新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2020年03月31日 05時46分37秒

    icon

    花は種を遺す。人は何を遺すのか。

    さてさて、3月31日。
    今日で私の仕事は一区切りをつける。
    2年前の9月からの勤務だった。
    突然のオファーだった。
    初めは三か月間の約束だった。
    しかし、子どもたちと共に居るうちに、続けようと思った。
    二人の女子を卒業させたかったからだ。

    出会いとは、私が求めるものではない。
    そうやって、向こうからやって来るものだ。
    まさか、こうした出会いが私を待っていたとは、
    誰も知り得ることはできなかった。

    それでも、私だった。
    そして、その子どもたちの担任となった。
    そして、語った。笑った。泣いた。学んだ。
    そして、私も、子どもたちも変わった。成長できた。
    それが、この出会いの何よりもの収穫だった。

    小千谷のSさんと、対話した。
    「不思議だなぁ」を信じられるかという話だった。
    私は、かっては、その線のこちら側に生きていた。
    こちら側は、人間のどろどろの世界である。
    「俺が」「俺が」の世界であるかも知れない。
    彼も、私も、学校の森造りと、学校ビオトープで、実践を重ねた。
    パイオニアとしてのそれなりの評価を得て来た。
    助成金もいただき、マスコミからも認知された。
    しかし、今は、そこをすっかり離れた。

    不思議だなぁの、その向こう側から、
    今は、かっての私たちのような人の世界を俯瞰している。
    それって、神様の視点かなぁ。
    とにかく、俺がからは、遠ざかった。
    その誰が一番の世界から、すっかりと足を洗った。
    そして、Sさんは、学校の森を次世代に引き継ぎ、
    早朝の小千谷の街と自然との散策に入って行った。
    私は、せっせと庭で花たちを育て始めた。

    すると、私たちが、そのどろどろの世界から離れて生きる訳が分かった。
    自然には、その答がずっとずっと受け継がれていたからだ。

    「命は、終わらない。」
    「命は、受け継がれる。」
    「命は、永遠に連続する。」

    そのことに、何だかお互いに気付きつつあることに、気付いた。

    「そうか、終わった命は、一つもないのか・・・。」だった。
    しかし、人は、死を迎える。
    死とは、人だけに在るのではないかの問いだった。
    ならば、その死を見つめよう。
    その死を味わおう。
    人にとって「死」とは、終わりなのか。

    確かにこの身体は、遺体となり、焼かれて骨となる身体だ。
    しかし、この身体にこそ、自然である人の本質が隠されている。
    私は、プランタの花たちを見るにつけて、
    私のこの身体のことに思いが到る。
    生かされている命としての身体と、
    このプランタのビオラやパンジーたちは同じなんだという自覚だ。

    花たちは、最期に種を遺す。
    そこに、命を託す。だから、命は、永遠に続く、終わらない。
    その花も、祖先の小さな命の結集で在り、証明だった。
    この花の命の始まりは、いつ、どこなのか。
    それは、永遠としか呼びようのない時間の流れの中にある。
    そして、その永遠は、このコロナでも絶対に途切れるものではない。
    ずっとずっとこれからも、私たちがこの世を去った後でも、
    その命は、果てなく、遙か彼方へと続くはずだ。

    不思議だなぁで生きられる人には、その確信が与えられる。
    それは、今日、今、ここを、生かされていることへの感謝があるからだ。
    自分自身が、ここで、こうやって生かされていることを、
    不思議だなあと深く深く感ずることができるからだ。

    では、私は、この命をどうやって繋げ、伝え、続けていくのかだった。
    身体は、老いる。朽ちる。病に侵される。最期は死を迎える。
    難病の人も、癌の人も、私も、Sさんも、必ずいつかは死を迎える。
    それを早いとか、遅いとかという問題としてとらえない。
    死を全ての人が迎えねばならないのだと言う真実でとらえる。

    だから、どんな人でも、死は在る。
    私の死は、突然やって来るかも知れない。
    脳溢血・心筋梗塞・くも膜下出血等等。
    交通事故死・空から鉄骨が落ちて来たり、突然車が飛び込んで来たり、
    まぁ、その日無事に生きられたことを感謝することだとも思っている。
    突然の腹部の激痛で何度救急車のお世話になって入院したことか。

    とにかく、死は、日常。予想はつかない。いつか、突然。
    そう思って生きていると、今日、こうして生きていること自体、
    「不思議だなぁ」と感じられる。
    だから、感謝だった。

    さてさて、話を戻そう。
    死は、日常である。生かされていることは、恵みだった。
    そう思って日々を生きると、生き方そのものが違って来る。
    これは、本当だ。
    「いつか死ぬ」「必ず死はやって来る」「さて、どう生きるか」だな。
    「善く生きる」ためには、自分の命の限界を知る必要がある。
    「生涯」とは、生きて行ったらいつかその終わりが来るのだという言葉。
    さてさて、その始まりと終わりのスパンの中で、いかに生きるかの問い。

    Sさんとの対話の終わりは、
    「だから、生きている姿そのものを遺すことが、私の使命ですね」の気付きだった。
    「スカーレット」の武司は作品を遺した。
    私には、そんな実力も才能も無いことは分かっている。
    こうした平々凡々な私にも遺せることとは何か。
    それは、その人らしい「生き方」そのもののような気がする。
    その生き方に出会った人の魂に、
    その人は、生き続けられる。

    さてさて、私は、誰かの魂に死んでもずっと私として生き続けられる生き方を、
    与えられることができたのであろうか・・・・。だな。

    花は、種を遺す。
    人は、生き方を遺す。

    だから、人は、「どう生きているか」が大事なんだな。
    Sさんと、深く深くで肯いた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月30日 05時48分12秒

    icon

    小さな庭のシンプルな教えとは

    二日間、天気がよかったので、庭で仕事した。
    庭で花や樹々のお世話をすることは、
    私にとっての大きな喜びである。
    庭には野趣たっぷりな自然がまんまでいてくれる。
    その中で、私は花や野菜を育てている。

    プランタの中にはビオラ、パンジー、ナデシコだった。
    この冬を花のままで生き抜いた花たちだ。
    寒さの中では、しっかりと根が育つ。
    そのために、春になったらぐんと旺盛に光り輝く。
    花には、厳しい寒さが必要だ。

    しかし、もうすぐやって来る春の為に、
    その冬のままの花を摘む。
    何故なら、その花の下に
    、小さな新しい花芽がたくさん育っているからだ。
    その花芽たちは、自分の順番が来ることを待っている。
    本当に、紡錘形の小さな小さな蕾のままに、
    下を向いて、幼稚園の園児のように、心ときめかせ、待っている。

    だから、まず、役割を終えたその花たちを、私は積む。
    確かにせっかく咲き続けているのに可哀想ではある。
    しかし、不思議なことだが、
    この先輩の花たちを積むことで、
    後輩の小さな花たちは、喜んで、その花を開く。
    これは、花屋のマスターから教えられた秘訣だった。

    命は、確かに、連続していた。
    途切れることなく、そのプランタの小さな世界で繋がっている。
    そのことを、いつもこの季節に確認をする。
    今、私は、その小さな蕾たちが、開花する日を待ち望んでいる。

    プランタの土を興す。
    固くなっている土に、手持ちのスコップで、土をほぐす。
    すると、土が喜んでいるように感ずる。
    「春ですよ」「出番ですよ」「また今年も頼みますね」。
    そう呼びかけながら、プランタの中の土を興す。目覚めさせる。

    塊は、私が両手でもんで、柔らかな土に変える。
    水分を含んだどろどろの土になる。
    プランタの中には、細くて白い根っこがびっしりとはびこっている。
    それも、次の命には肥料となる。

    枯れたまま、根っこを生かしている固い茎がある。
    私は、この根っこが生きている限り、
    この茎には命が宿っていると信じている。
    だから、それを他の花壇に集団移転する。
    お引越しだ。
    不思議なことだが、その植えた周りから小さな芽をだすこともある。
    勝手に死んだと思わないことだ。
    強くたくましい根っこがあったら、
    まだ生きると信じて、養生をしてあげることだ。

    次に、高枝ばさみで、茂りまくった松の剪定をする。
    向かいの家に来た庭師が、我が家の松を見て、
    「ふん、ありゃ、素人の仕事だなぁ」と、
    馬鹿にしていたとAさんに言われた。
    その一言が、私の俄か庭師として闘志に火をつけた。
    「やったろうじゃ、ねぇか。今に見ていろよ」だったな。

    実は、この高い高い松の枝を、
    あの何メートルある長い棒を持って、
    その先っぽの鋏で枝を切ることは、なかなか大変な仕事なのだ。
    まず、どこを切るかを決める。
    「ここだ」「ここだよ」と、茂った松が呼んで来る。
    「おっ、分かった。そこらな」と、見上げて伸ばす。
    茂った枝をかき分けて、その枝に鋏をかける。
    ぐっと手元のレバーを引いて、手応えを感ずる。

    もっと高い枝を切るためには、床几台の上に上がる。
    脚立に跨る。
    そこで、長い長い棒を不安定に伸ばす。
    見上げてばかりで、首が痛い。
    昨日は二度も松のゴミが右目に入った。
    ほとほと疲れても、それでも止めない。
    それは、どんどん少なくなり、
    お互いがお互いとしてはっきりと分かる枝の間隔となる。
    そのことが、気持ち善い。

    切り取った松の葉が、大袋二つになった。
    すっかり坊主になったしまった松だった。
    また向かいの庭師に言われるはずだ。
    「これだから、素人は、どうにもならねぇ」と。

    私は、夕方、くたくたになったまま、
    その庭仕事をお終いにした。
    ツゲたちの散髪も、その時、終わった。

    さてさて、この花や松や、樹々たちに教えられたことは何だろう。
    私が体感したことを、そのまま、人の生き方に置き換えてみる。
    すると、やっぱりこの小さな庭の自然には、
    いかに生きるかの教訓に充ちいた。
    それを私は、学び、体感し、言葉とする。
    すると、自然に従った、素直な生き方ができるようになる。

    シンプルは、ベタァなんだな。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月29日 07時00分14秒

    icon

    視点を変える。大人が変わる。

    視点を変える。
    立場を変える。
    すると同じものの見え方が違って来る。

    そんな話を小千谷のSさんとした。
    現場を一度はリタイアして、無色透明な生活に入った。
    2年前の4月のことだ。
    丁度今頃は、退職の最後の日を緊張感と期待感とで待っていた頃だ。

    そして、現場には戻らない宣言をした。
    介護職のための初任者研修を修了した。
    次は、介護の道で自らを鍛え、磨こうと思っていた。

    9月、突然のオファ―だった。
    私は、固辞したが、とにかく三カ月だけでもと粘られた。
    それではと、現場に復帰した。
    そして、そのまま今日に至る。

    その復帰したときのことだった。
    何だか現職であった頃と、違った視点から子どもたちが見えたのだ。
    「教えない」その代わり「考えさせる」
    「語り掛ける」そして、「自己決定させる」
    「私も変わる」だから「子どもも変わる」
    「寄り添って生きる」すると「子どもたちも寄り添ってくれる」

    何だか現職の頃にやっていたことが、それでいかったんだとの確信だった。
    私は、子どもたちを心からリスペクトした。
    そして、1人1人の個性を大事にした。
    だから、半年後には、どんな子になって欲しいか具体的に考えた。
    後は、その目標に向けて、日々を地道に努力させた。
    「繰り返しは、偉大な力をもっている。」

    困っているのは、その子だった。
    その困り感を直感する。理解する。そして、話を聴く。分かち合う。
    すると、その子自身が微かな答えを発見する。
    自分が置かれている困難な状況を少しでも解決する手立てに気付く。
    すると、動き出す。
    本当の成長には、本人の気付きとやる気が大切だった。
    その気付きとやる気が芽生えるための手助けをする。
    それが、私のアドバイスだった。

    とにかく褒めた。
    それも、みんなの前で、その子を褒めた。
    とにかく認めた。
    どんな小さなことでも頑張ったことや、出来たことは、みんなに知らせた。

    叱ることも真剣だった。
    本気で叱った。
    それは、その子が善くなるためだった。
    だから、真剣にその子の魂に語った。

    泣いた。涙を流した。
    私は、泣くことを自分に認めた。許した。恥ずかしいと思わなかった。
    授業をしながら、感極まった。涙が溢れた。
    子どもの成長に感動して涙を流した。
    その子の健気な気持ちに、感謝して涙を流した。
    いつもいつも泣き虫先生だった。

    心から、どうやっても、この子たちが大好きだった。
    大好きだが、前提だ。
    好きだから、励ました。
    好きだから、根気強く勉強を教えた。
    好きだから、だしゃれの連発だった。
    好きだから、毎日が楽しくて、楽しくてだった。

    「だじゃれをみがき、高める子」が学級目標だった。
    卒業式のプレゼントは、自作の「だじゃれ帳」だった。

    と、ここまで書いて、自分でも気付いた。
    やっぱりこんな先生は、どこにも居なかったなぁと。

    一度リタイアして、現場に戻った。
    確かに、視点が変わっていた。
    見える風景も違って見えた。
    そのことが、とてもとても大事なことだと私は分かった。

    そのまま、3月に退職をして、4月から再任用の道もあった。
    しかし、そうしなくて、私は、よかったと思っている。
    続きでは、それは、連続だから、同じなんだ。
    断絶、不連続、一旦休止。
    だから、そこと、こことでは、次元が違う。場所が違う。立ち位置が違う。
    すると、ものごとは違って見えた。

    何もしがらみもなく、そうしなければならないと言われず、
    好き勝手に、本当に自由気ままに、この仕事に全てを撃ち込めた。

    Sさんとの話の結論は、これだった。

    とにかく、子どものことをリスペクトすることだ。
    そして、教師同士もお互いにリスペクトすることだ。
    人と人との関係において、リスペクトが最も大事なことなんだ。
    しかし、現場では、このことを忘れられた。
    このリスペクトが失われた。
    だから、今の学校がある。
    子どもたちは、困っている。辛いと感じている。寂しいと思っている。

    改めて、現場に戻ったら、そのことがよく分かった。
    その気付きが、私を育ててくれた。

    「まず大人が変わることですね。」
    そのSさんの言葉がずんと心に響いた。

    4月からはまたあの無色透明な生活となる。
    しかし、2年前とは違っているのは、
    5月からのまた学校へのオファーを私が待っているということだった。

    どなたかこんな私を使ってくれないものかな・・・。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月28日 07時50分18秒

    icon

    身体を信ずる

    本当に疲れ果てていた。
    身体が難儀と言うことではなく、疲労困憊している。
    何もする気がしない。
    布団の中で読書が精いっぱいだった。
    そして、眠る。また起きる。そして、眠る。

    気が付いたら1時半になっていた。
    さてさて、お腹も空かないがお昼にする。
    担々麺のカップ麺。それと妻のカレーを少々だ。
    何とか食べた。
    そして、また眠った。

    身体は、休養することを要求している。
    身体は、動きたくないと言っている。
    身体は、もっともっと眠りたいと求めている。
    ひんな日は、めったに私には無い日だった。

    しかし、いつも身体の声に従うことにしている。
    前日の「これだ」の飲みが効いたのかも知れない。
    前日の引っ越し作業の疲れが一気に出たのかも知れない。
    この仕事に一区切りがついたから、どっと疲れが襲って来たのかも知れない。
    ただ、鉛のような身体がここにある。
    その事実に、素直に従う。

    まだ、あの大手術を受けていなかった頃、
    55歳以前になるだろうか。
    こんな日でも、無理やり予定を入れて、出かけたものだ。
    まるでマグロだった。
    じっとしていられない。止まると息が出来ない。死んでしまう。
    しかし、死線を超えたおかげで、休む人にやっとなれた。

    「スカーレット」が最終回だ。
    白血病のたけしが、書く言葉だ。
    「今日の一日は、いちもの同じ一日でありたい」と。
    そんな当たり前の一日に、彼は、心からの感謝だった。
    いつものように、いつもを生きられる。
    そのことは、感謝することなんだと、私も長期入院のベッドで気付いた。

    人は、生きている限り、この身体と共に生かされている。
    この身体が生きてくれているから、私も生きていられる。
    私が眠っている間も、この身体は生きるための努力を続ける。
    休んでいるものは一つも無い。
    いつもいつも生きるための働きを続けてくれる。

    時々、不具合も起きる。
    それは、私が無理をしたり、不摂生をした時だった。
    それは、身体に対して、とてもとても申し訳ないことだ。
    「身体さん、ごめんなさい」だな。

    本当にそうだった。
    「身体さん」と、呼びかけて、じっと私の手を見る。足を摩る。
    深呼吸をする。何だろう。涙が流れるなぁ。

    だから、私は身体の声を聴く。
    身体は、自然のまま生きている。
    それは、あの花たちや樹々たちや鳥たちと同じだ。
    人は、その身体と言う自然を生かされているいのちなんだ。

    今、難病と闘っている友が居る。
    今、不治の病と闘っている友が居る。
    私には何も助けることはできないが、
    「祈る」ことはできる。

    再び、元には戻らないことを知っている。
    しかし、感謝しつつ、祈ることで、
    きっとその自然である身体は、応えてくれるのだと信じている。
    例え、今、そのような苦しみや痛みや不自由な中にあったとしても、
    その精一杯に生きようとしている身体に、
    心から感謝し、祈り、エールを送ることは、
    決して無駄ではなかったと、私は言える。

    生きると言うことは、この身体との共闘作業である。
    例え、どうであれ、今日一日のその身体にこそ感謝だった。
    そして、その身体に対してリスペクトする時、
    「奇跡」は起きるのではないだろうか。

    私は、一日、眠り続けた。
    今、その応えが、この身体だ。

    諦めない。
    前を向く。
    感謝する。
    祈り続ける。
    そして、奇跡を信ずる。

    きっとたけしも、そうやって生きて来たのだと私は思う。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月27日 17時28分46秒

    icon

    「これだ」と出会えた

    昨日、嬉しいことの連続だった。
    ところが、それまでは、「何でこんなことが・・・」と、
    何から何までちぐはぐで、回らず、げつばたげつばたと諦めていた。
    「今日は、こんななんだ」と、諦めて、とぼとぼと夕方、万代を歩いた。

    Kの渡り蟹だった。
    私は、そのパスタに盛られたソースの量と色を見て、
    そして、一口その味を味わってみて、
    一瞬でもっていかれた私を感じた。
    「何だ、これは」と、この店で今まで食べたナンバーワンの味わいだった。

    味を言葉では説明することは難しい。
    しかし、確かに瞬時に、即、ここで、感動だった。
    「これだ」と、思えるのは、どうしてなのか。
    「これなんだ」とは、どうして言えるのかよくは分からないが、
    確かに「究極」のその味だった。

    美味しいパスタとは、語り合える。
    このパスタの語る物語の深さだった。
    造り手が、このパスタに賭けた真摯な情熱と信念とを感じた。
    味は、素材の味わいではなく、造り手が創作する味である。
    全く同じ味はないように、
    似せて非なるものを究極の味とは言わない。

    味は、真似できない。
    それは、その人がその人の全てを叩きこみ、妥協していないからだ。
    味の微妙な変化は、瞬時に決まる。そして、すぐ変化する。
    その微妙なさじ加減のどこをとらえて料理とするか。
    この渡り蟹のパスタを造った、シェフに会いたくなってしまった。

    なみだが出た。
    パスタを食べて、私はなみだをナプキンでふいた。
    「ああ、この味なんだ」「この味を食べたくて、この店に来るんだ」
    パスタを食べて、泣いている男もいるものだ。
    私は、また、ナプキンにシェフへの手紙を書いた。
    幸せだった。
    本当に美味しい料理を食べることは、私にとっての幸せだった。
    そのことを深く深く味わった。幸せを味わった。

    さて、シネウインドの「音楽」だった。
    全編手書きの究極のアニメだった。
    私は、この主人公の研二に完全にもっていかれた。
    この不良高校生の彼が、二人の仲間と共にロックバンドを造る。
    全く音楽とは無縁な彼たちは、楽器を手に入れる。
    2台のペースと、二つの太鼓のドラムだった。

    そして、感性だけでその音楽は始められた。
    感性が感ずるままに単純明確な音をどんどん繰り返すだけ。
    するとこの三人は顔を見合わせて、「いいなぁ」と言う。
    とにかく一つ一つのカットが、心に沁みる。
    何とも不思議な味わいの映画だった。

    ところが、やっぱり、どのシーンを観ても「これだ」「これなんだ」の感動だ。
    じゃぁ、「これ」って、何?
    しかし、私には感じられる。
    本当に深く深く何かを語ってくれる「これ」は、確かに在るととうことを。
    そして、私の人生の中で、何度か、映画を観て「これ」を体験したことを。
    それは、私にとっての傑作の証でもあった。
    「これだ」「これなんだ」と、心で叫び、笑い、泣き、深く黙る。
    今度は、研二がジンと私の沁みる。

    大好きになった。
    惚れた。研二に。
    町の伝統あるロックフェスに「古武道」たちは、参加する。
    その前に「古美術」がフォークを捨てて、ロックに燃えた。
    そして、最後の舞台では、何と、何と、何と、研二が・・・・。
    私は、本当に涙が止まらなくなってしまった。
    腹を抱えて笑いながら、涙がどんどんどんどん溢れて止まらない。

    今度は、アニメで大泣きの私。
    ぜひぜひ、この「音楽」を観て欲しい。
    ついていけるかどうかは、感性の問題だ。

    この世には、確かに「これだ」は存在している。
    その「これだ」を求めて、私はパスタを食べ、映画を観ている。
    そして、本当に不意打ちのようにして、「これだ」と出会える。
    そのことを私は、「奇跡」と呼んでいる。

    昨日の渡り蟹の味は、奇跡の味だった。
    昨日の「音楽」は、奇跡の感動だった。
    そして、そこには、それを造りだした造り手が必ず存在している。
    その造り手の魂に「これだ」在る。
    そして、その「これだ」が、顕わになりたがっている。
    どうしても、何としても、「これだ」を顕わにしたい。
    そして、「これだ」が無いと、本物の深い深い味わいは出せず、感動を与えない。

    「これだ」に出会うと、私は、涙が溢れる。
    私が気付く前に、涙が即時に反応する。
    そして、私は、その涙によって「これだ」に気付く。
    不思議なんだが、いつもその順番は変わらない。
    涙が溢れる。魂が感ずる。深く深く味わう。「美味いと」と実感する。

    帰りにシンさんのお店で、「レバ刺し」を食べた。
    今は、この味にはまっている。
    黙って口の中で味わっていると、「幸せ」を感ずる。
    ここにも私の「これだ」は存在している。

    昨日は、何をやっても上手く行かず、げつばたとして、イライラもした。
    だから、諦めて、疲れた足取りで、万代に向かった。
    本心は、あまり何にも期待はしていなかった。
    パスタは、きっといつもの味ならまぁいいか。
    「音楽」ってアニメのことは何も知らないも同然だった。
    それでも、やっぱり、人は出かけてみるものだと、そう思った。

    今日は、妻の誕生日だ。
    さっき、花屋に花束をとりに行って来た。
    そして、彼女のリクエストは、Kでのディナーだった。
    二日続けて渡り蟹だ。
    人生、これだからやめられない。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月26日 05時38分32秒

    icon

    言葉の力

    3月で今の仕事を終了する。
    4月からは何も当てはない。
    またあの無色透明な日々が続く。
    また庭で花と野菜とを育て、家事に勤しみ、ヨガで身体を鍛えよう。
    そんな日中、独りの生活がまた帰って来る。

    24日に卒業式だった。
    在校生は居ない。保護者も子どもたちも職員もマスク。
    それでも、卒業式ができたことだけでも感謝だった。

    入場する子どもたちの顔を見ていて、涙が溢れた。
    「ハレの顔」だ。
    本当にこの時の子どもたちの顔は、凛として美しい。
    これから始まる新たな人生に向かって、
    希望と意欲と夢をもって向かっていく人の顔だった。

    想いは、確かに顕れる。
    それは、子どもたちの一つ一つの態度にはっきりと感じられた。
    こうやってすっと前向きに素直に生きる。
    そのことが、輝きとして感じられた。

    私は、4名の子どもたちとのお別れだった。
    卒業式に泣けなかったら、この仕事をリタイアする。
    私は、そう心に決めて30年間だった。
    子どもたち1人1人に言葉を語った。
    言葉なんだなぁと、その時も感じた。

    手作りのアルバムの一番最後のページに、
    1人1人に期待する言葉を筆で書いて贈った。
    その言葉は、私からの子どもたちへの想いだった。
    その言葉は、願いでもあった。
    そして、その言葉は、目指す目標となっていた。
    この言葉があるから、これからの新たな生活の指針となるはず。
    言葉とは、そうやって人を生かす力をもっている。

    それから、いつまでもいつまでも見守っていると言う約束でもある。
    私は、あなたのことを忘れない。
    いつまでも見守り続ける。
    何か困ったことがあったら、私を訪ねて来てほしい。
    電話でもいい、メールでもいい、
    何か力になれるならば、私はできるだけ助けたい。
    そんな「助け」となる言葉は、確かにあった。

    託された言葉は、その人の想いとなる。
    道に迷ったり、間違った道を行ってしまった時、
    原点に戻る道標にその言葉はなってくれるはず。
    言葉は、真理だ。
    だから、言葉はここに記される。
    記された時、その言葉は、その人の行くべき道となる。
    例え、その道を見失っても、その言葉によって、修正ができる。
    言葉には、そんな力が秘められている。

    どうして、そんな力を持つことができるのか。
    それは、言葉を書き、託す私の想いそのものだからだ。
    人は、独りでは生きてはいけないものだ。
    それなのに、人は人との関係において悩み、苦しみ、傷つくものだ。
    だから、言葉なんだな。
    その人を愛する人が、その人に贈ったその言葉は、
    きっとそんな時に、その人を立ち直らせ、再び立たせる力となってくれる。
    私は、どれだけ私の為に書かれた言葉に、救われたことだろうか。

    言葉を贈る。

    それが私のいつもの卒業式だった。
    今年も、言葉を贈れた。
    そして、の言葉がその子を生かす力となってくれることを心から願っている。

    幸せになってもらいたい。

    そんな気持ちで、一字一字筆で書いた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月25日 06時05分17秒

    icon

    死者となったお母さん

    ずっと書いていなかった。
    それは、ずっとお酒を飲んで、起きられなかったからだ。
    それだけ、いろいろとあった。
    書きたいことが山ほどあった。
    しかし、書く時間が確保されなかった。
    これは、私の呼吸だ。生活だ。命だ。
    書けない日々は、やっぱり少し辛かった。

    日曜日、Aさんのお母さんのお通夜だった。
    Aさんは、舞踏家である。
    そして、演劇にもかかわった人だ。
    何と懐かしい人たちがたくさん集まってくれたことだろう。

    95歳の通夜に、70席は多いのでは・・・と思っていた。
    ところが、満席だった。
    驚いたなぁ。
    そして、感動したなぁ。
    みんなAさんのことを想い、彼女のお母さんを想い、
    こうしてコロナの中を駆けつけてくれた人たちだった。

    その人たちとは、この私も大きなかかわりがある人たちだ。
    それは、劇団を立ち上げ、共に何年間も演劇の公演をした人たちだからだ。
    同じ釜の飯を食うことは、大事なことだ。
    つまり、若い時に何をしてきたか。
    どんなことに夢中になっいたか。
    そのことが、棺桶の蓋となる。

    棺桶の中で眠っている時、集まってくれる人が心の友だ。
    この通夜を見て、改めて、そのことが思い出された。
    同志と呼べる人たちだった。
    本当に、あの時に、出会えてよかった。
    そして、劇を上演してよかったと、何だか私までが幸せになった。

    お母さんは、四日間自宅に安置されていた。
    眠るように、微笑んでいるように、安らかに安堵したような顔だった。
    自宅のおかげで、町内のお年寄りは弔問に来ることができた。
    自宅に長く居ることで、Aさんの心の整理もついたようだ。
    お別れには、時間をかけるといい。
    二人は、ここで心行くまで語り合ったはずだ。

    納棺の儀では、お母さんにお化粧をしてもらった。
    みるみる若返り、美しくなっていく。
    母の時もそうだったが、生前よりも若くきれいになっての旅立ちだった。
    ほれぼれとそのお顔を見ていた。

    しかし、この身体には、お母さんがいないのだと、私とAさんはいつも感じた。
    この部屋のどこかで、きっとAさんのことを心配して、見守っている。
    これからは、この家で、Aさんは独り暮らしだ。
    どれだけお母さんは、心配なことと思われる。
    だから、お母さんは、いつもいつもAさんの傍に居てくれる。

    身体がある時は、その身体があるところにお母さんは居た。
    しかし、それは身体に限定されたお母さんでもあった。
    だから、今は、身体を離れて、自由となった。
    ならば、何時でもここに居られる。
    Aさんと共に生きられる。
    死者とは、そうやって生者のAさんのことを守り続ける。

    Aさんは、呼びかけるだけでいい。
    時には、合掌して祈ればいい。
    語り掛けたら、いつものように笑顔のままで、そこに居る。
    それを信じられるかどうかなんだな。

    お母さんが遠いところに旅だったとは、思ってもいない。
    それは、親しくしてもらった私にとってもそうだった。
    お母さんは、いつでも、ここに居る。
    Aさんのお宅は、私の家の真正面。
    今も、ここからAさんの庭を見下ろしている。
    木蓮の蕾が白く輝く。

    生者としてのお母さんは居ない。
    しかし、死者としてのお母さんは、ずっとここに居る。
    実は、そのことに気付いたら、心も魂も楽になるものだ。
    そのことを、私は、父と母と叔母に教えられた。
    父も母も叔母も、私には生きている。
    私が生きている間、私の想いの中で、ずっと生きていてくれる。
    私は、それを信じている。

    だから、独りにはならない。
    それは、Aさんも同じだった。

    お母さんのご冥福を心から祈っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月22日 06時18分20秒

    icon

    土曜の午後は酔っぱらいだぜ

    さてさて、恒例の土曜日午後から酔っぱらい。
    昨日は、風が少し強かったけれど、格好の酔っぱらいデーだった。

    午前中にお向かいのAさんのお宅にお参り行った。
    お母さんは、すやすやと眠っているようだった。
    これで亡くなってから四日目の朝となる。
    ずっとここに居る。
    そして、多くの弔問客を迎えてくれた。
    すごい人だなぁと、亡くなった後も深く深くのリスペクトだ。

    彼女には、逞しさがあったな。
    そして、何よりもユーモアだ。
    彼女は何でも全てのことを受け入れた。
    くよくよしない。何とかなるさ。どんと来いだな。
    そうやって生きている人の傍に居るだけで、
    何だかこちらまでそんな気持ちになってしのうから不思議なものだ。

    「幸せだね」と、声をかけた。
    こうやって自宅の座敷で四日目の朝だった。
    娘さんのBさんは、ずっとずっと傍に座って、語りかけている。
    亡くなった気がしない。「お母さん」と呼んだら、目が覚めそうだ。
    そんなことを笑顔で話した。
    私も、お母さんの前ではあるが、Bさんと面白話に花を咲かせる。
    きっとお母さんも、いつものように笑って居てきくれたと思う。

    認知症とは、不思議な病だ。
    私の母もそうだったが、
    きっと自分が亡くなっているということの自覚は無いと思う。
    死ぬことへの恐れを感ずることなく、
    自分が死者になったことも気付かず、
    何だか「お母さん、最期まで、幸せだったね」と、その寝顔を見ると感ずる。

    ヨガスクールだった。
    自転車の籠に、ヨガマットを丸めたものを放り込んで走った。
    待ちに待ったこの日だった。

    自粛はあるだろう。しかし、限度もあるはず。
    今月は5つのコンサートが延期に中止だ。
    マタイ受難曲まで中止であるとの報せが入った。
    表現する人たちには、その場と機会とが奪われた。
    それって、とてもとても哀しいことではないだろうか。
    だから、ヨガマスターの英断には、拍手だ。

    細心の注意を払う。
    窓は全開だ。
    お互いの距離は、2m以上離れている。
    接触は無し。
    しかし、気持ちよく、心と身体とが解放された。
    朝、自主トレをやっている。毎朝だった。
    身体が目覚め、始動することの喜びを、このヨガからは感ずる。
    ヨガを楽しむ。ヨガを喜ぶ。ヨガにリラックスする。その心地よさだな。

    心地好さは、至る所にある。
    「小さな幸せ」とは、私にとっては心地よさなのかもしれないなあ。

    「あき乃」の小千谷蕎麦と山菜天ぷら。
    そして、濃厚な親父さん特性の蕎麦焼酎だ。
    その香りだけでも酔っぱらってしまいそうな逸品だった。
    いつもの窓際の席で、本町通りを通り過ぎる人たちを見ている。
    本当に何気なく、のほほんと、ジャズを聴きながら、
    ほろ酔い加減で人々を見ている。
    そのことが、とてもとても心地よい。

    ああ、みんな生きているなぁ。
    ああ、次男もあんな年には、手を引いて歩いていたな。
    ああ、夫婦で手を繋いでのお散歩だな。
    ああ、リュックからネギが一本。あのおじいさん、独り暮らしかな。
    と、次々に、生きるの物語が展開される。
    誰も通らない石畳の風情からも、
    ここには今はいなくても、ここをいつも通っている人たちの物語を感ずる。

    ここでは、蕎麦と天ぷらわ味わい、人生の行き来の物語を味わえる。
    いつも思う。
    歳をとることは、いいことだ。
    でも、孤独なんだろうなあと。
    それでも、みんなみんな日々を生きている。
    そして、やっぱり心地よさを求めながら、歩いているし、暮らしているんだ。

    さてさて、私は、TETTOに向かった。
    彼が来ているかなぁ。あの後、どうなったかなぁの淡い期待と共に。
    いつものカウンター。
    今朝のヨガのインスタグラムを見せてもらった。
    遠くで私が映って、喋っていた。
    世界中に発信された映像だった。

    私の憧れのダンサーのAさん。
    そして、酔っぱらいのカウンセラー、私が大好きなMさんだ。
    ここに居るだけで、心地よいのはどうしてだろうか。
    昨日は、覚えたてのイタリア語を聴いてもらった。
    合格には遠かったようだ。

    私は、独りでここに飲みに来る。
    そして、私の多愛の無い話を、Mさんは仕事をしながら聴いてくれる。
    話しかける。答えが返って来る。また、話しかける。
    私は、そんな会話の後、ぼんやりと通りを見ていた。
    カミ古の通行人は、若い人や小さな子どもを連れた若い夫婦だった。
    このお店のカウンターのお客さんもそうだった。
    おしゃれで、素敵な女性が多い。それも、このお店の魅力の1つだ。

    私は、ブルーチーズをかじかじしながら、ワインを飲んでいた。
    今は、この取り合わせが心地よい。
    Mさんから教えてもらった言葉。
    「小さな幸せは、至る所にある」が、私の生きるコンセプトとなった。

    私にとって心地よい場所は、確かに至る所にあるからだ。
    しかし、その幸せには、大きさはないような気がする。
    細やかな幸せ。あるがままの幸せ。蕎麦と天ぷらの幸せ。蕎麦焼酎の幸せ。
    そして、AさんとMさんと語れる幸せ。プルーチーズとワインの幸せ。
    この「ラ ピコラ」こそ、私にとっては、その時、その時の全てだった。
    やっぱり、どこでも「ラ グランテ」なのかも知れないなと、ふと思った。
    いつでも、「ボーノ」に「グラッチェ」だ。
    全てのことに「アモーレ」でもある。

    そうした心地よい酔っぱらいの生き方が、
    私のことを至る所で幸せを感じられる男としてくれた。

    もちろん、帰りは萬代橋を歩いて渡り、
    バスセンターのカレーのルーに、隣のお握り屋さんのシャケお握りを投入し、
    腹いっぱいになったこともご報告しよう。

    さてさて、恒例の土曜日午後から酔っぱらい。
    昨日も、風が少し強かったけれど、格好の酔っぱらいデーだった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月21日 06時44分55秒

    icon

    本当は大丈夫なんだ

    「大丈夫。大丈夫」
    この言葉で、確かにどれだけ救われたことだろうか。
    昨日、小千谷のSさんと電話で話した。
    まだ夜明け前に、彼は小千谷の街を4キロも散歩する。
    両手にストックを持っての四足歩行だ。
    82歳。まだまだ元気だ。

    彼は、どんどん心と魂が生まれ変わっている。
    「日々、新た」という生き方そのものだった。
    いつもこの小さな旅から何かを感じて、何かに気付く。
    そのことを言葉にしてくれる・
    昨日がこの「大丈夫」という言葉だった。

    私は、「大丈夫。大丈夫」と言える人は、
    数多の試練や困苦、挫折に絶望、孤独に哀しみ、
    生きていることでこれまで出会った全てのことを過去のこととして、
    「ああ、今、ここで生かされている。感謝」と思える人からの、
    「大丈夫」はすごいことだと思うと、彼に話した。

    「まだ暗い。大丈夫」
    「雨が降る。大丈夫」
    「風が吹く。大丈夫」

    「懺悔する。大丈夫」
    「辛く苦しい。大丈夫」
    「もう生きていたくない。大丈夫」

    何だかあらゆることにこの言葉を付けるだけで、
    何だかその同じ状況が、生きる希望や期待に変わる気がした。

    「Sさん、この大丈夫は、いいですね」と、二人で笑った。
    ついこの前までは、「スカーレット」の「ええーーよぅ。」だった。
    どんな状況にあろうとも、いつも笑顔で、「ええーーよぅ。」だった。
    そんな生き方ができるようになったのは、
    きっと、どんな人生も本当は、「ええーーよぅ」だと確認できたからだった。
    「どうでも、いい」なんだ。
    「いい、加減」なんだ。

    そして、それは、私が言うことではなく、
    この私を生かしてくれる神様が言ってくれる言葉であった。
    「クマさんは、クマさんのままで、ええーーよう。」
    「クマさんは、クマさんのままで、大丈夫だよ。」
    そうやって、今日も、ここでも、生かされている実感と確信。
    それかせ、私にもSさんにもあるから、
    「大丈夫。大丈夫」に行き着いた気がする。

    大丈夫と、本当は、認められているのだ。
    しかし、その大丈夫を見失ったり、
    不安定になったり、おろおろしたり、悩んだり、苦しんだり、どつぼに堕ちたり、
    それって、人が勝手に頭の中で創り出した架空の幻そのものだ。
    人は、悩んでいる時、悩んでいることから抜け出そうとしない。
    悩んでいることで、もっともっと深く悩みにとらわれることを知っていながら、
    悩むことをやめない。忘れない。いつも、わざわざそこに戻る。

    本当は、そんな頭をどこかに置いといて。
    そんな頭をほっといて、身体を動かし無心になればいいのに、それをしない。
    じっとして、天井を見上げて、椅子に座って、ぼんやりとしながら、
    わざわざ自分を苦しめるはずの悩みを反芻する。
    悩みの根本は、大抵、人間関係の中に在る。
    その人と語りながら、思案するならまだ救いの道はあるが。
    「ああだろうか。こうだろうか。どうすればいいんだ」では、
    堂々巡りで何も変わらず、何も起こらず、悩みだけが発酵するだけ。

    本当は、大丈夫なんだけれど、自分自身で大丈夫ではなくしている。
    人は、そうやって悩むことが、好きなのかと、錯覚してしまうくらい悩んでいる。
    そんな時の「大丈夫」は、きっと無責任に聴こえるかもしれない。
    でも、本当に「大丈夫」なんだ。

    それは、その人が、絶対に当てに出来ない人を当てにしたり、
    相手が変わってくれことを期待したり、
    いつかは裏切り、傷つけられる相手の人に依存したり、
    そのひとが自分のことを認め、好きになってくれることを期待したりしなかったら、
    本当は、大丈夫なんだが、そのことに本人は全く気付かない。

    人は、当てにできない。
    人は、変わる。
    人は、それぞれみんな違う。
    人は、誰もが自分が一番かわいいものだ。
    そういうものが、人なんだの気付きと認識だな。

    いつまでもいつまでも、その人々の間に生きているから、人間なんだ。
    その人間同士には、かかわりが生まれ、人間関係で縛られる。
    恐ろしい上司。パワハラな上司。
    これが最近の話題の主だ。

    本当は、そこからポンと飛び出す。身を投げる。助けを求める。手を差し出す。
    すると、大丈夫が待っている。
    しかし、そこに留まる。そこを諦めない。そこに居なければと思う。
    また、その悩みの暗闇に立ち返る。
    大丈夫なのに、大丈夫が見えなくなる。

    大丈夫に全てを任せる。全てを委ねる。ぽんと飛び出す。その「勇気」だ。

    ここから先は、「信仰」となる。

    「まだ暗い。大丈夫」
    「雨が降る。大丈夫」
    「風が吹く。大丈夫」

    「懺悔する。大丈夫」
    「辛く苦しい。大丈夫」
    「もう生きていたくない。大丈夫」

    その「大丈夫」と言ってくれる神様・仏様・おおいなるもの・天・自然。
    そっちと向き合う。
    そっちを信ずる。
    ぶれずに絶対のそのおおいなるはたらきに全てを委ねる。

    その時、やっと分かる。
    本当に「大丈夫」なんだと言うことが。

    私は、悩みの相談を受ける度に、そのことをいつも思う。
    本当は、「大丈夫」なんだと。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2020年03月20日 05時44分58秒

    icon

    さらぬ別れもあるものだ

    水曜日の夕方、メールが来た。
    「母の容態がよくない」との知らせだった。
    個室に入って、面会もできるようになった。
    会わせたい人がいたら、声をかけてくださいと言われたそうだ。

    私は、夕方北区の病院に駆け付けた。
    ちょうど駐車場で、お向かいのAさんと出会えた。
    そして、共に階段を昇って、病室に行った。

    ベッドの上で、眠るようだった。
    酸素吸入のマスクの中から、微かに息をする音が聴こえた。
    息をする度に上に向けた顎を小さく、動かす。
    母の時もそうだった。
    顎で呼吸する。
    でも、Aさんのお母さんは、しっかりとしていた。

    血圧が88と34だった。
    そして、酸素濃度が時々、80を割って、ブザーが鳴った。
    私は、お母さんの左手を握った。
    太く逞しい手だった。
    それが長年魚屋として働いて来た手だと思った。
    「がんばったね」「お疲れ様でした」

    頭の横のカセットから昔の歌謡曲が次々と流れた。
    Aさんのお母さんに対する気持ちだった。
    歌が好きだったから、その歌を聴かせてあげたい。
    Aさんはもそのお母さんの手を取って、ずっと語りかけていた。

    私は、父や母や叔母の最期を看取って確信したことは、
    その最期の時まで、私たちの声は聴こえているという事実だった。
    理解をしているかではなく、
    私たちの話は、聴こえているということだ。
    だから、話す。昔の話を。楽しい思い出を。

    5時過ぎに私は、帰ることにした。
    お母さんのこの体力ならここ数日は大丈夫だと思った。
    Aさんも、そのことを思い、覚悟は決めていたことと思う。
    でも、「まだ大丈夫だ」と、彼女も思った。
    「何かあったら、電話しますね」

    そして、夜、電話が鳴った。
    「9時9分。あっという間でした」と、やっとの声だ。
    「これからセレモニーの人に電話して、迎えに来てもらいます」
    「自宅に帰った時、手伝ってもらえますか」
    私は、支度して、Aさんとお母さんの帰りを待った。

    病室で何が行われているか、想像できた。
    最後の支度をする。看護師さんには、本当に頭が下がる。
    お母さんはご遺体として、丁重に心を込めて身体を清められる。
    病室の私物は、全て家族に渡される。
    もう、この病室に二度と戻ることはないからだ。

    11時過ぎにワゴン車が自宅前に到着した。
    長男を呼んだ。
    ベッドの丸い枠の前を、私と長男で握った。
    後ろはセレモニーのベテラン男性職員が持った。
    時節柄、マスク姿は仕方ない。

    座敷に眠った。
    本当に安らかな、今にも寝息が聴こえるような穏やかな顔だった。
    何だかね。懸命に生きた人たちの最期は、やっぱりこんなにも穏やかなんだな。
    「帰って来たね。ほっとしたよ」と、言っているようだった。
    みんなでお母さんのその寝顔を見つめた。
    悲しみというよりか、安堵というか、安らかさというかだった。

    血圧が下がってからは、アッと言う間だったそうだ。
    「待って」と、叫んでも、すーっと数値が下がりゼロになった。
    あっけないが、確かに、見事な往生だった。
    苦しまなかったことが何よりもの救いだった。

    いつも思う。
    亡骸がここにある。
    しかし、あのお母さんは、この身体には既に住んではいないのだと。
    身体を置いて行った。身体から解き放たれた。身体から自由になった。
    「よっこらせ。ああ、楽になったもんだね」と、笑顔が見える。
    いつものように飄々と冗談を言って人を笑わしているお母さんだ。

    「ここに、いるよ」と、Aさんと、座敷を見回した。
    「見てるんだよ」と、その存在を感じた。
    今頃、あの頃のように父と母と叔母と、楽しそうにお茶を飲んで話してるはず。
    何だか、それも羨ましく感じた。

    「いつか、私も・・・・。」
    何だか一層、向こうの世界が懐かしくなった。

    2020年3月18日 午後9時  ご冥福を心から祈ります。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon