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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2010年09月30日 08時30分36秒

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    驚異的な回復力

    驚異的な回復力だ。
    医師も看護師も母の回復力と頑張りに驚いていた。
    手術翌日の人とは思われないくらいしっかりしていた。

    朝、父と叔母と病室を訪ねると、
    すでに酸素マスクは外され、清清とした顔だった。
    「大丈夫」と聞くと、
    しっかりとした声で返事が返って来た。
    昨夜熱が38度まで出たそうだが、手術後によくあることなのだそうだ。
    「信じられないよ・・・。」と母は笑っていた。
    それは、手術の最中の記憶がなく、術後も痛みを全く感じないためだった。

    どんなにか切なく、苦しいことだろうと、母は予想していた。
    手術を待つ一カ月間、母は夜、枕を涙で濡らし、
    憔悴し、緊張した日々を送っていた。
    先週、いよいよ入院が近くなると、急に口数が少なくなり、
    夜は早く休むようになった。
    食欲も少なくなった。
    その心の重荷を少しでも軽くしてやることは、家族にもできないことなのだ。
    本人が直面する手術への恐れと不安だった。

    だから、尚更今の痛みのない体が嬉しいのだ。
    母は、何を想い、何を感じて、病室のベットの上に居るだろうか。
    点滴の栄養のおかげで、少し顔色もよくなり、肥った感じがした。
    加湿器に向かって口を開けて、深呼吸の練習をしている。
    肺炎の予防だそうだ。
    母は、真面目だから、言われたことを真剣にこなそうとする。
    「はーっ、はーっ。」
    「そんなに一生懸命しなくていいんだよ。」と私が言っても、
    母は、きかない。
    とにかく、治りたい。生きたい。その一心なのだ。

    昨晩も二人の叔母が泊まってくれた。
    「こんな時だから・・・。」と、日頃お世話になっている恩返しだと、
    気を遣わせることなく、率先して泊まってくれた。
    孤独な病人が多い中で、母はとても幸せな病人だった。
    お見舞いの人は、術後間もないのでお断りをしている。
    親戚や友達から電話がかかり、様態を聞かれる。
    こんなにもたくさんの人たちに心配されている母は、
    こんなにもたくさんの人のお世話をした人なのだろう。

    職場にはご迷惑をかけたが、
    本日も介護休暇をもらった。
    病室に居るだけの親孝行だ。

    「先のことは、誰にも分からない。」
    母のことを見ていると、その言葉の真実味がよく分かる。
    「余計な心配はしないこと。」なのだ。
    「人は、なるようになる。」
    そして、やっぱり「人には、よくしてやること。」だった。
    母の生き方から、学んだことだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年09月29日 05時52分40秒

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    長い一日

    午前10時、父と叔母二人を連れて病院へ行くと、
    すでに二人の叔母が来ていた。
    母は、覚悟を決めたようだった。
    しかし、緊張と不安はなかなか消えるものではないはずだ。
    昨夜は睡眠薬のおかげで、ぐっすりと眠れたとのこと。

    刻々と手術の時刻が迫って来た。
    Kさんが来て、これで母の姉妹5名が勢ぞろいした。
    平均年齢78歳ぐらいだろうか。
    父は、黙って叔母たちの世間話を聴いていた。
    父は、この数日の病院通いが何よりものリハビリとなったようで、
    歩き方がしっかりしていると、叔母たちに褒められていた。
    一人になった父にとっては、母の存在の大きさを感じた数日でもあったはずだ。

    まず、麻酔担当の医師から、麻酔についての説明があった。
    次に、手術担当の看護師さんから、手術についての説明があった。
    この手術の段取りや、どのような処置がされるかという具体的な説明は、
    患者や家族にとっては、とても安心する話だった。
    笑顔で接してもらえることが、母にとっては何よりのことだった。
    「お願いします。」「ありがとうございます。」
    ベットの上の母は、すっかり痩せて、しわが増え、
    85歳の母だった。

    心配で駆けつけた家族と親戚は、総勢8名だった。
    手術前の着替えを終えて、手術室へ運ばれる時、
    全員で手術室前までお見送りだった。
    「ご一行様」と看護師さんから、笑いを採っていた。
    「がんばってね。」との呼び掛けに、母は笑顔で手を振った。
    午後12時45分だった。

    病院が用意してくれた家族控室で、ご一行様は手術が終了することを待った。
    親戚で顔を合わしたのは、先日のFさんの通夜から久しぶりだった。
    3人の叔母は、旦那さんを癌で亡くした叔母だった。
    それぞれが先々のことに不安を抱えていた。
    従姉妹の話や、孫の話、病気の話、親戚の話。
    不思議なものでこんな時、話題は次々と生まれて来るのだ。
    3時50分。看護師さんが呼びに来た。
    父と私は看護師さんの後について行きながら、
    怖くて手術の結果は聴けなかった。

    S先生が、爽やかな笑顔で迎えてくれた。
    銀色のバットの上に切り取った母の胃を広げて見せた。
    ウインナーぐらいのしこりがあったので驚いたら、
    それはリンパの腫れだった。
    「リンパがこんなに腫れていました。珍しいケースです。」
    癌は思ったより小さく二つ疣のように張り付いていた。
    「全て採りました。見た目では何も異常はありませんでした。」
    その医師の報告に涙が流れた。

    叔母たちにそのことを報告すると、
    「ホントらんけ、ホントのことを言うんよ。」と、私の目をみんながじっと見つめた。
    「大丈夫らと。成功だったと。」と言うと、
    みんな安堵して、腰を下ろした。
    「よかったね。よかったね。」
    この一カ月以上張りつめていたものが、どっと崩れた気がした。

    何よりもの救いは、術後の母の経過が良好なことだ。
    驚くべきことに、痛みは全く感じないのだ。
    母は、大手術を終え、痛みも手術の記憶すらもない現実にホッとし、喜んでいた。
    「後は、体力と生きようとする力です。」
    母は、看護師さんが驚くほど、
    「生きようとする力」と「我慢する力」とを発揮した。

    午後9時、消灯なので泊まりの叔母二人に頼んで、私は帰宅した。
    母と家族、叔母たちにとっての長い長い一日は、笑顔で終わった。
    そして、血が繋がっていることのありがたさをひしひしと感じた。

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  • from: クマさんさん

    2010年09月28日 05時40分59秒

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    そのことを忘れずに

    さて、雨になった。
    夜中の寒さから、毛布を引っ張り出して寝た。
    あの猛暑は、いったいどこへ去ってしまったのだろう。
    ひと雨ごとに秋が近づき、深まって行く。
    季節は移ろい、たんたんと過ぎ去って行く。
    その流れの中に人もいる。

    母の手術が、本日午後に行われる。
    昨夜は、医師からよく眠れるようにと、睡眠薬を渡されたそうだ。
    麻酔は効いていても、ある意味腹切りだ。
    そして、胃の3分の2をとってしまう。
    切られた先同士をつなぎ、手術は終了する。
    そんな大手術に85歳の母は挑戦する。

    医師への信頼。
    今はただ祈るだけである。
    担当のS先生は、温厚で誠実で名医としての評判のある医師である。
    何度かお会いして、説明を受けたが、
    その度に、心に温かなものを残してくれた。
    母のことを心から気遣い、日に三度も病室に来て声をかけてくれる。
    「医は、仁術」であり、やはり「医は、人」なのだ。
    人としての信頼感が、患者とその家族とを安心させてくれる。
    「先生なら大丈夫だ。」
    母は、そんな境地でこの数日病室で過ごした。

    午後1時から手術は始まる。
    午後4時には終了し、医師からの説明があると言う。
    その間、何が起こるか分からないので、家族は病院の控室で詰めている。
    万が一のことは、想定内の出来事なのだ。
    無事に手術が終わり、全ての患部が摘出されることを祈るだけだ。

    台所から、母の姿が消えた。
    父は、話し相手のいない一日を送り始めている。
    「行ってきます」と言っても、「ただ今」と言っても、
    母からの返事は聴けない。
    例えば、母の病気を知ることのない7月下旬の猛暑に戻ったら、
    その日常は、ごくごく当たり前の平凡な日々だった。
    誰も母の癌を疑わず、それなりに楽しく、それなりに平穏な日々を送っていた。
    しかし、今ではそんな当たり前の日常は夢物語なのだ。

    「今が旬だ。今に感謝し、今を味わう。」
    突然だが、そんな言葉が頭に浮かんだ。
    夕食の後で、母が買って置いた巨峯の房を冷蔵庫から取り出し、
    一粒一粒食べている。
    この甘み、このうま味は、今だけのものである。
    その出会いに感謝しつつ、その味を味わい、幸せな気分になる。
    そんな気持ちで日々生きていたら、
    不満や、愚かな怒りや、余計な失望を味わわずに生きられるはずだろう。

    季節は移ろい、たんたんと過ぎ去って行く。
    そのことを忘れずに、今日だけは生きたいものだ。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年09月27日 05時38分42秒

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    手術前日

    昨日病院へ父を連れて行った。
    父は足腰が少しずつ弱っているようで、
    ステップワゴンに乗るのに台が必要になった。
    母に会いたい一心で病院に行く。

    ちょうど昼食の時刻だったので、
    父には小さなまぜご飯のお握りを二つ妻に握ってもらった。
    ポットにお茶も入れ、ブドウもタッパに入れた。
    「何、物見遊山のつもりでいるんだ。」と父に怒られた。
    四人部屋にたった一人だった病室に、
    夜中に御婆ちゃんが一人運び込まれていた。
    母は、小さな茶碗のご飯を食べ、
    父は、イヤホーンを付けてNHKの「のど自慢」を聴いていた。
    夫婦ってこんなものなのだ。
    母は、せっせと父の世話をやき、話しかけている。
    父は、黙って音のないテレビを観ている。

    病院へ行くと、健康のありがたさを痛感する。
    車椅子の人。ベットで寝た切りの人。意識があるのかどうか定かでない人。
    廊下から各病室がよく見える。
    そこにはさまざまな人生が存在していた。
    このK病院は畑と飛行場の中間にある。
    周りには高い建物が一つもないロケーションだ。
    昨日は晴天だったので、弥彦山から二王子岳までよく見えた。
    実は、4年前の4月にこの病院に一週間だけ入院したことがあるのだ。
    その時、慰められ、癒されたのは、この病院からの景色だった。
    今朝、雨が降って曇って暗い。
    母は、もう起きただろうか。

    明日が手術だ。
    そこから、母の人生ががらっと変わる。
    何が起こるか分からない。そんな覚悟を家族も求められる。
    もしものことは、いつも想定内なのだ。
    医師は、そのことを詳しく家族に対して説明してくれた。
    数日は、母も家族も辛い日々が続くはずだ。
    私は、介護休暇をもらった。
    病院の病室で母と共に居て、またこの景色を眺めていたい。

    手術前日、今日一日を母はどんな気持ちで過ごすことだろう。
    この景色を観て、少しでも癒されることを願っている。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年09月26日 20時49分22秒

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    yuccaさんから生まれたこの縁

    yuccaさんと出会って1年たった。
    たった1年間なのかと、
    改めて想うほどこの1年間は私にとっては濃いものだった。
    昨年の10月に「古町どんどん」のストリートで、yuccaさんの「魔笛」聴いた。
    衝撃だった。一瞬にして魂を奪われた。この人は誰。
    オペラが街角に降りて来た。
    その歌姿と歌声の美しさと迫力とに魅了されて、声を失った。
    クラッシックを聴き続けて30年以上たった。
    この歌は、私が聴いたどんな歌より、本物だった。
    日本にいたんだ。こんなに素敵なコロラトゥラソプラノの歌手が。
    感動で夢心地のまま、次のステージを追っかけた。
    そこに、長者様が居た。

    昨日、県民会館でわらび座の「アトム」を観た。
    長者様はこのわらび座で修業し、「明和義人」の代官役を務めた役者だった。
    前回の「火の鳥」に感動し、今回もチケットをお願いした。
    前列2列目。1列目は熱狂的なファンの某幼稚園の先生方だった。
    とにかく迫力満点のミュージカルだった。
    余りの感動に感涙のるつぼである。
    この長者様とわらび座との出会いも、yuccaさんのおかげだった。

    この劇の帰り、朱鷺メッセの県人会へ行こうと、
    長者様と昭和大橋を渡り、やすらぎ堤を歩いて行った。
    本日25キロを走ってぼろぼろだと話すと、
    何と彼も新潟マラソンの常連だったのである。
    あれもこれもこんなに同じ方向を観ている男も少ないものだとお互いに笑ってしまった。
    ところが、彼が一つの約束を思い出した。
    「Kさんに、写真届ける約束忘れていました。」
    何とそれから、萬代橋を渡って古町の市民活動センターに歩いて行ったのだ。

    センターでは、yuccaファンクラブの重鎮Hさんが居た。
    ちょうどエージェントKさんと、巨頭会議の真っ最中だった。
    飛んで火に入る何とやらである。
    「いかにyuccaさんを全国区にブレークさせるか。」
    それから白熱した話し合いが続いた。
    そして、長者様と二人で生ビールを飲みに行った。
    彼は、例の幼稚園の元ギャルたちの飲み会に参戦するつもりだった。
    私は、ちょい飲みで彼と古町で別れた。

    こんな一日もyuccaさんとの出会いがあったればのことである。
    音楽だけでなく、私の人生をいろいろな面で豊かにしてくれたyuccaさんには感謝している。
    本人はまったく知らないことであるが・・・。
    さて、今年の「古町どんどん」二日間彼女のステージがある。
    9日はH中で「王瀬の長者」の公演がある。
    10日は新潟マラソン当日で私はぼろきれのようになっているはず。
    でも、でも、yuccaさんには会いに行く。

    そして、たった今私はこの目で見たのだ。
    龍馬伝の龍馬紀行のスキャットの後、ボーカルyuccaの文字を。
    yuccaさんとうとうやったね。感動です。涙、涙、涙。
    一年前、あの古町のストリートで出会った貴方が、
    この龍馬伝のボーカルを担当している。

    ぜひ当日のステージは、満員の聴衆で埋め尽くしたいものだ。
    ブラボー・ブラザーズも参上するのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年09月25日 22時01分21秒

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    本日25キロ走ったぞ

    これはやっぱり業である。
    涼しくなったことは私にとっては幸いだ。
    6時半に我が家を出て県庁を目指した。
    20キロに耐えられる足を作らねばならないのだ。
    そのためには、ただ只管LSDである。

    山の下から県庁までの距離だけでもたいしたものだが、
    今回は県庁を通り越して、3キロの折り返しがある。
    そして、平成大橋を登りつめると、目的地の第一高校だ。
    不思議なもので、10キロを走っている時は、
    10キロがとてつもなく長いものに感じられたが、
    今は、10キロは目標の4分の1の距離でしか過ぎないのだ。
    ここまで1時間5分の道のりだった。

    この業は、どこまで私自身を追い込めばよいのであろうか。
    ここから関屋分水のタコ公園を目指すと言う。
    よくやるよと思いつつも、やっぱり走っている自分がそこにいる。
    少々腹の調子が悪かったので、タコ公園のトイレを目指した。
    ゆっくりゆっくり走りながら、タコ公園に到着した。
    人間、何とかなるものだといつも思っている。

    ここで用を足して給水をした。
    タワーまでの6キロが次なる私の課題であった。
    あの舟栄中の坂を乗り越え、日和山の展望台を何とか目指す。
    そればかりが頭にあった。
    内転筋と股関節の痛みが続く。
    「ああ、何てことを決めてしまったのか。」
    その後悔で走っているようなものだ。

    トンネルにたどり着いたら、足が動かせなくなってしまった。
    どうしても9時までに家にたどり着かねばならなかった。
    母の手術前の話を医師とする約束があったからだ。
    しかし、一旦歩くと筋肉が固まるのか、次に走り出すと痛いこと痛いこと。
    こんなに自分を痛めつけているのには、わけがある。
    それは、この苦しみに少しでも勝てたら、
    母が少しでも頑張れるような気がするからだった。

    私の辛さと、母の病とは全く無関係でありながら、
    何とか歯を食いしばって走っているのは、
    母のためのような気がするのだ。
    「負けない。」「走るぞ。」「痛みに耐えるぞ。」
    馬鹿な息子は、ここぞとばかりに自分をいじめる。
    それは、母への応援でもあるのだと思っている。
    それにしても、この77キロの体には壮大で無謀な目標であったと、
    走った後にいつもいつもいつも想っている。

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  • from: クマさんさん

    2010年09月24日 06時10分41秒

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    本日入院

    今日から母が入院する。
    昨日は福島潟の潟の文化祭へ行き、菱を大量に仕入れて来た。
    もう採る人も少なく、市場にも出ないそうだ。
    ビューでMさんと会って話をした。
    劇のことをお願いした。
    すると、ホタルのためのビオトープを造ったことを教えてもらう。
    いつもいつも少年のように夢をみている人だった。

    帰りに藤見中の体育館に寄り、「王瀬の長者」の練習を観て来た。
    役者さんたちに気合と緊張感があり、
    いよいよ始まると言う感じがした。

    そして、我が家で菱を披露すると、母がとても喜んでくれた。
    潟の人がくれたドンバスにも感動し、
    子どもの頃を思い出すと言いながら、
    ドングリのような形のドンバスの実を生で食べていた。
    これがなかなか甘くてうまいのだ。

    夕方、10キロ走った。
    やっと雨があがったからだ。
    そして、「よしはら」に釜飯を食べに行った。
    父が本当に久しぶりに外に出た。
    次男も恥ずかしいのだろうが、母のためについてきてくれた。
    行ったらすぐに釜飯ができていたので、父が驚いていた。
    この釜飯の味も大切な思い出となった。

    父は、日本酒を飲み、酔ってしまった。
    帰る時、車の床に倒れてしまったのには驚いた。
    父が一番寂しさを感じているはずだった。
    我が家に着くと、父を座敷の布団まで連れて行き、靴下を脱がせた。
    眠くなった父は、黙って布団に転がった。

    さて、もう今日からは、私が「ただいま」と言っても、
    「おかえりなさい」と言ってくれる人がいないのだ。
    母は入院の前日、菱を食べ、ドンバスの種を食べ、よしはらの釜飯を食べた。
    「体重が2キロ増えたよ」と笑っていた。

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  • from: クマさんさん

    2010年09月23日 08時23分20秒

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    何も出来ない

    明日から母が入院する。
    こうして家族6人で生活することは、しばらくかなわない。
    今朝の日報の読者投稿欄に、
    75歳の兄を肝臓癌で亡くした人からの投稿があった。
    今年になってから急に痩せたことに気付き検査したら末期だった。
    そして、夏を迎えることなくこの世を去った。
    そんな話が、人事には思われない。

    あれだけ元気だった母は、今朝は起きては来なかった。
    とにかく痩せて、別人のようなのだ。
    服もサイズが大きすぎて困っていると言っていた。
    明日の入院には、叔母たちが一緒に行ってくれる。
    身の回りのこまごまとしたものまで叔母が用意してくれた。
    その心遣いに母は涙していた。

    私は、私なりに覚悟をしなければならない。
    医師は転移はないと言っていても、手術をしてみなければ分からないからだ。
    また、元の生活に戻ることは難しいとも感じている。
    このまま弱って行ったら、いずれ寝たきりとなるだろうからだ。
    元気だったころの母をやけに思い出す。
    孫たちと笑顔で遊ぶ母の顔だ。
    本当に自分のことを忘れて孫を可愛がってくれた。

    市場に行って、両手に野菜や果物がいっぱい入った袋を持って歩いていた母。
    手術後には、どんな生活が待っていることだろう。
    とにかく無事に何事もなく手術を終えることだけを祈っている。
    何だかもっといろいろとやってあげればよかったなぁと思う。
    昨日帰りの車の中で、FMを聴いていたら、
    ある女性歌手が、御婆ちゃんのことを歌った歌が流れていた。
    「便所掃除をすると気立ての優しい嫁になる」
    可愛がってもらった御婆ちゃんへの歌だった。
    物語のように歌われたその歌は、
    そうして亡くなった御婆ちゃんへの感謝の言葉で終わっていた。
    運転しながら泣けて泣けて仕方なかった。

    何も出来ない。
    そうなんだ。
    何も出来ないんだなぁ。

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  • from: クマさんさん

    2010年09月22日 06時45分32秒

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    我が家の老人問題

    朝、暗くて目が覚めなかった。
    何よりも夜中に何度も目覚めてしまう。
    軽い睡眠障害だ。
    これがいけない。
    とにかく熟睡していないために、脳が休まらないからだ。
    日中思考力が落ちるだけでなく、自信も失われる。
    ちょっとしたトラブルに動揺してしまう。
    とにかくぐっすりと眠ることである。

    母は、夕食にニラの卵とじを作っていてくれた。
    妻が帰って来るのが7時前になるからだ。
    いつも何か一品が食卓にある。
    私は昨日久しぶりに鎌倉肉屋さんのコロッケとメンチを買って来た。
    揚げたてのコロッケを母はとても喜んでくれた。
    そして、私たちが夕食を食べる頃、母は寝ている。
    寝るのがとても早くなった。
    いつもならば父とテレビを観ながらお茶を飲んでいるのだ。
    父が独りで寂しそうなので、
    私が時々夕刊を読みながら父に付き合う。

    母が病院に入院している一カ月間、
    どのように一日を生活するか、
    父にとっても私たちにとっても大きな課題だ。
    お年寄りが居るということは、放ってはおけないということだ。
    特に体を思うように動かせず、動こうとする意欲が乏しいお年寄りがそうだ。
    私たちが留守の間、何が起こっていても誰も気づかないからだ。

    お年寄りの孤独死や、死んだ連れ合いを放置している話をよく聞く。
    しかし、現実はお年寄りにとってはとても厳しいのだ。
    父を見ているとよく分かる。
    動きたくない。何もしたくない。ただじっとしていたい。
    それでは、日々の食事や買い物やごみ捨て掃除等、
    生活に必要なことはどうするのか。
    お腹かが減ったら、どんな状況であろうとも、
    自分で食事を作らなければ餓死してしまう状況に置かれているお年寄りも多いのだと思う。

    病気の母の孤独。独りで置いて行かれる父の孤独。
    老人問題とは、この孤独をどのように癒すかの問題だと私は思う。
    「弧立」ではなく、「独立」する生き方わしたいとは願うが、
    やはり病になり、老いて体がきかなくなってしまった時、
    誰かに頼らざるを得ないのが現状だ。
    確かに人様に頼って迷惑をかけることを「潔し」としないお年寄りも居る。
    でも、弱ったら、気兼ねなく「頼れる環境」が私たちには求められていると思う。

    私の唯一の親孝行は、こうして16年間同居したことだ。
    それでも父や母には孤独な想いをさせたと思う。
    そして、妻には多大な苦労と心労とをかけてきた。
    だから、彼女は子どもとの同居は拒否している。
    核家族における老いの孤独。
    それを癒す環境こそ、今のうちに地域社会に作りだすことなのである。
    「遠い親せきより、近くの他人」
    昔の人は、良く言ったものだ。

    さて、母の入院二日前となった。

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    秋桜

  • from: クマさんさん

    2010年09月21日 06時08分53秒

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    今日と言う一日

    右足のふくらはぎが痛む。
    胃の具合も最悪だ。
    減量も失敗の連続であり、
    トレーニングはここ数日全くできていない。
    朝からの雨に、何だかとても心が暗い。

    母の入院が木曜日に迫っていた。
    うかつだった。もっと先だと思っていたのだ。
    母は入院のことを考えると、何も手がつかないようだった。
    いつものように朝は台所に立ってくれる。
    しかし、少なくとも一カ月以上、この姿を見られないのだ。

    父は、相変わらず一歩も動かず俯いている。
    お茶を飲み、テレビを観て、横になって眠っている。
    昼間は、父一人がこの家に居る。
    父はどうするつもりなのだろうか。
    朝、私が病院へ送ることはできる。
    帰りは妹がパートの仕事を終えて迎えに行く。
    しかし、そんなに長い時間椅子に座って耐えられる力はすでにない。

    何を記録に残したらよいのだろうか。
    大手術の後に、母は元の体力には戻れないと思う。
    叔父さんの例もある。
    麻酔に失敗して、叔父さんは目の手術で、あっと言う間に亡くなった。
    何が起こるか分からないのだ。

    実は、母は30年前に生死を彷徨う大手術を受けている。
    それは、鎌倉の大仏の中の手すりのてっぺんから真っ逆さまに落ちた時のことだ。
    私は上からその姿を見て、「死んだ」と思った。
    緊急の手術が行われた。そして、奇跡は起こったのだった。
    その強運を今回も信じたいと思う。

    老いるとは、どんなことなのか。
    それは、母と父とが教えてくれる。
    二人合わせて166歳だ。
    自然の摂理の通り、生きている全てのものは、枯れて、弱るものなのだ。
    その生きている間にどんな生き方をするか。
    そのことを私たち生きている者一人一人が問われている。

    樹木は悩まず、動物は憂えない。
    考えることができ、生き方を選択できるのは、「葦」である人間だけだ。
    たとえ体調がすぐれず、雨が降ろうが、
    今日一日を私は生きねばならないのだ。
    父と母の老いの姿は、命をどのように使うべきかを教えてくれる。

    今日もまた一日。母が家族と一緒に居られる日が失われる。

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