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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2012年11月30日 06時42分48秒

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    正直な身体

    ダウンしている。
    やはり劇が終わってから、どんと来てしまったようだ。
    急性の胃腸炎なのか、吐いていた。
    やっぱり身体は正直にできている。

    千秋楽は感動の中に終えた。
    舞台はプロ集団によってあっという間に撤収された。
    その早技のすごいこと、すごいこと。
    楽屋で着替えて舞台に行ったら、
    すっかりきれいに片付いていた。
    夢の後、祭りの後、
    この切々とした虚しさが舞台にはあった。

    「故郷の歌」が、今も聴こえる。
    ラストで全員で歌った感激は舞台ならではのものだった。
    メッセージが魂から魂に伝わる手応えを感じられた。
    それだけの熱い想いを伝えるためには、
    やっぱり役者さんたちは、全部を燃やしきらねばならないのだ。

    燃やしきった後は、抜け殻なのである。
    それは当然のことだと想う。
    私は、自分の力を無視して、度を越してやり過ぎるとよく母に言われた。
    「兄ちゃんは、7のものを10にして使う。」
    だから、病気になるのだとよく言われた。

    最近、年をつくづく感ずることがある。
    何年前とは、確かに違うのである。
    私は、私の中で何かが変わったことを認めなくてはならない年になってしまった。
    身体は正直に反応しているのだ。
    それに、静かに従うべき年になったようだ。

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  • from: クマさんさん

    2012年11月27日 06時41分49秒

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    想いに委ねることで

    「春のホタル」の千秋楽が終わった。
    私は、お客様の見送りをしながら、涙がぼろぼろと止まらなくなった。
    太田小時代の教え子たちが来てくれていた。
    「先生、いかったよ。」
    「そうか、来てくれていたんか。」
    忠志は彼女を連れての登場だった。

    お母さんたちも来てくれていた。
    「せんせい・・・・。」後は言葉にはならない。
    お互いにおんおんと泣きながら握手をして、肩を抱き合った。
    言葉はいらなかった。
    涙とは凄いものだとあらためて想った。
    万感の想いは、涙でしか伝えられないのだ。

    私を見つめる教え子やお母さんたちの目が、真っ赤だった。
    その涙に溢れる瞳を観た時、やってよかったと、つくづく感じた。
    この子たちとこの親たちと出会わなかったら、この劇は存在していないのだ。
    実は、私が原案を書いたのではないのだ。
    この子たちの想いと願いや、伊藤幸一郎さんの熱意が、
    福島潟の自然を守り育てようとしている松木さんたちのロマンが、
    そして、この福島潟の雄大な自然と野生の生物たちが、
    私をこの地に呼んで、書かせた物語だと今も想っている。

    人は、確かに出会いだった。
    私は、北区のフィルを立ち上げて、共に舞台に立つことができたWさんと並んで立った。
    二人は、何だか魂の奥底から湧きあがってくるもので身体の震えが止まらなかった。
    「先生、この空気感てなんだろうね。終わったね。」
    何も言えない。何も言葉にはならなかった。
    泣こう。ただ泣こう。声を出して。ただ泣こう。

    でかい男二人は、ロビーで固く固く抱き合い、声を出して泣き合った。
    人生にこんな瞬間があったのか。
    この奇跡の瞬間に、二人で立ち会えた。
    何に感謝すればいいのだろうか。
    私とWさんとが福島潟で16年前に出会わなかったら、この物語は存在しなかった。
    そして、二人が福島潟に出会わなかったら、
    今のような生き方をしてはいなかったとも想っている。

    打ち上げの会場で、二人の福島潟での出会いと太田小の子どもたちの潟での学びと活動、
    そして、学校ビオトープ「太田の森」、ホタルが復活し、自生したこと等、
    Wさんが、みなさんに語ってくれた。
    私は、良子先生ではないが、その語りの間、
    走馬灯のようにあの楽しく活動した日々のことを思い出していた。
    そして、この物語は生まれるべきして生まれた物語なのだと改めて想った。

    「夢は、叶う」
    私にこの物語の原案を書かせた想いと願いの数々は、目には見えない。
    「もし本当のことが知りたければ、そっと目を閉じてごらん」by「星の王子様」

    劇中での徳田は、子どもたちと大人たちに同じように呼びかけている。
    本当のことは、目には見えない。
    しかし、目には見えないから、それはいつまでも確かに存在するのだ。
    そっと目を閉じると、魂の故郷に帰ることができる。
    すると、美しく青白い微かな光を感ずることができる。
    その微かな光や呼び声に感動しよう。
    そして、それを信じて生きて行こう。

    良子先生は、そうやって愛を学び、一日を生きる生き方を学んだ。
    そして、良子先生は、「故郷の歌」を創ることができたのだ。
    彼女の歌は、彼女を通して歌われた歌である。
    この物語が、私を通してこの世に生まれたように。

    「先生、始まりだね。」
    二次会の二人はもう泣いてはいなかった。
    じっと向き合って、お互いの決意を確認した。
    握手する手の力に、これから始まる新たなる夢の期待を感じさせられた。
    「これから何をする・・・・。」
    きっとそれは、この劇での体験のように、
    私たちは知らされず、私たちが想像できない何かなのだろうと信じている。

    私もWさんも、その想いに全てを委ねるつもりである。

    「奇跡」を2回も起こした男が言うのだから、間違いはないのだ。




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  • from: クマさんさん

    2012年11月25日 07時33分32秒

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    千秋楽の朝

    初日の緊張感の中、大成功に初日の2回公演を終えた。
    前日、私がソロで歌いだせないためにスコアーが変更された。
    オケは、私が出るまでいつまでも待っている。
    そして、私には好きなように歌わせる。ということだった。
    これは、愛だね。

    私が先生と子どもたちにホタルのことを語るシーンがある。
    そこでジーンとしてしまい泣きそうになってしまった。
    舞台では素になって泣いてはいけないと、私自身を戒めている。
    しかし、あのメロディーとホタルの登場で、やっぱり・・・。
    これは、愛だね。

    2回目の公演の前に、私が気合を入れる担当となった。
    「舞台には既にたくさんのホタルたちがいます。」
    「その魂の声を胸で聴き、その声を言葉にしよう。」
    「想いだけしか伝わりません。」
    それから、全員で手を繋ぎ、しばらく黙して、心の声を静かに聴いた。
    今繋がっている全員で一つの舞台を創るのだ。
    その一体感が安心感となり、信頼感となり、独りではないことへの自信となった。
    これは、愛だね。

    良子先生が亡くなる時、ホタルたちが彼女を迎えに来る。
    美しくとても優しい歌声に、彼女は誘われるように壇上に上がる。
    そこで振り返る良子先生は、笑顔で輝いているのだ。
    私はこのシーンを舞台袖で見上げていて、やっぱり涙が流れてしまう。

    彼女は、分かったんだ。
    自分は子どもたちやたくさんの人を愛し、愛されて生きて来たことを。
    自分は夢をあきらめずに歩き続けて来れたことを。
    そして、この世に自分の想いであり命である「故郷の歌」を残されたことを。
    その歌とは、彼女を通して語った、先人たちの魂の声であることを。
    そして、これが終わりではなく、自分も先人たちの魂と共にここで生き続けることを。
    あの笑顔こそ、旅たちの希望に満ちた笑顔なのだ。

    「故郷の歌」を全員で歌う時、何故か誇らしい気持ちになってしまう。
    やはり、舞台に降りた無数のホタルの想いと願いを、
    私たちが力いっぱい、心を込めて伝えたいと言う熱い気持ちがそうさせるのだと想う。
    この舞台とこの客席とは、愛に包まれている。

    その客席には、母が居る。
    いつも泣きながら、手が痛くなっても拍手を止めない母が居る。
    この物語は、やっぱり母から託されたメッセージだったのだ。

    今朝、母の臨終の夜を思い出した。
    私は、母が息を引き取る時、拍手を母に贈った。
    私は、母の生涯はブラボーだと感じた。
    母もきっとあの瞬間、私たちを見つめて、
    良子先生のような笑顔だったに違いない。

    「幸せだったよ。」それが臨終までの母の口癖だった。

    「春のホタル」の千秋楽だ。
    たった1回。
    その朝に、初めてこの劇の存在が腑に落ちた。
    今は、滂沱の涙で、涙で、画面がぼやけてしまっている。

    こまった。徳田さんは、最初から泣き顔になってしまう。

    この劇は、全てが愛でした。
    本当にこの奇跡を観れない人たちが残念でたまらない。

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  • from: クマさんさん

    2012年11月24日 08時45分28秒

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    春のホタル 初日

    いよいよ本番の朝を迎えた。
    よくここまで来れたものと思っている。
    10月の東区での「キビタシの森」の公演。
    そして、今日から二日間の「春のホタル」三回公演。
    共に脚本と原案であり、出演してソロを何曲も歌う。
    キビタシが終わって一カ月間は、ぼろぼろで使い物にならなかった。

    しかし、母が亡くなってから、あらゆることは私の思惑を越えて進んでいた。
    それがごくごく自然であり、自然であることは、必然でもあった。
    一カ月間に二本の音楽劇とミュージカルである。
    自分が創作した世界に、それも自分が登場するのだ。

    昨日のゲネプロだった。
    私は、ホタルたちが良子先生を死者の世界に迎え入れるシーンで、
    涙が止まらなくなってしまった。
    それは、まるで母の事だからである。
    この原作を書いていた二年前の冬休みの頃、
    私は一年後に母の胃癌が見つかることを知らなかったはずである。
    でも、やっぱり母のことだったのだと、
    美しいホタルのシーンを見て想い、泣いた。

    命には限りがあること。
    だから、今日という日を精一杯生きること。
    癌で亡くなってしまう良子先生は、子どもたちの卒業式には出れなかった。
    しかし、良子先生の魂は、ホタルになっていつまでも子どもたちの成長を見守っている。
    「春のホタル」
    この台詞に、人は死なず、滅せず、死者となり、生者の傍らに居て、
    いつもいつも見守って、支えてくれていることの真実を託した。

    愛があれば、春にホタルは実在するのだ。
    私は、舞台の袖で出番を待ちながら、いつも黙して母に祈っている。
    ここまで来れたのは、実は母がいつもいつも私の傍らに居て、
    私のことを見守っていてくれるからだった。
    母は死んでから、最も近い人になった気がする。

    ラストで歌う「故郷の歌」は、歌いながら魂が熱くなる。
    この歌は、魂の故郷からのメッセージなのだ。
    その美しい歌を歌いながら、私は再びその故郷に回帰する。
    劇とはすごいものである。

    私たちは、魂の真の故郷からの呼び声を歌にして、人々に届けているのだ。
    これは、やっぱり母が今も存在している、そして、多くの魂が存在しいる、
    「魂の故郷」からの、愛のメッセージなのである。

    舞台とは、やはり「異界」と繋がる場であった。

    しかし、昨日もやってしまった。
    今日は、ちゃんと歌う。

    「おかあちゃん、頼むね。助けてくれね。この劇をおかあちゃんに捧げるよ。」


    追伸:24日の2時と25日の2時のチケットは完売しました。
        24日の7時がまで少し残っている状況です。
        詳細は北区文化会館にお尋ねください。025-388-6900

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  • from: クマさんさん

    2012年11月22日 06時05分43秒

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    寺小屋を作ろう

    さてさて、昨夜、爆笑問題がいじめについての番組をやっていた。
    かっていじめられ、今もいじめられている(笑い)私である。
    その言葉一つ一つがよく分かり、身に沁みた。

    いじめられていた子どもたちの心の辛さに共感できる。
    その寂しさと孤独感がよく分かる。
    理不尽なことを毎日のようにされて、それでも逃げられない苦しさ辛さ。
    相手は独りではなく、どういうわけか何人もいるのだ。
    自分の何が悪かったのか分からないが、いつの間にかいじめのターゲットになっいる。
    無力感を感ずるし、ついつい自分を否定してしまったりする。

    やっぱりこの世界から消えてしまいたくなるだろう。
    心の傷が大きくなり、いつの間にか教室に入れなくなってしまう。
    いろいろな妄想により、苦しくて、切なくて、その場には居られないのだ。

    しかし、いじめている人たちは、そのことへの罪悪感は微塵もなかった。
    それは、その人たちを見ているとよく分かる。
    時には、いじめている側に正義があるような錯覚をしている。
    人間として最も愚かで愚劣な行為をしているのに、本人たちは気づかない。
    自分たちのイライラやストレスを発散するために、
    組織や集団の中で、ストーレィシープを見つけ、そこに標準を合わす。

    いじめる人は、そうせざるを得ない哀れな業の中に居る。
    その酷さは、決して変わるものではないのだ。
    いじめる側に、いじめているという自覚はない。
    悲しいけれど、それが現実のようだ。

    「逃げなさい。」「休みなさい。」「学校は行かなくてもいいんです。」
    やっぱりそれを教えてやらなければならないと、番組を観ていてそう思った。
    そして、その子たちが自由に楽しく生きられる、
    フリーな集団を社会は用意すべきなのだ。

    私は、それは「寺小屋」の復活ではないかと考えている。

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  • from: クマさんさん

    2012年11月21日 06時39分13秒

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    身体と心が・・・・・

    最近は天気も悪く、走ることができないので、冬眠状態だ。
    いつもならば走っている時間に、この掲示板を書いている。
    さてさて、とにかく仕事が回らなくて困っている。
    こんなはずではなかった。
    いかに自分が知らぬ間に衰えているか、やっと分かって来た。

    いつまでも若くはないのだ。
    そんなはずはないと思いこみたくとも、身体は正直に応えてくれる。
    まず、この疲れが抜けない日々はなんだろう。
    酒の飲み過ぎであることは承知している。
    しかし、朝のこのだるさは、やはり少々異常である。

    活気がないというのではないが、おっくうになる。
    何かに向かって立ち向かおうとは、考えなくなった。
    いい加減でいいではないかと、加減ばかりを考えている。
    そんな私だから、痛烈な批判と中傷を受けることも多くなった。
    何ともほっとけない愚図な人のようにある種の人たちからは思われるらしいのだ。

    考えてみたら、二十代や三十代の頃、55歳の中高年のおっさんをどう見ていたことだろう。
    それと同じ見方で私は今見られているのだ。
    そう思えば、その批判や中傷も当たっていると言えるかも知れない。
    人の心は変えられないから、私はほっておくが、
    私自身この年齢に合わせた生き方をしなければ、
    健康を害し、心を病み、寿命をどんどん縮めているのではないかと想っている。

    仕事が遅くなった。
    仕事を忘れることが多くなった。
    仕事で人に迷惑をかけてばかりいる。
    堕ち込むばかりである。

    しかし、ここで「うっと」言って、脳梗塞や心筋梗塞で倒れてしまっては、
    何のための人生であるか分からない。
    だから、やりたいことはやることにしている。
    24日、25日の北区文化会館での「春のホタル」もそのためだった。
    一カ月間に脚本と原作でかかわった二本の劇に出演する。
    それも歌を何曲かソロで歌う役である。

    母の仕業とよく想う。
    しかし、そんな疾風怒濤の激動の日々も、あと僅かで終る。
    その瞬間、私の人生も終わるのではないかと、変な予感も感じている。

    疲れている。休みたい。身体と心との正直なささやきである。




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  • from: クマさんさん

    2012年11月20日 06時38分29秒

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    生まれ・変化し・消えて行く

    昨夜は酒を飲みながら、物干しのベランダで雷を見ていた。
    雷鳴が轟くとじっとしていられない。
    食事もそこそこに駆けつける。
    自然とは、かくも壮大なスペクタル・オペラなのだ。

    絶えず生まれ、絶えず変化し、絶えず消えて行く。
    その瞬間瞬間だけが、この世に存在する実感なのだ。
    雷鳴も止まらず、流転する。
    南の彼方に鳴っていたかと思うと、いつの間にか頭上で鳴っている。
    そして、時が立てば彼方に消え去り、また新たなる雷鳴に驚かされる。

    変わらぬものは一つもない。
    それは、生まれ、それは、変化し、それは、消えて行く。
    しかし、消えたからと行って無になるのではなく、
    また縁が集まれば、雷として存在するのだった。

    私は、私に与えられた今日一日という人生を逞しく生きればよいのだ。
    今朝も布団の中で「荘子」を読んでいた。
    私は、世の中でのこだわりが無くなって来た。
    世の中が偉いと思い、権威だと思うものを、
    そうは思わなくなってきた。
    「大変だろうなぁ。辛いだろうなぁ。ご苦労なこったなぁ。」と、同情する。

    欲もなくなってきた。
    何だか平穏無事なこの毎日が続いてくれることが天恵なのだと想っている。
    仕事があり、経済的に支えられているから、そんな呑気なことを言えるのだと叱られそうだが、
    「これでいいのだ」と、思うようにしている。

    それはそれは、生きているから嫌なことには出会わねばならない。
    世の中は、こうしてのほほんと生きている者をいじめたくなるものだからだ。
    だから、日々生きずらさを感じているが、
    そこで感情をぶらさないことにしている。

    「こういう情けない人なのだ。」
    「こんなに相手の気持ちが分からぬ哀れな人なのだ。」
    「いつも自分を一番偉いと思いたい人なのだ。」
    「何を言っても仕方ないのだ。」
    だから、素直に言われたことに聴き従う。
    抗うことも、言い訳することも、怒ることもしない。
    そうしたら、私はこの平穏な心で生きて行くことができないからだ。

    突然、雷鳴が轟くこともある。
    土砂降りになることもある。
    何でここにとは思わないことだ。
    絶えず生まれ、変化し、消えて行くものこそ、自然のあるがままの姿なのだ。
    その雷に一喜一憂するのではなく、
    時には泰然自若として、その雷を楽しむ境地も大切なのだと、私は思う。

    いつまでもここには居ない。
    いずれ去るものだ。

    今朝は、こんなに風が強い朝となった。
    しかし、昨夜の雷はどこにも存在しないのだ。





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    2012年11月17日 13時39分54秒

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    優しく、自由に

    困ったぞ。風邪が抜けない。北区の稽古もお休みだ。
    いよいよ24日午後2時と7時 25日ごご3時に「春のホタル」が上演される。
    私が原案を書き、出演もするミュージカルだ。
    当日も千円だから、お暇があったらぜひぜひおいでいただきたい。
    子どもたちが主役の楽しく、感動的なミュージカルになっている。
    この劇が出来たのも、やっぱり17年前に豊栄に勤務し、
    そこで出会った人たちのお陰様だった。

    人は、出会いだ。
    その出会いによって、どれだけ学び、どれだけ助けられ、どれだけ励まされて来たことか。
    人は、優しいだけでいいではないかと、よく想う。
    優しい人ほど、人として優れた人なのだ。
    苛酷な環境に追い込まれている現状にあると、
    つくづく優しさだけで十分だと思ってしまう。

    私がこうして出会った人たちは、やっぱり優しい人だった。
    私は、その人たちの生き方や考え方を学び、その人たちの後について歩いたものだった。
    今思うと「よくぞやったり」と、自分のことながら感心する活動の数々だった。
    そんなことが出来るはずのない私が、そんな大それたことをやった。
    その力の原動力は、この出会った人たちから伝えられた力だった。

    私は、その力を子どもたちに受け継いでもらいたくて、
    そして、この故郷の自然を大切に守り育ててもらいたくて、
    ねっとわーく福島潟の松木さんや大倉さんたちとビオトープを作って来た。
    それが出来たのは、その優しい人たちと出会えたからだった。

    人生は、出会いによって変わるものだ。
    これからもよき出会いを望んでいる。
    そのためには、私が優しい人となり、
    ただ自由に生きられる人となることなのだ。

    私の師匠は、みんなそういう生き方をしている人たちばかりだから。

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  • from: クマさんさん

    2012年11月16日 06時48分18秒

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    それでいいのだ

    風邪をひいた。
    一昨日、とてもとても寒い日だった。
    スーツにワイシャツだけの私は、ただただ凍えていた。
    それで、すぐに風邪をひく。
    身体とは、私の意志とは違う存在なのだ。

    それなのに、昨日の朝は走っていた。
    走ると言うことは、これは私の意志である。
    走れば治る。
    勝手にそう想っているわけではないが、やっぱり走ってしまう。
    それは、お地蔵様に会いに行くためでもあった。

    上手くいかないことがある。
    とてもとても寂しいこともある。
    心寂しく佇んでいる人に、
    言葉をかけてやれない寂しさを感ずることもある。

    人は、思い通りに行かない人生を生かされているのだ。
    私は、ここに立たせられ、ここで人と出会い、出会った人を愛して生きる。
    人には期待せず、人からどんな酷いことを言われ、されても、淡々と今は生きようと想っている。
    その生き方は、やっぱり意志である。

    人は、変わらないのであり、人は、変わるかもしれない存在だ。

    「生者は、死者の想い為しを生きている。」

    こんな私であろうとも、少しは誰かの、何かの役に立っているのかもしれないと、想いたい。
    私が、今ここで出来ることは、「ただ愛する」そのことだけだろう。
    これは、決して感情ではぶれない、意志である。
    「愛すること」は、意志なのだ。

    風邪をひいたように、突然夢中になるほど人を好きになることはある。
    燃え上がり、とめどなく欲し、熱にうなされ、いつもいつも想い続ける。
    激しければ激しいほど、切なくなるものだ。

    しかし、愛は、違う。

    私がどんなであろうとも、私はいつもいつも愛されてここまで生きて来た。
    それは、私を愛してくれた魂のお陰様だった。
    この年になり、そのことに気づき、改めて感謝している。
    母は、今も傍らで見守っていてくれる。
    それは、死者の意志である。

    それを信じよう。それを信ずることで、私は「愛」が少しばかり分かる気がする。
    それは、与えるもの。
    それは、深いもの。
    それは、とめどなく溢れるもの。
    それは、向こうの世界から届くもの。
    それは、信ずる者だけが感じられるものなのだ。

    愛の人は、この世では愚かな人である。

    それでいいのだ。

    しかし、ストレス故にか、体力が落ちたものである。









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  • from: クマさんさん

    2012年11月14日 06時34分34秒

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    つぶやきを再開する

    どことつなかっているかも分からない状況で文章を書く。
    毎日多い時には2000人が訪れてくれた。
    そのことを励みに描き続けて来たこの「親父たちよ」だった。
    今は、ただの私の思索のメモのような存在になっている。

    母が亡くなってから、怒涛のような日々だった。
    10年日記は、あの日から全く書いていなかった。
    だから、あの日々はいつか記憶から消えて行く。
    母は、どんなにして日々この家で生きていただろうか。
    そんなことを想うこともある。
    それは、記憶の中の母の姿だ。

    しかし、私は今でも母には語りかける。
    死者になったことで、喪われ、無になったわけではないのだ。
    実は、もっと身近に、いつも傍に居てくれる実在となったのである。
    私は、だから母が死んだとは想っていないのだ。

    生きているとなかなか酷いことに出会うものだ。
    何でここまで人を痛めつけ、追い込み、困らせて喜ぶ人間がいるのだろうと、
    何とも嘆かずにはいられない状況に立つこともある。
    自分ではどうすることもできない苛酷な日々。
    そんな時、やはり祈るのは、母やお地蔵様なのである。

    すると、見守られている安心感とでも言うのだろうか。
    心がその瞬間、すっと落ち着くのだ。
    だから、やはり今もここで、こうして母は生きているのだ。
    しかし、その母は、私の心の中に存在する母ではない。
    この私を空と一緒に包み込む、この空気のように目には見えないが、
    尽きせぬ、溢れ来る、無限の、いつまでも在り続けるあるものとして、
    私は、死者の魂に見守られ、包まれて日々を生きているのだ。

    人を見ると迷いばかりだ。
    特に愛に飢えた人たちは、愛されない痛みを人への攻撃に変えて行く。
    酷いことも平気でできるものだった。
    そんな人たちを見ると辛くなるが、そんな時こそ夕日を見よう。
    海や空や月や星を見て、母を想おう。

    ここが生きる原点だから。
    実は、全ての存在は愛でかかわっていたのだ。


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