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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2011年07月31日 10時02分11秒

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    そういう人にみんなでなろう

    昨日は、あの豪雨の中で高速だった。
    まるでシャワーの中を走っているようだった。
    センターラインだけが命綱。
    本当に死にそうにビビって運転していた。
    それでもやっぱり「人権教育」の研修に上越教育大学に向かった。
    そこで学んだことは、人間の生き方そのものだった。

    淘汰しない。
    「誰も見捨てない」「誰も差別しない」「みんな同じでそこに居る」
    そんな社会だからこそ、人は安心して生きられる。
    競争社会の中にいつの間にか追い込まれ、
    結果が求められ、成果を上げられなければ切り捨てられる。
    弱者救済どころか、社会に余裕がなくなればなくなるほど、
    知らぬ間に弱者は切り捨てられる。
    誰が、いつ、どんな時に弱者になるか分からないのに、
    差別する人たちは、弱者を「淘汰」することを迷わない。
    震災復興で気づいて来たのは、
    実はこの「誰も淘汰しない」生き方なのではないだろうか。

    尊重する。
    「あなたは、あなたでいいんだ」「そのままでいいんだ」「あなたのこんなところを私は素敵だと思う」
    そう人から言われたら嬉しいし、
    それは生きて行く上では何よりもの励ましになる。
    「尊重する」ことは、見ていてくれることかもしれない。
    気にかけてくれることでもいいと思う。
    人は、それぞれがそれぞれの人生を生きている。
    それはいろいろなことがあるだろう。
    辛いことや悲しいことにもたくさん出会う。
    それでも人は生きている。
    生きていることだけで、人は人として尊いのだ。
    「人を否定する」「人を差別する」「人を見下す」「人を馬鹿にする」
    こういう哀れな人に私は何人か出会った。
    しかし、私はその人たちから否定されね馬鹿にされても、
    常不敬菩薩?のような生き方をしたいだけだ。

    傾聴する
    「静かに耳を傾ける」「ただひたすら聴く人となる」「心の奥深くで共感し、共に泣く人になる」
    自分のことばかり話すひとがいる。
    それも自慢話だったり、他人の悪口だったりする。
    私は、こういう人を絶対に嫌いだ。
    今でも何人かの人の顔が思い浮かぶ。
    話す人ではなく、聴く人なのだ。
    自分を主張する頑固さではなく、どんな人をも受け入れる柔軟さなのである。
    そして、感覚で人の悲しさと辛さとを感じ取れる感性があるならば、
    やっぱり泣いている人の傍に居て、黙って聴いてあげればいいのだ。

    優しいという言葉は、「憂い」を感ずる人の傍に「人」が居る。
    そのように、悲しみ・苦しむ人の傍に居られるひとこそ、「優しい人」なのだ。
    つまり、傾聴できる人は、優しい人なのである。

    想像する
    「彼の悲しみを想像する」「彼女の心の辛さを想像する」
    その彼や彼女の心の物語を想像する力が「愛」なのかもしれない。
    人と人とを心で繋げるためには、
    この想像力が不可欠になる。
    「豊かな感性と想像力は、豊かで温かい思いやりになる」
    想像する力を持っている人とは、
    多くを語らなくても分かりあえるから話していても嬉しいものだ。

    「差別」と「偏見」。
    そして、社会的な弱者が切り捨てられる競争社会。
    人は、そんな社会を求めてここまで文化・文明を進化させてきたのであろうか。
    最も人が大切にすべきものは、「生存(命)」と「尊厳」である。
    この二つのことが大切にされず、逆に軽んじられる社会とは、
    人が、人としての「幸福論」を語ることができなくなった社会なのだ。

    だから、「差別」と「偏見」と戦う、真の「勇気」を人はもたねばならないのである。
    しかし、その「勇気」は、既に人には生まれながらに与えられてある。

    「差別」と「偏見」で、弱者を切り捨てる人となるか。
    その社会的な弱者の叫びを聴きながらも、知らぬふりでその横を通り過ぎる人になるか。
    それとも、声を出し、行動する「勇気」の人となるか。

    人権教育とは、世の中にそんな心の勇気をもつ人を一人でも増やすことが目的なのだと、今は分かった。

    「淘汰しない」「尊重する」「傾聴する」「想像する」
    そうした生き方を出来る人が地域社会に少しでもいたら、
    その地域は変わるのだと、私はそう思った。

    そして、「ソウイウ人ニ私ハナリタイ」と、このレポートを結びたい。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月30日 05時09分26秒

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    雨・雨

    本日休日なのに、研修のために上越までこれから行かねばならない。
    雨が降る中、とてもとても嫌である。
    自分でこの日を選択したことを、自分で呪うことにした。

    記録的な大豪雨になっている。
    三条での川の氾濫が心配な夜だった。
    被災地ではきっと眠られない夜を過ごしたのだと心配している。
    短時間に集中的に豪雨にみまわれる。
    これはまさに亜熱帯の気候になったせいだと私は思っている。
    地球の温暖化は、こんなところにも表れて来ている。
    新潟の夏のあの蒸し暑さ。
    それが、こんなに雨に見舞われる、涼しい夏となっている。

    雨のおかげで、高校野球の決勝戦が延期になっている。
    しかし、そのおかげで仕事が進んだ。
    例年、この決勝戦だけには観戦に行っているからだ。
    特に新潟明訓高校の試合は、絶対に欠かせない。
    いつもO先輩と一緒に、新潟明訓を熱烈に応援する。
    午前5時である。
    さっき十日町での集中豪雨のテロップが入っていた。
    新潟市も雨音が強くなっている。

    もし、本日決勝戦が行われるというならば、
    ああーっ、どうして私は上越にいるのだろうか。
    どうせ順延ならば、ぜひ明日の日曜日に決勝戦をやって欲しい。
    この雨空を気にしながらの試合ではなく、
    からっと晴れた、日差しの強い暑さの中で、
    夏の甲子園を目指した決勝戦を行って欲しいものだ。
    そうすれば、私もO先輩と一緒にスタンドで声援を送れると言うのに・・・。

    予定外のことは起こる。
    自分の思い通りはいかないことだらけだ。
    そこに止まらず、そこをスルーする。
    「まっ、いいか」
    今、自分の仕事を通して、こんな気持ちを学んでいる。
    感情で動かされない。

    悔しいけれど、6時には上越に向けて出発する。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月29日 06時38分26秒

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    音楽の天使さん

    また今朝も雨だ。
    走れない。走らない。そのおかげで朝はのんびりだ。
    次男が5時半に起きて来た。サッカーの部活だそうだ。
    長男は新潟市の西区に住みながら音信普通だ。
    全てものは私に関係なく、私がいらないように進んで行くのだ。

    昨日は、不思議な出会いがあった。
    某保険屋さんの女性である。
    私の担当になった彼女は、とても素敵で真面目で、誠実な人だった。
    担当になったので自己紹介と、
    私が加入している保健の紹介に来てくれたのだ。
    私は仕事が立て込んでいたので、「短時間で」とお願いして話を聴いた。

    話が突然変わったのは、
    その美しい彼女がオペラを歌う人だと知った時からだった。
    「そうか、オペラを歌う人なんですか。」
    それからしばらくオペラの話で盛り上がった。
    「オペラはやっぱりイタリアオペラですね。」で強く共感。

    「どうしてクラッシックを聴くようになったのですか」という質問。
    「実は、私は若い頃から山登りをしていました。」
    「その時必ず小さなラジオでFMを聴いていたのです。」
    「モーッアルトや、バッハは、この大自然にとても合うのです」
    それから、新婚旅行はウィーンだった話をした。
    このクマのような男から、まさかマスカーニの話がでようとは、
    意外な驚きを彼女は感じたことだろう。

    「今度りゅうとぴあで3曲歌うんです。」
    話がどんどんすごいことになっていった。
    私はすぐに例のオペラの楽譜を持って来て、彼女に見せた。
    「こんなことを今やり始めました。ソプラノ歌いませんか。」
    「やります。歌いたいです。」
    とにかく歌が心から好きな人なのだ。

    次に劇団の話をした。
    「内の劇団は、歌える人大歓迎です。」
    クマが突然劇団をやっていると語ったので、
    またまた彼女はぶっ飛んでしまったようだ。
    オペラは、演劇である。
    「練習する日と場所を教えてください。」
    彼女は真剣な顔でメモを書いていた。

    話が進み、佐渡裕の話になった。
    すると彼女が10月のベルリンドイツ交響楽団のチラシを出してくれた。
    「佐渡裕は、私の音楽の神様です。しかし、チケットはもう手に入らないと思い、諦めています。」と話した。
    しかし、よくよく見ると一般販売は7月30日からだった。
    するとNパックの先行販売が今行われていることを知った。
    私はNパックの会員だ。
    「まだ間に合うかも・・・・・。」

    ちょうど昼休みだったので、チケットについてりゆうとぴあに電話した。
    「S席ならば少しお席はありますよ。」
    私は、おかげさまで佐渡裕のコンサートチケットをゲットすることができたのだ。
    歓喜・歓喜・歓喜である。
    私は音楽の女神様からの使者である彼女が、天使に見えた。

    さてさて、いかにして私がプレミアチケットを手に入れられたか。
    そんな話はつまらない話だが、
    人生どこに運がころがっているかは分からないものである。
    もし、彼女からオペラの話が出なかったら、
    私は、このチケットを手に入れることができなかったのだ。

    この出会い、やっぱり不思議な出会いなのだ。

    本日高校野球の決勝戦は行われるのだろうか。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月28日 06時28分38秒

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    涼しさの夏

    雷がさっき鳴った。
    大雨が降っている。
    本日の新潟市の最高気温は27度だそうだ。
    涼しい。
    あの7月に入ってからの猛暑はどこへ行ってしまったのだろうか。
    予想外な展開がいつも自然には起きている。
    熱さの夏を覚悟していたのに、この涼しさは何なのだろう。

    連日放射能汚染のニュースが続く。
    肉牛の全頭検査だそうだ。
    その費用は国が肩代わりし、賠償請求を電力会社に請求する。
    福島の会津若松市のことがレポートされていた。
    観光客が全くいない飯盛山のお土産屋さんの嘆きの声だった。
    風評被害の影響で、人が福島には行かなくなった。

    ホットスポットがあちらこちらでも見つかっている。
    昔私が子どもだったころ放射能の雨に当たると頭が禿げるぞと言われた。
    それはビキニ辺りでの水爆実験の影響を言ったものだと今は想っている。
    「放射能とは、恐ろしいものだ」
    「放射能は、目には見えないが、人間の健康には甚大な被害を及ぼすねのだ」
    そして、一度放出されてしまった放射能は消えることは絶対にないのだった。

    新潟水俣病は、阿賀野川上流のにあったチッソ鹿瀬工場から垂れ流された水銀が原因で起こった病だ。
    なかなか国と企業は、水俣病と水銀との因果関係を認めず、
    認定基準を厳しくして、被害者の補償よりも、国や企業の利益を優先にして来た。
    長い長い裁判期間の間に、多くの年老いた患者さんたちが亡くなって行った。
    「公害」裁判でありながら、
    守られるのは国と企業の利益であり、
    どこの誰も責任をとらない体質がこの時代にはあった気がする。

    今、福島県を中心に、他県に渡っての「広域放射能公害」が起こされている。
    この放射能公害の被害によって、
    どれだけの人たちの人生や夢、財産や仕事を奪われていることなのだろうか。
    放射能を人災で放出し、これだけ広範囲に放射能汚染をした企業が、
    何ら刑事的な責任を問われることなく今もあるのはおかしいことなのだ。

    この一企業による「広域放射能汚染公害」については、
    被害者は、被害者団体を作り、法的に訴えるべきなのではないだろうか。
    この甚大な被害に対しては、
    国家的な予算並みの膨大な賠償金をこの公害を起こした企業は支払うべきなのだ。
    また、現状を回復するための除染や、土壌改良等の努力を続け、
    すこしでも「公害」以前の環境に戻るための努力もすべきなのだ。

    この放射能を作って、放出し、汚染したのは誰なのか。
    その責任は明確にされるべきだと想う。
    この原発をこれから廃炉にするまで十数年かかるようだ。
    それから、ここから出される放射能廃棄物の処理方法すらまだ決まっていない。
    これから次々と何十億単位での賠償請求が来るだろう。
    税金もこんな放射能の処理のために無駄に使われ続ける現状がある。

    「放射能から逃れるために人は生きてきたのだろうか」
    「放射能汚染の処理のために国家的な予算は使われるのだ」

    いやはや土砂降りになった。
    本日の「明訓対文理」の高校野球の決勝戦は中止になるだろう。
    涼しい。今は後ろで扇風機だけが回っている。
    今年の夏になってから、「電力不足」はあったのだろうか。
    暑い日でも節電することで、ピークの80%くらいで賄っているはずだ。
    計画停電という言葉はまだ続いているのだろうか。

    ある国の高速鉄道の事故に対する、○○省の対応を見ると、
    日本の原子力村の対応がよく分かる気がする。
    他山の石だ。
    4か月も立っていながら全く原因の究明すらできていないのである。
    この爆発とこの放射能公害の原因すら分からない内に、
    すぐに高速鉄道を走らせる○○省を日本人は笑えないのだ。
    同じ原発は、今でもあなたの地域で稼働しているのだから。

    原因はと責任は闇の中。
    放射能と原発とは残される。

    「放射能公害」
    これは、「新潟水俣病」と同じなのだ。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月27日 06時14分31秒

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    オペラのコーラス隊

    昨日、生まれて初めてのことを体験した。
    それはある意味カルチャーショックでもあり、
    心の新たなるときめきでもあった。

    自転車で県民会館まで向かった。
    いつもならば晩酌で冷たいビールを飲んでいる時刻だ。
    20年以上前に「メサイア合唱団」に入って練習していた頃を思い出した。
    あの時も、自転車で音楽文化会館に通ったものだ。
    あの頃は20代後半の私であり、今は53歳の私だった。

    小ホールの階段を上がると、受け付けがあった。
    担当の人に来意を告げると、既に私の名前を書いた名札があった。
    そして、驚いた。
    私の担当する部署の参加者が私を含めて5名しかいないのとだった。
    ということは・・・・。
    初心者の私も、そこで果たすべき役割が大きく、目立ち過ぎるということだった。
    分厚い本を手渡された。手書きだった。

    ステージの上にパイプ椅子が並べられてあった。
    ここで練習するらしい。
    新参者の私は、部署の先輩たちに挨拶をした。
    超ベテラン二人に若者一人。
    本を開いて驚いた。いったいこれは何なのか。
    全員への私の紹介が指導の先生からあった。
    彼女は、プロのオペラ歌手でもあるようだ。

    「どこのページでしょうか?」
    全く頼りない新人は、おどおどと前席に座る超先輩のNさんに尋ねた。
    「○○ページの○○からです。」
    ♯と♭がたくさん並び、細かなリズムが刻まれているその音符を見て、
    私は気を失いそうになってしまった。
    音符は読めない私であるから、その超先輩の太いバリトンの声だけが頼りだった。

    劇団の仲間たちが、既にここには参加していた。
    ただ今男性4名、女性1名。
    その他にも初代「王瀬の長者」に参加した女性が2名歌っていた。
    それは超初心者の私にとっては、とてもとても心強いものだった。
    しかし、練習を続けながら、場違いな所に紛れ込んでしまった感じは否めなかった。
    それは、まさに「オペラ」のコーラス隊の練習風景なのだ。

    指導者から、声の出し方や曲想、いかにドラマチックに歌うかの細かな指示が出される。
    その指示を聴いて、指示に忠実に歌える人と、
    私のように「何をおっしゃつているのかさっぱり分からぬ人」とがいるようだ。
    それでも果敢に曲は進み、練習の宿題まで出されるのだった。

    初心者として迎えられた新たな世界は実に新鮮で、驚きの世界だった。
    帰りは雷に追われながら、自転車で山ノ下まで帰って来た。
    ちょっとときめき、ちょっと興奮していたな。
    ここから始まる挑戦は、私にとってはとてつもなくハードルが高いものだが、
    ゆっくり、焦らず、本気で、根気強く、何とか続けて行きたいと願っている。

    やはり、人は、その場に自分を置かない限り、
    自分のことを何とかしないものだと、改めて感じた。
    コロセウムに送られるから、命懸けで戦う準備をするのだ。
    いつまでも観客席に居ては、次の一歩はいつになるのか分からないのである。

    それにしても無謀なのだ。
    そのオペラ見たこともなく、未だにどんな粗筋なのかも分からない。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月26日 05時58分00秒

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    大鹿村騒動記 千円

    さてさて、いつも何かに躓くと、少しの自信を失ってしまうクマである。
    またやっちまったなぁと、想う。
    大したことが無いとは、想う。
    でも、やっぱり気になってしまう。
    そんな性分が、私なのだ。

    「大鹿村騒動記」を観た。
    何とこのご時世に千円の映画なのだ。
    我が永遠の憧れの人原田芳雄さんの遺作でもある。
    人生の最後にこの村歌舞伎を舞台にした人情喜劇に主演した。
    それもこれも達者なわき役たちに囲まれて。
    この時、既に病は発症していたのであろうか。
    そのままの原田芳雄さんだ。

    大鹿村が紅葉に染まっていた。
    ということは、昨年の秋に撮影されたものなのだろう。
    その時は、こうして役者として生き、映画を撮影していた。
    そして、7月の上映記念の舞台挨拶では、
    やせ細り車椅子で声すら出せない状況だった。
    人の一生を最後まで私たちに見せて、
    往ってしまった人だった。

    人の一生は儚いものでありながら、やっぱり凄いものだと私は感じた。
    最期にこの主演映画を撮影している時の気持ちはどんなだったのだろうか。
    舞台は死んでしまっては主演は出来ないが、
    映画の世界には原田芳雄さんは見事に原田芳雄として生きていた。
    私にも、そんな生きて来た証のようなものが欲しいなぁというのは、
    やっぱり私の欲なのかも知れない。

    「ディア・イーター」主人には、そんな欲は微塵もなかった。
    愛する妻は18年前に大親友と一緒に駆け落ちした。
    そして、その痴呆にかかった妻を返しに、二人はこの大鹿村に帰って来た。
    本来ならば修羅場を演ずるはずであるが、
    主人は、あっという間に二人を受け入れ、
    元の生活に戻ってしまう。
    300年続いている村歌舞伎を守る。
    その舞台は、圧巻であった。
    「愛するから、許す」
    それがごくごく自然で、とても優しい主人なのだ。

    躓いたっていいではないか。
    人間なんだもの。
    これって誰の言葉だっただろうか。
    失敗と後悔の連続が人生だったりする。
    人様に迷惑をかけてばっかりの愚かな生き方だったりする。
    しかし、それでもやっぱり人は心の故郷に帰って来るのだ。
    そして、例え裏切り、酷いことをしてしまった故郷であろうとも、
    「お帰り」と言ってくれ、「いいよ」と言って許してくれ、
    また温かく抱きしめてくれる。

    馬鹿鍋を作るこの主人は、
    やっぱり歌舞伎馬鹿の木偶の坊だったのかもしれないなぁ。
    ちょうど少しだけの自信を見失っていたクマは、
    原田芳雄さんに出会い、
    「いいよ、いいよ」「クマよ、そんなこと気にスンナ」
    「何とかなるて」と慰められた気がした。

    千円のこの映画、山いっぱいのお日さまを浴びた紅葉のように、
    とても温かくて、優しい映画だ。
    私はもう一度この映画の芳雄さんに会いに行きたいと想っている。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月25日 05時50分36秒

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    yuccaさんとの出会いから

    yuccaさんのコンサートがイタリア軒であった。
    素晴らしい歌声に、心から魅了された。
    ファンクラブの集いだから、知った人たちばかりのコンサートだった。
    彼女の第一声は「ただいまーっ」であり、
    私たちは「おかえりーっ」と言葉を返す。
    横浜生まれの彼女にとっては、新潟の古町は第二の故郷になっている。
    不思議な縁だと、昨日は目を閉じて歌を聴きながら考えていた。

    2年前の秋の古町どんどんで酔っ払っていなければ、
    彼女とは出逢わなかったはずだ。
    オペラが町に降りて来た。
    コロラトーラソプラノの力強い歌声が、私の足を止めた。
    夜の女王のアリアでぶっ飛んでしまった。
    タイムセィーグッバイでは我知らず涙を流した。
    「ブラボー」をごくごく自然にありがとうの心を込めて私は叫んだ。

    次のステージで劇団員のHさんに出会った。
    彼は既にyuccaさんの追っかけをやっていた。
    二人で紙コップの日本酒を飲みながら、「yuccaブラポー」と叫んでいた。
    それがそもそもの「ブラボー・ブラザーズ」の始まりだった。
    ステージの後でHさんが紹介してくれた。
    こんなに美しいスターと直接話せるとは・・・・。
    CDにサインをしてもらった。
    握手する手は、きっと震えていたことだろう。

    コンサートでは、ラストに必ず花束を渡す青年がいた。
    とにかく抱えるような花束を彼女に捧げるのである。
    yuccaさんは、その花束に感激し、時には涙を流し、アンコールを歌う。
    このシチュエーションが古町のyuccaさんのコンサートの定番になっていた。
    彼には、「花束王子」というニックネームが付いた。
    そして、あるコンサートの後で、
    反省会と称してHさんと王子とクマとで酒を飲んだ。
    途端に意気投合し、一期一会をお互いに感謝した。

    反省会は、古町のストリートでやることもあった。
    商店の軒先を借りて、座って菊水を飲む。
    話しはyuccaさんをいかにビッグにするかから始まって、
    いつの間にか演劇のことや、原発のことや、家庭のことや、人生のこと等、
    とにかくいろいろと語り合える三人だった。
    昨日のコンサートの後は、大畑公園のベンチで反省会をやった。
    コンビニで酒を調達して、野外で反省会をする。
    これが一番安上がりだった。

    新潟でのエージェントのKさんから突然メールが届いた。
    「新潟でyuccaさんのファンクラブを作ります。」
    「yuccaさんから、Hさんとクマさんにはぜひ入って欲しいと依頼されています。」
    私はせっせとyuccaさんのブログに応援メールを送っていた。
    しかし、こんな光栄なことが人生であるんだなぁと、夢のような気分だった。
    記録的な大雪で、新潟市が大渋滞になった夜、
    立ち上げのメンバーが市民生活支援センターに集まった。
    初めての顔合わせだった。
    こうして何かが始まって行くのだなぁと、緊張と期待とで胸がぃっぱいになった。

    私は、yuccaさんを主役にした映画のシナリオを一本書いた。
    それは古町の再生をテーマにした物語でもあった。
    あっちこっちに配って読んでもらったが、
    未だにどこからもオファーがなく、お蔵入りをしている。
    昨年の10月には、新潟マラソン30キロ直前でリタイアしてから、
    古町どんどんに駆けつけた。
    来ないはずのクマがいたので、yuccaさんはちよっと驚いてくれた。

    やはり私にとっては永遠の歌姫なのだ。
    クリスティーヌが彼女だった。
    私はファントムのようにしてアガペーの愛を心に誓っているのだ。
    さてさてこんな物語はいかがだろうか。
    永遠の歌姫に恋するブラボーブラザーズと花束王子の物語。
    「おかえりーーっ」と声をかけ、
    心からyuccaさんの歌を愛し、yuccaさんを愛しているファンクラブの一人一人が、
    その物語の主人公なのである。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月24日 11時56分44秒

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    アガペーと孤独

    何故か休日の前に馬鹿飲みをして、
    休日は使い物にならない生活をここのところ送っている。
    起きても体が辛く、頭が満足に働かない。
    このメッセージを書けない朝は、そんな日ばかりだ。

    だから、土曜日には午前中に、
    原田芳雄ちゃんの「火の魚」をテレビで観ていた。
    頑固で人を寄せ付けない孤独な老作家。
    その作家の原稿を取りに来た若い女性編集者。
    二人は出逢い、不思議な想いをお互いに感じていく物語だった。

    何気ない間合いや、表情や、台詞に何だか泣けてしまうドラマだった。
    癌になったこの編集者を見舞うために、
    15年ぶりに島を出て東京に向かい、
    見舞いのために花屋で真っ赤なバラの花束を買う老作家。
    「先生がそんな花をもったまま、ここに2時間もいらっしゃるから、
     病院中の女たちがいろめきたっいます。」
    わざわざ会うためだけにスーツを着て来た彼女。

    命とは、たった一回きりなのであり、
    その命には、人それぞれに終わりが定められている。
    それは、きっと長い・短いというものではなく、
    いかに生きているかというものなのだ。
    死を宣告された人は、絶対の孤独と向き合う。
    余命を告げられたら、私はどう生きるだろうか。

    彼女はその孤独の中で友も居ない孤独にも出会った。
    そこで考えたのだ。
    こんな不幸な私よりももっと不幸な人生を送っているはずの老作家の担当になろうと。
    しかし、深い深い孤独同士は、人間として最も大切なものをお互いに与えてくれたのだった。
    それは、孤独だからこそ与えられ、癒される「愛」だと想う。

    深く痛み、深く傷つき、深く沈みこんだ人だけがやっと気づくことがある。
    それこそ、神様からの贈り物。
    とことんそこに落ちた者は、きっと気づくはずである。
    自分の隣に生きている孤独と悲しみに。
    「見捨てられない」そんな想いが人を行動に駆り立てる。

    人は、孤独なのであり、人は、死ぬのであり、
    だから、人は、愛されるのであり、愛するのである。
    それが、孤独や絶望、悲しみや痛みに対する
    「見捨ててはおけない」というアガペーの愛なのではないだろうか。
    愛は既にここに存在している。
    しかし、その本人にすら気づかれない熱い涙の想いは、
    孤独や絶望や、苦しみや痛みや死と出会うことで発露されるものなのだ。

    私自身とてもとても弱き人だ。
    そして、この老作家のように頑固で我儘で一方的な怒っていた男でもあったはずだ。
    しかし、こんな私にも愛する心があると悟るのは、
    「弱き人たち」に出会う時だった。
    孤独な人・悩む人・寂しそうな老人・病気の人・障がいのある人、
    そして、子どもたち。
    実は、世の中はそうした「弱き人々」で満ちているのではないだろうか。

    「弱くていいんだ。」「俺がまた来る。」「生きろ。」
    どでかいアガペーのメッセージを残して老作家は島に帰った。

    見ていてくれる。
    支えてくれる。
    励ましてくれる。
    共に泣いてくれる。
    あなただけではないと言ってくれる。
    そんな誰かは絶対に居るのだ。

    午後から、オリビアハッセー主演の「マザーテレサ」を観た。
    弱き人々の隣人として生きる。
    そこには己の使命を感じ、
    最も弱き人たちの隣人として生涯を全うした人生があった。
    そして、そこには人間として生きることの「意味」と「尊厳」が存在していた。

    二日酔いのおかげで、そんなことを気付くことができた。
    その夜、なじら家のコンサートで、また大酒をくらった。
    それにしても、田中トリオのjazzはすごすぎた。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月22日 05時52分28秒

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    ある小さな社会の物語

    ある小さな社会の物語。
    まったく架空のお話。

    批判と批難はちがうと思うが、
    批難され続けることとは、人にとってはなかなか辛いものだった。
    それに対しての防波堤も、「やめなさい」という指摘がないと、言われている人はもっと辛くなる。
    自分の言ったことが通る小さな社会を作ってしまえば、
    そんな我儘の人は、いつのまにかその小さな社会の中では王様であり、女王様になる。

    次には、周りの人間はそんなことを思ってもいなくても、
    王様に「そうだろぅ」「ひどいだろう」と言われれば、
    「そうですね」と言わざるを得ない空気になる。
    ある者はその小さな社会では退治されるべき、悪しき人となり、
    王様は、腹の虫が収まらない時には、
    その人がそこに居ない時に、大きな声で批難を続ける。

    みんなはそんな王様の愚かさを知りながら、
    己が次の断頭台に立つ人間になりたくないので、
    同意し、賛同し、「そのとおりだ」と叫ぶ。
    そうすることで、この王様の権力をもっともっと確かなものにすることを知っていながら。
    人は、やっぱり自分自身が可愛いのだ。

    王様は、そんな味方を従えている気持ちでいるから、
    王様にとっては、やることなすこと正義のつもりなのだ。
    怠けている者・仕事をやらない者・間違っている者と王様が勝手に決め付けた者には、
    すぐに罪を作り、断頭台に登らせる。
    弁解の余地もなく、王様が気に入らない者は、即怒鳴られ、睨まれ、それでお終いだ。

    その時、小さな社会は、二つに分かれる。
    その王様に同調し、ご機嫌を取り、そちらの側に居るとアピールする人と、
    聴いているだけで嫌で嫌で溜まらないのだが、
    黙ってその風をスルーする人(傍観者)だ。
    しかし、おとなしい傍観者は、いずれ次の王様の気分晴らしのターゲットになることを知らない。

    この王様、この小さな社会では実は威張るだけの権限をもたぬ人だ。
    しかし、小さな社会は、その横暴を許すことで、王様にしてしまったのだ。
    「そんなこと私は聞いていない」「これ駄目」
    いつの間にかその小さな社会では、
    王様のご機嫌を取り、王様のお気にめすことだけが通る社会となってしまう。

    さて、問題だ。
    この小さな社会から王様を追い出し、
    みんながもっと自由に思いを語ったり、
    お互いが批難し合う社会ではなく、助け合える社会にするためには、
    何をすればいいかなのだ。
    ターゲットは必ず一人だから、ターゲットは孤立させられている。
    だから、その他大勢の傍観者こそ、この社会を変える原動力となるはずだと私は思っている。

    それでは、私がその立場だったら、
    「やめろ。そんな卑劣なことは言うものではない」と声を出して言えるだろうか・・・・・。
    きっと怒り心頭なのだが、心の怒りでプルプル震えながら、
    やっぱり黙っているのかもしれない。

    この王様のように人を一方的に否定して、
    馬鹿にする人は小さな社会には存在しているのだ。
    人には人それぞれの苦労があるが、
    「あいつは駄目な奴だ」と切り捨てる人は、確かにいる。
    私にできることは、少なくともそういった種類の人間にはならず、
    小さな社会で苦労している人に声をかけ、影で助けてあげられる人になることなのだ。

    実は、これが10月の東区文化ホールの杮落としで東区市民劇団が上演する、
    「王瀬の長者 復興編」のテーマなのだ。
    「王様」が、「長者」だ。
    「長者」にはその権力と金にすり寄って行くある種の人たちは必ず存在する。
    しかし、その「長者」をよしとしないが逆らわずに黙って従っている大部分の傍観者がいる。
    その小さな村社会は、権力者であると思いこんでいる「長者」の意のままの社会になる。
    しかし、その「長者」の悪を暴き、真っ向から対立した者は、反逆者として処刑される。

    どうだろう。
    このある小さな社会の物語とは、どこの社会でも存在する永遠のテーマなのかもしれない。
    「原子力村」にも「長者」はいるはずである。

    しかし、私は、人権・同和教育の立場から、
    こんな「王様」を作りだす社会は許せないと怒りを感じて想っている。
    そんな仲間が傍観者をやめて、小さな社会に増えることを祈っている。

    それは、人権・同和教育は、これからの新たな社会を形成する基本とすべきなのだと思うからだ。
    「差別」と「偏見」のない社会こそ、全ての人が幸せに生きられる小さな社会なのだ。
    やっぱり独りでも戦って行かねばなりませんなぁ。

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  • from: クマさんさん

    2011年07月21日 05時54分22秒

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    市民の意識が世の中を変えるはず

    見て見ぬふりをしない。
    世の中の傍観者にはならない。
    声を出さなければ、認めたことも同然だ。
    そんなことに気づいてから、いろいろと考えることが多くなった。

    毎日福島での放射能汚染のことが報道される。
    肉牛を飼っている農家は、これからどう生きていったらよいのだろうか。
    牧草を販売した宮城の業者も同じである。
    セシュウムという言葉が当たり前のようになった。
    畜産業の男性が途方に暮れ、そして怒りの声を上げていた。
    「原発が憎い」と。
    本当はもっともっとこの声は聞こえていたはずなのに、
    マスコミはこの声を流さなかったのだ。

    柏崎・刈羽の原発が爆発したら、新潟県も同じ運命をたどるはずだ。
    放射能の怖さは、今回の事件で十分認識された。
    放射能は、人間の人生と夢を奪い。
    豊かな大自然を汚染し、作物を放射能で食べられないものに変えてしまう。
    原発で恩恵を受け、それによって潤っている?ごくごく一部の地域は、
    そんな事件が起きても諦めがつくだろうが、
    全く原発を意識せず、関係なく、
    何ら恩恵すら受けていないごくごく平安に生きていた人々の生活を奪ってしまうこの事実。

    柏崎・刈羽に存在するものは、大量の放射性物質なのである。
    そして、それは放射性廃棄物となっても未だに処理できない恐ろしい物質なのだ。
    実は、「原子力により、平和で美しい町づくりを」と宣伝されていた現実の裏には、
    大量の放射性物質と共に暮らす町づくりが隠されていたのである。
    それも、いざ暴れ出したら人間の力ではコントロールすらできないものであることは、
    この爆発してから4カ月の状況を見てもよく分かる。

    新潟県知事は、県の肉牛生産農家のために賠償請求を東電に出すと言う。
    とにかくこの賠償金は、税金から払うことは絶対に許されないことなのだ。
    この原発の被害者も国には税金を納めている。
    また電気料金を上げて対応することもおかしいと思う。
    私には電力会社を選択することはできないからだ。
    どうせ国に頼れば何とかなるだろうと言う企業体質に対しても、
    しっかりと国民は、「おかしい」と言うべきだろう。
    税金と電力料金の前に、役員報酬のカットや、
    企業自体が存続を賭けた自浄努力の戦いをすべきなのだ。
    国家的な予算を必要とする原発事件処理に対して、
    そんなリスクを考えたら、原発とは企業にとっては大きなお荷物ではないだろうか。
    そろそろ電力会社相手に、告訴する動きが起きてもいいと私は思う。
    また、そろそろ脱原発を宣言する電力会社が出てもいいと思う。
    私は、その電力会社の電気ならば少し高くても買いたいと思う。

    原発の再稼働を行う動きがある。
    この福島の原発事件の処理すら見通しが立たない内に、「絶対安全」宣言を行う無神経な人たち。
    経済が優先され、人の命や環境がないがしろにされる現実。
    原発が止まると、日本の企業は高い電気料金に耐えかねて外国へ逃げるぞ。
    そんな発言を「日本人の企業家」が言っていることに情けなさを感ずる。

    実は、この原発問題に、今の日本がとても反映されているのだ。
    国がやってくれる。
    政治が何とかしてくれる。
    安全だと言うのだからそれでいいだろう。

    見て見ぬふりをする。
    世の中の傍観者となる。
    おかしいと思っても声を出さない。
    そして、放射能汚染の危機はいつの間にか日本中に広まっている。

    そうした市民レベルの意識を育てることが、
    実はこれからの新たな日本を創り上げるためには大切な意識なのだと改めて感じた。
    日本は、3.11以降、人間と自然こそ大切にされる日本でありたい。
    今後の原発問題の動向は、その日本人の心の在り方を示唆するはずだ。
    「一人一人が決める」
    ぜひとも国民投票をしてもらいたものである。

    「手遅れにならない内に」
    「まだ安全に廃炉にすることができる内に」

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