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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016年07月31日 10時16分05秒

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    一時帰宅の朝

    これを、久しぶりに家で書いている。
    キーボードが使いづらい。
    3週間近くの不在は、こんなところにも影響が出ている。
    お腹からの血の混じった体液は、まだガーゼをたっぷり濡らしている。
    この体液が止まらない限り、退院はないようだ。
    これもまた身体任せのこととなった。
    私が想って、願って、できることは少ないものだ。
    身体は、自然のままに、自然らしく、私と関係なく着実に生きている。

    庭の花たちは、私のほんの短い帰還を喜んで迎えてくれた。
    Hさんが教えてくれたように、確かにこの庭の花たちの想いを、
    私は久しぶりの再会で感ずることが出来た。
    「待っていてもらってた」という、何だか不思議な安心感だった。
    重い物をもったり、階段を上り下りしたり、激しい運動をしたりしてはいけなかった。
    せっかく繋がろうとしている腹筋が、また離れてしまうからだ。
    一度全く離れ離れになってしまった筋肉同士が、
    いま私が眠っていたり、何も意識したりしない間でも、
    もくもくともぞもぞと、くっつこうと働いている。
    くっつくということは、一つになるということだ。
    そんな謎のようなことが、私の身体では刻々と進められている。

    自然とは、偉大な謎だと、私は想う。
    だから、その自然のリアルに対して、敬意をもち、感動をもち、畏れをもつ。
    そうやって自然に向かう時、自然はちゃんと本来のあるがままで応えてくれる。
    身体は、身体そのものが生き抜くために、日々刻々と死滅し蘇生を繰り返している。
    身体がここにあり続けるのだが、それはどれだけのものが死滅し、再生させられた、
    その結果がこの身体と言う総体になっている。
    変わっても、移り変わっても、ここに私は存在している。
    それが、やっぱり、すごいことだと感心している。

    鳥に倒されて折れていた向日葵を、また私は土に差した。
    すると、今では他の向日葵と変わらず、逞しく育っている。
    鳥たちについばまれ、虫食いのような向日葵の葉っぱも、元気に大きく茂っている。
    位置を変えるために一度抜いて違う場所に植え替えたクヌギの幼木が、
    植えたその週にすっかり枯れて葉を落とした。
    幹までも水気を失い、すっかり乾燥してしまったので、
    私は、「ごめんなさい」と、申し訳なく謝った。
    すると、昨日見たら、小さな小さな緑の葉をつけ、
    茎も緑色にうっすらと再生していた。
    根っこがしっかりと生きていたのだろう。

    自然が生きるとは、まったとこういうことなんだ。
    自然である私にも、その自然の生きるの力は備わっている。
    日々刻々とこの私の身体の再生を通して、リアルにその力を感じている。

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  • from: せみさん

    2016年07月30日 10時10分49秒

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    「1日が始まった。さすがに昨日は点滴二本でいつものルーテーンができなかった。そうすると、身体の調子も、心の調子も今一だった。

    身体を動かす。身体と共に考える。この病室でのベッド生活でもそうだった。気分転換によく病棟を一周歩いている。

    Sさんがよく話すことに、身体が嬉しくなることをしようがある。晴れたら、畑に出て汗を流す。早朝は小千谷の信濃川辺りを散策する。山の幼稚園に行き、子供たちと山で遊ぶ。そうやって身体を動かしながら、身体で感じたことを言葉にしている。

    そのこだわらずに、おおらかで、感謝して日々を生活している78才の生き方に、いつも教えられる。

    円環運動の原点に戻りましたね。2人してよくそのことを確認して笑っている。その原点に立つと、私もSさんもいなくなる。そうですね。そうだったんですね。分かりますよ。私も同じですて。そうやって語り合える人に出会えたことの幸せだった。

    独りで考える。人生、いかに生きるかを考える。ただ、立ち止まっては考えない。歩きながら考える。自分なりの体験を積み重ねながら、その意味を考える。自分に起こり、自分が出会うあらゆることには、自分なりの意味が必ず存在しているからだ。

    悲しいこと、辛いこと、挫けるとも多すぎるくらいにありすぎる。しかし、確かにそのことは私を育て、私に生きるの大事なことを気づかせてくれた。

    独りぼっちは自分だけでない。悲しい想いは私だけでない。挫折して、失敗したのは私だけでない。だから、私だけがと勝手に思わないことだった。

    Sさんの話を聴いていると、本当に私は彼の人生を追体験しているのではないだろうかと錯覚するくらい似ているのだった。

    孤独も、挫折も、絶望も、悲しみも、病も、老いも、死もある。それは、形こそ違え、生きているみんなにそれはある。いや、そうでない人は独りもいないはずだ。私は、59才になろうとして、やっとそのリアルが分かった。

    若い頃は、自分だけだと、自分を攻めて否定した。辛く長く暗いトンネルだった。若者たちはみんな独り、独りのトンネルを歩いている。

    ならば、その暗さで連帯できないだろうか、と私は想う。悲しみと孤独とで人は連帯できるものだ。

    それを引き受け、認め、その独自な個別的なリアルの中でもがきつつ、試行錯誤しつつ、挫折の痛みを糧にして、それでもやっぱり立ち上がり、今日、1日だけでも生きてみる。

    「悩むな。考えろ。」
    池田晶子

    病室を私は、道場と思っている。ここで私が私なりに生きられたら、身体の喜ぶ生活ができ、感謝しつつ生きられたら、それでいいと想っている。

    若者は悩む。私は身体で喜ぶ。どこかで、連帯できないものかと、いつもSさんと考えている。」

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  • from: せみさん

    2016年07月30日 09時44分32秒

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    「まだ4時前。個室でラジオを聴いている。眠られないのではないが、起きていようと酸素マスクを着けて起きている。

    夕食を食べ、ニュースを観ていたら、突然みぞおちから胸にかけて締め付けらるような痛みに襲われ、横になり呻いていた。

    すると、私の向かいのベッドのAさんが異変に気付いて、ナースセンターまで
    走って行った。痛みに耐えながらも、看護師さんが到着するまで長い長い時間だった気がする。

    呼び掛けられ、症状を聞かれても満足に言葉にならない。締め付けるような激痛が続き、ただ「助けてください」だけだった。

    緊急処置をするために、ベッドごと処置室に移動だった。医師が集まり、数人の看護師に私は囲まれた。「ここが締め付けられます」痛くて、痛くて、身体をまっすぐにしていられず、くの字になって呻いていた。看護師さんにお願いして、手を握らせてもらった。
    この突然の急変に医師たちも原因の検討がつかず、心電図、血圧、採血は何と左股の付け根だった。右手は親指の付け根。激痛だった。
    救命措置のために懸命に処置をしてくれる医師と看護師さんを見上げながら、私は張り裂けるような苦痛の中で、突然死を思った。

    「ああ、このまま突然心肺停止になり、臨終を迎えることもあるよな」「これで終わるのかなぁ。みんなに会いたかったな。」天井と私を処置する医師や看護師さんの真剣な顔を見ながら、そんな臨終の自分を考えていた。

    すると、始めの激痛がしだいに治まり、胸からみぞおちの下にその痛みの位置が変わったことを感じた。そして、光が弱まるように、ゆっくりだんだんと痛みがが弱くなって来た。

    その間、15分くらいだったようだ。不思議なことに、嵐が去るようにして、あの痛みが去って行った。あれはいったい何だったのだろうか。

    今、個室で「明日への言葉」を聴いている。アラブの難民の問題についてだった。酸素マスクを着け、右手人差し指には血中の酸素を関知するためのセンサーが張り付けられている。

    土曜日には退院しようと思っていた。お腹の水がびたりと止まったからだ。そう決めた夕方、突然の激痛だった。これでは退院が延期になるだろうな。

    一寸先は…である。まさか、今、ここ、個室に居ようとは、誰も予想すらできないことだった。

    身体は独立国である。そこでは生きる日々の中で起こるべきことは確実に起こっては消えている。それは、私の想いや願いとは関係なしにだ。

    私は身体という自然を生きている。ああ、臨終かなぁと痛みに耐えかね、身体を折り曲げて呻いていた時、人間の儚さを思ったものだ。

    そしたら、元の大部屋に突然戻された。朝、5時。私より生き死にの患者さんが出たとのことで、「クマさんごめんなさい。部屋にもどりますね。」とのことでした。

    一寸先は…。これも人生だね。トイレに行きたいのだが、看護師さんがまだ来ない?。これも人生だよ。」
    題「突然死はありだね」

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  • from: せみさん

    2016年07月30日 09時41分33秒

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    「昨日BSで岡本喜八監督の喜劇「ダイナマイトどんどん」をやっていた。小倉の対立するヤクザ同士が縄張りを懸けて野球で勝負する通快な映画だ。文太さんがいい。欣也さんがかっこいい。宮下順子さんに惚れた、惚れた。実は、この映画との出会いは、前回の緊急手術後一週間位だったか、個室でようやく自分で手や足を動かせられるようになった時だった。

    テレビをつけたら突然このタイトルが飛び込んできた。それから、ドラマの展開から目が離せなくなってしまった。拍手喝采。やるのーおぬしたち?まあ、この痛快さに魅せられてしまったのだった。しかし、野球の試合の大事な最終回になったら、無情にもCT検査の時刻となり、車椅子で拉致された。

    私の入院の唯一の心残りは、この映画のクライマックスであるラストだった。私は観ていなかった。実は、監督の名前すら分からなかったのだ。

    そんなこんなで忘れていた映画だったのに、ドキッだった。今週の週間テレビ番組表を見たら、なんと水曜日にやるではないか。またまた、ここは病室のベッドの中だ。三回目の手術を終えて2週間。同じ映画を同じように病室のベッドで観る確率とはどんなものだろか。

    本当に人生は、奇跡に満ちている。これを私は偶然とは思わない人となっている。そこにある「意味」を見出だし、ありがたく受け取っているからだ。それは、よきことも、悪しきこともだった。

    この三回目の手術を私は感謝している。おかしいだろうか。この痛みと苦しみ、そしてこの入院生活を体験したからこそ、深いところで何かに気づくことかできた。

    もし、この年でこのクライシスを体験しなかったら、私はあのままの私で60才を迎えてしまったかもである。病を経験した人の心のひだは深くなる。本当にそうだなぁと、私は合点できるし、腑に落ちる。

    変な話で恐縮だが、同室の65才のAさんや80才のBさんは、まだ一回も手術を受けていなかった。だから、私は手術のことやその後の経過や生活の仕方について語れるのだった。

    私は、この手術のおかげさまで、手術について患者として語れる人になった。だから、これから手術をしなければならず不安と恐怖を感じている人に、大丈夫だよと、語って、同情と共感ができる人になっている。

    だから、この腹膜炎は偶然ではなく、私にとっては必然であり、それは、私の想いや願いを越え、想像を絶したこととして、やっぱり奇跡なのだと、私は認識している。

    そう考えると、人生は奇跡に満ちていた。これから始まる同じ1日であるが、出会うことに感謝して、ああ奇跡だなぁと生きて行くか、何でこんなことになったのだ。こうなったのはあいつのせいだと、不平不満でイライラして生きて行くかは、同じ1日という道を歩きながら、全く違った感情や気持ちで生きることになる。

    自分を捨てれば捨てるほど、楽になる。自分にこだわればこだわるほど自分が肥大化してどうにもならないモンスターと化する。

    捨てるか、こだわるか。その生き方の違いは大きいことなんだとやっと分かるようになった。

    「ダイナマイトどんどん」との病室での再会に、私は奇跡を見た。そして、奇跡とはそれを現実にする配慮と意図とが必ず隠されているものだった。そこに、「意味」を見いだせるかどうかに、生きることの面白さがあるように感ずる。

    たかが、たった一本の喜劇映画とは思わないことだ。この映画とここで再び出会えたことを奇跡として感動できる生き方に、私はやっと行き着いた。

    人は生きてみないと分からない。人生はここから先は全て未知なことばかりだ。ならば、それを奇跡と感じて、日々楽しんで体験し、そこに何らかの意味を発見できたら、楽しく1日だけは生きられるのではないだろうか。

    そんないい加減な生き方を若者に伝えてあげたかった。

    題「奇跡、奇跡の花盛り」

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  • from: せみさん

    2016年07月30日 09時37分28秒

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    「彼はきっと死ぬまで罪を意識することなく、罪を悔いることなく死んでいくのかもしれない。
    それは、テロを行った若者たちと同じだろう。

    正義は恐い。その犠牲に誰もがなってしまう世の中になってしまった。

    権力や権威や武力に対してのレジスタンスは分かる。では、市民を無差別に殺戮する行為は、ただの恐ろしくおぞましい殺人でしかない。

    本当は、人は死んでからが永いんだ。どうしてそのことをこのことを若者たちには誰も教えなかったのだろうか。

    彼のことを考えると、人間という存在が分からなくなってしまう。狂気ではすまされない。どこかとても冷静で確信に満ち、使命感すら感ずるコメントがある。大量殺人。それも知的障害のある無抵抗で無力な人たちに対して。何故、人はこんなに残忍なことができるのだろうか。

    世界中で今日も行われだろうテロと何だか同じ深層心理を私は感じた。恐いぐらいに彼らはやりきってしまう。

    PGOが日本中に蔓延している。ある日突然、人々は狂ったように街のあちらこちらを徘徊し、探し回り、ゲットしたと歓喜する。それは、生きるにとって、どんな意味があるのだろうか。本物の昆虫採取に出かけた方が、もっと感性を育てる体験となるはずだ。

    さて、それをゲットしたから何か変わるのだろうか。そんな幻を捕まえるために1日の何時間も自分の人生を無駄に消費するよりか、孤独に沈黙の中に沈み、じっと耐えて言葉が現れることを待ったらどうなんだろう。

    大空にこの病室のテレビを掲げたら、きっとこのテレビはちっぽけな窓になるだろう。たったこの縦30㎝横40㎝の窓から次々に休みなく、喧しく一方的に流される情報や物語は、いったい私たちに何を伝えようというのだろうか。そして、いつの間にか、この切り取られたちっぼけなおしゃべりで無責任な窓が、自分の感性や考え方を感化し、変化させる。

    テレビを観ない選択ができる。人を殺さない選択ができる。テロを起こさない選択ができる。探しには行かないという選択ができる。

    そうした、選択と決断ができるのが、人間の尊厳であり、誇りではないだろうか。

    ここには生きようとして必死に病と闘っている人がいる。彼のニュースをこの病室のテレビで観た。昨日も今も、ずっと何故なのかと、問い続けている。

    今、若者にあるその影の部分、つまりその共通する深層心理を私たちが理解し、どこかで何かの手を差しのべて行かないと、こうした悲惨な事件はこれからも起こるのではないかと危惧をしている。

    ただただ怒りしかない。どんなに怖くて痛かったことだろう。どうして、その痛みと恐怖が彼たちには分からないのだろうか。

    彼らには、その凶行に出る前に生き死にのこの病室にしばらく入院して、黙って独りで沈黙の中で、本当の言葉と出会って欲しかった。

    亡くなられた方のご冥福をここれからお祈りします。」

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  • from: せみさん

    2016年07月26日 17時14分27秒

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    「入院生活のお伴は、映画のDVDとラジオです。この二つはここでの生活では欠かせないアイテムどなっています。

    映画は、とにかくこの入院生活のために、半年間BSで撮りだめしてきた。洋画から邦画。名画から娯楽作品まで幅広く取り揃えた。

    昨日はベルイマンの「第七の封印」だった。先日、「野いちご」を30年ぶり位に見直し、やっとこの映画の真髄が分かった気がしたからだ。「スケアクロー」もよかったな。私が中学生のころの映画だった。明日は、BSで岡本喜八さんの「ダイナマイトどんどん」が放映される。このヤクザたちの野球映画は痛快過ぎる面白さだ。昨夜は、「ショーほど素敵な商売はない」の家族愛に涙した。

    確かに、ベッドで独り、感動の涙の時が多かった。涙目で看護師さんに恥ずかしいこともある。

    音楽は、「弾き語りフォユー」から朝が始まる。ストレッチしながらのビアノの音色。今朝は永六輔さんの特集だった。それから、食堂で山を観ながらの朝のバロック。朝食の後は、名曲のアルバム?そんなこんなのうちに回診となり、医師がベッドにやって来る。夕方、展望ラウンジでクラッシック。何と優雅で贅沢な生活だ。

    私は、自由に移動はできない。1日ここで暮らす義務がある。それを不自由とは感じていない。昨日のルーテーンもそうだか、こうした状況の中でも、自分が選択し、決断し、行動する主体性は失っていないからだ。

    時間は平等に与えられている。それを、どう意識して使うかが、この入院生活では求められていた。

    確かに、ハードオフ球場に応援に行けなかった。走ることもできず、自転車にも乗れない。置かれたここが私の居場所だ。

    しかし、そこで人と比べて人を羨んだり、出来ない自分のことを嘆いたりすることはしない。そんな時間は、もったいない時間だからだ。

    まず、1日の流れを決める。それもある程度にルーズにいい加減にだ。思い通りには行かない。予想に現実は反するものだと、諦めつつも、ゆっくり、のんびり、そう生きる。

    後は、廊下で会った患者さんや、看護師さんに笑顔で挨拶する。病室では同室の人とこちらから話しかけ、会話の時間も作るようにしている。

    合間には、本を読む。やっぱり池田晶子さんだった。彼女には、私は呼び掛けて、親しみを込めて話すこともある。

    こうした生活を二週間続けている。今も、ドリップでいれたコーヒーを飲んでこれを書いている。先日コンサートで聴いた、トム・コーブマンのバッハだ。

    映画・音楽・読書・コーヒーと、私が大好きなこの世界があるから、私は、ここで不自由な痛みの生活の中でも、少しの喜びと希望とをもって生かされる。ありがたいことだった。

    フランクルが「夜と霧」に書いている、収容所で生き残った人たちとは、どんな人たちだったかと。

    その人は、夕日を観てきれいだなぁと感ずる人。その人は、ほんのささやかな出会いを感謝する人。自分のことを待ってくれている人のことをいつも想い続け、自分が果たすべき使命を感じて生きている人だと、フランクルは言っている。

    「幸せは、自分の心が決める」収容所の人々が折り重なって眠るベッドでも、幸せを感じ、愛する妻や子どもたちとの再会を夢見た人は、救い出されたのだった。

    これは、リアルな事実だった。病室に独り居ると、そのことが実感される。

    独りは私だけでない。では、その独りをどう生きるか。この限られた1日をどう生活するか。そんな私には、映画と音楽と池田晶子さんと、コーヒーがあった。
    それをこよなく楽しめる人として、生きられる自分に感謝している毎日だ。

    そんな病室での楽しみを、皆さんはもっているだろうか。」

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  • from: せみさん

    2016年07月25日 08時06分59秒

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    外出許可


    外出許可をもらって我が家に帰った。妻のお迎えだった。教会に行ったら驚かれた。それはそうだろう。手術してまだ十日目だからだ。よかったですね。もう大丈夫なんですか。そんな労りの言葉はやっぱり嬉しいものだった。優しい人たちには、優しい言葉がある。

    それから、太威にラーメンを食べに妻と長男ででかけた。担々麺は絶品の味だった。本当にこのスープの味わいは深く、おろしにんにくと辛子を入れながら微妙に変わる味を堪能している。深いものは、果てがない。浅いものは、いくらやっても深くはならない。美味いものを食べることは、生きる力にも希望にもなる。次は、あき乃の特盛だ?

    帰ったら我が母校、新潟明訓が甲子園をかけての中越との決勝戦だった。毎年、自転車でかけつけたのに、ことしはこれだから残念と諦めてテレビでの応援だった。7回のエラーからの大量失点は予想外の展開だった。スクイズ3本。こんなこともある。来年こそ甲子園に。これも1つの夢になる。


    庭の花や樹木は元気に育っていた。長男が朝夕に水やりをしてくれたおかげさまだった。久しぶりに会う花たちは、てんでんばらばらに私に語りかけてきた。その中で枯れてしまったものもあり、葉っぱの弱っているものもあった。隅々までや、花の声を聴きながらは、なかなか難しいことだった。でも、みんなここで生きていてくれている。これは、私の希望であり、励みでもあった。

    私は、今、病室のベッドでこれを書いている。さっき小千谷の師であるSさんが育てたトマトをいただいた。うまかったなぁ。

    人は、きっとそれぞれに生きる励みをもっているから生きられるのだと私は思う。

    家族は全く当たり前だが、例えば、優しい言葉。大好きな食べ物。誰かへの応援。何かのお世話。何だか、そんなこんながあってくれるから、人はきっと毎日を生きていけるのだと思う。

    そして、そうして自分を生かす力。私なら、退院したらこれをやるぞという何かをもっていることは、幸せなことなんだと、昨日は、改めて思ったものだった。

    「あなたは、食べるために生きるのですか。生きるために食べるのですか。池田晶子」

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  • from: せみさん

    2016年07月24日 07時14分38秒

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    朝のルーテーン


    「病院暮らしには快適さは求められないが、実は、その制約の中で工夫することで自分なりの生活スタイルを創造することも可能だった。

    夜中に何度か目が覚める。熟睡どころか、脳が疲れながらも冴えて眠れない。そんな時は、眠らないことにする。考える時間ができたと思う。私は、ラジオを聴く。ラジオ深夜便だ。この番組は、きっと私が死ぬまでお世話になる番組かもしれない。深夜の友はラジオ深夜便。すると同じように眠れずに孤独な夜を過ごしている日本中のリスナーが友のように感じられるから不思議だ。独りなのに、独りではない。
    明日への提言には、いつも気付きと発見が与えられて嬉しく感ずる。人生を生きた先輩たちの生の声は、その日の生きる力になっている。

    5時からはビアノの弾き語り。それを聴きながらストレッチをする。終わると静かに座禅して瞑想をする。そして、朝の感謝の祈りを捧げる。

    6時が病院の1日のスタートだ。廊下に灯りが点り、食堂に行き体重を計る。そして、コーヒーを淹れ、椅子に座り、朝の粟ヶ岳に挨拶してから、バロックを聴きながら、これを書いている。

    この病院内だけの限られた自由だからこそ、規則正しく、意図的に計画して生活するようになった。自己管理をどうするかなのだと思う。
    7時になると私は病棟を一周して病室に戻る。そしたら、洗面台に向かい、温かなお湯で顔を洗い、髭を剃り、髪を整える。いい男になってから、テーブルを片付け、朝食の到着を待っている。

    朝飯前ここまでで4時間だった。これは、私が私でここで生活するための大事なルーテーンだった。

    同じことを同じように繰り返す。そのルーテーンに従うことで、心穏やかな朝を迎えられる。そして、朝の気分がその日の気分を決めてしまうものだ。

    だから、ルーテーンが先、私は後。こんな自分なりのルーテーンやリズム、ルールを決めて毎日、その通りに生活すること。それは、単調な生活ではなく、実に充実した、創造的な生活だった。

    それは、やっている人にしか分からない快感でもあった。

    さて、そろそろ腹が減ったから病室に戻ろうかな。」

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  • from: せみさん

    2016年07月24日 07時07分21秒

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    身体という、自然


    「入院生活ももう少しで二週間目2に入ろうとしている。手術してから9日目、あれだけ腹をあちらこちらと切って縫ったのに、こうしていても痛みを感じないことの不思議さだ。再生する力。甦る力。それは生物としてのこの身体には、本来備わっている力だった。普段の生活では気づくことのないこの力は、艱難にあい、確かに感じられる力だった。

    それは、あるのに「ない力」だった。いざというときに、私と言う身体を生かすために、スイッチが入り、活性される力だった。必要でない時は、眠っているだけで、「ない力」ではなかった。

    痛みもそうだった。切腹しても普段と変わらない生活ができるのは、痛みのコントロールがうまくいったおかげさまだ。看護師さんにどうして痛みは鎮まるのかを聞いてみた。細胞には痛みを脳に感じさせる物質があり、その細胞が死滅する危機に会うと、細胞がその物質を神経に放出し、脳がそれをキャッチする。だから、その物質の働きを抑制する薬を入れることで痛みは緩和されるとのこと。

    同じ質問を医師にしてみた。それは、脳に痛みのサインを伝える神経があるので、麻酔薬によってピンポイントでその患部と繋がった神経の部分を麻痺させて、脳に痛みを感じさせないようにしているとのこと。

    私は、この話を聴きながら、再生のこともそうだが、身体そのものが身体として生き延びるための精巧で緻密なシステムが、生まれながらに私たちには備わっていることを知り、なおさら、生きている私という存在が不思議な摂理で生かされている存在であることを感じていた。

    私は、身体という自然に生きているのだ。自然は、私のこの身体なんだ。生きるためのシステムは、全ての生きるいのちたちには与えられている。それは、生物としては平等に恵まれた力だった。

    目には見えず、音には聴こえず、触ることすらできないが、その尊い力は、すべてのいのちには与えられたリアルな存在である。

    空即是色。なくても、それはここにある。だから、その身体を1つのブラネット。1つのネイチャーと考えて、自然環境と考えたら、何だか、生きるが見えてきた気がする。


    身体は、自然そのものだ。そして、それは、変化し、循環する。時には、危機にひんするが、痛みに耐えつつ、再生の希望は捨てない。高熱を出しながら、全智全力を使い、全ての細胞がもてる力を出しきって、その危機と闘っている。


    それは、人の意識や思いを超越した自然そのものの自由なる働きだった。すごいものだ。ここで、私があの一本の樹、一本の花、一本の草と同じになる。

    ああ、私は樹であり、花であり、草でもあるのだ。ならば、だれに生き方を問えばよいだろうか。答えは明らかだ。自然のことは、自然に聴こう。

    こんなに身近に自然はあるのだ。どうしてそれを忘れたまま私たちは生きられるのだろうか。

    腹の傷は、私とは関係なく自然なままに治癒していっている。」

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  • from: せみさん

    2016年07月22日 12時52分46秒

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    大部屋の生活にも慣れ始めた。慣れれとはそこでの自分なりの生活リズムができ、何もなくとも安心してそこで暮らせることかもしれない。

    同室の人に挨拶をして、少しの世間話をする。趣味の山の話をすることもあり、お互いの手術の話をすることもある。

    それでいて独りの時間は互いに干渉し合わない。本を読む。テレビを観る。手紙を書く。昼寝する。カーテンをオープンに開けながら、それはそれでそのたままだった。だから、どうでもないし、どうでもいい。

    Aさんの手術の話を聴いて驚いた。ある日突然の黄疸の症状がでて、皮膚が黄色くなり、全身が痒くなったそうだ。家庭の医学を調べたら、自分の身体が大変なことになっていると分かり、即、大病院へ。

    そしたら、肝臓の3分の2を摘出する必要がありこの病院に緊急入院したとのこと。65歳。退職してから五年間好きなことやらしてもらいましたと、東北を巡っての山旅の話を聴かせてくれた。

    6月に入院して、来週の27日に大手術だった。しかし、あまりにも期間があるので聞いてみたら、残される肝臓が小さいとその後の生活に支障があるから、その肝臓を今太らせているとのことだった。

    切り取る部分には栄養が行かないようにして、ピンボイントにそこだけ栄養が行くような処置をしたとのこと。医学の技術はたいしたものだった。

    ボトルをぶら下げていた。私もそうだったのでよく分かった。胆汁だった。「本当はこれ飲まねばなんねんですよね。二日間挑戦しましたが、さすがに無理でした。」と、彼は苦笑い。ところがもう一人の80歳位のBさんは彼と同じ手術を受けて、もう2ヶ月も入院している人だった。

    Bさんは、これから受ける手術をとても不安にし、恐れている彼に、何かと声をかけ、アドバイスしている人でもあった。

    「その胆汁を、Bさんは毎食飲んでいますからね」とのこと。そんな話を聞いて、Bさんは、笑っていたっけ。恐るべき2人の先輩だった。

    病室では、手術の回数、病気の重度、入院の回数、入院の日数等々、そこいら編でそれぞれの立ち位置は決まるようだ。江戸時代のドラマでよく観るあの世界と同じだな(笑)。

    この病室のもう一人いつもベッドに横になって静養中の70歳代だろうか、もの静かな好好爺のCさんは、病室二週間目だから、私の先輩格だった。

    一昨日から始まった大部屋生活、これまた楽しみな生活だった。それにしても、人生はいろいろなのだ?

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