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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年01月31日 05時26分59秒

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    実験の結果はいかに

    仕事することも大事たけれど、
    休むことはもっと大事だな。
    今週は二日間欠勤だった。
    働いたのは、今日を行けると三日間。

    二日間の禁酒の後で、昨夜は少し飲んでしまった。
    「練習、練習・・・」と、言いながら、
    身体を酒に慣らすと言うのだ。
    大好きな鉄道の旅番組を観た。
    そして、だらだらとまた八海山を飲んでいた。

    次に、ラグビーの選手たちの話だった。
    人は、深い深い想いをもって生きていた。
    その想いを胸に、その想いに押され、励まされ、
    あのプレーはあったことを知った。
    その時も、私は八海山を飲んでいた。

    この際限のない、ちびりちびり飲みが、
    私をこんなに衰えさせていたことを、今朝、自覚した。

    いつもの時刻に目覚ましが鳴った。
    起きられない。というか、起きる気力が全くなかった。
    頭は、今でも、ずっとぼーっとしている。
    夜中にはトイレには起きていないはず。
    なのに、こんなに不全で在り、不調なのは、何でなのか。

    本を読みながら、眠ったらしい。
    せっかくの紀野さんの言葉を、私は、まったく感じないで忘れた。
    センサーが全く鈍っている。
    内臓もそうである。
    休んでいない疲労感が、ずっと続いているようなんだ。

    「休みたい。眠りたい」
    何だろうね。禁酒の後の目覚めと、こんなに違うものなんだの驚きだ。
    確かに、二日間の勤務で身体はくたくたに疲れ果てていた。
    昨日は東区ボーイズの合唱の練習日だった。
    しかし、事前にお休みをお願いしていた。
    身体なんだな。
    医者に言わせれば、あれは胃液の逆流による胃炎だとのこと。
    胃炎であれだけ、激烈な痛みとなるのかの想いもあるが・・・。

    とにかく、自然なままのこの身体に、
    私の不摂生と無理な行動により、
    不具合が起きたことはよくよく分かった。
    そして、今朝だ。
    この疲労感と倦怠感、寝不足感は、どうにもならない状況だ。
    思考が、思考していない。
    胃がむかむかとする。
    今、ここで、布団に入りたい。
    半日、ぐっすりと眠って休みたい。

    これって、みんな、昨日の酒のせいなんだ。
    おいおい、クマさん、そろそろ気づけ。
    この人体実験から明らかになったことは、一体なんだと思う?
    それは、酒が、私の身体を衰えさせているということ。
    そして、このまま酒を飲み続けていると、身体の方がギブアップするということ。
    そろそろ、潮時が来たのではないのかということだ。

    こんなにも身体が不調で、不全で、寝不足になっているのは、
    ただただ昨日、酒を飲んだからなんだ。
    飲んだら、こうなる。
    飲まなかったら、昨日の朝だ。
    どっちをとるか。もう、その選択を迫られる身体となった。

    日々、実践である。ひして、日々、実験である。
    私は、自然なる私の身体で人体実験をよくする。
    この刺激に対して、身体がどんな反応をするのかを観察する。
    今回の実験の結果は明らかだった。
    それを、素直に受け入れられるかで、私のこれからの余生がかかっていた。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月30日 05時34分22秒

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    信じられるかこの「私」を

    昨日、現場に復帰した。
    二日間のご迷惑をお詫びした。
    本当にいつもいつも誰かがカバーしてくれている。
    そのご恩を忘れないことだ。

    昨夜、学びの時があった。
    本心でいられるこの場は、私にとってはとてもとても大事な場だ。
    そこに集う人たちもそうだった。
    自分が自分でいられる。
    その自分をお互いにリスペクトし合い、認め合える。
    何だか、同じなんだなぁと、ふと感じた。

    宿場では、違うということが、いつものことだ。
    みんな私と違っている。
    それは、お互いがお互いで感じ合っていることだ。
    だから、深入りしない。
    話すことも、その先には踏み入れない。
    ストップ。ここまでのボーダーラインだ。

    そのことで、お互いの関係をスムーズにする。
    言いたいことは、言わない。
    例え、腹が立つことがあっても、腹に押し戻す。
    いつもお互いに気持ちよく仕事したい。
    だから、本音はここではご法度だ。

    しかし、この学びの場に来ると、ほっとする。
    何だか自然のままの自分で居られる。
    その居心地の善さが、私たちをここに集める。
    今は、わけあっての週一回の会となった。
    こうして意識して聖書を学んだことは、かってなかったから、
    私にとっては、とてもとても新鮮な学びだった。

    「信ずる」とは、どんなことなんだと、考えている人たちもいる。
    「信じたい」と心から願い、求めている人も多い。
    「信ずること」を偽善的に現して生きている人たちもいる。
    しかし、本当に「信ずる」でなければ、安心はその人にはきっとないだろう。
    私が知っているある人は、信じているようにみせかける。
    どれだけ自分が立派な信徒であるかを誇示する。
    しかし、その人は、自分自身と神様とを騙すわけにはいかない。
    信じられない心をもつながら、信者であると言う嘘偽りを逆に信ずる。
    そんな欺瞞をよく感ずる。

    しかし、この人たちは、そうではなかった。
    本当に「信ずる」とは、どういうことなのか。
    それは、この人たちとの交わりを通して、きっと誰もが感ずることだろう。
    つくり、「信ずる」を頭で考え、分析している内は、
    自己矛盾を起こし、信ずるとは一つには絶対なれない。
    「こうこうだったら、私は、信ずる」
    「こうだったなら、私は、信ずる」
    しかし、そうした説明や解釈を求め、他者にその証明を求め、
    理知的にそのことを明らかにしようとメスを握っている人には、
    絶対に「信ずる」は、やって来ない。

    「信ずる」は、私がするものではなく、
    それは、やっぱり向こうから、選ばれた人にだけやって来るものだからだ。
    という、素朴な真実を、私たちは、共通理解しながら、
    お互いに本心を語り合っている。
    自分を語れることの幸いを、私は、ここで感ずる。
    この同じことを、世間で語れば、また数多の誹謗中傷・バッシングだ。
    「何言ってんだ。分かりもしないくせに」
    「いつもあいつは口ばっかりだ」
    「偉そうなことばっか言ってやがる。反吐がでるぜ」と、
    ある人がまた陰で言っている声が聴こえる。そういうものだ。そういうものなんだ。

    だから、ここだけ、この人たちとだけ、分ち合える。

    昨日、こんな話をした。

    二日間、夜中に激烈な腹の痛みだった。
    それは、突然、やって来るのではない。
    微かな予兆からその痛みは始まる。
    その予兆を感ずると、私は、はっと目覚める。「来る」と悟る。
    さてさて、その瞬間から、神様に祈る。祈る。祈る。
    「どうか、この痛みを私から去らしてください」と、切に祈る。
    声を出して祈る。呻きながら祈る。
    しかし、痛みは、いつものプロセスを経て、徐々に明らかになって来る。

    その時だった。私は、その痛みを見て見ようと思った。
    そして、身体のどのあたりから、どうやってあの痛みに至るのか、
    観察することにした。
    実体はここにある。
    「来た。来た。勘弁してください・・・・。」
    肋骨の下全部が締め付けられる。
    次に鳩尾の胃の辺りをギュウと握りつぶされる感じだ。
    その痛みが、右の腹部の表面を下がって行く。
    そして、ガッと痛みが増幅し、息もできない、声も出せない。
    そして、とにかくとばかりに、トイレに向かった。便器に顔を突っ込んだ。

    それを、観ていた。
    不思議なんだが、痛みとは一体ではなく、痛みだけの私ではなかった。
    脳は痛みセンサーで在り、生存するための司令塔である。
    だから、この痛みの内蔵機と脳とは、同じレベルで直結し、
    連携し、反応し合って、絶えず、感じ・決断し・指令を下し、
    また、リスボンスする。
    生体の生体としての自然な刺激と反応の繰り返しだ。
    それは、必死な回復・蘇生のための闘いでもある。

    しかし、「そうか、こうなるのか・・・」と、
    その闘いを感じつつ、観ている。考えている私が居た。
    私は、その私に、驚いた。
    「あれっ、能ではない、私が、いるねぇ・・・」の実感だった。
    激烈な痛みに苦しむ私は居る。
    しかし、その私を観ている私も居る。
    だから、悶絶する私を、そうかぁと、観られた。

    その「私」とは、一体誰なのですかの「問い」だった。

    こんな話をしたら、他の4人は、真剣に、深く深く共感してくれた。
    その「私」を、彼も彼女もある場所で、ある時に、経験している「私」だった。
    そして、その「私」には、違いはないのではないかという確信だった。
    その「私」で、今、ここで5名は、一つの「私」になっている。

    信じられるか。この「私」を。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月29日 05時33分52秒

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    痛みを通さないと学ばない

    またまた、やってしまった二日間だ。
    仕方ないと諦める。
    とにかく、あの激烈なる痛みには怯えてしまったな。
    それで、ご迷惑を覚悟で、お休みをいただいた。
    欠勤となるために、無給となる。
    日雇い労働者は、大変なんだな。

    それでも、貴重な時間を得ることができた。
    あの個室もそうであったが、
    独りであることで、自分自身と本気で向き合えた。
    「いかに生きるか」
    「これからどうするか」は、
    歩きながら、走りながらではなかなか考えることは難しかった。

    日々の疲れの中ではなく、
    そうやって一日、本当に布団の中で、腹這いになって、
    本を読む。
    今、大事なことを語り、教えてくれるはずの本を選び、
    それを手に取り、とにかくぐんぐんと読み進める。

    私は、遺すべき大事な言葉には、赤いボールペンで波線を引く。
    それから、もう一度振り返って味わいたい言葉には☆印をつける。
    言葉は、言葉だけでなく、その瞬間、私の身体の一部と化する。
    この言葉を、私の生き方とする。
    そうした決意があることで、
    その言葉は、きっと私の魂に消火され、融けいるような気がする。

    言葉を読むと言うことは、
    ものの見方や感じ方を改めて学ぶと言うことだ。
    「そうか、そうだったんだ」の気付きが生まれる。
    私が日頃の生活で見過ごしていたものへの発見が生まれる。
    それは、そうですと教えられて、
    初めて私の出会っている現実の意味を理解させられる。
    そんな驚きや感動を味わえるのが、言葉との出会いだった。

    それから、本質との出会いだ。
    「初めに言葉があった」と、「仏心」とが、
    やっとやっと一つに想えた。
    そして、その「初め」とは、「不生不滅」であり、「本来の真面目」である。
    そのことが一致した。
    「本心」とは、「仏心」である。
    「阿頼耶識」とは、「初めに言葉ありき」のことだ。
    その言葉とは、ロゴスであり、神様の御心であり、仏心であった。
    そのことが、一つだと分かった。

    私は、その一つのままに生きる。
    何を迷うことは無い。
    ただそのものとして、あるがままに日々を生きる。
    その深い深い想いの顕れとしての己を生きるだけだ。

    そうした原点に回帰する。
    そのことこそ、尊いことだった。
    孤独であること。独りであること。
    その時だけだ、こうして言葉を通して神様が語りかけてくれるのは。

    だから、私の人生のターニングポイントには、
    こうして身体の痛みを通しての神様の介入が必ずあった。
    それは、死に病ではない。
    絶対的な激烈な痛みを伴い、私のことを打ちのめす圧倒的な力をもつ病ではある。
    しかし、それは、死なせるためのものではなく、生かすためのものだった。
    そのことを、いつも信じている。
    だから、復活を期して、休むことを己で選択する。

    退職後の講師としての立場である。
    確かに、同僚には多くの迷惑をかけてしまった。
    しかし、あの弱り切った身体で職場に立ってもね
    もしものことがあったら、もっともっと迷惑をかけてしまう。
    だから、私は、休む。
    その代わり、休んだ同僚の支援は惜しみなくする。

    私は、年末のあの時もそうだったが、
    いつもいつも突発的な身体の痛みを、
    ただの痛みとしてではなく、意味のあるものと感じて、それを受け入れる。
    あのみぞおちを締め付け、握りつぶされそうな痛みも、
    何だか意識とは別の身体のこととしてとらえ、見つめられた。
    不思議なことだが、それは、身体が生き延びるために行っている闘いなんだ。
    その痛みを痛みとして感じるのは、ここにセンサーである脳があるからだ。
    しかし、今、こうしてその痛みを見つめているのは、能ではない。
    それでは、いったいどんな私が、この痛みを見つめているのか。
    そして、身体にエールを送っているのかの「問い」だったな。

    私は、痛みを通してしか、自分自身の本心を発見できない愚かな人だ。
    だから、時々、こうして痛みを与えられ、道場とさせられる。
    この痛みは、大いなる「?」である。
    「どう生きるつもりなのか」「言え、言え」だった。
    その時、言葉に戻る。
    本当のことを書かれている本に戻る。
    そうか、「本」とは、「本当のことが書かれている」から「本」なんだな。

    こうして根源的な根本的な何かにリセットされる。
    「本」を熟読することで、「本心」を知る。体得する。
    痛みは、私の覚醒への道でもあった。
    だから、「痛み」を私は受け入れる。肯定する。
    そして、いつかは、その痛みの向こうの「死」もこれでいいと、そう思う。

    またまた学ばせられたな。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月28日 05時24分57秒

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    激痛の二日間。

    月曜日の夜中の2時頃、「きたーーー」だった。
    あのいつもの激痛の予兆が、鳩尾にやっ来た。
    不思議なんだが、まず、予告がやって来る。
    「覚悟は、いいかな」と、そこから痛みは徐々に増してくる。

    とにかくこの痛みは尋常ではない。
    行きが出来なくなるほどの苦しさだ。
    それが私の身体で起きている。
    この痛みを成業することも、軽減することもできない。
    全く増す術も無く、痛みに襲われたまま。
    痛みに対しての無抵抗だ。

    四つん這いににっても痛み、
    布団の上に胡坐をかいても痛み、
    トイレで吐いても(何も出ない)痛む。
    一向にこの痛みは、私の身体から去ろうとはしない。
    居座っている。

    この身体は、私なのに、私が私で苦しみ痛む。
    何だか矛盾していないかの「問い」だった。
    実は、この予兆は一週間前の月曜日に既にあった。
    仕事を終えて夕方少し腹痛を感じたので、ヨガを休んだ。
    それから三日間、体調が全く優れなかった。
    身体は、身体としての予告・サインは明確に出していたのだ。

    月曜日、夜中の転げまわる痛みで、全く消耗していた。
    朝、仕事を休むことにした。
    しかし、この不在の私の仕事が大変なのだ。
    1人1人細かな指示が必要だからだ。
    またまた、大きな迷惑をかけてしまった。
    だが、今は、休むときだ。

    それなのに、火曜日の9時半に、
    またまたあの例の痛みがみぞおち辺りに込み上げて来た。
    「二日続けてですか・・・」「ご勘弁を・・・」だったが、
    身体は容赦なく、その痛みを増していた。
    あの徐々に強まる痛みには、恐怖すら感じている。
    この痛みのMaxを知らないから、
    これからどこまで行くのか予想がつかないからだ。

    私は、激痛を分析した。
    四つん這いになりながら、呼吸ができないくらい痛みながら、
    どこら辺が、どうなって、こうなっているのかを、感じた。探った。
    どうも肋間神経痛の辺りらしい。
    表現はおかしいが、そこいら辺から締め付けられている。
    次は、胃の周りだろうか、両手でその異をぎゅっと抑えられる感じだ。
    胆石のあの痛みとも似ているが、どこか違うような・・・・。

    妻に携帯で電話した。
    「大丈夫・・・」と、言ってきてくれたが、
    「救急車呼ぼうか・・・」と言うので、
    私はまた入院したくないので、首を振った。
    そしたら、眠そうにして、階下に降りた。
    次に、長男が「父さん、大丈夫」と覗いた。
    「大丈夫だ」と、私が便器に顔を突っ込んでいたら、
    暫くしてギターの音が聴こえた。
    何だかね。これでいいと、私は悟った。

    正直、この痛みがずっとずっと続くなら、死んでいいと思った。
    もう思い残すこともない。
    身体が身体として痛みを激しく訴えているのは、
    生きようとしているからには違いない。
    それは、身体の事情だ。
    しかし、その激痛で息も詰まるほどの私にとっては、
    そうやって生きることより、楽になることを望む。
    むこうには、父と母とせっちゃんが待っている。
    また、再会できる。それも、いい。

    今も、うっすらとその予兆がある。
    きっと身体のあの辺りのどこかに異変が起きている。
    もしも、癌だったらどうしよう。
    その宣告を、私はしっかりと平常心で受け入れられるだろうか。
    62歳。早すぎると言えばそうだし、叔父たちを思えば妥当な年齢だ。

    まだ、私がこの世でやらねばならない仕事があれば、
    神様は、天に私を召すことはないと信ずる。
    そろそろだよ。がんばったな。もう大丈夫だ。
    そう言われたら、感謝して、お迎えを受け入れるつもりだ。
    早すぎるか、妥当であるか、それは、私が決めることではない。
    しかし、つくづく身体とは、私の意志を離れた自然なものだと感じた。

    その自然の危うさと、弱さと、あるがままを、
    この痛みを通して学んだ。学んだ。
    身体は、身体で懸命に生きていた。
    それは、この庭の百日紅の樹木のようなものだった。
    懸命に寒空に枝をとがらせ突っ立っている。
    生きるものは、きっと生きるだろうし、
    何かの病や、老衰となれば、死ぬ時は、きっと枯れて行くのだろう。

    そのことも、あるがままだな。

    つくづく、週四日勤務くらいが、私には丁度良いのではと感じられた。
    今日も、無理せずに休むことにする。
    またまた、欠勤で、無給となる。
    それでも、身体には替えられない。
    さてさて、今夜もあの激痛に見舞われるのだろうか・・・・。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月26日 07時51分19秒

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    演劇と映画のはしごだぜ

    昨日、曇りではあったが、気持ち善い一日だった。
    こうなると家でじっとしていられなくなる性分だ。
    妻は、何と十日町の朝市にチンコロを買いに行くと言って、
    朝、車で出かけた。
    ならば私も・・・ではないが、大事な観劇を思い出したのだ。

    60歳以上の男女による演劇集団が、
    私が尊敬する笹部さんによって創られた。
    そして、台本と演出を笹部さんが行って、
    ワークショップの発表公演として「瞼の母」が上演されたのだった。

    このことを知ったのは、朝の村上のTさんのFBだった。
    「えっ、今日だったっけ」の驚きだった。
    それから、映画「キャッツ」も観たかったので、
    どうやったら、この二つをはしごするかの思案だった。
    そして、その答えが出たので、私は早速行動に移ることにした。
    決断したら、早いのが私だった。

    ランチを、TETTOで食べることにした。
    ここには、私が心から敬愛し、リスペクトしている、
    元noisumのダンサーAさんが、アルバイトで仕事している。
    カウンターの向こうに皿をふいている彼女がいる。
    まさに、熱烈なファンとしては、至福の時だった。
    ここでお話しができる感動。
    ワインと大盛サラダを食べながら、連発する親父ギャグ。
    それに美しすぎる笑顔で応える彼女の何と愛くるしいことか・・・・。

    レジで、彼女に私は、語った。
    「私を、あなたのファンクラブ第一号と認定してください」
    「そして、その1号を永久保存としてください」と。
    そう言う私は、本気だった。本当に、本気だった。
    愛媛県の多治見の出身だと聴いた。
    オレンジ色のミカンをいただいた。
    これを食べるわけにはいかないなぁ・・・だった。

    それから、りゅーとぴあで「瞼の母」だった。
    私の幸運はここにあった。
    満員の席なのに、能楽堂の舞台脇の2列目が空いていたいた。
    奇跡のような話だった。

    そして、奇跡は、この舞台に舞い降りて来た。
    あのチンドン隊のすさまじい個性と存在感とパフォーマンス。
    まさに、その空気に飲み込まれ、唖然として、圧倒された。
    本気で舞台での出番を楽しんでいる。
    みんなで何かを醸し出し、創り上げいく。
    そのパワーと演ずる人たちの迸る喜びとに、
    もっていかれてしまうのだった。

    秀逸は、忠太郎と母親との場面だった。
    あの二人の長台詞に、私は惹きこまれた。
    どんどん忠太郎と彼を捨てた母親との気持ちに同化した。
    何だか、本当に、その場に立ち、その場面をかたづをのんで見つめていた。
    何だろうと、思った。
    天から降りて来た二人の演技は、神がかり、一瞬も目も心も離れなくなった。
    こんなにも役者さんの演技に魂が惹きこまれるものなのた。
    私は、舞台の醍醐味と存在とを、この二人の演技から教えられた。
    「これが、私に、できるか」という「問い」だった。

    「春のホタル」の懐かしいメンバーに再開した。
    みんなはこうして、演劇を続け、舞台で生きていた。
    羨ましいと心から思った。
    私も、いつかいつかまた舞台に・・・。叶わぬ夢かな。

    りゅうとから、Tジョイのまで歩いて20分だった。
    上映時間にはまだ10分あったので、菊水一番搾りを買った。
    映画「キャッツ」は、あれだけ期待していたのに・・・。
    何だかその展開と音楽と設定についていけずに、
    途中で席を立ちたくなった。
    そこで描かれているドラマと、私は、違った。
    だから、その物語に同化できず、感動できない。
    確かに美しい映像だ。主役の彼女の踊りは秀逸だ。しかし、・・・。

    だが、奇跡は、ラスト5分間に待っていた。
    「メモリー」を歌いながら天に昇り、新しく生まれ変わる彼女の姿。
    この瞬間に魂と身体とは震えた。涙が溢れた。「きたーーーー」だった。

    その頃、既に相当な酩酊状態だった。
    それなのに、最後のしめでシンさんのお店に行った。
    サムライロックを飲み、演劇と映画の話だった。
    「ああ、役者、やりてぇーーーなぁ」
    「じゃ、やればいいですよ」だな。

    帰って夕食を食べ、どうしても観たい土曜ドラマのためにテレビをつけた。
    それから、私の記憶は飛んでいる。
    目覚めたのは夜中の1時だった。
    私は、ドラマ「心を癒す」を観た記憶が未だにないのだ。

    今日も朝日が眩しい。
    深い水色の空が見える。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月25日 11時35分50秒

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    地域で何が独りでできるかなぁ

    9時にヨガに行って来た。
    今も、こうしてピー感の天気だ。
    今日は1月25日(土)である。
    いつもの年なら、雪の中。
    大雪だったら、早朝暗いうちから家の周りの雪除けだ。
    今年は、スノーダンプが一度も出動していない。

    大雪でお仕事をしている人たちのことが心配になる。
    スキー場には雪は無い。
    周辺の民宿やホテルもお客は来ないことだろう。
    何だかいつものことがいつものように起こらないと、
    どこかに必ず不具合が起きる。
    せめて山だけには、大雪が降ってもらいたいものだ。

    私も何だかぼーっとして生きている。
    あれもこれもとは思わなくなった。
    心の変化は、加齢によるものでもあるらしい。
    つくづくおとなしくなったものだと、感心する。
    それでも、何か内からの胎動は感じている。
    さすがに、10年前のようなことは決して思わないが、
    独りでできること。
    独りで何かの役に立てることを少しずつ考えている。

    以前は、やりたいことがあったら率先して仲間を募って、組織を立ち上げた。
    山の会は、二つある。
    その二つの会は、しっかりとした事務局さんのおかげで、今も続いている。
    もう15年も前になるかな。「やろう会」という親父の会だった。
    その会の仲間が、今でも続いていることには感謝している。
    劇団を1つだ。
    私は訳あって足を洗ったが、この劇団も10周年となったそうだ。
    そんなこんなのパワーは、加齢によって今は無い。

    独りでできることを、今は、探し求めている。
    これまでお世話になり、助けてもらった世の中に、
    何かをお返ししなければならないような気がするからだ。
    そんなこんなで、一つだけ、シンさんのお店でのJAZZコンサートだった。
    昨年の10月で8回の開催だった。
    山の下にJAZZが響く。お客さんには好評の企画だ。
    子熊もここでコンサートをやった。
    やっぱり音楽なのかなぁとも思っている。

    考えてみたら、実際に身体が動いて活動できるのは、
    もう10年位なのではないだろうか。
    62歳の私は、10年後に72歳の私になっている。
    気持ちも想いも何も変わっていなくとも、
    この身体の肉体的な衰えは、実にリアルに感じている。
    「衰える」それを「受け入れる」

    しかし、ただ生きるのではなく、より善い人生にしたい。
    そう思うと、やっぱり慈悲の心での実践しかないと思う。
    どこかで、自分を捨てる。身軽になる。もう自分を先にしない。
    そして、隣人が困っていたら、手を差し伸べる。声をかける。
    相談にのる。話を聴く。そんなことなら、今の私にもできる気がする。
    そうやって、生きている人が、1人くらいいないと寂しい世の中だ。

    そう思うと、実際に何をしたらよいのか、思案のしどころだった。
    参加して、協力するのはやぶさかではない。
    ところが、「あれをやれ」「これをやれ」では、
    何の為に自由の身になったのか分からなくなる。
    だから、責任ある立場には絶対にならないことにした。
    責任には、必ず義務が伴う。
    真面目な人ほど、その義務と責任とこだよりやかましい。
    だから、そうした真面目な人たちの集まりには参加はしない。

    すると、この独りでの立ち位置で、どんな仕事を果たしたらよいのかだった。

    大きなことは、しない。
    金のかかることは、しない。
    組織には属さない。属しても平の立場で居る。
    無理なことは絶対にしない。
    今の自由が奪われるような責任と義務の伴うことはしない。

    それでは、どんな仕事が地域に在るのか。
    それをこれからも探して歩こうと思っている。
    1人ぐらいそうやって変わった人が生きていていいのだと思っている。
    みんなは、自分のことで精いっぱいだ。
    隣人の面倒などは、みる余裕はあるはずはない。
    そうやって、静かに余生を送り、老いて衰え、枯れていく。
    それは、私のここでの人生そのものでもあるはずだ。

    だから、尚更そう思う。
    きっと私にもやれる人助けがあるはずだと。
    先に書いた私の条件は、
    ここでかかわったいろいろなことで痛い目・苦い想いを味わっての反省だった。
    人を相手にすることは、難しいことだ。
    だから、人を相手にしないで、独りでできる何かを求めたい。

    そうやって、ここで生きて行けたら幸せだなぁと、
    このピー感の天気で、これを書きながら改めて思った。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月24日 05時36分19秒

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    「花は咲く」

    さてさて、金曜日だ。
    今日をやって迎えることができた。
    それでも、日々、それなりに楽しんで生活している。
    仕事があるから、めりはりもあり、遣り甲斐も感じて生きられる。
    「まぁ、生きていればいいか」と、思っている。
    「生きることには、不自由はないさ」とも思っている。
    何かの働きがストップしたら、その時が、サヨナラをする時だけだ。
    気楽に生かされている。
    それが、昨日の朝、五頭山に朝日が昇るのを見て、
    「美しいなぁ」と、感じながら、「生きてるだけでいい」とも思った。思った。

    東区ボーイズの合唱の練習の日だった。
    昨年、私は、超多忙の中、体調を壊した中、
    この練習を休むことが多かった。
    それはそうだ。
    仕事を終える夕方に、私の疲れと睡魔とは、Maxを迎える。
    やっとの想いで、ハンドルを握る。
    「帰るぞ」と、自分に言い聞かせる。

    その後、夜7時からの練習は、今の私にはきつくなった。
    しかし、私のことを待っていてくれるK先生だった。
    「来てくれるだけでいい」「いつもいつも待っています」
    「みなさんもクマさんのこと心配していますよ」
    欠席の私からのメールの返信は、いつもこれだった。

    こんなにも待たれている場所が在る。
    それは、それで、とてもとてもありがたいことだった。
    「居ても居なくてもいい人は、居てもいいかなぁ」と、思ってずっと生きて来た。
    今はきっと、どこにでも「ああ、居たね」と言われる私だ。
    それなのに、ある集まりでは、そうやって必要な人として求められる。
    それは、それで、とても嬉しいことだった。

    年末に病院の個室に居た。
    ここで私が亡くなっても、居なくなっても、
    世の中に何の変化もあるわけでない。
    私は、ただ自分がそうやってでも、
    今日を生かされていることに感謝していた。
    そして、また復活したら、
    自分のやりたいことをやってみようと思っていた。
    そんな時、心配のメールは、K先生だった。

    個室に居ると、私が誰と深く深くで繋がっているのかがよく分かった。
    それは、どうでもよい繋がりは、繋がりではなかったと、
    何だかこのことで明確になったからだ。
    「ああ、そうか。心配してくれる人は、この人たちなんだな」との実感。
    だから、K先生の優しさと心配とには、何とか報いたいと願っていた。

    練習の前に食べた、「仁」のタンメンの超大盛なこと。
    野菜が丼から盛り上がり、どう切り崩して食べようかと思案だった。
    その上、100円で5個の美味い美味い餃子を食べた。
    満腹を通り越して、お腹は、まさにパンク寸前だった。
    そうやって、懐かしい練習室に入って行った。
    みな、何も変わりなく、余計な気遣いなく、そのままだった。
    私よりも10歳以上先輩たちばかりだ。
    この中で、一番病気をしたり、入院したり、手術したりは、私だった。
    本当に健康第一なんだと、いつも思う。

    ところが、「花は咲く」を歌い出した途端、熱い熱い涙が溢れた。
    それが、止まらない。次々に溢れては、流れる。困った。どうしよう。歌えない。

    「叶えたい夢もあった。変わりたい自分も居た」
    「今はただ、懐かしいあの人を思い出す」

    「誰かの歌が聴こえる。誰かを励ましてる」

    「花は花は花は咲く。いつか生まれる君に。」
    「花は花は花は咲く。私は、何をのこしただろう」

    「傷ついて、傷つけて、報われず泣いたりして」
    「今はただ、愛おしいあの人を思い出す」

    「誰かの笑顔が見える。悲しみのむこうがわに」
    「花は花は花は咲く。いつか生まれる君に。」
    「花は花は花は咲く。私は何をのこしただろう」

    「いつか恋する君のため」

    どうして、この歌を歌いながら、涙が止まらなくなったのだろう。
    今も、こうして、涙が続く。涙を流す。

    これって、なんだ。
    その自分を、歌いながら発見した。
    そう心から歌いたい私。
    そう心から歌われたい私。

    合唱に参加し、この歌に改めて出会った。
    この歌は、きっと今の私の歌なんだな。
    私の歌。「花は咲く」

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  • from: クマドンさん

    2020年01月23日 05時31分56秒

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    信ずるとは何か

    昨夜は、学びの時だった。
    教会に集まって、アルファの学びを続けている。
    昨夜で4回目だった。
    全部で15回の学びだ。
    信仰の原点に立つ。
    そのことを改めて参加者で分かち合い、確認している。

    信ずるとは、不思議なことだ。
    どうして私が、こうして信ずることができたのか。
    それは、きっと自分自身を信じられなくなったからだろう。
    愚かで、どうにもならない自分自身を、
    きっと私は、信じられなくなったのだと思う。

    しかし、反面、そうした自分自身を超えて、
    私のことを信じている私も確かに居てくれた。
    そのおかげで、私は、とことんどん底に堕ちながらも、
    絶望することはなかった。
    いつも、その度に、助け手が現われ、
    逃れる道が備えられていた。

    実は、そうした苦境に立たされながら、
    その度に、選択を迫られながら、
    そして、ある大いなるものに聴きながら、
    1つの決断をしてきた私。

    その一つ一つの決断の連続が、今の私だ。
    ここまで来るまでには、長い長い道程だった。
    振り返って見たら、全てが「これでいい」と、今は想える。
    この先はどうなるのかは、「神のみぞ知る」だ。
    私がね決めることではなく、
    私は、その岐路に立たせられたのなら、
    神様に聴くことなんだ。

    沈黙の時もある。
    ずっとずっとどうしたらよいのかを、示されない時もある。
    また、自分を捨てなければならない時もある。
    自分のことを忘れ、捨て身になって、相手のことを優先する。
    その選択には、リスクが伴う。
    私は、ある意味、それまで大事にしてきたことを失うことになる。
    それでも、その道を選択するか、どうかで、
    それからの生き方は、全く違う生き方となる。

    日々、私4名の参加者でその話になった。
    私は、「今は、人を気にせず、独りで生きている」と、話した。
    本当にそうだった。
    人の中に居ながら、その人たちに影響を受けず、
    私は、独りで、自由に、生きている。
    それは、我がままとはちょっと違う。
    自分勝手に生きていては、この安心感は絶対に得られない。
    きっと深くで「それで、いい」と、言ってくれるからだと、私は思う。

    つまり、日々の選択・決断には、
    「それで、いい」という、確信が、是認が、必ず与えられるということだ。
    そのことは、私にとっては大きな安心であり、
    心の大きな安心立命でもあった。
    「信ずる人たち」には、これがあった。
    だから、真っ直ぐに心地よく進む。

    しかし、今は、反対勢力が大きな企みをもって対抗している。
    教会で、こんな愚かなことが行われ続けてもう3年目になる。
    一部の人たちが、徒党を組む。
    そして、激しい攻撃を加えて来る。
    教会で、こんなことが行われているのかの驚きだった。
    しかし、それも人間の為せる業と、今は、憐れに感じている。

    この人たちが居てくれるおかげさまで、
    私の立ち位置は明確になった。
    私は、あの人たちとは全く真逆の位置にいる。
    というか、その立場に立たせられた。
    そして、明確になった。
    他者を通して、自分自身の在り方が、より鮮明になる。
    それは、私は、あの人たちとは、全く違う信仰をもっているということが、
    よくよく分かったからだ。

    その実感として、今を生きる根源として、
    時には、師として、友として、共にこの荒波の中を後悔している同志として、
    私は、いつも傍に感じ、語り掛ける。祈り求める。
    そうした「ある」という実感で、日々を生きている私たちと、
    まず「ある」のは、自分であり、
    そして、その自分にとって都合のよいことを言ってくれるのが神である。
    つまり、神様を自分の利益や権威のために利用しようとしている人たちとは、
    私は、全く違う人だということが、この半年でよくよく分かった。

    あの人たちは、「信じられない」から、「信じようと」する人たちだ。
    そして、「信ずる」を頭で考え、不安定な自分のことを誤魔化すために、
    形式を重んじ、人目に目立つ行為を重んじ、理屈を重んずる。
    つまり、律法主義者たちのように、
    昔から守られて来た伝統・形式を踏襲することで、
    誰が一番偉いのかを競っている人たちだった。
    心は、空虚で虚しくとも、「信じている」ふりを続ける。
    自分のことを自分で信じられないのだから、
    どんなに無理をして「信じよう」としても、それは無駄だ。

    「信ずる」と、「信じられない」には、越えられぬ隔たりがある。
    それを、頭で理解して、そうなんだと思い込ませようとしても、
    それは、嘘だ。見せかけだ。ただの形式だ。
    何故なら、「信じられない」自分のことを、
    一番よく知っているのは自分だからだ。
    そこに、今回の謀反の原因があると分かった。

    信じられない自分たちにとって、
    信じられる人たちは、目障りなんだな。
    何十年と信仰をもって生きてきたはずの自分には、
    本当の「信仰」が存在していなかったということの気付きは、
    深い深い絶望であり、驚きだったと想像する。

    だから、やっつけたいと思う。
    だから、執拗に嘘を繕い、周りの人たちを騙して、正当化しようとする。
    その現実の醜い人間としての姿が、
    私にとっては、物語ではなく、現実の人間の姿として見える。
    「信仰」をもっているという人たちは、
    こんなに悍ましく生きられるのかの、驚きと、嘆きとだった。

    これは、ある意味、「聖書」に描かれている物語そのものだ。
    人とは、こうした過ちを犯す者だ。
    それは、私もまさにそうだったからよく分かる。

    ただし、その過ちや罪に気付き、悔い改められるかどうかで、
    その人の生き方は変わり、
    平安と自由と希望とをその人が得られるかどうかが決まる。
    そのことを、昨夜集まった4人は、実体験を通して知っている。

    信ずるとは、自分のことではない。
    ここに在ると、言える、その自分が生きているかの問いなんだな。
    私は、その問いには、明確に応えられる。
    「ここに在ります」と。
    それを答えられない人たちが、頑なに魂を支配され、暴れることとなる。
    それだけのことなんだと、今は、思える。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月22日 05時30分36秒

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    思い込みを放下する

    だんだん普段の身体に戻ってきている。
    ただし、昨日の朝、出勤前にトイレで吐いた。
    朝食を食べた後、むかむかとして耐えられなかったからだ。
    身体が弱っていることは、こうした耐性の弱さで分かる。
    飲み過ぎだ。
    本当にやっちまった。
    しかし、それだけ嬉しくもあり、楽しくもあった酒だった。

    「放下」ということがある。
    「どうでもいいや」でもあるかも知れない。
    悩まない。ただ、そのまんまを生きる。ただ、それだけ。
    これって、とても気が楽だ。

    先日のSさんとの話だった。
    「身体は、自然のままに生かされている」そんなことに、82歳で気付いたそうだ。
    だから、Sさんは、この寒さの中を杖を2本ついて、
    四足歩行で自然の真っただ中や、街のど真ん中を、今頃歩いている。
    それは、身体が喜ぶからだ。
    そうすることで、身体が蘇り、気持ち善く生活できる。
    一日、炬燵にもぐって、テレビばかりの生活には、
    身体がそれでは駄目だと呼びかけそうだった。

    私もそうだ。
    今は、ランのために外には出ない。
    こんな寒さの中では、逆に身体に迷惑をかけるからだ。
    しかし、こうして4時前に起床して、本を読む。
    親しい人にメールする。
    「親父たちよ」を30分間書いている。
    それから、残りの時間にヨガをする。
    そして、ラジオで音楽を聴きながら、朝風呂に入る。
    そして、朝食だ。

    このルーテーンを、私の身体は喜んでいる。
    ただ、それだけのこと。
    しかし、この生活を繰り返す中で、
    私は、身体と心との喜びを実感しながら生きている。
    あの、月曜日の絶不調の時は、
    「休みたい」「行きたくない」「眠っていたい」の思いばかりだった。

    それだけ、人生には、身体から来る影響は計り知れず大きいものがある。
    身体に熱が在る。原因不明の痛みが在る。だるくて起きていられない。
    そんな症状が少しでもあれば、気分はぐっと落ち込むものだ。
    そして、「やる気」が出ない。
    活動的には、どうしてもなれないものだ。
    その時は、無理をしない。
    ただ、休んで回復するのを期待しつつ待つだけだ。

    しかし、二日酔いや肉体的な疲労感ならそれでもいいだろう。
    もし、不治の病に侵されたのなら、
    いったい私は、どう生きるのかの「問い」はある。
    パーキンソン病になった友が居る。
    彼のことを、時々、思う。
    私の妻は、28年間リュウマチで生きている。
    幸い悪性でないので、こうして強い薬を使って、普段の生活をしている。
    しかし、あちらこちらに不具合・不調が在り、不全感の中での生活だ。

    もし、私が、そうだったら、どんな気持ちで一日一日を過ごすのだろうか。
    昨日、元広島カープの投手が「T型白血病」を発症したと報道された。
    ドナーを待ち、骨髄移植しか生きる方法は無いと言う難病だ。

    つまり、普段、何気なく生きているが、
    こうやって身体の不自由をあまり感じないで、
    そのままの生活を続けられることは、
    とてもとても感謝することで、大いなる神様からの恵なんだということだ。
    そのことに、人は、あまり気付かない。
    この身体が健康であるのなら、どこへでも行ける。何でもできる。
    自分がやろうとしていることに対して、
    身体からの制限や、制約は感じない。

    しかし、こうした難病や癌や、身体の障害を受けてしまった人たちには、
    この何でもない、ごくごく平凡な日常が、
    夢のようにありがたいものに感ぜられる日常となる。

    その人たちにとって、ありがたいはずのこの日常生活を、
    私が、感謝して生活できるために、
    私の身体は、時々、大きな警告を発し、ブレーキをかける。
    本当に、その時に気付くかどうかで、その後の人生は大きく分かれる。

    パーキンソン病の彼には、休職か早期退職を勧めている。
    これ以上無理をして、日々その身体を酷使し、悪化させることの無いためだ。
    仕事を辞めたら、することが無い。
    家に居てもどうにもならない。
    まだ子供の学費がかかる。経済的にゆとりが無くなる。
    と、彼は、言う。

    しかし、これで悪化して、車椅子や、寝たきりの生活となったら、
    もっともっと後悔をするのではないかと、
    私は、それでも、嫌がられながらも、休職と早期退職とを進めている。
    しかし、その決断を彼はしない。
    現実の生活をどうするのか。
    つまり、そうやってしか人は生きられないと言う古くからの教えに縛られ、
    その教えだけを忠実に守り、そこから抜け出せないまま、
    その病を発見してもらってから、2年間がたとうとしている。

    その間に、身体は自然だから、身体は生物だから、
    徐々に変化し、本人が気づかない隠れた部分で悪化している。
    その破壊された部分は、二度と再び元には戻らない部分となる。
    つまり、微細ではあるが、この病は、刻々とその手を休めず、
    身体の隠れた気付かない部分を侵し、破壊する。
    なのに、その本人は、現実の生活だけを優先する。
    休むことも、退職することも選択肢には入れない。
    しかし、日々の生活で、不自由を感ずる度合いが大きくなっている。
    そのことは、心配していた。不安に思っていたる

    だから、「放下」なんだ。
    真面目な男だから、捕らわれた、教え込まれた生き方だけしか、
    彼の考えの中には存在していない。
    「そうではない」生き方を想像できない。
    今、固執している生き方を手放せば、
    次の一手が浮かぶはずなのに、手を離さない。そのまんまでいる。

    それは、月曜日に飲み過ぎで全く体調を壊した私が、
    その日にまた飲み会に参加する様なものだった。
    毎日二日酔いの体調不良なのに、
    毎晩、夜中まで飲み歩いていると同じことだ。
    だから、私は忠告する。しかし、彼は全くそれを自分の問題としてとらえない。

    真面目で、優秀で、融通のきかない、頑固な人は、
    「放下」とは真逆な道を58歳になる今も、歩いている。
    そのために、日々、身体が悪化しても、身体からサインが出ていても、
    それを無視して、今日を生きる。
    それで、いいのだろうか・・・・。

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  • from: クマドンさん

    2020年01月21日 05時25分58秒

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    不調な身体を整える

    昨日は、ヨガを休んだ。
    朝から、体調がよくなかったからだ。
    こうした日が多くなりつつある。
    身体の不具合は、気持ちにも影響する。
    また、あの激痛が起こったらどうしようの心配だった。

    私の内臓には、あるべき胆嚢が存在しない。
    そのために、腸からの逆流が起こりやすいとの話だった。
    これは、臨港病院の内視鏡手術の失敗により、
    私が受けた障害だった。
    まぁいいかとは思っていたが、
    やっぱり身体には必要ないものは一つも存在していない。

    改めてその現実に気付いた時、
    少なからぬショックを感じた。
    未だに腹筋は、固く、突っ張った感じがある。
    縫合した部分は、切る前には絶対に戻らない。
    これも臨港病院の手術の失敗のおかげだった。
    二度の開腹手術だった。

    そして、12月の今回も、内視鏡手術の同意書を何枚も書かされていた。
    私の身体は、あの医師の失敗によって、
    こんな身体となってしまった。
    しかし、そんなことを思っていても仕方ないことだった。
    この不具合の在る身体と一緒に生きて行かねばならなかった。

    年休が0のため、
    休むと無給となる立場となっている。
    何と今月は入院のために8万円も減額だった。
    経済的にも痛手をこうむっている。
    しかし、こう考えると、62歳でこうして仕事ができることは感謝、感謝だ。

    不具合・不全感のある身体であっても、
    こうして仕事を続けられる。
    それは、何よりのことと思う。
    もし、私の身体そのものが不自由で、動かなかったら、
    私は、きっとここで寝たきりの生活だろう。
    その時、私は、どう生きているのだろうか。

    医療費の高さは、身をもって感じた。
    もう入院はできないと、リタイアした私は感じた。
    仕事をできないまま、日々医療費だけがどんどん嵩む。
    そうした悪循環の中で、健康と経済が疲弊する。

    何よりもそうした状況では、
    心の健康も保証はできないと思う。
    人は、生き甲斐の無い状況では、喜びをもって生きられない。
    それはきっと難しいと思うからだ。
    だから、もし、そうなったら、
    私はどうなってしまうのかとの、心配や不安はある。
    これは、独り暮らしの高齢者の心配や不安だろうと思う。

    昨日、世界の街歩きで、アフリカの小さな島のことを観た。
    みんな陽気で、優しい人たちだ。
    お金があるわけでなく、大家族で、支え合い、助け合って暮らしている。
    「何か、問題はないかい?」と、旅人に挨拶する。
    家の前には必ず縁側のような石の台が続き、
    そこに街の人たちが座り、話したり、コーヒーを飲んだり、ゲームをしたりだ。
    みんな毎日、仕事が無い限りここに来る。
    そして、仲間たちと話をする。時間を過ごす。

    あるものはみんなで分けあうということが、
    ここではごくごく自然に行われていた。
    井戸を自宅に掘った老人は、その井戸を隣近所に分配していた。
    「誰かが困っていたら、それを助けるのは当たり前だ」
    「そうやって私たちは、先祖からずっと生きて来たよ」との話だった。

    貧しいけれど、困っていたら、助けてくれる隣人がいる。
    豊かであるが、困っていても、孤立するだけ。

    何だか、どちらの生活が、幸せな生活なのか分からなくなった。

    お金は、あるには越したことはない。
    しかし、そのお金のためだけに生きることは、
    お金のことで余計な心配をすることは、
    何だか人から生きることの幸せ感を奪うような気がする。

    身体が動かなくなったら、私は、どうなるのだろう。
    家族は、そんな私をどう思うか・・・。
    とにかく、今は、この不調を少しでも改善して、仕事をすることだ。

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