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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマさんさん

    2010年01月31日 12時46分27秒

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    長岡散策


    昨日は、午後から長岡だった。
    各駅停車の旅はいろいろな発見があり楽しかった。
    街歩きでは、観光協会に寄り、たくさんのパンフレットを手に入れた。
    市民プラザには、花火のミュージアムがあり、立体映像を体験できた。
    何よりも感心したのは、このピル全体のコンセプトである。

    1階には道の駅があり、情報発信のスペースとなっている。
    2階には市民活動センターがあり、市民活動支援のためのスペースになっていた。
    ちびっこの遊びの施設があったり、地下には広いイベント会場があったりと、
    一つのビルの中には、盛りだくさんの内容なのだ。
    ここへ来れば、何か楽しいことに出会える。
    東区の新しい区役所もこんなスペースになることを願っている。

    そこから少し歩くと、長岡の大和デパートの前に、
    米百俵の碑がある。
    小林虎三郎は優れた教育者であった。
    「教育は、国を作る源である」そんな気概をもった教育者である。

    次に「山本五十六記念館」に行った。
    連合艦隊司令長官を務めた偉大な人物だった。
    「常在戦場」の書が掲げられてあった。
    誠の人である。

    そして、河井継之助記念館に行った。
    出来てまだ間もない記念館であるようだ。
    ここにも「誠」が飾られてあった。

    そこから歩いて川崎小学校に向かった。
    ここには素晴らしい学校の森がある。
    山之内先生が子供たちと地域の人たちと創った森だった。
    十年以上たったその森には、
    大きな樹木がのびのびと育って、生きていた。

    1時間半の散策であったが、
    収穫は大きかった。
    これも観光協会が作成している周遊マップのおかげであった。
    こうしたプチ観光ができる街に、
    古町もなれるといいのになぁと感じながら歩いていた。

    街には歴史があり、文化があり、人が生きている。
    それに触れ、出会うことが街歩きの楽しみでもある。

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  • from: クマさんさん

    2010年01月30日 10時02分04秒

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    ほんね・・・本音


    さてさて、久しぶりの二日酔いで頭が痛い。
    何でこんなに酒を飲むのか。
    二日酔いの朝は、いつも反省反省である。
    しかし、語っているうちに、いつも熱くなってしまい、
    猪口にいつの間にかどんどん注がれているというところが本当の話なのだ。
    日本酒は、飲まないことにしているが、
    好きなことが顔に出ているのか、
    やっぱり最後は日本酒でめっためったにやられている。

    私は、酒を飲んで話すことが大好きだ。
    その話の大部分は記憶から消えてはいても、
    やっぱり気心の知れた仲間と、
    いろいろなことを本音で語ると元気が出る。
    語るという字は、「吾を言う」と書く。
    つまり、自分の話を相手に聴いてもらうことなのである。
    そして、共感してもらい、肯定してもらえたらもっと嬉しいものなのだ。

    私も、聴くことに徹することもある。
    そんな時、いい話が聴けたりするものだ。
    お互いに何かを探し求めているのだ。
    「そうだ、これだよ」というサムシングエルス。
    それは何かとはっきり言えないが、
    酔っ払って語っている内に、
    自分の中から湧きだしてくるのだ。

    その吾とは、己も知らずに生きていた吾なのだ。
    その吾が、酔った勢いで、理性を眠らせ、
    姿を現す時が、あの宴席なのである。
    宴席では、本当の吾が出る。
    フロイト流に言えば、
    だからその隠されていた吾は無意識の世界に戻るのである。

    その吾との本当の出逢いを「悟り」と呼ぶ。
    この字がその意味の全てを表している。
    ソクラテス流に言えばね
    「汝自身を知れ」である。

    人は吾を知ることで「悟る」のである。
    その真面目の吾は、無意識の阿頼耶識の世界に存在している。
    しかし、酔うことで吾を忘れ、本来の吾が姿を現し、
    「語り」始めるのだ。
    酒を通して生まれる語りの世界は、
    それ故に奥深く、神秘な世界となるのである。

    二日酔いの頭の痛みの中で、
    こんな哲学的なことを考えている。
    「ほんね」馬鹿な男らんさね。

    おしまい。

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  • from: クマさんさん

    2010年01月29日 06時20分25秒

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    何とかなるて


    やっぱりへこんでしまうこともある。
    辛いなぁと弱音を吐きたいこともある。
    そんな時もあるよと、自分を自分で慰めたりしている。

    本当に、心が平穏で、たんたんとは難しいのだ。
    何かと心が動かされ、何かと心配になり、何かと自信を無くしたりする。
    それが生きていることなのだとは分かっているが、
    心の調子の悪い時は、じっとしていることが一番のようだ。

    そんな時、蒲水先生から葉書が届いていた。
    思うように動かない左手で書いた墨字だった。
    葉書にびっしりと先生の言葉が書いてある。
    判読不能の文字も多い。
    それでも懸命に私のことを励まそうと葉書を書いてくれる。
    ありがたいことだ。

    机の上には、山小屋の主人森田さんと私が並んでいる写真を飾ってある。
    森田さんもいつもいつも落ち込む私の心の支えだった。
    こんな気分の時、山小屋のカウンターで独り酒を飲んだ。
    すると、森田さんはそんな気分を察して、
    いろいろと話してくれた。
    忙しい最中、それでも私とかかわり、私の話を聴いてくれた。
    それが、そんな時の私の何よりのカンフル剤だった。

    蒲水先生は、隣の老人福祉病院へ転院した。
    森田さんは、千の風になっている。
    二人は、そんな私をいつも笑顔で励ましてくれた。
    「人は、独りでは生きられない」
    つくづくそのことを感ずると共に、
    人生の師に出会えた幸いを感謝している。

    それにしても・・・。
    「何とかなるさ。何とかなるて」

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  • from: クマさんさん

    2010年01月28日 06時04分11秒

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    無功徳な日々


    昨日、80万人を達成した。
    小さなことをこつこつと積み重ねることだと改めて想った。
    こうして、毎日発信できることは、私の幸せと想っている。

    次男との勉強もだんだん習慣となって来た。
    時刻になると部屋に入り、「新研究」を二人で学ぶ。
    私にとっても「英語」「数学」と興味深い学習だった。
    彼は、ある意味初めて分かることが多いので、
    少しずつだが学ぶことの「楽しさ」を感じているらしい。
    「楽しい」から続くのである。

    走れなくなってから2カ月以上たっている。
    足の筋肉がすっかりと弱っていることを感じる。
    昨日は職場まで歩いて行った。
    走れない分、毎朝ストレッチと筋トレを続けている。
    30分間少し汗ばむぐらいの運動だ。
    これで、体も心もリフレッシュして仕事に向かう。
    しかし、体重は相変わらず高値安定だ。

    yuccaさんがHPに日記をアップしていた。
    先日のイタリア軒でのコンサートのことを書いていた。
    嬉しかったなぁ。
    彼女は新潟を故郷として想い、ここで歌うことを喜びとしてくれている。
    yuccaさんに対する熱く、優しい想いのファンの人たち。
    その想いをいっぱいに感じて歌を歌うyuccaさん自身が幸せなのだ。
    私は、せっせとそんな彼女を応援するために、ラブレターを贈る。
    それも私の「楽しみ」である。

    ささやかなことを、続ける。
    それも淡々と、期待せず、当たり前に続ける。
    続けることは、「無功徳」なのである。
    結果をすぐには求めない。
    結果はいつかついて来る。
    そんな気持ちで続けないと、何事も続かない気がする。

    次男との勉強も「無功徳」
    筋トレも「無功徳」
    yuccaさんへの愛も「無功徳」
    そして、この掲示板も「無功徳」
    ある意味、仕事も「無功徳」なのである。

    正社員が突然解雇される時代が来た。
    春闘はベースアップではなく、定期昇給が目的だそうだ。
    トヨタは、アメリカでリコールを出し、しばらくは販売停止だと聞く。
    何が起こるか分からない激動の時代に生きている。
    でも、私にできることを「今日」だけはやることなのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年01月27日 06時19分04秒

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    褒め言葉


    走らなくなってから、いつの間にか2カ月がたった。
    しばらく休むと、次に始める時、難儀に感ずる。
    体重は順調に増えている。
    体にはよくないと想いつつも、酒は飲んでいる。
    献血はそんな自分への人間ドッグのつもりであった。

    しかし、だからと言って焦らぬことにした。
    できない自分を追い込んで、いらいらとしないことにした。
    長いスパンで結果を求める。
    今日できなくても、明日もあるさ。
    「やるときは、やる」「やらないときは、やらない」
    杉さんから習った生き方である。

    昨日、クローズアップ現代が「ほめる」というテーマだった。
    「褒め言葉のシャワー」という小冊子が1万五千部も配布されている。
    そこには、自分が褒められたい言葉が読者から投稿されている。
    何気ない言葉であるが、その言葉を言ってもらえるとぐっと来る嬉しい言葉。
    落ち込んでいたが、何だかこれでよかったのだと自分を肯定できる言葉。
    こんな自分でも見ていてくれる人がいるのだと、力が湧く言葉。
    「褒め言葉」は、確かに人をポジティブに変え、自信をもたせる。

    業績不振の会社や飲食店が、褒め会社に依頼して現地調査をしてもらう。
    その結果は、全てプラスの評価の言葉ばかりである。
    それをお互いに見合っている。
    「これ店長のことですよ」と仲間に言われて、
    恥ずかしそうにしている店長の笑顔。
    しかし、しっかりとその言葉は、店長の心の支えとなったはずである。

    そんな温かな言葉を、
    私たちはゆとりのない生活の中で忘れてしまったようである。
    人知れず頑張っている人へ。
    なかなか結果を出せずに悩んでいる人へ。
    否定的な言葉を言われ、傷つき、落ち込んでいる人へ。
    「褒め言葉のシャワー」とは行かないが、
    何か心に残る言葉をかけてあげたいものである。

    でも、一番必要なのは、自分自身に対する褒め言葉かもしれない。
    人からは、認められない自分であっても、
    時には、そっと語りかけてやってもいいのではないだろうか。
    「お疲れ様」
    「それでいいんだよ」
    「あなたのおかげでどれだけ助かっていることか」
    「さすがだね」
    「ありがとう」
    何だか、人を元気にするためには、
    簡単な言葉でよかったのではないかと改めて想った。

    プラス思考の言葉を、さりげなく、
    何気なく言ってあげられる人になりたいものである。

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  • from: クマさんさん

    2010年01月26日 20時26分59秒

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    佐藤さんのバイオリンコンサートを


    沼垂に弱視のバイオリニストがいる。
    御年60歳の佐藤さんである。
    彼は、小学4年生まで沼垂小学校で学んでいた。
    弱視のために、いずれは視力が無くなるであろうと思ったご両親が、
    6歳の時、バイオリンを習わせてくれたのだそうだ。
    その時の先生はまだまだ現役で頑張っていると、佐藤さんが話してくれた。

    4年生の時、黒板の文字が読めなくなってしまった。
    そこで、新潟盲学校へ転入したのだそうだ。
    バイオリンは、佐藤少年の心にマッチしたのだろうか。
    とにかくバイオリンの練習に打ち込んだ。
    高等部を卒業すると、東京芸術大学へ進学し、
    ザルツブルグまで、音楽修業にはせ参じた。
    卒業後は、プロの音楽家としての道を歩み、
    東京を主な活躍の場としていた。

    3年前に、帰郷した。
    沼垂の日ノ出町が彼の故郷なのだ。
    彼にバイオリンを授けたご両親は、すでに他界していた。
    新潟で新天地を求めての帰郷でもあった。
    私は、その彼の存在をある人から聞いて知っていた。
    沼垂荘でバイオリン・コンサートを開いた話も聞いていた。
    会いたかった。音楽の話をしたかったし、彼のバイオリンを聴きたかったからだ。

    3年前の秋、ある夜にだいしホールでのコンサートの帰りに山小屋に寄った。
    カウンターは、私だけだった。
    そこへ白い杖をついた、佐藤さんがやって来た。
    私の隣に座り、酒を注文した。
    「この人だ」
    私の直感は当たった。
    「すみません、佐藤さんではありませんか・・・」
    そして、私は、山小屋でバイオリンコンサートを実現した。
    焼鳥屋で、ツゴイネルワイゼンなのである。

    私の夢は、ウィーンのホリゲーだった。
    酒を飲み、みんなで歌い、語らいながら、
    モーッアルトとベートーベンが奏でられているのである。
    音楽は、大衆のものなのだ。
    焼き鳥の油で染みた柱と天井に、シャコンヌがしみ込むのである。
    感動だった。私は司会をし、会を盛り上げ、最後は全員合唱だった。
    「山小屋の灯」
    歌詞は、森田さんが模造紙に墨字で書いてくれたものだった。

    何でこんなことを書いているかというと、
    月曜日に集まって、佐藤さんのコンサートの段取りを決めてきたのである。
    大佐渡「たむら」と沼垂小学校でコンサートを開く。
    そして、それをきっかけに佐藤さんのバイオリンを聴く会を結成する。
    つまり、彼のファンクラブを作り、
    沼垂人たちで彼を支援しようという話が決まったのだ。

    またまた面白くなりそうな予感である。
    yuccaさんのコンサートにも、ゲスト出演の機会があったらありがたい。
    そんなことも考えている。
    またまた自分で自分を忙しくする私のようである。

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  • from: クマさんさん

    2010年01月25日 06時20分33秒

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    愛と献身

    昨日、献血に行った。
    yuccaさんのコンサートの前だった。
    古町の献血ルームで渡されたのは、10回目の記念品だった。
    私はせめて献血だけでも誰かの役に立とうと、
    1年間に3回は献血に行く。
    そのご褒美をもらったようだ。
    驚いた。
    中身は、名のある作家によるガラスのぐい飲みなのである。
    この粋な計らい、何だかとても感動してしまった。

    yuccaさんのコンサートは、50名限定の会だった。
    ファンクラブの立ち上げの会でもある。
    私は、長者様と入り口に立ちお客様に挨拶をし、
    yuccaさんの写真展の案内を配っていた。
    始まったのだ。
    彼女はゴージャスで実に美しかった。
    ビデオを撮影しながら、私はじっと彼女を見つめていた。

    ここに集まった人たちは、
    エージェントのKさんから声をかけられた人たちばかりである。
    yuccaさんの歌を聴きたくて、
    yuccaさんのために集まった人たちだ。
    目の前に彼女が立ち、歌っている。
    すぐそばで彼女が微笑み、語っている。
    まさにファンにとっては至福の時なのだ。

    花束親父は、真っ赤なバラの花束だった。
    いつものように背筋を伸ばし、
    聴きながらボルテージを上げていた。
    「ブラボー、ブラボー」と拍手と共に何度も何度も賛美した。
    「yucca、愛しているよ」
    この本気さには、ただただ脱帽である。

    彼女のピュアな涙に、いつもじんと来てしまう。
    「オンリー・ラブ」ではまた突っ立ったまま私も涙を流した。
    「心で歌う」「想いを歌で伝える」
    音楽とは、感情表現である。
    聴く者は、歌う人の想いと一体となってしまう。
    その「歌力」がyuccaさんの歌には存在している。
    いつの間にかyuccaさんの世界に、惹きこまれ、魅了され、虜にされる。

    終わってから、彼女とゆっくりと話すことができた。
    嬉しかったなぁ。
    素のままの彼女が、また素敵なのだ。
    「龍馬伝」で挿入歌を一曲歌っていた。
    しかし、yuccaさんには、冒頭のテーマソングを歌ってほしい。
    いずれ彼女はビックになるのだろうなぁ。
    そして、遠くに輝くスターになるのだろうなぁ。
    そう想うとちょっと寂しい気もしないでもない。

    yuccaさんのコンサートに行くと、
    心も魂も奪われてしまう。
    10回目のコンサートでは、
    yuccaさんから何かご褒美をもらえるだろうか。
    ブラボー・ブラザーズの愛と献身(献血)は永遠なのだ。
    「それでいいのだ」

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  • from: クマさんさん

    2010年01月24日 09時45分00秒

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    yuccaさんと共に


    本日の新潟日報のある写真に、
    ついさっきまでその席に座っていたはずなのに・・・。
    という残念な写真が載っていた。
    私の椅子には、誰も座っていないのだ。
    不思議なこともあるものだ。

    さて、本日yuccaさんのコンサートが開かれる。
    この企画は、yuccaいーーな仲間たちというファンクラブのためのものである。
    彼女の歌をこうして新潟で聴けるだけでも、
    ファンとしては最高の喜びなのだ。
    このyuccaさんとの出会いも不思議な縁であった。

    古町どんどで衝撃的な出会いをしたのは、昨年の10月である。
    オペラが古町にやって来た。
    酔っ払いが歌声に感動して、立ったまんま涙を流した。
    「これが歌なんだ」「この歌手は本物だ」
    そして、追っかけの先輩だった長者様と出会い、
    路上で酒を飲み、yucca賛美で大いに盛り上がった。

    二人は「ブラボー・ブラザーズ」を結成し、
    yuccaさんのための私設応援団となった。
    二人の使命はyuccaさんのHPに愛と賛美のメールを送ることとし、
    せっせとメールを送り続けた。
    私は、yuccaさん主演の古町を舞台にした映画の脚本の執筆に入った。

    すると、ある日突然、yuccaさんの新潟のエージェントからメールが入った。
    内容は「yuccaさんのファンクラブを結成します」
    「yuccaさんから、ぜひクマさんと長者様には参加てもらうようにと言われています」
    私は、夢でも見ているかと信じられない気持だった。
    我が永遠のディーバから、ご指名を受けるとは・・・。

    そして、12月の大雪の夜、私と長者様は、市民支援センターの一室に集まった。
    そこには、エージェントKさん、萬代橋のHさん、美人女将のYさんが集まっていた。
    「ゆっかいーーな仲間たち」それがファンクラブの名称だった。
    ただの追っかけ親父が、ファンクラブの親衛隊となった夜である。

    そして、話は「古町」に及んだ。
    みんな古町の再生について真剣に考え、悩んでいる人たちなのだ。
    私は古町は「再生」ではなく、「新生」でなければ救われないと思っている。
    古町には、維新の黒船の登場が求められるのだ。

    そこで、古町新生のシンボルとしてyuccaさんのコンサートをと提案した。
    それも、30名から50名くらいの限定された人数のライブを行いたいという案だった。
    「行きたくても行けないコンサート」「入場券が入手困難なコンサート」
    もし、そんなコンサートがあったら、音楽好きなら、
    絶対に行ってみたいと思うはずである。

    そのコンサートが、本日午後秘密の場所で開かれるのだ。
    不思議だなぁとつくづく思う。
    これがたった3ヶ月の間に行われたのである。
    その間、彼女は市民プラザで500人規模のコンサートを開き、
    2月6日には西堀ローサでコンサートを開く。
    そのことは、本日の市報に掲載されている。

    この出会いと、この進展状況は、映画になると私は独り思っている。
    彼女は、いずれ世界的なスターになることであろう。
    その星が、まだ原石の輝きをもっている時代、
    私は出会えた幸運を感謝している。

    あの日報に掲載された写真には、私は写ってはいない。
    「尾崎利彦トリオ&矢川」5年前から私はこのトリオを追っかけている。
    ボーカルの矢川さんは、私にとって新潟Jazzの華である。
    いつも最前列で聴いて、拍手と歓声を贈っていた。

    yuccaさんがメジャーになる頃、
    彼女の歌う姿が写る写真に、空白の椅子があったら、
    それは、ついさっきまで私が座っていた椅子なのである。

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    2010年01月23日 06時34分05秒

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    弱さを原点にする

    勢いのあるものは、いずれ勢いをなくす。
    激しく強い流れも、いつかは静まりおとなしい流れに変わる。
    逞しく雄々しいものも、いつの間にか老いていく。
    自然とは、変遷することである。

    それだけのことだ。
    それだけのことなのに、
    なかなかそのことが分からない。
    だから、時には自然は大きな重荷を人間に与える。
    孤独・絶望・病・苦しみ・痛み
    その時、気づくことは、
    何と自分という人間は「弱い」ものであったかということだ。

    そこから、人は、再び人としての道を歩き始める。
    そこから、人としての歩みを再び始める。
    「人として」それも「弱い人ととして」何を為すべきか考えながら。

    すると、周りの人たちの「弱さ」が見えるはずだ。
    威張ったり、強がったり、人を見下したりする人にも、
    実はその強がった分の反比例で「弱さ」が存在している。
    そういう人の心の寂しさと悲しさとが見えるはずだ。

    「弱さ」を認め、「弱さ」を引き受け、「弱さ」で生きるとき、
    肩から力が抜け、人からどう想われようともかまわないと思い、
    こんな自分だけれども、ちっとはいいとこあるさと思えるようになる。
    何よりも、「弱さ」を原点とすることで、
    たくさんの仲間(御同行)と出会えるのである。

    「人は、弱い時に強い」これは、イエスの言葉である。
    私はこうして人生の峠を越え、下山しながら、
    自分の体の衰えと、疲れと、弱さとを感じる。
    若かったころのようには何事もいかないのである。
    それを、心で認めながら下山している。

    すると、里に近づく。
    しかし、その里が違って見えるのだ。
    「弱さの人たち」それは私を含めた人たちだ。
    「どげんせんといかん」と誰かが言っていたように、
    その人たちのために何とかしなければならない仕事がたくさんあることに気づくのだ。

    道元さんも、親鸞さんも、良寛さんも、
    イエスさんも、お釈迦さんも、
    ある意味「弱い」自分が原点なのだと私は想う。
    厳しく・過酷で・孤独な修行の中で悟りの光を得た時、
    「はっ」と感じ、みんな山を降りて里に向かったのである。
    なぜならば、そこで苦しみもがき、助けを求める人たちがいたからである。

    「弱くてよかった」と想うことがある。
    でも、「弱さの中から強い力を引き出す」のは、
    その人が、誰かのために懸命に生きたときだけなのである。
    不思議なことだが、無私の行為・奉仕の心をもって実践するときだけ、
    人の真の強さが発揮されるのだと思っている。

    金のため、名誉や地位のため、権力のため、自分だけのため、
    人は、この欲望に憑かれているとき、
    どんどんと疲弊して弱って行くのである。
    そして、最期は人々から見放され、孤独な末路を辿るのだ。

    「弱いもの、それが人だよ」
    「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」みつを

    この言葉、真実だなぁと本当に思う。

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  • from: クマさんさん

    2010年01月22日 06時33分10秒

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    親父たちの「海援隊」

    中地区公民館で、「こだわり人生セミナー」が開催された。
    中高年を対象にした、「50歳の男性に贈る生き方」講座である。
    3回の講座の間に何と交流会を3回もやるそうだ。
    私もCさんを通じて応募していた。
    しかし、そのことをすっかりと忘れ、1回目は参加できなかった。

    退職者や60代の人たち15名ほど集まったらしい。
    退職後の生き甲斐を求めての参加であると聞いている。
    特に、農業についての関心が高く、
    2回目の講座の内容が「おれのセカンド・ステージ」農業という生き方なのだ。
    実は私もこれに魅かれての参加だった。

    懸命に働き、やっと辿り着いた退職後の自由な生活である。
    ここから本当に自分のやりたいことができる。
    それを保証する時間と、多少のお金と、心のゆとりは持っている。
    それでは、何から始めるか。
    ところが、自分の打ち込める対象がなかなか見つからないのが現状のようだ。

    女性の場合は、地域社会とのつながりをもって暮らしていた人が多いために、
    この地域デビュー・ボランティア参加については、
    あまり抵抗感なく入れるようだ。
    しかし、会社の縦社会で生きてきた男性は、なかなか難しいのが現状だ。
    会社人間・組織人としてのしがらみがとれず、
    現役時代の地位や役職から離れられない人も多いと聞く。

    50代で考え方を切り替えて、
    60代に向けてのソフトランディングすればよいのだが、
    そんな気づきと新たな視点を与えてくれる人と機会と出会えた人は幸せなのだ。
    わが父を見ていても、地域社会において居場所をもっていなかった。
    地域に友達がいない。趣味を語れる仲間がいない。
    気軽に一緒に酒を飲みに行く相手がいない。
    何よりも、自分が打ち込む趣味がないのである。
    競馬には家二軒を失うほどに打ち込んだ男であるが、
    無趣味であるために、本当に哀れなほど時間を持て余している。

    そこで、この公民館の企画は、なかなかグッドな企画なのである。
    我が父のような引きこもり親父を作らず、
    余生を充実して元気な生活を営んでもらうために、
    講座と共に、懇親会と称した飲み会をちゃんと計画されているからである。

    「濡れ落ち葉」「粗大ごみ」「俺も、俺も」と母ちゃんにべったりの親父たちよ。
    公園デビューではないが、50代から地域デビューはしておくべきなのだ。
    ついでに、地域社会に自分の居場所・働き場所を見出し、
    ボランティアに積極的に参加することである。
    後は、今までやりたくてもできなかったことを書きだし、
    その優先順位をつけて、さっそく今日から始めることである。
    60歳になってから始めるのと、50歳で始めるのとでは、
    10年間の開きがあるからである。

    頭と体と心とが若いうちに、セカンドライフの設計をすべきなのだと、
    私は実践しながらその思いを確かにしている。
    坂本龍馬ではないが、
    親父たちのための「海援隊」はぜひ必要なのである。

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