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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

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  • from: クマドンさん

    2017年12月30日 07時08分55秒

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    雑感しかない。

    さてさて、疲れが抜けない。
    腰が痛い。右膝の痛みが消えない。
    還暦とは、こうした身体を生きることかな。

    何だか現実に戻れない自分を感じている。
    年末でやらねばならないことが山積みだが、
    それに気づきながらも身体が動かないので、そっとしておく。
    いつもは、えいっ、やっと大掃除をして、台所にワックスをかけるが、
    その身体に対する負担が大きいので、
    何だかそっとやらない方向へ向かっている私だ。

    しかし、そうやって振り返った見たら、
    私は、やりたいことが少なくなってきているのかもしれない。
    年末はいつもスキーへ出かけた。
    でも、身体のことがありここ数年はスキーをしていない。
    あれだけ山に登っていた私は、昨年登ったのは弥彦山だけだった。
    どれだけジョグをして、ジムに通い、身体を鍛えていたのに、
    今は、運動どころか、歩いてもいない。
    じっとしている。ここに居る。出かけない。

    歳をとるということは、そういうことなのかもしれないなぁと、ふと想う。
    ストレッチは、毎朝実行している。
    食事の制限も意識的に果たしている。
    身体がどこか痛んでいたら、意識して休養をとることにしている。
    酒の量も考え、飲んでいる。
    そうやって消極的に守りには入っているが、
    積極的な行動をしようとは想わなくなった。

    歳をとったなぁ。
    おっくうになったなぁ。
    衰えて来たなぁと、そう感ずる。

    でも、身体が衰えるに反して、精神は深くなってきているようだ。
    経験することが多くなればなるほど、
    気付きは多くなり、深くなる。
    「ああ、そうだったのか」と、腑に落ちることも多くなる。
    そのことが、そのことのほうが面白く感ずる。
    だから、よくじっと黙って、考えていたりする。

    昨日今日と、思考が疲れていることを感ずる。
    だから、こうして書いていても、感動が少なく、自動的に進まない。
    滞っていても、今は覚醒のためのトレーニングでもある。
    無意味な言葉や雑感をこうして綴る。
    それでも、やっと少しずつ、今、ここに戻りつつある。

    独りだなぁと、つくづく感じた。
    そんな時は、独りで沈む。
    じっと黙る。
    ゆっくりと本を読む。
    言葉を探す。
    すると、何か向こうからやって来てくれて、出会うことがある。
    だから、待っている。

    待っていると、向こうからの呼びかけはある。
    こちらからは、やらない。
    極力、無為のままに、成り行きに任せて生きる。
    無茶も、無理も、理不尽もやらない。
    静観する。
    じっと待っている。期待している。
    すると、やっぱりやって来るものだ。

    身体とココロとがこうした状態である時、
    その時は、きっと休む時でもある。
    何も為さなくても、何も無くても、何も変わらなくても、
    そのままにする。
    それでもいいと自分に言える。
    そのことは、ちょっと大人になったようで嬉しいことだ。

    独りぼっちでいられることは、
    人が、自分に居られる時だ。
    いや、きっとその時だけが、本来の自分であるのだと想う。
    この三日間、余りに人々の中で暮らしたために、
    自分自身になる時間が乏しかったために、
    私はきっと疲れてしまったのだと想う。
    疲れている。本当に疲れている。

    そのことを身体の痛みと、ココロの疲れで、私に悟らせる。
    どんよりとしている。
    何だかだるい。
    それは、やっぱり休みなさいのサインだろう。

    回復を待たねばならない。
    この身体もこのココロも自然そのもの。
    私の意志と意図とは、無関係にその摂理に従い生きている。
    自然そのもののとして、そこと繋がり、その働きで生かされている身体とココロ。
    それを受け入れる。
    そのままにする。
    静かに、黙って、休息をする。

    そのことをできるようになったことも、
    歳をとったおかげのようだ。

    かって、私は、こうなりたいと想っていた私が居た。
    今は、全く、その創造していた私ではなくなっている。
    それでも、よしとしている。

    何事も思い通りにはならないものだ。
    人生とは、苦しみと痛みの連続であるかもしれない。
    どれだけ、諦めるか。
    それでも、この身体とそのココロで生かしてもらう。

    そんな峠道に、やっと差し掛かったような気がする。
    さてさて、これからの老いに向けた旅は、いかなる旅となるだろうか。

    ここまで書いてきて、やっと考えることに目覚めて来た自分を感じた。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月29日 15時57分34秒

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    帰ってきたよ。

    疲れている。何もしない。大掃除もしない。
    今年もあとわずかで終わる。
    最後のイベントで家族4人の沖縄旅行だった。
    念ずれば通ずる。
    とにかく、念願だった沖縄旅行が実現した。

    まさに弾丸旅行だ。
    ガイドさんが言うように、芸能人並みのスケジュールだった。
    いろいろとあったが、沖縄だった。
    北の雪国に住んでいる私にとっては、
    その国は異国のような感じさえした。

    人は、旅をすることで、改めて自分に気づく。
    異なる世界・異なる日常を体験して、
    初めて、今、ここ、がどんなところなのかを理解できる。
    私は、沖縄で半袖で過ごしたら、
    沖縄の人から「寒くないですか」と、声をかけられた。
    確かに、半袖の人はいなかったな。
    気温20度でも、沖縄の人は、寒さを感ずる人たちだった。

    私は、新潟の大雪のニュースを観て、
    新潟の気候を思い出していた。
    この年末に半袖で居られるわけはなく、
    それでもここで半袖でいられたことに、何だか嬉しい雪国の人だった。

    真っ白な四角のコンクリートの平屋の家。
    その小さな家々がずっと建ち並んでいる。
    屋上には水を貯めるタンクが置かれている。
    断水に備えての水がめだった。
    そんな景色を私は知らない。
    ここでの当たり前や、日常は、私にとっては異国の暮らしだ。

    台風が来たら、覚悟を決めて籠城する。
    そのために、蔦屋からDVDを借り、食料を買い込み、
    じっと大風が過ぎ去って行くのを耐え忍ぶと言う。
    そのための家の造りでし、そのための平屋建てだった。

    昔ながらの瓦屋根の家が、本当に少ないのには驚いた。
    保存するために残されている家もあるそうだ。
    私は、やっぱり来てみないとわからないものだと、つくづく感じた。
    教科書だけの沖縄情報では、
    今、ここを、そのまんま伝えているわけて゜はないとよく分かった。
    その土地に行き、その土地を気候を身体で感じ、その土地の人の話を聴く。
    そうしなければ、わからないとは、当たり前のことだった。

    不思議と身体は、新潟の風土や食べ物、生活を求めていた。
    なじんでいるものが、やっぱり一番肌に合うようだ。
    沖縄は素敵な土地だが、やっぱり私が住める土地ではないなあと感じた。

    午前中は日差しがあったが、
    今は、すっかり暗くなり、どんよりとした灰色の雲から、みぞれが降っている。
    さっき床屋さんに行って来た。
    自転車でそのみぞれに少し濡れた。
    ここが新潟なんだな。
    沖縄では、この今を、どんな風に暮らしているのかなぁと、
    その生活ぶりの違いを想った。

    私は、やっぱり雪国越後の人間なんだな。
    同じバスで旅行した、福島県の人たちもそう感じていたとおもう。
    風土が人を造る。
    気候が生活を作り、食べるものを作り、その生活スタイルを作る。
    そうやって、人は、その土地の風土に順応して生きてきた。
    その時間の流れが、歴史であり、伝統であり、文化だった。

    何ともうまく言えないが、
    やっぱり日本は広いんだな。
    沖縄には四季がないと言っていた。
    南北に長い日本には、
    そうやって温暖な気候の中で暮らしている人たちも居るのだということ。

    そのことを学んで、帰路に着いた。

    帰ってきたら、吉原だった。
    煮物が旨い。刺身が旨い。日本酒が旨い。
    新潟に生まれ育ったことの幸せを味わうことが何よりもうれしかった。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月26日 06時18分50秒

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    無事とは、在り難いことなんだ

    さてさて、本日の11時25分に新潟空港から沖縄に向かって旅立つ。
    こんな日が来るんだなぁと、まるで他人ごとのような気持ちだ。
    沖縄には行きたいとかねてから想っていた。
    そして、一度は企画したが、あることでキャンセルとなった。
    それが10年ほど前のこと。

    そんなに強く願っていたわけではなく、
    でも、一度は訪れてみたいと想っていた。
    そのくらいだったが、ある日の広告を見ての発奮だった。
    「よし、今年の年末には沖縄だ」とは、
    まさに青天の霹靂。突発的な思いつきだ。
    でも、この思いつきによる突然の行動って、
    とても大事なことだと、私は想っている。

    よくよく考えたからできたのではなく、
    よくよく考えた結果、諦めたり、止めたりすることが多いような気がする。
    リスクを考える。
    自分への家族への負担を、負荷を考える。
    「それならば、やっぱり次の機会にしよう」と、
    そんな言い訳をこさえて諦める。止める。

    しかし、このえいままよとばかりに決断することは、
    そのまま実行されることが多かった。
    まず、何よりも、決断され、申し込みが行われ、予約金を振り込まれるからだ。
    後は、健康管理と不慮の事故と、突発的な不幸とに恵まれなかったら、
    当日の朝をこうして迎えられる。
    しかし、空港に行く途中、交通事故も在り得るなぁ。

    ということは、私がもし、この新潟空港を定時に離陸できるということは、
    そうした天啓が、うまい具合にめぐり合わせて起きた奇跡でもあるということだ。

    人は、そんなことは当たり前と考えるだろうが、
    私には、突発的なキャンセルが山のようにある。
    だから、妻からも「今度は、大丈夫でしょうね」と、念を押された。
    自分自身も不安でもあった。
    本当に大丈夫なんだろうかと。

    しかし、今、ここ、は大丈夫なようだ。
    ただし、また突然の胆石の発作に襲われるかも知れない。
    突然、椎間板ヘルニアになるかも知れない。
    階段から転げ落ちて骨折するかも知れない。
    まだまだ、危険一杯。そんな危険と隣り合わせなんだな。

    こうして無事でいるということの、何と不思議なことか。
    しかし、人は、そんな当たり前のことには感謝しないし、
    特別どうこうとは想わないらしい。
    でも、私のようにどん底から生還した人にとっては、
    日々のこの平穏無事な当たり前の生活ほど、
    在り難いものはないんだな。

    腰の鈍痛はいつもある。
    一昨日から右足の膝に痛みが在り、あるくと痛んだ。
    肝臓も少しずつ文句を言いだした。
    ストレッチを毎日しても、身体の節々がぎしぎしとしている。
    衰えていく身体の声は、毎日聴こえる。
    だから、養生する。無理をしない。ただ、じっとしていることもある。

    そうやって労わっての日々だった。
    そんな配慮が日常生活に求められるようになった。
    昨日、体重を測って、暗い気持ちになってしまった。
    77キロ。2キロの増だった。
    あのローストビーフが効いていた。
    あの五目うま煮麺とライスと餃子だ。
    本当に基礎代謝が落ちたので、
    日々、身体は食べた量に敏感に反応する。

    私は、そうした危うさの中で、日々を生きている。
    車での通勤では、28分間の運転で、職場に無事に着けるとほっとする。

    そんな風に考えながら、ある意味慎重に生きているから、
    この日をこうして無事に迎えられたことを感謝している。
    私だけでない。
    家族一人一人もそうだった。
    急病で苦しむ息子が居たら、置いて行けるわけはないのだ。

    つまり、何事もなく日々を暮らせるとは、
    本当は、在り難いことの連続の結果だったんだな。

    さてさて、向こうに行ったら、行ったで気をつけねばならない。
    とにかく、楽しんで来ようと想っている。

    「親父たちよ」は、暫くの間、お休みとする。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月25日 06時17分46秒

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    もういいよ。

    腰の痛みがいつもある。
    昨日は突然右ひざの痛みが現れた。
    身体にガタが来ている。
    それはやっぱり致し方ないことなんだ。

    腹筋や背筋の筋力が落ちると、腰に来る。
    過度な筋トレはできないが、
    毎朝ストレッチだけは欠かさない。
    日々のトレーニングによってしか、
    加齢のスピードを緩められない身体になった。

    だから、この身体に見合ったことだけをする。
    未だにランニングはしていない。
    ジムにも行かず、プールにも行かずだった。
    それでも、こうして欲求不満を感じない。
    それだけ歳をとったということなのか。

    明日から三日間の家族での沖縄旅行だった。
    いつか行きたい。いつか行きたい。そう念じていたことが実現した。
    そういうものらしいなぁ。人生は。
    無理に求めていてもその機会は訪れなくとも、
    自然の成り行きに任せていると、その機会が向こうからやって来る。

    来年の三月に定年退職だ。
    新採用のある月から、毎月千円を貯めていた。
    そのお金は、家族のために使おうと想っていた。
    そしたら、34万円も貯まっていた。
    来年から次男は仕事で東京だ。
    これが家族で出かける最後になるかもしれない。
    そして、申し込んだ沖縄旅行が決行となった。
    それだけのこと。

    私は、家族からの受けがよくない。
    私と言う人は、家族の中では限定され、ある仕方ない人と決められている。
    「どうにもならない」と、想われている人でもある。
    いろいろとあった結果そうなったのだから仕方ない。
    また、妻や子どもたちの私認識を変えることは難しい。
    どんなに私が努力したところで、
    決めつけられた私像とは、そのまま変わらないものと悟っている。
    これもまた、仕方ないことだった。

    いろいろとあっても。
    今日、今、ここを、ただ生きる。
    あるものをただ生かす。
    あるものにただ感謝する。

    それは、数年前のような健康な身体に戻りたい気持ちはある。
    スキーをして山に登る。
    そんな第二の人生が夢でもあった。
    フルマラソンにも挑戦とは想っていたが、どこかで諦めてもいる。

    これからは、子どもたちが家を出て、私と妻とが残されるだろう。
    どうやって日々を生きていくか。
    それは、現実の問題として新年度から突き付けられる。
    4月からしばらくは、私は無職になる。
    収入が得られない。
    本当にどん生活になるのかと、時々想うこともある。

    しかし、やっぱり「万事塞翁が馬」なんだな。

    どうにもならない夫であり、父親であったとしても、
    じたばたはしない。
    仕方ない。仕方ない。
    ただ、その声無き声を受け止めて、
    誠実に日々を生きるしか道はない。
    見守ることはずっと見守って行く。
    やるべきことは、ちゃんとこなす。
    怠けない。文句を言わない。忍耐強くある。

    思い通りに行かないことが、人生だった。
    その気付きは、深くて、大きい。
    だから、「色即是空」と、諦める。
    でも、その空に徹することで、
    起死回天の力なる。

    もう自分はいらない。

    そんな自分で生きたいものだと、考えている。
    そうすりゃ、随分に楽に生きられるはずだ。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月24日 07時54分23秒

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    自然のはたらきを現す

    本当にどうにもならない二日酔いだった。
    あまりにもむかむかするので、吐くことにした。
    何もでなかった。
    涙と鼻水だけだった。

    さてさて、それでも出かけるのは、業なのだろうか。
    私はバスに乗って、本町に向かった。
    「あき乃」で小千谷蕎麦を食べるためだ。
    ここのご主人もお母さんもとてもとてもよくしてくれる。
    私が店に入ると、「クマさん、いらっしゃい」と、
    名前をよんで出迎えてくれる。
    それから、「お元気そうね」と、私の顔を見てそう言ってくれる。

    N大病院から退院して、直ぐにこの店に来て、蕎麦をいただいた。
    すっかり痩せて、見る影もない身体に、
    お母さんは、絶句していた。
    生き死にの境を越えて、病院のベッドでは、
    この店の蕎麦を食べるために、もう一度生還することを心に誓っていた。
    そんなお店だ。

    蕎麦とジャズと天ぷらと蕎麦焼酎がある。
    付け出しには、美味しいわかめと豆腐だった。
    真心がいつもいつも温かい。
    私は、あったかな蕎麦焼酎を飲み、蕎麦を味わう。
    ついさっき吐いて来た私がである。
    音楽は、ビリー・ホリディーだった。
    この深い生きることの哀しさと、しみじみとした味わいとが、
    心地好く、ただじっとその空間と時間とに浸り込む。

    それから、りゅうとぴあに向かった。
    途中の交差点で、白状の初老の男性。
    レジ袋に食品をいれて、立ち往生していた。
    「何かお手伝いすることはありませんか」と、声をかける。
    ばっと、その人の表情が明るくなった。
    「家まで、お願いできますか」とのこと。
    私は、左ひじにその人の右手を置いて、ゆっくりと歩き始めた。
    「時計屋さんがありますよ」
    「そのお店の角を左に曲がってください」
    「水たまりですよ」
    「空き地があるので、その前のアパートが私の家です」
    「着きましたよ。一階ですか」
    「階段の脇の部屋です」
    「大丈夫ですか」
    「ありがとうございます。私はIと言います」
    「それでは」と、私は別れた。
    ほんの少しの道行だったが、分かれた余韻が深かった。

    あの人は、あの部屋でたった独りで生きている。
    ビリー・ホリディーだなぁ。
    それから、急いだ、急いだ。
    コンサートの開演にぎりぎりの時刻だった。
    1ベルが鳴っている中、会場に入った。
    間にあった。

    キエフ国立フィルハーモニー交響楽団。
    ドボルザーク交響曲第9番「新世界より」
    ベートーベン交響曲第9番「合唱付き」

    心地好い酔いの中での音楽は、至福の時だった。
    私は、涙を信じている。
    不思議なことだが、私が涙を流す時、私の私が感動している時だった。
    まさに、感じて、動く。
    それは、意識でも意図でもなかった。
    私の私が、感ずるまま、感応し、ただ、涙が溢れる。
    ドボルザークが歌い出すと、ただ、静かに涙が流れた。

    ソリストが一流だった。
    オーボエの何と美しいことか。
    ホルンの何と気高く気品のあることか。
    その響きそのものに酔いしれていく私の私。
    その私の私は、感動する私であった。
    そんな私が、私の中に生きている。
    音楽を聴くとは、その涙によって現れる私の私と出会うことでもあった。

    その涙を信ずるとは、その私の私を信ずること。
    ここに、確かに私の私は生存している。息づいている。

    さてさて、合唱だ。
    どれだけこの曲を聴いたことだろう。
    しかし、4楽章になって、やっと涙が現れた。
    そんな時もあるし、そうした音もあるのだった。
    そして、合唱団の登場だった。
    若い男女の合唱だ。みんなハレの顔をして輝いていた。
    私は、合唱団を見下ろす2階の席に居た。

    ソリストたちも素晴らしい。
    合唱が始まると、全ての音が一つとなる。
    合唱の人、100人。オーケストラの人70人としても、
    それぞれの人たちがそこには個としては存在していなかった。
    大きなうねりと共にぐいぐいと立ち上がって来るのは、
    ベートーベンを通してこの世に現れた音楽そのもの。

    その音楽に、全ては溶けこみ、全ては一つとして昇華する。
    彼女にも彼にも家族が在り、それぞれの想いがあり、夢もある。
    哀しいことも辛いことも、どうにもならない試練の中に居るのかもしれない。
    それは、それだ。
    この神の視点とでもいうような、俯瞰した位置から見下ろすと、
    全ての人たちの歌声もオーケストラの響きも、
    一つの大いなる魂となり、力強く存在して、聴く者の魂に轟きを与える。

    調和とハーモニー。
    その響きに私の中の私は感動し、
    私の中の私たちが歌い。私の中の私たちが奏でている。
    それは、全てを一つにする調和であり、存在そのものである。
    この現われを表現するために、ベートーベンは魂を燃やした。

    この偉大な交響曲は、在った。
    それを、ベートーベンは、音にした。譜面に現した。
    それを、現実の音にする。音楽にする。魂の響きとする。
    その瞬間には、個は居ない。
    みんなこの響きの中で消えていく、昇華する。
    私の中の私だけが、偉大な響きで立ち上がる。
    現れる。

    何だろうね。
    そこで生きられたら、幸せなんだな。

    自然とは、その調和のはたらく姿なんだ。
    そのはたらきがはたらきとして現れる時、
    それは、きっと真の現れ・表現となるのだろうと、私は想う。
    その現れのためには、
    そのはたらきを感ずる感性と魂とが必要なんだ。
    人が、人であるということは、
    そのはたらきを感じて、魂の響きとして表現することではないかと、
    ベートーベンに何だか心から感謝して、拍手している私と出会えた。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月23日 11時37分22秒

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    居なくなった私

    二日酔い。
    それもこの時間になってもまだ頭が痛い、むかむかする。
    何よりも記憶がないことが恐ろしい。
    あの瞬間から、ぱっと消えている。
    何も覚えていない。
    何か失礼なことをしてり、言ったりしていたらどうしよう。
    酒の席とは言え、何だか不安でもある。

    私が居た記憶はなくても、私はそこに居て、喋っていたはず。
    何を語っていたかは覚えていなくても、
    私は、何かを語り続けていたはず。
    そのことは、確かなことは、
    こうして自宅に私が帰ってきていること。

    途中のタクシーの中での運転手さんとの会話をおぼろげに覚えている。
    しかし、まだらなんだな。
    あのまま死んでいたとしても、
    私は、私である記憶がないのだから、
    死んだとしても私は気付かなかっただろう。

    記憶を無くしている間の私は、
    いったいどんな私だったのだろう。
    私は、酩酊して何も訳も分からずにしゃべっていたのだろうか。
    それとも、ちゃんと私としてしゃべっていたのだろうか。

    一体どんな話をしていたと言うのか。
    それは、まともな話だったのか、
    それても、相手が肚を立てる話だったのか。
    何だかとても恐ろしい。
    でも、その酩酊して我を失っている最中の私を、
    見て見たい気もする。

    意識は、私ではない。
    私だと想っている私だけが、私ではない。
    記憶が無いとということは、どういうことになるのだろうか。
    それでも、やっぱり支払いをして、傘を忘れず、タクシーに乗った。
    帰りにコンビニによってプレミアビールを買ったらしい。
    台所のテーブルには、飲み残しの缶ビールになっていた。
    メガネは、いつものようにテーブルの下ではなく、上だった。

    ということは、それなりに、しゃんとして帰ったはずなのに、
    何で、ある瞬間から、記憶が全くなくなっているのだろう。
    「ああ、今、ここから記憶がなくなるなぁ」という自覚はあるわけはない、
    でも、あの時の隣の人の顔と話は、確かにあった記憶が在る。
    なのに、なのに、そこからの記憶がすっ飛んでいる。
    まったく存在しない。

    これってどういうことなんだろうか。
    居ても居なくてもいい人の私が、
    本当にそこ居ない人になっていたんだな。
    でも、私は、きっと変わらずに馬鹿な話を喋り続け、
    笑って居たかもしれない。
    相手の人は、ある瞬間から私が居なくなった私であるとは気付かない。
    でも、私は、会話を続け、何かを喋り続けた。

    分からない。分からない。
    とにかく、その時、何をしゃべり、何をしたのか。
    それを知りたい。
    認知症の人とは、こうした不安感にいつも襲われているのだろうか。
    誰か、昨夜のある時間の私を、教えてください。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月22日 06時30分16秒

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    痛みと孤独

    腰が痛くなることがある。
    また、ヘルニアだけは勘弁してもらいたい。
    だから、そんな時には、腰を労わる。

    長い時間座っていたり、うつぶせで本を読んでいたりする。
    とたんに、腰から痛みの信号が発せられる。
    すると、立ち上がり背伸びをしたり、歩いたりする。
    腰に手を当てて、後ろにそってのストレッチをする。
    そして、労わる。

    重い物は持たないようにしている。
    もし、持たねばならなくなったら、腰を落とす。負荷をかけない。
    走った時もそうだった。
    いつも腰に聴いている。
    本当にそうなんだ。
    腰に聴きながら、この前は走った。

    痛みは、そのものが、ここに「居る」というメッセージのようだ。
    なぜなら、私はその痛みを通して、その存在を感ずるからだ。
    脳みそは、痛いだろうか。
    胃は、痛いだろうか。
    きっと痛みが無いから、その存在を忘れている。
    でも、脳も胃も絶えず、いのちのために働いて休まない。

    私は、痛みを通して、そのものそのものの存在を実感した。
    椎間板ヘルニアでの坐骨神経痛によって、
    この腰に通っている坐骨神経すら実感することができたのだ。
    気付かないでいるし、ありがたいとも何とも思わずに、
    日々を無事に暮らして行けるのは、
    この身体のおかげさまだとは、
    痛みに襲われ、病にならないと分からないものなんだな。

    「眼横鼻直」だ。
    何だかあたりまえにあるものが、
    あたりまえでなくなり、
    不思議だなぁと想えるようになる。
    また、在り難いことだなぁと想えるようになる。
    それを実感する。体感する。腑に落ちる。

    それでもやっぱり「眼横鼻直」なことには、変わりない。
    でも、目が横にあることも、鼻が縦であることも、
    在り難いことと感ずる。変わる。
    それは、痛みによって練られ、試され、やっつけられたおかげさまだ。
    もし、痛みによって、私とは、どうにもならない弱いものだと気付けたら、
    この痛みをどうにもできない実に無力で無様な私であり、
    その痛みにすら耐えられない情けない存在なんだと気付けたら、
    そこから、ふっと見方が変わり、世界が変わる。
    私が、そうだった。

    痛みは、生きようとする、生かそうとする尊いはたらき。
    そのはたらきがある限り、私のいのちは終わらないということ。
    痛みとは、治癒のためのプロセスに過ぎないということ。
    そして、痛むことによって、
    いのちであったことに、私は、初めて気付いたこと。
    その気付きは、この痛みが在ったればこそだった。

    痛みには、深い深い意味が在った。
    そこに、何を学ぶかだ。
    それは、孤独にも言えること。
    孤独は、魂の痛みでもある。
    その痛みをしんしんと、じんじんと感じているなら、
    そこに、魂が在ることを信じたい。
    身体があるから、その身体が生きようとするから痛みがある。
    魂があるから、その魂が生きようとするから孤独がある。

    そのことが、私にとっての「眼横鼻直」だった。

    痛みは、在る。
    孤独は、在る。
    だから、いかに生きるか。

    まず、そこを経てこない限り、深くはならない。
    深くは、生きられない。

    ここが道場だと、道元さんも言っている。

    さてさて、だからその身体を労わりつつ生きればいい。
    そして、ソクラテスの言うように、
    「魂のお世話」こそ、とてもとても大事なことに違いないんだ。

    善く生きるためには、痛みと孤独とは、必須の道なんだな。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月21日 06時23分08秒

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    独りを楽しむ

    新年会の話で、小千谷のSさんに電話した。
    私たちの電話は、主に日曜日の朝だった。
    それぞれがそれぞれの生活の中で生きているので、
    お互いにとって自由な時間がそこだったからだ。
    しかし、時々、こうして平日の夜、
    私が酔ったままの語り合いになることもある。

    でも、こうして語り合える師がいることが、何よりもありがたかった。

    独りだなぁと、最近、想う。
    でも、若い頃は独りが寂しく、独りが惨めで、
    何だかたくさんの友達に囲まれてわいわいと騒いでいる人気者が、
    羨ましくもあった。
    しかし、還暦に到り、いつしか亡くなった父の心境に近くなった。
    語り合える友は、何人かいたら、幸せだ。
    独りで居る、その時間が楽しく感じられる。

    独りがいい。独りでいよう。

    しかし、その独りとは、孤独なる独りではなかった。
    独りで静かに佇んで居られる人は、どうも深い人なのではないだろうか。
    そんな話になってきた。

    私が合唱団で出会った二人の老境に達観した紳士は、
    まさにそうしたいぶし銀のような渋く落ち着いた輝きを有していた。
    話したいな。知り合いになりたいな。
    こう切に想っている私に対して、
    相手の人もそう想っていてくれたようだ。

    肺がんになった話を淡々と語ったIさんは、
    S高校の山岳部で、飯豊を縦横無尽に駆け回った人だった。
    長年歌を歌い続け、36年前、私は彼とメサイアで出会っている。
    彼のその落ち着いた泰然自若とした姿は、
    何とも惚れ惚れする姿だった。82歳。

    Kさんは、真っ白な髭とチャーミングな瞳の紳士だった。
    篠笛の達人であり、フルートも吹かれると言う。
    彼はT山岳会の猛者であり、冬の飯豊を縦走した人だった。
    山の話をすると、二人の話は尽きなかった。
    同じ飯豊で育てられた山男だった。78歳?

    二人の共通点は、やっぱり山だった。
    そこで、本当に青春の一時代を培い、そこに浸り、そこで生きた。
    年間山に入っている日数は半端ではなかった。
    1から2カ月間は山に居る。
    二王子岳を2時間15分で登ったと言う。

    さてさて、二人の共通点は何かと言うと、
    やっぱり山を登り続けた人だということだ。
    あの大自然と向き合い、語り合い、
    静かにその山の気を身体で感じて、
    味わっていた人だということだ。

    その味わった山の気は、身体に沁みる。
    その気がその人の根幹の魂と成り、
    その人を、その人とする。
    山で育てられた人とは、
    山のような人となる。

    そんな茫洋さとでも言うのか、
    がらんどうの爽やかさとでも言うのか、
    なにものにもこだわらず、鷹揚に生きていると言うのか。
    ただ、淡々と、その場で、独りで佇んでいる言うのだろうか、
    そんな人は、衆人の中で、やっぱり独り光を放っている。

    自然を先生にして生きて来た人は、
    自然から学んでいるので、
    人は時にはどうでもいい存在として感じられる人なんだ。
    いや、言い方が少し間違っているようだ。
    自然が在るようにして、自分もありたいと願って生きて来た人は、
    何だか人には、底抜けに優しい人となる。

    そして、何よりも独りの輝きを持つ人であり、
    静かに語る一言一言が「ことは」としての深さと意味とを持っている。

    ああ、こういう人に、私はなりたかったんだなぁという、
    そんな憧れの人でもあった。

    「私たちは、樹を植えて来ましたね。」
    「そうやって、樹を植えながら、
    私たち、樹からたくさんのことを教えられたようですね。」
    「そうだね」と、Sさん。
    「そして、そのおかげでたくさんの素敵な人たちと出会いましたね」
    「そうだったね」
    「樹を植えて、いかったですね」
    「そうだね」
    「もし、樹を植えていなかったら、私とSさんは出会っていません」
    「不思議だねぇ」

    「前人植樹 後人涼」
    何だかここまで生きてみると、
    これしかなかったなぁと言う気もしてくるものだ。

    私は、どうにもならない生き方ばかりだったが、
    「山に登っていてよかった」と想い、
    「樹を植えられてよかった」と想っている。

    では、独りを楽しみつつも、何を終わりに向かって遺そうか。
    それもやっぱり「ことば」と「たね」だと、
    そう想えるようになった。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月21日 06時22分21秒

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    独りを楽しむ人に

    新年会の話で、小千谷のSさんに電話した。
    私たちの電話は、主に日曜日の朝だった。
    それぞれがそれぞれの生活の中で生きているので、
    お互いにとって自由な時間がそこだったからだ。
    しかし、時々、こうして平日の夜、
    私が酔ったままの語り合いになることもある。

    でも、こうして語り合える師がいることが、何よりもありがたかった。

    独りだなぁと、最近、想う。
    でも、若い頃は独りが寂しく、独りが惨めで、
    何だかたくさんの友達に囲まれてわいわいと騒いでいる人気者が、
    羨ましくもあった。
    しかし、還暦に到り、いつしか亡くなった父の心境に近くなった。
    語り合える友は、何人かいたら、幸せだ。
    独りで居る、その時間が楽しく感じられる。

    独りがいい。独りでいよう。

    しかし、その独りとは、孤独なる独りではなかった。
    独りで静かに佇んで居られる人は、どうも深い人なのではないだろうか。
    そんな話になってきた。

    私が合唱団で出会った二人の老境に達観した紳士は、
    まさにそうしたいぶし銀のような渋く落ち着いた輝きを有していた。
    話したいな。知り合いになりたいな。
    こう切に想っている私に対して、
    相手の人もそう想っていてくれたようだ。

    肺がんになった話を淡々と語ったIさんは、
    S高校の山岳部で、飯豊を縦横無尽に駆け回った人だった。
    長年歌を歌い続け、36年前、私は彼とメサイアで出会っている。
    彼のその落ち着いた泰然自若とした姿は、
    何とも惚れ惚れする姿だった。82歳。

    Kさんは、真っ白な髭とチャーミングな瞳の紳士だった。
    篠笛の達人であり、フルートも吹かれると言う。
    彼はT山岳会の猛者であり、冬の飯豊を縦走した人だった。
    山の話をすると、二人の話は尽きなかった。
    同じ飯豊で育てられた山男だった。78歳?

    二人の共通点は、やっぱり山だった。
    そこで、本当に青春の一時代を培い、そこに浸り、そこで生きた。
    年間山に入っている日数は半端ではなかった。
    1から2カ月間は山に居る。
    二王子岳を2時間15分で登ったと言う。

    さてさて、二人の共通点は何かと言うと、
    やっぱり山を登り続けた人だということだ。
    あの大自然と向き合い、語り合い、
    静かにその山の気を身体で感じて、
    味わっていた人だということだ。

    その味わった山の気は、身体に沁みる。
    その気がその人の根幹の魂と成り、
    その人を、その人とする。
    山で育てられた人とは、
    山のような人となる。

    そんな茫洋さとでも言うのか、
    がらんどうの爽やかさとでも言うのか、
    なにものにもこだわらず、鷹揚に生きていると言うのか。
    ただ、淡々と、その場で、独りで佇んでいる言うのだろうか、
    そんな人は、衆人の中で、やっぱり独り光を放っている。

    自然を先生にして生きて来た人は、
    自然から学んでいるので、
    人は時にはどうでもいい存在として感じられる人なんだ。
    いや、言い方が少し間違っているようだ。
    自然が在るようにして、自分もありたいと願って生きて来た人は、
    何だか人には、底抜けに優しい人となる。

    そして、何よりも独りの輝きを持つ人であり、
    静かに語る一言一言が「ことは」としての深さと意味とを持っている。

    ああ、こういう人に、私はなりたかったんだなぁという、
    そんな憧れの人でもあった。

    「私たちは、樹を植えて来ましたね。」
    「そうやって、樹を植えながら、
     私たち、樹からたくさんのことを教えられたようですね。」
    「そうだね」と、Sさん。
    「そして、そのおかげでたくさんの素敵な人たちと出会いましたね」
    「そうだったね」
    「樹を植えて、いかったですね」
    「そうだね」
    「もし、樹を植えていなかったら、私とSさんは出会っていません」
    「不思議だねぇ」

    「前人植樹 後人涼」
    何だかここまで生きてみると、
    これしかなかったなぁと言う気もしてくるものだ。

    私は、どうにもならない生き方ばかりだったが、
    「山に登っていてよかった」と想い、
    「樹を植えられてよかった」と想っている。

    では、独りを楽しみつつも、何を終わりに向かって遺そうか。
    それもやっぱり「ことば」と「たね」だと、
    そう想えるようになった。

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  • from: クマドンさん

    2017年12月20日 06時17分43秒

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    たねの使命とは

    「雲は天に在り 水は甕にあり」  薬山

    さてさて、ふと想うことがある。
    「ああ、そうだっんだ」「そういうことか」と。
    そうしてぼうっとして、また、考える。
    その時間って、何だかとてもわくわくと楽しい時間だ。

    「たね」という言葉が想い浮かんだ。
    そうだよな。みんな「たね」から生まれるよなぁだった。
    「たね」から生まれないものは、一つもないな。
    たねがやっぱり始まりだなと想ったら、
    いや、待てよと気付いた。

    この目の前のたねは、始まりのたねの訳がないということだ。
    このたねは、このたねを生んだ草花から生まれたたねだ。
    その草花とは、一粒のたねから生まれた草花だ。
    しかし、その草花を生んだたねも、始まりではない。
    やっぱり、そのたねの父と母である草花によって生まれたものだ。

    それでは、そのたねの起源をどこまで遡って行ったら、
    その始まりに出会うことができるのだろうか。
    何万年・何億年・それとも、この宇宙の始まりの始まり。

    その始まりから、命は、途切れたことが無い。
    そして、秋になり、たねとなるとき、
    そのたねは、一粒だけのたねではなく生まれる。
    そのたねがここで生まれるまでにかかわった、
    縁ある数多の季節を生き抜いて来た、ご先祖様が居るからだ。

    このたねの身体は、そんな身体だ。
    そこには、やっぱりそのたねをたねとして存在させる大いなるはたらきがある。
    そのたった一粒のたねにすら、いや、たねだから、
    ここに生まれた意味が在るのではないだろうか。
    「一粒のたね、もし、地におちたならば」である。

    たねから生まれたものには、次のたねを培う使命がある。
    きっとその大いなる命のはたらきは、
    その役割と責任とを、そのちっぽけなたねに託した。

    しかし、いつも想う。
    どうしてこうやっておおいなるはたらきに拠ってこの世に生まれ、
    本当に疾風怒濤の数多の試練や苦悩を味わい、
    悲しみと苦しみこそ、生きることなんだと、諦めたこともある私は、
    それでもこうして生かされていることは、
    どんな「意味」があるのかと。
    しかし、そう思い悩み、問いの答えを求め続けている私は、
    実は、そのおおいなるはたらきそのものなのに。

    私であるのに、その私を知らず、気付かず、求めている。
    私は、たねから生まれた私として、
    そのまま、そのおおいなるはたらきに委ねて生かされるだけでいいのに、
    何でこんなにじたばたと彷徨い、悩み、道を見失ってしまうのか。
    そんな迷いの私と私が縁を切る時、
    私と「分かれる」「分かつ」時、
    本来の真面目が、「分かる」時となるのではないだろうか。

    「分かれる」ことなくして、「分かる」ことなし。
    そうか。そうだったのか。
    「分かる」ためには、「分かつ」ことが必定だったんだな。
    そうすることで、「無心」となれる。
    そこにしか、このおおいなるはたらきははたらきとしてはたらかない。

    ここにはたらきはちゃんと待機している。
    私の機が熟すことを待っていてくれている。
    私が動くのではなく、そのはたらきが動くのに任せるんだな。

    うすることで、私はきっと花を咲かせ、その花が落ちる時、
    そこには、次につながるたねが宿る。
    そのたねは、父や母からのいのちの宿りであり、
    その父や母からのいのちの宿りでもある。
    そして、どれだけ遡ってもどうにもならないくらいの数多の命の、
    そのたねは、宿りである。

    だから、そのたねから生まれた私を信じよう。
    そして、そのたねのままに自然体に生きるだけで、それでいい。
    後は、衰え、枯れるだけ。
    しかし、たねは、遺る。
    そこにおおいなるはたらきによって託された使命がある。

    「雲は天に在り 水は甕にある」  薬山

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