新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2013年10月31日 08時31分01秒

    icon

    川口魚店と五十嵐魚店の閉店日

    さて、やっとオーナーとしてこの掲示板に復活できた。
    機械というものはいろいろと勝手なことをやってくれるから難しいものだ。
    そう言えば、プリンターに電源が入らなくなってから久しい。
    そんな時はいちいち騒がずに、現実を受け入れることにしている。

    本日、山の下公衆市場の名店、「川口魚屋」さんが閉店をする。
    そのビルの持ち主の都合とのことで、誠に誠に残念なことだ。
    私は、毎日のようにこの店のプリの刺身を食べていた。
    特にハラスを注文し、脂ののった美味い刺身で晩酌をしていた。
    これで550円なのだ。
    何がすごいかといって、このブリの味は今世紀最高の味だと私は思っていた。

    川口さんには、母の時代からお世話になっていた。
    我が家の騒ぎごとでは、必ず大皿で川口さんのブリがあった。
    腹いっぱい刺身を食べた。
    このブリは、亡くなった母を思い出させてくれる大切な味だった。

    昨年、母が亡くなり、私が介護休暇で毎晩食事を作っていた頃、
    やっぱり毎日この店に通った。
    このブリの味が、母の味だったからだ。
    そしたら、不思議な縁があることも分かった。
    秋田の友が、やっぱりここのタラコを旦那さんが好きだということで、
    秋田まで送ってもらっているのだそうだ。
    彼女は、私の初恋の人でもあった。

    さてさて、やっぱりその日は来てしまったのだ。
    何だかとても寂しく、悲しく感じているのは私だけではないだろう。
    川口さん、あなたのおろしたブリのおかげで、こんなに大きく育ちました。
    そして、向かいの五十嵐魚屋さん。
    いつもとっておきのバイ貝の刺身とフナベタをありがとうございました。
    サービスがいつも嬉しかったです。

    夕方、買い物に行く。
    それが最後となってしまうのだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月30日 11時59分44秒

    icon

    想いの循環

    何だか仕方ないよなぁと思う時がある。
    私は、やっぱり私としてしか生きられなかったと思うからだ。
    「こんな生き方しかできなかったんだよね」と、言いながらも、
    その他の道で生きることはできなかったとも思っている。

    どうしても人の行かない道や、損な道や、遠回りの道を選んでしまう。
    何よりも振り返ってみたら、なかなか冒険と茨の道だった。
    それでも、ここまで生きてこれたことに、ただただ感謝だ。

    しかし、いつもいつでも誰かに助けてもらっていたことも確かだった。
    この道を独りで歩き切るだけの勇気も実行力も私にはなかった。
    もうだめだ。もう歩けないよ。とは、何度あったことだろうか。
    しかし、その度に予想すらしなかった助けが現れ、こうして生かされている。

    私は、私なりにしかやっぱり生きられなかった。
    ただし、この道をそれぞれの苦難の時には共にむ歩いてくれた人が居た。
    それは、母であり、父であり、友であり、子供たちでもあった。
    試練とは、自分の弱さと愚かさとに出会うだけでなく、
    人生を生きるために最も大事なものに気づかせてくれる機会なのだ。

    こうした立場にあると、離れていく友もいる。
    しかし、いつも心配してくれて電話やメールをくれる友も居る。
    人は、独自な生き方をやっぱり選択するのだろうが、
    その道が孤なる道だと思う必要がないのだと、今は思う。

    想いの循環。
    想いの繋がり。

    この想いもまた、目には見えずに、消えてしまったかのように感じられこともあるが、
    やっぱり形を変え、姿を変えて、そこには存在しているのだった。
    そして、友の試練という次節に、花のように姿を見せてくれるのだ。
    あるものは、絶対に消えることはないのだ。

    そのおかげさまで、私は私としてこうして今日も生かされている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月30日 11時44分56秒

    icon

    私の先生

    私は、いい先生と出会えていたなぁと、
    大泉先生と再会して、つくづくそう思った。
    私の先生たちは、その生き方で私のことをいつも導いてくれた。
    何を言葉で教えてくれたというわけではなく、
    私のことを慈愛に満ちた眼差しで見守りながら、
    私に好きなようにやらしてくれたのが、私の先生たちだった。

    その先生は、この社会の常識やルールや世間体を超えていた。
    いつも先生らしい独自さで、そこに存在していた。
    何かの名誉を得た人でもなく、大きな業績を残した人でもなかった。
    ただの人であり、ただの自然人だった。

    無名とは、本当に自由でよいのだ。
    守るものや誇るものが何もない。
    ただ自分らしくその生涯を生きている。
    その生き様に魅せられて、惚れてしまい、ついていくだけなのだ。

    弱く、愚かで、何でも中途半端な私であっても、
    先生は、けっして見捨てはしなかった。
    いつでもどんな時でも、どうしているかと離れていながら心配してくれた。
    私は、私で、こんなとんでもない男として生きている。
    いや、私が私らしく生きなかったら、それは先生に対する裏切りなのだ。

    信じられているから、ここまで曲がり曲がりに歩いてく来れた。
    先生とは、信じる人であり、慈愛の人だった。
    そして、なによりも自分が自分らしく生きる人であった。
    そういう人しか、私は先生とは呼ばない。

    幾つになっても少年であり、冒険者であり、開拓者である。
    その生き様が、先生なのだ。
    いつも私の先をひょうひょうと、真摯に、淡々と自分の道を生きている。
    そんな先生と出会えたことは、幸せだったと私は思う。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月30日 11時32分08秒

    icon

    けっして消えない

    庭がすっかりと変わってしまった。
    昨日の午前中に庭の落ち葉を掃除した。
    あんなに盛りだった百日紅はもうどこにも存在しないのだ。
    消えてしまったわけではない。
    ただ時期が来たから、静かにこの枝から離れただけだ。
    小さな実になって土の上に落ちていた。

    季節の循環は、けっして逆戻りはしないものだ。
    いつの間にか、私は夏を乗り越えていた。
    過ぎ去ってしまったあの暑い暑い夏はいったいどこへ行ってしまったのだろう。
    夏もやっぱり時期が来たから去っていったのだろう。
    しかし、けっして夏は消えてはいないはずである。

    全てのものは、循環の中にある。
    それは、時期が来れば、時期を感じて去っては行くが、
    けっして無にはならないものだ。
    目には見えなくても、ここには空気が溢れているではないか。
    私は、その大きな空気の循環のおかげで生かされている。

    私には去ってしまった月日がある。
    しかし、それはけっして消え去ってはいないのだ。
    きっと大きな大きな命と時間の循環の中で、
    形を変えて、姿を変えて存在しているのだと信じている。
    その循環の時間が、こうしてたった今も、私の中の私を醸成しているのだ。

    色即是空であり、空即是色でもある。
    それは、全てのものは変わるということであり、
    全てのものは何も変わらないということでもある。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月29日 15時41分20秒

    icon

    ここで旅をする

    ある人に言われた。
    「くまさんは、そこに居ながら旅をしているよ」と。
    庭で暮らした。
    どこにも出かけていなかった。
    それでも、天気の良い日は自転車で放浪をした。
    海と空とにたそがれた。

    そうしながらも、一見何も行動していないようでありながらも、
    どうも魂は故郷を旅して回っていたらしいのだ。
    「そうか、そうだったのか」と、気づくことがある。
    それは、こうした魂の旅のおかげさまだった。

    スペインのアンダルシア地方に行ってみたいとも思う。
    しかし、行けなくてもそれでもいいんだ。
    旅をするなら、その土地で暮らさなければ本当の旅にはならないと思うからだ。
    通り過ぎるだけの旅なら、
    ここに居て手を繋ぎながら故郷で魂の旅をしていたほうがよほど充実する。

    居ながらにして、旅をする。
    それも、ただ生きることの極意であるかもしれない。
    「夢は、枯野を駆け巡る」である。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月29日 15時35分46秒

    icon

    ただ生きてみる

    人は、ただ生きていればいい。
    本当に心からそう思われたら楽でいい。
    何かをしたから。何かができたから。誰を助けたから。
    それもあってもいいんだが、ただ生きることにのほほんと徹せる。
    それもまたいいと思う。

    悩み多き日々は、煩悩多き日々だ、
    善いことをせよ。悪いことはするな。
    そうだなぁと、思いながらお日様を浴びている。
    善い・悪いは、自然なはないものだった。
    それは、人間だけが縛られる法則なのだ。

    して、ただ生きるとは、どこらへんに位置するものなのだろうか。
    それは、案外善いと悪いができる前の、
    のほほんとした自然の中だけにあるものらしい。

    今日も一日生きていた。
    庭の掃除に汗を流した。
    百日紅の落ち葉を集めて、袋に入れた。
    汗をかいた。それでよかった。それだけでよかった。

    ただ生きるとは、とても単純でありきたりのようだが、
    なかなか修行を要する生き方でもある。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月29日 10時24分53秒

    icon

    大泉二郎先生・・・蒲水先生という人

    昨日は、3年ぶりで我が師匠のお見舞いにでかけた。
    先生は、書家であった。
    沼垂の山小屋で先生と出会った。
    「我執を捨てて、ただなんとなく」その色紙とが初めての出会いだつた。
    それから、先生は弟子のようにして可愛がってくれた。
    不肖のできそこないだった。
    それでも分かってくれて、本当に助けてくれたものだった。
    いつか先生の物語を書きたいと思っている。

    四年前に絵手紙を百通贈った。
    先生はその絵手紙を大事に大事にしてくれていた。
    お見舞いに言った私の友人にも見せたそうだ。
    「好きなものを持って行っていいよ。」
    その友人からメールが届いた。
    「先生は、くまさんに会いたがっているよ。」
    そして、居てもたつてもいられなくなってしまった。

    白根の病院まで自転車で行こうとしたら、ブレーキが壊れていた。
    乗ったらワイヤーが切れてしまったのだ。
    危ないから自転車では来ないがいいよ、先生の親御心か。
    私は何と手前の白根病院に間違って訪ねてしまった。
    いやはや私らしいと恥ずかしかった。

    やっと先生の居る老人福祉施設に行けた。
    来意を受付で告げて、先生の病室に向かった。
    病室には先生は不在で、ロビーのテレビの前にぽつんと先生は居た。
    「先生、くまです。ご無沙汰しました。」
    ちっちゃな先生の目がまん丸になった。
    「おお、おおっ。」
    言葉も不自由になっていた。横には車椅子があった。
    部屋を指差すので、先生を車椅子に乗せて、病室に向かった。

    ベッドに来ると懐かしい四角の菓子箱を渡しされた。
    その蓋を開けると、そこには私が先生に贈った絵手紙があった。
    懐かしかった。母はこの時、まだ生きていたのだ。
    毎週3枚を自分の宿題にした。
    題材は、野菜や花や果物やいろいろだった。
    出来上がると母に見せた。
    必ず母がその絵手紙を褒めてくれた。
    それが嬉しく、この絵手紙を受け取っる先生の笑顔が嬉しく1年以上書き続けた。

    先生は、左手だけだった。
    それも震える左手だ。
    書家の先生の右手は、動かない右手なのだった。
    その左手でマジックペンを握り、震えながら反故紙の裏に筆談を始めた。
    私は、動く紙を手で押さえながら、
    その絵文字のような言葉をよんだ。

    毎月第二日曜日に「カンポス」という喫茶店に行くこと。
    公民館での篆刻の講師を続けていること。
    私が、長男の話をしたら、長男の名前を書いて、よかったよかったと言ってくれた。
    先生は、長男の大学受験の時に、「合格」と大きく慣れない左手で書いてくれたのだ。

    ああ、先生。ごめんなさい。ごめんなさい。
    どうして私は、何年間も見舞いにも来なかったのだろう・・・・。
    あんなに会いたがっていた母も連れて来られなかった。
    本当に不孝者だと、情けなくて、情けなくて・・・・。
    「先生・・・・。」と呼んだとたんに熱い涙がこみ上げてきてしまった。
    嗚咽だった。言葉がなかった。ただ先生の前に俯いて泣くだけだった。

    先生もそんな私を見つめながら、泣いてくれた。
    その瞬間私は感じた。
    先生と呼べる人とこうして出会えたことは、私の幸せなのだと。
    56歳の男が赤子のように泣いているのだ。
    先生とは、いつも温かく抱きとめてくれる人なのだ。
    「先生、今、情けなくも私は人生の迷いの中に居ます。」
    先生は、黙って聴きながら、やっぱり全てを分かってくれた。
    またペンを左手にとり、震える手で紙に書き出した。

    「立派な先生になってください 大泉」

    涙でぐしゃぐしゃになり、私は声を出してその文を読めなかった。
    迷いの真っ只中に居る私に、
    先生は、まだまだ期待してくれているのだった。
    いや、信じてくれているのだ。
    信じてもらえるとは、こんなに尊いことだったのか。
    また、涙で言葉が出なくなってしまった。

    先生は、その文字を書いた紙の裏をしきりに読め、読めと言う。
    何かなぁと思って読んでみたら、
    「新潟市民文学」に短歌2首が入選したという知らせだった。
    やっぱり私の偉大な先生だった。
    努力することをけっして忘れていないし、生きることを楽しんでいた。
    たったそのベットだけの人生だ。
    身体は不自由極まりなく、話すこともままならない。

    なのに、日々の生活に足るを知りながら、
    尋ねることのない不肖の弟子を想いつつ生きていてくれていた。

    「我執を捨ててただなんとなく。先生、あれまだ先生の落款押してもらっていませんよ。」
    先生は身体を揺すって笑っていた。
    「先生、また来ます。また来ますよ。」
    「ああっ、ああーっ」と手を握った。

    駐車場の車の中で、西日に照らされ眩しかった。
    私は、泣けて泣けて・・・・。
    先生の生き様こそ、私にとっての無上なる先生だった。
    その先生の愛が、確かに私をここまで生かしてくれてきたのだ。
    それでは、どうやってこの恩を返すか。

    「立派な先生になってください 大泉」
    子供たちの笑顔が、次々と思い出された。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月26日 06時34分33秒

    icon

    弱い自分が自分なんだ

    自分を回復させるのは、やっぱり自分だ。
    本当に生活リズムを立て直すことができない日々だつた。
    この掲示板は、いつもは5時30分から書いていたものだった。
    それができなくなってから何ヶ月もたっている。

    自分でも何とかしなければと思いつつも、できないことは多い。
    人はそんなに意志が強いものでもなく、
    思った通りには生きられないものだとよく分かった。

    そんな自分ならば、そんな自分なのだと諦めた。
    仕方ないではないか、できなくてもいいではないか。
    いつかまたできる日が来るよ。
    いいよいいよ、大丈夫だよ。

    自分に対しては、甘いものだった。
    しかし、その甘さがこんな試練の中では大事なことだった。
    自分を許す。
    できないくてもいいよと、自分に言ってやる。
    自分の中のもうひとりの自分が、自分を好きになる。
    弱い自分を抱きしめてやる。

    今もそうしているから、こうして生きていられるんだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月25日 14時12分21秒

    icon

    悪さと反抗心とを

    こんな言い方は、ちょっと過激かもしれないが、
    悪いことはすべきなのだ。
    自分がそう思わなかったら、しっかりと主張し反抗すべきなのだ。
    いつも強い大人に従うだけでは、いつの間にか自分という存在が希薄になるはずだ。
    悪いとは、絶対に法は犯してはいけないが・・・・、
    大人が良かれと思わないことには、ちょっとでも手を染めてみてもいいかなぁと思う。

    なぜなら、その時にやっと悪いことは悪いのだと自覚できるからだった。
    だんだん子供たちがおとなしくなっていくような気がする。
    それは、大人たちにも言われることだ。
    管理され、ある価値観の元、指導されていると、
    どんどん歩くべき道が狭まり、選択肢は乏しくなっていくものだった。

    私はそうは思わない。そんなやり方は間違っているのではないか。
    どうしてそんな考え方だけが正義なのだ。
    その考え方とは、千ある考え方のたった一つではないのだろうか。
    なぜ、その考え方ただけを一方的に押し付けるのだ。
    私は、そうは思ってはいない。
    では、私はどう生きたらよいのであるか。

    やっぱり、違っているのだから、粛々と自分の信念に従って生きればいいのだ。
    声高に言ったとしても、無駄である。
    コントロールしたい人間にとっては、それはあるまじき悪の行為なのだ。
    「どうして私の言うことが聞けないのだ。」
    「そんなことをしたら、どうなるか君はわかっているよね。」
    どこかの銀行の物語のようなことは、日本中で行われている。
    もし、学校もそうであったらどうしたらよいのであろうか。

    私が冒頭に言った、悪いこととは、このことなのだ。
    組織にとって悪いことでも、それが正義であることも存在するのだ。
    ならばやっぱり、「これはおかしいです。」と言える人間を育てることが、
    本来の教育の使命ではないだろうか。
    親子関係にもそれが言えた。
    「いい子」であれば、いいのであろうか。

    悪さと反抗の中にこそ、本音と真実が存在する場合もある。
    批判精神をもっともっと子供たちには育ててやれる度量が大人には必要な気がする。
    大人だってたいしたことないのだから・・・・。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

  • from: クマどんさん

    2013年10月25日 13時59分14秒

    icon

    違うことこそ

    どうしても枠にはまりたくない。
    決められたことがあっても、自分ではそう思わなかったら従わない。
    みんなが同じことをするならば、違うことを探してしまう。
    道はこれしかありませんと言われても、もっと無数にあることは知っている。
    どうして、この道だけを行きなさいとその人は言うのだろうか。

    そんなことはおかしいなぁと、いつも思いながら生きてきた。
    どうしてみんなは教師の言うように生きようと努力するのか。
    違っていることが自分ではないだろうか。
    違うことこそ、楽しいのではないだろうか。
    私はそう想って、私なりに真っ直ぐに生きてきたつもりだ。

    いつもよき悪友と付き合っていた。
    そっちのほうが愉快だったからだ。
    彼らは、生徒指導の教師に追い掛け回されていた。
    私はそのへんは適当に距離を置いて、付き合える部分だけ付き合った。
    それが、今でもよかったと思っている。

    大人が勝手に決めたルールには、やっぱり一度批判的な眼差しで見直すべきなのだ。
    どうしてそれがいけないのかは、大人たちも説明できないこともある。
    それが常識だから、それが決まりだから、それが世間だから。
    その理屈の枠組みの中に強制的に当てはめようと教師は努めた。

    評価とは簡単だ。
    その枠組みに従順に従い、その中での点数による序列化なのである。
    いつも学校という場所は、ちっぽけな枠組みの中で人間を序列化する。
    そこからは、何だか自己肯定感が生まれない気がするのだ。

    私は、数字ではない。
    私を勝手に一方的な見方で点数に置き換えないで欲しい。
    私は、私なのだから、何と比べて、どんな基準で点数化するのであろうか。
    教育とは、私の絶対価値を認め、育てることであるのに、
    どんどん違う存在は、排除されていく。
    不思議だと思う。
    一人一人が違っていることと、全ての存在が平等であることを基本としない限り、
    教育なんぞは成り立たないと私は思っている。

    違うことから始める教育とは存在しないのだろうか。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon