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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2021年03月31日 07時37分09秒

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    定年退職、おめでとう。

    3月31日、今日で年度が終了する。
    桜の開花と新年度のスタートが今年は重なった。
    だから、この国の人たちには、桜は特別な花になる。
    今日、午前0時で定年退職を迎える数多の人たちがいる。
    この朝を、どんな気持ちで迎えたかと思うと、何とも感慨深いものがある。

    私は、やっぱり、ここからが始まりだったと改めて思った。
    確かに、定年を迎えたことは、現職の終わりを意味する。
    そしたら、すっぱりと切り捨てて、忘れ去り、
    4月1日からは、全く真っ新な人生を歩めばいいのだと、思うからだ。
    いつまでも現職での役職や肩書を持ちづけている人がいる。
    哀れだなぁと、ふと想う。
    その人に頭を下げたのは、その人の人間性らではなく、役職に対してだ。
    どんな馬鹿で愚かな上司でも、上司であるから頭も下げる。命令を聴く。
    しかし、もう明日からは、ただの人。
    その事を、忘れないことだと思う。

    自分なんか居ても居なくても会社や学校は、やって行けるものなんだな。
    つまり、そんな心配や未練は、全くいらないと言う事だ。
    それなのに、まだまだ顔を出す。連絡をとる。元部下に電話する。
    ナンセンスも極まりなしだな。
    自立して、本当に今日から、独立独歩。会社の看板・名刺は無くなり。
    なんのたれべぇ、唯の人となる。

    私は、そのことですっと解放された歓びを感じた。
    もう、決まった時刻に家を出なくてもいい。
    あれもこれも山積みの仕事を今日からしなくていい。
    だから、とにかく休養にした。体と心を休めることにした。
    次に、何をしようかなんぞ、全く考えなかった。
    しばらく、独り遊びをしよう。それだけだった。

    どうして再任用をするのか、私には不思議だった。
    確かに、身分は教諭で、安定した立場での仕事が出来る。
    給与も優遇され、ボーナスも支給される。
    後補充では、時給2000円だそうである。破格の時給だな。
    でも、やらない。
    私は、新天地を求めて、開拓するつもりだったからだ。
    介護職へと、自らは思っていた。
    そして、日本全国JRの旅。日本の歴史を訪ねる旅だった。
    やりといことは、たくさんあり過ぎだ。
    だから、まず、それを整理して優先順位を考えた。

    つまり、ここからが、私の本当の人生の始まりだった。
    義務と責任。やらねばならない仕事と書類。
    とにかく、家族を養い。子どもを育て。家庭生活を維持するためには、働く事だ。
    そこには、何の疑問も存在しない。
    そのおかげで、山に登った。合唱を続けた。演劇も出来た。
    そして、今は、週に3日~4日の午後だけの仕事だ。
    その間の休日には、好きな趣味に没頭出来る。
    4月からは、何に取り組もうかと、今からの楽しみだ。

    1つ分かったことがある。
    日々、気持ちよく生きるための方法だ。
    それは、「気」を真っ直ぐに整える。自然の流れのままにする。その事だった。
    「気持ち」とは、その気の持ち様の事である。
    この気が乱れると、イライラする。腹を立てる。心配する。怒りとなる。
    その時、気持ちが悪くなる。そうなると、気分は全く暗くなる。辛くなる。
    だから、その気を真っ直ぐにして、自然のままに流すことにする。
    そして、その気の流れに敏感になり、ちょっとの乱れでも修正を図る。
    簡単な事だ。
    体を、すっと動かすことだ。
    何も頭では考えない。余計な夾雑物・不純物・混じり物はいらない。
    ちょっ動いた。ちょっと乱れた。深呼吸だ。ヨガだ。庭仕事だ。草取りだ。
    何でもいいから、体を使い、動かし、集中する。

    私が毎朝、これとFBで長文を書いているのも、この集中のためである。
    考える。集中する。キーボードを打ち続ける。
    その内に、本当に空っぽになり、無心になる。
    そのトレーニングが、私にとっては書く事だった。
    とにかく、空っぽになることだ。無心になる事だ。
    そのためには、何でもいいから集中することだ。

    すると、とてもとても気持ちいいを感じられる。

    60歳からは、人生のエピローグ何かではない。
    これは、新しい自分らしい人生の「序章」なんだな。
    だから、これからどんな人と出会い。何に気付き。何を学び。豊かになれるか。
    実は、人間としての成長・成熟は、これからの生き方にかかっているんだな。
    老いなんか言っていたら、人生の時間の無駄、無駄。
    これからが、本当に楽しく、面白い人生なんだ。

    そう思って、4月1日を迎えて欲しいと、私は心から願っている。
    ビバ、定年退職。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月30日 08時52分30秒

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    生き方を学ぶ

    さてさて、3月も後僅か。
    4月からの新年度だ。
    みんなはいろいろな新しい仕事や学校である。
    退職をすると、それがなくなる。
    しかし、私は、いよいよ本格的なシフトが決まり、働き始める。
    土曜日は全部仕事に成った。
    つまり、私は、人が休む時に替わりに仕事をする人となっている。
    月間80時間未満の労働時間だ。
    だから、週に3日~4日の仕事。
    63歳の私には、願ってもないシフトである。

    同僚は20代の女性ばかり。
    本当に明るく、元気な職場である。
    そこで私がどんな役割を果たせるのか、
    全く初めての仕事なので少々戸惑いは隠せない。

    まず半年を目指す。
    そこでやっと正式採用となる。
    つまり、今は試用期間として試されている時期に成る。
    63歳、未経験者、元教員が、介護職に就く。
    このことに実は、価値があると考えている。
    老々介護ではないが、これからの現場は、元気な60代を必要としている。
    いつか自分がお世話になる場所だ。
    ならば今のうちにその仕事をしながら、事前の恩返しをする。

    また、年齢の差はほんの僅かだ。
    20代の女性は、まるで孫のようなものだ。
    確かに可愛いし、とっても優しい人たちばかりだ。
    しかし、老いの孤独や、病の心配、死への不安。
    そうした根源的な想いを聴き、何とか話し相手になれるのは、
    やっぱりある程度の人生経験を持った人たちだけだ。
    実体験を通して、共感的な理解が出来る。
    そのために私は、主任が採用してくれたのだと感謝している。

    それから、この仕事は、「ありがとうございます」をお客様から言われる仕事だ。
    こんなに何をしても「ありがとうございます」を言われる仕事も無いだろう。
    だから、まだ体が丈夫で、動く内は、父や母の恩返しだと思い、
    この仕事に励むのも人生の道だと感じている。
    歳は、自然ととるものだ。
    そして、お客様は、私の10年後・20年後の姿だった。
    その時、私は日々を幸せを感じて生きているか。
    それは、これからの私の生き方そのものにかかっていると思う。

    つまり、老いを学ぶためには、老いの人たちとかかわることだ。
    ここには、多くの人生の大先輩たちがいらっしゃる。
    私は、敬意すらいつも感ずる。
    生きて来た。生き延びて来た。そのことでけでも、偉いことだった。
    そうしたリスペクトを忘れず、日々生き方を学ぶ。
    それか、4月からの私の目標になったような気がする。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月29日 09時24分40秒

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    スピリチュアルを思い出す

    もうすぐ3月が終わる。
    現役時代は、この時期は、超多忙を極めた。
    特に異動をする時だ。
    公務分掌の引継ぎを行い、全ての私物を運び出さねばならない。
    持ち込まない。直ぐに捨てる。いらないものはもらわない。
    そうやって物資を少なくはして来たが、やっぱり段ボール箱一個はあったな。
    そんな箱が、まだ屋根裏に山積みされている。

    新生活のスタートを切る時期でもある。
    他県の大学に入学した学生たちは、新天地での生活が始まる。
    私は、かっては東京で4年間の生活だった。
    金が無く、寂しく、孤独で、それでいて、東京の生活を楽しんだ。
    そおかげで教師にもなれ、この転職を現役のまま全う出来た。
    そんな人生のこれからのスタートなんだな。

    そして、そんな今朝、癌の手術を受ける人もいる。
    いや、今朝、きっとどこかの病院では息を引き取った人はいる。
    この朝を、病による体の痛みに耐えている人もいる。
    そして、辛く、厳しい痛みに、涙を流している人もいる。
    そんな、きっと今日なんだな。

    人は、自分が経験したことしか、実感として分からないものだ。
    私は、自宅で5年間引きこもった息子をもつ母と話した。
    というよりか、その母の話を黙って1時間以上聴いていた。
    親として何も助けてやれない無力感だった。
    しかし、彼は確実に回復に向かっていた。
    それは、私が鬱病で休職を経験したからよく分かる。

    私には、彼の心の在り方と哀しみ辛さ。そ
    そして、体がどのような状態であるのか、自分のことのように理解できた。
    それは、私がそうであったからだった。
    本当に体からエネルギーが消えて無くなる。
    電源をすっと抜かれたパソコンを思い出してもらいたい。
    ぶっんと、画面が消える。回復は出来ない。画面は真っ暗なままだ。
    そんなように、全身から力が抜ける。エネルギーが空っぽになる。
    すると、体だけでなく、思考も停止する。
    考えがまとまらない。決定・決断が出来ない。わけがわからない自分になる。

    どうしてこうなってしまったのかは、きっと誰も分からない事。
    これは、体がその命を守るための緊急事態。危機からの回避行動。
    それを無視したら、きっとその人は、自らの死を選ぶかもしれない。
    そんな危機的な状況に置かれる。
    すると、体から行動するエネルギーも、意欲も消える。
    それが、私の鬱であり、彼の引き籠りだった。

    だから、自分が安全に安心して生きられる自信が出るまで、
    彼はじっと引き籠った。これは、とてもとても大事な行動だった。
    引き籠らされているのではなく、引き籠りを自己選択した。
    そこには、自分自身を守るための強い強い意志が働いている。
    だから、力では引き出すことは絶対に無理なんだな。
    その自己防衛行動を攻撃したら、もっと頑なになるのは当たり前だからだ。

    みんな時間が解決してくれるものだ。
    向かいの家のタムシバの真っ白な花が、今朝咲いていた。
    あれだけ固く縮こまっていた蕾も、時期が来たら、花を開く。
    何でもそうだ。時期が来たら花は咲く。時期が来なければ蕾のままだ。
    この引き籠りは、自分が自分として生きるための大事な時間だった。
    彼には、きっとその時間が必要だったのだ。
    その時間の意味に彼が気付いたら、彼の自信は深まるはずだ。

    彼は、彼の。私は、私の唯一無二の人生を生きている。
    そのことに気付き、人とは比べず、自分を否定せず。
    まず、私は、どう生きたらよいのか。私の幸せとは何かを考え。
    人真似ではない、自分だけの生き方の道を恐る恐るでも歩き始める。
    その独自な道を選択し、決定し、歩き始める。
    その時、回復へのプロセスを、歩き始めるものだった。
    「まず、自利。自分」なんだと思う。
    自分を自分から好きになり、自分の善さを少しでも感じられる。
    こんな自分のことをちゃんと見守り、心配し、愛してくれる親や家族がいる。

    そして、スピリチュアル・ペインに対して、ケアが行われ。
    自分は愛されている存在であることを実感で来たら、もう大丈夫なのだ。
    そういう意味では、人は、霊的な存在であると言える。
    その霊性を見失い、忘れ、気付かずに、我が侭の道を歩き続ける。
    しかし、そうした生き方に対しては、必ず体や心へ警告が発せられる。
    それか、体と心病だった。
    「病気」という漢字を書くとよく分かる。
    「病んでいる」のは、「体」ではなく、「気」だからだ。
    その気とは、ある意味、スピリチュアルなものなんだ。

    目には見えない、触れることも出来ない。そんなものは存在しない。
    彼は、さう思っている。頭で考え、解決しようとしている。
    しかし、その彼が病んでいるのは、体でも心でもない。
    本当の彼の中に存在している霊性・スピリチュアルである。
    私の鬱もそうだった。
    このケアには、スピリチュアルを考えねば、解決できない病だった。
    だから、そうした霊的なものへの癒しをどのように行うか。
    それが、スピリチュアル・ケアだった。

    共に居てくれる。話を聴いてくれる。認めてくれる。尊んでくれる。
    それが、スピリチュアルの求める「愛」だった。
    真実の愛によって満たされたら、その空っぽのコップは満たされる。
    その満たされたものがエネルギーとなり、やる気になる。
    そして、その人は引き籠りから自ら扉を開けて、外の世界に出られるのだ。

    そして、実は、人間誰もが求めるのは、この「愛」なんだな。
    しかし、今は、親子・家族ですら求めることが難しい時代になった。
    でも、そうであるからこそ、人を人として生かす元気である「愛」は、
    もっともっとお互いに大切に育て、与え、受け続けねばならないと思う。

    体の病気も、根本的な原因は、霊的な病であることも多いと思う。
    ストレスを長期間感じ続け、いつもストレスフルであったとしたら、
    自己防衛のために、病を造り、休息・休養を会社や学校からもらい、
    回復に専念できる時間と状態が求められるのは、当たり前だ。

    もうすぐ全身麻酔で、手術を受ける彼女は、
    今、この時刻をどんな気持ちで生きていることだろう。
    私は、二度の開腹手術をたので、その恐怖はよく分かる。
    しかし、この試練は、どうしても通らねばならない試練でもあった。
    彼女の無事を、ただ祈るだけだ。
    手術は、午前10時から始まる予定だ。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月26日 07時48分39秒

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    63歳、現場デビュー

    どうしてもこの「親父たちよ」の時間が無くなった。
    そのために、朝のルーティーンの順番を変えた。
    長男が出勤前のシャワーの時間に被らないために、
    私が、ゴミ捨て、朝風呂、朝食の支度、その後でこれを書く。
    すると、こうしてここに書き込みをする時間が出来る。
    別に書かなくてもいいことばかりの「親父たちよ」ではある。
    しかし、言葉者のとしての私にとっては、
    ここに短時間に自分の考えを書くことは、何よりものトレーニングとなっている。

    毎朝、ジョグをしないと気が済まない体の人は、走るだろう。
    毎朝、散歩をしないと気分がすっきりしない人は、歩くだろう。
    毎朝、考えることを書き記さないと落ち着かない言葉者は、やっぱり書くだろうだ。
    ここで、私は、書くと言うよりか、思考をフル回転に働かせている。
    そんな思考のトレーニングのつもりで、ここに書いている。
    A4、3枚から4枚の分量まで減って来たが、
    書くことによって、私は、思考が目覚め、考えが働き始める。
    だから、そのトレーニングの時間は、やっぱり確保、なんだな。

    昨日から、介護の現場デビューだった。
    63歳の介護職デビューは、私にとっては丁度いい変わり目、転機だった。
    50代の前半で、まさか退職後に介護職に成ろうとは、全く考えていなかった。
    今朝、FBでこれまでの55歳からの人生を辿ってみた。
    そしたら、この山あり谷ありの人生は、この介護職に就くためにあったことを知った。
    つまり、こうやって歳をとって、自分自身の人生を振り返ってみると、
    今、ここ、自分は、何をすべきなのかは、ちゃんと見えるようになっている。

    それか、気のまま、自然のままの生き方なんだな。
    「どうして、今、ここに生きているのか、自分でも分かりません」と、言う人がいる。
    つまり、自分が若い時には、考えることも、創造することも無い仕事や場所に、
    今、自分が居ることの驚きと不思議だった。
    そのことを感じて生きられる人は、きっと生成りの人に違いない。

    他の大多数の人たちは、いつの間にか歳をとり、定年退職を迎える。
    そこから、さてさて、これからの余生をどうやって生きようかと考える。
    そして、あれや、これやをかじっててみるが、どれも長続きはしない。
    「ああ、何かないかなぁ」と、探し求める内に、70歳になっている。
    「歳をとるのは、あっという間だ」と、やっと自覚して、それではと思っても、
    今度は、体が思う様にはいかなくなっている。
    何をするにも時間がかかり、ままならない。
    大病をしたり、脳梗塞を患ったら、今度は杖や車いすのお世話となる。
    そんなこんなで、70代をアッいう間に過ぎてしまう。
    「ああ、もう80歳なんだな。長生きしたなぁ」と、寝たきりのベッドの上だ。
    それでいいのか、人生は。

    つまり、気ままに生きている人には、必然がきっと向こうからやって来るものだ。
    私の介護職デビューもそうだった。
    それは、やろうとして成ったのではなく、呼ばれたから成ったのである。
    そして、55歳からの人生の試練の中で、
    自分の命を最後に活かし、人の為に何かをする場として、
    私の自然が、この仕事を選んだと言うだけの事だった。
    だから、別に気負いはない。
    極々自然に、あるがままで、高齢者のお客様たちと接するだけだ。

    「接遇」という態度を教えてもらった。
    いつも笑顔で、優しい言葉で、何でもその人が困らないお手伝いをする。
    相手の人に対するリスペクトを忘れず、丁寧に応対をする。
    相手の人が気持ちよく、感謝の気持ちになるような心を尽くした対応の事だ。
    その事が出来る私に成る。
    それが、ここでの私の日々の目標となっている。

    つまり、人とかかわり、人の為に仕事をすることは、
    自分自身の成長にとっては、とても大切な道場であると言う事だった。
    時給をいただきながら、人としての大切な生き方の学びが出来る。
    どれだけ、「はい、喜んで」と、率先して動けるかどうか。
    その事が出来たら、きっと私はひと回り大きな人に成長しているはずである。

    喜んで仕事をする。
    まず、ここから始めようと思っている。
    どんなことに気付き、どんなことを発見できるか。
    私には、そのことも楽しみになっている。
    今日から午後1時から、午後5時半までの一本勝負だ。
    まず、焦らない。失敗を恐れない。何でも先輩に訊く。言われたことはすぐにやる。
    63歳の新人は、同僚から可愛がられる人になりたいものだ。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月24日 08時09分08秒

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    やっぱり「気」なんだな

    本当にこれを書かなくなった。
    というか、書ける時間の設定が難しくなったことが、現状だった。
    実は、FBに1時間半をかけて書き込み。毎朝、更新している。
    今日は、弱い者虐めについて、書いた。
    そうやって書き切っているために、この時間、頭の中はエンプティ―だ。
    以前は、ここに全ての想いをぶち込んで書いた。
    だから、長文になることが多く、内容も重いものとなっていた。
    しかし、今は、気楽に、気軽に、エンプティ―だ。
    だから、「親父たちよ」には、「親父たちよ」バージョンで短く書こうと思っている。

    最近の変化だ。
    それは、「気」に気付いたことだった。
    実は、私は、気の働きで生かされている私なんだと、思う様になった。
    頭・脳は、コントロールセンター・指令室だ。
    このおかげで私は生命体としてのみの体を日々維持をしている。
    今朝、目が覚めたのは、この指令室のおかげである。
    私の意識にかかわらず、心臓や肺、内臓は機能し、活動し続けている。
    休んだり、止まったりしたら、そこでアウトだ。
    しかし、こうして目覚めることが出来たのは、脳の自律神経によって生かされたから。
    つまり、この体は、生かされている体だ。

    それから、本当に私を生かしているはたらき。
    つまり、その指令室すら動かしているはたらきの源は、「気」である事だ。
    「気持ち」いいと言う。「気分が」いいと言う。その「気」の事だ。
    私は、その気に気付いて庭の自然のいのちを見ると、
    みんなこの「気」で生かされていることが、理解できた。
    つまり、生きているもので、気のはたらきのないものは一つも無いと言う事だ。
    では、その気は、どこにあるのか。
    それが「丹田」だと、太極拳三段の彼が教えてくれた。
    丹田から、発せられるのが気なんだ。

    だから、気を信ずると、全ての事が明らかになる気がする。
    まず、「元気」になれるからだ。
    気は、まっすぐに自然のあるがままにはたらいている。
    ところが、そこに頭が介入し、ああでもない、こうでもないと悩み始める。
    あれが欲しい、これが欲しいと、ただを捏ねだす。
    何とかしてくれ、助けてくれと、人を頼る。依存する。
    途端に、気のまっすぐな道から外れる。反れる。逸脱する。
    それが、煩悩・迷いの世界。妄想で、気が狂わんばかりになる。
    「気が狂う」とは、この事だ。
    そうした頭で勝手に自分が造りあげた実体の無い妄想で、
    どれだけ人は苦しむことか。眠れない。頭が痛い。食欲が無い。
    それは、気で生きていないという証拠である。

    その時、「病気」になる。
    よくよくこの漢字を見直してもらいたい。
    病になるのは、体ではないんだ。気なんだな。
    つまり、気を健康に真っ直ぐに保つ。すくすくと生かして生きる。
    気のままに任せる。「気まま」に生きる。「気楽」に生活する。
    すると、気持ちよく日々を生きられるから、気は病にはならないはずだ。
    確かに、体の衰え、衰弱、老い、病は仕方ない事だ。
    生き物であるから、そのことは当然の自然事。
    しかし、「気」まで病んではいけない。
    気は狂ってはいけないのである。
    その事は、意識して、自覚して、勤めて努力する必要がある。
    ここで仏教の言う、六波羅の道なんだな。
    「布施」「自戒」「忍辱」「精進」「禅定」「知恵」
    この道さえ行けば、気はしっかりとしてまま生きられる。

    私は、日々気持ちいい生き方をしようと心掛けている。
    もし、気持ちが良くない。心地よくないならば、どこかで気を病んでいる事だ。
    心配事。怒り。痛み。苦しみ。悩み。そんなことにこだわっているとこの気は病む。
    そして、体が元気でなくなる。気持ちが暗く、沈んでしまう。
    だから、何よりも優先すべきは、この「気」の事だ。

    では、もし何かに行き詰ったらどうするか。閉塞感に襲われたらどうするか。
    その時は、体を動かすこだった。
    歩く。ヨガや体操をする。家事をする。何かの趣味に打ち込む。
    そうすると、この気が活性化され、また目覚め、元気に変わる。
    だから、気に元気が感じられなかったら、体をまず動かすことなんだ。
    そこで、ぼーっとしてじっと座ったまま、妄想を繰り返すだけだと、
    そのドツボから抜けられなくなってしまう。
    「ああ、もう駄目だ」「やる気が出ない」「寝てしまおう」だな。
    その悪循環を断ち切るためには、まず、体を動かし、集中する事だった。

    不思議何だが、「無心」になろうとして「無心」には絶対になれないものだ。
    しかし、花を植える。草を抜く。味噌汁を造る。キャベツを刻む。
    つまり、今、ここ、自分に集中する時、時間を忘れて没頭する時、
    その時、私は「無心」になっている。はっと気がつく。時間がたっている。
    その集中する力は、気のはたらきであった。
    空っぽになったから、どんどん私に気が湧き上がるようにして入り込む。
    気が、私を動かす。
    私は、無心に、ただその気の命ずるままに従えば、それで充分だ。
    自由であるとは、この気のままに生かされている事の歓びである。
    そして、無心になる時、この気がフルではたらく時となる。

    だから、今は、余計な事を考えないことにしている。
    「ああ、疲れた」「ああ、退屈だ」となったら、外に出て歩くことにした。
    今週の平均歩数は、一日7500歩を超えている。
    これが、今の私の元気の源だ。
    だから、昨日までのことはすっかりと忘れる。
    明日のことは、明日考えることにする。
    今、ここ、自分の「気」だ。
    その気が気持ちいいように、気ままに、気楽に何事も行う。
    生活すると言う事は、この気を活かして生きることだ。
    つまり、気を活性化させて、今、ここを、自分らしく生きると言う事なんだな。

    そのことに気付いてから、随分と気楽になれた。軽くなった。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月19日 08時51分22秒

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    心新たに、トレーニングに向かう

    やっと体調が元に戻りつつある。
    というのは、元をどの段階に設定するかなんだな。
    もう50代の体には戻らない。
    昨日太極拳で改めて自分自身を鏡で見つめた。
    何なんだ、この腹回りは。
    他の女性2人と先生がやせ形の人である為に、私ばかりが異様に目立つ。
    腹は出ていないと自負をしていたが、そうではないのだ。
    やっぱりしっかりと内臓脂肪は、蓄積されていた。
    自覚が足りない。自分自身を見てはいない。情けない。

    さてさて、80キロ代で、この人生を終りたくはない。
    せめて、70キロ前半でしょう。
    憶えがあるのは、10キロで新潟マラソンに出場していた頃、
    私は72キロ代をキープしていた。
    そう言えば、長期入院の日々は、70キロ近くまで体重が落ちていた。
    もうすぐ夢の60キロ代と思いつつ、退院したら即リバウンドだった。
    とにかく、脂肪肝は当たり前。ガンマーは200近くの高値安定。
    血圧も160だったのを、薬を飲んで120代に落ち着かせている。

    糖尿病の数値が高まり、8.4とは、驚きの数字だ。
    おかげで、倍の強さの薬に替わった。
    こうして、私は糖尿病の末路を辿る運命だった。
    肝機能もそうだ。「休肝日ですよ」と、言われて早30年か。
    一向に守る気配がないために、薬だけで現状を維持し続けている。
    全ての原因は、この肥満に在る。
    分かっちゃいるが、やめられない。

    しかし、そうは行っていられない現実が迫っている。
    実は、体の内臓の衰えは、加齢によって進んでいると言う事だ。
    筋力は何とか鍛錬を続けているから維持をしている。
    体の体幹や骨格の矯正もヨガと筋トレのおかけで何とやっている。
    しかし、内臓脂肪が行う悪さについては、そろそろ何とかしなくてはだった。

    つまり、毛細血管が詰まる。血栓が出来る。血液の循環がよくない。
    そこで、細胞が壊死する。衰える。弱る。その内に、機能が低下する。
    肝臓・膵臓・腎臓と循環器官が弱ると、不具合が起きる。
    本当は、私は内臓に爆弾を抱えている体なんだ。
    また、石の激痛でいつ何時、救急車のお世話になるのか、分からない。
    だから、そろそろ本気の減量だった。

    朝のご飯を、茶碗の3分の2に抑えている。
    炭水化物は、減らす。しかし、米菓なんかをぼりぼり食べていることが在る。
    どうせ人生、あと少し。
    そんな事を考えずに、食べたいものを好きなだけ食べたらいい。
    これは、地獄行きが必定だな。
    食べる物と、その量をどのようにして折り合いをつけて行くか。
    痩せている健康な体の人には、けっして分からない悩みでもある。
    体質なんだな。確かに、仕方ないことなんだな。でも、やはり、減量は至上命令だ。

    まず、食べる量をまず減らすことだ。
    次に、間食をしないことだ。
    そして、運動することだ。
    スマホを手にしてから、歩く距離が伸びている。昨日は9600歩歩いた。
    一週間の平均は、6000歩以上を記録する。
    しかし、こけでも痩せない。体重は現状維持のままだ。
    本当に「緊急事態宣言」を発動する時となった。

    宣言する。
    また、ランニングを始める。日中、時間を造り、走ることにする。
    そして、曜日を決めて、トレーニングジムに通う。
    また、あの40代までのトレーニング生活を、再開しよう。
    プールにも行こう。長距離を楽に泳げる体にしよう。
    そして、山登りを再開しよう。

    何だかこうして久しぶりにハードな目標が設定できて、嬉しい気分である。
    あの大手術。翌年のヘルニアでの回復手術から、私はハードな運動を諦めていた。
    しかし、この健康を少しでも維持するためには、
    覚悟を決めて、また、あのハードなトレーニングをやらねばならないと思っている。
    演劇が終わり、レクイエムが日曜日で終わる。
    二つのピークを達成したら、今度は、山に還るためのトレーニングだな。
    何だか、そんな事を考えると、心がうきうきとする気がする。
    私は、いつも、心新たなに何かに向かわないと気が済まない男なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月18日 07時09分40秒

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    体の不調感

    気持ちよく生活することだ。
    そのことが、こうして日中独りで生活すると、とても大事になって来る。
    その時、やはり体調からの影響が大きいものだ。
    昨日からまた突然体調不良に見舞われた。
    昨日も10時間以上、眠った。
    それでも、今朝は回復していない。
    きっと体の内臓で何か不具合が起っていると感じている。
    確かに、腰・つまり腎臓辺りに違和感がある。
    痛みではない。鈍痛というか、違和感だ。
    いつもと何か違う。そのことは、私にも感じられることだった。

    そんな時、どうやって「気分」を元に戻すかだった。
    実は、こうして怠さを感じていると、体を動かそうとは想わなくなる。
    それだけでなく、明るく前向きに物事を考えられなくなってしまう。
    いつもなら、「さて、今日は、何をしようか」と、予定を立てる。
    「あれか、これか」と、その予定を現実と見合わせて選択・決定する。
    「一日、1つ」これが、ちょうどいい案配だった。
    だから、「今日は、これ」と、この時刻には決めている。

    しかし、体が怠い。眠気が去らない。やる気が起きない。寝ていたい。
    そんな状態になることは少なかったのに、
    昨日の夕方から、体からの拒否反応が起こされている。
    さてさて、どう対処したらよいのかと、思案している。

    日曜日の「レクイエム」が最優先だった。
    昨日は、体調不良なために最後の練習をお休みにした。
    とにかく、北区での突然の腹痛の例がある。
    私は、本番に健康な体でステージに立つことが、今の使命だった。

    そのために、この疲労感と体の怠さを無くすことだ。
    さて、それではどうしたら、元の体。元気になれるかの実験でもある。
    まず、一日のルーティンは、守ることにする。
    体を動かし、家事をすることで、少しずつ「気」を活性化させる。
    じっとしている。横になっている。これだと、先には進まない。
    実は、体の現状が、これほど難儀で、よくはないようだ。

    次に、歩くことする。積極的に外の新鮮な空気を吸う。
    呼吸する。心肺を活性化して、機能させる。運動する。覚醒させる。
    これも無理のない範囲で大事な事だ。
    それから、人と会い。人と話す。これも心の活性化には大事な処方箋だ。
    「気が病んでいる」この状況を少しでもよくするためには、
    こうした「気」の働きを活性化させ、流動させる動きが必要なんだと思っている。

    まず、やってみよう。
    久々に絶不調な朝である。「病んでいる」感じは、確かにする。
    呑み過ぎであるとは、思う。昨夜は、禁酒で朝を迎えた。
    肝臓・腎臓・膵臓と、もっともっと労わることが求められる。
    もう、50代ではないんだと、自分自身に言い聞かせて生きている。

    まず、一日を生きてみよう。回復してくれることを、心から願っている。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月17日 15時57分27秒

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    気について

    妻が、昨日から入院した。
    足の甲の傷が化膿して、悪化したためだった。
    完治しない限り、他の関節にも影響を及ぼすそうだ。
    昨日から10日余りの予定だ。
    しかし、妻がいないと、なかなか寂しい生活なものだと思う。

    長男と二人だ。
    男二人では、話すことも余りない。
    だから、人と話すためには、外に出なければならない。
    午前中は、Sさんと、電話で話した。
    ランチは、歩いて3キロの「カンポス」でサービスランチのカツカレー。
    そこで、Yさんが仕事が休みだったと、カウンターに座っていた。
    彼とは、この店で知り合いになり、私の演劇仲間のTさんの教え子でもあった。
    本当に世間は狭いものだ。

    さてさて、今日は何故か、元気が出ない。
    いつもならやる事を自分から造り、やっているのだが、
    こうして帰って来てから、何だか「やる気」が起きないのだった。
    そんな時は、どうしようもにーないので、ただぼけっとすることを自分に許す。
    古紙を出さねばならないし、車の洗車しなくてはならない。
    今日からしばらくは、買い物にも行かねばならない。
    妻のいない間に、リビングの掃除をしなくてはならない。
    しかし、体が重く、何だか疲れを感じているので、動く気が起きないのだ。

    「気」なんだと、昨日、思った。
    実は、体は、この気によって動いているのではないのかと、昨日、気付いた。
    例えば、今のように、元気が無い時は、体を動かそうと思わない。
    その動かすためのエネルギーが、どうも乏しいような気がするからだ。
    この気が充ちていたら、私は、それなりに活動的になり、何かをやろうと動き出す。
    ところが、こうして疲れていると、その気にはならない。やる気が出ない。
    つまり、この体の動きや働きは、この気によって左右されているとと言う事だ。

    だから、気分が晴れない時は、じっとしていないで、歩きだす。
    歩き出し、体を使っている内に、活性化される。
    それは、気が活き活きと働き、体全体に巡るからだ。
    つまり、この気を上手く活性化させることが大事なんだ。

    気持ちいいと感ずるのは、みの気が気持ちいいと感ずる働きをするからだ。
    確かに気は空気のように目には見えないが、働きは体で感じられる。
    その気になるのは、この気がちゃんと働いているからだ。
    気分とは、この気の状態のことである。
    気分がいいか、気分が悪いか。
    それは、この気の現れ方の違いなんだと、そう感ずる。

    人と気が合うと言う。気が合う人は、確かに居る。
    反対に、全く気が合わない人も居る。
    つまり、全ての人には、この気が備わり、この気によって生かされている。
    そう考えると、いろいろなことが分かったような気になった。

    今、突然、眠気に誘われた。
    だめだ、これ以上は何も考える気が起きない。
    まず、気がある。それから、体が動く、思考が働く、やる気が出来る。
    さて、この気の正体とは、一体なんだろう。
    この気でいると、私は、寒太郎や雀たちとも話せる気がする。
    寒太郎も雀たちも、この気で生きているからだった。
    例え、思考が出来なくても生きられるのは、この気の働きのおかげだった。
    気は、大気にもあり、天気にもある。
    この気で生きられたら、きっと自然そのものの生き方が出来る。

    そう考えると、もっともっと気に付いて知りたくなった。
    根気とも言う。勇気とも言う。
    私は、きっとこの気のはたらきで生きた来たのだと思っている。
    気を感ずる。
    確かに山や森の中では、何かの精気を感じて、恐れを抱く時が何度もあった。


    今、ふと眠ってた事に気づいた。
    この気を感じ、この気を働かせて生きる。
    そんな事を考えた。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月16日 13時30分51秒

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    もうこりた

    さて、本日、妻がS病院に入院する。
    足の甲の傷が化膿したため、それを完治させる治療だった。
    10日余りの入院となる。その間は、私と長男との男二人の生活だ。
    どうなるものかと、不安でもあり、心配でもある。
    食事の用意が私の役割となる。
    買い物に行き、メニューを決めて、夕食を造る。
    朝食とランチは、私がずっと独りでやって来たのでそれでいいが、
    夕食は、長男の分も造ることになる。これがなかなかの気苦労だった。

    先週は、私が膀胱辺りの激痛から始まり、鈍痛がしばらく続いた。
    病院に行くと、また高い診察料をとられて、大病院に回される。
    またまた、原因探しの検査が始まる。CTを撮る。MRを撮る。
    ここでも1万円に近いお金がかかる。
    そう考えると、この程度の痛みなら自分の力で治せるとばかりに、
    我慢して過ごすことがある。
    しかし、本当に治ったのかどうなのか分からないが、
    いつの間にか痛みは消えて、元に戻る。
    体のことは、本当に予測不能な出来事だった。

    土曜日に、集中して4時間の断捨離だった。
    ずっとずっと気になっていた箪笥の上の紙類の山だった。
    いつか使うことになると大事にとっておいたこのチラシやガイドブックやパンフ。
    しかし、全く使うことも無く、読み直すことも無く、積まれたままだった。
    そんなものだとは予想していても、やっぱり取っておくのが私の習性だ。
    だから、厳選しながらも山積みとなっている。
    「えぃ、やーっ」と、断捨離したら、何と5つの紙の束となった。
    「何だ、みんな再生紙でしかなかったのか」の新たな気付きだ。

    ところが、次の日にそのことが体に来た、来た。
    背中と肩の辺りに違和感と痛みを感じた。
    全身の倦怠感は、まさに熱の無い風邪の症状だ。
    動きたくない。横になっていたい。何もしたくない。
    そんな日に限って、8時から午後4時まで予定がびっしりと埋まっている。
    「帰してください」と、願っても、責任のある役なのでそうはいかない。
    ずっと苦しみの中で、怠さの中で、そのことをやり続けた。
    体は、本当に正直なものだった。
    そうした予想外の展開に、いつもいつも見舞われる。
    しかし、これは生きていることの当たり前ではないだろうか。
    予想されたことは、絶対に起こらない。
    全てここに起こっていることは、私の予想を超えて、予想外の出来事ばかりだ。
    特に、この体のことは、そうだった。
    そして、妻との事もそうだった。
    想定内ですんだことは、本当に少ないことが現実だった。
    だから、「どうする?」と、いつも問われる。考えさせられる。
    生きると言う事は、こうした予想外の変化に、日々、刻々と、どう対処するか、
    考え、工夫し、試行錯誤し、失敗し、また学び、やり直す。
    まさに、こうした事の繰り返しなのだと、つくづく感じた。

    長男も次男も、思い通りにはならなかった。それは、当たり前のことだ。
    私の体も、思い通りの状態にはなっていない。それが現実だ。
    数値がとても高くなり、肝臓・腎臓・膵臓の機能の低下は、明らかだった。
    臓器は生き物である。やはり、衰え、弱るものだ。
    それに対して、適切に対応していかなかったら、次に来ることは明らかだ。
    私は、糖尿病の薬が強い薬に替えられた。改善の兆しが見えないからだ。
    このままでは、膵臓の負担が増し、癌になるリスクも高まっている。
    ある検診をして驚いた。私の血液検査の数値は、100名中97番目に悪いものだ。
    後、3人はきっと入院でもしているのだと思う。
    そこまで体が、劣化しているのに、私は為す術を決断しない弱気な男である。
    「禁酒」せめて、家での「禁酒」は、必要な事だと、医師にも言われている。
    そして、減量だ。炭水化物を採り過ぎだ。内臓脂肪が高値安定。脂肪肝のフォアグラ。
    内臓が衰えるわけだと自分でも納得している。
    そうした生活習慣をせめてでも改善する。
    それを、新年度の目標にすると、またまた実行日を先送りにした。

    手術からこの5年間。山とスキーとは、縁の無い暮らしをして来た。
    しかし、体を存分に使って活動できるのは、後何年間か、大体の予想はつく。
    ならば、ここで心機一転。体の根本的な改造を求められている。
    さてさて、そのことを分かっているが、実行できるか、否か。

    昨日、いい言葉と出会った。
    「忘己利他」「もうこりた」である。確かにこの生き方には、「もうこりた」。
    だから、己を忘れ、人の為になる生き方をする。体を癒す。それをここに誓う。

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  • from: クマドンさん

    2021年03月15日 07時58分45秒

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    道理から見る。道理でおかしい人たちだった。

    道理を生きる。
    これに尽きるな。

    今の世の中、特に政治家と言う輩は、道理を自分の得のために曲げて考える。
    道理をちょうどよいように解釈して説明する。
    あれほど人間の劣化した姿を、どうして恥ずかしげもなく、国民に晒すのか。
    「己を知らない」本当に平気で国民に対して国会で嘘をつける人たちだ。
    とは、言いながら、この国は、江戸時代から全く進歩していない国である。
    「摂生が無い」「道理が分からない」「道徳心のかけらもない」
    そんな人たちが、この国のリーダーだと言って、接待で袖の下を平気でもらう。
    何か勘違いしているのではないのか。
    「ばれたから、もうしわけありません」
    「ばれないように、もっと注意すべきでした。気の緩みです」
    こんな人を、人間と呼べるのだろうか。

    まぁ、いい、それは仕方ない事だ。
    私は、そうした事を当たり前として、威張っている人たちからは、離れた。
    本当に、楽になった。
    「人からどう言われてもいい」「どう想われてもいい」
    とにかく、この精神の自由だけは、守ろうと思っている。
    そのために、今は、どのように生きて行くか。その事を考えている。

    十牛図を今朝は、学んだ。
    まぁ、この嘘つきの政治家や官僚たちは、人間以前の輩だからほっとくことにして、
    この私は、どうやって生きたら「まことの楽しみ」を味わいながら、
    毎日の生活を続けることが出来るのかの問いだった。

    まず、「道理」を求める。「道」を歩く。
    この道からは、離れずに歩くことだ。
    だから、その道から迷うような事をここで断つことだ。
    余計な事には、かかわらない。
    自分が気持ちよく出来ることだけを、やる。
    人からどう想われようと構わない。私は、私の気持ちいい生活を生きるだけだ。
    しかし、この道を歩くことをやめない。

    その内に、「ああ、これだ」というものに出会う。
    私が、自分の体の命ずるままに従って生きる時、安心を感じられる。
    「無理」な事をしている時は、疲れが溜まり、ストレスを感ずる。
    体に聴きながら生きることで、私はこの道を外れずに生きることが出来る。
    だから、頭では考えない。常に、体で考えることにする。

    さて、そのまま、一体になる。
    それと、同化する。それが、自然に生きる姿なんだな。
    そこには、損得や出来不出来、在るや無いは、存在しない。
    世の中の「これはこうなんだ」という、曲がった定規では測らない、測れない。
    曲がった定規のままで生きると、接待疑惑で退職となってしまう。
    間違っている事、不正であることが、見えなくなってしまう。
    だから、私は、独りで生きる。
    先生は、寒太郎と雀たちだな。
    あの人間たちは、間違った愚かな人間の手本にはなるが、屑だと思う。

    人間が屑になってしまっては、お終いだ。
    だから、本当の自分のままで生きられるように努力する。
    だから、この世に惑わされず、この世の人を見ないことにする。
    その代わり、ちゃんと、毎日自然に学び、自然と遊ぶ。
    今は、そんな一日を気持ちよく生活するだけで満足だ。

    足るを知るとよく言われる。
    では、どうして足りないと、人は思うのか。
    1億円のマンションに住み、一食7万円の接待を受ける。
    それは、自分には当たり前の事。本当はもっと上を目指している。
    その人は、どうあっても足りるは、無いと思う。
    実は、そんな欲望と妄想の中で生かされている餓鬼を、仏教では迷いと言う。
    本当に自分自身に気付かず、迷いのままに死を迎える。
    哀れな人は、この足るを知らない人たちだ。
    国会では、哀れが雁首並べて、謝罪している。

    だから、怖いのは、お金と権力、地位と名誉だ。
    私には、それが無い。だから、のほほんとして生きられる。
    私を悪く言う人もいる。よくは思わない人もいる。
    しかし、その人がどう想おうと、私は、私を生きるだけ。
    ただそれだけだと思うと、楽なものだ。

    全てのものは、「円」である。
    ちゃんとと「道理」で調和している。循環しながら、元に還る。また始まる。
    その循環の中、変化する中で、自分も循環し変化しながら生きて行く。
    それだけで、いい。それが、足るを知る生き方だからだ。

    まず、古くて固い自分自身を断捨離することだ。
    まず、これをやらないと、次には、けっして繋がらない。
    まず捨てる。まずは、この自分を捨てることだ。
    すると、空っぽになる。その空っぽが大事な事だ。
    ここには、お金や権力、地位や名誉は入らない。
    それを捨てたから、すっからんの空っぽになったのだ。

    ここで、全く人間としての道が分かれる。
    あの国会で平気で嘘をつける人たちのような人間は、劣った人間なんだ。
    そう思えば、本当に憐れな人たちだ。何か間違ったことを信じさせられた人たちだ。
    しかし、私の言う、空っぽの人たちは、断捨離の人たちだ。
    その人たちは、常に人間としての成長を求めて生きる人である。
    嘘をついたり、法律に違反して金をばらまいたり、違法な接待は受けない人たちだ。
    それは、物事の道理が分かり、善悪をわきまえて実行している人たちだからだ。
    この人たちが、人間として劣化して腐るはずは無い。
    この二つの道は、大きくその人の人生の幸福にかかわる事である。

    あの人たちのようにならないことだ。
    例え、組織で冷や水を呑まされ、出世出来ず、左遷されても、
    人間としてやってはいけないことはやらず、道理をしっかりと守って生きる。
    そのことが出来ない大人は、やはり何を学んで来たのかと、哀れに想う。
    だから、しっかりと生きなければならない。
    つるむな。ただ酒を呑むな。権力にすり寄るな。ご機嫌をとろうとするな。
    しかし、こんなことばかり考えている輩を、私はたくさん知っている。
    仕方ない。それもまた、人間なんだな。
    検察庁長官が賭け麻雀をやったら、終わりだとは思わないんだな。

    まぁ、分かろうが、分かるまいが。知っていようが、知らなかろうが。
    世の中には、ちゃんと自然の道理が生きている。
    その道理で、この自然や世の中は成り立っている。
    それなのに、それを自分勝手に都合よく曲げて嘘をつく人間たち。
    道理から、どんなしっぺ返しが来るか、考えるだけで恐ろしい話だ。

    道理から見たら、実に情けなく愚かで劣った人間たちであると、よく分かる。

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