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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2015年01月27日 23時00分04秒

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    お父ちゃん

    「じいちゃん、じいちゃん、ありがとね。」と、父に語りかけている時がある。
    そんな時に、ふと想う。
    ああ、父は私にとって父親なのに、いつの間にかじいちゃんになってしまったなぁと。

    幼い時から、父のことを「お父ちゃん」と呼んでいた。
    幼い時はこの呼び名しかないと想っていたのに、
    小学校に入ったら、「お父さん」と、友達が父親のことを読んでいてびっくりした。
    「お父ちゃん」という呼び方が、何だか幼く甘えているように私は感じた。
    だから、他の家では「お父さんて、言うのか」と、少年だった私は想ったものだった。

    しかし、お父ちゃんは、やっぱりお父ちゃんだった。
    だから、私はずっとずっとお父ちゃんと言い続けて来た。

    しかし、我が子が生まれ、父が祖父となった時から、おじいちゃんと呼ぶようになった。
    長男も次男も、おじいちゃんと言って、とにかくなついたものだった。
    子どもは誰が自分のことを一番可愛がってくれるかをよく分かっている。
    コタツにおじいちゃんが居ると、その膝の間にするするともぐりこんでいた。
    父が腹ばいになってテレビを観ていると、その腰の辺りにまたがって、
    次男はいつも楽しんでいたものだった。

    だから、おじいちゃん、じいちゃんと、私もいつしか呼ぶようになった。

    しかし、ここで眠る父には、今だからこそ「お父ちゃん」と呼んでみたくなってしまった。

    恥ずかしく、照れくさいが、やっぱり呼んでみたくなり、小さな声で呼んでみた。
    「お父ちゃん。お父ちゃん。」
    本当はぎゅっと抱きしめたかったけど、それはやっぱり思い止まった。

    ただ、細くなった白髪のその頭を撫でながら、
    何度も何度も声には出さずに、「お父ちゃん、お父ちゃん」と言い続けた。

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    waka たまご

  • from: クマさんさん

    2015年01月27日 22時44分53秒

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    今日も父の病室だ

    死ぬとか、生きるとか、そういうことではない気がした。
    父は、私がどうあろうとも、その日も病院のベットに居る。
    そのことが何よりも大事なことで、いつも何をしていても心からは離れなかった。

    休日にはのんびりとはしたかった。
    でも、父の病室を訪れる時刻だけは自分で決めて、それを守ろうと努力した。
    平日は、その日の仕事を勤務時間になんとか終わらせ、
    申し訳ないけれど、帰れる時には帰って、父に声を聞かせようとも想っていた。

    不思議なことに、一緒に暮らしていた時には、何も心には止まらず、
    時には煩わしいなぁと想った存在であった父なのに、
    病室のベットで独りぼっちだと想うだけで、何だか行かねばならないと感ずるのだった。

    そんなにもべたべたとした関係ではなかった。
    酒を飲むと大暴れをし、競馬で身上を三つも失っているギャンブラーだった。
    しかし、何だか憎めない人で、私や妹には何も言わない優しさがあった。

    父のことは私は好きだった。
    どんなにどうにもならない人であっても、
    やっぱり好きだと言う本質は変わりようがなかった。
    何を語り、何を学んだと言う関係でもなかった。
    いつも私は幼い時から、酔っ払い、暴れている姿ばかりを見続けていた。
    それでも、どうしても父を嫌いにはなれなかった。
    それは、母も同じだったのだろうと想う。

    父の魂のすがすがしさがあったからだと、今は想う。
    父は、愚かで真っ直ぐな自分に忠実に素直に生きてきただけの人だった。
    魂が、洗われたように潔があったから、それはそれでいいのだと今は想う。
    それでも世間はやっぱりいろいろとは言うが、
    それはそれで、私や妹にとってはかけがえのないたった独りの父親だった。

    私は、いつも父に感謝していることがある。
    それは、ここまで生きてくれて、私や妹に片親の寂しさを味わわせなかったことだった。

    私は、どんな親であろうとも、生きてやることも大切なことなんだと、
    今は想っている。

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    waka

  • from: クマさんさん

    2015年01月27日 22時24分03秒

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    父との触れ合い

    父親の頭を撫でたことがあるだろうか。
    父親の手を握り、愛しく感じたことがあるだろうか。
    父親のやせ細った顔を撫でて、「大丈夫、大丈夫」と言ったことがあるだろうか。

    まさかとは思っていたが、私はそうやって父と微かなコミュニケーションをとって来た。
    触れることができることのありがたさだった。
    手応えょ感ずることのできる喜びでもあった。
    父からの反応は無くても、私が心で語ることはでた。

    その時、何を言ったらいいかは、分かっていた。
    「大丈夫、大丈夫」それだけだった。
    これは小学4年生の国語の教科書に載っている物語だった。
    死に逝く人に言える言葉はないかもしれない。
    でも、でも、「大丈夫、大丈夫」は、少しは心強い言葉ではないかと、
    この物語を読んでから、私は想うようになった。

    夕食の時間に、私は病院に駆けつけた。
    それは、父が独りで食事をとることがとても難しくなったからだった。
    鼻に酸素の管を付け、車椅子にシートベルトで縛られながら、
    父は夕食に向かっていた。
    しかし、想うようにスプーンで口に運べず、こぼすこともたびたびだった。
    看護師さんは、何人も担当しながら本当に忙しく、親身に、一人一人に対応してくれている。
    ただし、それには限界は必ずあった。

    父に食事を食べさせるためには、私がここにいてスプーンをもたなければならないのだ。
    本当は完全介護だから、その必要はなく、
    夕食時に食事を食べさせている家族は私だけだった。
    でも、食べてもらいたいから、ここに私はいる。

    それは何だろうか。
    ただそうしたいから、そうするだけだ。
    白髪の背広姿の57歳の私が、84歳の父に「アーん」と言ってスプーンで食べさせている。
    腎臓が不全となった父は、とにかく喉が渇くから、
    お茶や水を呑もうとする。
    それでも、食べてもらわなければ生きて行く力は無くなるから、
    私はスプーンで食事を口に運ぶ。

    その時の感触だけが、今も私には想い出される。
    毎日のように通ってよかった。
    それは、親不幸な息子の単なる自己満足に過ぎないかもしれない。
    でも、私はあの時刻になると、病院のエレベーターにの乗って、父のところに駆けつけた。


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    waka

  • from: クマさんさん

    2015年01月27日 13時57分53秒

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    孤独を癒す薬はあるのか

    年老いた人の孤独をどうしたら癒されるのだろうか。
    父は独りで施設のベットだった。
    その施設の介助の人たちは、それはそれは親切で温かな人たちばかりだった。
    認知症が進むに従って、わがままが強くなる。
    堪え症がなくなるというのか、少しのことも我慢しなくなる。

    トイレに行きたくてボタンを押してもすぐには来られない。
    当たり前の話なのに、遅いと怒鳴ってはイライラとした態度でいる。
    それでも担当の若い女性は笑顔での応対だった。
    時にはリビングでみんなと一緒にテレビを観ていることもある。
    父は、ただ黙ってテレビを観ている。
    話しかけられてもただ肯くばかりだ。

    父は、何を想ってそこで暮らしていたのだろうか。
    私が行くと、ペットで寝たままただ肯き、話すことも無く、黙ってテレビを観ているだけだった。
    あれがどうしたとか、こんなことがぁったとか、そんな話は一切しなかった。
    私が話しかけると肯き、私が黙っていると、黙るだけだ。
    だから、施設に入っていた2年間、
    父がどんな気持ちでそこに居たのかは分からないままだ。

    年に何回か、親戚の叔母や、父の高齢の姉が訪ねることもあった。
    それでも父は、いろいろと語ることもなかった。
    ただ、最後には「ありがとう」と言って、右手を挙げた。
    左手が脳梗塞で麻痺をしているために、右手で合図をするのだった。
    私はいつも帰りには、父のその痩せたごつごつの手を握り、
    「また来るね」と言って、帰って来た。

    父は、孤独だったと想う。
    寂しかったと想う。
    そして、その孤独の中でただ生きざるを得ないから生きていたのだとも想う。
    しかし、家族と一緒だったとしても、84歳で身体も不自由になっている父は、
    やっぱり孤独を感じたのだとも想っている。

    その老いたる者の孤独と寂しさとを、癒す薬があるのだろうか。
    きっとその薬が無いから、神様は父に認知症を与えてくださったのかもである。
    父は、自分が誰で、どんな状況で、私が誰かも知らないまま、
    日々を淡々と生きていたのだった。

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    waka

  • from: クマさんさん

    2015年01月27日 12時23分31秒

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    どこへ行ったらいいのだろうか。

    生きて行くことは、金なのかなぁと父のことを見守りながらそう思った。
    父が入所していた自立型の施設は、月に17~18万円必要だった。
    それを父は、年金で賄っていた。
    ただし、それでは足りないために、不足分は私たちが補てんしていた。
    年金をこの額もらっていたから、父はこの施設に入所できた。
    もし、父に年金が無かったとしたらだうだろう。
    それでもやっぱり父はいずれかの施設に入らなくてはならなかった。

    特養は百人単位で待機していると聞く。
    その人たちが亡くならなければベットに空きができない。
    そのうちに待機している人たちも日々年をとり、亡くなってしまう。
    病気で入院したとしても、療養型の病院では、三か月が限度だった。
    その期間の内に病気を治して退院するか、他の病院に転院するしか生きる道はない。
    私の父は、認知症が入っている事と、腎臓が末期的な症状なので、
    二つの大病院から断られた。

    家族が望むことは、完治でも退院でもなく、
    最後まで安心・安全に看取ってくれるところだ。
    父は、そんな状態で、本当に行き場を失くしてしまった。
    最後の頼みであった看取りの場の大病院も、
    父はその病院には適切な患者でないと断られた。

    それぞれの病院に断られた理由は、
    認知症が進行していて、手がかかるということ。
    透析などの高額な医療費を使う患者ではないこと。
    投薬による治療を行っているので、医療的に適さない病院であること。

    つまり、父はどこの病院でも門前払いの状態なのだ。
    最後の頼みの病院から断りの電話があった時には、
    何だか父が可哀想で涙が出たものだった。
    「そこを何とか。とにかく父には安心して息を引き取れる場所が必要なんです。」
    それは、重々相手方の病院も承知のことだった。

    失意の中で、現在入院している病院のケースワーカーさんに相談した。
    「目途が立つまで、こちらの病院で面倒をみます。」
    ありがたい言葉だった。
    しかし、一日5000円の個室しか父は入る部屋はなかった。
    一か月の部屋代だけでも15万円だ。

    本当に、生き延びることは、お金がかかることなのだと、
    父を見ていて改めてそう感じた。

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    waka

  • from: クマさんさん

    2015年01月27日 09時17分18秒

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    食べることが生きること

    父が腎臓の機能が著しく低下したので、12月に緊急入院となった。
    救急車で搬送され、即入院だった。
    しかし、その間に認知症が進み、突然立ち上がったり、夜中に徘徊したりして、
    ベッドから何度も落ちてしまった。
    その度に、病院の看護師さんから、お詫びの電話が来た。

    私は、かえって申し訳なく思い、いつもこちらこそありがたいと、想いを伝えた。
    本当に看護師さんたちは、親身になって看護してくれていた。
    父が突然怒鳴り出しても、「水」と大声で叫んでも、笑顔での対応だった。
    父からはそんなわけで目が離せないので、
    ナースセンターの向かいの大部屋に父は独りで入っていた。
    それでも不安があるので、車椅子に乗せられ、
    シートベルトで身体を固定されて、ナースセンターに父は居た。

    看護師さんたちが忙しく働く中で、父は車椅子に乗ってうとうととしていた。
    昼夜逆転の生活をしているために、昼はやっぱり爆睡だった。
    夜中に徘徊されると困るので、看護師さんたちは声をかけるが、
    父は全く起きる気配はなかった。

    とにかく食事には手がかかるので、夕食にはで来る限り私は行った。
    父は、私の顔を見ても、うっすらと意志のない眼差しを向けるだけで、
    じっとしてただ黙っていた。
    入院してまだ間もない頃は、父の昔話を聴いて、笑っていたものだった。
    医師が言ったように、入院することで父の認知症は日々進行中となってしまった。
    それを誰も止めることは出来ないのだった。

    毎日会いに来ても、その変化は息子である私には感じられた。
    私は食堂で父の横に座り、スプーンで一つ一つ口に運んだ。
    父は、きざみという食事になっていた。
    飲み下す力がだんだん衰えて来ているからだった。
    だから、口の中に入れても、なかなか飲み込まずにそのままだった。
    せっかく口に入れたのに、それがぽたぽたとエプロンに落ちて行く。
    父は、口の端に食べ残しをつけながら、それでも食べようとスプーンですくった。

    生きることは、食べる事だった。
    ただし、父にはその味も、そのおかずの名前も関係はなかったようだ。
    ただぼんやりと手を動かし、食べていた。
    ただ食べていた。
    そして、ほんの僅かばかりを口にした後で、時間が来たからとやっぱり片付ける。

    それで、その日は、そうやって生きていた。

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    waka

  • from: クマさんさん

    2015年01月27日 08時30分42秒

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    言葉から始める・・・再誕

    さてさて、本当に長い間の不在だった。
    まさに長い長い心の旅に出ていたような気がする。
    言葉を書けなくなった。
    言葉を語れなくなった。
    それが正直な気持ちだった。
    自分がいかに愚かで、ちっぽけな存在であったかも思い知った。

    そんな日がいつか来るのだ。
    それまでは、自分は自分でいいのだと勝手気ままに生きて来た。
    突っ走ることが自分の本分なんだと、邁進して来た。

    そして、振り返ってみたら、独りぼっちの私だった。
    天地独り。
    行きついた先はその真っ暗な闇の中だった。

    おいおいに少しずつ、想いと一致した言葉だけをここに書こうと思っている。
    師匠に言われた。「再誕ですよ」と。
    本当に今までの自分を捨てて、生まれ変わって生きてみたいと願っている。

    手始めに、こうして「親父たちよ」を再開した。
    またこの言葉から始めようと思っている。

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    waka たまご

  • from: wakaさん

    2015年01月05日 11時15分08秒

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    熱い「よそ者」「ばか者」がついていますよ。
    2/14の春節祭、いかがでしょうか?

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