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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

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  • from: クマさんさん

    2007年12月26日 09時00分44秒

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    地域活動の大切さ

    そんなこんなで、サッカー部の忘年会は行けなかった。
    何だか酒を飲むことが怖くなってしまった。
    禁煙・減量と来て、最後の楽しみの酒まで節制せねばならないのか。
    50代とは、そんな年齢だったのかもしれない。
    我が家での晩酌は欠かさないが、飲みに出ることはしばらくお休みとしよう。

    そろそろ今年を振り返る時期となった。
    あっという間の1年間だった気がする。
    それなりに頑張ってきたが、充実感は乏しかった。
    それは、今年は次男のサッカーを中心に活動してきたために、
    私自身のやりたいことが十分にできなかったからだと思っている。
    毎年何か一つぐらいはビッグな成果があるものだったが、
    今年はそれがなかった。

    「やろう会」については、土日がサッカーであるために、
    春も夏も参加できなかった。
    地域の祭りも同じであった。
    試合と重なり、祭りの太鼓と笛の音を聴いていないのだ。
    自治会の育成部長も引退したため、飲み会のお呼びもかからない。
    考えてみたら、あれだけ夢中になってやっていたことにかかわっていないのだ。

    親父の会・地域のお祭り・自治会活動。
    それは関係なく生活している人ばかりのはずである。
    私も以前はそうだった。
    なくても別に不自由はなく、生きてはいけるものだった。
    ぜひものではない。
    しかし、若い親父たちと出会い、「やろう会」を立ち上げた頃、
    祭りに参加して子どもたちと共に太鼓を押して練り歩いた頃、
    自治会の餅つき大会・ハイキングを行い、忘年会に参加していた頃、
    その頃は、確かに何かを成し遂げているという実感があったと今は思う。

    それは何故なのだろうと考えてみた。
    するとそこには地域の人たちの笑顔と語らいとがあったような気がする。
    酒を飲みながら、様々な人たちとの新たな出会いがあった。
    そして、何よりも「ありがとう」という感謝の言葉がそこにはあった。
    そして、遣り甲斐を感じて働くとき、
    私自身の居場所がそこにはあったのだ。

    地域活動にかかわるとき、私には居場所が与えられた。
    その居場所作りが、この活動だったのだ。
    かかわりをもたないようになってみて、
    その価値の大きさに気付くことができた。

    確かにぜひものではないが、
    この活動は私にとっては大きな生き甲斐の一つだったのだ。

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  • from: クマさんさん

    2007年12月25日 18時14分00秒

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    立ち直れずに居るクマであった

    ピエモンテさん、ありがとう。
    だから、やろう会の仲間はいいんだなぁ。
    本当にこの三日間、暗い暗い気持ちでじっとしていました。
    金曜日のことが悪夢のように思い出されます。
    それはまさに自己嫌悪です。

    本当は二次会には行かないはずだったのです。
    翌日はサッカー部の子どもたちを4名赤塚まで送り届ける責任がある。
    しかし、しかし、なんです・・・。のん兵衛は仕方なし。
    私がみんなを引き連れて、二次会の店を探していました。
    そこで、また日本酒をコップでなみなみと注がれて、
    その後は酩酊状態だったと思います。
    実は、その日仕事で少なからずショックなことがあったのです。
    「何でこんななんだ」
    ある意味では、ずかーーんと心を傷つけられてしまいました。
    それが、ボディーブローのように効いていたのですね。
    裏切られたような・・・。
    積み重ねてきたことが一気に崩れ去ったような・・・。
    そんな夜は、飲まないことですね。

    酒に飲まれてしまいました。
    翌日の朝は、まだ酒が少し残っている状態でした。
    サッカーは・・・。
    とにかく我が子を含めて4名の配車をお願いしなくてはなりません。
    大切な予選に選手たちが間に合わなかったら・・・。
    サッカー部のお母さんたちに電話をかけてお願いしました。
    頼りにしている妻は、二日間上越で研修だったのです。
    本当にご迷惑をかけてしまいました。

    その後の悪夢の続きをここに書きます。
    午後2時、とにかく応援のために会場にかけつけました。
    しかし、胃の具合がおかしいのです。
    声を出す元気もありません。
    試合は順調に勝ち進み、最後の1位2位の決定戦になりました。
    山の下アズーリは、宿敵に惜しくも敗れて2位となりました。
    その時です、またあの発作が私を襲ったのです。
    みぞおち辺りの激しい痛みが。

    車を運転するわけにはいかず、
    とうとうコーチの一人に運転してもらい、
    我が家まで送ってもらったのです。
    その痛みと惨めさとで、何だか悲しく・切なくなってしまいました。
    全部赤裸々にここに記したわけは、
    自分が酒を飲んだために、どれだけの人に迷惑と心配とをかけてしまったか、
    そのことを忘れないためであります。

    私の厄はまだあけないのではないでしょうか・・・。
    本当に酒に弱くなったことを感じます。
    そんなこんなの失敗から立ち直れずにいるクマなのであります。

    合掌・懺悔

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  • from: ピエモンテさん

    2007年12月23日 13時43分02秒

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    行き詰まり

    今年で厄が終わるピエモンテです。
    この3年間はかなり行き詰まりました。
    まずはじめての33日間の入院から始まった。
    それから何をしてもパットしない。
    ただよかったことは「やろう会」かな。
    飲みながら活動しながらいろんな人に出会えた。
    今までとは違った人種に出会えました。
    先回のやろう会でも話になりましたが、本音で語れる仲間が財産だ。
    男は弱音を吐きづらいが「弱音」を聞いてくれる仲間が増えたような気がします。
    体がやられると心もしっかりやられます。
    がんばってリハビリして動けなくなったりもします。
    ときにはじっとしてることも大事です。クマさん正月明けたら飲みましょう。
    厄があけた男の力をすこし感じてください。
    まだ今年の戦いが続くピエモンテです。

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  • from: クマさんさん

    2007年12月23日 10時24分26秒

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    冬眠中

    いろいろなことで行き詰っている。
    壁が立ちはだかると、
    それにたいしてどのように対処してよいか迷うことが多い。
    そんな時は、体の健康も損なわれているときだった。
    本当に酒を止めねばならないと思った。
    酒に弱くなった。
    酒を飲み失敗することもある。
    酒で迷惑をかけることもある。
    調子が悪いときは、そんなことが続く。
    そうすると、もっともっと心が弱くなってくるものだ。

    弱っているときはどうすればよいのだろうか。
    心に悩みがあり、いつもそれが気になって晴れないとき、
    みんなはどうやって気分転換するのだろうか。
    とにかく休むことが一番である。
    夜中に目が覚めて、眠れなくなってしまった。
    心に気がかりなことがあるからだった。
    心配事とは、そういう意味で精神に重荷をかけていく。
    ストレスというものである。

    悩んでも仕方ないことなのだ。
    それは、その現場で対処しなければ解決しない問題だからだ。
    何事もなく過ぎる場合もある。
    いつの間にか忘れてしまうこともある。
    しかし、この不安な気持ちが消えぬ限り、
    切ないのである。

    体も心も元気が出ない状態。
    人間こんなときもあるのだな。
    失敗が続く。上手くいかないことばかりである。
    そんな時は、寝ることだ。
    休養が一番である。

    クマは、何だか冬眠をしたくなった。

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  • from: クマさんさん

    2007年12月20日 06時11分14秒

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    子供から見た大人

    夢さん、ご参加ありがとうございます。
    親父としての気持ちをここに記して来ました。
    地域の親父としての実践も書いてきました。
    そして、思うことは日々精進、修行の日々だということでした。

    さて、この掲示板が来年の2月で閉鎖されることが決まった。
    私は密かに自分の心の記録として、10年間は続けたいと思っていた。
    それは、子供の成長と共に歩む、私の成長?の記録としてだった。
    振り返ってみたら、迷いの連続だった気がする。
    何だか子供とは対立軸のあちらとこちら。
    それは、私の育て方や接し方の結果だったとよく分かった。

    彼は、私なのだ。
    それは、言葉で教えたことではなく、
    彼が私と16年間暮らして、私から感化されて形作られたものだからである。
    どうしてこうなのだではなく、
    私という人間に育てられたから、どうしてもこうなったのである。
    親父と息子とは、そんな関係であるから、
    尚更気にかかってしまうのだはないだろうか。

    いつの間にか、上から子供を見るようになっていた。
    子供は、教えなければ駄目だ。
    子供は、言わなければ駄目だ。
    そう思って、いろいろと言い過ぎるようになってしまった。
    待てない自分。
    信じられない自分がいた。
    あんなに可愛く思っていたのに、
    時には腹を立てて、怒っている自分が居る。

    悲しくなってしまった。
    子供の切なさや、心の痛みを理解できず、
    結果や行動だけで判断し、指導している。
    そんなことを子供は、親に求めているのであろうか?
    子供が親に求めていることは、もっと単純な何かではなかっただろうか?

    受け入れる気持ちではなく、
    受け入れられる気持ちが必要なのだ。
    私はどこかで諦めていたのではないか。
    私はどこかで否定していたのではないか。
    「何でこんなことができないのだ」と・・・。
    できないから、子供なのだということを忘れて・・・。

    私は、笑顔でいるだろうか。
    私と居ると子供は安心するだろうか。
    困ったときにすぐに相談に来れるだろうか。
    何か間違っていたなぁと、振り返って思う。
    すまなかったなぁと、頭を下げたい。

    ある意味では、迷い、自信をなくした時から、
    本来のあるべき自分に帰れるのではないだろうかと思うようになった。
    この前、こんな話を聴いた。
    「元気とは、元々人間にはある気なんだね」
    だから、その元々に気づけば、人間はいつも元気でいられるとのこと。
    迷ったり、自信を失ったときは、その元々に帰ればいいのだ。
    そして、その元々とは、自分の中に在るものであり、
    決して失われては居なかったものなのである。

    子供にとって、嫌な大人になっていた。

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  • from: クマさんさん

    2007年12月18日 06時30分10秒

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    受け入れること

    山小屋がまた昨日から休業した。
    お土産の焼き鳥は、マドンナIさんが焼いている。
    しかし、またあのカウンターからは温もりが消えた。
    私にとっては大切な心のオアシスだった。

    自分のことを受け入れられないとき、つらいなぁと感じる。
    一生懸命に働きかけても、分かってもらえない時も同じだ。
    人は、人に理解され、感謝される時、生き返る。
    笑顔だけでもいい。
    言葉がなくとも、受け入れてもらえるだけでほっとする。
    人は、やっぱり誰かとつながっていなくては辛いのである。

    でも、よくよく考えたら、
    私自身、そんなに積極的に人とつながって生きているかは疑問であった。
    我侭が先にたつ。
    自分の思いや願いが強くなればなるほど、
    人を受け入れるというよりか、
    人に対する注文や批判が多くなるようだ。
    その欲求不満が溜まっていくと、自然にストレスが増えてくるのだ。

    あるがままにあるがままを見よ。
    仕方ないではないか。
    自分自身を振り返ればよく分かる話なのだ。
    と、自分に言い聞かせている。
    よさを見ようとすれば、小さな進歩への驚きと喜びがあり、
    その人を褒める言葉も出てこよう。

    まだあれもできない、これもできない。
    いくら言っても変わらない。
    何でこうなのだ。情けない。
    人は、私に対してもそう思って見ているはずである。
    そう思われる自分が辛くて、私はオアシスを求めていた。

    この辛さは、相手の辛さでもあったのだ。
    そして、人は人にしたように、人からされるのである。
    鏡なのだなぁとつくづく思う。

    オアシスを失ったクマは、
    その辛さを抱えたまま、しばらく生きざるを得ないようだ。
    愛する者から否定され、拒否される寂しさ。
    その孤独は、応えるものだ。

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  • from: クマさんさん

    2007年12月17日 06時16分39秒

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    ゴールを決める

    次男のサッカーの試合が豊栄であった。
    選手が一人風邪で休んだために、彼の出番が増えた。
    それは自分のアピールするためのチャンスでもあった。
    彼は、トップを任され、シュートを決めた。
    それも8点の大量得点だった。
    私は途中で帰らねばならなかったが、
    その姿を妻が撮ったビデオで観ることができた。
    子供の活躍する姿は、親にとっては何よりもの喜びだった。

    長男とは、一進一退を繰り返している。
    彼は、私の言うことを聴かないと決めている。
    どんな些細なことでも、私の言うことの逆をする。
    そこまで反発される父となってしまったようだ。
    亀田家の父とは正反対の状態である。

    だから、私も言わないようになった。
    妻からも時々「お父さん、煩いよ」と言われる。
    恥ずかしい話だが、そんな意味では家族の反発を受けてるらしい。
    しかし、言う人がいなくなっては、困るのは子供ではないかと思っている。
    ある面では、父親とは、不利な役割ではないだろうか。
    だからといって、家族に迎合するつもりはない。
    例え煩く思われても、言うべきことは言っていこうと心に決めた。

    そうとは言いながら、私自身彼のおかげで円くなってきたことも感じる。
    また、彼の心を傷つけることがあったことも反省している。
    10カウントである。
    腹が立つことがあって、言いたいことがあっても、
    すぐにはぶつけず、10カウントを数える。
    冷静になると、それなりに落ち着いて彼に話せる。

    昨日は私の横に座って、二人でサッカーを観戦していた。
    ただ、私の解説には、実に批判的な意見が返ってくる。
    強がっていても、私は寂しいのだ。
    否定的なシナリオを、私は彼に対して持っていたのだろうか?
    彼は、徹底して人の言うことを聴かなかった。
    それは、私が彼の頃と同じだった。
    彼は、続私として育っているのだ。

    だんだん私と似てくることに、ある意味では宿命を感じている。
    私は、私の高校時代を彼に見ているのだ。
    失敗と後悔ばかりの青春だった。
    だから、余計なことを言ってしまう。
    それは、私の高校時代に対して言っているのかもしれない。
    しかし、私は絶対に彼のように聴かなかったと思っている。

    一番彼の苦しみや悩みを分かり合えるはずなのに、
    だから、老婆心で語ってしまうのか・・・。

    長男もいずれ自分なりのゴールを決められる日が来ることを信じている。


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  • from: クマさんさん

    2007年12月16日 18時50分18秒

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    レッズ、最高

    浦和レッズ、最高。
    おめでとう。世界第3位。
    クラブチームとはいえ、日本のチームがサッカーで銅メダルを獲った。
    ワシントンの2ゴールの美しさ。
    PKでの都築の根性プレー。
    ワシントンの涙。
    これぞサッカーという試合をレッズは見せてくれた。
    ありがとう、レッズ。
    ありがとう、オジェック。

    そのサッカーの試合で、長男とは親子喧嘩。
    どうも私は冷静に父親として対処できない性分らしい。
    PKを前にブォルテージをあげ、テンぱっているなか、
    ドライアー持参の長男の理不尽な態度に切れてしまった父さんであった。
    「やめてくれ」と言ってもきかない彼に、
    「こんちくしょう」と本気で怒った。
    だから、彼には嫌われるのである。

    これから、決勝戦を観る。
    こんなに熱くなっている家族も珍しいだろう。
    実は、家族でこの決勝のチケットが手に入ったら、
    あの横浜に行くつもりだったのだ。
    とにかく、決勝の観戦である。

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  • from: クマさんさん

    2007年12月15日 21時06分24秒

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    山小屋の灯火

    昨夜は、仕事を終えてから山小屋に出かけた。
    山小屋難民たちが、ここぞとばかりに集まっていた。
    嬉しかったなあ。山小屋の赤提灯の輝きが。
    入り口の戸を開けて、暖簾をくぐったら、なんと堀川さんがいるではないか。
    今夜は東京へ出かけるスケジュールはどうしたのだろうか。
    我が明訓高校の大先輩のOさんの笑顔と、
    その隣りには山小屋会の重鎮Nさんの顔。
    すでに、恒例の「山小屋会」は開催されていたのであった。

    それはそれなりに飲みに行く場所はあったものだ。
    しかし、この山小屋が休止になっから二ヶ月の間、
    私たちは「山小屋難民」として、魂の祖国を失い、放浪生活を余儀なくされた。
    Oさんとも、Nさんとも、久しぶりの再会なのである。
    邂逅とでも呼べばよいのか、お互いの安否を確認して、
    抱き合って喜ぶまさに難民たちであった。
    堀川さんは、主のMさんのことを思い、
    東京行きをキャンセルして来ていたのだった。

    山小屋とは、私たちにとってはそういう店なのである。
    「他の店にも行ったさ」
    「酒とつまみはあるけど、何か違うんだよね」
    「飲めば飲むほど、寂しくなんだよね」
    「ここで飲むと、話し相手がいたよね」
    「山小屋しか、やっぱ行くと来なかったことよう分かったんさ」
    祖国とは、失って分かる魂の居場所であったのだ。

    今世司と書かれたガラスの一合ビンが行きかった。
    次々と酒が注文されて行く。
    お店は二階も超満員だった。
    みんな心で待っていた。
    そんなお店が世の中に存在しているのだ。
    Mさんが入院中に、このお店に来たとき、とても冷たいものを感じた。
    このむき出しの柱と天上の丸太に血が通っていなかった。
    その寒々とした山小屋は、戦火で荒れ果てた祖国を見る思いだった。

    しかし、今は熱い熱い血が流れ、生命の躍動を感じる。
    ああーーー、生きている。その実感と喜びとがこの店に満ち足りた。

    そのうちに、山小屋会の会長であるMさん親子が登場した。
    そして、Nさんが黙ってカウンターに座ることで、
    常連がこのカウンターを占拠した。
    こんな光景は、かっては当たり前であったが、
    今は貴重な光景になってしまった。
    お互いに再開を祝い、旧交を温めた。
    山小屋のカウンターに人生がある。
    私には30年間の思い出がここにはあった。

    ふっと思い出した。
    バイオリを弾くSさんに声をかけてみよう。
    電話をかけたら快く応じてくれた。
    名器を抱えて、Sさんが山小屋にやってきたくれた。
    「バッハを聴かせてくれませんか」
    「バッハですか・・・」
    笑顔で日本酒を飲みながらSさんはしばらく考えていた。
    やおら、ケースを開き、バイオリンを取り出した。

    そして、弾き始めた曲は、「シャコンヌ」だった。
    あの山小屋のすすけた時代を感じさせる木々の中で、
    正統なバッハが響いた。
    感極まる至福の瞬間だった。
    カウンターのこっちから、その音を全身で受け止め、
    涙がとまらなかった。
    真摯に音を音楽として響かせていく。
    山小屋に響くシャコンヌ。
    これだけで映画になった。

    そんな夜を迎えることができた。
    今夜は、さっき山小屋にこの奇跡の夜の記念写真を届けてきた。

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    2007年12月14日 06時03分56秒

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    父親の悲壮感

    風の音が激しく鳴っている。
    寒さがくれば、大雪になる天候だ。
    学校はあと一週間で冬休みとなる。
    今年も本当に押し迫ったということだ。

    振り返ってみると、いろいろとあった一年だった。
    しかし、その日々があっという間に過ぎ去ったようにも感じる。
    70歳を越えると、人は一日一日生きることが仕事になるそうだ。
    父は77歳になっていた。
    一日テレビの前でごろんと横になったままである。
    体が思うように動かぬために、外には出ない。
    彼の今年はどんな一年だったのだろうか。

    時々、父と話したいと思うときがある。
    彼が部屋を暗くしてテレビと向き合っている背中を見ると、
    昔のように「お父ちゃん」と声をかけたくなる。
    50歳になるまで、ここに居てくれたことがありがたかった。
    「祖父ちゃん」と呼ばれるようになって久しい父である。
    父にとっては、私は永遠に息子なのである。

    父にとっての私の存在は、私が長男を見るような思いなのだろう。
    だから、私の顔を見ると小言を言ってくる。
    体には気をつけろ。子供のことをよく見ていろ。
    飲み会ばっかりで大丈夫なのか。だらしない。等等・・・。
    とにかく私の顔を見るだけで、小言が始まる。
    すると、やっぱり話を聴く気は起きないのであった。

    50歳になっての反抗期ではないが、
    そんなことを言われると素直な気持ちが薄れ、
    平常心ではいられなくなってしまうのだった。
    「分かった。分かった」とその場を離れる。
    また父は一人でぽつんと部屋に残される。
    階段を上がりながら、
    長男もきっと私に対してはこんな気持ちでいるのだなぁと同情してしまう。

    私は、父であることの寂しさと無力さを感ずることがある。
    言いたくはないのだ。叱りたくもないのだ。
    しかし、言わねばならぬ。
    それは子供の将来のためであるからだ。
    そう思って苦言を呈する。
    言ったから子供は変わらない。
    かえって反発をして、私がそうであったように反対のことをする。

    彼は、我ならず。
    彼は彼の人生があり、彼は彼の人格がある。
    父親のアドバイスを素直に受け入れる年代では私もなかった。
    そんなことを重々知っているが、やってしまう。
    愚かな、おろおろの父親が私だった。
    彼の前には、私は無力なのか・・・。
    父は私に同じことを感じてきただろうと今は分かる。

    父親と息子。
    「父は永遠に悲壮である」萩原朔太郎

    今、「父親の品格」川北義則著 を読んで「親学」を学んでいる。

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