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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2016年09月30日 06時09分51秒

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    担々麺は、挑戦だ

    「久しぶりに爽やかな朝焼けの朝だ。
    窓を開け放ちて、冷たい風が入っ来る。
    肌に感ずるその寒さに、秋を感ずる。
    一雨ごととはよく言ったもので、
    雨が降り続き、日照時間が少なくなると、
    あれだけ猛暑で辛かった日々も、すっかり過去のものとなっている。
    自然とは、かくも自ずから移り変わって行くものだ。
    それに対して、私がとやかく言ったり、思い煩ったりすることはない。

    「50年に一度の大雨だ」とか、
    「こんな大雨、見たことがない」とかよく言うが、
    どこから50年と言う期間が出て来るのかいつも不思議に想っている。
    自然とは、何でもありだ。
    想定外こそ、自然のあるがままの姿だった。
    自然はあるがままにふるまっているだけだ。
    人の思惑や、勝手な憶測なんか、自然に対しては何の役にも立たないだろう。
    活断層もいつかは必ず活動するのだ。
    それをきっと「100年に一度の想定外の出来事だ」と、専門家は言うのだろうなぁ。

    さてさて、ラーメン店「D威」の話だ。
    あの担々麺の味がカレー味になり、がっかりしたのは実は束の間。
    次に訪れて担々麺食べてみたら、
    まさに「これぞ、担々麺だ」と、その深い深い味わいに感動の出会いとなった。
    店主は、この担々麺でコマチ?がやっている新潟県の拉麺コンテストに挑戦だった。
    そのために開発したのが、このカレー味の担々麺だった。

    挑戦とは、ある意味冒険でもあった。
    質的な大きな転換は、その味を知るお客にとっては、なかなかのハードルだった。
    よく知った味を食べたい。
    そんな常連客の想いに対して、「これではどうですか」との提案だった。

    そのためには、開発途中には店主の試行錯誤の連続だったと想像できる。
    彼が小間生「これだ」という味に到達するためには、
    目的地とその至るための距離とを知らぬ、
    実に長く過酷なる旅に出ることを余儀なくされる。
    果たして、その旅で目的地に到達で来たら幸いだが、
    途中で道を見失い、路頭に迷い、倒れてしまったら、それまでだ。
    帰るには既に遅く、退路は自ら断っているからだ。

    私は、この店主の創る担々麺に頭を下げる。合掌する。
    ここには店主の職人としての並々ならぬ本気が存在しているからだ。
    一口、蓮華でスープをいただく。
    「これだ」その言葉しか浮かばない。
    「美味い」確かに身体がそう感じて、感動している。
    「深い」それは、多様なる得も言われぬ濃厚さだった。

    カレー味が絡むひき肉は、「越後雪豚」という上質な肉だった。
    そこにチーズが絡み、パスタスープのようなこくのある味を引き出している。
    一口一口全てが新しく、深く深くに私の心を誘っていく。
    そのスープに絡む太麺がまた絶妙な食感だった。
    この一杯の担々麺に、彼の全ての魂と技とが凝縮されている。
    存在感のある拉麺は、存在感のある職人によって創られる。
    リアルこそ、現実の奇跡だと、私はいつも思っている。
    ここにリアルなる拉麺がある。
    ありがたい。ありがたい。

    コンテストは、各店舗でのお客による投票に寄って選ばれるそうだ。
    県内で上位5店舗が選ばれ、ふるさと村で決勝が行われる。
    この店は昨年度決勝に進出し、新潟県で三位?になったお店でもあった。
    だから、店主は今年度の優勝を狙っている。
    甲子園の試合は、決勝しかなく、優勝しか目標は存在していないのだ。
    こんな名店が、東区にはある。

    日々、店主は、挑戦を続けている。
    それは食べる度に感ずる味に深みとこくとが増しているように感ずるからだ。
    「美味い」と本気で言えるものを食べられることの喜びと幸せ。
    これからもせっせと通って、決勝進出のために投票しようと思っている。
    木戸病院近く。ぜひご賞味を。

    応援しています。
    優勝してください。

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  • from: クマドンさん

    2016年09月29日 06時03分12秒

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    我を忘れて、我を演ずる

    さてさて、どうしたもんじゃろうなぁ。
    ふと、いろいろなことを考えてしまう。
    するとそこから先には進めなくなる。
    そのことにこだわっていると、何だか自分の無力を感ずる。
    年を取ればとるほど、その無力である自分を自覚する。

    昨日、子供向けのミュージカルを観た。
    歌と踊りと語りの世界。
    そこには子どもたちに伝えたい夢があり、愛があり、メッセージがあった。
    まさに舞台はアブラカダブラの魔法の世界だ。
    その光と闇の世界に観る人たちを惹きこみ、
    その世界に一瞬のうちに没我させ、没入させる。

    食い入るようにして微動だにもせず見つめる子どもたちの目。
    身体と心とは、既にその世界・宇宙に存在していた。
    登場人物と一緒にそこに生き、そこで困難に出会い、そこで哀しみ、そこで戦う。
    観る私が居ながら、観られる私もそこには存在していた。
    観る私と観られる私とは二つでありながら、
    一つの私だ。

    無心になって、夢中になって劇中に飛び込むことで、
    はらはらどきどき、ほっとしたり、あわてたり、泣いていたり、笑っていたり、
    そんな感情の揺れ動きをそのままダイレクトに感じて、感動している。
    やっぱり舞台はいいなぁと、改めて想い、感じさせられた。
    私が私になって物語を演ずることで、
    私はきっと忘れていた、見失っていた私と言う人と出会うことができるからだ。

    彼は、私で、彼女も、私だ。
    そこに生き生きと生き、存在している私のことを、私が見つめる。
    その内に、私は私を意識せず、ただの私になって歌い、踊り、語っていたりする。
    その一体感は、忘我の一体感である。
    これが舞台のリアルだ。
    リアルであるから、観る者は我を忘れてその世界に没入する。

    観ている私が、消える。
    そこでは限られた時間と空間の中で自由に生きて、表現するだけの私が居た。
    つまり、演じているのは、私だった。

    無心になり、無力になることで、
    本当は劇中の私のように本来の自由なる私として、
    この限られた時間と空間である現実世界に生きることができるのだ。
    私がここにいる限り、このまどろっこしく、悩ましい私はどこにも行かない。
    しかし、私が我という本心により定められた役を演ずることに無心となると、
    実は、私は私として、あるべきように生きられるようだった。

    無心とは、無力とは、諦めとは、
    その死んだ身体を何かに化して、何かによって生かされることのようなのだ。
    人生とは、舞台であると、シェークスピアだったか言っていた。
    もし、私が役者として、私がやりたい役ではなく、
    生まれる前から私に定められた役柄を演ずることができたら、
    その時は、果たして私が生死を超える時なのかもしれない。

    舞台に立って演じた時、「降りてきてください」と、念じたものだった。
    そして、果たしてやっぱり降りて来たそのものに全てを委ね、
    歌い、語り、身体を動かした。
    無心になることは、なにかになることだ。
    無心、無力と、なにかの存在と働きとは、けっして矛盾しないのだ。

    観る者と観られる者の一体感。
    一でもなく二でもなく。一でもあり、二でもある。
    「絶対矛盾的自己同一」
    舞台の奇跡に、その現れが存在している。

    だから、生きたければ、無心でいい。
    いかに生きるを分かりたければ、無力でいい。
    舞台は、ちゃんとそのことを私たちに教えているではないのだろうか。

    私を忘れて、我を演ずる。
    「我執を捨てて ただなんとなく」by蒲水先生

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  • from: クマドンさん

    2016年09月28日 06時12分58秒

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    四つのお話し。その問うているものとは。

    さてさて、昨日考えたり気付いたことをここに羅列する。
    ただそれだけ。
    でも、やっぱり生きているということは、考えることだった。

    「寝た子を起こすな」と言われる。
    しかし、「寝たふりの子」ではないだろうか。
    やっぱり「寝たふり」ならば、起こしてあげることが親切だと私は想う。
    そのことを無いことにすることはできない。
    そうではなくて、そのことはここにあるよと指さして教え、
    みんなはこのことをどう思いますかと問いかけ、
    共に解決する答えを見つける道を歩むことだと、話を聴いて感じた。

    もう一つは、目覚めた人は、やっぱり歩き続ける人になることだ。
    誰かが目覚めることになっているのだから、
    その自覚をもったならば、人より三歩先を歩き、
    ある意味での内面の激しい闘いを闘い続けるということだ。
    世間は厳しく、冷たく、無責任で、批判的なものだ。
    でも、その世間という存在しないものの目を恐れていては何も変わらない。
    まずここから。
    Hさんの同和教育にはそんな真摯な生き方が感じられた。

    公害は人が起こすもの。
    それも、利益のために人のいのちをものともせずに。
    水俣病の原因が有機水銀にあると分かっても、それを認めない。それを流す。
    原因は新潟地震によって流れた農薬だと言う。
    裁判の判決すら、変えられてしまう。
    政・官・民の癒着と蒙昧、己の利益だけに汲々とする浅ましさ。
    それは、福島の原発にも、あの豊洲にもある。
    水俣病の発生と、多くの患者たちの姿は、
    公害とは何であり、誰が作り、どう隠蔽され、
    誰も責任をとらず、どう逃げ切り、ただ僅かばかりの賠償金で幕引きをする。
    そんな愚かなことが、未だにこの国では行われていることの実証だった。

    県民会館が満席だった。
    2階席の最後列まで観客で埋まった、埋まった。
    若いギャル。お母さん、お父さん。おじいちゃん、おばあちゃん、子どもたち。
    赤ちゃんを抱いたお母さんも立ったまま舞台に魅入っていた。
    笑った、笑った。
    「待ってました」の期待感で、館内はいっぱいだった。
    本当に椅子の三分の一に腰掛けて、身を乗り出して笑っている。
    拍手と歓声。
    新潟には、お笑いはありだと、何だか深く深くガッテンだった。
    「よしもと」にとっては、この地は、巨大なマーケットとなるだろう。
    何よりも本物の芸だった。
    中川家の漫才は王道を行った。
    笑うためにお金を払う。いいではないか。納得の一夜だった。

    下手な選手がいるチームは、どんな監督が来ても勝つことはできない。
    上手い選手がいるチームは、どんな監督が来ても勝つことはできる。
    試合をするのは、監督ではなく、選手だった。
    1対1の闘いで、その凌ぎあいで負けていたら、
    勝つわけがないことは、誰もが分かっている。
    試合中は、観客はその勝負の本質をちゃんと見抜いているものだ。
    だから声援を送る。歓喜したり、怒ったりする。
    分かっていないのは、ピッチを走っている選手だけだ。
    だから、監督が状況を判断して、的確なアドバイスを送る。
    しかし、そのことを選手が実現できなかったら
    、監督は居ても居なくても変わらない。

    私は、Y監督のことが好きだった。
    あの攻撃的で、前がかりのサッカーは、チームに新たな世界を与えてくれた。
    しかし、ここ残り四試合での、突然の交代だった。
    降格がかかっている絶対に落とせない試合が続く中で、
    監督を替えることで、フロントは一体何を期待しているのだろうか。
    フロントのこの態度に怒り心頭だった。
    本当にチームを愛しているなら、監督と運命を共にするだろう。
    自分たちが決めた監督とコーチだ。
    責任は、監督にはない。
    ここでも、豊洲と同じことが起こっている。

    監督にせめて3年間は与えて欲しかった。
    その時間しか、弱いチームを強くする道はないと思うからだ。
    どうしてこんなに安易などうしょうもない選択をフロントはするのか。
    大きな不信感とクエッションに、お笑いの帰りの車で包まれた。

    さてさて、この四つのお話しがどうつながるか、
    そのことを考え、問うてもらいたい。

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  • from: クマドンさん

    2016年09月27日 06時03分54秒

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    親父として・・・・

    さてさて、「どうしたもんじだろうかなぁ。」
    Sさんに教えてもらった言葉だ。
    言葉は、生き方だ。
    そして、言葉はその人の内に宿り、
    いつかその人に発見され、気付かれることを待っている。
    そんな言葉との出会いは、とても嬉しいものだった。

    私たちは、語りながら、その言葉に至ることがある。
    「ああ、それそれ。」
    「そうだねぇ。」
    その瞬間がとてもとても在り難く感ずる。
    言葉は、その人の生き方そのものとなる。

    しかし、その言葉そのものを生きることの何と難しいことか。
    「頭では分かっている。」
    なのに、身体はそうは動かない。
    失敗を続け、うまくいかないことばかりでため息も出てしまう。
    思い通りはいかないものと諦めていても、
    ついついそこに欲が出る。

    家族の中での私と言う存在を想うことがある。
    さんざん好き勝手をしてきてしまった私は、
    ある意味家族からの信頼感は皆無に等しい。
    私には父親はいたが、彼も父親としてのモデルにはならなかった。
    彼もまた、私と同じようにして好き勝手をやり切り、
    そして、すーっと去って行った人だからだ。

    親父とは、いかに生きる者なのか。
    厳格な親父に育てられた。
    真面目で家庭のことを守り通した。
    家族を愛して、自分を犠牲にしてまでも家族に尽くした。
    そんな親父を、私は知らない。

    息子という字を見て、ぎくっと驚いたことがある。
    今更ながらだが、「自分の心」と書いて、息子と読む。
    他の読み方は、「息いき」だった。
    私の生きているそのものが、息子になる。
    つまり、息子は、やっぱり善くも悪くも私にとっては鏡だった。

    長男と次男を、今はただ見守るだけだった。
    言葉をかけようとすると、ろくな言葉すらかけられない。
    遠慮しているのではないが、聴いてもらえない言葉をかけることをためらっている。
    「それでもあんたは父親なのか」と、呆れられようが、
    何だか今は、言葉ではないような気がしている。

    失地回復とでもいうのだろうか。
    息子たちの心の中には、どんな親父が存在しているのだろうか。
    私には、自信はなく、
    勝手ながら、ただただ彼等に大人になってもらいたいばかりだ。
    父親不在の家庭とよく言われる。
    それは、ここに居たとしても、子どもたちの心に居なければ、
    やっぱり不在だったのだろうと、そう想っている。
    失った月日は、決して取り返せないものだった。

    こうして親として生きて、こうした言葉をかけてあげてくださいと、
    今、言われても・・・・。その大事な時には、気付かなかったんだ。

    そう考えると、言葉とは、試練や絶望を通してしか現れないものだった。
    哀しみと苦しみ、辛さが深まると、
    土の中で根っこがどんどん延びて行く。
    平穏・平安な日々には、その根っこは育たない。
    やはり、どうにもならない状況に立たされた時、
    言葉は、その姿を現してくれた。

    私は、帰って来ると、台所の流しをきれいにすることにしている。
    食器乾燥機の中の食器を、食器棚に仕舞う。
    息子たちが食べた後の食器を洗う。
    散らかっていたら、少しだけ物の位置を整え、整理する。
    昨日は洗濯機にあった洗濯物をベランダに干した。
    お風呂を洗って、湯をはることもある。
    庭で酒ばかり飲んでいる父親だが、そればかりではないのだ。

    Sさんとは、我を語りながら、その言葉と出逢う。
    息子たちとは、いつかそんな言葉と出逢える関係になれるものかと、
    何とも言えない気持ちで、日々を暮らしている。

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  • from: クマドンさん

    2016年09月26日 06時09分11秒

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    思い通りにはいかぬものばかり

    思い通りに行かないことばかりだ。
    それはそうなんだ。
    自分の身体のことですら、思い通りにはならないのだから。

    アルビへ行って来た。
    N席は超満員だった。
    みんな新しいこの日のためのユニホームを着ていた。
    そこにサポーターの熱い熱い想いがあった。
    まさにこの一戦が天王山だった。

    私は、午後1時にはあの燦々と日に当たり、
    じりじりとした日差しに耐えながら、
    レディースの試合を応援していた。
    小原さんの復活。斎藤さんの可憐な姿。八坂さんのヘディングゴール。
    これぞサッカーという全力プレーに、感動だった。

    しかし、アルビは・・・・。
    何も言えない。何も言わない。それが実力なのだから仕方ない。
    これだけの熱き思いを生きに感じたら、
    その実力以上の奇跡を起こせるはずなのに、
    またしても1点で涙を飲んだ。

    思い通りには行かないものだ。
    その辛さと何だか不満とで、心乱れたままバスに乗った。

    土曜日の映画といい、このアルビの試合といい、
    何だか行って辛くなり、うなだれて帰って来るものばかりだった。
    思い通りにはならないよ。
    それは、いつも相手のあることだから。
    そんな諦めを、もっともっと私は感じなければと、今は想っている。

    いい加減でいい。
    諦めればそれでいい。
    こんなこともあるさと、何も深刻にならなくていい。
    もっと気楽に考えればいい。

    そう自分に言い聞かせながら、この暗い朝を迎えた。
    「これでいいのだ」とは、バカボンのパパだ。
    忘れることも大事なことだった。
    どうでもいいんだと、突き放すことも大事なことだ。
    さてさて、どうこの気分を切り替えるかだ。

    切に忌むべきは他に「渠(かれ)」を求めることだ。
    そうすればますます遠く私から渠は離れ去ってしまう。
    私は今まったく独り自ら行くのだ、
    すると、私はどこにいても「渠」に逢う。
    「渠」はまさに我なのだ。
    けれども私は今「渠」ではない。
    すべからくかくのごとく会得することによって、
    初めて如如に契合するのだ。

                 洞山

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  • from: クマドンさん

    2016年09月25日 06時18分54秒

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    分からないことは、疲れることだ

    分からない映画を二本立て続けに観た。
    ある意味、とても苦痛でもあった。
    というか、その時間が私にとって意味をなさず、
    すぐに映画館から出たくなってしまった。

    まず、何を言いたいのかさっぱり分からない。
    そうなんだろうが、それがこうだと共感できない。
    一方的に語られるだけでは、気持ちと想いとが追い付かず、
    何だか私独りだけが置いていかれてしまったような錯覚を覚える。
    登場する人たちは、信念と信仰と尊敬とを確かに語っている。
    ただ、私にはそう想われないだけ、語られれば語られるほど違和感を感ずる。

    もう一本は、音の無い映画だった。
    音の無い音楽とは何なのだろう。
    それを感じたくてとてもとても楽しみにして行った映画だった。
    しかし、無音で始まった彼女、彼の踊りとパフォーマンスは、
    「分かれない」のもどかしさだった。
    きっと聾者の人たちには感じられただろう爽快感と高揚感とを、
    私はここでも置き去りにされたように感じられなかった。
    「分かろう」とするから、感じられなかったのだろうか。
    どんどんと表現が進む中、私は孤独で戸惑っていた。

    そのもののはきっとそこにはあるのだろう。
    語る人も表現する人たちも、
    きっとそのものを感じ、味わい、楽しみ、喜びをもって伝えているのだろう。
    しかし、私は、そのものの世界の外にぽつんと置かれた。
    観客のひとりにもなれないまま、どうしてよいのか分からずにそこに居た。

    ということなんだな。
    「分からない」まま、そこに居るということは。
    そこに居る間中、もっと分からないもどかしさと時間とが増えて行く。
    周りの人たちが感じ、感動すればするほど、
    私は、独りで置き去りにされたような孤独感と無力感と空しさとを感ずる。

    「疲れた」それが二本を観終わった本音だった。
    真実であり、善であり、美しいものに違いないのだろうが、
    そのことを感じられない私にとっては、
    苦しく、切ない時間だけに過ぎなかった。

    「感じられない」「分からない」とは、かくも切ないことだったんだなぁ。
    改めて教室で全く先生の言う言葉が分からなかった、
    あの高校時代の数学の時間を、思い出してしまったものだった。

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  • from: クマドンさん

    2016年09月24日 12時30分36秒

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    生類だよね

    今まで、ずっと庭に居た。
    玄関の横に新しい花壇を創った。
    そこには花の種をただ植えた。
    来年の春には花が咲くそうだ。

    プランタには買っておいた野菜の苗を植えた。
    キャベツ・白菜・ブロッコリーだった。
    いつの間にか種から育っていたミニトマトの苗もある。
    秋ナスが実り、ピーマンもたわわにぶら下がっている。
    ちょっとした菜園だった。

    パンジーとビオラを植えた。
    まだまだ数が足りないようだ。
    飲み会一回分の資金があれば、庭は花でいっぱいになるはずだ。

    そして、草取りをせっせとした。
    ハーブ園の枯れたハーブを抜き、風通しをよくした。
    地面から可愛い芽がたくさん出ている。
    その芽に光が当たった。

    しかし、私は植えるだけだ。
    後は、それぞれがもっている生きる力に委ねられる。
    「思い通りにはならない。」
    本当にそんな当たり前のことを花や野菜たちには教えられる。
    どう育ち。どう生きるか。
    それは、それぞれの草花が宿している運命のようなものかもしれない。

    同じものは一つとして存在していない。
    「みんな違ってそこにある。」
    それぞれがやっぱりそれぞれの個性をもって生まれてきている。
    強いものも、弱いものも存在している。
    生き延びるものも、枯れてしまうものも、同じ環境なのに存在している。

    では、私は何をしてやれるのか。
    ただ傍らに居て、心を配ることだけ。
    水やりを忘れず、草花の日々の様子を敏感に感じて、
    できることは、できるでけ、手をかけ、声をかける。
    「きっとそれだけ。」
    私にできることは、それだけのことだった。

    のびるものもある。力尽きるものもある。
    応援はしても、その替わりに生きることはできない。
    「生きるのは、あなたなんだ。」
    ただ、あなたが生きていてくれることを、私は願っている。

    「待つこと。」
    私は、ただこうして待っている。
    今は萎れて弱弱しそうな白菜の苗も、
    きっといつかはしゃんと立って、葉っぱを緑色に茂らせるだろう。
    だから、私は「願いをもって、待つこと」にしている。

    「生類」という言葉を、教えてもらった。
    そうだよな。「生類」だよな。
    その言葉で、私と庭の草花と、ここに集まる鳥や虫たちとが包括された。
    あれっ、同類だった、仲間だった。
    ならば、どうやったら一緒に生きられるか、考えて生きようよ。

    そんな視点から庭の草花や野菜たちを観直したら、
    「生類憐みの令」が、違った意味で腑に落ちた。
    私も生類、あなたも生類、この花たちも、この蝶たちも、あのカナヘビも、
    ああ、みんな生類、仲間なんだ。

    庭にずっと居ると、私はいつの間にか生類の1つとなっている。
    だから、いつまでたっても飽きずに落ち着いているんだと、
    生類の中で生類に囲まれながらふっと想った。

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  • from: クマドンさん

    2016年09月24日 06時04分06秒

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    本心を思い出す旅を

    さてさて、秋の庭仕事だ。
    帰りにコメリに寄ってパンジーとビオラを買って来た。
    寂しくなったプランタに花を植えようと想ったからだ。

    花の苗を買う。
    今では当たり前になったが、いつ頃からこうしているのだろうか。
    父が生きていた頃は、この庭は落ち葉一つ落ちていない庭園だった。
    花壇を作るなどめっそうもなく、
    ただきれいなだけの、野草も生えない庭だった。

    きっと私は、ある日から、花を植えようと想ったのだろう。
    そんなことを考えていたら思い出した。
    それは、私が心の病で休んでいた時、
    今は施設に入ったS叔母が御見舞いくれた一万円のおかげだった。
    私は突然、この庭のど真ん中に花壇を創ろうと土を買って来た。
    プランタに腐葉土と培養土とを入れて、花の苗を植えたのもその頃だった。

    きっかけは、心の寂しさだったのかもしれない。
    私は、花を育て、ミニトマト等の野菜を育てた。
    そして、日々水やりをしながら、その草花の成長を愛でて、励まされていた。
    確かに、生きている草花は、私の心の支えでもあった。
    何も語らない花たちだったが、それでもちゃんと言葉は私には届いていた。

    その姿、その生き方、その枯れ方を通して、
    私には、草花によって、生きるのそのものを教えられていたようだと想う。
    庭に居ると、独りではなかった。
    それはどうしてなのか説明はできないが、
    庭に居ると、心が落ち着き、時間のたつのもすっかりと忘れてしまう。
    あの頃、午前中はここに居て、音楽を聴いたり、本を読んだり、電話で話した。

    ここを動かず、たったこの何坪かの面積の庭だったが、
    ここに居て想ったり、考えたりするだけで、何か充実したものを感じていた。
    もし、庭が無かったら、私はどうしていただろうか。
    その孤独と不安と寂しさとで、どん底に落ち込んでいたかもしれない。
    人の中に居ることが辛くて、耐えられなかった日々でも、
    この庭には居たし、ここにいるだけで平安な気持ちになった。
    どうしてなのか、今でも不思議だ。

    自然であること。
    自然のあるがままであることは、
    この一本の女郎花が生きていることそのもののことだった。
    悩まない。思い煩わない。心配しない。不安にならない。
    それは、この枯れた枝から小さな芽を吹きだした紫陽花がしていることだった。
    ただ今日を、一日を生きるだけ。
    後は、全てお任せあれだ。

    そんな心のなすがままの原点に、
    この庭の自然が、私をそこに還してくれたのだと今は想う。
    みんな忘れていただけなんだ。
    その心を亡くしていただけなんだ。
    しかし、そのまに日々を生きている草花には、
    その心のあるがままが現れている。
    生きると言うことそのままを生きている。
    だから、心を病んでいた私は救われたのだと思っている。

    本心を思い出す旅。
    これからもこの小さな庭の宇宙の中で、
    その旅を続けたいと願っている。

    さて、これから庭に降りよう。
    久しぶりに朝日が輝いている朝だから。

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  • from: クマドンさん

    2016年09月23日 06時22分53秒

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    秋には秋の仕事が

    さてさて、昨日は二日酔いと前日の活動の疲れとで、
    身体が疲れて、難儀な一日だった。
    自分の身体が想うようにいかないと、気分も優れないものだった。
    何だかやる気が出ずに、天気のようにどんよりとした気分だった。

    それでも身体を動かそうと、庭仕事をすることにした。
    秋には、秋の仕事。
    Kさんが教えてくれたように、自然は季節季節で仕事をくれる。
    その呼びかけに素直に従い、身体を動かせばいい。
    自然からの力に促されての仕事が、本当の仕事なのかもと想いながら。

    プランタの枯れた向日葵たちを抜いて、袋に入れた。
    夏の終わりを実感した。
    プランタの土からカタバミを抜き、シャベルでそれをかんもした。
    固い土が柔らかな土に変わって行く。
    手でその土をもみ、そして、土を底からすくってかき混ぜた。
    土が空気に触れて、呼吸するようだった。
    滋味のある土。
    ここに花を植えようと思っている。

    買って来た大ぶりな野菜用のプランタに、赤玉土と腐葉土を入れた。
    培養土の袋が40ℓなので少々困ってしまった。
    この袋を車から庭まで運んでくれたのは、次男だった。
    私は、このお腹の手術のせいで重い物を持つことはご法度だった。
    しかし、やらねばならないと、袋を抱えて、土を入れた。
    ここには、キャベツ・白菜・ブロッコリーの苗を植えた。

    それから、花壇のプランタから雑草を抜き、
    弱っている花や茎を整えて、しゃきんとさせた。
    それぞれが、そうされながら、何かを語りかけてきた。
    この庭に居ていつまでも飽きないのは、
    そうした聴こえない言葉にここは満ちているからではないだろうか。

    私は、身体の疲れとだるさとをすっかりと忘れ、
    ある意味難儀な身体を使いながら、無心で庭仕事をしていたらしい。
    気が付いたら二時間余り。
    ちょうど正午にやれやれと手袋を外して、椅子に座った。

    すっきりと、しゃゃきっとした庭は、何だかすがすがしかった。
    身体を動かす。
    自然に促されて働く。
    もさもさと茂っていたり、しなしなと弱っていたら手を入れてやる。
    そんな庭の草花たちとの共同生活は、これはこれで楽しいものだった。

    Sさんと電話で話した。
    「感ずるというよりか、味わうかもしれませんね」と。
    生きるを感ずるのではなく、生きるを味わう。
    それが本来の感ずると言う意味ではないだろうかと、
    この庭の仕事を終えて、そんなことに気付いていた。

    未だ口にしていない喜びがここにある。
    日々、その喜びを繰り返すことが、日々を生きるということなのかもだ。

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  • from: クマドンさん

    2016年09月22日 09時49分16秒

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    ちょい飲みはいいなぁ

    さてさて、どうしたもんじゃろうなぁ。
    とは言いながらも、楽しくやっているクマだった。
    生きることの面白さとでも言うのだろうか、
    こだわらなくなったら、いろいろと楽しいことが多いのだはないかと、
    そんなことを感じながら、今日を生きている。

    昨日のことどころか、ついさっきのまでのことは既にない。
    これから先は、どうなるのかは神のみぞ知る。
    この刹那、刹那だけが、私の人生だった。

    どうでもいいは、どうでもいいだ。
    私が思い悩んだとて、何も事態は変わらない。
    何だか力まず、己を忘れ、岸に上がって大河の流れを観ていればいい。
    それがきっといい加減な生き方なんではないだろうか。

    昨夜、吉原でのちょい飲みだった。
    ちょい飲みのはずが、たいそうな飲み会となってしまった。
    Tさんのいろいろな話だった。
    できることは、聴くことだけ。
    彼が直面しているその事態に対して、私は後方支援もしてやれないのだから。
    これから十年、親の介護や家族のことで戦わねばならないだろう。
    私は私の両親の時の経験を語るだけだ。

    Cさんが登場した。
    障害者アートに今は東奔西走。
    とにかくバイタリティー溢れる男だった。
    がつがつと道を切り拓く。
    できないことはない。ただできるまだやるだけだ。
    彼が爆走した後には、しっかりとした道ができる。
    何ともすごい男だった。
    「クマさん、山に登りましょうて」と、励ましてもくれる。
    何だかいつもいつもくすぶっている私に火を付けて去って行く。

    Yさんは、こんな私たちに本当によくしてくれる。
    私にとっては、ちょい飲みの寄港地でもある。
    疲れると、カウンターにクマは座る。
    ちょい飲みの設定でお願いする。
    ここの刺身が絶品だった。
    煮物の味付けはコクがあってそれはそれは深いものだ。
    そんなおもてなしがいつもいつも嬉しかった。

    この三人との出会いは、あの「やろう会」だった。
    我が子の通っている小学校で親父の会を創ろうと、15年前?にクマが想った。
    すぐに当時のPTA会長だったMさんを訪ねた。
    「いいね。やろうよ」と言った彼女は、私の小学校の同級生だ。
    そして、中学校の先輩のKさんにお願いした。
    さっそくその発会式のような第一回の親父の会が図書室で行われた。

    そこで、初めてTさんと、Cさんに出会った。
    もし、この会が無かった決して出会わなかった私たちだった。
    そして、やろう会の地引網でYさんとも出会った。
    彼の包丁の凄腕によって、網にかかった魚たちは素早く刺身にされたものだった。

    昨日、そうやって飲みながら、何だかしみじみと出会いの在り難さを感じた。
    出会うべきして出会った私たちだったかもしれない。
    でも、「やろう会」がなかったら出会えなかった私たちでもあった。

    あれから本当にお互いにいろいろなことがあった。
    その人生いろいろを共有し、話し合い、聴き合い、語り合っている。
    これからも、死ぬまで、地域でのちょい飲みのお付き合いお願いします。
    しかし、Cさん、二日酔いだよ。

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