新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2017年07月31日 06時15分22秒

    icon

    バーベキュウ大会大盛況

    こうして、語っていると、すっきりする。
    それは、本来の自分自身が語っているからだろう。
    わかち合えるってことは、人としての喜びだね。
    ああ、気持ちいいと、語りながら感ずることができるのは、
    それは、本来の自分がそこに現れているからかもしれない。

    「そうかやりたかったことは、これなんだ。」
    「これだよ。きっと私がずっと言いたかったことは。」

    そんな瞬間を、飲んで語っていると、感ずることがある。
    私のことを語っているのに、その語られたことは私を超えている。
    また、語られた言葉によって、気付きを与えられる。
    その言葉に励まされ、次なる意欲が生まれる。

    OD町の「井戸端会議」に参加する度に、そんな喜びを味わっている。
    そこには、同じ想いと意志とをもった人たちが居る。
    その人たちは、人生の大ベテランで、組織を動かすスキルに長けている。
    また、やりたいことをここで実現する力も十分備えている。
    そして、何よりも、率先して動く。動く。働く。働く。

    ああだ、こうだと、議論はする。
    しかし、いったん決まったことは、有無を言わずに遂行する。
    役割分担はある。でも、ベテランたちは、いつも全体を見回す視点だ。
    どこが困っている。どこが足りない。ああすれば、こうなるな。
    そうして無意識にどんどん先に物事を進めて行く。
    その動きが、見事だ。

    そして、ちゃんと反省的な視点で、活動全体を俯瞰している。
    「これは、来年度はこうしたほうがいいな。」
    「もっとこうすれば、みんな助かるよ。」
    課題は、今、ここに在る。
    だから、ぐずぐずしない。つべこべ言わない。言うなら、自分がやってしまう。
    だから、どんどん自然の流れで進んでしまう。
    その推進力と、無理のなさとが、何とも底知れぬ実力なんだな。

    それは、60代・70代まで生きて来た人たちの、経験知だ。
    この知は、本や書物から学んだものではない。
    実地が、全ての学校だ。
    現場での数多の失敗と細やかな成功体験。
    その実感が、身となり肉となる。
    経験したことは、記憶に留まる。蓄積される。しかし、目には見えない。

    それが、現場で出会う課題によって、想起される、彷彿する。湧き出ずる。
    ここがすごいところなんだな。
    言葉では上手く表現はできなくてもいい。身体はすーっと的確に動いている。
    無理がないということは、そこはまるで水の流れるようだからだ。
    「俺が」があると、そうは行かない。
    その「無心の心」「心の無心」ここに任せてずべこべぃわずに、さっさとやる。

    そして、終わったら、笑顔で語り、気持ちよく酒を飲んで交流する。
    その話、いつの間にか一つ一つが深い話となって行く。
    共有したこの貴重な体験によって、また一つ人と人とが深くで繋がる。
    その繋がりの確認と共に、私と彼との無分別の分別を感ずる。
    「同じなんだなぁ」
    「不思議だなぁ」だった。

    そうした語り合いの場や、本来の自分の発見の場を、町内会が持っている。
    これって、やっぱり奇跡だなぁ。
    この中に独りでも、「俺が」の人が居たら、
    みんな自由自在な人たちだから、きっとこの場には集まらないだろう。
    それが、我がO町内会の哀しい現状だ。

    OD町内会は、気持ちよく人が集い、自由自在・和気あいあいに語り合う。
    我がO町内会には、その語り合う場すらなく、
    その場を是非にと申し出ても、個人的な俺によって、即座に却下される。
    ただし、「俺」の人は、絶対にみんなの仲間には入れない。
    それは、それで自業自得。仕方ないことだと想っている。

    自由自在に語り合える。
    発見がある。気付きがある。
    本来の真面目が、真面目と意気投合する。
    そして、やることは、実にシンプルで、具体的だ。だから、やれる。
    みんなで協働した後は、ただ飲む。ただ語る。それが楽しい。それがいい。

    ここは、やっぱり奇跡の町内会だな。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月30日 22時35分36秒

    icon

    おやすみなさい。

    何が以前の私と変わったか。
    そうだなぁ。ここにずっといられるなぁ。
    あっちこっちに飛び歩くこともなく、
    本日もずっと我が家に居られた。

    朝は、洗濯物を籠1つベランダに干した。
    朝食を自分で用意して、食べた。
    それから、親父たちよを書いて、礼拝に出かけた。
    昼食は、我が家だった。
    夕顔が料理に出された。

    Sさんと電話で話した。
    「人生フルーツ」の津端さんご夫妻の話だった。
    そのままでいい。
    庭で畑で季節季節の生業をやる。
    まず、身体を動かす。身体の気持ちいいことをやる。

    Sさんの小千谷の自宅は、先週の豪雨で床下浸水だった。
    大雨になるたびに、被害を受けている。
    畳を上げて、床板をはいで、土をのけた。
    それを80歳と72歳のご夫婦が後片付けをする。
    でも、「気持ちいいねぇ」の声だった。

    私は、プランタに花を植えた。
    近くにある花屋さんとは、お得意さんになっている。
    花屋さんの前を素通りできない私。
    日日草を買い、空いているプランタに植えた。
    そしたら、今度は楓にイラガの幼虫だった。
    枝のある部分は、すっかりとやられていた。
    今年は、イラガの大量発生の年らしい。
    ちょっと申し訳なかったが殺生だった。

    それから、庭でのビアガーデン。
    夕方になると、蒸し暑くなったようだった。
    アルビは、7時から。
    先に前半に得点を入れた時が、アルビがやばい時となる。
    はらはらどきどき。
    でも、このチームのメンバーを見ると、
    いったいどこのチームなのかと、何とも気持ちが入らない。

    酒を飲み、うとうととしながら試合終了にかろうじて立ち会えた。
    1対1の引き分けだ。
    この折り返し点で、勝ち点3とは・・・・・・・・・・。

    それから、長男に隣に居てもらいながら、
    インターネットでの車の保険の契約だった。
    何と27000円も安くなる。
    これってどういうことなのか、未だに理解できないことである。
    保険屋さん、ごめんなさいだ。
    しかし、これって高齢者にはなかなか難しいことだな。
    誰か代行手数料をとって、やってあげたら喜ばれるかもだと想った。

    さてさて、何もない。本当に特記事項が何もない日曜日だった。
    でもね、それでけっこう満足している私なんだな。
    「無心」とは、「有心」ではないことだと、理解できた。
    阿頼耶識も私。末那識も私だ。
    あれか、これか、ではなく。
    あれでもいいし、これでもいいんだ。
    そんな無分別の世界に生きる。
    それって、実は、こだわりがなく、のほほんと、いい加減に生きる、
    本日のような生き方なのだと、ちょっと想う。

    私のことはどうでもいい。
    そのどうでもいいに居られることが、天地の心の働きなんだな。
    近いようで遠いようだ。
    それでも、今夜もきっとぐっすり眠られるはず。
    明日は、出張での研修だ。
    そこてもきっと新たな気付きが待っていてくれると信じている。

    任せている。あくせくしない。それでいい。
    平凡なそんな一日が、もうすぐに終わろうとしている。
    おやすみなさい。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月30日 10時16分33秒

    icon

    尊厳を尊ぶ

    介護の初任者研修だった。
    今まで父や叔母の介護の件でかかわってはたことが、
    何だかここでやっと納得することができたようだ。

    介護の課題は、きっと全ての人にとっての大事な課題だ。
    今、その現場で働いている若者や、中年の人たちにとっては、
    その現場で働きながら、切実に迫って来る課題だと感じた。

    ターミナルケアという考え方がある。
    死を看取るということだ。
    介護の最期は、ここに行きつくのだと想う。
    安らかに、穏やかに、感謝しながら、人が逝けたら、嬉しい。
    そのためには、その人の尊厳を認め、その人の力が発揮される支援を行い、
    その人との出会いをお互いの喜びとする支援する人が求められる。

    私は、講師のベテランの女性が話す、その経験談に興味を持った。
    彼女は、特養にまた復帰したいと言う願いをもっていた。
    3Kのイメージのあるその職場は、
    彼女にとっては生きがい・働きがいを感ずる場所だと言っていた。

    いろいろな人と出会える。
    いろいろな人生と出会える。
    いろいろな生き方・考え方と出会える。
    そして、いろいろな最期と出会えて、自分自身の学びとなった。
    その人と触れ合いながら、自分が成長していくことを感ずる。

    それは、知識ではなく、実感を通してのリアルな自己の深まりだと感じた。
    私は、講義を聴きながら、
    「介護とは、介護を必要としないことを目標にすべきなんだ」と、考えていた。
    その人が、生活援助を受けながらも、
    その人がやれることを、自分でやり、
    できることは、自分の力でやり遂げる。
    その潜在的な可能性や力を失わせてしまう介護は、
    本当の介護にはなっていないということだ。

    それから、
    「介護する人は、介護される人から学び、自らの成長とする」と言うことだ。
    私は、もう20年以上前だったか、特養に一日だけの実習に行ったことがあった。
    その時だ、認知症のお婆さんが車椅子に乗ったまま、
    介護者に何か大きな声で怒鳴っている場面を見た。
    怒鳴られていたその女性は、にこにことして「はいはい」と穏やかだった。
    同じように認知症のお婆ちゃんは、
    車椅子に座ったまま、風呂上がりの髪の毛をドライヤーで乾かせてもらっていた。
    これがとても気持ちよさそうで、うとうとしていたことが印象的だった。

    私は、この人たちの存在すら、その日まで知らなかった。
    というか、こうして認知症になり、
    何を言っているのか、どうしてもらいたいのか、
    全く分からない人たちの人生を、すっかり私は忘れていたのだということだった。

    私の父も母もその時は健在で、親戚にも認知症の高齢者は誰もいなかった。
    だから、私は、その人たちの存在を実感として感ずることはできなかった。
    しかし、彼も、彼女も、ここで、こうして生きている。
    その人は、その人の人生を全うしようと、ここに居た。
    私は、何だか私には知らない世界ばかりのような気がした。
    知らないということは、感じないもので、考えないものだ。
    私は、彼と彼女を知らないことをいいことに、
    ほったらかしにしてきたことを、何だか感じた。

    おいおい、クマさん。それで、いいんかい?
    それは、たった一日だけの実習生には、どうにもならないことだった。
    そう感じたとたん、どれだけの人たちが、
    こうした状態で、日本中の、いや、世界中の特養にいることだろう・・・・。
    そして、その姿は、未来の私の姿なのかも知れない。

    つまり、その怒鳴っているお婆ちゃんや、紙を乾かしてもらっているお婆ちゃんは、
    誰でもない、きっと何十年後の私なんだと、その瞬間から感じられた。
    だから、みんな一度は行った方がいいんだな。
    この特養に。
    きっとそこで、人生観の新たな転換と、深い深い気づきが与えられるだろう。
    講師の彼女は、それに気づき、そこに自分の存在感と使命感を感じた。
    彼女は、その人たちの傍らに居る人として、選ばれたんだ。きっと。

    私は、90歳の寝たきりのお婆ちゃんにゼリーを食べさせるお仕事を言われた。
    私は、その意識の無い、しわとしみだらけで、骨と皮のそのお婆ちゃんに、
    一口ずつゼリーを食べさせながら、何だか、本当に何だか、
    このおばあちゃんの苦難の人生に頭が下がり、
    何だかとてもとても尊い人に出会ったような、
    深い深い感動に包まれた。
    人は、生きていることだけでこんなにも偉くなれるんだ。

    それは、身寄りもなく、貧しい1人のお婆ちゃんたったかもしれない。
    でも、とてもとても人としての偉大さと尊厳を、私は感じた。

    「人は、生きていることだ。それだけで、充分なんだ」と。
    あのお婆ちゃんには、私は教えられ、その教えは今も、この胸にある。

    さて、出かける時刻だ。また、帰ったら書いてみたい。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月29日 06時12分21秒

    icon

    Wさん、またね。

    昨夜は、通夜だった。
    肺がんと闘っていたWさんが、突然逝った。
    会場いっぱいの弔問客だった。
    立派に育った自慢の息子さん三人だ。
    長男は確か甲子園に行ったはずだ。
    今は、神奈川県で高校の教師をしているらしい。

    最後のお別れをした。
    顔はすっかりそのままだった。
    彼は、私と全くの同じ年。
    今年で満60歳だった。
    まるで私自身を見ているような気がした。

    人は、死ぬ。
    人は、必ず逝かねばならない。
    でも、彼はここに身体だけは遺した。
    そして、今は、どこで、どうしているのだろう。
    亡くなった後は、暫くはとても近しく感じられることがある。
    帰りの車を運転しながら、彼に語った。

    すっぽぬけて、こだわりがなく、何を頼んでも気持ちよく引き受けてくれた。
    同じ年のよしみもあって、よく息子の話を聴かせてもらった。
    どれだけ名残惜しかったことと察しられる。
    これからではないか。
    やっと定年退職までたどり着き、
    再任用の気軽さで、余生を家族と共に気楽に生きられるのに。

    人の人生とは、本当に分からないものだ。

    私は、通夜に出るたびに、感ずることがある。
    それは、次は、私なのかもしれないなぁと言うことだった。
    明日を知れない。
    いや、夕べすら知れないのが、無常迅速の私たちのいのちなんだ。
    生死一如だ。
    こうして生きているここに、死もまと存在している。
    死があるから、生がある。
    生があるから、死がある。
    どっちとも言えず、どっちもここには同じように存在している。

    そんな縁のようなところを、おちおちと歩いている私。
    死を想うと、生を感ずる。
    死を忘れていは行けない。
    「メメント・モリ」だ。

    でも、いなくはならない。
    形が変わっただけのこと。
    死者となった人は、死者として傍らにそっと生きてくれている。
    その祈りは、きっと聞き届けられる祈りとなるはずだ。

    今日から、私は学生の身分にもなる。
    介護職の初任者研修を今日から受講する。
    全15回の研修だ。
    毎週土曜日の全日講義。
    休んだら資格はもらえないことになっている。

    さてさて、Wさんは、冥途の初心者。私は、介護の初心者だ。
    本当に初心に還って、学ぶをやってみたいと、今はそう想っている。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月28日 08時55分10秒

    icon

    でも、出てきてくれると・・・・

    大事な大事な銀行の印鑑を失くしてしまった。
    先月、ある口座に講習料を振り込むために、
    職場にR金の人に来てもらい、振り込みの手続きをした。
    その時、この印鑑を使った。
    普段はキャッシュカードなので、印鑑は必要はない。
    しかし、大金を動かす時には、必要になる。

    自分にも言って聞かせておいた。
    「これはとても大事な印鑑だから、絶対なくせないよ」と。
    だから、職場に持って行くときは、
    リュックのポケットを何度も確認して持参した。

    それなのに、その印鑑を押してから、
    それをどうしたのか全く記憶がないのだった。
    私は、ずっとその印鑑のことすら忘れ去っていた。
    ところが、一昨日のことだ。
    何年振りかで机の引き出しの整理をした。
    そして、あるべきはずの場所に印鑑がないことに気付いた。
    「がーーーーん」だった。

    「職場の引き出しに置き忘れたのかも・・・・」と、一縷の望みだった。
    しかし、翌日引き出しを確かめてみると、やっぱり無かった。
    つまり、その印鑑そのものが、すっかりと消えてしまったということだった。
    そして、そのことについての片鱗すらも記憶していない私だった。

    大事な物だと意識していたその物を紛失してしまう。
    そのことを無意識でやっていた私自身が、何だか怖く、哀しくなってしまった。
    きっと今でもそのケースに入った印鑑は、どこかに存在しているはずだ。
    とても身近なところに置かれてあるのかもしれない。
    しかし、それがどこにあるのかは、全く心当たりがないのだ。
    時々、こういうことが私には起きる。
    それは、何気なく、無意識に行動した時だった。
    すーっと動いて、ぱっと処理する。
    そして、すーと通り過ぎて、すっかりと忘れる。

    意識を呼び起こし、確認すればそんなことはない。
    もっと言えば、その置き場所を手帳にメモすればなお安全だ。
    しかし、この時は、きっと作業が終わったので、
    無意識にこの印鑑のケースを処理したのだと、今は想う。

    失った印鑑。
    しかし、ものは考えようで、ここで気付いてよかったと想う。
    私の無意識での行動パターンも確認できた。その時が、危ないんだ。
    いつも、「これは、ここ」「次は、これ」と声に出しての確認が必要だ。
    それから、大事な物をしまい忘れないための記録もだ。
    次に、この印鑑が必要になる前に、
    新たな印鑑での証明ができる手続きを早めにすることだ。
    そんな切り替えが、やっと私もできるようになった。

    以前ならば、後悔して、嘆き、自分をずっと責めていたようだ。
    しかし、そうしたところで、なくなった印鑑は戻って来るわけではない。
    そんな印鑑にこだわることより、
    新たな契約の手続きをした方が、すーっとするはず。
    全ての物はいずれ無くなる。
    それが物としてここに存在することの運命だった。

    探すことは止める。感情的になることも無駄だ。
    心をその無くなった印鑑ケースに留めず、そこを離れる。
    何のことはない。
    気付く前の元の状態に心を戻すだけでいい。
    「何もなかった」
    感情は入れない。後悔はいらない。自分は責めない。ただ受け入れる。

    次に、具体的に身体を動かす。
    銀行に行き、窓口に立ち、窮状を説明する。
    それではこれにと、用紙を渡され、そこに新たな印鑑を押して、差し出す。
    それで完了だ。

    「どうして・・・」も「何で・・・・」も、いらないんだな。
    こんなことに気付くまで、60年間もかかってしまった。
    そのことで、今、ここでは、何も困ってはいないのだから、
    そんならそこで悩むよりか、すーっとスルーして次なる一手を使うことだ。

    体験を通して自得する。

    この印鑑ケースのおかげで、私は大事なことを自得した。
    そして、次にこのような立場に置かれたら、この動きを応用する。
    そして、また深く自得する。

    トラブルは、チャンスだ。「トラチャンだ」と、よく言われた。
    本当にそうだと想う。
    頭の中ではこうすればいいと想っていても、
    ままならないのが人間その人だ。
    でも、体験を通して自得したものは、身体に沁みるから、決して忘れない。
    失敗の多過ぎる私とは、自得したことの多過ぎる私でもある。

    失敗とは、在り難い自得のチャンスなんだ。
    印鑑さん、なくなってくれてありがとう。

    追伸:でも、出てきてくれると、もっと嬉しいよ。(泣)

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月27日 15時18分40秒

    icon

    ぼーっとしている。

    今日は、平日のお休みをとった。
    身体がとても疲れている。
    そんな時は、無理をしない。無理をしないだった。

    朝、家の横の小路の草取りをした。
    少し曇っていて、涼しかったからだ。
    草取りは、私の好きなお仕事の1つだった。
    やった跡が一目で分かり、すっきりとするからだった。
    ちょうどその小路の向かい側の家を家主が整理しているところだった。
    粗大ごみは、市のトラックで運び出された。
    ここに住んでいたおばあちゃんも、既にこの世の人ではなくなっていた。

    この家は、取り壊すそうだ。
    そう言えば、この駐車場にあった家にはKさんが住んでいた。
    父の会社の先輩だったが、何だか好きにはなれない人だった。
    その隣の新築のKさんの家は、Mさんというお婆さんの家だった。
    彼女は、ずっと家に引きこもって、魔女のような風貌の人だった。
    隣のSさんの家には、前はTさんが住んでいた。
    飲み屋の女将さんで、父や母とよく喧嘩していたことを思い出す。
    その向かいのTさんは、今は孫が住んでいるが、
    ここの爺ちゃんには、私が小学生の頃、よく怒鳴られたものだった。
    そう言えば、洋裁学校を開いていたUさんは、どうしているのだろうか。

    みんなみんな、私が幼い頃に出会ったご近所さんは、鬼籍に入ったようだ。
    その人たちがここに住んでいたことは、
    引っ越して来た若い家族たちには知ることはできない。
    だから、その人たちには、その人たちは存在すらしていない人となる。
    そして、私もいつかは、誰かの記憶の中だけの人となる。
    ああ、白髪の体格のいいクマさん、ここに居たねぇって、
    あの年長さんの女の子たちは、覚えていてくれるだろうか。

    それが全ての人の自然な姿だ。
    いつかこの世から去って行く。
    その日が来るまで、こうして生きるだけだ。

    向かいのHさんが、チェーンの外れたポンコツ自転車を持ってきた。
    「どれ、俺、直してやるて」と、私が預かり、汗を滲ませ調整をした。
    まず、チェーンをはめた。
    次に、フレームを磨いた。
    次に、クレ何とかをスプレーした。
    それから、壊れていた籠を紐で結んでそれを直した。
    まるで新品な自転車に変身した。
    ただ、ボロボロになってしまっているサドルについては、お手上げだった。
    でも、庭仕事のついでに、自転車を一台復活できたことは、収穫でもあった。

    それから、山のような洗濯物を取り込み、それをたたんだ。
    それから、各自の定位置にそれを戻し、1回目の干し物にかかった。
    ベランダに立ち、一枚一枚ハンガーにかけて干す。
    その間に、2回目の洗濯機を回しておく。
    「さっさとやる」これがモットーだ。
    考えない。余計なことは想わない。洗濯物が在ったら、さっとやる。
    それはそれで気持ちいいものだった。

    そんな時に、何件もメールが入っていた。
    以前の職場で一緒に勤めたWさんが亡くなった。
    通夜が明日の夜七時。
    そんな哀しいお知らせだった。
    彼は、明るく、元気な、とてもとてもいい人だった。
    野球が大好きで、息子は確かM高校の野球部で甲子園に行ったはずだ。
    私が一緒だったころ、肺がんを患った。

    私と、同じ年だ。
    今年で、やっぱり60歳になるはずの男だった。
    何だろうね。おんぼろの自転車は、直されるが、人の身体というものはね・・・・。

    今、彼は、どこに居るのだろうか。
    悲しみにくれる家族のことを見つめているかな。
    私だったら、ずっとそこに居るな。
    傍に居て、黙って涙を流しているかもだ。
    私も、いずれは逝く人だ。

    何だか、やっぱり、疲れている。
    血圧の薬がなくなったから、医者にでも行くことにする。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月27日 06時36分33秒

    icon

    身体さんの言う通り

    疲れが抜けない朝だ。
    それでも、やっぱり起きていたい。
    4時半だったが、寝床で腹這いになって本を読んだ。
    それから、起きてストレッチ。
    ラジオ番組「こころを読む」で「唯識」の話を聴きながら。

    こんな習慣は、あの長い入院生活で身に着けたものだった。
    一日、何もしないでベッドに寝ていることができる生活だが、
    私は、その生活の中で身体を動かしながら、自分自身を律する生活を学んだ。
    5時には起きる。
    「弾き語りフォー・ユー」を聴きながら、ストレッチする。
    その後、6時まで坐禅して、瞑想をする。
    6時になると病院は、動き出す。
    点滴棒を引きながら食堂に向かう。
    カップにドリップでコーヒーを淹れる。
    クラッシックを聴きながらそれを飲む。

    そんなただ単調な日々の繰り返しでも、
    何だか今、思い出しても、心がほっくりと和んで来るものだ。
    身体と心とは一体である。
    だから、身体に気持ちよいことをする。
    そうすると、心までが気持ちよくなる。
    ぐずぐずしない。めそめそしない。ぐだぐだしない。
    そうなりそうになったら、身体を動かす。移動する。それがよかった。

    決めたことを、決めた時刻に身体を動かすこと。
    しかし、休養すべき時には、すっかりと休養すること。
    いつもいつも身体に聴くこと。無理はしないこと。
    歩くことがやっとで、病棟を歩いていて、突然歩けなくなってしまったことがある。
    西病棟から、そこの看護師さんに車椅子で、東病棟の病室まで連れて来てもらった。
    情けなかったが、それでもやはり翌日は、そこまで歩いた。
    一日三回の散歩は、私の日課の1つだった。

    そして、いろいろな人と出会った。
    そのいろいろな人の姿に、その人が生きて来たその人生そのものが感じられた。
    その時、やっぱり私の魂のセンサーは感知し、動き、働いた。
    それは、魂の運動でもあった。
    何もしていないようだが、私はそうやって病衣を着ながら、生きていた。

    だから、この我が家での日常も同じだと、実践している。
    もっともっと眠っていたい。
    でも、やっぱり起きる。本を読む。ラジオを聴く。ストレッチする。
    そして、魂のセンサーをオンにする。これを書く。
    不思議なことに、これを書いているうちに、無心になれる。
    今もそうだが、私が書いていながら、
    言葉は、やってきたしっくりとした言葉だけがここに現れる。
    そして、そうしながら、無意識で何かを考え、気付いている。

    へぇーっと、自分のことながら想うことがある。
    これは、眠っていたのなら、きっと気付かない気付きだと想う。
    そのことが、嬉しい。
    だから、「今、ここ」に感ずるもの、全てに「意味」が在る。
    そう感ずると、あの病院での単調な一日が、豊かな一日に変貌する。
    いや、元々そうであったのに、そう感じなかったのは、
    きっと私の我がままや欲のせいだろう。
    時間は、全ての人にこんなにも豊かに、
    味わい深く味わえるように与えられているはずだ。

    でも、怒りや、嫉妬や、恨みや、哀しみや、絶望や、自己否定が・・・・。
    でも、ふと気づけば、ただの一日。
    そうやってわざわざ頭の中で幻影を創りだして、
    独り勝手に悩む必要も、意味もない。

    ただ、この「今、ここ」に、感じて、深く在ればそれで充分だ。
    余計なことは考えない。
    それは、きっと本来の大いなる働きの妨げになっているだけ。
    悩んだところで、後悔したところで、
    無くしてしまった銀行用の大事な印鑑は見つかるわけもない。
    「どこへ行ったんだ」「どうしたんだろう」と、思い出しても、
    そんな記憶すら、とっくに失っている私なんだから、
    くよくよしない。ちょっとは悩んだ。ちよっとは悔やんだ。
    それで、止めだ。

    せっかくのこの朝を、感じられずに終わってしまっては、
    何だか身体さんに申し訳ないではないか。
    くよくよしない。じたばたしない。どうでもいい。いい加減に生きる。
    さてさて、銀行印のことは、また後で書こう。

    あの土砂降りはどこへ行ったのだろう。
    鳥が大山台で鳴いている。
    今日も暑い夏の一日になりそうだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月25日 06時20分09秒

    icon

    雨上がりの朝

    何だかねぇ。
    自然というものは、すごいもので、
    人の思いや願いに全く関係なく、ただそのままに働いて行く。
    無情と言えば無常だし。暴流と言えば暴流だ。
    あの土砂降りの雨はどうだろう。
    止むことを知らない。
    どこにこんなに雨があったのかと驚くほどの降りようだ。

    雨すら降ることを止めさせられない。
    それが私たち人間の現実だなあ。
    土砂降りと変換して驚いた。
    土と砂が降りてくる。つまり、土砂崩れなんだな。
    雨が降れば降るほど地面は水を含み緩くなる。
    そして、耐えられなくなった斜面が崩れ落ちる。
    それが自然な姿なんだ。

    その最中には、私には祈りしかないと想っている。
    太古の昔からそうであったように、
    天を動かす神様に、ただお祈りするばかりだ。
    自分の力ではどうにもできないものは在る。
    そんな力や働きの中で生かされているのが、私だった。
    ならば、その力と働きの大きさに気付き、驚き、畏怖して、
    ただそれを黙って見つめて耐えるしかない。

    しかし、その激しく降っていた雨も、今は止んでいる。
    その雨のおかげで、涼しい朝だ。
    小鳥もちっちゃく鳴いている。
    その激しさはいつかはきっと止むものだった。
    そのことも、この雨は教えてくれる。
    7月一カ月に降る雨が、佐渡では昨日一日で降ったそうだ。
    50年に一度の大雨とニュースでは言っていた。
    誰がそんなことを決めたのか。

    また来週もこの激しい豪雨があるかもしれない。
    すると一周間に2度ある豪雨とでも呼ぶのだろうか。
    確かに、この土地の気候は変わった。
    大きな気候の変化の現れが、この集中豪雨だろう。
    新潟は既に亜熱帯地帯になっているのかもしれない。

    それは、私の中にも、私の人生そのものにも起きたことだ。
    縁によって、何かの条件がそろうことで、
    こうした何とか帯という雨雲のラインが出来て、
    次々と雷を伴って、激しい雨を降らせていく。
    それは、私の無意識なる世界も同じことだった。
    私は、私をコントロールできないままに、
    無意識から現れる欲望や煩悩に悩み、翻弄された。

    そんな私のことを理性では知りながらも、
    その無意識の力や働きによって突き動かされ、
    まっすぐに曲がったまま、その生き方を貫いてしまう。
    怒涛のような運命は、そのための必然だった。
    無意識の集中豪雨は、確かに私には存在していた。

    そこで、知ったのは。
    私自身の無力さだった。
    この激しい雷雨を去らすことは私にはできなかった。
    その最中にあって、苦悩しつつ、悶えつつも、
    そこから抜け出すことは不可能だった。
    しかし、そのことがあったからこそ、
    その無意識なる大いなる力と働きの存在を実感できた。

    土砂降りの雨は在る。
    そして、そのことに気付くことで、
    この激しい雨は、いつまでも続かない雨であることも知った。
    どん底の闇には、必ず一筋の微かな光が差し込むものだ。
    あの激しい雨は、どこへ行ってしまったのか。
    今は、小鳥が鳴いでいる。

    さてさて、これからだと、そう感じている。
    それでは、この「今、ここ」をどう生きたらよいのかと。
    その問いも、この同じ無意識の世界からやってくるものだ。
    頭で考えると、ろくなことはなかった。
    自分が、自分がからは、対立と批判しか生まれてこない。
    静かに、平安に、ただなんとなく今を生きるためには、
    やっぱりそこに私を委ねることだと、少しずつ分かって来た。

    何も考えないと、考えがひらめくものだ。
    何もしていないと、自然と身体は動くものだ。
    のほほんとしていると、何だか本来の自由であるを感ずるものだ。
    まず、「無」にすることだ。

    土砂降りのあの激しい雨は、私だった。
    そして、こうして雨上がりの静かな朝も、私に他ならない。
    今朝、ふと気付いたことがある。
    「あれっ、私って父や母から生まれてはいないなぁ」ということに。
    「私は、ずっときっと私のままだったんじゃないかなぁ」と。
    「つまり、私は、時間の中で私が現れ、見えなくなった」
    「そんなこの激しい雨のような存在なのではないのかなぁ」と。

    「ただ、ある縁があったから、ここに生まれた」
    「その無意識の中の記憶の、一つの顕れに過ぎないのではないかなぁ」
    「つまり、私はずっとずっと在り続けていたのだし」
    「これからもずっとずっと在り続けるんだ」と。
    「無意識と言う阿頼耶識の世界が、私を私としているだけ」
    「あの雷雨が至って土砂降りを降らせ、時至れば、去って行ったように」

    なのかなぁと、不思議と阿頼耶識に成り切っている私。
    そうすると、頭で考えている私は、もういらない。
    ただ、この阿頼耶識のまま、のほほんと、何も考えず、心動かさずだ。
    そこから呼ばれる声だけが、真言なんだろうなぁ。

    人は、大いなる目的をもって生まれてきている。
    これはある唯識の研究をされている仏教学者さんの言葉だった。
    それは、フランクの言う、命からのその人への「問い」と同じことだ。

    彼が言っていた。
    1 自己究明
    2 生死解決
    3 他者救済
    人は、この道をたどるものだと。

    またまた、どうどうめぐりの最中に入った。
    でも、そのカオスに落ち着けるようになったことが、何だか嬉しい雨上がりの朝。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月24日 06時36分26秒

    icon

    いや、不思議しかないな

    一匹の迷える子羊だなぁ。
    私は、ある頃からずっと教会には行かなかった。
    また、信仰すらも忘れていたかもしれなかった。
    それでも、私のことを覚えいてくれた人からは、葉書が届いた。
    そこには、御言葉が記されていた。

    その御言葉そのものには、やはり考えさせられ、
    心に響くものがあった。
    私の大好きな聖句もそこには記されてあることもあった。
    しかし、私は、行かなかった。行こうとは思わなかった。

    しかし、どん底の罪の中から、ある日再び教会に導かれた。
    どうしてこうなったのか、説明はできない不思議な力によってだった。
    「羊は群れを離れて生きることはできない」
    本当だなぁと、想った。
    私は、その群れを離れて、この娑婆の世界を彷徨った。
    己の考え、己の意志、そして、己の欲望に任せて、
    ただ闇雲に歩き続けた。
    でも、平安はそこにはなかった。
    暗闇のどん底に叩き落された。

    そんな時、この山ノ下福音教会の椅子に座っていた。
    何よりも大好きな讃美歌を歌えることだけでも、私の喜びだった。
    孤独だったが、ここだけは、みんなが声をかけてくれる場所だった。
    昨日は、教会でこの迷える一匹の羊の話だった。
    そんな愚かな私のことを、懸命に探して、救い出してくれた人が居る。
    そうなんだよなぁ。
    群れの中に、われわれの中に生きることなんだな。

    北区の合唱団に先日から参加している。
    ここ数カ月、不思議なことが私の身体に起こっている。
    それは、声の質が飛躍的に変わったことだった。
    響きと言うのか、深みと言うのか、それが出せるようになった。
    同じ高さでずっと強さを変えずに音を出せる。
    ピアノであっても、力強く太く歌える。
    響きが深いところで反響し、共振している。
    60歳にして、そこに到れた。

    私は、楽譜が読めないから、全部耳で覚える。
    だから、練習を繰り返さないと、その正しい音が身体には沁みつかない。
    私の隣に、体格のよいYさんが座った。
    優しい人柄が、その柔らかな笑顔から感じられる。
    その人の歌声を聴いて驚いた。
    完璧だ。まるで、オペラ歌手のようにして歌っている。
    私は、ただその声に聴き入り、無心になって音をとって、歌を歌った。
    私が歌うのではなく、私の無心が歌うんだ。

    考えない。意識しない。欲張らない。威張らない。
    ただ、無心にして、その正しい音の響きに私を合わせる。
    私の声を、その響きと共鳴させる。
    その没我の瞬間が、昨日の歌にはあった。

    Mさんが、我が家にいらしてくれた。
    嬉しかったなぁ。
    ずっとずっとお話をしたかった人だ。
    68歳。現役で働いている。
    畑仕事が大好きで、濁川の市民農園で作物を育てている。
    大山台の畑の話をした。
    そこに畑が出来れば、施設の人と町内のお年寄りや子どもたちとも、
    繋がりができる。

    それから、そこで採れた作物は、みんなでシェアするとともに、
    必要な人たちに個別に届けることもできる。
    何よりも、日ごろ家に引きこもっている人たちに生業ができる。
    それが、生きることの張り合いになったら嬉しいですね。
    そんなお話しだった。
    そして、そんなお話をできる人との出会いは、何よりものありがたさだ。

    Mさんは、佐渡の人。
    この山ノ下に住むはずのない人だった。
    また、隣の町内の人。
    私とは、出会うはずのない人だった。
    だから、不思議なんだなぁ。

    今は、不思議で生きている。
    すると、何だかすべてのことに「意味」があることに気付いた。
    不思議とは、不思議なる「働き」のことだ。
    私が迷える一匹の羊であること。
    歌うことを喜びと感じていること。
    Mさんと出会えたこと。
    それは、大いなる不思議な働きの賜物だと、感謝している。

    不思議に充ちている。
    いや、不思議しかないな。
    そこに落ち着いた。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: クマドンさん

    2017年07月23日 06時20分13秒

    icon

    異生物現る

    昨日は、一日ただぼーっとして生きていた。
    60歳まで後一カ月。
    家でじっとして何もせず、ただテレビを観ながら眠っていた父だった。
    どうしてでかけなすのか。
    どうして外に出ないのか不思議でもあったが。
    実は、それは自然な生活だったと、最近想い至った。

    私は、庭に出る。
    そして、やっぱりそこでぼーっとしている。
    でも、自然とは面白いもので、
    何かかんかと、向こうから声がかかり、鋏をもって動き始める。

    葉っぱの様子で、水加減を感ずるようになった。
    よく考えれば、前日の朝と帰って来てからも、忙しさから水をやっていなかった。
    ハーブの皆さんは、萎れて、横に倒れて瀕死の状態だった。
    ミニトマトの葉っぱも、しおしおとなっていた。
    とにかく水だな。
    ホースを伸ばし、腰を降ろし、シャワーの先をプランタに突っ込んで、
    時間をかけて水をやった。
    そうか、これが一番効率のよいやり方だなと、その時気付いた。

    ふと、目をやると、バラの幹に何やら怪しい姿の幼虫が居た。
    薄緑色。2~3cm位の大きさ。頭と尻とにブラシのような棘が2本ずつ。
    まるで宇宙からの生物のように、そこでもぞもぞうごめいていた。
    私は、すぐに鋏で挟んで、袋に入れた。
    そして、ひょうと葉っぱを見上げたら驚いた。
    何とこの異生物が、
    あちらこちらの葉っぱの上にびっしり張りついているではないか。

    ガーン。
    そう言えば、バラの葉が真っ白になって枯れ、
    最近、葉っぱの数が激減していた。
    夕方と朝とに出会うから、私はこの忍者たちに気付かなかったのだ。
    私は、それから鋏で小枝を切り、葉っぱごと袋に入れた。
    ここにも、あそこにも、こんなところにも・・・・。
    その時だった。
    手袋をとった後で発見した異生物を退治しようと枝を切った途端、
    「いてーーーーーーーーーー」だった。
    何だこの激しい痛みは‼
    左手の中指の背を、激痛が走った。
    ほんのちょっと、その異生物の毛が触れただけなのに。

    ああ、死ぬなと、本気の恐怖だった。
    私の人生は、還暦を前にして、こんな異生物によって不慮の死をとげるのか。
    ああ、何という哀れな人生なのか・・・・・。
    まず、この異生物の正体を明らかにしなければならない。
    緊急の場合は、即、救急車なのだから。
    応急手当は、どうすればよいのか。
    何分後に意識を失い、私の心臓は止まってしまうのだろうか。

    「正体は・・・・・・、あっ、イラガの幼鳥だ」
    「あれが、イラガの幼虫なのか・・・。」
    応急手当も書いてあった。
    まず、まだ針が残っていることもあるので、
    患部をセロテープで何度もはったり、とったりする。
    次に、流水で流す。
    そして、軟膏を塗る。
    痛みが治まるまでには、暫くの時間がかかる。

    私は、それを見て慌てて階下に行き、妻に知らせた。
    「大変だ。イラガにやられた。」
    「ああ、そう。水で流したら。」
    「死ぬかもしれない。どうしよう。」
    「何か塗っておけば大丈夫。」
    「ああ痛みがどんどんひどくなる。どうしたらいいんだ。」
    「イラガって、痛いよね。」
    「えっ、刺されたことあるん?」
    「ちっちゃい頃ね。」

    私は、その言葉を聴いて、死なないことを確信した。
    なぜなら、妻はここにしんなら強く生きているからだ。
    しかし、「イラガのやつめ‼」だった。
    今も庭で袋に幽閉し懲らしめている。

    ただね。イラガの幼虫も生きているんだな。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon