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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019年12月31日 06時11分05秒

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    「1つ」と「同じ」

    2019年12月31日午前5時32分。
    いつものようにこれを書いている。

    外は、冬型の気圧配置のてめ、久しぶりの冬の風。
    昨日は穏やかだったので、50分間のウォーキングだった。
    返って来たから台所の大掃除をと思っていたら、
    妻に拒否をされた。
    「私が、やる」とのこと。

    そのために、午後の予定がキャンセルとなり、
    私は、「いだてん」の東京オリンピック編を観ていた。
    私は「いだてん」が好きだ。
    この田畑や嘉納オリンピックに向けた熱い、熱い想いが好きだ。
    改めて、官九郎脚本の凄さを感じた。
    私にも書きたい物語がある。
    私は、来年には官九郎のように、面白く、わくわくとして、
    いつの間にか感動して、涙する。拍手する。そうした物語だ。

    それから、ロマのはるかなる音楽の旅を観た。
    ロマの旅はインドから始まっていると言う。
    ハンガリーには民族音楽としてロマの音楽が演奏される。
    しかし、それはハンガリーの伝統の音楽としてだった。
    彼等は移動する少数民族として差別され、
    社会主義国の中では、社会の底辺に追いやられて生きた来た人たちだ。
    その哀しみに、その辛さに、その苦難に、
    ロマたちは、音楽で耐えて生きて来た。
    その伝統の音を守り、受け継いで来た。
    「哀しさの極みに美しさが在る」
    その旅をしたバイオリニストの言葉だった。
    私も、そうした哀しみと美しさとが一体となった音楽を歌いたいと願っている。

    ここに居ながら、過去に旅をした。
    そして、そこに生きた亡くなった人たちの生き様に感動し、涙した。
    東欧の小さな村に生きるロマたちの楽団だ。
    今でも稼ぐものが、一族全ての生活を養っていることを当たり前としたいる。
    貧しいし、明日をも知れないその日暮らしだ。
    しかし、誇りをもち、人としての信念を貫き、伝統を継承している。
    その生き方が、実に潔く、美しく、儚かった。

    何だろうなぁ。
    入院中に発見したことが、「みな1つなんだ」ということだった。
    上手くは説明できないが、きっとみんなは、その「1つ」の顕れなんだ。
    その1つとは、「同じ1つ」だ。
    きっと全ての人は、その「1つ」を持たされて、この世に生まれた。
    だから、その「1つ」を持たない人は、1人も居ない。
    誰もが、きっとこの「1つ」で出来ている。
    きっとこの「1つ」を生きている。
    ただ、忘れているだけだ。知らないだけだ。気付かないだけだ。

    しかし、その「1つ」にはっとすることがある。
    それが、感動である。涙である。哀しさであり喜びである。
    私は、もう既にこの世には居ない、50年前の人たちに深く深く共感する。
    ハンガリーの田舎を旅するロマたちの哀愁に感動する。共鳴する。
    死者たちと言葉も分からない外国の人たちと、
    私は、「同じ」自分自身をそこで感ずる。
    泣けると言うことは、深く深くリスペクトできるというひとは、
    「同じ」ということ。「1つ」ということ。
    その確認なんだなぁと、やっぱりドラマやドキュメンタリーを観て、そう思ったる

    脚本を書いている時の話だ。
    私は、自分が書いた登場人物の台詞で泣く。
    いや、私がもし感動できなかったら、それは、書く必要のないものなんだ。
    それが、この「1つ」や「同じ」を顕わにした物語でなかったら、
    私は、感動しない。涙も流さない。深く深くリスペクトはしない。
    「お前が書いている物語なのに?」と、きっとそう想われるだろうが、
    実は、そうなんだ。
    今も、そうだが、書いているのは私ではなくなる瞬間がある。
    その「1つ」や「同じ」が語りだす時だ。
    その時は、任せる。委ねる。ただ、私は記録する。書き続ける。

    真実である人生。善である生き方。美である生き様。
    これも、きっと「1つ」と「同じ」の顕れなんだ。

    入院中にSさんからの「問い」だった。
    文化の「文」とは、いったいどんな意味があるのかと言う。
    「文化」「文明」「文学」「文字」「文書」等。
    「文」がその源にあり、
    その「文」を何物かに変化させ、明らかにし、学び、字に顕し、書き残す。
    それでは、この「文」という一字で表されているものとは、
    一体何なのかの「問い」だった。

    私は、その「文」そのものの意味を知らない。
    しかし、きっとこの「文」を発見した人にとっては、
    その「文」が私の「1つ」や「同じ」と、不二ではないのかの気付きだった。
    それは、「不生の仏性」であり、「仏心」であり、「独座大雄峰」でもある。
    「廬山は煙雨 浙江は潮」でもある。
    その「1つ」と「同じ」があることを「信じられる」ならば、
    「いだてん」の金栗も田畑も、ロマの音楽家や旅をする鋳掛屋家族も、
    みな同じなんだと、そう思う。

    その「1つ」と「同じ」で生きることだ。
    それがきっと、深く深くで生きることの意味なのだとやっと分かった気がした。
    「俺が、俺が」なんかじゃ絶対にない。
    そうした憐れな人間に今年は、何人も出会った哀しさ。
    でも、この「1つ」と「同じ」を大切にして生きている人たちにも、
    私は、出会うことができた。
    私は、この人たちを信じたい。
    「俺が、俺が」の人たちとは、どんなに嫌われても、別れたい。それだけだ。

    さてさて、2020年に、その顕れの物語を私は書けるか。
    今は、その訪れを静かに、期待しつつ待っているところだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月30日 06時36分12秒

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    独りの命をどう使うのか

    後、二日で2019年が終わる。
    不思議なものだ。
    時間は連続をしているのだから、終わりはないはずなのに、
    人は、何だかいつもぐるっと一周の円環運動だった。
    それを区切りとする。
    それをスタートとする。
    そして、元旦1月1日から新たな年がスタートする。

    グランメゾン東京が三ツ星をとった。
    それも倫子シェフの魚料理でだった。
    そのことが嬉しくて、嬉しくて、万歳だったな。

    やっぱり私も、きっと、何かに挑戦するのだろうと思っている。
    それは、何かは、まだ決めていない。
    入院中に同じ牡蠣で腹痛と吐き気で一日寝た切りだったAさんが、
    お見舞いに来てくれた。
    相変わらず熱い、熱い男だった。
    「今度、こんなことを始めるよ」と、
    彼の考えている新たな福祉活動の構想を話してくれた。
    彼の頭の中では、しっかりとシュミレーションができていた。
    そして、それは時代のニーズにはぴったりの、オンリーワンの仕事だった。
    その感性と、発想力と、組織力にはいつもいつも頭が下がる。
    「小花か・・・」だったな。

    独りになった。
    痛みと熱の中で独りになった。
    そのことのために、私はこの独房に入れられたようなものだ。
    人は、連続の中では、改めて自分自身と向き合う時間を失うようだ。
    日々、目の前に起こる事を一つ一つこなし、処理し、解決していくプロセス。
    そうやって一日の仕事を終え、どっと疲れて我が家に帰る。
    それはそれで嬉しく、好きなんだけれど、
    ふっと我に還る時間は、時には必要なもののようだ。

    神様は、私のターニングポイントで、
    私に病を与え、すさまじい痛みと共に、
    一切のしがらみや、仕事や、家族からも切り離される環境に、
    置き去りにすることが何度もあった。
    そこに、神様のはたらきを見出すか、ただの不満と怒りにするか、
    そのことを試みられている、そんな機会だった。

    私は、イブの夜。イブ礼拝へ行くための外出許可を却下された。
    「私は、クリスチャンです。近くのN教会の礼拝に参加したいので、お願いします」
    何だか、こうして、私は、自分がクリスチャンであることを、
    知らない人に初めて言ったような気がした。
    「そうか。クリスチャンだと、言える私なんだ」との驚きだった。

    そうした信仰をもった私は、個室の中で独りでありながら、
    孤独には絶対になれないのだった。
    それは、いつも神様に語り掛け、祈っているからだった。
    この独りである時、ここに居てくださるからだ。
    私は、独りになっても、孤独にはなれなかった。
    独りであればあるほど、近く、親しく、素直に語ることができるからだ。

    小花は、倫子に「三ツ星をとらす」と、約束をした。
    そして、数多の試練と困難の中で、
    彼は信念をもってその想いを貫き、ミシュランの審査員を店に迎えた。
    そして、自らがこだわったマグロを諦め、
    倫子の鰆にその運命を託し、自らは店を去って行った。

    何だかね。
    私は、この小花のように生きたいものだと、そう思った。
    ドクターXの大門道子もそうだ。
    「どこの医局にも属さず、頼らず、媚びず、たたき上げの腕だけで」
    そうやって生きている彼女も、独りだった。
    ラグビーの笑わない男稲垣もそうだった。
    確かに、チームであるが、彼は独りで只管自分を鍛え、追い込み、強靭にした。

    そうした独りで、私は、生きられるかの問いでもあった。
    しかし、小花にも、大門にも、稲垣にも、
    一緒に共にスクラムを組んで闘えるチームが居てくれた。
    小花が小花であれたのも、
    大門が大門であれたのも、
    稲垣が稲垣であれたのも、
    みな想いを一つにして闘ったチームの独り独りがいたからだった。

    まず、独りになる。
    次に、独りを鍛える。
    そして、独りで立つ。
    きっとその時なんだろうなぁ。
    その独りの今、ここを、超える何かを掴むときは。
    その独りを超えることを、挑戦と呼ぶ。

    私は、ベッドから天井を見つめながら、
    この独りが、どう生きるのかが、課題なんだと感じていた。
    そのためには、私は、私を捨てねばならなかった。
    私にも、きっとAさんが見つけ、決断したように、
    私なりの道は、きっとあるのだとは思っている。
    しかし、それが何かは、まだまだ先のことのように感じている。

    コンプリートは、在る。
    だから、「美味い」と、フーディーたちを唸らせるフレンチは在る。
    開腹し、予想外の現状に機転を利かせ、術式を変更する。
    しかし、その準備は想定内で怠っていない。
    スクラムの微妙なバランスの違いを感じた。
    即、次のスクラムで修正を図り、チームの勝利に導いた。

    独りとは、そういう独りの実感だった。
    独りであるとは、ある意味選ばれているということだ。

    私は、こうして生還できた。
    あの激痛の中で、ちょっだけ考えた。
    「これで、死ぬかも・・・。まぁ、いいか・・・。」

    でも、まだここに生かされている。
    ならばこの命を何に使うかかな・・・・。

    という気付きは、やっぱり病院の個室のベッドだから、生まれるようだ。
    あそこは、私にとっての最上の道場でもあったな。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月29日 08時15分25秒

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    病室の午前中のルーテーンだ

    ルーテーンを決める。
    ルーテーンを実行する。
    そのことは、N大に二カ月間入院した時に学んだことだった。

    病室と言う限られた空間に置かれている。
    移動ができるようになってからは、
    点滴が散歩の友となる。
    しかし、移動できる空間・範囲は限られている。
    全く外気には当たらない空調の中だけの生活だ。
    かっては、大部屋でそれをした。
    しかし、今回は幸運にも個室でそれができる。
    一日6,600円は、道場での生活費・入門料と考える。
    その分、魂にとってよき成長の日々となす。

    朝は、4時に目覚める。
    FMで「ラジオ深夜便」「明日への提言」を聴く。
    さまざまな仕事に携わり、さまざまな人生の発見をし、
    その気付きを言葉にして伝える人たちが、ラジオで語る。
    人生の師からの言葉は、何よりも心に響く言葉となる。
    「癌で余命宣告をされた医師の話」を病室のベッドで聴くことのリアル感。

    5時「弾き語りフォー・ユー」を聴く。
    ピアノの弾き語りだけでなく、深い深い魂の歌に出会うことがある。
    歌は、誌である。歌は、慰めである。歌は、癒しである。
    そして、何よりも歌は、励ましであり、涙でもあった。

    5時f半「ヨガ」で身体を動かす。目覚めさせる。
    ベッドの上の狭いスペースだ。
    点滴の管が左手の手首に刺さっている。
    出来ることは限られていても、限られたことをやって楽しむ。
    身体のあちらこちらが気持ちよく伸ばされ、曲げられ、癒される。
    まず、身体の気持ちよいことを行う。

    6時テレビの番組表で一日の番組を総ざらいする。
    その中で、幾つかの番組をチョイスして、メモに書き留める。
    6時からはBS「グレート・ネィチャー」
    6時半はらは、「グレート・トラバース」
    7時からは、「麵の匠」だった。
    私はここに居ながら、チリの活火山の火口に立ち、
    福岡の山に登り、東京中野の蕎麦屋の名店のカウンタに座る。
    それは、何だかみんな向こうのことではなく、
    我がごととして感じられた。

    7時半朝食。
    全ての音を消し、お祈りをして、お粥に礼をする。
    ひと口入れて、その微妙な味わいを、黙って味わう。
    見えるお粥。薫るお粥。温かなお粥。
    それを口に入れると、甘いご飯の味のお粥となる。
    その後は、私の身体のお粥となる。
    そうだった。味わった後は、私となるのだ。
    そして、このお米は、大地とお日様と風と雨と水との恵み。
    そして、丹精を込めて育てた農家の人の想いの結晶。
    そして、ここで美味しく焚いてくれた人たちの仕事。
    全てが在って、このひと匙のお粥が在る。
    そのお粥が、私の身体となり、私が生きる。
    私は、そのお粥で、このお米が育った大地と繋がった。

    8時から9時まで、読書。「無心について」
    本当に「無心」そのものになりたいと願っていた。
    しかし、これがなかなか難しい。

    9時からBS「空遊・中国の旅」?
    この番組は面白かった。
    三蔵法師の旅・空海の旅・孔明の旅。
    何と中国とは雄大なる大地なのだろう。大陸なのだろう。
    やっぱり日本は島国だったとよく分かった。
    中国のあの大地と山脈と大河の旅をいつか必ずと新たな夢だった。

    そして、10時から我が師である小千谷のSさんと電話で対話。
    これも病室からの対話であるから、
    互いに発見や、気付きに充ちて、幸せ感満載の対話となった。
    1時間余り、あっという間の出来事だった。
    その対話を終えてから、暫くは、ぼーっと過ごす。
    魂の糧を反芻する。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月28日 09時45分19秒

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    今、ここ、できることだけ

    まだ記憶がある内に、書いておく。
    というか、書くことにとてもとても飢えていた。
    言葉にしたかった。
    ここで感じたことや、味わったことを現したかった。
    しかし、私はガラ携のために、このページにアクセスはできない。
    ということで、今朝、これを書く。

    体調はよくなかった。
    熱がなかなか下がらず、アイスノンで頭を冷やした。
    抗生物質で菌との闘いだ。
    肝臓の数値が異常だった。
    医師もその数値に驚き、内視鏡手術の同意書を私は書かせられた。
    このまま悪化したら、即、手術する体制をとっているとのこと。
    点滴はずっと続けられ、夜中にも看護師さんだった。

    私は、個室のベッドで天井を見つめながら、
    まさか、また、ここに還って来るとは・・・。と、溜息だった。
    熱が少しずつ下がり、身体が楽になると、
    今度は、頭が冴えて来る。
    「落ち着け、落ち着け。大丈夫。大丈夫」と、言い聞かせた。
    何だか知らないが、焦りと小さな怒りと不安感が入り混じっていた。
    だから、言葉が心には響かなかった。

    あれだけ苦労して練習を重ねた合唱に参加できなかった。
    その懇親会にも参加できず、職場の望年会もキャンセルとなった。
    仕事は欠勤なり、無給の日々になり、
    楽しみにしていた教会の学びも、小千谷への旅もアウトだった。
    その時点で、予定していた楽しみが全て私は奪われた。

    あの時、私が焦っていたり、不満だったりしたのは、
    やりたいことができなくなってしまった現実を、
    受け入れることができなかったからだった。
    「あれもやりたい」「これもやりたい」
    とひろが、病気になり、入院するといえことは、
    全てその予定を諦めるということだった。

    このことを私は、実感として改めて学ぶことができた。
    自由に、自分の好きなことをやりたのなら、
    身体の健康と自由とは、必須な条件なのだとしみじみと感じた。
    私、体調の不全感もあり、入院した二日間は、
    何だか私が、私でないような感覚で生きていた。
    それは、心の落ち着きを他に求め、
    無いものねだりばかりしていたからだと、後から気付いた。

    今、ここ、を、私は見失っていたのだった。
    身動きが出来ないこの状況が、今、ここだ。
    その今、ここを、どうやって気持ちよく過ごすことができるか。
    そのことを考え、実行することが、
    日々を幸せに生きる為に何よりも重要なことなのだと私は忘れていたらしい。

    つまり、ここにあることを、どう楽しむかなんだな。
    そして、時間を使うことの自由は私に委ねられているのだから、
    まず、この現状を肯定し、「これでいい」と思い。
    さて、どうするか、次の講堂を考え、実行することだった。
    そう想えたのが、二日目を終える頃だった。

    「ルーテーンを作ろう。」
    熱が下がり、体調が戻るにつれて、落ち着いて自分自身と向き合えるようになった。
    そしたら、分かった。
    「こんな理想的な修業の場はないではないか」ということだった。

    日々、断食を続けている。
    この部屋に閉じこもっている。
    たった独りだ。
    家族は居ない。家事も無い。仕事も無いし、社会からも隔離されている。
    もし、このことを家庭でやろうとしたら、無理な話だ。
    この格好な就業の道場に、
    私は入門したのだと考えを改めた。

    すると、この独房のような地獄の場所が、
    極楽浄土の修業の場所と変化した。
    おかしなものだが、私のものの観方感じ方で、
    同じその場所が地獄にもなり、極楽にもなった。
    どうせ生きるなら、極楽往生で生きたいものだと、
    私は、腹を決めた。
    「よし、ここで断食・禁酒の修行生活だ」と、張り切った。
    そしたら、何だか面白くなって来た。

    何でも気持ちのもちようなんだ。
    本当にそう思う様になったら、ここがかけがえのない場所になった。
    私は、気持ちを定かに、心落ち着けて、
    鈴木大拙さんの「無心について」をまた読み始めた。
    その時、やっと、言葉は、私に沁みて、理解できた。

    さてさて、この許された環境の中でどうやって自由自在に生きるかだな。
    それを考えると、何だかわくわくした私だった。
    なにものは諦める。
    今、ここに在るもので生きるだけ。
    時間は流れては消えて行くもの。
    その時間をどうやって充実させ、熟して行くか。
    問われているのは、その場、その時、それぞれの生き方そのものだった。

    私は、三日目から、一つのルーテーンを決めて、
    そのルーテーンに即して生きることわ自分に決めた。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月28日 08時24分06秒

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    60台をいかに生き延びるかの術とは

    昨日の夕方、長男が迎えに来てくれた。
    退院だった。
    ちょうど入院してから6日目になっていた。
    肝臓の数値も正常になり、午前中の血液検査も異常なしだった。
    しかし、未だに原因不明。
    医師は、内視鏡の手術を勧めたかったが、諦めた。
    私が、普段の私に回復したからだった。

    今回は、突然のことで空き病床が無く、
    やむなく個室となっていた。
    一日6,600円の別途料金が加算される。
    禁食が9食だった。
    その間、点滴の水分と栄養とで生かされていた。
    だから、ここに居ざるを得なかった。
    個室の費用だけで、39,600円。

    事務員の人が、概算をもって来た。
    計117,726円だ。
    それを6日で割ると、何と一日当たり19,621円となる。
    そして、私は臨時の講師の為に、
    休んだ分は欠勤扱いで、その日は無給となってしまう。
    つまり、その間の稼ぎが無く、一日2万円近くの出費だった。

    まず、学んだことは、この現実の厳しさだ。
    生き帰るために。蘇生するために。再び普通の身体に戻るために。
    入院するとは、こうした経済的な負担を課せられるとうことだ。
    ここには、医療費だけでなく、
    ここで生活するために必要な全ての経費も含まれている。

    また、この入院の為に新たに購入した日用雑貨もある。
    そして、入院中のテレビと冷蔵庫にも1枚千円のテレビカードだ。

    ああ、身体を壊さねばよかったと、その請求書を見て考えた。
    しかし、実は、私は、今回のこの突然の入院を、
    自分自身にとっては、天恵だったと思っている。
    あのまま、あの気持ちのまま、もし、今を生きていたとしたら、
    こんなことでは終わらなかっただろうと、予想されるからだ。

    ここにも記したが、12月に入ったからの二週間は、
    本当に超過密なスケジュールだった。
    それを決めたのは私だし、それはそれでよしとしていた。
    しかし、この62歳の身体に許可をもらってはいなかったようだ。
    身体に聴けと言いながら、
    自分が身体に聴くことをすっかりと忙しさの中で忘れ去っていた。
    その結果かが、これだった。

    つまり、このことで学んだことの1つは、
    病気になることとは、経済的な負担がとても大きいということだ。
    私は、こうした6日間で幸いにも退院できたが、
    もし、このまま何カ月も入院が続いたら、
    その費用だけでも相当な額となって行く。
    そして、その間、仕事が出来ない。稼げない。蓄えがどんどんと減って行く。

    そう思うと、やっぱり健康が何よりなんだと、つくづく感じた。

    それと、歳相応に身体が衰えているのだから、まずその現状を理解して、
    その程度に見合ったことを行うことだと言うことだ。
    「無理」は、絶対に効かない身体になった。
    「休養」を求める身体となった。
    「内臓」が衰えた身体となった。
    その自覚を持ち、その身体に見合った生活をすることが、
    何よりも健康の秘訣なんだと、体験を通して学ばせられた。

    日々の食事も大切だった。
    カロリーを考え。脂っこいものは少なく。栄養のバランスを考え、
    和食中心の献立で、八分目にする。
    酒は、ほどほど、辞めろとは言わないが、適量で席を立つ。
    就寝は早目にして、睡眠時間をしっかりと確保する。
    ヨガ等の運動を継続し、体重の減量と維持を図る。

    こうした注意を怠った時、
    私の身体は警告を発する身体となっている。
    だから、高くはついたが、原稿大学の学費だと思えば、安いものだ。
    本当に身体を通して、痛みを通して、
    私は、60代をいかに生き延びるか、その術を学ばせてもらった。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月28日 07時37分03秒

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    22日㈰緊急入院

    予想されたクマの反応。
    22日の夜中2時頃、突然鳩尾に激痛が走った。
    ギュウと握り潰されるような痛み。
    耐えられずもんどりうち、呻き、葉を食いしばり、耐えた。
    三回の激痛の波。
    それが20分近くも続いた。
    「こうきたか・・・」と、何だか薄れる意識で、死も考えた。
    「まぁ、いいか・・・」と、この痛みなら「もういい」と感じた。
    「四回目が来たら・・・」と、私は、救急車を呼ばないことにした。
    その日が、北区文化会館の「歌の祭典」の当日だったからだ。
    「入院してしまったら・・・」と、四回目の来ないことを祈った。
    そして、それは、来なかった。
    鎮まった。静かになった。あの激痛が嵐のように去って行った。

    私は、朝、新潟駅まで妻に車で送ってもらった。
    豊栄行きの快速電車の中で、「牡蠣かぁ・・・」と、気付いた。
    そして、一緒に牡蠣小屋で牡蠣を食べたAさんにメール。
    直ぐに返信が返って来た。
    「昨日、一日寝てました。吐きました。」だった。
    「こりゃ駄目だ・・・・・。」と、豊栄駅で合唱の仲間に電話した。
    「牡蠣に当たったかもです。今回は残念ながらです・・・。」と。
    その時、すさまじい寒気に襲われていた。
    「何で、私は、ここに、居るのか・・・・」。
    帰りの内野行きは、20分も待たねばならなかった。
    寒気と寒さにガタガタ震えながら、電車を待った。待った。

    新潟駅からタクシーで帰った。
    必要なものは自分で準備した。
    救急車を呼んでもらった。
    すぐ裏が消防署なので、あっという間に救急車だった。
    私は、車内のベットに寝かせられた。
    これが何度目の救急車だろうと、遠い意識で考えた。

    「救急搬送をお願いします。・・・当番医が居ない・・・。」
    「62歳男性激しい腹痛を訴えています。・・・・えっ、ベットか空いていない。」
    「これからそちらに搬送したいのですか・・・。担当が違う・・・。」
    「あの、以前そちらの病院に罹ったことのある患者さんさんですが・・・。」
    「あの、A病院。B病院。C病院と、断られてそちらをお願いしているのですが。」
    「またすみません。どこも受け入れてもらえません。そちらでは・・・。」
    「元患者さんでも3年経ったら関係が無い?・・・・」
    「先ほど電話した〇〇です。どうしてもお願いできませんか・・・。」
    「担当の方が来るのが午後から・・・ですか。他を聴いてみます。」
    「あなたね。こうして頼んでいるのに断るんですね。名前を聴かせてください。」

    こんな救急隊員の方の話を、痛みと寒気の中で聴いていた。
    その時、体温は39.2度だった。40度近い発熱になっていた。
    A大・B病院ともに緊急医療対応の大病院だ。断られた。
    C・D・E病院は地域のこれも救急病院だ。断られた。
    F病院は、遠く西区の病院だ。断られた。

    これが、聴いてはいたが、あの病院のたらい回しだった。
    「クマさん、やっと決まりました。B病院が受け入れてくれます。」
    「これから、そちらに向かいます。」
    その声を聴いたのは、このベットに寝かされてからジャスト1時間だった。
    もし、私が生きる死ぬの病人だったら、
    きっとこの場で、ご臨終だったのかも知れないかった。

    さてさて、私は、そんなこんなでやっと、B病院の緊急処置室に運び込まれた。
    一緒に付き添ってくれた息子も安堵したようだった。
    実は、私の心のどこかに、やっぱり「死」を感じていたからだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月21日 11時14分38秒

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    対話のできる人

    さてさて、日が差して来た。
    こんな時刻にこれを書いているのにはわけがあった。
    それは、二日酔いで寝坊したことと、
    土曜日のヨガが急遽お休みになったからだ。
    やることがなくなったので、キッチンでぼーっとテレビを観ていた。
    「旅してちょうない」で、東区じゅんさ池界隈だった。
    地元が映ると、嬉しいものだ。

    蠣を食べに万代の蠣小屋にAさんと行った。
    無性に蠣が食べたくなったAさんからのお誘いだった。
    私たちは蠣を食べながら、
    話をしていた。

    何だか彼は深くなっていた。
    また始動し出したようだった。
    そのことが嬉しかった。
    私もそうだが、彼もマグロのようにいつも超スピードで回遊していた。
    会う度に新たな人となっていた。
    私は、そんな彼のお仕事のほんの少しお手伝いをしたことがある。

    私に福祉というものはどんなことなのかを、教えてくれた男だった。
    特別支援教育に携わりつつ、
    社会における福祉の現場に、彼のおかげで立たせてもらった。
    「そうか、これが現場。現状なのか」と、
    どれだけ目からうろこが落ちたことか。

    彼もそうだが、頭で考え、知識だけのものは、
    お互いの心には響かないことを、知っている。
    身体で分かったことだけが、真実・実感だ。
    だから、なかなか苦戦することもあり、
    どん底に突き落とされることもあり、
    もう駄目だと孤独に追い込まれることもある。

    あの整形の看護師さんの言葉だ。
    「患者さんの痛みは、私には分からないんですよね」
    私が坐骨神経痛の猛烈な痛みで呻いていると、
    そんなことを毛布をかけながら彼女が呟いた。
    「名言だ」と、痛みの中でそう思った。

    痛みを味わった人しか、その痛みは分からない。
    だから、痛みを味わった人は、その痛みが分かる人となれる。
    共感できるのは、自分自身がそうであった人だけだ。
    そのことを本で読んだり、
    人から聴いた話だったりしたら。
    いくら共感しようにも、その共感のための共通項が存在しない。

    私は開腹手術を2回行っている。
    そして、1回目は10時間の生死を彷徨った手術だった。
    だから、「ドクターX」を見る度に、
    あの全身麻酔で眠っている患者のことが私のことのように感じられる。
    大門道子が最後に患者の肩に手を置いて、じっと見つめる時、
    涙がじわって滲んでしまう。
    あの管を口に入れた患者の気持ちが分かるのは、
    やっぱり自分もあの手術台の上で手術を受けた経験のある人だけだ。

    つまり、人は、体験こそ、学びなんだという事実だ。
    だから、歳をとると、だんだんどうでもいい話しかしない人や、
    自分の自慢話しかしない人や、
    体験で自分のことを深めていない頭だけの人とは、
    お金を使って、飲んで、話しする気は起きなくなった。
    私は、そうしたところには行かなくなり、
    そうした会には参加しなくなり、
    本当に深く深くを体験し、感じ、それを糧として生きている人とだけ、
    会って話をするようになった。

    それは、深い体験を余儀なくされた、彼も同じだった。
    確かに、変わっていた。
    数年前の彼にとっては、他人ごとであり、
    そういうものかと遠くから想っていたことが、
    我が毎となり、その苦し、切なさ、時には、孤独感と絶望感の中にあり、
    日々、自分に起きていることを味わい、その体験を通して学ぶ時、
    そうした人生の深味から顕れた言葉の数々は、
    やっと生きる言葉として、そのまま味わえるようになる。

    そう考えると、私の2回の大手術は、
    私とっては感謝すべき天恵でもあるのだった。
    人生とは、そうした向こうからやって来る一つ一つの出来事を、
    たとえどんなことであろうとも、期待しつつ、感謝しつつ、
    味わっていくことなのではないだろうか。

    その最中に居る時は、人と比較して、どうして俺がと、怒ることもあった。
    しかし、そのことを通して、本当に私に何かを学ばせたい時は、
    そのことを回避させることは、
    私から大事な人生の学びを奪うこととなる。
    それは、痛みのないことに越したことはなく、
    どん底に落とされることもなく、
    絶望を感じて、死にたいと思うこともなければ、
    それはそれで幸せなのだ。

    しかし、私に起こったことには、全て「意味」があったと知ると、
    これからどんなことがこの身に起ころうと、
    それにはきっと何かの「意味」があるのだと確信しているから、
    そのことすら、「まぁいいか」と受け入れられる。
    Aさんが、まさにそんな境地に達していると私は感じた。

    試練と苦悩とが人を人として深くする。
    62歳になって、周りの人たちを見るにつけて、
    そのことの確信を一層深くした。

    話したい人がいる。
    その人の声を聴きたい人がいる。
    2人で会って酒を飲みたいひとがいる。
    果たして、私はそういう人になっているのだろうか。

    とにかく評判の悪い男だ。
    あの人たちの話を聴いた、私のことを知らない人たちは、
    そんな最低の男だと思っていることだろう。
    でも、私は、私だ。
    私のことは、私が一番よく分かっている。
    ただし、できていることと、できていないこととがある。
    時には、失敗もするし、投げ出すし、我がままにふるまうこともある。
    でも、それも私だ。

    しかし、ある人たちは、そう言って人のことを批難するが、
    ご自分にはそんなところは無いのだろうかの問いだった。
    人を悪く言う人たちは、自分のことをどう思っているのだろうか。
    自分は、完璧にできている人なのかだな。

    しかし、他の人たちは、人のことをとやかくは言わない。
    それは、自分のことを知っているからだ。
    愚かであり、間違いを犯し、失敗をして、人に迷惑をかけたことがある私。
    私は、そういう人とは話をしたいと思っている。

    痛みを知る人。
    失敗した人。
    罪を犯してしまった人。
    何度も絶望を味わった人。
    死にたいと思ったことのある人。
    病だった人。病の人。
    心の弱い人。

    その人たちとなら、深く深く共感できる。
    きっとお互いがリスペクトし、
    話しながら互いに気付き、深まって行く対話ができる。

    ある意味、人から嫌われ、私は、人嫌いになった。
    しかし、それが善かったと今も想っている。
    これかせも、自分のやりたいことだけをやる。
    自分がやりたくないことなはかかわらないで生きる。

    だから、尚更、Aさんの密かな始動が嬉しく感じた。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月20日 05時19分56秒

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    子熊のデビューコンサート

    我が長男、子熊が、何と21日㈯にシンさんのお店でコンサートを開く。
    来年の1月18日のjazzstreetに、
    彼のギターと友達のサックスのduoで、デビューするそうだ。
    そのjazzstreetのプログラムに、二人のバンドが載っている。
    そうきたかぁ。
    何とも親熊としては、嬉しい限りだった。

    彼が高校生の頃だったか、
    ある日、私の部屋にあったフォークギターが消えていた。
    そしたら、ボロンボロンと彼の部屋かギターの音だった。
    その内に、エレキギターに転向したようで、
    高校最後の文化祭では、大ブレークしたステージを、
    妻と二人で観に行った。

    音楽が、彼といつも共にあってくれた。
    その結果、とうとうjazzstreetのデビューとなった。
    私が、ずっとずっとjazzstreetに毎年通っていたことを彼は知っていた。
    そして、彼もいつの間にか、
    コルトレーンを聴き、マイルスが好きだと言うようになった。
    jazzは、父と息子との数少ない共通話題だった。

    その内に、彼がスタジオを借りて、
    サックスの友とduoで腕を磨いていることを知るようになった。
    その音楽は、確かに趣味の域を超えていた。
    時々、彼の部屋から聴こえるギターの音色が、
    なかなかいいので、黙って聴いていることも度々となった。

    ある日、jazzstreetの実行委員会にデモCDを送ったと聴かされた。
    合格することを切に祈った。
    黙ってたが、合格だったようで、
    そのプログラムの演奏バンドに、
    子熊とその友達の名前が載っていた。
    嬉しかったなぁ。
    今も、時々、それを開き名前を確認している。

    そして、本番前の度胸試し、前哨戦として、
    シンさんのお店での小さなライブが実現した。
    この場を提供してくれたシンさんには、深く深く感謝している。
    21日㈯19時~  ワンドリンク付き 500円だ。
    残念ながら私は、22日㈰の北区文化会館のコンサートに出演するため、
    前日のゲネプロでこのデビューコンサートは聴くことができない。
    本当に、本当に、残念なことだ。

    しかし、このduoは、育てたい。
    とにかく、観客にどれだけ受けて、指示されるかだと思っている。
    私が、田中さんや、五十嵐さん、濱田さんとjazzの人たちを応援しているように、
    彼等のバンドをどれだけ本気で支持してくれる人たちと、
    どれだけ出会えるかだろうと思っている。

    とにかく、そのまず一歩を、21日に行う。
    心から成功することを祈っている。
    土曜日は、子熊が。
    日曜日は、親熊が、
    コンサートである。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月19日 05時43分35秒

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    ひとりを考える

    「生ぜしもひとりなり、死するもひとなり、
     されば人と共に住するもひとりなり、
     そいはつべき人なき故り」   一遍

    「孤独独一」 一遍

    「おのずから相あふ時もわかれても
     ひとりはいつもひとりなりけり」  一遍

    「身を捨つる人はまことに捨つるかは
     捨てぬ人こそ捨つるなりけれ」  一遍

    「ひとり」の哲学 山折哲雄著

    この本を夜中に起きて、ずっと読んでいた。
    そして、今日、読了できた。

    何故、この本の題名に心惹かれたか。
    それは、今、ここで、私が大事にしていることが、
    この「ひとり」だからだ。

    この歳にならないと分からないことがある。
    それが、きっとこの「ひとり」なのだと思う。
    ひとはしょせんひとりなんだは、
    諦めでもなく、嘆きでもなく、孤独でもない。
    そうした、何だか「のほほんと」「ほっとする」ひとりの生き方を、
    今は、私が求めて行っているからだ。

    この心境は、きっと5年前の私に味わえないこころだと思う。
    その頃もひとりだったが、
    そのひとりが何かを渇望し、何かに依存し、
    仕方なくひとりでいるだけで、
    何だか落ち着かなく、何だか不全で、何だか誰かを追い求めているひとり、
    だった気がするからだ。

    ひとりであることは、幸せなことだ。
    それは、決してひとりにはなれないからだ。
    その安心の中でのひとりは、確かに人としての自然な姿だ。

    ネットで繋がる。
    ラインで繋がる。
    フェースブックを絶えず更新する。
    これほど孤独はないだろうなぁと、感ずる私。
    ひととは、本来、繋がれないものなんだという実感。
    その不安定で、信頼できないこころに頼ろうとする私。
    それって、ひとりとしての寂しさの海に沈むこと。

    私ではなく、いつもひとのことで不安になり、心配をする。
    相手の揺らぐ思いや、自分への気持ちに敏感になり、
    絶えずそのことを確かめなくては気が済まないひとり。
    そのひとりは、誰とどんなに繋がろうとも、
    やっぱり「孤独」なひとりなんだとしか言えないひとり。

    私は、いつしか、そのみんなの中にいなければ不安であるひとりから、
    離れた位置に立って生きることを求めるようになっていた。

    「ひとりで、いい」
    「ひとりが、いい」
    「ひとは、ひとりなんだから」

    そのひとりで生きることの味わいを、
    退職してから何だかだんだん深く味わえるようになってきた。
    そうした「ひとり」の喜び。充足感。満足感。等々、
    満員の午後10時代のバスに乗ると、
    ああ、このスマホに夢中な若者たちには、
    この感覚は味わえないんだろうなぁと、感ずる62歳の「ひとり」だった。

    ひとりから逃げる。
    ひとりで居られない。
    ひとりを惨めだと感ずる。
    しかし、もったいなぁなぁと、私は思うる

    ひとりだからできることがある。
    ひとりだから感じられることがある。
    ひとりだから「ああ、そうだったんだ」と思うことがある。
    ひとりだから、本当の自分と向き合える。
    そんな大事な時間をスマホでネットでラインで失う。

    そこで、一遍のこの言葉だ。

    私は、この言葉と出会い、どぎっとした。
    そして、この言葉をひとりで味わった。
    するとねその言葉と、一つで生きたいと願うひとりの私に気付いた。
    そこで生きる。
    すると、絶対にひとりには成りきれない。
    何故なら、そのひとりは、言葉と共に生かされているひとりになるからだ。

    言葉と共にあるのなら、
    一遍と共に生きるからだ。

    ひとは、ひとりにはなれないものだ。

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  • from: クマドンさん

    2019年12月18日 05時37分54秒

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    本番は22日㈰14時 北区文化会館だ。

    合唱の練習だった。
    やっと全曲を歌うことができた。
    その内の三曲は、これからとにかく練習・練習だ。
    自分のものになるまでは、繰り返しの練習しかない。

    私は、楽譜を読めるが、楽譜で音をとれる人ではなかった。
    だから、いつも歌える人の隣で歌う。
    音程を耳で聴く。
    その音を同時に私の音とする。
    その繰り返しの中で、ぶれていた音が少しずつ修正される。

    音とりで半音の違いが難しい。
    自分では出せていると思っている音なのだが、
    どうも微妙に届かない、ずれがある。
    そうした音の違いを指導者から指摘され、修正する。
    練習とは、その作業の繰り返した。

    自分の身体に沁みこませるためには、
    しっかりとその音を記憶する必要がある。
    記憶と言うか、その音の流れから自然にその音が歌われる。
    つまり、どこから歌い始めても、
    その音を正確に歌えるという、何と言うか音との一体感だ。
    そこまで、身体に音を練り込まないと、
    コンサートでは、自信をもって歌えないものだ。

    私は、合唱を長くやっていたおかげで、
    ある日、ある時から、声の響きが質的に違って来たことを実感した。
    バリトンの声は、少し高い音でも伸びのある響きとなって歌われる。
    それは、喉の開け方。身体の開き方。鼻の奥・目の間での響かせ方等、
    実は、この身体を意識してコントロールし、
    また、その機能を高め、熟成させた結果出せる音だった。
    それは、長年の練習で身に着けた賜物だった。

    バリトンの響きで、声量もあるので、混成では歓迎される。
    合唱男性の人口がそもそも少ないからだ。
    北区の合唱団でもその台所事情は同じだった。
    人から物の数にも入れてもらえないこのクマさんは、
    混声合唱だと、なくてはならない人となる。
    先週の土曜日の特訓は、練習に来ない私のための特訓でもあった。
    私が、歌えば、合唱の力となれる。土台となれる。
    そのことを、私は、感謝している。
    こんな私も、役に立つことができるからだ。

    同じ合唱団の男性は、人生の先輩・達人だらけだった。
    合唱一筋。
    いぶし銀の響きだった。
    60代・70代をこうして歌い、それを生き甲斐としている人たちが、
    私にとっての人生の目標でもあった。
    「かく、生きたい」
    私は、合唱を楽しむ先輩たちを、これから人生のモデルとしている。

    そして、改めて思ったことは、一つのことを続けることの大事さだ。
    好きなことを見つけたら。そのことをやって楽しいと感じたら。
    そのことを学び続け、やりつづけることが大事なんだと言う自覚だった。

    いつからそれを始めてもいい。
    若い時から始めらたら、それはそれでいいとも思う。
    しかし、本当にいつから始めてもいいんだな。
    60代になり、面倒だとか、恥ずかしいだとか、今更だとかは思わない。
    そう想ってしり込みし、諦めたことに、
    本当に深い人生の喜びがあったかもしれないではないか。
    だから、私の好奇心が旺盛な内は、何でも気が向いたらチャレンジする。

    この合唱もその1つ。
    35年前に出会った「メサイア」合唱協会に参加したのが、事始めだった。
    登山も山賊会を創ってから、はや30年たとうとしている。
    書道もそうだった。蒲水先生に出会ってから、既に40年だ。
    それは、ずっと続けていたというわけでもなく、
    途中に長いお休みと、ブランクはあった。
    それでも、こうして歌を歌い、時々山に登り、子どもたちに賞状を筆で書く。

    ヨガも、その私の人生の無くてはならない一つとなった。

    私は、自分が楽しいと感ずることは、続けられると思っている。
    そして、全力で歌い終わり、へとへとになって椅子にどんと座る時、
    何だか「やりきった」の達成感を深く深くで味わっている。
    だからこそ、お仕事をへとへとに疲れ切ったからだでも北区文化会館へ向かい、
    歌をうたっているのだと、昨日は思った。

    とにかく、この声には期待がかかっている。
    本番に燃え尽きるまで歌うために、
    この四日間が大事な日々となる。
    とにかく練習・練習・練習ありきだ。

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