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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2013年02月24日 07時52分36秒

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    稲よしラーメン

    昨日、次男と近くの稲よしラーメン店にラーメンを食べに行った。
    彼が私の誘いに応ずるとは思わなかった。
    なにせ、反抗期なのか、会話がないのだ。
    あれだけ幼い頃は、「おとうしゃん、おとうしゃん」と言っていたのにと悲しかった。

    カウンターで二人で並んでラーメンを食べた。
    進学について、彼に聞いてみた。
    大学に行くよとのこと。
    彼はてっきり専門学校に行くものと思っていのに、
    何だかその答えが嬉しいものに感じた。

    何よりもそんな話を私にしてくれたことが嬉しかったのだ。
    「そうか、そうするか。」
    私はとても応援したい気持ちになった。
    彼は、勉学が苦手だ。いや、嫌いなのだ。
    それだから、いろいろと苦労している高校生活である。
    彼は、そこそこでいいと思っているらしかった。

    親父としても、ろくな高校生活を送っていなかったので、
    彼には偉いことは言えなかった。
    私の高校時代については自慢できることは何もないのだった。
    やっぱり、私もそこそこで生きていた人だからだ。

    もっと彼と話しておけばよかったなぁと、少し後悔だった。
    彼は話したいことがあったのかもしれない。
    私の話を聞きたかったのかもしれない。
    しかし、私が何だか遠慮して、距離をおいていたのかなぁとも思った。

    しかし、話しながらひとつ感じたことがある。
    彼が少し大人になり、彼とは男と男で話せるのではないかということだった。
    稲よしのコーン味噌ラーメンに、新たな思い出が加味された。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月23日 06時09分08秒

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    天気のようなもの

    来週は3月になろうとしているのに、この大寒波と大雪のニュースだ。
    確かに、お天気ほどどうにもならないものはない。
    寒波の北からの到来を、誰も阻止することはできないからだ。
    自然とは、本来そういうもので、
    人の知恵や力では絶対にコントロールできないものだ。
    そのコントロールできない無力感とは、
    とても生きていく上で大切な感覚なのだと、年を重ねるとよく分かってきた。

    私は、何もできない人になっている。
    傍の人から見たら、きっとそう思われることだろう。
    まず、いつもいつも自然に任せている。
    まず、なるようにしかことはならないと思っている。
    だから、そこから臨機応変に始めようと思っている。

    冷たい北風が吹いたら、マフラーを首にまく。
    歩いて暖かくなったら、ニットの帽子をとる。
    雪が深かったら、長靴を履き、大雪ならば外には出ない。
    天気の状況にただ従い、ありのままで生きていく。

    人は、私ではないのだから、
    やっぱり自然現象と同じように対処する。
    人の心や想いは変えることはできないのである。
    ならば、いつもいつも相手の心の自然に任すことである。
    そして、なるようにしかならないと諦めることである。
    後は、目の前の事象に即して、誠実に臨機応変に対応するだけである。

    語ることは、語ろうとは思う。
    そうしてもらいたいとは、一応は話す。
    ただ、受け入れられず、ダメなら、それはそれでいいのである。
    「分かりました」として、私は引き下がる。
    だから、何もしていないようには見えるはずだ。

    しかし、これも私が過度なストレスをためないための生き方の一つなのだ。
    プライドはいらないのだ。
    居ても居なくてもいい人が、些細なことで腹を立てることはないのである。
    まず、譲ろう。
    まず、諦めよう。
    そして、明らめて、次の一手を着実に、果敢に打とう。
    お天気に物申している暇があったら、
    すっかりそんな未練を断ち切って、次の段階に移った方が賢明だった。

    確かに無力感はある。
    しかし、その無力感の中で我を譲った時、
    本来の力がどこからか自然にやってくるようなのである。
    任せていると、何だか自然に物事が動き出すのだ。
    それは、この天気のようなものだった。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月22日 06時19分32秒

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    「勇気」だったのだ

    北海道や青森で大雪のニュースが続いている。
    新潟県でも緊急の大雪対策が県から発令されたらしい。
    山間部の積雪は並大抵ではないようだ。
    雪国の苦労は、雪国の人しか知らない苦労だ。

    さて、人は、自分で決意し、実行したことで、
    心や想いが変わるものだ。
    人から言われたからとか、人に指示、命令されたからとか、
    そうした外からの力が加わったとしても、
    人の心や想いは変わらないものだ。

    そうしてもらいたいという願いはちゃんと伝える。
    そうできるための支援は十分に行う。
    できるように道はつけておく。
    しかし、その道を歩き出すのは、やっぱり本人なのである。

    その決意までには、とてもとても長い時間が必要なのかもしれない。
    いくら周りの人が大丈夫と言って励ましたとしても、
    その一歩を踏み出すのは本人なのだ。
    その一歩をどれだけの緊張感と不安感で恐れすら感じていたりする。
    その気持ちは、傍からは察しられないものもある。

    何でこんな簡単なことなのに。
    どうしてそんなことで迷っているのか。
    それは、その人の立場に立った心や想いでは決してなかった。
    その人は、その人だからこそ、迷い、苦しみ、決意できずに悩んでいるのだ。
    そして、その一歩を踏み出すには、
    私たちが測り知ることのできない「勇気」が必要なのだ。

    昨日、その「勇気」を見た。
    感動で、涙が流れた。心がとても熱くなった。
    必要なのは「勇気」だったのだ。

    その一人一人の魂に存在している「勇気」を信じて、
    その「勇気」に任せて、一歩を踏み出すことが、
    生きるということなのだと私は思った。

    「勇気」があれば、人生を生き抜けるのである。
    「勇気」だったのだ。
    私は、改めてこの「勇気」の偉大な力を見ることができた。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月21日 06時04分22秒

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    もうひとりの大いなる私を

    昨日、ある保険屋さんが訪ねてきた。
    話を進めるうちに、どういうわけかつ「辛い時の抜け出し方?」の話になった。

    私は、感情をぶらさないという話をした。
    日々のいろいろな場面で感情的になり、
    胃をぎゅと締め付けたり、頭にカッと血を昇らせたりしない生活である。
    どんな状況にあろうとも、心と感情をフラットにして、
    平常心を保つことである。

    しかし、現実にはとてもとても難しいことだが、
    私は、何とかこの感情的にならないということができるようになったのだ。
    本当はまったくま逆の、短気で、怒りっぽく、すぐにイライラする男だった。
    そんな私が改良できたのは、日々の仕事のおかげだった。

    まず、相手の感情をモロに受けずに、スルーすることだった。
    聴き流す。受け流す。さらりとかわす。
    そのためには、自分をたいしたものだとは思わないことである。
    変にプライドがあり、立場意識があるから、
    嫌なことを言われたり、馬鹿にされたり、怒鳴られたりすると腹が立つのだ。
    そうではなく、居ても居なくてもいい人なのだから、
    何を言われても別にどうということはないのだ。

    次に、私自身がコントロールできないことは、諦めることである。
    彼がパニックになり、彼が爆発し、彼が感情を激しているのは、
    彼自身が止められないことなのだから、私にコントロールすることは無理なのだ。
    だから、私にコントロールできないものについては、
    私が悩むことも、辛く思うこともないのである。
    ただし、しっかりと事実として受け止めることである。

    こう書きながら気づいたのだが、
    それは、私を見下ろす「もうひとりの大きな私」になるということのようである。

    この人に言っても仕方ない。
    本当にこんな人間も生きているのだなぁ。
    そんな人とかかわらねばならないのがこの世の中でもある。
    そのことで悩み、胃が痛くなったとしても、何の意味も存在しないのだ。
    その人は、悲しいかな変わらないのであるから、
    そんなことで悩む自分の馬鹿らしさを知り、諦めることである。
    ここでも、どんな嫌な思いになっても、感情を入れないことなのだ。

    だから、今だけに生きる。
    ついさっきまでのことはもう帰らぬ時間であるから忘れてしまう。
    これから先のことは、まだ来ない時間だから考えない。
    ただ今、この目の前の即今だけに臨機応変に対応する。
    そんな生き方でいいのではないかとも思えるようになった。

    本当に辛いことの山積みの日々である。
    その「もうひとりの大いなる私」観をもつことで、
    自分を捨てて、無にする生き方に徹したいものだと弱虫の私は今日も思う。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月20日 06時27分06秒

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    人に会おう

    二日続きで夜の会だった。
    飲み会ではなく、二日ともに真面目な勉強会である。

    月曜日は、久々の東区市民劇団だった。
    本当に何ヶ月ぶりなので、まるで浦島太郎のような心境だった。
    しかし、仲間とは不思議なもので、すっとその場の空気に溶け込める。
    私が大ファンである、Sさんの大人のための舞台講座だった。
    舞台の用語をそのイロハから学ぶ会だった。
    言葉には訳といわれあり。
    日本語の奥深さと、伝統を学ぶ会となった。
    それにしても、講師が素敵だと何でこんなに幸せ全開になるのであろうか。

    昨日は男だけの少人数の会だった。
    似たものが集まると、本当に話題が尽きないものである。
    一年ぶりぐらいの再会でもあるので、
    積もる話ばかりなのだ。
    それにしても好奇心旺盛な中年男たちは面白いと改めて思った。

    帰ると10時近くになっている。
    それからのお風呂に夕食だった。
    寝坊するのは当たり前。
    今も頭がぼーーーーっとしている。

    学ぶことは、人に会うことなのだ。
    そして、その人の語りを聴くことなのだ。
    そして、その人に自分の疑問を問うことなのだ。
    そんな関係性の中で学ばれたことは、心に残り、
    新たな気づきとなっている。

    本だけではやっぱり自分は変わらないなぁと、
    この二日間の濃い学びを通して学ぶことができた。
    「人に会おう。語り合おう。学び合おう」です。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月19日 06時38分08秒

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    人生とは、物語である

    どうしたことなのだろう。
    昨日からまたこのアドレスで接続することが可能になった。
    やっぱり世の中何が起こるか分からないのだ。
    本日、目覚ましをかけそこなって、寝坊もしてしまった。

    さて、土曜日に「途中の会」山の下編があった。
    我が師匠のSさんと我が友Wさんが、
    山の下の名割烹店「よしはら」に集ってくれたのだ。
    小千谷と柏崎の二人がである。

    話とは何か。
    それは、人生で出会ったことは全て「必然」ではないかと言うことと、
    その人生を振り返ることで「物語」は必ずできると言うことだった。

    Wさんが総合学習で行ってきた実践の素晴らしさには、いもいつも感動だった。
    山の小学校の自然豊かな地域の中に存在し、
    そこで「在る」ことを自然に感じさせている人やモノに出会い、
    それを通して子どもたちの心を育ててきた実践だった。

    しかし、それを実践してきた彼自身に、
    その数々の実践を貫き、
    これがやりたかったのだという強い想いや願いが感じられなかった。
    それが残念だったという提言なのだ。

    しかし、よくよく考えたら、Wさんがこの地に赴任しなかったら、
    そこで風化し、消え去り、存在すら忘れられてしまう物語でもあるのだった。
    つまり、彼自身は全く意識していなくても、
    彼は、その石仏に呼ばれ、その石仏を守り続けてきたYさんという老人に呼ばれ、
    この山紫水明の山の地域の魂に呼ばれてそこに居たのだということだった。

    つまり、人とは、どんな場所でどのように生きていたとしても、
    それを人は、「宿命」とか、「運命」と感じないで生きていたとしても、
    あらゆることは、その人がその人しか書かれない物語を書き残すために、
    やっぱりこの世に生を受けているのだととうことの気づきなのだった。

    Wさんは、岩沢の魂に呼ばれ、その声を聴き、それを物語として紡いで来た。
    私は、私として、この人生を振り返り、肯き、この物語を紡いでいる。
    Sさんは、振り返ることでねいつもいつも新たなる人生の物語を紡いでいる。

    生きるとは、「己だけの物語」をこの世に残すことではないのだろうか。

    そして、その物語を次の時代の人たちにそっと読み取ってもらい、
    受け継いでもらうことなのではないだろうか。
    「人生は、舞台である」という言葉も残されている。
    そうした意味で、もっともっと内なる声だけに耳をすませて、
    その声に聞き従って生きる「自由」を人は生きる道として選択するべきなのだと私は思う。

    願わくば、自分だけのオリジナルな物語を残したいものである。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月16日 07時36分41秒

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    接続できなくなりました

    いやはやどうなってしまったのか。
    この親父たちよに接続できなくなってしまった。
    これはどういうことなのだと思ったら、
    ここにやっぱり存在していた。
    9年間のこの記録がすっとんだのかと慌ててしまったが。
    どういうことなのか分からない。
    教えてください。お願いします。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月15日 06時14分19秒

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    クールに生き抜く

    平常心をいかに保つかが肝心だった。
    本当に何が起こるか分からない現場だった。
    そのことに対して、感情を乱したり、動揺したり、悩んだりはしないことだった。
    あるがままにあるがままを受け入れる。
    今できることは、いまだけ対処する。

    自分のことを攻めるのではなく、
    自分を客観的に置いて、いかにすべきかを淡々と考える。
    そんな対応で生き抜くしか道はないようなのだ。

    ストレスが一番心の健康にはよくないことは分かっている。
    世の中は実はストレスがいっぱいなのだ。
    まずは、そのストレスには近づかない、かかわらないことである。
    また、それを過度に受け止め、そのことで悩まないことである。
    そして、出会ってしまったストレスを「まぁいいか」と忘れることである。

    本当に私にはどうにもならないことが、私にとってのストレスである。
    そのどうにもコントロールできないことを、私がくよくよ悩むからおかしくなるのだ。
    私には、この雪をやますことはできないし、
    この風の向きを変えることもできないのだ。
    できないのに悩んでいたら、それはやっぱり滑稽ではないだろうか。

    「バンズ・ラビリンス」というファンタジーを昨夜は観た。
    あの残酷非道な政府軍の大尉は、何が起ころうと変わらないのだ。
    だから、私が変わらなければならぬのだ。

    平常心を乱した時、それは私が負けた時だった。
    クールにいること。
    それはこの世の中を生き抜くためには、大切な技であることを日々感じている。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月14日 06時19分57秒

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    どん底だった

    大変辛い日々だった。
    詳細は書かないが、まさに「どん底」だった。
    なんと血圧が166まで上がっていた。
    人間の身体とは、実に正直なものである。
    老いというものを、身をもって感じている。

    55歳になっても、まだこの程度なのか。と、自分を思う。
    大人として熟してもいい年代なのに、迷いの真っ只中にいる。
    どうしてよいのやら途方に暮れたりしている。
    情けない自分だった。

    やっぱり幾つになっても日々生きることは戦いなのだ。
    いや、戦いと思うから気力が萎え、疲れ果ててしまうのだ。
    日々生きることは、当たり前のことなのだ。
    だから、ただただその場でどう対処するか、
    臨機応変に考え、決断し、実行し、忘れるという繰り返しでいいのだと思う。

    今在るものしか、今は無い。
    だから、余計なことを思い煩わず、
    淡々と粛々とのんのんとあるがままに生きるしかないのだ。
    苦悶の中で独りもんもんと転げまわっていても、何一つ前には進まない。
    さっきまでの人生を忘れ、ついこれからの人生を想わず、
    「今だけを生きる」

    これが55歳になって気づいた精神の健康法であるのかもしれない。
    後はこの健康法が日常の習慣になるための修行あるのみなのだ。

    血圧166は、レッドゾーンで、いつ何が起こっても不思議ではない状況だ。
    それは、この身体の突然死か障害の予告でもあった。
    悶々として苦悩することは、精神のレッドゾーンである。
    それは私の平常心を破壊し、辛く不安定な日々に私を陥れる。
    血圧も過度な自己否定も、やっぱり病なのである。

    せめて精神的な病からは、抜け出したいと願っている。
    愚かでいいのだ。
    居ても居なくてもいいのだ。
    それに徹することこそ、55歳の大人の生き方なのだと思いたい。

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  • from: クマさんさん

    2013年02月11日 10時00分15秒

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    何もしないで、たそがれる

    何もしない休日の三日目だ。
    やっぱり何かをしなくては、どこかへ出かけなくてはと思う気持ちもある。
    昨日は、食の陣の当日座でった。
    いつもならばテントの中で日本酒でごっつぉうを食べている。
    しかし、連れがいない寂しさで、一人酒は・・・と遠慮した。
    こうして何もしないで終わると、後悔の連休なのだ。

    しかし、それはそれでいいことにしている。
    何もしないということも、大切なことではないだろうか。
    何もしないことの幸福感。
    そんな「たそがれる」ことの達人にこれからはなってみたいものだ。
    「めがね」という映画でその生き方を学んだ。
    「あくせくしない」「それでいい」「ぼんやりと生きる」
    そこに魂が落ち着けたら、それはそれでいいのだと私は思う。

    私は私とて生きている。
    最近は特に生きづらさを感じている。
    うまくないなぁ。やっぱり余計な者として見られているのかなぁ。
    年をとって、世の中の片隅に生きているとは、こういうことだったのか。
    その人の立場に立ってみて、やっとその痛みが分かるものだ。

    「人生は、今回限りではない。人生は、終わりではない。」
    「これである。この認識の厳しさこそが、善く苦しむための力なのだ。」
    「善く苦しむことのできる私は幸福である。」
    半日、わけのわからぬ池田さんの「残酷人生論」を読んでいた。
    本当に理解に苦しみ、とうてい私には及びもつかないのだけれど、
    池田さんの語りを聞いていると安心するし、時の経つのも忘れてしまうのだ。

    「幸福とは物ではなく心である。」
    「幸福は外ではなく内である。」
    「幸福とは善い魂のことである。」
    「善くなるために努力している魂も、幸福である。」

    つまり、南の小さな島の砂浜で、季節外れのかき氷屋さんを黙って開いている。
    それだけでも、何もしていないように見えていても、
    やっぱりその生き方そのものが幸福なのだ。

    「必然を必然と認識するから、それに従うことで人は自由なのだ。
    必然を必然と認識しないから、それを拒むことで人は不自由なのだ。」

    「人はいかにして自身の宿命を認識すべきか。
     宿命は魂にあるのだから、「己が魂」を、まずよく認識することである。」

    「善く苦しむことのできる私は幸福である。」
    「絶対自由とは、別名絶対受容ということになる。」

    どんなに読み返して、精神で咀嚼して、インプットしようとも、
    分からないようだとも感じつつも、これだと思う言葉ばかりだった。
    まず、一人一人違うことに落ち着こうと思っている。
    そして、「魂の私」の呼びかけには素直に感応しようとも思っている。
    これから先の生き方とは、私自身が考えて、歩んで行くしか道はないのだ。
    いやでも生き抜いていかねばならないのである。
    ならば、やっぱり「私」を絶対受容し、
    「私」と一になって無心になってあるければそれでいいのだ。

    何もしないで、たそがれる。
    そこに生きることの幸福感を感じて生きる。
    それはそれで「私」らしい生き方なのではないかと、言葉と出会って少しは分かった。






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