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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2012年12月31日 15時50分07秒

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    激動での激変

    激動の一年もあとわずかで終る。
    本当に何もやる意欲が起きない年末になってしまった。
    三日間をかけて掃除は午後からやった。
    あの一気呵成の気力と体力とが枯渇しているのだ。
    どうしたのだ・・・・。毎朝、寝坊の連続でもある。

    父の所へ行って来た。
    思うようにならない自分の身体にいら立ったいた。
    介護職員の人たちへの感謝の気持ちはあるのだが、
    ついつい怒鳴り声になってしまう。
    父が話していても、口がよく回らないために言いたいことの半分も理解できない。
    聴き直すともっといら立つので、分かったふりをして傍に座っている。
    父は、何の希望も無く、何の喜びも無く、ここで生きていた。
    父の孤独に対して、息子としての私に、いったい何ができるのだろうか。

    母は、そんな独りぼっちの父のことをどう思っているだろうか。
    これで信仰心でもあれば少しは救われるのだろうけれども、
    父には神仏は無縁な存在だった。
    神棚を拝むのは、年に一度この大晦日の日だけだった。
    本日、いつものように私が神棚のリニューアルをした。
    いつもならば、父は早々と風呂に入り、着物に着替えている頃である。
    母は、ご馳走を用意するために休むことなく、台所に立っている。
    私は、母に言われたように料理の皿を座敷のテーブルの上に並べている。

    去年の今頃は、そんな時刻なのだった。
    子どもたちには遅れないように順番に風呂に入れとと言っていた気がする。
    一家六人。それなりに賑やかで。
    家族でこの一年を無事に終えられたことを感謝してりしていた。
    しかし、いつも頭をよぎったことは、「来年もこうして六人で迎えられるかなぁ」であった。

    そして、今年は、四人だけの大晦日になった。

    いつしか私は、「今日一日だけを生きる」というように考えるようになった。
    昨日までのことは既に消えた。
    この先については誰にも分からない。
    後悔したところで、心配したところで、何も変わらず、何も起こらずなのである。
    確かなことは、今、この時。即今しか存在していないのだ。
    だから、一日だけならこんな愚かな私にも生きられるのだと考えるようになったのだ。

    その時は、弱音はどんどん吐いている。
    一日ヘルプミィーで生きている。
    だから、お地蔵様であったり、母であったり、大いなる魂であったり、語り、祈っている。

    不思議だよなぁと思う。
    父の帰りに、お地蔵様にお参りに行った。
    一年間の感謝だった。
    「どうか菩薩の道を教えてください。」
    「菩薩の道を歩かせてください。」と、祈る私。
    朝と夕には仏壇の前に座り、チーンと母に語りかけている私。
    情けなくもちっぽけで無力で無為なそんな私を諦めて、
    「一日だけは生かして下さい。」と、祈る私。

    激動を通して、そんな私に激変をさせられてしまったのだ。

    そして、人は決して死なないことや、決して独りにはならないことも知った。

    そのことは、また後で詳しく書きたい。



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  • from: クマさんさん

    2012年12月29日 10時35分00秒

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    のんびりとしている

    とてもポカポカと暖かな日になった。
    冬なのにもうけものの一日だ。
    今年も残りはあとわずか。
    いつもならば大掃除に精を出している頃なのだが、
    今年は、何ともやる気が起きない。

    それは、大掃除を喜んで、感謝してくれる母がいないせいだった。
    こんな日には毎年、私は台所からリビング、そして風呂場と廊下と、
    本気になって磨き上げたものだった。
    父は何も出来ないので、炬燵を座敷に移動して、さこに居てもらってだ。

    一気呵成とはよく言ったものだ。
    とにかく台所の床を磨き、ワックスをかけ、へとへとになったものだ。
    窓をふき、ピカピカにすると、母が笑顔で言ってくれた。
    「ありがとね。きれいになったね。気持ちいいね。」と。
    その声を聴きたくて、働いたものだった。
    だから、今年はどうも気が抜けたようにして力が出ない。

    母と父の居ない大晦日がすぐそこまで来ている。
    やっぱりいつかこんな日が来てしまうのだなぁと、
    改めて今年の我が家の激動を振り返っている。

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  • from: クマさんさん

    2012年12月28日 08時59分17秒

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    次男のアルバイト

    次男が今日も午前中はサッカー部の練習に出かけた。
    午後から夜にかけては郵便局のバイトだった。
    三日前からそんな生活を毎日続けている。
    なかなかたいしたものだと感心している。
    あれだけ体力のある次男が、帰ってくると、「疲れた」ともらす。
    初めてのアルバイトに人間関係。よい社会勉強をしているようだ。

    長男が高二の時、チャレンジャーでアルバイトを始めた。
    店舗に野菜や果物の商品を並べ、搬入する仕事だったようだ。
    とにかく忙しく、厳しい生活を余儀なくされた。
    子どものまま高二になってしまった彼は、どうやって生きて行くのか、
    親としては生活そのものが心配な長男だった。
    しかし、変わった。
    鍛えられ、教えられ、懸命に働く大人の姿を目の当たりにして、
    何か深く心に感じたものがあったのだと想う。

    子どもたちは、もっと早くに社会体験をさせるべきなのだ。
    私は長男のことを見て、そう思った。
    次男もまた日々新たな世界に遭遇しながら、自分のことを調整しているはずだ。
    それは、私には見えないが、次男には分かっていることだと思っている。

    体験の力、おそるべしである。


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  • from: クマさんさん

    2012年12月28日 07時09分47秒

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    大晦日の家族写真

    ああそうか。今年の大晦日も、お正月も、父も母も居ないのか。
    ふと、そんなことが頭に浮かんだ。
    実は、パソコンのデスクトップには、昨年の大晦日の家族写真が貼り付けてあるのだ。
    着物を着た父と、痩せてしまった母とが寄り添って座っている。
    その後ろに私と、長男と次男と妻とが立っている。
    みんな笑顔だが、たった一年でこんなにも人生変わるものなのだ。

    母の余命を告げられたのは、2月のことだった。
    あと三カ月、もっても半年。
    それは母の肝臓の癌の再発による予見される事実だった。
    抗癌剤による苦しむような治療はしない。
    私と妹と家族のの他には、この事実は誰にも知らせない。
    残されているであろう時間を母と共に意味ある時間として家族で過ごす。
    私は力なく、涙が流れた。
    こんな苛酷なことが私の人生にも起きてしまったのだ。

    すべてのものは消えて行く方向に向かっているのか。
    死ぬこととは、終わることなのだろうか。
    それではいったい終わった後はどうなるのであろうか。
    元々終わりとは存在するものなのだろうか。
    母は、本当に居なくなれるのだろうか。

    私はそんな時に一冊の本と出会った。
    「魂に触れる」 若松英輔著 この本の言葉が言葉として一字一句身に沁みた。
    死者としての存在感。
    人は、死んでも死なない人となる。それを死者と人は呼ぶ。
    魂として傍らに居る。
    悲しみとは、死者が傍にいることを感ずることである。

    居なくはならない。ただ、姿が見えなくなる存在となるだけだ。

    母の余命の宣告を機に、私は私の中の何かに気づくための旅に出た。
    それは、母が自分の死を通して私に伝えたいものだったと、今でも想っている。
    この本との出会いも、池田晶子氏との出会いも、
    それは母が私のために為してくれたものだった。

    昨日も雪の中、お地蔵様にお参りに行った。
    あの介護の日々は、朝と夕方にお地蔵様にお参りに行ったものだった。
    お地蔵様の穏やかな顔を拝むとほっとした。
    私が独りであくせく悩み悲しむことより、
    すべてを任せきった方が安心なのだと、その時想っていた。
    私のことすら、お地蔵様に任せ切った。
    そして、「今日一日だけ生かして下さい。」と祈れるようになった。

    そんな私に、死者となった母は想い為してくれた。
    それは、母の死が無かったら、絶対に至ることのできなかった場所でもあった。
    母の死は、私を変えた。
    いや、私は私だったのだが、その本来の私に母は気づかせ、立ち戻らせてくれた。
    池田さんが言う「大きな方の自分」へである。

    昨日、妻とおせちの話になった。
    ブリの刺身は、川口魚屋さんに頼むことにした。
    のっぺが食べたかったので、作ってくれと妻に頼んだ。
    妻は実家の母から伝授してもらうと言っていた。

    しかし、母の味はもう食べられないのだなぁと、ちょと寂しくなった。
    この写真の頃は、こんな大晦日はこれからも我が家に続くのだと想っていた。
    後何年だろうかとは想っていたが、
    まさかこの写真が最後になろうとは・・・・。

    門松や 冥土の旅への 一里塚  一休禅師



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  • from: クマさんさん

    2012年12月27日 16時25分54秒

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    生き延びて来た父

    父の所に行って来た。
    午後2時に布団の中で眠っていた。
    ディサービスの部屋では他の人たちも居るのだが、
    人には交われない人だった。
    食事を食べると、黙って車椅子に乗ってこの部屋に来る。
    後はテレビを観ているか、ベットで寝ているかしかなかった。

    私がいずれ行く道なのだとよく想う。
    ただし、父のこの年まで生きられるかどうかは、大いに疑問であるが。
    しかし、もし生きられたとしたら、やっぱり父のように孤独になるのだろうか。

    私は、人と話すことが好きだ。
    若い女性や男性の職員の多いこの施設では、いろいろと語れると思っている。
    また、同居している人たちにも興味はある。
    80年近く生きた人たちには、生きているそれでけで存在感はあるものだ。
    人生の話や生きるについての話を聴きたい。
    ついでに、あの世を想像して語り合いたいものだと想う。

    それから、読書だ。とにかくゆっくり存分にひたすら本を読みたい。
    今は池田晶子さんのはまっている。
    一冊の書物を反芻しながら、言葉を何度も読み返しながら、向き合っていたい。

    それから、映画だ。ビデオレンタル店はすく゜そこだった。
    懐かしい名画をここぞとばかりに堪能したい。
    観たい映画は山ほどある。残された人生の時間ではとうてい足りないほどである。

    物語に刺激を受けたら、自分でも物語を書こう。
    演劇のための脚本を私は生涯書き続けることを天に誓っている。
    物語を次の世代の受け継いでから死にたいものだ。
    それに値する言葉ロゴスに促されて、書きたいものを書き続けたい。

    まちづくりのボランティアは続けたい。
    山には一生登り続けるように、このボランティアも続けて行きたい。
    何が出来るか分からないが、誰かのための何かをやりたい。
    そして、新たな人としてのネットワークをまちに築き、次の世代に受け渡したい。

    ああ、そう考えるとやりたいことだらけで、
    もったいなくて父の様には生きたくないなぁと、想って帰って来た。

    しかし、はたと想った。

    もし、私が脳梗塞か何かで寝たきりになってしまったら。
    もし、私が60代で認知症になってしまったら。
    もし、私が明日心臓発作で突然死したら。
    もし、私が癌を宣告され、あと数カ月の命だとしたら。

    全てのことは、夢のまた夢なのである。
    父は、この年まで遊びたいだけ遊びつくした人である。

    父の孤独。父の寂しさ。父の諦め。父の後悔。父の痛み。父の悲しさ。
    父は私を見るとすぐに怒鳴る。
    しかし、私には父が何を言いたいのか聴き取れないのだ。
    すると、もっと苛立ち父はまた怒鳴る。

    そんな父を見ているとつくづく健康の有難味を感ずる私だった。
    しかし、やりたいことは山ほどあるが、生き抜くことが私にはできるのか、
    それは、とてもとても疑問なのだ。

    父は、80歳まで見事に生き延びた。
    今はこうだが、学ばねばならないのは私の方ではないのだろうか。
    生き延びることに少々疲れを感じている55歳の私。
    父はどんな風に見ているのだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2012年12月26日 07時35分02秒

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    途中の会で語る

    大荒れの天気だ。
    この掲示板を書かない日々は、私の心と身体とが疲れている日々でもある。
    とにかく激動の日々は、なぜか続いている。

    土曜日に、長岡に行った。
    SさんとWさんとの「途中の会」のためだった。
    この会は、実に不思議な会なのだ。
    ただ語り合う。それも人生についてを。いかに生きるかについてを。
    それだけで、延々と向き合い、語り合い、分かち合う会なのだ。

    Sさんが、市民生活センターに会議室をとっていてくれた。
    2時から私とSさんとで向き合って、語りが始まった。
    母の話だった。
    仏壇が我が家に来てから、あちらとこちらとをつなぐ通り道ができた気がする。
    チーンと鳴らしてお参りすると、つながってしまうのだ。

    母は、傍らに存在している。
    そして、この傍らに黙って立つということが、
    愛の姿なのではないだろうかという話だった。
    何も言わない。何もできない。でも、見捨ててはおけない。
    心からあなたのことが心配で心配でしかたない。
    でも、そっとしておく。ただ見守る。そして、祈っている。
    そんなかかわりをしてくれる人が一人でもいたら、人は生きられるのではないかという話だ。

    小千谷に避難した3.11の被災者の人たちに対する、
    小千谷市民の立場がそうだったという話になった。
    かかわることを遠慮し、配慮し、いつでもかかわれるスタンスで見守り続けた。
    そして、生きる力はいつしか被災した人たちの中から回復され、
    疲れから癒えたようにして、笑顔になって立ち上がり始めたという話だ。
    自然に任せ、相手の負担や心の重荷にならないかかわりを通す。
    それは、まさに傍らに立つという態度にほかならない気がした。

    できることは何もないかもしれない。
    しかし、黙ってその人の悲しみや痛みを感じながら、
    涙をじっと耐えながら、傍らに立ち、傍らにかがみ、傍らに居る。
    そのことの人間らしさに、お互いが改めての感動だった。
    これなら、こんな無力な私にもできることなのだ。

    それを、母が私に今も教えてくれていた。
    Sさんは、その力のすごさと確かさとを、
    被災した人たちとの関係の中で学ぶことができたと語っていた。

    そんな話で2時間はあっと言う間だった。
    途中、Wさんが登場した。

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  • from: クマさんさん

    2012年12月21日 06時07分47秒

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    健康が一番だよ

    一週間以上のご無沙汰になった。
    それはやっぱり忙しさと体調の悪さに起因する。
    どうにも今週は、最悪な体調だった。
    朝になると胃が痛くなり、昼を食べると締め付けられる痛さだった。
    それはそれは不摂生な生活のおかげだと、言われればそれまでだが、
    夜中には目が覚めて、眠られなくなってしまい、
    とうとう朝を迎えたこともある。

    体は、やっぱり正直なのだ。
    おいおい、どこか壊れて来ているよ。
    これこそそんな警告サインだと受け止めた。
    こんな日々が三日も四日も続くとなると、
    やっぱり人間、身体の異常が心配になるものだ。
    医者に行った。

    胆石から来る痛みなのか、肝臓がらみの痛みなのか、
    それとも単に胃炎からの痛みなのか、
    一番良いのは、腹を開いて中を見てもらうことなのだが・・・・・。

    胃腸科の医師はやっぱりたいしたものだった。
    すぐにエコーをかけて診察してくれた。
    「異常はありませんね。胆石も見当たりません。」
    そうですか、ありがとうございました。
    しめて5000円だった。

    先月もダウンしたとき、病院に行き、高血圧との診断をされ、
    採血と薬代とでやっぱり5000円だった。

    いつの間にか、血圧が150近くまでなっていた。
    不摂生と忙しさとで、体重がまた増加している。
    この天候のために、こうして走らずにうだうだと朝を過ごしている。
    体調を崩したために、ストレッチも筋トレもしていない。

    さてさて、答えはいかに。
    貧乏人は、健康こそ第一にすべしなのである。
    当たり前のようにその恩恵をいただいているのだが、
    こうして健康を害すると、当たり前の生活がその日からできなくなってしまうのだ。
    その上、とにかく医者は高い。

    そろそろ復活を誓おうと思っている。

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  • from: クマさんさん

    2012年12月13日 05時57分20秒

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    やればいいのにできない私

    ああ、やり直したいなぁと、思うことがある。
    それは、やらねばならないことを後回しにしている後悔だった。
    そのことが、心に重くのしかかる。
    それならば、即実行すればよいのだが、
    それがなかなかできなかったりするのが、私だ。

    自分に対する言い訳はある。
    しかし、そのことはやるべきことならば、やらねばならないのだ。
    分かっていても、なかなか手をつけないために、
    ここまで来てしまったということはないだろうか。

    心の重荷は、自分で作っているのだ。
    それは、私の負っている運命なのだろうか。

    考えたら、こうしたことが多いのだ。
    今朝も布団の中で「うーーん」と悩んでいた。
    やればいいだ。それしかないのだ。それなのに手をつけられないでいる。

    実は、年賀欠礼をまだ作っていないのだ。
    それならば、作ればいいではないか。
    そうなのだが、なぜかできない私なのだ。

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    2012年12月11日 06時14分48秒

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    予測不可能

    東京から無事に帰還した。
    オペラ座の怪人については、後ほど詳しく書くが、
    「劇団四季」に一つだけ申し述べたいことがある。
    第一幕の名曲と絶唱の数々に聴き惚れた私は、その感動を身体で表現していた。
    つまり、リズムをとり、身体を揺らして、聴き入っていたのだった。

    すると、幕間にブルーのユニフォームのお嬢様がやって来て、
    「お客様、鑑賞中はお身体を揺すらずに、じっとしてご鑑賞ください」と、言うのだった。
    私は、始め何を言われているのかが分からなかった。
    まさかお客の楽しみ方にけちをつける劇場あるわけないと思ったからだ。

    私は、聞いた。
    「教えて下さい。身体を何度傾けるといけないのですか。
     何回まで身体を揺することは許されているのですか。
     そのことは、注意事項として明記されているのですか。」
    劇団四季とは、お客の音楽の楽しみ方までとやかく口を出す劇団らしい。
    このことで、素晴らしいオペラ座も、すっかり興ざめであった。

    まさに人生は、予測不可能だった。
    夜行バスで新潟を目指した。
    新潟でバスが停車したとたん、雪だった。
    石打ちならばかくありなんと思ったが、
    何と何と新潟市内も真っ白な雪なのだった。

    まだ12月の初めなのに、もう雪ですかと、
    やっぱり予測不可能な天候にため息をついていた。
    私は、タイヤをまだ交換していなかったからである。
    日曜日に東京から帰ったら交換する予定だったのだ。
    妻の車も同じだった。
    我が家に帰ってから、寝不足の私はふてくされたようにして布団にもぐった。
    気力・体力共に限界で、重いタイヤを運ぶ元気も勇気も全くなかった。

    すると、次男から申し出があった。
    妻が困っていたら、彼が「タイヤなら、俺が替えてやるよ」と、言ったのだそうだ。
    それならばと私も動き出し、次男と二人で二台の車のタイヤを替えた。
    ナットの緩め方。ジャッキの使い方。ナットの締め方。
    一つ一つ次男に指南した。
    へぇっ、これって昔の親子だよねぇと、何だか親父としての感動だった。
    最後には、タイヤ一本を次男が全部やって替えてくれた。

    この次男の行動も、予測不可能なことだった。

    そう考えたら、人生とは全て瞬時に予測不可能なことの連続なのだ。
    その予測不可能な出来事にどう対処し、どう感情を落ち着かせ、
    「ただただ自分らしく対応していくか」
    その選択と決断の連続も人生であるかもしれない。

    人生とは、予測不可能なものなのだ。
    だから、今日一日だけでも生きてみてもいいのではないだろうか。
    予測不可能な、サプライズがあるかもしれないから・・・・。



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    2012年12月08日 05時03分22秒

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    オペラ座の怪人へ

    夢は、いつか必ず叶うものだ。
    ただし、諦めずに、その方向に歩き続けるのならば。
    そんな夢の一つが、「オペラ座の怪人」だった。
    私は、ファントムであり、永遠のクリスティーヌを愛する者だった。
    音楽の神様に魂を奪われ、それに人生を捧げた男。

    いつか必ず、このミュージカルを劇場で観る。

    それが本日叶うのだ。
    これから東京に行く。
    そして、劇団四季のオペラ座のための劇場で、
    ファントムとクリスティーヌとの愛の物語をこの魂で感じられるのだ。

    これまでの半年間の自分へのご褒美である。
    さてさて、これから支度をしよう。

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