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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018年12月31日 07時18分34秒

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    西郷どんだなあ

    昨日は、「西郷どん」で、午後から泣いたな。
    今は、そんな自分をそのまんまにしている。
    感動して涙する私。
    その私の発見と気付き。
    これは、不思議だなぁの世界だと腑に落ちている。

    私が意図しての涙ではない。
    自然と溢れ、流れる涙だ。
    その涙の温かさに、確かに心が洗われる気がする。
    在るものがその涙によって浄化される。
    そして、涙する私を感ずる。
    その私を信ずる。
    そう生きようとする私を、私はそのまま生かさねばと感ずる。

    何度も何度もどん底を味わった男だ。
    死からの生還をした男だ。
    彼は、そこで何かを捨てる。何かを奪われる。
    裸にされる。自らの弱さと向き合わされる。
    絶望する。死すら想う。

    しかし、その時、天からの救いが降りてくる。
    彼の命の使い道が、向こうからやって来る。
    彼は、正に天から選ばれた男だ。
    天は、その道をこの世に顕わにするためには、
    その顕わにする人を必要とする。
    それが、きっと彼なのだと思う。

    西郷さんの生き様は、
    そうした天から与えられた道を歩かせれた人の道だ。
    そして、最後には京で錦の御旗を立て、
    官軍として討幕の兵を出す。
    慶喜を殺すための軍隊でもある。
    彼は、戦いの鬼となり、この国を戦乱に巻き込んだ。

    戦いに正義はない。
    大義名分は、勝った側が勝手に作った作り事。
    北越戊辰戦争・会津戦争・庄内戦争・秋田戦争。
    みなこの薩摩と長州が勝手に起こした戦争だった。
    そのために、多くの村が焼かれ、多くの民、百姓が犠牲となり、
    略奪され、徴兵され、強制労働をさせられ、
    自らの故郷から遠く遠く越後や東北の地で果てた若く幼い武士たちが居る。

    江戸城無血開城。
    慶喜蟄居。
    幕府は負けを認め、許しをこうているのに、
    その想いを無視して、一気に攻め上り、勝手に殺戮を繰り返したのも、
    この官軍の仕業だった。

    実は、「西郷どん」では、
    松ヶ崎の西郷さんとこの北越・東北戊辰戦争は描かれていない。
    ほんの数分の出来事としか描かれていない。
    それは、この物語での西郷さんを美化するためなのだろうかと、
    私には、不思議でならない。

    彼は、最期は「西南戦争」だった。
    明治政府によって攻撃され、多くの武士たちと共にこの世を去って行った。
    それでは、天が与えた彼への使命とはいったい何だったのか。
    そのことを明らかにするためには、
    この戊辰戦争を、越後から、会津から、庄内から、盛岡から、
    再びしっかりと見直す必要があると、私は考えている。

    この薩摩と長州の武士たちが創った明治政府は、
    日本を富国強兵という大義名分の元に、
    世界戦争に駆り立てて行った。
    日清・日露・満州事変・日中戦争・太平洋戦争。
    これは、正にこの戊辰戦争の薩摩と長州が行った蛮行そのものの続きだった。

    つまり、従わない者は、武力で征伐する。
    その大義名分には、東北蔑視の考え「一山三文」が存在していた。
    その蔑視する想いから、他国への侵略を続けた。のではないだろうか。

    戦争で、大義名分を自ら創作し、他国を武力で侵略し、利益を得て行く。
    その考え方はこの戊辰戦争から始まっているのではないだろうか。
    戊辰戦争の中での長岡藩や会津藩、荘内藩、南部藩の無念と憤りとを、
    やっぱり日本の歴史家たちは描くことができないのかと、
    残念な想いがする。

    私は、西郷さんが大好きだ。心から尊敬をしている。
    しかし、この戊辰戦争と云う内乱から始まったこの新しい日本は、
    その後は、どんどんと「坂の上の雲」を目指して戦争へと突き進む。
    それでしかなかったのか。
    その道しか本当に無かったのか。
    それは、時代の求める道であったとは想うが、
    戊辰戦争を通して、その歴史を見直す必要があるのではないかと、
    私は思っている。

    西郷さんの生き方には涙するが。
    私は、大久保・山縣・大山等の明治政府を創った人たちの生き方には、
    涙できない。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月30日 09時58分12秒

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    泣き虫の私

    今年も後二日だ。
    何だかね、この循環がいいと思う。
    まっすぐの直線だったら、きっとゴールの設定は難しい。
    ぐるっと回って、初めに戻るから、
    その一年間を振り返る。
    ああ、あんなこと、こんなことがありましたねと、
    そんな感慨にふけることもできる。
    そして、さてさて、今年はどうしようかと、改めて始められる。
    この円環運動の繰り返しが、いいなぁと、思う。

    自然がまさにその円環運動の繰り返しだ。
    どこからを始まりとするかは、めいめい勝手だろう。
    始まりも無く、きっと終わりも無く、
    私が生きていようがあの世に逝ってしまおうが、
    その循環運動は繰り返される。終らない。

    私は、あと何回この冬という季節を迎えられるかだな。
    いつかはこの世とはさよならをする。
    その日までは、この世で生きている。
    ならば、何だかしみじみと思う。
    この冬を、この日差しを、この風の音を味わおうと。

    全てのものが流れて行く、過ぎ去って行く。
    でも、ここまで、これで打ち止めはない。
    その次々と流れる時間の中で、生かされている。
    刹那にも留まることも、立ち止まることもできない。
    刻々と、瞬時に、あっと言う間に、流れて、消える、顕れる。

    厳密に言えば、空間的にも同じことが言える。
    私は、ついさっき居た場所には、三次元では存在していない。
    ぶんぶんと音を立てて、高速で地球は回っているからだ。
    私は、一日24時間で地球を一周している。
    それでは、翌日の今は、同じ場所に戻ってきているか。
    答えは、ノーだ。
    地球は自転しながら、公転しているからだ。
    明日は、全く違う位置で、今を迎える。

    全ては、変わる。
    それが、自然の真理なんだな。

    今も、ここも、本当は存在しないのかもしれない。

    私がここで生かされていることは、夢なのかもしれない。

    確かなものとは、一体なんだろうか。
    しかし、昨日も、ずっとずっと泣いていたな。
    「陸王」を観ていた。
    私の中の本来の私は、ずっと涙を流して感じていた。

    宮沢という生き方。
    飯田という生き方。
    ランナーとしての生き方。
    シューフッターとしての生き方。
    その真実に、私の真実が感じて、泣いている。

    この泣いている私は、在るのではないだろうか。
    私ではなく、私がそうしているのでもなく、そうしようとするのでもない。
    ただ、その言葉・生き方に感極まり、涙を流す。
    この涙を流す私を、私は信ずる。

    この私は、この自然を始めさせた私であり、
    この私は、この自然の変化をなさしめているはたらきの私であり、
    この私は、変化する中で生かされながらも、在るものであり成長する私である。

    私は、涙によって、その本来の私と出会う気がする。
    感極まり、泣きっぱなしだから、今朝の顔は酷いものだ。

    そう言えば「陸王」に登場する男たちは、泣き虫なんだな。
    感極まって涙を流すその人を観て、
    私の中の私が、共感して泣いている。

    この私の存在は確かだったな。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月29日 10時31分00秒

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    ヨガで繋がった

    三日連続の飲みだった。
    昨日の昼の番組で「急性すい炎」についてを観た。
    「酒」だった。
    私は、酒を飲み続けている内は、
    肝臓と膵臓へのリスクはなくならないとの医師の話。
    体質もあるとのことだが、身体のことは、
    私の意志ではどうにもならないことと、何だか怖くもなってしまった。

    しかし、飲んで、語りたいことを語る。
    職場の後輩からのオファーだった。
    私は、仕事について伝えたいことを語った。
    それは、私が長年の経験から得た、大事な心構えだった。
    それは、私とっては当たり前のこととして、
    いつもいつも行っていることだった。

    それを、こうなんだと言葉で顕すと、
    それは、一つの方向や目的となっていく。
    私は、そうやってきたことで、
    私は、私なりに歓びを感じ、達成感を感じている。
    しかし、そのことを言葉で顕す機会は、そんなにはなかった。

    同じ場所で働いている支援員さんには、よくその意味を伝える。
    あの時こうしたのには、こんな意味があるんです。
    これからこういう方向で行くのには、こんな期待があるからです。
    私が行っていることを言葉に表すことで、
    その行動に意味と目的とが明らかになる。
    すると、そのことは、人に伝えられるものとなる。

    そうだったんだ。
    私は、よくよく先輩たちからそんな大事な言葉を伝授された。
    すごいなぁ。どうしてあんなに仕事ができるのだろう。
    そう思って尊敬していた先輩たちには、
    やっぱりこの長年の経験で明らかになった極意が必ず存在していた。
    その言葉は、同じ仕事でなかなか思い通りの結果を出せず、
    日々悩んでいた私には、救いの言葉となった。
    それは、一筋の光明でもあった。

    しかし、その言葉を、自分もものとして実践するまでには、
    何度も何度も失敗し、それでも根気強く続く、諦めない気持ちが必要だった。
    言葉を、自分のものとして、自分のエネルギーとして生きる。
    先輩は、言葉を伝えたのではなく、
    そうした気付きを通して、私にやる気と根気と忍耐のエネルギーを、
    そうやって伝授してくれたのだと、今は、思う。

    それを、私が、やる歳になったのではないのか。
    本当に細やかな経験知だが、
    そのことは、同じ仕事を目指す彼には、伝えておいていいのではないか。
    ふと、そんなことを想ったので、この飲み会を実行した。

    考えてみたら、どんな理論でもなく、どんな方法論でもない。
    本当のこととは、とてもシンプルで、当たり前で、簡単なことだ。
    しかし、日々の多忙感と、無力感と、疲労感の中では、
    ついつい見過ごされて、忘れられていることでもあった。
    きっとみんなはここから始めた仕事の原点だったのに、
    そのシンプルな原点が、いつの間にか見えなく、感じられなくなっている。

    その当たり前のことを、私は、彼に語った。
    彼は、はっとして、深く肯き、時にはうーんと考えながら、
    私の話を聴いてくれた。

    そこには、私と彼との区別はなかった。
    一つの想いを二人で共有しながら、一致した。
    同じことを想い、深く感じて、そうなんだと改めて確認した。
    実は、そのシンプルな原点は、みんなのものであり、
    私だけのものでは決してないものなんだ。

    そのことを体験を通して掴んだ人は、
    そのことを言葉に表せる人でもあった。
    そして、その言葉とは、聴く人その人の中にも存在することだから、
    その言葉は、その人の魂の中で覚醒して、その人を動かすエネルギーとなる。
    本当の言葉とは、こうして伝えられた人のエネルギーとなる言葉だ。

    そして、その言葉とは、どこにでも存在している言葉でもある。
    そして、その言葉のエネルギーで創られていないものは一つも存在していない。
    自然で在るものは、全て、その言葉のエネルギーで生成されている。
    私がそうだし、彼もそうだ。
    この大風に揺れる百日紅も、餌場で餌を無心でついばむ雀たちも、
    みんなみんなその元なるエネルギーで動かされ、生かされている。
    だから、そのエネルギーを感じられる人や鳥や動物や草や花や樹木等は、
    自ずから然り、そうなる働きに促されて生かされている存在そのものだ。

    それをヨガでは、気=プラーナと言うらしい。
    実は、私たちは、呼吸して外界と繋がるばかりでなく、
    そのエネルギーの循環・出入りの中で、生かされている存在でもあるんだ。
    全く同じ一つの気から創られた、
    私たちは、みな同じ母から生まれた、同じ兄弟・姉妹でもあるとのことだな。

    「自然と自己との一如」

    「山河大地、日月星辰、これ心なり」 道元

    どうして、私の言葉を彼が分かるのか。
    それは、私と彼とが同じ自然・いのちから分かたれて生まれた存在同志だからだ。
    そこには、自他の区別はない。
    身体と云う個体はそれぞれ違った姿・形であろうとも、
    ここにある魂は、自然から分かたれた魂=自分として、
    一つが同じそのものなんだな。

    そのシンプルで、単純で、ごくごく当たり前のこと。
    しかし、そのことを自分でちゃんと持っていながら、
    そのものの存在すら見失い、忘れ去っていること。
    しかし、そのことは、大いなる師に出会ったり、試練の中で自分を見失ったり、
    大病をして生き死にの境を彷徨ったり、どでかい自然の景色にであったり、
    そんな天意に恵まれた時、はっと出会い、気付くこと。
    気付くとは、その言葉そのものが吾であったとはっとすること。
    それは、向こうにあって観るものではなく、
    ここにあって感ずること。そのものが、私であること。

    ヨガではこれを、本来の自分=真我=プルシャと呼ぶそうだ。

    つまり、シンブルで単純でとてもとても当たり前のこの言葉は、
    真我の言葉なんだ。
    真我が語り言葉は、その言葉を聴く、彼の真我に届く言葉だ。
    そして、その言葉こそ、彼の真我の言葉でもある。
    何も違わない、まったく同じ、同一な言葉を、
    彼は我しらず有していたということだ。

    感動で、我知らず涙を溢れる。
    その真我の存在を信ずれば、その涙の意味も明らかになる。
    私の真我が、その真我から発せられる波動・エネルギー・音・動きに感ずる。
    それは、私の中での真我の目覚め、気付き、喜び、共感。
    感動の涙は、私の真我の涙だった。

    このままでいい。きっと、このままがいいんだ。
    だから、そのままの言葉を、そのまま、彼には伝えた。
    彼は、その言葉を確かに味わっていた。
    いの意を味わうことで、
    その言葉は、彼の存在にとっての大事な「意味」となる。
    人は、意味で生かされる。
    意味があるから、今、ここで生きている。

    何だかね。
    様々な個別であり、多様であり、あれもこれもであったものが、
    自然に緩やかに繋がって行く感じがする。
    繋がるとしいことは、一つの意味となることだ。
    多ではなく、個々としての全体の一つの顕れなんだ。

    正に、自ずからの働きから分かたれ、個として生まれた私=「自分」なんだ。
    みんな自ずからの子どもなんだ。
    自ずからから生まれないものは一つもここには存在していない。
    みんな自ずからで生かされている。
    私は、あの雲と同じ、自ずからなる存在だ。

    自然であればいい。
    だって、私は自然なんだから。かな。

    主客同一=一如 これを悟りとヨガでは言うらしい。

    ヨガの最後はシャバサナだった。自らを死体にする。
    そして、自然の命に回帰する。土になる。無になる。
    すると、本来の自分だけがここに遺される。

    不思議だなぁ。
    ヨガで、やっと気付いた。
    繋がった。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月28日 06時47分53秒

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    縁の深さ

    今朝の寒さは、尋常ではない。
    ストーブをつけた部屋でも、寒くてぞくぞくする。
    自然とは、こうして私には全くかかわらずに、何でもありなんだ。
    自分でコントロールできることなんか、本当は何もないのかもだな。

    昨日、76歳のKさんと、来年3月に退職するJさんと、三人で飲んだ。
    「腐れ縁」だと、いつも言われる。
    Jさんとは、既に30年近くのお付き合いになる。
    お互いに知り合ったのは、臨時で勤めている時代だった。
    彼は、東京での仕事を辞めて新潟に帰って来た。
    私は、採用試験に受からずに、ずっとずっとの臨時だった。

    それでも、何だか本気で真っ直ぐに仕事に向かった。
    また、そうやって本気で仕事することが楽しかった。
    確かに独立独歩の生き方だったから、いろいろと言われた。
    しかし、そんな中でも、私やJさんのことを評価して、可愛がってくれる人が居た。
    その人が、Kさんだった。

    とにかく、彼は、先進的な考えの持ち主だった。
    ある部門では、その実績たるやたいしたものだと、
    若いながらにも私は、彼のことを尊敬の眼差しで見ていた。
    最近知ったことだが、彼も長い間臨時で転々と異動していたそうだ。
    だから、明日を知れないこの不安定な身分での仕事の辛さをよく分かってくれた。
    だから、私たちには、深く深く優しかった。

    若い頃は、今のように酒に世の中は煩くなかった。
    だから、同僚であるKさんとは、時々だが飲みに連れて行かれた。
    職場の先輩としてというよりか、
    苦労して生きて来た人生の先輩としてのお付き合いだった。
    よく言われた。
    「クマ、お前は、ダンボだ」と。
    このダンボとは、松浜弁?なのか、「馬鹿」だという言葉。
    いや、「馬鹿」ではちょっとニュアンスが違うな。
    「お前は、馬鹿なほどいいやつだ」という感じかな。

    私は、いつも賢くは生きなかった。
    どちらかというと、損な道であり、愚かな道であり、自分らしい道を選んだ。
    それは、この61歳になった今でも変わらない。
    そんな私のことをとやかくと悪く言う人もいた。
    言うことをきかないからだ。
    勝手なことばかりしているからだ。
    それでも、私は、そんな人に忖度せずに生きて来たことを誇りに思っている。
    あんな人たちのようには、成りたくはなかったからだ。

    そんな私を、彼はいつも親身になって可愛がってくれた。
    そして、私のこれからの人生を心配してくれた。
    何だかね。
    歳をとると、そうやって私のことを認め、評価し、可愛がってくれた人や、
    私のことをまるで自分の息子のようにして心配してくれた人のことは、
    決して忘れず、折に触れて想い出すものだと、今は、思う。

    人にはよくしてやるものだ。

    私は、職場の先輩である彼に、本当に支えられ、助けられた。
    私のような男を信頼し、その真価を理解し、励まし支えてくれた人。
    不思議な縁だったと、今ではただただ感謝だった。

    今は、西郷さんと宮沢賢治さんで、二人は再会し、繋がっている。
    私が東北一周の戊辰戦争の旅に出たのも、
    賢治さんの童話をまた読み返しているのも、
    数年前の再会から始まったお付き合いのおかげだった。

    善い人とだけ付き合っていきたい。

    それは、この歳となりつくづく感じていることだ。

    私は、ひょんな縁で、退職しての再任用として、この仕事を続けている。
    毎日が楽しいし、生き甲斐を感じて日々を励んでいる。
    もうこの仕事には戻らないつもりだった。
    でも、今は、私のような男も必要なのではないかとも感じている。
    そんな話をkさんにした。
    「天職なんて。クマさん」だった。

    そうなんだろうなぁ。
    縁がある人と居ると、自分が豊かに成長する感じがする。
    それは、その人がその人の言葉によって、
    私のことを認め、評価してくれるからだ。
    私自身が気付かなかった善さを、ちゃんとその人は指摘してくれる。
    それは、お互い様なんだが、
    ちゃんとこうした私の生き方を尊いものと感じてくれる。
    そして、縁ある人たちは、お互いの縁を感謝して生きている。

    願わくは、人とは、そうした深く豊かで温かな出会いをしたいものだ。

    だから、嫌な気持ちにさせられる人とは、付き合わないことにしている。
    そんな人たちとは、無縁で在りたいからだ。
    最近、そんな気持ちにさせられることが多くて、悲しかった私だ。
    でも、こうして縁ある人とのお付き合いは、
    やっぱり生きてみないと分からなかった楽しさだった。

    帰りのバスの中で昔のことを話した。
    Kさんは、すっかり忘れていた。
    これだけ恩を感じている私とJさんだ。
    なのに、その恩をくださった本人が「そんなことあったっけ」と、
    すっかり忘れていた。

    それが、いいんだな。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月27日 10時39分54秒

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    この世のものではないものを

    この世のものならず。
    本当に舞台とは、そういうものなんだな。
    徳永兄弟のフラメンコだった。
    本当にすごい兄弟だ。
    そのギターの音には、生命が躍動している。
    想いと魂と音とが一体だ。
    ぐんぐんとその独自の世界に惹きこまれて行った。

    そして、第二部のフラメンコだ。
    何とも言葉では表現のしようがない。
    惹きこまれる。
    その人となる。
    私はその踊り手の踊りそのものとなっていた。

    その瞬間なんだな。
    この世のものではない、そんな霊魂が降って来るのは。
    いつの間にか、踊っているのは、彼でも、彼女でもない。
    その踊りそのものが生命を滾らせて、踊る。踊る。踊る。
    踊ると言うのではなく、魂に操られ、突き動かされている姿だ。
    踊ると云う在り方は、
    こっちの世界から、あっちの世界に一気に連れ去って行くものだ。

    心酔する。
    没我となる。
    夢中になる。

    そして、感じられたものは、まるで能の舞のような幽玄さ。
    あんなに激しく、情念を燃やしての踊りでも、
    そこには、何かそこはかとない悲しみや無常感が感じられる。
    生きることの哀しみと辛さ痛み苦しみ。
    でも、それだからこその生きることの束の間の喜びに燃える。
    燃え尽きる。

    舞台で舞うその踊りに、私は私自身を感じていた。
    これは、私なんだなとの発見だった。
    その踊り手に降りたその霊魂は、
    きっと私にも在る霊魂なのだとも想った。
    だから、踊り手は、私なんだ。

    あっと言う間の、奇跡の2時間だった。
    これがあるから、コンサートは辞められなんだな。
    いくらビデオでこれを観ても、
    その感動は絶対に伝わらない。
    感動とは、空気感だからだ。
    その呼吸・息遣い・眼差し・手の動き・身体の変化・そして間合。
    それは、その場で同時に感じた人にしか伝わらない表現である。
    そこに惹きこまれる。我を忘れる。

    そんな舞台を、私も創りたくなった。

    この世の者とのお付き合いには、
    何だかとても生き辛さを感じている昨今だ。
    みなめいめいが好き勝手なことを言う。
    そして、いつも自分だけが正しい人だったりする。
    いい加減な私は、そうした人からはけちょんけちょんに批判される。
    仕方ないなぁと、諦めてもいる。

    この世の人は、考え方の違いを認めない。
    どうして自分が思う通りにしないのか、考えないのかだ。
    多様であることは、許されることではなかった。
    だから、疲れる。
    私のようないい加減な人間は、
    この世の者とのお付き合いには疲れて、傷つく。

    あの世の人は、とてもでかくて大きく豊かな人だ。
    そこには、俺が、俺がではなく、
    真実の知恵が在り、慈悲が在る。
    人のことを批判するのではなく、
    その人がその人らしく生きることへの寛容がある。

    舞台には、その人が顕れる。
    あの世から、その人が降りて来て、顕わとなる。
    だから、きっと涙が溢れる。
    その深い深い優しさと、愛と慈悲とに感動し、涙を流す。

    確かに、この世では腹の立つことが多すぎるかもだ。
    みんなめいめい身勝手なことを言っている。
    寛容どころか、不寛容であり、否定的でもある。
    批判や批難は、こりごりだ。
    隣人には、優しさでありたいし、優しさとだけ出会いたいものだ。
    そんな夢は、一体どこに存在するか・・・。

    それは、やっぱり「物語」の中なんだな。
    「まんぷく」を観ていて、思わず泣けることが多い。
    それは、万平さんとふくちゃんの優しさであり、魂に感動するからだ。
    こんな人は、いるのだろうかと、思うくらいの純粋な2人。
    その人たちは、物語だから生きている。

    そうなんだな。
    物語でしか、真実を描けないんだ。
    それは、舞台も同じこと。
    あの舞を舞った彼も、彼女も、
    今はこの世の人として、この世の役割を果たしつつ、
    その日の生活をいつものように熟すだけだ。

    私は、時に、その「物語」の独りとなり、カタルシスする。
    改めて、本当のものとは何か。いかに人は生きるべきかに気付く。
    舞台も同じだ。
    深くに隠されて自らが気付いていない情念と同化する。
    没我の中で、私はその舞う魂と一体となる。
    そこで、私は、魂である私を感ずる。

    この世とは、それだけのもの。
    私は、そこで日々をこの世の人として生きながら、
    あちらの世界の魂に憧れを抱いている。
    この世との関係が薄くなるに従い、
    魂そのものでの生き方が、少しずつ顕わになり、濃くなっていく気がする。
    私は、きっとこの世とあの世との狭間に生きている者。

    しかし、人は、この世の人である。
    その違いなのかなぁと、この世で生きる私は、寂しさと辛さとを感じている。
    きっとあの世には、これがないと信じている。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月26日 10時27分00秒

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    身体がね・・・。

    今、妻を万代まで送った帰りに、叔母ちゃんの施設に行って来た。
    何と叔母ちゃんは元気なのだが、ノロウイルス感染者が出たということで、
    外部からの面会はご遠慮いただいているとのことだった。
    閉鎖的な空間での感染は、広がる恐れがあり心配だ。

    さてさて、ダイニングとリビングの床のワックスがけをしようと思っている。
    ところが、妙に疲労感が感じられる。
    身体が重い。気分が乗らない。意欲が出ない。
    やっと休みらしい休みを取れた。
    そのせいか、どっと日頃の疲れが表に現れたようだ。

    こんな日は、何もしたくもなかった。
    雨がしとしとと降っている。
    だから、午前中は本でも読んでいるかと、諦めた。

    身体なんだなぁと、つくづく感ずる。
    いつもの不全感だ。
    いつの間にかこの状態に身体が留まっている。
    健康で身体のことを一切忘れて生活できたのは、
    何年も前の話のようだ。
    私は、朝、胃の具合の不調をいつも感ずる。

    二週間前だったか、毎朝、トイレで吐いてからの出勤だった。
    車の中でも吐きそうで困ったものだ。
    慢性的な疲労感は毎日続く。
    だから、夕方にはくたくたになっている。
    定時で帰るのもそのためだ。

    こうして、私は、弱っている身体を受け入れる。
    いや、ただその現状を静かに諦念することかとも思っている。
    元には戻ることは在り得ない。
    今、ここであるものを活かしつつの現状維持だ。
    そのための努力は、毎朝のヨガで続けている。
    ジョギングにはまだまだ身体の方か回復をしていない。
    きっと無理をすると後が祟る。

    万代までの車の中で、妻に言われた。
    「みんな一気にやろうとしたら駄目だよ」
    「また、前みたいに腰をやられるよ」との忠告だった。
    実は、夏に床のワックスがけをしてから、見事な腰痛だった。
    動くこともままならず、医者に駈け込んだ。
    いつものように笑われた。
    「また、やりましたね」だ。

    歳をとるということは、身体が徐々に衰えるということだ。
    10年前の私のことは忘れた方がいいだろう。
    気持ちではまだまだなのだが、
    どういうわけか、身体がその気持ちについて行かない。
    しっくりとこない。不全感があり、いつも疲労感を感ずる。

    今は、そうした身体の変化を観察しながら、
    感じたままに無理をせずに、休むことにしている。
    積極的に休む。
    休むことを罪悪とは感じない。
    けっして怠けるために休むわけでない。
    せっかくこの60歳の峠を超えられたのだから、
    次の70歳の峠を目指したい。

    健康に?身体を動かせて生活できるのは、
    やっぱり後10年くらいのものだろうなあ。
    後は、みんなが往く道を独りとぼとぼと辿るだけだ。
    死ぬことは、みんなと一緒。
    どれだけの人たちが先に逝ったことか想像もできない数だ。
    せめて、叔母ちゃんたちを見送ってから、あの世に往きたいものだと思う。

    確かに、終わりは必ずやって来る。
    それまでの時間を、人生と言う。
    私は、その間に、無心を生きることができるだろうか。
    自分を捨てて、施すことができるだろうか。
    人生の本当の意味を味わって、落ち着くことができるだろうか。

    身体が衰えたとしても、
    この精神と魂だけは、生きて来てよかったと、
    心から喜びを感ぜられるものへ成長できるだろうか。
    そっちの方が、身体のことより大事なことと、今は思っている。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月26日 06時19分34秒

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    夢の中で

    いや、はっきりと見たな。
    施設に入っているS叔母ちゃんが、私に会いにやって来た。
    足や手が不自由なために、車椅子の生活をしている87歳の叔母ちゃんだ。
    私は、どういうわけか、忙しさなのか、忘れていたのか、
    ずっとずっと施設を訪れていなかった。
    叔母ちゃんは、私が行くと、とてもとても嬉しがった。
    私のことを赤ん坊のころから可愛がってくれた人だからだ。

    なのに私は、叔母ちゃんのことをずっと忘れていた。
    時々は思い出したが、また今度にしようと足を向けなかった。
    私が3年前の大手術の後、療養のために休職している間に、
    叔母ちゃんは自宅で倒れて動けなくなった。
    彼女を病院からこの施設に転院させた手続きは、
    そんなこんなでみんな私がやることとなった。

    叔母ちゃんには、本当にお世話になった。
    年金が少なく、生涯独り身の倹しい生活の中で、
    息子二人や、休職中の私にまで小遣いをくれた。
    我が庭が誕生したのは、
    この叔母ちゃんがくれた一万円からだった。
    このお金を無駄に使えない。
    何かの形に遺さねばと、培養土を買って、庭の真ん中に土盛りをした。
    そこに花の苗を植えたことが、この庭の始まりだった。

    私のことを本当に親身になって心配してくれた。
    人に尽くす。人に施す。
    まさに、そのことだけで生きて来た人でもあった。
    どれだけ叔母ちゃんには可愛がられ、助けられたことか・・・。
    なのに私は、訪ねていない。
    会いに行っていない。

    玄関に立った叔母ちゃんは、笑顔だった。
    少し若返った叔母ちゃんは、「クマちゃん」と、私の名を呼んだ。
    まさかと思った。
    車椅子で自分では全く自由のきかない身体だからだ。
    夢の中での私は、施設に入っていることを知っていた。
    だから、突然の叔母ちゃんの訪問を驚いた。

    「ああ、叔母ちゃんは、この世にいないな」と、感じた。
    「きっと会いに来てくれたんだな」と、想った。
    「ごめんね。会いに行かなくて」と、悲しくなってしまった。
    私は、玄関に降りて、叔母ちゃんの小さな身体を抱きしめた。
    抱きしめながら、その身体の重さや実感を感じなかった不思議感だった。
    でも、確かに、叔母ちゃんは私に抱きしめられてそこに居た。

    「帰るね」と、次の場面は叔母ちゃんが自転車に乗っている場面になった。
    何とサドルに後ろ向きで座り、天を仰いだ格好で自転車に乗っていた。
    荷台に男の人が乗り、自転車を動かしているようだった。
    道を行く人たちが、奇妙なものを見た様な顔をしていた。
    そこで、目が覚めた。

    「ああ、叔母ちゃん、死んだんだ」だった。
    何ともリアルに現実とその光景とが繋がった。
    こうして想い出せるだけのリアルさで、
    今でもあの叔母ちゃんの笑顔と声とを想い出せる。

    確かに、私も、叔母ちゃんも、向こうの世界で生きていた。
    それは、夢だけの物語かもしれないが、
    この物語を、ぃったい誰が創造したと言うのだろうか。
    私が予想すらしていなかったその物語の奇想天外な展開は、
    私がそれを創り出したものだとでも言うのだろうか。
    私は、その物語の登場人物の独りでしか過ぎない。
    何故なら、私は、突然の叔母ちゃんの訪問に仰天しているからだ。

    今日、叔母ちゃんには会いに行こう。
    叔母ちゃんは、きっと私のことを待っているはず。
    この年末に、私のことを強く想ったのかも知れない。
    その想いが、この夢となった。

    夢とは、あっちの世界との境目・境界なのかも知れないな。
    この頃、こんな夢をよく見る。
    そこには、確かに時空を超えた、まさかの人たちとの邂逅もある。
    いったいだれが、どうやって、この物語を創作しているのだろうか。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月25日 05時51分44秒

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    無心であることこそ

    昨日、ぼーっとしている中で小千谷のSさんと話した。
    すると、やっぱり精神がしゃんとしたな。
    「いかに生きるか」の話は、いつも気付きが多い話ばかりだ。
    それは、Sさんが、楽に手を離して生きているからだろう。
    彼と話していると、こちらの心も楽ちんとなっていく。
    それは、とても在り難いことだ。

    今年、私が出会った師たちの話になった。
    やっぱりその人のことを尊敬できなくては、
    学ばないということ。
    謙虚な気持ちでその人に習おうとは思わないということだ。

    師とは、黙ってそこに居るだけでの存在感がある人。
    また、生徒に対しては愛情豊かで、
    いつも慈愛に満ちた眼差しでみてくれる人。
    今、ここで、何をしたらよいのかを的確に見抜く人。
    そうした人には、心酔し、人は黙ってついていくものだ。

    Sさんは、まさにそういう師でもあった。
    何も言わなくても、その笑顔から人柄がにじむ。
    いかに生きるかの問いを常にもっている人であり、
    優しく人を育んでくれる眼差しを持つ人でもあった。
    だから、私は、その声を聴きたくなる。
    それで、電話する。
    そして、生きるの原点の話を聴く。私も語る。
    そこで、私の萎れていた魂が蘇生する。

    私も、子供たちに対してはそういう人になりたいと願っている。
    やはり、教える者と学ぶ者との間には、
    リスペクトし合う関係が必須だと感じている。
    私は、子供たちにリスペクトしている。
    それは、その子が真にあるその姿に対してのリスペクトだ。
    今、ここにあるその子の姿は、
    それは、まさに途上であり、途中の姿だ。

    その姿の奥でまだその子本人すら知らない魂そのものの姿に、
    その子を育てることで、成らせることができるはずだと期待する。
    きっとそうなる。
    そうした期待こそ、その子に対するリスペクトであり、
    深い深い愛情となる。

    その奥深くの魂に語り掛け、
    その魂を目覚めさせ、その存在を自覚させることが、
    本当の意味での「教える」ということだと私は思っている。
    本人が気付かない限り、何も変わらず、何も成らない。
    本人が気付くことで、その人の心構えが変わり、
    行動が変わり、生活そのものが変わる。

    つまり、リスペクトとは、変わることへの信念でもある。

    「自とは無心のことである」との言葉。
    やっと何だか、自とはの意味に近づけた気がした。
    つまり、無心であるとは、同じであること。みんな一つであること。
    その無心に融けるということ。
    私も、Sさんも、子供たちも、無心のまま、等しいということ。
    万物皆無心だということ。
    違わないということ。同じだということ。
    だから、語り合えるということ。
    言葉が伝わるということ。

    心無心

    ああ、そうなりたいものだなぁと、つくづく感じた。
    きっとこれまでに私たちが求め続けて来た問いの答えは、
    この「無心」。

    何だかね。
    そう気付けば気付く程、それが遠くて難しくも感ずる。
    いつもいつも煩悩と迷いと夢と欲望に翻弄される私であるから。

    Sさんは、「捨てる」と言った。
    「いゃー、楽になりましてねぇ」と笑う。
    私は、よく雀たちが群れて無心に餌を食べている姿を見つめる。
    「ああ、これが無心」。
    それでもどこかで私と言う私が邪魔をする。どいてはくれない。
    顔を出す。溜息をつき、何だか力なく萎えることもある。
    それでも、この無心は、静かにそのまんま。

    何だかね。
    無心に生きているのは、大人たちではなく、子供たちなのではないか。
    その子どもたちから、大人たちは、その無心を習わねばならないのではないか。
    邪心の大人は、無心の子どもから、その魂の洗濯をしてもらう。
    私がリスペクトしているのは、この子供たちの無心に対してなんだな。
    習うのは、私の方か・・・・。

    これが昨日のSさんとの電話の結論だった。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月24日 09時27分25秒

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    何だかぼーっとしているな

    体調が悪いと、気分も暗くなるものだ。
    考えたら、9月の再任用の勤務以来、
    二日倒れて、1日は胆石の激痛。二週間の風邪ひきだった。
    身体からのサインだと受け止めて、そんな時は静かに生活している。

    飲み過ぎもよくはない。
    といっても飲み過ぎるほどは飲んでいない。
    しかし、日本酒をちょっと多量に飲んだ翌日は、
    胃の具合が最悪だ。
    今もそうだが、何だかとてもすっきとしない。
    いつも不全感を感じている。
    だから、何も考えられない。
    ぼーっとしているだけで、時間が過ぎる。

    さてさて、いよいよ年末になる。
    今年はそんなこんなであっという間に過ぎ行った感じがする。
    欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。
    そういう意味では、感情をブラさない生き方をしてきた。
    腹の立つこともあるが、あんまりかかわらないことにした。
    自分でコントロールできないことは、自分から諦める。
    そんな気持ちで生きている。

    相手が私をどう思っているかは、
    私がコントロールできないことだ。
    勝手に相手は私を決めつけ、評価し、批判する。
    それはそれで仕方ないことだと諦める。

    あれもこれもと向こうから仕事がやって来ることもある。
    無理をせずに、できる範囲でその仕事をこなす。
    もっとやろうとも、こんなにもやれるんだとも言わない。
    ただ、与えられた責任はちよっこっと果たす。
    それでいい。

    人とのかかわりも最小限にしている。
    おつきあいは随分減らした。
    独りでの行動が多くなり、自由気ままに行動はしている。
    しかし、そうであっても人とは会わない。
    何だかそうした気遣いが面倒に感じる。

    こうやってどんどん亡くなった父のようになっていくのかと、
    ふとさっき父の写真を観て感じた。
    父は、酒が好きだった。
    だから、よくよく飲み歩いた。
    パトカーに乗せられて自宅まで送って来られたこともあった。
    酔うといつも大暴れだった。

    80歳になる頃から、
    居間のこたつの中から動かなくなった。
    テレビをつけても観るわけでもなく、消すと怒って、またつけた。
    誰にも会わない。
    外へも出かけない。
    時々庭に出て、落ち葉をはいていたりする。

    父は最期の1年間は、施設での暮らしだった。
    孤独だったろうとは、想像できる。
    人とは自分から話をする人ではなかったから、
    その施設にも知り合いは居なかったと思う。
    でも、職員の人たちからは人気者だったと聴いている。

    何を言いたいのかと言うと、歳をとるということは、
    こうして日々の生活に不全感を感ずることが多くなるということだ。
    そうすると、やっぱり気持ちが暗くなる。
    何だか意欲が出なくなる。
    動きたくないから、じっとしている。
    そうやって、しだいしだいに衰えて行く。
    老いて行く。

    父は、その老いて行く旅を見せてくれた。
    私は、若い頃は、そんな父の気持ちは理解できなかった。
    しかし、今は、そうではない。
    父もきっとこんな気持ちだったのだろうなぁと、
    想うことが多くなった。

    老いてみないと分からないことばかりだった。
    僕の前には道はない。
    僕の後ろに道はできる。
    ただし、先を歩いた父や母は、
    その歩いた姿で、今、ここでどう生きたら善いのかを教えてくれてる。

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  • from: クマドンさん

    2018年12月23日 14時13分18秒

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    望年会だった

    昨日は、ヨガの会の望年会だった。
    テットというお店は、なかなかグッドなお店だった。
    立ち飲みバルのような雰囲気で、
    実にカジュアルで、おしゃれ感のあるお店。

    そんな店の隅っこで、私は只管ワインをがぶ飲みしていた。
    30代の女性だった。
    結婚に対してどこか臆病になっていた。
    自分から行動を起こさず、現状維持のまま生活を続けていた。
    結構願望がないわけでなく、
    いい人がいたら結婚したいと思ってもいる。

    そして、そんな機会はきっと何度かあったのだと思う。
    でも、その一歩を踏み出せない。
    何だかその決断ができないまま、時間が過ぎた。
    だから、独りで行動する。
    独りで旅行もするし、カラオケにも行く。
    独りでいいし、かえって気兼ねなく自由に遊べる。

    しかし、どうしようかとも迷っている。
    そんな話を聴いていたら、
    きっと今は、こうした悩みを持っている女性は多いのではないかと感じた。
    結婚しないわけではなく、でも、結婚しないまま30代になってしまった。
    今更、また恋愛でもなく、何だかそこから始めることが億劫になっている。
    自分に対する自信も確かではない。
    小さな頃から真面目に、親の言う通りに素直に生きて来た。
    こうしておとなしい自分が、自分なんだと思い込んでいたりする。

    唯識ではないが、人は心で想像し、その想像したことを現実だと思い込む。
    本当の自分とは、その奥深くに芯のようにして存在しているのに、
    人からそう思われている自分のことを自分だと思い込み、
    いつしかその自分を演ずることが自然となってしまう。

    本当はやりたいことがあるのに、
    それは自分には無理だと設定して、それをやろうとしない。
    あれもこれもやってから考えたらいいのに、
    それは私には無理だと諦める。
    そうかなぁ・・・。と、話を聴きながら「もったいないなぁ」と感じた。
    親父は、親父なりに、心配になってきた。

    ボーダーラインを自ら引いている。
    その境界線を設定して、そのテリトリーの中で生きる。
    そうすれば、失敗もないし、不安もないし、人に合わすことも必要はなかった。
    でも、その境界を一度、思いきって取っ払ってはどうかとの話だ。
    人は、心で想い、自分を安全に保つために、境界を作る。
    それは、まさに自分を守るための砦であり、城である。
    でも、そこに落ち着くと、不思議なことに行動することが面倒になる。
    人と付き合って、ただ何となく気を使い、疲れることも嫌だと感ずる。

    だから、そんな時は、尚更、その身体を砦の外に置く。
    余計なことを考えずに、ただ、その場に身体を運ぶ。
    すると、人が変わり、環境が変わる。
    そしたら、その周りの新たな人や環境と繋がり、新たな気付きが生まれる。
    砦の中はいいが、たまには、意識して小さな旅行にも出ることだ。
    すると、気分が変わる。何かを見つける。ああそうかと、納得する。
    「百尺の竿頭さらに一歩を進める」だな。
    その先っぽに来たら、「えい、やっ」と、飛び降りる。
    その結果どうなるかは、神様のみぞ知ることだ。

    私は、馬鹿だから、退職してからずっとそうやって生きて来た。
    公民館ではヨガと書道。情報大学で講座を二つ。スイミングの講座を受講。
    そして、Mさんのヨガ教室のスタディーとなった。
    そこへ行ってみなくては、分からないことだった。
    行ってみることで、私は、砦だけで生きている私には、
    絶対に経験できないことを体験し、出会うことのない人たちと出会えた。

    生きるとは、案外、自分でその道を決めているうな気がするが、
    決断の先は、歩きださなければ何が起きるのか、どん出会いがあるのかは、
    全く分からないものだった。
    その面白さを体感する。
    その出会いを通して、新たな自分自身を発見する。
    そして、人に学ぶことで、自分自身をほんの少しでも豊かにできる。
    私が分かったことは、そのことだ。

    「えい、やっ」と飛び降りることで、
    私は、Mさんという尊敬するヨガのマスターと出会えた。
    そして、その望年会に参加して、彼女の話を聴くことができた。
    もし、私が飛び降りていなかったら、今、ここの出会いはなかった。
    だから、私はこれからも好奇心を旺盛にもち、
    あっちこっちに出没する予定でもある。

    しかし、・・・・。
    経済的に自立している。独りで生きる力を持っている。
    何度か男性ともお付き合いをした。
    結婚・・・と考えたが、上手くまとまらなかった。
    両親は健在で、経済的な支えも受けている。
    おしゃれをしている。友達と旅行にも行く。飲み会もそこそこあった。
    年齢は、30代半ばを過ぎた。

    私は、結婚しない女性が増えているわけが少し分かった気がした。
    彼女たちは、家庭に入って家事に勤しむ自分のことをよしとは思わない。
    きっと何だかそこには、えい、やっと、飛び込む魅力がないのではないか。
    そんな気がした。
    世の男たちが、結婚できないのは、
    こうした女心が存在するからかもしれないなぁ。

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