばらになっていた。
    ただ、整理整頓に時間を費やすとはもったいないので、
    モツレクの練習の録音を鳴らしながら取り組んだ。
    すると、記事を読む。文章を読む。考える。立ち止まる。
    2時間もそんなことをした。
    しかし、これができるのは、何も予定が無いからのこと。
    この自由な時間があることのゆとりは、
    私の心を寂しくも、豊かにさせくれていた。

    こうした自由人の生活ができることを感謝しつつ、
    今日から日曜日までの疾風怒濤の日々を想い、
    これを何とか乗り切ろうと決意している。

    何も無い。だから、何かをやる。
    すると、いつの間にか満杯となる。
    そのことで、自分自身を苦しめている。
    しかし、仕方ないことだ。
    みんな自分が決めたことだ。

    そんなその日暮らしを、今は、続けている。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月26日 07時17分55秒

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    幸せを感ずる人とは

    人は、どうすれば幸せを感じて生きられるのだろうか。

    そんな問いを、小千谷のSさんと話していた。
    考えてみたら、私たちは、幸せになりたいと、考えて暮らしているのだろうか。
    それは、当たり前の望みだし、そうなりたいとみなが願っていることだ。
    では、自分にとっての幸せってどんなことなのか、追究して生きているのかだな。

    私は、今、幸せに生きている。
    それは、日々の生活の中で感ずることだ。
    平凡な毎日を送っている。
    今週から行かねばならない仕事からの解放だった。
    仕事を通してのストレスも負荷も感じなくていい状況だ。
    そうやって、生きられることは、やっぱり幸せだと思っている。

    昨日、木戸の銭湯「金の湯」に行った。
    午後3時。男湯は爺さたちで、満員な状態だった。
    この人たちは、この時刻に、
    ここで湯に浸かることを幸せと考えている人たちだ。
    だから、友達もここに居る。
    「おっ、久しぶり」と、声をかける。
    じっと黙って、露天風呂の横の椅子に腰かけて佇む爺さも居る。
    みんな人生の荒波、疾風怒濤の旅を経て来た人たちだ。
    今、ここで、銭湯に入れることを、
    きっと私も、その爺さたちの歳になったら、幸せと感ずるだろう。

    庭には、幸せを感じさせるものがある。
    それは、真夜中の自然の中を散策するSさんにも、分かる幸せだ。
    私は、プランタに植えたビオラたちが元気に育つ姿を見ると、
    何だか私まで幸せに感じる。
    庭の樹木はそれなりに冬に向かっているが、
    その自然の成り行き、佇まいだけでも、
    何だか私の心と魂を豊かにしてくれ、幸せを感ずる。

    しかし、この幸せ感は、あの都市や街の日々の仕事や暮らしとは、
    どうも違った幸せ感だとも感じている。
    私たちは、森の中で生きて来た祖先をもっている。
    その祖先の知恵や願いや想いや祈りが、
    きっと私たちの魂には刻まれていると考える。
    それは、無意識の領域の中に大切に隠されているものであるとは思うが、
    それは、目には見えないが、無くなったのではなく、ここにあるものだ。

    そこで、縄文の人たちが感じた、幸せ感を、
    私たちは、今でも、魂のどこかで存続させ、感じているのではないだろうか。
    こんな小さな庭を観ていても、心がふっと落ち着く。
    ここには、いつまでも居られるような気がする。
    そして、自然の中に居ると、独りは苦にはならない。
    独りでも何だか充実した楽しさを感ずる。

    それから、「生きる」ことへの気付きが多い。
    その草木の枯れて行く姿から、
    私は、教えられることが多い。
    それは、終わりであり。終い方であり。再生への準備でもある。
    命は、絶対に繋がり、連続するものだ。
    そのプロセスのほんの一時を、私は生きている。

    ならば、その自然のあるがままの定めを了解する。
    私も、自然の1つなのだから、そうやって生きることが定めだった。
    そう考えると、私の生きるの師匠は、自然の中にありだ。
    ここに、師が在る。
    ただし、そのこを感じ、このことを見つめ、改めて学べる人はだ。

    人の中に居ると、寂しさを感ずる。
    孤独を感ずるのは、人が造った社会の中でだ。
    そこで、心を病む人たちが多くいる。
    私も、その独りだった。
    では、自然の中では、自由を感じ、喜びを感ずる私が、
    どうして、人の中ではストレスを感じ、心の重荷を感じ、
    ここには長居をしたくないと思うのか。
    それは、そこでは、人の考え方や価値観が支配する世の中となるからだ。

    確かに、人は、社会の中で生かされなければ、
    独りでは絶対に生きられない弱い存在である。
    社会で生きることで、相互扶助の関係で、
    どれだけ助けられているか分からない。
    平安・鎌倉時代の農民や町人の生き方を考えたら、
    どんなに悲惨で不安な日々を送ったことと考えられる。
    だから、こうして社会を発展させ、進化させてきた。

    しかし、魂は、やっぱり自然を父とし、母としているのではないだろうか。
    人間が創り出した社会は、バベルの塔だ。
    きっと権力者が現われ、金持ちが現われ、独裁者が現われる。
    競争原理・消費社会・資本主義社会。
    この原理から導かれることは、勝者と敗者の歴史だと、誰かが言った。
    つまり、競争があれば、殺生与奪もあり、戦争は避けられない事実なんだと。

    例え、私が所属している社会は、ちっぽけなそれであったとしても、
    この「俺が。俺が」の固い石たちとのかかわりは、避けられない事実でもある。
    ここに、生きて、頂点を目指すことが、人の幸せなのかの問いだな。

    そのためにどれだけ人は、自然環境を破壊して生きていることか。
    経済活動を当たり前のように優先する資本家と政治家たち。
    その人たちが編み出した価値観に、私たちは騙され、翻弄され続けている。

    本当の個の幸せとは、何だろう。
    その問い直しが、今は、求められる時代になったのではないだろうか。
    実は、Sさんと共感していることは、
    この「縄文に還れ」と言うことだった。
    私たちの祖先が自然と一体となり、その自然の恵みで生きていた頃、
    私たちは、日々を幸せに暮らしたのでないだろうか。
    それは、飢えや、病や、突然の死もあったことだろう。
    しかし、現代の人たちの心の病となる原因は、
    その森の中の集団社会には、少なかったのではないだろうか。

    Sさんが、散策の途中で信濃川の大工事を見つめている。
    大河の前には、人間はまさにちっぽけな蟻たちだ。
    それでも、どっこいその大河の流れを何年もかけて変えようとしている。
    しかし、大水が出たらどうだろう。
    自然は、あるようにあり続けるものだ。
    Sさんが、散策でほっとするのは、
    その自然からの眼差し、呼びかけのおかげさまではないだろうか。
    Sさんは、その感性にスイッチが入った人だ。

    今、ヒヨドリが鳴いていた。
    つがいのヒヨドリたちが、この庭に姿を見せる寒い季節がやって来た。
    このヒヨドリも、私の大事な友である。
    では、このヒヨドリが何と言っているか。
    それを、何とか理解できる感性を、本当は人はみんな持っているはずだ。
    しかし、都会や街で生まれてからずっと暮らしている人たちには、
    そのスイッチが入る機会が無かったのかも知れない。

    言葉とは、実は、自然からの声なんだ。
    「葉が言う。語る」それが、本来の言葉の意味だと私は考える。
    つまり、言葉とは、その見えないものや、聴こえない声を感じ取り、
    それを理解して、「こうなんだね」と、語れる人にだけ与えられるもの。
    本来は、人と人との会話や情報の伝達のために発明されたもののように感ずるが、
    本当は、自然の想いや願いや祈りを理解するために、
    人間が創り出したものではないだろうか。

    説明の言葉は、もういいかな。
    感じた言葉を、今は大事に使いたい。
    その言葉こそ、自然の命と一体となり、
    自然の命にも通ずる言葉ではないだろうか。

    私は、幸せに生きたいのなら、
    まず、この自然の命たちが話す言葉を理解して、身に着け、
    その言葉で「生きる意味」を思考することが大切なことだと考えている。

    そして、感ずることだ。
    ただ、味わうことだ。
    そのこと自体を歓びとする。
    すると、何でもない日々の生活に感謝しつつ生きられる人となれるはず。
    その人になれたら、きっと、その人が感ずることが、「幸せ」なのだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月25日 07時03分26秒

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    幸せをどこに求めるのか

    本当に世の中は、迷走している。
    右往左往のじたばたが、今の政府だ。
    それに翻弄されているのが私たち国民だ。
    どうしてこんなにも愚かなことしか為されないのか。
    「やる」と言ったことを、朝令暮改。「やめる」と言う。
    おかげで私は、キャンセル料6万円余りを徴収される。
    これは、政府によるオレオレ詐欺ではないだろうか。

    と、昨日は、落ち込みのどん底だった。
    しかし、諦めることにした。
    頼りにはならない嘘つきたちを信頼した私が間違いだった。
    今は、政府のやること全てを疑ってかからねばならない時代のようだ。
    とにかく、ころころと変わる。
    一貫性がない。
    みんな選挙で当選するための餌のばらまき。
    国民のことよりも、次の総選挙だな。

    この人たちを見ていると、その場限り、場当たりのことばかりやる、
    愚かな人たちの事例のように思われる。
    一体、この人たちは、何を目指して、事業を立ち上げたのだろうか。
    感染拡大を予想していなかったわけではあるまい。
    やるべきことでないことは、断固として、辞めるべきなんだ。
    それなのに、やってしまうから、私までこんな損失を被ってしまった。
    全く信用ができないのが、現政府・首相・閣僚各位だな。
    あきれ果てた。

    さてさて、「森」の話だ。
    こんな混乱をきたしたとき、癒しを与えられるのは、自然なんだな。
    森の中に入る。森で空気を吸う。森を感ずる。
    それは、森が好きな人たちには、共通する感覚だった。
    人を相手にする時、こうして感情が波立つことがある。
    それは、相手が感情と意志をもった固い石である時が多いからだ。
    その対立や違和感・異質感の中で、ストレスを感ずる人は多いと思う。

    人類が誕生してから700万年とすると、
    その大部分を人は、森の中で暮らしていたはずだ。
    そこには、多様な生態系があり、160万種以上の生物が生きている。
    人は、森で暮らし、森で生き、森で死んだ。
    その間は、その森の恵みで生かされて来た。
    つまり、人は、その命の源を、森から得ていたということだ。
    森から、その森に棲む命たちから、その命を受け継いでいた。
    つまり、人が生きるということは、
    森が生きていると言うことと一体だったのだと考えられる。

    そして、かっては人が死ぬと、土に埋められた。
    そして、その身体は微生物やバクテリアに分解され、また土に還った。
    今は、火葬のために土に還ると言う感覚は失われている。
    骨になって固い石の墓の下に納められる。
    それを、命の大地への帰還だとは、言えなくなった。

    人は、森で生かされていた。
    その時のDNAは、この身体の中に宿されている。
    何故なら、私の命には、途切れ目がないからだ。
    もし、この命が縄文の昔から続いていなかったら、
    今、ここに、私は生かされていないはずだ。
    この命の一続きは、過去に遡れば、どこまでも続くはずだ。
    両親には、両親があり、その両親にも両親がある。
    すると、この命の得た分かれは、無限に広がる命の繋がりだ。

    そのどこか1つ欠けても、私は存在していない。
    そして、その命たちの大部分の人たちは、自然の恵みで生かされて来た人たちだ。
    そのことを、私たちは、忘れてしまったのは、
    こうして人工的に造られ、人のとってより便利に造られた、
    こうした都市や街の社会で生きるようになったからだ。
    しかし、そこには、命としての存在てしての不具合・不全感はないだろうか。

    実は、心も魂も、この森の中で育まれて来たものだった。
    その父であり、母は、この大自然そのものだった。
    その森の中での四季の暮らしで、私たちは、自然に生きることを学んだはず。
    その先生は、森の樹木であり、草花であり、動物たちであり、鳥や、虫たちだ。
    そして、お日様であり、風であり、雨であり、嵐でもあった。
    そうした厳しくも優しい自然の中で育まれることで、
    人は、自然からの滋養によって、短い生涯を生かされて来た。

    人は、生まれ、育ち、成人し、老いて死ぬ。
    それは、まさに四季の循環そのものだ。
    その循環を定として、それを受け入れ、覚悟する。
    ただ、自然の中で弱い存在である人たちは、家族や集団で生活する道を選んだ。
    一匹オオカミのような生活は、人には無理だからだ。
    そこに、協働意識が生まれ、互いに支え合って生きる道が培われた。
    それは、大自然の中で生き抜くための人に与えられた知恵でもあった。

    人が、ある意味で、命と分かたれ、心と魂の父や母と離されてしまったのは、
    人が、都市や街で暮らし始めたからだった。
    その時から、人は、森を忘れた。
    自然からの恵みに感謝しなくなった。
    恵は誰かが農作物として育てたものと化し、
    お店でお金を出して飼うものと化した。

    この野菜も果物も、豚肉も鶏肉も、命なのに、
    そのことすら、人は、忘れて、自分中心の暮らしを続けるようになった。
    いつのまにか、人は、自然資産の消費者となり、
    膨大な命の無駄を出すようになり、
    そのことを全く後ろめたい罪だとは思わなくなった。

    お金は、対価・紙幣・貨幣に過ぎないのに、
    その量を富として、持っている者が強者のように振る舞い、
    お互いが支え合うどころか、弱い者はどんどん片隅に追いやられ、駆逐された。
    競争することが目的となり、社会から安心・安全が薄らいだ。
    もしものことがあっても、助けてくれる人が誰もいない。
    いつの間にか、本当に貧しい社会を人は、造ってしまったものだと気付いた。

    そんな時だ、森に呼ばれて、森に入る。
    全ての時間は超越される。
    まさに、ここには縄文の心と魂とが遺され、生きている。
    命の歓びを感じられる。
    ほっとする。心が安らぐ。心が落ち着く。優しくになれる。

    人は、幸せな気持ちで生きることが大切だ。
    ところが、愚かな人たちを、固い人たちを相手にして生きていると、
    寂しくなる。辛くなる。何だか、生きる気力すら奪われる。
    この現実社会は、怖ろしいところに替わって来ている。
    どうして人は、優しくなれないんだ。助け合えないんだ。
    なかなか本音・本心で生きられない社会になった。

    そんな不具合を不自然だと感じつつも、
    この社会を生きるしか生きる道のないことも現実だった。
    だから、森に行こう何だな。

    「私の森JP」主催者 長池小百合さんのお話だった。
    ここに私たちが求めている幸せがあると、私も感じた。
    人ばかりを見ているから、
    その人たちが造った一時的な価値観ばかり信じているから、
    私のように政府の愚かな事業に騙され、
    こんなにも大きな損失を被ることになる。

    信じられるのは、実は、人ではない。
    人は、その時、その場で、都合よく変わるものだ。
    人の言うことを、そんなに鵜呑みにしない、疑ってかかる。
    現代は、人がこの社会で生きるためには、
    そのぐらいがちょうどよいのだと、改めて私も学んだ。

    では、どこに普遍があるのか。
    どこに、いつまでも変わらない真実があるのか。
    人は、どこで暮らすことが生きることの幸せにつながるのか。
    その答を、大自然はもっている。
    「森」は、いつでもその言葉を語ってくれている。

    その魅力と出会い、その真実を感じ、自らのライフワークとした。
    それが、彼女だった。
    実に、見事で素敵な生き方だった。
    こうして、政府に騙されてみて、私も目が覚めた気がする。
    今の政治家たちは、選挙の票。就活なんだな。
    そんな人のことなんか、信用は絶対にできない。
    自分がよいようになるために金をばらまく、税金を悪用する。
    その結果が、これなんだ。

    どこに幸せを求めるのか。
    私の心は、ずっと前から決まっているのだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月24日 17時20分10秒

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    退職して3年目の11月なんだな

    今日から私には仕事がなくなった。
    先週の金曜日で退職だった。
    すると、こうして午後からの時間がフリーになった。
    そこで、カレーを食べてから、カンポスまでのウォーキングだった。
    午後からのフリーは、久しぶりなので、
    ルーテーンを作り、慣れるまで、何だか気ままな生活を送りそうだ。
    豊栄のKさんのように、疲れたら休む。何も予定を入れない。
    そんな生活もいいかなぁとは、思っている。

    退職してから、どう生きるか。
    そのことを模索しつつ、ここに実践して来たことを記している。
    それは、こんな生活もありますよと、
    少しは後世の人たちの参考になればと思うからだ。
    私自身退職した先輩たちの生活についての情報があまりなかった。
    男が独り、ぽつねんと家に居ると、ろくなことはないとも言われた。
    運動不足・酒の飲み過ぎ・寝たり起きたり退屈な日々。
    しかし、その反対を目指したら、何とか楽しい日々を送られるようになった。

    運動は、ハードなものは続かない。
    昔は、トレーニングジムに通い、毎朝、ジョグをしたていたが、
    そんなに負荷の大きな運動は、かえって身体に悪いから自粛している。
    ここから、日和山の展望台まで走り、古町を通って帰った頃が懐かしい。
    しかし、いつかはまた10キロをランしたいので、
    徐々に足腰は鍛えようと思っている。
    今は、もっぱらヨガだった。
    体幹を鍛え、ダンベルでの筋トレも欠かせない。
    つまり、運動は負担の無い程度で、毎日続けられるものをチョイスする。

    食事は、常に栄養のバランスを考え、少し控えめの量にする。
    毎朝、素っ裸で体重を測る。
    只今、79キロの増減だった。
    これをできれば、75キロ増減までにもって行きたい。
    こうした小さな目標を設定することで、
    努力しようとの意欲にもつながる。
    本当は、酒を呑まなければよいのだと思う。

    実は、今週は毎日、夜に予定が入っている。
    退職した日々を充実させるためには、
    趣味をもつことがとても大事なことだった。
    私は、今、リーデングの発表と合唱団の稽古で、
    その土日や平日の予定が密になりそうな状況になっている。
    こんなつもりではなかったのだが、
    求められることがアマチュアのレベルを超えたものだった。
    つまり、本気で稽古をしないと、間に合わない状況を自ら作ってしまった。
    でも、これがあるから、日々の生活の張り合いにもなっている。

    それから、書くことだ。
    私にとっては、書くことが、考えることである。
    だから、毎朝、FBに考えたことや、感じたことの長文を発信している。
    それでも、何人かその文を読んでくれるので、ありがたかった。
    だからと言って、どうするわけではないが、
    ここで考えを発信しているように、私の思いをただ綴るだけだった。
    この「親父たちよ」もそうだ。
    これは、全くの独白。一方的なメッセージだ。
    誰も読んでくれる人がいないかもだ。
    それでも、書くことに、意味があると、私は思い、続けている。
    「自分の生き方」に繋がる何かを続ける、発信する。
    これも、退職してからの心の張り合いとなっている。

    あれだけ、絶対に持たないぞと豪語していたスマホだった。
    しかし、使ってみてから二カ月近く、
    何だか今では手には無くてはならないアイテムとなった。
    それは、独り暮らしの御隠居様が、
    安否確認するわけではないが、
    この縁側に座っていながら、友と何だか繋がれる気がするからだった。
    あの「いいね」は、嬉しいものだと、初めての快感だった。
    それは、こんなFBにも興味を持って、開き、読んでくれる優しい人がいるからだ。
    例え、読んでいなくても、「いいね」で、応えてくれる。
    それも、オンタイム。ライブ感覚だ。
    そのおかげで、jazz歌手のWさんのFBによくお邪魔するようになった。
    どうも生き方も、趣味も、感性も、似たものを感ずるからだった。
    やはり、人は、独りでは生きられないものだ。
    このスマホは、私にとって命綱になっているなぁ。と、今では思う。

    昨夜、岩手の大先輩Kさんから、電話があった。
    「クマさん、スマホはどうですか?」と、75歳の彼が私に尋ねて来た。
    まさか、私が、他人にスマホを勧めるようになるとは思わなかったが、
    退職した私たちのような独りの男には、
    それはそれは大事なアイテム・命綱ですと、説明をした。
    「そうですか。そんなに、いいですか」と、Kさんも乗る気になった。
    私は、10月まで、「ガラ携で充分だ」と、豪語していた。
    今、11月には、「ガラ携には、せってもどらねぞ」と、豪語している。
    そんなもんだ。人間は。

    こうやって日中、独りで暮らしていると、
    やっぱり友は大事なものだと、つくづく感じた。
    「私だけでない」「みんなもそれぞれ悩んで生きている」かな。
    そんな気付きや、発見があると、
    今日を生きるための元気が湧くような気がする。

    小千谷のSさんと、スマホで話した。
    「今日一日だけ、元気で生きていれば、それでいいんですて」
    「明日のことは、まぁ、いいかと、お任せすること」
    「とっくに大人になっている子どものことは、子どもに任せろですね」
    「変に父親がししゃり出ると、波風が立ちますね」
    「まぁ、何とかなる。大丈夫」
    「ただし、いつも見守っているよ。心配しているよのサインは送る」
    「まぁ、家族が安心して生活するためには、居ても居なくてもいい父親が丁度いい」
    「とにかく、いい加減に、ほどほどにしています」
    Sさんは、大笑いで聴いてくれた。

    つまり、これが退職してから3年目の私の気付きと発見だった。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月23日 16時40分07秒

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    役になる。

    さてさて、Sさんと、久しぶりの電話だった。

    午前中は、2時間のリーデングの稽古だった。
    まさに、ここで禅問答のような苦境に立たせられている私だった。
    台詞を言う。しかし、その台詞の言い方ではないと言われる。
    こう言うのだと教えられる。
    それを真似る。自分のものにしようとする。

    すると、感情が入り過ぎる。
    もっと言葉そのものになる。すると次の言葉が浮かぶはず。
    クマさんは、自分でハンドルを曲げて事故を起こしている車だ。
    もっと車の走るままに任せたらいい。

    また、出て来た。
    どうしてそこで、自分がでるの。
    言葉を言うのではなく、浮かんで来るのを待つ。
    ゆっくりでいい。

    自分が出たら、駄目だと言われ、
    それでも、やはり感情があると言われ、その想いを顕せと言われる。
    本当に、皆目見当がつかない苦境に立たされた時、
    「えい、やっ。とにかく、やっちまおう」と、開き直った。
    そしたら、台詞が生き始め、動き始めた。
    そして、言葉を待ってから、次の言葉を言っている内に、
    その言葉の流れに、任せられ、気持ちよくなっている私だった。

    そしたら、ジャイアント馬場の言葉と出会った。
    「無理をしたり、作り事をしたりしたら、それはそれだけの世界だ」
    この言葉は、まるで演出の笹部さんの言葉ではないのか。
    みんな道は、通じるものだと、考えさせられた。

    自然に任せる。
    今は、そうやって生きることにしている。
    二日間の家族四人の旅行だった。
    川崎から来た次男とは、このご時世だから、半年ぶりだった。
    何だか懐かしさすら感じられた。
    彼も既に25歳だ。
    それなりに東京での仕事を頑張って勤めている。
    何よりも、独り暮らしで金が無い。
    そんな生活によく耐えて生きている。
    それでけでも、リスペクトだ。

    まぁ、私は、父としてはなかなか認められていないことを知っている。
    いろいろとあったことで、そんな立場や役割だった。
    そこで、このリーデングの体験だった。
    私は、何だか無理に、父親になることはないのではないかと、
    ふと、考えた。
    居ても居なくてもいい父親は、居てもいいのではないかと、
    10年以上前に私は、そんな父親であることを宣言した。

    そして、今、思い至ったことは、そのことだった。
    「居ても居なくてもいい父親」の役をきっと私は与えられているのだという自覚だ。
    そうしたら、気が楽になった。
    私が居なくても家族なんだ。
    そして、兄弟はとても仲が良いし、妻ともよく話をしている。
    やっとLINEの仲間入りをさせてもらったが、
    私の発信した文書は、なかなか既読にはならなかった。
    それで、いい、と、そう思ったら、楽になった。

    そうなんだ、あの笹部さんではないが、
    この役に、自分はいらないのだ。
    自分が父親となるのではなく、
    父親としての役を、それなりに演じていることで、
    充分ではないかと言うことだ。
    私が、濃い父親であることを、家族の誰もが期待していない。
    「俺が」と言った途端、みんなクモの子を散らす。
    「またかぁ」と、不穏な空気感に変わる。

    だから、「私は、いらない」と、心に決める。
    ここに、こうして、のほほんと居るだけでいい。
    話しかけることも、気を遣うことも、余計なことをすることも無い。
    既に「無職」の父親である。
    みんなのおかげで生かされているこの身だ。
    だから、何も言わずに、そのままここに居るだけでいい。
    すると、妻も長男も、安定する。安心する。

    私が、ちゃんとその居なくてもいい父親を演じられると、
    家族みんな気持ちよく暮らせる。
    静かな平安な水面を保たれる。
    私が、何か仕出すと、言い出すと、その水面にさざ波が立つ。
    明鏡止水とは、全くいかない。
    だから、私は、黙って、ここに息をしていれば、それでいい。

    だから、力んで、「父親」には、ならない。
    古堅にかかわることばかりをしてきた私。
    今更ばかりに、父親だと、威張るな、愚か者だな。
    ということで、何だか、一段も二段も降りている。
    これからも、どんどん降りて行くつもりでもある。
    「もう、いいのだ」と、私は、思う。

    そろそろ、樹木葬の墓地を契約しないとと、思われる。
    そんなに長く、生きようとは、思わなくなった。
    切に願って、やりたいことも、行きたいところも、ないようだ。
    そう言えば、こだわりが少なくなっていることに気付く。
    文字通り「どうでもいい」なんだな。
    そうやって私が生きていると、妻も子どもたちも、安心・安全。
    私も、妻や子どもたちについては、とやかく口出しはしない。
    その選択や決定を尊重している。
    「それでいい」と、思う。

    そんな役を演じられるようになって、
    少しずつ楽に生きられるようになって来た。
    老いることは仕方ないことだ。
    身体の衰えも自然の為すがままである。
    だから、今、ここを、味わうばかり。
    楽しいことは、続けよう。

    合唱団のオーデションに合格した。
    まさか、合格するとは想わず、テストのつもりでオーデションを受けただけ。
    こうして現実に合格すると、大変なこととなってしまった。
    実は、リーデングの発表会が2月末。
    合唱は3月21日・そのオーデションが1月27日。
    つまり、その両方の稽古の為に、過密なスケジュールが組まれると言うことだ。
    これは、気が遠くなる事実なんだな。

    この両方も、無理なく、作り事でなく、仕上げねばならない。
    指導者は、両方ともプロフェショナルだ。
    妥協は無い。高い技術と仕上がりを求められる。
    その息に達していなければ、舞台には立てないのだった。
    そんなことを選らんでしまったのも、私なんだな。

    とにかく、私には、役が与えられた。
    家庭では夫と父親としての役。
    リーデングでは、イアソンとしての役。
    合唱では、バスで「レクイエム」を暗譜して歌う役だ。
    その役をこなす。
    その役にはまる。
    その役になる。

    その時、ここにもう一人の私をおいて、
    それは、それなりに楽しんで行こうとも、思っている。
    63歳の新たなる挑戦だった。
    新しい自分への変わり目になると、
    こうして向こうから大役がやってくるものだった。
    とにかく、力まず、自然に、あるがままに、それをこなして行きたいものだ。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月21日 07時25分16秒

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    あなたのことを忘れていませんよ

    人は、どうしたら幸せと感じるものなのだろう。
    私は、どんな時に幸せを感じるのだろうか。
    そんなことを、考えることが、よくある。
    それは、幸せでないからではなく、
    何となくそれはそれとして、幸せなのではないかと感じているから、
    この気持ちは、どこから顕れるのかと、思うから、
    そんなことを少し考えているのだろうか。

    昨日、学童保育のお仕事最後の日だった。
    そういえば、思い出すことは、
    私は、その日に登園して来た子には、
    全てそこで名前を呼んで声をかけてきたことだ。
    そして、何かを話しかけていた。
    そこで、寂しそうな子が分かるから、
    その子の傍に座って、私が話した。黙って傍に居た。話を聴いた。
    私ができたのは、きっとそれだけだった。

    しかし、そうされた子どもたちは、安心したのか、
    確かにいつのまにか元気になっていた。
    何もしてやっていないようでも、
    そうして黙って私が、傍に居るだけで、子どもたちは元気を回復した。
    幸せって、そういう人が、自分の傍に居てくれることなのではないかなぁ。

    阪神淡路大震災の時、真木さんは、
    「自分にも何かできることはないか」と考えて、
    定時制高校の教員をしていた彼は、避難所の退院館に向かった。
    しかし、ごったがえす人たちの中で、自分のやるべき仕事が見つからなかった。
    そしたら、高校生の女の子に、
    「おっちゃん、高校の先生なら、あの人たちの話を聴いたって」
    「部屋の隅に独りで蹲っているお年寄りがとても多いんよ」
    「だから、おっちゃんは、先生なんだから、話を聴けるよね」だった。

    それで、彼は、すぐにそうした独りぼっちの被災者のお年寄りの傍に行った。
    しかし、その状況は聴くことができても、
    そこから先には、話は進まなかったと苦労した。
    それは、自分にはまだ家と家族が遺されているが、
    このお婆ちゃんには家もなく、家族も亡くした。
    そんな悲惨な経験をした人の気持ちが分かるとは、言えないと思ったからだ。

    しかし、その人たちの一番の苦しみが、孤独であることが分かってから、
    彼は、「よろず新聞」というB4版の自作の新聞を作り、
    被災者に必要な情報をまとめて、みんなに呼びかけ、
    一人ひとりに手渡す活動を始めた。
    そこで、同じ気持ちの仲間が集まり、NPO「よろず相談所」が開設された。

    しかし、人は、自分から辛さや悩みをなかなか話せないものだ。
    だから、何度でも通って、信頼を得る必要があった。
    そこで、真木さんたちは、仮設住宅に通うことにした。
    最初は、怪しい人のように思われ、怪訝な顔をした人たちも、
    ただの話し相手だと思うと、とにかくいろいろな話をするようになったそうだ。
    私も、昼間は、ぽつんと独りぼっちだから、その気持ちはよく分かる。
    誰かと話をする。誰かに気持ちを話す。誰かの話を親身になって聴く。
    このことが、孤独には一番の薬になるようだ。

    ところが、抽選で割り当てられた仮設住宅は、
    自分が長年住み慣れた町ではないことが多いそうだ。
    知り合いも誰もいない。
    隣近所の人は、ここで初めて出会った人だ。
    地域の案内も分からず、買い物にもどこへ行ったらよいのか分からない。
    そんなこんなで、どんどん荒んだ空気感となるそうだ。
    入口に酒瓶が転がり、昼まったから、独りおじいちゃんがうずくまっている。
    仕事もない。家族もない。お金もない。支援も乏しい。
    そんな生活の中で、求められていたのが真木さんたちの仲間だった。
    何時間も帰さないこともあるそうだ。
    人が傍に居てくれる。心配してくれる人がいる。
    とてもとても大事なことだと、私も思う。

    しかし、仮設住宅は、まだ隣近所の生活の音や匂いがあるからいいそうだ。
    復興住宅のマンションやアパートに暮らすことになると、
    行政は、もうこの人は大丈夫と支援の手を引くそうだ。
    安否確認には定期的に気てはくれる。
    しかし、本当に欲しいのは、その確認ではない。
    「確認はいい。でも、本当にして欲しいのは、話を聴いてくれることだ」と、
    ある独り暮らしのお爺さんが語ったと言う。
    そうなんだな。みんな独りなんだ。寂しいんだ。
    特に、マンションやアハートでは、隣近所との交流は全く無くなる。
    知らない人同志が、親しくなるまでには、努力と時間がかかるものだ。
    その内に高齢となり、ぽつりぽつりと亡くなる人が増える。

    そんな中で、独り暮らしのお婆さんと独りぼっちの男性が、
    同居した話を真木さんが、紹介してくれた。
    80代のお婆さんは、50代の彼と仮設住宅で知り合った。
    「私が、あなたのお母さんになってあげるよ」と、他人の二人は同居を始めた。
    男の人は、四国から渡って来た人だ。
    「人には言えないことばっかりだ」と、波乱万丈な人生だったようだ。
    そこで、「あなたが、私が死んでも独りで生きていけるように」と、
    その母は、厳しく、細々と料理や洗濯、掃除など、
    彼に教え続けたそうだった。
    そして、お婆さんは、最期の時を迎えた。
    何と、その息子の腕の中で息を引き取ったそうだった。

    「あなたのことを忘れていませんよ」
    「人は、人によってのみ救われる」
    この真木さんの言葉の意味は、深くて、重い。

    実は、ここにこそ、人が幸福にその生涯を生きられる生き方があるような気がする。
    救う力のある人は、見過ごしにせず、救いの手を差し伸べればいい。
    救いを求め、苦しんでいるのなら、「助けてください」と、言えばいい。
    この二人が出会うことが、「人」という文字ではないのか。
    人は、支え合って生きている。
    「Ⅱ」のように二本の棒が平行に立ってはいない。
    やっぱり、「人」は、支え合い、繋がり合って生きている。

    そのことが、本来の人としての特質なのではないだろうか。
    「人は 愛するということ 
     あなたと手をつなぐこと
     生きるということ」       谷川俊太郎

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  • from: クマドンさん

    2020年11月20日 07時55分35秒

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    本日で、学童保育を退職する

    今日で学童保育の仕事が最後になる。
    本当に人生とは、どこへ行くものか、分からないものだ。
    私は、介護職を目指していたつもりだった。
    3月に小学校を再び採食してから、
    4月~5月と無職のままいた。
    まぁ、妻からは「仕事はどうした」のきつい催促だったが、
    それでも、自由にさせてもらった。

    しかし、本当にひょんなことから、市報を見て、応募した。
    指導員の採用を、年齢制限で断られた後だったので、
    これも、いいかと、お願いをした。

    初体験の仕事は、まず、仕事を覚えることからだった。
    63歳の新人じさだ。
    使う方も、使い勝手の悪さをきっと感じたことだろう。
    数週間先輩に、Dちゃんがいた。
    次男の友達、我が家にサッカーワールドカップを観に来た男子だ。
    不思議な縁をその時には、感じた。

    女性たちの職場だ。
    30代~60代と、母たちがここを職場としていた。
    私は、だから、ダジャレと冗談話を封印した。
    それから、自分のことを話さないことにした。
    そして、とにかく仕事中は寡黙な男に徹した。
    あれだけ、賑やかに、同僚や子どもたちを笑かした私を、
    ここで全く封印する決意をした。

    フロアーのモップ掛け。和室の掃除機がけ。男女トイレ掃除。
    その仕事から半日の勤務は始まる。
    その後は、ミーティングをして、適時の仕事に取り掛かる。
    今は、正月用の掲示物造りだ。
    私は、ダルマと鏡餅とコマを画用紙で造った。
    その時も、何も語らず、独り黙々とやる。
    そんな空気感がこの職場にはあったな。

    コロナ禍のために、子どもたちとの触れ合いはご法度だった。
    対面で話すことは、禁止されている。
    また、勉強は一切教えてはいけない決まりだそうだ。
    「先生、ここ、教えて」と、言われて、「どれどれ・・・」と教えると、
    私は事務室に呼ばれる。
    「クマ先生、ここは、勉強を教えてはいけないところなんです」
    そう言われて、私は、目が点になってしまった。
    子どもが困っていても、助けない大人が居るのか。
    そして、私も、その冷たい大人にここではならなければ、いけないのか。
    これが、ここでの仕事の最大の苦痛だった。

    子どもと遊べる。子どもと楽しめる。子どもに勉強を教えられる。
    そのことを、一切してはいけませんと、しっかりと始動された。
    私の心が、どんなに暗くなったか、想像して欲しい。
    「何のために、私は、保父さんになったのか」
    しかし、親分が、ガンとして、指示と命令だ。
    「もし、コロナに感染する子ども職員がいたらどうするのですか」
    10月、私が腹痛を訴えたら、
    「医者に行って、コロナでないことを証明しなさい」と、
    強制的に休みをもらわされた。
    ただの、冷えからの、腹痛なのに・・・・・・・・。
    この医療費は、誰が、払うのか。

    私は、毎日、毎日、そんな環境の中で不全感を感じていた。
    だから、何度か改善を求めて提案はしたが、
    「誰が、猫に鈴をつけるのか」で、いつの間にかうやむやとなっていた。
    ここは、戒厳令の戦時下なのか。
    しかし、その私の驚きは、日々の現実として今日まで続いた。

    「私が、責任をとる」とは、昔の腹の座った上司の言葉だ。
    なかなかこうした管理職にはお目にはかかれなかったが、
    かっては、確かに侍のような校長はいたな。
    しかし、現在はどうだろうか。
    「私は、その責任をとりたくない」
    と言って、部下に失敗の責任を押し付ける管理職や、
    「私が居る間は、前例を守れ。勝手なことはするな」
    と言って、部下の新たな提言・改善案を却下する。
    今は、そういう人たちばかりなのではないかなぁと、
    かっての首相を思い出して、そう想う。

    世の中が閉塞的で、進歩・変化しないのは、
    責任をとろうとしない、管理職・上司が多すぎるからではないのか。
    「ならば、お前が、やれ」と叱責されそうであるが、
    「私は、責任をとれる程の男ではない」ので、絶対に管理職にはならなかった。
    だから、管理職になる覚悟のある人たちは、
    絶対に責任をとるつもりの人たちだと、私は願っている。
    管理職とは、そのために、そこに居るのだろ?

    責任をとらない管理職って、存在することが許されるのかね。
    でも、その気持ちも、分からないわけではない。
    今、マスコミを初め、何か過ちを犯すと、
    バッシングに、誹謗中傷の嵐だからだ。
    直接関係しない、当事者でない人たちが、ここぞとばかりに攻撃をする。
    人権は、いったいどうなっているのだ・・・は、ここではないな。

    だから、本当のことは言わない。
    嘘をつく。知らぬ存ぜぬで押し通す。あいつが悪いとストレーシープ。
    そんな首相を見ていたら、「やっぱり、私も」は、当たり前。
    潔く責任をとって辞める大人がいなくなった。
    そんな姿を、子どもたちも観ている。
    悪い事をしたって、嘘をつき、誤魔化し、言い訳すればそれでいい。
    昨日の子どもの名言だ。
    「大人は嘘をつく、子どもも嘘をつく」だな。

    今、子どもからは、大人はどんな大人として見られているのかだ。
    実は、子どもには何も忖度がないから、
    大人の本質をずばりと見抜いている。
    「この人は、こんな人だ」と言う、子どもの直感はズバリ的中だな。

    こんなことを書くつもりで、これを書いたわけではない。
    半年に満たなかったが、まずはともあれ、無事に今日で退職だ。
    私は、本当は、好きなことをやって生きられるのなら、それもいいと、
    思っている。
    しかし、そんなことは、現実には難しいことだ。
    だから、短期の仕事は、これからも続ける。
    仕事を替わることは、一つの仕事に縛られ続けないことは、
    それは、それも、生き方の1つだと考えている。

    何だか、70年代に教え込まれた価値観を、
    そろそろ塗り替えていく時代が来ているのではないだろうか。
    今のこの世の中で、幸福に生きるとは、どういう生き方なのか。

    今回は、学童保育に居て、そのことを考えていた。

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  • from: クマドンさん

    2020年11月19日 06時48分52秒

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    幾つになってもやりたいことは

    親父たちよが、短くなった。
    それは、寝起きに1時間、スマホのFBに書き込みをしているからだ。
    そうやってみて分かったことがある。
    それは、私は、こうして考えて文章を書くことが好きだと言うことだ。
    それは、確かに読んでくれている人は、数人だ。
    それも、その日に寄っての大きな変動だ。
    しかし、そのことのために私は、書かない。
    この親父たちよもそうだった。

    では、何で書いているのか。
    それは、書きたいから書く。それだけのことだ。
    しかし、ここに書き、FBに書くことで、
    その言葉は、公開される。
    その言葉を少なくとも読んでくれる人がいる。
    もし、私の物語のどこかに共感する部分があったり、
    ほっと救われる部分があれば、それはそれで在り難いことだと思っている。

    人は、言葉を求めている。
    それも、慰められる言葉。共感できる言葉。励まされる言葉等だ。
    その言葉と出会うと「私だけでないんだな」と、ふと、感ずる。
    「そうか、そうなんだよな」と、自分でもそう考えようと思う。
    また、「彼がそんな状況でも頑張っているなら、この私も・・・」と、鼓舞できる。
    それは、他者の生き様を通した真摯な言葉を聴くからだ。

    「ガイロク」の私は、ファンである。
    本当に名も無い人たちの人生の物語だ。
    その人だけのその人の物語に、私はよく涙する。
    分かるから涙するのか。哀しみを共有するから涙するのか。
    とにかく、この涙が、私にとっては優しさの顕れだと私は思っている。
    涙が溢れた時、何かが目覚める。
    私の中の無意識のままに仕舞われていた人としての深い何かが、
    「ここにいるよ」と、姿を顕す。
    それが、感動だと、私は思う。

    そんな感動の物語は、ここには無いが、
    何だか、私は、書く人としてここに生きているような気がする。
    何を書こうかと考えてから書くことは、少なかった。
    とにかく、書きだす。
    すると、思考のスイッチが入り、言葉がどこからか湧き出してくる。
    自動執筆マシーンではないが、
    書き進むことが快感となる。
    そんな喜びを感じたくて、これを書いているのかもしれないな。

    たった今、ものすごい朝焼けだった。
    空一面の雲の襞に朝焼けの光が輝いた。
    今は、もうその色は無い。
    たった数分の出来事だった。
    この朝焼けを見た人も、少ないと思う。ほんの瞬間の朝焼けだ。
    私は、スマホで写真を撮った。記録した。
    しかし、もう、今は、その写真は獲れない。
    いつものような穏やかな朝、曇り空。

    書くと言うことも、これと同じだと私は思う。
    姿形なら、写真でとらえられる。
    その最も美しい姿や色を、そこに記録できる。
    実物そのものの感動とは微妙に違うが、それはできる。
    しかし、目に見えないものは、どうやって記録するのか。
    それが、言葉の役割なのだと私は考える。

    心をどう顕すか。
    考えをどう顕すか。
    感情をどう顕すか。
    愛するをどう顕すか。

    言葉で顕すことで、それは共有される。
    相手に伝わる。
    相手も目に見えないそれを理解できる。
    言葉によって分かち合えることがある。

    だから、私は、書き続けているのかもしれないなぁと、今朝は思った。
    朝だけで、2つの長文だ。
    でも、書かないとすっきりとしない。気持ちよくない。
    これって、ヨガのように心と気持ちのトレーニングなのではないかだな。

    私は、身体が全く動かなかった時、考えることは止めなかった。
    逆かな、身体が動かない分、考えることが促進された。
    その時、聖書の言葉や、池田晶子・若松英輔の言葉が沁みた。
    その状況で書かれた真実の言葉は、その状況に陥った人には必ず伝わる。
    ただし、その言葉と邂逅できればだ。
    この朝焼けの美しさと同じだと思う。

    人生とは、その先人が遺した言葉の意味を味わうための旅である。
    今、こんなことにやっと気付いた。
    私は、私の体験を通し、実感を通さない限り、
    その言葉の意味を我が事として理解できない。
    創造と実感では、全く違うからだった。
    実感・体感したものだけが、私には真実だ。
    その真実がこれだと伝えられるのは、
    その体験・実感を、こうして言葉に顕すからだ。

    言葉は、普遍なんだ。
    ただし、その言葉が普遍であるならばだな。
    そして、書き続けると言うことは、
    その普遍なる真実を深く深く味わうことであると言える。
    私は、書くことで、分かるからだ。

    これからも、書き続けたい。
    それは、自分自身の魂の成長のためである。
    これも、私の死ぬまでの挑戦の1つとなっている。

    さてさて、昨日、ある合唱団の新人オーディションだった。
    コンサート会場で一流のオケとソリストと一緒に歌う合唱団だ。
    そこで要求される技術の高さは、想像以上だとやってみて分かった。
    求めているものが、全く違うスキルなんだ。
    ピアノを弾きながら課題を出す先生に従い、
    とにかく音を聴き、音程を正しく、響きのある歌声で歌うことを専念した。
    私の背後には、5名の審査員の先生方だった。
    「これが、オーデションなんだな」の緊張感と感動だった。

    こうして、後は、結果を待つばかりだ。
    「リーデング」で、ギリシャ悲劇「メディア」のレアソンの台詞の稽古。
    来年の5月には、東区ボーイズでの合唱のコンサート。
    そして、合格すれば、モーッアルトの「レクイエム」をりゅうとで歌える。
    妻が、呆れるばかりなのもよく分かる。
    本日夜は「太極拳」の稽古がある・
    土曜日の午前には「ヨガ」のレッスンだ。

    日々新たなり。
    それは、こうして挑戦する気持ちを持ち続けるからできることだ。

    書くこと。何事にも挑戦すること。
    この2つのことは、生涯、幾つになってもやろうと思っている。

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